はじまり 001
1979年
昭和54年4月16日(月)
人は自分が思っている程、日本一周に価値を持っていないし、又、その価値も分からない
1979年
昭和54年4月16日(月)
道路は車で混雑。バスはなかなか先に進まず他人の腕時計を盗み見て気になる事。
イライラとする。
九時二分前に約束の場に来たが、彼女が来ていない。
今朝、雨ふりだったから来ないのかと思い、昨夜の続き荷造りを、ベンチに腰かけてやっていたら矢野さんが来る。
本を送ってもらう事を願う、六百円。
原稿帳をたのむ、千円。
さぁ、写真を撮る事になったが、お互いに勘違いをして、彼女はカメラを持って来ていない。説明不足である。
俺のカメラには、フィルムが入っていない。
フィルムを買いに行く、五百二十円。
写真を四枚撮っただけ、アアーもったいない。
現像代千円、次から次と銭がでていく。
九時三十九分、橋を渡り歩き始める。
何時歩いただろうか。足が痛く、見ると豆ができている。
十数年ぶりに見る。
豆ができる事が不思議である。
ジュース150円、クツのビョー250円、矢野さんから貰ったおにぎり、化粧の味がする。
腹がへって、ラーメンを食べたがマズイ、350円。
陽はまだ高いが先は長い焦る事はないと、道路から右側の丘に見える新しい水塔の下でねた。
手紙を一通書く。書いてばかりでウンザリ。
歩く道で考える事は、同じ事ばかりでこれは、失敗だったと思う。
気が付いただけもうけではないかと自分に言いきかせる。
人は自分が思っている程、徒歩日本一周に価値を持っていないし、又、その価値も分からない。
徒歩距離:28km
使用金額:750円
汽車ではないので、自分の脚を働かさないかぎり先に進むことができない
1979年4月17日ブログanshu
002
1979年
昭和54年4月17日(火)
時計は持っているが、使わないし自動巻きなので、朝時計を見ると止っている。
それに、寝グセがついたのか、それとも寝ごこちがよいのか静かでノンビリ、
そのまましていたい感じだが汽車ではないので、自分の脚を働かさないかぎり
先に進むことができないので、しかたがないので
起きる。
牛乳145円、時間は八時二十分である。
腹がへったぁー 道路の左側に、小さな夏みかん畑があり、もう、 みんな収穫した後で残っているのは、栄養失調の小さなみかん、五個。
失敬して 橋に腰をおろし食べたが、小さいわりには、なかなか美味である。
足にマメができて痛いので不自然な歩き方をする。
増々、豆を多く作るだけで、痛いのなんの。歩くよりも、休むほうが多い。
途中から、道路が狭くなり、車が走るそばを歩かなければならない。
気がイライラとする。
城山峠であったと思う。ラーメン大盛と飯450円。
ラーメンのあの臭いを嗅ぐと、すぐ店に入りたくなる。
スーパーで、バナナ、パン、牛乳450円。
荷物が多くなって、ウンザリ。右側にある 学校運動場でパンを食べる。
道路の両脇は人家ばかりで、野宿できそうな場所はなく、困る。
もう歩く気もしないし、少し回ってみたが、なく、
材木屋の小屋に寝ようと思ったら、
その隣りに故障した自動車があったので、 その中で、ホコリをはらって寝る。
しかし、狭すぎて寝返りをうつ事もできなく、
インドの汽車を思いだす。
徒歩距離:22km
使用金額:1045円
原稿用紙をかついでホッつき回るなんて、聞いた事がない
1979年4月18日ブログanshu
003
1979年
昭和54年4月18日(水) 曇り時々小雨、寒い
人が来る前に起き荷をまとめる。
時計は7時10分である。
空は曇り空で、今にも雨が降りそう。
ポンチョを買っとけばよかったと後悔する。
足が痛くて、どうしようもない。本当にチンタラチンタラである。
一週間もすれば、なれるだろうと思いながら昔はどうだったか全く思いだせない。
牛乳145円。
レストラン、喫茶を見ると、頭に浮かんで来る事は、こんなユースもいいなと、
そんな事ばかり。
八幡のユースに泊まろうと思ったが、着いたのが十時頃、早すぎるし
下関に行くには距離がありすぎるし迷ったが、結局、なんとか行くだろうと・・・。
ラーメンの臭いにつられて入った店が、これまたマズイ。
腹がへっていると、臭いにつられるらしい、280円。
休んでは歩きのくり返しで精神的に参る。
どうでもよいが、足が疲れきってついてこない。
本当に根性で足をヒキズリ歩く。
まさか、こんなに疲れるとは夢にも思わなかった。
とにかく、今日中にユースに行かなくてはと、----。
思うはフロばかり、ゆっくり寝たい
もう、年かな。
関門海底トンネルを渡り下関。
4人と、ドイツ人2人、不良外人、ドイツ嫌だ嫌だ。
東京の上野から来た奴、なまいき。
かといって、ブッとばす訳にいかないし。
早く荷物を軽くしたい為に、書かなくては。
しかし、気がせくばかりでチットも先に進まず。
原稿用紙をかついでホッつき回るなんて、聞いた事がない。
凄く飯がよいのにビックリする。
明日も、もう一泊して足を治す事にする。
フロでノンビリする。
あぁ~幸せ。
今日は、ゆっくりと寝るつもりだったが、
コーヒーを飲んでは眠る事ができない。
全く寝つかれず。
下関のY・Hで、一席ブッて募金箱でも作らせるつもりだったが、とてもとても。
使用金額:2025円
手紙を書いているばかり
1979年4月19日ブログanshu
004
1979年
昭和54年4月19日(木)
もう一泊、雨である。昨日無理して来てよかった。
一日中ユースで書きあげようと思っていたが、
十時に出れとのこと。
下関の街にでる。
ユースで同宿、彼は設計とか、昨夜も少し話していたが、
喫茶店に入り込み話す。
荒々しい山小屋風の喫茶、イイ、アイデアである。
ポンチォを買う。また、荷が増す。
チャンポン、マズイ。
手紙を書いているばかり。
使用金額:2760円
畑には、紫色のレンゲ草がアチラコチラに咲いている
005
1979年
昭和54年4月20日(金)
時計が無いから時間が分からないが、多分九時頃。
ユースを出る。
リュックが軽く感じられるが、それは始めだけ。後からズンズンと
重くなってくる。
足は随分良くなっている。朝ヌキ、昼のサイレンを聞く。
畑には、紫色のレンゲ草がアチラコチラに咲いている。
昔は、花を見る事の歓びもなかったのに。
どこにも、牛乳がないのにガッカリ。パン4個とジュース340円。
おばさん、俺が渡した金を何度も数えなおしている。
小月に着いて、八百屋に、少し古くなったバナナを山で百円。
非常に安いと思ったが重いので止めた。
国道2号線を左に折り秋吉台方面に県道を入る。
とたんに、車が少なくなりホッとする。
あぁ~足が痛い。フクラハギも。
何時頃か腹がへったので店で、パン、バナナ、テンプラ、アメ玉、ファンタ550円。
小川の堤で食べていたら、毛虫がリュックの上を這っている。
春である。蝶々も飛んでいる。選挙カーが何処に行っても騒がしい。
(中学生、俺を見ると顔を赤くする)
陽が暮れ始めたので、宿場を探しながら歩く。
常に同じ事のくり返し、バカみたい。
足のマメが増々悪くなり右足は血がにじんでいる。
左側は、指と指の間に大きなマメ。破れた時の事を思うとゾッとする。
高速道路バス停で、寝る事にする。
今、バス停の中でこれを書く。
バス停の名前、厚保。8個のマメ。
使用金額:840円
79/4/21
秋芳洞から流れでる水、畑の中に舗装した遊歩道がつくってあるが
1979年4月21日ブログanshu
006
1979年
昭和54年4月21日(土)
高速道路を通過する車の騒音に安眠妨害。
時々、トラックが横着でうるさい。
それに、バス停のベンチは狭く、寝返りをする事もできなく、
増々疲れるだけ。
やっとゴタゴタとしはじめたら、もう朝。
高速道路パトロールの人に起こされる。
スプライト100円、倉田駅前の店でジュース200円。
牛乳が売っていないのには、困ったものである。
家々が散り散りに建って、茶色の屋根で大きい。
しかし、不便な感じである。
明日が選挙投票日か、スピーカーをガーガーいわせて、
車は走っていくが、これも公害の一種であろう。
歩いていたら白色のコロナが止まり乗らないかと云う。
丁寧に断る。
美祢の手前3K程の所で、ゴザをひいた3人のおばさん、
手を振り、寄って行けと言う。
今日は、弘法大志様の何かとか、拝めと言う。
二十円、茶を飲んだが、チットもおいしくない。
お茶を飲んでいたら選挙人の立候補者が来る。
38才の若さである。
頑張って下さいと握手をしたが、一体何を頑張るのか。
街の左側の山は石炭工場の為、そっくり山がけずりとられている。
美観もあったものではない。
街を通り抜けた所が道路横でヒックリ返っていたが、
小学生の女の子三人が寄って来る。
自殺して死んでいるのかと思ったとか。
おもしろい子でよく単純に話す。
「お母さんが知らない男の人と話したらダメと言われているけど、
私、すぐ話すの」
どうしてと尋ねたが、
「強姦されるから」と、この子意味が分かっているのかな。
私、フィアンセがいるとか。
お兄さん、何で結婚しないの。私、いい女している。
私のピアノの先生がいいとか。
腹がへっていると言えば、おごって上げるとか、
私ね、お母さん三十五万の借金があるの知っているとか、
その他、色々。
パン一個170円。
足が痛いのなんの、よく歩けない、川がよい。
川の堤で昼寝。リュックが思い。何とかしなくてはと思うが、
あと、取る物といえば、カメラ。
秋芳町で、今日明日の食料。やっと牛乳が買える。1000円
ユースに電話。食事と尋ねられ迷ったが、たのむ。
ユースに着いてガッカリ。こんな事だったら野宿すればよかった。
男二人、女三人。女達、車、話全くなし。
もう二度とこのユースに来ない。
足のマメ、増々悪化。信じられないような大きさ。
川の水が清く、アユみたいなのが泳いでいる。
秋芳洞から流れでる水、畑の中に舗装した遊歩道がつくってあるが、
全く無意味。
ユース代 1700円。
徒歩距離:26km
使用金額:3170円
79/4/22
野路を上ったり下ったり、リュック重く、ウンザリ
1979年4月22日ブログanshu
007
1979年
昭和54年4月22日(日)
秋吉Y・H 8・30出発
玄関に朝刊があったので失敬して来る。
旅をしていると新聞を読む暇と金が無いので世の中のことが、うとくなる。
まだ朝が冷たい。昨日の食材を背負って若竹山へ。
頂で食パンの袋を破ったらパンにカビがはえている。
三枚無理して食べたが頭に来る。
昔、十年前来た時は、道路などなかったのに、
全く何故こんな所まで、道路を建てなければならないのか。
野路を歩いていると、ワラビが沢山はえている。
家族連れでワラビ取りに沢山。
しかし、遊歩道まで、車で乗り入れてくる。
鳥の鳴き声が空から聴こえてくる。春である。
都会にいると、季節感が全く分からなくなってしまう。
野路を歩いていると、ワラビが沢山はえている。
家族連れで、ワラビ取りに沢山。しかし、遊歩道まで、車で乗り入れてくる。
鳥の鳴き声が空から聴こえてくる。春である。都会にいると、季節感が全く分からなくなってしまう。
野路を上ったり下ったり、リュック重く、ウンザリ。
今日は、20キロ歩けばよいと思っているから気分的に楽だ。
寝コロがって新聞を隅から隅まで読む。
これで、荷物がなく一人であるか、恋人か二人であるとか
最高にロマンチックな散歩道である。
レーナとスタファンと一緒に散歩している事を想像した。
県道を歩く。途中、店屋がない。昨日、食料を買ったのは正解である。
道路脇に、よく山水が流れている。水が自然でおいしい。
何処か寝る所を捜しながら歩くが、なかなかない。
昼間は、よくいい寝場が見つかるのに、肝心な時ない。
足が痛いので、河に足を入れる。水は清く冷たい。
三隅町。県道と国道の交差点。山の中に社が見える。
今夜、そこに寝る事にする。
(ラーメンとハム、340円)
耳の遠いおばさん。クレンザーを持ってくる。それでは洗濯ができない。
社の階段の上で下を見おろし書く。
右手に陽が山陰に入ろうとしている。
青空がきれい。
徒歩距離:20km
使用金額:340円
一番大事な物を忘れていた
1979年4月23日ブログanshu
008
1979年
昭和54年4月23日(月)
昨夜、自炊しようとリュックの中をヒックリ返してナベに水を入れ、
イザ火をつけようと思ったらマッチがない。
一番大事な物を忘れていた。
こればかりは、代用品でまに合わせる訳にはゆかない。
しかたがないので、又、コトコトと社の階段を降りていく。
アァー遠いのなんの、腹はへるし。
朝起きても腹がへっていないのか、そんなはずがないのに、食欲がない。ラーメン体によくない。
ジュースと昨日の半分残り安いハム、ヒョットして、ハムがよくないのでは、チットもおいしくない。野グソをたれて、シャツを着ながら歩いていたら、森の中からばばさんが、出てきて、ビックリしている。神に祈りに来たとか本当かなー。ヒョットしたら、俺の野グソをたれるのをノゾき見していたのでは?
道路まで案内してくれる。71才とか、歳より若い。もっと若かったらよいのにと、心の中で思ったり。
萩まで17k、道は山合いの中を、はしっている。
途中、一軒も店がないので、腹がへっても何も買えない。
峠を越え左側の谷下に細い道路がはしっている。
多分、あれが旧国道だろうと思い、そちら側に移る。
沢の水をくんでラーメンを作る。
食欲だの何んだの云っても、腹がへっていると、何でも食べる。
しかし、一体どれだけ、こんなことを続けなければならないのか疑問に感じる。
ラーメンを食べながら、戦国武将の言葉と云う本を読んでいたが、色々思い当たるフシがあるが、なかなかどうしてそう簡単に本みたいにゆかない。
大きな町と違って、狭い通りに小さな店がチョコーとある。
バナナ400円、高いな、スーパーで予備の食料を買う。
合計1514円、ユース代1150円。
防波堤に腰をおろし、久しぶりにノンビリ。
海の水が澄んでいるのに、ビックリする。
遠方に島影が見え、ノンビリした町である。
たとえ、観光化したと云っても、いい町である。
静かで、一人より二人のほうがいいと思う。
本を忘れた事にガッカリする。
本でも読みながらノンビリすればーーー。
ユースに帰り本を持ち、別の砂浜に行くが、後に衛生局の処理工場があり、臭いがとても、
ロマンチックにはなれない。
場所はいいところなのだが、洛陽を見る為に我慢する。
久し振りに陽が落ちるのを見たが、あまりよくない。
ユースに帰り手紙を四通書く。
萩ユースの指定(管理)者はもう変わってしまったとの話である。
女の子二人、友達同志、一人は三日前仕事を辞め、もう一人は門司で職安に帰って認定だのなんだの
鹿児島の子は馬鹿と伝うか、純情といっていいのか、
一人では旅行が恐しくてできないからもう一人の子をくどき旅している。
とにかく、一人になるのが恐いと、馬鹿みたい。
20何歳もなってとオチョくっていたら、怒る事だけ、一人前に、恐がっていた。
ジュース200円
徒歩距離:17km
使用金額:2864円
歩いても歩いても後を見ると街が見え、進んでいる気になれない
1979年4月24日ブログanshu
009
1979年
昭和54年4月24日(火)
目が覚めて、何時頃かなーと思っていたら、時計の打つ音が聞こえ、六時。
そして音楽が響いてくる。
たった三人しかいないのに、こんなに早く、馬鹿みたい、信じられない。
しばらく、ウトウト、半信半疑で、荷物を集め上にあがると7時である。
自分でドアーを開け出ていく。昨日と同じ場所で朝食。防波堤を歩いていたら、
廃水のヌルヌルとした水に足をとられ、転ぶ。リュックを背負っているから腰を打つ。
湾になっている為、歩いても歩いても後を見ると街が見え、進んでいる気になれない。
荷物が増々重くなり、なんとかしなければと-。
左側に日本海、海水が澄んできれいだ。
潜水夫?何かを潜って獲っている。
足が痛く、増々悪くなり速度が落ち、肩は痛くなり、この調子だと北海道まで
予想とは一ケ月違ってくるだろう。
空の様子がおかしくなってくる。黒い雲が空一面に広がり、
雨が降ったらどうしようと心配。
ポンチョがあるからよいが、今夜、いい場所があるかなー。
奈古で降りだす。ここは、昨年、俺が東京に行く時、ヒッチする為立っていた場所。
時期も丁度今頃。昨年はストだった。
雨が降り始め、神社はと思いながら歩いていたら、
右側に何か空家みたいな感じ。入ると、
昔、牛のセリ市場だったらしい。
牛小屋がズラリ並び、駐車場にしてある。
牛小屋に入って座っていたら、ばばが来て様子を見にくる。
引き返して娘に話している声が聞こえたが、「大丈夫、物盗りではないょ」
アァー馬鹿馬鹿しい。
一体、こんな所から何が盗れる。
雨が増々強く降りだす。回りの様子を見る。
空室だが鍵がかかっている。事務所だけ鍵が壊れている。机をフク、
今夜はこの机がベッド変りになりそうだ。
手紙をだす切手代1200円
12:40 奈古に着く。現在小学校の時計で pm 2:23。
事務所の中に居て本を読んでいたら、
おばさんが、急いで来て、スカートをメクリ、パンティを脱いだ。
小便の凄い音が聴こえる。ノゾこうと思ったが見つかったらヤバイので止めた。
ものの二メートル先である。あわてていたから俺が分からなかったのかなと思ったが、そうではなくて、この窓ガラス、中からは外は見えるが、外からは中が見えない。
ガッカリ。一番肝心な所を見逃してしまった。
先にこれを知っていたらと。
NHKのリクエストコーナーに手紙を書き始めたが、途中で暗くなったので止めた。
移動距離 15km
切手代 1200円
ただ、通りすがりの人間には分からない
1979年4月25日ブログanshu
010
1979年
昭和54年4月25日(水)
空は曇り、今にも雨が降って来そうである。
迷ったが行く事にした。
昨日の残り、ビスケットを腹に入れ、出る。
奈古の高校生が、歩いていたら、朝の通学生三人におはようございますと、あいさつされる。
昨日、昼迄しか歩かなかったからか、足は痛くなく、凄く快適に足が進む。ただ、天気が心配だ。
木与駅、駅員一人、ノンビリしたものである。
牛乳、パン、チクワ、テンプラ355円。
駅内で、駅に置いてある本を読みながら食べる。
道路の左すぐ横は、海で青い波が玉砂利の上を打ち寄せてはクリ返し
素朴な美しさがある。
天気が悪い為、空はどんよりと曇り、正に日本の裏と云った感じである。
ポツンポツンと部落みたいな所があるだけである。
一体どんな日常生活をしているのか不思議である。
総て町がいいとは限らないが、こんなわずかな家しかない所に、
どんな生活があるのか。
ただ、通りすがりの人間には分からない。
岩ハダと松の木、小さな島々、美しい風景だが、何かがタリない。
十一時三十分、道路横に平行して並んでいる山陰線宇田郷駅。
全く映画にでも出て来そうな小さな田舎駅。
駅内は小さく、古い昔のベンチがあり、
このベンチから沢山の人達が旅だっていったのだろう。
自然の美しさがある。プラスチックは、便利でモダンかもしれないが、
この刻み込まれた木の美しさにはかなわない。
本が置いてある。駅員さん一人。この駅で新幹線の切符が買えますから
御利用下さいとハリ紙。
今日、国鉄スト、もともと一日五本か十本ぐらいしか汽車が止まらないのだろう。それが、スト。増々暇。
テレビを見て暇つぶしをしている。
国鉄が赤字になる訳だ。
駅内がNHK午後のロータリー、昨日の続きを書く。
原稿用紙で五枚半、少し長文だと思ったがどうせボツかもしれないか。
一生懸命書いたのにな-。
十三時十分、書き終え駅を出る。
普通だったら、もう足が痛くなるはずなのに、全く快調である。
須佐で郵便(NHK)100円、食料900円、若者に社の事を尋ねたら
次の町にあるとか。
三時だったので歩く事にする。
空模様が悪くハラハラしどうしであろ。
漁業町と云っても、本当に小さな町である。
国道を歩くよりもと思い、家並み通りを行く。
もし俺がこんな所で生まれていたら、どんな人生を送ったか?
国道を町から1k程行った所に、ジュースの自動販売機。
テントが張ってあり、
水道があったので、その中でラーメンを作って食べた。
食料を買った分、重くヒィーヒィー。
四時半頃だろう、教えられた社に着く。
水を貰いに行ったら、嫌な顔している。
寝袋の中に入って日記を書いている。
どうして、こんなに字が汚いのか嫌になる。
大きく書くと悪くないのに、小さな字になると、とてもこれが自分の字かと、
なさけなくなる。
昨日から左目が痛い、鼻の調子も悪くなってきた。
ヒョットしたら蚊ににやられたのかな。
森の中に社があり、鳥の鳴き声が聴こえてくる。
静かなもりで、こんな時ラジオがあったらと思うが、カメラを取るかラジオを
取るかそれが問題だ。
どこかで、ラジオを買いたいけれど、重い。
今、蚊が飛んできた、蚊をツブした。
こんな人ばっかりだと、世の中、平和になるのだろうかー
1979年4月26日ブログanshu
011
1979年
昭和54年4月26日(木)
昨夜、眼が痛く、寝る事できず。外は真っ暗闇。
曇っている為である。社の中は音がする度、気味が悪い。
明るくなってやっと安心して寝られるが、いつまでも、寝ている訳にはいかない。
自炊して、歩き始めるが、空は曇り、今にも雨が降りそう。
次の部落、飯浦まで来ると、雨が降りだし、飯浦駅で雨宿り。疲れているのか、ウトウト、
しかし、雨に濡れて寒い。益田からの列車が入ってくる。
おじさん事務所の方に入ってストーブにあたれと云う。ストーブにあたっていたら、
今、おばさんが傘を持ってくるから
昼飯を食べて行けと云う。
小雨の中、おじさんに付いていく。
小さな小学校。本当に学校と云った感じ。どんな授業をしているのかな。
おじさん明治三十年生まれとか。
おばさん、耳が遠いが達者である。
長男の嫁さんが、昼飯を食べに帰って来るが、俺を見てニガ虫をツブした様な顔をしている。
おじさん、一生懸命、話している。
酒を茶のみいっぱい飲む。一周して又、ここに寄る事があるならば、わしの孫をもらえと云う。
相手を見た事もないのにと云うと、
このわしを見て、わしの子だから間違いないと。
昔、コジキでなんでも引っぱって来たとか。
夫婦連れそって六十二年になると。
狭い社会の中で生きて来たのだろうが、人間とは何かと思う。人のイイ人である。
ばあさん、今夜泊まって行けと云う。
孫、高校二年女の子とか、興味あるな-。おじさん、それでは修行にならないからダメだと云う。
いつまでもここに居てもしかたがないので出る。
ベントウを作ってやるとか、傘を持って行けとか。お金をやると千円札を出す。
断る。
こんな人ばっかりだと、世の中、平和になるのだろうかー。
小雨の中を歩く。葬儀があっている。
歩き始めたら雨が降りだし国道を去り
別の道を社を捜しながら行く。となり村、多分、小浜であろう。
島の頂に、社が見える。凄く風景のいい所。
見ると前に日本海の波が岩に打ちよせ、漁村は雨に濡れ静かである。
こんな場所に、一生生活したら、どうなるのかな。
海は青く、浜辺は一人も人がいない。
こんな時、ラジオがあったらと思う。
眼が増々痛くなって来た。
多分、今、時計がないから分からないが、16:00ごろ。
使用金額:0円
何度も昔からこの山陰を行ったり来たりしたが、初めて、山陰のよさが分かったような気がする
1979年4月27日ブログanshu
012
1979年
昭和54年4月27日(金)
陽が射して明るくなったのは分かるが、何時頃か。
ルーズになったのか、もうどうでもいいやと云った感だ。
空は相変わらず悪い。朝、グズグズしていたが、そのまま、
社の神になりすごす訳にはいかない。
しかたなく起きる。
朝、小学校に通学している子供に挨拶される。
小浜の通りをヌケ、国道に、
戸田小浜駅の前の店で、パンと牛乳、バナナ415円。
バナナが高いのに頭に来る。
海を左手に何度も昔からこの山陰を行ったり来たりしたが、
初めて、山陰のよさが分かったような気がする。
静かで、人がいなく、波がうちよせ、空は曇り、
夏は海水浴客でにぎわうのかなと想像したり、
思ったより早く益田に到着。街の中には入らず。
ユースに以前から泊まるつもりだったのに、とうとう
雨の為、計画変更?
もう、マメがつぶれてしまった為か、痛くはないが、
フクラハギが痛い。
朝、窓に写っている自分の顔を見て驚く。
顔がムクンでいる。昼になっても同じ。頭は痛いし、
腎臓炎かなと心配。
鎌田か鎌手駅で一休み。本が置いてある。
その前のバス停、津田にも本が置いてあった。
いい事だと思う。
今日はどのくらい歩いたか分からない。
途中、岡見から古道を通り通って出た所が
又また変な所、銀行があったが木造で格子戸。
とても、銀行とは思えない。ただの民家、郵便局
大正か昭和の初めか、見ただけで郵便局と分かる。
山陰は、家が大きいのに驚く。道中で食料330円。
国道ぞいの田舎店。大声だしても誰も出て来ない。
盗む気になれば、いくらでも盗める。
チクワが悪かったコーラが悪かったのか腹が痛くなる。
数年前の正露丸、カラカラに乾いている。
寝る所を捜しながら歩くがなかなかない。
海辺に夏の海水浴場に出るが、建築中の家、
いいと思ったが、まだ、人が働いている。
もう少し歩いてみようと思ったのが間違い。
歩いても歩いても狭い道でとてもとても寝る場所なんかない。
足は痛くなる。空は曇り心配となる。
国道を出てどうなる事やらと思ったが、道路ワキに小屋があり、
戸が開くが中は凄いホコリだらけ。
砂をマイて、ワラ縄でホコリを払い、このままではと、
近くの家に新聞を貰いに行く。目の前に学校あり、
こんな山の中に学校と民家が二軒、この先、町があるのかな。
場所が悪いので、もしやと思うがこのまま歩いてなかったら、
とんでもない事になる。
道路ワキだからとても寝れそうにない今夜は。
多分6時半頃だろう。
徒歩距離:34km
使用金額:745円
俺のクツ見るのも嫌といったかんじ。エジプトの子供を思いだした
1979年4月28日ブログanshu
013
1979年
昭和54年4月28日(土)
今、頭痛、肩痛。日記を書く気にもなれない。
朝、スープを作り二日前の新聞を読む。歩く気はないが、
歩かない事には、先には進まない。
周布で、スーパー、牛乳とジュース、330円。ジュースが安いから
買ったのはよかったが、重いのなんの。(女主人、神戸にいたとか、俺のブレスレットをほしがる)
浜田の手前に、夏みかんらしき物が沢山なっている。
三個失敬。沢山取っても持って行けない。
浜田に着いて、今日、ゆっくり渓谷に入り洗濯して、
暇があったら、オスカでも観に行くかと思っていたが、
電話すると、爺さん、もう五日間程病気で伏してると。
又、次の時にしてくれ、電話してよかった。アァー。
急に疲れがバッとでる。
クツにビョーを打ってもらう。小さな奴200円。不親切。
俺のクツ見るのも嫌といったかんじ。
エジプトの子供を思いだした。
リビアとエジプトの国境でクツ磨きの少年が来て無料で俺のクツを磨くと言う。
磨き終わって、金をやろうとするが受け取らない。
日本、博多でもクツ磨きい断られたが、心の貧しい連中だ。
浜田に泊まれないので、進む事にした。
交差点で警官が俺を見て「ご苦労さん」。
破れジーパンにドタグツ、食料880円。
又、又、重くなった。
浜田から5K右に折れ小さな道を行く事にした。
大きな石の置き場でパンとバナナ。毎日毎日これのクリ返し、
もうあきたと思ったが、イヤイヤあきたと思う心がいけないと反省するが、
よくよく考えてみると、何の為に歩いているのか。
日本一周する自信はあるし、出来る事は分かっている。
時間の無駄なような気がする。意地かな。
見栄かな。何がこの俺を動かすのか分からん。
河原で寝ていたら堤の上から自転車に乗った人の好さそうな人が、
頑張って下さいと声をかけていく。
県道でもない小さな田舎道を選んだのは良いが、
距離が遠すぎる。
しまったと思ったが、しかたがない。
浜田から十キロ程か、左手に神社がある。その上に昇り、
今、この日記をかく。
洗濯できないのか残念である。多分、五時半か六時頃。
頭痛のせいか、記憶力がどんどん落ちていく。
鼻のせいか、鼻療でも買おうと思っているが、また荷が増える。
国道191号線から9号線に入り、山陰路は鉄道と平行して道がある。
殆どの駅は、無人駅に近く駅員が一人。走る列車も特急、急行はガラガラ空
で、これでは赤字が出るのが当たり前で、その上に、グリーン車まで連結してある。
一体どう言う意味だか頭をヒネルしかない。
山の谷からウグイスの「ホーホケキョ」の鳴き声が響いて来る。
ツツジが満開で山は緑、しかし、信州の春が一番いい。
朝、書くと頭がスッキリしているので書きやすい。
徒歩距離:25km
使用金額:1410円
やっと、川平に着いたかと思ったら、どうも道がおかしい。永年の勘である。人に尋ねると、後ろに逆もどりである
1979年4月29日ブログanshu
014
1979年
昭和54年4月29日(日)
朝は陽射しと小鳥のさえずりに目が覚めると書けば、
聞こえはよいが、疲れた。起きたくもない。
体を無理に起こし、少しでも荷を軽くしようと自炊する。
ノンビリとスープとパンを食べながら静かなものだが、
一人では、おもしろくもない。今だからよいが、これが、
十代の頃だったらどんな気持ちがしたのやら。
若い事は、もうそんなに覚えていない。あれからもう、十年。
恐ろしくなる。
普通の人達と較べると、いろいろな事をやって来たほうだろう。
しかし、振り返って見ると、何でもない、ビビたる物で、
人の一生でできる事なんか一生懸命努力しても、
何か、本当に空しくなる。
山を越え、谷を越え、沢を越え、静かで道は地で緑深く。
沢の水は澄み、車は殆ど通らず、よかったが、
思ったより遠まわりで、がっかり。
それに、山道は登り坂、足が痛く疲れた割には21k程。
やっと、川平に着いたかと思ったら、
どうも道がおかしい。永年の勘である。人に尋ねると、
後ろに逆もどりである。
一日に何本通る列車か知らないが、駅で一息休み。
本が置いていない。
さびしい駅である。その下に、大きな川が流れ、いい河である。
夏だったら皆は泳いでいるのだろう。
駅を、pm3:25頃出る。
でてすぐ、パラパラと雨が降りだす。空は曇り。
ひと雨降りそうな気配である。
牛乳、せんべい、せっけん370円。
丁度、学校裏横に神社があるので、今夜は此の所になる。
昨夜の神社は無理に戸を開いたが、ここは鍵がかかっていない。
薄暗くなって沢山の「ガ」が、窓に向かって飛んで頭をブッツケている。
「人は死を知るを以て達人となせり。
耳順(じじゅん)を超えて事を謀る者は、
我を知らぬ者なり。
我を知らずして、いづくんぞ人を知るを得んや」
<徳川頼宣(とくがわよりのぶ)>
われ十有五にして学に志す。(志学:しがく)
三十にして立つ。(而立:じりつ)
四十にして惑はず。(不惑:ふわく)
五十にして天命を知る。(知命:ちめい)
六十にして耳順(したが)ふ。(耳順:じじゅん)
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」。(従心:じゅうしん )
<孔子(こうし)/論語>
急がずば ぬれざらましを
旅人の 後より晴るる 野路の村雨
<太田道灌(おおたどうかん)>
順逆二門無し
大同心源に徹す
五十五年の夢覚め来たりて
一元に帰す
<明智光秀(あけちみつひで)/辞世の句>
徒歩距離:34km
使用金額:745円
便利さだけを追うのが能ではないと思うが
1979年4月30日ブログanshu
015
1979年
昭和54年4月30日(月)
昨夜、激しく雨が降っていた。
朝はまだ曇っていたが、少し青空が見えた。
人どうりのないさびしい家並を通り、山陰地方どこをどう通っても人がいない。
活気がなくさびしい。 りんご3個240円。安いと思い引き返す。
一個ガブリとかじりついたら腐っている。
2つ目3つ目は余分だったか。 狭い田舎道を行く。
車はほとんど通らずノンビリしてよいが、 道がグルグル回っていて、
実質的には歩いた割には進んでいなく、歩くのが馬鹿らしくなる。
都治まで出て、国道に出るか、このまま田舎道を行くか 惑ったが、
もう来る事もないのだから、一日ぐらい長い目で見れば良いと思い行く事と決めた。
峠を越え、井田の辻に出る。角の店でパンとコーラ350円。 パンは一週間前の日付け。
おばさん、大丈夫と云う。他にめぼしいものがなかったので食べた。
おばさん、九州は島原、小学二年に移ってきたと。
道にある家は、三分の一は、カーテンがかかり、ある家は空家。
荒廃した家もたくさんある。 皆、都会に出稼ぎに行くとの事。そして若者がいない。
峠を越え「大家」に着く。通りは狭く、山造の大きな家が並び、正面に寺 の階段。
本当に場所として、いいと思ったが人はどうかな?
さらに上り、牛乳とテンプラ115円。今日やたら銭を使っている。こんな小さな部落なのに、小さな高校があるのに驚いた。
歩いていたら前から自転車に乗ってくる高校生らしき者にあいさつされる。
「大家」の部落はずれまで来たが、神社があったので、休みがてらに日記を書いていたら、バイクに乗って警官が来る。 少し警官と話する。こんな平和なところだったら警官なんかいらないだろうにと思うが。
空は珍しく晴れわたったいい空である。(今、三時頃)
今、祖式に着いたところである。人に大森までの距離を尋ねたが、6キロとも8キロとも言う。 左側に昔なつかしい木造長屋の小学校があったので、その小学校の玄関に腰をおろし書いている。 小さな狭い盆地に五十軒ほどの家。 小学校の校庭も小さく右手に講堂がある。その後に、歩いてくる時見たトンガリ山の後。
結局、山をぐるりと半周した事になる。
学校玄関の左側に一本の銀杏の樹。今日は何の祝日かしらないが学校は休み。
なんとも味わいのある校舎である。
何故、取り壊し、コンクリートを建てるのかわからない。便利さだけを追うのが能ではないと思うが。
途中に南山鉱泉と云う温泉があったが、一体なんだろう。地図にはのっていないが。
今、時間は16時30分である。
もう、ユースには着けないであろう。 今日も又、風呂に浴びれない。洗濯もできない。
大森まではと思い、急いで歩く事。到着 pm 6:40。
五百、見ていたら、前に銭を取る所があるのに知らん顔。 食料670円。銀山後に向かって上へ、もう暗くなってしまった。 特別見るべきものなく、しかし、静かで良い所である。 公園のとなりに、土木用の休みプレハブ。
鍵をあけ、もし、人が来たらと気になったが、早く起きればと思い寝る。
使用金額:1090円
スッタモンダ。いいおばさんだった
1979年5月1日ブログanshu
016
1979年
昭和54年5月1日(火)
5月1日 人が来たらよくないので、夜明けとともに起きる。
人が通らない静かな路を行く。新聞屋かな。am 5:50との事。
細い通り、家は古くなかなかの所だが、観光化するには、家は古くても窓は、ほとんどアルミサッシである。これではダメ。医院と看板がでているが二階は、カーテンが破れ、ほこりだらけ、ぼろぼろの家である。
新聞があったので失敬する。神社で読んでいたら三十日の日付である。
早朝の道をテクテクと、気分がのらない。
牛乳、バナナ、ケーキ480円 。河堤にリュックをマクラに寝転ぶ。
新聞を読みながら朝食。新聞を読んでいないと、この世の中に、一
体、毎日、何が起きているのか分からない。
新聞だと、一生懸命、何時間も、隅から隅まで読むのに、
この貰った「戦国武将の語録」の本、重いから、早く読んで送り返そうと思っているが、何をか。
ひと通り読んでみたものの、せっかく重い思いをして来たのだから、もう一度読み直そうと思っているが、こんな硬い本、面白くないので、そう気軽には読めない。
大田に着いたが、時間的には同じだったかもしれない。距離的に随分遠回りをしたが、
ピクニックと思えば国道だけを通るより良いだろう。大田からも、国道を外れ別の道を行く。
波根駅で、ひと休み。「主婦の友」朝をベンチに横になり、一時間程読む。
本当は、もっと読みたかったが、いつまでも読んでいたら、いつ北海道に着くかもしれない。
一生懸命、歩いているのに距離的に進まない。
ぶらぶら歩きながら独りごとを言いながら歩く
昔の楽しかった事を思い出しながら歩く。日本一周なんて馬鹿な事をしなくて、やはりインドに行けばよかったと思ったり。
もう暗くなって、よく見えないので明日書くことにする。
昨日の続き
田儀無人駅でひと休み。その駅前の店で、パン、ビスケット、牛乳一リットルを半分にして売ってもらう。340円。
その周辺には、家宅が三軒しかないのに、どんな利益があるのか不思議。
とにかく、山陰地方は活気がない。
若い者は、関西の方に出て行くらしい。
駅で水をくみ、海岸下まで降り、腹がへっているので、石でストーブを囲み、流木を拾い集め火をつけたまではよかったが、沸騰して来たのでフタを取ったら、せっかく沸いていたお湯をヒックリ返す。又、水を入れ沸かし直しであが、わいて、ラーメンを入れ考え事をしていたら、泡を吹いているだ。あわてて、フタを取ったら石が動き、又、ヒックリ返る。もう、頭に来てッタキつけようと思ったが、グッーと我慢。タタキつけても事は変わらない。
こぼれたラーメン半分だけ。又、水を入れやりなおしたが、頭に来て、クソ面白くもない。
ラーメン一杯食べるのに、一時間位かかる。
ストーブを作り、タキギを集め、お湯を沸かし、ナベはススで真っ黒。
砂でゴシゴシこすり落とす事と。ばかばかしい。
明日は大社のユースに泊まる事にして、そんなに急ぐ事もないが、小田まで歩く事にする。
陽が暮れ、右側の鳥居が見えたので、上って行くと、神社がある。鍵がかかっていたが、開けてみるとタタミが敷いてある。
荷を置いて食料を買いに、部落の貧しいさびれた細い路地を行くと、店があったが、店のわりには何もない。キュウリとアイスクリーム、塩を少し「おばさん親切なら貰えないか」と言ったら、マジ塩をくれる。色々、話していたら、自分にも息子がいて大阪に。貴方は自分の息子みたいだと涙グミ、パンあげるから持って行けと云う。
俺は、物もらいにきたのではないと「おばさん、私の気持ちが分からないのか」と云う。
じゃぁ、貰うから住所を書け。北海道に着いたらハガキを出すから。
おばさんそんな事はいいよ。
スッタモンダ。いいおばさんだった。
パン、キュウリ、アイス、アジ塩が無料。お金いらないと。ジュース200円。
神社に帰り、陽落ちたので、松林の丘を下り海辺に。周りは松林、波がうちよせ
陽は沈み落ちゆく。
しかし、水平線の向こう、かすみがかかり最後まで見る事ができない。
日本の夕陽は、どうしてこんなにつまらんのか。
神社に帰って日記を書いていたら空が紫色に染まったので、走って丘の上にあがったが、
そんなにビックリする程ではない。
食べ過ぎたのか、腹がフクレて、寝られず。
徒歩距離:28km
使用金額:1020円
なんともいえないほど、すがすがしく心がおだやかになる。 ただの日本一周だったら、本当に素晴らしいだろうと思う
1979年5月2日ブログanshu
017
1979年
昭和54年5月2日(水)
薄明るくなり、眠たくなる。誰か朝早く参拝に来た。
チャリンとお金の落ちる音がする。
適当な時間に起きて、荷物を集め朝食といっても
キュウリとビスケット、ジュース。キュウリ、腹が減っていてもおいしくないのだから普段も、もっとおいしくないだろう。
歩いていたら溝に落ちている保険証をひろう。
交番に届けたが、また、後もどり。疲れているのに、捨てようと思ったが、落とした人の事を思うと困っているだろうし。
湖畔で残りのビスケットとジュースを食べる。隣に畑があり、インゲン豆があるので、ひと握り失敬する。
土地の人に、大社に行く道を尋ねる。別の道で、俺が思っている道とは少し違う。歩いていて方向がちがうが、それでも大社にはいくらしい。
ブドウ園がたくさんあり、神社でこのインゲンをラーメンと一緒に食べようと思ったが、場所が悪い。
郵便局のマークが出ていたので、電話をかけに行ったが凄い女。
これでも女かと云った感じ。郵便局とは名前だけで、小さな、ひと風吹けば飛んで行きそうな小屋である。
荷物置聴かなにかに使っていた感じである。
しかし、中に機械だけは一人前にキャリーマシンみたいなものが置いてある。
このお姉さん、年だが、独り者である。
無理ないは、これでは。それに俺を警戒の目で見る。
水を持って海に出る。
長い長い砂浜で、小さな漁船二隻。廃船一隻。
親子が砂浜で遊んでいる。
右の遠方に大社の町が見える。
松林が砂浜と一緒に遠くまで続き、空は晴れわたり、そよ風が海から吹いて来る。波の音と海。もう誰もいない静かで。
廃船でインゲンとラーメンを作り食べ、洗い終わって日記を書き始める。
ユースまで、あと6キロ。急ぐ事はない。
また久し振りにのどかな気持ちになったが、一人より、あの鎌倉の人と一緒だったら、もっと素晴らしいだろうと思ている。
廃船の上に横バイになり、今、これを書いているが、写真を撮ったら、いい写真ができるだろう。
しかし、フィルムがないし、足がない。
十七日間、重い思いをしただけで、一本ぐらいは撮って送り還そうと思っている。
本当、なんともいえないほど、すがすがしく心がおだやかになる。
ただの日本一周だったら、本当に素晴らしいだろうと思う。
それに荷が軽ければ-。
いい所に、人は行かなく、ゴチャゴチャ人が混雑した所に若い連中は行くようである。
浜辺に漁船と海。晴天の空。写真に撮りたくてフィルムを探しに行ったが、小さな部落。店が二軒。こんな所に、フィルムなんか売っているはずがない。
牛乳一リットル、パン、ジャム、スープ、560円。
海を視ながら、結局、牛乳一リットル飲んでしまう。
砂浜を大社に向かって歩く。道路を歩くより砂にヌメリ込み疲れるが、気分的にはスガスガしい。
大社の町は、すぐ目前にあるのに河の為にグルリと回らなければならず。歩くこと二時間半。思ったより遠かった。
ユースは素泊まり。スーパーで牛乳280円。
ユース代1150円。スグ入浴、久し振り。ゴシゴシと洗うつもりが、石鹸が小さいうえに、タオルが小さいからコスってもコスっても垢がでてくる。
九日ブリである。
着替えて洗濯して久し振りにサッパリとする。
少女漫画を三冊読んで二時間位かな。
ドイツ人ヒッチハイカーが同室となるが、ドイツ人にしては陽気である。
日本はヒッチが簡単。食事は、食パンのミミを無料で貰うと見せてくれた。
久し振りにゆっくりとできる。
神社で寝ると気持ちが悪いので安眠する事ができない。ドイツ人と話していたら、俺も又、日本の外に出たくなったなー。本当に出たい。
難しい。好きなことより嫌いなことをやると本に書いてある。
至極、ごもっともであるが。
使用金額:1990円
平野で水が豊か、広い農地、米が余っているのに、まだ、米を作っている
1979年5月3日ブログanshu
018
1979年
昭和54年5月3日(木)
ドイツ人が朝の早くからごそごそとやっているので、目覚める。
兄貴に手紙を書く。封筒を買いに行ったが、まだ開店していなく出雲大社に行く。三度目である。十円玉で鎌倉の人に逢えるようにと祈るつもりだったが、神様を信じていないから、こんな俺、神様も信じていないであろう。
封筒を買って、これで本を送れる。軽くなると思ったら今日は祭日で郵便局は休み。ガッカリ。
出雲大社でお守りを買う。580円フィルム780円
バナナとパン389円。大社から2~3キロの所で無人寺。ヘン台に座って朝食。水がある。スープを作りバナナと牛乳のデザートまで。ノンビリと食事をしていたら老人の祈り。足が悪く、体が濡れている。カメラで写真を撮ってたが、シャッターと一緒にカメラも動かしている。これでは人物が入っていない。もう一枚撮りましょうかを、断る。同じ事だ。
昨日でサッパリしたら、今日歩く気がしなくなる。
道路を歩いていたら、右側遠方に高い堤の上を自転車が走っているのが見えた。方向が同じなので堤の遠いが行く。凄く高い堤で広い河である。
ノンビリして、草が青くヒバリの声が天空が聴こえ、(暗くなったのでもう見えない。明日書くことにする)
一直線に遠くまで続く堤の道、車が通行禁止で時々、自転車が親子連れて走っていく。
余りにも陽気がよすぎて草場の橋の下に寝転がって空をみていたら、いつの間にか眠っていた。
堤の上を宍道湖の近くまで行き、左側に県道へと田んぼ道を行く。
もう田植えをやっている。
平野で水が豊か、広い農地、米が余っているのに、まだ、米を作っている。
家の東側に、垣みたいに松の木が風防の為に植えてあるのが珍しい。
狭い田んぼ道を歩いていたら、右側の五百メートル程遠方の堤の上を白装の人が歩いている。
こんな田舎で散歩する人、珍しい。ヒラヒラしているので女だと思い気になる。途中から左側に折れ、人が休んでいる。
その人のところへ。女は女でも十六才、よくここが好きで散歩に来るとか。
とりとめない事を話し別れる。
神社だと思っていたら、寺で、寝れそうにない。
しかたがないので、イイ寝場所が見つかるまで歩いていたら、6キロも歩いてしまった。
神社があったが、寝れそうにない。その隣に公民館。鍵をあけたら人が来たら困るので、湖畔の漁船に新聞紙を敷いて寝る事にする。
北海道までの時間が決まっているので焦るが、こんな春陽にノンビリとしたいと、サボリグセ。歩く気になれない。
農村のおばさん連中、湖にポンポン、ゴミを捨てる。湖岸は、ゴミだらけに、湖水も茶色で汚い。
徒歩距離:26km
使用金額:1669円
紅の太陽が焼けるような感じで沈んでゆうとしている。まんまるとした、いい夕陽である
1979年5月4日ブログanshu
019
1979年
昭和54年5月4日(金)
バイクが音をたてて来たので起きる。
まだ早いのか遅いのか分からないが、生徒たちが自転車で通学しているので大体の時間は分かるが、腹へったで何か食べたいが店屋がない。
7キロ歩いて農協のスーパー364円。時間丁度9時。
カンジュースの自動販売機。飲みたいのを我慢。こんなものに金を使っていたら幾らお金があっても足りなくなる。
クツのカカトは、鉄のビョーは無くなり、左クツは、すり減って傾いている。
右側は、クツ底に穴が開きそうになっている。あの浜田の靴屋、頭にくる。
もう目前に松江である。松江で靴を修理するつもりでつもり。
いい人に当たるとよいと思っているが、最近の日本人、銭ばかり追っかけ、責任がない。(今、松江近く、宍道湖畔で書いている)
静かでこの辺りは水がきれい。何度もこの湖を通ったがゆっくりと見たのがこれが初めてである。農協のお姉さん「お水を入れてあげようか」と。
俺、「いや、水よりお姉さんのおっぱいの日のほうがいいよ」
「ファー、この人いやらしい」と、笑って自分の胸をオボンで隠している。松江市に入り、県庁内の郵便局で手紙をだす350円。
それとクツのカカトにビョーを打つ。大きいやつ200円、浜田は小さくて200円。
スーパーの横を通ったので食料を買う1099円
買ったのはよかったが重いのなんの。街の中を通り過ぎ、何も変わった事なく、ただひたすら歩くのみである。
本日休業のシャッターに新聞があったので、ちょっと失敬してその前で、一時間程、新聞を読む。ユースの記事が出ていたが読んでいたら頭に来た。
国道9号線、車がたくさん通りイライラする。
国道を歩くと距離は進むが、安心して歩けない。
安井まで5キロ程のところ。海中でこれを書く。
前に小さな畑があり、隠元豆を今夜の食材に失敬する。
トマトが食べたい。早く夏が来て安くならないかと思う。
こんな事に血道をあげていてよいのかと思う。
多分、六時頃だろう。陽が沈むまで一時間ある。
今、岡山行きの特急が通過したが、乗客ほとんどなし。
今、紅の太陽が焼けるような感じで沈んでゆうとしている。
まんまるとした、いい夕陽である。
200円出して、福岡を去って以来、初めてビールを飲んだら、酔って目がボヤク、手が震える。
竹で作ったベンチで寝ると狭く、寝返りする事できず、腰が痛くなる。
風景は絵ハガキにでもできそうな所であるが、この辺り人間、どうも心の中まで陽気なのかな。
使用金額:1849円
缶ジュースばかり飲んでいたら、金が幾らあっても足りない
1979年5月5日ブログanshu
020
1979年
昭和54年5月5日(土)
今日は子供の日であるが、昼頃まで気が付かず、旧国道を通って安来にでる。
安来駅でをクソたれ、痔になりそうである。
食事が偏った物だから、本当は野菜をと思うが、なかなか。
まさか、キャベツ一個をマルかじりする訳には。
駅のベンチに新聞があるので読んでいたら一時間。
英国の初の女性首相誕生ニュース。英国も落ちる所まで落ちた感じである。
初めて英国に行った日からもう九年にもなる。全くそんな感じ実感がなかった。
本当に俺、あそこに居たのかなーと云った感じである。
国道9号線に入ってから大変で、全く歩く気がせず。
タラタラするばかり。子供の日の為か、
車がジュズ繋ぎで、ブーブー俺の横を汚いホコリと風を吹きかけていく。
十時頃か。店で一リットルの牛乳とパン、アイス495円。
この店の「おばー」いかにも守銭奴と云った感じ。
話していて、胸クソ悪くなる。
地図の距離と歩いている時間の距離と違い、早く着いた。
食パンのミミが100円で売っていたので、買う。
あのドイツ人に感化されたかなー。
郊外近くまで来ると食堂に地方紙。本日休業。
又、腰をおろして新聞を読む。
その前に自動販売機。缶ジュースばかり飲んでいたら、
金が幾らあっても足りない。
しかし、今日は特別と勝手に理由を作り、スプライト。
やはり冷えた物はノドにしみる。100円。
これが、歩くのも本日休業で冷たいビールだったら最高。
歩く気分になれず、チンタラチンタラと歩いて、現在、
淀江の浜辺でこれを書いている。
クツ下を洗濯した。海の水が澄んでいて、とても日本の公害、信じられない。
これが、太平洋側だったら大変。日本海のよさだろう。
今日は珍しく通過する列車に客が乗っていた。
ただ、陽は高いが、一体何時頃かな。
学生達、明日も休みか。
いい海だ、夏は海水浴客でいっぱいになるのかな。
ポルトガルの海を思いだす。
もう一度、日本を出たいと思いながら歩いている。
ひと休みが終わって、又、歩き始める。
記憶が薄れてゆく。ただ、国道を歩くだけである。
神社があったが、いい寝場所がない。次の駅の「みくりや」
六時から無人駅になる。
荷物を置いて、牛乳を買いに行く。牛乳がなく店で話し込み、
腹がへっている為か、トコロテン3個、アツアゲ2個、アツアゲを醤油をつけて食べる。
おいしいが、九州のアツアゲとは、少し違う。670円。
今日も、夕陽が美しい。
これが、モロッコだったらもう荷物が消えているだろう、なんて、
思いながら駅に帰る。
足が痛い。計算36キロ程歩いている。
pm 19:20、駅に電気が付いて時計が付いて屋根がついている。
これから駅にしようかな。
36km
1365円
今は、ただ静かに古びた駅が建っているだけ
1979年5月6日ブログanshu
021
1979年
昭和54年5月6日(日)
昨夜 pm 20:00頃 寝袋の中に入って、ウタウタと、十時頃目が覚め、そのまま眠る事できす。
十一時頃か、駅の電気が消えホームの豆電球だけ薄明るくついて、その光が駅の窓を通って入ってくる。
時計の音だけが、同じ調子でコチコチと打って駅の待合所に響いている。
十二時、色々な考え事をしているうちに頭は冴えてしまい、詩を作ってみたりしたが、もう忘れたが。
田舎駅の待合室 ひとり
電気は消え
ホームの豆電球の光が薄く窓から入ってくる
静かな待合室に、夜おそい時計の音だけが響いてくる
今は、もうさびれてしまった無人駅
きっと、昔は色々な人達がこの駅を利用し
ある人は嫁にこの駅から旅だち、ある人は遠くへ旅立ち
それぞれが、最後の旅だちで
もう二度と帰ってくる事のない旅だちもあったかもしれない
その人達は、きっと、何時までもこの駅の事を覚えているだろうし、忘れないであろう
さびしい旅だちだったかもしれないし、幸福な旅だちもあったかもしれないが
今は、ただ静かに古びた駅が建っているだけ
眠れないから、ひとりで大声を出して歌を歌う。
静かな駅に、自分の声が響き、歌手にでもなった気になり、色々と歌ってみたが、まともに歌詞を覚えている歌、ひとつもなく、同じ歌が、最後の終わりがないので、いつまでも歌う。
水があり、屋根あり。ユースよりホテルより無料だからよい。
しかし眠れないまま、ボケーとしていたか、三時頃。
牛乳屋がガチガチと音を立てて入ってくる。しばらくして、今度は、雑屋がドカドカと!
次は、新聞屋がドット六人。もう寝ていられない。彼らの仕事場になってしまった。
あの静けさが嘘みたいである。
おばさん「ごめんね」「寝ていいよ」といっても、とても寝られたものではない。
読売新聞をくれる。朝四時半、まだ外は暗いのに歩き始める。
ウロウロ、しかし冷たい空気が新鮮で清々しい。
早く起きるのも、良いものだと思ったり、空は段々と薄明るくなり、時々車がスピードを出して、フッーと飛んでいく。上り坂になった道路。前方が明るくなった。上り坂を、昇りきったとき、目前に大きなギリギリとしたあかい太陽。やはり朝日の太陽の輝きは違うと思った。
初めの内は、良かったが、寝不足の為、疲れは取れず、足がガタガタである。道路ワキに梨が売っている。4個入って200円。勿論ブヨブヨであるが、食べられる事は食べられると言うので買って、石玉の海岸に出て食べてみたが、とてもとても。安物買いの銭失いと、よく言ったものである。
疲れているので、ワラの山の上で横になり、パンを食べていたら変なおっさんが来て話しかける。
ラジオ放送関係の仕事をしているが、ラジオで放送するから、何か面白い話があったら、テープレコーダーを持ってくるから聞かせてくれと云う。
その他、根掘り葉掘り質問してくる。
相手にしなかったから、日本一周は嘘だろうと言う。最後の言葉がよかった。
あんたは、そんなことをする顔をしていない。
しっかりしなくっちゃいけないよ。内心、この爺、見る目がないなー。
疲れているので、足が痛いし、休むほうが多い。
十一時。赤埼に入って境内で横になる。
もっと、横になっておきたいが、寝ていては先に進む事もないので行く。
店で食料670円、海辺の堤の上で食べていたら、もう泳いでいる者がいる。
俺も泳ぎたくなった。
堤防の上に座っていたら、この泳いでいた者が話しかけてくる。
静岡は浜松、自動車旅行中とか。悪い奴ではないが頭が白髪である。
とりとめない事を話し別れる。それから二キロ歩いたが、海辺に出て、ひと休み。
浜で海藻をひろっていた女の子、俺を見て、逃げるように行ってしまう。
あんなブス、相手にする程、俺まだそこまで落ちていない。
潜水服を着て、タライをひっぱりながら海藻取り。
今日は歩いている時間と進む距離が一致しない。
途中でジュース140円、神社境内で横になる。足の裏が痛く、根性なんか通り過ぎて、足そのものが働かないのである。
由良に着いて距離27キロ程。何とかしなくてはと、次の駅まで休みなしで無理して歩く。
歩きながら考える事は、いかに、この日本一周を早く切り上げる為のコースを思案。
下北条着、無人駅。九号線から50メートル程入った所。
信号があり、その角にユースホステル北条砂丘なんてある。
ハンドブックを見たらそんなもののっていない。
ラーメン、うどん、もやし、260円。駅内で作って食べる。
地図で距離を計算したら、別に先に進む必要もない。五時だが、陽はまだ高く、歩けばまだ五キロは進むだろうが止めた。
今夜は、ここでノンビリとする事にして、五時半から日記を書き始め、現在pm 18:40。
日記を書いていたら、チョット水商売風の女の子が来る。話していたら、ゴールデンウィークで京都に行っていたとか。歳17歳。学生と水商売の女かと思ったと言ったら、
「私、そんなに大人っぽいかしら」と。間違っても美人ではないが、愛嬌がある。
しかし、あれは絶対に処女ではない。早熟だなー。
山陰は発展性がないから、荒らされていなく海がきれいである。
空もいい、山もいい。田畑にレンゲ草がいち面に咲き乱れ、時々、ヘビがノコノコと出てくる。そういえば、今朝早く、月見草が道ワキにたくさん植えていたのに、もう、一本も見えない。
春なのか、ずっと萩から毛虫だらけ。
今日、川の淵でヘビが陽なたぼっこ。ポンと石を川に投げ、驚かしてみたら、ヘビはそのまま動かず知らん顔。死んでいるのかなと思ったが、小さな石を頭にポンと落とすと、ヘビはノロノロと逃げていく。
他の連中に見つかったか、どんどん石をブッツケられるだろうにと思った。
昔、子供の頃遊んだみたいにー。
モヤシが腐りかけているので、無理してラーメンを食べる事にする。
ラーメンおいしくない。この旅が終わったら絶対にもう食べない。
19:15 特急 出雲が通過した「東京行」
列車の窓から光がもれ静かに、ガタンゴトンと去って行った。
ブルートレイン。ホームに乗って歩いた。
静かで、東の空がまだ薄明るく、イロコ雲が浮かんでいる。
フットこのまま、あの列車に飛び乗って行ってしまいたいと思った。
ホームの裸電球 田舎駅。
ホームから東を見ると、レールがまっすぐに走り、そのまま雲の中まで走っているみたいな感じである。
なんとかこの情景を書き残したいと思って、ペンを取ったが全く書き表すことが出来ない。
これができるようになると文学と言うのかな。
井上悟アナに原稿を書いた。
ホームにひとりポツーといたら書きたくなったので書いてみたが、一時間以上かかる。
駅内で寝るのは、昨夜でこりたから、ホームの待合所に行く。
ベンチが狭い、座があるだけましかな。
蚊がブーンと飛んでいる。
蚊にやられた。
使用金額:1070円
車のハンドルが机がわりである
1979年5月7日ブログanshu
022
1979年
昭和54年5月7日(月)
夜が明けたが時間が分からない。
そのまま寝袋の中にジーとしていたらおばさんが来る。
起きて知恵遅れの女の子が入ってくる。6時45分との事。
この女の子と話していたら、この子のお母さん飛んできた。
疑惑の目で俺を見る。まさかこんな子、銭をも貰ってもいやだ。
どうして日本人、外見で判断するのかな。
朝食、昨日の残りパン、バナナ一本、天ぷら2枚。
空は曇り雨が降りそうだが、いつまでもこんなところに居座っている訳にはいかない。
天神川を左に折れ、堤の上を歩き、民家の中を歩く。
道は知らないが、方向はこの道だ。牛乳136円。雨がパラパラとしだす。
どうと雨が降り出す。遠方に古いトラックが見えるので行くと廃車。
ホコリだらけ。フイて掃除。
持っていたスープを作って後は何もなし。腹減った。
このトラックに入ったのがam 8:40。このトラック、ガタガタなのに、タコメーターの時計がいまだに動いている。
暇なので福岡ユースホステル協会に手紙を書く。
車のハンドルが机がわりである。
雨が強く降り出した。右側50メートル先、海である。
これで食物があったら悪くないが、荷物を置いて雨の中も買いに行く訳にはいかない。
タコメーターの時計でpm 15:40である。
「菊と刀」を読んでいるが頭が痛くなる。
今ポンチョを着て食料を買いに行く。計算したが、75円余分にあのババアとっている。
雨のトラックの中、ただ腹をスカシ ひとり
北条砂丘
使用金額:925円
車のハンドルが机がわりである
1979年5月7日ブログanshu
022
1979年
昭和54年5月7日(月)
夜が明けたが時間が分からない。
そのまま寝袋の中にジーとしていたらおばさんが来る。
起きて知恵遅れの女の子が入ってくる。6時45分との事。
この女の子と話していたら、この子のお母さん飛んできた。
疑惑の目で俺を見る。まさかこんな子、銭をも貰ってもいやだ。
どうして日本人、外見で判断するのかな。
朝食、昨日の残りパン、バナナ一本、天ぷら2枚。
空は曇り雨が降りそうだが、いつまでもこんなところに居座っている訳にはいかない。
天神川を左に折れ、堤の上を歩き、民家の中を歩く。
道は知らないが、方向はこの道だ。牛乳136円。雨がパラパラとしだす。
どうと雨が降り出す。遠方に古いトラックが見えるので行くと廃車。
ホコリだらけ。フイて掃除。
持っていたスープを作って後は何もなし。腹減った。
このトラックに入ったのがam 8:40。このトラック、ガタガタなのに、タコメーターの時計がいまだに動いている。
暇なので福岡ユースホステル協会に手紙を書く。
車のハンドルが机がわりである。
雨が強く降り出した。右側50メートル先、海である。
これで食物があったら悪くないが、荷物を置いて雨の中も買いに行く訳にはいかない。
タコメーターの時計でpm 15:40である。
「菊と刀」を読んでいるが頭が痛くなる。
今ポンチョを着て食料を買いに行く。計算したが、75円余分にあのババアとっている。
雨のトラックの中、ただ腹をスカシ ひとり
北条砂丘
使用金額:925円
右側のクツ底がペロペロになってきた。そう幾日も持たないであろう
1979年5月8日ブログanshu
023
1979年
昭和54年5月8日(火)
雨がザーザー降ってトラックの中は狭く、海老がための姿勢だから、寝れたものではない。
足を上げてみたり、縮めてみたり、挙句に雨漏りして大変。
ポンチョをテント変わりにトラックの屋根にぶら下げたり。五時半。
雨は止むことなく降り続け、ウンザリする。
現在の時だが、雨は止んでも曇り空で、迷っている。
気温がどんどん上がっているのが感じられる。
トラックを出て歩き始めたのはよかったが、また降り出す。
泊駅で雨が止むのを待つ。ひとり石川県、ヒッチハイカーが駅に雨宿りに来る。
今日、京都を去ったとか。本を読んだり、ジーパンの繕いものをしたり。
ジーパンを縫っていたら、おばさんが、こうしたほうがいいよと教えてくれる。
二時三十分。雨がやんだが曇り空。
風景に見とれている暇と、その気分になれない。雨のほうが心配。
右側のクツ底がペロペロになってきた。そう幾日も持たないであろう。
青谷を少し行ったところに、池田市の凄い青年の家。
建物どこからあんな銭が出てくるのか不思議。
そこから200メートル程の所に、土木用のプレハブハウス。
遠くから見ると、窓がガラス一枚ない。
霧雨みたいな降り、しかたがない。今夜ここに寝る。
ほこりがあるだけでなかなか良いところだなぁー。
これで水があれば最高であるが。
雨が強く降り出す。四時を少し回ったところであろう。
プレハブの前に、隠元豆の畑があり、少し失敬して、ポタージュ・スープの中に入れたが、失敗してスープはパァーになる。
福岡Y・H協会に手紙を書きなおし。
使用金額:260円
愛着があるので捨てるとき困る
1979年5月9日ブログanshu
024
1979年
昭和54年5月9日(水)
肩が痛くてよく書けない。
場所が良かった為か、比較的よく眠れた。
朝六時頃出発する。疲れが取れたせいかそれ朝だったからが足が軽い。8時食料を買い蛙罪で食べたら何116円分ペロリ。
それとも初めだからか、足が軽い。
八時、食料を買い、川堤で食べたら、716円分ペロリ。
空は晴れ渡り、この調子だと距離が進みそう。計算すると一週間分は遅れている。
白兎海岸で波とたわむれる写真を撮ったが、足がないのでリュックの上に置いて撮る。
ノンビリとしたいが遅れているので一生懸命歩かなければ。
鳥取に着いたのは一時頃だろうか。早めについたが、疲れて休んでは歩きのくり返しである。
砂丘に入り、油店で水を貰う。海辺にでて砂浜を車へと歩く道路を歩くより。
十三年前、この浜を同じ様に歩いたのに、あのおばさんの事、今だに覚えている。
歩いていて、九十九里浜のことを思い出し、あの頃の事を思い出す。
十三年、過ぎれば早いものだ。
一体何をしてきたのだろう。
もうクツがボロボロになってあと三、四日しかもたないだろう。
愛着があるので捨てるとき困る。
浜を端まで歩き終わり、今この日記を書いている。今三時五十分位であろう。
峠を越え9号線と187号線と別れ、187号線を入る。入ったすぐに村群があり、郵便局で四通手紙を出す。
330円切手代。もし残っている記念切手はないかと尋ねたら、支局長さん自分の分を好きなだけ取れと、66枚3,350円分。
皆 美しいので買ったが、そんなに手紙を出すところあるのか。
たいそう大きな家が多いのに、人が少なく全く活気がない。
小さな店で食料を買う。620円高い。バナナなんかキロ250円。
食料をぶら下げ、腹は減っているが、どこかいい場所でと思いながら歩いていたら、次の部落まで来た。
海辺で食べ静かな浜、食べ終わって上の食堂に新聞紙を貰いに行く。丁寧にたくさんくれた。
新聞紙を貰って下に降りてきたら、野ら犬が俺の食料の中に入った。袋をゴソゴソとしている。
頭に来て飛んで行ったが犬も飛んで逃げて行く。
パンが食べられていた。頭に来る。昨日の新聞があった。
読むのが楽しみ。明日読むことにする。
別の新聞を読む。ふっと空を見たら、紅葉色に染まった空に夕陽が紅く美しい。
まんまるで、同じ太陽でもアフリカの太陽と色が違うと思った。
日本らしい静かな落日である。大変きれいと思う。こんな光景を幾人の人が意識して見ているのか。
くだらんテレビを見ているより、よっぽど精神衛生にいいと思うが。
遠方にプレハブが見えるので、今夜の寝場はあそこと、決め込んでゆっくりしていたら、
なんとそのプレハブが、夏季海水浴場の便所。がっかり。
陽も暮れているのに、グルグルと回っていたら、別荘みたいな建物が見え
そこに行くと、戸が閉め切ってあり夏季期の宿泊所。その車庫みたいな所で寝る
寝袋の中に入って思い出す。
今日出した手紙の名前の書き間違いを。
徒歩距離:42km
使用金額:1,664円
目前に高い若葉緑の樹木。目にしみるとはこの事であろう
1979年5月10日ブログdicadmin
025
1979年
昭和54年5月10日(木)
スーパーではなく、小さな田舎店で買うから高くつく。
夜明けとともに、目が覚めボケーと朝の空を見あげる。
8日付の新聞を寝袋の中に入ってノンビリと読む。
今日、浜坂のユースホステルに泊まる事にしてノンビリ。
本当は歩いて余部まで行くべきか迷う。
しかし、あわてて歩いてもしかたがない。勝手に自分で決める。
もう5~6日分は遅れているのに。
この部落から次の部落に出たら、長い静かな砂浜があるので砂浜を歩く。
多分8時頃であろう。
急ぐ事もないのでノンビリと腰をおろし新聞を隅から隅まで読む。
昔は新聞さえ読まなかった。港になった浜で海水は澄み、誰もいない。
新聞を読んでいたら、小さな漁船が浜に帰って、その爺さんの妻か。
爺さんが獲って来たコンブをガンガン箱に入れて持って行く。
見に行ったら、お爺さん、昼飯に食べろとサザエを3個。
貰ったのはヨカッたが、どうやって食べたらよいのか。
河の向側に靴を脱いで渡り、流木を集め火を付けるが、なかなか火がつかない。
おばさんの話によると、流木は塩を含んでいるから、なかなか火がつきにくいとの事。
流木を集めていたら、不思議な女が前を通り、岩場の方へ行った。
話しかけようと思ったが、美人じゃないから…?
しかし、不思議な雰囲気を持っている。
火がなかなかつかない。一個は焼けたが、後の一個半焼きで、気持ち悪くなる。
後の一個は、アッチに転がりコッチに転がりで砂だらけ。
あと1個は、かむとガシーと音がする。
腹が減っていると、何でも食べるものである。
あまり陽気が良すぎるので、ノンビリしすぎ、やっと重い腰を上げ歩き始め
坂道を汗をかき、テクテクと。
沢から流れ出る水を水筒に入れ、この自然の水がまたまたおいしい。
これが1番だ。曲くねった道路、目前に高い若葉緑の樹木。
目にしみるとはこの事であろう。
空は晴れ渡り、今日の青空は一段と高い。崖の上から見おろす海も素晴らしい。
なんと形容してよいのか書き表せない。
時々車が通過するだけで、他から来た車、カーブカーブの道をレーサー気取りで、タイヤを鳴らしフッ飛ばしていく。馬鹿ではない
かと思う。
こんな自然豊かな所まで機械でしか楽しむ事を知らない者。
ある意味では、かわいそう。
なぜ日本人はあんなにせっかちなのか。
こんな素晴らしい所をもっとジックリと腰を落ち着け自然と戯れる事が
出来ないのかと残念である。
あんな連中、どんな人生を送るのだろう。
山と下は海。車が時々しか通らないが通らないのがよい。
自分の道みたいな気分になる。
道路のカーブを曲がった下に漁村が下に見え、居組である。
しかし、日本海側、今は静かであるが、夏は都会から人がドサッと来るのであろう。
民宿の看板だらけである。
この居組、あちらこちらで茹でている。
やっと人が働いてる姿を目にする。
男が見当たらない。年寄りバアさん、それも腰のヒン曲がった色気も素気もない。
しかし、働き者そうなシワを顔に作り人間としては、写真、絵になる顔である。
俺は、人間の顔より、それ以前に女の顔であるほうが良い。
これは、日本人の長所であり短所である。
農協スーパーに行ったら、パンがない。
家宅の列する狭い路地を入ると、店屋。
出て来た人が若い女の人。
この僻地にしては、垢抜けしているのにビックリする。
学生の時、名古屋に居たとか。ひとひ子らしい。
親のため帰ってきたとか。瞳の大きな人である。
いかにも働き者らしい顔であるが、スレてないそうな顔である。
珍しいと思った。若い人にはあんな僻地、退屈だろうにと。
食料1335円。買ったのはよかったが重いのなんの。
岩場に出て食べていたら、遠足の小学生達がゾロゾロと先生に引率されて来る。
ひとりで居る雰囲気ではない。
小学校の遠足、懐かしく思う。
歩き始め詰寄へ着いたのが、2時前である。
家々は葬式でもやっているみたいに静かである。
郵便局に行ったら、これまた、暇でやることがないのか
入っていくと、二人で「いらっしゃいませ」と大声。
買ったのは、ハガキ1枚20円。書いてI氏の宛て名の書き違いを知らす。
今日の久しぶりの風呂の為、石鹸を買う、70円。
夕食の為、牛乳を買いに行ったが、こんな所、牛乳なんか買う人が居るのか。
ないから、オレンジジュースを買ったが130円。
夕食どころか、そのまま浜で飲んでしまう。
日記を付けていたが、陽が暑いと疲れ、書く気がしない。
ユースに3時前に入る。
あれから5年になるのか、このユースで手伝ったのは。
相手は、同じで変わっていないが、全然俺の事を覚えていない。
話せばどうか知らないが、知らん顔している。
あれからこの人達少しは進歩したのか。
あの時、こんな人達がユースのペアレントかと思ったが。
ユースの宿泊者は俺とも一人。横浜からバイクで。
風呂の中で「有の無 無の有」とはなんぞや。
禅問答みたいな事を云う。
少し話をここのヘルパーとコーヒーを三人で飲んでいたら、
例のペアレントが来て、自動車の話。
俺の目が狂っているのか全く進歩がない。
この奥さんしかり。
本当に相変わらずブラックの濃いコーヒー三杯。
とても眠れたものでない。
しかし、風呂に入ったのでサッパリした。
晴れて海が青いが、それを楽しむ余裕が今日はない
1979年5月11日ブログanshu
026
1979年
昭和54年5月11日(金)
習慣は恐い。朝早く目が覚め、昨夜は眠れなかった。
2時間程寝たであろうか。8時少し前ユースを出る。
浜坂。なんだかんだと何度この町通っている。
牛乳170円高いのにビックリ。昨夜買った食料が重くウンザリする。
橋の上で朝食していたら、例のバイク野郎が来たので写真を撮ってもらう。
九州に行った時、協会によるとのこと。年の割にはしっかりした青年である。
寝不足の為か、それとも食べてスグの為か、全く歩く気がせず、
ズルズルと歩いている感じ。
町はずれると、長い上り坂。水を飲みに行ったら、沢の水の中に足を落とし
ビショビショになる。
曲がりくねった道ばかりで直線にすればいか程にもないのに、
1時20分 香住に着く。高校前の神社の階段で一休み。
牛乳150円高いなぁー。それからズルズルと長い街通り、ウンザリ。
途中、玄関に朝刊がはさまっているので失敬して読む。
晴れて海が青いが、それを楽しむ余裕が今日はない。
ジュースカン90円、クツ下がボロボロになった。
佐津に17時20分着。今、佐津駅で日記を付ける。
陽が高いので、先に進むがかどうか迷っている。
現在19時50分。次の部落まで歩いて安木。神社に行ったらとても寝られた所ではない。
お湯を沸かし蜂蜜を溶かしてクズ化して夕食。
浜に出て、寝場なくグルグル回る。休憩所、ドアーが縄で結んであるだけ。
そこで寝る。雨がパラツク。
使用金額:410円
しかたがないので、その崖をよじ登ること悪戦苦闘
1979年5月13日ブログanshu
028
1979年
昭和54年5月13日(日)
疲れた。今までクタクタになるまで歩いていたから、足も肩も手もガクガク。本当は日記をつける気になれないが、もう薄暗くなり
かけているので仕方がない。
今日の朝は冷え込み、目覚める。ラーメンの中にサバのカンズメを入れ、それと、バナナとミルク、荷物を広げると色々とある。重
いはずだ。
7時頃だろう、歩き始めたのは。読売新聞を失敬。小学校、校舎裏で読む。
「自伝抄」遠藤周作。おもしろかった。
今日の朝の事なのに、何も覚えていない不思議だ。
峰山町に行く途中、峠がある。近道をしようと山道を行ったのはよかったが、途中で上の道から、ゴミを捨てた為、道が寸断され進
行不可。
しかたがないので、その崖をよじ登ること悪戦苦闘。
日本人、ヤタラメッタラ何処にでもごみを捨てる。全く悪い習慣だ。
峠を越え、沢から流れ出る水で顔と歯をみがく。
小学校で休憩、家の建築様式が変わる。
中学生に道を尋ねたら言葉も完全に変わった。もう山陰地方ではない。
長岡の小学校玄関でひと休み。木造建古い。
小学校を見ると、なつかしくなるのか、すぐ休みたくなる。
しばらくしたら、道上に2人若者が測量をやっている。声をかけられ少し話す。
ズーと止めていたタバコなのに、2本吸う。
町並み通りを行く。家が重装なつくりになって、ずっしりとしている。
クツ屋に行ったが、クツのビョーなし。クツ底がどんどんと減っていく。
大宮か駅名あり?そこから宮津まで16.8キロ。牛乳を買う。新聞、隅から隅まで読む。
5時過ぎまでいるのがわかっているので、右側道路にあった不動尊か?上って行ったがボロボロに腐り果て、とても寝れたものではな
い。
先へ先へと進が、広い田んぼの中に道路があり、グルーと回り道で、初めて気が付く。この道は新しくできた道らしい。スゴイ遠回
り。
もう疲れに疲れて、足がガクガクになり、目ぼしい寝場所を探しながら歩くが見つからず。イライラ。
歩いていたら、赤旗新聞が落ちている。ひらう。
河の横にヒックリ返るろうとするが肩が硬直している為、腕が動かず痛い。
脚も曲がらない。ただ座るだけで一苦労である。
赤旗読んでどうするか。もう開きなおってしまう。
空は曇り雨が降りそうな気配。どこかしっかりした場所を探さないと、と思って少し歩いていたら右手の山に階段が見える。神社だ
。
登るが脚ガクガク。割といい所だ。今日一日ずいぶん歩いた。疲れた。手紙を書かなくてはならないが、明朝にする。
今日、本当に疲れた。
徒歩距離:40km
使用金額:275円
読むのは簡単だが書くのは大変だ
1979年5月14日ブログanshu
028
1979年
昭和54年5月14日(月)
昨夜、この俺が下痢をした。珍しい。牛乳かな。
このクソ、栄養になったのかな、あぁーもったいないなんて考えたり。
夜になって雨が激しく降りだし、朝になっても同じ。
そのまま、寝袋の中に入ってする事なし。
NHKの午後のロータリーに手紙を書く。
読むのは簡単だが書くのは大変だ。これでボツにされたら、失望してガックリだろう。でも、一生懸命書いて読み直したら、読みづ
らく、これではボツになるのは当たり前だ。
日記を読み直していた。やはり、付けていてよかったと思う。
何も食べる物が無く、アメ玉だけ。そのアメ玉も、残す一個なり。
店はないし、神社の中で、今日一日フテ腐れているから、どんどん遅れていく。腹へったー。しかし、よく降るなぁー。この雨。
雨降りの為、空が薄暗いからよく分からないが、多分5時頃であろう。
お湯を沸かし蜂蜜を飲む。今日、何も食べず。今だに雨が降り続いている。
明日も降ったらどうなる事やら。
雨が降っているのに小鳥のさえずりが、「ウルサイ」。
こんな雨降り、寝場所が悪かったら大変だ。
本を読んでいたが、薄暗くなり目が疲れる。
食べ過ぎて今度は腹が痛くなる。
徒歩距離:0km
まさか汽車に乗るわけにもいかないし
1979年5月15日ブログanshu
029
1979年
昭和54年5月15日(火)
今日で福岡を去って1ヶ月が経ったが、今日も雨が降り続き、止む事を知らない。この雨がのくたらしい。腹がへってへってどうしよ
うもない。
朝、村のおばさんが神社に祈りに来て、俺にも驚いて頭を下げている。
これは神社なのにお経をつぶやき、ブツブツ言いながら神社を一周している。
終わったら時間を尋ねたら、7時15分との事。
この下に店はあるかと尋ねたらないとの事。おばさん、昨日歯医者に行った時、買ってきた食パンを持って来てあげようかと言う。
雨の中、この長い階段を登ってくるの大変だろうと思い断る。
後で後悔する。何も食料なく腹ペコ。このままミイラになってしまうのでは。
本当によく降る雨だ。梅雨にでも入ったのか。
平和に手紙を書く。ユース協会にも。
書かなければならない。面倒臭いし、全く当てにできない事に時間をつぶす気になれない。
鎌倉の人の事ばかり想像している。
縁がなかったのかなあー。
随分、遅れたなぁー。40キロは遅れているのでは。
急がずば ぬれざらましを旅人の 後より晴るる 野路の村雨
<太田道灌(おおたどうかん)>
雨が上がったので、買い物に行ったら遠いのなんの。
2日間食べていなかった為、胃が小さくなったのか。
少し食べただけで腹がいっぱいで苦痛。
ラーメン3個(普通の半分)、パン4枚、バナナ2本、サバ缶詰1個である。
丹後ちりめんを織っている機械の音があちこちから聞こえてくる。
もうかっているらしい。ガチャまんかなぁ。
スーパーらしき店に今日買いに行って、その店でバイトをやっている女の子、高校生とか。大きな、俺より大きいので「モンスター
みたいだ」と言ったら、「失礼ね」と。
二日間も休み。その為か、ゴロゴロして腰が痛い。
この調子では、一体いつ北海道に着く事やら。
今日で1ヶ月。金の出費を計算したら、37,003円で、ユースに泊まらなかったら、
丁度、一日千円の予算になる。
なかなか調子がイイが、このままうまく行くのか。
菊と刀を常に読んでいるが、なるほどと思う。
しかし難解である。十回読んでみても甲斐があろう。
普通の人だったらもっと難解であろう。
俺は、日本から外に出た事があるからそうだと思いあたる事に出くわすが、普通の人だったら、ただの文章に過ぎない。
しかしよくこんなに日本の事を調べたと思う。
余り、毛唐毛唐と言って馬鹿にできんなぁー。
また初めから読み直おす事にする。
明日、晴れる事を望む。
人間とは、誠に勝手なもので、歩いている時はもう歩くのは嫌だとウンザリ。しかし、雨が降りこんなところで足止めされると、歩
きたいと思う。
まさか汽車に乗るわけにもいかないし。
徒歩距離:0km
使用金額:1710円
ムカデに感謝すべし
1979年5月16日ブログanshu
030
1979年
昭和54年5月16日(水)
早く目覚め、薄暗いのに起きてみたが空が曇っている。
朝食をしたのは良かったが、少しでも荷を軽くしようと食べ過ぎて腹が痛くなる。
新聞を失敬する。天橋立で絵はがきを一枚買うつもりだったが、一枚売りはなし。橋を渡って休憩所で腰を落とし新聞を読むが、念
入りに読むから時間がかかる。
狭い道路に車と通学自転車でいっぱいだ。
9時。封筒10円。手紙を出す切手代200円。
スポーツ店と靴屋があったが、閉まっているので宮津市役所横の河で新聞を読みながら待っていたら、おっさんがガンバレとの事。
どうガンバレばよいのか知らんが。スポーツ店でガスを買う350円。
靴屋ビョーなし。それにこの商店街、水曜日は定休日との事。
しかたがない。舞鶴まで行く事にする。
空が晴れてきたが、海は汚い。アッチラコッチラに、ビニールハウス。苺畑である。
小さな畑で、5、6個食べてみたがもうない。
歩いていたら、いい色した苺がずらりと。味見してくださいと言わんばかりになっている。
人が来ないうちにと、パクパクと口に入れる。
腹いっぱいになったが、歩いていたらすぐ腹がへる。
由良海岸、人が誰もいなく、民宿だらけ。夏が凄い人で賑わうのであろう。
砂浜は汚く、コンクリートのブロックを並べてある。景観がだいなしである。全くお役所仕事である。
由良で昼食。写真を撮るのにポーズをとって。
地図なしで歩いているので、距離が分からずイライラする。
由良川の水田、百姓さんが働いて、その水田とあぜ道に人を恐れる事なく海ネコがずらりと並んでいる。写真を撮る。
歩いて歩いてさっぱり。
綾部と舞鶴の別れ道。店屋。マッチを思い出し尋ねたらないとの事。
5~6本貰う。峠を越え、そろそろ寝場所と思いながら歩くが、一カ所抜かす。陽が高いからこれこれが失敗の元。次、農協スーパー
その前に鳥居。行ってみると、とても寝る場ではない。そのまま歩き街に入ってしまう。
こうなると、街を出るまで歩かなければ。
靴屋でビョーを自分で打つ。おっさん手をはなせない為。100円。
(もう暗くなって書けない。明日)
昨日の続き
雨が降って寒く橋の下でボケーとしている。
街の中、寝る所などありはしない。食料を買って600円。
神社を探しに行ったが、とても寝られた所ではないし、人がいる。
そのまま歩き続け、峠のトンネルを越えた所に舞鶴水道局の機械小屋。
玄関の軒下で日記を書いていたが、薄暗くなり疲れたので止めた。
寝ようとリュックを動かしたら何か動くので見たらムカデである。
昔を思い出しゾッとする。ここで寝るのを止め、道路を渡り古車を見たがカギがかかっている。
土木作業小屋、ホコリだらけ。贅沢はいえない。
これがよかった。夜、凄い土砂降りの雨になる。あのまま、あの小屋の軒下に寝ていたら、ビショ濡れになったであろう。
ムカデに感謝すべし。
使用金額:649円
歩いて歩いて、よくわからないけれど歩いて。歩き終わった時、結果が出るのか、ますます分からなくなるのか
1979年5月17日ブログanshu
031
1979年
昭和54年5月17日(木)
今、雨が降り寒く、歩くに歩けず、陸橋の下、そこを通学する自転車がひっきりなしに通る。
座っている地面が冷たい。
作業小屋で目覚めたものの、空は今にも雨が降り出しそう。
街通りは静かで牛乳屋の車が止まっているだけ。
例のごとく、新聞を失敬したら毎日新聞で、読売を探してみたが、まだ配達されていないらしい。遠藤周作のを読みたいと思ったが
残念である。
(今書いていて震えて腕がよく動かない。リュックの重さで肩が痛く、マヒしてるらしい。)
雨が降り始めたので、バス停の中で休み、昨日買った牛乳、パン、バナナを食べる。
新聞を読みながら、雨が止むのを待つが、嫌な天気だ。
高校生が来たので、時間を尋ねたら6時5分との事。
パラつきの雨の中を行く。海上自衛隊の船が停泊しているが、ポンポン船でこんな船で戦争に勝てるのか?
陸橋の下で雨上がりを待っていたが、一向に止みそうにない。
暇つぶしに新聞を読んだり日記を書いたら、この時8時頃か、通学生の自転車がドンドン通る。
しかたがないので、ポンチョを着て歩き始めるが、リュックに引っかかってなかなかポンチョがよく着れない。2
0分も歩いたか、右側に神社、左側に農協売店。この雨今日はもう中止。
寄合所みたいな家。タタミ、ホコリだらけ。ぞうきんかけで掃除である。
農協で食料640円。農協の時計で9時40分。
寝袋の中に入ってフテ寝。目覚め空を見たら雨があがり曇っているが、天気になりそう。
歩き始める事にして、また、寝袋を巻き、腹ごしらえして出発である。
時間12時30分。空は晴れたが、もう小浜まで行く事ができない。
20日までに越前に行かなければならないのに、全くこの天気とは頭に来る。
無人駅で一休み。もう福井県に入っている。荷を軽くする為に、また食べる。食べてばかり。歩き始めたら空がおかしくなり、まさ
かと思ったら降り出した。頭に来る。喫茶店の玄関で雨宿り。
ドシャ降り、困った。このまま降り続けたらどうする。
本日休みの札。福井新聞。新聞を読んで暇つぶし。
一時間経ったか、雨は止み、歩き始めたら青空が出てきた。
地図がないので地名がわからない。もう寝場所を探す時間。
神社があったが、もう少しと思ったのが間違い。進んでも何もない。
今、6時間過ぎた頃か、左側に自動販売機のテント。机で日記を書く。人はいないが音楽が聞こえる。最近の百姓、商魂たくましいな
ぁー。
しかし、日本人変わったなぁー。
夕焼けだから明日晴れるだろう。歩いて歩いて、よくわからないけれど歩いて。歩き終わった時、結果が出るのか、ますます分から
なくなるのか。
それより、今夜、いい所が見つかるといいけれど、さて歩き始めるか。
線路横に立つ土木資材置場のプレハブに寝る。
夜、雷雨。
使用金額:649円
一体何故歩いているのか自分でもよくわからない
1979年5月18日ブログanshu
032
1979年
昭和54年5月18日(金)
腹がへって仕方がない。時間も分からない。
車の通りが少ないから、まだ朝早いのは分かる。
1時間も歩いたか、勢浜道路下に苺畑。迷う事なく畑に突進。
雨に濡れた苺をパクパク口の中へ。トンネルを越える少し歩くと、下に大きな町が見える。まさか小浜ではあるまいに。それにして
も、こんな大きな町、この辺にないし。歩いた距離からすると、まだ10キロはあると思っていたが、通学生に尋ねると、ここが小浜
と云う。
思ったより距離がなかったのに驚く。
街に入りグルグルと回り、電話で探し、ユースに手紙の件に関して電話をする。来ていないとの事。がっかり。
相手、俺の言ってる事、分かっているのかなと疑うが白々しい。お爺だ。
これでは、公営ユースホステル、赤字になるのは無理ない。
戦災にあってないのか古い狭い家並を通り抜け、本通り。
キューリ4本100円。駅に出て新聞を読む。駅にある観光用看板地図を見て、県道を行く。
北川に出て、きゅうりを食べ新聞は読み終え、ポイする。
中国新聞全く面白くない新聞だ。
腹がへって何か食べたいが店屋がない。川の堤上を歩く。
途中、堤上の道が行き止まりで引き返す。がっかり。
スエーデンにいたとき書いた英語の単語を覚えながら歩くが、なかなか頭に入らない。
歩いている割には距離が進まない。やっと店がある所に出てラーメン二個、カンズメ1個165円。神社に行って作る。顔と体を洗う。
これだけで1時間の作業。同じ店に帰り、パンと1リットルファンタ250円。
牛乳がない。左官の若者がいて色々と話しかけてくる。
店を出て河の堤の方へ歩いていたら、さっきの若者がガンバレよーと手を振る。
堤の上を歩く。人も車もいない。
静かで、自分が日産自動車のコマーシャルに出ている想像して歩く。
日産自動車のコマーシャルソングを口ずさみながら。
夢は常に楽しい 夢のない連中は かなしい。
今日は、歩く調子が全然出ない。農道で昼寝。右側に折れ、国道28号に出る。食料を買う、1027円。
少し歩いたら、今まで歩いていた堤の川に出て思い出す。
この橋、以前通った事を思い出す。どうしてこの橋の事を覚えているのか不思議だ。
荷を軽くする為に、無理して食べるが、そんなに食べるものがない。
腹が張り歩けないので、休憩のついでに日記を今の内に書く。
空の様子がまたおかしくなって来た。ここから敦賀まで36キロと表示。
小浜から、たった14キロしか来ていない。小浜に着いたのが8時。
ここに着いたのが3時。
全然気分が乗らなく、坂道を登り常に同じことばかり考え事をして歩いているが、一体何故歩いているのか自分でもよくわからない
。
自分自身から逃避しているのかな。それともある試練の道を通ろうとしているのか、さっぱり分からない。
今、6時を少し過ぎたところである。
雨が降りだし、空を見ると雨雲は一部だけ。夕暮れになり、西側に空が少し紅く染まっている。
三方湖の上から観ると美しいのだろうか。
そこまで今日行けない。先程、敦賀28キロの表示。今日30キロ程。
自動車修理工場で新聞紙を貰い、寝場を探しながら歩く。
左側に神社あり。その横に寄合所。戸を開けると、タタミが重ねてある。ヒックリ返しぞうきん掛け。外に水があるから、明朝はス
ープでも作るか。
重い思いをして背負ってきた甲斐があったか。
外で犬がワンワンと吠え、うるさい。
徒歩距離:30km
使用金額:1542円
「気をつけて行って下さい」これだけの言葉だったが、心のこもった言葉であった
1979年5月19日ブログanshu
033
1979年
昭和54年5月19日(土)
起きるのが嫌だ。しかしいつまで寝ていても事は変わらないし。
寺の鐘が鳴った。6時であろう。朝食すまし歩き始める。食べたスグ歩き始めたら、腹が張って歩く気になれないし腹がへって歩けな
いし。
荷を少しでも軽くしようと食べ過ぎ、悪循環である。
三方駅の売店で地図を見ると越前町まで2日間の距離。手紙には20日と書いたが行くことができない。あの雨さえ降らなかったらと思
うが。
高校の朝の通勤時間。スカートをなびかせ自転車でやってくる。
神社に向かって松林が通り、アスファルトでなければ、全く昔の風景に逆もどりである。高校生、女のほうが多い。男が少し。女生
徒がゴロゴロ。こんな高校に行ける奴いいなぁー。
ワラの上に腰かけ、また朝食。食べたくないけど無理して食べる。
水田と松林。そこを女生徒が自転車で来る。ノンビリしていい。
しかしいつまでもこんな事をしていられない。歩き始める。
時間頃か、美浜に着き、信号の交差点に森永牛乳販売店。
牛乳を買ったが、そこのおばさん、どうぞ腰かけて下さいと椅子を持ってくる。280円。
出ていく時、「気をつけて行って下さい」これだけの言葉だったが、心のこもった言葉であった。
美浜からどのくらいか、トンネルにを抜けると海が正面に見え、肩と足が痛いので、ジャリ浜の海辺に休み、この日記をここまで書
いたところである。
この波の音がいい。潮の香りがいい。これで冷たいビールが飲め、今日が日曜日であるならば最高であろう。
昨日から左脚のヒザ小僧の左側が痛く、しばらく歩くと痛みが止まり、休むとまた痛くなる。
敦賀の街を通り抜け、有料道路入口一キロ手前まで。約40キロ歩くことになる。
「足いたい」注意 食料700円高いのにビックリ。
使用金額:980円
自分の価値を絶対と思ったそのことが人に通じるか、そんな事、人には通じない
1979年5月20日ブログanshu
034
1979年
昭和54年5月20日(日)
地図がなくはっきりと距離が分からず歩き過ぎ。
土地の人に神社を尋ねたら、あそこはゆうれいが出て気持ちが悪いと云う。
気持ちが悪い前に俺には、雨のほうが恐い。
この話は昨夜のことで、頭がボーっとしている。
昨夜、蒸し暑く蚊とブーと飛んで来るし、余り寝ゴコチの良い神社ではなく、ジーパンが河でジトーとし、眠る事ができなく、ウツ
ラウツラとしている内に、カラスの鳴き声に目覚め、そのまま朝早い漁師の声が聞こえてくる。
ラーメンを作り神社を出る。6時半頃であるか、家の戸はまだ閉まり、例の如く新聞を失敬したが、福井新聞の地方紙。
海岸線に沿って通る道路。今日は日曜日のせいか、関西地方の車が多く、海で釣り糸を垂らしている。
腹がへって何か食べたくても、海岸線に走っているこの有料道路、店屋どころか家もろくにない。
急激な山並みの下に道が通り、途中、所どころに泉水。
岩の割目から、水が噴き出している。
気のせいか山陰地方みたいにおいしくない。
海も山海景色も変わってしまった。
河野村、有料道路の終わり。牛乳160円とビスケット20グラムでも多い150円。今まで、食べる時はどこかに座って食べるようにし
ていたのに、今日初めて歩きながら食べた。日本人の悪い癖が出た。
この地方も例にもれず、民宿の看板がだけである。
そして、ずらりと釣人が。途中から道が悪くなり、時々、穴が開いた靴底にジャリ石がつきささる。
豆にもあたり痛いのなんの。この靴なんとかしないと疲れが多く増すだけだが、愛着があるから。
国定公園の割には美しいとは思わない。
昔ここをヒッチした時、名古屋から来た看護婦二人連れの車に乗せてもらい、自分で運転して敦賀まで行った覚えはあるが、こんな
所通ったかなぁーと全然記憶にない。
越前町に入り、国民宿舎の前から灘さんのところに電話をかける。忙しく来れないとの事である。鯖江の街までは来れるけれどとの
事。まさかそこまで歩いていけない。
電話で鎌倉の人を探してもらう事を頼んだが、余り、あの調子ではあてに出来ないし、原稿のことを聞いたら、まだ送って来ないと
の事。あれから1ヵ月以上も経っているのに、どうなっているのか心配になる。
全てうまくいかない。頭にくる。歩く気力なし。
防波堤の端で、バナナを食べながら意地気で昼寝。
アーもう嫌。2時頃だったか、本当はもっと歩けたが風呂も10日間入っていないし、洗濯もしなくては。
ユースに行く途中、漫画の本を拾い廃寺みたいな所で読む。
おもしろかった。
ユースに着いたのが5時頃か。ペアレントのおじさん、港に今、船が入り活魚見れるから行けと・・。行ったら見れる。
漁船と漁師をボケーと見ていたら、なんか人生分からなくなって来た。
この旅の目標、目的は失敗である。
食料460円、牛乳150円、くりやに着いて牛乳とジュース290円
自分の心の奥深い所に、自信過剰なウヌボレがあるのではないのかと思った。自分の価値を絶対と思ったそのことが人に通じるか、
そんな事、人には通じない。
高い次元なのか、それとも別の次元なのであるか、難しい問題である。
ユースに帰り、風呂に入るが髪の毛がたくさん浮いていて汚い。
今日、ゆっくり風呂に入れると思っていたのに。
宿泊客、自転車で日本一周している奴、若いせいかよく食べる。本当は、夕食断ったが、おじさんがここの夕食は凄くいいので有名
だと自慢するので、
騙されたと思ってたのむ。風呂から上がると飯、想像していたのとは多少違うが、誠意のある夕食である。魚ばかり。焼きいわしが
よかった。
飯の後、洗濯で忙しいのなんの。洗い終わって上ってきが、おじさん待っている。ミーティングをやると云う。これから日記を書か
なくてはいけないのに。しかし誠実そうな人で、無下に断る事もできないので、20分程聞く。
浜名湖ユースに電話をかける。
原稿の事について、送って来たとのこと。あの野郎、ずいぶん前に送って来たとペアレントの話。思った通り無責任な野郎。電話代
幾らかかったのか忘れた。
今日、道路上で500円拾った。ビックリ。100円が最高だったのに。
やっと今日の仕事が終わった。
pm 21:30
明日8時まで眠りで手足も動かないぞ。
ユース代1,650円。
太陽は海の向側に沈みかけ、あぁー今日も一日終わったと思った
1979年5月21日ブログanshu
035
1979年
昭和54年5月21日(月)
今、厨を出て呼鳥門から少し来た公園。旅館から、ポールモーリアの音楽が聴こえてくる。
こんな音楽を聴いていたら、ノンビリといつまでもこのまましていたくなる。
今日は珍しく雲ひとつ浮いていなく晴天である。
海の青が眩しい。道は曲がり道、途中小さな村あり、コンブを干している。小さな舟が竹ザオにかかり海から採ってそれを天日に干
す。
ユースで昔の越前町の写真を見たら、道路が狭く海は荒れ貧しく、凄みのある想像した村落だが、今は豊かになったのか
漁港はコンクリートの防波堤に囲まれ、家と云う家は民宿の看板が乱立し、昔の面影は全くない。
これも時代の流れであるか。朝、Nさんに昨日の件について手紙を書く。
おじさん、上ってきて色々と話す。狼のアゴの化石を見せてくれる。
8時50分、ニュースを出る。ペアレントさん、誠実な人である。
郵便代50円、漁船がたくさん港に浮かび、これが観光化する以前であるなら寒々とした北陸の海、漁村で人間の生活の凄みがあった
であろう。
パンがないので、ビスケット150円。昨日買った牛乳は飲んで、ジュースと一緒に「ポケットいっぱいの幸せ」の少女漫画を読みなが
らビスケットをかじる。
いつもより3時間遅れて歩き始めているので、全く距離が進んでいなく、太陽は真上にあるから12時であろう。
昨夜、この俺が凄い下痢をした。水かテンプラか、牛乳か。
これから食べ物にも気をつけなくては。
やはり、静かな音楽を聴くと心がのごむのか。もう一度、ヨーロッパをプラリとをしたい気分になる。ラジオを欲しい。我慢。これ
皆、修行の為なり。
今、ロメオとジュリエットのテーマミュージックが流れてくる。
さて歩き始めるか。
三国と福井へ行く分岐点を今、過ぎた。松並木の陰に腰落とす。なんだか腹の調子がおかしい。
昨日、名古屋の車が止まって乗って行かないかと、男1人女2人。身のコナシのさっぱりした可愛い子ちゃん。丁寧に断る。
あーもったいない。いいチャンスなのに。これも修行か?
昼飯360円、パン、カンズメ、ジュース。神社で食べる。
2時半であったから、4時少し前であろう。
海は静かで風がなく、波もなく、さざ波もない。
まったく恐ろしい程、海は静かで空は晴れ空。この調子では、
例の如く雨ではないかな、明日は。
もう初夏なのか、山の緑の葉が少しずつ変わり始め、薄黄色くなった樹も見える。
この暑さが身にこたえる。水あびをするにはまだ早いかなぁー。
道端に何か果物でもなっているならば楽しいのだが。
田植の終わったばかりの水田ばかりでは話にならん。
松の木の上で、カラスがカァーカァー、馬鹿野郎。
アァー何かおいしいものを腹いっぱい食べたいなぁー。
山も海もあきた。人ゴミが恋しくなってきたのかなー。
東京あの東京の混雑した所、あれも又、いいなぁー。
東京には東京のよさがあるし、田舎には田舎のよさがある。
こんなことをしていても、しかたがない。
歩き始めるか。
鮎川でジュース130円、寝場所なし。そのまま歩き続ける。
靴底がヘリ不姿勢な格好になり体ガクガク。
何故左脚のヒザが痛いか分かった。靴がヘリ偏った歩き方をするからである。
もう歩くの嫌やと思っていたら道路下に休憩所みたいな小屋が見え、そこに決めた。
いい場所に神社もあったが、今日、不思議と凄く夕陽がきれい。
真紅の太陽がポンと空に浮いて、日本でもこんな夕陽が見られるのかと驚いた。
店でビール2本買う。320円。部落の狭い路地を通り、海の岩場に上がり、ビールをひと息にグーと飲むこのうまさ。
太陽は海の向側に沈みかけ、あぁー今日も一日終わったと思った。
水平線に漁火が浮いて見える。爺さんがひとりでポツンと椅子に腰かけ夕陽を見ている。
何を考えているのかなぁー。写真を1枚撮ったが、できは良くないであろう。
ビールが実にうまい。毎日、こんなに飲めたかと思う。日記を書くのは止め、次の日にする事に決めた。
書いていたら、せっかくの気分がこわれる。
日記を書く為に旅をしているのか、分からなくなる。
薄暗くなって休息所のベンチに行く。しかし、これが間違いのもとで、結局一睡もする事ができない。
蚊がブーンブーンとうるさく、寝袋の中まで入って来る。
耳元で、側のブーと云う音をたて、憎き連中め。
イライラする、疲れているのに。
タオルを頭に巻いているが、頭のまわりをズラリとやられる。
寝る事つらくて寝袋から出たら暗闇の中に漁火が水平線にズラリと並んで美しい。
2
歩いていたらトラックが止まり、乗らないかと。丁寧に断る
1979年5月22日ブログanshu
036
1979年
昭和54年5月22日(火)
結局一睡もする事ができなく、この憎き蚊、一匹でも殺してやらないと腹の虫がおさまらない。
新聞紙をまるめ、手に止まるとバシー。顔に止まると自分で自分の顔をバシー。ますます頭に来る。
何十匹殺したかキりがない。明けとろもに横になってもしかたがないので、歩き始める。
5時頃か。疲れて疲れてしかたがない。朝早い為か、また、新聞が配達されていない。
昨日、観光案内地図によればイチゴ畑があるはずだが、全然見当たらない。
歩いても歩いても、ラッキョー畑である。
楽しみにしていたのに頭に来る。
疲れて8時頃か、樹陰の横に座って居眠りである。
九頭竜川に出て、そこに店屋。パンと牛乳290円。おばさんやたらと体にさわる。人生ふぁか、孤独がいいとか、色々ひとりで話して
いる。
おばさん、何度も何度も頭を下げ、ガムをくれる。
その前に6時半頃、森永牛乳販売店で牛乳120円、安い。
橋を渡り、芦原温泉へ。途中疲れて10時頃か、神社参道で横になるが、疲れ過ぎているのか頭は冴えている。
荷の重いのが恨めしい。クツに愛着があるのも恨めしい。ポンと捨てれば新しい靴を買って、疲れも多少違うのだろう。
芦原を思ったより早く過ぎ、今、北潟湖の近くで休み。
牛乳とアイス220円。昨日と今日、ろくなもの食べていない。
ジュースとバナナ340円。割りにきれいな28才程の女だが、ツーとしている。
歩いていたら、プレイボーイが落ちていた。バナナ10本ほどあったか、ペロリと腹の中に入ってしまう。
小屋の影で寝転がり、週刊誌を読んでいたら、腹のフクレた夫人が犬を連れ、横を過ぎた時、頭を下げていく。
読み終わって、歩き始めたら、さっきの人に会う。
茨城に嫁ぎ、お産に帰って来たと、26才とか。
よく人に学生さんですかと言われる。俺、そんなに若く見えるのかなあー。
湖の横を道路が通り、人家がなくなる。
野グソしたら、まだ少し下痢気味だがもうだいじょうぶだ。
今日、牛乳1.5キロ飲んだ。
歩いていたらトラックが止まり、乗らないかと。丁寧に断る。
名古屋ナンバー、それから5分もしたか、今度はタクシーが止まり、乗れと。料金はいらない。人の良さそうな人であった。
断ると「ごめんなさい」と。こんなタクシー運ちゃんなら、客もいいだろうが。
吉崎の交番で道を尋ねたら、この警官、ツーンとして。こんな人間が警官になるのかと思う。
塩谷海岸に出て日記をつける。
今、日記を書いていたら、変わった奴が来て色々ブチブチホザク奴いる。
ビールもよこさない奴。
今日、日本海に沈みゆく夕陽は紅く美しい。
今日、新聞紙がない。どうしよう。
いい海辺である。
ここも夏は海水浴客で賑わうのかな。
ひとり静かにと思っていたら、この三人、サーフィンに来た連中。
話かけ気が散る。
海岸に新設された公園。駐車場、休憩所のベンチ。
ポタージュスープを作り浜辺に座り、紫色に染まった空と、波の音。
スープが一段とおいしい。これで音楽があれば最高である。
水はあるし文句のつけようがない。
町に朝食の為に買物に行く。町と云っても小さな漁村であるが、キャベツ、マヨネーズ、ソーメン、テンプラ、ポタージュスープ、
ラーメン、牛乳1150円。
暗くなった所で、ガスの火を頼りにラーメンを作っていたが、どうもおかしいと思っていたら、スープを入れて味をみたら甘口冷や
しラーメンである。
もったいないので捨てる訳にはいかない。
キャベツを三分の一切って、塩とマヨネーズ、おいしい。
マヨネーズが腐らないならば、このように毎日キャベツを食べられるのにと思う。
食べ終わって、ナベ、ワタ、ナイフを持って暗いところで洗っていたら、スパーと指を切る。
血が止まらない。このナイフ、キャベツでもスパスパとよく切れる。磨きがいいのかそれとも、ゾーリンゲンだからか。
さて寝ようとしたら公園の電池が突然ついて明るくなり、これではとても眠れないもの眠れたものではない。
それで、又、日記を書く。
これだったら、はじめからついたらいいのに。9時であろう。
満天の空に星が珍しくたくさん見えていたが、
この電気でムードが壊れた。
使用金額:2125円
おばさんの言うには贅沢な遊びだね、お金もいるだろう
1979年5月23日ブログanshu
037
1979年
昭和54年5月23日(水)
あまりにも場所がいいのでノンビリとしすぎる。
寝袋から出たら犬を散歩に連れたお爺さん、
昔、船員で今はガソリンスタンドをやっているとか。
キャベツをナベいっぱいに切り、テンプラ、ソーメンを
二束茹で、マヨネーズをブッかける。
作り過ぎたのか食べても食べてもチットも減らない。
昨日の新聞を爺さんに貰った。
ノンビリと読みながら、2時間近く、こんな風にボケーとしていたので、
いつのまにか、陽は高くなり8時過ぎた頃か、自転車道を歩く。
季節はずれの為か、誰一人いなく、例の空缶もなく、静かで松林の中に一人歩く。
最高に気分が良い。
松林の樹は、小さく広く植え、憎いほど歩きよく、
アッと言う間に4.5キロに。松林を突き抜けた小さな丘に出て、
下に広い静かな海と砂浜を見下ろし、浜に打ち上げられた、こわれた木造の船首。
写真を撮ろうとカメラをそなえつけようとするが、カメラの脚がない為に、
カメラを安定するのに、木を削った。大変。しかたがないので、リュックの上に置いて、
ハイ ー、ジーを付けようとしたが、ジーがない。
下は小さな松の木みたいな物が植え、捜しても見つからない。
30分ほど探してみたがない。もう諦めもう一度と思って探したら見つける。
写真一枚撮るのに、大変な苦労であった。
休憩所、こんなところで寝たら最高であろう。
初めからわかっていたら、来るにであるが。
何か音がするので、フッと後ろを振り向くと年寄りのおじさん。
「それはなんですか、ワカメですか」
「こんな松林をワカメを背負ってどうする」
こんど役所で20キロ歩行テストがあるから、それに出る為に今年の冬から練習をしているとの事。
それでも、時々虚しくなるそうだとか。
それは贅沢だ。こんな自然に恵まれた散歩道を歩いているのだから無心で歩かなければと言う。
別れておじさん山道のほうに、俺は階段を降り、片野村に。
おじさんの話によると、海岸沿いに歩道があるとか。
もし、間違ったら大変と、普通の道路を歩くが、もうだめ。
暑くて情緒がなく歩くのが苦痛になる。
湧水をタオルに濡らし、頭を冷やし歩く。
それでも車がほとんど通らないのが良い。
黒崎村が、観光案内の看板に海岸遊歩道。
やはり、片野国民宿舎の方から道がある。
黒崎から海岸に出る。
これがまた最高にいい。
大きな松の樹本に、下は海で、振り返って後ろを見ると、松の樹と海のコントラスト、もう最高。
道がいい。地が細い道は、林の中を曲りクネリながら通り、
下に誰もいない砂浜。日本人が分からない日本人の旅行といえば、雑誌の記事紹介。
人がゾロゾロと行くところを、自分も人に遅れまいと。それが悪循環となり人が人を嫌にする。
鈴蘭によく似た小さな白い花が、広く一面に植え静かで波の響き。
加佐岬で道は終わり、森を出る。
出口?入口かに看板にこの自然遊歩道は気分を爽快に、心をなでやかにしてくれると書いてあるが本当である。
出たら加賀市営レストハウス。無料と書いてある。
リッパな建物にきれいな小さなテーブルが並び、おばさんがひとり掃除をしている。
おばさんに、「ここ無料で休めるの」
おばさんの返事、「しかたないでしょう」
今日はよかったと、いってもまだ11時40分だが。
この休憩所で、ここまで日記を書き終わったところである。
おばさんの言うには贅沢な遊びだね、お金もいるだろう。
うん、「僕お金持ち」
おばさん、「親のスネかじりかい」
橋立に出て食料は150円。御尾前?もう名前忘れた。そこで飯を食べ、
地図には道は、高速道路の内側を通り、おもしろくない。
このまま海岸をいけるのではないかと先に進んでみると、
崖にハシゴがかかって、それを降りるとどこまでも続く小石の海辺。
そして、それに平行して防波堤かどこまでも続く。
最高に気分が良い。誰もいない海にどこまでも続く防波堤。
歌声高く、色々なことを想像しながら歩く。途中で川に出る。
車が砂にメリ込み、おっさんが一人で必死に砂から出そうとしているが、タイヤは空転し、ますます穴を掘ってしまう。
歩けばよいものを、こんな所まで無精をして車を乗り入れるからだ。
それでも、一人ではどうすることもできないので 手助けする。
河を右に折れ、道の下を通ったら漁師のおっさんが、おっかさんと一緒に網にかかったカレイ、ヒラメを上から取り外していた。網
に魚と一緒に小さなカニまでたくさんかかっている。
食べないとか。かわいそうに。食べないのであるならば、採る必要ないのに。
河を渡りズーと海岸を歩くが、砂浜ではなく小石である。
歩きづらいが気持ちは気分はいい。
もったいないので写真を撮ったが、流木を立てカメラを置き、リュックを背負って歩いている姿とか、後ろ姿とか大変。それをポカ
ーンとして見ているアホがいる。彼も俺の事を阿呆と思っているのであろう。
ジーパンを脱いで水につかる。気持ちがいい。
濡れたジーパンを乾かしていて、海外を旅行していた時つけていた裏のポケットの布を使って左側をパンツひとつになってつくろう
。
こんな姿、人が見たら馬鹿と思うでだろう。
時々、釣りをしている人に出会うだけでどこまでも続く海辺。
しかし、ゴミだらけ。この日本人の道徳心、頭に来る。
どうして、日本人はこんなにゴミの事に関して低俗なのか。
今日、やたらと自衛隊のジェット機が飛びまくる。
ソ連と戦争でもするのかな。
歩いていたら、プレイボーイを拾ってそのまま堤防の上に横になって読む。
もうあと10分で陽はは沈んでしまうであろう。
こんなところに神社はないし、はじまりは良かったが終わりどこに寝るのやら。
今日、あまりにも気分が良くサボってばかりで、
20キロ歩いたが小松市のどの辺かな。
使用金額:550円
日本人の働き過ぎも、これによく似ているのでは。
昨夜は漁師の小屋に寝たが、蚊もいなく静かで寝ごこち最高。
これで水があれば言う事なし。
朝は少し曇っていたが、今はカンカンに照り、暑い。
朝、500メートル程歩いたが、水があったのでソーメンにラーメンのスープを入れ、食べてみたがおいしものではない。
ポタージュスープを作る。時間がかかるがこんな事も、二度とできる訳ではなし、急いで歩くばかりが能ではない。
安宅の関、別に何もない。
通行手形を記念に買おうかと迷ったが止めた。
人がいなく、色々な物が売ってあるが、料金箱が置いてあるだけ。なかなか気に入った。
京都のクソ寺坊主とは大違い。神社仏閣はこうでなくてはいけない。銭ばかり取る事を考えている。
通学生達が歩いているから、8時ころか。
河を渡り、次の浜辺へ。
しかし、ゴミの山だらけで、見渡す限りここの住民、どんな神経をしているのか。こんな美しい所を、ゴミで汚くして、市民の頭もおかしいのでは。
これが、スエーデンだったら、大きな社会問題になる。
この日本との認識の違いの差、日本の次元が低い。
なにが経済大国だ。外は汚し、家はウサギ小屋。
車が通らないから、気分が良い。
おもしろい事に気が付いた。
車がブーブー通っていた方が、イライラして距離も進むが、精神衛生に良くない。
車が通らず、一人静かに歩くと気分最高で爽快になるが、距離が進まない。
日本人の働き過ぎも、これによく似ているのでは。
寺井の海辺まで来ると、夏季用海の家、スナック、空家。
腹がへっているので、スーパーで食料を買ったが、こんなにも食べきれない事、分かっているのに、買う。
それこそ、山の如く重い。腹が減って買うから衝動買いになって買ってしまうのか。
バナナ、1キロ10円、安い。今、買わないと損とばかり買ったのはよかったが、その重さのために、今、背負ってヒーヒー言っている。
スナックの水を使って、腹いっぱいなるまで食べたら、動けなくなってしまった。
本を読む気になれないし、横になっても腹が張ってしかたがないので、大きな腹をかかえ歩き始める。
それでも、2時間ほどここで暇をつぶしたか。場所がいいと、スグ、サボッてしまう。
1キロ先に高速道路の橋が見える。あれから右側に入り海ともお別れになる。塩谷から歩いた海岸線、これでゴミがなかったら最高だったが、それでも、気分よく歩けた割には、普段の半分の距離しか進んでいない。
陸に入る前に、日記をつけることにして、その前に靴下を洗濯して乾かしているが、もう靴下もボロボロになってきた。
今、3時頃であろうか。
海辺から陸のほうに上って歩いていたら、少年マガジンが落ちている。新しいやつ、公園で読む。チョットおもしろい。次号も見たいなあ。これで30分は暇をつぶしたか。
大きな橋を渡り美川へ。
狭い家並に道路が通り、これも日本特有の現象。
美川から笠間へ。途中、神社で休もうと思っていったら、6人の子供たちが寄ってきてガヤガヤ。どこから来たの? バルタン星。「本当」テレビの見過ぎ。
休めないので、歩き始めたら、後ろから自転車に乗ってついてくる。
来るなと言っても・・・。
地図によれば一本道だが、「松任」曲がり、人家道を行ったり、田圃道を行ったり、グルグル曲がり、回り道。車が通らないからよいが、随分遠回りしているみたい。金城短期大学なんて、田圃のど真ん中に建物。女の制服が黒で、どこか喪中にいくみたい。こんな田んぼで何を学ぶのか、不思議。先生たちのツラが見たい。人に道を尋ね訪ね、松任へ。こんなに道を尋ねたの、始めてである。普通、感で方向がわかるが・・・
松任駅で小便をし新聞を買おうかと思ったが、夕刊、薄いので止めた。
地図を見ると金沢まで11キロ。
駅の時計で5時40分である。
ここからユースホステルまで、7~8キロで、急いで歩けば間に合うかも。
こんな人家の密集した所、野宿するところなんか・・・。
表示、金沢まで9キロ、そこから少し歩いたところで、なにげなくフラッと振り向いたら、左側遠方に神社が見える。
6時少し過ぎた頃だろうが、このまま歩いて金沢の街をウロウロと疲れて歩くよりましだ。
これも霊感のなせる術かな。
今、ここまで歩いて、神社の縁台に腰掛け日記を付けた所である。
今日、新聞紙がないが、歩いている途中でタオルを拾った。
これを雑巾のかわりに使うつもり。
3p
夕暮れの道を急ぐ。雨が降りだす。こんな山の中、家もない、雨宿りなんかする場なし。半分晴れ、半分雨雲
明け方とともに、ガァーガァー、チューチューといろいろな鳥の鳴き声にうるさく寝ていられない。
もっと、静かな小鳥のさえずりなら気持ちも穏やかになろうものの、今にも殺されそうな鳴声である。
車が通っていないから、6時前であろう。
中日新聞を失敬して、まだ車も人通りもない駐車場で読んでみたものの、面白くもない。
よく、この中日新聞、倒産しないものだ。
途中から、直接、金沢の街に入って福光に行くより、三角形の道を横切って行こうと思ったが道が分からない。
工場の守衛のおっさんに尋ねたが、馬鹿な方向違いな事ばかり言っている。
地図の見方も知らん奴だ。
聞いていて頭に来る、イライラするがムゲには言えない。
適当な感で歩き、店開きしていた酒屋の兄さんに尋ねたら丁寧に地図を書いてくれる。
この地図が全く正確で恐れ入った。
この辺一体、新興住宅らしく、新しい家宅が乱立し、畑と新家宅のミックスで、景観もへったくれもあったものではない。
道路横に真紅な色をしたら大きな苺。苺畑。朝、通勤時間の車と人と通学生。アーもったいない。
これが、早朝の人通りがない時であったら・・・。
牛乳120円、安い。パンを買ったが、食パン4枚、半分で110円、高い。どうなっているのか。
菊橋か、河に出て橋の下でパンを食べる。
河の水が、この市の大きさに比べ、澄んでいるのに感心する。
ゴミも流れていない。良いことである。
静かな川の流れを見ていたら眠たくなる。
どのくらい寝ていたのか、いつまでも寝ているわけにもいかないし、
遠方の河原に幼稚園の遠足か,子供が先生の話を聞いている。
反対方向から、親子連れの母と3歳ほどの女の子が、川原で遊びながらやってくる。
朝っぱらから子供と遊んで、別にやることないのかなーと思う。
子供にとっては、イイ事かもしれないが…。
地図の通り、交番に出て道を尋ねる。交番の時計で10時35分である。
のぼり坂道を歩き、曲り道で、ゴミを捨てに行くダンプが狭い道路を何台も通る。
この調子だと、国道8号線を行く道の3分の1は余分に時間がかかりそうである。
歩いても歩いてもさっぱり距離がわからないし、曲り道で使う手前の畑に苺はないかと探しに行ったが、ない。
レタスがあったので、レタス一個失敬して、畑に撒くための水でレタスを洗う。冷たい水である。
レタスを、マヨネーズをつけてバリバリと食べる。
味わって食べるより、栄養を、と言った感じだから、後になると美味しくもなんともない。
この地図は、あまり良くない。小さな道路、雑に書いてある。曲り曲った山あいの道を歩き、途中、清掃車が落としていったゴミの中に財布が落ちていて、15円入っていた。
二俣に着いて、こんな山の中に人が住んでいるのかといった感じのヘンピな所で、郵便局に記念スタンプがあると看板が出ている。引き返し、
郵便局と言っても女事務員2人で、スタンプのことを尋ねたら、20円切手を買わないと押せないとか。ここが女の融通の効かない所である。
仕方がないので20円切手を買ってスタンプを押してもらう。
しかし、親切でお茶をくれた。
「野村さんと言うカワイイ女の人」
しかし、20円をとられたと日記に書いておこうと言ったら笑っていた。
よく車でワザワザこのスタンプを押しに来る連中が、こんな山の中に出てくるとの話。
郵便局から少し行った所に、寺があり、石川県で1番古い庭があると。
店でパンがない。腹が減っているのに、おばさん歩いているのならビールでも飲みなさいとどうしたわけだか、ビールを買う195円。
ビールでも飲みながら、庭園でも見るかと思ったら、ろくでもない庭であった。
蓮如廟なんてあったが、ここは蓮如と関係があるのか。
加賀国、昔から宗教と関係あり、本願寺蓮如、ここで居候でもしていたのか。
ビールを飲みながら寺の山門前階段に腰をおろし、日記を書く。
郵便局の時計で3時5分前だったが、今は3時40分頃だろうか。
ビールでは、腹の足しにはならない。
ここから福光まで19キロとか、ホントかなぁ。
本当だったら、頭に来るなぁ。少し酔った。ほろ酔い千鳥足で歩き始めるが
二俣から道は狭く上り坂になる。
ウッソウと茂った森、山道をテクテクと歩く。峠らしき地にのぼり着いた時、眼前の視界はパッと開け、遠方に山峰々が視え、雲と山が不思議な世界を作る。
この地で道が2つに分かれ、どちらの道を行けば良いのかわからない。
ただ、県境の富山県、赤い表示板が落ちているだけである。
適当に感で歩き始めたが、もし間違いであるならこんな山の中、大変なことになると、また元の地点に引き返し、待つ事にする。
二台の車が運よく来たので止め、福光の方面を尋ねる。
めったに車も通らないこんな山の中にリュックを背負っている。
乗りはしないが、俺だったら一言、乗れと声をかけるが、そんな余裕のある連中ではないのだろうか、さっさと去る。
道は、増々狭くなり、尾根づたいに行く視界が急に開け壮観である。
もう夕暮れか、東の山々は明るく夕焼けが見える。
海と違って、視界がもっと広いような感じを受ける。
下に部落が見える。本当に部落と云った閑静な感じの重厚な作りの大きな家が、山間、樹陰に建ち、人は見当たらなく、こんな山奥に人が住むか、と思う。
道の前を老婆とヨチヨチ歩きの赤ん坊。
赤ん坊、俺を何度も珍しそうに振り返って見ている。
店屋ない。腹へった。朝、バナナ、牛乳、食パンを食べたきりである。
空は曇り始め、陽は落ち、寝場所はなく、歩き歩きの山道、疲れ、休む事もできない。
この部落に場所がないとするならば、下に降りるしかない。
夕暮れの道を急ぐ。雨が降りだす。こんな山の中、家もない、雨宿りなんかする場なし。半分晴れ、半分雨雲。そんなに強く降る事はないであろう。
道は、深い山間の谷を曲り、下り始め、時々に大きな杉の木が立っている。
それにしても人家がないのに、地図に載っていない道がたくさんある。林道なのか。
狭い道が終わった所で、後は緩やかな下り坂道になり、さて、今夜は何処ぞに寝るのやら。もう、そこは福光の町である。
法輪寺温泉なんて、一軒家の旅館が建っている。全く情緒がない。
もう今の内に見つけ出さないと、と思っていたら、左側上に水道の機械小屋。登ってみると、農機具入れ小屋になっている。窓を開けると、プーとクソの臭いが鼻をつく。一瞬迷う。これは困った。一晩この中に寝ていたらクソづけに。クソの臭いがしみついてしまう。
かと云って場所はない。迷った末、もう少し行ってみよう。もし、なかったら引き返して来れば良いと思い、500m歩いたが、小さな森と大きな屋根が見える。しかし、お寺であった。フッと後方を見ると、薄暗くなった森に鳥居が見える。
俺、つくづく思う。いい感をしているのか、それとも、神社ばかり泊まっているから神様と親しくなったのか。
俺の背後に守護神でもついているのだろう。
もう、暗く、日記を書くことも出来ないから明日にする事にして、スグ寝る。
もう、今日は、最高に疲れ、今まで元気に歩いたのは、最高ではないだろうか。
神社の境内に大きな杉の木が立ち
暗闇の中から、時々、不思議な音が響く。
幽霊でも出てくるのか、
美人を望む。
使用金額:445円
040
1979年
昭和54年5月26日(土)
この寺に泊まり、めぐり会えたことを感謝します
朝、起きるのが苦痛であった。
しかし、いつまでも寝ているわけにも行かない。水田に朝日が反射してキラキラと輝いている。
朝霞がかかり6時頃か。さすが農家の人、もう働いている姿がちらほら。
静かな朝、周囲は水田、広い盆地になっている。
朝なのに、少し歩いただけで汗をかいている。脂汗である。体の調子が悪い兆しか、とにかく腹が減ってフラフラ。読売新聞が見えたが止めた。牛乳500cc、一瞬迷う。これも止めた。こんな朝早くては店も開いてないと思っていたが、森永牛乳があった。牛乳だけ130円。若妻か、ホッペを歯痛の為、はらしている。
もう少し歩いたら、7時前なのに、一軒、店が開いていた。
パンと牛乳、ジュース、420円、寺のベンチで食べる。
昨日、山の中を歩いている時、拾った「青年と倫理」を読みながら歩いている。
福光から5キロ程のところか、神社あり、井口、福野の表示板が見える。その神社で昨日の半分と今日のここまでの分の日記を書いたところである。
今日は体の調子がおかしい、さっき小便したら、小便の色が赤みがかっている。疲れているのだろう。今日、ゆっくりと歩くつもりである。
今、12時のサイレンがなったところである。
農協スーパーで牛乳130円、ウンウンと蒸し暑く、どの方角になるか、遠方の山々に雨雲が覆い被さり、雷光が光り、ゴロゴロと音がする。
井波町の入り口に農協スーパー、靴下とソーセージ、253円。
庄川に向かう道路、新しい。多分、回り道だろうが、いいや、と歩いていたら雨が降り出す。これは夕立雨だ。まだ昼なのに、どうせすぐ止むだろうと歩いていたが、左側に大きな寺の屋根が見える。
こんな小さな町にしては、大きな寺と思い行ってみると、たいそう大きな寺である。瑞泉寺。
雨宿りに本堂に上がって見たが、全く東本願寺と同じ作りである。
料金を取らないのが良い。この町、彫刻で有名らしい。寺の廊下の木なんか、厚く大きく、こんな木、今ではもう手に入らないであろう。
本堂の階段に座って日記をつけていたら、上がってお茶でも飲めと。
番茶を飲み、金沢から来た2人と寺の人、2人で話す。今夜、泊まるだけだったらこの本堂に泊まっても良いですとの事。
今、1時だが、まだ雨がパラパラしている。もし、雨が上がらない場合、泊まる事をよろしく願う。
泊まるといっても、まだ早いし、どうする。
町通りに彫刻屋がたくさんあるとの事で、荷物を寺の階段に置いて見に行く。あちらこちらで、欄間を彫っている。
皆、若者たちばかりで、この街だけで200家軒、あるとの事。ある店で、どう見ても1,500円の価値はありはしない。これはひどいと思う。
こんな値段をつけていたら、今にこの街、観光化して廃頽してしまう。
産業会館に、展示品を見に行く。作品の割には値段が高すぎるものばかり。どんな値段の出し方をしているのか不思議だ。
モチ手作り、三個150円。塩味がした。少し固い。古物屋に行く。恵比寿と大黒、7万円。古い大きい安い。古くて良いものが7万円で、新しくて頭をひねるような作品が高い。新しいものに、こんな値の付け方をしたら、良い作品は生まれてこないであろう。
古物屋のお爺さん、お茶でも飲んでいけと、上がり込み、1時間程話し込む。おもしろいお爺さん、ユダヤ人の話なんかしているが、新聞の受け売りか、言っている事がチグハグである。
街をブラブラする。狭い通りの正面にラーメンの看板が見える。
この街には、似つかわしくない喫茶店みたいなラーメン屋。どんなラーメンか味見することにした。
本州に渡って以来、初めて食堂で食べた、300円。こんなものであるか、女3人で働いていたが、色紙に、遠くへ行きたい、井波ロケ、なんて書いてある。
ここでも1時間ほど、漫画を見て外に出る。
グルグルと裏通りばかり、神社があり、昔の城跡とか、閑静な場所で、大きな杉の大木あり。
井波神社、おみくじ50円、誰もいない。
昔だったら、銭を置くより持って来る方だったのに、格式気品があり上に上がり込み、清掃掃除してあるタタミに正座して瞑想する。
通りの反対側をブラブラ、すごく気にいったが残念なことに、美しい古い木造の家に近代合成板を使った家がまだらに建ち、景観を壊してしまっている。
戦災にあっていないのか、なかなか良い街であるが、この家の建築、化学合成板を使った家なんか規制すべきで、せっかくの街並みがぶち壊しである。文化財保護の表示クイが建っているが、寺を保護して、この街の景観を保護しないと・・・。
これが、スウェーデンであったら、こんな家の建て方、できないであろう。
この街は、文化財の意味、文化の意味をはき違えている。
誠に残念だと思う。ブラブラしていたら、不思議な建物に出会う。旅館にしてはおかしい。料理屋にしてもおかしい。18歳未満お断りの寺。もしか・・・?
人に尋ねたら、この辺一帯、昔、女郎屋だったとか、門前町だ。
しかし、ゆったりとした観光ズレしていない、いい街だ、気にいった。
ブラブラしていたら雨が降ってくる。5時である。
寺に帰ったら雨がザーザー降りだし、大きな廊下で寝転がり日記を書いていたら、昼間のお爺さん、見回りでアッチコッチ案内してくれる。お湯もある、ガスもある。しかし釜がない。料理が作れるのに。
しかし、とかくばかでかい建物で24年かかったとか。
そして、おもしろい事に、この寺に住職はいなく、一人の坊さんもいない。
坊さんのいないこんな大きなお寺、どうなっているの。守衛さんが二人いるだけ。信じられない。
こんな寺が、日本にあったとは、平和な町である。
それにしても不思議な縁だと思う。あの裏から見て好奇心で行ってきてみたところが、いつの間にか、今、この寺の廊下で日記を書き、雨はザーザーと降り、あのまま歩いていたらどうなっていたのか。
今度は仏様も俺の後に着くようになったのかな。
渡る世間に鬼はなしと言うが、
とにかく気にいった。この寺もおおきいのなんの。この廊下の木(今、内側に入って電気をつけて書いているが)、一板と言うより一本である。この板、一板だけで、相当な値段であろう。それに日本ではもう手に入らないであろう。
天井の高い不思議な雰囲気で、まったく貸切である。
スタファンを連れてきたいと残念でしかたがない。
今、スタファンをここに連れて来たら、絶対に喜ぶであろう。
日記の終わりに、この寺に泊まり、めぐり会えたことを感謝します。
食料1025円
移動距離:10キロ
使用金額:1958円
041
1979年
昭和54年5月27日(日)
昔と違って、自分が違った目で人を見るようになった
本堂にはタタミが敷いてあり、安心して寝られるためか、常より夜が長く感じられた。
昨夜、日記をつけ終え、寺の外の店に食料を買いに行く。誰もいない静かな広い境内は、雨に濡れ、不思議な雰囲気を漂わせている。
寺の台所で炊事する。
焼きそば三個、とうふ2、ポタージュスープ。
焼きそばは油がないので、お湯で蒸す。豆腐はお湯であっため、ポタージュスープの中に入れた。
本当に満腹になり、ゲップが出るとそのまま出てきそう。
本堂の中の廊下で食べたいと思ったが不徳に思え、この小さな炊事場で食べたが、電気は薄暗く、なんとなく惨めな気分になる。
この広い廊下だけ、電気がついており、炊事具を本堂に置きに行ったが、リュックの上に新聞が置いてある。
この守衛さんが持ってきてくれたものであろう。
静かな広い廊下で新聞を読んでいたら、守衛さん(Nさん)と、この街のことを話す。素朴な良い人である。
こんな大きな寺で、一カ所だけ電気がつき、その内側は真っ暗で、不思議な経験である。
21時10分、本堂に帰り寝ることにするが、電気はなく、この広い学校の運動場みたいな本堂の真ん中に正座し、今日の事を感謝、黙想する。
これはまさに日本だけにしかない雰囲気である。
寝袋に入って寝ようとしたら、Nさんがポットにお茶を入れて持ってきてくれる。
スタファンがいないことをしごく残念に思う。
薄暗く開けてきて目覚め、朝5時、寺の鐘が鳴る。
本堂の仏様の扉が開かれ、寝袋の中でボケッーとする。
外は土砂降り雨の音がする。
5時半頃起き、顔洗って、朝食といっても例の如し。
食パンとバナナ。早朝、外の廊下に出ると、寺の高い屋根から落ちる雨が、寺の「らんかん」と調和し、誠に京都より日本的な現象を表す。
写真を撮ろうと思っていたら、よその寺から来た坊さん達がお経をあげるので見ろと言う。
若い坊さんが、車でやってくる。一体、坊主とはなんぞやと不思議に思う。
正座してお経をほかの婆さん4人と一緒に聞く。
太子堂、一人静かに正座して黙想する。
雨はますます降り続き、まず止みそうにない。
今日も泊まっていきなさいと、それに7月22日から28日まで、太子祭のために鯖寿司を作るので手伝ってくれとの事。
地元の人たち九人で、朝から晩までかかり、鯖寿司作りである。
木たるに塩をまき、塩漬けにした鯖を底に一個づつ丁寧に並べ敷き、次は、ご飯をさらりと上に。
次はこうじ、塩、さんしょう、とうがらし、酒。
これを、段に付け込んで行く。一樽つけるのに1時間以上かかる。
重石を置くと、塩水が出て、だんだんに石を置いて行くとか。
この方法だと一年は持つとか。
もともとは、魚の保存方法だとか。
二ヶ月後 300円で売り出すそうな。
寺の大きな台所で炊いた飯を運び、この繰り返し。
朝から晩まで大きな寺に人がいないから、どこもかしこも埃だらけの部屋ばかりに。
虫が食って傾いている。こんなに部屋が余っているなら、民宿かユースホステルでも、俺だったらやるのに。
高い天井が突き抜け、囲炉場はもう使っていない。
ただ使っていた証として、ススで真っ暗になっており、大きな丸太、囲炉かぎが下がっているだけである。
昼飯は男と女と別に食べている。両方とも爺と婆。
それで若い子でもいたら、面白かっただろうにと思う。
飯がうまい。塩鯖三切れ、どんぶり2杯食べた。腹八分で止めた。
絵はがきを書いて記念切手をはる。
釜洗いと米洗いと、とうがらし切り、飯運び。3時のお茶の時間に、ノートとボールペンを買いに行く。200円。
今日は日曜日の為か、観光客がたくさん来ている。坊さんのいない寺、不思議である。
6時、日記をつけていたら、まだ飯を炊いている。
今年の鯖は大きくて、つけるのに余分に飯がいったとか。7時に終わる。
夕食に酒が出るが、湯呑に2杯飲んだか、日記を書けなくなるの困るから。
皆、土地の言葉で、酔って話している。よくわからない。しかし、よほど面白いのか、笑いこけているが、俺だけ片隅でしらけている。
言葉が通じないし、冗談が通じない。外国よりひどいなぁー。
皆、百姓さんが、良い顔をしている。小さな世界で一生懸命生きているのだなーと思う
昔と違って、自分が違った目で人を見るようになった。
別の宴会の後始末を手伝う。ビール二本残り、一本貰って置いていたが、なくなっている、がっかり。
朝飯、守衛さんと一緒に食い、出て行けと言う。
電気がついていない長い廊下を本堂に。
夜中、目覚め、何時頃かなーと思っていたら、時計が2時を打つ。小便しに便所に行ったが真っ暗で、今、ここで何か白い物、フゥーと出てきたら、確かに心臓麻痺で死ぬであろう。
天候:雨
使用金額:400円
今日、気分が乗らず歩きづらいし、先ほどまで道がよく分からなかった
042
1979年
昭和54年5月28日(月)
この寺が気に入り、何となく起きるのが嫌になった。
五時、例の鐘が鳴る。
六時、顔を洗って、昨日の残り、バナナとパンを食べる。
打ち上げ花火の音が聞こえる。昨日、日曜日、運動会が雨で中止だったので、今日やるのであろう。
写真を撮ろうと思ったが、脚がないので大変である。手に持っていると、いいカメラアングルで撮れるが、置くと、ダメ。
30分ほど、アッチにやったりコッチにやったり、結局、妥協して適当に撮ってしまう。
今日は晴れている。
本堂に正座し、神も宗教も信じないが、泊めてもらった事を感謝する。
7時少し前、寺を出る。しばらくして、海で拾って杖がわりにしていた釣竿を忘れたのに気が付いたがー。
新聞、今日、人が多くてダメでした。家並みが北陸らしく、いい町である。
庄川を過ぎ、途中でハガキを出す、40円。
今日、気分が乗らず歩きづらいし、先ほどまで道がよく分からなかった。地図にはのっていない国道を歩いていたが、きっと新しく出来たのであろうか。
とにかく、今日も蒸し暑く、もう、セミの声が山から聞こえてくる。
午後一時、吉住の少し先、本日臨時休業のドライブイン。郷土料理屋の机で日記、昨日の分を書く。
この調子でいけば、夕暮れ、富山市内に入ってしまう。街に入ってしまえば、寝場探すのが大変だ。旅に出てから、右背中、腎臓あたりがつままれているような突っ張りを覚える。腎臓病と関係があるのかな。疲れているから、ひと昼寝して考えるかなぁー。
今日の朝、道ワキのバス停の中に、まんがの本が置いてあるので、読んでいたら、時間が過ぎて行くから止めたが、今ここにあるといいのだが。残念である。
空腹のため疲れているのか、寝てしまう。多分、目覚めたのは三時頃ではないであろうか。
道は急ではないので楽であるが、店屋がないので腹がへってしかたがない。長沢から少し歩きカーブを曲がったら、一面が急に開け、富士市街が一望する。
全く思ったより早く着いてしまった。こんな街、どうやって寝場所を探せばよいのか。表示には富山7キロである。
スーパーで食料793円。
今夜は橋の下ででも寝るかと思い、遠方を見ると、どうも神社らしい。行ってみると、神社である。
霊感でも働いているのかなぁー。神社と思えば、パッと出てくる。
スーパーの時計で4時40分であった。神社で腹ごしらえ。
今夜は早く寝て、明日、早く発つことにしよう。
まだまだ陽は高く、これから頭の痛くなる本、「菊と刀」でも読んで暇をつぶすとするか。
こんな時、今日あったバス停の漫画の本があったら。
ここのところ、ろくに新聞を読んでいない。困ったものである。
地図の距離が違うのか、それとも歩く速度が速くなったのか、今日は、全く早かった。
移動場所:井波~長沢
使用金額:833円
歩き始めると長い日だが、終わってしまうと短い。アッという間である
043
1979年
昭和54年5月29日(火)
真夜中二時頃、目覚める。なんだか最近、この時間に目覚めるのが習慣になったみたいである。
そのまま暗い神社の中でボケーと夜明けまで。夜が明けてくると、今度は眠たくなる。
今日は早く出発するはずだったが、ぐずぐずして、いつもの時間頃、朝食にビスケットと牛乳、バナナ。明けても暮れてもバナナ。そのうち夢の中でバナナに殺されるのではないかと思う。
この辺の人たちは、朝が早いのか、もう玄関を開け、掃除したり体操したり。
毎日新聞。地方紙より良い、久しぶり。 神通川の橋の近くで読んでいたら、もう九時である。
六時半に出発して4キロしか歩いていない。新聞を読むと、隅から隅まで読むので、アッという間に時間が過ぎてしまう。
遠方に雪を被った立山連邦が見える。
富山市街に入ったのは良いが、抜け出るのが大変である。
第一勧銀があったので、まだ、3万ほどあったが、今のうちに10万円引き出す。
キャッシュカードが使えなく、窓口へ。汚い格好に、この銀行、なんだか場違い。金を受け取ると確かめず、すぐ出る。
牛乳120円。市街通り、広くゴミが落ちていなく、整然としている。
ポルトガルで会ったアメリカ人を思い出す。彼、富山が好きだと言っていた。
休む場所はなく、荷が少しづつ増し、重い。
作業靴が売っている。まだ2~3日持つであろうと、止めた。
常願寺川まで来たが、店屋があり牛乳、ジュース、パン、卵、バナナ1本455円。
店の人、大柄のわりときれいな若い人。スタイルもそんなに悪くない。かといって、ジーと見ている訳にもいかないし。しかし、子持ちである。馬鹿野郎ー。
河を渡ったところに野球場があり、そこでリュックを下ろしたら、背は、汗でびっしょり。シャツも。便所の陰で、少し寝るが、暑くてムンムンして寝れない。
立山のほうは、曇って暗くなっている。空は雨が降りそうな気配である。
国道から外れて県道に入る。
堤防の上を歩く。ここは情緒がない。テトラがヅラリとあり、景観もへったくれもありはしない。
雨が降りだしたので、神社の寄合所で休んでいたら、腰の曲がった婆さんが来て、態度悪く、顎と手でシューシュー。こんな婆さん、早く死んだ方が世の為か。いやいや、人を外見で判断してはいけません。
それから、魚津を目指し歩くが、今日は疲れた。牛乳を買う135円。魚津まで2キロ程か。魚津まで行って、30キロになる。
今、やっと魚津の郊外に出たところである。
何だか知らないが、今日、大変疲れた。空は曇っているし、夕焼けなし。
食料730円。道路ワキの神社、車の騒音がうるさい。しかし、贅沢は言えない。
500メートルほど左側に行くと、海岸だの神社、その他よき場所、ないと思う。
雨が降ったら困るから、屋根が付いていないと、大変な目にあう事となる。
もう、すぐ6月。梅雨に入るのかなぁー、大変だ。
今日、一日が終わっていく。
歩き始めると長い日だが、終わってしまうと短い。アッという間である。
移動場所:長沢の少し先~魚津の郊外
使用金額:1185円
長い浜であるが、掃除をしているのであろう。実に良い。清々しい
044
1979年
昭和54年5月30日(水)
今日は常より早く出発する。早過ぎて新聞が配達されていない。五時頃ではないであろうか。
朝日がポッと浮いている。
十時には、もう19キロ歩いていた。思ったより凄い速い速度で歩いている。
途中、苺畑、真赤な苺が沢山。苺の香りがプーン来る。残念なことに、大勢の婆さん連中が働いている。
牛乳とアジ280円。この店の中年女、騙そうとする。顔からしていやらしい顔をしている。わずかなお金を騙してもしかたがないだろうに。
「泊」で食料320円。昨日から旧道の細い道ばかり歩いて来たが、日本海から吹きつける冬の風の為か、家の造りがズッしりとしている。
今日、やたらと荷が重く、早朝、ゴミ収集場で婆さん、ゴミあさりをしている。見ると、古着がたくさん。つぎはぎ用を探したがなく、クツ下を見つける。
水田から流れ出る水で、クツ下を洗い、足を流れに入れると冷たいのなんの。
遠方に雪を覆った山が見え、あれから流れて来るのかな。
その後、寝ていたら、暑く顔がヒリヒリする。
百姓さんと少し話したが、全く価値観が違う。話にならない。
郵便局に、記念切手を買いに行ったら、売り切れていた。
越中宮崎、無人駅、寝るには丁度いいか、まだ二時二十分である。
海辺に出たら、広い小石の浜で、ゴミが落ちていない。
長い浜であるが、掃除をしているのであろう。実に良い。清々しい。
砂の上を歩く、境である。
昔から何度も頭の中をかすめて来た町である。
12年前、この町を通った時、この町の護国寺と言うお寺に泊めてもらい、翌朝この寺の奥さんに菓子袋をもらって出て行ったのを思い出す。
あれから十二年、早いものである。
以前からなぜだか行こう行こうと思っていたが、お寺の階段は覚えているが、周りの家並なんか、全く記憶にない。
リュックを置いて、寺の裏に行くと、あの時、奥さんが案内して、コイを見せてくれた池があった。
今さら、十二年も経って「あの時は」と言えない。
寺の前に池があり、その前に座って12年前のあの時のことを、NHK、午後のロータリーに書く。
寺の階段の真正面下に日本海が見える。あの町、小さな町と思ったが、今は大きい。不思議に思う。
寺の階段を下り、農協スーパーで買い物、838円。レジの娘、少し可愛い子である。
小学校の前を通ったら、先程の子供二人が校庭から来る。今、海辺の防波堤の上で書いているが、この町に着いたのが三時。
今五時である。
直線に走る浜に、白い波が、音を立て、打ち寄せては繰り返す。
十二年前のあの時もそうであったのであろうか。
あの時は海を見る余裕もなかった。
安いトマトを買ったら、安い割にはおいしい。
船小屋の前、何か悪い事でもしていると思ったのか、婆さんが飛んでくる。
新しい道路を建設中で、神社を移したのか、山の中腹に、ぽっかりと、海から見える。
神社に上る時、小学校前を通ったら、小学生、女の子、男の子に混じって野球をやっているが、うまいのなんの。俺よりうまい。いたについている。
丘の上から、日本海に沈む陽でも見るかと思っていたら、NHKに出す原稿を清書しているうちに、陽は見えなくなった。
移動場所:境
使用金額:1438円
1
無人駅で休んでいたら、子供たちがヒッチハイクかと尋ねる
045
1979年
昭和54年5月31日(木)
遠くに離れているのに波の音が響いてくるのは良いが、道路を走るトラックの音にはまいった。
国道8号線の為か、凄いトラックの夜間交通量である。新しい道路が必要なはずである。
朝、目覚めると高台から観る一望の海。なかなか捨てがたいものである。
昨日書いた、NHK。間違いに気が付き、朝、分ったから書き直す。
トマトを食べ、リンゴジュース、まずいジュースである。
歩き始めたのは、朝六時頃であろう。まだ新聞なし。
凄いスピードでトラックが追い越していく。危ない運転、あんな奴が大事故を起こす。全く走る凶器だ。
市振駅、6時半。顔と体をタオルで拭き、シャツを洗う。真っ黒である。上半身、さっぱりしたが、下半身は、まさか裸になって、駅前で洗うわけにいかず困ったもの。
今、駅の時計で七時十分である。
市振駅を出て、国道を歩く。人に海辺の道を尋ねると、今日は波が高いから無理であろうと言う。
道が上り坂になり、下を見下ろすと小石の浜で、歩ける。道路は屋根式のトンネルみたいで、それがずっと続きトラックがうるさく、歩きづらい。
途中でハシゴを登り、屋根式トンネルの上に上がると、一望のもとに、日本海の広々としたコバルト色の海が見える。
まさに絶景である。
水平線の彼方に、雲が浮き、なんと形容して良いのか。
ここで、写真を撮ろうと思ったが、これがひと仕事で、石の上に乗せたり、色々とやってみたが、うまくいかない。
30分ほど、なんだかんだやって、やっと何とかなったと思ったら、ジーがない。
今度はジー探しである。結局、リュックの上に乗せ、一枚の写真を撮るのに40分はかかったのでは。
しかし、遠く広い海を見渡しながら食べるトマトの味はおいしい。
道はトンネルと旧道に分かれ、車が通らない静かな道。
下は深い崖になり、これが親不知か。
道が、旧道と新道が合ったところで、海に下りて海辺を歩く。
沢から流れて来る小川の水で、水浴びをする。
もう10日間も風呂に入っていないので、かゆくて仕方がない。
素っ裸になりゴシゴシと擦るが、水が冷たく、鳥肌が立つ。パンツを洗う。
なかなかおつなものである。自然の中での水浴びは。
湧水が出ていたので、風流にスープでも作るかと思ったが、流木がなくやめた。
海辺にはゴミがなく、小石の浜で、打ち寄せてくる波の音がコロがる。石の音で何とも言えない。
夏の日の恋の初めに出てくる音を思い出す。
白い渚にキラキラと光る水に濡れた小石に時々、貝殻が見える。
空は晴れわたり、海はどこまでも青く広い。これも日本の海である。
今、親不知駅に着いた所である。
10時28分。店でトマト1個90円、フート10円、計100円。
駅の前は海で、のんびりとした、のどかな田舎駅である。
やることがないのか、駅員が、ペンキを塗っている。
響いて来る波の音、にくいほどいい。
こんな良さを、ただ、車で通りすぎて行く連中の気が知れない。
記念切手600円、NHK 100円分の記念切手を貼って出す。
小さな村だが、ここ、例にもれず、民宿群で、夏の為か、建て増し。
こんな小さなところだから、漁業だけではやっていけないのか。金が入ってくると、同時に何かを失うと言うことに気がつけば良いが、なかなか。
素朴なだけに、スレるのも早い。
国道を歩き始め、腹がへってしかたがない。トマトだけでは腹の足しにはならない。
下を見ると浜になっているので、長い階段を降り、防波堤が高く、下りられないので、紐で吊るしリュックをおろす。
500メートルほど、歩いたら、重機が動いており、岩がゴロゴロ。工事中でもう行けないと思い、また、高い崖をヤッチラヤッチラと登って、橋まで来たら、何と、浜はそのままどこまでも続いているではないか、頭に来る。
あの重機の影になって見えなんだ。
上から見る海は良いが、トラックがうるさくゆっくりと歩いていられない。
崖が終わり、下のほうに町が見えてきて、ホッとする。自転車野郎とすれ違うが、のぼり坂道を汗を流し、自転車をこいでいる。
青海の町に入り、裏通り店で食料を買う890円。
店の奥さん、東京から嫁に来たとか。14年前、姑三人で大変。いじめられるから、最近はいじめ返しているとか。大変だ。こんな田舎に来ては。水をもらって店を出る。奥さん頭を下げる。
海辺に出て、生ラーメン三個、油トーフ三個、コロッケ三個、イワシ缶一個。満腹になって動けない。少し買いすぎた。
塩谷海岸もよかったが、この親不知の海外も素晴らしい。この海辺の方が素晴らしい。一番にゴミがない事がいい。これが砂浜であったら、最高であろう。
夏は海水浴客で賑わうと言う。この青海の浜も、今は誰もなく、波の音だけが繰り返す音。
真正面に白い青い海があり、ひとりでいるのがもったいない。
今は一生懸命歩いている割には、全く進んでいない。
でも、いいさ。急いで行くより、人生をゆっくりと楽しんで行ったほうが・・・。
鎌倉の人どうなったのかなあ・・・。
今、「かわもと」だと思う。
青海で満腹の腹と、片手にバナナ、トマト、パンを持ち、こんな重い持ち物をする位であったら、初めから買わなければ良いのであるが、なんせ、空腹の状態で買うから、あれも食べたいこれも食べたいで・・・。
右手に雪を覆った山々が見え、確か北アルプスの端になるのであろう。
川の水が澄み、雪解け水か。
夕暮れになると、さすがに肌寒くなって来る。
糸魚川を過ぎ、梶屋敷の無人駅で休んでいたら、子供たちがヒッチハイクかと尋ねる。「ヒッチハイク」なんて言葉は昔、誰も知らなかったのに、これも時代か。
糸魚川、海辺で男三人、女一人子供一人のヒッピー風の連中が、波と遊んでいたが、一人の男は髪が長く、汚いジーパンを履いていた。
まだ行っていないけれど、多分この駅も無人駅であろう。
赤い太陽が水平線の上に浮き、あそこまで歩いて行ったら、手に届きそうである。
波の音とともに、陽も沈み、今日もまた、一日が終わろうとしている。
今日の一日を感謝します。
移動場所:境~浦本
使用金額:2360円
どうして俺は若く見られるのかなー、得だが
046
1979年
昭和54年6月1日(金)
30分おきに貨物列車が通過、そのたび、凄い振動で待合所は揺れ、ガタガタと音を立てる。
とても寝られたものではない。
昨夜、マーボトーフを鍋いっぱいに作り、食べるのに苦労。
電気は消える事なく、駅の待合室ベンチは小さく狭い。
ホームの待合所は、山陰線と違って、列車の走りっぱなし。
4時半頃か、薄明るく、明けるとともに、荷まとめ出発する。
途中、遊歩道が旧鉄道跡を利用して作ってあるが、こんな田舎の暇な所に、こんな大金をかけて作って何になるのか。頭を疑いたくなる。どうせ役所仕事で、汚い銭を取るためであろうか。
50円玉を拾った。新聞を探しながら歩く。ヤングレディの本を拾い、少し歩くと少年チャンピオン、計三冊。
鉄道跡の橋に登り、読み、寝るが、横になるだけで眠れない。
遊歩道のど真ん中に煙草四箱落ちている。禁煙しているから喫煙しないが、一本吸ってもおいしいと思わない。
筒石で食料305円、買ったら、おばさん、トマトと古いバナナ、ネーブルをくれた。
おもしろいおばさん、学生か、21歳頃かと、どうして俺は若く見られるのかなー、得だが。
寝不足のせいか、疲れて歩きずらい。
道路表示の距離数と地図のやつと違う。
最終の佐渡島行き船に間に合わないので、まだ早いが、直江津の手前6キロほどの神社に泊まることにする。
鍵はかかっている。この鍵は開けられない。
先ほど食料340円。今日は疲れて書く気がしない。
移動場所:浦本~直江津6キロ手前
使用金額:645円
私は、朝早い整然とした、静かな、人通りのない街通りが、一番好きである
047
1979年
昭和54年6月2日(土)
狭い境内の板に横になり、身動き出来ず、寝返り出来ず。
曲芸師みたいなものである。
9時40分の船に間に合えば良いと思い歩いていたが、思ったより早く船着き場に着いた。
早く出発した為、直江津の街通りは殆ど人通りがなく、親子連れで自転車に乗ってきた者に、突然話しかけられる。人相はお世辞にも良いとは思わないが、良い人である。毎日新聞を失敬したら、前から車に乗った毎日新聞の配達人が来る。
私は、朝早い整然とした、静かな、人通りのない街通りが、一番好きである。
六時前なのにパン屋さんが開店していた。パンを買うか、と思ったが、止めた。
果物屋で、特価ひと山300円のトマトとバナナ160円。計460円を買う。
トマト、見た目は美しくおいしそうであったが、甘くも苦くもありはしない。ガッカリ。
6時20分、佐渡行き船着場。
フェリーに車が乗れなく、もめているみたいである。
朝が早いと思っていたら、もう大勢の客が室を占領している。
甲板で新聞を隅から隅まで読んでいたら、丁度うまい暇つぶしになった。
スクリューから巻き上がってくる海の水は、白く濃い青。
津軽海峡を過ぎ、ソ連近くに来た時見た海の色を思い出す。
船外は少し肌寒く、釣り客達が酒盛りをやっている。
空は灰色で、曇りでもない、霞がかかっているみたいな感じ。
船は、小木港に入る。
客室に本、雑誌を探しに行ったが、もう後片付けをしていた後で、何も残っていない。朝日新聞だけであった。
さて、港に着いたのはよいが、地図がない。
観光案内看板地図を見てもよくわからないし、地図を買うのももったいないし。
旅館案内所でパンフレットを尋ねたら、50円の値段を消し、100円で売っている。
お金がないから、無料のはないかと言ったら、女の人探してくれる。
佐渡の第一印象、悪くない。
腹がへっているので、大売出しと書いてある店に入って食料を買う。
525円だが、500円にしてくれる。一万円から釣り銭を貰う。
おばさん、「貴男、九州でしょう」
そうだと言ったら、じゃぁもう5円あげると、5円玉をくれる。
この島、観光ズレしているのではと思っていたが、少し違うようである。
防波堤で裸になって食べるほど、ムンムンとして、蒸し暑く、全く歩く気がしない。
新聞を読む。一時間以上この場にいたのでは。
満腹になり、歩き始めたら、紅色したものが青葉の影からちらほらと見える。
苺だ。しかしこんな時に限って腹いっぱい。しかし、無理して食べる。甘くはないが、なかなか大きい。
遠方で自転車に乗ったおばさん、ジーと俺の方を見ている。
さすがに気が引けて、おばさんが来るまで知らん顔。
汽車の交通機関がないためか、バス停小屋がしっかりしていて、
ほとんどの小屋にマンガの本がたくさん置いてある。
二十冊ほど読んだであろうか。
小さな田舎バス停で漫画を読む、なかなかおつなものである。
いくら読んでもキリがないので立ち上がる。
小さな店番のいる店、パン100円、人がスレていないようだ。
不思議に思う。
少女漫画ばかり読み、また休みがてらに、バス停の本を持ち出し、防波堤の上に横になり読んでいたら、いつの間にか薄暗くなり、日記を付ける事ももうできない。
明日付ける事にする。
少し歩いていたら、タイコの音が聞こえてくる。
道路側に、日蓮罪免流還地の碑が建っていて、日蓮の洞窟とか。日蓮堂。
もう暗くなったので森の上にあがって行ったら、日蓮堂があり、誰か拝んでいる。
この人、帰るのであろうと思ったが、まだ拝んでいる。泊めてもらう。
出家人、寺が嫌いになり、寺を捨てたとか。
電気がなくローソクの灯りでお布施の酒を二人で飲み、人生とはなんぞやと話す。
凄い本の山で、みんな頭のおかしくなりそうなものばかり。
静かな人である。
この日は少ししか歩かなかったが、こんなところに泊まり、こんな人と出会い、いい収穫だった。
使用金額:1960円
親切の押し売りではなく淡々としたものである
048
1979年
昭和54年6月3日(日)
朝5時に起きるように言われていた。
時計がないので、夜明けとともに、しばらくして起きる。坊さんも起きる。4時半との事である。
顔を洗おうと思ったが、水は下から汲んで来るとの事である。
それでは下に自分で行くと言うと、ホウキを持たされ、日蓮の碑の周囲を掃除する事。
歯は、中で磨くべからず。30分以上かかったのではないかと思う。
掃除をしていたら、森の中からタイコの音が聞こえてくる。
朝が早いのに、掃除をしていたら、腰の曲がった年寄り婆さん、「あんたもお坊さんかい」と。
この辺の人たちは早く起きるらしく、人影がチラホラと見える。
タイコの音がしているのは、お経をあげているのであろう。終わるまで待つ。
歩道には子猫が3匹いる。
上に上がっていくと、朝食のため、買い物に行くから待ってろと言う。
5時半頃ではないか、こんな朝早く店は開いているのか。
朝、昨日の日記を付けていたら、帰ってきた。
画家が被るような帽子である。坊さんより画家といった感じである。
茶碗がないから、パンを買って来た、と、牛乳。
昨夜、1日500円の生活と言っていたから・・・。
パン6個、2個づつ食べ、2個残った。持っていけと言う。断ると、
これはお布施だからと断って、お布施に、拾ったタバコ4箱、置いて来る。
1日12時間座って経典ばかり読む生活。明年の9月までいて、インドに行くとか。
以前、ブッタガヤに、4ヶ月ほどいたとか。今度インドに行ったら一生日本に帰ってくる気はないとか。
羽黒山と、男鹿半島に良い人がいるから、会ったらいいと教えてくれる。
昨夜あった時、夜暗い中で合掌で始まり、出て行くとき合掌で終わる。
赤泊の酒屋で、日蓮堂に酒を届けてもらうよう願う。
何本かと言う。1本と言ったら「エー!」困ったと言う顔。
今日中で良いと言ったら、それでは届けますとの事。
1080円前払い。ほんとに届けるのかなー。
人を信じることです。疑いはいけません。
この酒屋さんで少し坊さんの話。この辺では誰でも風変わりで通っているらしい。
打ち上げ花火の音がポンポンとする。運動会らしい。
莚場海岸に見晴らし小屋があったので、今朝の日記の続きを書き終える。
多田に着いて、曲がり角の店でカンズメを買ったら、
よそのおばさんが開けて持ってきてくれる。490円。
腰かけで食べながら店の婆さんと話す。もう80歳とか。
よく俺みたいなのがここを通るとか。
今日、運動会なので餅を作り、この独り者のばあさんの所に持ってくる。
若者の姿が見当たらず、爺さん婆さんばかりである。
仏様にあげる餅を一個もらう。食べていたら、「あんたおいしそうに食べるなぁ」「もう1個あげる」と、今度は草餅をもらう。親切の押し売りではなく淡々としたものである。
出て行く時、モチ2個と笹モチの笹がないので、カヤモチ4個袋に入れてくれる。
手作りの田舎モチ、食べごたえがある。
北海道に着いたらハガキでも出すよと言ったら、そんなことはいいから気をつけて行くよー、縁があったらまた来たらいいと・・・。
歳を取ると欲がなくなるのかなぁ。今の日本人、よくの皮の突っ張った連中ばかりだが。
松ヶ崎を過ぎると道はますます狭く、悪く、である。家は小さく、傾いている。
なんとなく、昔、流人の島といった感じがしてくる。
山から急に海に落ち、こんな斜面に道があり、北海道の黄金海岸に似ているのを思い出す。
村は人通りがない。運動会に出ている為か、どの村も貧しいといった感じがするが、その割には車を持っている。
バス停にマンガの本がありません。失望。
どの部落か。疲れたのでバス停の中でしばらく寝た。
所々、民宿の看板が見えるが、こんなところに宿、もうかるのかな。
子ども達から挨拶された。
挨拶すると、皆、挨拶を返す。これが都会だったらおかしいと思われる。
どうした訳だか、くもってばかりで青空がチッとも見えない。どんよりした嫌な天候である。
野浦、昔の交易地だったとか。松前藩の船なんか中継したとか。
こんな所が本当に栄えたのかなあ、と不思議に思う。
野浦で5時のサイレンが鳴る。一人の小僧が屋根の上で横になり本を読んでいた。
しかし、本当に僻地、これでは警察はいらないなぁ。
月布施から離れて、ポッーと学校が上に見えたので登ってみる。
水野中学校と書いてある。小さな学校であるが、体育館は、学校の割には立派である。
きっと冬のためであろう。
ここに着いたのが学校の時計で5時半だったが、今は6時42分。さて今夜はどこに寝たらよいのやら。
松ヶ崎を過ぎた所で、荒れた畑の中に雑草と一緒に苺がなっている。
腹いっぱいであったが、無理して腹の中にブチこみ、栄養にしなくては。
日記を付け、学校の坂下り、残っていた苺畑の苺を3個ほど食べたが、馬鹿みたいである。
今日、日曜日、学校に入れてある新聞がポストの中に入っている。新潟新聞である。
片野尾にユースホステルがあるが、ゼニを使うのがもったいない。片野尾で神社を探したが分からず、そのまま歩いていたら、絵看板に地蔵堂と北山神社と書いてある。
店に入り尋ねる。その時に、腹がへっていないのにパン3個、210円を買う。
公民館の建っている間から入って行こうとしたら、おっさんに呼び止められ、神社に寝る事を説明。そこに中年35歳ほどのおばさん。少し話。
公民館に寝ることはできないかと尋ねたら、このおっさんが公民館の長みたいな人で、何の抵抗もなく、火させ使わなければ良いと、畳の敷いてある2階に案内してくれる。最高である。
佐渡の人たちは人相が悪いが、情がある。やはり俺の勘は当っていた。
誰もいない2階でノンビリと新聞を読んでいたら、人が来はじめ、なんでも猫三味線の練習をするとか。
今、下で音にならない音をペンペン、ジャンジャン、ああうるさい。
使用金額:1780円
このノンビリムードは、本土とは違う。しかし、島と言った感じは受けない
049
1979年
昭和54年6月4日(月)
やはり畳の上は寝心地が良いのか、六時のサイレンが鳴るまで寝ていた。
漁村の為か、朝が早く、水津に着くと、魚の市みたいな事をやっている。
獲れたてのイカを、たくさん網に入れて、おっさんが持って行く。
あれを皆食べられたら、うまいだろうに、全てこの世は銭しだいか。
イカ釣り船が入港して、ずらりと並び、その手前で小さなヒラヒラのついた女の子用帽子を被った男の子が、一生懸命釣り糸に餌をつけている。カワイイ。写真を撮る。
大川まで来ると、バアさんが小さな魚を干しているので、少しくれと言うと、はい、いいよ。
京都のあのばばとは、大違いである。
味見をしてみると、おいしい。1袋100円、買っておくれと言う。
「あーイイよ」。ところが、たくさん入って100円。これで儲かるのかな。
牛乳がないので、コーラ1リットルとパン2個。
おばさんに、2人で飲もう。コップ2つ持ってくるように言うと、コップと朝、煮た魚を持ってきてくれる。350円。
そしたら、1台の車がドッサと買い、ふたりづれの中年女が来て、話しているうちに2人で8袋を買う。
1人、長野57歳、もう1人は前橋60歳。短歌で知りあったとか。
前橋のおばさん、寺本金物店を知っているところが、親戚とか。
私たち、これでも文学者よと、フッと笑った。
それでも、土地のばあさん、この2人で、コーラと魚を食べながら1時間余り話込んでいたのでは。
おばさん73歳とか、若い。田舎の人は達者だ。
佐渡の人は親切と言うより、スレていない。淡々としている。
ゴミ捨て場にマンガの本がある。少年ジャンプ2冊。
海岸に大きな木が立っている。その木に上り、木のまたに横になって読む。2冊の本が終わり頃になって、フラッと下を見ると若い親子連れが歩いていく。
その後姿が美しい。
母親のほうは、足がすらっとしてスカートは明るい色の、名前は知らないが、今、この佐渡に咲いている百合の花と同じ色でびっくりするほどモダンな服装に、にくい後ろ姿。
飛び降りて後をついていく。
こうなると、前も見たくなるのが人情である。
子供がよちよち歩きでかわいい。この田舎ではチグハグであるが、都会返りの人か。その人は、バス停までくると、子供と一緒に座った。顔を見ると、天は二物を与えず。
ノンビリとして、この田舎道をブラブラと歩く。
空はどんよりとした天気に、ウンウンとしている。
このノンビリムードは、本土とは違う。しかし、島と言った感じは受けない。
川崎農協スーパーで食料を買うが、牛乳がない。490円。
1人、ワリとかわいい。
郵便局に電話をかけに行く。ユースホステルに手紙が来ているかもしれない。もし、来ていならこのまま両津に行く。しかし、何度かけても話し中。きっと、受話器をはずしているのでは。
あきらめて荷物を取りに農協に帰える。
可愛い子が出てきて、18歳。「俺、16歳かと思った」。彼女、「16歳にしか見えないですか」。でもかわいい16歳だよと言ったら、素直に「ありがとう」。スレていないのかなー。
道を知っていたが、ワザトこの子に道を聞く。
男の子、歩いていたら途中で乗せてあげると。丁寧に断る。
小学校の角を曲がり、橋の上にいたが、
川の水がピチピチと跳ねているので、クツをぬいで川の中に入る。魚の群である。しかし、早くて捉えられない。一匹、俺の足の下でピチピチとしている。
阿呆な魚。とったら死んだ。弱い魚。見た事もない魚だ。
長安寺に行く。
途中、空家があったので中に入ると、腐れ果てボロボロ。リュックを背負ったまま、床が腐っていたのでズドーンと落ちる。もう使い物にならない家になって、もったいないと思う。
木椀がたくさん。古物屋に持っていけば、高いだろうに。
二つ、いいタンスがある。これも古物屋に行けば良い値。古いものより新しいものの方がよく見えるのか。
隣人が見に来る。珍しいから。見ているとそっと引き上げた。
右側に道を折れ、長安寺へ。途中、さっきの農協運転手に会う。
少し話。20歳。全然、子供だが、無邪気。スレていない。あの時の女の子、もう結婚しているとか。ニキビをたくさん顔に作っていたが、わからん。
長安寺、国宝なんて書いてあるが、来てみれば、鐘の音。
コンクリートの中にあるらしく、見る事ができず。
こんな事のためにわざわざ来たのか、馬鹿みたい。
境内に、草場で黄色の花がたくさん咲き、陽の光で美しい。傾いた神楽台に黄色花、写真を撮る。
この境内で、パンとジュース。その後、日記をここまで書いたら、全然書く気がしなく、なぜだかイライラとしている。
重要文化財阿弥陀如来と朝鮮鐘を見る事にしたら、拝観料は気持ちですと言う。100円。賽銭箱の中に入れる。昔は国宝だったらしいが、重文に格下げ。当たり前の話、100円の大金を払って損したと思った。
潟上のユースホステルに手紙を取りに行く。10日ほど前に来て、外のカウンターに置いていたと言う。紛失である。ごちゃごちゃ言いやがって、ここの主がプィッとし、かかあは誠実がなく、怒るどころか、こんな連中のやっているユースに泊まった者は目も当てられない。
なんともやり切れない、胸がムカつくことである。
どなっても事は変わらないし、こんなユースはとりつぶしだー。
牛尾神社に行く。男女高校生が境内で、恋の語らいか。
今、この2人、大きな杉の間を通って歩いていく。後ろ姿が、制服で清々しい感じを受けた。きっと、今、2人は淡い恋心を抱いているのであろう。
しかし、手紙の件、頭に来たなぁ。わざわざここまでやって来たのに、こんな連中の旅館。火あぶりの刑じゃ。
牛尾神社、なるほどすごい彫刻をしてある。何百万円の値ではないであろう。
「おみくじ、お守りの求ム方、上に上がってください」
誰もいない、無人。勝手にお金を置いて物を取るやつ。30円置いておみくじをとる。大吉だが、待人来ます。便りもあります。
嘘、便りはあってもない。30円損した。
台の中に金が500円分ほど入っている。子供の頃は、神の恵みと黙ってもらっていったものだが。
おみくじを返して30円とったら、神罪が落ちるかな。
おみくじの裏に、
「言い訳が上手くなるほど他人からの信頼は失われていく」。
この言葉、あのユースホステルのばばあの為だ。
今、パラパラと雨が降っていたが、明日、佐渡を出るか。
雷がゴロゴロとなっている。俺の代わりに怒っているのかな。
神社の中に教科書があり、トキのことが書いてある。
国際保護鳥、散々殺しておいて、保護鳥。銭に目がくらみ、いやだいやだ。
誠実のある人間が少なくなった。
迷うなぁ。
ユースを立てるべきか、どうすべきか。
ユースをフッ切ってやりたいことをやるのもいい案であるが、人生、上を見ても限りがないし、下を見ても限りがない。
なんだか生きることに疲れたなぁー。
電気が付いているが、今夜、この電気、扉を閉めに来るのかな。
こんな神社で寝ているのが見つかったら、追い出されるなー。
使用金額:970円+670円
泊めてやると言うのは分かるが、泊って下さいと言われるのは、断りようがないので、しかたなし
050
1979年
昭和54年6月5日(火)
昨夜どうも胸クソ悪く、店屋にビールを買いに行き、ひとり神社の境内で飲む。
夜空に三日月と珍しく星が見えた。
静かで薄明るい月の光にボンヤリとしているうちに、ひとり大声で歌った。しかし、どうして俺はまともに歌を知らないのか。
今朝、二時頃、目覚め、暗い神社の中で寝袋。
ボケーと今日はどうするか考えている内に夜が明け、六時のサイレン。
七時頃、神社の人が掃除と祈りに来る。
本当は前々から佐渡に着いたら、ユース協会に手紙でも書こうと思っていたが、全くその気がない。HとNさんの所に手紙を書いた。指が痛くなった。
ラーメン作り食べたが、いつまでもここに居てもいかたがない。今日は佐渡を出るとしよう。
今、十時ではないかと思う。
両津まで、たいした距離はないのに、蒸し暑く遠く感じる。
両津に入り海が見えたので、海岸沿いを歩こうと曲がったが、そこが船フェリー乗り場であった。
店でパン120円、牛乳255円、バナナ140円、コロッケ50円、565円なのに、605円取られる。ワザと間違いしたのか・・・?
封筒代50円、高いなー。
フェリー乗り場、土産屋が立ち並び、割合かわいい子が店前に立って客引きをやっている。
おもしろいノレンが売っているので、スタファンに買ったが、さてよく考えたら、また荷が一つ増えたにすぎない、1300円。
増々荷は重くなる。売店のそば屋、俺を見て笑っている。
俺の格好がおかしいのか、それともお尻が破れてパンツが見えている為か。
手紙を投函する。切手代100円。絵ハガキを買うのに一苦労。そんなに枚数いらないのに。それに気に入った物がない。船の出港時間は押し迫っている。(頭がボーッとして来た。横になろう)
店員さん、ワカメ茶を飲ませてくれるサービスである。
しかたがない、この店で買う。「その他にいるものありませんか」と言うので、「そうだね、貴女」。その返事は「高いですよ」。
船代900円。12時10分の出港が、12時30分に船が出た。
団体客が大勢でウルサイ。どこの山深いところから出てきたのか知らないが、百姓さん。
あぁー、やはり海は良い。
船が出て行き、ダンダンと港が遠ざかって行く光景は、よい。
船は新潟に着き、その前に客室に置いていった本、新聞はないかと探しに行ったら、プレイボーイが1冊あっただけ。
3時に着いたら、海から見る新潟市は大きく驚く。
やたらと蒸し暑く、歩くのが嫌だし、街通りは大きいし、車はブーブーたくさん通るし、地図はないし、いやいや、大変。
スーパーの前に一山150円のトマト。安いから買う。しばらく歩き地図を買う。全然よくない地図であるが、ないから仕方がない、600円。
小さな公園で休み、プレイボーイを読む。トマトを食べたら、全然おいしくない。
百姓、銭のことばかり考えず、もっとおいしい物を作る努力をしろ、まったく。
新潟飛行場を少し過ぎた所に公園があり、水がある。その横が墓場と神社。
時間も時間だし、そこに寝ることにして、神社の廊下を丁寧に、丹念に、拭いて掃除して、終わり。
イザ日記を書こうとしていたら、腰が曲がった体の小さなおばさんが来て、わしの静夫もあなたみたいにして日本を回った。アメリカに行ったから、わしの所に泊まってくでせい。お願いしますだ。
南無阿弥陀仏と言う。
泊めてやると言うのは分かるが、泊って下さいと言われるのは、断りようがないので、しかたなし。トボトボと歩く。
おばあさんの後について行ったら、これまた大きな家で、上がれと言う。
上がれと言っても困ったもので、座敷に上がると、お爺さん80歳とか。
おばあさん82歳。耳が遠く、たえず南無阿弥陀仏を口にしている。
目がしょぼしょぼして、こう言うのを、欲が無くなり、子供に帰ったと言うのか。
風呂に入れ、と。見ると、汚いので考えた末、やっぱり入った。
風呂から上がると、ここの母さん、話はしなかったがサバサバした好い人である。
飯を食べ終わったら、長男25歳、帰ってくる。
想像していた人と違い、穏やかな人間で誠実そうであった。
部屋に通され、九時に寝た。
使用金額:3605円
お母さんが朝食を運んでくる。恐縮の連続である
051
1979年
昭和54年6月6日(水)
朝早くから目覚め、時計がないからステレオのスイッチを入れたら、五時四十八分の時報。
起きて絵ハガキを書く。お爺さんが来る。
お母さんが朝食を運んでくる。恐縮の連続である。
おにぎり、昼飯分も・・・。
仕事に出て行く静夫君に挨拶をして、八時十八分に家を出る。
玄関でおばぁちゃん、目をしょぼしょぼしている。
昨日、オレの足を洗ってくれた。あまり親切にされると肩がこるなー。
荷は増々重く、もう汗ビッショリで歩く。暑く、一度目の休みがてらに昨日分の日記を書いていたが、頭はボケるし、手は震えるし横になる。
二度目の休みで、おにぎり二個食べ、梅干がおいしい。
三度目、東港の小屋みたいな、パルプ貯蔵所みたいな、そこに入り込みそのまま、そして、ガックリきて、もう何時間も、この場。
今日十キロ歩いたか。もう歩く気力なし。
外から見ると、電話機が見える。電話線をたどって行くとチャントついている。もしやと思い、窓を見ると、1カ所の窓だけ鍵がかかっていない。
中に入る。埃だらけでクモの巣だらけである。
週刊誌は五十二年になっている。それ以来、人が入った事ないのか。
受話器を取ると、「ツー」という音がする。ダイヤルを回すと、通じた。
これはもうけたと、九州にかけ、その後、鯖江に鎌倉の件を聞いたら全然らちがあかず。鎌倉局に鎌倉中学校の電話番号を尋ね、7校に番号を回す。
調べるから1時間後とか、二十分後とか。ただ一校を除いて。調べもしないで、そんな人はいませんと、バカ、知らせることが出来ないなら出来ないと、そうハッキリ言えばよいものを・・・。
他の六校には、当該する人はいないとの事。
一体どうなっているのか。鎌倉で電話した時、三人の同年齢、同性がいたのに。
とにかく、その答を聞いてガックリ。もう歩く気力なくなり、ボケーと古い週刊誌を読んだ。日記は次の日につけることにした。
夕陽が紅く美しいので、そのことを絵ハガキに書く。
アァーァ、インドに行けばよかったと思った。
埃で鼻がおかしくなる。水ばなばかり。
兄貴のところに電話をかける。広ちゃんが病院を逃げたとの事。頭に来る。意志の弱い人間だ。ひとりでボヶーとしてるのも、やり切れない。
佐藤さんに電話してとりとめのないことを、べろべろと話す。俺が、こんな電話で長話したの初めてか。次は稲葉さん、これも話し過ぎ。蚊がでてきて、暑く寝れない。電話は無料だったが、ガックリ来た日だ。
もう探す術は無いのか。
移動距離:10キロ
使用金額:0円
この日本一周が終わったらインドにでも行くか
052
1979年
昭和54年6月7日(木)
暑くて眠る事できないし、蚊がウルさい。それに凄い埃で水鼻ばかりでる。
朝ボケーとしているだけ。全然歩く気力なし。
これだったら、まだ、知らない方が僅かな希望を持つことができたから。
この日本一周が終わったらインドにでも行くか。
いつまでもこの小屋に居てもしかたがないので出る。野グソをすると小便が色、少しおかしい。疲れているのだろう。
今日ほど歩くの嫌な日はない。
道は悪いし、車が多いし、精神衛生上、最悪である。
8時前、牛乳とバナナ、バナナが215円。1キロ200円だが、このバナナ1キロ以上の重さはない。店に入って、ババァーを見た瞬間、この人間おかしいと思ったか、当たったかな。いつもバナナばかり食っているので、もう分かる。
嫌な事ばかりで怒る気にもなれない。
24時間営業コインフードのお店の中で、昨日の残り半分、日記を今日の分、ここまでを書いたが、カゼかそれとも埃の為か、水鼻ばかり出て困っている。それに寝不足か、目がしょぼしょぼしている。
まさか、いつまでもここに座っている訳にもいかないし、俺の人生、増々、八方塞がりになってきた。
もう、こうなれば地獄だ。人間の努力なんて、ひとり、たかが知れている。しかし、努力しなくてはいけない。全く馬鹿みたい。
このコインフード店に店主はいなく、全て自動販売機だけである。その中のひとつに、ポルノ本を売っているが、本の前に十八歳未満の方は、この本を買う事ができません、の張り紙。馬鹿みたい。こんな紙切れ、何の役にも立たない。金さえ入れれば、本は出てくるのである。
ポルノが悪いとは思わないが、銭にさえなれば何でもやる。この現代の日本、狂っているよ。この狂っている事に気がつかないのが恐ろしい。物を知り過ぎるのも考えものである。
狂気の中に居て、そのまま流されたほうが良いのかな。
日本、狂っているなー。その内、天罰が下るであろう。
空はどんよりと曇り、やたらと暑く、汗ビッショリでシャツをしぼるとジャァーと汗が出る。
絵ハガキを出す切手代120円。絵ハガキを出したぐらいでは、荷は軽くならない。
道路は町をはずれて通っているので、家がなく、防風林の松林。
途中、左側に小屋があり、水道。冷たい水がおいしい。
広い場所でゴミ捨て場らしい。
行くと二人のババさんが、ごみの整理をしている。後で火をつけるとか。
まんが本を拾う。それから、ごみをヒックリ返し、破れたジーパンのツギきれ捜し。女子供用ジーンズのスカートを見つける。これで、又、一つ、荷が増えた。
昨日の件でガックリときているうえに、この暑さ。
全く歩く気がしない。ボヶーとまんが本を読んでいたら、役場の人が来て話かけてくる。
余り話す気になれない。
ゴミを捨てに来たバァさん連中、色々と話しかけてくる。
俺は一人になりたいのに。
まんが本二冊持って歩き始める。
老人ホームの隣の丘にのベンチ。横になり、まんが本を読んでいたが、全然頭が軽くならない。増々おかしくなる。
いやいやと、歩きながら、両側、緑で少し、スエーデンに似ていると思った。
左側に入ってズーと歩くと、浜辺に出た。浜辺を歩き始めたがどうしてかなー。誰もない。静かで波もない。普通だったら気分よく歩けるはずなのにー。
誰もいない浜で、裸になり水浴びをする。冷たいがサッパリとする。
十八日ぶりにジーパンを替える。少しサッパリでした。
腹がへって仕方がないが、店屋がない。大きな橋を渡る。地図にはのっていない。新しく建ったのか。日立製作所がある。左足が痛く、ビッコをヒきはじめる。
松林の中で休む。村に入る。荒井浜か、やっと店に出会う。四時四十分である。
トコロテンを食べたが、今までとは全く変わってしまった。480円
ここは醤油をかけて食べるだけか。おいしくもないが、店の人は、おいしいんだろうと言う。まさか、まずいとも言えないし。しかし、田舎者はどうして、こんなに歯が悪いのだろう。入歯ばかりか。そのために、女の人なんか老けて見える。結婚すると女である事を忘れてしまうかな。
乙宝寺まで行く事にする。途中、車が止まり、村上まで乗っていかないかと。さっき道を尋ねた人である。丁寧に断ると、頭をかしげていた。
村に入ると、子供達が「アッ旅人だ」と。「ねー、たびの人」と聞くから、「イャ、足袋だよ」。こんな冗談、全然通じない。子供達、ポカーとしている。
乙宝寺の境内、別に悪くは無いが、本堂は、鉄筋コンクリートの建築で、味も素っ気もない。
本堂の前でベンチを動かしていたら、その音を聞いて、若い坊主が飛んで来たかと思ったら、途端に本堂の扉を閉め始めた。あきらかに、俺を敬遠、警戒しての事である。せこい坊主だ。いやだ、いやだ。
ベンチの上に寝そべって、拾った婦人公論を読んでいたが、頭がボーッとして来るし、目がしょぼしょぼとしてくる。
寝不足の疲れか、それとも、精神的疲れか。
境内をブラリとし、水を飲んで寝袋の中に入る。
日記なんか全く付ける気がしない。次の日に付ける事にする。
役人の話に依ると、新潟も後三~四日で梅雨に入ると言う。憂うつになるばかりである。
風が吹き気持ちがいい。蚊がいなないのがよい。
鎌倉、なんとかならないか、そればかりだ。
あの時、何故、行動しなかったのか。後悔するばかりだ。
後悔しても始まらないし、新潟から村上まで六十キロなのに、まだ、村上さえ着いていない。普通だったら、とっくの昔に村上を通り過ぎているのに。
どうして、こんなつらい思いをしなくてはいけないのかな。
移動地:乙宝寺
使用金額:1095円
空も、俺の心も、憂うつである
053
1979年
昭和54年6月8日(金)
乙宝寺を朝早く去り、歩きはじめたが、空は曇り、今にも雨が降り出しそうな気配である。
空も、俺の心も、憂うつである。
岩船町に入り、腹ごしらえに食料を買ったが、440円。
ダダ広い町で、歩いても歩いても座る場所がない。
その前に、荒川の橋を渡った時、雨が降り出し、神社で休み、新聞を読んでいたが、チットモおもしろくない。
昨日の分の日記を付ける。曇っているが、雨が止む。
歩き始め、岩船町に入り、食料を買って、町外れの岩船神社で、パン、牛乳、カンヅメ。なんとも冴えない食事である。
食べていたら、犬を散歩に連れたお爺さんが話し掛けて来たが、話の歯車が合わない。長距離運転手とか。こんなおとなしそうな運転手もいたのかと思う程、おとなしい人である。
ボケーと婦人公論を読み、さて歩き始めるか、と思ったら、またパラパラと降り始める。嫌な雨である。
瀬波温泉まで来ると、ザーッと降り出し、町の真ん中に丁度よいバス停があったので、雨宿り。胸クソ悪く、ビールを飲む、210円。本を読んでも、あまり面白くない。
ビールの酔いなのか、ベンチに横になり、ウッスラと寝てしまう。多分、いびきをかいていたのでは。
バス停に居たおばさん、変な顔をしていた。
三時間以上、このバス停に居たのでは。
ますます雨は凄く激しくなり、今日はどうなるのやら。もう、梅雨の始まりなのか。
鎌倉の件、ボンボンに頼んのではと考える。
もう、これが最後の頼みであるが、如何や・・・
目覚めたら、雨が止み、歩き始めたら、また、霧雨みたいなのが降り始める。
苺があったが、人がいたので10個失敬した。
瀬波を過ぎたら、上にコイン・フード100円小屋があり、そこで雨宿り。地図ばかり見て、先のことばかり考える。
秋田までこう行って、北海道はこう行ってとか、現実はチョットも進んでいないのに。
思うは、自由にどこでもいけるが・・・。
いつまでもここに居ても仕方がないので、歩き始める。
靴底に穴が開いている為か、下から雨が入ってくる。
間島無人駅で、一休み。まだ明るいので、次の駅まで歩くことにする。
何故だか、昔の楽しかった事ばかり思い出しながら歩く。
そう色々な事があった。
早川駅で日記をつけていら、紅い夕陽が窓越しに見えた。明日は晴れるだろう。
書いていたら、蚊が脚をアッチコッチさす。なんだか今夜、嫌な予感がする。
食料340円、今、駅内でマーボドーフを作っている。
使用金額:1050円
これも時代の移り変わりか。昔は誰も知らず、馬鹿にされたものであるが
054
1979年
昭和54年6月9日(土)
昨夜、駅の窓を開け、電話をかけたが、特別の番号があるらしく、ダイヤルを回す途中からツーツーと音を立てる。ガックリである。
蛍光灯が一夜中ついていて、しらけてしまう。
魚屋らしきおっさんが、駅内に魚を置いていった。
特急が通過して、時刻表で時間を見ると、五時半頃。
今日は、晴れと思っていた空は、期待に反して灰色の空である。
歩き始め、もうポツポツと田んぼ仕事をしている人が見える。
苺があって、見たが、大きいのなんの。こんな大きな苺、見た事もない。
しかし、殆んど虫に食べられ、人様が食べられたものでは無い。少し食べてみたが、虫がいたり、なんだか変なものがついていたり、胸が悪くなった。
駅下まで来ると、雨が降り出し、そのまま歩いていたが、雨脚は激しくなり、ポンチョを出したが、背負っているリュックに引っかかり、なかなかうまくいかない上に、風でバタバタと、靴がビショビショになり、ズボンも半分、下が濡れ、後ろの寝袋が心配である。これで寝袋まで濡れてしまったら、目も当てられない。
駅まで、駅までと思っても、その駅が遠いし、海岸で雨宿りすべき所なく、やっと人家がある所に出たが、どこも雨宿りすべき所、見当たらず。
しかし、この辺であろう駅を、人に尋ねたが、もっと先との事である。
もうガッカリ。雨はますます激しくなり、その上に、車は無神経に水シブキを立てて行く。田舎者め。
小学校に行き当たり、その裏側を通っていったら、その隣に神社があった。もう駅まで行ってもしかたがない。
神社に上り込み、埃積もった畳を掃除する。
子ども達の通学が始まり、俺は、ロウソクに火をつけ、正座し黙想する。
山北町立桑川小学校。
頭の中が静かになってきたと思ったら、もう別の事を考えたり、なかなか難しいもので、雨が落ちる音が響いてくる。
こんな雨、一体全体どうしたらよいものやら、思案しても始まらない。まず寝る事にした。
濡れている為か寒い。これで、雨がザーザー降り続き、食料があれば、開き治ってここに居る事、腰を落ち着ける事、できるのであるが・・・。
そういえば腹がヘッタ。時々、学校のチャイムの音が聞こえる。
この神社、畳が敷いてあり、三方、窓ガラスで明るく、新しい神社である。昔の社の写真があり、ワラブキの屋根、社の前に村者達がハカマをはいて立って写っているが、おもしろいのは、皆、ハカマに帽子をかぶっている姿である。昔の流行なのか。
少し眠たい為か、ボンヤリしていた頭が、ハッキリとする日記をつける。
今、雨はやんだが、まだ空が曇っている。困ったものである。
苺のせいか、下がピリピリする。歩くかどうするか、靴も靴下もビショビショ。いやいや、全くついていない。今年の運勢、どうもよくないらしい。
今年が始まってから、ろくな事がない。これで後半が良いかなー。
しかし、このまま年の終わりまで続いたら・・・ショック。
しかし、本当に最近、いい日本人がいなくなったなー。
こんなにガツガツしていなかったのに、昔は。
神社の中で、ボンボコの所に、鎌倉の件に関しての頼みの手紙を書いていたら、いつの間にか青空が見えている。嘘みたいである。
今日は土曜日か、学校のチャイム、放送でやっている。
手紙を書き終え、神社を出る。
ポンチョが濡れ、リュックの中に入れる訳にはいかないし、着る訳にもいかない。
酒屋でジュースと、ビスケット、450円。中年34歳頃。
五個の笹モチをくれる。サバサバした人であった。
ポンチョを乾かしている。もうこうなったら、急いでも同じ事だと腰を落とし、食べながら日記を書いている。乾くまで本でも読むか。
午後六時半頃、勝木駅に到着。
もらった笹モチを食べ、この味が、ビルマ、タイて食べる、竹筒に入れて焼いたモチ米と同じ味がする事を思い出した。
空は嘘みたいに晴れたが、あの春の空みたいにスケるような、澄みきった青空ではない。
靴と靴下が濡れているので、足の裏側がフヤケて柔らかくなっているのに、長い間歩くから弱まり、痛いのなんの。どうなってしまったのか。
十年前までは、この辺一帯、陸の孤島だったとか。
今、道路工事中とか。広くした所とか、昔のままの所とか。昔のままの所の道なんか、なる程と思うほど狭く、農家なんかワラブキ屋根で、なかなか情緒があるが、もうほとんど見る事が出来ない。
この地も例外にもれず、民宿家が多い。
牛乳屋の車が止まっていたので、牛乳を買う、140円
寒川で手紙を出す。切手代50円。この手紙がうまくいく事を祈る。
昔、あの男は信頼できたが、今はどうか。長い事、会っていないのでわからない。
寒川駅で休憩。少年マンガが置いてあるが、全て読んだものばかりである。
少女マンガの方がおもしろいやつもある。少女マンガの読み過ぎかなー。
駅員さんが話しかけてくる。電話機の使い方を訪ねようと思ったが、機会なし。残念、五時五分。
歩き始める。
途中で笹モチをもらったおばさんに、また会う。
中学生らしき自転車に乗った少年が、後から来て、何処からですか、何処まで、ガンバッテくださいと言って去った。
夏になると、こんなカッコウをした連中がたくさん通るのであろう。
想像する事ができる。これも時代の移り変わりか。
昔は誰も知らず、馬鹿にされたものであるが。
小さな港に、イカツリ船が入っている。夜になると出て行くのかなあー。
勝木駅に着く。駅内に人がいたので、ホームの端にある台の上に横になって、夕陽を見る。丸い紅いやつが、ポンと空に浮いている。
しかし、遠方にはドンよりと霞。水平線の中に沈むのではなく、途中から霞の中に消えた。
婦人公論、なかなか読み終わらない。
駅内に帰って、日記をつけていたら、おばさん、ここに寝るならば、戸締りして寒くないようにと。おやすみなさい、と。
その後、二人の女の子が駅に来て、窓を閉め始めた。
声をかけたら、散歩しているだけとか。こんな所、ブラブラ、なにする。
アカぬけしているが、尻軽みたい。みたいと言うより、絶対に。
これでバッチとキメ、車を持って来たら、ホイホイと乗って来るタイプである。
また、引き返して来て、電話を掛け、そのまま誰もいない駅に座って、ペラペラと何か話しているが、言葉がよく分からない。
ラーメン二個作って食べる、120円。
使用金額:760円
そのままジーと海猫と見つめ合い、この鳥、人に慣れているのか
055
1979年
昭和54年6月10日(日)
6月10日
朝五時に目覚め、五時半、起きる。顔を洗って荷物をまとめ、六時前に駅を出る。
道路ワキに苺があり、紅く結構なっているものの、味も素っ気もない。
畑は荒れ、それでも無料だから文句は言えないが、今日は日曜日のためか、早朝の百姓が見えない。
もうこの辺は庄内地方になるのか。
この地方特有の覆面をしたおばさん連中が、自転車に乗って畑仕事に行く姿がよく見れる。
自転車が歩道に止まって、朝日新聞がたくさん積んである。
一瞬迷って止めた。なぜかな。やはり、俺も昔、新聞配達をしていたからかなぁー。途中、作業事務所に、定休日の札が下がり、新聞があったので、それを貰ってくる。
新潟新聞。ここの所、よく新聞は読んでいないので、サッパリ。
年金特集の件、なかなか地方紙にしては、おもしろく書いてある。
金大中氏事件、全く、日本の恥を世界にさらしている事、分からないのか。
こんな事ばかりしていたら、それこそ、世界の物笑い。信用を失う事、分からないのか、馬鹿馬鹿しい。
霞ヶ関駅で新聞を読み、十時頃駅を出る。
婦人口論、厚くて重いので、なんとか早く、始末をしようと読んでばかりだが、なかなか。
食料490円。大きなトマト一山200円だったか。これも味っけなし。百姓、一体何を作っているのだ。
街外れの浜で食べ、海に手を洗いに行ったら、海猫がズラリと浜に並び、俺が近付くと、みんな飛んで去ったが、一羽だけ残り、俺がいくら近づいても、海猫の野郎、目が悪いのか、知らん顔をしている。
1メートルほど近づいてもボケーとしている。
そのままジーと海猫と見つめ合い、この鳥、人に慣れているのか。それとも人ズレしているのか。立ち上がって歩き始めたら、初めて気が付いたように飛んで去った。
婦人口論、読んだ分だけ取り外す。
新潟に入って以来、全く歩く気がしなく、チンタラ飲んでばかり。靴はもう悪く、背中の腎臓あたりは痛くなるし、気分は重いし、温海に休憩小屋みたいなものが海岸に残っているので、そのままベンチでボケーとして、もう二時間になるのではないか。
そよ風が気分いい。これで歩く仕事がなければ、そんなに悪くはないが、空の様子が、また悪くなって来た。
さて、歩くとするか。その内、気分も良くなるであろう。
夕暮、五十川を過ぎ、トンネルの峠を越え、出た所に、砕石場があり、プレハブハウス。電話機があるが、鍵がかかっている。当たり前だ。日曜日で誰もいない。シリンダー鍵で、針でチョコチョコとやっていたら、指が痛くなるだけで、ビクともしない。釘をたたきのばしたり、悪戦苦闘で、結果、敗北。修行して泥棒にでもなるか?
窓を見ると、1カ所だけ鍵が少ししか、かかっていない。もし、俺の勘が当たっているなら、押し上げれば開くはずである。
しかし、その方向は、遠方に、魚釣りしている二人がいる。
食料330円。
トラックの中にあったマンガを見ていたら、薄暗くなって、日が暮れた。何をする事なく、ボケーとして暇ツブし、七時頃か、釣り人がいなくなったので、窓を、棒を入れ引いたら、開いた。石川五右衛門の如くか。飛び上がって入ろうとしたら、背中を打つ。
電話をポンポンの所にかけたら、不在である。一生懸命して入ったのに。
机の上に小さなラジオがあるので、それを持って外に出て待つ。
ラジオNHK教育放送しか入らない。事務所の中に入って、ラジオを聴く。
森繁の牛馬なんとかをやっていた。
暗い中をボケーとしていたら、外にチラチラと光が見える。なんの光かと、不思議に思っていたら、ガヤガヤと人が事務所に来て、懐中電灯を事務所の中に照らす。心臓がドゥンドゥンと、ハラハラする。
陰になって座っているが、もし、ここの者だったらと。
外の水道を使っているから、多分、釣り客であろう。しかし、ソーっと外に出る。
行くのを見ると、やはり三人の釣り人であった。嫌だ嫌だ。
なんでこんな事をしているのか。やはり、遊びか、なかなかおそろしいが、心臓に悪い。もう止めた。
冷蔵庫の中に、コーラとトマトジュース、とミソ、醤油。コーラを飲む。
十時、もう一度電話、いない。今夜、遅くなるとの事。事務所を出る。
ラジオを置いて、トマトジュースを貰ってくる。
事務所連中、朝来たら何と思うであろう。コーラとトマトジュースがなくなっている。
やはりこれも泥棒になるのかなー。警察につかまって、これは一種の遊びですよ、と言っても通じないだろう。
暗い夜道をテクテクと歩く。ヒンヤリして歩きやすい。
十一時十分前、小波渡駅に着く。
使用金額:820円
今日も一日が終わる。朝からついていなかったが、九州を出て以来、最高の夕焼けを見た
1979年
昭和54年6月11日(月)
ガヤガヤとうるさい年寄り婆連中が、ゾロゾロと駅に集まってくる。
英語より分かりづらい、地の方言で、ペチャペチャとしゃべり、難しい、てなものではない。
寝袋から顔を出し、時間を尋ねると、五時十分前と。嫌だなぁ、寝ていられない。
ひとりの婆、「ここは宿屋ではなんからね」と、嫌味だね。
鶴岡に魚売りの行商に行くとか。昔なつかしい姿の背負い行商である。
懐中から札を出し、数えている女ども。もう女らしさなんてない人間。
生活力は凄いだろうが。
こんなに早いのに店が開いている。一体どうなっているのか。
曇り空の下を、頭がボケーとしているのに歩き始めるが、とにかく寝不足も寝不足。
足がフラフラである。トンネルを出ると、三瀬である。
右側遠方に、鳥居と小屋が見えるので、とにかく休憩しなくてはと、その場に行く。その隣にユースホステルがあった。
気比神社下の小屋で、寝袋の中に入りウタウタとしていたら、雨が降ってくる。寝袋が濡れるので、上の神社にのぼる。正面の扉が開いて、中に入る。畳が敷いてある。いろりがあり、鉄びんが吊るしてある。
車で来ているなら失敬していったかなー。
埃だらけの畳をゾウキンで拭く。
今日は、雨で疲れているので、このまま休憩し、日記、ジーパンのつくろい物、その他、やる事があるので、そういう事に決め、まず寝る事にする。
蛍光灯がつくが、広い中は外から入ってくる光だけで、薄暗く、静かである。
スープでも作って、今日は、日曜日だ。寝袋の中でボケ-と考え事をしていたら、下駄の音がする。参拝人かと思ったが、社務所に入って行く音がした。
内心、これはマズイ。今のうちに荷をまとめ、コッソリと出ていくか、色々と考え、イヤ、この本堂には来ないであろうとか、見つからないよう、向こう側に移った方が良いのではとか。しかし、そのまま、寝袋の中に入っていたが、鍵をガチガチと本堂の扉を開ける音がする。万事休すである。
開き直るしかない。神主が、ガラッと音をたて入ってきた。
「何ですか」「いやぁー、休んでいるだけです」
「退去してください」腕を腰にあて、仁王みたいに。
こんな時、黙って逆らわず、ハイ、失敬しました、と。
小雨の中を、ショボショボと神社の階段を下りて行く。全く今日はついていない日である。
パラつく小雨の中を、テクテクと、ボヤケた頭を振りながら歩く。もう荷物を送ろうと、由良郵便局へ。しかし国道がぐるりと回っているので、またまた下のところで引き返しである。
店で牛乳、140円。紐を少し貰う。昨日の残りの食パン、牛乳で朝食を、小雨の降る海岸で済ませる。
ドンヨリした空を、ニャーニャーと鳴きながら海猫が飛び、俺はショボクれた、パサパサとした食パンを食べる、というより、牛乳で流し込む。
カメラ、コッフェ、日記、地図を小包にして、郵便局に持って行く。紙テープを局員が貸してくれる。ハイ、ハイと返事をして、なかなか良いと思った。615円。
ハガキに、小包を解禁と書いて、ついでに兄貴宛に出す。
海岸線に沿って歩き出すが、風が強く海から吹き、陸に当たった風は、そのまま吹き荒れる。小さな漁村は、切り落ちた山の下に、気持ちほどに立っている。
冬は、凄い風が吹き荒れるとか。「油戸」きっと十年前は、僻地であったのであろうが、もともとなのか、それとも、交通便の発達の為か、テレビか、人はスレている感じである。
小店で食品、バナナ、牛乳、食パン、470円。道路ワキにあるバス停小屋の中に入って食べる。モサモサと、とても食事といった感じではない。
どうも、あの新潟の電話以来、心の余裕がなくなってしまった。
運が良いと言っていいのか、小屋の中に入ったら、雨はますます強くなり、雨脚の音を聞く。道路に雨がハネ返り、静かなこの漁村、東北なのか。
頭の中は、色々なことがグルグルと駆けめぐる。
小屋の中にあった数年前の週刊誌を読んで、二~三時間、この中にいたか。
高校生の、トレーニングに走っているかけ声に外を見ると、いつの間にか雨が上がっていた。
歩き始める。
映画にでも出てきそうな漁船が、海に、港に浮いている。
湯の浜温泉のはずれに、工事中のビルがあって、そこに今夜寝る事にして行ったところ、まだ人がいたので、しかたがなく先へと歩いたが、周りは松林で、とても寝る所なんかありはしない。畑ばかりである。
苺畑があり、見たら、もう一個もなっていない。奥に行ったらと思って行ったが、全然何もありはしない。
松林の上が、夕焼けのために、紅色に変わり、空が色々と変化していく。
雨あがりの夕焼けであるが、松林のために上だけしか見えず、浜に出ようと、歩いても歩いても出る道がない。厚生年金宿舎?その裏に出て、やっと浜に出る。
広い広い砂浜で、これだったら初めから浜を歩けばよかったと思う。
水平線に浮く空に、夕焼けは、色々と美しく変化していく。実に美しい、この色は。
風はピューピューと砂を吹きあげ、寒い。
沈む夕陽を見る。今日も一日が終わる。朝からついていなかったが、九州を出て以来、最高の夕焼けを見た。
荒れた波の向こう側に、紅色の空。薄暗くなってゆく誰もいない浜をテクテクと歩く。
浜中の神社に九時前に着き、寝る。食料630円。
使用金額:1885円
計算したら、新潟より百キロ遅れている
1979年
昭和54年6月12日(火)
痒い痒いと思ったら、アッチコッチと蚊にやられている。
まだ暗いのにブンブンと、蚊の飛ぶ音には閉口する。
その内、夜明けとともに、今度は雀達が鳴くというより、ワメクといった感じで騒ぎ出す。
とても寝られた所ではない。
ボケーとしていたら、早朝、年寄り連中の参拝と続く。
パンを食べ、五月一日付の新聞を、一面読み、浜に出て歩き出す。
広い砂丘に、白く波を立て、海は荒れている。
ジャリ道になった上にある作業用道を歩く。
誰もいない清々しい朝だ。しかし、もう靴はボロボロ。
荷物、たいして軽くなったとは思われない。
疲れている。体の調子が変わってしまった。そう言えば、ここのところ、ろくな物を食べていないし、歩く距離は、増々減るし、計算したら、新潟より百キロ遅れている。
砂丘の道が終わり、浜の端、最上川に出て、その手前、宮野浦で砂の上に寝ていたが、陽が照り暑く、ますます頭がボケーとする。
ユラユラと丘を越え、村に出て歩いていたら、神社に出て、その床に横になったら、もう眠れない。ボケーと目をつぶっていたが、このまましていても仕方がないので、休憩ついでに、昨日の分の日記を付ける。
汗で湿っているジーパンを乾かして、縫い物である。
その後は洗濯。あーあ、一体何をしているのか。
洗濯は、またの日にして、今から縫い物を始める。
縫って縫って縫いまくり、終わったところであるが、まだ残っている。
糸がなくなってしまったのであるが、もう夕暮れである。
多分、五時半頃であるか。ここに着いたのが、十時半頃。
何時間の縫い物か知らないが、高い縫賃になるな。
朝、パンを食べただけで、昨夜の残りのおせんを食べながら、ジーパンと奮闘であった。
小便したら色が変わっている。疲れてきているのであろうか。
今日、十キロ程、朝、歩いただけである。
今、リュックを整理してみたが、あと何もない、軽くすべき物は。
この辞書が重いのであるが、送るわけには・・・。
縫い物ばかりしていたら、腰が痛くなってしまった。
それから、店を探し、また海辺に出て夕陽でも見に行こうと思っている。
もうガスがない、残念である。
この神社、日枝神社。鍵もかかっていないし扉が開いたまま。床も畳は敷いてないが、悪くない。喫茶店みたいな床をしている。神社の床にしては、チグハグであるが・・・?
五時半頃と思っていたら、七時であった。もう夕陽は終わっている。
久し振りにノンビリしようとビールを買う。缶詰を三個食べたら気持ちが悪くなった。
僅かな光に一人、石川五右衛門の如く、大きな大正時代の賽銭箱を背中に、一枚の畳、アグラをかき、飲むビール。なかなかー、おいしい。
神社にも色々あって、気味が悪い奴から、幽霊の出そうな奴まで。
この神社は気に入った。
一人、歌をうたうと、響いて、なかなかである。
食料代1210円
移動地:浜中~宮野浦
使用金額:1210円
時間に拘束されることなく、人間豊かにならなくては・・・?
1979年
昭和54年6月13日(水)
真夜中、例の如く蚊に悩まされる。蚊やを取り出し吊ったが、この前に、場所を変わってから真夜中の掃除。こんなことをしていたら、目が冴えて寝られたものではない。久し振りにバナナをたくさん、牛乳と砂糖で食べた。
昨日買ったバナナ、1キロ100円で安かった。トマトも安かったが、歩いている時、落としてつぶしてしまう。
最上川の堤を通り、酒田の街。
こんな朝っぱらから、河原のゴルフ場でゴルフをしている。
街は朝が遅いから、新聞を貰うのに大変都合が良いが、山形新聞の地方紙。休憩がてらに読んでも全くおもしろくない。
ジョン・ウェインの死去の記事。中学生の時、駅馬車を見に行った事を思い出す。
人の一生の短さをつくづくと思う。
新聞を読み終わって通りに出たら、通勤通学の自転車がズラリ。
女子高生が自転車で来ると、スカートがヒラメク時、パッと手で押さえる格好がいい。
しかし、これが十年二十年経って、恥じらいもない中年女になるのかと想像すると、アー恐ろしい。
メロンとイチゴがたくさんあるが、花だけでまだ実は一個もない、残念である。
火力発電所の先の川を渡り、庄内砂丘、浜辺に出る。
誰もいない広い浜を一人、裸足で歩く。疲れたので砂の上に寝る。
風が冷たく、気持ちが良い。しかし、太陽の陽で顔だけ暑くなって、シャツを覆ってもよく寝られない。ジュースがうまい。
時間に拘束されることなく、人間豊かにならなくては・・・?
吹浦で食料480円。吹浦から3キロ程の所に、奥の細道、三崎山の太子堂を見に行ったら、ブナ林の旧道の中に建っている。六時、時間は早いが、今日も特別日にしておこう。灯台にて日記を付けているが、立って書いているので、非常に書きづらい。
それに疲れた。砂の上を歩くのは、疲れる。
真正面に飛島が見えるが、29キロあるとか。見た感じ4キロ程。
海の距離は分からない。
目前に日本海が広がり、夕陽が始まるかなー。
淡い青空が美しい。
これでウイスキーがあれば言う事なし。今度ウイスキーでも買うかな。
使用金額:480円
灯台前の石の上に横になり、静かな日本海に映る夕焼を見る
1979年
昭和54年6月14日(木)
いつもの時間に目覚めたが、涼しい為か、御堂の雰囲気が良いのか、そのままグズグズと眠ってしまう。
タブ林の中にひっそりと建つ堂は、時代劇に出てきそうである。
紅紫色に染まった雲が、流れるように遠くへ。
その色は僅かづつ変わり、増々と暗くなってゆく。
ビールでも飲みながらと、下のドライブインに行ったら、200円。値段を見て止めた。往復一キロ余分に歩いて損した。
灯台前の石の上に横になり、静かな日本海に映る夕焼を見る。
親娘か、こんな所を通って行った。観光客かな・・・?
朝七時頃起き、スープを作り、昨日の残りのパンと一緒に食べる。やはり、温かいものはおいしい。丁度このスープでガスが終わった。
何故か、全然歩く気力がなくなってしまった。
距離が全然のびない。本当にしかたなく歩いているといった感じである。
こんな気持ちで歩いていたら、ダメになってしまうだろうなー。
北海道に渡る時、全てけじめをつけなくては。
糸と牛乳を買う、230円。(このボールペンおかしい)
小砂川駅に休みに行ったら、付近のおばさんがエプロンかけて切符を売っていた。
上浜駅に行った。裸のおっさんがボケーとしていた。
まんがの本がたくさん置いてあり、少女マンガばかり。しかし、あまり面白く感じられない。全然頭が軽くならないのである。
それでも駅に三時間程いたか。
駅の前に店屋があり、腰の曲がったバァさん、ジュース130円。ジュースを飲みながらボケーとマンガを読む。ラジオが聞こえてくる。
腹がヘッタので、また店に買いに行く。チクワを買う。
このチクワが、古いのなんの。端の方がガリガリになってカビがはえている。
二本食べ、二本を返す。しかし、340円買い、5千円出して、お釣り五千六百六十円。
田舎、店は誰もいないし、盗む気ならいくらでも盗める。
泥棒旅行なんかしたら面白いであろうに。俺が若いなら、やったかも。
一時五分、駅を出る。いつまでもマンガばかり見ていてもしかたがない。
象潟駅で休む。
穴が開いている所から小石が入り、足下に当たり痛い。取っても取っても、次から次からと入ってくる。ボロボロになったとは言え、まだ履いている。流石、高いだけあって強い。
トマトとキュウリを買う、300円。
神社で少し食べ、さて今夜はどこに泊まるかと・・・。
大きな檜木が並んでいる。また歩き始め、夕暮れ。
なかなか場所なく、金浦駅、仁賀保町に入り、小高い森に神社が見える。
ガソリンスタンドで水を貰って行ったら、神社にも水道があった。中に畳が敷いてある。
中でボヶーと立っていたら、中学生が入って来る。何しに来たのか。
この男が人にしゃべり、また神主が来て、追い出されたらどうしようと心配。
今から縫いかけのジーパンを縫って、洗濯するつもりである。
使用金額:1000円
とうとう次の駅まで歩いてしまった。今日、一体どれだけ歩いたのか
1979年
昭和54年6月15日(金)
乾かしていたジーパンが、夜露で増々濡れて、重くなっている。
もう、ボロボロのジーンズだから、強く絞るわけにはいかない。
リュックの後ろに、乾かして歩く。
朝食、600円。牛乳が150円だと・・・?
休憩する場所なく、松林の中に入り食べる。どうも最近体の調子がおかしい・・・。
歩いていると皆、ジロジロと見る。
子供のほうが素直でスッキリするが、東北の連中、胸クソ悪くなる。陰気な性格だ。
九州とは、油と水の違い。
昔は良かった。東北の人間と一緒に働いたが、こんなではなかった。良い面は失われ、悪い面だけが残っていくみたいな感じである。
本荘に入り橋を渡って、少し歩いた。右側に運動場があり、二人の若者が野球をして、一人の奴は、よくトンネルばかり。遠くへ飛んでいった球を追っかけてばかり。見ている方がおもしろい。
この運動場に水道があったので、上半身とシャツを洗い、乾かしている間、ベンチに横になりボケーとする。
サイレンが鳴った。12時なのか。
運動場に野球をしに来た連中、うるさいので歩き始める。
親川で250円。箱の上に腰を下ろして、モサモサと食べるパンの味は・・・?
松ヶ崎を過ぎ、小さな灯台の所で休み、地図ばかりを見る。何度見ても事は変わらないのに。
今日、割と早いペースで歩いている。
道川駅、無人駅と思って来たら、駅を店に改造してあり、とても寝れたものではない。
アイス100円、駅で食べる。厚化粧のアイソの悪い女である。
もう夕暮れなのに、少し歩いて、何処かに神社でもと思ったが、これがない。
店で牛乳170円。嫌な予感がして、テクテクと歩いていたら、工事中のドライブインがあり、開いていた。窓から入り、二階に上がったら誰か来る。
ピーンと来たが、後の祭り。東北の百姓が上がってきて、「ダミだぁ、断りもなしに」
あの言い方、ブッ飛ばしたくなる。百姓、死ぬ。頭に来る。またテクテク。
もう、今日は歩きすぎて、足がガクガクである。
途中、海に出る小路に、寝る所を探しに行ったが、小野田セメントの小さな小屋で、寝る所なし。
歩き続け、夕陽を見る余裕もない。
秋田県、ろくでもない所である。
この県だけ、日本から滅亡してしまえばいいと思いながら歩く。保守的と言うより、閉鎖的で、外部の者に対して、いい態度を示さない。
しかし、金を見せると、コロリと態度を変える。そんな性格、まさに百姓だ。
とうとう次の駅まで歩いてしまった。
今日、一体どれだけ歩いたのか。
しかしこの駅も、店、食堂、喫茶に改造され、もう暗く、しかたがないので、ホームの待合所に寝る事にする。
駅前の酒屋で、一リットルのビールと牛乳を買う。もうヤケ酒である。685円。
時々、汽車が通過して普通列車は止まる。フッとこのまま無賃乗車をやったら面白いであろうにと思ったり。
ビールを飲み終え、サテ、寝るかと思ったが、ベンチが狭く、身動きできないのでリラックスする事ができなく、気が張って一睡もする事ができない。
トラックの音はうるさいし、気はイライラとするし、全く今日はとんでもない日であった。
この日記は、この日に書く事が出来なかったので、次の日に書いた。
使用金額:1805円
こんな場所で雨が降らなくてもと思うが、こんな場所でも雨宿りできたのがよいのか
1979年
昭和54年6月16日(土)
昨日で、九州を去って二ヶ月で、早いものである。
昨夜はベンチが狭かった為か、それとも頭に来ていた為か、一睡もする事できず、いろいろな事ばかり頭の中をグルグルと回り、思考回路がおかしくなったのではと思ったり。
夜が明けて来たら、今度は眠たくなってくる。全くどうかしているよ、この頭は。
もう人が来たので荷物をまとめたら地図がない。どこで失ったのか。多分、あのセメントの砂場ではないか。ああー、600円損した。
歩き始めたら、通勤者が凄いスピードで車を追い越し合いながら、走って行く。
狂気である。
若い奴が吹っ飛ばしていく。この社会、狂っているよ。狂っている事に気が付かないから恐ろしい。こんな事を人に言ったら、俺が狂っていると人は言うだろう。
駅を出て、やっと秋田の手前まで来る。日吉神社があったので、その階段に腰を下し、昨日の分の日記を付ける。今日は曇りで、今にも雨が降りそうな気配である。
嫌な天気に、嫌な地方で、嫌だ嫌だと思ったら、増々嫌になった。
歩き始めたとたんに、雨がパラつきだす。大きな橋を渡り、そこに店があったので、パンと牛乳を買う、350円。牛乳、高いなー。
雨がパラパラと降っているし、家宅だらけで、座って食べるどころではない。
地図がないから、適当に勘で歩く。
大きな道路に出て、国道七号線。雨が強くなり、雨に濡れ歩く。両側に自転車営業所ばかりで、この辺、東京より高い。
コイン・フードの店で休む。煙草を買った、150円。
別に喫いたいとは思わない。むしゃくしゃしている。
一本喫って、別にうまいとも感じない。損したと思った。
歩き始めると雨が降り出す、の繰り返しである。
ラーメン屋があったから、秋田のラーメン、どんなのかと味見してみようかと思ったが、400円の値段を見て止めた。
殺風景な臨海地区を通り、土崎に入る。7号線から街並みに行き、向こうから来る女性、28歳頃か。スポーツ店を訪ね、丁寧に教えてくれる。
口を開けると、入れ歯が見え、よくない。
どうして田舎は、あんな入歯をするのか。若い人が老けて見える。
ガスを二個買う。重いけれどしかたがない。これから先、どこに売っているか知れないから、700円。
曇り空の下を歩く。青果店に一山、200円トマト。安いので引き返して買う。
土崎神社で食べ、23個ある。3個腐っていた。
しかし、余りおいしいトマトではない。値が値だからしかたがないかな。
今この日記を、神社本堂の階段で付けていたら、中学生男女アベックが来て、今、影でゴチョゴチョとイチャついている。
雨はしとしとと降り、どうする事もできない、嫌な雨だ。
この神社、品がない。隣は結婚式場か、とても上がり込んで横になれそうな所ではない。また追い出されたりしたら大変だ。
アベックの話を聞いても全然わからない。英語でもしゃべろ。
菊と刀を読み、振り続く雨をボケーと見、ただ座ってばかり。
地図を探しに行ったが、この辺に本屋はないと。パンを買う、400円。新聞紙、5~6枚ないかと丁寧に尋ねたら、3枚、しぶしぶくれた。
アァー、心の狭い人よ。新聞紙の五~六枚、いっぱいあったのに。
今夜どう寝たらよいのやら、思案に暮れる。嫌な雨だ。
こんな場所で雨が降らなくてもと思うが、こんな場所でも雨宿りできたのがよいのか。
使用金額:1650円
この自分の靴は十一文だから、脱いであげると言う。嫌味のない親切な人である
1979年
昭和54年6月17日(日)
神社境内にある歩道の中に宿る。三枚扉に鍵がかかっていて、鍵を開けたが、よく見ると別の二枚は、チョット押すだけで開くのである。
鍵を開けたままで見つかり、この雨の中を追い出されると困るどころか、悲劇になる。また鍵を掛ける。
御堂の中には畳が敷いてあるが、ゾウキンで拭くと真黒である。
こんなに手入れをしない神社も珍しいのでは。
朝起きてみたら、上に古い絵巻が掛けてあるが、雨と虫でボロボロになっている。
絵巻には、文政二年の年号がしてある。
そのくせに、結婚式場と神主が住む所は、現代的にして金をかけている。銭儲けばかり、うつつをぬかし、肝心な事に手を抜いて、よく神罰が当たらないものである。
昨夜ひと晩中、ザーザーと雨が降り、今日の朝は、一応、雨は上がったものの、まだ今にも雨が降り出しそうな気配の曇り空で、どうするか迷っている。
両側に新設された自動車関連の建物ばかりで、それが終わったと思ったら、今度はドライブ・インである。今日は日曜日なのに、子供たちがランドセルを背負って、大勢通った。
久し振りに産経新聞。この所、どのくらいか新聞も読んでいなかったので、一体何がこの世に起きているのやら。
石材店前の石の上に座って新聞を読んでいたら、車でこの店主が来る。話していたら、中に入って休めと言う。
ボロボロになった靴の話をしていたら、車で連れて行くと。
お言葉に甘えて、中で休ませてもらう。
十.七文の作業靴。しかし、少し小さい。残念。中でボケーと新聞を読む。
出る時、この自分の靴は十一文だから、脱いであげると言う。
嫌味のない親切な人である。皆こんな人ばかりだったらいいのにと思う。
秋田はやたらと牛乳が高いのにビックリする。
自動販売機140円で安い。普通150円~155円である。
大久保駅か、1時半ほど、クジラの缶詰を食べてボケー。
水がまずい。今日はやらと暑く、シャツを絞るとザーと汗が出てくる。
新しいトタン屋根の家ばかりで、もう、古い家なんか一軒も見えない。雪の為にトタンにするのか。全然、味もそっけもない。
地図を失くしているから、サッパリと分からない。味もそっけもない道である。
ただただ広い平野に緑水田で、まともに休憩する場所もなく、神社も全然見当たらない。
精神的にも肉体的にも疲れた。六時、鮎川駅の表示。
こんな何もない所だから、無人駅である。
店屋までこれまた遠くうんざりする。ハウス・マーボートーフを作ったら、いつもと違う。失敗作を食べたら気持ち悪くなった。
店に行った時、道路で子供たちが大勢遊んでおり、俺を見て、皆、鬼だ、鬼だと言って逃げて行く。
使用金額:1615円
今日も一日が終わった。明日、晴れたら一生懸命歩こう
1979年
昭和54年6月18日(月)
昨夜、蒸し暑く、二つのベンチを外に運び出し、寝ていたら、明け方になって雨が降り出す。
明けてもそのまま雨のため、寝袋の中にジーとする。
7時になると、通学生がぞろぞろとやってくる。
ノロノロと起きるのもなんだし、そのまま、みの虫みたい。雨は上がりそうにもなく、降り続き、残りのビスケットを食べ、菊と刀を読む。
9時ごろか。雨は上がったが、曇り空で、降るのかどうか知れず、迷う。
駅の宿直室の窓が開いているので、入る。例の如く、長く使っていない為か、埃だらけで、掃除し、畳を拭く。数年前の新聞を、暇つぶしに読む。
人が掃除したら、雨が降らない。なかなか降らない。
せっかく掃除したのだから、今日は日曜日にしよう。
結局、曇り空だけで、今のところまだ降っていない。
食料を買いに行く、920円。昨日と同じ店、娘さんではない。嫁いできたとか。健康な体の大きな人である。頭が良いのか、打てば響くとは、このことであろう。
しかし、人の嫁さんでは話にならない。
水道でもあるなら、体でも洗い、洗濯もするのだが、水がない。ポンプの線が切ってやる。
本当に無人駅といった感じ。ただ一人、ボケーと。
これで少女マンガでもあれば、最高の日曜日になるのであろうか。それにしても、いやらしい天気である。マーボードーフを作たが、やはり、おいしくない。なにが、おかしいのか。
明日天気になることを願うのみである。
何もしなくても,、刻々と時間だけは流れ過ぎ、十年後二十年後を考えて想像する時、時間が幾らあっても足る事なく、焦りを覚える。
人間の一生は、つくづく短いものだと感じると同時に、幸か不幸か、そう悟った自分は、どの方向に進めば良いのか。
上を見れば本当に限りなく、かと言って、妥協する気はさらさらなく、常に歩き続けなければならない事も人生の苦難。かと言って、休めば楽になるが、体中に、時が去って行く焦り狂う、いらだち。
常に難しい問題だ。楽な道を行けば、後悔するだろうし、苦しい道を進む事に、疲れを感じるし、よく考えると、凡人、六十年掛かる事を、この歳にして終えたみたいな感じがする。
才能があるならば、これを基礎に先に進む事もできようが・・・。
これから流れにまかせるしかないのかな。
三時半頃から、待望の雨がザーザーと降り出す。
ジーンズを裁縫すること、二時間以上。
雨の降る中、大きなバケツを持って水をくみに行く。裸になり雨の中、バケツの水を使って体を洗う。
水が冷たい。こんな格好している時、人が来たら。
日本そばを作ったらドロドロで、食えたものではない。捨てる。銭、損した。
ラーメン食べたら腹の調子が悪い。電気をつけ、日記を少し書く。本を読む。
雨だれの音が聞こえる。
今日も一日が終わった。明日、晴れたら一生懸命歩こう。
使用金額:1120円
昔は、無心にして、回っていた。今は、その重さのために回っている
ヨーロッパを回り、中近東を通り、インドをフラつき、東南アジアをヌケ、日本を九州からここまで歩き、縫ってある糸が切れないのであるから、驚きである
1979年
昭和54年6月19日(火)
明け方、恐い夢を見て目覚め、恐ろしくなる。ひとり寝るこの無人駅、見知らぬ者が、気晴らしに俺を殺すとか。
こんな所で殺されたらどうなるのであろう。
目が冴えてしまう。
五時の時計の打つ音を聞き、六時半の音で、寝袋から出る。
空は昨日と同じ様に、今にも降り出しそうな気配の、曇り空である。
が、しかし、いつまでもこんな所にゴロゴロとしていては、時間を浪費しているのと同じである。
ラーメンを作り食べる。味はなんだか味気ない。
七時になると、自転車に乗って通学生達が来る。女子高校生の方が多い。若い新鮮さか、羨ましい。もう一度あの頃に帰って見たいものである。
昔は、無心にして、回っていた。今は、その重さのために回っている。
歳月の流れに、背中の荷は増々増え、重くなってゆく一方である。
七時十二分の列車が立ち、俺も駅を出る。
一生懸命歩くつもりだったが、どうした訳だか、凄くリュックが重いのである。
歩けば歩くほど重く、腕と手がムクンでいるのが分かる。疲れである。
休憩したくても、水田ばかりで休むところなし。
能代まで27キロの表示版から始まり、今、9キロまでの表示板の少し先。
水田の切れ目に、やっと樹木が並び、少し歩いて、樹に、小さな白いつづられた花で香る。
多分、これがアカシアの花であろう。
右側の細い道、両側に樹と雨に濡れた緑の葉が美しく、ジーと見ていたら、どこか軽井沢の一角みたいな錯覚を感ずる。
その緑の中に、神社の屋根が見えたので、休憩に行くと、階段の上に、読み済みの角川文庫「無心ということ」大拙の本がある。
四枚の扉に、真ん中二枚に、大きな鍵が掛かっている。
向かって左端の扉に手を掛けたら、ガラガラとあいた。中にゴザが敷いてあり、ホウキで掃き、横になったら、そのまま眠ってしまう。
やはり、疲れていたのか。腕のムクミもなくなり、軽くなる。
ボンヤリとしていた頭もスッキリとする。
空も晴れた。青空は見えないが、さてどうすると、起き上がり、扉をガラガラと開けたら、大きな蛇。一瞬、心臓がドキンと。起きたばかりの目が冴える。驚かされたから、驚かし返そうと、ホウキで尾をボンボンと叩いたが、知らん顔している。
殺すわけにもいかないし、ホウキで胴体を持ち上げると、やっと、ノロノロと床下に入ってゆく。
目覚めた時、二人の事を思い出していた。
一人は、ドライブイン工事中の中に入ったら、すぐその後に飛んできて「だみだぁー」と言って追い出したあの百姓と、雨あがりの石の上で休んでいたら「おはようございます」と挨拶して、中で休んで下さいと言う人。この違い、人の心の健康な人、そうでない人。
秋田も上にあがって来ると、人が変わってきたみたいである。
心だけは常に健康でありたいと思うが、とかくこの世は、外見で人を見る連中が多すぎる。
蛇に驚かされ、忘れないうちに書いておこうと日記を付ける。
さて、これからどうすると惑っている。今から歩けば、能代。寝る所、探すのに大変だし、この時間、この神社に腰を落ち着けるのもなんであるし。本も読みたいし、どうしよう。今日も日曜日にするか。
もう、靴底には、大きな穴。両かかとの皮は破れ、親指の所で破れ、底はペラペラになり、歩くと、すぐ疲れが来る。
愛着だ。せめて竜飛岬まで、はいてやりたい。せめて、これが靴に対する礼であろうし、靴のほうも、これだけ使用すれば、文句は言わないだろう。
が、しかし、もう限界は、とっくの昔に過ぎている。
底に大きな穴だから、足下なんか、はけはしない。しかし高いだけあって、強い靴だ。
ヨーロッパを回り、中近東を通り、インドをフラつき、東南アジアをヌケ、日本を九州からここまで歩き、縫ってある糸が切れないのであるから、驚きである。
これが日本の靴であるなら、こんなに絶対に持たない。
日本を出た時通った、津軽海峡の海に流せば、靴も本望であろうが、竜飛まであと1週間はある。困ったなぁー。ここまで我慢したから、もう少し我慢するか。
何時ごろかな、三時頃か。
今日も日曜日、否、常に日曜日みたいで、月曜日。
そんな事はどうでも良い。腹がへったので、食料を買いに行く、1035円。バナナを買ったら、1150g。このおばさん、50gも負けてくれない。自分で計量器を見たとき、253円と言ったら、否、265円と言う。りっぱ、商売こうしなくてはいけないのかと・・・。
神社に還り、昨日の残り、そばつゆで、ところてんを食べたが、つゆが足りなく味気ない。冷たく冷えていたのに、残念である。
賽銭箱の鍵が破壊されているが、相変わらず、いつの世も賽銭泥棒はいるのか。石川五右衛門、いい事言うじゃないか。
アルミサッシの窓と現代住宅の天井とでも言うのか、変な神社。これも時代の流れか。それともこの田舎の不感心性か。田舎ほど、こんな事の感覚のひどさに、閉口する。
本来、北海道に入っているはずであるが、そんな事、固い事なく、柔軟心を持っていく事にしよう。
歩きたい時歩き、休みたい時休み、食べたい時食べる。寝たい時、寝る。
といっても、そうはうまくいかない。歩きたい時は、雨で歩けないし、歩きたくない時、歩かなければならないし、休みたい時は、車がブーブーとうるさく、場所もなく歩くしかない。
食べたい時、店屋はなく、使用できる銭も決まっているから、そうはいかない。
寝たい時、寝るといっても、そんな都合の良い場所、時間に出逢うはずがない。
自由であり、全く不自由である。
しかし、この不自由な自由に、超越する事が出来た時、人間的に進歩するだろうが、その時は30歳を過ぎ、おもしろくも、おかしくもない。別に哲学者になる訳でもなく、宗教者になる訳でもない。
無限があるから、人生、面白いのであろうが、この無限の意味を体験的に知った今は、この無限性にガックリときている。
あそこまで行けばと、地点があるなら・・・。
もっとも、また、有限で、あそこまで行ったら終わりだと分ったら、生きていく張り合いもなくなるだろうし。なまじ早く物が分かる事も、考えものである。
それにしても、右側背中が痛いのは何であろう。
昼寝したら、頭が冴えて書いてばかり。
夕暮れの歩き終わった時、日記を見るのも嫌になり、書く事なんかゾーとするのに。
やはり、疲れはすべてに良くない。
もう一度、日本の外を出てみたいが、どうする。どうする。
日本は狭すぎるのである。
移動場所:鯉川~福田
使用金額:1325円
一体いつになったら、北海道に着くのやら
1979年
昭和54年6月20日(水)
バナナに牛乳をまぜ、朝食を済まして、神社を出る。
相変わらず曇り空で、今にも雨が降りそうな気配。
曇っている割には、蒸し暑く、背中は汗でビッショリ。
コインフード店で休み、ダンプの運ちゃんと少し話す。
高校生が来て、そばを食っている。もうとっくに始業時間は始まっているのに。サボったのかなー。
どこも同じであるが、市街郊外は中古車センターでいっぱい。
その割には値が高い。能代の街に入り、地図を買う。東北と北海道で1200円。
小さな町だ。これでも一応、市だし、すぐ郊外に出た。
能代から海岸線、北へと向かう。道路は途端に狭くなり、田舎道になってくる。
疲れて、北能代無人駅で休憩。単線路でノンビリ。
外から見ると傾いているが、まだ中はしっかりしている。こんなのをユースにしたらどうか。
客は来なく、無人ユースになるかなと思ったり。
駅内で地図を見ながら、先のことばかり考える。
リュックを背負って駅を出たら、パラパラと降り出す。
また駅に戻り、暇つぶしに日記をつける。
なんとなく気にいった駅であるが、駅前に新興住宅が建ち、景観を壊している。
駅の反対側向こうに、古い学校が、樹々の中から見え、周りは水田でよいが、この駅前の新興住宅、4軒、邪魔である。
駅内に、小学生が描いた絵が9枚はってあり、金紙なんかついている。
一枚、面白い絵がある。
飛行機を頭の上に持ち上げ、飛ばそうとしているが、腕が顔にかかって、本当は眼が見えないのに、仕方がないから、腕の中に透き通ったみたいに眼が描いてある。
誠に理屈ではなく、子供らしい自由な発想である。
雨がシトシトと降り、雨垂れの音に、カッコウの鳴き声が響いてくる。腹が減った。
さっき、11時52分の東能代行ディーゼルが行ったから、12時20分頃であるか。
北能代の古い木造のベンチ、二つある待合室で、昼間、この駅に来て以来、ただ止むことを知らない雨は降り続き、食べては本を読みの繰り返しである。
先ほど高校生の女の子達が数人、待っていたが、聞きしに勝る、何をしゃべっているのか、サッパリと分からない。
それに、小さな子供が、
「おメーの名はなんだ」
「おメーではなく貴男だ」と教えても、おメーと言う。
女の子たちの話を聞いていたら、
「おメーおメー」と言っている。
皆、雨の降る線路を歩いていく。
今日もたいして歩かぬ内に、土曜日半日になってしまった。
一体いつになったら、北海道に着くのやら。
駅前に店屋があった。小さな店家で何もない。なんとも殺伐とした所である。
どうやら今夜、この駅に泊まる事になりそうである。
雨は一日中降り続け、本ばかり読んでいたか。
別に推理小説でもないので、全然面白くもおかしくもなく、頭が痛くなるだけで、サッパリと分からない。
時々入ってくる列車から、降りる客は殆んど、女学生。
言葉が通じないとは、おもしろくもない。
ラーメンを作った。終列車の後、寝袋の中に入る。
窓は雨に濡れ、外は暗く静かである。
響いて来るのは、落ちる雨音。
移動地:北能代
使用金額:1110円
気候は、風土、生活、人間を作るが、だから、シーンとしているのかなー
1979年
昭和54年6月21日(木)
何故だか駅のベンチで寝ると、寝付かれない。
特に昨夜は暑く、窓を開けたが、頭の中は色々な事がグルグルとめぐり廻り、結局、頭がボーと眠たくなった頃、おばさんが駅を掃除しに来る。
寝ている訳にはいかず、ラーメンを作って駅を出たのが、六時前で、空は相変わらずうっとうしい陰気な曇り空で、気持ちまでうっとうしくなってくる。
こんな天気ばかり続くと、気分までめいってしまう。
東八森駅に着いたのが、八時頃。駅は無人駅でも、モダンなコンクリート建で、とても今までの無人駅とは、雰囲気がガラリと変わるので、調子が狂ってしまう。
駅前の切符を売っている店で、食料を買う。若い子が出て来て、クルリとしたカワイイ子で俺好みだが、疲れて話す気にもなれない。380円。
磨いたら、きっといい子になるであろうなんて思ったりしたが、指輪をしているので、結婚しているのであろう。
駅に帰って食べて、ベンチの上に横になったが、疲れ過ぎているのか、頭が冴えてしかたがない。
曇っているので、少し寒いくらいである。
岩館の駅で休む。ここは無人駅ではなかったが、小さな田舎駅である。
岩館から大間越まで、道が長いのなんの。風景はがらりと変わり、海は荒々しく狂い、大波が打ち寄せ、凄い響きをたてる。
途中、部落なく、急に山側から海に落ち込み、空はどんよりと、遠方は雨が降っているのか。よく見えない。まさに、日本海の陰惨な景色で、冬の生活を想像するとゾーとする。
気候は、風土、生活、人間を作るが、だから、シーンとしているのかなー。不思議な地方である。
海の中から岩がツキだし、それに波が打ち当たり、大きなしぶきをあげる。その景観は荘厳であり、海の恐ろしさを感じる。
ポスターは、晴れた夏の日か、青い海に海水浴客。
しかし、今日のこの海は、とてもそんなことは想像できない。
緑が美しいが、晴れているときっと素晴らしいに違いない。
山陰を歩いていた時の、あののどかな春の青空と、海から吹いてくるそよ風が、嘘みたいである。
こんな調子で北海道も同じだったら、ゾーッとする。
歩いていたら、ダンプの運ちゃんが乗らないかと。断ると、歩いてはそんなに進まないだろうと・・・。東北に入って、初めてかな。止まったのは。珍しい。
大間越に入り、おばさんに道を尋ねたら、その言いグサ、あれでも人間かと言いたくなる。
駅は、東八森と全く同じ作りである。角の店でパンと牛乳、410円。「10円あげようか」と言ったら、その返事は、何を言ってるのか分からない。もう一度聞きなおす。不思議な日本語である。
店の女の子悪くないが、口を開けると全部虫歯で真っ黒。
お歯黒しているみたいで、ゾーとする。
田舎はどうしてこんなに虫歯が多いのか。
駅で、しばらく休み、歩き始めて、次の部落、黒崎。
寝場を探しながら歩いていたら、右手に、小さなお堂あり。そこに、今夜決め、日記を書く。
このお堂、小さな虫がいっぱい。嫌になる。しかし、しかたがない。小高い所にあり、真正面に荒れている日本海が広がり見える。
6時頃か。
移動地:黒崎
使用金額:790円
2
久し振りに、道らしい道を歩いた
1979年
昭和54年6月22日(金)
今、中山峠を越え、深浦に着いたところである。
なかなか山深い新緑の香りが漂い、情緒ある道であった。
途中、何ケ所も沢の水が流れ落ち、その水はおいしい。
時々、パラパラと雨が降り、相変わらずの曇り空である。
深浦の手前まで来ると、雨が降り出し、農機具入小屋に入り、雨が上がるまで本を読んでいたら眠くなり、ワラの上に寝る。
深浦に入ると寺の山門が見えたので、暇つぶしに見に行くと、よく掃除をした寺で、中は変な絵ばかり。
寺を回っていたら、八十四才の住職。この寺は山伏の祈とうする寺であるとか。円覚寺。
急ぐ事もないと思って、日記を取り出し書き始めたら、この老いた山伏のおじさん、話してばかり。
黒崎のお堂は昨夜、蚊に悩まされ、明け方、眠くてしかたがなく、寝袋の中でグズグズとして、諦めて歩く。
200メートル程歩いた所に、寝るのにもっと良い神社があった。
曇っているのに、やたら汗ばかり。牛乳140円。最近牛乳がおいしく感じられない。
黒崎駅でパンを食べ、230円。休憩して、十時歩き始める。
こんな小さな駅なのに、KIOSKがある。買い手があるのか、不思議。
ここの所、新聞を読んでいないので、一休み。この世の中、どうなっているのやら、さっぱりである。
岩崎から中山峠に向かって右側に道は入り、坂道を登り始める。道は地面の自然道で、時々道が、川みたいに水が流れ、穴の空いた靴底から水が入ってくる。
久し振りに、道らしい道を歩いた。どうも国道は車がうるさくてかなわない。
この東北の端近くになってくると、女性と言うよりも中年女のおばさん達、凄い体をしている。
重労働の証か、人間らしい美しさはあっても、とても女性と言う美しさは一片のカケラさえ見えない。一応これでも女である。これも女かぁー、嫌だ嫌だ。
(今、毎日イリコを食べている)
寺の本堂の階段に腰を落とし、曇った空を見上げては、俺の心の中までウンザリ曇ってしまう。
多分、現在、三時頃ではなかろうか。
ユースホステルの表示が掛かって、こんな所にユースがあるのか。越前ユースの後、今日まで32日間、銭を出して泊まらず。
こうなったら、別に泊まってもどうでも同じである。
天気が悪いから、体を洗えないし、いい場所がない。
坂を登りきった所に高校があり、店屋でパンとジュース、540円。自炊するにも、この辺は僻地なのか、都合が悪い。
前方に、海岸線に沿った道路が見えるが、長い道路に、部落、家1軒、見えない。
曇り空の、今にも降り出しそうな気配。右手の上に鳥居が見えたので、上ると、神社。
境内は草ボーボーである。中は畳が敷いてあるが、例の如く、埃だらけ。下に水を貰いに行く。土堤の草を刈っているおばさんに水を尋ねたら、隣で貰えと。水くらいくれたって良いだろうに。
隣家で水を貰い、ついでにシャツを洗濯する。体も洗いたかったが、人の庭ではタオルで拭くだけ。
神社に帰り、パンを食べ、例のごとく畳を拭く。
蚊が多い。今日は蚊やが、かけそうである。
目前に灰色の空と日本海が見えるが、なんともやり切れない色である。
晴れた日は、きっと美しいであろう綺麗な物も、色あせてしまうと、味もそっけもなくなってしまう。
人間も同じであるか。
移動地:深浦の郊外
使用金額:1430円
まだ竜飛崎まで90キロにある。愛着も考えものである
1979年
昭和54年6月23日(土)
暗くなって寝るには早すぎるので、ビールを買いに行き、いり子をつまみに飲む。
いり子の食べ過ぎか、いつまでも眠ることができず、真夜中、胸クソ悪くなり気分悪い。
真夜中、神社の欄干からクソ垂れたら、少し気分が落ち着くが、そのまま夜明けまで眠る事できず。ここの所、寝不足続きで、ノイローゼの始まりかなー。
今日も変わらずの空で、歩き始める。7時頃であろうか。
段々と家宅が少なくなり、駅も小屋だけと云った調子になる。
驫木駅で休んでいたら、駅の中に二羽のツバメがせっせと巣を作っている。
巣を作り、卵を産み、子を養い、そしてくたばる。不思議といえば不思議である。
時が過ぎるしたがって、曇り空の間に、少し青空が見える。
遠く北のほうは、水平線の切れ間に、線のように雲が流れ、灰色だった海が、少し青く見える。
食料、495円。防波堤の上に座って食べるが、最近、味気ない。
考え事が多すぎるのか。色々な事ばかり考えて歩いている。
精神衛生上良くないと分かっているが、大戸瀬駅で、休みがてらに日記をつける。
この駅、簡易郵便局になっている。今、この駅前で、建築中の家、こんな所に住む生活とはどんなものか。これも不思議な人生だと思う。
この駅員、郵便局員とかねている。
ベンチに17日付の読売新聞。久しぶりにまともな新聞。スプライト90円。
千畳敷まで行き、岩の上で読む。ひとりの中年女性が海を眺めていた。
中年太りしていたが、健康的というか、外人みたい。ひとり車に乗って去った。
珍しく空は晴れ、裸になって新聞を読む。おもしろい。やはり地方紙は足元にもつかない。
いつまでも読んでいたら、きりがないので、歩き始める。
珍しく車が止まり、「乗りますか」と。丁寧に断る。
北金ケ沢駅前で牛乳160円。高い。頭にくる。全く頭にくる。牛乳の値段が、北上するにつれて上ってくる。
駅で新聞を読みながら休む。
プロポーズ大作戦のテレビ音楽と、「神の御前に」例の文句が聞こえてくる。
3時20分歩き始める。
4時半頃、鳥居が見えたので、上る。陸奥柳田と赤石の中間である。
新聞を読んで考える。
空は、北金ケ沢駅を出た時、いつの間にか曇り、パラパラっと。
ここに来た時も同じだったが、今は青空が見え、太陽がサンサンとしている。陽が高いが、足裏が痛くてダメだ。半分裸足で歩いているのと同じである。足がはれ上がってしまった。まだ竜飛崎まで90キロにある。愛着も考えものである。
津軽、全然好きになれない。
格好良くないが、こ.の辺の女の脚、大根足が見当たらない。
美人はいないが、ポッチャリの可愛い子がちらほら。
あと3日、新しい靴買って、荷物を整理して、心機一転して頑張るか。
使用金額:745円
それでは、北海道に着いたらハガキでも出すよと、住所を書いてもらう
1979年
昭和54年6月24日(日)
腹が減っていた為か、夜中に目覚めることなく、朝方まで寝ていた。
珍しく樹木の陰から青空が見えた。
昨日の夕暮れ、周囲に店屋がなかったので、スカした腹をかかえ、寝る。
朝歩き始めて、開いている初めの店に入ったが、牛乳がない。
おばさん、店を教えてくれる。牛乳とパン、ジュース365円。
海に出て食べる。風が強く吹きつける。最近ろくな物、食べていない。田舎の店だから、ろくな物売っていない。
今日は日曜日か、鯵ヶ沢町に入って、珍しく新聞を見つける。東奥日報。ないよりマシである。
新聞を持って、右側奥に神社があったので、階段に座って新聞を読んでいたら、ガラス戸をガラガラと音を立てる。後ろをふり向くと、ふとったおばさん。
おばさん、話しかけてきて、上に上がって休めと言う。
靴を脱いで、見た足元が、ボロボロなのを見て、クツ下をあげようかと。
クツ下は持っているが、靴底に穴が開いているから、新しいやつをはいても同じである。断り申す。
足を洗って上に上がる。掃除中である。きれいに掃除してある。
境内に子供たちが遊びにきている。のんびりと、最後の最後まで丁寧に新聞を読む。
それではと、立ち上がる。おばさん、ごちそうでも食べていきなさいと言う。
本心かどうか知らないけれど、水ぐらい欲しいでしょうと。
リュックを背負って少し歩いたら、おばさん、社務所の中に入っていた。
社務所から出てくると小さな箱を持っている。
「荷物になるでしょうが、記念に持っていきなさい」
一瞬、アァーとする。津軽にもこんな人がいたのか。
別に何もいらないが、気持ちがうれしいではないか。
記念に判でも押してあげようかと。
日記に押してもらう。
ノートを持っていったまま、チットモ帰ってこない。読んでいるのかな・・・。
それでは、北海道に着いたらハガキでも出すよと、住所を書いてもらう。
「ふとったおばさんがいた」と日記にでも書いていてちょうだい、と。
人相は悪いが、親切な人であった。やはり例外と言うものがあるのか。
国道から県道に入り、北へ。広い畑にスイカとウリ。まだ実がなっていない、残念。
広い畑が続き、家がなく、ノドがかわいたが、水がない。イライラして歩く。
こんな広いところである畑に、水をまくはずだと思い、半ば気がついて歩いていたら、あった。井戸からくみ上げて、水田に流している水が。
冷たくおいしい。やはり自然の水が一番おいしい。
水道局の水は薬の味。せめて、味の素でも入れて味付けなおして水を流せ。
おばさんにもらった箱を開けたあら、コンブに羊かんを巻いた奴である。1本食べるのに一苦労である。お茶でもありノンビリと食べるならがともかく、これでは・・・。
休みがてらに、草の上に横になって日記をつけるが、色々な虫がズボンの中に入ってくる。
それに、晴れていた空も曇りだす。今日、風が強く気持ちが良い。今朝、休みのガソリンスタンドの水を使って体をふく。こんな雨宿りするところない道で、雨が降ってきたら困る。
多分、1時頃であろう。
県道と思っていた道は農道であり。多分、終戦後に開拓地として耕地されたのであろう。
家なく、湿地帯に畑ばかり。沼地で地形が変わり北海道的である。
やたらとダンプが走りまくっている。安歩妨害である。
風は強く吹き、曇り空の天気は心配のたね。
これで一雨降られたら、もうアウトである。
苺が紅く見えた。しかしもう時期が終わったのか、まともな物はない。
とにかくスイカと瓜畑がどこまでも続く。夏くれば、スイカの食べ放題か。
鯵ヶ沢の町を出た所に、イカ焼きの小屋が立ち並ぶ。
夜になると、海に漁火の灯が浮かぶが、多分イカ漁なのだろう。
港によく、イカ船を見かけた。そのイカがこれで最後であろうと、味見である。
迷って大金、250円出し食べた。おいしいが高い。ペロリと終わる。
平滝沼公園から1キロほど先、左側に小さな神社あり。
雑草のはえた小路を行くと、小屋が建っている。戸を開けると、小さな神社あり。
これでも神社か。初めて見た。
もう足がガクガクで痛いのなんの。ゴザを敷いて横になる。
相変わらず風はビュービューと吹き、台風みたい。空は曇って、今にも降りそうで、降らない。迷っている。寝るには早すぎるし、歩き始めて繰り出したら、こんな湿地帯、こんな良い場所は、まずないであろう。地図に舘岡羽黒神社の印があるが、まさか地図にのっているような神社、人が居て、寝れないだろう。
新聞の中学3年の力試し、英語をやって、分からない所あり。簡単なのだが、意味がよく分からない。漢字、さっぱり分からん。悲しくなるなー。
今、羊かんを食べながら、地図を見たり、辞書みて漢字を探したり、歳をとって覚えようと思っても大変である。
あの小学校の時、よく学校に行けかなかったのが、尾を引いているのか。
今考えると、俺の親父の言いグサに頭にくる。一番大事な時、子供の守りをさせられ、学校行かれずして、高校進学を一度話した時、「お前みたいなボンクラ頭、行く必要あるか」
この言葉一生忘れないだろう。
全く勝手な親だ。あれが俺の親か。
困った天気だ。歩いてみるかなー。
羊かんの食べ過ぎ。口の中がおかしくなるが、捨てるわけにいかない。
この小屋の中に、素朴な太鼓がある。民芸屋に持っていったら、良い値になるかなー。
歩くのやめた。本を読む事にする。
今日も腹スカしになり、もし明日、雨が降って、歩けなかったらアウトだなー。
陽が高いし、迷った末に歩き始める。しかしこれが間違いの元であった。
途中、山の頂に神社が建ち、眺望の良いことであろうと思ったが、やめた。
やっと道端に家があり、若者に道を尋ねると、全然地図に載っていない道を歩いてきたらしい。
それに、目的地を通り過ぎている。この地、筒木駅。
時間、6時30分である。曇り空で、太陽でも出ているなら、多少の時間はわかるが、これでは、あのまま神社に居ればよかったと後悔する。
7時頃か、建築中の家あり。その中に入って迷ったが、今夜、この家に泊まる事にして、本を読む。
ファンタの入った箱あり。大工連中が飲むのであろう。一本失敬して飲んでみたが、美味しくもない。。
ポンポンの所に電話をかけたが、留守であった。頼み事の件、電話の様子では、無理のよう。
やはりあの男では無理かと、ガッカリ。もう諦めよう。
大きな家である。何人家族の家か知らないが、隅々まで、もし自分がユースを建てるならと思って見るが、なかなか思うよにはいかない。
この大工、あまり腕の良い大工ではないらしい。小さなミスがたくさん目立つ。
この小さなミスの積もった失敗が恐いのである。
それにしても、この地方の新興住宅の品のなさ。外面ばかり。
変なモルタルで塗りたくり、同じような2階建てで、全然個性がない。
人と同じ物を建てて、安心しているのであろう。
これも日本的精神文化の習慣の表れの一つか。
暗くなって、寝袋の中に入っていたら、さかりのついた、いやらしい声を立てて、二匹の猫がフニィーフニィーと。人間の赤子みたい。頭にきて、暗闇の中に、木を投げたが、どこにいるのか分からない。時間が経つと、また始める。憎き奴らで、寝袋から出て、家の中を棒を持って、ガンガンとやりながら歩く。どこに入るかしれないが・・・。そのうち、静かになり、遠くの方から聞こえるようになり、
寝袋に入ってジーとしていたら、頭がモゾモゾとする。手をやると、ヌニーとする。
多分、毛虫であろう。嫌だー。
『人が本当に恐ろしいのは 困難や逆境ではない ぬくぬくとした居心地である』
今日は歩いて行った鯵ヶ沢町の寺の中に書いてあった。
使用金額:615円
黄金色に輝いて光っていた夕陽のアイガー北壁を思い出す
1979年
昭和54年6月25日(月)
夜中強い風が吹いていたためか、蚊がいなかったが、風がやみ、生暖かくなったら、例の如くブーと音がして、アチラコチラとやられて、安眠妨害である。
こんな所、蚊やなんか吊れないし。
明けて、空は紅い色をした雲が浮かんでいるのが見えたが、瞬時にして白くなってしまった。
黄金色に輝いて光っていた夕陽のアイガー北壁を思い出す。
あの時も黄金色に輝いていたが、二、三分もすると消えてなくなってしまった。
人が来ないうちに歩き始める。コーラ1本ホームサイズを失敬して、飲みながら歩くが、美味しくない。寝不足の疲れと空腹で、足がヨタヨタである。
歩いていたら、家の垣根にバラの花が夜露に濡れ、美しいと思った。
早い朝は清々しく気持ちがいい。
青空が見えていた空は、いつの間にか霧がかかり曇りだす。
休憩する所を探しながら歩くが、こんな時に限って、ないのである。
車力村、牛潟。こんな早く店開いているのかなー。
通り過ぎ、村にしては、大きな家に、店のある村だ。時々、ワラぶきのリッパな農家が見えるが、窓、縁側の戸が例にもれずアルミサッシである。
チグハグである。
農富に行く表示が出ている部落に、神社が、山の頂にあるので、墓場を通り抜け登り、中で休む。畳が敷いてある。
稲荷神社である。建て替えたのであろう。
建物は新しいが、狛は古い。横になっていたら人が来る。
この氏子代表とか。歳を取り過ぎたおじさん。
話ばかり。俺は疲れている。休ませてくれ。
おじさん、行って、それが8時。横になっていたら、眠ってしまったらしい。目覚めて、日記を付ける。
大きなアリが、俺の足の毛の中をウロウロとする。追っても追っても来る。殺すわけにはいかないし、言葉が通じないし、困ったものだ。
空は灰色に曇ってしまった。
今日の朝、広い水田に朝霞。津軽にこんな広い所があったのかと、以外であったが、見渡す限りの水田。日本で一番、米も余っているのに、まだ作り、税金の無駄遣いの最悪のひとつ。大きな家が立つはずである。
昔はともかく、現在ではおそらく世界で一番保護されているのは、日本の百姓であろう。
農産物減輸入の看板が立っていたが、勝手なものだ。まずい物しか作らないくせに、もっと自分の事だけより世界の情勢を見て、謙虚に自分たちの置かれている立場を考えろ。百姓。頭にくる。甘えるのもいい加減にしろ。
さて歩き始めるか。
腹がグーグーとなる。もう店は開いているであろう。
食料310円。店のおばさん、歳は40ほどか。しかし、口を開けると、金銀の総入れ歯である。黄金バット顔負けである。
十三湖の水は濁り、防風林の松林の中を行く。
歩きやすい。ちょうど良い気温と、風が吹く。しかし、すぐ疲れが来る。食物のせいであろう。ろくな物を、食べてない。
十三に着いたが、道路脇にある家はうら寂しい。
人通り、ない。一体何をして生計を立てているのか知れんが・・・。低いトタン屋根、静かで、海があり、保養には良いかもしれないが、生活するには大変だ。
木造の橋を渡り反対側へ。所々に紅色のハマナスが咲いている。
松林が終わると、海が見えたので、ズボンをめくり、波に足を入れ遊ぶ。考えてみれば自分の足ながら、酷使されてかわいそうだ。
ノドが渇いて、水がないか。
先にやっと部落が見える。足下はボロボロで捨てる。
ドライブインで水を汲み、海に出て、朝の残りのパンを食べる。
自分が想像していた津軽半島の津軽とは全く違うが、10年前を想像すると、丁度イメージが合うのでは。自分が思っているのは、昔の写真の記憶からであろう。
凄いボインの中学生の女の子が通る。最近の中学生、凄いなー。
坂道を登った所に学校があり、5時、帰る女子中学生5人が向こうからやってくる。
ジーっとその中の1人を見ていたら、スレ違う時、女の子見られるのに我慢できなくなったのか、「こんにちは」と。俺もにっこり笑って「こんにちは」と言ったら、皆、大笑いしている。
小泊村に入って、寝るところなく困っている所である。
夕暮れで雨が降りそうで、どうする。
船があげられている所で、日記を付けていたら、酔った意地の悪そうな兄ちゃんが来て、海を見ながら、明日は「雨だ」。
リュックを背負って、さてと思ったら、大きな竹で編んだ籠を背負ったおばさんが来て、話しかけられた。泊まる場所を訊いたら、俺みたいな旅行者は皆、小学校近くの寺に行くと言う。さっき子供たちに訊ねた時も、同じことを言っていた。どうも泊めてくれる寺らしいが、俺はいかない。
稲荷と神社を教えてもらう。
しかし、これが遠方の端まで来ていたから、今度、反対側の端まで、ウンザリ。
一番近い稲荷へ。四人の男達が話して、その前も通り過ぎ、前から来ているおばさんに、稲荷神社を訊ね、行き過ぎたので、引き返したら、さっきの四人男達の一人が「貴方に会いましたね」と言う。全然知らん男である。話していたら、会ったというより、吹浦でコロッケを買った時、電話していた時の二人で、あの時は、話をしなければ、顔も見ない。
向こうは俺を覚え、特に靴が破れていたので覚えていたとか。
小松機械船舶用エンジンを売ってまわっているとか。
稲荷に行こうと思っていたら、山の神社のほうが海が見えていいと、後から来たおやじが言う。
山の頂の神社は遠いが、この「海が見える」の言葉につられ行く事にした。
小泊港、津軽の端。海向こうに島が大きく見えるのは、北海道であろう。
曇った空に、夕陽はない港には、たくさんの漁船が入り、船に多くの電球を付けている。イカ漁船か。なんとなく、気に入った港である。
パンとチクワ、ビール。夜の海を見ながらと思って買ったが・・・ 510円。
使用金額:820円
いよいよ明日、本州の端っこ、竜飛
1979年
昭和54年6月26日(火)
昨夜、教えられた通りの道を行ったが、細い道を行き、山ひだに建つ家の裏を通り抜け、赤い橋を渡り、山の深き杉林の坂を登るが、それらしきものは見当たらない。
指示版に出ていた尾崎神社のことを言っているのか。
もう薄暗くなり、こんなところで道に迷ったら大変だ。
山を下り、道路に出て歩いていたら、先程のおやじ。行った事を話し、神社は、俺が引き返したその先にあると言う。
「海が見える」の言葉を信じ、山道を登っていく事。二度、馬鹿みたい。
確かに鳥居が見えた。少し下った所に、神社より小さなお堂である。
海が見えるどころか、大きな樹木に囲まれ、深い森の中にポツンとある。
最悪で、水もなければ何もない。あの爺の言葉を信じた俺が阿呆か、それとも、あの爺が悪魔か。扉を開けると、新しい畳が敷いてあり、まずは、山道を歩いてきた汗を拭き、ビールを一口ゴクゴクと。この初めの一口の味は何ともいえない。
ローソクに火を付け、チクワをつまみにビール。これで夜の海が見えたら文句なしだが、扉と小さな開かない窓が一個。ローソクの灯で、古い日付の新聞を読む。
いよいよ明日、本州の端っこ、竜飛。
蚊はいなく、少し寒いくらいで、丁度寝るのに良い気温である。
朝、薄暗い中で目覚め、聴こえる音は小鳥の一声ではなく、トタンの屋根の上に落ちて響く雨水の音である。
扉を開けると、薄明るい朝の光が、サッとお堂の中に入ってくる。
雨に濡れた緑の小葉は美しいが、そんなものジーと見つめていられる程、俺の心は豊かではない。古い新聞を読み、稲荷神社に泊まらなかったことを後悔する。
あそこなら、すぐ下に店がたくさんあり、雨が降っても、何か温かい物でも作り、日曜日としゃれ込むのに・・・。
こんな何もない樹木の中の、一軒家、退屈である。
日記を付けるにも、薄暗いお堂の中、歩くのも大変だが、この殺風景なお堂も困る。
ビールとは言わない、これで熱いお茶でも飲みながら、雨に濡れた樹木の葉を見て、雨垂れの音を聞くのも、心の静養にいいかもしれんが、飲む水もなく、食べる物は食パン三切れが残っているだけで、今日は食パンだけとの付き合いになりそう。
食べ物はなくても、せめてラジオ。ラジオがないなら、明るい光。
あの爺は悪魔だ。
疲れているのか、今、ウターとして起きたところ。
雨のほうも、こんなに降り続き、よく疲れないものである。
この日本一周が終わって大工になり、ユースでも、なんて、毎日同じことを考えているが、今、岡山のことを夢見た。
乾いたノド。降る雨の水はひと口も口に入らず、降る雨は、木の葉々にあたり、音を響かせ、時々知らぬ小鳥のさえずりが、その音の中を通ってくる。
強く降り出した為か、もう小鳥の鳴き声は聞こえなくなった。
小鳥も大変だ。この雨の中、どんな雨宿りの仕方をしているのか。お堂は無い。その上、町と町の間に距離があり、町、部落に入ってもどうなる事やら。これでこんな雨でも降られたら、大変だー。
菊と刀を読んでる間に、六個のバケツ、ナベ、洗面器を並べ、屋根から落ちてくる水をためて、水浴び?して体を洗う。
こんな所で素裸になり、石ケンをつけてゴシゴシとやっている姿を他人がみたら、気狂いと思うであろうし、何と思うだろうと想像する。
ジーンズを洗面器に、水につけたが、器が小さいし、水が不足であろうか・・・?
もう薄暗くなってきた。夕暮れか。夕べの支たくをして、おかずの香りがプーンとして、一家団らんの夕食。俺には縁がなかった。つかの間のスエーデンでの生活の時だけである。気を使わずして食べられたのは・・・。不思議な人生だ
雨の中、下まで降りて行くのは面倒だったが、この面倒と思う心が良くないと、ジーンズをヒザまで折り曲げ、ポンチョを着て水入れを持ち、裸足で出る。
このお堂の前に、別の下に行く道があったので、もしやと思い、少し歩いてみると、樹々に囲まれた神社があった。あの爺さん、これの事を言ったのであろう。しかし、どっちにしても海は見えない。昔の城跡であると、立て看板に説明書。
雨が降る杉林の山道を行く。小路に水が流れ、時代劇に出てきそうな風景である。
水に濡れた古い杉の葉を踏みながら、沢には濁った水がゴーゴーと音を立て流れてゆく。
店で食料を買う。何を買ったらよいのやら迷う。
もし明日も雨であったら、又、降りてくるの難儀だ。
モヤシ、豆腐2、マーボー豆腐の素、インスタントラーメン2、生ラーメン一個、チクワ二袋、パン一個、牛乳一キロリットル、1125円。ビール400円。
若い女の子、かわいらしい子である。
偏見を持たないのか、年24歳。結婚しているとか。
「何しに来たの」と言うから、
「嫁さん探しに。貴女にしておこうか」と言ったら、
私、もうすぐ結婚するの・・・。
お堂に帰り、マーボー豆腐を作る。中にモヤシを入れる。
ビールを飲む。やはり、空腹で飲まないと美味しくない。
雨水で食器を洗い、ローソクの灯で日記を付ける。
やる事がない為か、スイスイと字が書ける。
普段は歩き疲れ、書くのも嫌で書くから、悪筆が、更にミミズの這ったような悪筆になる。
しかし、根気よく書くから、我ながら感心だ。
休む事もなく、今だに雨が降っている。
20時18分、めったに使用しない時計より。
使用金額:1525円
12845円
空腹の一日や二日は我慢できるが、雨にやられたら終わりだ、こんな所
1979年
昭和54年6月27日(水)
満腹の為か、夜、寝つかれず、真夜中、歌を歌ったり、太鼓を打ったり。
夜が明け、空を見ると、雨は止んでいるが、曇り空。
森の陰から少し見えるだけで確かに分からない。
分からないのを、どっち付かずで迷うのも面倒で、寝る。
起きて外を見ると、太陽の光が射している。十一時二十分。荷物をまとめ、山を下る。
山道は水でビショビショで、靴の穴から水が入るので、下まで裸足で下りる。
下におりてきたら、空は曇っており、重くのしかかった雨雲が恨めしい。
地図にのっている国道339号線は、実在せず。ただ計画中の事。
全く頭に来る。凄い遠回りを強いられる事になる。
不安な心をかかえ、林道を登り始める。
林道だから民家はなく、これで雨が降ったら、もうアウトである。
深い谷間にうっそうとした原始林。三馬まで23.5キロの表示。
この距離は無理だ。朝からなら良いが、午後からでは夕暮れに。
こんな山道、雨が降って道を間違えたら・・・。
7キロほど林道を登ったところに、作業員休憩小屋が建っている。その横を通りすぎ、500メートル行ったら、パラパラと降りだす。引き返し、その小屋に行ったが、鍵がかかっており、この鍵は開けられない。五円玉で木ネジをはずそうとするが、木ネジの山がツブれており無理で、その内、雨がザーと音を立てて降りだす。
あせる心とは裏腹に、どうする事もできない。
小窓に手をかけたら開いた。その窓に無理矢理リュックを押し込む。
中に入ったら雨は止んだが、山なので、すぐそこに雲がかかっている。
小屋の中で、沢の水を使ってラーメンを作る。空腹の一日や二日は我慢できるが、雨にやられたら終わりだ、こんな所。
小屋の中に入ったら雨はチットも降らず。
日記でも付けようとしたら、車にドラム缶を積んだ車が、小屋の横に止まった。
また追い出されるのかと内心ハラハラ。
ジーッとしていたら気がつかないのか、ドラム缶を落とすと去ってしまう。
現在、3時5分である。荷物がないなら、このくらいの距離、スイスイと行けるのだが。
この林道を歩いていて、昔の乗鞍の道を思い出す。よく似ている。
本来、昨日は竜飛岬でボケーとのハズが、こんな調子では、一体いつになったら着くのやら。
流石の俺も音を上げそうである。
曇っていても絶対に雨が降らないと分かっているなら、山深い道でも良いのだが。
明日は一体どうなるのやら、困った事ばかりで。
手紙も書かなくてはいけないが、全然そんな気分になれない。これも試練なのか。
神も仏もあったものではないか。
竜飛岬に着いた時、NHKに書こうと思っていた手紙を暇つぶしに書く。
作業員の残したブタ汁か、冷たく鍋の中にあったので、ガスで温めていたらヒックリ返す。がっかり。
腹ヘッター。
夜、真暗になり、静かな小屋の中に、ガサガサと音が響く。ネズミか。
何時頃か、トタン屋根が雨に激しく打たれている。
また、雨である。
ウツラウツラと眠る。
雨の音も悪くないよ。
もし、ビールがあるなら。
使用金額:0円
峠を下り、時々流れ落ちる自然の水を手ですくい、飲む水の味は、またこれ格別である
1979年
昭和54年6月28日(木)
窓から見えるのは、霧の為にボヤーとしているヒバの森。
雨はやんだが、霧のため空の模様はさっぱりとわからない。
寝袋の中にジーとしていたが、いつまでもこんな事をしていてはダメなので、荷をまとめ、小屋を出る。
出入り口の、昨日外した鍵は、カナヅチで元通りに打ちつける。
美しいヒバの原生林で、林道は昨夜の雨の為、川となって水が流れる。
道が川なので、その中に入っていくしかない。靴がビッショリと濡れ歩きづらいが、気分的には最高の道である。
途中、いたる所から水が流れ落ち、家も人も車もほとんど通らず、ヒバの森は深く、峠まで来ると、国有林ヒバ実験場なんて書いてある。
峠を下り、時々流れ落ちる自然の水を手ですくい、飲む水の味は、またこれ格別である。
下り山道は平坦な道になり、右横にゴーゴーと昨夜の雨を押し流す河が流れている。
全く水の豊富な所である。それにしても腹が減った。
しかし、気分が良いためか、歩くペースは凄く速い。
500メートルごとに棒が立っており、距離数が書いてある。
きっと秋の紅葉した季節は、美しいであろう事を想像する。
浦川に入りホッとする。
今、竜飛岬の丘の上で書いているが、明日書くことにする。
NHKに書いたものを出すために郵便局に行く。大きな封筒を訊ねたが「郵便局には封筒、売っていません」・・・。
海岸は広く、埋め立て地で、多分青函トンネルの土砂であろうか。岩が違う。
食料330円。北海道フェリーを店のおばさんに訊いたら、今は就航していないと言う。
「エーと飛び上がらんばかりに」俺の心臓は驚く。
長い間食べていないのも、後に。
教えられた場所に行ったら、東海汽船か何かの看板があり、おばさんに訊いたら、7月1日から就航するとのことである。
地図を広げ見ると、青森まで約80キロ近くあり、2~3日間の距離で、どちらに転んでも7月1日になる。
仕方がないので、とりあえず、食物を腹の中に詰め込む。
防波堤を背にして食べていたら、おじさんが来て、なんだかペラペラと話す。
大変だ、大変だと言う割には、チットも驚いた様子がない。実際には九州から歩いて来たと言っても、その感じがピーンとこないのが本当であろう。
斜め前に写真屋があるので、3日間この暇を利用して、今まで持っていたフィルムを出す。この写真屋のおばさん、歳は40前か、おもしろい人である。
文房具店を訊ねたら、原稿用紙だったら私持っているからあげるわと、ドッサと持ってくる。書くのが好きで、小説なんか書いているとか。主婦の友に出したら、佳作しかもらえなかったと。脚が悪いのか、ビッコをひいている。
竜飛岬まで11キロ。船の話を聞いて、急にガックリ、力が抜けて、ダラダラとしかと歩けない。今朝まで空腹でもあんなにスタスタと歩いていたのが、嘘みたいである。
途中、急いで行っても仕方がないし、あぁー、二日間の日曜日だと諦め、堤防で、食料610円を買ってきて、ボケー。
今日は、峠を下り始めたころから青空が見え、スッキリした空ではないか。
珍しく太陽が顔を見せた。
ポカポカとした日和で、ウターとする。
3人の子供たちが、網を持って何かを獲っている。
俺が珍しいのか、近くまで来る。一緒に遊ぶ。
貝を割って、釣り糸を垂れたが、岩に引っかかったのか、切れてしまった。
3人の子供たちは6歳で、素直で無邪気である。
冗談で1人の子を、海に落とすふりをしたら、泣き出した。アァー悪かった。御免。泣くなと勝手な事ばかり言う自分。悪い人間。以後注意します。小さい子供にこんな冗談通じない。
せんべい食べると言っても誰も食べない。
残っていた一本のバナナを出したら
「僕、バナナ好き」
3人で分けて食べていた。
3人の親は海の下で、トンネルを掘っていると。
別れるとき、泣いた子供が、また遊びにきてねと手を振る。
3人、防波堤の上に立っている。
歩いていたら、6~7人で遊んでいた子供達が俺を見て、その中の1人、女の子がクスクスと笑っている。
1人の男の子が、俺に敬礼の手をあげる格好をしたので、俺もしたら、2人走ってきて、両脇についてくる。小学校6年。
それからしばらくしてから、左側崖の中で遊んでいた5歳ほどか、1人の子供がもう1人の子供をつついて、俺を見ている。
2人で何かチューインガムを出して遊んでいたが、俺がニッコリすると2人とも飛んできて、1人1枚ずつガムを「これあげる」とくれた。
同じ津軽半島でも、内地側になると、素直になるのかなー。
海岸線に切れ目なく続いていた小さな港と、打ち上げられていた漁船が終わり、山の頂に住宅が見え、日本鉄道公団工事なんとかかんとかと書いた板が立つ。
坂を登っていく。
山にズラリと建ち並ぶ寄宿舎。学校もある。
確かに俺が想像していた竜飛岬だ。
寄宿舎がないなら、高い山、両側に海が一望され、地にはユリの花がチラホラと見える。
丘の頂に建つ休憩所。山小屋風で、品がある。
この竜飛岬に立つこと、17時40分である。
全面ガラス張りの、この小屋、カギが掛かっている。もし中で寝れるのなら、最高の一日となったであろうに。
風が強く吹き、遮るものなく、日記を書いていたら、この広い空間にいて、俗物的な習慣、日記を書くことを途中で止め、ボケーとする。
この工事関係建物がなかったら、緑一面と、高い頂から見渡す津軽海峡と北海道は、最高の岬であろう。
1人の男がカメラをぶら下げブラブラしているので、話す。
取材に来たとか。劇団関係なんとか。西の空は段々と、夕陽のため、光を射し、海を染める。
上が曇っているので、曇った雲の下に太陽が出る。
この東京から来た男、夕陽を見る為に待っていたとか。しかしそれにしては、せかせかとしている。
これも現代病のひとつか。
いい岬にしては、全然つまらない夕陽であった。
宿舎に夜の灯がともり、日本海の水平線に、何百という船の漁火が、ズラリと一直線に浮かんでいる。
ビールを飲む。ひとり頂の上、今日も一日が終わる。
移動地:竜飛(本州のさいはて、津軽国定公園)
使用金額:2040円
毎日さんざん歩いているのに、散歩したくなるような所である
1979年
昭和54年6月29日(金)
明ける下北半島の空は美しく、何色と云って良いのか。
空が段々と明るくなる。この時、50ccのオモチャバイクに乗ったガキども三人が、この神聖な静けさを破る。
しかし、俺を見てすぐ下りていった。
また静かになり、ベランダ越しに空を見る。ビールを朝っぱらから飲み、この朝のひらけゆく世界を、一人静かにと思ったが、明けるとともに曇った空に灰色の雲が流れ、この美しさを覆うように邪魔をする。
明るく染まった下北半島の空を、一時間は見ていたか。
後は曇ってしまい、荷をまとめ下に降りて水をくみに行ったら、水が出ない。
灯台の裏側にある、昔の監視所跡の上に寝袋を敷いて寝直す。
休憩所は朝になると人が来るだろう。
昨夜から毎日、トンネル工事現場から、かったるい女の声がスピーカーから流れでる。
「ただ今、コンベアーが動きます」二十四時間。
隣に海上自衛隊のレーダー基地があり、隊員たちは、入っては鍵をかけ、出てはかけ。
ここも二十四時間、かけたり外したり。
寝袋の中に入って、昨日の日記の続きを書く。
休憩所を開けているのが見えたので、荷物をまとめ、行く。
空は曇り、風は強く吹きつける。
リュックを休憩所に置いて、下に降りる。
竜飛、これこそ文字通り、最北の僻地であったのであろう。
中学校の校舎は、校舎と言うより民家。運動場は狭く、畑である。
今は工事関係の為か、上に新しい校舎と広い運動場。この工事が終わったあかつきには、どうなるか知らんが。
村をブラブラと歩く。
腰のヒン曲がった老人と婆。
十年前の工事がない時の、まさにその津軽を想像させられるが、今は所々にその面影を残すだけである。
日記にするノートと食料を買う、900円。
袋をかかえ急な坂道を、ヨイショヨイショと登っていく。
土地の人が籠を背負って、それを追い越す。
「おばさん、もう歳かい」
「イャーもう大変だぁ」
休憩所はできたばかりで、7月1日から店にしてオープンする事だそうな。
ベンチに座って、サバ缶をつまみにビールを飲む。
目の前に白い海が広がり、真下には潮流の流れが、はっきりと波を立てて流れているのが分かる。
灯台の周りの壁は白く塗られ、どこか南欧の館を連想させる。
ノンビリとし、一服やりたい気分になり、禁煙しているが、まぁーいいじゃないの、そんなにガツガツと自分の意思を固く守る必要はないと勝手に柔らかくし、ホープを買いに行く。
さて、吸った。一本のタバコ、あまりおいしくないなー。
休憩所の中で、海を見てポケーとする。
昼過ぎて、空は晴れ、青空を見せ、空が高い。
海の色も青く、地は急激に海に落ち込み、緑一面の草々に点々と黄色いユリの花(?)が咲いて、風にゆれている。
強い風の音がビュービューと鳴る。
遠い海の向こうは、陽に反射してキラキラと輝いている。
北海道は、霞で見えないが、やはり晴れた空と海は素晴らしい。これが旅の醍醐味か。
これからチョッと散歩に出ようと思っている。
毎日さんざん歩いているのに、散歩したくなるような所である。
ブラブラと散歩に出て、休憩所に帰ってくる。
出る前、青森モータースクールの人と少し話す。
頂の下に今、イカ漁に就く数十数百の大きな電球の玉をつけた漁船団が、逆流の潮を越えてゆく姿は、壮観の一言で、一見する価値がある。
久しぶりに晴れた青い高い空が見える。
後から後へと続く漁団、こんなに毎日イカを獲って、よくイカがなくならないものである。
俺はこの景観をどうやって書き表してよいか、自分は川端康成ではないから知らん。
ただ、最高としか書きようがない。
運動会の練習なのか、学校の校庭から鼓笛隊の演奏する音がドンチャン、ガチンガチンと聞こえてくる。平和だ。いつまで続くのか。
同じアジアで殺し合いがあり、難民が散り、知らぬ事は恐ろしいと同時に、平和の証か。
今日は歩かないから、チットも腹が減らない。
風に吹かれてボケーとする。
雨降りの日曜日と違って、ノンビリと。
こんな事を命の洗濯と言うのか。
それにしても騒がしい漁団で、スピーカーでガヤガヤ言いながら就くか、または、今朝の明けて帰港してくる時は、演歌を鳴らしてきていたが。
ここまで日記を付けて、この監視所に来た33歳の金庫売と話す。春日部から来たとか。
嫁さんはミス福岡だとか。言葉が通じる事は良い。この津軽地方の言葉は、全然意思が通じない。休憩所のおじさん、一生懸命、片言の標準語を話そうとして、なんだか外国人みたい。
今夜もビールを飲むか、迷っている。
遠くから工事現場の「ご注意ください」のスピーカー音が何度も流れてくる。
隋道の最先端で働いている三鉱ボーリングの者と話す。
女気がない所で、夕食だけが楽しみとか。
次は品の良いおじさん。写真を撮ってください。
次は青森の壁紙売り二人。乗るなら青森まで乗せていきますよとのこと。
監視所の階段で、風をさえぎりながらラーメンを作る。
今日の夕陽も全然良くない。
使用金額:900円
逆戻りするような時計でも作れ
1979年
昭和54年6月30日(土)
今日で6月も終わりである。
竜飛岬は曇り、遠く西の彼方に少し青空が見えるだけで、相変わらず風が吹きまくる。
昨夜、休憩所のベランダ寝ていたが、絶え間ないビュービューという凄い音を立てて吹きまくる強風、台風かと思う。この竜飛の平均風速は、一日10メートルとか。
冬を想像するとゾーとする。
穴掘りが昨日言っていた。冬は地獄ですよ。
さもありなんと思う。
強風の為、寝袋がパタパタとなる。夜中目覚め、顔に冷たいものを感じる。雨か・・・。
海に浮いているイカ漁の灯が、光々と闇を照らす。その内、霧が出てくる。しかたがないので、風が一番当たらない便所の脇に寝る。便所側に寝返りすると、フーと臭い。
この建物はできたばかりだから、そんな事ないはず。気のせいか・・・。
一度移動したら、頭が冴え寝付かれず、色々な事を考える。
ウターとする頃、明け、曇っている。
荷物をまとめたら、管理人のお爺さんが来る。
荷物をまとめる時、頭の少し上に黒い物がカラカラに乾いてある。クソである。
臭いはずだ。あれを寝ている間中、スッていたのか。胸クソ悪くなる。
休憩所の中でラーメンを作る。
日記を付ける。ラジオ時報で10時である。
昼、この地を出発しなくてはならないが・・・。
車で来るなら、ノンビリとしたい所である。
職員専用ショッピングセンターに、靴を探しに行ったが、売っていなかった。
その代わりに、牛乳、バナナ、ビールを買う、600円。
遠い道を休憩所へと帰る。
中に男一人と女一人が笑っていた。女性は小さなバックを横に置き、パンフレットを読んでいる。顔が見えない。
彼女が立って窓際から、小泊方面の写真を一枚撮り、二人と灯台方面に来た時、フッと見たら綺麗な人である。
「何処から来たんですか」
「東京、台東区」
二言三言、言葉を交わしただけで、彼女は向こうのベンチに座る。話しづらい人である。
ビールを飲みながら、どうも気になり心臓がドキンドキンとする。
考えてみれば若い女性と、ここ久し振りに話したことない。
どうせシーとされて元々と、彼女の横に行き
「話ししていいですか」
いいも悪いも勝手に座りペラペラと話す。
何故か彼女、1テンポどころか2テンポ遅い。打てば響くからは、程遠い。
近眼らしい。瞳がパッチリした、澄んでいる瞳である。
スッキリした話し方をしないので、外人みたい。聞いても何も教えてくれない。
美容師、麹町会館、名前がなんと「T・E」。
「T」、鎌倉の人と同じである。いい微笑みをする人である。
しかし、腕時計ばかり見る。
竜飛、1時10分発バスに乗るとか。
12時10分、彼女、休憩所を出て行く。俺、ジャーなんて手を上げたものの、さてどうする。
海を見る。眺める海は、なんとなくボーっとしている。
フッと灯台の方を見ると、彼女が歩いていた。
彼女は監視所に登り、立っているのが、遠方から見る事が出来る。
彼女が見えなくなる。別の道を降りて行ったのであろう。
リュックを背負って休憩所を出る。
彼女の後を追うつもり。降り坂をテクテクと歩く足は、どうでもいいやと言う気持ちと、いやいやそうでは無い?
前方から彼女が現れる。
「上の道を行かなくかったの」白々しい俺。
一緒に売店の所まで降り、彼女、売店でスタンプを押す。
さて、2つの道がある。竜飛部落へ行く道と、次の部落へ行く上の道と。
「何時」
「12時40分」
「あっ、それでは次の部落まで歩ける、バス停あるよ」
何を話しているのかペラペラと話しながら歩き、
彼女が「外国には行かないの」俺黙っている。
「外国に行った事あるの」彼女、「グアムに」
和裁を学校でやったとか。珍しいねと言ったら、日本人は日本人のくせに日本の事を知らな過ぎるだからとか。
エーこんな人もいたのか。
下に着き、黄色の円いバス停が立っている。
さてどうする。
ジャーなんて、手を俺は上げたけれど、クルリと回り、まだもう少し時間があるから、歩いたほうがいいよ。次のバス停まですぐそこ。
本当かどうか知らんが、2人で歩き始め、彼女は3時10分の列車に乗ると言う。
俺はそんな時間通りにやったら、自由がなく面白くない。
イヤ歩いたほうがいい。11キロある。
3時まで着けば良いのでしょう。俺、途中で車を止めてやるよと。「なだめすかし」か。
彼女、じゃ、歩いてみる。
セッセと彼女は歩く。俺、ビールが今頃出て来たのか小便タレル。
波の音を聞きながら、牛乳を飲むのもいい事だよ。
一生懸命、教説? 狭いセメントの上を彼女の手を取り、
彼女、「イャ、私」
これだから女は困る。しかし、こんな事を口に出してはいけない。
下に降り、彼女を受け止め降ろす。やはり女の人の体は柔かい。彼女、牛乳嫌いとか。美容食しか食べないと。あー都会の人よ。
小さな部落の五、六隻の漁船が打ち上げられている。
小舟の陰で、彼女が無理にバナナを一本食べる。いかにもおいしくないといった感じ。
彼女、3時の列車を気にしているのか、時計ばかり。
初めてひとりで出て来たとか。だからかなー。俺だったら開き直って、心を軽くするが、無理なのかもしれない。旅行に慣れてないのか。三時の次は、五時五十分。今夜、青森宿泊。
それじゃ急ぐ事ないと、勝手に、次のにしなー。
それでもカワイソウになり、バス停で乗れなかったら、俺、車を止めようか。止めたい気持ちと止めたくない気持ち半分、複雑。彼女の荷を持ってやる。
俺って何と馬鹿なんであろう。自分に重いリュックを背負って、その上に女の荷までも持ち、
私、歩くの好きなんて言っていたが、彼女へばっているのか、無口がますます無口になる。
休み、バナナを食べる。俺、二人分の荷を持って歩いているのに、疲れているのに。
これだから苦労を知らない娘は、他人を思いやることを知らんから困る。
さて、休み終わって立ち上がる。彼女の荷、彼女自身どうするか。
知らん顔をしていたら、迷ったみたいにして持った。疲れているのか。
「俺も持つよ」
アァーなんて馬鹿な男であろうか。自分の荷ぐらい自分で持てないのかい。内心、このねーちゃんに不満。イァー、彼女は疲れて、思考回路が脱線?しているのだと勝手に、善意に解釈する。
美人は全く得だなぁー。
人をフッた事あるかい、と聞いたら、「ウーン」だって。
四時、やっと写真屋についた。
「ここから駅まで2キロ。写真はまだ来ていない。五時に車で駅に行くから、一緒にどうぞ。それまで上がって休んで下さい」
どうする。休むと言う。
図々しく上がり込む。お茶が出て、グレープフルーツが出て、生苺ジュース、お菓子が出る。
彼女は横に座り、親類のおばさん、途中で出て行く。
時が早く経つ。こんな時に限って、時間が早く過ぎて行く。
前の柱の上に、シチズンの時計。針は一刻一刻と遅れることなく進んで行く。
逆戻りするような時計でも作れ。
彼女、トイレに行き、俺も三度目の小便。
さて、俺はどうする。俺はここで写真を受け取れば良いのである。
ジャーどうする。リュックを店に置いて車に乗り、子供と四人で駅に行く。
列車は着いたばかりか、通学生がゾロゾロと駅から出てくる。
駅で写真を受け取り、おばさん、俺歩いて帰るから。
「迷惑じゃなかったら送るよ」
迷惑も何も、勝手に自分でそう決め込んでいる。
一緒にあの長い道は歩いて来たのだからー。
しかし、はっきりと意思表示をしない掴みにくい人である。
菊と刀の本、彼女にやる。駅にスタンプがあり、日記を持ってくれば良かったと言って、ベンチに座って写真を見る。彼女、自分のノートにスタンプを押し、俺に一枚くれる。
写真を説明して、五時三十分、改札が始まる。
住所聞いても教えるかな・・・ 。
麹町会館にハガキでも出すよ。住所書く手が震えていた。
嫌だ嫌だ。ミミズみたいな字になってしまった。恥ずかしい。
手を差し出し、握手をして、彼女はソーと触れるといった感じで。改札口で、それじゃー。
彼女、「ありがとうございました」
ブラブラと歩きながら、広い埋立地を横に写真屋へ。
色々な事があった竜飛岬。いい所である。
彼女とは合わないなー。鎌倉の人と比較したり。
体が小さく、均整のとれた顔立ち。瞳の美しい人であった。
歩いている時、漁村で網が干してあり、そこで写真を撮る。俺も撮ってもらう。
彼女、写真送りましょうか。住所は。俺、いらないよ。馬鹿みたい。
靴屋に行ったら、閉まっている。写真屋でお金を払う。1800円だが、100円子供さんにと置いてくる。
名刺を貰う。絵ハガキでも出しますよ。
義経寺に上り、貰った古新聞を、薄暗い夕暮れ、境内で読む。
日記は明日書くことにして、ボケーとする。やたらと蚊が飛んでくる。
暗くなって下に。靴屋さん、聞いていた作業靴はなく、キャラバンシューズで、5300円。
おばさんベラベラとしゃべる。俺、話す気しない。食料とビール880円。
靴を買った時、このボロの靴がアワレになる。
この靴も頑張った。写真を撮りたかったが、残念である。
暗い夜道の階段を登り寺へと。
中に畳が敷いてあり、ビールを飲みボケと思うは、
何のことやら。
これから北海道を歩くのか、全然そんな気になれない
1979年
昭和54年7月1日(日)
今日から7月だ。
朝、ボーっとしていたら、6時のチャイムと打ち上げ花火の音。
今日は運動会である。
人が来て、外でゴソゴソとやっている(書きづらいので明日)
寝袋を巻いて、昨日分の日記を付ける途中、この寺の子供が供物を持って仏前に。
俺を見てビックリして、次はおばさんが来る。
日記を書き終り、出る時、おばさんに、「失礼しました」
おばあさん、「ご苦労さんでした」
津軽でよくこの挨拶言葉を言われた。
境内にある古ぼけた便所でクソを垂れるが、古き昔の小学校を思い出させるような便所。
門の間から下に、漁港が見え、白い漁船が並んで停泊している。
今朝早く、同じく演歌を流し就航して帰ってきたのかな。
東日本フェリー、小さな船、客室は細長く狭い。初めて見たこんなボロ船。
しかし、船賃が安いので文句は言えない、500円。
昨夜あまり眠る事できず、客室で横になる前に、靴の紐とヘラを取る。
一時間後、海に投げると、ちょうど真ん中になるであろう。
頭がボヤーとスッキリとしない。
船は初出航の為か、15分遅れて発つ。
横になっていたら船は揺れ、少し気分が悪くなる。
少々の事では乗り物酔いなんかしない俺なのに、疲れか、寝不足の為か。
一時間後、靴を海に投げる。
スグ沈むかと思っていたが浮いて、一足づつ投げたが一緒に流してやればよかったと思う。
靴は小さな波の間に消え、すぐに見えなくなってしまった。
頭がボーとしてるので感傷に浸っている気分ではなく、すぐ客室に帰る。
頭がはっきりしていたら、涙を流したかもしれん。
横になってウタウタとしていたが、突然スピーカーから都はるみの「惚れーちゃったんだよ」が流れてくる。
船は福島に着いたらしい。客室にあった昨年の週刊誌二冊を持ってくる。
初就航のためか、迎え人か少しブスな女が、花束を持って立っている。贈呈の為か。
日曜日の曇った北海道。頭がボケて、これから北海道を歩くのか、全然そんな気になれない。
一時間ほど歩いて、防波堤の上で横になって週刊誌を読む。
牛乳140円。おいしい。歩いていたら、喫茶店の玄関に新聞。土曜日と日曜日の分。日曜日の分だけ失敬してくる。読売新聞である。
久し振りである、まともな新聞を読むのは。
腹がヘッたので店屋を探すが、全て閉まっている。
小さな店が開いていたので、入ると高いのなんの。
水商売上がりの感じ。普通150円程のきんぴらが200円。HI・Cジュース150円。馬鹿にしている。
腹がヘッては・・・。今日は月も新しく、一日なのに、全然気分悪い。
四キロほど歩いたか、左側に展望台があり、その下で新聞を読む。
頭がボケているのに、無理して読むから増々おかしい。
夕暮れ、右側の崖を登ったところに、鳥居があり、神社、鍵がかかっている。
この鍵、俺は開けることが出来ない。裏に回って、横の雨戸を開け、窓に手をかけると開いた。
竜飛岬が見えるが、薄明かりだけで、灯台の光が見えないので、何処ら辺かわからない。見たいと思ったが、待ち疲れ、中に入る。
二本の大きな燭台のローソクに火を付け、日記を付ける。
腹がヘッター。新しい靴をはいて調子が合わず。
足の裏に、もう豆はできないだろうが、上がスレ痛い。歩きづらい。
二、三日したら慣れるであろう。
使用金額:850円
やはり、電気の下の生活、便利である
1979年
昭和54年7月2日(月)
腹がヘッて、かったるいのか、起きるのが難儀である。
屋根に雨の落ちる音がしていたが、窓から外に出ると曇っており、今にも降り出しそうな気配で、リュックを背負って階段を降り始めたら、パラパラと降りだす。引き返し 神社の屋根の下で、どうするか迷う。この空では晴れそうにないし、無理して歩いたところで事が知れている。
しかし腹がペコペコにはかなわない。歩き始める。
急な斜面に切り立った崖下に道路が走り、いかにも北海道的である。
北海道には梅雨がないと云う。嘘だ。こんな調子では先が思いやられる。
顔を洗っていたら、スープを持っていたことに気が付いた。
あれを食べて、昨日の、あんな高いものを買わなければよかったと後悔する。
白神郵便局にスタンプを押しに行く。綺麗な切手があったのでそれを貼る。
ついでに記念切手も買う、950円。パンを買う、470円。
郵便局があるので、ついでに荷物を送ることにしたが、包装紙がない。
しかたがないので歩き始めたら、雨はザーと降り出し、駅はなし、バス停はなし。
雨宿りする所もなく、北海道は、町作りが違うから勝手が分らん。
交通取締り用の小屋があり、その扉をケッたくり、中に入って休む。
中は小学校で使用するイスと、埃をかぶった机。雨が強い為か、雨はこの小さな小屋の屋根を叩きつけるように降り、トタン屋根をパタパタと鳴らす。
中でパンと牛乳で食事?食事とは言えない食事を済まし、ジーと昨日の新聞をもう一度と読み直す。
風が強く吹いているみたいであるが、雨は今の所、止んだみたいでやる。
こちらから本州は見えない。
今頃、あのTさん、何処をブラブラしているのか。あの人苦労をした事のない人であろう。
悪い人ではないが、強くなく甘く、どんな人と結婚するか知らんが、大変だぁー。
雨が上がって歩き始めたら、大沢を過ぎたところで、また降り出し、右側に見える小さな小屋みたいな駅に入る。扉のガラスはなく、ビニールで覆ってあるが、破れて雨風が吹き込んで来る。
こんな時、いつもなら菊と刀を読んでいるのであるが、今はもうない。
あの人読んでいるのかなー?
粉袋か。小包を作るのに丁度良い袋があったので、スタファンに写真と佐渡で買ったノレン、兄貴の所に日記とシャツ、半パン、写真のネガ。シャツは一度着たきりである。これだったら初めから置いて来ればよかったが・・・。ナベ一個、送るか迷ったが、止めた。
小包を作り、BAR BARAの所に手紙を書く。
手紙を書いていたら、小学生達四人が来て、俺が書いている英語を見て、コソコソとベトナム人かな、外国人かなー、と話している。
一人の子供が、一個入ったアメ玉を持っていたので、
「それ俺に寄こせ」
イモアメおいしい。
子供達と冗談を言って、駅を三時四十五分出る。
最近の小学生、生意気に腕時計をしているのである。
松前に入り、郵便局に小包を出す。
郵便局員さん、外国小包なんか取り扱ったことないのかオタオタとしている。
しかし、丁寧である。あまり時間がかかるので、今日の食料を買いに行く670円。郵便代2530円。
城跡のほうに上り、230円のテンプラと牛乳を食べる。
しかし、天ぷら、6月28日の日付で、最後の奴を口に入れたらカビ臭い。元々少しおかしいと思ったが、腹がヘッているとパクパクと口に入れるので、分らん。どうもおかしいので、この俺が、正露丸を飲む。もっとも、四、五年前の正露丸なので、効くかどうか知らないが。
空を見ると、雨雲の間に少し青空。迷いに迷った末、ユースに電話をかける。
玄関から入ると、正面にヨロイなんか飾ってあり、なんだか場違いみたいな感じ。
ふとったおばさん、事務的に処理。丁寧な女中さんが二階に案内してくれる。
いい部屋で一人で占領。茶台あり、テレビあり、さっそく風呂に行く。
大きな風呂にゆったりと。
オー日々のこの思いが、今、叶ったのである。
これで千円とはなんと安いのであろう。
今、この日記を書きながら、これだったら、きっと食事も良かったのであろう。失敗である。
こんな良い条件であるなら、もう一泊なんて考えている所である。
風呂場で、パンツとシャツを洗い、体をこすると、凄い垢がボロボロと出てくる。
やはり水で洗った程ではダメらしい。
一時間ほど風呂場に居たのではないか。
汗かき、風呂から出る。部屋に帰ると、お湯を入れたポットが置いてある。
こんな時、冷たいビールを一杯、グーとやると、うめーだろうなー。
しかし、お茶で我慢。
久し振りのテレビ、ゆっくりと見たいが、日記・・・。
ウルトラ・アイ、塩について。俺も注意しなくては。
日記を付けていたら、NHK特集番組。
ベトナム戦争、印画紙の中の兵士達。
この写真展、東京でやることを新聞で読んだが、テレビを見て、是非見たいと思う。
印画紙の中の兵士達。
NHK、いい番組を作るよ。俺は視聴料払うなー。
俺は感動した。自分が未熟だとつくづく思うし、アメリカに行がなかった事に後悔する。
もうお終いかなー。外国に何年も旅しなかったら、こんな番組見ても、分らなかったであろう。
今の日本人、平和にうつつヌカしているが、知らない事は本当に恐ろしいとつくづく思う。
それにしても、今日は運が良かったと言うか、千円でこんなに実入りがあるなら、毎日でも泊まるが・・・。
手紙をアッチコッチと書かなくてはいけないし、困ったものである。
明日、部屋から出なくても良いなら、もう1泊するか。
部屋の中でガスを使って、ラーメンを作る。
ウルトラ・アイで見た。ラーメン一個に7.5グラムの塩分。
二個のラーメンに、一個分のスープを入れたら、丁度良い。
何でも試してみるものである。
今日は少し書き過ぎである。
やはり、電気の下の生活、便利である。
矢野ユースホステルにて。
使用金額:4620円
まさかインドから俺についてきた訳でもあるまい
1979年
昭和54年7月3日(火)
日記を付けながらテレビを見て、お茶を飲み、日記が終わると、本を読みながらテレビ。
積もり積もったものか、NHKばかり見て、十一時過ぎ床に入った。
お茶をポット一本分、飲んだ為か、寝つかれず。
その内、右腕がかゆくなる。電気を付けて見ると、ますます痒くなり、大きくフクレあがってくる。
蚊なんかはではない。おかしいので、よく注意して見ると南京虫である。
まさかこれが日本にいるとは知らなんだが、まさかインドから俺についてきた訳でもあるまい。
あれから一年半以上も経っている。
憎き南京虫ね。ブチとつぶすと、血がシーツに染みる。
中近東、インド、アフリカで、この虫に散々だったので、もう恐怖である。
結局、眠る事できず。ウタウタで早く起き、この俺が、モサモサとテレビのスイッチをひねると、6時30分。AM8時まで寝ようと、フトンの中でボケー。
それに、雨が下のトタンに落ちて、ドラムを叩いているような音を出し、寝る事できず。
雨が降っているので、今日も泊まることにして、金を払いに下に・・・。
夕食も頼む。もし、悪かったりして。1600円。
十時までテレビを見て、図書館に行く。
雨が斜めから当たってくる。
こんな日に、野宿していたら大変だ。
昨日の判断、正解である。
松前郷土資料館。入り口に熊のハクセイ。
中に入ったら、後から「いらっしゃいませ」の女の声。
暇だし、北海道、見ることにする。
やはり内地とは少し違う生活だったようだ。
古い民家を移構をしたのか、床板はアメ色に光り、囲ろりが砂を使ってあり、なるほどと思う。
囲ろりと思えば灰を、これが・・・。大変だ。
大きな立派な建物で、この町にしてはもったいない。
図書館は、一時から開館。腹ヘッた。
松前史を、一時から読んでいたら、五時で、アッというまに、時間が過ぎてしまった。
色々な本を読みたいが、残念。時間と金がないのである。
図書室に二人の子供たちの主婦。子供がワイワイ騒いでも、本をバラバラにしても、知らん顔。
こんな女が本を読んで、一体何するのか。顔見ると、アァー、百億の銭を積まれても断るなぁー。
朝から何も口にしていない。帰りがけ、パンを一個、口に入れる。食料と歯磨きを買う620円。
ユースに帰り、風呂の後、食事。おばさん、サービスとサンマを持って来てくれる。
腹いっぱい。安い、文句のつけようがない。
使用金額:2370円
北海道は、スウェーデンと同じ緯度でなかったか
1979年
昭和54年7月4日(水)
昨夜、福岡県ユースホステル協会とレーナに手紙を書く。
お茶二杯しか飲まなかったのに、寝つかれなく、十二時であろう、最終番組まで見る。
陽が射さない部屋なので、朝でも昼でも薄暗く、七時五十分、床を起き、部屋の中でラーメンを作る。こんな事をしているのを見つかったら大変だ。
ニュースと天気予報を見て九時にユースを出る。
出る前にお茶っぱを少し失敬して来る。
天気予報では曇りで、時々晴れである。
しかし、空は曇って、今にも落ちてきそう。
松前の駅にスタンプを押しに行った。置いてなかった。
松前を出る時、同じ所に泊まっていた運転手に会う。初め良く分らず、北海道に知り合いなんかいないしと思ったら、江差から来た高校建築用運転手?
一時間ほど歩いたろうか。
雨が降り出し、丁度、霧雨みたいで、強い降りではないが、段々と濡れてくる奴である。
黒い浜に幾つかの建物が見え、海水浴場らしい。戊辰戦争跡らしい。
休憩所みたいな所で、ボケーと、雨が止むまで待つ事にする。
誰もいない、さびしい海で、暗く、七月だというのに寒々とした、いかにも北海道といった感じである。
寒くて、お湯を沸かし、お茶を作る。水がまずく美味しくない。
風が吹き、小雨が斜めから入り込んでくる。
北海道は、スウェーデンと同じ緯度でなかったか。
昨夜、手紙を書いていて、七月のスウェーデンの青空を思い出す。
それなのに、梅雨がないはずのこの北海道、全く嫌になる。
グズつく中を歩き始め、どのくらい歩いたか。
バス停の中で休んでいたら、小雨は一向に止む気配がない。
店でビスケットと牛乳、340円。新聞紙を貰う。絶対に美人でない人であるが、丁寧な人で、新聞紙をくれる。
バス停で古新聞を読み、時々、小学生がカバンを背負って前を通る。
小雨が止み歩き始めるが、空は暗く、憂鬱になる。もっとパッとした青空、出てこないのか。
家宅は新しいが、人通りなくさびしい部落を幾つか通りヌケ、江良町に入る。
歩いていたら、中学生が後ろから走ってきて、前で止まり、俺に話しかけるが、礼儀を知らんと言うより悪い言葉で、これでも日本語か。
初め知らん顔していたが、これではいけないと反省したか、この口の悪さには閉口する。
江良でPM5時30分。生意気にデジタル時計なんかしている。
使用金額:340円
海岸線に少し建ち並ぶ家。海と空は美しい
1979年
昭和54年7月5日(木)
土木作業員休憩所に入り、寝袋を敷き日記をつける。
昨夜、人が来ないかと心配したが、誰も来ない。真夜中、凄いドシャ降りの雨で、屋根がドラムを打っているように音が響き、ついには雨もりがする。雨が落ちて来る所に、空き缶を置く。ツイテいると思った。
こんな凄い雨、変な所に野宿していたら、ひとたまりもなくイチコロだ。
朝、一時間ほど前まで降っていた雨は上がり、曇り空。人が来るかも知れない。昨日、前に流れていた清流は雨の為、土色に濁っている。
原口で牛乳、体の調子までおかしいのか。バナナを買ったが、黒くサービスするからと言うので買ったら、トンデモなく高い。切り取ったので返すわけにもいかず、頭にくる、340円。
頭上は曇っているが、海の向う、遠くは光が射している。
12時頃、土方休憩所プレハブから声がする。
振り向くと、休んでお茶でも飲んで行けと。
上り、20分ほど話して、出る。
空はいつの間にか晴れ、本当に久しぶりの青空。涼しく、春みたいな陽で、これが北海道である。
海はどこまでも青く、景観も本州と変わり、家が少なく、ノンビリとしている。
道路が、至るところで架橋工事中であり、車が少なく、道路横に黄色い花が咲き始め、あまりにも陽が良いので、道路横で寝ようとしたが、アリが体の上を這い回り邪魔をする。頭に来て、ツブす。めったに生物を殺すことしないが、頭に来る。
疲れているのに、靴が新しく慣れないために痛く、凄く疲れる。
これで靴が良いなら、文句なしであるが?
石崎で店に入ったらおばさんに、「おじさん」どこからきたの。
ガックリとくる。冗談でおじさんならともかく、そうではないのである。
店でトコロテン、4つ食べる。あまり美味しくない。食料735円。
平和と言って良いのか、住みたくないなー、こんな所。
足が痛く、ペースが上がらない。
いつの間にか見えていた小島が、見えなくなる。何だかんだ言いながら、少しずつ距離は進んでるみたいであるが、北海道の地図を広げると、ガックリと来る。
汐吹に着き、もう今日は限界といった感じだが、寝場がない。これだから北海道は困る
車が止まって「乗らないですか」ゼスチャーで断る。
口を開く元気もなくなった。
海岸線に少し建ち並ぶ家。海と空は美しい。
これだ。俺が思っていた北海道。
しかし寝るところなく、足が痛いのでは話にならない。浜で休みがてら日記を付ける。
6時50分頃か。30分程で夕陽であろうか。久し振りに晴れた空。美しい夕陽が見れるかも。
しかし今日は疲れた。どこに寝るのやら。また歩き始めるとするか。
使用金額:735円
空気が澄んでいるせいか、真ん円の夕日が、海を染め沈んでゆく
1979年
昭和54年7月6日(金)
昨日の夕暮、寝る所を心配しながら歩いていた。
遠方に灯台が見え、その下に、屋根が見え、もしや神社ではと。この北海道には、あんな屋敷の家はない。
空気が澄んでいるせいか、真ん円の夕日が、海を染め沈んでゆく。久し振りにこんな夕陽を見て、インドのゴアを思い出す。
道路横に座って、夕陽が沈み終って、歩き始めると、車が止まる。
丁寧に断る。小さな学校を通り抜け、神社に着いたら、扉に鍵が二つも付いている。
薄暗くなっていく前の運動場で、一人の少年が自転車に乗って遊んでいる。
横にある窓に手をかけたら、開いた。中に入り掃除。
窓を開け、冷たい空気に当たりながら、奥尻島が紅に染まった空を見て、ホッとする。
疲れているのか、以前みたいに途中で目覚めることがない。
朝、窓から見る空は、真っ青である。
しばらくボケーと、寝袋の中でしている。
周りにゾウリ虫がぞろぞろ這っている。
荷をまとめ、外に出ると、雲ひとつない青空で、やはり空の色が違う。空気がヒンヤリとする。
大崎神社か何か、表示してある。
小さな部落を通り抜ける時、人々が好奇心の目で見る。
牛乳を買う140円。海の下に江差町が見えるのに、チットも足は早く動かない。
一時間少し歩いたか。
上の国駅で休む。靴を脱いで、この痛さから解放される時、ホッとする。
十七文では小さ過ぎたのか。縦の幅は良いが、俺の足は横幅が広いので、圧迫される。
締められ足が腫れる。腫れるから、幅があるから増々悪くなり、悪循環である。全くこの靴が恨めしくなる。休む度、靴を脱いでいるが、この時のホッとする気持ちと、履く時の気持ちは最悪。
靴が慣れなかったら、もったいないが、新しい大きな靴を買おうと思っている。
合成はダメだ。革みたいに伸びない。
天気も海も空も良いのに、足が痛く、全く余韻がなく、九州を去って以来、最悪である。
江差のハズレで、食料450円。久し振りにHI・Cと思ったが、160円と言う。止めた。汚いよ。
海で足を冷やす。ジャリの上で少し横になったが、虫が邪魔をする。
太陽が、ホカホカと、サラリとした暑さで気持ちが良い。
靴をはいて歩く。はじめは痛く、痛さが慣れるまでが大変である。足を上げて歩くのではなく、スベルように歩くので、疲れがひどくなり、フクラはぎが硬直する。
海岸線なので、ズーっと先が見えているのに。
普通は分かるが、距離が進まなくイライラとする。
スウェーデンにいた時に書き取った英語単語を読みながら歩くが、どうしようもない。
老人ホーム前にあったバス停小屋に入って、靴を脱いで横になったら、そのまま寝込んでしまう。(薄暗くなった。明日書く)
目覚めて歩き始め、バス停に立っている女の人に時間を尋ねたら、四時十四分である。
函館に至る交差点に店屋。牛乳を買おうと思ったら売り切れ。しかたがないのでタバコを買う。
店の女、歳の頃二十四、五か。毎年一回旅行し、今年九月は与論島に行くとか。ベラベラと話し中身の薄い女である。205円。
坂を登った所に店屋、500円。よく自転車連中が立ち寄り、最高七十二才の人が寄っていたとか。
年寄りの婆さん、汽車に乗っても娘のいる静岡までもヨォー行かんのに。しかし、何故こんな事をするのか分からんと。
別の中年のおバァさん。自分を試すためでしょうと。そんな事関係ない。
カーブを曲がったら、下に町が見える。神社の階段で食べていたら、三、四才位の女の子二人。
俺の前にきて遊ぶ。珍しいのか。しかし、疲れて話す気にもなれず。
乙部町はずれに、調子神社あり。鍵なし。6時。
早いが疲れて歩く気せず。人家に水を貰いに行く。
神社で古新聞を読み、日記を付けていたら薄暗くなって止める。
埃だらけに虫だらけ。
使用金額:1395円
座って打ち寄せる波をボケーと見ていたら、気持ちが落ち着いてくる
1979年
昭和54年7月7日(土)
目覚めてスープでも作るかと思ったが、カタガタとお爺さんが入って来る。
雨に濡れた畳を乾かしに来たと。
「自転車で回っていた奴を泊めてやったとか。自分の息子が東京に行って、弁護士になるために十四年、仕送りしたとか。SEIKOに勤めている女性と結婚する事になり、その娘が二泊して、いい子だったとか。今度十月、結婚式に何百万かけて式をあげてやるとか。」
ご苦労な事だ。荷をまとめ、スープなしで歩き始める。
空は曇り、今日、雨が降るかも知れないとの事である。
どんよりした空で、足が痛い事ばかり気になり、どう歩いているのか余裕なく、日記を書くには書きようがない。
豊浜に入り、食料549円。部落はずれの防波堤上で食べ、横になったが、食後で腹が張っているのか、寝れない。昨日の分の残りの日記を付ける。
歩いている時、鎌倉のTさんは小さくなり、麹町会館のTさんの事ばかり頭の中がウロウロとしている。
俺の頭の中、一体どうなっているのだろう。
痛い足を引きずり、知らない階段で靴を脱いで休む。
正面に店屋、牛乳なし。ジュース、アイス180円。
裸足で歩いてみようか、なんて考える。
ジャリ浜で足を冷やす。冷たく気持ちがいい。
座って打ち寄せる波をボケーと見ていたら、気持ちが落ち着いてくる。
三個の小石を飛ばし、あの大きな石に当てたら、あの人にまた会えるなんて、賭ける事、考え投げる。
石は二個当たっても、一個は外れる。もう一度、もう一度だけ、なんて何度も投げたり。
海の中にポーンと小石を投げるだけ、波の中にポチャンと落ち、白い波がそれを消す。
焦っているんだなぁ。
そう、焦っているから、次から次へと悪いものが出てくる。
明日から、足が痛くても甘受してみよう。
気持ちが良いからと、いつまでも座っていられない。
あげたくない重い腰を上げ、靴を履くともうだめ。この堅い決心も、この靴の前にはボロボロとなる。
少々のことでは根を上げないこの俺である。一生懸命歩いて、平均25キロである。この距離、普通ブラブラしての距離。この足の痛さ、疲れからすると40キロ程である。
一日25キロしか歩けないと、北海道二ケ月の計算。300キロは違ってくる。大変だぁー。
八雲に来る分岐点の所で、三ツ矢サイダーを飲む。245円。昔懐かしいビンである。もうこのビンはないのに、北海道にはまだ残っているのか。(暗くなった、明日書く)
思うように歩けず気はイライラするばかりだ。
能石に入り、靴屋に飛び込む。軍足120円、作業靴11文あったが、幅が今の奴より狭い、話にならん。
古新聞を貰い、郵便局のおっさんに、西浜の神社を訪ね、テクテクと軽快な調子ではなく、もう根性でヨタヨタといった感じである。
車のスピーカーから一周年記念牛乳販売一リットル150円。安いので買う。
ヨタヨタと歩く道で、子供たちが缶蹴りをして遊んでいる。
俺を見るとニコニコではなく、ニタニタとする。
冗談を言う余裕もなく、この靴が恨めしい。
リヤカーに食品を積んで行商しているお爺さんに、ニコニコして話しかける。150円のポップコーンを買う。イライラする解消の為か、買ってばかりで制することができない。
歩道上で、立ってボケーと俺を見ている子供。
ポップコーンいるかと言ったら、「ウン」とうなずく。
両手にあげたが、手が小さく持てない。
坂道を上り始めた所に、赤い鳥居が見え、女の子3人なワイワイしながらやってくる。
中学生か、大きいなぁー。
お堂、鍵がかかって、木ねじを1本はずしたが、残り二本は、刃が折れて取れず、もう片方の戸を強引に取り外す。しばらく新聞を読み、中に入って、日記を付けていたが、途中、薄暗くなり止める。
残り一本のタバコに火を点ける。
狐の掛け軸がかかり、狐が俺を見ている。
寝付かれず、ボケーっと昔の事を考え、思い付くのは同じ事ばかりで、パッとするアイデアなく。
いつの間にか眠る。
窓の外に月が光っていた。
使用金額:1111円
誰も彼も、ご苦労さんの挨拶の言葉が来る
1979年
昭和54年7月8日(日)
晴れは晴れでも、どんよりした空で、二日前のあの澄んだ青空ではない。
何時か、わからない。多分七時頃であろうか。
昨日の残りのポップコーンを、口の中に投げ入れながら歩く。
普段でも人通りなく寂しいのに、日曜日で通学生が通らないせいか、増々ゴーストタウンである。
牛乳なく、HI・C、ズーッと130円で、あの二カ所だけ値が高かったのは嫌だなぁー。
暑く、背中は汗でビショビショになり、ジーパンの後ろに流れる落ちる。
歩いていたら、玄関の開いた民家から、「休んでいけ」の声。
引き返し、台の上に座って話していたら、お爺さん、足が悪く、焼酒を買いに行くと言う。そして俺に自転車に乗って行けと。
自転車にまたがり、ペダルを踏むとスイスイと走る。やはり歩くのとは比べ物にならない程、楽である。
一瞬歩くのやめて自転車にしようかなぁなんて思う。
自転車に乗る事は簡単であるが、決断、決心は難しい。
焼酒、俺はビールを買う、150円。
帰って上がり込み、飲む。AM8:50、テレビ時報。
お爺さん、昔、嫁さんと別れ、74歳の母さんと二人暮らしである。
おばあさんは腰が45度にヒン曲り、見ている方が辛くなる。
それでも頭も耳もはっきりとして、52歳の息子をどなり叱っている。
猪の煮たのとイカ。腹が減って、飯を食べろと言うが、どうも清潔とはほど遠く、食欲がわかない。それでもイカを食べたが、おいしいより押し込んで食べたので、サテーなんて書いて良いか、あの不思議な味。
お爺さん、もう四日間、前から飲み続けているとか。
漁に出るなら船に乗って行こうと思ったが、酔ってどうしようもない。
今夜泊まって行けと何度も言う。朝だし、酔っ払いの相手では気が折れる。
その内、酔っ払い、母さんとガヤガヤと怒鳴り合いに。
干したスケソウダラを貰い、石のように硬い魚を金槌で叩いて、柔らかくして食べるが、美味しくない。
兼高かおる世界の旅、久し振り。何年ぶりに見るか。まだやっていたのかと驚く。
見たいが、お爺さん、酔ってテレビ消せと、どなり、いつの間にか二階に上って行く。
見終わり、歩く事にする。
北海道、おおらかと云うかノンビリというか、やはり人間一味違う。
硬い魚を口に入れ歩く。途中、四、五人の中年女がスルメを加工していたので、クズのスルメ一枚ないかと言ったら、ダメとの事。
これが九州だったら、男だったら、一枚ぐらい持って行けだが、と思った。
部落終わると、トンネルと岩の海岸が続き、泉が流れていたので靴下を洗う。
水が冷たく、顔を洗って歯を磨く。
日に日に気分は憂うつになり、もう歩く気力なく、休んで新聞を読む。
暑く、どうしたら良いのかさっぱり分からない。
休んで三十分程したが、もう歩くより休む時間の方が多いのである。
十軒程建つ部落。こんな所、一体何をして生活しているのか。
一軒の店、パンなく、HI・Cとカンパン、330円。ろくな物売っていないがしかたがない。
道路横の防波堤の上に、貰った昨日付の新聞を読みながら、カンパンを口の中に。
小学校の時、時々、給食でカンパンが出たのを思い出す。
新聞はも終わり、ジュースも終わり、後は歩くだけだが、歩く気はなく、店にタバコを買いに行く。ズーっと禁煙していたタバコ。俺、こんなに意思が弱くなったか。喫すタバコ。
頭がいたくなるだけで、おいしくもない。
歩き始めて二十分もしたら、牛乳売りの車。1リットル400円。テンプラ200円。
誰も彼も、ご苦労さんの挨拶の言葉が来る。
さっきのジュースで腹がフクれていたが、買う。
学校は休みで、校庭で二人の女の子がバレーボールをして、俺がジーっと見ていると、照れて、失敗ばかりしている。
地図を見ると、宮野から峠を越え、次の部落まで十五、六キロはあるのでは。
もう足は痛く、ヘトヘト。
道路を右に入り、少し先に行った所で、歩道の上に、ヘトヘトになり腰を落とす。
空の雲行きはおかしくなり、雷のゴロゴロとする音。迷う。
行くべきか、どうするべきか。
しばらくして、若いお巡りさんが、オートバイに乗って来る。
話して道を尋ねると、次の部落まで約二十キロ。時間は2時。
夜になると熊が出て、オートバイでひいた。ほとんど人が通らないとの事。
決めた、今夜ここ。
しかし、ここへ来る時、赤い鳥居が見えていた所まで引き返す事にする。
お巡りさんに尋ねたら、神社は泊めてくれないでしょう。
泊めてくれるのではなく、泊まるの。
靴の話を少ししたが、分からんだろう。この痛さ。この俺が根を上げてるのである。
しかし、分からん相手に話する程、気が抜ける事はない。まさにヌカにクギである。
運動靴の話をしていたが、3日持つか。
しかし、歩きやすくて、距離が伸びるのなら結果的には、この靴より安上がりである。
神社に着いたとたん、ザーッと降りだす。
ゾウリ虫がゾロゾロと這っている。気持ち悪い。
しばらくしたら、雨は止み、光が指す。夕立か?
波が打ち寄せ引き上げる時、ジャリ玉の音が聞こえてくる。
神社、鍵がかかっているが、窓が開いている。中は虫の死骸だらけ。
今夜泊まる事にして、リュックを背負い、海に出る。
船着場で日記を付けていたら、船が入ってくる。
サバを捕って来て、他にタラ、色々と。おいしいだろうなぁ。
こんな新鮮な魚、しかし俺の口には程遠い。
十数人の教師が、手際よく魚を箱に入れ、量って行く。
水は澄み、きれいだ。道路のいたる所は小川が流れ、水道は不要である。
公害とは全く無縁。しかし、さびしい所。
カラスと海鳥が飛びまくり夕暮れは夕陽。
山の越しになるのか、見る事できないが。
今日、もう歩く事なく、波の音を聞いていたら心がなごむ。
俺は決めた。運動靴を買う。
いつも見えていた奥尻島が見えない。
書き疲れた。小便したら色が悪い。疲れているのがよく分かる。
食べ物がなし。田舎道ばかり歩いているから、売っているものなんて限られている。
ここには手紙を書くつもりできたが、日記を書いたら、頭が痛くなって書く気がなくなった。
ビールとラーメン320円を買い、神社に上がっていくと、皆、俺を監視しているみたいに見ている。
神社に座っていたら、遠方から俺を見て集まって来る。よっぽど暇で、事件がなく、平和な所なのであろうか。
人が見ているので、スグ中に入れなく、地図を広げ先のことを考える。
地図の上では、簡単にこう行って、あぁー行って、行けるのに、実際はウンザリ。
暖かくなって中に入り、ホウキを探すが、暗くて見つからず。
新聞を敷く。ビールのせいか、疲れて足が痛い為か、寝付かれず、暗闇の中を、ジーと遠くから聞こえてくる波の音を聞いている内に、眠ってしまう。
何時頃か、雨の降る音に目覚め、そのまま朝が明けて来る。
使用金額:1330円
紅い太陽がポンといった感じで浮いていた
1979年
昭和54年7月9日(月)
真夜中目覚めたまま、眠ることできず、虫がアチラコチラと食いつくし、何か知らんがゴソゴソとはう。
これでは眠れるはずなく、外はまだ暗く、タオルを顔の上に置いて、何を考えていたのか。最近考えすぎ。
どのくらい経ったか、タオルをとったら、もう明るくなってスグ起きる。
ラーメンを作り、正面の窓の上を見たら、紅い太陽がポンといった感じで浮いていた。
ラーメンを終え、お茶を作ったが、紙に包んでいたので湿ったのか、香なく全然おいしくない。タバコを一服。早い朝を歩き始める。
しばらくして、土木の送迎バスが止まっていたので、時間を尋ねたらAM6時15分。道は登りのジャリ道、カーブにカーブ。
トンネル工事をやっているダンプが、埃を立てて去る。
文句は言えないし、ジャリで足がクリッと回ると、足指が圧迫され痛いのなんの。
山道なのに、周りは埃で汚く、雨はどうなったのか。
坂道をヒーヒー言いながら歩く。車とダンプがすれ違う時、運転手が乗るかと手招きをしたが、手を振り断る。
もう口を聞く気にもなれず、右側の岩間から流れ出る水を飲み、やっと峠。
峠にトンネル工事飯場があり、横を通ったら、飯場からガンバレの声。
登りが終わったと思ったら、下りはもっと悪い。体が前にノメリこみ、体重が前にかかり、最悪である。それにジャリ。
家一軒ない道。腰を下ろして、前に注意表示板。
この山にヒグマが出ますので注意してください。
これでは安心していられない。
やっと人家が見え始めたが、店はなくショボショボと歩く。
鹿児島ナンバーのオートバイが止まり、話しかける。
日本一周らしいが、義理尻で話す感じ。もう口をきくのも嫌である。
ガンバッテくださいの言葉を貰ったが、何をどうガンバレばよいのやら。
二俣小学中学校、一緒になった小さな学校。
古いが、こんな所まで、学校を建てたその政策。
学校の横に、取り壊した家跡に、水道のジャ口が長く立っている。
ジャ口をひねると、冷たい水が飛び出る。タオルを濡らし、シャツも洗い、体を拭いて、暑いのでそのまま着る。
残りのカンパンを口に入れ、ふと気が付く。指が圧迫される部分を取る事に・・・。
買ったばかりの靴であるが、こうも毎日、地獄の攻めを受けたら、気が狂ってしまう。
ナイフで切り取るが、ゴムが硬く厚い。両方前方、指があたる部分を、10センチずつ程切り、穴を開ける。
思った通り、痛さが凄く楽になった。
若松に入り、子供2人ニコニコして俺を見るので、すれ違う時、
「オス」と言ったら、
「オス、どこからきたの」
「九州」
「歩いて、凄い」
「九州、何処にあるか知ってるか」
「ウン、知っている」
「何処だい」と聞いたら、
地球のこの辺と、手で形を作る言う。
やっと店に当たり、バナナ、チクワ、パン、牛乳1リットル630円。
神社に腰を下ろす。ちょうど12時のサイレンが鳴る。閑散とした通りで、神社の横が幼稚園だ。
子供が飯を食べる前の、遊ぎをしている。
食べながら、それをボケッーと見て、リュックを背にして座っていたら、コックリと居眠りする。
バナナ4本、パン4個、ちくわ4本、牛乳1リットル、腹の中。
日記をつけようと思ったら、全然そんな気になれず、昨日の残り分だけ付け、ジャリの上に横になったが、アリが這いまくり邪魔をして、眠ることができない。
歩き始めたら、学校で競技会が始まり、女子中学生が手を振るので、振り返したらテレているの。
学校から少し歩いて、先に3人のおっさんが腰を下ろして、煙草をふかしている。
俺を見てニコニコしている。俺は、わずらわしく、知らん顔をして通り過ぎようとしたら、
「休んでいけー」の声。
まぁいいや、少し話す。1人は、昔シベリアに捕リョで3年いたとか。
あんた、女、欲しくならないかと。
「やはり時々なるよ」
「それじゃ本当に疲れていない」
シベリアにいた時、21才で女を見てもきれいと思ったが、下のほうは立たなかったと。
そんなものかなー。
百姓さんで、米価の話していたが、差額分、余分に作るだけさ、の答え。その答え、昨々日の北海道新聞社説を書いた記者に聞かせてやりたいよ。
しかし広い水田が続き、よくまぁ売れない米を、よく作るわーと思う。
北桧山まで7キロ、もうすぐ。足の痛さはなくなったが、ふくらはぎが疲れ、痛く、靴の底が重いせいか?
トンネルを過ぎ、しばらくしたら、北桧山の町が見えてくる。
朝のダンプに合い、スレ違う。
橋を渡り、その端に座っていたら、犬が前を通り過ぎ、また、引き返して、俺の前で止まる。汚れて、足が悪いのか、ビッコを引いている。
食べる物なく、やる物がない。
町に入り、やっと人間が住んでいる感じの町に入る
江差では通り過ぎただけであったから、久し振り、文化の香り?
北桧山駅に4時30分。駅で日記を付ける。
駅に姉妹が来て、ケンカしている。それをジーっと見ていたら、姉の方が恥ずかしくなって、笑ってケンカにならず。
姉のほうに、
「この事を日記に書いとくからね」
嫌、「なんでそんな事、書くの」。
現在5時35分。さて瀬棚まで歩くとするか。
街通りといっても、大した事はないが、やはり店が並んでいる事は、何かしらホッと安心させる。
バナナ200円。食べながら歩く。六、七本あったが、アッという間にすべて腹の中に消えてしまう。
いつの間にか霧が出てくる。
寝場、見つからず。やっと民家が見え始めた所に、雑草が繁った所に、神社があったが、ボロボロで中は凄い埃。
空き家同然で、とても中には寝れない。
外の縁台に寝る事をにするか、迷う先にもっと良い場所があるかも知れん。
しかし、もう疲れてどうでもいいや・・・。
使用金額:830円
海を見ながら老人と話す
1979年
昭和54年7月10日(火)
雑草の中だから虫にやられて気分が悪い。濃霧で、夜、それが水になり、屋根を流れ音を立てている。
寝袋が湿気る。寝袋を巻いて、雑草をかき分けて行く。手入れの悪い神社で、建物も素人が建てたみたいな感じである。
その場から400メートルも歩いたか、角を曲がると、瀬棚の駅があり、街の初め。右側山手に大きな神社が見えが通り、店はまだ閉まっている。
フェリー乗り場の近くの公衆便所で顔を洗い、その横にごみ箱。一冊のまんが本。取り出し読む。
読み終って歩き始めたら、リュックを背負った旅行者。奥尻に行くと。
国鉄地図にはのっているが、僕の地図にはのっていない。
瀬棚の海は、海上にポッポッとハムみたいな岩が突き出て、北海道的な景色である。
トンネルを出たすぐ右側に、大きな山小屋風の休憩所があり、これを見て、やはり昨日あんなろくでもない所に決めるより、もう少し歩けばよかったと後悔する。
水もあるし、最高の場所である。
店に飛び込み、食料630円。サバ缶90円、高い、別なものと取り替える。
少し歩き、海で老人がイカを洗っている。
そのジャリ浜に下り、朝食だか、何だか、訳の分からぬ物を食べる。
浅い目前の海に、魚の群れが泳いで、全然逃げない。網があったらと思う。
魚を見ながら食べていたら、老人が落としていったらしいイカの足が落ちている。
きれいに洗って皮をムキ、イワシ缶の汁で食べようとした時、さっきの老人が来て、イカは生で食べる時、変な物と一緒に食べると、あたって死ぬと言う。
老人、醤油を持って来てくれる。イカ刺しと一緒に・・・。
岩場で二隻の船が、竹棒でウニを獲っている。
海を見ながら老人と話す。81歳とか。もう足が悪くなったのかヨタヨタである。
自分が81歳になった時を想像する。
靴、切った為、すごく楽になる。あの痛さから解放されホッとする。
岩場の海を横に歩く。正面に自転車野郎。
目の前になんと外人で、
「日本語話せるか」と言ったら、
「少し」と、日本語の返事。
日本語できないと思って、英語で、Can you speak English?
Yes,I do. の返事。アメリカ人である。
日本、大阪で英語を教え、二年半。聞いたら、結構いい日本語を話す。
スッキリしたアメリカ人である。
ヒッチハイカーではなく、直接アメリカから来たとの事。
少し立ち話をして、
See you sometime somewhere. と言って別れる。
あのアメリカ特有のオープンさは、好きである。
昔、あのオープンさとか、アメリカ人が嫌いであり、嫌だった事を思い出す。
今は誰でも好きだし、何人でもいい。人間を偏見の目で見る事がないようになってー、俺も・・・。昔の、海外を回っていた時の事を思い出す。
港工事、そばを通ったら、一服してはいけないとの声。
休んだばかりだったが、セブンスターを一本も貰い、世間話をして別れる。
北海道の人間は気さくで、俺は好きだ。
歌島が終わり、美谷か、何処かだかもう忘れたが、トンネルを出た所。左側、海の岩場に出て、横になる。寝不足のせいか寝てしまう。
起きて、いざリュックを持ち上げたら、ポロリと落ちる。縫ってあった糸が切れている。縫ったが、二本針を折る。厚く硬く、針が通らず。アフガニスタンに居た時に作ったクギのキリで、石を上から叩き、一個一個、穴をあけて針を通す大変な仕事。
青果車が、演歌をスピーカーから流しながら来るので止め、バナナ1キロ250円。
絵になるんではと思う。家が周りになく、岩場の海岸線に前方から来て、走って止まり、バナナを売る。
このバナナ、七本あったか、ペロリと腹の中。
小さな漁村に入り、子供が前から来るので、鼻をつまむ。
歌は歌うし、やっと調子が出てきたみたいである。
店で、ジュースとビスケット330円。時計は、4:20 PM。
栄浜まで7キロのサイン。
1974年に建った1974メートルのトンネルを歌を歌いながら歩く。
気分がすごく楽になった。
トンネルを出たところで休み、もうここで寝ようかと思ったが、雨を考える・・・。
その先に、茂津多岬の広場記念碑が立つ。
反対側に公衆便所。水あり、雨が降った時、ここに逃げ込めばと思ったが、迷って、やはり先に進む。(蚊を一匹やっつけた)
凄い岩山の続く下のトンネルを、幾つも通り抜け、トンネル、トンネルの連続で、岩山の頂。
緑。水が流れ落ち、まさに北海道である。
休憩がてらに、日記を書く。水平の向こう側は霧。夕陽は見えなんだ。
日記を付けている今、俺の周りは、蚊が飛びまくり、手にとまったり、鼻の上にとまったり。
もう薄暗くなり、さっき合わせた時計で、丁度、20:00 PMになっている。
使用金額:1210円
こんなところに百年前、人が入り、学校を建てた
1979年
昭和54年7月11日(水)
昨夜、栄浜に入った時は、真暗で、何処をどう見ても暗くて分からない。
店家の隣に、小屋があり窓に、
「お気軽にお休み下さい」と書いてある。
扉を開けると、テーブル一つと長机があり、休憩所。
テーブルの上に寝袋を敷いて横になったが、全然寝付かれず、そのまま夜が明けてしまう。
店屋に牛乳なく、ファンタ100円を買う。おいしくない。ファンタを飲み、だるい体で歩く。三人の土方のおっさんに話しかけられ、タバコ一服。少しダベリ、歩く。
その時で七時である。
横覆の陰に座り、シャツを顔に覆って、リュックを背にしてしばらく休む。
心臓の鼓動が通う。
もう夏の陽射しであり、東京のビアガーデンが、頭に浮かんでくる。
店屋のある部落に入り、牛乳160円、テンプラ200円。360円。
高いいけれどしかたがない。頭に来る。
少し歩いた所に、校庭で、小学生のソフトボール男女。
女のピッチャー、ヨロヨロの球を飛ばし、とても投げると云った感じではない。
バッターはバッターで、頭より上を飛んでくる球を打つ。
プロ野球を見ているより、よっぽどおもしろい。
女子は赤の短パンをはき、脚がすらりとノビ、時代の流れか、生活習慣が変わったのか、子供たちの体格が変わっていくのが分かる。
ある者はもうオッパイが出ている。
なんだか不思議な魅力につかれる感じで、ボケッーと。
牛乳と残り物ビスケットを食べながら、試合が終わるまで見ていた。
チャイムが鳴り、子供たちが校舎から出てくる。
俺はブランコに乗りボケー。
ゴミを捨てに行った間、子供にブランコを取られる。
千走に入り、外に出た所に河が流れ、橋がかかって、橋の上から見たら、澄んだ流れをしているので、河原に降りて河の中でクソをたれる。
北海道の川は、上流に人が住んでいない為、水が澄み、透明で綺麗である。
結局、裸になって水浴びをする。車が通るだけで人が通らない。
素っ裸で、人が見ても別にどうってことない。
冷たく気持ちがいい。面倒臭いので、ついでに洗濯し、川の水で「まき」で、お茶を作ったが、全然お茶の香りがしない。ナベが真黒になり、ゴシゴシとこすり、ナベ磨き。
リュックの中を取り出し、日干しする。
広げてみると、色々なものが入っている。重いハズ。
川の流れに、山あいの緑の谷間を眺めていると、心が安らいでくる。
これでビールと釣りザオがあったら。
いつまでもこんな事をしていられない。
2時間以上、こんなことをしていたのでは。
カーブを曲がると前方に、弓形になって浜が長く連なっているが、何故だか浜を歩く気になれない。
暑さのせいか。
「泊」に入って、新装開店のスーパー?、食料を買う700円、やはり安い。
「開校百年」の看板が出ている学校の校庭を横切り、浜に出る。
浜は小石で流され、きれいで、今日は何故だか、波がなく静かで、海の水は、信じられないくらいに澄み、驚く。
荷を広げ、また一息。
今日は休んでばかり。汗が流れ、セミの声が聞こえてくる。
バナナを切り、インドの最後の砂糖を入れ、牛乳。
寝袋を出し、虫干しをする。
右側200メートル遠方に、女の子二人。もう随分経ったのにいったい何をしているのか。
空は晴れているが、スッキリした空ではない。
夏の空だし、まだ梅雨は続いているのか。
日記を付けていたら、途中でボールペンがつかなくなる。
今は良いが、ジャリの上だから書き辛い。
こんなところに百年前、人が入り、学校を建てた事に、驚きと感心をする。
日本、発展するはずだ。
もう五時近くではないか、どうするかなぁー。
潮風に寝袋がベトベトになると困るし、このジャリの上で寝るのも、虫がいないのではないかと。
岬丘の山に、赤い物が見えた。多分、神社ではと思い、早いが、新聞紙、水を貰い、上って行く。大きな鍵がかかっている。少し高い丘にあり、海が下にあり、早くて5時40分頃か。疲れたので早めに切り上げる。
古新聞を読んでいたら、陽は何処かに行った。
鍵は開きそうにないし、周りを見たが、窓は開かない。
鍵を見ると、かけるほうの鉄が折れている。
使用金額:1160円
いい岬だ。周りに何もないのがよい
1979年
昭和54年7月12日(木)
鍵を、力でハズし、中に入る。
畳が敷いてあるが、何故だか落ち着いて眠る事ができない。
御神酒が何本もあり、1合ぐらいなら飲むが、一升を開けてもあとは飲めなく、腐るともったいないので飲む訳にいかない。ビールでもあれば飲むのだが、ビールはなし。
窓から海が見え、海に浮かぶ漁火が見えた。
朝は何時頃か、昨日の残りバナナ二本を口に入れる。
ふと見るとファンタがある。一本飲む。別においしくもない。(軽薄)
歩き始めたら、腹が痛くなる。ファンタのせいか。
晴れて、空気は少し冷たく、歩くには丁度良い。
神社から出て山を見た時、また、点々と白い雪が見えた。
しばらく歩いて、ドライブインのベンチで古新聞を読み、スタンプを押して歩く。
小さな部落に小さな店。腹が減っているので入ろうかと思ったが、止めた。
こんな所の店は高く、かなわない。そのまま歩いていたら、道が一本続くだけの道路。
腹がグーグー鳴る。
自然。右側に山、左側に海。
本州みたいに家が見えないので、スッキリして気持ちが良い。
道路工事中。埃がモウモウ。ヨタヨタと歩いていたら、太った人に話しかけられ、タバコ一本貰って、例の如く、常に決まった質問に答える。
腹がヘッた事を言ったら、土方の兄ちゃんが、飯場に飛んでいって、ニギリ飯を持って来てくれる。それじゃぁと立ち上がる。老けて見えるこの人、23歳だと。
何度も、兄さんガンバッての連発。テクテクと歩く。
土方のおっさん、一升瓶に水、手に持って、
「水はあそこにあるよ、湧いている」この一言。
本州では、こんな事は言わない。北海道の人々、サバサバしている。
少し歩いて、埃のない所で、貰ったニギリを食べる。
ウマいのなんの。ペロッと腹の中に入って、もったいない。
同じなら、二個ぐらい持ってきてくれたらよいのに。
米は北海道米かどうか知らんが、とにかくうまい。
テクテクと歩き、海に突き出た岬に出る。弁慶岬とか。
道路から200メートル程入った所に、灯台が建ち、行くとサッパリした所で、気持ちが良い。晴れて、海が青く見える。
緑に、心地よいそよ風が吹き、セメントの上に横になる。
潮騒が響き、小鳥のさえずり。遠方に、高い山に切り落ちたような岬。積丹半島。
大変な道が一目でわかる。
それに比べ、ここはノンビリして、夜だったら最高の寝所になる。
どのくらい寝たか。日記を付ける。
足が疲れて、かなわない。サロメチールでも買おうかと思っている。
いい岬だ。周りに何もないのがよい。
これが本州だったらみやげ物屋の乱立である。
影が長くなった。2時間近くここにいたのでは。
さて歩くとするか。
ヨタヨタと歩き、霞の中に見えていた半島を人に訊いたら、あれは電神岬で、積丹半島はここから見えないとの事である。
弓形の湾になっており、直線で行けば半分以下で済むのに。それに、見えるからゾーとする。歩いても歩いても、距離は一向に縮まない。
寿都に入り、牛乳1リッター、バナナ495円。その他高くて買う気になれない。
牛乳1リッター飲んだらさすがに腹が張り、歩くのが大義。モタモタと歩く。
薬局でサロメチールを買う460円。薬局のおじさん、
「努力ですね」
「ハァー、仕方ないです」
「人生は努力です」
イヤー、言うのは簡単ですがねぇ。
サルメチールを塗る。効いているのかどうなのか、さっぱり分らない。
通りのおばさん、この暑いのに、
「ご苦労さんだねー」
「ハイ、自業自得です」
歩調の幅が狭くなって、歩くテンポが遅くなったのが分る。
河が流れ、その先に橋があるのが地図で分るが、この目で地形を見ると、海岸沿いに行ったほうが近道である。農道用の橋がかかっているので、その橋を渡り、ジャリ道を行く。
波の音は聞こえるが、防風林でグルリと遠回り道。頭にきて、その防風林の籔の中をかき分けて行く。
靴を脱いで、海に足を冷やしに行く。海から上がり、リュックを見たら水筒のフタがない。時々落ちることがあって、気にしていたが、きっと、この籔の中を歩いていた時、木の枝で落ちたのであろう。
スエーデンからずっと一緒に持ってきたのに、残念である。
サロメチールを塗ったが、全然効かないみたい。
なんだか騙されたみたい。
今日、風も波も強く、波は荒れ、水は黒くにごっている。
このまま海岸に行けば、随分近道であるが、河に当たったら、もう死んでも死にきれない。
浜、歩き終わり、店に行ったが、誰もいない。
部落のはずれに、大きな神社が雑草の中にあったが、全て鍵がかかり、先に進む。
円い太陽が、紅色にポッと空の中に。
種前バス係小停小屋で、埃を拭き取り、ベンチと酒箱を台にして寝る。
ポタージュスープを作る。やはりあったかい物はおいしい。
使用金額:955円
今度こそ本当に積丹半島が見える
1979年
昭和54年7月13日(金)
寝袋を巻いていたら、隣の爺さん、のぞきに来る。
昨夜、車の振動で眠ることできず。6時頃か。パンと、牛乳1リッター220円、360円。
船が上げてある。
船着場で、海を見ながら食べる。
おばさんに、聖教新聞を貰う。新聞全然おもしろくない。
朝、新聞配達している子供に、余っている新聞を訊いたが、ないと。
十二軒、朝刊だけ、七千円だと。
腹の調子が悪くなり、下痢だと分る。牛乳のせいだろう。飲んだ後、脱脂ミルクみたいな味。トンネル前の草の中に飛び込む。
トンネルを出ると、「港」バス停で、落ちていたマンガを読み、休む。
大きな河が流れ、朝の三時からだから、もう半分は来ただろうと思ったが、道路表示に、岩内まで19キロ、ガッカリ。
おばさんに時間を尋ねたら、11時5分前。
目前に大きな岩山のトンネル、雷電岬か。
幾つも岩山のトンネルをくぐり通り、雷電トンネルを出た。
右側谷合から流れ落ちる水。水浴びに丁度良い深さだが、冷たい。
顔を洗い、靴下を洗濯したが、軍足は、かかとが両方、大きな穴。もう一度使用したら終わりだろう。この軍足、2日目で穴が開いた。高い軍足だ。
凄い岩山から迫る岩壁は、迫力がある。
道路は、その下を通り、テクテクで歩く。
晴れ、青い海。雨が降らないが、やはり梅雨はないのか。
さらりとした風が吹き、気持ち良い。
歩いていたら車が止まり、
「岩内まで行きますが、乗らないですか」の声。丁寧に断る。
こうなれば、別に乗っても同じことだが。
朝日温泉あり、300円浴料。しかし4キロ、山深い、止めた。
しかし、こんな谷深い所、激務であるだろうなぁ。
腹がへっているのに、家が一軒もない。だから店屋もない。海岸線である。
トンネルを出た左側に、古い昔の船着場跡に、横になる。
頭の上でカラスがカァーカァーとわめき、顔にかぶせていたタオルを少しずらして見ていたら、この図々しいカラス、50cm位まで近寄り、俺の日記とか入れているバックを、口ばしで引っ張って持っていこうとする。
ジーと見ていたら、カワイイ目をパチパチとさせている。
今度こそ本当に積丹半島が見える。
それにしても凄い絶壁で、本州には、こんな海岸線はないだろう。
やっと家並が見える所まで来て、店を期待して歩いていたら、あった。
その店、「本日定休日」の札。
遠方に、テトラポットを積み上げた防波堤が見え、あれが岩内であろう。
やっと店にあたり、牛乳、パン、中華まんじゅうとやら物を、店のおばさんの口車に乗せられ、口に入れ、後でしまったと気が付く。
ここで軽く食べ、岩内で良いものを食べる事にしていたが、ペコペコの腹では頭が動かない。
牛乳と100円の古いパサパサとしたパンを口に入れ、他人の玄関前に腰をおろし、ホッとする。
岩内まで目と鼻の先。釣り針がたくさん、この玄関前に落ちている。来年のマス漁仕込み後なのであろう。
店を出る時、ホープを買う。一瞬、しまったと思う。
意思が弱くなったのかなー、それとも、ニコチン中毒にでもなったのか。
吸うタバコは全くおいしいと思わないが、菊と刀がなくなってから、手持ち無沙汰になって・・・。
もう買わない。しかし、人がスグくれるから困る。
後から車が止まり、中に乗っている女の人がニコニコしている。
こんな人、知らんと思っていたら、運転手が、昨日、道路工事中、ニギリ飯を持ってくるように言った23歳のおっさんであった。
海では、子供たちがもう海水浴をしている。冷たくないのかなあーと思う。
岩内に五時過ぎに入り、まず靴屋探し。底にビョーを打ってもらう。小さいものしかなかった。しかたがない。
少し話ししていたら、若い人、タダでいいと。
港と神社を訊いて、通りを歩く。スーパーで、一山百円のバナナを見たが、古く真黒、やめた。
まず港に時刻を見に行く事にして、港方面に向かっていたら、角にラーメン屋のノレン。
見た目おいしそうだったので、入る。
店主人、ケーシー高峰みたいな人。大盛りラーメン、北海道の味でも味わってみるか。
本州で井波で一回、北海道、岩内で一回の食堂で食べただけ。
まずくはないが、おいしくもない。
東京にあるサッポロラーメンと同じである。ガッカリ。380円。
今日の新聞とテレビ。相撲を見る。北ノ湖、負け。北ノ湖、優勝が決まる。勝負に負け、特に悔しそうな顔していた。
どうせ今日も、もうやる事はないので、マンガの本を二冊見て、ラーメン屋を出る。
港に出て、左側を見たら、高い防波堤の上に、紅の美しい色をした陽が沈みかけている。
急いで歩いて行ったが、着いた時は、もう沈んでしまっていた。
船を探し、船着き場を歩いていたら、漁船の間に、白い行き先を書いた小さな船が停泊している。
この船と思い、誰も居ない船にあがり、ベンチに腰かけ、ボケーと薄暗くなった海にユラしていたら人が来る。船長さん。
「このベンチに寝て良いか」と聞いたら、待合室に泊まったら良いと連れて行ってくれる。
ビール2本400円、買ってきて、二人で飲み、話す。この航路、三十年になると。
使用金額:1575円
また来てくださいと、ごく自然である
1979年
昭和54年7月14日(土)
泊めてもらったのは良かったが、水道の水を流しっぱなしの音と、
昨日歩いている時、乾かしているコンブを貰って食べたコンブが悪いのか、胃から胸にかけて悪寒、吐き気がする。
とても寝られたものではない。船酔いしたような気分。
夜が明け、朝早く誰か来る。
三時過ぎ、起きる。この社長さんだろう、気さくな人である。
クソをたれ、顔を洗って、隣の酒屋に、パンと牛乳を買う、215円。
こんな朝っぱらから酒屋に腰を下し、酒を飲んで目がトロントロンとしているおっさんがいた。
気分悪いので、深呼吸して、無理してパンを食べていたら、
おじさん、「お茶でも飲みなさい」と来る。
事務所で、社長さん、お茶を入れてくれる。
古新聞を見ていたら、今日の新聞を見せてくれる。
ここの所、古新聞ばかり見て、最近何が起きていたのかサッパリだった。
ハンチングを被った小さなおじさんが来て、朝っぱらから話に来ている。
昨夜、イカ漁よく、 3000箱で3千万になったとか、景気の良い話。
ベトナム難民の話をして、農政大臣の批判まで。テレビのニュースも見たいし新聞も見たいし。
時間が来て、切符を買い、船に行く、2070円。
距離からすると、すごい高いが、客数が少なく、赤字。補助が出ているらしい。
船上、小さく、二つのベンチが並び、客数四人。
岩見駅から来た親娘と地元のおっさん。
キッカリとした時間でもなく、出航。
社長さん、船の見送り、お礼を言う。また来てくださいと、ごく自然である。
別に礼儀的に、事務的に、親切に言うのではなく、ごく自然に、
「よかったら、また来てください」と言う。
いいねー。こんなサバサバしたの、大好き。
本州にないなーと思う、こんな気質。
今にも沈みそうな、このボロ小さな船。停泊している漁船の間を出ている。
漁船のほうが、まともである。青色に塗った漁船が、港湾内に浮かんで、このポンコツ船は外に出て行く。生意気に「蛍の光」なんか流して。
船はノンビリと進んで行く。空は霧でボンヤリ。雷電岬も霧でハッキリしない。
この船、気に入り、こんな船で世界一周したらおもしろいだろうなー、なんて想像する。
円い鉄の上に座って、海を見ながら色々な事を思う。気持、そうかいである。
おばさん、袋に入れてお菓子と飴玉をくれる。
船は神恵内港に入り、別の客7人程乗せ、出航する。
リュックを背負った連中とパック観光客。
誰とも話す事なく、流れて行く海岸を見て、頭の中は、この地と都会を比較している。
都会には都会のよさがあり、あの人混みが懐かしい。
一人黙って、この流れを楽しむ。
船は、凄い岩の絶壁沿岸の横を進んで行く。
これは、船がポンコツで小さいから、情緒があるのである。
今度、船は川白に入るが、こんな辺鄙な所によく住むと感心する。
旅館の看板が見え、船上から、道路を建てているのが見えたが、バスが通るようになると、この航路、廃止になるとか。
港で客を四人乗せ、しばらく停泊して、再びこの船、小さな港を後にする。
川白を出ると、急に水の色も変わり、波が高くなり、この小さな船は、ジェットコースターみたいに縦揺れする。
赤ちゃん、恐ろしがって、叫び泣く。
奇岩絶壁を横に、船は波を乗り越えて行く。
前方に、神威岬灯台か。絶壁の上に立つ。
家が沿岸に、ポツポツと見え始める。
こんな地の冬の生活を想像すると、ゾーとする。
船は神威岬をグルリと回り、やっと余部に着く。
小さな港で、客は船から降り、ユースの者が客引きに来て、
「ユースの者、いないかい」といっている。
無精ヒゲをはやした、不潔な感じの若者。
バス停は先の右側です、なんて教えている。悪い人間じゃないみたいだけど。
俺のリュックの上に、本が置いてある。誰か落としたのかなー。
船員のおっさんが持って来たと、貰う。船長さんにお礼を言って歩く。
先に歩いていた親娘連れに、お菓子の礼を言う。
皆、バスに乗って行くらしい。俺はパンと牛乳285円を買い、歩き始める。
遠方に積丹半島、遠いなー。海辺に降りて、パンを食べる。
まだ少し気持ちが悪く、コンブが悪かったのか、牛乳の飲み過ぎなのか、よく分らない。
宇野鴻一郎の「恋ざかり」を読む。おもしろいが、読んでいたら先に進まないので、一時間程読んで、歩き始める。
海岸にポツポツと、黄色のテントが張り立ってキャンプしている。
人がパラパラと海水浴して、都会の郊外、海水浴場と全く対照的である。
イモを洗うみたいに混雑する浜も困るが、こんなに殺風景な浜も、ビキニの娘がいなく、全然クソおもしろくもない。
どのくらい歩いたか、家が5軒程しかない所に、右側山腹に、小さなお堂。
休みに上ると、その横に真新しい建物。YKKのドアが開く。中に古い扉観音が安置。よく見ると悪くない彫りで、骨董屋に売ったら、どのくらいなるのかなんて考える。それに何故こんな所に、こんな古い、60cm程の観音があるのか、不思議に思う。それに二枚の安物絵と石仏。見れば見るほどいい観音様で、悪い奴が見つけたら、盗んできっと売ってしまうのでは。
中に二枚のゴザが敷いてある、狭い建物。本を読む。
頭がボーっとしてくるが、一冊読み切ってしまう。
気分悪いのは、疲れか寝不足か分らん。
歩いている時、足は軽かったが、とにかく寝る。
どのくらい経ったか。今日、このまま歩いてもしかたがないので、此の所に泊まる事にして日記を付ける。
腹がヘッてしかたがない。残っているコンブを少し口に入れたら、急に気分悪くなる。やはりコンブが悪かったのか。
もう薄暗くなってきた。曇っているが、夕暮。
今日、4キロ歩いたのかなー。
日記を付けるのが一苦労であった。
昨日の残りの分も書いて、二時間近く書いたのでは。
この後、手紙を書くつもりだったが、薄暗くなったのだ。
使用金額:2570円
こんな所まで時間を持ち込む必要はない
1979年
昭和54年7月15日(日)
朝、何時だかわからない時刻に歩き始め、浜には黄色のテントがズラリと並んで、朝なのにビキニの女の子、3人、座っていた。
ガスがかかっていないせいか、積丹岬が近くに見えるが、それでも8キロはあるのではないかと思う。
道路横脇にズラリと、札幌ナンバーの車が駐車。ある者は、車の中に寝ている。
東海郊外の海水浴場みたいに、物売りはなく、スッキリして清々しい。至るところでテント張っている。
牛乳とビスケット、335円。牛乳が安い。腹が減っているのに、ビスケット、腹に入らない。牛乳で流し込むように食べる。岬の絶壁がダンダンに近づき、大きな岬である。
今日、岬の上で泊まり込み、NHKにでも書くつもりで、食料を買いに行くが、高い上には水がないとか。
結局、買ったのはビールとソーセージである、440円。
みんな泳いでいるのに、俺は、短パンを送り返してしまったので、泳げない。
水は澄み、きれいだ。絵はがきを買う、300円。
ボールペンがないので、別の店屋に行く。この時で、朝の8時であった。
もう10時頃だと思っていたが・・・。
ラーメン2個、ポタージュ・スープ1個、ボールペン1本、ホッケのクン製700円で、店の女に、
「ワォー、姉さん、きれいなー。でも年取っているからダメだなー」
「いくつに見える」と言うから、20才。本当は全然そんな風に見えないけれど、彼女36歳。いちども結婚をした事ないそうな。
色々、根掘り葉掘り聞く。もうチャンスがないと諦めていた。
こんな狭い小さな村だもん、チャンスなんかないさ。かわいそうになる。
この店で今日の新聞を借りて、外で読む。
高い上に登っていく。岬端と灯台のある所とは、別々で、灯台に行ったら、景観は素晴らしいが、休憩する場所がない。ボロの壊れかけたベンチに座って、ホッケを食べていたら、リュックを背負った奴が来る。
長崎大学、大村から来たとか。
少し話ししていたら、女4人男1人のグループ。
男、女4人と別れ、こちら側に来たのでタバコをたかる。積丹ニュースでヘルパー案内に来たと。
ユースホステルで何すんのだ。女の子でも網に張っているのかと聞いたら、素直に「ハイ」の返事。
長崎野郎、10分程して、さっさっと、忙しく自然歩道を去る。
それを見て、若いと思った。ジックリと落ち着くゆとりがない。昔、オレも同じだったのだから、誰しもが通る同じ道か。
ユースホステルの奴と話する。大阪で転勤で、北海道に来て、仕事を辞め、今度ユースホステルで女を張っているとか。太って悪い奴ではない。
俺の若い頃のことを話したが、女子2人が遠方で、引き返そうとしているので呼び止め、「ここにベンチ、空いているよ」
若い女2人でも、百姓さんの娘で、パッとせず、ユースホステル野郎、女たちを迎えに行くからと別れる。
「あんたが太っているのは、現代病で、本当に一生懸命何かをやっているなら、太っている暇はない。今度もし会うことがあるなら、やせていることを期待する」と別れ言葉。
女の子達と話していたら、バス団体で一緒に来た農協さん、バァーさん連中がぞろぞろと登ってくる。全然、気分壊れて、俺、自然遊歩道を行く。
下は絶壁の海で、道は、熊笹の中を走る。
山の峰々が連なり、やはり良いところである。
しかし、ビールを飲んで、坂道を上がったり下りたり、心臓がドキドキと故障しそう。
道両脇に、小枝の樹陰に、新聞紙を敷いて座り込み、ボケとしていたら、反対側からせかせかと時計を見ながら歩いてくる若者。呼び止め説教する?
こんな所まで時間を持ち込む必要はない。
宝塚者。ホッケをやったら、別れるとき、そのゴミを、リュックからビニール袋を取り出し、ゴミを入れ持って行く。日本にもこんな若い奴がいたのかな・・・。感心する。
熊笹の道を。道中にヘビがどくろを巻いている。丸くない平べったいヘビで、こんなの見たことがない。
毒を持っていそう。
殺す訳にはいかないので、追い払う為、小石をポンと投げたら、ガラガラヘビと同じように音を立てて振る。気持ち悪くなる。
小枝を折り、ポンポンとやっても、逃げず、戦いの姿勢。
遠回りをして行く。昔だったら、見ただけですぐ殺したのに。
山を降りて、道路に出て少し歩いたら、一軒の家?
中を見たら、石地蔵と他の仏具。民家を改造したお堂。鍵もかかってなく、新しい畳に水道。上がり込み、まず水を飲む。
手紙3通と、絵はがき十通書いたら夕暮れで、その後、日記。もう外は真っ暗。8時少し過ぎだろう。
今日は書きっぱなし。ラーメンを作って食べ、ホッケを焼いたら美味。これでガスがあれば文句なしだが。
ビール、ジュース、牛乳、465円。帰ってきてビールを飲む。
外に出る時、道路で猫がウロウロしていたが、犬がしめ殺されそうな鳴き声で、うるさい。
使用金額:2240円
ズーと家もなく、一面緑の山間の道
1979年
昭和54年7月16日(月)
スープを食べ、牛乳とビスケット。歩き始める。
朝から演歌をスピーカーから流し歩いている車。
部落出ると、ジャリ道になり、時々通る車が誇りを立てていく。
土木のおっさんのバスが止まる。手を振って断る。
ズーと家もなく、一面緑の山間の道。
二日間ロクに歩かなかったから、疲れが取れたのか、体も足も軽い。
国道に出た。通学生バスに出会う。最近の子供は、バスで送り迎えである。
ジュースを飲み、簡易郵便局で切手を買い、330円。手紙を出す。絵はがきは50円切手だがか、20円切手をはる。
やたらオートバイに乗って回っている連中とすれ違う。
美国に入り、ユース前を通る。きれいなユース。
牛乳とパン、218円。店で話ししていたら、1人の女が風呂なんかどうするのと訊ねるので、裸で川で洗うと言ったら、ジーと俺の金玉の所見ているの。そのくせ、私、男嫌いだと。
海岸で、今日は風が冷たく、波が荒れているのに、ビキニと男のグループがいる。腹のデップリとした目が小さい女と、スラリとしたきれいな子。対照的である。
古平で牛乳、140円。ホッケを送ろうかと思ったが高く、いい奴がないのでやめた。
12日付の新聞を読む。今日、何故だか全然書く気がしない。これでやめた。
珍しくこんな多くの星を見た
1979年
昭和54年7月17日(火)
真夜中目覚め、ノドが渇いて失敬した残りサイダーを飲もうとしたが、中に虫が入っている。
戸棚の中にビールが一ダース、奉納した奴。
一本失敬した。外に出ると、夜空に満天の星。
珍しくこんな多くの星を見た。
海の向側に、漁火が夜空を照らして、遠くより、静けさの中に潮騒の響きが聞こえて来る。
ラッパ飲みするビールは、冷えていない為か、それとも神棚から失敬した為か、美味しくない。こんな事をしていたら目が冴えてしまった。
考える事は、鎌倉のTを探し続けるかどうかで、京都の事を考えると、イヤ、やはり続けるべきだとの結論に達する。
そんな事を思っている内に、夜が明ける。
この神社、新築したばかりで、中はジュータン敷き。御神酒、ビール、サイダー、別に欲しいとは思わなかったが、ノドが渇いたのでサイダーを開けた。
坂道を登り始め、トンネルの入り口でクソをタレル。夜冷え、朝は肌寒い。
これでも夏かと信じられない。ずっと天気が続くので助かる。
トンネルを出て少し下がった右側に、紅桃樹があり、収穫後と云っても、まだ沢山サクランボが残っている。
もう虫が食った物から、腐りかけた物まで、良い奴も、次から次と口に飛び込む。
時々、腐った奴を口に入れ、ベェー。
朝食していないので、これはついてると食べていたら腹が痛くなる。
それでも食い意地が張っているのか、損とばかり、腹いっぱいになり。ソーセージの袋に入れる。
富沢町。前方より二人の外人、子供がリュックを背負って来る。
話しかけると日本語が出来る。これからヒッチでキャンプに行くとか。
アメリカ人、「俺は歩きだ」と言ったら、
「ウワー、俺たちヒッチする」と、親指を立てる
だだっ広い町で、9時半になっている。
一山100円のトマトがあったが、サクランボで、食べる気なし。
急に煙草を吸いたくなり、タバコ屋の中に来ると、買うかどうか迷いの繰り返し。
パンと牛乳を買ったついでに、タバコを買う、440円。
こんなに意思が弱ったのかなー。
蘭島駅で食べ、昨日のトンネルの中で拾った英語雑誌PENT HOUSEを読む。11:30 pm。腹の調子悪く、便所へ。バッーと下痢である。
せっかく食べたのに、もったいないと思う。
さて歩き始めるかと、ゴミを籠に捨てに箱を見たら、週刊誌が三冊。もうだめ。
一冊を駅で読み、一時過ぎ出て、歩き始め小樽に入り、次のトンネルを出た。
下の浜に出て、二冊ノンビリと読んでいたら、もう五時は過ぎてしまっている。
海がきれいで騒がしくないのがよい。
こんなのを命の洗濯と言うのだろうが、洗濯のしすぎで困る。
空は晴れ、気持ち良いが、国道5号線に入って、急に車が多くなりウンザリする。
自転車でリュックを背負った新しい奴、スレ違う時、知らん顔。もう一人反対側を走っていた古い奴。振り返って挨拶して去った。
浜で週刊誌を読み終え、日記を付ける。
今日、10キロ歩いたのだろうか、これから少し歩くとするか。
今日は19日であるが、続きを書くといっても、もう忘れてしまった。
小樽の手前、塩谷のスーパーマーケットに入る。
1119円で支払う時、レジの女の子、俺を山賊みたいと。
そう言われればそうみたいであるが。
夕暮れで、先に進み、寝る場所が見つからなく、街に入ると困るので、塩谷神社に。
樹々の間から海が見え、夕陽は見えないか。
雲が染まり変わりゆくのが美しいと思ったが、眼前を我が物顔で飛びまくる蚊がうるさい。
チーズ久しぶり。しかし、やはり北欧のチーズにはかなわない。
新聞は、五十二年十二月の日付で、この頃は、ネパールをブラブラ三人でしていた頃。
使用金額:1559円
暗くなると、本当に一日が終わった感じがする
1979年
昭和54年7月18日(水)
昨日のことなのによく思い出せない。
朝、クソを垂れ、神社の階段を降り道路へ。建売住宅の前でバナナを食べ、PENT HOUSEを声を出して読んでいたら、ステテコ姿のおっさんが来る。
峠を越え、街並み通りに入る。右側にあったガソリンスタンドが閉まっているが、新聞が落ちているので、読み始める。
通学の子供達が通る。通勤車のラッシュ。
腹をスエ読む。毎日新聞で、やはり地方は全然相手にならない。
しかし、日付が古いのに、新聞は読んだ形跡がない。
その内に、店員らしく、肥った若者が来て、この2日遅れと2週間遅れの新聞を貰っても良いか尋ねたら、今日の新聞もくれる。
例のもめている運河に出たら、メタンガスの泡吹き出すドブ河である。
しかし、古いボロの木造船が並び、傾いた倉庫は石造りで、確かに不思議な雰囲気がある。裏側に回り、鉄道が敷いてある道路横に、古い明治時代の物か、石造りの倉庫が並び、その前に鉄道貨車。
雑草が生え、昔の日活映画を思い出す。小林旭と宍戸錠が出て出てきそう。
そんな事を思いながら歩く。
その道に、大型のトレーラーが埃をたて走って行く。汗と埃と太陽と騒音。
港側に出ると、海上保安船が停泊中であるが、小さなポンポン船で、こんな船で一体何ができるのか、頭をヒネる。
しかし、何となくいい港である。気に入った。
フェリー待合所に行く。新築建物で、中はモダンである。
俺が来る直前、フェリーは、大きな船体を長い防波堤から出たとこであった。
新聞をムサボリ読む。待合所のテレビがうるさいが、見たい。
しかし時間がない。文明社会か。
その内に団体さん連中が大勢。俺の前で、スピーカーは鳴らすは、ガヤガヤとやるはで、全く俺を無視である。姿で判断しているのか。もし俺がまとも?な格好をしていたら、こんな失礼な事をしないであろう。頭に来たが・・・。
2部を読み終わり、11時半に待合所を出る。
五号線、交通量が大きく、うるさい。
やたらトンネルが多く、全て埃で、息をするのが大変だ。長いトンネルは換気が効かないのか、目にゴミが入り、目を開けていられない。
トンネルを出ると、高い所から海が下に見え、遠方に札幌の街が見える。
このままいくと、中途半端な時間に街に入る。
土方飯場跡らしく、プレハブに行ったが、とても寝れたものではない。歩き始める。
高速道路の大きな橋がかかった遠方に、建築中の家が見える。そこを決め、行く。
森の中にあり、途中空き家があり入ったら、埃だらけの家の中に大きな冷蔵庫があり冷凍品が入っている。
見に行ったら建築中の家の中から、音が響く。下で現代を読みながら待つ。
肥ったバアさんが来る。
10時過ぎ、大工さん帰り、行く。埃が凄かったので、水道で歯磨き、頭を洗おうとしたら、途中で水が止まる。頭に来る。
中にセブンスターが2箱あった。昨夜禁煙と、ホープを鍵のかかっている神社の中に投げ入れたのに、一本失敬する。
今日、牛乳を買っただけで寝ていたら、腹がヘッたのでパンを食べる。
時々、蚊が飛んで来る。窓の外に、少し星が見え、遠くから車の音が聞こえる。
暗くなると、本当に一日が終わった感じがする。
小樽に入った時、小さなボロの靴屋さんに、ビョーを打ってもらう。無料。
礼状出すから住所と云ったら、そんな事いいじゃないですか。他から儲けますと。
それでパンでも買って下さいと。ASANAGAさんか。
使用金額:240円
話していて、よし俺もやってやろうと云う気になる
1979年
昭和54年7月19日(木)
人が来ない内に、早く荷をまとめ出て行く。
今日は20キロ程で良いので、ブラブラと本を読んでは休みの繰り返し。
セブンイレブン、こんな所にもある。
アイスクリームを奮発する、770円。レジの娘、夫婦喧嘩でもしたのか目の淵がはれている。
休む場所がなかなか見当たらず、建築中の家前で休んでいたら、人の良さそうな大工さんが出てきて、ヒッチハイクですかと。
「ハイ」
別に話したくなかったので、ボケーと食べながら本を読んでいたら、大工さん、これでも飲んで下さいと、ファンタをくれる。
そのまま上に上がって仕事、タンタンとして気がひける。
休憩が終わり、大声で二階に礼を言う。手伝いましょうかと言ったら、自分一人でこれを建てているのでいいですとの事。
大工さんやって9年、脱サラで職業訓練所に行ったとか。
全く俺が考えてるのと同じである。
少し話す。絶対に、訓練所に行くが良いと。それにおもしろい。自衛隊にもいたとか。
話していて、よし俺もやってやろうと云う気になる。
十二時、ユースに電話をかける。歩いていたら、プレハブのラーメン屋。その横に小さな木陰の公園。本を読み、後、ラーメン屋に入る。
別に腹はヘッていなかったが、これが最後と思い食べる。
期待が大き過ぎるのか、悪くはないが・・・?。
本にラーメンの話。根室にウマイラーメン屋と。400円。
自動販売機、牛乳なく、ジュースを飲む、130円。
今日珍しく牛乳を飲まなかった。
地図を見ながら客の森へ。競技場があり、時計が2時半で、その隣、土堤で本を読む。
男女中学生二人が仲良く、愛のささやき?。
競技場内で、練習中の女の子達、脚がまぶしい。
若い子どもの脚が長くなってきた。時代を感じる。
終戦直後に生まれた連中、短足、胴長である。
ユース代、1700円。隣、ベッドに自転車、母子生活とか。
俺が裁縫していたら、黙ってジーと見ている。
洗濯して、といっても、これが一苦労。お湯があったので助かる。
久し振りの湯にドップリとつかり、新しい物に着替えて、飯を食う。
同室になった変わったやつ。インドの面白くない話ばかりする。飯、ろくに食べられない。しかし、味噌汁、6杯ほど食べる。それが終わると、日記を、2日と半分つけるのか。
これまた一苦労で、全然休む暇なし。
ミーティングの女の笑い声、出たいような、そうでないような。
全く、日記をつけるために歩いているのか。リラックスしている暇なし。付け終わると、歯を磨き、クソを垂れに行くか。
使用金額:2800円
小鳥のさえずりが聞こえ、ジーっと耳をすます
1979年
昭和54年7月20日(金)
もう習慣になってしまったのか、夜が明けると、自然に目が覚めてしまう。
小鳥のさえずりが聞こえ、ジーっと耳をすます。
その内、ヨハンシュトラウスのクラシックの音楽が静かに流れてきて、ウィーンの森を想像する。
ウィーンには行かなかったが、流れてくる音楽を聴いていると、なんだか行ったみたい。
ドイツなんかを思い出し、ドイツのユースに泊まっているような錯覚を覚える。
洗顔して、7時半、ユースを出る。朝食無し。
緑の樹並み下を歩く。そんなに早くないのに、やはり街は朝が遅いのか、まだ朝早い感じ。
大通り公園、昔来た事あるのに、全然記憶なし。広い公園に、通勤サラリーマンがベンチに座って話して、東京みたいにセカセカとしていない。
半分、西欧的な感じがする。
公園、中を歩いていたら、小汚い奴が俺の所に近寄ってくる。
リュックを持っているからヒッチハイカーだろうが、どんなボロを着てても、顔を洗うぐらいしろと言いたい。無視する。
第一勧銀が開くまで40分程あるので、ベンチに座って、ユース新聞と本を読み、暇をツブす。
札幌と福岡、同じほどの人口であるが、都市造りが全然違い、福岡は貧弱で文化程度が知れる。
公衆便所に入ったら、普通汚いの当たり前であるが、朝だからか、きれいに清掃。
歩いていたら、おばさんに気軽に話しかけられる。
書類を持っているので、仕事のついでか知らんが、暇な人。
ガスを買いたいが、スポーツ屋がない。
その内、郊外に出てしまう。車が多くウンザリ。河原の中にある自転車道を歩く。
鉄道橋下にコジキのおっさん。マンガを読んでいるので、見せてくれーと、橋の下でマンガを読みふける。
コジキのおっさん、色々なものを持っているが、面白いのは、汚いズボンなのに、下に紙を敷いている。
昼過ぎなのに、店屋なく、腹がグーグーと鳴る。
橋を渡った所に、店屋があったが、パンが二個あるだけ、牛乳もない。
変な店屋さんで、周りに民家はポツポツ。缶系とジュース、500円。庭で食べる。
平野で、だだっ広く、家と家の間が長く、水はなく、陽陰もなし、歩きづらい。
歩いていたら、千円落ちている。へへ、儲けたと、フッと見ると、アッチコッチに落ちている。かき集めると七千円。
まだあるのではと、草の中を探すと、二枚が出てくる。
欲を張ってまだあるのではと、草の中をかき分け、諦めかけた頃、もう一枚、計一万円拾った。儲けた。
牛乳とパン190円。
石狩川を渡り、小学校の隣り、公民館で本を少し読み、日記をつける。6時頃かな。
この調子で行くと、寝る所を探すの、一苦労だし、このまま今日寝るのも早いし、困ったものだ。
空は気持ちが良い程、澄み切って、青空がうつくしい。
埃だらけの空家に寝る事にしたが、すごい埃で、掃除しても埃が舞い上がり、嫌でも、他に場所がないから、しかたがない。
フスマ二枚を取り外し、床に敷く。
雑草をナイフで切り、その周りに、埃がただよいまくる。
九州を去って以来、最悪であった。
使用金額:590円
確かに本州と気候が違うのが肌で感じられる
1979年
昭和54年7月21日(土)
蚊は飛んで来るし、身動きは出来ないし。
朝、目覚めて、窓の外にある灰色の空を見る。
寝ていないので疲れた。
別当に入り、だだっ広い平野を、テクテクと歩く。
10数年前、この辺で田植えをしたのに、何処だか全く分らない。
農協で食料を買う。
金沢駅で休み、洗顔した時にガソリンスタンドで貰った、昨日の新聞を読む。
その時、テレビで、勝新太郎と黒澤映画問題ニュースをやっていた。
駅は小さなボロ小屋なのに、女の人が切符を売っていた。
多分この駅ではないかと思う、昔来たのは。
この駅の名に覚えがある、253円。
小さな待合室に、土地の人、五~六人が腰掛け、まさに田舎の駅で、本州でこの程度の駅ならもう取りつぶしである。
駅の中に古い漫画が置いてあり、新聞を読んでいる時、おばあさん二人にバナナをやる。
二人のおばさん、俺に話しかけたいらしいが。一生懸命新聞を読んでいるフリをする。
ただ黙って座っていたかったからである。
ディーゼルカーが来て、二人を載せて行く。ホッとする。
待合所に俺一人、少女漫画マーガレットをパラパラとメクる。
二時間近くいたか、駅のおばさん、お盆にのせてお茶を持ってきてくれる。
乳酸、110円。
広いノドかな青空に、流れる雲が印象的で、時々見上げながら歩く。
背中に汗が流れたまる。
しかし、嫌になるような暑さではない。確かに本州と気候が違うのが肌で感じられる。
(もう薄暗く、よく書けないので明日書く)
寺の階段で休んでいたら、車二台が来て、昼食、うまそうに缶ビールを飲んでいる。
横になる。陰に入ると少し肌寒さを覚える。
中小屋駅?で休み、本を読む。早く荷を軽くしたいので、休んでは読み、読んでは休みの繰り返し。
少しも前に進まない。どうも最近たるんでいる。
歩いていたら、大型トラックの運ちゃんが手を振るので俺も振ったら、大きな車を先の方で止めて、待っている。
交通渋滞もなんのそので、親切はありがたいが、乗る訳には行かない。
車の所まで来たら、乗れと言う。丁寧に断る。
暑いだろうから滝川まで乗っていけと、すすめる。
せっかくの親切を断るのに、悪い事をしているような感じがする。ピースを1本貰う。
トラックは、鈍いエンジン音を立てて去ってゆく。
日形町に入り、河堤で本を読み、休む。女の子二人反対側歩道から、
「ガンバッテー」の大声。
街通りで祭りをやっている。
女の子達、ゆかた姿が美しい。やはり日本を思う。
雑草の繁った神社で、窓を開け、日記を付けていたが、途中暗くなったので中止する。
使用金額:1263円2
考え事のし過ぎなのは確かである
1979年
昭和54年7月22日(日)
昨日ガソリンスタンドで貰った新聞が、朝日なので、ローソクの火で新聞を読む。
横になったが、常にリュックを枕にして寝ているのだが、今回それを止めた。
高過ぎ。習慣づくと大変だから。しかし、もう慣れてしまったのか、ないから、寝付かれず、明け方になりやっとウツラウツラと眠り落ちる。
朝は朝で自然に目覚め、眠っている暇ありゃしない。
どうも最近熟睡することができない。ノイローゼの一歩手前かな。考え事のし過ぎなのは確かである。
朝起きて、昨日の残りの分の日記を付け、今日の分ここまで書いたら、今日は久し振り空は灰色に曇っている。
小樽で打ってもらった靴屋のビョー、昨日、音がしたなと見たら、もう無くなっている。
小便色悪く、完全に疲労である。神社の中で昼まで新聞、本を読んで過ごすが、多分この読みすぎで、精神的疲労も重なっているのではないか。
神社にあった一本、ホームサイズのファンタを失敬、ピーナツをパンに挟んで食べ、昼正午のサイレンが鳴る。
内で店に入ると、美人では無い、人相も良くない中年のおばさんに勧められ、中で休んでいたら、内のカレーおいしいのよと、カレーを食べさせて、キュウリの酢の物まで。
二杯食べる、340円。食料を買ったが、腹いっぱいになったからと返すわけにもいかないし。
親子二人、娘中学一年で、札幌の私立学校に行って、今日夏休み始まりで帰ってきたとか。
使用金額:340円
広い平野で歩きづらい
1979年
昭和54年7月23日(月)
線路を歩いていたら、左側の山に鳥居が立ち、階段がある。少し迷ったが、登って行く。その前に、水を探したら見当たらず、しかし、境内に上ると水道がポツンと立っている。
浦臼神社。北海道の神社は何処も手入れが悪く、雑草だらけであったが、ここはまともであった。
(今、日記を付けているが、建築中家に寝ようと思ったら、子供達が来て見つかった)
朝、スープを作り、パンと一緒に食べる。まだ薄暗い。昨日歩いている時、途中メロン畑がたくさんあり失敬しようと思ったが、人が仕事をしていて駄目だったのだ。
朝早く起き、線路を歩き始め、メロン畑を見つけたが、もうすでに人が働いていた。
黄色い、小さなウリ一個、大きなメロン一個失敬していた。メロンはまだ熟してなく硬く、キュウリの味がする。
小学校の時計では、まだ5時前である。静かな校庭、ひとりポツンと・・・。
朝早いので、まだ汽車は通らず、単線のマクラ木を歩く。
広い水田に緑、所々に麦の穂が黄色に色づいている。
途中、小さな小屋が建つ無人小屋。ポツン、ポツンと。
7時、誰もいない駅の戸をガラガラと開けて入る。
水を探していたが水はなく、店屋の箱に新聞があったので失敬しようとしたら、丁度、ガラガラとシャッターが開いた。
牛乳がなく、しかたがないので、コーラホームサイズ、150円。
新聞を借りて新聞を駅で読んでいたら、駅員のおばさんが来る。
一番列車のディーゼル二両がガタガタと止まる。まさに田舎駅。
おばさん、新聞を返してくれと来る。
まだ一ページしか読んでいないのに。昨日の新聞を貰って、駅で8時まで読み、ボケーとする。
歩く線路道は静かで歩きやすい。
新十津川駅に十時前に着き、駅で休む。
線路はここで終わりで、道路に出ると途端に車の騒音。
スーパーに入ったら、皆、挨拶をする。愛想の良いスーパーである、食料978円。
街を少し出た所に河があり、冷えたキュウリを食べる。
朝失敬したのと同じ大きさのメロンが、スーパーで800円していた。
日中は暑いためか、汗にやられダラダラである。
工事中の橋下で、新聞紙を敷いて横になる。早く起きた為か頭がボーとしている。
ノドが乾いても水がなく、イライラとする。道端に週刊誌が落ちていた。
民家で水を貰う。冷たい水がゴクゴクとノドを通る。やはり暑い時は、冷たい水が一番おいしい。
その民家の前に、畳屋の納屋があり、本を木陰で読む。
平凡パンチ以外全て、エロ本で読む気にもなれない。
一体どんな奴がこんな本に銭を出すのか、ツラを見たい。
広い平野で歩きづらい。
小さな町で、12時。
学校で、水で体を拭き水を飲む。その時、水泳が終わった女子小学生達が来た。皆で手を振っている。振り返すと、皆キャーと騒いで。
それにしても、最近の小学生は本当に大きいし、脚も長くなり、つくづく時代が変わったと思う。
地図が余り詳細でないので、何処辺を歩いているのかよく分らず、夕暮れに坂道を登り初め、空に線みたいな雲の流れに、太陽が落ち始める。
橋の下にいる時、日記を付けていたら紙が終わる。
ノートを買う、150円。高いなぁ。ジュースとアイスを180円。
歩道で遊んでいた子供、俺の事を怪物と言う。
夕暮れ、建築中の家が見え、暗くなるまで待とうと思ったが、もう7時は過ぎているしと思い、行く。
下水道の陰で日記を付けていたら、子供が偶然に俺を見つけて、その親が来て、もうダメ。
知らん顔して日記を付けるが、面倒くさいし、疲れているし、今日はついていない。日記を途中で止め、歩き始める。
もう暗くなり、遠く前方に街の灯りが見える。道路横に交通標識代わりか、パトカーが置いてある。
ドアが開く。寝るには悪くないが、別な所を探してもしなかったら、引き返す事にして先に進む。
暗い所をウロウロしていたら、百姓のおばさん、泥棒とでも思ったのか、ジーと見ている。
神社を訊いて行く。神社の横に大きな体育館。電気が付いて、神社の鍵を開けるにも一苦労で、グルグルとアッチに行ったりコッチに行ったり大変である。
その横に劇用の小屋があり、鍵を開けてみる。
悪くないので、立ててある畳を敷いて、水を探すが、これがまた見つからず、アッチコッチやっと見つけたと思ったら蛇口ではなく、縦に噴き出すやつで、水入れに入れる事ができない。
今日はサンザンである。
体育館から剣道、竹刀の音が聞こえてくる。
新しい立派な体育館である。
今日はやたらと水を飲む。靴下を捨てる。
足を洗い、寝袋の中に入る。蚊が飛んでくる。
この蚊とだけは、どうにも友達になる事はできないのである。一生、敵同士。
地図で、この町が北竜で、今日は36~7キロ程歩いたことになるが、こんなに歩くとは、朝は思わなかった。切手を2000円分買う。
使用金額:3308円
稚内までに220kmである
1979年
昭和54年7月24日(火)
朝遠くに走る車の音・・・。小屋の中、目覚め、ベニヤ板、これ一枚幾程するのか値段を想像する。
新聞に依ると、今、材木の値上げが続いているとか。
もし、俺がユースを建てる時、一体どの位の値になっているのか想像する。
体がだるいのでボケーとしている。起きたら小学生たちが通学していた。
体育館横にあるベンチで、朝の体操する。
洗顔、歯を磨いて、いざ出発。
少し5分歩いたら新聞が受箱に入っている。引き返して失敬してくる。
店で牛乳とパン、アイス、計325円。
50円のアイスを口に入れ歩いていたら、前方よりリュックを背負って歩いてくる奴がいる。
車との対面を歩いているので、ヒッチハイクではない。歩きであろう。
手招きをすると来る。稚内を出て8日目。
日本縦断とか。中央大学、夜学4年、休学届けを出してきたが、歩いていてよくわからない。
どうするか迷ってるらしい。最後までやったほうがいいと言う。
しばらく立って話する。その間に何台かの自転車が通って行く。
別れて、北竜高校で新聞を読みながらパンを食べる。おいしくない。最近、バナナが食べられない。
今日の新聞、全然おもしろくない。読む気になれない。北海道新聞、地方紙はダメ。暑くなってきて、やっと留萌に行く分岐点に来る。
国道275号と別れ、233号である。少し先に進んだところにコンクリート建ての寺があり、その階段の日陰に新聞を敷いて横になり、昨日の途中で止めた残り分と今日の分をここまで書く。
この横に保育園があり、子供達がガヤガヤしていたが、静かになった。何処行ったのか、昼寝の時間かなぁ・・・。
あの男、いま頃どこまで歩いているのか。
あぁー嫌だ。留萌に出ると精神的に楽になるだろうと思っている。
中央大学の男は縦断で、俺は稚内まで行ってもまた3分の1にしかならない。
これが縦断だけなら、今頃ビールを飲みながら口笛を吹いて、気楽なものかもしれないが、まだまだ先が長い。
稚内までに220kmである。
今まで、日記を縦書きにしてきたから、今回から横書きにする。
さて、歩くとするか。
4キロ程歩いた所に小さな部落があり、スーパーで牛乳1リットルとバナナ1キロ買う、464円。
小学校横に神社あり、その縁台に上り、牛乳を飲む。
拾った男性自身。週刊誌を読み、暑いので昼寝をする。
歩いている時、小学校で、全校生が大掃除で窓拭きをしていた。
きっと、今日が終業で、夏休みが来るのだろう。昼寝といっても、ガーガーといびきをかいて眠るわけではなく、タオルを顔に当て、横になっているだけで、頭の中には
相変わらず色々と同じことばかり考えている。
空が高くなり涼しくなったので歩き始める。
緑の低い山の間を歩き、峠を越え峠下に出るが、家がバラバラとあるだけで、それに寝るには少し日が高い。そのまま歩き続け、地図に記されていない小さなホームだけの駅で腰を下ろして休む。
ホームは板で作られ、茶色に変色し、単線路をディーゼル車がヨタヨタと走りさる。
陽は山の向こう側に沈み、薄暗く、東の空の雲が夕日の為か色が変化してゆく。
途中から線路の上を歩き始め、幌糖に着いた時、駅の時計は丁度7時を指していた。
しかし、駅は自分の期待に相反して、駅員が2人もいる。
最終列車時刻は22・・・で、とても寝られるような雰囲気ではない。
ベンチに腰かけ、さてどうすると思案する。
その前に便所して。歩いている時、腹の調子がおかしくなる。多分牛乳である。
便所に入って腰を落とす。下痢で、せっかく食べたのに下痢になって出てくるとはなんともったいないと・・・。
電気をつけない駅の中は暗く、1人考え、しかたがない。先に進むかと歩き始める。
道路はもう暗くなり、走る車のヘッドライトが、不思議にうらやましい。車、楽でしょう。スイーと走って行く。足のふくらはぎは痛くなり、歩くスピードも途端に落ち、寝場所を探しながら歩くといっても、暗いのでよくわからない。途中、寺か神社らしきものがあったので、行ってみると公民館みたい。しかし、電気も付いていなく、真っ暗で、中を覗いてみると暗い中に、洗濯物が干してある。
また道路に出て歩き始め、今日はついていないと、ぶつぶつと独り言を言う。
時々ヘッドライトを光らせ、車が走り去って行く。まさか手を挙げ乗せてもらうわけには行かないし、。
広い地にポツンポツンと家が建ち、その窓から、暖かい家庭の光が流れ見える。
足は痛くなる一方で、道路下に地図に記されていない、小さな駅といっても、小屋が立つ。下りてみたが、とても寝られそうにない。
ポツンとしばらくホームに座る。静かでカエルの鳴き声が聞こえ、ヒヤリとした空気が気持ち良い。線路を歩いていたが、山あいに、先は真っ暗。熊を想像したら、スタコラと堤を登り、道路を歩く。
どの程歩いたか、藤山まで、感じてはもうすぐであるが、全然光が見える。途中、道路工事資材のバスがあり、鍵がかかっているが、窓が開き、中に入る。
イスの上に寝袋を広げたが、疲れのためか、狭いためか、目は冴え、時々、列車の通過する音に、車のライトがバスの中に入ってくる。
使用金額:789円
とうとう、俺もおじさんになったか
1979年
昭和54年7月25日(水)
一睡もする事なく夜が明け、西の空から少し紅色に染まっていたが、いつの間にか灰色の空。窓に水滴。夜霧にしては変わっていると思って外に出たら、雨である。
空は灰色の雨雲が流れ、これはついてないと思っていたら、500メーター歩いたか、ザァーと雨が降りだす。
バスはその内、人が来るから引き帰せないし、そのまま歩く。前方にバス停小屋が目に入る。
トタン屋根を雨が叩き、雨音。リュックは雨に濡れ、穴の開いた屋根から雨がポタポタと。
狭いし、ベンチはないし、100メートル向側に小さな学校があり、今日から夏休みのはずである。
緑の草が生える校庭の左側、家と車、宿直・・・?
初め、ボロ家を見たが、物置になっており、とても休める状態ではない。
講堂に行く。扉は鍵がかかっておらず、入った。スグ前に小さな廊下、そして教室。
まだ朝早いから大丈夫だろう。バス停に引き返し、リュックをかかえ、雨の中。
廊下に腰をおろし、ホッと一息つく。頭がボーとしている。
靴を脱いで教室の中に入ってみると、真中に小さな机が8個程あり、保育園である。
藤山小学校と札が出ていたが、向側の別棟らしい。
教室の時計は4時30分である。
教室入口に冷蔵庫があり、開けてみるとビールが10本程。
初め、人が来たらどうするなんて考えていたが、どちらにしても、雨が降っていて、どうすることもできない。開き直るしかないのである。
そう決めると、ビールを飲む。冷えて悪くない。丁度のノドも乾いていたし、空腹だったが、乾パンをツマミ?一緒に。寝袋を廊下に広げ、中に入る。少し寒い。
ウタウタとして少し落ち着き、やはり少し寝たのか、寝袋の中から空を見ると、曇っているが、雨は止んだ。
雨雲がない。寝袋を巻く。時計はちょうど8時である。
大きなテレビがデンと置いてあり、何もなくお茶葉を少し失敬する。
歩き始め、1キロ歩いたか、カーブを曲がった所に藤山駅あり。その向かい側、丘の中腹に丁度よい神社あり、幾つかのよい場所があったが、もう遅い。
牛乳145円。留萌まで6キロの道路標識。
小さなガソリンスタンドで顔を洗っていたら、タンクローリーが来て給油。運ちゃんと少し話。月給30万円で、70%は貯金して、30歳になったら人生をかためるとか。
時間が欲しい。いいなぁーと言う。
もし時間が欲しいなら、どちらかを犠牲にしろと言う。23才。しかし23才にしてはしっかりした考え持っている。
留萌の市街が見えるが、グルリと回ってそのまま外に。
橋の下でしばらく横になっていたが、空腹。街に入らないから店屋はなく、曇ってるせいか、風が吹き、寒い。
右側に学校があり、店が一軒、食料1090円。
おばさん、アンコーをおろしていた。大きな人相の悪い顔をした魚。しかし一匹であり、安い。どんな料理するのか話する。
安い物はたくさん探せばあるけれど、今の若い女連中、修行をしないから、まともな事を知らなすぎる。
校庭のベンチで、まず2個、トコロテン、ペロリと腹の中。ここは、テンプラの事をカマボコと云う。五枚ペロリとこれも腹の中。バナナ2本。今日は牛乳を止め、100%ジュース「ポン」350円を買う。東京で280円、普通320円。しかし牛乳飲んで下痢で出してしまっては元も子もない。
それから1キロ歩いたら、右側に小さな神社あり。疲労だ。筋肉が張って痛い。アンメルツなんか全然効かない。
こんな時横になるのが一番である。
校庭に居た時、12時のサイレンが鳴った。
この神社の横にある家から、クールファイブの歌が流れてくる。
タオルを顔にかぶせ、横になっても肌寒い気温である。
しばらくして、日記を付けていたら、小さな前歯が総てない女の子が来て「おじさんどうしてここにいるの」
「おじさんてだれの事」指でさして、おじさんだよ。
とうとう、俺もおじさんになったか。
昨日の残りの分、日記を付け、ここまで。まぁー時間は分らないが少し歩いてみるか。
靴の底が45度にへり、足の角度が偏った為か、左足親指に2個のマメ。アァーいやだ、いやだ。
肌寒い気温なのに、浜辺に海水浴客が遊んでいる。
ビキニの女の子、シャツ着ているし、歩いている側が反対で、わざわざ見に行く事もない。
チンタラと歩く。久し振りの海。広い所は、やはり心がホッとする。
歩いていたらオートバイが止まり、ユースを教えてくれるが、全然そんな気はない。
トンネルを出ると、上から水平線の上に、紅色の空の中に、二つの島影が浮かび上がっていた。
坂道を下り、下の辺にポツンと2、3軒の海の家。
とても寝るどころの話ではない。
前方、一直線に、道は縦に緑の影が続く。遠く向側に、家一軒たりとも見当たらず、今日も又、昨日と同じかとガックリ。
水平線の島影が浮かぶ向こう側の一部だけが、少し虹色に染まっているだけで、後は空一面灰色である。
海水浴場の浜辺は例にもれず、ゴミの山である。
しかし、トンネルを越え、抜け出てからは、人家もなくなり、細長い浜には、波だけが音を立てていた。
しかしそんなことに気を回すより、今夜の寝場の方が心配である。地図を広げると「大椴駅」が一番近く、感じとしては、無人駅であろう。
崖が終わり、右側に山間の小さな盆地。地名標識は出ていないが、多分、大椴であろうが、小さな部落で、こんなとこに駅があるのか疑う。
夕暮れ、薄暗くなり、なぜだか甘いスイカの香りが流れ、昼間見た大きなスイカがある畑を思い出す。残念である。あれが夜だったら・・・。
駅は、小さの待合所にベンチ。電気の光を求めて虫が飛んでくる。駅前に農協あり、戸が半分開いていた。品物がなく、ビール、貝缶、ジュース390円。
駅に古い週刊誌が4、5冊。ビールを飲みながらページをめくるが、古すぎてパっとしない。
列車が止まっても、こんな僻地、誰も降りはしない。
ビール、全然味もそっけもなし。貝缶がおいしい。
狭い古いベンチを拭いて、寝袋を広げる。狭すぎ。
寝返りはできないし、電気は付いて明るく、色々なガが、バタバタと窓ガラスを羽で叩く。
最終列車が22時58分か。去っても、電気は翌朝までついたままで、もったいない。全部の駅を合計すると、大変な電気代になるだろう。
山陰線の駅では、最終がたつと、自動的に消えていた。
静かな待合所に蛍光灯の光。虫が飛び交う羽の音だけが響く。
使用金額:1630円
力昼駅を出て、北へ北へと、海を横にテクテクと
1979年
昭和54年7月26日(木)
深夜に少し寝ただけで、空が開けてくる頂には、目が冴え、今日も寝不足かと・・・。
寝袋から出てポタージュスープを作り、パンと一緒に食べるが、なぜだかパンは美味しくないのである。
スープは温かいからおいしいのか。もうガスは残り少ないのに、まだ持っている。これだったらラーメンでも買っておけばよかったと思う。
待合所の床には、大変な、大小さまざまなガがいる。
お茶を作り、週刊誌を読み、朝っぱらからボケーっと。
一番列車6時が発って、顔を洗って、歩き始める。
また人家がない道が続き、1時間ほど歩いたところに、ポツンと家があり、鳥居があり、扉が開く。
中はきれいで、休憩に上がり込む。2月の新聞が、5~6部あり、それを読む。
地蔵の中に、いろいろなお供え物が並び、ブドウなんかうまそうだが、食べる気はしない。
日記をつけていたら、お参りに来た親子。帰る時、勝手にお供え物から一個、生菓子を取り、俺にくれる。
こんな食物、は腹が減っていても気味が悪く、葬式まんじゅうと同じで・・・。
しかし、おばさん、これは神様のものだから、と言う。
朝、灰色だった空は、いつの間にか晴れ、青空に青い海。
何時間ほどここにいたのか。読み始めるとスグ腰を落ち着け、時間が過ぎて行く。本当は眠るつもりであったが、これ以上ここで時間をつぶしていたら、夕暮れになってしまう。
さて歩くとするか。しかし、本当にうまそうなブドウが2房。それに生菓子がたくさん。
ブラブラと歩き、途中、道内一という鰊番。見学、やめた。銭、取られるから。
大きな館みたいな鰊番である。
鬼鹿に入る。腹が減っているが、街通りには行く気しなく、駅に休憩しようと思い、坂道を汗を流し登っていたが、丘の上に赤い屋根の休憩所が見える。
神社社務所で水をもらい、他の上に登る。
こんなところに何故。こんな物を、高い町費を使って建てたのか、首をかしげる。
そよ風が吹き、涼しい。もらった昨日の日付の新聞、北海道タイムスを読むが、全然おもしろくない。
横になって眠ろうと思ったが、帰ると風が涼しすぎ、肌寒い。日向に行くと熱すぎ。それでも草の上で少し眠る。
円木で建った憇所。何度か横になったが、眠れない。
小便の色で疲れがわかるが、眠れそうにないし、歩くには、陽が強すぎるが、歩き始めることにする。
小高い丘に、浜の海水浴場から客の騒ぐ声が流れてくる。晴れて良い天気なので、客が多い。
ポツリポツリと道路脇に家が立ち並び、ラーメンでもと思っていたが、店屋を通り過ぎてしまう。
部落から先1キロほどのところに、無人、力昼駅(りきびるえき)。小さいが新しく、2枚の畳が敷いてあり、水は外にあるし、最高だが、まだ寝るには早すぎるし、今日はまだ15キロほどしか歩いていない。
畳の上で少し眠る。空は澄み渡り、蒸し暑くないので、非常に助かる。
多分16.23.留萌列車が止まり、2人の客が降りた。今日はまだ店屋に行っていなく、腹がグーグー鳴る。
九州のラーメンを思い出す。あの新宿の熊本ラーメンをうまい。北海道・・・?
1キロほど回れば店があるが、往復2キロ、とてもそんな余裕ありません。
さて歩くとするか。
力昼駅を出て、北へ北へと、海を横にテクテクと。5時を過ぎると急に気温は下がり、肌寒くなるが、リュックを背負っている背中は、汗でビッショリであるから、シャツを着るわけにはいかない。
もう腹が減って、腹がグーグーで店に飛び込んだら、海産物専門店で、乾いた魚だけしかない。がっかり。それでも探していたら、ホッケが売っているが、形が積丹の半分もない。しかし値段が安いので、買うことにしたが、まるまると太ったおばさん、カレー、昆布を、袋を破いて味見させてくれる。
昔、九州から来た学生風、旅行者に、金をなくしと来たから、金1万円を貸したら、そのままドロンとか。
Mと兄貴にホッケを3キロずつ送ってもらうことに。送料と代金、6300円を置いてくる。
350円と昆布400円、サービスで貰う。冷たい水を冷蔵庫から取り出しくれる。
全然美人ではないが、親切な人である。
一匹食べてみると、積丹とはまた一風変わった味がする。皮は焼くといいので、黒い砂浜に降りて、流木を集め、焼く。魚の凄い油で、ジュージュー、熱い。火であぶり、サッサッとひっくり返し、食べる。おいしい。
暗くなってゆく空の下で一人。火を囲み、焼く魚。
暗闇の中、火が浮かび、旅情を場を感じる。
空腹と、美味しいので、何度も焼いていたら、食べ過ぎたのか、気持ち悪くなる。
道路に登り、次の駅までと思ったが、もう暗くなり、少し大きな部落。
ドライブインからサイモンとガーファンクルの歌が流れてくる。
そのドライブインから少し先に行った右側に神社あり。
昼間、少し寝たためか、眠気なく
暗闇の中で、ひとり、ジーとする。
使用金額:6300円
西の空は青空が見えるのに、俺の頭上だけ、雨が降っている
1979年
昭和54年7月27日(金)
いつもは、半分頭は覚めて寝ているのに、昨夜はグーグーと寝ていたが、やはり常の時間になると、目がパチッと自動的に開く。習慣とは恐ろしいものである。
疲れているので、そのまま寝てようとするが無理。
昨夜、蚊がうるさいので、蚊帳を吊るしたがのが良かったのか、常は蚊の為に半無意識に半分覚めているのでは。
空は灰色で、朝早い為かと思ったが、そうではなく曇り空なのである。
羽幌は15キロ、どうしたわけだか速度のペースが段々と落ちて行く。
歩き始めて10分程したら、雨が降り出すが、広い野原に雨宿りなんかする場所なく、雨に濡れながら歩くよりしかたがなくて、大きなダンプが、水しぶきを舞い上げて行く。
埃だらけのバス停小屋で、雨脚を見る。
腹の足しに、ホッケを三匹口の中に入れたら胸が悪くなる。あまりおいしいものではない。
丘を越え野を越え、一路、羽幌と云っても、距離的にはスグそこなのに、チットも先に進まない。
苫前町に入り店屋、品物が少しで、これでやっていけるのか疑問に思う。
「おばさん、これでやっていけるの」
食べていくのでやっと。
トコロテン、スープが付いていない。
おばさん、酢と醤油をくれると言う。上がり込み、三個のトコロテンが腹の中に入り、その後、毎日新聞を読む、740円。
客が来て、客にお茶を出すが、俺にはなし。それで、小雨降る中を出る
パラパラなので、歩いていたが、その内に強く降り出す。
便通を感じ、堤の上に上がり雨に濡れがらクソをたれる。
西の空は青空が見えるのに、俺の頭上だけ、雨が降っている。
ポンチョを取り出し着たが、リュックに引っかかり、なんと、余り使い道のないポンチョである。
歩いていたら、雨は上がり、浜に出て新聞を読み、牛乳1リットル。今度は一度に飲まず、分けて飲む。一度に飲むと、また下痢したらもったいない。
いつの間にか青空が顔を出す。浜で子供たちが四人遊び、その内二人は女の子、一人はスカートをまくりあげ、なんと悩ましい姿で・・・。
羽幌に町営ユースがあった。
港に1時15分に着く。港待合所で、スタンプを押す分だけ、日記を付ける。
ベンチに座っていた四人の女の子達、全員ブスの見本市に出品したら、特賞を獲得するようなものばかり。俺を見て笑っているのか、ゲラゲラと笑っている。
雨が降り出す。おばさん連中がナマコをパックしていた。
港に漁船が並び、停泊している。
雨が降り、海は荒れ、水平線の向側は灰色の広がる世界である。
テレビは全然おもしろくない番組で、暇をつぶすのに一苦労である。
団体客がゾロゾロと、待合所いっぱいになる。
船賃1200円である。
客室は混み、ビッシリで船は出航する。口がさびしく、ホッケの皮をむいていたら、真正面に座っている女の子、俺をジーと見つめて、時々笑うのである。
ホッケが悪かったのか、船は揺れ船酔いを感じる。
日本に帰国した7年前のソ連船、太平洋で船尾が持ち上がる程の船揺れを思い出す。
気分悪くなり外へ出ると、船が右舵に傾いて、波しぶきが飛んで来るく。
船首は縦に振り、荒れた波を切って、その波をカブリとかぶり、ビショ濡れである。
東京から来たアベックか、都会的な三人、紀ノ国屋の本を読んでいる。二等船室の中。
船は、前方の霧の中に、焼尻島の島陰が浮かび、気分が悪いのに、船はなかなか思いの程に進んでくれないのである。
焼尻で団体客が降りたと思ったら、それ以上の客が乗り込んできて、以前に増して客室はビッシリである。
船が天売に着いたら、ユースの旗を振って大声でワメいているアホな男。
その周りに数人のホステラーが立ち、俺はその男にユースの空きを尋ねる。
ユースまで歩く事にするが、女四人男五人で、小雨の中を歩くが、皆が遅いのか俺が早いのか、先にあっという間に差が付く。アメ玉を買う、150円。
神社に様子を見に行く。チョット寝るには、周りの環境がよくない。
一人の女は足が悪いのか、ビッコを引いている。
俺を船の中でジーッと見ていた女の子。皆にアメ玉をやったら、あっという間に半分なくなってしまった。
ユースに着いて、22歳のヘルパーに脇山君と言われた。日本語を知らないのか、その男、自信があるのか、態度が大きいが、昔、きっと俺も同じだったのであろう。
四通、このユース宛に出した手紙、平和からの一通だけ。
肝心のボンボンからの手紙が来ていない。
鎌倉のTさんを諦めようとの神の達しか。
ユースの飯は、お世辞にもおいしいとは言えない。ユース代、1700円。
何故だか、また、船の女の子が前に座り、一緒に連れそっている別の女の子がハシをとって、両手で「ハイ」で渡してくれる。
実践女子大、日野寮である。
同じ船で焼尻から乗った中央、学芸の三人が右前と横に。
トランプを引いて、皿洗いに当たる。連泊するものが多いらしい。
ヘルパーがユースを遊びにしている感じもしなくないが、皆も楽しくやっているのでそれで良いのであろう。
美人ではないが、一人しっかりした女の子。岡山から来た娘。
後、皆さんイモ娘の展覧会である。
学生が殆どで、やはり世代を感じるが、相手はそう思わないらしい。
ミーティングに出て、何だか知らないが馬鹿な事をして、まぁー単純な遊びで、子供に還るのも面白かった。
何年ぶりかなぁ・・・。
ミーティング後、お茶にスイカが一人一切だが、俺は二切食べた。
東京秋川の女の子も、連泊した後は、ヘルパーをやっているとか。
これも絶対に美人でも可愛くもないが「ハイ、イイエ」をはっきりする娘である。
風呂は普通の家族風呂で、水を足しながら三人が入ったが、絶対にも綺麗とは言えないが、とにかく古い鰊番後なので・・・。建物アチラコチラが傾いている。
日記を付けていたら、ミーティングの時、隣に座っていた赤いジャージを着たちょっと一風変った子、ウワー凄い、日記を付けているんですか。
書く事はたくさんあるのに、少し話していたら話が溜まっていたのか、ベラベラと一人話。未熟である。
日記を書き終わる事なく、10時30分が来て、皆寝床に引きあげる。
福岡、田川から来た自転車が、一回連泊していた。
何故だか窓端の俺の隣に、寝床を敷いている。
使用金額:3790円
俺、説教師にでもなろうかな
1979年
昭和54年7月28日(土)
昨夜、頭痛を感じ、暗くなっても目は冴え眠ることができない。
ノイローゼの始まりかなと思ったり。それでも2~3時間は寝たか。
例の習慣に慣らされてしまったのか、いつものように、明るくなる頃になると、自然に目が覚めてしまう。
俺の横には、福岡県田川の自転車連泊男が寝ているが、彼も目覚めが良いのか、俺が床の中で日記を付けていたら、ガバッと起き上がりフトンをたたみ始める。
他の連中はまだスカスカと寝ている。
朝は、6時30分、ヘルパーが皆を起こしに来る。
掃除が始まり、床の間を乾拭きして終わり。朝、空は灰色、島の周りは霧が覆う。何時間もユースの中に居る事ができると云うので、連泊する事にしたが、遠くから、例の学生ヘルパーが、また大声で、脇山君と呼びながら来る。
「君」とは何事か。「君」の意味を辞書で引いてみろと言うが・・・?
便箋を田川の男に貰い受け、3通書く、11時過ぎまで。
腹がヘッて食堂に行ったら閉店中。明日野宿するつもりで、ドッサリと食料を買い込む、2745円。
ユース前で、チョットツッパた野郎と少し話したが、長野とか。チャリンコで日本一周中。連泊者。ただ今、自惚中。若い、誰しも通る間であろうか?
食料を買って帰って来たら、四人で昼飯中で、一緒に食べる。昨夜のミーティングの時、俺の隣に座っていた一見、桃井かおり風のトロイ娘。長野チャリンコ、田川、25才の絶対に美人でないが、明るいおばさんで冗談を言う。
皆が旅の費用はどうしているのかと訊ねるが、
「僕のパパ、ブルジョワ」と言ったら、おばさん涙を流して笑っている。
桃井かおりはとろいが、19歳で、東京で学生。故郷は鹿児島とか。デザインをやっている。ペチャパイで、目が大きく、話し方は全くあのケダルイ感じの桃井かおりである。しかし、しっかりしている。
原稿用紙に手紙を書く。福岡県ユースホステルに何と書いてよいか、悩むばかりである。
例の田園調布のチョボヒゲが来て、色々と話していたら、ゾロゾロと俺の周りに話が集まって来て、俺の話をシーとして聴いている。俺?そんなに話術がうまいのかなー。
夕食は例の物で、今日60人近くの宿泊者。俺の前に岡山の娘が座っている。
昨夜食後の皿洗いの時、その娘を見て感じのいいと思ったが、これも決して美人でも可愛くもないが、女の子らしい声の明るさ。
食後、長野自転車からタバコを貰い話す。岡山の娘、俺の横、しかし長野と田川、一生懸命、俺の話を聞く。他の連中も聞きに来る。俺、説教師にでもなろうかな。
八時ミーティイグと言うので、俺は大広間に帰り手紙を下書きする。
ユースホステルの風呂、小さな普通の家族風呂で、それに、漏れるのである。
ミーティングが終わり、先に田川と一緒にフトンを敷く。
大勢のホステラーがズラリである。
ここのヘルパー、よくやると思う。あの「君」呼びだけはよくないが、広間に出て日記を書いていたら、ゾロゾロと人が来て、皆に寄せ書きをしてもらう。
鹿児島の19歳男、法政大、何か書いてくれと小さなノートを持ってくる。
岡山の娘と少し話してみたいと思ったが、隣の隣で、別な連中で話してダメ。
岡山大学教育学部、将来、先生。バイオリンやってるとか。
10時30分、時間で室に帰る。ユースホステル、1700円。
使用金額:4445円
満天の空に星が光り、フッとアフリカの夜空を思い出す
1979年
昭和54年7月29日(日)
昨夜、俺の隣に足の悪い中央大学が寝たが、これが鼾をかき、眠られず。
何とかウタウタとしていたら、2時頃、朝日ツアーで、真暗闇中をゴソゴソと起きて行く。田川も起きたが、俺が窓の外を見て、霧が出ているので朝日は見えないと言ったら、便所にいった。
起こしてくれてありがとうなんて言いながら、床の中にまた入る。
朝、例の掃除に始まる。岡山のマコ、黄色のヤッケを着て、
「おはようございます」なんて挨拶する。
朝日ツアーに行ったが、見れなかったとか。当たり前。
朝食中、俺は手紙を書く。食事後、教育学部の眼鏡と田川が来る。田川、スケッチブックを持ってきて、俺を描き始める。
手紙を書き上げ、三人で話す。ビールを飲む。
天売島、何処も回らず、見らずであるが、二便で出る事にする、と言うより、俺ひとりでベラベラと話す。
「涙とともにパンを食べたものでなければ人生はわからない」と言ったら、本当に涙が出てきた。ドイツのことを想い出して。
別に苦労したなんて思わないが、やはり潜在的に、奥深く何か残っているのかなーなんて思う。
なぜ二便で帰ることにしたか?
岡山の娘、別に惚れた訳ではないが、感じのよい人で、なんとなく傾倒している。
窓から鹿児島の男が顔を出す。これから行くからと、10時40分頃。今日は団体が大勢だからと早めに出る。
せっかく買った食料、持っていけないので、残り置いて行く。
港に行く道は狭く、時々車が通る。郵便局は休み。スタンプを押すことできず、残念である。
全員一緒にユースホステルを出る。例のオロロン、行ってらっしゃい。
オロロン、行ってきますに見送れ。
腰がヒン曲ったおばさん、顔をクシャクシャにして窓から顔を出し、元気で元気でと、一生懸命。
札幌から来た二人連れ女の子と一緒に歩いていたら、一人は脚が悪く、スローテンポ。もう一人は土木のおばさん。といっても19才でガッシリした明るい娘である。
港に着いたら、先に出ていた滝川の女2人、その他3人。
岡山のマコも居るのに、急によそよそしくて?
切符売り切れ寸前であった。
港にゾロゾロと大勢の団体客が集まり、広場がいっぱい。ホステラーで皆、10人程で鉄柵の鉄棒に腰を落とし、冗談を云う内に、船が入ってくる。
ビールを飲む。皆、船酔いの薬を飲んでいる。
乗船する時、皆、集まって、急ぎ席を確保しようと。浅ましい姿で、僅か1時間半程なのに・・・。
マコの手を引っ張り、一等室に荷物を置きに行く。
デッキに、テープ持ってホステラー、埼玉のおっさんが見送りテープを持っている。
昨日出て行って、また引き返し、今日の最終便で帰るとか。
船が出港。動き始めた時、自転車に乗った例のヘルパーが飛んでくる。
誰か銭入を忘れたらしい。財布を手に持っているが、投げる訳にもいかない。
その後、船が岸壁から離れ、少しづつ遠ざかる。
3人の姿が見え、手を振っている。
田川と、桃井かおり、おばさんである。
桃井かおり、おもしろい娘である。
よく考えれば、急いで出る必要なかったのに、なんて。
空は今だに曇り灰色。海を見ながらベラベラ皆ダベッている。
俺、寝不足で頭がガンガン。
入れ歯をした看護学校生(滝川)、一緒に話しかけるが、彼女、話題の質が低いので、合わせるのに大変。普通だったらよいが、頭が痛いので苦痛になる。
滝川と二人、スカートを着ているが大根脚。センス感覚0。悪人?ではないが、21才にしては全然少女的で、信じられない。もう一人の娘は化粧していたが、下手でよくパフしていないのか、化粧がのっている所とないところがあり・・・?
皿洗いをやっている時見た、あのオヤッとする感じがない。俺の目が変わったのか、それとも彼女が変わったのか。
昨夜話していた時、彼女「やはり、こんな出逢いは、続かないものかなぁー」
なんて真面目に言っていた。
寝床に帰る時、ハガキでも出すから住所を書いてと、ノートを出すと、書いたが・・・?
焼尻で、札幌の二人連れ娘が降り、今度の三便で帰ると。
よく見て接すると、土木の娘、いい子だと思う。
船は色々な思い出を乗せ、海を航く。時々小雨が舞う。マコに、
「これ俺の涙だ」と言ったら、ワァー「うれしい」。ワァーあんた、おばさんに言ったのではないよ。
アメ玉、マコに。
このアメ玉を、本当は貴女は私を好きだ、私はすでにもう持っている。
しかし、好きな人にあげるよ、と問題を出し、どうすると訊いたら、皆にあげるの返事。
すれていない、いい人であるが、残念なことにユーモアのセンスがない。(書き疲れて頭と指がダメ)
天売の楽しい思い出は、まもなく終わりになろうとしているころ、目の前に北海道の本土が見える。
ユースで皆、ワイワイと騒ぎ、やはりユースが必要だ。建てるべきだと思う。悪いユースもあるけれども。
何となく船が着かなければ良いのにと思ったり。
波は来る時みたいに荒れてなく、羽幌に船が近づく頃、青空が見え出す。
皆、夕陽、夕陽と騒いでいたが、今日は見れるだろう。
船は羽幌に着く。一等室から荷物を取り出す。彼女のリュック、小さい割には重い。何が入っているのやら。貯金通帳が入って「いくら入っているの」と訊いたら、「何百万円」。平凡な答え。
俺だったら
「たくさんの北海道の思い出が貯金してあるの」と答えると思う。
下船して、皆と、一人一人握手して別れ、田園調布、苦虫をつぶしたような顔をしていた。
将来の先生は、ジーと俺を見て、
マコは「今度会ったら他人ネ」なんて言う。俺はそうだね。意識して見ないようにする。ジーッと彼女を見たら、涙が出てきそうな感じがしたから。空とぼける。
皆と別れたら、急に一人ぼっちになり、寂しさを覚える。
一路、稚内へと歩く。2時40分。
道路は、線路と平行して走っているので、途中、汽車から見えるのではと、自分でもビックリするような速さで歩いている。
天塩有明無人駅、4時40分着く。
時刻表に15時19分、18時48分。どの列車に乗ったのか気になる。
駅で休んでいたが、気になり、ゆっくりする気になれず、寝不足で疲れているが、歩き始める。夕暮れ、空は晴れ、青空が見え、段々と陽は傾き始める。
。
陽が沈むにつれ、雲は夕焼け色に染め、紅と青とパステルカラー。なだらかな野原が続き、下の海には浜が続く。浜に下りて、ゆっくり夕陽を待ったが、もしや駅で会えるのではと、初山別へと足はスタスタと動くのである。
夕陽はいつの間にか沈み、遠くに初山別駅。
ディーゼル列車の赤いテールランプが薄暗に浮び、あれに乗っているのかもしれないと急いだが、列車の通過時は、俺が駅に着いた時、もう去った後であった。
狭い駅に一人ポツンとベンチに座り、拾った週刊誌をなんとなくめくる。
これで可能性が終わり、サッパリとする。
暗い町通りに出る。案内所に神社あり。
まず食料品を買い込む、875円。
新聞紙を貰う。港に寝場を探しに行ったが、暗く、地はまた、ぬかるみ、とても寝る場所なく引き返す。
駅の端に出て、ホームの待合所と思ったが、電気は明るく虫が・・・。
線路を渡ったら、柵がしてあり、乗り越え草の中。暗い中、溝に足を突っ込む。
リュックを背負い両手に荷物を持って、道路にバタン。
今日は何という日か、暗い所を寝場を探して、ウロウロとする。
空は星が輝いて、天気か明日は。
鳥居が見え、行くが、森の中に建つのか、サッパリと見えず引き返す。
お堂が見えるが、隣に民家。どうも、泊まれる雰囲気ではないので、そろと、母と子の家の玄関に新聞紙を敷いて、寝袋を広げる。
バナナ4本、天ぷら5枚、ジュース半分。
小さな町で子供たちが花火をして、闇の中に花火の光が浮かび、子供たちのワイワイと騒ぎ声が流れてくる。
ひとり玄関の階段に座り、今日一日の事を思う。
過ぎてしまえば嘘みたいに早く思われ、哀しみさえ覚える。
何故もっと時間は、ゆっくりと流れる事を知らないのかと、・・・同じ24時間なのだが。
満天の空に星が光り、フッとアフリカの夜空を思い出す。
使用金額:2075円
別に退屈することなく、また一人の生活が始まったに過ぎない
1979年
昭和54年7月30日(月)
夜明け、ポタポタと冷たい物を感じ、まさか雨ではあるまい。夕陽で星空だったのだから・・・。
しかし、雨は自分の期待に反して降り始め、玄関なんか風が吹き、もうアウトである。
避難場所を探しに・・・、お堂みたいな屋根。一応、見に行くと開いてる扉、荷物を取りに帰り、荷物をバタバタとまとめてお堂へ。一見、そう見えた線香の匂いが強く、胸にウッと来るが、雨に濡れるよりマシである。
何か非常に変わったお堂で、一見妙な雰囲気たが、まだよく目がパッチリとしていない。寝袋を広げ寝直し。
何時間ほど経ったか、目覚め、周りの棚の中にズラリと並び入れてある骨箱、ビックリ。HICジュースをバーッと床にこぼす。拭いて、曇り空の中に逃げ出す。別に恐くはないが、気持ちが悪くなる。10分も歩かない内に、雨が降り出す。
初山別の端に、左側向いに小さな神社の屋根が見え、行くと、鍵がかかっていない。
残っていた水で拭いて、上がる。食事、小豆缶、パン。前に海、緑の草原、雨、潮騒、赤い小さな鳥居。灰色の空に時々飛んでくる海鳥。
天候の様子を見るつもりで、ジーッとしていたが、空の様子では絶対に晴れない。
昨日の船で手に入れた少女フレンド、拾ったアサヒ芸能を読み、暇潰し。
28日分からの日記を書き始め、さすがに書き疲れ、指が痛くなっては休みのクリ返し。
全然、天気回復する見込みなく、もう開き直って食料を買いに行く。封筒と消しゴム100円、靴下350円。ガス300円、食料610円。靴底から出ていたクギで、右足のカカトを痛めたのが、まだ痛い。早めに抜いておけばよかった。左足も同じになっていたので、今日抜き取る。
お茶でも作ってノンビリと、と思ったが、トウフ2丁を、貰った醤油をかけ、つまみにしてビールを飲む。
神社は神社でも、畳三枚分ほどの広さに神棚があり、狐稲荷が祭ってあるだけ。
白壁で、正面に二枚の扉。今日中、ここに座っていたが、別に退屈することなく、また一人の生活が始まったに過ぎない。
時々、あのホステラーの連中どうしたのかなんて。
稚内でテントだの何だのと言っていたが?
もう6時近くなったろうか。
荒れ出した波に風が強くなり、雨が横から来る。
緑の雨に濡れた草、草の上に水玉が風でゆれるたび、キラキラと光る。
これでラジオでもあれば最高であろうが、稚内で買うかな。
しかし、ラジオを買うと、ラジオばかり聞いて、日記を付けるのがおろそかになるのは・・・するのは?間違いない。
やる事ないから、退屈の暇ツブシで書けるのに、美しい音楽なんか流れて来たらもうダメ。
でも、強い意志を持ってすればー?
でないと、人間の幅ができなくなる。
難しいところである。
後の、残ったトウフ1丁とサンマ、モヤシ、ラーメンのスープで煮込んだ、何という食べ物か。とにかく温かいからよい。
なぜだか温かい物を食べるとホッとする。
やはり簡単な物ばかり食べているのは、精神衛生上、よくないのかなー、なんて思う。
今、お茶を作って、フッと、海の向こう側が、ホッと小さくなり、段々と明るく、雲の向側、陽が沈んで行くのが分る。
雨が降っているのに、水平線上で雨雲の影になった夕陽、珍しい。
お茶を飲み、今日も、一日が終わった。
使用金額:1360円
1
23キロを午前中に歩いて、もしかしたら最高記録ではないか
1979年
昭和54年7月31日(火)
朝ラーメンを食べ、神社を出ると、前の広場で子供達が朝の体操をしている。
きっと、夏休みラジオ体操だろう。自分の子供の頃を思い出す。
なだらかな丘が続く道を行く。空は青く高い。
豊岬小村でパラパラと家が立ち、それからずっと野原の続く道路で、途中サイロの見える酪農家がパラパラと見え、まさに北海道的な風景である。
広々とした緑に、左側は海面。波が荒れているのか、白い波が見える。
ここちよい風が吹き、足はどうした訳だか、凄い速さで進んで行く。
歌越で手紙を出し、無人駅で、残りパンとジュース。のどかな空の下で、夏と言うより春みたいな感じで。
途中、後で声がしたので振り返ると、長野と田川の自転車。一緒に走ってるらしい。
桃井かおり、稚内に行ったとか。今日また落ち合うらしい。
結局、みんな俺より先へ先へと行く。俺が一番最後。2、3分話しして別れる。
一直線の道路、二人はアッという間に見えなく遠ざかってしまう。
自転車、オートバイが北へ北へと何台も通り、皆、手を上げてスレ違いに挨拶をして行く。
遠別駅に12時30分に着き、中で休んでいたら、リュックを横に少し眠る。
小さな駅なのに売店がある。23キロを午前中に歩いて、もしかしたら最高記録ではないか。
天塩まで19キロ。無理すれば歩けるが、結局、昨日疲れるだけで同じである。
駅前で食料を買う、695円。スイカ680円で売っていて、買いたいが一人では食べ切れない。
町はずれの草原で、鯨の缶詰を食べるが塩っぱいのなんの、ノドがからからである。
牧草地の続く道路線一面。しかし、午後から急に速度が落ち、今、丸松無人駅であるが、もう4:52 pmなのに、まだ6キロしか歩いていない。
ベンチで少し横になり、店でも貰って来た水で、お茶を沸かし作る。アイス、50円
1枚40円のテンプラ、1枚25円のテンプラよりまずく小さい。頭にくる。
あの爺、騙したのかなぁー。
あぁー お茶がうまい。
駅の外で作業中、発電機の音がバタバタとうるさい。
次の駅まで歩くとするか。たった今、4時52分の列車が去ったばかりである。
更岸駅まで線路を歩く事にして、歩く。
二本のレールがまっすぐに縫って、ところどころに乳牛が草を喰って、のんびり。
下ばかり向いて歩いていたら、いつの間にか空曇っている。
今日の昼、歩いていて道路脇で雀の子を拾ったが、連れて行く訳にはいかないから、放したが飛べないので、もしかしたら蛇に喰われたのではと心配する。
今日、37キロ程歩いた。久し振りである、こんなに歩くの。
計画を放棄したから、精神的負担から解放されたのかな。
枕木ばかり見てボソボソと歌い、ユースを建てるとしたら、とか、職業訓練所とか、嫁さんとか外国とか、色々と考え事しながら歩く線路。途中、一両のディーゼルがノンビリと走ってくる。
更岸駅に着いて、店屋に行ったら、周りになんにもない店なので、品物もほとんどない。ビスケット、ジュース、450円。明日の為。
駅の建物新しく、悪くないが、ベンチが狭い。
小さなホームに、線路脇に黄色の月見草が、今だに咲いている。
イヤ違う、月見草ではない、別の花だ。
今日、昼寝をしたから寝れそうにないし、何も読むものないし、もう、日記を付ける物もないし、困ったなぁー。
使用金額:1195円。
こんな地帯とは夢にも想像しなんだ
1979年
昭和54年8月1日(水)
駅内で、ビスケットとジュースで朝食らしいからぬ朝食を摂り、歩き始める。
空は曇り、嫌な天気である。天塩に8時過ぎに入り、そのまま何も食べず町を通り過ぎたのが、大きな間違い。
町から2キロ程で出た所に、土木資材置場で休む。
隣に空き家があり、中に入るとテレビが3台、電気オルガンもある。古い少女漫画に女性自身、スクリーンなどの雑誌。
休憩所に使用しているのか。旭川大学と書いたバスの中で、本を読みながら暇つぶしである。
アメ玉を食べても腹の足しにはならない。雨雲が空いっぱいに広がり、今にも降りそうで、気分的に憂うつになる。広い野原にぽつぽつと酪農の家が立つだけで、とても雨宿りできそうな所、見渡すかぎりなく、雨が降るなら降るで、此処に落ち着けば良いが、降りそうで以降に降らない。その内、12時のサイレンが鳴る。
腹がへって、残った古いパサパサしたビスケットを食べる。
昨日は午前中に23キロも歩いたに、まだ8キロしか歩いていない。
行けども、歩けども、広い草原が続くばかりで、店屋の一軒の見えず、天塩で何も買わなかったことを後悔するが、こんな地帯とは夢にも想像しなんだ。
歩いていて、ヨーロッパ思い出す。感じがスコットランドに似ているのでは・・・。
どれほど歩いたか。ポツンと1軒の店看板。店は店でも、何も置いていない。かりん糖とファンタ、400円。振花駅が隣にあり、更岸と同じ作りの無人駅である。
中で、ボソボソと食べていたら、近所の子供がドアを開けたり閉めたり、うるさいのうるさい。珍しいのか、俺は知らん顔する。
疲れて話も、見る気にもなれない。
いつも間にか、リュックを横にして眠ってしまう。
今日からもう8月である。早いものだ。
8月で夏だというのに、冷たい風が吹き、曇っている。
とても夏と思えない。北欧の8月でも、こんなことなかったのでは・・・。
国道232号線も終わり、国道40号になり、橋を渡る。
よく見ると、道路は湾曲になっており、凄い遠回りの道。
幌延町まで4キロ。食糧を買いに、往復8キロ歩けない。
今日は全くついていない日である。
原野に酪農サイロが建ち、時々、乳牛がノンビリと草を食べて、のどかな景色であるが、とても歩いて行くには不十分である。
所々に、酪農家の破壊した空き家があり、ずっと大変な生活なのか、それでも大きな酪農も見える。
入り口に牧場の看板なんか出して、西部劇みたい。
夕暮れ、小学校の近くに、2人の男が道路横に座って、ヘバっている。宗谷岬から来たと。これから九州までかと聞いたら、もう嫌になったのか、新潟までだけでも歩きたいと思ってます、の返事。俺だったら大阪まで歩くよ。彼ら、大阪かあ。
別れて、40分ほど歩いたら、道路横に家があり、神社も珍しくあり、神社は寝ることができるが、まだ少し歩けそう。
地図を見ると、下沼駅はこの辺りのハズ。標識に1キロと出ている。
実際1キロもありはしない。周りに家なんか無いのに、この駅、人がいる。駅長に今夜、ベンチを貸してくださいと言ったら、嫌ない方をする。こんな何もない所なのに。
自分だけお茶を飲んで。あー嫌だ、嫌だ。
しばらくしたら、若い駅員が来て、水を貰う。こんな辺ぴなところに、なぜ駅員がいるのか、不思議である。
53年11月19日付の古新聞を読み、暇だから書きたくなかった。しかしなしに日記を付ける。
この駅に19時10分に着く。今20時50分。テレビ、野球中継が事務所の方から聞こえてくる。
豊富まで約8キロ。明日はバカバカ食べるぞ。
使用金額:400円
一望のもとにサロベツ原野が見渡せ、これも日本かと思う
1979年
昭和54年8月2日(木)
静かな朝に、鳥のさえずり。
駅は寝静まり、隣にある小さな黒塗りの、可愛らしい便所でクソを垂れ、イザ出発。
林の中にぽつんと建つ、小さな駅に、線路が二本、白く輝いている。
これでお茶でも、昨夜だったら、いい思い出になったのにのだろうが・・・。
今日もどんよりとした曇り空で、涼しい。
豊富に7時35分に入る。ガソリンスタンドで、顔を洗い、ドアに挟んである毎日新聞を読んでいたら、店の人が来る。そのまま玄関前に座って読んでいたら、中に入って休めとのこと。ソファーに座って新聞読んでいたが、周りに人がいると、落ち着いて読めない。
若い人が、コーラを持って来てくれる。少し話しただけ。
NHK朝のドラマをやっていて、小松何とかが九州弁でしゃべり、九州弁うまいと思ったが、彼も九州出だったと思う。
郵便局でスタンプを押してもらう。ついでに昨日の記念切手、面白いので750円分。こんなに切手ばかり買ってどうすると思うが、きっと俺はコリ性なのかな。
スーパーマーケット、まだ閉まっている。先の店に入るが、腹がヘッていても、一体何を食べていいのやら。結局、いつものワンパターン。牛乳、バナナ、テンプラ、パン、ラーメン、1550円。
芦川に店はないらしいから、その分まで買って担ぐ事になる。
神社に腰を下ろして、バナナ二本、テンプラを食べたら腹いっぱい。
しばらく食べない内に、胃が小さくなったのかなー。
昨日午前中サボらず、真面目に歩いたら、ここまで来て、何か温かい物でも作って、ゆっくりと休めたのにと思う。
中は畳が敷き、外に水があり、店屋もたくさんあり、文句なし。
パン、ラーメン、パックになったテンプラをリュックに入れ、牛乳1リッターを手に、飲みながら歩く。
途中、道路横に車にひかれたのか、赤い内臓を出した蛇がヨタヨタと動いている。
かわいそうな、もう助からないだろう。殺してやるのがいいのだろうか。
気持ち悪いし、道路を横切り、遠回りして避けて行く。
例の如く広い原野を道路は走り、車で行くには快適であろうが、歩くには、とかく不便である。
芦川まで6キロの道路標識である。一体どうしたらよいのか。
道路横にある徳満駅に休憩。縁起きっぷを買う。3枚360円。馬鹿馬鹿しいような、そうでもないような。一枚、麹町のTさん。一枚はマコにでも送るか。
空は青空が見え、半分雨雲。セミの鳴き声が聴こえる。
子供の頃過ごした、夏のあの熱いウンウンとした蒸し暑さでないと、夏といった感じがしない。
なんだか、春か、初夏か、北欧の夏みたいである。もっとも、歩くには一番歩きやすくて助かる。
徳満駅の白いベンチに横になり、暇つぶしに日記を付ける。
徳満ちて豊かな富を得る。(とくみちて ゆたかなとみをえる)
通信販売も応じます徳満駅。
駅の時計で11時20分で、芦川に1時に着いたとして、後どうする。
地図で見た所、23キロの間、稚内まで寝る所、部落が見当たらないし、鉄道も途中から左側に入ってしまっているから、時間は来るし、歩けないし、困ったものだ。
とにかく展望台にでも行って来るか。(展望台から帰って来て)
展望台に行く途中に、放牧してある、大きな目をトローンとした牛連中がボケーと俺を見ているし、ゴロゴロと寝ている牛もいる。のどかな牧場の一風景。
丘の上に建つ展望台から、一望のもとにサロベツ原野が見渡せ、これも日本かと思う。
曇っているのが残念で、きっと晴れていると美しい夕陽が観れる事であろうことを想像する。
下に小さく駅が見え、周りに、ここも例にもれず、家が3、4軒しかないのに、駅員が二人もいる。
晴れて、ビールがあり、横に女の子がいたら最高であろう。
広漠たる眺め。しばらくボケーとして、下りる。
駅に帰り、12時20分、駅を出る。食料が重くウンザリする。
これでも足りないくらいである。
一本道をテクテクと歩く。もう稚内まで、目と鼻の先なのに。
なかなか着かないもどかしさ。内心、あそこに着いても、別に変わる訳でもなく、終わる訳でもないのだから、急ぐ必要もないが・・・。
そんなこと思っているからか、足がスタスタと動かない。
酪農家で水を貰って、パンとバナナを食べる。少しでも荷を減らしたい一心である。
涼しいから、大いに助かる。おばさんに古新聞ないかと訊いたら、ないとの返事。畳の上に新聞があるのに。もっとも、俺のカッコウを見たら、誰でも頭を360度ヒネるであろう。
札幌ユースで、脱水機にかけた時、引っかけたのか、両肩は破れ、腹にも大きな穴が空いている。とてもゾウキンにもなれないシャツであるが、今度、着替える時で、終りになるであろう。
落ちていたマンガを見て、草の山に腰を下ろしていたら、オートバイが来て止まり、野郎、ヘルメットを枕に道路横に寝転がったが、5分ほどしたら、水まき車が来て、水をまいて行く。野郎、しかたなく起きて、稚内方面に向かって行く。
俺もそこから20分歩いたか。草原の下に小さな駅が見える。
芦川駅で、ここも周りに家がないのに、駅員二人。凄く暇そうな二人で、ボケーとテレビを見ている。この二人、テレビを見る為に駅に来ているのか、切符を売る為に来ているのか、頭を360度ヒネっても、俺には分らん。
14:20 pm、この駅に着いて、中に少女フレンドが棚にある。
もうダメ、読んでいる内に、もう16:10で、しかたがないので、無精しない内に日記を付ける。
ディーゼルが来て、降りた客、一人の女の子。鉄道は道路と平行に走っているが、いつも見るディーゼルは、一両か二両で、ほとんど客は乗っていない。その中の客がここで降りたのである。
こんな駅を見ていると、働きたくなる程、気楽でよいが、国鉄、赤字になるはずである。
空は晴れて、窓から緑の丘が見え、そこに牛が尾を振り、空に白いワタ菓子みたいな雲に、ブルースカイのブルーではなく、何色と言って良いのか知らない澄んだ空で、雲の流れを見ていると・・・、何と言うのか、大らかと言うか、ノンビリと言うか、包まれそうな、涙が出てきそうな、もう歩く事なんかどうでもイイカといった感じになる。
こんな所にも、ウグイスの鳴声が聴こえたが、雀みたいに何処にでもいるのかなー。
日記を書きながら、今日どうするか迷っていたら、駅長に話しかけられ、色々と地域の事情を聞いていたら、どうもこの駅に泊まるのが、一番よいみたいである。
これから先、無人駅はなく、この駅、6時過ぎになると帰ってしまう。
ホームに出て、青空を見上げると、憎たらしい程美しい色だ。
時々ホームに列車が止まり、去ってゆく後ろ姿に、旅情を覚える。去った後に、白く光る二本のレール。静かで、駅の周りに花壇があり、小さな可愛らしい花が咲いて、樹々の間に、太陽が静かに一日の終わりを演じて行く。
珍しいのではないか。普通、駅の周りには、家が立ち並んでいる。こんな所、まずないのではないか。
駅の外の白いベンチに座って、沈んでいく太陽を観ていたら、お茶を味わいたくなり、急いでお茶を作り、外の冷たい風に当たりながら、紅色になった太陽を見つつの、この一杯のお茶、これがウマイ。
昔、こんな余裕がなかった事を思い出す。
駅員が帰った後の静かなホームに、小鳥のさえずり。本当に人生の不思議さを感じる。
このまま終わるのがもったいないので、駅のハシゴを使って、駅の屋根の上に登ると、サロベツ原野の地平線に、陽がまさに沈んでいくという表現が、ピッタリである。
左側に、頂上が雲に覆われた利尻岳が見え、雄大さを感じさせ、日本もなかなか捨てたものではないと思う。
静かに沈んで行く陽を見てると、一日一日が同じでないように、夕陽の一日一日も全く異なった沈み方をして、絶対に同じ物を観る事はできない。
落ち着いて謙虚な気持ちになり、屋根の上でジーっと陽を見ていたら、オートバイが音を立ててやってくる。寝袋を持っている。
今夜泊まるらしいが、リュックに銭を入れたままで気になり出し、クラクラとし出す。戸を開ける音がして、しばらく音がなく、日記を机の上に置いていたのを、読んでいるのかも知れない。降りれば、もう地平線まで沈んでいる夕陽が見れなくなる。もう勝手にしろと思ったら、オートバイ野郎、出て行った。。
今度は、遠くから列車が走って来る音が響いてくる。
駅の屋根の上にいるのが見つかったら大変だから、夕陽、今が一番いい所、こんなイライラとした気持ちで見ててもしかたがないので降りる。ガッカリ。
ラーメンとホッケの大きなテンプラを、グタグタとやり、食べる。
ホッケのテンプラ、大きくて安くておいしい。食料を担いできたのは正解である。
食べ終わってナベを洗うのが、苦労である。水がもうないし、外にさっきの駅員が車でコチャコチャやっている。これから遊びに行くらしい。タバコを貰う。
フッと東の空を見ると、素晴らしい雲が、焼けた落日の影、帯状に、紅の静かな炎と、上は黒い雲に利尻岳。また、ハシゴを出して登るが、駅員がまだいるので、屋根に上る訳にはいかない。
これでビールを飲み、視たら、最高の今日の終わりとなったであろう
もう、外は真っ暗。光を求めてくる虫で、窓はいっぱいである。
現在、駅の時計で20時29分。今日も終わった。
使用金額:2660円
空は澄み、そよ風が吹き、人間を温暖にする
1979年
昭和54年8月3日(金)
昨夜、23:20まで、何となく少女マンガを読んでいたので寝不足である。
朝は5時前に起きて、ラーメンの中にテンプラを入れ、煮て、口の中に放り込む。
洗う水がないので、便所の手洗水。荷物を片付けて、5時40分、静かな朝霧の中を、線路を、一本一本の枕木の上を歩く。頭がボーっとして疲れている。火を使わないようにと言われたので、見つからない内に、早く出なくてはならなかった。
それでも朝は歩きやすい。兜沼駅に着いたら、三人の旅行者。
駅で寝たのか、線路の上に座って沼を見ている。(今風が吹いて書きづらい)
駅で顔を洗い、待合室のマンガを見ていたが、全然頭に入らずおもしろくもなんともない。頭がボケてしまっているのが分る。
ベンチに横になりしばらく寝る。1時間ほど横になっていたか、頭が少し冴え、駅を出る。
小さな集部落で、明治調の郵便局が印象的である。
まさに北海道的な村で、人通りがなく、ゴーストタウン?
それでも農協スーパーだけは大きい。食料を買う、1156円
(今日は日記書く気がしない。書きづらく風が強く吹いて)
1リットル198円の牛乳。安いから買ったらが、飲むのに一苦労。
野、山の緑の間に、牛が遊び、見える家はまばらに、サイロだけ。
空は澄み、そよ風が吹き、人間を温暖にする。ゆるい丘を幾つか越え、例の小さな田舎駅スタイル。映画、寅さんのシーンにでも出てきそうな駅。勇知駅。
新聞を借りて読む。待合室ひとり。便所は例の昔スタイル。やはりこれの方が便所と行った感じや、ウン。
勇知から抜海へ。緑、緑一面、緑、空。川がない。
途中から線路に入り、抜海駅に。
ホームに、赤い線が入った帽子をかぶり、駅長が立っている。
淡いような晴れた明るいような。冬を想像すると・・・。
薄暗い待合室で、疲れたのか、いつの間にか寝てしまう。
ベンチの上で横になり、思うは何の事やら。
ガヤガヤと騒ぐ音に起きる。3人の小僧達、凄いカメラ用具を持っている。
写真でも撮りに来たのか、こんな銭、どこにあるのか。
それにオーデコロンの香りをプンプンさせて、嫌だ嫌だ。駅を出る。
道路は、駅前から一直線に、海に向かって伸びている。
もう一本の海岸線道路に交差して、その前はパッと広がる。一面、ジュウタンを敷いたような広い広い草原。見事な緑のジュウタンで、家なく人いなく、最高の静けさ。
道路を歩くのが、アホ臭く草の中に入って行く。
草野の中に、色々な花が咲き、風に揺れる。
リンドウを大きくしたような、淡い紫色の花。
見ていると吸い込まれそうな、濃い紫色した野生のあやめ。他の花。
きっと春は、もっと色々の春の花が咲き乱れるに違いない。
水っぽい湿地の草野を横切り、浜に出ると、残念。
砂は見渡すかぎり、ゴミでいっぱいである。
黒い砂浜は適度に硬く、歩きやすい。海は、黒砂を巻き混んでいるのか、濁っている。
誰もいない海辺に、ひとり座り、ポリポリと食べるカリント。
前方に、又留内が見えるのに、例に歩いても、なかなか着かない。
歩いていたら、波際に、一列にズラリと並んだウミネコが、不思議。
俺が近づくと、空にバッと舞い上がる。何もしないのに、人を見る目のない鳥達。又留内の海水浴場の看板しか、遊泳禁止の看板も、変な海水浴場だ。
監視小屋に、シャワー水あり。浜で家族連れがポツポツと遊んでいる。小屋は、カギがかかり、警察官立寄所の標識も・・・?
窓を見ると、開きそうで、陽はまだ高いが、今夜ここに寝る方を決め、日記を出し、少し書き始め、フラッと遠方の山を見ると、鳥居が見え、神社の屋根も見える。。
あの山に登れば、きっと夕陽も、すばらしいだろうと、水を汲み、狭い山肌に作られた小路を登って行く。
山の上に沼があり。神社は建てたばかりで新しい。ところがこのアルミサッシ、押せども叩けども、悪戦苦闘、1時間。開けることができず、せっかく登ったのに諦めきれず、寝場所を探しに、さらに上に登る。
木が植えてなく、一面、見渡す限り。、緑のジュウタンで覆われ、海に広がる青い世界。そこに高くつき出た利尻岳。最高の展望である。
風が強く吹きつけ、仕方なく日記をつけ始めたが、風がパタパタとページをめくり、寝る所を考えると、全く書く気がなくなり、止めて、海を見下ろす。
下に広がる一面の海に、増々と強い陽射しが横になりつつ、日が落ち始めると、同じに紅色の世界が展開する。
次から次と黒い雲が流れ、その上に白い雲が、糸を引いたように流れる。
陽は不思議な炎を焼きつつ沈み、その後のあの紅は、俺理を惹きつけて離さない。
風が吹き、高い山にひとり、幻想。まぼろしの世界を見た後の虚脱感。ビールがない、残念。
薄暗くなり、下に見える家々の窓から、灯が漏れる。
もう夕食が終わった頃か・・・。
下に降りて、元の小屋に行く。窓に大きな釘が打ってある。もう意地と根性で、この釘を抜き取る。
中には、何の商品か。タオル、石けん、ノートがたくさんあり、石けんを失敬する。ノートはまだ、いらない。
お茶でも作りたいが、そんな雰囲気ではない。窓から水平線の向こうに、また少し明るく夕焼けの炎が残って、旅情をあたえる。この、ますますと暗くなり、最後の炎を見る時、一日の終わりを素直にあたえてくれる。
使用金額:1156円
稚内駅前の水道で、顔を洗う
1979年
昭和54年8月4日(土)
小屋の中を見ると粉石ケンがあり、洗濯するかと思ったが、人が来たら困るので止め、キャラメル三個失敬する。
使用していない玉露茶1袋、これも失敬して、また窓から出る。昨日、抜き取った釘をまた戻す。
まだ朝早いのに、もうポツポツと、漁師のおっさん連中が小さな船をいじくっている。
失敬したキャラメル、懐かしく口の中に入れるとすぐ溶け、古いのかなあー。子供の頃、遠足でよく食べたものだが、大きくなるとこんなもの、銭を出してまで買う気がなくなった。
家の前に出ていたおっさんに、時間を訊く。5:45 am。
習慣がつくと、5時に目覚めるらしい。今日はあまり快調ではないみたい。足が朝なのにモタモタとしている。
学校の校庭に、大人子供が集まっている。その近くのバス停小屋で休憩していたら、例のラジオ体操音楽が流れてくる。
夏休みになると、俺も子供の頃、寝不足の頭をフラつかせ、カードを持って行き、帰って来るとまた寝た事を思い出し、これは全国どこでも、今だにやっているのかと驚く。
右側に緑の台地が続き、前方に紅色の灯台。台地にアンテナ塔が見え、どちらが野寒布岬なのか。新聞を配達している車が停車。
若者に、「余っている新聞ないか」
一部受け取り、「銭とる?」
笑って「いいですよー」
すぐ後に別人が来て、新聞を60円出して買っていく。
この人の話によると、右側にある建物、台地のレーダー群は、自衛隊で、47年まで米軍がいたとか。入れないとのこと。
ノサップ岬に着いて、新聞を読む。風が吹いて陰は少し肌寒い。
ペンギンがオリの中にいて、短足の小さな脚をヨタヨタと動かし歩く。そのズン胴姿はユーモラスである。
その向うに、気合抜けしたアザラシが、見本物みたいにゴロンと転がって、大きな瞳をクリクリ動かす。かわいそうに、こんなところに人間の都合により、自由をとられて。海に帰りたいだろうに。
灯台は、日本で二番目に高いとか。周りに建ち並ぶ家屋、全然岬といった感じない、ただの海岸。新聞を読んでいても、スッキリ頭に入ってこない。
靴底からまた釘が出てきて、滋賀県ナンバーの車からプライヤーを借りて、抜き取る。
海辺のコンクリートの上で横になり、昨日の残り分日記を付け終わった頃は、いつの間にか観光客がゾロゾロ。朝の静けさが嘘みたい。歩き始める。
牛乳140円、昨日の残り物で腹を満たす。郵便局に記念スタンプないかと思ったが、簡易郵便局。反対側歩道に5~6人集まり、飽食旅行付き者連中。一人の女の子が、手招きするので行くと、この民宿に泊まれと。
「川端」、多分この民宿であろう、チャリンコ野郎に言われた民宿は。
この俺が、高い銭を出して民宿なんか、泊まるハズないだろう。
「俺は無料か、美人のいる所しか泊まらない」と、歩き始める。
表通りを歩いてもしかたがないので、裏通り、海辺を歩いた。
凄い腐ったような魚の臭いプンプンで、海水は濁り汚いが、凄い魚がいっぱいで、ある下水道出口は、バシャバシャと魚がハネている。
魚女がいっぱい。訊いたらハマチのエサになるとか。もったいない話だ。
ある工場は、サメを加工して、その目が哀れ。
稚内駅前の水道で、顔を洗う。駅でスタンプを押し、絵ハガキを捜したが、ない。
歩き始め、ラーメンの赤い看板。おいしそうなので入る。大盛ラーメン、400円。悪くない味である。
クダらんテレビ、見る気もしない。雑誌を見て、一時過ぎ、店を出る。
海辺に沿って細長い街を、車がうるさく通る。気分がイライラ。
ボールペンを買ったら、そこのおばさん、そのシャツだったら裸でも同じではないかと・・・500円。牛乳、HIC、270円
道路横家陰に座って、カンパンを口に入れモサモサ。
芦間駅でバケツを借りて洗濯。ジーパンを洗う。何人かのリュックを背負った旅行者、知らん顔。
洗濯が終わって待合室に戻ったら、一人の若い娘が、座って自動車教習所の紙を、一生懸命見ているので、少し話。別の言葉「落ちるといいね」
彼女の返事「絶対、通ります」
そのお言葉に水をさして、そしたら、今度はブツかるよ。
砂浜を歩き始める。遠くに部落が見え、時々浜を車が通る。
馬鹿な連中、機械に乗って浜の上を通っても何もわからんのに・・・。
遠く海上に、石油採掘りブイが浮かんで見える。空は段々と暮れ始め、陽は雲の陰に沈み始める。
寝場所もなにも、遠方の部落まで、途中家一軒見当たらず、今日は何キロ歩いたばかりを計算。
脚が痛くなる。部落前に二軒の小屋。空家で中は服が散らかり、食器も。夜逃げしたらしい。
カレンダー、53年6月になっている。
ジーパンを持って来る。半分にチョン切る。とても寝れたものではない。釣りに来た人からタバコを一本貰う。
海から三角状に空へ、夕焼けの雲が美しいが、ゆっくりしている訳にはいかない。
空模様がおかしい。
漁師に神社を訊いたが、無愛想な返事。もう暗くなり、寝場所を探すにも暗くて分らん。
宮磯小学校玄関で寝る。
見回りが来るかなぁーなんて心配したが、もう開き直り、ラーメン、スープを作る。
今日はとんでもない一日。
全く歩き過ぎである(これは5日,宗谷岬で書く)
使用金額:865円
観光客が帰った後の静けさは、さすが最北端を感じさせる
1979年
昭和54年8月5日(日)
昨夜歩き過ぎ、足のカカト、釘で穴を開けた奴が、また傷が開いたのか痛くて寝られない。熱を持っている。朝、昨夜の空模様では、雨ではないかと思っていたのに、晴れて青い顔を出している。
今日は日曜日。夏休みのラジオ体操もないであろうと、ゆっくりお茶を作り、古新聞を読む。
このお茶葉、昨日失敬した玉露であるが、思って期待したほど美味しくないのにガッカリ。入れ物が悪く、風味が逃げるのかなー。
お茶を飲んでいたら、子供の声がする。まさかラジオ体操でもあるまいに。窓から顔を出し訊いたら、江差に小学生旅行とか。子供たちが集まってくる。
先生が来ると面倒なので、早く洗顔して出て行く。今日は少し遅かったかなー。朝食、パン、牛乳、440円。安いはずのホッケのテンプラ、後で計算したら200円とっている。あのババアー、値札が付いていないとすぐ騙す。
今日は、どうせ宗谷岬までだから、急ぐ必要も焦ることもなく、ブラブラと歩く。時々見上げる空は高く、澄んだ青空は憎いほど美しく、その広い青空、画面に流れる白い雲、本当に見応えのある空で、つくづく気候風土の違いを感じる。
皆、宗谷岬へと目指すのか。やたらオートバイ、チャリンコが通る。
男女グループのチャリンコがすれ違った時の女、嫌だね。相手にも依るのかなあー。挨拶しても、しない奴らがいる。
前方より、リュックを背負った奴が歩いて来る。よく見ると外人。ドイツ人。名古屋。日本に来て2ケ月。2ケ月の割にしては、よく日本語を話すと思ったら、ベルリンで勉強してきたとか。
俺に、座禅だの何だの言う21才。
俺の嫌いなタイプのドイツ人。こんな人間がザクザクになるのか。もっとも21才で人間丸くなっていたら、それの方がおかしいであろうなんて思う。
ドイツに行った事があると言ったら、ドイツ語しゃべれるか。
ナイン イッヒ カン ニッヒ ドイッチェ シュプレッヒェン(Nein ich kann nicht Deutches sprechen) と答えたが、今までこれで通じたから通じるであろう。
「アウフ・ヴィーダーゼーエン(Auf Wiedersehen)」で別れる。
間宮林蔵渡樺出航の地といっても大きな石がゴロン。
座って古新聞読んでいたら、二人の女の子、タクシーで来る。
女の子達、浜で遊び運ちゃん待っている。見た所、ごく普通の女の子である。車の中にリュック。凄い金持ちと云うか、変人と云うか、金の使い方を知らないと云うか、分らん。
世の男、広いと云うか、変わってると云うか。
いっそ湾の外に見えていた石油採掘リグも見えなくなる。
赤と白の四角に灯台が、丘の上に建つ姿が目に入る。
近くに来ると、スピーカーに流される歌が聞こえて来る。
一番きらいな観光地の俗悪行為である。
カーブを曲がると、写真で見る最北端の碑が見える。
観光客がゾロゾロと入れ替わり立ち替わり写真を撮っている。カメラがない、残念である。
福岡を去って北へ北へ。
7月末到着のはずだったが、5日遅れ。まあいいでしょ。
碑の上にあがり、着いたと、ポンと足で碑をけったくり、隣の男に、今何時?
11:15 amである。
着いた事は着いたが、今日、アッチコッチに手紙、ハガキを書かなければいけないことを思うと、ウンザリする。
とりあえず、絵ハガキを探す。いい奴がなく、全部の店を回り、500円の物を買う。
丘に上がると人間がゾロゾロ、いっぱいに。スピーカーからは休みなしに、同じ歌ばかり流れ迫っている。これで人がいない、スピーカーがなければ、最高だ。白い波を立てる海に青空。緑のジュウタンに流れる雲、ここちよい風。
まず拾った少年マガジンを読み、昨日の分の日記を付け、その後、芝の上に寝る。
寝ると風が冷たい。もう5時近いのではないか。それにしても、うるさいスピーカー。今夜寝るところをどうするか。書くものも沢山あるし、夕陽を見ながらビールで乾杯とゆきたいし。
これが日本縦断だけだったら、やったぜベイビーで、うれしいところで、ほっと一息。食べ飲みまくるところであろうが、全然、これから帰りを思うとゾッとする。
下に部落が見えて来たから、きっと酒屋があるだろう。しかし、なんで日本一周なんてやったのかな、ホントのところ確かな理由がない。
20代最後の青春かな。人生やり直しが効くとしたら、やはり同じ事をしただろう。
おもしろい青春だったし、人生でこれから先どうするか知れんが、my way my ペースで行くしかないであろうし、もっと努力してして行くだろう。
まず小便をタレて、下に様子を見に行って、腹ごしらえをしないと調子がでん。
高台の広場に、リュックを枕に、寝ている奴がいる。俺のリュックを見てるよう頼み、食料買いに行く、1100円。丘に戻って一人で食べる訳にはいかないので、すすめ、明日の分と思って買ったやつがペロリと終わる。長崎から来たと、昔の海軍展望櫻に寝る事にしたが、全ての窓に針が打ってある。
ベンチに座って本を読んでいる野郎に、今夜一緒に泊まることを勧め、まず、二人で下に降りて、最北端の写真を撮る。陽が暮れ始め、空に自然の神秘が展開する頃、オートバイ野郎、ガス欠で、下にあるバイクを押す手助けをしてくれと云う。
スズキ250ccを、二人でヨイショヨイショと押したが、ビールを飲んだ為か、凄い心臓、息切れでゼイゼイ。歳かなぁー。この18才の男、平然としている。
360度の展望は、素晴らしいの一言に尽きる。灯台の横に広がるパステルカラー、自然の芸術にはピカソも足も手も出ないでまい。観光客が帰った後の静けさは、さすが最北端を感じさせる。
常に風が吹きまくり、暗くなっていく夕暮。一羽のカラスが、俺たちの足元で遊び、逃げようとしない。
プライヤーで釘を抜き取り、おみやげ屋の閉まるまで、風吹く外で、静かに小さく消えて行く陽の炎を、ビールを飲みながら待つ。
暗くなって中に入り、お茶を作っても、オートバイ、初めて旅行にしたのか、食料もコップ、スプーンも何も持っていない。
日曜日で、郵便局は閉まり、貯金おろせなく、15円しか持っていないと言う。
長崎が、ラーメン二個持っていた。俺が一個テンプラを入れ、ロウソクの火で食べるラーメン。文化財になっているこの建物、埃っぽいが、なかなか見晴らし良く、ユースにしたらなんて・・・。
スープも作り、食べるもの全てなくなってしまった。
常に強い風が吹きまくり、窓を開けるとき、風に押され破れてしまう。
暗い中、三人で何ともなく話していたら、もうー10:30。寝袋の中に入る。
ハガキ、手紙、日記、一日あっても足りないくらい。
沢山書かなければいけないのに・・・?
この日記、翌日半分付ける。
使用金額:1100円
浜鬼志別を出たら広い。広い村営牧場
1979年
昭和54年8月6日(月)
窓から明かりが射してくる。隣の野郎、寝袋にすっぽり頭を入れ、鼾をかいて寝ている。
俺は、窓の外を見る。雲が美しく色染まり、大きく変化して行くみごとな朝の始まりだが、まだ陽は顔を表さない。
座って外をジーと見ていたら、まだ半分頭がボケている。
眠たいような見たいような。その時、茨城の男が起きたので、陽が出たら起こすように、また寝袋の中に入る。
10分程して陽が浮かび上がってきたが、こんな朝焼けになるのは、天気が崩れると聞いたが、水平線上の静寂の神秘の世界の始まりとは別に、手前に黒い雨雲が流れる。輝く雲の光が終わって、また寝袋の中に入る。4時過ぎ。
6時。長崎野郎、荷物をまとめ外に出る。人に見つかるのが恐いらしい。
7時。みやげ屋が開いて、もう人が来はじめ、中をかたづけ、外に出る。一泊してゆっくり書くつもりだったが、2時間前の空と打って変わり、広い一面の空は、低く立ち込めた厚い雲で、スッポリと包まれ、風は強く吹き、とてもじゃないが、こんな所に1日中おれたものではない。
昨日は、高い空に青く澄み渡っていたのが嘘みたい。
休憩する所があるなら良いのだが、曇りの空の下では話にならない。
民宿と思ったが、そんな銭を使うのももったいないし、どこか歩いていて、いい所があれば、そこにゆっくりと落ち着いて書く事にして、歩く。
三人で記念撮り写真。
パン160円。校庭、自転車置き場。昨日、長崎野郎にもらったジャムをつけて食べる。とにかく休みなく風が吹き、寒い。これが夏とは絶対に信じられない。
海辺に沿って立ち並ぶ家が終わると、大岬が終わる。
それからズーっと、家一軒ない、緑一面の世界。左手に海。
低い熊笹が見渡すかぎり続き、車で走ったらさぞかし気分良いであろうと思うが、どうも始めはよかったが、途中から嫌になる。
これではゆっくりしたくても歩くよりしかたがなく、いつまでたっても書き事ができないのでイライラとする。
蜂岡と言ってもボロの家が三軒程、人が住んでいるのかどうか知らんが、そこから森が始まり、自動車の中から、あの長崎野郎が手を振っているので、手を振って合図したら、後ろの車が止まった。その前にも1台止まったが、もう今更乗れませんよ。たとえ熊が出ようが、もう意地だなぁーと思う。
オートバイが来ないので気になる。
東浦に入り、家が見えホッとする。神社が見え、そこに休もうかと思ったが、草がボーボーでそのまま通り過ぎる。学校、全部カギがかかりダメ。全然休み場なく、歩け歩けの続きで、涼しい為か、すごい速いペースで歩いている。
空家あり、中に入ったが、埃だらけで、ちょっと寝るには無理である。大きな家で、古いタンスがあり、古物屋に売ったらと思う、もったいない。
大きな軒も、家は傾き、何故この家を捨てたのか、分るような気がする。
何もない海だけの世界、酪農をうまくやればどうか知らんが、冬の季節を想像すると、厳しい世界だ。
知来別で牛乳、トウフ三丁、360円。小さな漁船が停泊している、港のテトラポットの上で、豆腐二丁食べたら腹いっぱいになり、陰で少し寝る。風がないと丁度良いのだが寒い。起きて、無理してもう一個食べる。
このトウフ、今でもゲップをする度、トウフの味が上がって来る。もううんざり。知来別を少し過ぎた所で、オートバイ茨城が後から来る。
サロベツ原野の方を回って来たとか。
全然苦労知らずといった感じの子で、18才、青春真っ只中。もう会う事ないが、素晴らしい青春を過ごしてほしいと、しっかり思う。
オートバイは軽い音を立てて、アッという間に去って見えなくなる。
何も苦しむばかりが能ではなく、もっと気楽に行くべきでないかと思ったり、もうこんな旅はきっとこれが最後であろうし、又、そうできもしないであろう。
車、キャンピングカーで旅行したらとか、そんな事を思ったり、帰って仕事して、ユース、大工、勉強。そんな事ばかり考えて歩き、九州を去った時、鎌倉のTさん、竜飛で鎌倉のTさんの影が薄れ、麹町のTさん、今度はこのTさんの影が薄れ行く影とは別に、岡山のマコが頭の中をクルクルとまわる。
芦野駅を目指して歩く。今日、こんなに歩くつもり全くなかったのに、随分歩いてしまった。
浜鬼志別を出たら広い。広い村営牧場。嫌になる。
そこに日ソ友好記念館。中で日記を書いていたら、変なお爺が来て、5時閉まると。
芦野駅を訊いても急行しか乗らんから知らんと・・・。こんな所、急行通っているのか。鉄道が国道から遠くへ入り込んでいるので、サッパリ分らん。
記念館から30分程歩いた所に、ポツンとお堂があり、中、埃で、もう贅沢は言っていられない。大きな草を切り、ほうき代わりに中をはく。風が吹きこむ。水なし食料なし。しかし、書かない事にはいつまで経っても終わらない。
ポンチョを広げ、まず日記を書いたが、もう日記を付けただけでヘバッてしまう。
しかし嫌な天気だ。晴れると涙が出るくらい素晴らしいが、雲ると陰気でゾーッとする。
さて、これからハガキを書くとするか。
使用金額:520円
この北海道の広さの方が、実感として広いと感じる
1979年
昭和54年8月7日(火)
朝起きて、吐く息が白いのに驚く。とても夏とは信じられない気候である。
空は灰色一色に覆われ、相変わらず風が吹きまくる。
まず、食物がないのでお茶を作る。熱いお茶がうまい。食物があるならこのまま居て、書き終わるまで・・・、と思ったが、とにかく地平線が見えるほどで、日本のシベリアかアフリカである。
日本にもこんな所があったとは、認識不足であった。
店屋がないので、歩くよりしかたがない。冷たい風が吹く中を、テクテクと歩く。
空はどんよりと曇り、あの晴れた青空が嘘みたいである。
海は白波が立っている。荒れているのか、ポロ沼が見えるが、別に美しいとも思えない。そんな事より腹ごしらえ方が先である。
涼しい為か、休み場がない為か、やったら歩くペースが早い。
浜猿払の部落が見え、ホッとする。
ところが、あった店屋が一軒だけで、ロクなもの売ってなく、牛乳も飲み物も何もない。殺風景な店の中で、木曜日一週間に一回しか、問屋が来ないとか。
パンとラーメン560円。道路横に神社が見えた。戸を取ったら、その下にまた扉。大きな鍵がかかり、とても俺の手に負えるしろ物ではない。入れたら、今日一日中書き上げるつもりだったが、ダメ。店屋で、9時であった。
浜猿払を出ると、また、緑一面の世界が始まり、家一軒見当たらず、エゾ、カンゾーとかアヤメとか、その他の花が残り咲いていた。今日のユース二泊するか。
もうユースで書き上げるほか手がないな、とか考えながら歩く。
おばさん、浅茅野まで4キロ程と言っていたが、全然、歩いても歩いても着きはしない。やっと線路が見えてホッとする。
アフリカでも北アフリカでも、もっと広い所に行って来たのに、あれは他の国の為か、ピンと来ないのか。
この北海道の広さの方が、実感として広いと感じる。やはり日本だからかなぁーと思う。
ここも殺風景な浅茅野駅。駅にソ連の今日の雑誌あり。
やはり北海道、ソ連と関係が深いのかなあーと思う。
何となくページをめくっていたが、全然頭に入らず、実在のソ連と書いてある事とは、隔たりがありすぎピーンとこない。
トルストイの記事の写真を見たら、緑の芝草に枯れたポプラの樹々か?
あぁーこれはソ連だと思った。あのソ連の雰囲気が懐かしくなる。あれは・・・。
全て夢の事だったのか。もう何も残っていない、空しさを感じた。
駅に10時40分に着いて、11時20分頃、駅を出て線路を歩く。
駅にこの付近の詳しい地図があったが、俺の地図とは違う。駅のは古いのだろう。
浜頓別まで地図で測ったら16キロ。真直ぐに、一本。
果てしなく続き、線路に枕木。一本一本とまたいで行く。
線路は林の中を走り、こんな時、熊が出たらと思ったりする。
地図に載っていない小さな駅に出る。飛行場前ホームは板造りで、長さは列車一台分。しかし待合所は新しいが、中はクモの巣と便所の臭いがプーンとする。
(もう薄暗くなって書きづらいので明日書く事にする)
昨夜の続き。クッチャロ湖畔にて。
水を民家に貰いに行ったら、玄関口に華道家教授なんとかの札が掛かっている。
品の良さそうなお爺さんが出て、台所に行き、水を入れてくれるが、それを見ていたら、始めに水入れをきれいに洗って、水を入れてくれた。さすがだと思った。
普通、ただ水を入れるだけである。駅の中は、埃でモウモウとしているが、それでもラーメンを2個作り、ユース会員証を修理しながらお茶を飲み、暇つぶし。
1時間程こんな事をしていたか、また線路を歩き始め、単線のレール、時々列車が通り過ぎ、ビューと風を吹け上げていくが、急行なんかこんな時、クソをたれていたら、まともにかかってしまうと気が気ではない。
一直線のレールを、どこまでもどこまでもと歩いて行くと、また、地図に載っていない小さな駅で休み、中に、2日付の朝日新聞あり。のんびりと読む。とにかく静かである。
空は、昼から青空がいっぱいに広がり、今朝の天気が嘘みたいである。
山軽駅に着いたが、駅は腐れ果てボロボロで傾き、もう完全に駅の役割なんか果たしていないし、果たせない。周囲は雑草が茂り、浅茅野駅で見た地図には、駅前に小さな部落があった。そんなもの影も形も見えない。
ジャリの上で休んでいたら、ディーデルが一両モタモタと来る。
あんな駅に止まるるのかなーと見ていたら、乗客いないのにやはり止まった。暇というかノンビリしてると言うか。
白樺林が続き、これで荷物がないなら、本当に最高の散歩道だろうに。こんな変な所を、前方より数人の連中が歩いて来る。
変だと思ったが「こんにちは」と挨拶しても、知らん顔。
みんなバケツを持ってシジミがいっぱい。
湖が見え、看板に「しじみ採取禁止」の札。この連中、盗みに来たのだなー。
濁った湖面が広く見え、周囲に何もなく緑だけ。
これが本州であったら、もう大変。別荘、ホテル、モーテル、お土産屋の乱立である。
さっぱりして気持ちが良い。前方に浜頓別の町が見える。
駅に4時50分着。まず、顔洗ってどうするか考える。
ユース夕食なしで、まずスーパーに食物、2273円。ガス350円。ボールペン、三菱は書きづらいので、別なものを買う360円。店家がたくさんあると何かホッとする。
駅に戻り、ユースに電話したら満員御礼、ガッカリ。
わぁーもう大変、こんなはずではなかったのにと、まず腹ごしらえである。
駅の周りをぐるりと、寝場所を探して回ったが、なく、案内所看板に神社あり。
買った大きな重い袋を抱えて、神社へ。
神社の境内に社務所があり、ダメ。その隣の学校裏、体育館。
鍵がかかって入れず。体育館に通じる戸と思って、一生懸命悪戦苦闘。結局ダメだったが、後で気がついたが、その戸は全く関係なく、外に壁として張ってあるだけであり、開けたとしてもまた外に出るだけ。
別の戸を鉄棒で開けて体育館へ。
夏休みで誰もいない。時々風の音が響いてくるが、誰が来たのか、ピアノの音が聞こえてくる。一瞬、ドキリとする。
体育館の片隅で、日記を付けていたが、暗くなって途中で止め、寝袋に入ったが蚊がブンブンと、久し振りに蚊との戦いである
。
窓から夕焼けが見え、校舎の2階に上がり見ようとしたが、薄暗いオレンジ色が広がるだけで、林の向こうに太陽の位置が変わったのか、俺の場所が変わったのか。
夕日の見えない夕暮なんて、一日のない旅の終わり。
蚊のため眠る事できず。カヤを吊る。天井では、鳥がバタバタとうるさく、人が来たのかとオチオチと寝ていられない。
使用金額:3243円——————————————
そよ風と広い青空と小鳥のうたと陽の光の世界
1979年
昭和54年8月8日(水)
体育館の片隅で、ボケた頭をフリ切って嫌々起きる。神社みたいに、いつまでも寝ていられない。
人が来たら面倒な事になるから。体育館の時計で、5時40分である。
しいたけのポタージュスープを作り、それにジャボッとパンをつけて食べる。一見スイス料理ホンジューだが、何故だかおいしくない。やはりこんな貧弱な食物は広々とした心、ゆったりした気持ちで食べるないと味がしない。飽食と紙一重の差である。
ラジオ体操の音楽が流れ、見ると、校庭で体操やっている。
便所探すのに、校舎をグルグルと回る。汚い便所で、この校長の人格が知れる思いである。
床屋に行くつもりで、髪をライポンで洗う。二度洗い、その後石鹸で。汚れが酷かったのでゴワゴワであった。
シャツを洗濯していたら、ガラガラと戸の開く音が聞こえて来る。
スタコラサッサと逃げる。
7時30分である。
線路踏切を横切り、湖へと向かう。小さな遊園地。今夜寝れるかもしれないと思い、下に行くと、キャンプ場があり黄色ののテントが並んでいる。
炊事場で水を入れる。
若者達が炊事に。女の子、危なっかしい手つきで味噌汁を作っているが、
「うまくできる?」
「分らない」の返事。
のんびりした場所を求め、重い荷物を背負って、グルグルと歩き回る。
天気良く、気温も高くもう汗ビッショり。顔は汗たらたらである。
また元の所に引き戻り、トタン屋根、エビ、ワカサギ加工場の前の草原に新聞紙を敷いて、まず腹を休める為に一眠りする。
起きてまず日記、昨日の残り分を書いていたら、粋な中年の人が「こんにちは」と挨拶する。
双眼鏡を持って、島を見ている。技専で先生しているとか。
二十代最後のあがきです、と言ったら、
「私は50代のあがき、もう体力的にも年齢を感じます」との事。
一瞬、俺が56才の時、何をしているのだろうと思う。
湖の周辺は緑一色。家も何もなく樹々だけ。
3人の子供達が遊び、海鳥が舞飛び、まさにこれが自然だといった感じである。
日記を書き始めるが、陽が高くなり、しだいに暑くなり、ジーと横になって書いていたら汗びっしょり。
日記が終わるとハガキを書き、お茶を飲んでは書き、食べては書きで、今日一日中、ここで過ごし、もう陽は傾き始め、涼しくなり、昼間の暑さが嘘みたい。
時々、湖の魚がハネる音がジャポンと聞こえて来る。もう今日は書き過ぎて、指が痛く、もたない。
まだやっと半分進んだところで、明日もこの地になりそう。
こんな所、本州、九州、四国を探してもないであろう。
最高に自然を満喫させてくれる。
これで音楽があれば最高である。湖面は波なく、夕陽の光に段々と黄昏色に染まり、色を広げて行く。
そよ風と広い青空と小鳥のうたと陽の光の世界。
静寂で不思議な世界へ導いていく。昔こんな物に目もくれなく、馬鹿らしいと思ったのに、今は飽きる事なく、このまま停止を叫びたくなるくらいである。
今、雲の向こうに陽は沈んでしまった。
青空と黄色と紅色。白い雲が流れ、ウズを巻いて今日もまた、一日が終わる。
美しい夕映え、カメラがないのが残念。
やはり持っているべきであった。一生の物なのに、この美しさは二度と再会する事ができない。その為に次の新しい明日があるのか。
夕映えが段々と薄く消えていく。空と湖を後に。
坂道を上ると、真正面に、真円の薄淡いオレンジ色の満月がポンと樹の上に浮いている。
一瞬、Oh my Jesus God. である。唖然とする。
空は薄暗く、少し青さが残り、上から反対側を見ると、湖に消え行く夕映えの光。
まさにOh my Jesus God. である。
満月を横に、町へと向かう。陽も沈んで涼しくなると、凄い蚊の大群が押し寄せて来る。
テントさえあれば、幾らでも場所がある。オートバイで来たら悪くない所である。
駅に行くと、リュックカニ族がいる。大阪の二人連れ、網走まで歩いて行くとか。
気分良いので、ビールを探しに街をブラブラとする。
480円のTシャツ、昨日ボロボロになった、香港で買ったシャツを捨てたので、買う。
ビール200円。冷たくウマく、久し振りに、いい気分である。
プラスチックのイスに座り、Tさんに出す手紙の下書きをする。
ビールの酔いが回って来たのか、頭がクルクルと回り、とても書いている気分になれないし手が震える。
9時40分、駅を出て学校に向かう。
暗い校庭を横切り、校舎裏に行く。体育館の戸、閉まっている。昨日、開けていたのに、残念。
別の所に回ったが、中が真暗で何も見えない。諦めて、野球部小屋に蚊帳を吊って寝る。
これで寝る所と水があれば最高にいい所なのだが、無料で過ごそうと言う魂胆が悪いのか。
世の中、蚊に追われ、思うようにうまく行きません。
使用金額:680円——————————————
夕映えが美しく、外に飛び出し、湖が見える淵まで行く
1979年
昭和54年8月9日(木)
朝のラジオ体操に人が来る前に起きて、駅に行く。
明るくなったから起きたものの、5時40分である。半分まだ眠っている頭を振りつつ、NHKとRKBの手紙、下書きする。
7時頃になると、ゾロゾロと旅行者が駅にやって来て満員になる。
牛乳140円で、まず一息ついて、もうこれ以上重い思いをそたくないので、無理して書き上げる。
書き上げた絵ハガキだけでもポストに入れようかと思ったが、丁度その時来た郵便局員に訊いたら、記念スタンプがあるとのこと。明日、一緒に出すことにする。
9時前、リュックを駅に置いたまま、通りをブラブラして、銀行が開くまで待つ。昨夜、銀行のウィンドに、北海道の写真付き通帳あり。これはイイ、アイデアだと、10円玉で北海道の通帳を作る。
大箱のマッチ、二箱くれた。丁度マッチが必要だったので、100円ライターを朝、買ったばかり。これっだたら買う必要なかったのにと頭にくる。
その後、理容院。また丸坊主頭になり、ヒゲもきれいになったら、別人みたいになり、どこの貴公子が、自分の若さにビックルする。
1500円。ここもマッチをくれる。
もう今日は書いて書いての時間で、指が痛くて書けないので、明日、書くことにする。頭が痛い。
駅の時計は、21時52分で、街通りはシャッターがすべて閉まり、もろ、夜遅いことを感じさせるのが、田舎の町だと思う。
東京だと今が一番ガサガサしている時間なのに。
(昨夜の続き、午前6時、浜千夏別駅にて)
スーパーで食料1336円。湖へ。風が強く、場所を昨日と同じ所に移す。水を貰いに行ったら、お爺、「水は向こうでくんでこい」
このお爺、ブスーとして、挨拶しても知らん顔、偏屈者なのか。
頭がガンガンして気分のらないけれど・・・。
風の中を書きはじめる。書いては食い、で、食べ過ぎの感じもするが、鯨缶詰にトウフ、モヤシを煮たら、うまかった。
Tさん宛の手紙、6枚の原稿用紙になり、書き辛いのに無理して書いている為、指が痛くなる。
ブラブラと散歩しながら歩く。遊園地。客が来ない。
誰が経営しているのか知らんが、赤字は大変だ。
子供用乗物がある。ビニール張りの小屋
で、NHKに書くが、宗谷岬のスタンプ、1枚RKBに出すはずだったのに、2枚とも使ってしまう。
書いていたら、陽が傾き始め、その内、フッと空を見たら、空の雲が、紅、オレンジ色に染まり、夕映えが美しく、外に飛び出し、湖が見える淵まで行く。
きれいな夕映えなのに、キャンプ場の連中、皆、食事の支度で、誰一人として見ていない。この連中、何をしに来たのだろうと、頭をヒネる。
スタファン、レーナがこれを見たら、驚くだろうと思った。
ゆっくりとしたいが、まだ書くことが残っているので、戻る。
書いている内に薄暗くなり、蚊が飛び始める
銭湯にリュックをかついで行く。番台のおばさん、ビックリ。
180円。女湯丸見え、見る気なら。
カゴがあるだけで、ロッカーもなにもない。
真中に湯船、たっぷりと湯につかり、久しぶりにの風呂である。
この辺一帯、川がなく、それに洗えそうにない。
駅に行く。駅前で、チャリンコ連中が炊事中。いつもチャリンコ連中がこの駅にいる。
湯上りの牛乳。あまり、おいしくない。駅のカウンターで日記を付けていたが、指は痛いし、書きづらい。
疲れているので、止めた。
また、学校に行く。例の野球部小屋に行く。
この日も、月が不思議な輝きをしていた。
こんな月、いままで、見たことない。
使用金額:3086円
——————————————
うまくいって、9月中旬北海道を出るが、この調子では何処で冬が来るか
1979年
昭和54年8月10日(金)
外でキャッチボールの音がする。ユニフォームを着た連中が、球を投げあっている。
まだ朝は早いはずである。
その内、大勢のユニホーム連中が校庭に集まって来る。いつまでも寝ていられないので、コッソリと校舎裏に廻り、グルリと遠回りである。
駅に行ったら5時40分にである。
郵便局が開くまで待たなければならないので、まず昨日の残り書きかけを、切符売りのカウンターで書く、30分。顔洗ってクソたれて待合室のマンガを読んで。駅前でラジオ体操の音楽。その内どこに泊まったが知らんが、自転車連中がゾロゾロと駅に集まって来る。
牛乳140円。なぜだか最近牛乳がおいしくない。
牛乳が悪いのか、俺がおかしいのか。
やる事ないので、朝日新聞60円。九州を去って以来、初めて銭を出して買う。
大金60円出して買った割には、おもしろくない。
8時過ぎ、郵便局に向かう。文房具屋で原稿用紙を買う。1枚だけで良いのに、20枚入り80円。
少しは軽くなるかと思った荷物、全然。RKB、せっかく書いたので捨てる訳にもいかないし、切手代1250円。この町にいると銭ばかり出て行く。
Tさんには、きれいな切手を貼ったが、あの人こんな事、分るかなぁー。記念スタンプ、規定以外は押さない、と。ガッカリ。外国郵便もダメ。何の為のスタンプやら。
食べられる内に食べておこうと、食い意地張ってスーパーに食料、1011円。今日は歩き始めるので、そんなに買えないと分っているから、欲求不満なのか、あれも買いたしこれも買いたしである。
駅に引き返し、温かい作りたてのコロッケ140円。安いと思う。アジのフライ3匹で120円。日付は昨日。トコロテン2個。腹が張って、しばらく新聞を読んで、腹を休めなくては。もうこんなに遅くなると、全然歩く気がしないが、いつまでもこんな事していたら、もうスグ冬が来る。
計算すると、うまくいって、9月中旬北海道を出るが、この調子では何処で冬が来るか。
10時過ぎ駅を出る。空は雲が多く、青空がチラリ。
町を出ると広い草野が広がり、遠く前方に岸が見える。
道路沿いに、電柱がズーと遠くなるまで並んで見え、ダンプが小さく走っている。
海辺に出て、砂浜を歩いていたが、砂にヌカって歩きづらく疲れる。
豊浜無人駅で新聞を読みながら、休憩。中にハリ紙。旅行者の宿泊禁止。
セコイ事云うな。この管理者。駅は新設、中に古い木製の時計。骨董屋が買いそう。
線路を歩くが、買った食料が重く、元の木阿弥だ。
小さな物が少しずつ増え、チットも軽くならない。
斜稚駅に着いたら、週刊誌がいっぱい。まず水を貰って来て、まず1冊。2時頃だろう。しかしこれが、結局ここに泊まる事になるまで、読み続けである。
とにかく読んで読んで、何故こんなに読みたいのか知らんが。
夕暮、おばさんが来て、今夜泊まるなら、窓を閉めて虫が入らないように・・・。
しかし中はハエでいっぱい。ブンブンとうるさい。ハエを追いかけ。
しかし、相手の方が一枚飛んでいる。二枚羽根があるから?
日記が気になりながら、読み続け、途中ラーメンを作りお茶を飲む。
最終21時22分。浜頓別行き。
もう10時頃であろう。
頭が疲れているのか、手が震え、字が乱れ、今日しかたなく書いたみたい。
もう書かないと、後で困るから。
使用金額:2541円——————————————
浜頓別でゆっくりしたら、もう完全に調子が狂ってしまって
1979年
昭和54年8月11日(土)
小さな待合室の、電気がついたまま、昨夜11:15 遅く、寝袋を持った奴が入ってくる。
オートバイで回っているとか。やたらとタバコを吸う。
光の為に、熟睡どころか虫も邪魔するし、寝るのも一苦労である。
朝、6時頃オートバイ、寝袋を持って出て行く。
本を枕にしていたが、ザァーと残しておいて置いただけ。こんな奴がいるから、後の奴が迷惑するのである。
ボケーとして7時頃、待合室を片付けて、線路を歩いて次の駅まで。
駅は木造で、水を打ったばかりで涼しい。やはり、古い木造駅のほうが落ち着く。
外に食料を買いに行く。トウフ、モヤシ、牛乳、アイス、310円。駅に戻り、昨日買った大和煮に、トウフとモヤシをグタぐタ。鍋いっぱい食べたら、さすがに腹いっぱい。
斜内駅から持って来た一冊の週刊誌を読み、ボケーと。
もう全然歩く気がしなく、浜頓別でゆっくりしたら、もう完全に調子が狂ってしまって、歩くのが精神的に苦痛で、やはり楽すると後が困る。
目梨泊駅を出て、また線路を歩く。緑が両側に。しかし暑くてやり切れない。
線路は、緩やかに斜上して一直線にノビているが、荷物が重い。こんなはずではないのに、小さな物が少しずつ増えてきたのか、嫌になる。
空を見上げて、見る余裕がない。問牧駅、設けてある例の建物は・・・、それでもないよりまし。
暑さで参ってしまう。まだ湿気がないからイイが、あの南に下っている者は、大変だ。もっと暑いだろうに。店屋に行く。HiC140円。10円高いので、
「これは130円でしょう」
「イャ、140円」です。
頭にくる婆で、人の弱味につけ込みやがって、死ね。
少しでも荷物を軽くしたく、雑誌を読みきる。それでも軽くならない。
線路を一路、枝幸へ。線路ばかり歩いて、1日5往復のこの線路。1両のディーゼルがモタモタと走っているだけ。線路に草が生え、時々動物の死骸がコロがっているし、蛇がひなたぼっこして、小石を飛ばしてからかったら、口を開けて向かってきたのでビックリする。
時々スレ違う、1両のディーゼル。警笛を鳴らし、この音が頭に響く。暑さの為か、荷物の為か、何とかしないければいけないが、どうしようもない。
枝幸駅手前の踏み切りで、おばさん
「暑いのにゆるくないね、やめたらいいのに」
止められものならやめたいが、そうは今更、いかんわい。
終着駅、駅員ゾロゾロ、赤字なのに・・・。
リュックを持った連中が大勢、こんな所、何か見るべきものがあるのか。
駅で民芸品贈答なんて書いてるから貰ったら、板に焼印が押してあるだけ。
4:30頃、駅で、どうするか?
外のベンチに座って考えていたら、母子の連れがタクシー待ち。脚がスラリとしてスタイル良く、顔は田舎臭いが、磨けばいい女性になりそう。
何か幸福かしらんが、ユレて透き通るスカートをジーっと見る俺。
タクシーに乗って行ったが、贅沢な人。歩けば良いのに。
街通りを通っていたら、子供達が笑う。
スーパーで売り出し中、荷物になると分かっているのに、ツイツイ買ってしまう。
1240円分の食料である。買ったのは良いが、浜に出て、水を貰い、浜を歩く。
3人の女の子達が、水着を着て海で遊んでいたが、中学生か。
もうおっぱいが出て、まことに不思議な美しさ。セクシーではないが目が眩しくなる。
これが十年経つと、がらりと変わってしまう。残念な気がする。
長い浜を歩いて、途中で自炊して、ひとり浜で食べる。
トウフ、テンプラにモヤシ二袋をブチ込み、ラーメンのスープ。
あまりおいしくはないが、やはり温かいものは良い。
沖に、保安守の白い船が浮いている。
浜をそのまま歩いていたら、河に出て、グルリと回らなければならないので、ジーパンを脱いでパンツになり、川を渡る。
もう夕暮れ。寝る所がないが、焦ってもしかたがないので、浜をブラブラと歩く。広い浜に、ひとりポツリと竿を持って立っているおばさん、釣りをしている。
年寄りが釣りをしている。珍しい。小さな魚を釣っていた。
いつの間にか、そのおばさんも見えなくなり、
陸は雲を明るく染め、夕焼け。海の夕陽が見えないのが残念である。
浜の終わり、幌別川手前で、空屋。埃だらけだが、しかたがない。
前の家でもらった新聞を敷いて、寝る。二台の車、隣でテント張っている。
使用金額:1690円
——————————————
北海道の話していたら、ホロナイポ遺跡の本を貰う
1979年
昭和54年8月12日(日)
埃だらけの中で目覚め、テントの連中も同じラーメンを作る。なんとなく歩きたくないが、しかたがない。歩き始めるが、陽は高く、暑く、汗でビッショリ。
強風、常に吹く風に、時々よろける。冬の風を想像した時、この辺の生活を思うと、俺にはできない。
空は、すっきりしない晴れた空。暑く、もう歩くのが嫌。
牛乳なく、HiC 1リッター250円を飲む。その時食べていた魚の骨を引っかけたのか、ノドを痛める。
暑い中をテクテク。休憩所なく、つらいもんだ。
根室まで行けば、楽になるだろうと思っている。
荷物が重いのにウンザリする。
道路上に、少年マガジンが落ちている。新刊。人がいない消防署で読む。
HiC、アイス、160円。店を出たら、右側に、リュックを背負った奴が歩いている。歩きにしては、右側を歩く必要は無いだろうに・・・。そのまま後ろを歩く。
ヒッチにしては指を上げないし・・・。
海で数人が遊んでいる。海水浴場の看板。
人がいない海水浴場。東京付近では想像できないさびしさである。
前方に集落が見える。あそこまで行って休もうと・・・。
肩に食い込むリュックが恨めしい。
学校が見え、校庭に。日陰に入って、休みがてらに日記でも付けるかと、まず水を探す。
玄関に水道あり。開いている。人がいるのか知らんが、シャツ洗い、体を拭き、ホッと一息したら人が出てくる。先生が少し話ししていたら、上がってお茶でもと・・・。靴下を洗い、乾かしついでに、職員室に上り日記を付ける。
テレビ、高校野球をやっている。12時である。
先生と話ししていたら、コーヒーが出て、ビールでも「飲みますか?」
酔ったら困るが、「冷めたいビール」。
この言葉につられて、飲む。アサヒ本生。少し酔ったのか手がフラフラ。このまま昼寝ができたら幸せ。
名刺を貰ったら、校長先生である。
北海道の事を少し話。涼しい部屋に居ると、歩くのが嫌になる。
もう時計は14時35分である。いつまでも日記を書いていられない。
ホロ酔いで歩くとするか。
北海道の話していたら、ホロナイポ遺跡の本を貰う。
陽が傾き、少し涼しくなる。例のごとく広い原野に、ポツリポツリと酪農家が見えるだけの風景。
音標に着いて、学校庭に座り、どうするか考えていたら、子供が来て、勝手に俺のリュックを触れたおし、荷物を探し、そのリュックの上に「アぁーたおれたぁー」と座る。
全くどういう気なのか、頭にくる。
人の荷物を勝手に触れ、汚し、倒し、その上に座る。
注意するまで知らん顔。「ごめんなさい」言え、といったら、小さな声で「ごめんなさい。」
もう不愉快で、幌内まで10キロであるが歩き始める。30キロ歩いたのは確かである。
夕暮れ、歩く足が痛くなってくるが、やっと元のペースに戻った。
官庁境の道路標識。雄武まで15キロ。もう薄暗く、歩く気しなく、下の浜に降りて、なんとなくしていたら暗くなり、流木を集め、スープ、お茶を作り、海の水で真っ黒になったナベを洗う。
月の光はなく、暗闇の浜に、焚き火の炎が浮き、繰り返す波の音が、不思議と静けさを誘う。
リュックを枕に、ボケーと上を見ていたら、満天の空に輝く星座。天の川が見え、小さくキラキラと光る。
なんとなく宇宙の神秘を覚え、ジェットストリームを思い出し、あの音楽、残念だ。
ゆったりした気分になり、浜で、さて寝るかと寝袋を敷き始めたら、狐の遠吠え。寝ているうちに、首をガブリとー、想像すると急に落ち着かなくなり、ナイフを寝袋の中に入れる。
使用金額:410円
——————————————
幌内の小さな集落を出ると、また広い緑の世界が広がる
1979年
昭和54年8月13日(月)
狐の為か、垂れこめる雲が今にも雨を降らしそうな為か、時々目を開けては、空と周囲を見回す。アッチコッチに蚊にやられ、とても眠れたものではない。
暗い空に、モクモクと雨雲が広がり、もうだめ。
昨夜の星空が嘘みたいである。
空が段々と明るくなってきたら、ポタポタ雨が落ちてくる。
蜂の巣を張った油臭い小屋に、板戸を置き、その上にポンチョを敷く。
太陽は見えないが、海上の一点、黒い雲の間に、炎が燃えるように明るい。雲も炎に染め、しかし頭は半分寝て、とてもじゃないが、そんなことより眠る方が先決問題。
もう頭が寝不足でボケているのに、明るくなって眠れない。その内どこから来るのか、蚊がブンブン、ハエがブンブン、うるせい。
鼻の頭を蚊にやられて硬くなり、二段鼻になる。
もうついていない。これで蚊がいなかったら、悪くなかったのに。
降りそうな空は、いつの間にか、青空を見せている。
悲しむべきか喜ぶべきか、ともかく羽の寝袋なので、暑くなり汗をかいて来る。夏に羽寝袋・・・?
残り半分のタラとビスケット。お茶でもと・・・、とてもそんな気分になれないのである。
モタモタと、疲れた体を動かして幌内に入る。
店に飛び込んだが、牛乳も何もない。トウフとアイス、コーラ270円。
神社でラーメンのスープをトウフにかけ、思ったよりおいしくないトウフを口に押し込む。
なんとなく陰にトローンとして、地図を広げ・・・。
幌内の小さな集落を出ると、また広い緑の世界が広がる。
右側にレールを敷いていない鉄道。何のために高い銭を出して、こんなものを建てたのか。全く馬鹿馬鹿しい。
同じ方向より、リュック野郎が来る。雄武から歩き始め、稚内まで。
もし誰か車が止まってくれたら乗るとか。
まぁーなんと気楽な事か。まぁーこんなのが一番、精神衛生上いいのではないかと。
雄武町豊丘小学校か。雄武より3キロ手前の小学校で休憩に行ったら、職員室に3人先生、不愛想。上がって水を貰う。シャツを洗って、絞っても絞っても水が汗のため、濁っている。
校舎はヒヤリと涼しいが、休憩できるような雰囲気ではない。
道路標識に雄武まで3キロ。ちょうど時速4キロのペースで歩いている。
一路、雄武に着いたら食いまくるぞと・・・。その割には進まないなぁー。
雄武駅に着いて、まずシャツを水で洗い流し、汗を流す。
11時40分に着いて、スタンプを押して、日記。スーパーに買い物、1164円。重いのが分かっているのに、なぜか買い過ぎるのである。
駅に次から次と、チャリンコが休憩にやって来る。誰しも考える事は同じなのか。
現在、13:30。後1時間程休んで、陽が傾くまで・・・、クソたれて、食って暇でも潰すか。駅特有の便器臭が下、からプーンと上がって来る。
夏で、まだ空気が乾燥しているから良いが、これが九州だったら、臭気が体に浸ってしまう。
下痢をした。牛乳が出たわけであるまい。飲んだばかりだから。トウフにラーメンのスープが悪かったのか、とにかくこれだから困る。
牛乳を買う時、500ccか1000ccか迷った。1000ccは188円。安いから買ったが、結局飲んだ奴は、下痢で皆出ていく事になるであろう。
カメラがないのがクヤシィー。
この空に、雲が横に、炎が流れているようす。(絵を書く)
この広い原野に、ポツリポツリと町があり、途中、酪農家の集落にある小さな学校は校舎、校長宅付きである。
北海道では、小さな学校、総てそうであるらしい。先生、金が残ってしかたがあるまいに。
一体どんな産業で飯を食ているのか知らんが、大変だ。
雄武を出て、途中重いので、草原で牛がムシャムシャと草を食っている横で、あずきの缶詰をパンにつけて食べるが、甘いのはなんの。安いから買ったが、もう買わん事にする。
トラックが止まって乗るかと・・・、断ったら、頭をヒネっている。
今朝も旅行者のバンが止まった。北海道はよく止まる。
親切は嬉しいが、断るのに悪い事しているみたいで、迷惑で、止まると困る。
線路を歩く。道営の小さな草ボーボーの駅で、ホームに座って休憩。それにしてもこんな路線、廃止にしたら良いのにと思うが・・・、国鉄も大変だぁー。
途中でクソたれたら、やはり下痢。めったな事で腹をこわした事がない俺なのに、もう年かなー。
上がったり下がったりの線路、歩きづらい。元沢木の木造のホームだけの駅まで来ると、日の出岬の展望台らしき物が見える。突き出た。悪くない。
線路の峠を越え、岬へ。オートバイ一周、沖縄がテントを張っている。
俺は、一番先の岬台に上り、まずお茶を作る。
目前に静かな海が広がり、潮騒。
陽、陸に沈み、今、夕映え。あまり良くないが、それでも、一日の終わりを与えてくれるのに十分である。
山影に、炎が静かに燃焼しているような、水色の空があり、俺の真上は、灰色の雲。雨が降る事なく、蚊もなく、熟睡でき朝目覚めたら、きっと素晴らしい朝が拝めるだろうが、この空の調子では怪しい。
もう雨が降ってきたら、万事休すである。
ただ、今夜、雨が降らないことを神に祈るばかりである。
日記をつけ終わり、フッと空を見ると、がらりと変わり、凄い夕焼け。
展望台でお茶を作り、夕映えを見つつ、暗くなって、空になった水をくみに下に行ったら、先程のオートバイ。
下で酒盛りをやるから、一緒にテントに寝ましょうの誘い。
展望台の荷物をまとめ、下に降りる。
東京調布府高1年15歳で、大関ワンカップを3本持ち、その他いろいろのつまみもの、みんな、人にもらったとか。
沖縄と思っていたオートバイは、横浜で、沖縄が出発点。
日の出岬の広いキャンプ場に3人だけ。店屋が1件。暇な店家で赤字であろう。
暗闇の中に、焚き火の炎。3人で冗談を言って、気があったのか、15歳にしては、首がヒン曲がるほどしっかりしている。
月は雲で姿を隠し、星座を見て何のことやら。10時過ぎ。
オートバイ、下に電話をかけに行くので、ビールを頼む。750円。1時間ほどして帰ってくるが、15歳のテントの中、ラジオを聞いていたら、モスクワ放送が流れてくる。
あまり良い音楽はない。
テントの中で、2人ベラベラと
「おーい、姉ちゃんいるか」「20歳のお姉さん」東京に来た時、寄ってください、と。
同じ高校に彼女がいると。進んでいるというのか・・・?。
変わっているのか、彼女の話したり、顔を赤くして照れている。
火の中に入れたジャガイモ、スミで黒くなったやつに、マーガリンをつけ、シシャモを焼き、乾魚、次から次と何かでき、ワンカップはペロリとなくなってしまう。
使用金額:1584円
——————————————
横に日本海が見える豊野駅
1979年
昭和54年8月14日(火)
朝、テントの中から、チラリと東の空の朝陽を見ようと覗いてみたが、少し雲が色づいているだけである。テントが狭いのに、少年が転がってくる。朝の気温が上がって、テントの中が暑くなってくる。
7時40分頃、テント、3人でて、飯を作って食べる。
ゴタゴタとしているうちに行く気、全くなくなり、洗濯する。
オートバイ、12時近くなって大きな荷物を積み、パンツ1つで、
「楽しかったです。横浜に来た時、寄ってください」と、埃をたてて去る。自衛隊にいたとか。
ひとりいなくなると、何となく歯が抜けたみたい。
昨日の分として少し日記を付け、洗濯ばかり。
昼間、下に買い物に2人で行く。2200円分、俺が出す。
「ありがとう」も言わない。この少年、悪い奴ではないが、もう、人から物を貰う事に慣れてしまったのか、感覚がマヒしているのか、感謝の心がない。
人間として一番大切な事だと思うが、この少年に今いっても、聞く耳は持っていない。
昼中、暑くなり、海に貝を探しに3人行ったが、見つからず。
オートバイ、のんびりとしていた。
シャワーを浴び、新しい物に着替える。
岬に、何台も車が埃をたてて行く。2人でいたが、別にする事なく、しかし日記を付ける気なく、5時近くなって、夕方ゾロゾロと、旭川高校を始めにテントを張りにやって来る。こんなはずではなかったのに。
旭川高校の連中に話しかけて、知らん顔。無愛想、礼儀知らず。
美深の家族連れに、焼肉をごちそうになる。
夕焼けを展望台に見に行くはずだったが、肉を食べている内に始まり。
お湯を作って、ガス、コーヒーを持って、2人展望台に行く。下に高校の8個のテント。
灰色の雲が浮いているだけで、夕映えはなく、昨日の夕映えの美しさが嘘みたい。
テントに戻り、マーボー豆腐を作ったが、展望台でコーヒーを3杯も飲み、腹が張ってしまう。
隣に、留萌から来た4人連れ家族がテントを張り、奥さん太っているが優しそうな人である。
夜になるとテントが並んでいる。2人で、こんなはずではなかったのにと、ぼやく。俺は静かな休憩と思って連泊したのに、こんなに人が来るとは・・・。
子供たちが花火をして、焚き火の周りをワイワイ。
夜空の星を見る気分ではない。5合の酒を持って、暗い展望台に行ったら、高校生連中と先生もいるのに、挨拶しても挨拶をしない。困った連中だ。
飲みかけた酒を持って、静かな暗い所に移動。
夜空の星がゆっくりと見れ、酒を飲む。不思議な世界。少年酔ってるのか、懐中電灯でチカチカと展望台と電灯で合図し合って・・・。やめろと言いたいが、向こう側もやっているので・・・。
昔の歌を歌って展望台の連中、2人やってくる。
東京、足立ナンバーのオートバイ連中。何人だか知らんが、暗い草の上で、懐中電灯の光で雑談。18才、19才。日本酒、本当はそんなに飲まないのに・・・。
少し酔って、あくびばかりでるので、テントに帰る。
アルミに包んでせっかく焼いたジャガイモ、満腹のため食べる事できず。
寝袋に入って、星を見上げ、寝てしまう。
小さな事がいっぱいあったが、書く程のない事。
この日記、15日。横に日本海が見える豊野駅。
全然書く気なし。
歩くとするか。
使用金額:2200円
——————————————
留萌の女の子9才と、バトミントンのお相手
1979年
昭和54年8月15日(水)
早朝、女の声に目覚め、テントから外を見ると、日の出岬とは名ばかり。チットも朝陽が見えない。
時間はまだ5時前で、ラジオ、ロシア語が流れてくる。頭はまだ半分寝ているが、眠れそうにないし、少年にコーヒー作るように言ったら、風の中、ガスを使おうとする。
マキでやれと言ったら、ブスッとしてロクに火も使えない。
自分でやる。
少年、箸を作ると、木を削り、何もしない。全然やる気がないのか、言っても手伝わず。こんな人間も困ったものだと思う。
働きの悪い奴は食事なしと言ったら、僕ほど働くものはいないと。全然わかっていない。
ジャガイモの皮むいていたら、子供達が寄ってきて、相手するのに大変。10円玉の問題を出して、はぐらかす。スープを作り、隣の女の子にあげる。
少年、木を3時間程けずっていたか。色々くだらない物をたくさん持っているのに、肝心の箸はない。
手伝いはしなく・・・。俺は内心、怒りの炎がメラメラと。
もう話すのも嫌になり、口を利くのを止めた。
ナベも洗えないし、言ってもロクな仕事はしなく、口は達者。
留萌の女の子9才と、バトミントンのお相手。
朝が来て、テントの片付けが始まり、あわただしくなる。おれも荷物をまとめる。
留萌のおばさん、鹿児島人、2人分のおにぎりを作ってくれる。
8時前、キャンプ場を出る。少年に「それじゃ」の言葉だけ。
なんだか嫌な気分だけが残った。
もっとユーモラスに相手に通じる言葉はないのかと考えたり、やはり怒った方が良いのかと思ったり。ユーモラスに注意しても分らない相手が多すぎるし、礼儀を知らぬ者が多いし、俺がおかしいのか。
踏切から線路を歩き始める。
熊笹が両側に、所々白樺の木が見えるが、余りパッとしない気分である。
枕木の上にリュックを置いて、2個のおにぎりを食べる。
淡紫色の小さな鈴みたいな花を沢山つけた、何という花か知らんが、かわいいと思う。
興部からさらに線路を、途中、地図にない学生専用の駅。
水を貰って来てお茶を沸かし、残りのおにぎりを食べる。
食料も何もなくなったら、少し軽くなったような思い。
線路を歩き続け、豊野の無人駅に着く。周囲に店屋はなく、急に空腹感を強く覚える。
駅から100メートル程横に国道。4~5軒の酪農。水を貰う。
おばさんに、生の牛乳を味見させてくれと・・・。
おばさん、面倒臭いと言いながら機械を回す。ステンレスのタンクの中に牛乳。飲む牛乳ではなく、製品にする牛乳とか。少し飲んだが、やはり店売りとは違う。
おばさん、ビンに入れてやろうかと言うが、消毒していないので断る。
牛小屋から出たら、息子が白いジープに乗って帰って来る。
古新聞を貰って家に戻り、少し新聞読んでいたら寝不足の頭、全然頭に入らず。アスパラを作っているおじさん。少し話。おじさん、列車に乗って行く。駅中には、ここに宿泊した連中の落書きがあり、1枚の紙に住所、氏名、年齢を書き込むように、後でファンレターを出すとか。
嘘か本当か知らんが、おもしろいので書く。
少し寝て、日記を付け始めたが、全然気分の悪い事ばかりで、簡単に書いて駅を出て、さらに線路を歩く。
足にマメが、左足親指上下に2個。右側に1個。多分、靴底がヘリすぎて、足の角度が変わった為であろう。沙留の浜が見え、数人が釣りをしている。
野イチゴを線路脇に見つけ、列車から落とす汚物を想像したが、まあいいでしょう。
少しだが、余りおいしくもない。
採って採っていたら、スエーデンで、よくこれを3人で採りに行ったこと思い出す。
それから少し行った所に一カ所、ズラリと野イチゴが赤くなっている。
採っては口にいれる。汚いが、まぁ・・・。
沙留駅に着いて顔を洗って、腹ごしらえに店屋に行ったら、何もない。200円の米菓子にパン2個、340円。小さな駅で新聞を読みながら一息。4時頃着いて、5時頃駅を出る。
ラーメン、テンプラ、270円。
渚滑まで10キロ以上あるが、歩き始め、線路を歩いていたら、ジャリがマメに当たると痛いし、調子が悪いので、道路を歩く。
道路横に死亡事故発生地の碑があり、その下にお菓子、果物、線香、ロウソクなどが沢山置いてあり、初めて、あぁー今日はお盆だと実感す。
空タバコ箱のセロハン、中に、500円札が入っている。儲けた。
もう暗くなり、車はライトを照らし走っている。ジープが止まる。牛乳を貰ったおばさんの息子、まだ、こんな所を歩いているのかと、乗れと言うのを断る。
そこから少し行った所に駐車場。便所と小さな売店。寝る所と思って、鍵を開けたら水の中にいっぱいビールが入っている。これでは寝る事ができない。
缶ビールを2個失敬して、また鍵をかけて浜に出ると、自転車とテント。泊めてもらおうと行ったら、後からもまだ来ると。地元者、ビールを出したら、スンナリと取りやがる。
仕方がないので夜道を歩き、渚滑川の橋下の河原に、ポンチョを張ったが、棒がないしピンがないから・・・。張るのに小石を積み上げたり、大木を転がしたり、大変。
もうここまでが限界。目と鼻の先に、渚滑の町が見えたが、行ってもどうすることもできない。
ポンチョを張っている時、つくづくテントをうらやましく思う。買うとしたら重くなるし。
空は雲が張り、ポツポツと雨が落ちたり、星が見えたり、大変な1日でした。
あぁー足が痛かった。
使用金額:810円
——————————————
元紋別から家がなくなり、例の広さが続く
1979年
昭和54年8月16日(木)
下が小石、蚊と雨雲。これで寝られるほうがおかしい。目覚めても、ウトウトと転がって。
河原で、車の騒音が始まる。
空は鉛色一色。肌寒くシャツを着る。暑くなったり寒くなったり、まったく変な天候の続く所である。
起きた時、足が痛いので見たら、足親指の上が化膿して色付いている。膿を出し赤チン。5、6年前の、効くかどうかしらぬが・・・?
荷物をまとめていたら、橋の上に3人。真中まで来ると、上からゴミを投げ捨てる。頭に来る。何故こんなバカな事しかできないのか。
渚滑に入り、ガソリンスタンドで顔を洗う。時計は8時10分前で、人、車が少ないと思ったらお盆の為であろう。九州の事なんか全然思わない。渚滑駅に水と思ったが、ない。この辺の駅の便所に、何故だか水道がついていないのである。
待合所にリュックを持った旅行者が一人。こんな所、何があるのか知らんが物好きな人。
駅を出て、浜が近く、民家の水道から水を汲み、浜に出る。
浜は黒めの砂で、波際には海ネコ連中がたむろしている。
白い波がまき返し、海は淡い水色。ラーメンを作る。昨日買ったテンプラ、腐っているような、そうでないような、とにかく煮てしまう。
コンクリート堤の上に座って食べ、海ネコを見る。
ケニアのルドルフ湖の、水平線後方までいたフラミンゴの群れを思い出し、本当にあんな遠くまで行ったのかと・・・。不思議に思うし、いい所だったが二度と来たいと思わない。
牛乳136円。2円「まけてくれない」と言ったら、おばさん知らん顔。
角を曲がったら、ズラリと紋別の街並で、お盆の為か、大売出し中。
靴下680円買って、そのまま町を通り過ぎようと思ったが、お盆だし・・・?
引き返して紋別駅に・・・。待合所にテーブルがある。日記を付けていたが、子供が騒いでうるさい。母親がゲンコツで子供の頭をゴツゴツ。昨日分の日記を付け終わり、町をブラリ。
銀行で通帳を作る。マッチはくれない。プラスチック袋とティッシュペーパー。
もうひとつの銀行と思ったが、止めた。一度に作るとおもしろくない。
港は下にあるが行かなかった。
どこの店も割引き売出しで、俺はクツ屋に行ったが、安いイイ靴があったが、小さいのである。
同じような靴下が、480円で売っている。損したー。
駅に帰り、リュックを担ぐ。ガス、350円。スポーツ店で1人用テントを訊いたら、もう売り切れでないと。
スーパーで食料を買う。重くなるので、買い過ぎないように注意する。トウフが買えない。醤油を日の出岬に置いて来たから、残念である。また、小さな入れ物を探さないと、1192円。
学校のグランド、夏休みで誰もいなく、裸になって、パンにバナナをはさみ食べる。
最近、なぜだか牛乳がおいしいと思わない。
グランドを、日傘をした母子3人が通り横切る。
グランドを見ていたら、走りたくなったが、食べたばかりなので止めた。
残った食料を片手に持ち、歩き始める。
買うのは良いが、持つのが大儀で、北海道はお店がないので困る。
元紋別駅、道路から少し入った所にあり、行くのが面倒臭い。こんな事を思う心が良くないと、駅に休憩に行く。甲子園高校野球、7回戦で池田が3点入れる。
待合所窓のガラス越しに見ていたら、駅員、知ってかどうかその間に立ち、見えないので歩き始める。
元紋別から家がなくなり、例の広さが続く。
今日は曇ってそんなに暑くなく、歩くのに丁度良い。
毎日毎日、チャリンコ、オートバイが通り過ぎて行くが、さすがに本当の本物の歩きには、会わない。
腰が痛くなり、線路に出て座って、パンとバナナを重いので、腹の中に入れる。
地図を見ると小向までスグそこである。
(もう薄暗くなって書きづらいので、明日・・・まで)
(お盆踊りでもやってるのか、民謡が流れてくる)
大きな広場があり、小屋が3軒建って、空きみたいなので行く。
鍵がかかっていたが、窓を持ち上げて外す。何もなし。
電話線があったから、電話でもあるかなと思ったが・・・。
肥料の計量場らしい。それから少し行くと下り坂になり、家並みが見え神社があり、見に行くと悪くない。
駅に向かう。学校前でお爺さんに駅の事を訊いたら、無人でないと。
ビール200円を買って、神社に泊まる事にして、農事試験場玄関に行く。靴をとると、新たにマメが1個。他のマメ、大きくなっている。
玄関前に水道あり、靴下を洗う。寝そべって日記を付けていたが、暗くなったので神社、水を持って行く。
真暗、ロウソクは火を付け、床を拭く。
明日書くつもりでいた日記、ロウソクの炎で付ける。
これからお茶でも作って寝るとするか。
使用金額:2558円
——————————————
11時15分、沼の上駅に着く。同時に列車も
1979年
昭和54年8月17日(金)
窓から真っ青の空が見える。セミの鳴き声とともに昨夜、日記を付け終わって考え事をしていたら、フッとSさんに手紙でも書いてみようという気になり、面倒だったがお茶を飲みながら、鉛筆で下書きしていたら、いつの間にか原稿用紙8枚も書いて、大きなロウソクは半分になってしまう。
2枚ボールペンで書いて、目は疲れ、指も自由が効かないので止める。
多分12時近くまで書いていたのでは。
蚊やを吊り寝袋の中。
朝は例の如く半自動的に目覚め、窓の外に見える青空の美しさに眩しさを覚える。
昨日の書き残りを、古い昔の小学校の杭に向かい書くが、書きづらく字が乱れる。
時間が気になる・・・。書いてばかりで・・・。
やっと書き上げ、中を片付けて外に出る。
神社の中に小銭が散らばっている。賽銭・・・?
昔だったら拾っただろうに・・・。そんな事を思う。
農協、封筒なし。牛乳、アイス168円。1円、余分に払う。
女店員、「1円多いですよ」
「俺の気持ちだ、取っておきな」女の子笑っている。
家が消え、例の樹と草の世界。空は高く晴れ、青空に白い雲が浮いて流れる。
が、しかし、暑く汗がダラダラと体全体を流れる。
ジーパン、気持ち悪い。半パンを送った事、後悔する。
底がスリ減って、足が痛い。網走で新しいのに、買うつもりである。
途中で道路横の小陰に腰を下ろす。牧場の草原が広がり、のんびりとした風景。
店があり、樹陰があるなら、いつまでもここにのんびりとしたくなる気分である。
水がないので暑さに参ってしまう。
11時15分、沼の上駅に着く。同時に列車も。
中で汗を拭き、シャツを洗い、スープを作って食べていたら、暑いのに熱い物を食べるから増々汗が流れでる。
店に、といっても、無人駅の部落だからゴーストタウン。
封筒なく、袋を貰って自分で作る。HiC、アイス160円。
郵便局で封筒ノリ貼りして出す、100円。
駅に戻り日記を付ける。お茶を作ったが何故だかおいしくない。
13:27の列車が今ホームを出る。
しかし、本当にどんな生活なのか、こんな僻地。
国鉄作業員がゾロゾロと来て遊んでいる。赤字、赤字。
昼寝をして出るつもりだったが、どうしよう。
もう13:30なのに、まだ今日8キロ程しか歩いていないのに、もう暑さでバテてしまった。
国鉄作業員に平凡パンチを貰い、ベンチでゴロリと転がり読み終わったら、もう4時近く。
乾かしていたシャツを取り込み、駅を出る。
3:50、次の駅、また暑く汗、汗。線路両側、藪の為か、アブがさす。パチパチと叩きながら旭駅。
シャツを絞ると汗がザァーと落ちる。
思ったより近かった。242号国道下を通り抜け、今度は238号に出る。
腹がヘッているのに、店屋はなく、町まで歩く元気なし。そのまま歩く。
左側に神社あり。鍵を外し、民家に水を貰いに行く。道路真正面に雲が炎色に染まり、きれいな夕映え。スカイブルーの空に、高く舞う美しい雲は形容すべき言葉もない。ただア然とするばかりである。
神社。オートミール、スープ2袋。スープだけでは腹の足しにはならない。それでもないよりましか。歩いて来た汗で、シャツもジーパンの後ろもビッショリ。とても寝袋の中に入れない。
パンツ1つになり、蚊やの中に。
いままで御神前に向かって足を置いた事ないのに、初めて、蚊やの為・・・。
使用金額:328円
——————————————
床丹駅の待合室。西の空に美しい夕映え。とてもじゃないが日記なんか書いていられない
1979年
昭和54年8月18日(土)
疲れで起きたくないが、こんなところに転がっていてもしかたがないので、出て行く。
今日も憎たらしい程、空は青く美しいが、暑い。歩くだけで汗が吹き出てくる。
国道が踏切に交差している所から線路を歩き始める。
休憩したくても、陰がないので歩くしかない。
線路両側にカラ杭材が・・・。しかし、暑さで頭がやられ、とてもじゃないが北原白秋の詩どころではない。
小さな踏切、右側に陽陰があり、やっと休める。
踏切から小路は、真直、サロマ湖に向かって、樹々のトンネル向うに、水青色の湖底がポンと見える。
きれいだと思ったが、とてもあそこまで歩いて行く元気なく、遠くからチャイムの音が流れて聞こえる。
遠い遠いと思っていた芭露(ばろう)の村か、そんなはずは・・・。
そのまま線路を歩くと、バイク、トロッコが走ってくる。
大きな建物、体育館か?それから少し行った所に、プラムがなっているが、手入れをしていないので、実は小さく熟している物は、虫が喰って腐っている。それでも腹がヘッていたので、口の中に出るが、一度紅桃を食べ過ぎ、下痢をしたので、適当で止める。
芭露駅に着いてホッとする。
荷物を駅に置いて、農協スーパーに行ったが、パンもバナナも俺が買える物は何もない。
お盆で問屋が休みの為とか。HiC 1リッター、225円。今日、牛乳1リットル買うと、小さなパック1個サービス。とてもじゃないが牛乳を一度にこんなに飲んだら、それこそカレーライスの元が尻の穴から吹き出してくる。
背の低い、割とカワイイ子が「おはようございます」と明るい声で挨拶する。
「1リッターHiC、冷たいのない?」
「すみません、冷凍庫アイスクリーム用に冷したら、すぐ冷えますけど」
「それじゃあ、また来るの?」
「いいえ、来なくてもいいです」
「アッ、カワイイ顔をして、憎たらしい事、言うねー」
どうせ陽が傾くまで駅にいるつもりだから、冷やしてもらう事にして、日本経済新聞、1月31日付を貰って駅に戻る。
イカ、560円。沢山クズが入っている。安いからイイやと買ったのはよかったが、とても喰えたものではない。酒のツマミであるが、それこそ酒に酔っていないと口に出来ないであろう。
しばらくして、スーパーにHiCを取りに行き、駅に戻るとチャリンコのすごい汚い奴がいる。
銭湯だのなんだの言っているが、半パンツだから、水で洗えるだろうに。
町田で桜美林大学とか。
(床丹駅の待合室。西の空に美しい夕映え。とてもじゃないが日記なんか書いていられない。終わってからにする)
駅の小さな待合室。これが本州だったら、とっくの昔に無人駅になっている所であろうが・・・。
ベンチに横になっても眠られない。
10時頃着いて、1時頃駅を出る。出る時、駅員にイカをやる。
食べているのか、捨ててしまったのか。
また線路を歩いて、足指の豆が痛く大きくなっているのが分る。
線路がサロマ湖畔沿いに出る。家族連れが遊んでいる。遠方に、小さく小さく灯台が見える。
志撫子に着いて店屋。この部落、1軒の店には、何もない。
HiC 1リッターを飲み、30円のアイスを口にしたところではこの体、冷えてはくれない。出るのは汗と銭ばかり。
金の使い過ぎと分かっているが、こんなに水、食べ物がないと話にならない。
丘の上に公園の標識が見えるので、おばさんに、
「キャンプ場もあるのか」と訊いたら、「はい」と。
何がハイだ。
暑くて重くて、痛い思いをして坂道を上ったら、石碑があるだけに・・・。
ベンチに横になって眠ろうとしても、眠る事ができない。頭の中に、色々な事をがグルグルと回って気が立ってしまう。
風が強くビュービューと吹きまくり、涼しい。
いつまでもゴロリとしていてもしかたがないので、ベンチの上で日記を付け始めたが、狭くて書きづらい上に、風がノートをペラペラとめくり、とてもじゃないが書いていられない。止めて歩き始める。
20分も歩いたか、大きな店が数軒ある。
キャンプ場がある為であろう。民宿の看板も出ている。
農協スーパーに行ったら、食べ物客のおばさん連中が、品物を持って待っている。
係員一人が電話をかけている為に、農協前の板にリュックを下ろしたら、そこに座っていた老婆が、
「もう今日はバスないですよ」
スーパーの中をグルグルと回って見ても、食べ物はなく、お盆休みの為か、腐ったバナナが500円の札を付けている。
100円でも払いたくない品物である。
パンがないので、腹のふくれそうで、安い物を買う。
アイス2個、冷たい物がおいしい。幾らでも食べられるが、銭が溶けて消えてしまう。330円。
先の店にパンがあり「これ今日のパンですか?」「はい」日付は17日になっているのに。
テンプラ、牛乳、パン510円。
駅に行く。駅待合室はムッとするので、風が吹く外に座って、食べる。
1リッター飲んだHiCが腹の中で頑張っているのか、パンがスンナリと入らない。
この駅、夜になると駅員帰るらしいが、まだ5時。まずはいつも朝の習慣を、夕方にする。
クソを垂れに便所に行ったら落書きがあり、
「神に見放された者は自らの手で運をつかめ」
この面白い言葉、以前どこかの便所で見た事がある。
地図を見ると、そんなに遠くない所に駅があり、部落の印が付いているので、時間的にも丁度良いであろうと、マメの付いた足で歩く。珍しくカーブの続く道で、生意気に峠がある。
いつも平坦な道なのに、地図では、踏切横に駅があるのにない。
嫌な気分で道路から離れ、線路を歩く。もし先まで進んで、ロク所でなかったら引き返さなければならないから。
駅が見え思った通り、無人駅。
古い昔の水道付。悪くない。ただ窓のスキ間から、夜、電気の光を求めて来るだろう。
線路を歩いて駅に向かっていたら、若い女の子が、ゴミ袋を草原の中に投げ捨てた。
何故あんな馬鹿な発想しかできないのか、頭に来る。
水道が長い事使用をしてなかったらしく、茶色の水。
長い間出していたらきれいな水が出て、体を拭いてシャツを洗う。
日記を書き始め、フッと窓の外を見たら、空が美しく一日の終わりを広がり見せている。
日記を中断して外に出ると、ホームに老婆が一人。腰をかがめ列車を待っている。
風にカヤらしき物がゆれているので、老婆に訊いたら、ヨスと言って、牛、馬に喰わせたとの事。
老婆と話していたら、夕映えを見そこなってしまった。アッという間に終わってしまう。
遠くから列車の警笛が響き、薄闇の中、明るいライトつけて走って来る。
1両のディーゼルがホーム止まる。窓際に中年のわりときれいな女がいて、ジーッと見たら下を向いた。
ドアーが開いて老婆が乗り、ドアーは閉まり、ディーゼル列車一両がトコトコ走り、闇の中に消えた。
風が吹いて一面に生えているヨスがゆれ、波を打つ。
使用金額:2030円
——————————————
サロマ湖だかなんだか知らんが、陽ばかり
1979年
昭和54年8月19日(日)
まずお茶を飲み、古新聞を読む。
まだ6時前なのに、前の店から人声がする。田舎の人は、夜する事がないから朝が早いのか。昨夜、日記を書いている途中、フッとお茶を飲みたくなり、水を汲みに行ったら、全然出てこない。たった今まで出ていた水である。
モーターのスイッチでも切ったのか。頭に来る。
田舎の人間、時々こんなせこいことをするから、嫌になる。
暗くなって駅は、自動的に電気が点く。せっせと日記を書き、外に出ると、夜空に星がバラまかれていた。
いつまでもお茶ばかり飲んでいられないので歩く。
国道をテクテク、風があって、昨日ほどでもない。
富武士。一軒の店は、日曜日の為か閉まっている。遊園地のスベリ台に座って、酒のおつまみ、おかしで腹を満たす?
サロマ湖だかなんだか知らんが、陽ばかり。程々にしてくれと・・・。
湖に小さな船が浮いて、ホタテ貝屋か。
浜佐呂間駅に12時。中に、一人、ベンチで寝ている奴。下の店に牛乳を買いに行ったら、なし。アイス50円。足が痛く歩きたくないが、町はずれの店に、牛乳、みかん缶320円。
駅の隣に農協があり、日曜日で閉まっている。前に新聞、失敬する。
北海道新聞とも、随分長い付き合いであるが、全然面白くない。どんな記者連中か。
みかん缶と牛乳を混ぜていたら、分離してしまった。
一体何と云う牛乳なのか、日本は。しかも雪印である。
3時20分に駅を出て線路を歩く。ジャガイモ畑、トウモロコシ。
駅から20分程の所に野イチゴがあったが、あまりおいしくもない。
線路を歩くと、汗の匂いを嗅いでくるのか、アブがあっちこっち飛んできて、パチパチとこのトロイ虫との闘い。無人駅を2つすぎて、えらい早く着いたなぁーと思っていたら、地図に載っていない駅で勘違い。
また、テクテクと歩いて北見共立駅。
駅は埃だらけであるが、がらりと広く、いつもの駅の待合室は狭いのに、珍しい。
主婦の生活が本棚に並んでいる。どうするか。古い雑誌をペラペラとめくりながら見ていたら、ジン平を着た皮と骨ばかりのお爺が、箱を持って切符を売りに来た。少し話したら、まだ早いし、涼しいから、先に行ったほうがいいと追い出しにかかる。何も手前の駅であるまいに。嫌なお爺である。泊まる事に決めた。
5時30分であるが、日記。本。
足が痛い。急に焦ってもしかたがないと勝手に理由を作り・・・。
民家に水を貰いに行ってドアを閉めたら、バーベキューの焼く臭いがプーンと流れ、もうだめ・・・。
駅に戻ると、女の子二人列車待ち、高校生15才。
一人可愛いので話していたら、憎き列車がノコノコとホームに止まる。
足を洗って、ツブれたマメの治療する。主婦の生活を読み、フッと窓の外、西側を見ると美しい夕映えというか水色の空にポツンポツンと雲が浮かび、黄金に赤紅に染ってウンウンとうなる。
まず走ってビールを買いに、395円。小さなホームに立ち、広い畑の向こうに樹々が並び、そして湖は見えないが、その湖上になるのであろう筆舌しがたいパノラマを広げ、その美しさに、ほとほと感心する。
ビールでホロ酔い気分になる。
日記、日記と思いながら面倒臭く、本ばかり。
時々、外に出ると、ヒヤリとした空気が気持ちよい。
満天の夜空に輝く星の光、我、自然の神秘を感じる。
ベンチを二つ合わせて寝袋を広げる。
顔にタオルを置いていたら、時々停車する列車の音。
フッとタオルを取ると、いつの間にか待合室は暗くなって、ホームのハダカ電球がポッと明るく・・・。
使用金額:765円——————————————
こんなハッキリした虹を目前に見たのは生まれて初めてである
1979年
昭和54年8月20日(月)
6時30分、例の嫌なお爺が、待合室に水をまきに来た。
水をまくのはよいが、俺の靴ヒモまで・・・。濡れてビショビショ。
田舎のばあさん連中3人、九州から歩いてきたと言ったら、汽車があるのに分らん、と。
当たり前、お前さんの頭で分るぐらいだったら世の中おしまいさ。
自分だけ、うまそうにトマトを喰いやがって・・・。人に勧めるようになれば、その意味が分るようになるよ。
お薬を飲んで頭をスッキリさせる。朝、夜明け方目覚め、窓から東の空を見ると朝焼けで美しいが、頭が半分寝ているので、無心な気持ちで見るより寝袋中に入っていったほうがよい。
駅を出ると、自転車で学生連中が通学している。
まだ夏休みなのにと思っていたが、北海道では25日。その変り、冬休みも25日で長いとか。
そうか、もう二学期が始まる季節になったのかと。
川の堤上を歩いて、常呂に向かう。堤の緑の草は夜露に濡れ、朝の涼しさ、清々しさ。
しかし、あの車の騒音は・・・。
常呂に入って地図に載っている近道と思って、吊り橋を渡り反対側に。
しかし、そんな近道はない。多分建築中なのか。
店に寄らず、そのまま国道を歩いて、腹がヘッた。
空は相変わらず高く美しく、なんだか秋の空を感じさせる。
カーブを曲がると、左側に海。右側にジャガイモ畑のグリーン。
そして、熟した麦の穂が風にゆれ、その広さは、半分スコットランドに似ている。
酪農家で水を貰う。靴下を洗、い体もついでに。井戸水が冷たくおいしい。
腹ペコの足で、ヨタヨタと歩く。
地図ではすぐ能取駅があるはずなのに、なく、線路上を歩いて途中、雑木林の中にクソをたれにジーパンを下すと、バァーッとアブが寄ってくる。とても腰を下ろしてクソをタレているどころではない。
空っぽの腹と、クソをタレたい腹、この複雑な腹をかかえ、線路テクテク。
左側に能取湖が見え、寝不足の為か、手がムクンでくる。11:30 am
能取無人駅。パン、牛乳、820円。飛び上がって言う程のおいしさでもなく、腹の中にブチこみ、日記を取り出し書いていたが、疲れてそのままベンチに横になる。
2人の高校生がリュックを背負って来る。扉を閉めるように言ったら、気後れしたのか、外に出て休んでいる。
1:30に、ボャーッとした頭をフリフリ起きて、日記を付ける。
高校生、色々な観光地の鈴を持っている。ひとつよこせと言ったがくれない。
くれないと北海道の人は悪人と日記に書くと言っても同じ。
日記を読んで聞かせたら、笑いこけている。
タバコ買って来た。2本だけ貰う。
15:01 の列車で、彼ら去る。俺は日記を付け終わり、線路を歩き始め、空は厚い雲に覆われ、いつの間にかパラパラと降り出す。困った。涼しくなるのは良いが・・・。
平和無人駅でザァーと降り出し、今夜この駅に泊まる事になるであろうと、食料買いに行く。
周囲に民家、5、6軒しかないのに、店が2軒もある。食料、385円。
トウフを食べ、古新聞を読んでいたら、いつの間にか雨は上がっている。また歩き始め、大きなハッキリした湖上からかかる美しい虹を見る。こんなハッキリした虹を目前に見たのは生まれて初めてである。
卯原内駅に着いたが、さぁー寝る所がない。しばらく薄暗い駅で考え、外に出る。
神社に行く。開ける事のできる鍵でホッとする。
暗い神社の中、新しい畳の香りがする。
ヒックリかえり、何を思うか。
使用金額:820円——————————————
北海道ラーメン、塩味大盛400円。スリバチのドンブリ、400円の価値あり
1979年
昭和54年8月21日(火)
最近、ラーメンばかり喰って、この生活も麺みたいにのび切ってしまったのか。
ラーメンの中に4枚のテンプラを入れ、一応、腹のたしにはなったが・・・。
食事ばかりとは名ばかりの食事後、お茶を作り、ボケーとしていたら、ひとりのバアさんが境内を歩いて来る。見つかってゴタゴタするのが・・・。
バタバタと、一瞬の間に荷物をリュックの中に入れ込む。常はその10倍は時間がかかるのに・・・。
ところがその人、よそへ行った。
四枚の扉、中央2枚だけが鍵がかかっていて、何もわざわざ鍵を開けなくても、他の2枚、スーッと開くのである。
網走まで約14キロ程。緑の続く道路、ガソリンスタンドから新聞を失敬した。
歩けど休憩する場所なく、網走湖畔の樹陰で新聞を広げる。
工事中の橋を渡り、やっと店に出会う。HiC、牛乳、250円。
網走刑務所に観光客が行ったり来たり。俺は、阿呆臭、そのまま素通り。
駅前で民宿ランプのお爺に行き当たり、旅の心得を耳の中にブチ込まれる。
天都山に牧場があり。乗り放題で馬、500円とか。
俺はそんな暇、銭、元気、ないよ。
まず駅の待合室で一休み。
十数年前来た時の駅は、うらさびしい田舎駅だったと思うが、もうその雰囲気なく、新築のモダンな建物に変身。改札口から出てくるは、リュックを背負った旅行者ばかりである。
待合室のテレビを何となく見て、昨日の日記を付ける。
銀行通帳作りがあるが、ジーパン汚れているから、今夜、寝所の事もあるし、色々と変な事ばかり・・・。甲子園決勝戦を見る。なかなかおもしろかった。
駅、トイレで一休み。体を洗って荷物預けたら、駅は200円、下の私営、150円。駅の方が高い。
町通りに靴を探しに。大売りはなく安売りの靴はサイズが合わず、下の店に引き帰すが、その店の店員女の子、全然不親切。訊ねても嫌々の仕事である。頭に来たが、また靴を捜し回るのが面倒で、結局その店で、2500円のスポーツ靴を買う。
軽くて凄く歩きやすいが、底が薄いので、何だか10日しか持たないような感じである。
100円のトマト、安い。久し振りにトマト。北海道に入って2度目。トウモロコシ4本100円。人通りの少ない商店街を通ってラーメン屋に入る。
腹はヘッていないが、北海道ラーメン、塩味大盛400円。スリバチのドンブリ、400円の価値あり。駅に戻る。
トマトを洗ってカブリとやったが、全くおいしくない。どうして日本のトマトはおいしくないのか。百姓連中、手抜きばかりしやがって。
駅前のおみやげやを見て回る。あまりよい物なく、昔、阿寒で見たものより、ロクな物がない。
ペンダントのよいのがあるが、物にしては高い。ある店、13000円の人形を8000円にする。スエーデン送るかと思い、迷う。別の店、13000の木彫、10000円に。荷物になるし船便は・・・。
700円のペンダント1個買う。銭ばかり出て行く。
待合室に戻る。
テレビ、バレーをやっている。後から、男女の話し声。女は岡山らしい。2人ともこの待合室で知り合ったらしく、よそ行きの言葉を使って、テレビよりこの2人の話を聞いていた方がおもしろい。
彼女いわく、北海道は摩周湖ぐらいで、あとは別におもしろくなかったとか。
男はヒッチのどうのかんの。あぁーなんと子供なのかと内心思う。
そんな貧弱な心で物を見ておもしろくないのが、当たり前と思う。
この緑の世界、青空の美しさ、夕焼け、夕映え。
ひとり静かに無人駅。窓から見る一日の終り。
紅色に染め、空を描く夕映えを見た事あるのか。あぁー貧しい人よ。
しかし、人の事は言えないなぁー。昔はオレも同じだったから。
駅売店の女の子、チョット竹下景子みたいで可愛い。
8時、駅を出て公園に行く。
芝園の上に寝袋を広げ、フッと物の気配に横を見たら、真っ黒な犬がのっそり。ビックリする。この犬、俺にじゃれついて、押しても行かない。
寝袋の上で、ヒックリ返ったり遊んだり、横に座ったり、足の裏をペロペロと舐めたり。
行ってしばらくしたら、また引き返しての繰り返し・・・。
胃の調子悪く、吐き気がする。寝付かれず、例によって蚊にアッチコッチやられる。
とんでもない一日に、とんでもない網走である。
使用金額:3520円——————————————2
北浜駅に着く。流氷で有名らしい
1979年
昭和54年8月22日(水)
夜霧の為、寝袋は濡れてビショビショ。お茶を作っている間、小枝にかけ、乾かす。
朝早い公園、昨夜、俺の隣に寝袋に寝ていた2人連れはもういない。
ベンチに、新聞を顔に被せ、ヒックリ返っている一見ヤクザ風の男。噴水横でお茶を飲んでいたら、この一見ヤクザ風の男が話しかけてくる。
福井で板前をやって21才とか。一見30才程に見える。21才にしては礼儀正しく、言葉もしっかりしている。
昨夜2時、網走に着いて3人、車の中に2人しか寝られない為、ベンチで寝ていたとか。
少し話して、銭、和食、人生その他。日記を付けていたら見えなくなる。
日記を付けていたら、陽は高くなり、学生たちが大勢通る
。
日記を書き上げて駅に行き、顔を洗ってシャツを着替え、少し小綺麗にして、いざ銀行に通帳作りに行く。網走信用金庫。中は思ったより大きく、一瞬気後れする。
預金係の女事務員、メガネをかけ、丸顔の赤い口紅した一見可愛い。俺、弱いんだなぁー、あんなタイプの女性。こんな人を見ると、何故だか鎌倉のTさんを思い出す。銀行に置いてある読み物、植村直己のチベット行記を、1時間近く読んで暇をつぶす。
スーパーで買い物、1154円。トマト58円で安い。
街通りの北都おみやげ店に入ると、品物は豊富でないが値が安い。店員さんに聞いたら、一生懸命、うちの店は他の店とは違いますと力説する
この店員さんに負けたのか、12800円の買い物。壁かけ5000円、人形3800円。他、人形3800円。
2つは、後に1979.12.25.24を彫ってスウエーデンに送る。他は兄に送る。
外国に送るといったら、ワイワイと言って珍しそうに、26才のやせた日本的綺麗な人。旦さん持ち。
色々と冗談いっていたが、旦さんと結婚していると聞いたら、ガクッと来た。
真面目な人の良い女で、珍しいのではないかと思う。
外国に送る分は店主人がやって、途中からこの女店員さんと変わる。
なんだかんだと言って、しかし、こんな時に限って時間は、アッと言う間に過ぎる。
海外郵便は本局しか取り扱っていないので、店に預かってもらい、買った食料持って、公園でチキンをガブリ。冷えてしまった為かおいしくない。
公園で1時間程、ゴミ箱から拾った新聞を読みながら、今日どうするか考える。
駅に戻る。NHKテレビ昼のドラマをやっている。
イスになんとなく座って、網走を出る事にする。
150円預かり所からリュウクを取り出し、おみやげ屋に向かう。買った食料が重い。
店に行ったら3人、俺を見て来た、来た。26才の嘘つきおばさん、チラリと目と目が合うが、そう、しかたがないといった感じ。預けた荷物を受け取り、出ようとしたら、もう1人の肥った女の子、ハガキを出すと言ったでしようと、マッチを出す。26才は、今年一杯しか、いないかもしれないと・・・?
長居は無用、さっさと出る。
入口でリュックを背負い、フリ振り返ると、26才が立って見ている。俺、手を振る。
彼女も手を振る。
3年会うのが遅かった。残念である。
郵便局の女係員、外国郵便物(3150円)を取り扱った事ないらしく、もたもたとして30分以上はかかったであろう。思ったり小さい。
網走で、スグ市街を出る。
街ハズレで牛乳、パン200円を買う。歩きながらパクつく。
一路、摩周湖を目指す。地図を見る度、どの道を行くか迷ったが、摩周周りが良いのでは・・・。海岸沿いに歩く。駅で休み、さてどうする。
この無人駅、きれいな花が咲き乱れている。作った預金通帳見て、変な事を始めたものだと・・・。
あの店員さんの顔がチラホラする。旦さん持ち、残念。
途中から線路を歩く。藻琴を過ぎた右側丘の上に、神社が見える。あの神社だったら夕映えが美しく見えるだろうなんて思ったが、寝るには早いのでそのまま線路を歩く。
後から貨物列車がゆっくり走ってきて、窓から若造が、「バカ野郎」とどなる。
ムカッと来た俺、相手をジロッと見たが、そのままで列車は遠ざかる。
そばにいたらきっとケンカしただろう。めったな事に恐怒しないのに、何故だか。
北浜駅に着く。流氷で有名らしい。前が渚の続く砂浜で、一見する価値はある。
駅前に看板あり。東藻琴温泉ユース。静かな所と書いてある。ユースブックと地図を見比べ、行くことにして電話をかける。明日泊れるとの事。結局、また藻琴向かって引き返す。
往復4キロの損である。
フッと、人に4キロの損なんて言ったら、人はセコイなんて思うだろう。しかし、本当に分る奴は・・・なんて。
来る時に見た神社に泊まる事にして、後側ジャガイモ畑を通って行く。神社は、大きな鍵がかかり開けられない。縁台にポンチョ、寝袋を敷く。周囲、草ボーボー。
夕焼けが美しいが、日記の方が忙しく、途中暗くなりに、日記を止める。
使用金額:18014円——————————————
道ゆくあるバス停の名が、荒木さん前、中山さん前、後藤さん前とか、その人前専用のバス停である
1979年
昭和54年8月23日(木)
遠くから,、打ち寄せる波の音が聞こえる。
昨夜も蚊に悩まされ、蚊やを顔にかぶせていたが、鼻がおかしいので触れたら凄く腫れあがり、ズキンズキンとしている。その他、大勢の脇役の虫連中が、アッチコッチ、俺の肉体を触りに来る。これで虫がいなく、ノンビリと気兼ねなく、夜空の空を眺めていられたら最高だか、現実は虫との戦いである。
朝、目覚め、寒いのに、一瞬寝袋から出るのにためらう。空は青空だが、透き通ったヌケるような青空ではない。草がボーボーと茂る坂を下り、道、道。藻琴駅前の道を左側に曲がる。
店で、HiC、パン、360円。時間、7時5分前である。荷物が重くて汗が。しかし、そんなに暑くないと思う。
部落らしき部落なく、ポツンポツンと家が建つだけ。
廃校になった豊栄中学で、お茶を作って休む。
水を貰いに行った民宿、彫物をやっていて、品を見たがうまいとは・・・。
行けども行けども続く緑。これで人間の歴史があるなら。
途中から暑くなり、農家で水を貰う。おばさん、庭でセメントをこねくり回している。
水道でシャツを洗っていたら、洗面器を持って来てくれる。井戸の水が、冷たくておいしい。
陽陰で拾った平凡パンチを読む。時間、さっぱり分らんが、東藻琴へ。
村といっても。たいした村だ。
農協スーパー、1150円の買い物。明日、末広から川湯で26キロ。地図では山の中道。その分まで食料を買い込む。買ったのは良いが、凄い大きさと重さにウンザリ。
街のお寺の階段で、コロッケ5個550円、豆腐1個70円を食べたら、もう腹いっぱいで、肝心の荷物は全然へらん。寺前で1時間程、平凡パンチを見ながら暇ツブし。洗濯石鹸を買う80円。村を出て一路ユースへ。
道ゆくあるバス停の名が、荒木さん前、中山さん前、後藤さん前とか、その人前専用のバス停である。川が流れ、フット水遊びをしたくなり、下に降り、川の中に足を入れて、冷たいこの気持ちの良さ。
HiC1リッターを石ではさみ、川底に冷やす。流れは、フッと昔、スウェーデンでヒッチしていた時、雨が降ってきて、橋の下で雨宿り。その時の事を思い出す。周囲の風景は全く違うが、川の流れだけを見ていると・・・。
川岸の小石の上に腰をおろし、カン缶を1個あける。1個でも腹の中にツメ込み、軽くしたい魂胆である。HiC飲み終わった空ビンを川の流れに流すと、ユラリユラリと流れて、フッと遠ざかるビンが哀れに見える。
ユースに2時40分着き、時速4キロの速さで歩いている。
まずゆっくりと温泉につかる。広い風呂にひとり、最高だね。これで千円は安いよ。中であまりゆっくりし過ぎて、のぼせてしまう。
窓は、大きなガラスが外から丸見えと言う事は、女湯は・・・?
洗濯を聞いたら、無料機に洗剤。これだったら石鹸買う必要なかったのに・・・?
部屋の中がいつの間にか、ハエでいっぱいになる。日記を付けるのが一苦労である。昨日分もだから。夕暮れになると、ホステラーが来る。計10人程?
普通、北海道は混んでいるのに珍しい。もっとも僻地・・・?
しかし、静かで良い所だったのに、他のホステラーが来てうるさくなる。
野と山に囲まれた静かな村営のホステル、悪くない。
日記にスタンプを押しに行った時見た夕食、大きなカニの足。食事も悪くなさそうである。
使用金額:3210円——————————————
納沙布岬に行くがどうか迷う。もうすぐ9月
1979年
昭和54年8月24日(金)
習慣とは実に恐ろしい。目覚時計を見ると4時、いつもこの時間に、俺は目覚めていたのか。
朝食なし。出るからどうするか迷っていたが、結局いる事にする。どっちにしても裁縫をしながらしなくてはならないかな。
部屋に閉じこもりっきりで縫い縫いまくり、指が痛くなる。
1日中外に出ることなく、穴だらけのジーパン、これもこれを見てもう限界だ。新しく買おうと思うが、荷物になるのが。
かわいい女の子、2歳ほどの子がちょこちょこと遊びに来る。
まだ言葉をしゃべれない。
このユース、この夏300人ほど泊まったとか、恐ろしく暇な所。
食事はサシミ、かに、ホッケ、海老。フライ、味噌汁。
腹いっぱいになり食いきれず。文句なしである。
今日はひとりきり。3人女性予約があったとか。来ない。
夕方になると、土地の人が風呂に入りに来る。
昼、明日2日アルバイトを頼まれたが、結局明後日からになると。別の人を探すことになり、断ったのか断られたのか、ホッとする。
考えてみれば、去年末、仕事辞めたきり全然働いていない。
よく銭があるものだと思う。
納沙布岬に行くがどうか迷う。もうすぐ9月、秋になるであろう。
フォトを見て落ち着いた時、この雑誌を購買したいと思う。
今日、なぜだか全然書く気がしない。
肉体的疲れより、精神的に何か圧迫を感じる。
10時頃であろう。
また野宿の連絡になるであろうから、ぐっすりと寝たいが、慣れで、スグ目覚めてしまう。
使用金額:2000円
——————————————
藻琴山に登らないで行くのは、北海道に何しに来たか分らん
1979年
昭和54年8月25日(土)
やはり布団の上に寝るのは、安心して眠る事ができる。蚊の心配もしなくてよいし。
朝早く目覚めると、荷物をまとめる。まだ早い。
誰もいないので、静かでよかった。
ロビーはカーテンが閉められ、ひとり本を読んでいたら、7時30分。別のお爺さんが朝食を持ってくる。こんな広い所にテーブルだけの食事。全然気分のらず、ぬるいお茶をいっぱい飲み、食器を洗って8時40分、ユースを出る。
夫婦と子供、
「また来てください」
緑だけの何もない所だったが、何か良い本でもあれば、休憩するのには最高だと思う。
ポツンポツンと建った酪農家。道々になるのか、交通も少なく、カラマツ林と牧草の丘。
道路は段々と高くなり、所々ブルトーザーの音がする。
林を壊して牧草地を作っているらしい。
一台の車が止まり、乗らないかと。一昨日は3台止まったが。
田舎道のほうがよく止まるのか。
断るのが大変で、相手が気分を害しないよう丁寧に・・・。
道が登るにつれ、下界に視野が広がってくる。
ドライブイン、客がいない。僻地か。展望よく、海が真下に見えるのに、歩くとこんなに時間がかかるものか。
ドライブインで水を貰う。これが最後の家とか。
山を登るにつれ、白樺、カラ松林と風景が変わり、雄大な景色になる。
途中から舗装道路も終わり、ジャリ道。靴が心配。
時々通る車は、凄い埃を巻き立て、俺を包む。
頭に来る。人が通っているのに、静かに走る気持ちを持つ事、できないのか。
深い山谷になり、こんな地形は、本州では北アルプス高山地帯に行かないと見る事できないであろう。
2時間程歩いて、キャンプ場の掲示板。沢に水の流れる事。
深い谷に巨木が繁り、スピーカーからヘタな歌が流れてくる。
誰もいないと思ってか、歌いまくっている。キャンプ場で休み、地図を見ると、森を通って道路に出られそう。埃道に頭に来たから、少し遠回り道でも、森の静かな所を通ろう・・・。
入山名簿を書きに管理小屋へ・・・。
中に入ってお爺さんの話によれば、藻琴山に登らないで行くのは、北海道に何しに来たか分らん。荷物を置いて登ってくださいなと。時間気になったが、まぁーもう来る事もないであろうと、水を持って登る事にする。
最高記録は45分とか。俺は39分で、途中走って登る。
登るにつれ、下界は広がり、不思議な青さを持つ屈斜路湖が真下に見え、最高の晴れた青空の下に見えるのは自然界だけ。森の中に小さく川湯が見える。
誰もいないであろうと思った頂上に、ひとり、おにぎりを喰っている。
ハイヤーの運転手とか。残ったおにぎりを貰う。うまい
その後、弟子屈の郵便屋がヘルメットをかぶって来る。
3人で話。1時頃、山を下る。
頂上から360度の展望は、これ、筆舌しがたく美幌峠が見える。13年前あそこに行った時は、霧雨だった事を思う。ひとり静かに、昔の事を思い浸りたかったが・・・。
キャンプ場まで降りる時、このまま川湯に行ってもおもしろくない。
この頂から陽が沈むのを想像した時、途中、山小屋風の展望台もないし・・・、泊まる事にする。
キャンプ場まで降りると、お爺さん、腹がへっただろうとジャガイモをくれる。
どうせ泊まるとなったら暇なので、お爺さんの話の相手になる。
この水は日本一うまいなんて言っているが、確かにうまい。
3時、古い週刊誌二冊もらい水を汲んで、また上に登る。
こんどは重い荷を背負っているのでヒィーヒィーである。
小屋に付いて、上で雑誌を読んでいたら、子供連れが登って来る。
陽が傾くと風の為か寒く、シャツを着てヤッケを着る。
ななかまどが、少し紅に色付き、もう秋の気配を運んでくる。
小屋中でピーナツを食べ、水を飲んで腹をフクらす。網走で買った食料である。
陽が山の陰に沈み始め、ひとり雑誌を読んでいたら、登山者がゾロゾロ。
上に登るのかと思ったら、せっかく掃除した所、ドカドカと入って来る。ここに泊まると。ガッカリ。
皆で6人、登山仲間らしい。釧路から税務署。
ジンギスカンが出て、ビールの冷たい奴。しかしピーナツで腹がフクれているので、食べるのに一苦労で、食い意地張り、無理して食べる。キャベジンを飲んで奮闘。ピーナツを食べてた事、後悔する。
皆、気さくで冗談ばかり。東北と違って、言葉が通じるので助かる。
夕映えは中止。食べる事に専念する。皆、すごい荷物を背負っている。
おにぎり、卵焼き、タラ、ジンギスカンの汁で作ったうどん。
楽しい一夜で、こんな団体生活もいいなぁーと思う。
日記を付ける時、はてな、これは26日朝。
皆が出て行った時、ひとり残り、小屋で書いたが、昨日の天気が嘘のように曇り、風が冷たく、もうきっと秋の気配を感じる事ができる。
風の音がビュービューと鳴る。
使用金額:0円——————————————
起きて窓から斜里岳を見ると、真紅の色に染めた雲
1979年
昭和54年8月26日(日)
昨夜6人のうち、1人だけ60才程のお爺さんが、早朝、呼ぶ。俺も寝袋から飛び出す。起きて窓から斜里岳を見ると、真紅の色に染めた雲。
夕焼けとはまた一風違った美しさである。
全員起きて、ただ御来光を待つが、雲の中なのか陽の姿は表さない。
外に出ると外気はヒヤリと冷たく、もう秋である。
下に屈斜路湖、半分は雲海に覆われ、
朝の静けさは不思議な程、秘められた自然の雄大さを見せつける。
正解だったと思う。ここに一泊した事は。
ただ一人きり、孤独であったならと残念でもある。
朝4時30分頃起きて、真紅の朝焼けを見たが、御来光は見る事ができなかった。
皆、クソを垂れたり、その汚い手で食事の用意をして・・・。
米の飯炊いて味噌汁、缶詰、食事を済ます。
彼ら全員、山には上らず帰る、と云う。
朝の9時からソフトボール大会があるとか。
朝からお爺さん、焼酎をあおり、若者はビール。
まぁー忙しいと云うか、忙しい事と云うか、見ている方が心配だ。
大層なカッコウしてわざわざ食事をしに来たのか、全く御苦労さんでした。
お爺さんのカメラを手渡す時、カメラをナベの汁の中にドブーン!
お爺さん、何も言わないが、ブスッとして!!
落とした本人は、別に悪いと思っていないのか・・・。
おもしろい連中である。
全員、斜里岳をバックに写真を撮って、後でまた大層なカッコウをして山を下る。
俺は小屋に残って、昨日分の日記を書く事に。
ドンヨリとした曇り空を見て、日記を書くが、手がむくみ震えて心、臓がチクチクと痛む。
書く気しない日記を無理に書いて、全員の事を考える。
川湯まで約18キロ。昼間着いて、摩周湖には行けない。
お茶を作ったらおいしくない。もう風味が逃げたのか。
彼らが置いて行った一升ビン酒を、ラッパ飲み。
いつまでもここに居てもしかたがないので、山を下る。
ハイ松の間に道はあり、下りると、ジャリ道ニ出て、
ハイ松、ダテカンバ、白樺の巨木、熊笹のジュウタン。
緑の世界の中を・・・と、書きたいが、時々通る無神経な車連中が巻き上げて来る埃に、もうウンザリである。
下まで降りて来ると、ラジオの気候天気は当たった。
昼から晴れたが、オホーツク海を歩いていた時みたいに、汗はビッショリとかかない。
歩きやすいが、体がむくんで、だるさを感じる。
広く牧草地の緑の中に、ひとり、朝の残り飯、缶詰と一緒に食べる。
うまいと思った。同じひとりでも、この広い空の下、緑の中に遠く牛の群れが遊び、環境が違うと、こうも飯の味が変わるものか。
川湯に1時半頃着いて、川湯野村ユースに電話する。
電話の応答に不愉快になる。行くべきかどうか迷う。きっと学生ヘルパーかと思う。
駅に着いて、駅前で牛乳を買ったら160円。140円の牛乳である。
160円かと訊ね直しても、そうだ。量が多いかなと。ババアにして・・・、嫌だ嫌だ。これも不愉快。
不愉快だから、どんなユースか見に行く事として、ユースに着いたが、まぁーユースの顔汚しだ。
頭に来る、この小僧達、ユースを遊び場にして、俺の会員証を見ると皆、ワァーワァーと騒いでいる。酒ビンが転がり、室は汚く、掃除はメチャメチャ。彼と話しするのも不儀である。
この日記、始め横書きにしていたが、線の幅が狭いので、途中スタンプを押したページを破り、書き直した。このノート、50円で売っていたが、あのババアー。考えてみると頭に来る。
今日の朝は良かったが、昼からどうも不愉快な事ばかりである。
夕食、朝食を頼まなかったが、食料を買うにしても、あのボリやがる店で買うぐらいならと止めたが、さて明日は店のない道、21キロ歩かなければならない。
嫌だ嫌だ。最近の若者は、本当に道徳観念の欠如だと思う。
ガキどもめ。修行と言うより、なんと言っていいのか分らん。
峠を下ってテクテクと歩いていた時、横上から声がする。振り向くとバスである。
「乗せてあげるから乗りなぁー」と。丁寧に断る。
多分このバスではないか、昨日キャンプ場のお爺さんが話していたバスは。
爺さんがバスで来る時、歩いている俺を見て、バスの運転手と話して、乗せる乗せないの話をしていたとか。色々な車が乗れと止まったが、バスは想像する事もできなんだ。
藻琴を通を下る時、すれ違った中年登山部隊1年。酒の事を話して飲むように言ったら、また、川湯でバッタリ会い、挨拶される。
この帳面、凄く書きづらいので、縦書きにしたら全然書く事ができない。これではアッという間に終わってしまう。
こんなユースは潰すべきである。
使用金額:1310円
——————————————
摩周湖に行くか、弟子屈に行くか迷う
1979年
昭和54年8月27日(月)
朝、空が曇って、ある奴が「雨が降っている」と呼ぶ。人の話に依ると、台風が近づいているらしく、今日は雨とか。迷う、連泊するかどうか。
網走で買ったビスケットを口に入れながら。
しかし、こんなユースに連泊するくらいなら、出て歩いたほうがましだと、小雨の中を出る。
摩周湖に行くか、弟子屈に行くか迷う。
雨が降っているのに摩周湖に行っても同じだし、かといってこのまま素通りもなんだし。
鉄道踏切で10円玉を空に投げて、表が出たら線路を歩いて弟子屈、裏は摩周と。
10円玉を空に投げ、出たのは裏である。
その時、摩周方面から自転車が来るので、摩周の様子を訊ねたら、昨夜テントを張ったが、雨と風で凄いとか。それでは行ってもしかたがないと、小雨の中、線路を歩く。
雨は強くなく、霧雨みたいな感じで、雨に濡れた緑の繁る樹々、草花が美しい。
淡紫色の花。こんど、野花の名前を勉強しようと思う。
線路両側に色々な花が咲いている。
足どり軽く、調子がいいと思ったが、運がいいと言って良いのか、美留和駅まで来たら、ザーッと降り出す。
駅の待合室でリュックを降し、店に行く。
牛乳165円である。頭に来る、田舎の店。
この調子では今日中、雨は降り続くだろうと、暇つぶしの為、手紙でも書くかと便箋を買う。計625円。郵便局で記念切手、1020円。
駅に戻り、岡山に手紙を書いていたら、雨に濡れた奴が入って来る。
靴を見ると、キャラバンをはいている旅行者。
こんな田舎駅、何もないのに。摩周湖に行こうと思ったが、雨で引き返して来たとか。
神奈川県平塚とか。貧しいパンを食べているので、バナナをやる。
周遊券で来たとか。12時31分で網走に行く。
俺は雨だからと列車に乗る訳には行かないのである。
岡山のマコに便箋11枚書く。始めは平和にでも書くかと、ただ何気なく書いていたが、内容がどうにでも受け取れるので、マコ宛に途中から書く。
外は段々と風雨が強くなり、ビュービューと渦巻いている音がする。
この小さな駅に二人も駅員がいる。
待合室に時計の刻むコチコチと言う音が響き、ベンチの横になっているだけで刻々と時間が過ぎて行く。
腹がヘッて、パンを買いに。ブドウがある。季節の果物、イヤイヤこんな物を買うるのは贅沢だ。イヤ、これだけだ、と、結局買う。一房230円である。計715円。
今日、8キロ程しか歩いていないのに、金を使ってばかり。
手紙3通、ハガキ1枚書いて、あとは貰った古新聞を読む。頭がボーとしている。
夜になって冴えて来た。
一人残っていた駅長さん、紙を持って来て、もし今夜ここに泊まるなら、住所、名前を書いてください、と。
しかたない・・・。俺のサインをくれる。
7:00 pmになると、駅長さん帰って無人になるらしい。
現在20:50 pm、美留和駅待合室。朝からもう11時間も過ぎた。
雨はガラス窓を叩きつける。
風と時計の音。
晴れてくれ、明日は。
使用金額:2360円——————————————
久しぶりである。30キロ以上歩いたのは
1979年
昭和54年8月28日(火)
夜が明けるとともに目を覚まし、寝袋の中でウタウタとする。
5時30分、寝袋から出て、5時40分、駅を出る。
昨夜、9時30分頃、二人の男が駅に泊まりに来る。軽自動車で回っているとか。朝、その一人、台の上に置いてあった小銭316円を見つけて、どうする、山分けするかと言う。
俺はいらん。それは良心の問題だ、と言って駅を出たから、その後一体どうなったか。
昨夜の台風が過ぎ去ったのか、曇っていても、青い水色の空が少し顔出し、雨は降りそうでない。
心配する事なく、線路歩き始める。
最近、まともに歩いていないせいか、今日は調子が良く、気温も涼しく、もう秋が静かな音を立ててやって来る事を、肌で知る事が出来る。
この季節の速さ、北欧と同じだ。
弟子屈駅に8時50分着。駅内に、旅行者がゴロゴロと列車待ちをしている。
朝まだ早い為か、店はまだ開いていない。
列車が入ると旅行者がいなくなり、通学生が改札口から出て来る。もう黒い学生服である。
ひとり待合室に座っていたら、ボサボサ頭の男が話しかけて来る。
この男、大阪から来た女と一緒に、ユースで会ったらしく、オートバイで阿寒に行く。
男も女、まぁー似たり寄ったりのイモ達。
パン、牛乳、ハガキ、340円。弟子屈駅で1時間休み、歩き始める。
線路を歩き2時間、南弟子屈。途中、右側に水量多い釧路川の流れ。イイ川である。
南弟子屈駅に着いて一休み。話し好きの代休用一日駅長、一時間余り、ひとり独談。
前に二軒、店は閉まっている。水を飲んで腹をフクらます。
12時1分の列車後、また、線路を歩く。荷物重く感じるが、靴が軽い為か、足は快調に進む。
磯分内、13時30分。ピッタリと時速4キロの速度である。
思ったより大きな駅で、店屋も多い。牛乳、145円。どうして高いのか頭をヒネる。
食料、665円。駅に戻り、腹ごしらえ。
腹いっぱいになったら、急に眠気が襲う。ベンチに横になったら、急に寝込んでしまう。
15時、目覚めたが、まだ半分寝ている。まだ眠たいが、いつまでも寝ている訳には行かず、モタモタと15時30分駅を出る。もう暑くなく、涼しい風が吹いて来る。
風はもう秋の便りを送って来る。
腹がいっぱいなのに、また、スーパーに入り、牛乳、バナナ280円。ガス350円。急にまた荷が重くなる。
今日は1.5リッター牛乳を飲んだ事になる。
地図を見ると、道路を歩いたほうが良いので、道路を歩く。町端に町会館が建つ。その玄関口に札がかかっている。
「農村花嫁相談」
この小さな狭い世間での生活、一体、人間の生きるとは何なのか?
行けども酪農地ばかり。途中、バスから一人の女の子が降りて、俺の方向に来る。俺もジーッと見ているので「こんにちは」と言ったら、ニコリと眩しそうに行ってしまう。
右側に広い牧草地。その間にカラ松林並木。日本よりも西欧的感じである。
高等職業訓練所の札。この牧草地が続き、終わる事。
目前に標茶町が見え、山陰の向側に陽は沈み、山の上を紅色に染める。
高校生の退校、ジャージを着た数人の女の子達が下校している。
役場の時計は17時5分になっている。距離的にすると、あの時計、1時間遅れているハズ。人に神社を訊ね、寝られるかどうか知らんが、行くだけ行ってみる。
赤いジャージを着た女の子四人。その一人、神社に鈴をガランガランと鳴らし、何か拝んでいる。何を拝んでいるのか知らんが。その後、扉を開けてみると鍵はかかってなく、畳が敷いてある。
日記を1ページ書いただけでもう暗くなり、ノートを閉めて、薄暗くなった神社の中、静かに天井の上を見ていたら、鈴虫のなく声が聴こえて来る。
久しぶりである。30キロ以上歩いたのは。
やっと本来の調子に戻ってきた感じである。
しかし、疲れたのか、そのままスーッと眠りの中に落ちこんで行く。
使用金額:1635円
——————————————
樹々の中に、ゆったりとした流れの釧路川が走る
1979年
昭和54年8月29日(水)
目覚めると窓からオレンジ色の光が差し込んでくる。
夜明けだから、どうするか。お茶でも作っていくか・・・、なんて考え、寝袋の中でユッタリとしていたら、ガラッと扉が開き、一瞬にしてその姿を見たら、半分ボケていた頭が冴える。
古式姿に身した神主である。
目と目が合い、とっさに寝袋の中から、おはようございますの挨拶。ほんとに早い。
こんなに早く人が来るとは思いもしなかった。
神主、ジロツとした目で、ダメではないか、こんな所に断りもなく寝ては・・・。
ハイ、すみません。夜遅かったものですから・・・。
神主、太鼓をドンドンと叩き鳴らし、その間に何やらブツブツと拝み始め、俺はその間に寝袋を巻いて、一瞬の内にして荷をまとめ、外にリュックを出す。
拝が終わると同時に、正座して深々と頭を下げて「すみませんでした」。
「学生か」
「イイエ、違います」
「ヒッチハイクか」
「イイエ、歩きです」
「宗教的なことか」「いいえ違います」
「何か目的があるのだろう、その顔は何か目的のある顔だ」
「ハァー、チョット深い訳がありまして」
外に出ると、ビッショリと濡れている。夜霧。
もう夏の終わりだと思った。まだ早い、人通りのない小さな町通りを抜ける。
店の前にビニール袋が落ちている。寝袋を巻くのに丁度よいので拾う。
1時間程歩いて、釧路川の堤で、昨日の残りパンとバナナを食べる。
広い緑は朝つゆに濡れ、清々しい朝を思い馳せる。
やはり北海道ではの朝である。
堤の上を歩いていたが、歩きづらいので道路を歩く。
五十石駅、7時30分着。
駅長が旗を持って、飛んで跳ね回っている。
電気の故障で、信号がつかないらしい。
この前に民家2軒だけ。「この駅で切符は売りません。列車内でお求めください」の札。
十分程休憩して、また線路を歩き始める。
茅沼駅に着いて、その前に、線路上で国鉄作業員の年寄りに会い、これから釧路まで歩いて行くと言ったらビックリしているが、九州から歩いてきたといっても、ピンと頭に来ないであろう。
この駅も切符を売らない。マンガの本が置いてあるまで。
駅前、一軒の店で・・・と、思ったが、こんな僻地、店があるのが不思議で、
「こんな所で店をやって儲かるのかい?おばさん」
あった方が便利だからあるだけですよ。アルバイトみたいなものですよ。
切符、切手、何でも売っている割には食べ物がない。
パンは3個だけ。しかたがないのでお湯を貰って、激麺を駅で食べる。計490円。
駅で3時間近く休憩。列車が止まる。女の子2人が降りて写真を撮っている。旅行者、こんな何の心配もいらない汽車の旅行もいいなー、周遊券安い。駅にマリ藻が置いてある。始めて見た。
駅の外のベンチに腰かけると、前が緑の草原。
空はもうあの澄み切った青空ではなく、水色に近い青空に白い雲が浮かんで、アァー、夏も終わりだなぁーと思う。
こんな空を見ていると、心がユッタリとしてくる。
歩いている時見る空と、座ってユッタリと見る空は、また感じ方が違う。
12時頃に駅を出る。
茅沼町営温泉で朝風呂と思って来たのに、300円の入浴料とか。値段聞いたらもうよい。
店のおばさんの話によると、山の中にボーリングして、湯が出したままの温泉があると言う。
教えられた通り、道路を横切っていくと、土堤たつ山道を500メートルほど行った先に広場あり。
その谷の下が1メートルほどの草が繁る中に、パイプが二本あり、そのパイプから水が流れ出ている。
一本は、ぬるいが、もう1本はちょうど良い加減で、タイルの風呂が、青い空の下に、温水をたたえている。
服は脱いで、ザブーンと浸る風呂は、周り時々アブが飛んで行く。樹が一本立り、湯につかって上を見上げると、青空に白い雲が、最高の気分・・・。
風呂から上がり、歩くと、ノドが渇く。イオウ強く、ムセる。
道路を歩く。茅沼の横を通り、沼には水鳥。冬は多くの白鳥が来るらしい。
道道だからか、交通量が少なく、家もなく、湿原地らしい雰囲気。
それよりも腹が減る。坂を上り、下った正面に、塘路湖と部落が見える。
坂を下りきったところに、展望台の標識が立つ。
樹々繁るトンネルの坂道を、心臓かきならし、こんな苦しい中、登らなければよかった・・・。
展望台の屋根の上に上がると、湖、釧路温泉が外界に見える。この展望に、夕映えを想像した時、一瞬考える。水と食料・・・。
しかし時間的なことを考える時、しかたがない。
清々しいそよ風に吹かれる時、この青空が目に眩しい。
この広い自然の中に、ポラリと塘路の部落が下に見え、こんな所に、一体どんな生活があるのか、全く不思議に思う。
塘路に入り、まずリュックを駅に置いて、郵便局へ。
日記を送る、500g。たった500g、もっと重い感じがするけれど、一体あの荷物、幾ほどあるのか、300円。
人通りのない寂しい駅前店、510円。アイス買って、少ししか食べていないのに、落とした。クヤシイー。
駅で日記をつけていたが、5時。もう出ないと、細岡には夜になるので、歩き始める。
この駅、生意気に急行が止まる。
うっそうと繁る低い樹々の中に、二本のレール。
陽が傾斜して低くなると、急に温度が下がって涼しくなる。
時々何の動物か、遠吠えが聞こえる。
熊かと思うと、あまり良い気分はしない。
俺も時々、大声を出す。線路がグルグルと曲がり曲がって走っている。
西の空がオレンジ色に広がり、美しくあの展望台から見ることを想像した時、残念でしかたがない。
夕映えは、上の部分だけしか見えず、下は樹々の為、どうすることもできない。
凄い横に広がる夕映えで、こんなものは見たことなく、一部だけしか見えないのが、至極、残念。
樹々の中に、ゆったりとした流れの釧路川が走る。
カヌーで下ったら、面白いだろうと思う。
どのくらい歩いたか。線路の右側、湿原の中に、廃屋が1軒。こんな所にどんな生活をしていたのか、不思議に思う。それは道がないからである。
それから少し行って、大声で「メリヤー」と叫んでみたら.、犬のワメキ声、二匹。暇だから、俺も犬の鳴き声して応戦する。
この家も不思議で、道がなく、どうなっているのか。
薄暗くなって、列車専用信号が見える。
薄暗くなったら闇の中に、赤い色。
細岡駅に着くと、車の連中が池で水をもらっている。
駅裏側より入り、駅長に泊めてくれるよう頼む。
毎日、いろいろの連中が泊まりに来るらしい。
運転専用駅である。
奥さんが飯を持ってきて、夫婦で話している。
入ってお茶をもらう。
コーヒー、奥さんが入れてくれ、後で自分で作ったトマトだと、大きな水玉のついたトマト。北海道に入った2度目のトマト。しかし残念なことに、おいしいとは・・・。
いろいろ話して8時。待合室に行き、寝袋を敷く。駅前に三軒、民家があるだけの僻地。昭和2年9月15日、この駅ができたらしいが、昔は木材の産地だったらしい。
この三軒の中の一軒が店屋。ビール、激麺にお湯をもらい、腹を満たす。
駅長さん、気持ちの良い人で、珍しい。モチを差し出す。
待合室に置いてある女性セブン、女性自身を読む。
タオルを頭にかぶせ、寝袋中に入る。
タオルをとったら、いつの間にか電気は消え、真っ暗になっている。
外に小便に出ると、冷たい外気に、空は星でいっぱい。
静かな夜だ。
逃げた牛、どうなったかなぁ。
使用金額:1690円
——————————————
今日は釧路に泊まる事にして、距離20キロ
1979年
昭和54年8月30日(木)
6時、昨夜とは違う別の駅長がやってくる。待合室の戸を開けると、冷たい外気が顔を冷やす。外の茂みは霧がかかっている。農家のばあさん、朝が早い。昔はもっと人が住んでいたらしいが・・・。
今日は釧路に泊まる事にして、距離20キロ。特に急ぐ必要がないので、待合室で女性セブンを読む。
駅長さん、事務所の中で歯を磨いている。俺も暇なので歯を磨く。
ノンビリとしたもんだ。
8時、まだ少し寒い。駅長さん、ホームを掃いている。
線路を歩き始める。腹がグーグーと鳴る。
ガスは、買ってまだ一度も使用していない。しかし、駅の中で火を使う事は、気が引ける。お茶のいっぱいでも口にして出れば、元気ハツラツと気分的に頑張る事ができるのに。
朝遅く出た為か、今日はあまり調子が出なく、足取りは重い。
茂みが終わり、右手に緑の草原が広がる。もう随分歩いた。遠矢まで、もうすぐそこであろうと思っていたら、線路で作業している国鉄員に出会う。
お爺さんタバコを出して、火を貸してくれ。俺はタバコを貸してくれ。
一日、一、二本しか吸わないのに、何故か止める事が出来ない。
俺ってこんなに意思が弱い男なのかなぁー。
話に依ると遠矢まで、まだ4キロあるとか。
ウンザリである。
線路に沿って走る道、農道を歩く。
やはり線路より歩きやすい。
左手、山に岩保山展望台、約1キロ。登ると釧路湿原が一望できると言うが、今日は全然その気にならない。その気になると登のだが。
向うも遮る物がない。草原の向うに、釧路の街が見える。
遠矢駅に10時着。駅長がハシゴをかけ、絵を掛け替えていた。
この駅も切符を売っていない。売っていない為、よっぽど暇なのか、駅は掃除が行きとどいている。
まず店屋に飛び込む。オォー珍しくポンジュース。360円、では・・・。一瞬迷ったが、贅沢でない、これは体の為であると自分に良いように理由を作り上げる。計660円。ホッケのフライ、コロッケ、パンがあったが、さすがにもう限界。パンの顔を見ると胸がむかつくのである。
この根性が無駄遣いを多くしていると分っているのか。
待合室にマンガ本が少し置いてある。
ちょうど良い暇つぶしである。このまま早く釧路に着いても・・・。
4人の女の子、旅行者がリュックを背負って来る。ブスばかり。彼女ら駅に荷を預け、何処へ・・・。
俺は待合客でゴロゴロ。時々ホームに出て踊り?運動の代り。漫画も終わり、する事がないので、昨日の書き残し日記を付ける。ベンチを動かし荷捌台を机に書いていたら、駅長、笑っている
。
昼、ユース会員証修理の為、セロテープを借りに事務所に入ったら、ちょうど昼飯の食事中。駅長の奥さんが運んで来たのか、弁当箱ではなく、お皿に、お茶。優雅なものである。
わぁー、おいしいそう。これを日記に付けておこうと言ったら笑っている。
奥さん、俺の継はぎだらけのジーパンを見て、それが若い人に人気があるの。今の若い人の考える事分らないね・・・。
これは物を大切にする心だと、何故視点を変えて見る事ができないのか。自分だって昔、終戦直後同じだっただろうに。日本人はノド元を過ぎると、すぐ忘れてしまう。
うまそうに喰っている食事を見て、パン、牛乳を買う、340円。一個パンを落とす。頭に来る。
二人女の子、京都から。声をかけたが、シーンとして。誰がお前みたいなイモに興味あるか。人間としての挨拶もできないのか。
待合室を出て何処かに行く。
その後、女の子3人、6、7、8才。この子ベンチに座って、アイスを食べている。
話しかけると素直に返事する。しかし、この子達も大きくなると、あのイモ達と同じようになるのかなあー。
立ってリュックを取りに行った時、俺のジーパンを見て子達、ワァーと驚いている。
一時頃、駅を出て、線路を歩く。
線路は歩きづらく道路を歩いたが、釧路に近いせいか交通量が多く、道幅が狭く、大変。
前方に衛生車が止まり、運転手が手まねきをしている。
駅までなら乗せると。断ったら怒ったような顔。衛生車だから断ったと、勘違いしたのかなあー。
また線路に戻り、歩き、これが一番よい。
ユースに電話をかけると、もう食事はできないとの事。電話をかけたスーパーで、バナナ、トマト、牛乳を買う。450円。
住宅地、学校の通りをまっすぐ進む。高校生か。スカートのズンだれた女学生をヒッカケようと、フェアレディZから声をかけているジャリ二人。
嫌だ嫌だ・・・。
ユースに着いて、老人、俺のアフガニスタンで買った財布を見て、ウー、イイ、サイフだね。本物だ。
薄汚い奴が立っている。ヘルパー。
風呂に入って、すぐ、科学博物館のある建物に行く。もう陽は沈みかけているので、途中走って坂を登る。足が痛い。疲れているのが分る。
上に着いたら、広い公園になっており、夕陽は見る事ができない。
高い釧路埋蔵文化財ビルに、非常用ハシゴが屋上まで付いている。
これに登って下を見ると、釧路の街の向うに、紅色の夕陽。しかし、昨日ほどの夕映えではない。雲が少ないせいか。
岩保木山に登って、夕陽を観る事を考えていたが、これで一泊していたら、失望で頭に来たかも。それでも海が見える。太平洋か、久し振り。
運動場で野球の練習をしている姿に、かけ声が聞こえる。
大きな町である。自分が想像していたよりも。
水もあるし、場所も良いし、初めから知っていたらここで野宿したのにと思った。
ユースに着いた時はもう暗く、中で食事している。
俺はトマトを食べる。一山、百円。久し振りにトマトスープでも作りたいなぁー。大きな奴、三個。
前に、千葉の奴、座る。日記を付けているからと。
8時、スライドをやる。
あの薄汚いヘルパー、九州だと。しかし、話のうまい奴である。
もう書きすぎて指が痛ム。終わり。
使用金額:2300円——————————————1
いつ頃、本州に入るか、そればかり計算している
1979年
昭和54年8月31日(金)
6時30分。芹洋子の「旅のおわり」が流れてくる。銀行の件について惑う。
トマトを洗って、8時15分ユースを出る。
公園で腐りかけたバナナとトマト、牛乳を腹に入れ、今日どうするか考える。
公園の前に沼があり、朝霧がかかっている。
まず駅に向かう。通学時間である。
有名な橋は遠くから見るだけ。意地で行かない。
飲食店街を通ると、表はゴミの山だらけ。この辺は福岡で言う中洲か・・・?
駅に着いたら、ユースで同室でやった奴にまた会う。
コインロッカーに荷物を入れようと思ったが、100円玉がないので千円でガムを買う。50円。2人の女店員、もうアバズレといった感じ。
網走の竹下景子とは多い差がある。
ところがロッカーが小さく、リュックが入らない。一時預所に持ってゆく。
係員、一見ヌケた感じ。しかし、一度聞いただけで人の名前をスラスラと書いてゆく。
人は見かけによらん・・・。
駅で彼と別れ、俺は待合い室で9時まで待つ。
バナナ3本残っていたが、荷になるので無理に腹の中に入れ込む。
通帳を作る事に多少疑問を感じるが、まず北海道相互銀行に行く。殺風景で・・・。
受付の女の子、年寄りの客と何か話しているが、途中から言葉が変わってゾンザイになる。男の係長らしきものが出てくる。随分時間がかかる。アサヒグラフを見ていると、中世の貴族祭りの記事。写真を見ているともう一度行きたいなーと思う。通帳と粗品。粗品は返す。荷物になる。
今度は釧路信用金庫本店。流石にコッチは立派である。
女行員、態度良いけれど・・・。客前だからか、粗品返そうとしたら「イイエどうぞ」と勧める。他の銀行、すぐ引っ込めるのに・・・。これだから通帳作るの面白いのかな!
200円の荷物代支払ったので、元を取ろうと、今度は根室信用金庫。全然、殺風景・・・。
一度に1カ所で沢山作っても、しかたがない。街通りをブラブラとする。
寅さんの映画看板を見て、久しぶりに映画でもと、見る。
切符を買う時、娘母か大人2人と言ったら、俺は子供1枚と言ったら冗談のわからん娘、嫌な顔・・・。
山口百恵のホワイトラブ。全然少女漫画ストーリーである。
映画の中に、青山の俺が居た所が出て、骨董屋、懐かしく思う。こんなイモ連中が銭を稼ぐのか・・・。ロクでもない演技しかできないのに・・・。
寅さんになったら、映画のピントがズレている。二度、言いに行くが良くならない。他の客連中、何の文句も言わず、黙ってこのピンボケ映画を見ている。
日本人だなぁーと思う。これが外国だったらと、想像する。
桃井かおり、思ったより綺麗。いや以前より綺麗になったかなぁ・・・。
映画代1300円。銀行30円。映画館を出たのは 14:00 pmである。
もう一泊、釧路にするなら、もっとゆっくりとすることできるであろうが、またユースまで戻るのも面倒。バスに乗るわけにもいかないし・・・。
映画館近くの路地に、小さなラーメン屋の集まりがあり、そのうちの1件。小さなラーメン専門店に入る。塩ラーメン。飛び上がるほどでもないが、悪くない味である。460円。
ギョウザ350円、食べたいが贅沢は敵だ。我慢します東京まで。
朝通った同じ道に出る。パン屋、出来たて340円。今朝、北大通りを歩いていたら、シャッターの前に赤旗が落ちて?いる。拾う。100メートル程先に進んだ時、後から呼び声、フリ返ると肉屋連中が俺を呼んでいる。新聞を返しに行く。だれが・・・。赤旗なんか。クソ紙にもなりはしない?
駅に戻り、荷物を取り出し、シャツを着替える。
釧路、整った街である。
しかし、日本とは違う。内地は、街がゴタゴタとしている。
やはり俺には、あのゴタゴタが必要なのか。
今日の新聞コラムに内地と言う言葉、なんだのかんだのと書いてある。平和な国。
15:00 pm、駅を出発。駅近くに果物屋が並び、広い市場がある。もう時間がない、残念・・・。市場を見たかった。車がうるさい!
国道を行くと遠回り道になるので、適当に検討を付け、まず新富士駅に出る。
駅で休み、牛乳、チクワ、246円。腹いっぱいなのにまだ食べる。大きな街でないと、ロクな物売っていないから・・・。西瓜か、大きな3個で1200円。安い。買いたいが、こんなに食べ切れる物ではない。今年、小さな奴を2切れ食べただけである。冷えた西瓜腹いっぱい食べたい。一度だけ。
15:55 pm、駅を出る。
右折、国道38号。しかしそのまま線路に沿って、舗装していない土埃の道を行く。霧が出て時々走る去る車は、例によって俺に土埃を浴びせて行く。広い原野に、工場がポツリポツリと建っている。
どれほど歩いたか、駅は見えないが、数本の引き込み線路。その横に作業員小屋あり、上げてある畳を敷き直し、何度も雑巾がけで、拭き掃除をする。
埃が多く「のど」に悪いと、周りの窓のサンも・・・。
店があるので少し早いかと思ったが、迷う事なく泊まることに決めた。
ジーパンを履き替える。これは旅行用・・・?
お茶を作る。
映画の為か頭が痛い。しかし、お茶を飲んだらスッキリとする。
しかし飲み過ぎると眠るのに困ると分かっているのに、うまいので何度も作る。
いつの間にか暗くなり、ロウソクを立ててに日記を付ける。
丁寧に字を書こうとするが、時間が経つに従い心が急ぐのか、指が疲れるのか字が乱れる。
また煙草を買ってしまった。マァー俺は、なんと意思が弱いのか。今まで女が欲求不満の時、買い物してウサバラシをするのを馬鹿馬鹿しいと思っていたが、俺の今、全く同じ。分るような気する。
今日も一日が終わり、太陽は霧のため薄く、円い白がポンとあっただけ。時々、肌寒く感じ、いつ頃、本州に入るか、そればかり計算している。
歩いているのに忙しいことだ。
この日記を書き終わってビールを買いに行くが、店はもう閉まっている。
駅前の店、おばさん計算していた。優しそうで、トウフを買ったら「あッ、これツブしている、と取り替える」。普通、よそ者には知らん顔するのが多いのに。380円。
使用金額:2740円
庶路川に出て、ジーパンを脱ぎ、まず入って深さを確かめる
1979年
昭和54年9月1日(土)
居心地が良いせいか、それとも、疲れているせいか、寝袋から出るのがカッタルイ。
まず、例の麻婆豆腐を作る。食べ飽きたのか、をれとも、インスタントだからか、それとも、朝っぱらから、こんな物を口にする為か、おいしとは思えない。
小屋を出て、線路を行くと、勤めに行くのか、二人の女の子が線路を走って、駅へ向かっている。しかし、服装のセンスも、顔・・・、幻滅である。
駅でクソでも垂れて行くかと思ったが、大楽毛駅は、通学生でいっぱいである。
高校生の女の子がいる所で、チリ紙なんか持って、あのクソ臭い便所の中になんか駈け込めない。まだ、そんな羞恥心があるのか・・・?
その駅前、クソ垂れたいのを我慢して素通り。
国道だからか、それとも、朝の通勤時間だからか、やたら、車の交通量が多い。イライラする。左側は、太平洋。平らな草原の中に道は続く。車はうるさく、浜に出ると、長い誰もいない静かな砂浜が続く。
ここも、例に漏れず、ゴミが浜に打ち上げられているが、広く、誰もいないので、そんなに気にならない。
静かにに寄せてくる白い波と浜が続き、砂浜の上に遠く、ぽつりぽつりと虚になった木造船。
木骨が半分、砂に埋もれている。
その上で、クソを垂れ、誰もいない砂浜に、ひっくり返って空を見ながら、波の音を聞いていたら、心地よい秋風がすーっと吹いてくる。
暑くもなく、涼しくもなく、まさに夏の終わり風。
気がついたら、いつの間にか眠っていた。
口を大きく開いて寝ていたらしく、口の中がカラカラに乾いている。
虚船骨の上で、牛乳とパンを口にするが、うまい。
やはり狭い小屋の中で食べるより、この広い空の下で食事した方が、どんな貧しい食べ物でも美味である。
砂は、水でしまり、硬くなって歩きやすい。
靴はリュックの後ろにぶら下げ、裸足になって、遊びながら歩く。
海に船影、静かに動いて、波が揺れる。
何を考えながら歩いているのか・・・。
庶路川に出て、ジーパンを脱ぎ、まず入って深さを確かめる。
リュックを頭の上に乗せ、波を見て、波が引いたとき水の中に入る。
急に深くなり、パンツを少し濡らす。
しかし、このリュックを頭の上に乗せたのが、悪かった。
リュックを頭の上に乗せたまま、パンツ1枚で歩い、途中で海水につかり、足を洗う。
海岸沿いに新築の家が見え、水をもらう。
昨日の残り、パンを水で流し込む。砂浜に座って、ボケーと海を見つめ、さて亜庶路とはどの辺かと、地図を見ようと探したが、ない。リュックの外ポケットに入れていた。頭に乗せ歩いたとき、落したのであろう。
これで二度目である。以前も外ポケットに入れ落としたので、それ以来いつも内側に入れていた。
今日に限って、外側に入れたら、この様である。
頭にくる。600円の損に。使いなれていたから、、・・・。
昼を過ぎると霧が出てくる。砂浜から水分が乾いて行くのか、白いものが立ち昇って行く。
あまり深くはないが、霧である。
もう腹ぺこ。2人のおっさんが、浜で釣りをしている。駅を尋ねると、もっと先だと言う。
歩けど、その港につかず。やっと浜の行き止まり。
コンクリートの港が見え、それを登ると、港に漁船が停泊している。漁港にしては活気がない。
まず駅に向かう。小さい所と思っていたのに、想像に反して、割合大きな町である。
スーパーで大売出しをやっている。
なぜか大売出しの張り紙を見ると。血が騒ぐ。
駅に着くと、今日は土曜日のためか、高校生が昼なのに待合室に溢れている。
リュックを置いてまず、地図を買う、600円。40万分の1なのにあまり良くない地図だが、これしかないので仕方がない。
衣服、家具、その他売り場は、女ばかり。入るのに気後れして、ぶらりと回る。角にラーメン専門店の赤いノレン。これが悪い。一瞬迷う。しかし入ってしまう。
塩ラーメン大盛り350円。普通より50円安いが、味は、200円分しかない。失望と、損したと思う。
スーパーに入ると確かに安いが、しかし財布に金は行っていない。これだったらあのラーメンを食べなければよかったと後悔する。
10個入り梨、280円。三房のぶどう、280円。10本チクワ、138円。フランスパン140円。幸か不幸か、いつも空腹の時、スーパーに入ると、衝動買いをしてしまう。
ラーメンで腹が膨れているので、買うこともないと言うより、銭がない。
駅に戻り、まずブドウを洗い、駅の横にかかっている歩道橋にあがり、ブドウをパクつく。
皮をクシャクシャとかみ、プッと外に・・・。
待合室に戻ると、女子高校生が3人座って笑い、話し中。
俺が近づくと、急に黙ってシーンとする。
梨とパンをリュックの中に入れ、ブドウは持てない。
高校生に勧めたら、遠慮して恥ずかしそうに「イイエ、いいです」
カワイイ、カワイイ。しかしこれが3 4年経つと・・・。
「重くて持てないから食べてくれない」と、手渡す。
「どうもすみません」と受け取る。
時間は2時45分。駅を出て、ブドウの皮と種をプッと吐き出しながら歩く。
道は海岸から離れ、原野も終わり、山間になる。
峠を超えると、下に湿原と沼が見える。
浜に出て歩いてみようとするが、浜は砂でなく、小さな小さな小石なので、またかって、とても歩けない。1キロも歩かないうちに、足の筋が痛くなる。
リュックが重く、少しでも軽くしようと、梨をパクつくが、安いだけ、甘くもなく、水気だけ。
出て来るは水便。俺を見て吠えていた犬が近づいて、尻をペタン。梨をやったら、食べない。
贅沢な犬。しかたがない。やりたくないけど、フランスパンをやる。
浜は潮が引いて、急な坂になり、波が引く時、ザァーと小石が流れると、あの特有の音を響かせ、大きな波が美しい。しかしこのまま歩いたら、老人になってしまう。
仕方ない。道路を歩くかと、草の生えている陸に上がると、舗装していない工事用道路。
少し歩くと、線路に行き当たり。その道をそのまま歩く。途中歩く道が切れても、線路を歩けば良い。
線路と野原、海が続き、儲けた、儲けた。
車も通らない、静かな散歩道。高校生らしきアベック、いちゃつきやがって。
陽は暮れ、白い雲が流れる。防波堤の上に、財布らしきもの。これはついていると、行ったら、これまた高校生らしきアベクが、下でいちゃついている。
こんな夜、人家のない遠いところまで来て、馬鹿野郎。
高校生は勉強しろ、勉強。イモ女。
音別の町が見える。もう薄暗くなり、さてどこに寝るか。山の裾に鳥居らしき物が見える。しかし遠い上に、薄暗い。まさか俺の目はこんなに良くない。駅でまず休み、案内図を見ると、音別神社の示し。やはり、あれは神社。もう暗くなった。
駅の時計6:20PM。稚内では7:30PMまで明るかったのに、こんな陽が短くなったのかと、つくづく思う。
鳥居に電気がついて、坂を上って行くと、社務所があり電気がついている。
嫌だ、嫌だ、犬がいないことを願う。
神社は割合大きく、周りガラス戸で、鍵はかかっていない。
まず、梨の小便を垂れ、たばこ一服。
暗い中に、小さく煙草の火が明るい。遠方に音別の光。ホッとする。
中に入って寝袋を敷く。寝袋の上になると、足の筋が張って痛い。アンメルツを塗る。
効くのか、どうか知らんが・・・。
もう寒くなり、暗い中にボンヤリと天井が見え、遠くから波の音が聞こえてくる。
今日も一日が終わった。
使用金額:1788円
雨に濡れた上厚内のホーム。無人駅、10時30分。
1979年
昭和54年9月2日(日)
例の如く、半自動的に目覚めるが、疲れか体が起きる事ができない。
それに、熟睡はしていないが、よく眠れたのが分る。体と寝袋が上の方に移動していた。
こんな事は、滅多にない事である。
人が来ない内に起きなくてはと思っても、体が言うことを利かない。すごい決心を要して起きる。
空は曇って、どうせ例の霧みたい。雨雲とは頭に浮かんで来ない。
まず隣駅、尺別まで歩く。道路から少し入り、歩くのが面倒だが、まぁいいやと・・・。
建物は大きく、無人駅。周囲に10軒程の民家が建つ。駅の中に、今起きたばかりの男、リュックを持っている。旅行者、奈良とか。俺は外のベンチに座って、梨2個、半分パン、チクワをパクつく。昔ここに炭坑があったらしく、だから駅が大きいとか。
6:02amの列車が去って、男、乗り遅れる。彼、3時間待たなければならないからと、浜に出る。
俺、道路まで、また出るのは面倒なので、線路を歩くが、本線だからか、やたらと列車が走り、オチオチと歩いていられない。
後からと振り向きながら歩いていたら、前方カーブからニューと機関車が顔を出す。
トンネルがあり、心配していたが、思ったほど長くないので安心する。それでも駆け足で出る。線路が道路と接した所で、道路を歩く。道路より気が散って歩いてる気になれない。
湿気地に小さな紫色の花が咲き、その原が紫色に広がっている。
離散したの酪農家から三人の女の子が、小路を歩いて来る。
今日は日曜日。こんな朝早く、俺の後ろを歩いていたが、走って俺の前に出て、直別駅へ。
列車が止まっていたが、それには乗らず、駅を出て行く。俺はクソを垂れに行く。
例のクソ臭いハエがフンブンと飛びまくる狭い便所。どうも落ち着いてクソ垂れる事できない。
この駅も無人。待合室のベンチに、帽子をかぶった少年が一人、コーラを飲みながら、おにぎりをパクついている。
話しかけると列車に乗り遅れたとか。中学生。
グローブを持っている。野球にでも行くつもりだったのか。しかし無口なのか、ムッとして、一見、非常に素直な子。女の子三人、紙袋を抱えて入って来る。袋からアイスを持ち出食べている。随分買ったのか、袋が膨らんでいる。
二人が小学6年生、一人は3年生、他の一人はもう胸が出ていた。中学生かと思ったが、ニコリとした笑顔があどけなく可愛い。
7時50分頃、上厚内に向う。涼しくていいなぁーと思っていたら、途中休憩してジーと見ていたら、雨みたい。まさかと思っていたら本当に雨である。
道は山の合間を走り、例によって家、建物1軒もなく、強くはないが、サァーと降る雨。雨の為か、車が止まるが、乗る訳にはいかない。疲れと、距離があり過ぎ、脚、フクラハギが硬くなり痛い。しかし雨の中、休みたくても休めないし、休む所がない。ついていない。
段々と強く降り出す。ポンチョを着ても同じ。鉄道信号を見た時、駅が近い。ホッとする。
駅近くでまた、車が止まり、若奥さん風、窓から顔出し、浦幌まで乗りませんか・・・。
残念。俺好みの人だったが・・・。水しぶきを舞い上げ車は遠ざかる。
雨に濡れた上厚内のホーム。無人駅、10時30分。
坂を少し下った所に一軒の店。しかし何もない。お菓子とサントリーエード520円。とても話にならん。貰った新聞を読む。
雨は降るばかりで、窓のガラスに水玉が流れる。残り一杯、残り分のお茶葉。
時々停車する列車には乗客なし。当前。10軒とない部落。
お茶葉を買いに行って戻ると、太った奴、雨が降るので雨宿り。スズキ50ccに乗り、浦幌に帰る途中。ハイライトをプカプカ。言葉を知らない奴。こんな奴が公立高に行くのか。
このガキと話をしていたら、雨に濡れた田舎のおっさんが入って来る。
日記を付けていたら、ガキ、出て行く。おっさん、濡れた服を、どうかしている。
話しかけると、自転車で回っているとか。川崎から。40歳、鉄工屋。
自転車は自転車でも、サイクリング用ではなく普通車。少し話してお茶でも・・・と。しかしコップを持っていない。
もう三日遅れていると、雨の中、拾った魚の匂いがする青色のヤッケを着て、出て行く。
雨が降っているので、今夜ここに泊まったらと言っても、吉野まで行くと・・・。
暇なので、昨日の分の日記をゆっくりとできるだけ詳しく書いていたら、雨の為かそれとも、もう夕暮れか、薄暗くなり待合室に電気が点く。
書き疲れては、古新聞を声を出して読む。
ボールペンが終わり、店に買いに行く。
店の中に入ると、夕べの香りがプーと鼻に来る。今日はウドンとか。こんな香、家庭を感じる。
ラーメン3個、ビール、タバコ迷って結局セブンスターを買う。
アァー俺は段々と意思が弱くなって行く。
俺は意思が強いと言う自信が過信になり、いざとなれば・・・、そんな気持ち分っていて買うから、始末が悪い。
ボールペンなく、おばさんに使用中のを貰う。
日記を書いていたら、雨の中、子供と一緒に傘さして、待合室におにぎりを一個持ってきてくれる。
決して美人でないが、一見無愛想だが、感謝します。日記に、おにぎり貰ったと付けときますからと言ったら笑っていた。
もう今日、お茶ばかり飲んでいる。宇治茶500円。値段の割には全然美味ではない。
書いて、新聞を読んで、今日一日が終わった。
何時頃か、20時58分の列車はまだ来ない。最終は21時21分だ。
雨は上がったのか、鈴虫が松虫か知らんが、虫の鳴き声がリィーリィーと流れてくる。
使用金額:1670円
アフリカ・ジュバで40日間頑張って、ケニアに入った俺だ。こんなのは話の種
1979年
昭和54年9月3日(月)
朝、体がダルい。それに腹が痛い。ラーメンのせいか。
それにロクな物を最近、食べていない。
ラーメン2個食べて、お茶を飲みながら新聞を読んでいたら、店のばあさん、駅を掃除に来る。
今日は青空が見える。
浦幌、国道から入り込んで、行くと遠回りになるので、そのまま素通り。
公園があって洗顔。神社で腰をおろし、ビスケット、水で流し込む。
寝る所が沢山あり、昨日ここまで歩けたらと思う。
腹がヘッているのに、店は遠く、行く気にもならない。
トウキビとジャガイモ畑の中を、道路通って吉野に着く。
ガソリンスタンドで、十勝川の船について訊くと渡舟があり。道標にも時間が表示してある。
あぁーよかった、と、まず駅に行ってと思ったが、この駅が遠い。
待合室にリュックを置いて農協へ。864円。
待合室に戻ったら、田舎兄さんズボンを引きずり。
無人駅かと思ったら、駅員三人もいる。昨日のおっさん、どこに泊まったのか。
食欲がわかない。川の向側、国道336号。
部落らしきものが地図では見当たらず、一応の食料を買う。といっても大した事ない。距離が中途半端なので、困る。
それに寝る所が心配。一番最悪になりそう。
しかし帯広を回って行くと、大変な距離になるのでしかたがない。
食料を入れたら重くなって、ウンザリする。一路、十勝川へと目指す。
酪農地帯を行く。平野になって、グルリ広い空が見える。
本州は、周囲、山なので、空がこんなに広く見る事ができない。
堤を超えると草原。乳牛が放牧してある。
船渡場に着いたが、船がない。ここでないか。砂利取りをやっている人に訊くと、船はないと言う。何度聞いても同じ事。一瞬、血が引いて行く。
300メートルの川が渡れない為に、25キロの遠回り。もうガックリ。
向岸にボートがつなぎとめてあり、両側に鉄塔。それを太いワイヤーでつないである。
もしあの船をワイヤー伝いに渡ったらと・・・。
もうこうなったら、一発努力あるのみ。パンツひとつになり、土色した波があり、流れの速い川を泳いで渡る。しかしもう年か。岸まであと少し・・・。心臓はドッキンドッキン、もうパンクしそう。岸遠方で、人が見ている。見ているぐらいだったら、助けに来い。
浮かんで休む訳にはいかない。流れに流されてしまう。
海だったら、浮かんで休み、また泳げば良いが、休むと流されてしまう。
もうダメ、力尽きたと足を下げたら、底に着いた。
あぁー助かったと。歩いていたら、急に深くなってブクブク。やっとの思いで岸に着いても、つないであるボートを見ると、ワイヤーで鍵がかかっている。
しかし、この鍵は開けることができる。ところが開ける物、道具がない。
ボートをつないである横に鉄柵で囲って、乳牛が5、6頭、パンツいっちょうの俺をニタニタと見ている。
グルグルと歩いて回っても、こんな草原、何もない。
当前の話。しかし、この俺が、そう簡単に諦めるハズがない。
何せ、アフリカ・ジュバで40日間頑張って、ケニアに入った俺だ。こんなのは話の種、鼻クソだと思っても、どうする。
木で作った小さな階段があり、そのクイを蹴飛ばし、まず釘の付いている部分を、鉄柱にブツけて引っ込ます。しかしそれ以上は、手ではニッチモサッチも行かない。大石があれば・・・。
しかし神は俺を試してるのか。サッパリと、どこ見渡してもそんな物転がっていない。
小さな石でガンガンとやっても、たかが知れている。
手の方が痛い。しかしもう、ここで引き下がる訳には行かない。
裸の俺にアブが寄って来る。
一本のクイからクギを取る為、どれぐらい奮闘したか。もう手が折れるか、木が折れるか。ガンガンとブツけると、折れた、折れた。手が折れた。
あぁー痛い。イヤ、手は痛いが折れたのは、クイの方だった。
クギを取って、イザ鍵穴に入れようとしても、鍵穴が小さく、クギが入らない。もう嫌や。
しかし俺は男。アフリカ、アフリカ・ナイルに較べたら、この十勝川なんかドブ川。それにしても土色で汚いのかなー。もう泳いだからしかたがないが。
石でコンコンと叩き、クギを小さくして、やっと鍵を開ける。
イザ、ワイヤを伝って向う岸へ。波があるので、慎重に行く。
3分の2程来た時、船は止まってしまう。
底に着いたのである。あぁー底に着いたのか。じゃぁ歩けると、ポンと飛び降りたらブクブクと体が底に沈んで行く。底なし沼みたいなもの。
もう足がドロドロの底にヌカって、大変。
川の中を慎重にアッチコッチと回って、岸に戻り、リュックを背負う。
川の中に入り、悪戦苦闘。途中から例によって、身がドロ底に沈む。リュックを頭の上に乗せ、やっと船に着き、イザ対岸へ。
対岸に着いて堤を超えた下に、舟渡待合小屋がある。
中に入ってパンツを着替える。濡れたパンツひとつ、裸でリュックを背負って、堤を歩いてきたら、道路を走っていた車、ビックリしている。
小屋に入って、まず日記を付ける。
今日このまま歩いたら、もう付ける時がないから、書けるまで書いておこうと書いたら、少し抜けた感じの田吾作が入ってくる。
船の話をしたら「イヤ、ちゃんと動いている」と言う。
動くも何も俺は泳いで来たと言ったら、あぁーあなたでしたか、川を泳いでいたのは、とぬかしやがる。
この男が舟の番をしているが、時間に来て人がいなかったら帰るとか。あなたが泳いでいたから、工事中の人かと思ったと。
もう話する気にもなれない。男、虫カゴを持って、自転車でどこかに消えた。
泳いだら、もう疲れた。ここは寝るのにちょうど良いが、長節まで歩いていないと、明日が困る。全く嫌な道だ。長節に寝場所ありますように。
さて歩き始めるか。もう今日は忙しい。
日記を終え、歩き始め、約300メートル先で別れ道。
角に学校あり、校庭で男女がソフトボールをやっている。
工事中のおっさんに時間を訊くと4時30分。
あの田吾作に時間を訊いた時が、2時40分であったから、2時間近く日記を書いていた事になる。道理でもう夕暮れだ。離散した農家に送り届けるのか、村スクールバスが土埃を舞い上げ走って行く。窓から子供たちが、俺に手を振る。
部落を出て、一路ジャリ道。雑樹の繁る林の中を長節へ。
坂をあがり、峠を超え、時々通るダンプカーが凄い土埃をして、煙幕を俺に覆わせて行く。
もう、夕暮れで空が変わってゆく。
峠を下り始めると、下に北海道では珍しく、茅葺屋根の農家が、ポツンと広い原に建っている。
広い牧草地に出た。15、6軒程の長節部落。
店屋なんか勿論ない。遠方より見た一見、学校。行ってみると廃校である。
運動場、教員舎、校舎の周囲は、雑草が繁る。
玄関に蜘蛛の巣が張って、鍵はかけてあるが閉めていない。中に入ると、埃もなく、まだしっかりとしている。
今年廃校になったのであろう。アルコールランプが吊ってある。
教室は3室。その内、一室は、実験室らしい器具が残っている。
机、椅子は持ち去ったのか、ない。しかし、ソニーカラーテレビが1台、まだ新しいようである。スイッチを回したが、電源を切ってあるのか点かない。
学校から300メートル程行った、道路角に立つ小さな家に、水を貰いに行く。丁度その時、道路工事の仕事でも終わったのか、ヨタヨタした二人のばあさん。一人はこの家に帰ってくる。
老人との二人暮らしらしい。もう一人は、もう薄暗くなった道をヨタヨタと歩いて行く。
何もない、ただ草パラだけの所。昔からこの地で生きてきたんのだろうが、一体何であるのか、この人達にとって生きるとは・・・。
誰もいない職員室、ストーブと机が残っている。
もう暗くなって運動場に立つ外灯の光が、アルミサッシの窓に反射して光る。
その小さな光が中を照らす。腹がヘッた。
食料といっても、ビスケット、ゼリー、ラーメン、スープ、ビスケット、ゼリーを少し食べる。皆食べると明日が大変だ。
お茶を作り、床にあぐらをかいて、静かな家の中でお茶をススる。
窓から外を見ると、星がひとつも見えず、月に傘がかかっている。
部屋に入った一瞬の間、昼間の暖かさでムッとしたが、暗くなって段々と冷え込んで来る。
寝袋の中に入る。
使用金額:864円
雨が嫌だと思うより、雨もまた良いと、前向きに思う事で、こんなに気持ちが軽くなる
1979年
昭和54年9月4日(火)
何時頃だか知れぬが、いつものように目がパチっと音を立てて開く(本当かなぁー)
とにかく、いつもの時間だから、5時30分頃であろう。
しかし、寝袋の中から出る気にはなれない。最近どうも精神たるんたるんで来たみたいだ。
以前は、パッと起きて、早朝からスタスタと歩いていたのに・・・。
まずラーメンを食べて、お茶を作る。机の上にあった54年3月の古新聞を2部、ゆっくりと時間をかけ、お茶を飲みながら読む、朝のひととき。
なんとなく、この学校が気に入って、もう一日ぐらい居たいが、水、食料がないのでそうはいかない。
あまりにもゆっくりしすぎて、時間がなくなる。学校専用筆記用紙を少し黙って貰う。
荷物をまとめ、便所にクソを垂れに行く。小学校の為か、中が狭い。それでもまだしっかりしている。その辺の駅の便所よりマシである。
学校玄関を出たら、運動場の端で、何か工事している。そのおっさん連中が車で来る。
俺をジロジロと見ている。このおっさん連中が来たら、多分、7時頃。
空は一面、灰色の雲が低く垂れ込め、青空の「あの字」も見えない。もうこれはだめ。しかし雨が降ると言う実感はしない。イヤ、そう期待したいからであろう。
道路工事中。こんな山の中、必要もない道に、こんな大金を使って、どうするつもりか。
500メートル程の工事中が終わると、ジャリ道は狭くなり、ただただ雑樹の中を歩くのみ。ジャリ道は歩きづらく、登り坂道である。
時々車が通る。しかし山間の道は、静かでこんな山の中、家一軒どころか、車もほとんど通らない。熊のことを想像すると、あまりいい気持ちはしない。時々大声を出す。腹がグーグーと鳴る。
どれほど歩いたか。峠まで来たら、パッと視界が広がり、湧洞牧場の緑の牧草が、彩り鮮やかである。
破れ小屋が建ち、水道の蛇口、ヒネると水が出る。汗かいたシャツを、水に濡らす。もうシャツがボロボロ。あと2 、3日の限界であろう。曇っているが蒸し暑い。
お茶・・・、面倒臭い。しかし、イヤイヤ、この面倒臭がる心が良くないのだと、自分に言い聞かせ、リュックからナベ、ガスを取り出しお茶の用意をする。
しかし水は濁っている。生水は飲めない。濃いお茶を、破れ小屋の中、これまたボロ椅子に座って、前面に広がる隆起した緑を見つつ、口にするお茶。さすがに美味である。
それに、セカセカとしていた心が落ち着いて行くのがハッキリと分る。ノンビリとする。
前に、牛の水溜か、丸木の屋根。しかし牛一頭たりと見当たらず。町営らしい。その横に、もう枯れかかった枝葉がない老木が、この広い草原にポツンと立っている。
いい木だと思い、ジーと眺める。
遠方に、海らしきものが見える。ユックリし過ぎた。さて歩くか・・・。
下り坂道をテクテクと歩く。牧場の中に道路が通っているのか、赤い「牛横断中」の道路標識。ヒョット下を見ると、クワガタが、ヨタヨタとこのジャリ道を横断している。
その時、下から車が走って来る。ひかれるので取り上げ、逃がす。しかし、後で気が着いたが、彼が来た方向に投げた。また横断するとしたら、一からやり直し。きっと彼、頭に来ているだろう。
昨日、道路ワキに、車に轢かれ死んでいたキツネを思い出す。
湧洞に着いたら、農家が二軒あるだけ。
周囲、雑草、雑林の世界。これだったら、もっと食料を買っておくべきだったと後悔し、豊似までの距離を何度も何度も計算。今日中、無理して歩けないか。イヤ、無理だ。
荷物がなかったら、まぁー自転車だったら、4時間もあれば行ってしまうのに、歩くと一日半かかる。あのおっさん、この道を行ったのかなぁー。
ジャリ道は、上ったり下ったり。ただ雑林の世界。町境のサイン。ジャリ道に腰を下ろす。
ビスケット、ゼリーを少し食べる。
ガムがあったのを思い出す。貴重な一物だ。タバコを一服。
ピンク色の小さな花。濃紫色の花が咲いている。
さて、歩くかと腰を上げたら、なにやら冷たいものが、天からポタリポタリと、ホホに。
みるみるうちに、ジャリ道が濡れて行く。ザーッと雨が樹葉を叩きつける音。
もうイヤ、ウンザリ、ついていないとつくづく思う。
ポンチョを出す気にもなれない。もっとも、たいして役に立たないが・・・。
そのまま雨に打たれ歩く。
車が三台通った。こんな山の中を歩いているのに、止まらない。誰も不思議に思わないのか。こんな時、ヒッチだと・・・。しかし車に乗る訳には行かない。もう意地だ。
要は、気持ちの持ちようだと、自分に言い聞かせる。
まぁーこのくらいの雨だったら、気分いいやと・・・。
別に苦にはならない。 どこか軽井沢の林を歩いているみたいで、気分良い。本当に。
雨が嫌だと思うより、雨もまた良いと、前向きに思う事で、こんなに気持ちが軽くなる。
自分が変わったと思う。昔、こんな発想ができないと言うより、考えもつかなかった。
本を読んで、頭の中で分っても、実際その立場になった時、もう・・・、とんでもない話。
しかし、今は違う。もっとも10年以上もこんな事ばかりやっていて、進歩がなかったらアホじゃ。人間を廃業するしかない。
(昨日の続き)
山を下って来ると前方が広がり、生花部落が見える。思ったり大きいので、これなら店の一軒もあろうと、ホッとする。
遠くかすんで、神社が見える。これなら雨が降っても・・・。
道が突き当たり、左折に郵便局、学校、店二件、幼稚園。公民館らしき玄関で、まず細々と食べていたビスケット、ゼリーを食べ・・・考える。
まず、食料を買いに行く。店のお姉さん、歳の項25才程か。美人ではないが、こんな田舎にはもったいない。しかし、取っ付き辛い。お爺さん出て来て、身体が震えている。
話好きなのか、親切なのか、あれこれと言う。
新聞を貰う。9月2日の日付、2日前の新刊だ。1370円。
晩成、店一軒、農家が15軒程バラバラとあるだけとか・・・…。学校もなし。これでは寝る所はないだろうと、玄関に戻り、新聞読みながら、ラーメンを作ったり、お茶を作ったり。空は絶対に晴れる事ない。
何時間程この玄関に座っていたか。その横に、小さなピンクの可愛い野花。どこかで、これと同じ物を見た。多分スウエーデンだったと思うが・・・。もうひとつの花は、凄い濃紫色。艶やかな小さな美しい花。押し花にしようかと思ったが、色が変わるから止めた。せっかくこの地に咲いている事だし。
いつまでもここにいてもしかたがないので、神社へ。
牧場を横切り、草が雨で濡れているので、靴がビショビショになる。
鍵はかかっていない。これで鍵がかかっていたら、地獄だ。中は割合に広く、ゴザがある。
ゴザを広げ敷いて、ゾウキンで拭く。
お茶を飲みながら日記を書く。いつの間にか暗くなり、途中で止める。
暗くなって熊の事が心配になり、オチオチしていられない。
ライターをすぐ取り出せるようにする。
真夜中、屋根を叩く凄い雨。ドシャ降り。
結局ここに泊まれて、運いていたと思う。
使用金額:1370円
寝袋の中であれこれと、色々な事が考え思う
1979年
昭和54年9月5日(水)
真夜中、凄いドシャ降りの雨の音に目を覚ます。
このまま降り続けば、今日は休みだと内心喜んだり期待したり。夜が明けても、雨は強く降り続ける。
ただ、今日も雨が降るとは思わなかったので、食料がない。
ジュース、ビスケット、ラーメン、パン。寝袋から抜け出し、パン、お茶。動かないせいか特別に腹はヘッていない。
昨日もらった古新聞、読み落しを丹念に探し読む。わらない字は横に線を引いて。しかし、辞典がないから・・・。
後、する事なくしかたなく、嫌々原稿紙を取り出し、NHKのために書く。こんな事の決心なんかしなければ良かったと後悔したり。しかし一生続く訳でもないし、これでも結構知らず知らずのうちに、勉強になっているのであろうと考え直す。
他にも手紙を書きたい為、焦る。3枚程と思っていたのが、原稿紙で8枚も書いてしまう。多分これだけで4、5時間はかかったのでは・・・。時々休んでお茶を作り、タバコを吸う。前に見えるのは雨に濡れた緑の草原。
水玉が白く輝く。遠くに、牛が草を喰っている。雨の中をNHKをやっと書き上げ、今度はそれをそっくり内容を写し書きで、マコに届く宛先。しかし、紙が廃校で失敬した薄い用紙なので、全然重さには変わりがない。一生懸命書いた割には・・・。夕暮れになると雨も上がり、青空になる。
遠くに浮かぶ雲が、茜色に染まる。しかし、この地からは何も見えず。
お茶の作り過ぎか、もうガスも殆どない。暗くなって、店に行く。
途中、部落の店について訊くと、店はないと言う。しかたがかない。明日の分までの食料を買う、800円。
明日の為、グッスリと寝ようとビールを飲んだが・・・。
戻る道に満月の光が指す。草原が雨で濡れている為、靴がビショビショに濡れてしまう。
ビールを飲んでも、全然眠りの中に沈んでいかない。
寝袋の中であれこれと、色々な事が考え思う。
月の光が差し込み、鈴虫の声が流れている。
真夜中、ビュービューと吹き乱れる風の音で、目覚める。
使用金額:800円
豊似まで28キロ。2~3時頃、着く予定で歩いている
1979年
昭和54年9月6日(木)
明日は早く起きて、がんばって歩くぞと思っていたのに、真夜中の嵐みたいな吹き乱れる強風は、止むことを知らず、ビュービューと樹々の枝を鳴らす。眠る事が出来ず、そのまま夜明けを迎え、もう歩く前から寝不足で疲れる。
寝袋から出ると、8月30日付のパンとテンプラ、ジュースを腹に入れる。パンは古い為、カビの味がする。捨てるわけには・・・。
空がきれいに晴れ上がっている。
神社の中を片付け、出る。草原を横切り通る。
その酪農家の窓から、ラジオ体操の音楽が流れてくる。
6時30分かぁー、なんて思い、店の前を通っていたら、もうおじさん店を開けて、商売の準備をしている。
こんな田舎だから、朝早く起きて、こんな事でもしないと暇が潰せないのか。道路の角を折れると、もう家もなくなり、例の草と樹だけの道。狭いジャリ道テクテク。
村教育委員会、スクールバスが止まり「乗らないか」。訳を話して断る。その後3台.計4台の車止まる。
思ったより早く晩成に着く。8時20分AM。店あり、パンもある。
嘘つきめ、これだったら、何も無理して重い思いして背負う必要なかったのに。
HiC、130円。2軒の家があるだけ。看板にキャンプ場の印あり。こんな僻地に人が来るのかなー。
浴衣を着た老人が、ボケーと道端に立っている。
豊似まで28キロ。2~3時頃、着く予定で歩いている。途中何もないから、休む事なく、ただテクテクと歩くだけである。
途中から道路工事中に出会う。このため、ドシャを運ぶダンプカーが、このジャリ道を我が物顔で、土埃を舞い上げ往来する。俺は全く、いい被害者である。
今日は豊似まで歩いて、それから日記を書くつもりで、休む事ないと言うより、休む場所もない。
基線に着いたら、農協の店がある。これなら全く重い思いをせず、食物を持ってくる事もなかったと、頭に来る。
しかし、さすがに基線まで来ると、ガックリと疲れる。しかし、時間、距離通りに歩いている。
農協でHiC1リッター、250円。若い農協従業員、車でドラム缶を運んで来たが、下に降ろすのに注意散漫、ガンガンと車にブツけている。
中年のおっさんが頭に来て、注意しているが、知らん顔。
建築中の家の横に腰を下ろして、ジュースを飲みながら、この200円徳用袋ビスケットを流し込む。まさに流し込むのである。全く味も素っ気もなく、まずいビスケット。
ここまで来たら、豊似まで10キロ。もう安易だと思ったら、ガックリ力が抜けて放心状態。ボケーとする。
基線を少し出た所に、大きな歴舟川が流れ、長い橋が架っている。その橋の上、前方に、小さくロバらしき物と一緒に歩いて来るおっさん。今頃、ロバとは珍しいと思っていたら、段々近づいて見ると、駄馬と若い奴。
様似から馬に乗って、今日で四日間。阿寒まで行くとか。
一見、生意気な奴、少し話をしただけで、すれ違う。
俺は橋の上から河の流ればかり見て、河原の休む場所探し。雨の為か、水が濁っている。
下に降りようと思ったが、川幅が広く、また戻るのが面倒。そのまま通り過ぎる。
足が痛い。多分、靴が湿っている為であろう。靴下を取り替える為に、川を探すが・・・。
丁度、手ごろな川が流れ、草のなる河原を踏みつけ、流れの強い川をズボン脱いで渡り、まず、流れの中に、パンツいっちょうでクソを垂れる。クソが垂れ流れる姿を人が見たら、何と思うであろうと想像する。
この橋の下で誰かキャンプしたのか、クソを垂れた後あり。その臭いがキツイ。パンツひとつで川の中に入って、靴下を洗う。冷たくて気持ちが良い。水浴びと思ったが、澄んでいない。上流が分らない。やたらと水浴びする訳にはいかん。
ズボンを履く時見ると、あちこち穴だらけ。もうダメ、縫う術がもうない。それでも、室蘭まで持ってくれると思う。しかし愛着があるから捨てる訳にも行かんし、かといって担いでいたら重くてクタばってしまう。そんな事を考える。
靴下を変えたら、足がスッキリして軽くなる。靴下だけで、こうも違うのかと初めて気が付く。豊似までもうすぐだと思うから、気抜けして、力が入らん。
どこであったか途中、沢山の野苺を見つける。しかし、埃でダメ。これをlenaが見たらなんと思うか。遠くに、小さく車が行き交う姿が見える。しかし2キロはあるであろう。
ジャリ道のジャリ上に腰をおろし、小石を電柱に投げようとするが、肩が痛くて、腕が上がらない。
そこからずーっとカラマツ林の植林が続き、これでユースを作ったら、なんて思ったり。しかし現実は・・・。
線路を見てホッとする。左側に豊似駅あり。駅員、中年女性。しかし、この駅で切符は売っていない。ただテレビを見ているだけ。変な駅、赤字になるはずだ。
駅で休もうと思って来たのに、先客がベンチを占有して、寝ている。
農協に日記のノート、始めHiC買ったがそれを戻し、280円安いスイカを買う。計415円。
駅に戻り、まずスイカを半分に割る。半分、始めはうまかったが、もう後になったらウンザリ。しかし、捨てる訳にはいかん。無理して食ったら、腹が張ってしまう。
時間通り、2時40分PMに着いた。休んで時速4キロの歩速だ。
次の野塚まで行くかと迷っていたが、5時少し前、中年女性、カギをかけ出て行く。
それからズッーと日記を書いているが、2時間近くになる。
もう7時近く。外は真っ暗。ここに着いて、ボケーとしているだけで、アレヨアレヨと言う間に時間が過ぎて行く。
日記をここまで書き上げ、ビール、トウフを買いに出る。
酒屋で貰った新聞が5日付の朝日。朝日である。
トウフ1丁120円の超大型である。計320円。
朝日を抱え、いそいそと暗い道を待合室に戻る。
明日の為、寝るどころか、新聞ばかり読んで、ビールの味、酔いどころではない。やはり北海道新聞なんか足元にも及ばない。
列車が停車。乗客が待合室を通過する時、甘い香りを漂わせ、去る。
使用金額:1135円
遠くに一台止まり、俺の為とわかる。断るのに気苦労する
1979年
昭和54年9月7日(金)
朝、目をパッチリと開けたら、なんと雨が降っている。
空の様子では、止みそうにもない。
どうするか。寝袋の中で考えていたら、始発列車5時58分の為、パラパラと学生が来る。
高校生らしいが大変だ。こんな朝早くから・・・。後の者、戸を閉めていかない。
昨夜、待合室に甘い香りを漂わせ去った女の子が来る。
チラリと見ると、恥ずかしそうに、隅に傘を持って立っている。
半眠りの為か、頭が冴えず、ボーと重い。お茶を作ろうとガスに火を点けたが、すぐに消えてしまった。
もうこれでお茶も飲む事できない。
フテ腐れ、昨夜の新聞を丹念に読む。これも読み終わり、lenaに手紙を書く。始めは英語を忘れ、全然先に進まず。書くのが面倒になるが、気を楽にして書いていたら、文がスラスラと出てくるし、単語も思い出して来る。
農協に食料を買いに行く。店員が昨日と変り、今日は割と悪くない。田舎にしては20点であろう、なんて内心そんな事を。ロクな物がない、660円。急に食べたせいか、腹が痛くなる。
雨が降っているので、農協に行く時走ったら、膝の関節がガクガクとする。カッケかなぁー。最近牛乳飲んでいないから。田舎は周囲が酪農家の為、牛乳が売っていない。この農協も、農協のクセ、牛乳が売っていない。
手紙を書いていたら、雨に濡れた自転車二人が、あの、ー休ませていただけないでしょうかと、入ってくる。
えりも岬ユースから今日、走って来たと。自転車だけにくれると言うおにぎりを食べている。もう1人は京都、左官とか。素直で、冗談が分る若者。しかし気骨がありそう。
暇で、十勝川の分、日記を読んで聞かせたら、これは日記と云うより小説だと言う。
手紙を書いて、何故だか、気が着いたらホープを買っている。アアー悲劇。俺は軟弱男。75円。新聞をまた貰って来る。6日付朝日。
待合室に戻ったら、2人、カッパを着て出て行く。
今日中に帯広に着いて、ユースでゆっくりしたいと、雨の中を出て行く。熊本市看板屋。
2人が出て行くと、急に部屋はガランとする。朝の通勤客を除いて、誰も来ない。
新聞をビシッーと読む。空も変わりなく、セッセと水玉を落とす。
昼を過ぎても事が変わらず、もし昼から晴れたら、広尾まで行って丁度良いと思ったが・・・、一向に晴れる気配なし。
ブンブンと俺の周りにハエが寄ってくる。もう我慢の限界。俺の頭に止まらないなら許すが、もうダメ。新聞を丸めてハエの殺戮を展開する。
どうせする事ない暇な身。部屋の中ドンドンと叩き回る。
サァー、少なくなったと思ったら、座ったとたんに、ブーんとハエが攻撃して来る。もうイライラとする。
新聞も読み終り、やる事ないので、日記を書き、暇つぶし。今日一日中、この中に居た。
空は雲った怪しい雲行き。降りそうなそうでないような。
昨夜、ユース、91人泊まっていたとか。ユースに泊まるかどうか迷う。大勢のユース、俺には合わない。
お茶も飲めないし、することがないので、ビール200円、農協資材売場にガス290円あり。ビールを飲んでボーッとする。5時の刻、叩く音。ビールで頭がいかれたのか、急に歩こうと思い立つ。空は夕暮れ、少し青空。もう雨も降らない。スタスタと足は軽い。小型トラックが泊まる。丁寧に断る。車一直線の道、アッという間に見えなくなる。
野塚、腹はヘッていないが、ガスを買った為か、食料540円。
駅に向かっていたら女中学生とスレ違う。皆フリ返って見ている。
新設された無人駅。時計は6:28PM。もう外は真っ暗。犬が叫ぶ。ラーメンの中にもやしを入れ、グタグタ、トウフで満腹。
6:53PMの列車。隣駅について訊いたら、小屋があるだけとか。この駅に泊まるか、進むか、一瞬迷う。19時、満腹の腹を抱え、夜道を歩く。
遠くに一台止まり、俺の為とわかる。断るのに気苦労する。行くと若い女の子2人、おばさん1人。あーもったいない俺好みなのに。
車に取り残され、暗い夜道をテクテク。
対面から走って来る車のヘッドライトが、暖かく感じられる。
使用金額:1700円
音調津川の谷間にへばり付くような感じの集落
1979年
昭和54年9月8日(土)
昨夜、暗い雲の間より射す、満月の薄明るい光を見つつ歩く。楽古川の長い橋に来て、月の光に照らされる川の流れは、不思議な力強さを感じる。
しかし、こんな事を思うのも一瞬の内。
この暗い夜、歩いてきたものの、何処に寝場があるのやら。この暗さでは見当もつかない。
橋の向うに外灯の光が並び、暗闇の中に灯を照らす。多分、広尾市街の始まりにでもなるのか。まぁー歩くしかない。
長い橋を、上から川の流れを見ながら歩く。雨の為か、静寂の中にゴォーゴォーと音を響かせ流れて行く。橋を渡ったすぐ左側横に、道路工事中の事務所小屋。溝にかけある板を渡り、どうせ鍵でもかかっているのであろうと、半ば諦めてドアーのノブを回すと、開いた。
中に2枚の畳が敷いてある。助かった。たいして歩いていないのに、凄く疲れを感じる。
そして朝、北海道の土木工事は朝早いので、夜が開けるとともに起きて出ようと思っても体が起きない。
朝霧に濡れた野草、吐く息は、白い冷たい外気に当たる時、新鮮な気持ちになるが、歩き始めると体がだるい。街通りはまだ静かである。
一番列車が通って行った。広尾駅に行く。リュックを置いて洗顔。クソを垂れ、お茶でも飲んで頭をスッキリとさせたいが、この駅の中でナベを出してやり始めたら、駅員飛んで来るであろうこと、必至である。
昨夜歩き始めた分の日記を駅内で書き、しばらく体が落ち着くまで、ゆっくりとする。
駅員のおっさん、ハエ叩きを持って待合室の中をハエを追っかけ回し、ペタンペタンと叩いている。
新生-大樹の切符2枚、400円買う。買った後損したような気分になる。ただの紙切れなのに・・・。
松山千春の為、名寄と愛冠の切符が売れまくっているらしい。
6時30分、駅を出て歩き始めある。駅前で免許証を拾う。警察署に届ける。
神社の境内が公園になっており、寝るには悪くない。しかし、もう関係なし。何か買いたいが、まだ店は閉まっている。
市街通りのシャッターに新聞が入っている。しかし何故だか失敬する気になれない。荷重が少しでも軽くと、クソ紙の一枚持つのも嫌になる。
歩道に花箱が並んでいる。しかし誰の悪戯か、道路にひっくり返っている。あっちこっちクダラン悪戯をするものだ。
街外れにガソリンスタンド。その新聞を、前に座って読む。別におもしろい事、記事書いてないし、頭に入って来ない。
いつの間にか、凄い霧になり、港から霧笛が鳴り流れて来る。濃霧の中より、白い荒れた波が押し寄せ、浜に海ネコが群がる。
道路断崖の下を通り、昔のわずかな記憶はひとつも知る所が出て来ない。
昔この道を通った時、やはり海は荒れ、道はデコボコ。まさに僻地、北端の感じ。民家はまばら、しかも今はその面影はない。
道路は舗装、切り立つ崖から豊富な自然の水が流れ落ちている。
音調津(おしらべつ)の手前部落で、広くなった道路ワキにお茶を作って休む。
落ちていた新聞を読み、霧の中に、より聞こえる波の音。なんとなく歩くのがカッタルクなる。
ボケーと昔の事を思い出していたら、お爺さんが話に来る。悪いけれど話す気分にはなれない。一人で居たいのである。
荷物をまとめ歩き始め、工事中の道路を過ぎ、音調津川の谷間にへばり付くような感じの集落。川の水がきれいだ。店、牛乳はない、HiC、パン、250円。パンをガブッとかんだら硬いのなんの。こんな古いとは知らなんだ。
ただヒタスラ、崖下霧の中を歩く。いつもは、この自然の水を飲めるのを飲むのに、その気になれないし、きれいな川を見ても、遊ぶ気にもなれない。今夜の泊まる場所の事を考えると、襟裳までは歩けないし、中途半端な距離である。
道路横にポツリポツリと建つ小さな家では、皆、昆布の作業をしている。
目黒に1時、店の姉さん足が悪いのか、ビッコ。歳だが結婚はしていないらしい。人間的にしっかりした人だ。しかしこの狭い土地では、お嫁にいけないのかなー。あの積丹のお姉さんと同じかなぁ。515円。
部落離れ、沢から水を汲み、工事中の港でラーメンを作り、トウフを食べると、腹いっぱいになるが、別に美味しいとは思えない。ラーメンは胃に良くない、止めるべきだと思っても、安くて火を使わず、腹が大きくなるといえばラーメン・・・。
疲れているのかコンクリートの上に寝たら、いつの間にか寝て、陽は山の向う側に傾斜。もう影になっている。
歩き始め、工事中のおっさんに呼び止められ立ち話。函館からの日雇いとか。一日1万、3食付き、イイなぁー。この時が3時。一路、庶野。何もない所とばかり思っていた。しかし割合大きな街?沢山、家が立っている割には寝場がない。郵便局で封印を押す。
霧は晴れたが、高い白波が雨に打ち寄せ、カッパを着た漁師が、手ガキでコンブをひっかけ波の中に。一見おもしろそう。波に浮かんでくるコンブを集めているが、一体どのくらいになるのか・・・。
アイス50円を食べながら岬へと。
もう夕暮れ、薄暗くなり部落を出ると、一面、草原が続く。昼間ならともかく、今の俺には寝場が必要であり、風景ではないのである。
しかし・・・、遠く遠方に襟裳の灯が見えるだけ。もう脚は痛くなり、今日はついていないと、ガッカリ。
いつの間にか空が暗くなり、車のヘッドライトが、来ては遠ざかる。
もう諦めて襟裳岬と・・・。灯台の灯と街の灯が闇に浮かぶ。
どれ程歩いたか。百人浜キャンプ場口の看板。少し行ってみたが、テントを持っていないので、結局同じ事とまた道を歩く。
そこから500メートル程行った、左横草原の中にポツリと小屋が建つ。鉄線の柵を越えて行くと、悪くない。ホッとする。疲れ、お茶を飲みたい。しかし、水がない。面倒だが、水をキャンプ場に汲みに行く。キャンプ場と思っていた灯は、酪農家の丘の灯だった。往復1キロ。
お茶を飲み、外に小便に出たら、海の上にポッカリと満月が浮かび、その薄い光は、浜の波を射して照らす。
夜空の世界に、降るような星の輝き。しかし疲れて、綺麗と思っても、落ち着いて見る気にはなれない。寝袋に入ると寝てしまった。
使用金額:1215円
砂浜は固く締まり、歩きやすい。前方に小さく、襟裳の集落
1979年
昭和54年9月9日(日)
今日は襟裳岬でゆっくりと過ごすつもりなので、焦る必要はなくボケと・・・とは、世の中そんなにうまくていっていない。このコンピューター的、自動目覚しは、たとえ何であろうと、自然に目覚める習慣とは、実に恐ろしいものである。
夜が明け、外は弱い光が指す。一瞬、朝日と思ったが、アァー朝日なんかどうでもいい、めんどくさい。しかし、イヤイヤ、それでは何のためにお前は旅をしていると、もう1人の自分が問い掛ける。
アァー、仕方ないと寝袋から這い出し、半分寝ぼけ眼で外に出ると、ジャーン、海の上に広がる雲が、真紅に静かに燃える、炎のように染まっている。
一瞬にして眠気は消え、冷たい外気の為か、それともこの素晴らしい朝焼けの為か、もう元気いっぱい。しばらく見て、あーこれは絶対に夕焼けにはない染色だと思う。
紅色は段々と薄くなり、いつの間にか消え、普通の空。
今日は急ぐことないと、また寝袋の中に入るが、寝ることはできない。
寝袋の中で、今日、日記をつけて手紙を書いてのコースは・・・?
寝袋の中が暖かくなってくる。寝袋を巻き、まずお茶を作る。
全然おいしくないお茶で、葉が粉である。もう絶対に宇治茶は買わない。
トタン小根から、少し1キロほど歩いたところに、レストハウス。沼で馬が遊んでいる。
お堂が立っている。ここでも寝れたなぁ。左側に柵をした草原。黄色い花が咲いている。この中を小さな水が流れ、手を洗い、歯を磨く。遊歩道をそのまま先に進むと、沼の水が小路を断ち切っている。柵の上を登って渡っていたら、リュックの重さでバランスが崩れ、落ちそうになる。
広い砂浜に出る。いいねぇ最高に・・・。
白浜が高く、うねりをもって押し寄せてくる。波の音がドッドッーと響く。誰もいない海に、海鳥が舞う。
砂浜は固く締まり、歩きやすい。前方に小さく、襟裳の集落。
靴を脱いで川を渡る。
波がザッブーンと押し寄せてくる。こんな素晴らしい浜を歩かないやつは、馬鹿だ。
なぜ、車から、バスから、降りて、少しでも横に歩いてみようとしないのか。日本人の馬鹿だれども。
そんな事を思いながら歩いていたら、遠く前方に小さく人影。どうせ漁師か・・・と思っていたら、だんだん近く、旅行者。リュックを背負っている。
女の子であることを祈る。しかし期待に反し、野郎。立正大学21歳。ユースに止まったとか。少し立ち話。アメ玉やるから自分で取れ、と言ったら、じゃ、2玉と、取る。アァー損した。1個のつもりだったのに。
部落に上ったら、漁師の婆さん連中に話かけられる。気さくと言うより、旅行者のアルバイト連中が大勢いるため、なれ。
昆布小屋から出てきた大阪旅行者、アルバイトと話ししていたら、バァさん、彼に仕事の催促している。
スーパーで買い物、9個1山470円の長十郎梨。上の1個食べたらおいしい。安いと買って食べたら後の残り、・・・。1,250円。
重い荷を担いで、灯台方面へ。途中の丘に登り、下に広がる太平洋を見ながら、まさに最高の景色。浜の終わりに広野。海には波が寄せ、丘の草は低く、寝るのに丁度良い。
ホッケのフライ、トマト、牛乳を口にしながら、ゆったりとした気分。空は晴れ、そよ風が吹き、草の中に、風の為か、低い淡紫色のマツムシ草が咲いている。
山の方面に自衛隊のレーダー基地。ゴルフ玉の親分みたいな大きなレーダーが建つ。
岬には白い灯台。食事して、風の当たらない斜面の草の上に寝ていたら、眠ってしまった。
レストハウスの駐車場に続々と車が来て、観光客は灯台方面、展望台へ。
しかし、誰1人としてその周囲の丘の上に登って、静かにこの素晴らしい世界に浸ろうとするものは、ひとりもいない。俺にはわからん。
展望台から、お土産屋、後は車でブーン。
俺は夕陽を見て、朝日を見て、昼はゆっくりと無心になり・・・。
この高い岬から見る夕陽を想像するとき、ゾクゾクとする。
どんな夕陽が展開するのか、もう心配である。
今日は丘の上にポンチョを広げ、昨日今日の分の日記をつける。
少し疲れ、皆が行く展望台へ。人を見に行くようなもの。お土産屋、欲しいキーホルダー、しかし、やめた、荷物になる。
丘に戻り、日記、書くことばかりで時間が過ぎて行く。
本当は手紙を書くつもりだったのに。明日の封印どうする。
陽が45度に傾くと、急に涼しくなる。
宗谷岬みたいにスピーカーが、がなりたてないのが、静かで良い。
何雲か知らんが流れて、ゆったりした気分になる。
杜甫の詩に、雲は流れ我は詩栽する、なんて詩あったか。もう忘れてしまった。
陽が静かに海の向こうに傾き始めると、吹くそよ風も急に冷たさをます。
その周りに、流れ雲が集まり、段々と色彩を華麗な世界へと広げて行く。その美しさに圧倒されてしまう。
雲はオレンジ色に染まる、刻々と姿を変えてゆく。最高の夕焼け。
日本にも、このところあったのかと喜びになる。
カメラを送り返した事に、後悔する。残念である。
駐車場より夕焼けを見ている者たち。5~6分もすると、車の騒音を散し、去ってゆく。
じっくりと腰を据え見るものがいない。なんと忙しい連休なのか。なんと心にゆとりのない連中か。こんな素晴らしい美の世界。やたらと見れるものではない。
もうイイ、イイ。あいつらは馬鹿だ。ノータリンだ。あわれな連中だ。
さて暗くなって、どこに寝る。ぐるぐると回って、草薮の中、アッチコッチと歩き回る。しかたない、神社でも行くか・・・。
建築中家宅。小さな窓側から入る。足を上げ下げするたび、ビリィービリィーとジーパンの破ける音がする。
このジーパン、寝袋の中で年数を数えたら、もう8年前だ。
使用金額:1250円
精神の礼儀には実に多くの素質を必要とする
1979年
昭和54年9月10日(月)
真夜中、小便の為、家の中をグルーッと回っていたら、薄明るい中に見えるは、菓子袋に20本程の一房のバナナである。これは、儲けたと・・・。そのまま寝袋の中へ。
暗かった夜がしだいに薄明るくなっていく。窓より、小さく海面の上が炎のように段々と大きくなって行く。
寝袋を巻いて、魚のつまみ一袋、バナナ3本を失敬する。
後で全部持ってくればよかったと後悔したが、あの時は、荷物になって困るから止めたが・・・。
外に出て、展望台に向かう。しかし、展望台の上には、20人近い人間がザワザワと。きっと、ユースの連中であろう。騒がしいので、公衆便所の横を越え、その斜面の草原に立つ。
美しい朝の始まりであるが、昨日の夕陽があまりにも良過ぎたのか、見劣りがする。
失敬してきたバナナとつまみを食べながら、朝の海を見る。
朝早く、まだ閉まっているレストランの前で、みそ汁を作る。たとえ、インスタントでもうまいと思った。
次はお茶を作る。その時、オートバイが来て、車両禁止の柵を無視して、展望台の方へ向かう。
それを見ていた3人の女(年の頃20歳程)、2人はブス、その中の1人が
「あの男、汚いわネ。でも、男だからあんな旅ができるのよ」とか、なんとか、メガネかけた、ブス女。
お茶を立って飲んでいたら、割といいイイ(ほかの連中と比べると)女、
「あぁー、写真を撮ってもらえないでしょうか」
彼女が座ったとたんにシャッターを切る。3人とも、ポカーンとした顔で写っているであろう。
昨日と同じ丘に登り、ポンチョを広げ、まず、日記、。昨日の残りを書いて、今度は、Kに手紙を書く。草の上であるから書き辛い。3時間ほどかかったのでは。
今日は、昨日と違い、海の波は、おだやかに蒼い。
舟の群れがコンブ取りに行くのか、白波を立てていく。
空は青空、雲は流れる。心は良く、書き上げたいと焦る。手紙を書いて、郵便局。ハガキに封印、20円。
台の上で住所を書いていた時、3人の女の子が貯金をおろしに来て、台を散らかして去る。埼玉。
注意しようと思ったが、タイミング合わず。彼女ら出て行く。俺が片付ける。なんで俺が片付けなくては・・・。どんな暮らしをしているのやら。末恐ろしき女のガキども。
草原の丘を越え、一路えりも岬へ。高い丘より見る。襟裳岬の集落は、家族総出でコンブ干しをやっている。バラスを敷いた上に、一本一本と並べている。大変な量のコンブである。
ゆるやかなを丘を幾つも越え、時々通るバスには旅行者が、もうまばらである。
八月は、一日何十台とスレ違った自転車、オートバイも今はもう来ない。
東洋の集落で相撲大会をやっている。のどかな風景。
丘はゆるやかであるが、道路の上下は激しく、風は涼しいのに汗をビッショリ。閑散とした集落の店で、HiC、パン、370円。昨日と違って、海の色は青く美しくキラキラと輝いている。
えりも町より先、集落はないし、ジーパンはボロボロ。縫う事もあるし、ユースに泊まる事にする。神社で腰を下ろしたら急に眠気、中に入って眠る。泊まるには最高によい場所。しかし風呂に入りたい。電話をする。もうシャツがボロボロである。
ユースに到着。ジーンを縫って洗濯して風呂に入る。日記を書いて休んでいる暇なく、多忙。日記を付けていたら2人、入って来る。東京から20才。
飯を食って、食堂で日記を書いている。後でギターを弾いて、俺は気が散る。
今日3人の女の子が来るとか。今、チラリと見たが・・・。
「見せかけのための礼儀なら、わずかの素質で十分だが、精神の礼儀には実に多くの素質を必要とする。」
マンガの読み溜めである。マンガ本を読んでいたら、コーヒーが出てくる。
10杯程飲んだのでは。3人の女の子、下に降りて来たが、知らん顔で、マンガの本ばかり見ている。
少し話しかけたが、すぐマンガに顔を落とす。ブスばかり。
彼女ら、上に上がっていく。
2人の男に、面白い草柳大蔵のエッセイを読んでいたら、いつの間にやら、人生とは何なのかなんて話になる。ベラベラと俺ひとりで話して2時間過ぎ、馬鹿みたい。
目を赤くして俺の話を聞いていたが、一体どれ程まで理解したのやら。後で空しくなる。
彼ら、また東京に帰っても、元の木阿弥、であろう。
ユースホステル代、1000円
使用金額:1990円
雨が上がり、青空がまた顔を出す。様似まで1キロである
1979年
昭和54年9月11日(火)
コーヒーの飲み過ぎである。眠る事ができない。
少しウタウタとしていたのか、明るくなるとそのまま布団の中でジーッと、2人の寝息を聞く。
6時30分、秋葉原がムクッと起きて、俺も顔を洗いに下へ。
昨日洗った靴、ジーンがまだ乾かないので、外に干し。部屋の中で、昨日の続きマンガを読む。朝食は頼んでいない。
下に別の本を取りに行くと、例の神奈川県の3人、出発するところ。その中の1人、俺の会員証を見て驚き、昨夜のシーンとした態度ががらりと変わっている。アーァ、イヤダ。
俺も荷物をまとめユースを出る。
奥さん、男女のヘルパー、女ヘルパーは24才、パーマ。肌が荒れているが細くカワイー、凄くセクシーな歩き方をする。
2人別れ、ユースを出ると、3人の女子、見送る為にユースの3人が旗を振っている。
俺が行くと、今度は俺に大きな旗を振る。少し遠ざかって、大声で叫び旗を振る。一体何と言う旗なのか。
洗った靴がきれいにスッキリとする。しかし、頭、体のほうはもう寝不足で、ガクガクである。
空は晴れ、波は凪で、海は青い。どこもかしこも、コンブの作業だらけである。
男は船でコンブを採り、女はそれをバラスの上に乾す。家族総出。小さな集落が幾つも続き、その中を流れる川の水は澄み、きれいである。水浴びは必要ない。
HiC、トウフ、パン、450円。崖から流れ落ちる水は、あまりおいしくない。
えりもから8キロ程の所で右側に神社がある。中は埃だらけで汚れているが、横に沢から流れる水が溜まっている。バケツを持って、ポンと下に飛び降りたら、ズブッと靴がめり込む。洗ったばかりのきれいな靴である。頭に来る。慌てて水で洗ったが、今度は靴が濡れる。
神社の中を、ゾウキンで拭き掃除。靴を外に干し、やっとウタウタといい気持ちになっていた時、足がチクリと痛い。反射的に起きてみると大きなアブ。
お茶を作る。川の水は少し濁っているが、贅沢はいえん。
どのぐらいこの神社に居たか、また、テクテクと。
フッと右側の谷間を見あげると、真っ白な今まで見たことのない白い雲。多分あれは入道雲ではないかなぁー。しかし、今頃入道雲なんて思っていたら、右側から灰色の雲が流れてきて、コンブを乾かしている人々は大慌てで、コンブをかき集め、子供も走って雨が降る前にと。テンヤワンヤである。
手伝おうかと思ったが、頼まれもしないのに・・・。あとで変に思ったら・・・。そんなこと思っていたら降り出す夕立。にわか雨である。
冬島。山の中腹に、鳥居が見えるので雨宿り。
ついでにお茶でも作るかと、下で水を入れ、長い階段を上っていったら、電球球がぶら下がってブラ下っている。どうもおかしいなぁと思ったら、神社の中に人。行くと御供物。訊くと秋祭りとか。北海道のモチだと、四切れ。砂糖と一緒に紙で貰う。2個食べたら、食べ切れない。別においしいものではない。
縁台に座って雨が止むのを待つ。丘の上から海が見え、土地のおっさん連中、コンブの話をしている。やはり少し言葉が違う。
雨が上がり、青空がまた顔を出す。様似まで1キロである。
香港シャツ、海に流す。ボロボロでもう着る事が不可。かといってゴミ箱にポイと捨てる訳にも行かん。それで海にでも流したらよいであろうと、小石を巻き海に投げたが、シャツは波に漂っていた。
様似、思っていたより大きな街であり、やたらと女子高校生がブラブラとしている。
駅に行ったら、4 :40 pm。リュックを置いてスーパーに買い物。餅がまだ二個残っているが、いつも田舎でパンとHiCばかり。始めはラーメンと思ったが、高いので止めた。
シューマイの出店販売店通ったら、おばさん味見だけと、1個。うまい。買ってくれと言われても、フライパンがない。じゃぁ私が焼いてあげますと、焼いてくれる。1431円。
駅に戻ると、女子高生がゴロゴロ。温かいシュウマイ24個、280円。温かいからうまいのか、ペロリと。前に座ってる高校生、割合かわいい。しかし、靴のセンスは最悪である。窓より夕焼けが見える。
海で夕陽を見ようと急いで出る。冗談で、女子高校生に通してくれると言ったら、通じない。ムッとしていたが、もう1人の可愛いほうは笑っている。
海が真赤紅・・・。
海に出ると太陽が丁度、海の中に沈んで行くところである。もっと早く出ればよかったと後悔する。
さてどこに寝るかと。多分、西様似には無人駅であろうと想像して行く。山の頂上に展望台が見える。あれも良いかもと思ったり、西様似に着いた時はもう暗くなっていた。駅に光、待合室のは暗いからと、中に入るとぱっと電気がついて駅員が来る。
今夜泊まっても良いでしょうかと聞いたら、ニューとして
「まぁ中に入ってお茶でも飲んでください」ときた。29歳の助役である。
ニコニコとして、一見どこか抜けた感じ。よくしゃべる。よく気がつく。
しかし頭は良いのであろう。普通とは全く違ったタイプの人間である。
待合室で日記をつけ始めたら、明日はもう会えないでしょうから、気をつけて行くようにと、色々と丁寧に言って行く。
待合室で、マヨネーズにきゅうり、ボリボリ。久しぶりと鍋する。
とにかく、今日は疲れた。もう書くの嫌。
使用金額:1881円
満天の夜空に星屑が、ザーッとブチまけてある
1979年
昭和54年9月12日(水)
朝5時前に駅長が出てきて、ガタガタとやり出す。いつまでも寝ている訳にも行かず起きる。
リュックの背あてが緩んでいる。締める為にペンチを借りる。目がドローンとしたおっさんである。リュックの中身全部を出して締めていたら、おばさん連中がポツリポツリと駅にやって来る。
6時前に駅を出る。海岸線に出て、トンネルを出たすぐの所で食事でもと・・・。しかし、要便。場所がない。トンネルの出口、出ている部分に上る。斜面でやりヅライ。荷物がズシリと重い。カニ缶、安いから3個買ったが、この重さに耐えなければならないなら高い物だ。しかし、最近、ロクなものを食べていないから・・・。
昨夜、久し振りに、キュウリにマヨネーズをつけて、ボリボリと、これがうまかった。
日高幌別、ドライブイン。STATION、POST、RESTRANT。
一見、西部劇か北欧の駅にありそうな建物。フゥーンと思っていたら、その横に線路が通っている。まさかと思ったら駅である。
中に入って休む。中は合板で、あまり品がないが久しい・・・。
色々な観光客が写真を撮って行くとか。それにこの地は、競争馬の産地とか。シンザンなんな馬がいるとか。
何か知らんが体がダルイ。
10時、浦河駅。待合室で朝日新聞を買ったが、全然頭に入ってこない。アイスを食って横になる。110円。土方のおっさん、荷物を送るらしいが、大声でガァーガァー。地声であるらしいが・・・。駅員ショボーンとしている。
浦河を出ると、鉄道は山の向側を通っている。もう道路沿いに駅はない。
12時近く、浦河を出たが、後の事は覚えていない。
途中、牛乳、125円を飲んだ。酔いチンドン屋に話しかけられる。秋祭りの呼びかけとか。前歯のない変なおっさん。
後は荷物の重さにやられて、どこの漁村か、生活館の横壁で休んでいたら、カラオケの大会、祭りをやっている。新聞を読んでカニ缶を食べて、一心に軽くしようと。肩が痛いし、足裏にマメができる。
リュックをいじったからバランスが崩れたのか、急に重くなる。
この日は歩くのが苦痛である。
三石の手前で夕陽が始まる。ガソリンスタンド横から、砂浜に出る。
お茶を飲みながら、今日はじめてホッとする。
太陽は沈み、波の音だけが残り、続く。もう一杯と飲んでいたら、もう暗くなって、工事中の橋を渡り、サァーてと思いながら歩いていたら、小さな駅が見える。これが三石か。
三石に着いたものの、寝場なく暗いし・・・。
駅を出ると子供が自転車で遊んでいる。神社を訊くと教えてくれる。途中、テンプラ、コロッケ、トウフ45円を買って行く。あの少年の距離、合っていると感心する。
普通、大人は車に乗り慣れ、距離感が鈍ってしまっている。
真っ暗の中に、階段を上がって行くと、大きな神社あり、鍵はかかっていない。ホッとする。
外に腰を下ろしてトウフ、コロッケを食べる。
満天の夜空に星屑が、ザーッとブチまけてある。
神社の内に畳が敷いてあり、手で触れても埃がない。
祭後で、掃除したままなのであろう。本当にホッとする。
使用金額:580円
春立を出て、通学時間。子供たち、日本一周かな北海道一周かなぁーなんてささやいている
1979年
昭和54年9月13日(木)
昨日も今日も深く眠っている。
どうも疲れが溜まっているらしい。人が来たら困るので早めに出る。下の社務所に子供が新聞を入れに来た。
町はずれにコンブ干し用のジャリ場があり、そこで牛乳140円を飲みながら、昨日のテンプラを食べる。しかし、牛乳は9月6日の日付である。
春立駅(はるたちえき)に着いて、一発、てき面に下痢である。
急に頭がおかしくなったのか記憶が乏しくなる。
昨日の分、日記を付けていたが、場所がないし面倒でもある。
書きたくないが、後で後悔することわかっているから・・・…。
春立を出て、通学時間。子供たち、日本一周かな北海道一周かなぁーなんてささやいている。
女子高校生の後ろ姿、新鮮だと思った。バスに乗って行く。
10時、車、静内、休む。農協売店に行ったが何もない。HiC、カリント510円。その前100円のトマト。狭いベンチに座って、時計をなんとなく見て、カリントをボリボリと。駅員が何やらトタン板をガンガンとやっている。どこもかしこも暇なのか。
カリントでは腹の足しにはならない。さて行くか、と立ち上がってリュックを持ったら、ブチっと、以前修理した所がまたイカれる。
駅に千枚通しとベンチを借りて縫う。以前は千枚通しもベンチもなく、針を何本も折ったが、今度は楽であるが、それでも30分位かかった。
11時15分駅を出る。前方に小さく集落が見えるが、地図には載っていない。
自衛隊の駐屯所あり、その先から砂浜に出て歩く。砂浜を歩いているおっさんに、時計を訊いたら12時55分だと。その集落から先に進んで、砂浜にポンチョを広げ、日記を書くつもり。頭がボケているので、少し横になろうとポテとしたら、そのまま寝てしまう。
途中何回か目覚めたが、金縛りみたいで、体が動かない。また、そのまま寝てしまう。
何時頃か、いつまでも寝ていてもしかたがない。海に足を入れ、顔を冷やす。もう泳ぐ訳にもいかない。
昨日の分の日記を付けるが、もう陽が傾いて、風は涼しい。
4時頃であろうか。
新冠(にいかっぷ)のユースなんて思っていたが、もう銭の使い過ぎ。
誰もいない浜であるが、ゴミだらけで汚い。この村の連中の感覚が知れる。さて歩こう。
静内川の大きな橋を渡り、町を素通り。町と言うより市である。
津軽三味線竹山の公演ポスターが貼ってある。
ユースまでそんなに遠くないが、もう銭の使い過ぎで、贅沢は敵だ、の精神で行かないと、このままではパンクしてしまう。
馬の産地らしく、やたらと牧場が続く。英語でpastureなんて書いてあるが、米国から比べるならばネズミ小屋であろう。
静内を過ぎ、新冠の入り口。途中、道路横に落ちていたマンガを拾って見ていたら、もう陽が傾斜して、どんよりと海の上で、雲を紅に染めてゆく。色がいつものようにスッキリとしない。明日、雨かなぁなんて思う。
新冠町の入口に車解体屋あり、ポンコツ車が並んでいる。
ラジオでも聴けるのではと思ったが、バッテリーがない。
先に進むか迷ったが疲れているし、アァー面倒だと、車の中に寝る事にする。
車の窓からどんよりとした夕映えを見て、明日の天気を思う。
暗くなって、腹がグーグーと鳴る。残りカリントを食べたところで、たかが知れている。
車の中は狭く、体はアントニオ猪木に海老がためを喰ったようなカッコウで寝るから、とてもではないが、体のアッチコッチが痛くなる。
寝る事が出来ず、窓を開け、外に足を出したり、逆になったり、隣りのフォードに移ったが、ブルーバードより少しましなだけで、これも同じ。何度も目覚め、脚が痛くなっていく。後悔する。
何故だかKTさんの夢を見る。
使用金額:750円
早く北海道を出たい。山の木々は少しずつ色づき始めている
1979年
昭和54年9月14日(金)
イヤハヤもう、体のあちこちが張って、痛いのなんの・・・。
夜が明けたが、車の中で痛い体を曲げて、ジーと窓より空を見る。曇っている。全くついていない。体は、歩く前から疲れて痛いし、空は悪いし。しばらく寝袋の中に居た。
いつまでもこんな車の中にいても、おもしろくもない。
この車解体場から500メートル程先に神社があった。
こんなものである。
ガソリンスタンドで洗顔して、朝のどんよりした新冠を過ぎる。川を渡り、前方に高台あり。そこより2人の旅行者が出てくる。ユースの看板。
寝不足と痛い脚でモタモタ。足が重いから、ますます荷も重い。もういや、ウンザリである。
歩き始めたばかりなのに、雨模様だし、疲れているので、寝る所を探しながら歩く。
節婦に着いて、山側の中に神社が見えたが、あそこまで登る元気はない。街通り、ジャージを着た中学生がバス停にたむろしている。最近のガキどもはバスで通学するらしい。あぁー恐ろしい。
牛乳、パン280円。駅で休むが、寒い。それに寝るにはベンチが狭い。パンにマヨネーズを付けパクつく。
常に朝の5キロはアッという間に歩いてしまうが、その後はもうヨタヨタで、最近、精神的余裕はなくなった。
これも気候のせいか。朝夕は冷え込んで来る。
あのまま、弟子屈から納沙布に行っていたら、今頃釧路。寒さでヒィーヒィー言うだろう。
あの、急に心が変わったのも、長年の感なのか、なんて思う。
この駅で休めないので、次の大狩部駅(おおかりべえき)を目指す。道路から外れ、堤を歩くと数人の釣り人。空のせいか、海も濁って汚いし、臭い。
駅に着いて、無人小屋。とても寝れたものでは無い。
もうガックリ。また、もたもたと上り坂を行く。
上がったり下がったりの人の気も知らん道路。
途中、小さな道路を見つけたが、鍵がかかっている。そのまま曇り空の下を歩き続ける。
シトーと降る雨の中
夕暮れとき 遠くより鳴り響く 寺の鐘
いくつもの牧場、親子馬が草を喰っている。
丘の上から、厚賀(あつが)の町並みが見下ろせる。遠く前方の山中腹に神社が見える。
駅よりも、とにかく眠らないとこの足の痛さは治らない。
郵便局前で水を汲み、神社へ。途中、店の前を通った時、食料と思ったが、面倒なのでそのまま通り過ぎる。
一瞬、イヤな予感がしたが、後の祭りである。
学校庭でソフトボールをやっている。
神社の階段を登り、着いた途端に雨がパラパラと降り始める。
神社の隣に水がある。遠くより見た時、水がありそうな予感がしたが、もしなかったらと、想い重い思いをして持ってきたが、神社は大きな鍵がかかっている。しかしその前に、野外舞台小屋が立っている。
中を草で掃き、ポンチョを広げ、寝袋の中に入ってすぐ眠る。熟睡はしていない。それでも半分は寝ているらしい。半分目覚めてても、体が動かない。雨が屋根をパタパタと叩き、山からカエルの合唱である。
何時間程たったのか。起きて、残りパンを食べ、お茶を作る。はじめの一杯のお茶、うまかったが、もう後はダメ。
腹が減って仕方がない。しかしもう何も食べ物く、雨が降っているので、買いに行くにしても遠い。まさかこんなに降り続くとは。今日もう少し歩けると思ったが、この空の様子では、絶対に今日、雨が止むことはない。
地図ばかり見て、あれこれと考えは先を行くが、現実、この寒い雨降りの中、早く北海道を出たい。山の木々は少しずつ色づき始めている。
寝たら、さすがに足が痛さは治った。しかし本も新聞もなく、退屈である。日記も特別書くこともなく、さっき中学生の連中、クラブ活動で走ってきたが、4時30分ごろか。
腹が減って我慢できず、ぱらつく雨の中、街に買い物、1413円。
ビールを買うと思って酒屋まで行ったが、節約、やめた。
ラーメンのスープにうどん玉2個ぶちこみ、温かいから悪くない。
もう薄暗く、ほとんど見えないが書いている。
カラスがカーカーと、たくさん、雨の中を舞っている。
使用金額:1693円
清畠駅に着く。線路横で、子供達が花を摘んで遊んでいる
1979年
昭和54年9月15日(土)
ひと晩中、熊が山から出てこないかと心配。オチオチと寝ていられない。
横にライター、ガス、ナイフを置いたが、寝ている間にヌーッと熊が近づき、目をパチッと開いたら、前に熊の顔があった・・・、なんてことを想像して・・・。
山の中腹にあるのがよくない。用心に越した事は無いが、結局そのまま夜が明けてしまう。
どんよりとした曇り空である。今日も降るのか、雨雲が空いっぱいに広がっている。
寝袋の中でグズグズとしていたが、起きて、まず、草茂る中にある一見壊れかかった公衆便所に入ったが、一瞬のヒラメキ。嫌な予感がしたので、まだ小さいクソたれ落とすと、ポチャンと昔懐かしい例のお釣りが返ってくる。俺のクソは大きいので、まともに垂れていたら大変だ。便所の横でクソを垂れる。これで最後の紙である。ユースから少し失敬して来るのを忘れていた。今までクソ紙は買った事なかったのに・・・。
キュウリ、バナナ、パン、牛乳、少しでも持つ荷物を軽くしようと、セッセと腹の中に入れ込む。
朝、寺から話の音が聞こえたが、一体何時頃なのか、静か。
今日は老人の日、敬老か知らんが、老人も大切だが、最近クダラン老人も多すぎる。
富川- 鵡川(むかわ)間が12.3。中途半端な距離なので富川まで。しかし、富川までだと約16キロ。時間が余るのでゆっくりノンビリと歩く。道端にマンガが落ちているのを拾う。
清畠駅に着く。線路横で、子供達が花を摘んで遊んでいる。曇っていた空は、いつの間にか青空が顔を出し、海岸では釣り人が、ゾロゾロとまではいかないが・・・。
昨日の事なので、清畠-豊里、どんな道だったかも忘れている。
とにかく豊里の小さな無人駅に着いてリュックを下す。
中は汚いが時計がある。10時少し過ぎである。便所横に水道蛇口、ラーメンを作る。その後、お茶を作って飲んでいたら、入墨をした兄ちゃんが来て、馬のクソかきアルバイトをやらないかと言う。残念な事に、俺にはもう時間がない。こんな所で冬を越す訳にはいかない。
「一週間程だったら」と・・・。長く滞在しないとダメらしい。その時、ディーゼル車が来て、兄ちゃんそれに乗って行く。
小さな無人駅に小さなホームに、2両のディーゼル、のんびりした風景である。
11時15分、俺も荷物をまとめて出る。水があるので、靴下でも洗濯とでも思ったが、飯ツブで下水が詰まっている。多分、自転車野郎か何かが洗って、詰めたのだろう。
全く日本人の公徳心の低さには、ヘドが出る。
急ぐ必要がないので、気軽にブラブラと歩く。
日高門別。12時15分着。
小さな信じられない程の駅なのに、売店がある。
こんな所に店を置いて、儲かるのかなあー。
休日の為か、人通りもなく閑散といる。始め朝日を買ったが、薄く16ページしかない。毎日は20ページ。取り替える。小さな待合室でゆっくりと新聞を読む。時々土地の客が来る。新聞は別にパッとするような記事はない。
女の子がひとり俺のリュックの横に座っている。駅長が話して土地の者らしいが、今はどこか他に行っているらしい。よほど自分自身に自信がないのか、やたらと作り笑い。これだなぁー、日本人には分るが、外人には不気味なのは。
若いのに前歯は金銀の入歯なので、口を開けると老けて見える。いつの間にか見えなくなる。
いつまでも新聞ばかり読んでいてもしかたがないので、歩き始める事にして立って、丁度その時、2人の中年女。一見して水商売って分る服装である。
大きなケースを持ち、こんな所に何しに来たのか・・・。
白い服を着たサングラスの女、タバコの空箱を窓に捨てる。ものの2メートル先にゴミ箱があるのに・・・。こんな女・・・、イヤ、イヤ、イヤダ。
富川の入口の高台だったか、高校から、さだまさしの亭主関白だがなんだかなの歌が流れて来る。
下に富川町が見える。大きな街で陽はまだ高い。しかし、今日はこれまで。丁度、右側に神社あり、境内で男子達が遊んでいる。
階段で、また足を洗って、靴下を取り替え、新聞を読んでいたら、母娘がバケツを持って、こっちにやって来る。
鍵を開けて中の掃除を始めた。
嫌がらせで来たのかと思ったが、どうも明日、結婚式か何かをやるらしい・・・。
母親は30代の中か、真赤な口紅。一見、グラマー、しかし肌にハリがない。娘中学生か、コロコロしている。掃除の邪魔になるので移る。碑の前で腰を下し、今日はここに寝る事ができない。どうするかなぁーと、ボケーとする。
姉弟の子供が俺の前で、貝がらを拾って遊んでいる。
明らかに俺が珍しい。しばらく黙って見る。何処かに行こうとしたので、話しかけると、8才、5才。3年と幼稚園。俺の横で貝がらを広げ、何やらゴチゴチ。瞳の大きな、前歯が1本ない。
「前歯がないじゃないの」と言ったら、口を閉め隠している。
仲の良い姉弟で、素直?「お父さん何やっているの」。沈黙。
弟が「ミルク作ってるの」
お母さんも働いているの。
「うん、家でご飯作ったり洗濯したり」。なんだ家の仕事か。
女の子が「でないと、母と言えないじゃないの」
「ヘェー、じゃー、大きくなったら、何になるの、母になるの? でも、結婚しないと母になれないよ」
「そんな事が分るはずじゃないんの、先の事なんか」
「おじさん、何処から着たの?」
「おじさんではない、お兄さんだ・・・」
「でも、おひげがいっぱい」
俺の横に居たが、
「家の人が知らない人と話をしてはいけないと言ったから、もう話さない・・・」
2人で走ってゆく。
走り過ぎたのか、恥ずかしそうに顔を赤くして、また戻って来る。
きっと美人なると思う。
寒くて手が震える。
使用金額:1005円
ところで俺は何千キロ程歩いているのか
1979年
昭和54年9月16日(日)
真夜中、目覚めるとジャリ石を踏み歩く音がする。
ジーッと息を凝らすと、女の子の柔らかい声が流れて来る。
こんな真夜中、隣は何する人ぞである。しかし、ジーッとして話を聞いていると、2人男女高校生である。標準語を話すから分るが、話の内容がサッパリ。一瞬、沈黙が流れる。さてはと、音を立てないように寝袋から出て外を見たが、三日月の光に窓が反射しているのか見えない。連中は、まさか、扉1枚向こう側に人が居るとは夢にも思わないのであろう。
何時間ほど耳をすませていたか、もうアホクサくなる。
強姦でもするのなら、おもしろい話のネタにでもなるが、こんな真夜中2人で来るのだからそんな事はあるまい。しかし、眠るにも頭が冴えてしまった。
昨日、街通りより別の神社の階段を見つけ、登っていくと、小さなお堂あり。しかし鍵がかかり、その上に五寸クギが打ち付けてある。鍵は引き抜き、クギは鍵をひっかけ回し抜き取る。
5個220円の梨を買ったが、これはうまかった。梨を味わう時、なぜか小学校の運動会が思い出される。
夜が明け、吐く息は白い。梨をパクつき、お堂を出る時、また同じように鍵を差し込み、クギは曲ったが打ち付ける。
登り坂道を上ると、高台に道は走る。コインフードの水道で顔を洗う。その時、1台のカローラが来て、自動販売機のコーヒーを飲む。ヨクあんなものに銭が使えると感心する。6:24 am。
冷たい朝の中をそのまま歩く。左側に農協ドライブイン。結婚披露宴会場あり、その奥に便所。そして休憩所らしきテントが張ってある。まず、クソを垂れたが紙がない。しかたがないので、学校用紙をグシャグシャにして使う。
外気は白、信じらぬ程冷たく震える。机、椅子があるので、休みがてらに日記を付けていたが、寒くて手がガタガタと震える。お茶を作ったが、どうもおいしいくない。
店員たちが来て店のシャッターを開け始める。にわか雨か、ザーッと降り出し、テントの屋根を叩く。日記を書いていても、書く事が沢山あるが、何か終わらないのに自分ながらイライラとする。
おみやげ屋の品物を見たが、高いのなんの、それに質も悪い。いいかげん頭に来て、途中で日記を止め歩きはじめる。今日は、浜厚真(はまあつま)。急ぐ必要ないのに、何故だか、イライラとする。
歩きはじめると、足がガクガクとする。こんな事初めて。
寒さのせいかと思う。足が冷えている。
ギィーギィーと大型トラックが横に止まり、おっさん窓から顔を出し、
「おい、乗って行くかい」
「イイエ、歩いているもんですから」
「そうか、じゃー頑張れよ」
大きなエンジンを残して、小さくなる。
富川-鵡川(むかわ)、12.3キロ。鵡川駅に10時30分。丁度、時速4キロ。
ドライブインで、1時間いた事になる。
鵡川に入る手前に、ザァーと強い通り雨にやられ、リュックをガタガタと鳴らせ走る。民家の車庫に雨宿り。
日曜日の為か、静かな町通り。おっさん土方風、子供を家の中に連れ込み、子供をブッている。
子供、ショボクレて立っている。
土方風のおっさんの怒り方は、どこも共通しているのか、昔を思い出す。嫌な怒り方、ヤハリ品がない。
駅にリュックを置いて、スーパーに買い物。買い過ぎないように注意する。待合室に戻り、駅の売店で朝日を買う。今日は厚い。ユックリと、キュウリにマヨネーズをかけ食べながら、新聞を読む。駅内は時々、人が来る。赤字列車が来て人を運んでいく。
駅内はまた、元のように静かになり、トマト、魚のフライ、牛乳とパクつく。大きな街に入るとスーパーがあり、安いし、色々あるのでホッとする。腹が張って脳が鈍くなって来たのか、読み過ぎ、頭がボーッと、字が入らなくなる。
歩く事にする。1時少し前に駅を出る。
街を出ると、広い原野、続く原っぱばかりで嫌な予感がする。
浜田浦に着いたものの、ただ小さな、ほったて小屋が建っているだけ。少し休み、次の浜厚真。今日ここまでのつもり、つもりは常に変化するのである。
国道は狭く交通量が多い。ビュービューと俺の横を車が走って行く。気がイライラとして来る。
300メートル左側は、草原を突き抜け、浜である。柔らかいと歩きにくいし、まぁー行くだけ行ってみようと、浜に出る。
長い浜に波がザァーブン。しかし、風のせいか水が濁っている。しかし、後で気が付いたが、これは苫小牧の工場廃水のせいだ。はじめは良かったが、途中から砂が変わり、原っぱを歩いたらアッチに行ったりコッチに行ったり。地が砂だからヌカリ、数倍も疲れる。しかし車の横を歩くより、気が楽である。
前方に小さな家宅。勇払(ゆうふつ)にしては早いし・・・。
浜に2人の女の子が遊んでいる。訊いてみると、浜厚真(はまあつま)だと言う。ガックリ。
随分歩いていたと思っていたのに、途中川に出る。道路に逆戻り。随分遠回りした事になる。
橋を渡った所で、反対に渡ろうと立っていたら、3人乗ったカローラが止まった。事情を話し断ると、同乗者の1人女の子、サーッと缶ジュースを出してくれる。静内からと。
今の若い連中はと言うより、今の人間はと言った方が・・・と思う。若い者でも、いい連中もいるし悪い連中も。大人だって同じ。いや、大人の方が悪どいと思った。ところが俺は28才。どちらの分類に属するのかなぁー。
今日は勇払まで歩く気は全然ないのに、何もない原っぱなので、嫌でも歩くしかなく、勝手に先へ先へと進む。
浜に出たり、寝所を探しながら歩いても、結局は同じ事。陽は傾き始め、雲は紅に染まり、車はやたらと走り、とうとう前方に勇払が見え、もう諦めるしかない。
地図上で見る限り、小さな集落であるが、新興住宅地がずらりと。家宅が建ち並び、とても寝場どころの話ではない。もう薄暗くなり、とりあえず駅に行ってみる。
待合室に来た女2人に神社を訊く。日記を少し書いていたが、書く気になれず、6時少し過ぎの上下列車がこの駅でスレ違う。この辺一帯、工場地。夕べの時間か、ゾロゾロと乗客が改札口を出て家へと向かう。
皆、家に帰ると温かいご飯が待っているのか。時々思うが、生まれてこの方、まともに暖かい飯を食った事がない。
家にいては気兼ねをして、外に出ては人に気を遣って・・・。
どう逆さまに考えてみても、親父は反面教師でしかない。あれは本当に子不幸な奴だ。
時代があんな狭い人間を作ったのか、あの人間性があんな人間を作ったのか知らんが、60過ぎたら、もう少し人間、素直になれんもんかいなぁー。
暗闇の中に、ホームに停車中の列車の光がポッと暖かい。列車は赤いテールランプを段々と遠ざけてゆく。ホームに立ち、列車を見送る駅員のカンテラが揺れる。
踏切まで歩くの面倒臭く、草茂る中をかき分け、線路を横切った時の一光景である。
神社に着いたものの、アッチコッチと厳重に鍵がかかり、もう、手も足も出ない。ガックリ。垣をひとつ越え、学校である。校庭に入り寝場を探す。遊園地のドカン、悪くない。とうとう俺もドカンの中に寝るハメになったか・・・と。
校庭端にある廃車バスを見ると、鍵がかかり物置に使用。しかし、運転台の小さな窓が開いている。
神社に引き返し、リュックを背負い校庭を横切っていたら、見回りの懐中電灯の光が俺を照らす。そのまま歩く。見回り、校舎を回っている。
バスの中に入り、中から非常用ドアを開ける。運転台の小さな窓に入る時、ビリッと尻を裂く音。
中に入って、シートを拭いて、ホッとする。
キュウリ、パンを食べ、一息して寝袋の中に入る。
今日は全然、こんな所まで歩く気はしなかったのに・・・。
今日の新聞に、徒歩 35キロで、途中バスの世話になる者、もうこんなに苦しいのはこりごり、と書いてあるのを思い出す。
笑っちゃうよ、たかが36キロぐらいで・・・。
ところで俺は何千キロ程歩いているのか。
窓から夜空の星が見える。
今日も一日が終わった。寝袋中に入ると、スグ寝てしまう。
使用金額:1413円
北海道は、道が碁盤状に作られているから、方角さえしっかりしていれば、道に迷う事がないので助かる
1979年
昭和54年9月17日(月)
明け方はもの凄い冷え込みで、ハァーハァーと吐く息は白く、寝袋から出るのがおっくうになる。寝袋が良いので助かる。
校舎の時計合っているのかどうか知らぬが、4:30 am。
もう陽は短くなっている。少しおかしいがそんな事はどうでも良い・・・と、寝袋から抜け出す。
ガラス窓に水滴。今日は学校が休みであるから、もっとゆっくりとできるのにと思う。
お茶を作るガスが、もう終わり近いので、チョロチョロとしか火が出ない。
パンにマヨネーズをかけ、パンはモサモサ、お茶の味はさっぱり。それでも熱いものは気分的にうまいと思う。
荷物をまとめ、バスを出る。
ヒヤリとした冷たさは秋の朝を感じさせる。
鉄橋を登り反対側に。学校横に国道が走って、苫小牧へ。
しかし、地図では遠回りに。交通量が多いので、工場地帯の道道を歩く。大きなパルプ工場の煙突から白い煙がモクモクと出て、化学品の嫌な臭いが流れ漂う。
広い平野に工場だけが立ち並び、トラックが走り回る。途中までよかったが、その後、道はどう通っているのやら、もうサッパリと見当がつかない。
民家なんかなく訊くにも・・・。自転車でやってくる者に訊く。大体の方角を決め、歩く。途中、この原っぱと工場の中に、作れたばかりの新しい公園がポツンとあり、花壇に花、公衆便所に、水があり、ベンチ、テーブルがある。
どうせ今日はそんなに歩く必要ないと、リュックの中をひっくり返して、洗濯したり、お茶を作って、トマトを食った。うまい。しかしこれが最後の食物。何故だかお茶がうまい。おかしいなぁ・・・。
洗濯した後、日記、昨日の分を書いていたら、体がガクガクとする。
チョッと面倒、しかし、付けない訳にもいかないし、
なんだかんだしてるうちに、もう12時を過ぎし。
勇払1号公共上屋、勇払埠頭なんて書いてある。
おっさん1人弁当を広げ、パクついている。時間を訊いたら12時。もう、おっさんが休んでいないから、1時は過ぎたであろう。歩かなくても良いといっても、まだ市街まで2時間はあるだろう。
昨日の分の日記を付けるのに、ヘッと言う。それに今日の分、いつも一日遅れの日記を付けていたが、久し振りに今日は22まで今日書いている。
空は真っ青で、吹く風は少し強いが、心地良く涼しい。人がいないのがイイ。しかし、やたらとトラックが走っている。公園が道路から少し離れているから良いが、多分、北の方角か、ワタ菓子みたいな白い雲が沢山浮いている。
左側に高い空、青空の中に流れるような雲。もうやる事がいっぱいあってウンザリする。
昨日から読んでいる新聞、まだ読み切っていないし、これからジーパンも縫わなければならない。これがまた時間のかかる仕事。お茶でも作って、一息したいが、風が少し強く、ガスの炎が流れてしまう。乾かしていた洗濯物はとっくに乾いてしまった。もう何時間書いているのか。
今、ジーパンは何とか縫い終えたところである。
便所の中にガスを持ってゆく。物置の扉を閉め、お湯を沸かす。腹もヘッた。しかし、気に入った公園である。なぜこんな所に公園を作ったのか、首をかしげるだけ。
今日はまだ大して歩いていないけれど、なんと慌忙な日である。
先月分を計算すると、64,976円。本州では3万台だったのに、もうガックリである。荷物を買って送ったといえ、 1万円余分に使っている。多分、田舎で何もなく、しかたなく別なものを買っていたせいで、物価高と思う。
本州に入ると、また低くなると思うが、しかし使い過ぎ。
今、造園屋が5人公園を掃除に来たが、不思議な事に、この公園にはゴミ箱が1個も置いていない。
時間を訊いたが、3:32 pmのことである。
今、荷物を片付けているところである。
道路を歩き始め、前方に横、車両の往来が見える。貨物用の線路。これで苫小牧の方角は確かとする。広い草原に車の後をつけた道あり。立て札に関係者以外、立入禁止。こんな事は俺に関係ないし、こんな原っぱ。人の背丈ほどの高さの草が茂り、一面にススキの穂が風に揺れている。その下に紫色の野花が咲いている。
多分測量用に作った道であろう。
どこまで通じているのか知らんが、俺の勘は当たっているはずと、原草の中を進む。広くてこんな所に人を殺して埋めても、絶対に人知れる事がないなぁーと思う。
1時間近く歩いたが、線路に出て、それを左に、大きな陸橋。広い臨海道路に出ると、急にうるさくなる。工場から吐き出されるトラックの群れ。ずらりと建ち並ぶ工場。まあよくこんな所に人が住んでいられるものだと感心する。
腹ペコ。工場だけで店がない。途中一軒のケーキ屋。こんな所にと思ったが、考えてみれば、いいアイデアだと思う。牛乳、パン250円。5時で閉めると。
まだまだ町まで先。やっと工場が終わり、事務所になってホッとする。
退社した女が、前に歩いている。スラリとした綺麗な脚。歩き方も悪くない。スカートもシャツは全くダメ、髪型もダメ、クシを通していない。それでも気になって、顔を見ようと、急ぎ足で彼女の前に出ようとした時、彼女は用心深いというか、俺が痴漢にでも見えたのか、ショルダーバックを手で押さえ、駆けて行く。まさか俺もリュックをガタガタ鳴らして駆けて行く訳にもゆかん。残念。しかし、チラリと見た横顔、肌は少し荒れ、余りパッとしない。
夕暮れ時、苫小牧の街の上は夕映えの空が、オレンジ色に近い光を散らしているが、とても休んで観る気にもなれん。
退社時間の為か、まさに車公害である。
道路横に、もう一本舗装していない道があり、その道を歩いていたら、信号待ちに嫌気をさした車連中、人の気も知らんと、凄い土埃の煙幕を俺に浴びせて行く。せっかく洗った体もシャツも土埃だらけ。スーパーを探しながら歩いているが、国道の為か、街から離れているらしい。まさに新興都市である。
途中、選挙事務所に出会う。ポスターの写真は、人相の悪い自民公認W氏。俺は絶対に入れない。その斜め向側に共産党。しかし自民ほど事務所が大きくない。自民の事務所を見た時、中で人が忙しく動いている。これを見て、なる程、選挙とは銭がかかるものであると思った。
適当な所で右側に入ると、もう店閉し始めたアーケード街に出るが、スーパーはない。
果物でも買いたいが、銭はなし。荷物になる・・・。スーパーに入ったら、これがまた何もないスーパー。本当に。最小程度の買物、840円。もう暗くなり、家宅の並ぶ裏道を歩く。北海道は、道が碁盤状に作られているから、方角さえしっかりしていれば、道に迷う事がないので助かる。
八百屋で一山200円のキュウリを、半分に分けてもらう。トマト、計300円。公園を訊ね、また、広い公園に1本の水銀灯の光。便所、水。水があるから助かる。横に社あり、まぁー、食事後にゆっくりと探索するかと、電気の付いてる神社を見ていたら、懐中電灯を持ったお巡りさんが、見回っているし、社務所はあるし、どうも寝れる雰囲気ではない。とりあえず鍋いっぱいのトマト、キュウリのサラダを腹に入れる。うまい。もういっぱい鍋に作り、今度はサバの缶詰を混ぜてみる。悪くない。うまいものである。
公園の中に子供の遊技用か、土管があり、今夜は本当にこの土管に寝るのかと、ガックリ。まぁー昔取った何とかやら・・・。
しかし、食事とは、やはりゆっくりと静かに食べないと、食べた気になれない。
土管の中に敷く段ボール紙を探しに行く。
土管の中、両側の口を風が入って来ないように、閉める。
今日も星が出ている。
王子製紙の赤白の煙突が、暗闇に浮かぶ。
使用金額:1390円
そんな固いこと言わず、白老まで少しぐらい乗ってもイイではないかと、さかんに勧める
1979年
昭和54年9月18日(火)
今朝、思ったよりは寒くない。人が来ると困るので早めに出る。
土管の中を片付け、ベンチに座って食事の用意をし始めたら、自転車に乗った奥さん連中、向側の道を行けばよいのに、わざわざ俺の方に来る。チラリと知らぬふりして見て行く。その根性、普通はさらりと流すのに今日は起きたばかりの為か、それとも早朝からの無礼の為かムカッと来る。
神社からはまだ、6時になったばかりなのに、ガンガンとラジオの音を大きくしてかけている。
公園隣の広場でいつの間にか、女子、奥さん連中が集まりソフトボールをやっている
今日は休みなのか。6:30 隣の神社境内では朝のラジオ体操である。
ラジオ体操が終わると、大人が「神に感謝」と言うと、子供たちは神社に向って顔を下げている。
一瞬、嫌な気分になる。なんだか軍国主義みたい。
7時頃になると、皆帰って静かになる。
ラーメン2個、パンにハニーを付ける。牛乳を沸し、ハニーを溶かす。温かいからおいしい。お茶の葉がなかった。今日は白老(しらおい)ユースで洗濯するつもり。21キロ。そんなに急ぐ必要はないとユックリとしていたら、ビニール袋を持ったおばさん、公園のゴミを拾い集めている。1週間に1回。町内の定めとか。
持ってきたダンボール紙を元の所に戻しに行く。
歩き始める。通勤時間の為か、国道は車の列である。
だだ広い街である。
歩けど歩けど家の切れ目がなく、次々と新興住宅地が続く。糸井駅で休憩と思って歩いているが、なかなか着かず。途中、人に訊くと、ズーッと後。通り過ぎてきたらしい。全く休むような所なく、先に進むしかない。
何時間頃だったか、軽自動車の窓から坊さんの衣を着た人が乗れと言う。イヤありがとうございますが、私は訳があって歩いています。まぁー、そんな固いこと言わず、白老まで少しぐらい乗ってもイイではないかと、さかんに勧める。
俺はさかんに断る。相手諦めて、キャラメル箱をくれる。
それから錦岡の手前付近か、またあの坊さんが向側から来て、プップーとクラクションを鳴らしている。坊さん、窓から今度はロッテのガムを投げて去る。
錦岡で、まずクソ垂れ。駅の便所が新しいのでホッとする。しかし、紙、今日ユースでトイレットペーパーを失敬するつもり。買う訳にはいかないし、最後まで買うつもりはない。学校用紙をグシャグシャにして使用・・・。
駅、広告板、トラベル フォー ニュースに、奥鬼怒川温泉観光。写真で見ると、なかなか俺好み。地図を広げ見ると、少し逆から過ぎているし、宿代、問題である。昨日の残り分、日記を付ける。
11:45 am 地図に小さく線路に沿って道がある。
国道通らなくてよいので助かる。
確かに車は殆ど通らないが、時々走ってくる無神経な車、バアーッと凄い土埃を巻き上げて行く。
途中、線路工事用道を歩き、それから結局、線路上。久し振りに線路を歩く。ここは複線である。
前から特急、走ってくる。便所の水に気をつけていたら、すごい風に頭に被っていたタオルを吹き飛ばされる。もうこのタオルも穴が開いて薄くなってしまった。
錦岡駅、13:15着。ユースまであと1駅である。
1時間の道程。休みがてらに日記を付ける。
現在、13:52 pm 駅待合室にて。
駅を出て、郵便局より白老ユースに電話をかける。
電話相手は丁寧な言葉を使おうとしているが、スラスラと言えずヒッかかっている。
「飯、いいですか」「ハイ、イイですよ」「じゃ、お願いします」
少々、腹がヘッているので、トマト75円、牛乳105円。多分、あのおばさん、計算間違いしてのでは。
郵便局より出る時、ドァー閉まる後の事を考慮せず、ダァーと音を立てて閉めてしまう。
郵便局員、うるさかったであろうと反省する。スウエーデンに居た時は、後の人の為にドアを支えていたのに、日本に帰って来ると、いつの間にやら日本流になっている。
一路、白老へ。道路途中から4車線。その右側に、閑散としたおみやげ屋あり。しかし、2軒を除き、他はシャッターが降りている。
何となく店前を通ると、この暇な店のおばさん、何も買わなくても良いから少し休憩で行きなさい、と言う。どうせもう急ぐ必要はないと、椅子に腰を下ろしたのが運のつき。色々と話してる内に、年金の事になり「私ね、四国は高松生れ。老齢年金2万円、国民年金がもらえるまで、後7年あるからこうしてね、細々と生活しているんだよ。だから、もし買えとは言わないが、買えたら買ってね」と複雑な話し方。話が上手いと言うのか、乗られたとでもいうのか、買わなくてはいけないような気分になって来る。
値札は2万円なのに、値はドーンと下げてしまう。
魚屋のおばさん、ベラベラと口を動かし、しゃべりまくる。
絶対に美人ではないが、心も体も共に健康といった感じが、体から発散している。おばさん、機関銃みたいにしゃべりまくると「ブー、車に消える」。
再びおばさんとの交渉が始まる。
他の店から持って来たリリーフを持ってくると、これがなかなか刻がよく、気に入ったので6000円。
6,500円、100円のチップ、ジュース、6700円。マァー自分は・・・?
荷物を包み終わった時、おばさん、アラもっとゆっくりとしていけばイイじゃないのと勧める。
その言葉は、どう考えてみても・・・あれは・・・
買ったのはよかったが、置くとこもないのに、スウエーデンにでも送ればよか・・・。
病院が見えて、サテ、この辺であるハズであるが、ボロボロに腐りかけたユースの看板。
受付、初め奥さんが出て来たが、電話の相手と入れ替わる。炊事場のドアーより出て来た彼女、一瞬、陰性の不健康と感じる。別に悪い子ではないが、冗談を言ってると、長崎だと言う。瞳、目がいいが明るくない。努力すれば良いのに。字がミミズみたいな文字を書く。
まず部屋に入り洗濯である。洗濯が終わると、今度は日記。その他、蚊帳を送る為に荷造りする。
まず風呂に入りたいが、女子が先。今日はばっちりと食べて、バッチリと眠るのだ。しかし、無理して腹をヘラして来たのに、なかなかと飯の時間にならない。
7時、やっと飯である。
「アァー」
その飯を見ると、ガーン、絶望。これが、600円か。アァー、あの電話を信じた俺がバカだったのか。
一皿の五目寿司を口に入れるだけ。前に座ってる奴が食べないと言う。それを3人で分ける。
男5人女6人、パッとするものは1人もいない。当たり前の話。
ユースにイイ女、来るハズがない。イモばかり。
ユース代、1750円。食事後、男達と少し話していたが、なかなか話の歯車がかみ合わない。時代の違いなのか・・・。風呂は思ったより綺麗。女どもが汚しているのではと思ったが・・・。
まずマンガ読み、単行本を失敬しようと2冊ベッドの上で見ていたら、ミーティングですよと呼び出し。イモばかりしかいない女子のミーティングに出たところでなんになる・・・。2度目の呼び出し。コーヒー、お菓子がでると言う言葉につられて、菓子で腹でも満たすか。腹がヘッていると言うと、食事作りすぎた分を1皿。やっと満たされ、600円支払った分が戻った。
マッシュルーム頭の男、一所懸命話を乗せようとするが、なかなか皆、話に乗らない。
前に東海大学の旅研が目をショボショボとして座っている。
横には東京、アメリカ屋靴店、新宿と亀戸駅。ひとりの女は、目の縁を穴熊みたいにペンキを塗ったくっている。もうひとりは、土佐の女、風呂後の化粧を落としたその顔は、まだ童顔。そして不健康な生活をしているのか。吹きでものを顔に並べている。磨けばいい人間になるが、得てしてこんな人間に限って、努力しないのである。
俺がノゾキの話をしていたら、ゲラゲラと笑っている。お付き合いも大変である。
北九州の男、精神年齢10才。石川県男、柔軟心あり。小倉と下関の女2人?
11時過ぎて、少しクソ真面目な話。ものを大切にする事について話したが、皆、分からぬらしい。
その間に、一体どのくらいのコーヒーを飲んだか、今夜はもう眠れない。
ダベリング会が終り、ベッドに入ったが、コーヒーの為、目が冴えて、アァーどうしよう。
マッシュルーム頭がウイスキー小瓶を持って来る。1口。少し酔いが回るが、コーヒーの方が強いのか、また冴え、タバコも吸いすぎ、飯が腹を張らす。
日記に書いて来た事を何度も何度も、頭の中で繰り返し繰り返し、浮かび思い出す事で、ますます眠る事できず。
砂時計の中の砂のように、時間は刻々と流れ落ちて行く事を、暗いベッドの中で思い、人生の不思議をつくづくと思う。
時が流れていくのか、それとも、人間が時の中は流れて行くのか。
日蓮堂の坊さんを思い出す。
使用金額:8510円
何の悩みか、分るような分らんような、若さか・・・
1979年
昭和54年9月19日(水)
よく眠る事ができない内に、明るくなってしまう。
日記でも書いておくおこうと思うが、朝早くからゴソゴソとやるわけにはゆかん。
洗顔、ホールに出て、まず荷作りをする。
長崎の女、炊事場でゴソゴソとやっている。
マジックを借りようと声をかけると、半分寝ぼけた顔を出すが、素直な顔でイイと思った。
窓にはカーテン、薄明るい光が差し、ひとつのカーテンを開くと、朝の光がサッと入って来る。
この時、このユースの奥さん、朝化粧をして出て来る。
アッきれいですね。軽く嫌味なく、ありがとう。
スーッと炊事場に入る。
賢い顔に、美人ではないが、悪くない。黒のロングスカート、脚がよく見えず、アップの髪が決まっている。
しかし、あの化粧はイカン。実にイカン。素肌の手入れをした顔で、勝負すべきで、でなければ、化粧をもっと勉強すべきであると、一瞬感じた。
荷造りが終わると、今度は日記である。日記を書いていたら、長崎の女、紅茶を持って来てくれる。
目に特徴のある子である。彼女は横に座り、何やら話している。日記、何か落ち着いて書けない。内心、行くか連泊か、迷い始める。
彼女に「何故北海道に来たのだ」と、訊いたら、ホームの中に朝食している連中、まずいのかベランダに出ようと言う。
ベンチに、彼女は脚をヒザグミ、「ボツボツと話」。
何の悩みか、分るような分らんような、若さか・・・。
彼女の話を聞いている内に、もう時間が決まった。連泊。
パッと抜けるような明るさがない。一生、こんな性格で、努力しない限り続くであろう。
人生に向かって真剣に越え始め、その意義を悟った時、彼女、きっと本当の美しさを身につけるであろうが、しかし、殆ど思い迷う悩みだけで終わるであろう感じがする。
タダのノリ巻が昼食として出る。しかし、今日、書いてばかり。
歩いていないので腹がヘッていない。
食後、なんやら知らんが、長崎の女と奥さんを前に、一席ブッてみたものの、分っているのか考えてみたら、バカ。
書き過ぎて、手がおかしくなる。
3:30 富山の女、何処かこの付近を見て回ると、一緒に行こうと言う事になり、ポロト湖一周90分。樹々のトンネルを2人して歩く。俺は今日中、ユースに居たので、期待して出て歩いてみたものの、彼女は一体何を考えているのやら・・・。
20才、俺と同じ誕生日である。親からの仕送り7万円。俺には信じられない話である。
何だか知らぬが、男女の付き合いとか、そんなことを話して、話をつなぎ止めるが、会話力が貧しく、90分が限界である。一周して彼女と別れ、ユースに帰り、後は別にする事なく。
トンカツの夕食をパクつき、後はゴッタンである。悪くないユースである。
ホールの中に一本の原木が立っている。
小倉の女、朝出て行った時、もう行ったと思ったのに、夕暮れユースに戻って来る。
オートバイ岐阜、風邪をひいている。彼も連泊。
マッシュルーム頭の男、五連泊で何やら・・・。
ヘルパーはノドをやられ、いつもヨタヨタと階段から。
長崎女、ヘルパーが降りてくるまで、ご飯にハシをつけない。
奥さん、病院にいたとか。
ベッドでマンガを見る。ホールより、あの男の歌ばかり流れてくる。自分が歌とギターがうまいと思っているのか、あーなると嫌味でしかない。
20才前後の学生か。
使用金額:1750円
今度もう一度、秋の北海道に、ゆっくりとオートバイで来たいと思った
1979年
昭和54年9月20日(木)
7:00起床。周りに人がいると騒がしく、気が散って落ち着かず、野宿みたいにユックリとできない。
熊の心配して、楽々と眠れないよりましであるが、ほかの部屋、余っているのに、掃除が大変だから使用しないとか。しかし、使用しないと、部屋が傷んでしまうのに・・・。
洗顔して、荷物をまとめ、ユースを出る。ホールで3人娘が朝食中。あれで、450円もとるのか、イモ娘たちよ。
マッシュルーム頭と長崎の女が、見送りに立つ。長崎の女、瞳に不思議な表情をする。
悪いユースではないが、俺にはもう時間がないし、若くもない。ぐづぐづした遊びの時間は、もう、とっくの昔に終わった事を実感する。
白老の朝、子供たちの通学時間。3人の子供が信号待ち。その内の一人の子供の頭をポンと叩くと、子供、ポカーンとしている。
国道36号線、やたらと交通量多く、イライラとする。
萩野駅に行く。待合室のポスターが変わっている。北海道の秋、なかなか、いいポスターである。
今度もう一度、秋の北海道に、ゆっくりとオートバイで来たいと思った。
多分、また来るであろう。そんな予感がする。
トマトを食べる。腹がグゥーグゥーと鳴る。よく考えたら、登別まで20キロ。急いで出て来る事なかったが、ゆっくりしていると、また、連泊なんてズルズルベッタリになってしまう。
スーパーで買い物。お茶がそろそろないので・・・。しかし、宇治茶である。いったん買ったが、また、元に返す。サバ缶、マヨネーズ、トマト、キューリ、518円。公園に行き、ベンチ式ブランコに座って、サラダを作る。
地図を送ってしまったから、きっと、どこを歩いているのか分からない。
国道は、車で狭く、とても歩いていられるものではない。
砂を歩くと、ヌカって歩き辛い。原っぱ、防波堤の上と、道路を避け、歩く。
秋立浜?旅館、ドライブインがズラッと立ち並ぶが、どれも傾いてて、儲けているみたいには思えず。駅に行く。
パン、HIC290円。パンは古く、蜂蜜を付けも、さー。
3時ごろ、この駅に着いて、待合室に週刊誌が置いてあるので、なにげなく見る。
冴えて、頭に入ってこないが、それでもペラペラとページをめくって居る内に、刻々と時間は過ぎていく。登別まで5キロ。別に急ぐことはないが、いつの間にか、5時30分。
夕暮れ、なんとなく立ち上がり、歩きはじめる。
車が多いと、イライラして歩く気になれない。道は新旧に分かれ、旧国道を行く。少し遠回りであるが、車が殆んど通らないので助かる。
神社が丘の中腹に建つ。しかし、襟裳で聞いた、登別海岸露天が気になり無理して、行く。
地図がないのに、国道を通らず、脇道へ、脇道へと暗い夜道。
我ながら、長年の勘なのか、恐ろしいほど正確に行く。例の露天風呂を過ぎている・・・。
とにかく、海岸に小さな小屋が建ち、確かに浴びる価値ありそう。
車が2台、止まっている。中を見ると、男女中年の混浴である。
中年のおばさん、デッカイ、オッパイを出して、旦那さんらしき人が、次々と人がきますから、どうぞどうぞと、言うが、チョッと入れる雰囲気ではない。彼らが帰るまで、しばらく外で待っていたが、次々と車でやってくる。
1時間程、待っていたであろうか、諦める。
登別の裏側駅の灯暗い夜道、月の光もなく、舗装道に出る。トンネルを出ると、富岡である。
もう、真っ暗で、寝所を探すにも、探しようがなく、あの駅でボケーっと週刊誌を読んでいたことを後悔する。
無人駅と思っていた駅は、駅でも、掘立小屋である。とても、寝れた所ではない。
しかたなく、夜道を先へと進む。
その時、頭の中に叩き込んでいた地図を思い出す。次の部落まで、随分あったことを。
もう、ガックリ。増々、後悔する。
この時間では、もう探しようがないのである。
幾程、歩いたか。左手に、閉店したドライブインあり。
その軒下に、板を3枚並べ、寝袋を敷き、一夜中、車の騒音である。
使用金額:8080円
7月1日、福島に入り、9月21日室蘭着
1979年
昭和54年9月21日(金)
一夜中の車の騒音。明けても同じ。板は汚れている。昨夜、暗くて見えなかったが・・・。
寝袋が汚れることが心配。
国道は、精神的にイライラするので、海岸の原っぱの中を歩いて、堤防を歩いてと、色々、あの手この手で、国道を避け、通る。
浜には、パラパラと釣り人。太平洋に浮かぶ、小さな漁船。
寝不足。疲労。考え過ぎ。本の読み過ぎ。ユースから2冊失敬した本、読んでもスラスラと頭に入ってこない。頭が疲れていることが分かるし、日記を付けるのも、最近、おっくうになる。
幌別駅。美しい待合室。プラスティックのイス。俺には、あの古い木造の待合室でなければ、どうもシックリといかない。
朝、通勤時間。男女高校生が改札口を出入りする。いつもであるなら、女子高校生を観察するのに、頭が冴えず。ボンヤリと推理小説を読んでいるが、心が緩慢なせいか、ストーリーがおもしろくない為か、スッキリと頭に入って来ない。読んでいる時、いやらしいほど脂肪太りした50歳台のばばぁ、俺の横に座ってコーラを飲む。
時間が来て、このおばさん、待合室を出て行くとき、目の前にゴミ箱が置いてあるのに、その横の台の上に空缶を置いて行く。その後、姿は体は離れ、女どころか、人間なのかと疑いたくなる。そのおばさんの子供を想像する。
待合室8:30AMに出て、再び、歩きはじめる。店はまだ、閉まっている。もう腹ペコである。
幌別を出ると、4車線の道路、工事中。水を入れ、浜に出る。
浜に打ち上げられたゴミが散乱している。
浜に1個のタイヤ。砂から突き出した1枚のトタン。それを、風防にして、ガスの炎が流れないように防ぎ、スープ、いつも持ち合わせている。こんなところで役に立つとは思わなんだ。コップ2杯分のスープを口にしながら、凪た静かな海を見る。水平線。
何が原因なのか、いつものように、ゆったりとする事がない。多分、地図のせいであろう。
一体、自分が何処辺りにいるのか、はっきりと分からない。
距離が分からないので、時間も分からない。
原っぱ、浜、防波堤の上、もう、どの術も歩きようがなく、とうとう、国道に出る。
新興住宅が並び続き、道路横には歩道があるので助かる。人に郵便局を訊ねたら、丁寧に教えてくれる。簡易富岸(とんけし)郵便局。記念切手20枚1000円分買う。中に、イスが4個、週刊雑誌、壁には、古い版画が掛かって、古い昔の電話がある。
休憩がてらにイスに座り、雑誌を読んでいたら、お茶を入れる音がする。
俺にも入れているのかなーと内心思っていたら、お茶をどうぞとカウンターから、お茶が出て来る。だからといって、別に話しかけてくる訳でもない。
こういうのが好きなんだなぁー、俺は。タンタンとした感じ。
男性事務員が一人、女の客が来て、今日、車に乗せて行ってだのなんだのと頼んでいる。
10分ほど局内にいたのか、湯のみを返し、再び歩き始める。
室蘭の立札。適当に歩く。汚水処理場前の浜に、コンクリートが突き出ている。
その上に、リュックを枕にして横になり、本を読むが、やはり、おもしろくない話ばかりである。が、しかし、捨てる訳にはゆかん、読み終わるまでは・・・。そう思い、目を通すと増々、頭が重くなる。
小さな女の子、1才を少し過ぎた頃か、キャーキャーと言って母親と遊んでいる。
前に、太平洋の波が音を立て、繰り返す。本を読むより、この音を聴いている方が、よっぽど頭にいいと思う。
母親は、幾歳ほどか、生活に疲れたのか、元気がない。
室蘭市街地図を出す。
ユースに電話をかけたいが、なかなか電話がない。
丘の上に展望台らしきものが見える。
多分、あれが汐見公園であろう。丁度、店、公衆電話。ユースに電話をする。声の感じは、チョッと老いた感じ。店で、パン、牛乳、ラーメン、うどんを買う、520円。これらの入った紙袋をかかえ、丘の上に登って行く。
店で時間は、12:50頃。ユースに行くにはまだ早すぎる。
坂道を登ると、駐車場に出る。その向こう側にY・Hが見える。なだらかな草原が傾斜して、下の浜に落ちている。その下の浜で遊んでいる人が、小さく見える。
頂上に行く前に水を探したが、見当たらず、民家より貰う。公衆便所の水は・・・。
頂上に立つと、緩やかな風がふいている。ここちよい風である。
風の当たらない垣の隅にガスを持っていき、うどんを作る。スープはラーメンのスープである。一風変わった味がする。
コンクリートの円いテーブルにベンチ、落書きだらけである。
もう、あわてる事もない。ゆっくりと本でも読むかと思っていたら、えらく靴の目立つ老人がやって来て、話しかけてくる。67歳。新日鉄を定年退職して、今は、月8万円の年金暮らし。長男の社宅に同居の事とか・・・。
どうも、人が前で煙草を吸っていると気になってしかたない。
3時、ユースに入る。なんと、思いに反して、若い奥さん、出て来る。
バケツを借りて、靴を洗う。
昨日分の日記を付けていたら、一人の男が入ってくる。一見して、無愛想な男。会員証を持っていない。ユース、初めてなのか。
日記を書いていても、頭はボケているし、手は震えるし、字は乱れるし・・・。書いてもしかたがないので、部屋に戻ってベッドに横になる。
いつの間にか、外は暗くなっている。窓から海が、一枚の絵のように見えていたが・・・。
全く、若い夫婦である。
レーナからのハガキが来ていた。
6時、飯、悪くなく、良くもない。ウイングのから揚げに、みょうがのスープ。
男は、京都は伏見。ムッツリとして飯を食べている。頭髪には、少し白い物が混じっているが、一見、22-3才程で、こんな人間も珍しいと思った。
日記を付けている途中、風呂の準備が出来たと。ゆったりとして風呂。サラサラと洗い流すアカ。
食堂に日記を付けに戻ると、眼鏡をかけ、ついでにエプロンも。飯を食べている。絶対に可愛くない女が一人、飯を食べている。
ピアノを教えて飯を食べているらしいが、この顔から想像すると、家事手伝いがいいところである。近眼なのか、凄く強度のレンズをしているから、眼がおかしくみえる。中身は、外見ほど悪くない。話していたら、若い。
ペアレントが、食堂の電気を消灯するから出ろ、とのこと。
5人の劇団グループが、東京から来る。以上、予約してキャンセルした分、2500円取れている。
男4人、女1人、学校に劇を見せ、子供たちから一人100円、徴収するとか。
一人、悪役みたいな、人相の悪い男、不思議な目つきに動作する。
やはり、返す言葉がひと味違うと思った。
紅葉をペアレントが出す。10時まで、義理で付き合っているからか。
若い。全然、迫力がない。奥さん、20歳という。こんな若さでペアレント。ユース協会も、目が知れている。
ユースの中、いたる所に、クモの巣が張っている。こんな連中が、このユースを管理する。
ペアレント以前に、人間を作らなければと思うが、北海道もとうとう、室蘭で終わり。
ここに来る前まで、常に、手紙でも書いてユックリと思っていたが、とても、そんな雰囲気、気分になれはしない。
7月1日、福島に入り、9月21日室蘭着。
始め、あの靴でウンザリしたが、今日、靴を洗っていた時、考えたら、この靴も、今日で丁度1ヶ月。まだまだ、使用できる。
靴は、軽いし、歩いやすい。あのキャラバンシューズは失敗であった。
もうすぐ、29才。何処か、旅館にでも、なんて考えているが、
銭は、どうでもよい。
銭を使って、悪い所だったら、
頭に来るからなー
使用金額:2270円2
地球岬に立つと、小学校の遠足がガヤガヤと騒がしい
1979年
昭和54年9月22日(土)
劇団連中にも目覚まし時計のベルが鳴る。6時30分AM。
4人ドヤドヤと部屋を出て行く。うるさい。俺は早くから目覚めているので、別に構わないが・・・。
今日も連泊する事になったらしいが、ベッドを整頓する者とそうでない者。朝食もせずに慌ただしく出て行く。
俺は例のごとく、朝食を頼んでいない。昨夜の日記付け残しを書き終わると、残っていたパンにマヨネーズ、牛乳を口にする。京都の野郎「お先に」と出ていく。ちょっと変わった奴だ。
9時30分頃ユースを出る。
曇り空模様で、とりあえず、街に行かなくてはならない。簡単な地図を手に山の中腹、曲りに曲がった道路を歩く。下に新日鉄工場が大きく広がって見える。
入り組んだ、周り山に覆われた盆地の港である。
地形は、周り山のため、民家はその山の斜面に犬のクソみたいにゴロゴロと転がっている。
明日フェリーに乗る時、また同じこの道を行くのかと思ったが曲がりに曲がったこの道は、凄い遠回りである。パンフレットの案内とは少し違う。別の道を歩いているらしい。
リュックを負わず歩くと、腰が落ち着かない。不思議に思う。
道が曲がって海が見える所に出た時、切り立つ崖より下を見る。奇岩が海より姿を現している。左側に、ユース辺りの道がスグそこに見える。多分、あの遊歩道みたいな道なのであろうと、ガックリする。あんな工場の見える道を歩いてもしかたがない。犬と散歩している老人に道を尋ねると、丁寧に教えてくれる。
地球岬に立つと、小学校の遠足がガヤガヤと騒がしい。とてもこの断崖絶壁に立ち、海より吹き付ける風を受け、静かに自然に浸るような雰囲気ではない。スグに岬の山を降り、岬の上を走る道路。もうこの辺には民家なし。左手に海が見え、時々絶壁の崖が現れる。
道に、ある離れた間々に折り返し地点の旗が立っている。小学生のマラソン大会である。
ヤセた小学生が顔真っ赤にハァハァと息を切らし走ってくる。その後に先生であるが、先生の方がアゴを出している。
道は上り下りの激しい道なので、皆ハァハァと言っている。俺なんかこんなに走れないだろう。もう体力がない。男に混じって女の子達がして来るが、もうシャツの上から乳房が出てあるものはブランブランとしている。末恐ろしい者たちよ。女の胸ばかりヘエーと感心しながら見るが、走り去って行くので、俺も一緒に走って見る訳にはゆかん。
岬から下に降りて行くと、室蘭の街。街そのものは大きくない。
まず、拓銀に行くと凄い混雑である。アーそうか、今日は土曜日だ。こんなに混んでいるのに10円玉1個の通帳を作るのに気が引ける。室蘭信用だけでもと思ったが、何処にあるのやら、もうイイやと、通帳作りは放棄する。
フェリー乗り場に時間を見に行く。9:10 PM。
これだったらユースに連泊する必要もなかったと思った。ユース、思ったより良くないし、じっくりと休もうと思っていたのに駅に行く。朝日(60円)を読むが、いつも隅々まで読むのに、なぜだか頭に入って来ない。外はドシャ降りの雨である。何気なく待合室に座っている人達を見るが、誰もパッと目を惹きつけるような人がいない。
小降りになり駅を出る。アーケード街で、野菜が安く売っている。100円、一山トマト。安いけれど今日は買えない。明日は船に乗る時、買うぞと固く決心するのだ・・・。
右側小さな店が列を並べ、奥さん連中がカゴをブラ下げて、ブラブラと品選びしている。
どうして俺はこんな所が好きなのかなぁー。外国を回っていた時も、常にこんな市場みたいな所を探し歩いていた事を思い出す。テンプラ、ジュース388円をパクつきながら、ジーンを探し歩くが、ロクな店はない。大きな店だと安い所もあるであろうと思っていたが、とんでもない話である。
雨は相変わらず降り続く。テンプラで腹いっぱいなのに、路地の赤いラーメン看板を見たら、うまそうな感じ。店の中に入る。腹がいっぱいなのに大盛りを注文する。全く食い意地が張っていると我ながら・・・。
ラーメン代450円。味は悪くない。腹がヘッていたらもっとおいしかっただろうにと・・・。
ジーンを探し歩いても、適当な店がないので駅近くの店に行く。途中、ザーッとまた雨が降り出す。陶器屋の軒に雨宿り。ついでに中を覗く。コーヒーカップセットを見ているうちに、昔、こんな物に興味なんかなかったのに、これもレイナの影響なのか何と思う。
自分が空を部屋を借りた時の事なんか想像しながら見ると、飽きることがない。ジーン、3800円。明日取りに来る事にして、お金を置いて行く、ベルト400円。サスペンサーは、後を擦り、パンツを2枚もだめにした。後はやる事がない。映画でも見に行くかと、東映に行ったが、時間が途中と、半端。止めて本屋に立ち読み。
後する事なく、バスに乗ってユースに帰る。バス代110円。輪西で降り、街をブラブラ。買い物時間で奥さん連中、ショッピングを楽しんでいる。うまそうな梨、一山、150円。一旦通り過ぎ、また引き返す。アァー、腹がいっぱいなのに・・・。貧乏根性、イヤダイヤダ。
路地に市場風の魚屋が並ぶ。大きな魚屋、小さな魚屋あり、小さな魚屋、夫婦でサケを売っているが、売れそうにもない。可愛そう。
牛乳、トマト、328円。これは明日の分でする。腹いっぱい。電話で夕食を断る。だのに、街角を曲がると、湯トウモロコシ80円。暖かいがいっぱいなのに、ムシャムシャと雨が降る軒下で食べる。
ユースに帰り着き、便所に入っていたら、若造(ペアレント)脇山君ー、と呼ぶ声。君、とさん、の使い方を知らぬ者にペアレント?
同室になった沼津のオートバイ、日記を少し読んでやる。疲れてベッドの上にガックリと来ていたら、もっと元気出せと言う。馬鹿野郎、歩きとオートバイと一緒にするな・・・。
タバコ吸いにロビーに出る。彼がコーラおごってくれる。22才。ギターを弾きながら歌う。なかなかうまい。俺は大物になるのだ、なんてほざいている。平和男、それにそんな顔をしている。演劇の連中が練習をしているが、終わっても、まだ板の外でやっている。さすがに役者だと思う。
大阪の女2人、全然話にならん女どもである。昨夜と同じ紅茶が出てくる。
劇の姉さん、電話ばかりかけて、声が流石に違う。
風呂の後、沼津と少し話。彼、仙台で室蘭の女の子と一緒になったのなんだの・・・…。ファー・・・?
使用金額:6776円
どうも津軽海峡とは、こんな事で縁があるらしい
1979年
昭和54年9月23日(日)
昨夜は久しぶりにゆっくりと眠ることができた。
明るくなってしばらくベッドの上でぼんやりとする。
時々分らないが、ベッドの中で日記を書き始める。スッキリしたせいか、丁寧に字を書く事ができるが、昨日の出来事を思い出していたら、何もないと思っていた1日なのに、色々と書く事が沢山と出て来て、多少面倒臭くなる。
トマト、牛乳にハチミツを浸し飲む。沼津男、朝食は行ったが、スグに戻って来る。パン1枚食べただけ。朝食は味噌汁、白飯でないと気分が悪くなるとか。全く贅沢な事。
若造(ペアレント)洗面所を掃除しているが、後で洗面に行くと、どんな掃除をしているのか。全くズボラである。
昨日の分の日記を付け終え、荷物をまとめる。白老ユースで失敬した「下り“はつかり”」を置いて、別の本3冊を失敬する。
沼津男、今日も彼女とデートなのか、もうニタニタしっぱなし。
演劇の姉さん、下に化粧して降りて来る。
あまりパッとするような化粧ではない。少し話ししていたら、俺のブレスレットを見て「それ、イイわね」と言う。頭に巻いているタオルの巻き方、シャツの後に縫っている、と見ている所が違う。
演劇連中、車で旅館に移動する。面白い連中である。
演劇が出て行く時、雑誌を10冊程持って来る。ロビーで見ていたら、若造、もう出るから出て行ってくれと言う。初めてムカッと来る。やる事、義務は果たさないで、手前の都合ばかり考えやがって・・・。こんな人間しかペアレントにできない協会も、先が知れている。
腹が立つやら情けないやら、全く子供以下である。
草原のハイキングコースを歩いて、地球岬を目指す。
崖の上に立つと、一面に青海が広がり、キラキラと波が輝く。今夜まで時間はタップリとあるので、草原にリュックを置いて、本を読む。ここちよい。風が吹く。初秋、春とでも言える。風は休む事なく吹き続け、次第に肌寒くなり、寝袋を取り出し、中に入る。
急ぐ事ないので気楽なものである。
森村誠一の小説。
寝袋の中で本を読んでいたら、94才の名刺を首回りに吊るした爺さんが来て話しかける。
しかし、こんな道をこの年にしてよく来たもんだと感心する。
左手に絶壁、海を見つつの道は、都市周辺にしては珍しい。
時間は分らない。いつまでもこんな事をしていられないので、熊笹、野原の道を歩き始め、昨日、この道を歩かなかった事を残念に思う。
エゾコンギク
昨日、地球岬で水を見たので、地球岬でトマトでも洗ってと思っていたら、水道の頭を取ってある。公園で親子連中がドッチボールをして遊んでいる。
大きなトマトを洗わず食べる。あまりおいしくない。真赤に熟れて、トマトスープに丁度よい。昔よく作ったと思い出す。
岬からは、全く昨日と同じ道で、街に下りる。日曜日のせいか、店の殆どは、シャッターが降りている。
ジーパンを忘れないように、口の中で繰り返す。俺の最大の失点は、物忘れである。
ジーパンを受け取ると、駅に行く。荷物一時預所がない、コインロッカーだけ。しかたがないので、待合室に荷物を置いて、財布だけ、盗られてもよいように持って、今夜の食料を買いに行く。一山400円トマト、もう滅茶苦茶に安いが、買ってもしかたがない。1342円分の買い物をしたが、パンの買い過ぎ。買い過ぎているのに、ラーメン屋の前を通った時、今夜で北海道も終わりである。ラーメン店に、もう座っている。400円。塩を注文したのに、醤油が出てくる。聞き間違えたのか、そのまま、だまって食べる。おいしくない。
待合室に戻り、1冊の本を読み終えると、今日の日記を付ける。始めは丁寧に書いていたのに何故だか、途中から字が乱れる。
現在、19:25PM、室蘭駅待合室にて。ビールを買う。
船の切符2100円。船室はガラ空きである。
8年間のジーン、使える部分を切り取り、あと残りは枕にして、寝袋に入れる。
どのくらい寝たのか、適当な所でサスペンサーと一緒に海に流す。
暗闇の中、一瞬にして見えなくなる。
どうも津軽海峡とは、こんな事で縁があるらしい。
使用金額:4042円
青森港の防波堤の上に、釣り人が朝早くからズラリと並んでいる
1979年
昭和54年9月24日(月)
外はまだ暗いが、沖に陸の灯が並んで見える。
灯は見えてもなかなか青森には着かない。このまま船室の中で寝ていたいものである。
夜は明けても朝日は見えない。青森港の防波堤の上に、釣り人が朝早くからズラリと並んでいる。船が港に着いて船の下に降りていくと、ズラリとトラックが入り、牛がつないである。
同室の薄汚れたお爺さんと一緒に、船待合室に行く。
5:30AM、朝早い待合室はガランとしている。
銀行で金を下ろすつもりである。急いでも時間があるので、ゆっくりとする。荷物がいっぱい。買った食料、殆ど食べていない。こんな事なら買わなければよかった。
どの方面に駅があるのか分らない。人が道を教えるが、その逆は遠回りである。方角さえ分れば後は勘で分る。
フェリー乗り場前の広場を横切り、家の表庭を突き抜け道路に出る。
適当に歩いていたら、駅の裏側に出る。陸橋を渡り玄関駅へ。途中、まだ閉まっている、ずらりと並んだ小さな飲み屋。それが終わると、小さな軒を並べ、リンゴを売っている。紅の色リンゴ、見た目は綺麗である。
俺は、銭を出して本場で食べる程、バカではないつもりである。
駅に7時到着。テレビ、トヨタの車が外国を走って帰って来ただの何だの、たかが外国走ったくらいでアホ臭。最新週刊マンガ4冊置いてあるのを見つけ、読んで暇をツブす。
9時少し前、観光案内所で勧銀の場所、黒石温泉のパンフレット貰う。
明日は俺の誕生日。旅館にでも泊まって、ゆっくりと。
まず、もう銭がないので、おろさなくては・・・。
勧銀前に来て、ハタッと気が付く。テレビで今日は祝日だと言っていた。
もうガックリ。13,000円程しか残っていない。これではどうする事もできない。
ブラブラと歩いてどうするか、先を考える。今日滞在しない事には、どうする事もできない。
ユースに電話。駅から30分程はあるのでは。荷物を置いて街通りに出る。
大安売りをやっている。これだったら青森でジーンを買ったほうが安かった。
映画でも見るか。真田幸村のなんとか。まだ時間があるので、本屋に入って、草柳大蔵の「お嬢さんチョット」。半分ほど読んで映画館へ。1300円。
こんな映画だったら、1300円払わなんだよ。客も少ない。館員は多い。儲かっているのかな・・・と思う。
映画館を出ると、また本屋に読みに行き、さすがに頭が疲れる。スグに出る。東北の市にしてはモダンな街通り。ガラスに映る俺の姿が、なんだかみすぼらしくなる。
シャツ980円、安い。どうせいるので、迷って買う。パンツ345円。しかし中で払えと、行くと若い女店員、何故だか恥ずかしい。
忙しいのに、若い人にしては珍しく丁寧である。
ユースに帰る、1700円。同室者5人。皆チャリンコである。
日記と思ったが、頭が疲れてるのでベットの横になる。
シャワーを浴びたが、使い物にならない。寒い思いをしただけ。
飯5人。東海大のアベック、自転車。女、21才、平和な顔。飯が足りない。大阪男が言いに行く。「飯がないよ」。日本語を知らぬ奴・・・。
食後、話していたら、メガネをかけた仙台の女の子が来る。21才とか。歯科助手。何かあるみたい。ジャンケンして、皆の皿を大阪男と2人で洗う事になる。彼はロクに洗わず、ポンポンと投げる。物扱いのゾンザイな奴である。「もう少しよく洗え」と注意すると、「これでいいんですよー」「ちゃんと洗え」と強く言う。それでも洗っていない。けじめない奴である。
なかなか人を注意する事は難しいものである・・・。
なんとも貧しい食事、これだったら頼まなければよかった。
食料たくさん余って、明日も重い思いをしなければならない。
なんともパッとしない最近、毎日である。
使用金額:4325円
予定では今日、青荷温泉の静寂な川のせせらぎの音を聞きながら・・・、29才
1979年
昭和54年9月25日(火)
早くユースを出ても、銀行はまだ開いていない。
ベットの中で少女マンガを読む。別におもしろくもない。
同室者と何やら訳の分らぬことをベラベラとしゃべり、時間をツブす。9時頃、部屋を出る。まず、一服。東海大の女の子、お誕生日おめでとうとピザをくれる。内心、また荷物増えたと・・・。しかし、顔はニコニコと笑って、ありがとう。とうとう29才。
予定では今日、青荷温泉の静寂な川のせせらぎの音を聞きながら・・・、29才。
ビールをバッチリ飲んで、銭の事は考えず。しかし、これから銀行に行って金を下ろすでは、全然話にならない。
街通りを歩いていたら、例の東海大アベック、自転車で俺の横を通り越して行く。松本で合宿、2人で青森、後は汽車で帰るとか。女の子は無邪気というか、イヤ、頭が無知というか、字を見たらよく本人を表している。悪気がないからよいが、あれで・・・。
銀行、15万おろす。青森から県道を通り、浪岡に行くつもりであるが、地図にはしっかりと示していない。適当な勘で行くが、これが当たっているのである。
あの広い青森市街を、いとも簡単に。長年の勘である。
郊外に出た。高田であったか、農協で牛乳を買ったら150円。安いはずの農協が、150円である。「ここは高いですね」「アラそう?」。これでは勝負にならん。胸クソ悪い。
牛乳を持って、そのまましばらく歩く。稲穂が黄色く色づいて、稲刈りをしている所がある。何かの呪いか、稲尾3束ほど皆物持ち寄って、何やらしている。
時の流れの早さを思う。俺が青森に入った時は、田植えの終わったとこであったが、北海道から戻って来ると、もう穂は黄金色に色づいて、秋風に稲穂の海は波にゆれる。
神社でまず腹ごしらえ・・・。腹はヘッていないが、食べない事には、リュックは軽くならない。3冊の本、食料、バッチリと重い。もらったピザ、牛乳と一緒に流し込む。
食欲が全然わかない。この神社、シャッター付きである。初めて見た、シャッターの神社。その周囲は高い杉林。木陰で、井上ひさしの本「イサムより よろしく」を読む。別におもしろくもない。短冊になっている。1部を終え、また歩き始める。
木陰は寒い。北海道と同じ気温である。道路標識、浪岡18キロ。地図の距離数と全く違う。
平坦な道から、登り坂になる。近道でもないのかと、横に入ったものの、そんなものあっても分りはしない。トマト畑を見る。熟したトマト。沢山熟れ落ちている。もったいない。
もっとも、一山百円で、あれだけあるのだから、商売にはならないであろうが。3個ばかり食べたが、農薬が心配で食べる気がしない。トマト畑があっても、肝心のリンゴ畑が全然見当たらない。長い長い坂道をテクテク。今日から29才。今日は誕生日なのに、ブツブツ文句。全く、クソ面白くない日である。
坂道を上り切った所に、青森飛行場の小さな建物あり。
1日5便の為、この飛行場。しかし全機満席である。待合室で、ソファーに腰をおろし、ヒザを抱いてうつむいていたら、いつの間にか眠っている。今日は全然歩く気がしない。しかし、いつまでも飛行場にいてもしかたがない。
殺風景な山間。ブラブラと今度は降り始める。山の樹々の葉は少し黄紅に彩っている。東北では珍しく車が止まった。断ると、「頑張ってください」。
東北にも、こんな人がいたのか・・・。
ドライブインがあり、その下に自動販売機小屋あり。水で、残りのピザを食べる。休みがてらに本を読む。1部が終わると、また歩き始める。
小屋から少し歩いた所に、リンゴ畑があり、紅リンゴが沢山ブラ下がっている。
こんな民家もない、周囲山中にリンゴ畑、不思議。
車であるならごっそりと採って行くのであろうが・・・。2個失敬する。
井戸、ポンプあり、農薬散布の為か、リンゴは農薬で薄緑である。とても洗わずして食べられたものではない。もぎたての為か、肉はしまっている。ガブリと、この音が心地よい。しかし、甘みがない。2、3日は、置いとかないと味が出ないと聞いた事がある。
やっと念願のリンゴを口にする。スイス思い出す。昔、スイスを歩いていた時、道の横に大きなリンゴが沢山なっていた。その1個を失敬して、パクついたが・・・。
しかし、こんなに農薬はかかってなかった…。
山間に小さな集落。茅葺きの屋根。日本である。
この集落の重い落ち着きは、やはり北海道にはない。リンゴ畑が道路横に、どこまでも続く。紅リンゴは・・・…。
リンゴ食べてから、腹の調子がよくなったのか胃が軽くなる。浪岡の区境に入ると大きな民家が続く。ダンプがうるさい。
陽が暮れ始める。マンガを拾う。浪岡の手前に左折する道あり、角にガソリンスタンド。県道を歩くより、細い、民家のある道を選ぶ。少し遠回りであるが、しょうもない道路を歩くよりましである。
リンゴ畑は終わり、稲田である。リンゴでもあるなら丁度良いのに、さて何処に寝るのやらと思いつつ歩いていたら、始めの集落。これが市内か思ったが、後で知るが勘違い。右手に公園らしき所があり、各板に何とか上人の墓と書いてある。
大きな桜の木と松の樹。角に小さな4本柱の休憩所。大木を半分に切ったベンチが2つあり、ベンチは少し短いが、もう、どうでもイイやといった気分。夕暮れ、拾ったマンガを見て、薄暗くなってゆくので、フッと目を上げ、岩木山の方に向くと、紅紫色に光は幕を張っている。
一瞬、オッと思う。しかし、すぐに色あせてしまう。
夕沈みと同時に、急に寒さを増してくる。80メートル程横に、2階建ての民家があり、1カ所だけ灯が漏れている。暗くなった外は冷たく、ボンヤリと花壇の花が見え、俺は寝袋の中に入る。
こんなに寒いのに、まだ蚊が2、3匹ブーンブーンと、顔に飛んで来る。タフな蚊である。
タオルを顔に覆って見ても、こんどは息ができない。
もうタオルは真中、ボロボロになる。
今日から29才。予定では、青荷温泉で露店風呂につかり、ビールをバッチリ。
しかし、現実は、このやっと夜露をしのげるだけの屋根の下。
使用金額:150円
一路、十和田へ
1979年
昭和54年9月26日(水)
夜霧を心配したが大丈夫であった。
寒くてサッと寝袋からでる訳にはゆかぬ・・・。
寝袋の中で、下の広い稲田を見て、朝の静けさにゆったりとした気分になる。ここで熱いお茶でも・・・と、しかし、お茶を買っていない。
民家の方を何げなしに見ていたら、パジャマを着た小学生が、台所の方から飛び出し、パジャマを下げ、小樹の陰にしゃがみ込む。屋根もない。ただの外である。それからしばらくしたら、今度は高校生らしき大きな女の子。同じことをやる。変な便所である。小樹の影で見えないのが残念。
狭い道の両側に、たいそう大きな家ばかりが立ち並び、その茅葺き屋根は高く重厚な構えである。
一体リンゴとは、そんなに儲かるものなのかと首をヒネる。リンゴ畑が続き、庭にも植えてある。丁度、小学生の通学に行き当たり、後からゾロゾロとついて来る。
古い家にアルミサッシ・・・、これはイカン。そのままの手入れをしていたら、この集落全体が博物館になる程である。この辺の民家に比べたら、俺の家は犬小屋である。
民家は切れ目なく続き、神社もゴロゴロとしている。適当な所で、山の神社に休む。老人が、ヌーッとリンゴ畑から出て来る。高速道路の横である。こんな所に高速道路なんて知らなんだ。車は走っていない。
畑に入ったら、人が薬を散らしている。1個失敬。農薬だらけのリンゴである。洗うにも水がない。皮をむいてガブッと・・・。
台の上に小銭あり。これが子供の頃だったら、これは神の恵みとポケット。そんな事を思う。
本を読む。誕生日はもう過ぎてしまった。急ぐ必要もない。
モサモサとクラッカーを口にして・・・ 。1部を読み終え、狭い民家の裏通りを通り抜け、表側へ。リンゴが沢山なっているが、映画みたいに、パッともぎ取り口にする訳にはゆかない。葉が真っ白になる程の農薬である。
牛乳130円。神社の鳥居横にブドウ畑。
しかし、民家があるので失敬する訳にはゆかん。残念。
何とか早く荷物を軽くしようと、本ばかり読んでいる。休憩がてらには丁度よい・・・。
やはり北海道の神社とは違う。とにかく凄い重さである。昔風のガラス戸の床屋を見る。イスも全て骨董的である。都会の連中が見たら、ワッと押し寄せてくるだろう事、必至である。しかし、この田舎では・・・。
中に誰もいない。クソを垂れたいが場所がない。黒石に着いて、駅でもと思ったが、通り過ぎたらしい。信号待ちの若い郵便局俺に道を尋ねたら、全然関係ない帯広のカニの家に行ったかどうかとか、目をギラギラさせて話す。こんな事に憧れているのか・・・。
横に溝があり、水が早く流れている。一路、十和田へ。
途中、目にする民家の垣にはブドウがさかり、甘い香りを漂わす。パクリたいが人の目玉が・・・。常に用便を感じるが、場所なく、消防署横の便所に入ったものの、例のお釣銭が戻ってくる奴。それに、新しいのにカギがかからない。
黒石温泉郷に入って、本物の温泉かどうか知らぬが、そのまま通り過ぎ、板留で観光案内看板を見ていたら、ユースがある。こんな所にユース。西十和田ユース。時間、1時、これは温泉にでもゆっくりと入って・・・。電話を探すが、見当たらず、川を渡り公衆電話を見つけたが、なんと故障中である。店に入って電話を借りる。やたらと、民宿旅館の多い所。しかし客が全然見えない。こんなに旅館があっては、共食いだろうに・・・。
ユースに荷物を置いて、温湯温泉に風呂。ユース近くの川近くに、公衆風呂あり。しかし小さいので、時間もあるし、20分ほど歩いた温泉共同浴場、70円。熱湯とぬるい湯の4つあり、その横に昔の古ボケた湯治客宿泊所あり、1日800円とか。値段を聞いたら、ユースよりここに4、5泊したほうが・・・、湯治客専用湯である。
風呂に入っては出て、寝るの繰り返し。2時間・・・。
石ケンつけて体を洗っていたら、ネックレスのチェーンが切れる。
そのままお湯をザァーザァーとかぶり、チェーンをつなぐかとよく見たら、小さな円い輪がない。半ば諦めて、グルリを見ていたら、見つける。あれだけのお湯を流していたのに、こんな小さな奴、あったのである。驚きである。
共同浴場を出て、裏通りを歩く。4人の中学生女子がジャンケンをして、手持ち合いの遊びをしながら歩いているが、その1個のカバンを道上に置き忘れている。俺が持って、冗談で反対向きに歩いたら、全員「ドロボー」。
ユースに着いて日記を付けるが、どうも最近書き過ぎて、頭が疲れる。
今日はホステラー、俺を入れて2人である。千葉の男。
夕食は家族と一緒。一升瓶の地酒が出て来た。夕食後、岩風呂に行こうと言う。まぁーどうせ暇だし、近くだろうと思ったら、なんと酔払い運転で、エライ山の中へと入って行く。
車1台が通るだけの山道である。真暗で、懐中電灯を持って、沢を流れる小川を渡り小屋の中に入ると、本当の露天風呂。そばに池の小川が流れ、石を積んで作った風呂で、誰もいない。山深い所である。
温泉の水はクセがなく、浸かっては小川の中に入り、冷たい水を浴び、また中に入るの繰り返しである。小川の流れを耳にしながら、横になり、時々湯をかける。これが本当の温泉だと思う。時々、女の子を連れて来ると。今日は男、残念である。
暗くて何も見えない。2時間程、風呂に居たが、出る頃は目も慣れて来たのかボンヤリと分る。風呂の中で酒の回し飲み。そしてこの道を、酔いで帰る。国道に出ると、フッとばす。もう無茶苦茶である。
ビールを飲みに行こうと、温湯に・・・。スナック、イスが5個。
30程の目のイイ感じの女、おやじさん。主人は・・・。 七五三の事を知っていた。
ペアレント、カラオケを歌う。ビールの飲み過ぎ。
明日、女子2人が来ると言う。アァー残念。
連泊するか迷い始める。オヤジさん、ビールを1本おいてくれる。
今日は風呂に入って、飲んでばかりの一日であった。
使用金額:1950円
「一生に一度、素直な気持ちになるのもイイんじゃない」
1979年
昭和54年9月27日(木)
二日酔いか頭がボャーとする。無理して日記を付ける。朝、日記を書きながら考える。今日、女の子二人が来る。それに昼間もう一度、あの露天風呂にも行ってみたい。もう二度と来る事もないであろうと、連泊する。
日記、面倒臭く途中で止める。
9時、ナベ、ガス、本だけを持って、後は全て置いて昨夜の露天に向う。その前に少し食料を。店のおばさん、きついなぁー。ビールを迷った末、買う。865円。これらをリュックに入れ、まず、国道を歩く。
ダム工事の為、狭い道路をダンプが埃をたてて行く。うるさい。渓谷に流れる川は、あまりパッとしない。工事の為か。国道はダムの為、5年後、水の下になるとか。その道路付替工事、高い山の中腹を工事中。国道から左側に、地道を途中まで築橋工事の車。なにやら、ゴタゴタとやっている。
山道は、小川のせせらぎを横に、段々と登りつめて行く。
深い谷間の下に流れる小川、まさに、今、温泉に行かんと、そんな感じである。約5キロ。露天風呂の所まで来ると、3人のおっさん達が酒盛をやっている。その中の一人、おっさんが「まぁー、座ってビールでも」。一緒に付き合う。オニギリ、カニ缶、リンゴ、なし、これだったら買って来る事なかった。
北海道と違って津軽弁なので、話が合わない。
キノコを採りに来たとか。1時間程話して、彼らは車で・・・。リュックを小屋の外に置いて本を持ち込む。しかし、本を読む気になれず、一人ボケーと風呂に入る。
明るい陽射しを見る。この湯水は澄み、小川の水もきれいである。
腹はいっぱいだし、本を読むといっても風呂の中では、なかなか難しいものである。
どれくらい経ったか。冷麺でも作るか。温泉のお湯を使い、麺を入れたが、マッチを忘れ、さきほどのおっさんに貰ったか。
また、ハシを忘れた。小枝を取り、ナイフでグッと・・・。一瞬、アッと思った瞬間、ザッグと親指。これがまた、切れるナイフに力いっぱい。血がなかなか止まらない。急に全てがおもしろくなくなる。
そして、フッと気が付くと、ビニール袋に、はしを入れているので、絶対に忘れるはずがない。見ると、ある。思い違いだったのだ。もう、何の為に親指を切ったのか、馬鹿々々しくなる。山から引いてきた水で、冷麺。頭がボケているので、ポンチョを敷いて昼寝。
ポタポタと冷たいものがホホに当たる。晴れていたのがいつの間にか雲っている。3時頃か、また、沢の道を下り、ユースへ戻る。来る時と違って、今度は遠く感じない。
日記を書かなければならないが、全然そんな気になれず、ただ、なんとなしにマンガを見る。2人の女の子が来る。全然、ブス、話をしない。テーブルでハガキを書いている。
俺、部屋に戻る。男、飛び込み。仙台、東北大学が来る。
夕食、また、酒が出てくる。酒を飲むと指が痛む。女の子、教師の試験を受けて来たとか。話しても、なかなか乗らない。馬鹿々々しくなり、途中で話すの止めた。大小の取り合わせ。大の方、滋賀県長浜、岐阜の女子大。クリ飯をついでくれる。飯は悪くない。奥さん妊娠中。大阪とか。
指を傷しているので、女の子達に洗ってもらう。スグ、部屋に戻ってマンガを見ていたら、風呂に行こうと呼びに来る。内心、複雑な気持ち。混浴に行ったら気まずくなるのでは。車に乗ってペアレントが女の子に、どっちの風呂に行きますか。女の子達、まかせるの返事で、露天風呂と決まる。混浴とは知らないのである。俺は車の中で黙っているだけ。ペアレントが、適当に、ズーズー弁で言っている。
真暗の中を、車は登って行くが、女の子達は不安そうな声を出している。俺は気まずい事にならなければよいがと心配。この子達、酒は全然飲まない。オープンな感じではない。
懐中電灯で女の子が先に入る。ペアレントが「後で男子が入りますから」。
女の子達2人は「エッ」。東北大は何を思ってるのか、黙っている。
風呂に入ると、女2人、ソワソワとしている。
ペアレントが、小川を照らし見ていたら、2人しかたなく義理で湯から立ち上がり、ノゾクカッコー。女の乳房が下がる。
きれいだと思う。
薄明るい光。しかし、上がって何やらしている。俺と東北大、小川に入って、水を浴び、風呂に戻ると、女二人、着替えている。ペアレントが電気を照らして女の子達に当てている。これはチョット、女の子、着替えて立ったまま・・・。ペアレント、何やらブツブツ。座が白ける。俺が一番心配していた事。
俺が言う。「一生に一度、素直な気持ちになるのもイイんじゃない」。
この言葉が効いたのか、それともいつまでも立っている訳にはゆかないのか。また彼女達、服を脱いで入って来る。
何やら一生懸命、気を遣って大変。彼女達、小さい方は、脚を組み、タオルで乳房を隠す。大きい方は、両手でタオルを下げたような格好で、脚を横にして、ロウソクの灯より暗くボンヤリ。彼女が俺の横に座って、別にイヤらしい気分にならない。自分がこんなにクソ真面目だったのか・・・?
もう十分に相手は気にしているので、見る訳にはゆかぬ。
ビールを回し飲み、アッという間に終わり。今度は冷たい水、出たり入ったり繰り返し。歌をうたう事になったが、彼女達、蚊の鳴くような声で、ボソボソと琵琶湖就航の歌をうたう。
2時間近く経ったか、最後に湯水につかる気。彼女の後姿を見た時、フッと素晴らしい、触れてみたいと言う欲望が・・・。しかし、すぐに消える。小さい方が時間を気にして・・・。車に乗ってホッとしたのか・・・。
外は真暗である。運転しながらビールは・・・、と言う。俺は構わないが、ペアレントが湯上りのビールだったら飲むでしょうと、彼女達に。
「ハイ」の返事。
また、昨夜と同じスナック。今夜は満員。座敷に上がる。
彼女達、勝手が違うみたい。ペアレント、一生懸命話している。最後、無理に少しずつ飲んでいる。
長浜嬢、少し酔ったのか、顔が少し赤い。全然スレていない。美人でなく、話ヘタ・・・。しかし、少し見直す。
食器の話をしたら、話に乗ってきた。やっと打ち解けて来た所で、時間・・・。
東北大、ゲロを吐く。彼女の裸の後姿が燃える・・・?
使用金額:2765円
谷底に茅葺屋根の青荷温泉が見える
1979年
昭和54年9月28日(金)
朝ベットの中で、彼女達の事が気になる。
東北人は朝食後「お先に」と出て行く。遠くで彼女達の去った後、一人になったユースで何を考えるのか。ベットの中、8時、時刻の打つ音が響いて来る。静かになった。
荷物をまとめ、9時頃ユースを出る。ペアレント、疲れた顔をしている。別れる時、目をさけている。
なかなか、おもしろかった。誕生日、青荷温泉に行っていたらどうなっていたか・・・。そんな事を考える。昨日と同じ道を歩く。青荷温泉には、ひとつ先から入るらしいが、昨日の話によると滝の上温泉の上に、昔の道があり、それが、青荷へ行く道とか。何度も同じ所を通ると、距離感がなくなってすぐに着く。
滝の上温泉で休憩していくかと・・・、寄ってみたら先客あり。土地の人らしい。詳しく青荷の道を訊いて行く。滝の上から300メートル先に、左に折れる狭い道あり。新しい橋、右側の道は要目温泉に行くらしい。
橋を渡ると道は急に狭くなり、2メートル程の道幅。そして、本当のジグザグ登り坂道と言うより山道である。しかし、静かで杉林が続き、気分的には歩きやすい。
上へ上へとどのくらい歩いたか、杉林、松も終わり、雑木繁る道に変わると、遠く、下界に谷底の小川。山ブドウの葉は赤く紅葉しているが、実がない。山ブドウのツルは、いたる所にあっても実はなし。
時々見かけるアケビを採りながら行く山道は、これまさに山深い湯に行く感じである。
山ブドウも見つけ、袋に入れて持って行く。
滝の上から5キロ程歩いたか、地道の車道に出る。標識が立っている。家一軒たりと見当たらず、凄い山の中である。
今度は谷底を目指して降り始める。まだ山は紅葉していない。
下るのはよいが、帰る時は大変だぁー、と・・・。
谷底に茅葺屋根の青荷温泉が見える。
よくこんな所に見つけたものだと感心する。本当の谷底に建つ、一軒宿である。
清流の流れる大きな露天風呂、今のところ俺ひとりとか。
龍の部屋、3500円2食。素泊まり1500円。まず風呂に入る。頭がボケている。
朝夕と鼻の調子が悪く、水鼻ばかり。朝起きると大変である。
しばらく横になり、流れる音を耳にする。何も考えずゆっくりとしたいが、なんせ、日記が溜まっている。書かないと後で後悔するのは分っている。
もう書く事に追われ、一体何が悪いのか。マンガ、本の見過ぎ。週刊誌を見る時間があるなら、日記は書けるはず・・・。もう週刊誌は止めた。本も考える。
この調子だと、もうすぐ急に寒くなる。夕暮れ、ランプが来る。食事に行く。俺一人。岩魚、山菜、あまりパッとしない。3500円は安いが、2000円の食事代が高い。混浴であるが、その肝心の相手がいないと何が混浴か。ババアーが裸で行ったけれど、銭を貰っても一緒に入る気はしない。
夕食後、日記。昨日の分を終え、風呂に入る。歌をうたう。埼玉の男、無口。写真の仕事。今着いたところとか。ランプで入る岩風呂。ひとりになって、指が傷がしていないなら・・・。静かで旅情があって・・・。
これで、若い女の子2人だったら、もう言うことなし。しかし現実は俺ひとりである。どさっと人が来ると言っていたが、いつまでも油を売っている訳には行かない。書かない日々が過ぎて行く。もう頑張って歩く気力がヌケた。温泉の入り過ぎである。レイナ達にここを見せたら、ビックリするであろう事を想像しつつ、床につく。
使用金額:4150円
狭い谷底の盆地に、稲生の黄金色が波を打つ・・・
1979年
昭和54年9月29日(土)
朝霧が谷を漂う。渓谷の流水は澄み、ヒヤリと肌をさす。何とかならないのか、この水鼻・・・。
寒さの為か、夏の頃は何ともなかったし、海外を回っていた時もなんともなかった。
この秋の気配を感じるようになってから、急に水鼻との戦いの毎日で、朝を迎えるのがウンザリである。
朝風呂と思ったら、風呂後に歩くと非常に疲れる。考えている内に、下男がランプを取りに来る。7時AM。もう朝食の用意ができていると・・・。清流にかかる橋を渡る時、流れる水を見つめる。
朝食6人分がテーブルに並べてある。タマゴ、ノリ、お新香、ワラビ、味噌汁、岩魚の佃煮。朝食はジャーに入っている。
昨夜の飯は、小さな飯茶碗に3杯だけ、ガックリ。4人のおやじさん達が食べないので飯が余っている。腹いっぱいに食べる。
朝風呂に入らず行くのも、もったいないような気がする。風呂に入る。50才過ぎたババアに5才程の娘・・・。ババアもああなれば、色気どころの話ではない。しばらく風呂の中でボケーとして、その後すぐ荷物をまとめ、宿を出る。
支払い、一瞬・・・。領収書を見てガクゼン。 4150円である。
確かめなかった俺が悪かったのか。男が言った3500円。飯は同じなのに・・・。嫌な気分になる。空一面に、雨雲みたいに雲が広がっている。谷底から上に登る事に。風呂から出たすぐの為か、汗かき息切れである。
チラホラと葉は色付き紅葉の気配・・・。きっと美しいであろう。
登るにつれ、上から切れた雲が谷間を流れて行く。
尾根道に出る。後は下る道であるが、国道まで6.5キロ。
一望にするには峰々の山ばかり、雄大と言う言葉は当てはまらないが、眺望である。
林道に通る車はなく、ハイキングにでも来たような感じである。
凄い山の中であるが、何だか俗化しているみたい・・・。
途中キノコを採りに来ている小型トラック。その横に週刊誌が落ちている。昨夜、週刊誌はもう絶対に見ないと思い、決心したのに。
国道に出る手前にリンゴ畑がある。しかし、失敬する気になれない。農薬の為。近くに水でもあるならよいが・・・。狭い国道は渓谷の間を曲りクネリ通っている。
なんとヒネくれた道であるのか。河原で、残り物クラッカー、タラを食べながら本を読む。腹がヘッていると何でもうまい。
行く道には、野生の栗の木がいたる所に立っている。少し時期が早いのか・・・。茶色のクリも時々拾う・・・。山ブドウを食べたが、口があれてヒリヒリしてしまう。
何と言う集落か、小さな所なのに道路横のパイプから、温泉水がタレ流しである。狭い谷底の盆地に、稲生の黄金色が波を打つ・・・。
葛川の集落でトウフ 一丁買う。もっと買いたくとも、今朝払った4150円思うと、とても金は使えない。あんな深い山奥に銭を使いに行く。馬鹿みたい。都会に住む連中が行くのなら、分るが俺みたいに、年中アッチコッチしている者が・・・。
平元の手前に来るとトマト畑。普通のトマトではない。広い畑になるとトマトは殆どが腐っている。もったいないことだ。丸いトマト7、8個、袋に入れる。
この辺はトマトを栽培しているらしい。カゴメのカゴがある。ケチャップ用のトマトらしいが、ほとんど腐ってしまっている。
もう夕暮れ。この平元の小さな集落に神社があったが、気が向かず、先に進む事、約1キロ。ポツリと建設中の家。鍵がかかっているが、一応すべての窓に手をかけてみると、一カ所だけ開いている。まことにケッコウ、川でトマトを洗う。
まだ少し明るい。日記と思ったが、全然そんな気になれない。
井上靖の本を読む。
いつの間にか暗くなる。トマトを食べる訳にはゆかない。
これは翌朝の分である。
使用金額:60円
やはり北海道とは違って、本州の空は澄んでいないのか、なんて思っていたが・・・
1979年
昭和54年9月30日(日)
昨夜、窓からチラホラと少ない星がボンヤリと見え、やはり北海道とは違って、本州の空は澄んでいないのか、なんて思っていたが・・・。
朝は曇りも曇り、今にも雨が降りそうな気配・・・。
迷ったが結局出て歩く。上にリンゴ畑が見えたが、実が一つもついていない。
狭い渓谷は、民家一軒たりとなく、雨が降るのは分っている。あのまま、あの建設中の家に居た方が・・・と思いながらも先へと進む。
湯川まで行けば、店でもあるだろうと思ったのが、間違い。3キロ程歩いたか、湯川の道路標識。しかし一軒のドライブイン、旅館、そして民家が一軒である。
小さな雨が降り出す。バス停小屋の中で本を読む。
本があるとヒマを潰すのに大変良いが、歩くことに支障・・・。
渓流の対岸にポツリと国民宿舎が建っている。山間のこんな所に国民宿舎なんかやっていて、儲かるのか。そんな疑問を抱かせるようなところである。
何の木名か知らんが、ヒョロヒョロとした樹林の間を道は通り、いつの間にかパラパラと降り出してくる。国民宿舎から700メートル程か、ザァーと降り出す。丁度、ドカンが一個あり、その中で雨宿り。残りのタラをマヨネーズを付けパクつくが、それも終わり腹がグーグー。本も読み終り、振り続く雨は止む事を知らない。その憎き雨はドカンの中を両側から濡らし始める。水攻めか・・・。
時々水しぶきを立て車が走り去って・・・。車の中、ここちよいのであろう・・・。
あの家に居なかった事を後悔する。判断することは難しい。雨が上がったら国民宿舎に行こうと思うが、雨は降り続く。この調子では、止む事ないであろうと・・・、雨の中を歩く。車が水しぶきを立てながらザァーと向かって来る。人が歩いているのに、全く無神経な奴らである。
国民宿舎の時刻は丁度10:00AM である。
これで、2度 旅館。ユース以外、今まで泊まった事がないのに、最近たるんでいる。
初心に帰らなければ・・・。
肥った中年女中さん、奥へ。俺は表側に泊まりたかったのに・・・。スグに風呂に入る。
傷した指をお湯につけられないので。ゆったりと湯に浸かっている感じがしない。
浴衣、たんぜん、帯の締め方を知らない・・・。今度、老人に訊いておこう・・・。
風呂から上がると、また例の水鼻である。もう何も食べる物がない。お茶で腹を脹らせるしかない。昼飯を頼むかと思ったが、もうそんな贅沢はできない。
女中さん、「おにぎりでも持っているの」遠回しに訊く。夕食まで・・・。耐えるのだ。
親娘連れが来たが、娘、小学校1年。廊下をバタバタと走ってうるさい。親は知らん顔で、注意もしない。もっとも、こんな親だから、こんな娘であろうが・・・。
地方紙を読んだが、パッとしない。どんな記者連中なのか。よくこんな新聞で銭が取れると感心する。
ロビーでテレビのスイッチを入れたら、NHK、0:15 pm のど自慢大会。その時、2人若者が入ってくる。展望台近くで車がガケに落ちたとか。女は中に閉じ込められたままらしい。同じ仲間かどうか知らん。新聞には台風が来ていると・・・。どうりで雨が降り続くはずである。
部屋に戻り床を敷くが、目を閉じるまで・・・、眠る事ができない。
空腹の為、日記を書いていても、字が踊ってしまう。
夕食は、5:30PMから。一体、今何時頃なのか・・・。売店のお菓子でも買いたい衝動。ただ、ジッと我慢の子である。
テレビニュースを見る為に、100円。テレビぐらいサービスしろ。銭箱なんか付けっやがって、100分。コンセントは抜いておくと、時間内、いつもいつでも使える。
飯は丁度ギリギリである。古い週刊誌をペラペラとめくる。
使用金額:3700円
俺がバスで行かないので、宿代をヒッかけて逃げるとでも思ってるのか
1979年
昭和54年10月1日(月)
台風16号の雨は今日も降り続く。目覚めても、この分厚い布団では寝た心地がしない。
俺には寝袋の方の落ち着く。それとも宿代のせいか。
朝っぱらからまた鼻水である。一体何が悪いのか知らんが・・・。100円玉をテレビの銭箱に入れて、時報を見る。6:45AM。
天気予報では、台風は丁度、東北地方の真上。今日いっぱい雨を降らすとか。
フッとあのまま、あの家に居たら、7400円使わず済んだが、今日あたり、腹ペコで何としているだろうかと想像する。
食料があったなら・・・これもなり行きである。
部屋から下に調理室が見えるが、何故この部屋を俺にあてたか、それは逃げないように監視しているのでは・・・。常に下から見ている。あまり気持ちの良いものではない。
朝食後、なんとなく食堂のテレビを見ていたら
「お客さん、窓のガラスから雨が入って来ませんか」「入ってこないよ」
「イヤ、風が吹いてきたよ」。
この俺が、そんな事を考えず、ただ窓を閉めるはずないだろう・・・、とは言わなかった。
朝食後、少し日記を付け、マコ、Tさんに手紙を書いていたら、もう12時。女中さん、昼飯ですよと呼びに来る。
別に腹はヘッていないが、高い昼食、一生に1度。
日記のタネにもなりはしない。カレーライス一皿。
警察官3人、俺は1番角の隅に押しやられ、3度の食事に座る場所が違うのである。
「ごちそうさまでした」ご馳走でもないが、ごくろうさん。どうも客に対する言葉を知らない。
今、夕食を済ませて来た所であるが、何とあんな夕食で、1000円。小さな2切れの魚。薄い5枚のタコ、ナメコ、4切れのシンコ汁だけ。全く人をバカにしている。
食べているうちにムカムカとして来る。俺がバスで行かないので、宿代をヒッかけて逃げるとでも思ってるのか。頭に来る。
使用金額:4200円
この晴れた青空を見るとホッとする。歩ける事が嬉しい
1979年
昭和54年10月2日(火)
カーテンが明るく陽射しを透す。テレビで天気予報ばかり気にしていた。
天気予報が当たっているなら、今日は晴れるはずである。今朝はカーテン、窓を開けず。
下で監視しているようで気分が悪い。
7:30、朝食に行く。出てきた朝食、これまた頭に来るばかりで、ムカムカと。今思い出しても頭に来る。全く誠意のない食事である。これで500円・・・。
部屋を片付ける。女中5人「今日は良い天気ですね」。
誰が悪いのかしらぬが、話す気になれないのだ。軽い返事をするだけ。何故急に食事が悪くなったのか・・・これだったら「お茶ぱ」をごっそりと持って来ればよかった。
支払い7600円。昼食カレー400円。あんなもの・・・。
玄関を出ると、久し振りの青空である。この晴れた青空を見るとホッとする。歩ける事が嬉しい。人間とは勝手な者である。毎日毎日歩いてると、もう歩くのがウンザリする。休憩したいと願ってばかり・・・。いざ高い銭を出して宿に転がり込むと・・・。
とにかく樹々の葉の間より、チラリと見える青空。車は殆ど通らず、歩は気分よく動く。しかしもう寒い。深い樹林である。峠に登って行くに従い,段々と紅葉していくが、最時ではない。
鼻歌を歌いながらブラブラと歩き,峠の休憩所。スタンプを訊いたら、ババア、嫌な顔をして引き出しから取り出す。無料休憩「微笑」を読む、チラリと。俺は決心したのだ。もう読まないと・・・。
空は曇って、その間より少し青空が見えるだけ。吹く風は冷たく、夏が恋しくなる。
下り坂をブラブラ。周囲の巨木を観て、山を見て、遊びながら歩く。
道はジグザグの下り坂道。下に着くとキャンプ場あり。
急いでもしかたがないと、少し先に進んだ道を引き返す。しかし、料金札がブラ下がっている。即刻引き返し、樹木のトンネルの中を歩く途中、湖岸遊歩道を歩いたが、風の為か湖面が荒れている。それに道が悪い。道は狭いが、車が少ないのがよい。
ユース、どうするか迷う。座って本を読んでいたが、肩が痛い。頭に入って来ない。
ホテル、バス停の中で、国民宿舎で少し失敬して来たお茶を作るが、全然味がしない。道の横にいたる所から水が流れている。昨日の雨・・・。もう飲む事もない。夏、あんなに飲んだのにと思う。
鉛山鉱山で、丁度売店あり。電話ユースにかける。季節が変わると、銭も変わるのか。
ユース、話、君である。本当、最低限度の日本語は知って欲しい。
ここで、鉱山鉛採掘しているとか。こんな辺鄙である。発荷峠に行く。分岐点で道を尋ね、アッチに行ったりコッチに行ったり。ユース3時。時間が中途半端である。
峠を登っても後が・・・。陽が短くなって大変だ。ユースに着いて日記を付けるが、寒く手は冷え、よく書けない。
ユースの中は冷え冷えとして水鼻ばかり。風呂に入るとこれがまた温かいのである。風呂から上がると、増々水鼻。食前なので心配する。飯を食べてる時、鼻をズルズルと鳴らす訳にはゆかない。飯前になると、水鼻がピタリと止まる。緊張の為か。
何やらガキどもが、ウヨウヨとしている。飯、おかわりができるのでうれしい。
それに・・・しても。あの・・・。
食事後すぐ布団を敷いて、布団の中。
7時。しかし、顔がほてる。どうもカゼをひいたらしい。もう、セーターが必要だと思う。しかし、俺は夏物シャツしか持っていない。
使用金額:1900円
ユースの真上が発荷峠展望台
1979年
昭和54年10月3日(水)
朝、寝汗をビッショリとかいている。
体が軽くなったような感じがする。水鼻も止まった。
6時頃から誰かゴソゴソとやっている。やはり、ひとり静かに寝て起きるのが一番よいと思うが、これから、野宿は身にこたえる。
ユースの真上が発荷峠展望台。国道を行くと遠回り。下から見えるので、山道があるはずである。人に尋ねても誰もよく知らない。ホテルの裏側に道があると言う。
しかし、4キロも遠回りはできない。しかし、笹が生茂り、露で濡れるから止めたほうがいいだろうと注意。しかし、4キロも遠回りはできない。まぁー、行くだけ行ってみようと、藪の中をかき分け登って行ったが、途中でその道は行き止まりである。また引き帰し国道を歩く。遠回り。近道するつもりが・・・。坂道をゼイゼイと憎たらしく登って行く。
空はどんよりと曇っている。曇っている為か、湖面は灰色。紅葉もまだ始まったばかりで、ポツポツ。まだパッとしない。
発荷峠展望台。昔、ここを通ったのに、全く記憶にない。展望台より十和田湖を見下ろしたが、ただの水溜まり。わざわざ銭を出して来る所でもない。中年夫婦が写真を撮って互いにブツブツと言い合っている。仲の良い夫婦みたいであるが・・・。
道は上りから下り、樹林の間にブラブラと歌いながら。これで晴れ渡り、青空が顔を出しているなら気分爽快であるのに・・・。所々に黄色く色付いた樹葉、大きた木。これが何本程あったら、ユースが建つのか・・・。そんなことを思ったり。
やたらとバスが通る。上ってくるバスはふかして来るので、排気ガスが凄い。俺・・・、かわいそう。これで車が通らなければ、丁度よい散歩である。
中滝、山間の底にポツリと・・・。こんな所に一体どんな産業、生活していく糧があるのか不思議に思う。
パンはない。カンパン、HiC、280円。この集落を出ると、道は谷間を走る。車が走っても、俺は走る訳には行かぬ。
谷間が小さく少しずつ広がって来ると、ポツリポツリと農家。茅葺き屋根。土台は傾き、屋根は高く草が生え、緑である。
貧しいから、アルミサッシを入れる金がないのか、ガタガタ。しかし、それが自然のままなので、一枚の絵になる。
冬を想像するとゾッとするし、頭が下がる。百姓のおじさん、俺をジーっと見ていたが、何思ってるのか・・・。
計算すると、大湯に2時頃着くはずである。ユース、迷う。
しかし、もう銭の使い過ぎ。最近、精神がたるんで来た。どうするか迷いながら歩く。途中、リンゴ園なんて看板。しかし、リンゴの木はなく売店だけ。ペテンである。
栗拾いをする。生の栗をガリガリやって、腹の足し。垣にブドウあり。しかし、バカッと食べる訳には行かない。汚いから。家の人が出て来る。知らん顔してスタスタと歩く。
大湯に着いて、今日は真直ぐに歩く事にする。大湯を素通りして、左側、多分旧国道であろう。生栗を食しながら、牛乳を見ても買わない。もう銭の使い過ぎ。
どれ程歩いたか。リンゴ畑が始まる。1個失敬して神社で腰をおろし、皮をむいてガブッ。おいしくない。2、3日寝かせないとダメなのであろう。それでも腹の足しにはなる。
寝るにちょうど良い場所。しかし、まだ陽が高い。曇って太陽は見えないが・・・。リンゴ畑とトマト畑。トマトは腐って、もう沢山捨ててある。誠にもったいないと思う。トマトスープにしたらと、そればかりを思い、よだれが出る。
何やら知らぬが、色々な種類のリンゴがなっている。
キューリ、ー本失敬。スイカがまだ転がっている。ウリもあった。色々な農作物。しかし、水がないのでどうする事もできない。
ストーン・サークル、4000年前の遺跡とか。一瞬チラリと、バイキングの遺跡と似ていると思った。トマトを失敬し、ヨロヨロと思っている内に、トマト畑が終わってしまった。
もう暗くなったので明日書く事にする。
真紅に色づいたリンゴを皮むいて食べたら、見た目ほどサッパリの味である。
古ぼけた神社の縁台に腰かけ、人間生活の不思議さを思い、その静かな境内、周囲はリンゴ畑の樹々ばかり。
日記、NHKもうすぐ1ヶ月になるので、気になる。
誓いは誓いである。そんな事を思いながら歩く・・・。
小さな集落。下り坂、下から4人程の小学生、遠足の帰りか。その中の1番大きい奴が、空栗のイガを持って、ある一人を走り追いかけている。後からそのイガを投げる。子供に当たって、ワァーンと泣いている。
下り坂を下っていくと、今度は女の子達。俺を見て、口を押さえクスクス。俺も子供たちの真似をして、クスクスとやったら、ゲラゲラと笑い出す。
車が止まって、色々と話しかける。乗れとは言わない。別に乗りたくはないが、東北は、北海道と違って、他者には閉鎖的である。俺の一番嫌いな事だ。
もう4時、はじめの神社をやり過ごし、先にする。
高市集落。店屋で何か買うか迷いながら、結局素通り。高台の上に登り、見ると鍵はかかっていないし、周囲は草ボーボーでも、建物はきれいである。縁台にポンチョを敷き、日記を書いていたら、段々と暗くなり、シシの台が点灯。光っているので、後をフリ向いたら、夕陽の紅光が杉林の間より差し込んで来る。きれいだが日記のほうが忙しい。風が冷たく、ヒシヒシと秋の冷たさを肌で感じる。秋風の音である。
暗くなり途中で止める。
下に食料買いに行く。トウフ、ラーメン3個、牛乳、パン、585円。
戻り、どうも変だと計算し直すと、100円余分に取っている。知ってやったのかどうか知らぬが、頭に来る。あの時、自分で確認すべきだった。
ロウソクを立て、暗闇の中、ラーメンにトウフを入れ、味もそっけもないトウフ。しかし、今日は32キロ程歩いたか。久し振りに真面目に歩いたから、さすがに脚が疲れた。
ロウソクの灯で、ドストエフスキー、未成年を読んでいたが目が疲れる・・・。
今日は頑張った。
使用金額:865円
曲り少し進んだ右横に、八幡平の駅
1979年
昭和54年10月4日(木)
半分眠っている頭で寝返り。枕にしているナベではちょっと?しかし、枕を持って旅する訳には。ウトウトと・・・。と、その時・・・。
ザァーと云う音を耳にした時、この半分寝ていたボケた頭をハッキリと冴えてしまう。
雨が降っている。昨夜扉から見た日はスッポリと雲の中。ボンヤリと薄く光を映していただけ。多分雨が降るであろうと予期はしたが、実際降り出すとガックリである。
幸か不幸かユースに泊まったら、2日分3400円だなぁー。ここは雨漏りもしないし、まぁー儲けしたと喜ぶべきか。そんな事を考えていたら、もう眠る事はできない。まだ真っ暗である。雨が降って、変な所に寝ていたら大変だったと思う。
夜が明け、どうするか考え事しながら寝袋の中にジーッと。
突然、ガラッと扉が開いて、若い女の子が入ってくる。
俺はゼンマイ仕掛けのおもちゃみたいに飛び起きる。
「あのー、お拝りしたいんですけどー、いいでしょうか」
いいも悪いも、俺の神社ではない。これすべて人間、人類の為である。
中は薄暗い。彼女、賽銭をチャリーンと投げ入れ、正座して何かを拝んでいる。その後姿は確かに女である。
時間を訊いたら6:20AM。こんな朝早く、若い女の子が珍しい。
神様信じているの・・・。「エェー割と信じている」
ポッチャリとした、割と色っぽい感じ。東北弁が響きよい。男の東北弁、色気もそっけもないが、女の東北弁は女らしく、美しいと思う。
牛乳を沸かし、蜂蜜を入れパンと一緒に食べ・・・。
空ればかりが気になる。(暗くて見にくい。明日にする)
雲が流れているので、雨は降らない。したくをして出る。
曇り空の下、今日は学校休みなのか、通学生いないし、学校もガラリとしている。
花輪に、9:05着く。スーパーでバナナの大売り出し、1kg 150円である。買いたいが、荷物になるし、何となく面倒で。クネクネと曲った道ばかりの街である。駅のベンチに腰掛け、何となしにテレビを見て・・・、ファッションの話をしている。
今日、トロコ温泉。雪の家に泊まり、次の日は鳩の湯。
丁度、距離的によい。途中から集落がなくなるので、2日分の食料が必要である。
大黒無人駅で一休み。腹の調子がおかしい。クソを垂れたいが便所がない。小屋の隣でクソを垂れたら下痢。リンゴが悪かったのか、ラーメンの食べ過ぎか、とにかくもったいないと思った。
駅を出てすぐ、パラパラと小雨。理容院の時計で、10:25AM。その横に神社の境内に、公民館。その玄関前で雨宿り。強くはないがシトシトと降る雨。本を読み暇を潰す。この本、初めはおもしろくなく、しかたなく読んでいたが、読み進むうちに、なかなか読みごたえあり。
曲り少し進んだ右横に、八幡平の駅あり。そのまま真直ぐ。Y字に左右。その手前に橋がかかり、その下約10メートルに清流の流れ。水がきれいで、なかなかいい川である。
右に曲り、初めの集落。学校前の店で、食料2日分を買い込む。今日の分は、牛乳、パン、リンゴである。
リンゴは1個、150円。腐る程なっているリンゴ、銭を出して買うのは馬鹿々々しく思われたが・・・。酸っぱくはないが、思って見た程おいしくない。パスー。
タオル、220円。合計 1720円。食料を担ぐとグッと重く、肩に来る。
途中、ポツリポツリと集落に、買うによい店あり、これなら何もワザワザあんな所で重い思いしなくても済んだのに・・・。
途中より雨が降り出し、雨宿りする場所なく、そのまま雨の中を歩く。郵便局玄関前、リュックを看板の後に置いて、立って本を読んでいたら、小さな郵便局員のおやじさんが来て、中で休みなさいと。ソファーに座って。4人の局員、内一人は、中年おばさん、やたらとでしゃばり話す。男性局員、人がいいのか沈黙あるのみである。
何か話してる内に貯金の話になり、ここで貯金をして、住所はどうなるか訊くと、そのまま福岡でよいと・・・。9万円入れて通帳作る。まさかこんな所で通帳を作るとは、思いもしなんだ・・・。お茶が出てくる。皆親切である。
局の中で本を読んで、雨が上がるのを待っていたが、一向に雨は上がる様子はなく、増々反対に強く降り、道路の面上を叩き、雨脚をたてている。
いつまでも居てもしかたがないので、小降りになったところを見計らって、局を出て行く。おじさんが見送りに外に出る。
小雨が降る中、こんな時に限って神社がありはしない。
垣根のブドウを失敬したが汚れている。
左側に国道、山の斜面には杉林が雨に濡れて、俺は車に水を撒きかけられるので、雨に濡れた稲穂の続く田圃道を歩く。雨に濡れて歩くのもよいが、こんなに降ってもらっては・・・。
前に集落あり、その端に大きな茅葺の屋根である。その横にバス停小屋あり、その中で雨宿り。農家より水を貰い、スープを作るが、このコンソメはまずい。
雨が上がる事なく、降り続くばかり。小屋は新しく大きい。ただベンチが狭いのが残念。しかし、少女マンガの山である。初め暇つぶしに本を見ていたが、また、悪い虫が始まったと止め、日記を付けていたが、もう中が暗くなってしまい、途中で止めてしまう。
先に進む事できなく、中でジーッとしている以外、何とするか。数人の子供達が傘をさして、バスを待っている。しかし、中に俺がいる為か、中に入って来ない。
水銀灯の光の中に白く光る雨の糸。水銀灯の薄明りで少女マンガを見て・・・何を思うやら・・・。
雨ばかりでついているのかついてないのか知らぬが、コンクリートの上に、マンガ本を敷き並べ、その上に寝る。
窓ガラスより射し込む水銀灯の光。屋根は雨の音。
使用金額:1720円
大場谷地の湿原の紅葉なんか最高。もう、カメラがないのが残念
1979年
昭和54年10月5日(金)
一晩中眠る事できず、ウツラウツラとしただけである。薄明るく夜が明けたが、神社と違っていつまでも此処に寝転がっている訳にはゆかない。
ビスケットにスープ、もうガスも殆どなくなってしまった。中を片付け、外に出ると、白い雲の間に真っ青な空が見える。
急に楽しくなる。やはりこの真っ青な色は心を楽しくさせて来る。しかし、地図を見ると全然中途半端な距離である。
トロコまで約12キロ、そこから13キロで王川、さらに7キロで五十曲。また4キロ先に行くと鳩ノ湯。昨日の内にトロコまで、歩けていたら・・・、と残念である。
朝っぱらからトロコに泊まる訳にもゆかないし、とにかく歩く。
まず魚フライ、HiC、290円。民家は段々と少なくなり、店らしき店はこれが最後だったが、黄金色に彩った稲田。歩く足は軽くない。
途上の道に、駐車の急な大きな屋根。多分雨を防ぐ為であろうか・・・。しかし、こんな古い茅葺の農家を見ていると、日本だと思う。北海道にはないし、この山間の狭い土地に揺れる稲穂は、日本である。もうこんな家は建てる事がなく、姿を消して行くのであろう。合板のクダラン物が発達するから・・・。道は下る事なく、あがりっぱなしである。重いリュックを、朝っぱらからハァーハァー。朝の道行く人達に、「おはよう」と挨拶される。
山裾には朝もやが立ち、空気が新鮮。少し寒いくらい。
土方のおっさん、朝の迎え車を待っている。俺が近づくとおっさん、ポケットからゴッソリと栗を取り出して、これ、今そこで拾ったから・・・、と俺にくれる。うれしいね。こんなに・・・、さらりと貰えるのは。おっさん、ジープに乗って去る。俺はただ、ひたすら歩くのみである。
遠く前方の坂下から、腰がフラフラしたおばさん、叫びながら、オーイオーイ、弁当忘れたと、バスを追いかけている。その後どうなったのか。
赤張に着いて、もう完全に集落もなくなり、道路は急に立派になり、急な坂道になる。
もう心臓によくない。ハァーハァーと登って行く。後ろ振り返り見れば、山間の真ん中に、点々と集約が小さく見える。雪の家の看板、自転車、オートバイ、徒歩旅行者歓迎。昨日、ここまで来る時間は十分にあったのに・・・。
しかし、凄い、中も中、山の中に建てても、どうやって客を引っぱるのか首をヒネるばかり。途中、幾つか寝れそうな場所があり。しかし、今更どうにもならない。
休み、地図と睨めっこ。無理すれば鳩ノ温泉まで行けるし、また、行かなければ食料がもたない。
銭川温泉、オンドル舎とか云う地熱を利用した日本式サウナ。崖下の谷底に、清流の流れに、ザァーザァーと、音を響かせ建物が見える
そこから少し歩いた所に、八幡平有料道路、料金徴収所。
13年前、この上を途中まで上っていき、途中から引き帰す。ジャリ道の何もない・・・。途中から雨が降り出し、山の中の開拓農家に泊めてもらったのが、何処ら辺だったか定かではない。全て昔の事である。すっかり変わってしまった。
料金徴収所の時計は丁度9時である。
約24キロ、行ける。右手遠方の山頂が黄色に紅葉。グルグルと曲がりくねった道路。それも急な上り坂。登りぱなしである。平坦な道のつもりで計算したから、これでは急がないと間に合わないと、焦るばかりだが、それとて、歩く距離はたかが知れている。時間的には充分間に合うが、山間の夕暮は早いので急ぐ。マイペースで歩いても休む事がない。ブツブツ言いながら歩いて、フッと気が付くと、今までチラホラだった紅葉が、高くあがるにしたがい、目も覚めるような美しさである。
絵具をバァーとブチまけたような色鮮やかさに・・・、なんと言って表現してよいのやら。
白い雲の間より見ゆる青空をバックにした、色とりどりの紅葉は、ただ、ウナるだけである。
橋が架り、その横下に流れる沢の清流にしだれかかる、黄紅の枝、流れる音の響き、流れ落ちた水が溜まっている。
車もそんなにうるさく通らない。反対側は急に深くなった滝の沢。これがまた素晴らしい。夏だったら、滝つぼで、水遊びしただろうに。お茶でも作ってと思ったが、小枝は昨日の雨に濡れている。
しばらく、この紅葉の世界に浸る。山深い所、しかし急がなくてはならないので、ゆっくりとしたいがそれはできない。誠に残念である。
ヨーロッパの紅葉も情緒があって素晴らしいが、この日本の紅葉、負けず劣らずである。こんな静かな世界で、静かな美しい言葉を聞いたら、気が狂うだろうと思った。
主要幹線道路ではないので、通る殆どの車は観光である。
一台の御兄トラックが止まって、乗っていかないか・・・。東北では珍しい。断って・・・。こんな美しい所をただ、車で走り去るにはもったいない。バス、車の連中の気が知れぬ。
俺には文章力がないから、この美しさを書き表せぬが、それでも時々フェアーレディーがフッ飛ばして去って行く。こんな美しい所を・・・、狂気だ。
上を向いたり横を向いたり、アッチコッチ首を回すので肩がこる。枯れた老木、つたが、からみ、美しく彩どる。とにかく細々に見ていくと限りがない。これでは、生花の先生連中が束になってもかないっこない。
またまた、車が止まり、私も一人旅、一緒に行かないですか。いや、すみません。ちょっと訳があって歩いているものですから。そんな事どうでもよいではないですか・・・。横浜ナンバーである。
大場谷地の湿原の紅葉なんか最高。もう、カメラがないのが残念である。この紅葉の中に入って、写真をパチリと一枚。本当に、くやしいー。
上まで上がって来ると、沢の水は、小さくサラサラとメルヘンの世界を流れて行く。ボートでこの沢を下ったら最高だろうと思ったが、現実、ボートが浮かべるような、広さでも深さでもない。
右側のチョット広い所で休憩。どうもこのまま去るのがもったいない・・・。
大きな木に、S54.10.5 WAKIと刻む。
登り坂から下りになる。王川温泉近くに地獄あり。王川温泉は下、地図では山道があるが、雨後だし・・・。
こんな所、もう車道もある事だし、人は通らないであろう・・・。
昔はここから、山道を越え行ったが、もうその面影は全く姿を消し、今は、山の中腹を整備されたリッパな道路。まさかこんなになるとは、夢にも思わなかったし、また、こうして来るとは想像もしえなんだ。
本当は山道歩きたかったが、確かではない事は止めたほうがよい。
右側の国道を下って行く。もう王川まで来れば、後は楽だ。家は一軒たりともなく、ただ山の中を道は走る。ここまで下って来ると、紅葉もまだ始まったばかりと云った感じでパラパラ。やたらと観光バスが通る。日本も豊かになったものだ。
心が貧しくなってしまったが・・・。
そんな事を思いながら道を下って行く。左側、崖下はなかなかリッパな川であるが、玉川の酸が強く、魚が一匹も住んでいないと、昔は・・・。今もそうであろう。
雨後の為か、いたる所から水が流れている。
五十曲まで下って来ると。もう鳩ノ湯まで目と鼻の先。ホッと道路横に腰を下すと、そのまま寝てしまう。
昔、この道を通った時、古ぼけた一軒の温泉宿を目にしたあの時、よくこんな山深い所に人が来るのかなと不思議に思って、この13年間、よく時々思い出したものである。
そして、その鳩ノ湯に着いたら、吊り橋の向側に新しい建物。全然雰囲気が変わって、俺が思っていたのとは違う。
丁度、建てなおしたばかりのところであった。とにかく、これが時の流れと云うものだ。一泊素泊まり1500円、フトンなし、米一弁400円、缶詰250円。高いがこんな所だ、しかたがない。
何故だか、1リッターの蜂蜜を買う。1500円。これで取れたと買ったのはよいが、食べるのが大変だし、重い物がまた一つ増える。
日記を付けていたら、宿のおばさん、漬物、甘あめを持って来てくれる。
飯を炊いていたら、おばさん、汁があるから来なさいと・・・。
他に7人の客、自炊している。皆、おっさんばかり、酒盛り。本当はひとりで居たいが、おばさん、俺の部屋から動きそうにもないし、一人だから、話したいのか・・・、これもなにかの縁ですよ、ハイ。
使用金額:3940円
おばさん入って来て、座り込み、何やらひとりでペラペラと東北弁で、独講である
1979年
昭和54年10月6日(土)
早朝から、おっさん連中のドタドタと廊下を走る音。1500円もの大金を払っているのだ。ゆっくりと寝たいのに、頭に来る。全く日本人と云うべきか、東北人と云うべきか、公衆道徳の低さにはウンザリする。1人2000円で、12000円とか言う声が聞こえる。俺の時は、1500円。フトン代200円なんて言っていたが・・・。
おっさん連中が出ていって、静かになったが、今更また横になっても眠る事はできない。日記の付け残しを書く。やる事が沢山あるし、米があり、缶詰もある。まさかこれらを担いで行く訳にも行かず、結局計算すると、1500円、もう一泊しても同じ、たいして変わらないので連泊することにする。
湯につかって寝てから、NHKでも書くかとに横になって眠りかけた時、3人、ドヤドヤと入って来て酒盛。百姓、頭に来る。裁縫もあるし、本もあるし、1日が50時間ないと時間が足りないくらいである。
飯と缶詰、サバ缶、全然おいしくない。それでもペロリと食べてしまう。
本を読んでいたら、おばさん入って来て、座り込み、何やらひとりでペラペラと東北弁で、独講である。
俺はひとりでゆっくりと本を読み上げたいのに・・・。
なかなか出て行きそうにない。タバコをスパスパと吸って、俺はハァハァと空返事ばかり・・・。こんなのも困る。頭の中でこんな時、どんな断り方をすればよいのかそんな事を考えていが、全くよい考えは出て来ない。
少しでも軽くしようと、蜂蜜湯ばかり飲んでいる。大き過ぎると云うか、ガラスビンが重いと云うか、先が思いやられる。
今日、一歩も外に出る事がなく、中で日記、本、チョコチョコと書いていたら、暗くなって。何にもないから、日記に書く事がなく助かる。最近日記の書き過ぎ。その時は面倒で、嫌で・・・と思っても、後で悔やむ事、分ってるから、できるだけ詳しく書く事にしているが、まともに、見た感じた思った事を書いていたら,一日が何の為か。
使用金額:1500円
雨は一向に止む気配なく、地図を見ると、玉川の集落までもうすぐである
1979年
昭和54年10月7日(日)
窓から見上げる空は灰色である。
イヤな予感。そのまま寝袋の中で静動。しかし、頭の中がグルグルと回転している。
とにかく飯を炊く。荷物をまとめ、スグ出ていける体勢。
4等米の青森産? ボサボサした米である。缶詰と一緒に食べる。食事中、例のおばさんが入ってくる。
「おこーこを持って来てあげましょうか」
「いいえ結構です」
一人暮らしの生活で、話し相手が欲しいのか、そこの所は分らぬが、とにかく俺は、おばさんと話するのがイヤ。
もし、人に食べ物で好き嫌いを訊かれたら・・・何と答えるか・・・。そんな事を缶詰を見ながら考える。
私、好き嫌いと言うより、全て感謝して食べます。しかし、強いて選ぶなら、そして許されるなら、缶詰は一生食べたくない。
パタパタとトタン屋根を叩く雨の音に、ガックリと来る。何が天気よくなるでしょうだ。あのおばさん、嘘ばっかり。この温泉、気に食わない。パラつく雨の中を歩く。玉川集落まで約8キロ。途中、家一軒、雨宿りする所ない。
歩き始めて迷い出す。この一面灰色の空は、今日中雨とは分かり切っている。引き帰すか・・・、と思いながらも、足は勝手に前へ前へと進む。
雨は止む事を知らぬがように、降り出し、樹林の中、濡れた道路、時々走って来る車の水シブキ・・・。横に流れる川、パンツ、タオルを流す。もうボロボロと、使いようがない。愛着か・・・?どうか知らぬが、ポイと、これら使用して来た物はゴミ箱に捨てる訳には行かぬ・・・。頭に巻いていたカーキ色のタオル、流れの中に漂って、途中引っかかる。
ポンチョを出すかと思いながらも、出さず、そのまま濡れ歩く。
なんで俺は、あそこは出たのか・・・。
ただ、あそこに居たくなかったから出たのか・・・。
このポンチョが、また、大して役に立たなく、重いばかり。ブツブツひとりでグチをツブやきながら歩く。バスの中に旅行者・・・、俺は雨の中を歩いて、別に何も迷う事はなく、足は勝手に動く。不思議な程、余裕がある。
カーキ色の橋が見え、その横に廃墟になったコンクリートプラントがポツリと建っている。
配線板の中がバラバラになり、線も切ってある。ミキサーが上にあり、ただ雨がしのげるだけだが、それで助かる。
車が入る部分に焚火後あり、その辺の板を割り、火を作る。火を見てると、蜂蜜を飲みたくなったが、ナベを取り出し、ゴタゴタするのが面倒だが、結局、沢から流れる水でお湯を沸かし(も薄暗くてよく分らん明日) (雨が降ってばかり、屋根から落ち、ポチャポチャと言う音)
不凍液の空缶で台を作り、お湯を沸かすが、これがなかなか大変だ。
2時間近く焚火をしながら、道路を叩く白い水玉を見ていたが、雨は一向に止む気配なく、地図を見ると、玉川の集落までもうすぐである。
ポンチョを取り出し身に着ても、リュックの部分を考えて作っていない。その部分だけ、後が足りなく、ヘンチクリンである。一時的に雨をしのぐ分には用は足りても・・・、全く頭に来るポンチョである。
黄ポンチョを着て雨の中を歩く姿、客観的に人が見たら、カッコいいのかどうか知らぬが、車の窓を開けて女の子が「ガンバッてー」と手を振っている。
玉川集落と云ってもダムの為、底に沈む。一軒の店があるだけで、その他はもう引きはらったのか、空家が4、5軒。遠方に大きな校舎。点々と、家を取壊した後に、野草が覆い繁る。
と云う事は、あの校舎も廃校のはずである。行って見るとやはり廃校。小・中学校を兼ねた校舎で、カレンダーは1979年3月で終わっている。
校舎の中に、まだ使用できるミシン3台。食器など教員の住居か、床の間の柱2本、リッパな物。これだけの材料があれば、リッパなユースが建つのにと思った。
教室の中を掃除。ゾウキンがけして、水は雨水。もうリッパな教室になった。椅子、机はないけれど・・・。
物置の中に、朝日新聞が山積み。1979年2月末で終わっている。
使用金額:0円
鎧畑ダムを後にすると、やっと谷間が広がり
1979年
昭和54年10月8日(月)
昨日中、雨は降りっぱなし。水があると湯でも沸かせるのに・・・。水道の蛇口は、ゴロゴロとしていても、水は一滴たりも落ちて来ない。食料をまだ持っていたので、飢える事はなかったが・・・。
古新聞ばかり読み、時々、この記事は以前読んだ事があると思い出す・・・。日記を書くより、新聞の方が面白い。読んでいる内にいつの間にか薄暗くなり、あわてて日記を書き始めたが、暗くなって途中で止める。
夕方から雨が増々強くなり、ポチャンポチャンと雨垂れの音。暗くなった校舎、誰もいない。風で当たるガラス窓の音がガーンガーンと響く。真夜中になると、風雨とも強さを増し、校舎中の窓ガラスを叩くので、ガンガンと響き渡り、とてもじゃないが寝ていられない。
オーケストラの中に、寝袋を敷いているようなものである。風雨は、まるで台風の再来かと思わせるような強さ。フッと、茅葺屋根の神社を思い出す。あの神社だったら、こんなにうるさくなかっただろうと・・・。結局一睡もする事できず、そのまま明るくなってしまう。
夜が明ける頃になると、雨も風も止んでしまったが・・・。空は相変わらず、曇って怪しい雲行きである。感じとしては、降りそうな感じではないが・・・。
朝起きると同時にまず日記を書く。スズメの鳴き声、全く梅雨みたいな天気である。
今、寝袋を巻いて出て行く用意をしていたら、雲の間より強い陽が明るい一線の光を射して来る。ホッとする。窓の外をフッと見ると、山の裾に、銀色に輝き揺れるススキの波。秋の情緒を思わせるので、忘れない内に、また日記を取り出し書く。
廃校になって雑草の繁る校庭。プールまであるが、何の為にこんな設備投資をしたのか、首をヒネりたくなる。
玉川学校出ると、道は曲がりクネリ、山間の谷を行く途中から、ダムの水面が段々と高さを増して来る。朝、チラリと顔を出した青空は、何処に行ったのやら。また雲だらけ。
湖面に水鳥がバタバタと水しぶきをたてている。以前の記憶は何処にもない。
鎧畑ダムを後にすると、やっと谷間が広がり、黄色の稲穂の波が見え、茅葺の屋根が見えて来る。小さな店屋、パンが売っていない。店のおばさん、下を向いたままホウキで掃きながら、ブツブツと返事をする。全く失礼である。
何も買わず店を出る。やたらと栗の木が多いが、全て野生の為か実は小さい。しかし道路上で、一個の大きな栗の実を見つける。道横に一本の栗の木。回って見ると、大きな実が昨夜の風雨の為か、沢山落ちている。木にはイガを開いた茶色の実。木を投げつけ実を落とす。1時間程、栗拾い。ヤッケの両ポケットいっぱいになる。
拾ったか盗んだか知らないが、生で食べる訳には行かない。今まで、チョクチョクと生の栗を拾って生で食べていたが、これだけの栗・・・、荷が増えただけの事である。
ノンビリとした農村風景に田園、国道に観光の車が通るだけ。それでも以前に比べると便利になったのであろう。
店で牛乳、パンに265円。明治牛乳155円と云う。牛乳、上がったのかなぁ・・・。断ると、140円の小岩井牛乳・・・。東北は勝手に牛乳の値段を定めるのか。
学校横の神社に行く。水を貰って行ったが、神社の横の川が流れ、石の中からも湧水。何もわざわざ持って来る事なかった。まず、栗を洗う。大きな鍋いっぱいあった。
牛乳を沸かし、蜂蜜を溶かしてパンと一緒に食べる。曇りのせいか、杉林の陰のせいか、寒い。12時のサイレンが鳴り、何やら学校の子供達がガヤガヤ。神社の正面には大きな鍵、この鍵は開けられるなー、なんて考えていたら、山の仕事をしてるのか、弁当を持って来たおっさん、おばさん連中、その正面横の戸を開けて中に入り、弁当食べている。
何のための鍵じゃ。しかし、イイ物を見た。たとえ、鍵がかかっていても、一応、周囲の戸に手をかけるべし。
熱い蜂蜜の牛乳がうまい。古新聞を読んでいたが、全然その気になれず、今日歩く気分が乗らない。
郵便局を見つけ、記念切手を買いに行く。2000円分。こんなに買ってどうするのだろうと思うが・・・。また悪い癖が始まったが、俺は凝り性だから・・・。
局の横に変わった形の茅葺屋根。これからずーっとこの形の屋根が続く事になるのか。地方が変わった証しか?
なめこが栽培、売れている。安そう。味噌汁にしたら、うまいだろう。キャンピングカーだったら・・・、なんと思いながらブツブツ歩く。
石神で右に折れ、田沢湖へ。約2キロ、湖畔に着いて時間は分らないが、ユースに行くのか迷う。ユースに行けば1750円。今日は贅沢しすぎた。もうユースはダメ、ダメ。地図を見て反対方面を回って湖畔を歩く。発電所から放出される水、その湖畔に焚火した後があり、石がある。栗を湯がくのに丁度よいが雨の為、焚きが湿っている。
それでも渇いていそうな小さな小枝を集め、湖水をナベにくみ、苦闘の末、湯がく。湿っている小枝の火がつきが悪く、ナベのフタで仰ぎっぱなしである。しかし、茹で上がった栗を、まず1個、皮をむいて口にすると、ホロッとした感じで、さすがに生と違ってうまい。
湖面は曇っているせいか、灰色でパッとしない。たしか13年前も雲っていたのではないか。あの時、湖面に立って「なぁーんだ、これが田沢湖か」とガッカリしたの覚えているが。
湖は歩いていると、レンタサイクルの連中が結構行ったり来たり。しかし、皆、一生懸命自転車をこいで、まるで競争か。ただ走ってるだけといった感じで、全く忙しい連中、日本人である。ほんと一台としてノンビリと楽しんでいる自転車に、一台も会わなかった。
御座石まで来ると、薄暗くなり始めるが、寝る所なく、5、6軒の民家があるだけ。タヌキが2匹。栗をやると、一匹のタヌキ、狂ったように、金網をガサガサとやるが、目の前に落としても、俺の方ばかり見て、もう一匹がそれを食べる。間抜けなタヌキである。
潟尻に着く頃になると、さすがにガックリと脚にきた。栗を歩きながら食べていたが、食べ過ぎたのか、残り少なくなり、空腹の足しにはなったが。
潟尻に着くと湖畔にお堂あり。戸を開いている。しかし、人がいるので、売店横で人通りいなくなるまで待つ。雨が降ってくる。売店も閉め、お土産屋のシャッターが閉まる音が、ガラガラと響いて来る。歯磨いて、お堂の中に入る。これでガスがあったら。
しかし今日もよく歩いた。最近また、頑張るようになったワン。
使用金額:2265円
正面に古城山が見える。頂上に登れば町並が見下ろせるだろうと、登る
1979年
昭和54年10月9日(火)
真夜中が覚める。腹が張っている。小便もしたいが面倒臭いのである。しかし小便に外に出ると、湖畔に突き出たお堂の周りにランカンがしてあり、その後ろに回ってみると、暗闇の中に薄暗く湖と山陰が見え、山の中腹には田沢湖高原のホテルか、灯が見える。空は相変わらず曇っているが、雲の間より星が少し。そして月が光を射している。
お堂の前の水銀灯の光が、濡れた路面に反射する。
寝静まった静かな夜である。
後に立ち、湖面を見ていると、今日、クソをしていない事に気づく。まず、ランカンの外に腰をとして、横の柱につかまり試してみる。なかなかよいので、トイレットペーパーを取りだし、クソを垂れる。ボタボタと落ちる音、なかなか気分がよい。神様の前ではなく、後だから罰は当たらないだろうと勝手にそう思う。
しかし、一旦、目が覚め、クソまで垂れると、もう頭が冴え、眠る事ができない。蜂蜜お湯でも作るかと思ったが、ガスが足りるかどうか分らないし、これも一旦、寝袋の中に入ってしまうと、出るのは面倒なのである。
ただ窓の外から入って来る薄い光の中、ジッーと末の事など色々と考える。どうも考え過ぎである。毎日殆ど同じ事ばかり考えている。精神衛生上よくないと分っていても・・・。
ボンヤリとしていたら、いつの間にか夜が明けている。田舎の人は朝が早いから、早めに起き、寝袋を巻いていたら、ガラスの扉がガラリと開き、歯ブラシをくわえたおっさんが顔を出す。俺は「おはようございます」
おっさん黙って去る。俺も黙ってお堂を去る。
潟尻からクネクネと道は谷間を行く。横に小川の流れ。朝モヤが立ち込め、空は珍しく青空である。
今日は絶対に雨が降るような天気ではないが、湖から山の上に昇る朝日の輝きを目にしたが、海の朝日ほどではない。
両側に山が迫る。テクテクと腹を空かせて歩く。途中「西明寺、栗売ります」の看板。こんな所にと、横を見ると栗畑である。幸か不幸か、だ朝早く誰もいない。
小枝にイガ。しかし落として手で開いてもまだ青く熟れていない。しかし、ある程度採ると、小枝を数本折り、そのまま持って行く。人が来ない内にと思い、後は道路上でイガ皮をむく。しかし、小さなトゲがアッチコッチの指に刺さり痛い。あまり割に合う遊びではない。
国道に出ると、男女小学生が通学バスを待ちながら遊んでいる。俺を見ると女の子は、ジーッと好奇の目で見ている。
パラパラと農家が建つだけの地である。やはり生まれたものではないと住めないと・・・、そんな感じがする。
L字型の茅葺屋根。中二階段にあたるのか、大きなハリ。普通の作りとは違う。ハリが外に出て来ている。
横に流れていた川は、段々と広く大きくなり、それと同時に地も広く平野になる。
その平野には、広く稲穂が揺れるが、税金の大敵である。百姓には関係ない事かも知れぬが、こんな政治が許されるのは日本ぐらいであろうと思う。やたらと栗の木が目立つ。ノンビリとした風景である。俺が歩いていると、百姓連中、ソーレ見ろとばかり、指を指す。俺が振り返ると・・・、顔をそらす。北海道では、陽気に見て話しかけるが、こちらは東北的で陰気である・・・。あんな見かたは胸クソ悪い。
イガのとげが痛いので、針で抜き取ったが、それからしばらく歩いた所に栗林が道路脇にあり、路面上に大きな茶色の実。栗林の中に入ると、落ちている、落ちている。
大きな茶色に熟した栗を拾っていたら、家の主人か持ち主であろう。腰後にカゴを下げ、カマを持って栗拾いを始めたが、俺を見ても何も言わない。俺は知らぬ顔をして栗を拾っていたが、気が引けて歩き始める。しかし殆ど拾った後である。
あのお爺さん、きっと心の広い人なのであろう?
しかし、世の中、欲の深い人間には、うまくできていないのである。沢山拾った分だけ、グッと重くなる。
水と火を探し求め歩いても、そんなにうまい具合にいい場所ある訳がない。
上荒井の農協で、パン110円。バナナ200円。500cc牛乳165円。牛乳165円である。もうガックリ。一体、秋田県の牛乳は特別うまくできているとでも云うのか。ベラぼうな高さである。
左側線路を横切った所に神社が見える。見渡す一面に、黄金色のジュウタンである。その中にポツリと神社がある。
田圃のアゼ道を行く。自転車に乗ったおばさん2人。俺とスレ違う時、挨拶したが、ジーッと俺の行く先を見届けるが如く立ち見ている。全く馬鹿な連中。大事な時は知らん顔をし、自分に関係のない時は好奇、疑惑、蔑視の目で見る。
保守的と云うか閉鎖的と云うか・・・。本能的に他者を警戒的な目で見る。もっと、心をおおらかに持てぬものか・・・。
神社でまず腹ごしらえをするが、この牛乳、特別うまいとも思えない。縁台の上にポンチョを広げ敷いて、日記の残りを書く。このポンチョ、雨の時は全然役に立たぬが、シートとして結構役に立っている。
杉の木陰に陽が傾くと、ヒヤリと冷たくなる。12時のサイレンがなり響く。昔、二日市も役場から同じように鳴っていたが、今はどこ吹く風・・・。このサイレンの音は、なかなか情緒があってよい・・・。東北は昔から一歩後と云うか、テンポが遅いと云うか・・・、のんびりとしてしてると云うか、ここが東北の良さなのかも知れない。
角館は素通りするつもりであったが・・・。まぁー話のタネにと、まず駅に行って荷物を預ける。200円。高い出費。元を取り戻すのが義務とばかり、ばっちりと街の中を歩くつもりである。
駅前の通りを歩いて、右に折れ、土蔵造りの薬局。昔懐かしいスタイル。狭い通り。
まず、スポーツ用品店でガス250円、安い。たぶん間違っているのではないかと思ったが・・・、これは儲けたと・・・。女の子、店員、割と感じが良い。(ボールペンが使えない)
狭い通りを両側、店が軒を並べて、普通の田舎町といった感じである。
道幅が広くなり、一直線に両側、樹々がトンネルみたいに立ち並ぶ。右側に武家屋敷、無公開である。
中に上がれないが、無料と云うのが良い。もし銭を取るなら即刻、素通りである。
柱と柱の作り合わせがピッタリと隙間なく定まっている。昔、この家は、ごく普通の家であったのだろうが、これだけの歳月を過ぎても、狂いが生じない。それにひきかえ、今の大工は、建てた時点に傾いて、もう狂っている。
芸術的家ではないが、丹念に丹念に造ったと云う感じがする。
住んでみたいようなイイ家である。通りもよい。
正面に古城山(こじょうざん)が見える。頂上に登れば町並が見下ろせるだろうと、登る。途中に公園あり、水あり。この水を見た時、決った。今夜ここで泊まる。頂上に立つ、そして遠くに広がる仙北なに平野だか知らぬが、限りなく広がる稲のジュータンに、正に一見する価値あり。その町並みの横を蛇行する。これも名を知らぬが、大きな川がゆったりと流れる様は、日本的風景である。ゆったりとした東北的町並みと称すのか、この秋田県にはもったいない程の町である。
こんな所に生まれたかったと思う。そしてこんな所にユースも・・・。
頂上に展望台小屋。この小屋の造りがなかなかよい。
この頂上よりの展望を目にして、増々この街が気に入った。
駅で荷物を取り出し、栗を湯がく分、もう1個ガスを買いに行く。
さっきの娘さん、「250円は、間違いでした。350円です」。やっぱり。
間違い分と一緒に450円払うと、前の分はこちらの間違いであるからいいですと受け取らない。主人も武士の商法、二言なしと、100円を返す。ますます、この町、気に入った。
民芸品の樺細工も気に入った。しかし、買っても今の所、置く所がないから・・・。スーパーで買物、荷物にならないよ慎重に買う、885円。公園に女中学生4人。高校生アベック。栗飯を作ろうと、栗の皮をむいていたが、無残に刺さった指の時が痛い。
栗、里イモ、サバ缶、テンプラ、モヤシ、ウドンの煮込み。ナベいっぱい食べたら、腹いっぱいになる。
暗くなった公園、稲荷神社に移る。栗を湯がいていたが、湯がき過ぎて、グジャグジャになる。3回に分け湯がいたが、はじめは失敗。2回まぁまぁ、3回目で成功。ロウソクで日記を付けていたが、ロウソクもなくなってしまう。潟尻のお堂で失敬しようと思ったが・・・。
使用金額:2430円
下に夕暮れ時の仙北平野が広がる
1979年
昭和54年10月10日(水)
昨夜、稲荷神社の中で煮物ばかり。最小限度に買ったつもりが、それでも物が余り、結局増えただけ。昨夜と同じ物を朝食とし、栗を食べてみたが、全く青栗は失敗である。
とにかく荷物の増えすぎ。重くて歩けたものではないし、リュックのバンドが切れるであろう。もう半分切れているのに。今日は食べて荷を減らすことが先決問題である。
荷物をまとめ、リュックを背負うと、ズシリと肩に来る。これで歩いたところで、1日たかが知れている。
お堂から100メートル程の所が古城公園である。この山は昔、城だったらしいがそんな面影は全くない。しかし、頂上は広く、老杉と老桜の木、山の肌には桜の木。武家屋敷の庭、川の縁堤、町中、桜の木だらけである。これらの樹木のお陰で、日本特有の、町の中に緑があるのではなく、緑の中に町がある。
春の桜を想像する時に、その美しさが思われる。しかし、きっとその時、ぞろぞろと観光客の列であろう。この町が人に知れる前に、訪れて見たかったものである。
公園で牛乳を沸かし蜂蜜。これは誠にうまい。ただビンが大きく重いのが最大の難点であるが、まだ、なかなか減りそうにない。だめになった栗、半分を捨てる。
公園の芝の上にポンチョを広げ、日記を書いていたら、色々と書く事が多過ぎてどうしようもない。それにボールペンがダメになり書き難し。その内ぞろぞろとナベ、カマを持った家族連れが公園に押し寄せて、ろくでもない。せっかくの静かで気分よくノンビリとしているられたのに、そう言えば今日は祭日である。
公園から下に見る学校のグラウドでは野球。
朝もやの中に見た今朝の町の静けさは、どこに。
車の騒音が遠くより流れ、日中の慌ただしさよ。
まだ、栗、約1キロ、米、缶詰2個、ガス1個、パン、これらを始末しないと、今度にさしつかえる。
のんびりとしているうちに、いつの間にか陽も高くなり昼である。もう、こうなったら全然歩く気になれない。荷物をまとめ騒がしい公園から、また、稲荷神社に移る。
お堂の中を掃除し、横になったらすぐ、なにやらおばさん連中のガヤガヤする声。
「アッ、誰か休んでる」とか。知らん顔をして目を閉じていたが、そのまま上がって来る。
起き上がって見ると「おばさん連中、今日は御稲荷様の日で、お拝りにきました」
カゴの中にお供え物。それを置いてポンポンと拝む。4人、少し街の事を話す。供物を、モチ、おかきを貰う。また荷が殖えた。一向に減る様子がない。これは神の陰謀か。それとも罰なのか。狐に乗り移られたのか。
日記を書いていたら、また別口のお客さんである。日記を勉強と勘違いしてるのか
「どうも、申しわけねーです」。
こちらのほうが、拝りの邪魔にならないかと恐縮しているのに、出て行けと、何しているとの言葉がないので、助かる。
どうも、この町の人達は、人が良いのか・・・さらりとしている。
皆さん、賽銭を置いて行くが、これが昔、子供の頃だったら、これは神様の恵みと即刻、ちょうだいしたのに・・・。いつまであるのやら、この置かれた賽銭・・・。
荷物をここに置いて町を散歩してみたいが、失うと困るし。いつまでもこの中にいてもしかたがないし、困ったものだ。
母娘連れのお拝り、供物を置くとスグ出て、前の栗の木の下で栗探し。娘のスカートが透き通って、足が陰になって見える。別に魅力的な足でも女の子でもないが・・・。
人間の想像的心理か・・・。それとも若さの為か、これがババさんだったら、銭を貰っても断るはずであるが・・・。
盗まれても・・・と、覚悟をして必要品だけ袋に入れて、外に出る。パラパラの観光客、川の堤に桜の並木。なる程、花の季節、大変な人混みであろう事、必至である。
家宅並び、街通りをブラブラとする。人通りが少ない。
休日で皆外に行ったのか、ガラリとしている。
観光、文化に力を入れるつもりであるかあるなら、古い屋敷の横にモルタル造りのスナックなんかを営業許可を与えた市当局のセンスを疑う。
それに少し離れた所に色彩の合わない建物。部分的規制ではなく、全体的に見るべきであるのに・・・。やはり田舎役人の頭なのか・・・、これがスエーデンなら完全に町全体を復元しただろうし、それにこんな都市計画、民衆が承諾しない。日本人の感覚の違いが残念。
本屋に入り、遠藤周作の交友録を立ち読みする。
笑った。おもしろい本であるが、やはり立ち読みではなく、寝転がり気楽に読みたいと思うが・・・、殆ど読む。
この程度の本だったら、アッという間に済んでしまう。
本屋の中に静かな音楽が流れ、もうダメ。こんなイイ曲を聞くと。落ち着いてじっくりとステレオを聴きたい欲望がムラムラ。ラジオも買いたくなるし・・・。都会の生活も思い出し、外国の事も思い出すし、色々な事が頭の中を駆け巡る。
とりあえず、後1ヶ月半で東京。もっとも、この調子では・・・、どうなるか知れぬが?
スーパーで買い物。牛乳、1リッター220円。モヤシ、ラーメン、計386円。栗の食べ過ぎか、腹が張っている・・・。本当に買う必要があったのか・・・。
裏通りの真正面。遠方に稲荷神社が見える。何か家に戻るような感じ・・・。お堂の戸が開いている。しかし、俺の荷物は無事。もっとも、こんなの物、盗んでもなにもない。しかし、子供の悪遊が恐い。罰の意識が低いから・・・。夕暮れの街を見るかと、山に登る。
下に夕暮れ時の仙北平野が広がる。遠くは霞がかかり、ボンヤリと街をながめる。高い空に白い雲がポッカリと浮き、今日は誠に晴天。秋ひよりであった。空気もよい、町も良い。美しい程いい町である。
太陽は、山の頂に沈まんと、紅に染める雲。しかし、海程ではないのかー。東北の山間の町に、丁度よい黄昏である。
陽が山陰に沈むと、急に冷めたさを増す。山を降りる。
ロウソクを灯し、日記を付ける。フッと昼間の置いてあった賽銭見たら、あの100円玉4個が消えている。
今日も一日が終った。後は、寝袋の中に入って灯を消すだけ。
使用金額:386円
平野の遠方の山に夕焼け。先がポーンと突き出た山。ヒョットしたら、あれは鳥海山か・・・
1979年
昭和54年10月11日(水)
板と板のスキ間から陽が射して来る。
もう歩くのが面倒臭くなる。この辺にアルバイトでもあったら、しばらくの間落ち着きたいものである。
朝は冷たい。サッと寝袋から出る訳にはゆかぬ。1ヶ月先のことを想像するとゾーッとする。
牛乳1リッター、3分の2沸かし、パン、缶詰で朝食を済ます。気分的に少し軽くなったような、実際はたいして変わらず。出る時、中を掃除して来た時も、このお堂、ボロにしては中の床板は拭いたようであった。
朝もやの立ち込める街並を上から見下し、さて歩くか。
リュックがズッシリと肩に食い込む。これだけで戦意消失である。
街通は学校に行く子供達。店はまだ開いていない。国道に出ると、女子高校生の自転車通学のラッシュ。秋田美人はどこに隠れているのやら。さっぱりと姿を出さぬ。田舎娘達じゃぁー話にならぬ。
玉川の橋を渡ると、堤の狭い桜並木の下を歩く。国道を行ってもしかたがないので、左側に入り、国見を通って、六郷町を目指す。この仙北平野一帯、稲田でコンバインが稲を刈っている。1台の機械がバタバタと音を立て、なんと情緒のない風景なのか・・・。10年前は爺さん婆さん総出で、腰をヒン曲げてやったものであろうが・・・。
重いリュックには、全然歩く気がせず気が重い。牛乳1リッター、腹いっぱい。集落に神社あり、休憩しつつ進む。
途中の川で足を入れ、靴下を洗濯。ボケーと過ごす。この辺の川は水が大変きれいである。
地図を広げてみては、先の事ばかり思い考えるが、現実、一行に距離は進まぬ苛立たしさ。
普段、朝の内は調子よく、足はスタスタと動くのに、今朝は初めからモタモタである。
秋の青空に高く、農地整理された稲田は広く、黄色の波をどこまでも続ける。
バス、汽車に乗れる訳ではない。いつまでも座っていても、らちが行かぬ。重い腹を上げ、ヨタヨタと歩く。
栗と蜂蜜の重さに、もう、クリに、「クリグリ」だなんて、独り言とのしゃれを言いながら歩ていたら、路上に大きな見たこともない見事な茶色の栗が1個、コロリと転がっている。
こうなると、また人間の欲望がムラムラと頭を持ち上げ、もっとないかと探し出す。あるはあるは、ゴロゴロと転がっている。
人が来たが、「こんにちは」と挨拶したら、「どうも」の返事。何も言わない。
拾いに拾いまくりいっぱい。そして、ズッしりと重い。どうしようと思いながら、つくづく人の業の欲の深さに恐れをなす。たかが栗に目の色を変え、もう栗は「いらん」と思っていたら、その先に別の栗の木。この実がまた大きいのはなんの。増々、実は大きくなる。そしてゴロゴロ。神は俺を試してるのか・・・。
ものの10分前に決心した「もう絶対に栗は拾わぬ」の心は何処へやら。もうこうなったらどれだけ増えようが、同じ事と、また栗拾いにウツツをぬかす。
歩いているより、これのほうがおもしろい。庭にゴロゴロと落ちているが、おばさん、炊事場で見ているので、庭まで行く心臓は持ち合わせていいない。
女は男より恐い、ガメツイから。ポケット、リュックにいっぱいの栗。一昨日の分、茹でた栗をまず食べない事には、もうクリ攻めである。
千畑村十字路に公園があり、水がある。公衆便所の水を使って、栗を湯がく。ナベ3ばい分もある。風を防ぐ為、U字を使ったベンチの中にガスを入れ、リュックで入り口を風から守り、クリを食べるのも大変な苦労である。
湯がいている内に日記を付ける。今、最後の栗が湯がき終わった所であるが、プーンと栗の香りが・・・。これだから止められないのである。
2週間前に切った親指、また押えると痛い。よっぽど深かったのか。湯がきたての温かい栗を口に入れると、これがうまいのなんの。一番大きな栗から食べる。この分だと、食べ終えるのに、2、3日かかりそうである。一番大きな奴を最後に食べたらどうなるか先が見えている。
常は、一番おいしい物は最後に食べるが・・・、今日は例外。
冷さないように2枚のタオルに包み、食べながら歩く。食事の代わりに栗ばかりで満腹。さすが満腹になるまで栗を食べると、ウンザリとする。
六郷町は遠いなぁーと思っていたら・・・、思った所が境である。小さな鍛冶屋がまだあって、ナタなんかを作っている、4800円。
学校から帰る中高校生の自転車が走り始める。夕暮れの始まり。六郷町の縦に長い長い商店街。その中に大きな古い家の呉服屋。しかし、下は改造してモダンにしてある。なんだかチグハグであるが、とにかく大きな家であり、その前に、これまた小さな呉服屋。そして、その横に、これまた、大きな呉服屋。こんな田舎に・・・。博多にでも、こんな大きな店舗、ないのではと思う。この小さな呉服屋、根性だネ。
夕暮れの買物時間。主婦と言うより生活にガタが来た女連中、スレ違う時、皆さん、何故だかフリ返り見る。俺ってそんなにイイ男なのか?
古い傾いた理容屋のガラス戸の内から、おばさん、子供を抱いて俺を指差し、子供に教えている。俺は見せ物じゃないよ。
道路の正面突き当たりが、六郷小学校の玄関。明治調のいかにもこれが学校だと表している。
学校の時計は丁度5時。何処のお寺の鐘か、ゴーンゴーンと夕暮れの田舎町を鳴り響き渡る。
ここまで来たけれど、道が分らない。自転車に乗ってきた少年に、道を訊いたが知らぬ。学校から出て来る女小学生、大きな大きなクスクスと笑い去っていく。その時、軽自動車が来て、この運転手に道を訊く。彼もよく知らぬ・・・。
国道まで車に乗れと・・・。とんでもない、訳があって車には乗れぬ・・・。適当に教えられる。車が去ってフリ返ると、まだその少年が立っている。なかなかしっかりした子である。普通だと、サーと行ってしまうのに・・・。別の子供が、俺を乞食とでも思ってるのか、「金、持ってる」無邪気にストレートに言うから、全く悪気がない。
右に道路を曲がった所、国道13号線。この道ではない。しかたがないので、国道を歩く。国道を歩くと、寝場捜すのが大変なのである。丁度建築中の家があったが、まだ人が働いている。そのまま歩いていると、右側、平野の遠方の山に夕焼け。先がポーンと突き出た山。ヒョットしたら、あれは鳥海山か・・・。段々と薄暗くなったていた外は、もう真暗。こうなると見るべき物も、見えなくなる。
予感した通り歩けど、サッパリと分らない。重いリュックが肩にガックリと食い込む。しかし、焦っているのか、痛い脚はスタスタと勝手に動く。休めない。一旦休むとこんな時、もう立ち上がれない。
右側暗闇の中に見える杉林の影。行ってみると、ただの杉林。普通今まで外れた事がないのに、グルリと遠回りして、もうクタクタ,損した。
また国道に戻る。土方の兄さんに神社を訊いて、教えられた通りに行ったものの、逆戻り。こんな時、一番頭に来る。
途中で水を持って、信号を右に折れると、リンゴ畑。柵がしてあるが、一カ所入るところあり。入ったものの、真暗にリンゴの影が分るだけで、熟しているのかどうか見当がつかない。適当に3個。芽は出てなく、田舎道、真暗。これでは見えぬ・・・。
神社。神社と云っても、鍵がかかっているかも知れぬ・・・。
自転車のライトを点けた高校生が来たので、訊ねると、教えてくれた場所は同じだが、土方の兄さんとは距離が大いに違う。真暗闇の中、ポツンポツンと、暖かそうな家から漏れて流れる灯。もう俺の顔はグラグラ。神社には寝れるものと勝手に決め込んで、カギがかかっていても、叩き壊すつもりである。
暗闇の中に教えられた、高い杉の木陰。大きな道草だった。広い所にポツリと外灯が光を放ち、グランドの横に神社・・・。扉に手をかけると、ガラリと開く。鍵はなく、あまりにボロボロの穴のあいた畳とゴザ。裸電球が、一個ブラ下がっている。リュックを下すと、ガックリと脚に来る。
まず、2はい分の蜂蜜湯、栗。そして日記を付ける。
リンゴを見たらまだ青い。馬鹿にしやがって。明日を起きた時、赤く恥じていろ。
月は出てなく広い満天の空に輝く星の光。
今日も一日が終わった。
本当に過ったと言った感じ。
使用金額:0円
今日の予定は上湯沢までだったが
1979年
昭和54年10月12日(木)
少し開いた扉から見える外は深い朝の霧である。増々、日に増して朝の息は白くなって来る。蜂蜜湯に栗。リンゴは期待に反して恥じていないのか、昨夜と変わらず、全く赤くなっていない。それでも皮をむいて食べると、酸味が消えカリカリと歯ごたえあり、おいしい。ただ皮をむいて食べなければならないのが面白くない。やはり皮ごとガブリといくのが一番であるが、そんな事をした日には、即刻、下痢間違いなしである。下痢ぐらいで済むなら事は笑い話で済まされようが、スモンみたいな奇病になった日には目もあてられない。熱い湯が臓に効いたのか、しみたのか、外に出て歩き始めると、胃が痛くなって来る。
深い朝霧の中に、ボンヤリと薄暗く浮かんで見えるは。
田圃の中に丸太の木を立て、その木に乾燥させている稲穂は、まるで、かかしみたい。それが霧の中にズラリと並び、早い朝は不思議な程、この霧の為、静けさを増して与え感じさせる。
さて、朝の霧は幻想的でなかなか良いが、歩くには全く方角が定まらない。もう一本、旧国道が別にある事が分かっているが、道を訊くにも稲田ばかりの中、適当に狭い道を歩く。農家でパンツひとつで外をブラブラしている親爺に道を尋ねる。旧国道に出る。自分が思っていた方向とは全く違い、勘も最近はあてにならなくなった。
旧国道に入った頃になると、もういつの間にか、霧も晴れてしまった。そして次に現れて出たのが、朝の通勤者、通学者。この連中を目にしないと、朝が始まったような感じがしない。不思議だ。
道路横に置いてあるゴミの中に週刊誌。もう読まないと誓ったのに、3冊。その場から少し歩いた所に、救世観音が立っている。その前に腰を休め読んでいたら、老婆さん拝みに来て賽銭を賽銭箱の中に投げ入れ、ギジャリンと落ちた時、重い音がした。
その時頭にパッと浮かんだ事は、オオーこの銭箱、大変溜まっているな・・・。次、目にするは、どんな鍵か・・・。 見るとクギを4本、半分だけ打ち付けてある。これならスグとれる・・・。そして半分残念なような損したような・・・。 これが子供の頃だったら、これこそ正に救世観音とばかりにちょうだいしたろうに・・・。
今さらこんな29才にもなって、そんな事はできないし、それにつくづく子供の頃の影響は大きいと思った。銭の音を聞いただけで、スグ反射的にあの頃が出て来る。
頭の中でそんな事を思っていたら、老婆さん、腰を深く深く直角に曲げ、丁寧に拝んでいる。
最近は素直に人々のこうした姿を見る事ができるし、素直に素晴らしい事だと思う。
ひとつの信仰に、心から頭を下げる。俺なんか若い時の神頼みで、都合の良い時しか神を拝まない。もっとも神様なんか信じてはいないが・・・。
プレイボーイに開高健のおもしろい記事があった。この読書?の為、少ししか歩かない内に昼近くになってしまう。泊まった所から横手まで約10キロ程か。それなのにまだ横手の手前、常に朝の内だけは快調に足が動く。しかし昼近くになると、交通量は多くなってうるさいし、暑い。そう言えば、朝は寒いのに昼間は暑い。
横手バイパスを通って横手は素通り。スナックで一緒に皿洗いした奴、あれも横手だった事を思い出す。
暑さとリュックの重さにウンザリ。肩が張る事は、よほど重いのか。蜂蜜湯には随分助かるが、重さにはマイッテしまう。
足はダラダラと動くだけで、こんな時が一番気が滅入ってやるせない。辛い時だ・・・。それに道路横にズラリと自動車関係の店が並び、休憩する所がない。
腹がヘッても、栗が済むまで何も買えない。もう栗ばかり。砕石売場のジャリ山にフテクサレ、猿山の猿みたいに、口で栗の皮をむき、パクパク食べても食べても、なかなか減らないのには、さすがに閉口してしまう。
しかし、銭を使う事がないので、これ又、非常に助かっているが、横手市を突き出た反対側に出ると、リンゴ畑が続くが・・・、全然失敬する気にもなれない。
どうも最近スランプの続きで、長く続く。そんな事ばかり考えながら歩く。
醍醐の家並び。小さな神社の境内に休憩。女2人男1人、境内で遊んでいる。
子供が近くに寄って来る。後から「おめ、ここでなぬしてるだ」と凄いイヤな声。男の子かと振り向いたら、なんと鼻を少し垂らした女の子、10才ぐらいか。
そして振り向いた瞬間、「オォー、気持わーる」
ムカーと来る。子供だからと許される事とない事がある。遊んでいる女の子の動作を観察すると、やはりその子の親が知れる。
親が与える影響はつくづく大きいと思う。しかし嫌な気分にさせられた。そこでお湯を沸かし、蜂蜜湯を作る。子供が近くまで寄って露骨にいやな見かたをする。
インドの子供達みたいである。
子供達が帰った後、横にあるブドウ園に入る。もう狩り終わった後であったが、一ケ所だけ少しなっている。ひと房だけ失敬するが・・・、沢山とっても、農薬で? なかなかおいしい。
今日の予定は上湯沢までだったが、全然。常に予定は未定。湯沢でも行けそうにない。十文字に入る手前、川が流れその河原にブドウ園が見える。しかし、もうそこまで行く元気も残っていない。足はもうヨタヨタである。
しかし、本当にこの辺の川は、流れ水がきれいである。
夕暮れ近くになり、そろそろ寝る所の心配の時間である。道路から遠く左側、山の中に神社が見える。寝るには早過ぎる。日記を書くにも、ノートが終わってしまった。
どうするかなぁー、なんて迷いながら歩く。道は上り陸橋、下に鉄道、下湯沢の駅が見え、右側広く一面は稲田。ハゲた頭みたいに黒くなった稲刈り後、稲乾のクイが並ぶ。
見れば見る程こんな広い所に、よく植えた所だと・・・。
先方に鳥海山の山陰。その右肩に真紅な夕陽が沈みかけている。しかし美しいと思っても、ジックリと見る気になれないし、その余裕もない。その夕陽を見た時、もうこの辺で場を定めないとと思う心である。陸橋を渡ったスグに山を切り崩している。その事務所にでも使うのか、建てたばかりのプレハブ。鍵はかかっているが、一ケ所だけ、鍵がハズレている。
こんな時、本当に神がハズしてくれていたのではと思う。中は土埃、ガラリとしている。ススキの穂をナイフで切り集め、ホウキの代わりにする。
ノートを買うと思ったが止めた。どうせ、今日はもう書けないし明日の朝も書けない。少しでも軽く歩きたい。
小さな店屋、牛乳、ラーメン4個、355円。食パンなし、店の人が他から買ってきたパンを分けて寄こす。しかし断る。塩ラーメン、口にしたら変な味がする。日付は53年3月23日。1年半前、カビ臭いハズである。それでももったいないと、腹の中に押し込む。もう1個も同じ。しかしさすがにスープが飲めず、後味悪く、他の醤油ラーメンで口直し、計4個。結局、今日元気がなかったのは、腹がヘッていたのかと思う。4個・・・? まずいラーメンだった。疲れているので、温かい物でもと思ったのに。
お茶を作ってコップを片手に、窓を開け外を見る。ラーメンでゴタゴタしている内に、いつの間にか、外は暗くなってしまった。
走る車の音が響く。今日は、このお茶が一番うまかった。
使用金額:355円
「どこに行くんだ」「山形」
1979年
昭和54年10月13日(土)
朝の窓ガラスに水滴。白く光っている。
寝袋の中から、水玉を見ながら、また、朝が来たか。
1日1日が嘘みたいに、早く過ぎて行くのには、何か知らぬ苛立ちともどかしさを覚える。
便意を感じる。多分、昨夜のラーメンで下痢かな・・・、なんて思う。牛乳を沸かして、飲み終わって、さてクソでも垂れて来るか・・・。その時、トラックの音・・・。プレハブの前を通って、先で止まった。大型重機を積んでいる。
アッという間に中を片付けると、これまたアッという間に裏側から出る。いつも朝早く来ると、テキパキと事が速く進むであろう。
坂を下った下湯沢駅の便所にクソを垂れに行く。駅長か、ワイシャツのソデをまくりながら、大きな腹を抱えて便所に行った。俺は駅長が出て来るまで、朝の誰もいない待合室で待った。時計の振り子、右、左と揺れる。6:35AM。 駅長のクソ垂れ、なかなか便所から出て来ない。我慢できない。戸を開けると、隣の戸から出て行く音がする。
便所の中は昔懐かしいスタイル。「これが便所だ」と云った感じ。こんな便所が一番危険である。
まだ、便器の中底を覗く。一見危そうである。まず中腰の構えで、一発落とす。ボチジーンと水しぶきではなく、クソしぶきである。案の定、あの昔小学校の便所と同じ、お釣りの飛び戻って来る奴である。安心してクソを落とす訳には行かない。特に俺のクソは大きいので、その分、特に注意を要する。落とす度、ポチャン、ドボン。そして落とした瞬間、腰を上げる。何が嫌かって、落ち着いてクソを垂れられないなんて・・・。そして、こんな時に限って、やたらとクソが出て来るものである。
ハッハァー、あの駅長も同じ事をやっていたから、遅くなったのかなぁー、なんて思って気を抜いた一瞬、ボジーンボジーン、ピチャッと尻に・・・。トイレットペーパーでゴシゴシとこすってみても、気分的には複雑である。
頭、洗顔、歯磨、駅前水道で済ます。駅前に下湯沢駅、無人化反対の立て看板。通学だけの駅。人件費だけで大変な額であろう。何でも反対すればいいと思っているのか、この辺の住民は。反対するぐらいだったら、まず車を捨て、国鉄を使用するよう心がけて、それか反対しろ。それでもこの辺の住民だけでも、まだ人件費を出すだけの儲けは出ないだろうに・・・。これだから百姓は困る。
湯沢の街に入る手前に、自動車修理工場あり。その鉄の間に新聞入れ。別に失敬する気はなかったが、一面がキッシンジャー回顧録。これが面白いのでゆっくり読もうと失敬する。中学生か、女子3人、指をさして、クスクスと俺を見て笑う。俺だからまだいいが、これが外人だったら、きっと胸クソ悪い思いをするであろうと思う。
嘲笑的にも取れるあの笑い方は、全く失礼である。ただまだ中学生位で無邪気さが残っているからまだ助かるが、これが大人になると許しがたいし、特に東北の中年婆さん連中は、これがひどい・・・。
十字路の角に、朝、開店したばかりの朝の水撒きをしているスポーツ用品店。ガスを買う、300円。
「まぁーお茶でも飲んで休んでいってください」
それでは遠慮なく・・・。コーヒー、薄い砂糖入り。本当は砂糖なしの濃いブラックしか飲まないのに・・・。せっかくの好意、そうとは口に出せない。
スポーツ屋の為か、歩くことがわかったっているみたいである。
非常に温和な人である。奥さんが出てきてジーッと俺のリュックを見て・・・ 1人でうなずいている。商売ガラ、興味でもあるのか・・・?
町を離れ、右横に大きな川の流れ。国道13号線。一級国道にしては車が少ない・・・。俺には都合が良いが。どこか、リンゴなっていないかなーと目をキョロキョロしながら・・・?。
前右に赤いジャージを着た小学生連中の行列、発見。河原かどこかに遊びに行くのか・・・。小さなリヤカーに何やら積み乗せ、引っ張っている。
これらの連中が1番恐ろしい。キャーキャー言って冷やかす。
1人だと可愛くて大人しいが・・・。群れになると・・・。
即刻・・・右下の大きな川に避難して新聞を読む。キッシンジャー回顧録がなかなか面白い。以前も、一回読んだ。本になったら読みたいと思う。
小学生の作文紹介。内容は、姉が力いっぱい弟に雪を投げた。しかし投げたのは雪ではなくスコップ。弟は目の上あたりを怪我して怒られるが嫌で一生懸命隠そうとする。非常に面白い。ただ半分で終わり、続くになっている。続きがどうなったのか読みたい。
三面記事。東京で10歳の少女、7歳の少女を突き落とし殺す。この見出しを見た瞬間、パッとテレビのことが頭の中に浮かぶ。恐ろしいと思う。
児童評論家の解説に、テレビの影響のことが書いてある。
殺された少女の両親の怒り哀しみは・・・どこに持っていったらよいのか。もし自分が同じ立場に立たされたと想像した時、どうしてよいのやら答えは出てこない。
それにこの殺した10歳の少女が20歳になった時、もし結婚した時、それが俺の嫁さんとなったと仮定した時、2人だけならともかく、子供を持つときのことを想像するとやはりこれも答えが出てこない。
ある意味では、梅川の銀行強盗より恐ろしい事件だと思う。
牛乳、パン、360円。店に遊びに来ていた60歳位のおばさん
「なぬが、そぉんなぬ面白くて歩いているんだ」
「おばさんみたいな綺麗な人と話すためさ」
おばさん、フーンと行く。こんなユーモア、やはり外国しか通じないのかなあーなんて思う。
店のおばさんに神社を訊いたら、橋を渡ってスグそこと言う。
しかしスグそこどころか、歩けどさっぱりと見つからない。
稲を買った後の田んぼの中で、あー、あの梨、パクリたいなぁと思いながら、パンにマヨネーズをつけて食べる。このマヨネーズは北海道で買ったものである。
昼間なのに小学生が退学中。郵便局に記念切手を買いに言ったら、おばさん、いぶかししそうな目で俺を見る。記念切手と言ったら、顔の表情が変わったが、土曜日で、もう金庫の鍵をしまってしまったと・・・ガッカリ。
「よこぼり」に入って十字路。店屋が集まっている。文房具店を見回す。スーパー、3冊一緒に売っている。3冊もノートはいらない。
牛乳、ぶどう、200円、計325円。キャンベラ、洗いたいが、水が見当たらない。そのまま食べる。ノート150円、文房具店は俺が立って見回していたところの前にあったのに、気がつかず、また引き返す。ブドウを食べながら帰る。女子高生を見る、イモばかり。橋を渡ったスグ左手、小高い山に神社が見える。
桜の木が植えてあり、水道の蛇口がポツリと1本立っている。
水は出る。とにかく、まず杉の小枝をナイフで切り、ホウキ。神社と言うより行、お堂である。その前の縁台を掃く。ポンチョを広げ、その横転がり、日記をつける。これが本当にひと仕事である。
それに最近どういうわけであるか、書くページが増えてきた。
日記をつけ終えた時、傾いた陽は杉林の小枝を光を射して、夕暮れの始まりを示す。
できたてのホカホカ高校の校舎から、ベートーベンの曲名は知らぬが、チャイムが時々流れてくる。
ブラスバンドの練習か、トランペットの音も下手くそだが・・・。
使い終えたマヨネーズの空き容器を洗い、それに蜂蜜を入れる。この分、大きなビンを待たなくて済む。
しよう、しようと思いながら・・・なんとなく。ところが、入れると容器の半分しかない。がっかり。こんなに使ってしまったのか。少なくなってくると大切にしなくてはと、切々と思ってくる。栗もなくなったし、なくなってしまうと、全て、なんとなくもう一度・・・といった気持ちになってくる。
牛乳を沸かし、ビンの中に入れて、一滴の蜂蜜たりとも残さぬよう、ジャブジャブと麩振って・・・。今日は珍しく1.5リットル飲む。
この調子では、ゆっくりしすぎると思う。別に、してはいないが、距離は思ってているよりも進まない。今日はまだ20キロほどしか歩いていない。頑張ろうと思っても、日が短くなってしまったので、どうしようもない。朝早く歩き始めると、丁度良いのだが、朝は寒い。
院内を横に・・・山の間にある静かな・・・集落離れて、もう先に進めないと思ったところに、丁度、神社あり。その横に舞台。窓の鍵が開いており、中に入って、表戸を開ける。
しかし、中は俺の1番嫌な、あの虫の、臭いなと言う名前か知らぬが、とにかく臭い。頭痛、吐き気がする。
ロウソクの灯で日記を書いているが、その灯を求めてこの虫が集まってくる。初め、追っていたが、追っても追っても来るので、マッチの火をつけると、バタバタともがいている。それを見ると、たとえ虫とは言え、悪いことをしたと、嫌な気分になる。
大きな蛾は飛んできて、ロウソクに体当たりするし、アホな虫ばかり。仕方がないので、ホウキで掃き寄せては、外に捨てている。
日記のあと、買い物に行く。暗い国道。遠くにポツリと一軒だけ、店から光が漏れている。腰の曲がった体の小さな老婆さん。
「どこに行くんだ」「山形」
バナナ、外に出てりんご1個くれる。755円。
暗い静かな道を神社へと戻る。犬の遠吠え。
使用金額:1890円
トンネルを出ると山形県。やっ秋田県が終わり、なんとなくホッとする
1979年
昭和54年10月14日(日)
朝のヒヤリとした冷たい外気。何時も目は、暗い内から開いているのに、寒さの為か、なかなか寝袋から出ない。牛乳と、久し振りのバナナに貰ったリンゴ。しかし、最近おいしいと云う感覚が鈍くなって来た。
時間は分らない。集落の端から山は段々と深くなり、民家もない。鹿児建設トンネル工事中。国道はその上を行く。鉄道のトンネルを通って近道をしようか思ったが、列車の時間が分からないから止めた。
道は上り坂。そして、トンネル。いつもトンネルに入ると、歌うのにその元気もない。スランプである。歩く事が段々と苦痛になって来る。一番困るのは、距離が伸びない事である。陽が短くなった分、歩く時間が少なくなり、その分、色々と追われ追われて、余裕がなくなってしまった。
トンネルを出ると山形県。やっ秋田県が終わり、なんとなくホッとする。
峠を越え、途中マンガ本2冊拾う。山の間を、国道13号線は行く。下に小さく及位駅(のぞきえき)が見える。予定は、昨日ここまでのはずだったのに・・・。
四方山に囲まれた小さな集落、稲田も狭い。こんな所の百姓さんは大変だと思う。こんな所の人達が出稼ぎに出て行くのか。
国道13号線が通っている所にしては、寂しい所である。
栗を見つけたが、10個程で話ならぬ。国道離れの下に小川が流れている。そのコンクリート堤で、秋の陽を浴びながら、マンガ2冊を読む。余りパッと頭が冴えない。
道は山間の狭い地を、縫うように走っている。山の頂は、紅葉しているが、八幡平程ではない。ポツリポツリと小さな集落が点在し、日曜日の為か子供達がチラホラと遊んでいるが・・・。大きくなった時、彼らはこの集落を出て行くのであろう。
谷間の狭い地を最大限に活かして、田を作っている。
稲刈が終わった後、ワラを焼いている。その煙が谷間を漂い流れ、その白い煙は、ちょっと山水画を思わせる。日曜日の為か、非常に車が少なく、助かる。
一級国道にしては、パッとしない寂しい国道である。もっとも俺にとっては、これのほうが助かるが・・・。しかし、店屋がない。拾った栗を生で食べる。
今年は山の実が不作で、熊が町の近くまで下りて来ると言っていたが、熊さん達も、冬を前にして大変だ。
小川の橋の上で、古い新聞を読む。もう全然歩く気がしないが・・・、足は勝手に動く。どっちにしても歩かなければならないが・・・。
金山町内の学校のある集落。牛乳、パン290円。考え事ばかりして歩いているので、金山町に入るまでの事は、何も覚えていない。
金山町の国道沿いに、長い家並。人通りなし。しかし、視界が広がる。4時である。
院内から金山まで約20キロ。全然話にならない。調子が良い時は、昼までに歩き終わっている距離である。
店屋、550円。次の集落の神社を訊いて出る。
店のおばさん、九州から歩いて来たのと驚いているが、実感として分っていない。当たり前の話。
次の集落、赤坂まで3キロと言ったが、全然3キロ以上あり、上り坂道。その上から西の空が茜色に染まり、もう夕暮れの始まり。美しい紅色に染まった太陽のまわり・・・足は先へと目指す。
お堂である。中は畳2枚程の、しかし、改築したばかりの間新しさである。
ロウソクの灯で、日記を付ける。最近肩が痛くなる。
外は暗くなり、虫の声が流れて来る。
また、ひと季節が過ぎようとしている。
使用金額:840円
舟形、流れる川の上に鳴子温泉があるらしいが・・・
1979年
昭和54年10月15日(月)
昨夜俺は決心したのだ。今日から早く起きて頑張ると。まずその初日、サッと起き寝袋から出る。牛乳を沸かし、固いパンを口にくわえる。一体いつのパンだ。
外は濃霧である。一時晴れ。戸を開けると、朝の陽射がパッと中に入って来るが、寒いので閉める。また、薄暗くなってしまう。薄暗くなると、棚の中に置いてある陶器の狐二匹、なんとなく意地悪な目つき、陰気になる。
上に登って杉林の段、野クソをする。下に降りて来ると、また、いつの間にやら、霧が立ち込めている。
あぜ道は霧に濡れ、歩くクツを濡らす。国道に出ると、車は霧の中からスーッと姿を現す。まだ車は少ない。しかし、新庄8キロの標識を目にした頃から、通勤車のラッシュで、女学生達もスカートを風になびかせながら自転車で走って行く。しかし、女学生の数が少ないし、1人凄い女の子を見た。体は太く、足は女子レスラーの如く、体はゆさゆさと凄烈な勢いで自転車をこぎ走って行くその姿は、一見人間と思えない。
8時を過ぎても、霧は一向に晴れる様子はない。
昨日の車量が嘘みたいに、今朝は車のラッシュである。
広い敷地の奥に事務所があり、そのドァーに新聞が挟んである。取って見ると、日本経済新聞。こんな物を読んでいたら、頭が痛くなる。しかし、休みがてらにドア前に腰を下し読んでいたら、朝の出勤に出てきた女子事務員、濃紺の制服。しかし美人ではない。いかにも朝の化粧したてといった顔、半分歪ませ、「おはようございます」と、朝の挨拶の言葉。まぁー、不思議がるのも無理はないが・・・。
霧の中に薄明るい円い太陽がポッカリと浮いている。霧の為か、手が冷え少し寒いくらいであるが、歩くには丁度よい。なんとなく足は快調に動いている。
新庄を過ぎた所にドライブイン。丸木を柱に便した、いつも俺が頭の中で考えているのと同じ作りである。
そのドライブインの入口に新聞。朝日である。カーペットみたいな物が敷いてある。
腰を落ち着け、ジックリと読むつもりであるが、そうもしていられない。俺がジックリと読むと、2時間はかかる。従業員のおばさん、嫌疑そうな目をして俺に、「誰か待っているのですか」。「いや、新聞を読んでいるだけです」
人が来始めたが、まだ玄関のドアは開かない。いつ新聞を持っていかれるかと気が気ではない。これだったら失敬しておけばよかった。
舟形、流れる川の上に鳴子温泉があるらしいが・・・。地図を見ていた時、行ってみようなんて思っていたが。農協、買い物1000円。郵便局、記念切手3400円。よせばよいのに、他のいらぬ切手まで余分に買って・・・。
神社で腹ごしらえ。丁度12時である。16キロ程歩いている。まぁーまぁーの距離。1時間早く発っただけで随分と違うし、楽である。
なんとなく、この神社は、気味が悪く、腰が落ち着かない。階段に腐った猫らしき死骸・・・。
山形55キロ、米沢99キロ、サイン。米沢まで行ったら、気分的に楽になると思うが、約4日。風呂に入りたい。夏みたいに水浴びする訳にもゆかぬし・・・。
トンネルを出ると、尾花沢市。テクテクと下って行くと、右横に大きな濁流。カヌーに乗って行きたい流れ・・・。
毒沢集落。次は名木沢。旧国道を歩いていたら、右側奥に神社があるので、今の内、日記を付けておこうと行く。杉、銀杏の樹、その向う下に、先程の川が流れている。夏にはきっとイイ遊び場であろう。
神社には鍵はかかっていない。しかし、中は埃。ホウキで履く。中に奉納された古い昔の写真が幾つもかけてある。帝国日本婦人会のタスキをかけた、全員モンペ姿に冬の雪の中、ワラ靴を履いて立っている。一枚一枚見ていくとおもしろい。国分の名字が多い。大正6年に奉納された古銭を貼り付けた板あり、40枚の、文久か寛永の波銭である。失敬する・・・、難しい所・・・。しかし、俺にはそんな強悪な心はない・・・。
この伊豆神社を後にすると、国道でランドセルを背負った男女小学生3人に出会う。無邪気な男の子が「旅してんか」。「お金、幾ら持ってんか」。他の女の子達は口を開けると、まぁー何と書いてよいのやら、ズラリと虫歯で異様である。
芦沢に行くと言ったら、子供、道を変え連れて行く気らしい。
「道はこっちだよ」。「いや大石田に行く」。「じゃ、また来てね」と田んぼの向うから手を振る。
ヒョットしたら人生で一番よい時なのかも知れない。俺があの子と同じ程の年令から、もう20年。アッという間のまさに、一時期、夢である。過去ったものは、時の流れとともに記憶が、いつの間にか薄れてしまう、苦しい事、楽しい事、恐ろしい事、哀しい事、懐かしい事も全て、たから。
その時その時、一瞬一瞬を大切にしたいと思うが現実、苦しい事に面すると、なかなか難しいものである。あの子が大きくなった時、どうなるのやら・・・。
坂を下ると広い稲田で稲刈中。しかしコンバインが、バタバタと音を立て働いているだけの殺風景なひとコマ。稲植え、稲刈の機械が作られるとは、夢にも思はなんだ。
国道から離れ、別の道を行く。芦沢から大石田へ。茅葺屋根、家の形も完全に変わってしまう。大きな山をひとつ越えると、家の形が変わってしまう。茅の屋根は厚くなく、また大きく急傾斜でもない。20年前のこの辺一帯を想像する時、全ての家が茅葺き農家で、時代劇にでも出てきそうな所である。しかし、食管制の為、銭が溜まったのか、どんどんと建て替え中である。それも味も素っ気もないモルタル造り。
河原で休み、重いバナナ4本を食べ、切手を数えると、約11000円分あり。別に切手収集する訳でもない。ただ手紙にきれいな切手を貼った方がよいだろうと、思って買っているのに、いつの間にかこんなに・・・。困ったなぁー。
大石田に入る。普通の町だが、イイ町である。ゴタゴタしていないから・・・、平和。
二日市は変わり過ぎた。適当に裏道を行く。遠方の山に陽が沈んだのを見たが、時計は4時30分。まだあと1時間は大丈夫と思っていたら・・・。
校庭で野球の連中、バッティング。後でフテ腐れ、球拾いの奴、1年生か。横で女子のソフトボール練習。凄いボインの女の子。ブラブラと揺れている。これで中学生か?溜息。
道を訊いて、国道に出るまでに神社があるか・・・。ないとの返事。
多分、トンネルに何かあったのでは・・・。確かではない。とにかく歩く。
大石田を出る終わりに、茅葺家の大きなリッパな造りの醤油屋。そこから頭にタオルを巻いたおっさんが出て来る。
橋を渡り、先へ。もう薄暗くなり、右横にこれまたリッパな川、最上川である。
茅葺家が横に並び、ポッツポッツと歯が抜けたみたいに改造した家。もうここで寝る所を探さないと必死である。線路から田んぼから、アチコチ探し回って内に暗くなってしまった。もうだめ。万事休すである。トボトボと線路を歩いていたら、この集落の離れ、トンネルの手前に鳥居が立っている。
これだけの集落で、神社がないはずはないのである。先ほど、杉林を神社と思い、行ったら、全く関係無く、最近、俺の勘もあてにならなくなったなぁー、なんて思う。湿った田んぼの中を歩く。しかし何を思ったか、道路に出なくそのまま線路を歩く。そしてこの線路を歩かなかったら、この鳥居を見つける事は出来なかった。
狭い細い小径は、山の上へと上がって行くが、周囲の森の為、暗闇である。さすがになんとなく気味が悪くなってくると同時に、水が心配。今の内に貰って来るか。上にあがってから、また、下に降りて来るのも大変だし。イヤ、泊れそうにない所かも知れないし、色々と頭の中は、こうした方がよいと考えているのに、足は止まる事なく、勝手に動き、水はあると、別の予感に、もう泊まれる所と勝手に思い込んでいる。
暗い中を上へ上へと、恐くなってきた所、お堂が暗闇の中に現れる。
そして水道の蛇口がある。ヒネると水が出る、不思議。常識的に言えば、こんな山の中に水はない。自分の勘に驚く。お堂の階段を上り、ヒモで結んである扉のヒモをほどく。
リュックを下ろし、観音開きの扉を開けると、中は真暗、何も見えない。リュックからライター、ロウソクを取りだし、火を点けると、中は何やら、黒く中央に不思議な物が祭ってある。その時、リュックがガタガタと落ちる。不思議な程、不気味で神に拝みたいような気持ちになったが、苦しい時の神願いでは、心の中を見透かされているから、効き目ないと思い開き直る。
幽霊でも出てきそうな趣のお堂で、色々なお堂、神社に泊ったが・・・、こんな雰囲気の所は初めてである。山頭火も、こんなお堂に泊った事あるのかなぁー、と頭に浮かぶ。
クジラの缶詰を温め、お茶を作る。ゴザを敷いて、拭き、その上に横になり、ロウソクの灯で日記を付ける。大きなロウソク3本済み終わり、この日記を書くのに何時間かかっているのか。しかし、今日30キロ以上歩いて調子がよかった。これから本当の夜明けとともに出発しないと、どんどん遅れて行く。
短い陽、4時30分になったら、もう寝場を見つけるように・・・。
しかし、このロウソクの灯を消した後、恐ろしいなー。
神様助けて下さい。
使用金額:4400円 /「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 山形
もう一度同じ所に泊まってみようと、そんなことを思い出しながら、天童に着いた
1979年
昭和54年10月16日(火)
節穴から薄明るい光が来る。とても差し込んで来るといった表現ではない。
無数の木目、小さな節穴から入って来る薄い光で、中はなんとか見れそうな明るさである。
昨夜、ロウソクの灯を吹き消した時、中は本当に真暗。こんな暗闇を経験したのは、初めてである。気が落ち着かぬ夜を過し、薄明るくて光差しが入って来ると、ホッと不思議な安堵感を覚える。
扉を開くと夜は明け、杉林に霧が漂い、参道の石畳は夜霧に濡れ、静かな朝の迎えを感じさせる。昨夜の、あの不気味さとは違い、こんな雰囲気を静寂と言うのであろうと思った。
ポタポタと屋根から露の雫が落ちる音。
スープに乾パン。朝っぱらから、このモサモサした乾パンを食べる気にはなれない。
お堂の裏側に虹ヶ丘公園に通ずる道あり。多分、この道は反対側の道路に出るのではと、思い、少し歩いたが、もし間違ったら困るので、下の道に出る。
最上川の流れは緩やかに霧の中。日本画的である。しかし、川の水は濁っている。
国道13号線に出ると、通勤のマイカー。旧道を行く。
朝早くから、市議会議員選挙のスピーカーが、がなりたて、走る。候補者同士ブツかると、互いをスピーカーで〇〇さんガンバッテください。他、色々とほめているが・・・。腹の中は何と思っているのやら。スピーカーの音を聞いていると東北的で笑いを誘う。
ちはるがスピーカーから流れる。発音は「どうか、つはるを宜しくお願いします」。
自分の名前も発音できない村上市議会員選挙戦の候補者。
旧国道の両側には、沢山の茅葺屋根の家が立ち並ぶ。20年前、全家がそうであったに違いない。もしそのままだったら今頃は、この地は観光になっていたに違いないと思いながら歩く。
所々に長い板壁の屋敷あり。その板壁だけで、ゆうに家一軒が建ちそうである。
この屋敷に比べたら、俺の家は(俺の家ではないが)犬小屋どころか、猫の家である。
小中学生の通学姿も見えなくなり、家は切れ目なく続く。村上市、店に入る気になれない。乾パンばかりを、ボリボリと食べる。
東根市駅で、朝日、買い読む、60円。アッと言う間に2時間。まだよく読んでいないのに。ゆっくりとしている暇がない。夏みたいに陽が長くないので、ゆっくりとしていられない。
リンゴ畑が続き、一個大きな奴を失敬。シャツで拭き、食べるがボサボサしてしまりがない。
飛脚が殺され祭ってある神社で休む。リンゴ畑から一個失敬して来た。水で洗ったが、農薬が信じられない。皮をむいて食べる。安心してリンゴを食べられない世の中になってしまったか。
栗畑、もう拾った後。それでも丹念に探すと、幾つか見つかる。殆ど腐っているが・・・ 。(それでもナベ一杯)
神田駅、一見普通の駅と変わっている。駅の水道で栗を洗う。駅前の案内看板を見ると、岩木公園あり。そこで栗を湯がこうと行く。しかし、その近くに丘になった所があり、そこに行って栗を湯がく。湯がきながら、朝日を読む。新聞を読むと遅れてばかり。
階段を上って来る音がしたので、フッと顔を新聞から上げると、赤いセーターを着た女の子。目と目が合い、彼女は困惑そうな顔。しかしそのまま降りて行く。
俺は「喰いつかないよ」と、言ったが、しかし、しばらくすると男が来て一緒に行く姿が遠くに見えた。
栗が茹で終わった頃、もう夕食の仕度か、買い物カゴを持った主婦が道を行きかう。
道は旧道なのであろう。国道は殺風景だから、地図では緑色に塗れた道を行くが、切れ目なく、店屋が続くので休む所がない。
天童に入った時は、もう暗くなっていた。昔ここに来た時の事を思い出す。あの時、公園内にある神社で寝ていたら、青年の家に来ていた銀行員に会い、話す。俺が山形はロクでもない所だと言うたら、彼は一生懸命電話したりして、泊まる所を探してくれたが、結局見つからず。俺は何か悪いこと言ったみたいで、夜中の道を山形に向かって歩き始めた。
夜は寒く、飲めもしないビールの小ビンをラッパ飲みしながら歩いた。
多分、その酒屋から梅干しを貰ったような気がする。
もう一度同じ所に泊まってみようと、そんなことを思い出しながら、天童に着いた。
スーパーで買い物。青年の家の横を通り、山の道に灯がともる。水銀灯の柱。
石段を登って行くと、闇の中に神社が見えたが、どうも違う。街の感じも神社も、全て違う。場所は同じであろうが・・・。時の流れか・・・、記憶の違いか・・・。
クジラ缶を元に、ウドン、モヤシを煮込む。腹いっぱいになったのに・・・、明日ウドンを持って歩く訳にも行かず、無理にもう1個・・・。
寝袋の中で寝ていたら、真夜中、階段を上ってくる音を耳にしたと同時に・・・、ガバッと跳ね起き、オゥー、と大声でどなる。俺は半分寝ぼけていて熊と思った。しかし、それを聞いたアベック、ビックリして何やらブツブツと下に降りて行く。こんな真夜中、何するつもり、バカ、バカ。
樹林の間に、天童の町の灯がキラキラと輝き、昔の事を思い出そうとするが、何も出てこない。
使用金額:1063円 /「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 山形
しかし、歩くと言う事は、一体何であるのか。最近、分らん・・・
1979年
昭和54年10月17日(水)
静かな朝。樹木の葉はしっとりと新鮮な朝を感じさせる。
神社の扉は鍵がかかっていたので、外の縁台に寝た。寝袋がよい為か寒くはない。しかし、寝袋から出るとヒヤリと冷たい。昨夜の残りウドンを食べていたら、朝の散歩に出た人が参りに来る。
俺は縁台に座って、人はそれを拝むカッコウになる。
食べ終わってナベを洗っていたら、別口のおばさんが来る。少し話しただけ。朝から人と話す気にはなれない。もし、おばさんが若いなら、これ全て話は別であるが・・・。
天童の商店街通りを行く。まだシャッターが閉まっている。この道を13年前、歩いたのか・・・、と思ったが、ひとつも覚えある物に行き当らず。
狭い道路、昔これが国道だったのか・・・。もっとも、あの頃は車は僅かであったが。
途中神社の境内の陰に腰を下ろすと、高校生が友人を自転車に乗って誘いに来たが、その相手がなかなか出て来ないのに頭に来たのか、ひとりで行ってしまう。
革靴を履いて最近の高校生には銭が待っているのか。スポーツタイプの自転車。恐らく日本ぐらいではないか、こんなシャレた自転車に乗り回している未成年者は・・・。
陰の境内に座っていると寒く、心の中まで陰気になって来る。光の与える心理的効果は大きい・・・。何やらそんな事をブツブツと、独り言をホザク。
民家もまばらになり、道沿に建つ民家の裏側は田んぼ。山形市の近郊にしては珍しい。
橋の前まで田んぼだったが、川を渡ると、山形市街の始まりである。鋳造屋が軒を並べている。
値段の割には、あまりパッとしない品物ばかりである。直線に伸びた狭い軒下通り、方角は分らず、勝手に自分で決めて歩くが、これが人に尋ねなくても、ピタリと当る。
国道を通るのではなく、狭い裏通りをクネクネと歩いて、人間の長年の勘と云うものか・・・。
10年前に山形の中心、神社の境内でボケーッとする。なんとか山形に着いた。
角館から山形を目指した時は、地図を見るのもウンザリする程の離れがあったのに、山形に着いて一応ホッとする。
街は、モダンなビルが並ぶ。昔とは全て違う。
駅の待合室に行く。昔は小さかったはずである。
60円、朝日を買って読んでいたら、いつの間にか、12時のニュースを待合室のテレビはやっている。まだよく読んでないのに・・・。
駅を出て裏側の道を行く。古い民家の縁台式店屋。品物は埃が覆っている。あれで客が来るのかと首をヒネる。一枚の絵にはなるが、人々は皆、モダンなスーパーに足を運ぶであろう。
パン、牛乳、バナナ、草モチ、493円。野宿ばかりすると本当に金がかからないが、先月の1ヶ月分、決済すると、67655円。青荷温泉と国民宿舎が1万円以上ある。打撃である。その教訓か、全然お金を使おうとしない。
ツブれたのか、大和運送の埃かぶった荷物捌所の前に壊れたイスが2つ。その上に座って食事をする。落ちていた古いマンガのページをペラペラとめくる。日記が気になる。どうも日記に追われ困る。日記がないと、凄く気が楽になり、歩く距離ものびる事分っているが、今更ここで日記を止める訳にもゆかない。急ぐ慌てる事はないと言っても・・・。
上山へ、上山上山と一歩一歩と足を進める。しかし、歩くと言う事は、一体何であるのか。
最近、分らん・・・。
1番大切な事を書き忘れた。朝起き、神社の下の公園。公衆便所でクソしぶきをあびる。
ブドウ畑のなだらかな広い傾斜が見える。リュックを置いて、畑の中に入っても、もう採り終わった後で、小さなブドウがポツポツとあるだけ。それでも少しずつ集めれば・・・。畑の中におっさんがいたが、何も言わない。これでは言いようがないであろう。
稲が干してある田んぼのあぜ道に座ってぶどうを食べる。
最近、空を見上げる事もなくなった。
クネクネとした道を行く。途中、競馬場あり、神社があったが、上山温泉の湯にも入るつもりで、先へ先へと急いで上山に着いたら、大きな街で、とても銭湯といった感じではないし、寝場も見当たらない。もうガックリである。日記・・・、日記・・・。
陽が暮れて来ると、日記が頭の中をグルグルと回り始める。しかたがないのでそのまま歩き続ける。家に帰るのか、マイカーのラッシュ。ほとんど一人である。無駄な乗り方・・・。
上山を離れ、老婆に神社を訊くと教えてくれたが・・・。変った神社と言うより、寺である。
山門があり、仁王様が立っている。山門の両側の中には、大きなワラジが掛かっている。縦3メートル、幅1メートル程。石段を登って行くと、お堂の周囲には、沢山の札が貼られ、異様である。中には木魚、神社に木魚は関係ないはず。日記を付けていたが、暗くなってもう見えなくなり、中途で止め、中に入る。
お堂の中は畳。掃除が行き届いている。これはマズイ。人がこの扉を閉めに来るはずである。焦り苛立って来る。正座して暗闇の中、ロウソクを灯し、心を落ちつけていたら、案の定、人が来て、扉を閉める。泊る事を訊いたがダメ。境内縁台に寝る事とする。扉前の電気を点けて行く。日記を書き続けていたら、先程の見回り人が、飯を持って来てくれる。ホカホカと温かい。無口な人である。
おでんである。イイ米ではないが、おいしかった。
外灯の光照らす中、夜はふけ、その人は、段を降りて行く、後姿。
使用金額:553円 /「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 天童~山形~上山
赤湯に着く
1979年
昭和54年10月18日(木)
夜が明けた。最近、寝ると体のアチコチが夜中痛くなるが、疲れが疲れを生むのか知らぬのが、何回も夜中に目を覚ます。ナベを枕に使用していたが、ナベのフタが歪んでから、それを止めた。
枕がないと体が安定せず、寝づらい。それに、昨夜は裏側が山になっており、熊を心配する。新聞に拠ると、今年、山形県だけで、65頭のクマが射殺されたとか。冬眠前の食物がなく、人里まで下ってくるとか。
おやじさん、昨夜行く時、俺の発つ時間を訊いていた。ヒョッとしたら、朝食を持ってくるのではと思い、早めに発つ。お礼を言うのが大変だし、そんな事を期待すると、精神衛生上よくない。
国道13号線。朝早くからトラックがフッ飛ばして行く。警察、こんな時、網を張れば、大変な稼ぎ儲けになるのに日本の公務員、早朝出勤なんて、そんな事を期待する方がおかしい。汚職はやるは、騙すは、警官が殺人、婦女暴行。
空は曇っている。昨日のニュースで台風が近づいていると言っていたが、その影響か、30分もしない内にパラパラと降りだす。途中、左手に24時営業のコインフードがあったので、そこに引き返し、中に入ったら、雨は止んでしまった。
一人の運ちゃんが、コイン機械で遊んでいる。
次々と客が来て、インスタントフードをパクついている。よくあんなものに、高い銭を出して食べる気がするものだと感心するが、商売も商売。儲かっているみたいだが、考えてみれば不思議なアメリカ的商店。ヨーロッパでも見たが、まさか日本まで広がるとは・・・。
新聞を読んでいたが騒がしくなり外に出る。通勤時間になり、マイカーの数珠つなぎであるが、乗っている者は、殆どひとり。これを当たり前と思っている頭が、一番恐ろしい。それに、俺が声を大きくして叫んでも、誰も耳は向けないどころか、馬鹿扱いにされるのがオチであろう。
道路横の民家庭に、梨がなっているので、2個失敬したが、車の排気ガスの為か汚れている。水で洗い、前方に神社が見えたので、ラーメンでも作るかと水を入れて行く。先ほどからラーメンを作る為に、場所を探しながら歩いていたが、場所があっても水がない。水があれば場所がない。やっと都合のよい場所にあり着いたと思って神社に行ったら、隣から大声で「入るのか」。その言い方はまさに貧しい。頭に来る。相手は悪いと思ったとか、来て、色々と弁解めいた事を言い出したが、ムスッとして空返事をしていたら去った。
俺もこんなケチの付いた所に居たくないので、梨の皮をむくとすぐ歩き始める。
その神社から300メートル程の所、中山駅の裏にあたる駅で休むかと、陸橋を上って渡ると無人駅である。珍しい。こんな所に無人駅があったのか・・・。水道はあるし、待合室はきれいだし。ラーメン、昨日買った2個を作る。ベンチを寄せ、昔まだこの駅に人が働いていた頃、荷物預りの荷物台に使っていたであろう、その茶色に染まったつやのある台で、日記を書く。しかし、何を焦っているのか、落ち着いて書いていられない。その内、雨が降り出すが、強くはない。パラパラと客が来るだけ。なるほど無人駅なるはずだ。寒いのでドアを閉めるが、出入りする連中、殆ど開けっ放しで行く。日本人はどうしてこう公衆道徳が低いのか、不思議である。
トウフを駅前の店から買って来て、ラーメンのスープで温めたが、全然思いに反しておいしくない。ボールペン、まんじゅう、計160円。ナベを抱えていたら、列車待ちの老婆が珍しそうに俺のナベの中を覗きに来る。田舎の老婆にしては珍しい。普通、見たくてもチラと盗み見する程であるが、この老婆みたいに覗き込んだりはしない。
日記が終わると雨も上がっている。雲ってはいるが・・・。
路面は濡れている。車は多いが、そんなに気になる程ではない。ブドウ畑、覗いて見ても、もう採った後で何もない。しかし、1カ所だけ道路脇に巨峰に似た大きな粒のブドウ。これを失敬する。しかしこれも排気ガスか、汚れている。それに普通のブドウと違って、皮が厚く、押してもピューと飛び出して来ない。皮をむいて食べるが、見た目ほどおいしくない。
道路は上り坂。峠を越すと、一面に平野が広がる。そして覚えのある白竜湖。この湖は覚えている。しかし、13年前、この辺にはブドウ畑はなかったはずである。なだらかなブドウ畑の傾斜が続き、店でブドウ売り。10個程実のついた小さな食べるに苦労するような房を洗って。
少し先に行った。なんと、もったいない。腐ったブドウの房が下がっている。腐らすぐらいなら安くればよいのに。少し入った1箱が800円・・・。ブラブラと農薬のついた、小粒の実なしブドウに文句言っていたら、右手の斜面にズラリとブラ下り並ぶブドウの房。今年初めて見た。
早速、きれいな房を4つちょうだいする。沢山採っても食べ切れない事分ってるから、残念だが・・・。
左手には、広く稲田。遠方は曇り空のせいか、かすんでいる。もうほとんど稲刈りも終わってしまった。
赤湯に着く。13年前、この公衆浴場の温泉に行った。あの時は、ひなびた感じの木造浴場で、温泉場らしい風呂であったが。
国道から右に折れると、コンクリートの公衆浴場あり。セッケンがないので、町の中に買いに行く。店のおばさんに、木造浴場を訊いたら、もう取り壊して、今は立て替えてしまったとか。それに、昔俺が入った浴場は分らぬ。
この町に、5つの公衆浴場があるとの事で、教えられた丹波湯、30円。えらい安い風呂代である。人件費の方が高いのではと・・・、いらぬ心配。
中は浴槽大きく、俺ひとり。湯が石の口から流れ出る。10日ぶりかな、風呂に入るのは。たっぷりと湯につかり、ゴシゴシと、2時間近くかかって洗う。着替えると、さすがにさっぱりとした。しかし、ジーパンと上のシャツは着替える訳にはいかん。これは、明日、白布温泉で洗濯した時、着替える事にしている。尤も、明日雨が降らなければの話であるが・・・。
失敬して来たブドウがうまい。丘の上に建つ烏帽子神社に行ってみる。
石段の階段を登って行くと、上が本殿、社務所。それに、鉄筋建の結婚式場。結婚式でもあるのか、式場がゴタゴタとしている。
昔は丁度、春祭をやっていた時だった。
この町の様子も一変してしまった。尤も、詳しく知っている訳ではないが、あの時は、こんな鉄筋建の旅館は立ち並んでなかった。
台風が近づいているので、明日は雨であろう。もし、烏帽子神社が、寝れそうな所ならと思っていたが・・・。この丘の公園をグルリと回って見る。菊祭り大会をやっていたが、別にたいした菊があるだけでもなく、人が2、3人いるだけ。また、階段を下り、街の中を通って行く。昼間の為か、ガラリとしている。
たんぜんを着た4、5人の老婆とスレ違う。百姓仕事終わって、骨休めにでも来たのか、幸福そうな顔をしていた。
ブドウをパクつきながら歩くが、さすがに3房も食べるとウンザリとして来る。
街の離れから国道に出る。ブラブラと歩いていたら、後ろから走って来たように息を切らし「もし、もし、貴方よく歩いていますネ」。運転手で、この国道をいつも通る度、俺を見かけるのかと思っていたら、根掘り葉掘りと関係ない事まで訊いて来る。多少、ムカッとし始めた時、「実は私、警察ものです。チョット署まで一緒に来てくれませんか」と、東北弁なまりで言う。
角刈り頭のヤクザに見られそうにでも受け取れそうな・・・。
しかし、目はイイ目をしている。一見、童目みたいな・・・。しかし、それだからと何故俺が警察に連れて行かなければならないのか、内心ブドウを失敬したのがバレたのかなと思ったが、無理してみんな食べた後だったので、関係ない。まさか腹の中まで見せろとは言えまい。
「お茶でも出すなら行くわ」「はい、お茶ぐらい出します」と、一応丁寧に答えるが、これが曲者なのである。
一体何で俺をパクろうとしているのか、この刑事さんのポケットから、無線機がピーピーとなっている。
「わざわざ警察まで行って、また、引き返して来れないよ」と言ったら、「身分証明証でもあるなら関係ないんですが」「さよかい。じゃ、免許証」と、見せると、何やら刑事も「じゃ、私、身分を証明しますからと、警察手帳を取り出す。ホォー、これが警察手帳か、七人の刑事の警察手帳みたい、あまりカッコウよくないなぁー。まぁ山形の田舎刑事では、手帳も田舎臭い。免許証の内容を書き写すと、無罪放免にしてくれた。
しかし、よほど暇でやる事がないのか。まぁー暇な人と本当に思った。俺みたいな奴の尻を追っかけて来ても、何も出ないよ。まさか、ブドウ食べる分、失敬したぐらいでゴタゴタ言う。
イヤ、この暇な刑事、警察署だったら、暇つぶしにブドウをリュックいっぱい盗んだと、罪を作り上げるかも知れない。とかく日本の警察は、弘前事件、狭山事件、帝銀事件みたい。その他、事件の内容をスグ変え、挙句に、殺人、強盗、婦女暴行。警察が、ひょっとしたら、悪党ではないかと思われる程の行為をやる連中のいる組織だから・・・。危ない、危ない。
もっとも、警察署の前で呼び止められたら、ハイハイと喜んで警察署の中、留置所の中、何処でもお茶が出るなら行ったが、残念と・・・、思いながら歩く。
空は相変わらず曇って、チラリとも青空の顔をさえものぞかせない。
明日の天気が心配で、今夜チャンとした所を探しておかないと、今夜雨が降り出した時が大変である。
イイ所があったら、早めでもよいから、泊まるつもりで目をキョロキョロ探しながら歩くが、こんな時に限ってないのである。
広い平野に左手、ポツポツと家が建ち見えるだけ。右手に集落が続く。しかし、うまい具合にはない。
腰を下して、昨日の新聞を読む。堅い記事は、二度程読まないと頭に入ってこない。
最上川との柱が立っている橋を渡った所の集落に、杉林の森が見え、神社の屋根も見える。
行って見ると、床柱が非常に高く、1階分程の高さの変わった形式の神社で、初めて目にした。
床柱が高い為か、正面に出ている屋根が長く突き出ているので、これだったら吹き込んでくる雨以外、大丈夫に思われた。
高い建物の階段の上、縁を杉の小枝で掃き、座って声を出し新聞読んでいたら、下を通ってきたおばさん、
「急に声がしたので、神様かと思った」「ウン、俺、神様の生まれ変わり」。
日記を書いていたが、暗くなって途中で止める。
神社の横に扉があり、鍵がかかっているが、反対の戸はゆるく、ガタガタと動く。調べてみると落し木の止めらしい。扉と扉の間から手を入れ、カンヌキを持ち上げると開いた。
中は埃だらけ。境内に水が流れ出ているので助かる。埃だらけの畳を拭いて、食料買いに行く、565円。ラーメンの中に卵、テンプラ。ラーメンは胃によくないが、他にないから困る。もう、ガスが残り少なくなって来た。
中は何となしに気持ち悪く、外に寝て、雨が降ってきたら中に入ろうと。しかし外に出ると、縁台の埃が舞う。中で扉を開け寝ていたが、真夜中、風が吹き始め、中の埃が舞い始め、扉を閉めようとしたが、全く閉まらない。
蹴飛ばしたりしていたら戸が外れる。そんな事をしていたら、目が冴えてしまい途中で止めていた日記をローソクの灯で書く。
何時頃か分らぬが、雨、降り出し、遠くより夜汽車の走る音が、ゴトゴトと流れてくる。そして雨垂れの音。
使用金額:855円 /「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 上山~中川~白竜湖~赤湯
天童では陸橋の上から通学生達が、「おじさん、何処に行くの?カッコイイ」
1979年
昭和54年10月19日(金)
昨夜は真夜中に吹く風に起こされ、結局そのまま眠りにつく事はできず。日記を付けてた後は、ロウソクの灯に照らし出され闇に浮かぶ破れた円筒とチョウチンである。埃をかぶたり古ぼけた幾つかの提灯。映画は幽霊のお岩さんに出演してもおかしくないような迫力である。
寝付かれない頭で色々と考えている内に、沢山書き損じた事、「刈」の字なんか、稲刈で思い出せなかったのに、あの刑事の角刈り頭思い出したら「刈」と云う字も、ついでに思い出す。
天童では陸橋の上から通学生達が、「おじさん、何処に行くの?カッコイイ」「ネー、何処に行くの」。大声で叫ぶ。恥ずかしいので黙っていたら、そんな事に構わず、相手はやって来る。
「おじさんか」、そんなことを暗闇の中で考える。
いつの間にかウタウタして目が覚めたら、節穴から光が射して来る
。戸を開くと、パッと明るくなるが、空は曇っている。行くべきか迷う。空を見ていると雲は流れ、少々は持ちそうである。行く事にして歩き始める。
糖野目(ぬかのめ)、山王神社、旧道を1キロ程歩くと国道に出る。少し歩いた所に、ガソリンスタンドあり。そこに新聞。山形新聞を失敬する。今日スタンドの前で読んでいる暇はない。そのまま歩く。いつの間にか通勤通学時間になる。
米沢まで6キロの標識・・・。米沢から白布高湯まで10キロかそこらであろうと思っていたら、町に入り標識を見ると20キロと表示してある。ガーン、ガックリ。
初めは駅に行って休むつもりであったが、街の中にあったお堂で休み、山形新聞を読む。しかし活字が踊っている。初め、まだ寝ぼけているのかなと思ったが、活字の配列が、蛇みたいにグネグネしているのである。
記者の内容が三流だと、印刷は四流である。しかし、新聞を読む時間を浪費した為か、米沢郊外に出る頃になると、雨が降りだす。頭の中では色々と浮かんでくる。この街は、お堂がゴロゴロして、寝る所が沢山ある。これだったら日記は次の日にし、ここまで歩いてきたなら、今日は焦る事なく白布まで行けたのに・・・。これは結果論と思えど・・・。新聞の天気予報を見ると、台風が東に向かっていると。大変だ、まともに受ける事になる。
お堂の軒下に座って降る雨を見る。灰色の雲が空いっぱいに垂れ、低くモクモクと流れて行く。小雨になり歩き出す。小雨、降ったりやんだりのクリ返し。20キロとは全く予期しなんだ距離であったので、急ぐしかない。
計算・・・、急ぐと1:30頃着くはずである。それまで何とか雨はもってほしい。
盆地の平面から山へ山へと向かって行く。山の中腹に小さく建物が見える。多分あれは天元台であろう。遥かなる山々の頂は、紅葉の為か色が変わっている。遠くから見る紅葉は、ボンヤリして色鮮やかではない。
峠を越える下の集落に石柱が立ち、右、白布高湯2里半。左、太平・・・、と書いてある。この古ボケた石道標の横に傾いた茅葺屋根の農家。これ又、映画に出てきそうな石柱であった。
その石柱から道は登り坂道となり、雨に濡れた道を歩く。横を観光バスが何台も何台もと通り過ぎて行く。古いバスは排気ガスが撒き散らし、黒煙をモクモク、俺は上り坂、ハァハァいいながら、強い息しているのに・・・。
峠を越え、下り始め十字路に出るまで、HiC、ビスケット280円。食料と思ったが、白布高湯にも店があると言うおばさんを信じて、何も買わず。その十字路を左に折れ、一路、白布高湯へ距離8キロ。谷間を道は走る。
両側の山は、段々と幅を狭く谷間を詰めてい来る。紅葉した山が迫って来るが、今にも雨が降ってきそうな気配。紅葉に浮かれるような時ではない。休む事もできない。脚が疲れても、もう根性で歩くしかない。
ここまで来ると、農家もパラパラ。白布集落、これが最後。こじんまりとした小さな集落。山間の谷間に位置してそんなに多くない農家。一軒だけ大きな屋根をした農家あり。この集落を抜け出ようとした時、雨が降って来る。
右側、樹木のトンネル、丸石の小径。小さなお堂の屋根。その屋根下に腰を下ろす。雨は谷間の風に乗って降って来る。この小径の奥に、大きな茅葺屋根の農家。屋根は葺き替えたばかりか、新しい。最近葺き変えると高いのか、トタン屋根が多いし、カワラに真似たトタンとか、あれらは、この純日本風の家には合わない。それなのに、この家は大きな茅葺屋根をドッシリと、置いている。カンロクである。この家の家族の事を勝手に想像する。もし、若い娘がいたら、どうするのか・・・。誰がこの家を継ぐのか。誰でもよい、この立派な家を守ってほしいと思う。
家の後は山。前は畑になって、菜が濡れ風に揺れる。このお堂、横に石仏に地蔵。延命地蔵とか。峠を越す時、休んだお堂は、安産地蔵。その他、色々の地蔵が転がっている。
それにお堂の造りが変わった戸。扉ではなく、はめ込み式の囲形の物である。
雨の中のこの農家、小径、山、畑と見て、色々と想像していると飽きる事がない。
雨は霧雨になり、歩き始める。集落離れに、寝るに丁度よいお堂あり。水もある。時代劇に出ててそうなこの集落を最後に、白布高湯まで家はなく、谷間を道は行く。両側の山は高く、谷の前方は雲が巻いて、まるで仙人が住む仙境。
仙人の吐く息の如く、このお堂、気になったが、白布高湯に着かないと、この台風では後が困る。
急ぐ脚、しかしそれもつかの間、ザァーと強く降り出す。谷間に垂れ風に舞う灰色の雲は、もうはっきりとただの雨ではない事を示している。
杉林の中に飛び込み、ポンチョを取り出す。このポンチョ、前がYの字に破れている。しかし、ないよりまし。紐でくくり、リュウクが濡れないように注意する。体が濡れても、リュウクは濡らす事はできない。寝袋、着替を濡らすと、もうアウトである。かぶるポンチョのズキン、視野を妨げ、道路だけしか見えない。強い風雨がビュービューと、前から吹き付ける。ズキンをしっかりと握りしめ歩く。雨はポンチョの下に流れ、まずジーパンを濡らす。破れた所に雨は吹きつけ体を濡らし始める。
ズキンで周囲の視界は全く見えず、下の50センチ程の道路が少し見えるだけ。時々頭を上げ前方を見る。
疲れても、この雨の中、休みようがない。雨の中を歩く、モクモクと。しかし、脚はだんだんと張り詰め、お疲れを増し痛くなって来る。
モクモクが、モタモタ、そしてヨタヨタ。最後はヨロヨロ。
寒風は山の樹林、ザァーザァーと凄い音を立て、揺れ動く。ズキンをかぶり、狭い所だけを見て歩いてると、気持ちまで沈んでくる。
ズキンを取り、前向きな姿勢で歩く。どっちにしても、大して変わる事ない。そうするとパッと視野が広がり、気分的にも開き直った感じ。しかし一瞬、涙が出てきてそうになる。
大声をワァーと出す。雨の中の紅葉も、なかなか風流。
揺れ動く山、吹き上げる風雨。そうだな・・・、そうざらにあるものではない。台風の中の紅葉。願ってもできる事ではないと思い、歩くと、全く気が軽くなったが、この脚の痛さには参ってしまう。それに濡れたジーパンから、パンツが染みこまない事を願う。着替えのパンツは、もうないのだから。青森であの時、2つ買っておけばよかったなんて思う。
狭い谷間の道路横に杉林。上はビュービューと音を立て揺れ動いているのに、杉林の中は静かで、フッと京都北山杉を思い浮かべる。
空に枯葉が吹き荒れ舞う。ただ休めないのが辛い。車は水しぶきを放って行く。観光バス3台。何故だか観光バスとスレ違う時、無意識にバスガイドを見る癖あり。3台のバスが来て、初め俺を見ると笑った。2台目も笑った。2台の笑った女は、非常に不愉快になるような笑いであった。3台目は笑わず。不思議な困惑、判断のつかない顔をしていた。2台目の女に、頭に来る。
白布は遠い。やたらと遠く感じる。白布の建物が見えた時、ホッとする。下よりユースに電話をする。管理人、子供が病気でいないと、国民宿舎に電話したらとか・・・。
全身ビッショリに濡れ、ユースで着替える。風呂は温泉で、湯は常に出ている。温かいお湯につかると、体が冷えていたのかビリビリとする。
風呂の後は洗濯。これが大変。その後は日記。休む暇なく夕食。奥さん31才。山形の田舎にしては珍しく、活発?
食後はニュース、アメリカ物語。分るなぁー、あの話ヨカッタヨカッタ。俺はNHKには銭を払う。しかし初めから見たかった。
福岡2人組女の子が来る。九州大とか。何やらペラペラと、うすら寒いガランとしたホールの中で話していたら、いつの間にか、10時になってしまった。
20才なのに、全く色気なく、不健康な顔をしている。部屋に戻り、マンガをペラペラとめくる。寝付かれない。何の心配なく寝ると、安心してしまうのか、目が閉じる事がない。部屋の中に洗濯物が下がっている。
使用金額:3030円/「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 天童~米沢~白布高湯
上の天元台まで1時間程かかったが
1979年
昭和54年10月20日(土)
朝っぱらから日記である。昨夜、彼女達と話しているうちに、書く時間を失ってしまう。
朝食は、パンとコーヒー。パンは幾つでも食べていよいと言われても、彼女達が1枚しか食べないと言う。その言葉を耳にしたら、4枚以上口にする事は何故だか・・・、考えちゃうな。ウン。
8時30分ごろ彼女達は、猪苗代湖に向って発つ。俺は、天元台。昨日洗った靴は乾いていない。新聞を入れる。
ロープウェー乗場を過ぎ、高湯の標識が出ている方向に向って歩く。空は晴れ、青空。昨日の台風が嘘みたいである。沢を登って行く。こんな所に本当に温泉があるのかと思えるような所で、後をフリ返れば紅葉した山の樹々が美しい。白樺の黄色に彩った葉が鮮やかで、風に小枝が揺れる時、なんとも言えない美しさと季節を思わせる。
ジープ1台が通れそうな幅の道の終点に、山小屋風の宿。沢の縁に露天風呂。月の夜の風呂なんか風流を誘うような沢の風景である。
その湯から、道は細い本当の山道となり、急を増す。石を積み重ねた、どうも様子がおかしいと思っていたら、これが登山道。他に車道があるのに気が付いたのは、天元台に着いてからである。
上の天元台まで1時間程かかったが、広く、ホテル、スキー、ロッジ、山小屋などが建っているが、見晴らしは非常に素晴らしい。山の峰々に、遠方下に米沢の盆地が見える。
風が強い。ロープウェー乗場の無料休憩所に入ると、テレビ。「遠くへ行きたい」。飯田、九重高原をやっている。画面でみた所、九州にもこんな所があったのか、紅葉が見える。テレビを見終わった後、外に出る。サテ、暇だし、どうする。地図を見ると、人形石、1963m。登る気はないが、リフトの道に沿って登って行くと、前に一人歩いている。第2リフトまで登って、その人に道を訊くと、人形石は、まぁー、見晴らしのよい所だと言う。指す頂上は、割と遠いし高いが、リフトの道を行けばと、登る事にする。一直線に伸びたリフトの下を登って行く。スキー客の為か、今は動いていない。6月末頃まで雪があるらしい。
第3リフト場の踊り場に、おっさんが立っている。こんな所に、なにしているのか・・・と、上へ。その踊り場の後で、3人餅を焼いている。中年登山姿。俺は着替えたばかりのシャツ、ジーパン。一応礼儀として「こんにちは」と、声をかけ、上を目指す。少し上に登ったら下から3人が「モチ、食べないですか」と呼んでいる。内心、アァー、誘ってくれないかなぁと、思っていたので、飛んで行く。千葉県は成田山の労働者? 千葉からわざわざこの山に登りに来たのか・・・。
とにかくモチがうまい。新築祝いの紅白モチである。みそ汁の雑煮であるが、火が弱いのか、なかなか沸かない。結局、皆と一緒に行く事になり、かもしか展望に立つ。
頂上は、丸い石が一面に転がり、風がビュービューと吹きつけ、寒くて手が冷たくなって来る。凄く低い気温である。山の裏側に出ると、なだらか斜面に、ハイ松、吾妻の峰々が遠視。しかし、常にガスが流れ、道は昨日の雨の為か、水が濁り湿原地帯と同じである。
人形石に立つと、一面大きな石がゴロゴロとし、樹草は植えていなく風が強い。皆で写真を撮り、下る事になったが、帰り道2本。俺はリフト側に下りたいが、彼らは登山道を行くと言う。内心、嫌だが、なんせ俺が一番モチを喰った。今更、私はこっちの道を行くとは言えず、ついて行く。しかし、想像した通り、道は道とは思えず、沢である。水が流れ溜り、ヌカリ、大変だが、彼らは登山靴をはいているが、俺は運動靴。話にならない。ごろごろとした岩の道。深い樹林の中、この自然を満喫するどころの話ではない。一瞬でも気を抜いたら、ズテンーである。濡れた大木に足をかけた時、スベリ、ズデーンと尾てい骨を打つ。頭にズーンと来て、クラクラ吐気を感じる。
水の中に足はぬかり、せっかく洗った靴はまたドロドロ。2度転んで、新しいジーンもドロ水をかぶり、さんざんである。登りより、下る方がエライ道である。
リフト道に出ると、深い樹林からパッと広がる視界にホッとする。リフト道を下り、天元台で彼らと別れ、今度は車道を下って行く。山の上はもう枯葉を散って、枯枝になっていたが、この辺まで来ると、まだ美しい紅葉を目にしながらブラブラと下る。
下まで降りて来ると、頂のガスが嘘みたいに晴れ、青空である。ユースに帰ると、また、風呂に入り、尾てい骨の治療?
同室者、一人。無口な人。靴を洗い、日記を付け、夕食は牛肉の土鍋。お湯が沸き、奥さん「もう入れてイイよ」。牛肉にハシを付けると、「バカねー、牛肉は一番最後でしょう」。アッそう。知らなかった。そういえば耳にしたような。これで、またひとつ勉強。2人で土鍋でパクつく。腹がヘッているので、ご飯がっぽり。
日本をブラブラしてると口にする。外国には行かないんですか。
足利で先生をしているとか。ヨーロッパを1ヵ月ほど回って来た事があるとか。
7時30分、マルコポーロ、これ面白い。見たいのに、やたら話しかけてくる。困るんだなー、こんな時・・・。
8時から映画音楽集。途中から勉強・・・ 。先生はマンガを見始めた。
なかなか面白い番組であった。最近、NHKもがんばるではないか。ウン。
正月番組、1日駅馬車、2日、荒野の決闘。3日、真昼の決闘、みたいな番組ばかりである。皆、見た事があるが?
もう正月が、スグそこまで近づいて来ているような感じである。
正月、どうなるのか知らぬが・・・。こうして、ホッツキ回るのも、因果な道である。
床につく。動く角度によって、尾てい骨が痛い。
今日はモチがうまかったなぁー。本当?
使用金額:2450円/「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 白布高湯~天元台
台風20号
途中、最上川源流の石碑が立つ
1979年
昭和54年10月21日(日)
朝からやる事が色々と沢山ある。昨日手紙を書くつもりでいたのに、ロクに日記も付けず、途中で止め、その分、朝6時に目覚めると、まず靴、破れた所を縫う。これが45分かかった。
たったこれだけ縫うのに、頭に来る。その後は日記。本当に毎日、息をつく暇もない。
陽射しが右側の谷間の山肌に、美しい紅葉が映る。朝食後、すぐユースを出る。
31才のおばさん、なかなか賢い。昔、教えてもらった近道を思い出し、雑木林の中に入って行くと、道は途中で壊れ、なくなっている。もっともあれから13年。それにこんな所を通る者はいないであろう。
雑木林の中を下り、道路に出ると、完全舗装道路。紅葉の谷間を歩く足は軽い。途中、昔の古い道が見える。アァー、あの道を昔歩いたのかと思う。古い道、幅は狭く、こんなに狭かったかと思った。
新しく造れた道路。日曜日の為か、車のラッシュである。空は雲ひとつない青空である。
途中、最上川源流の石碑が立つ。これを見た時、記憶がかすかに出て来る。しかし、あの時は春。雪がまだ厚く残り、通行止めであった。そして今は、行楽連中の車と騒音。ひとりテクテク上に登って行く。上にあがるに従い、紅葉は散り、吹きさらす小枝が寒々と冬の近さを知らす。
途中、道路横に土方休憩所あり。誰もいない。覗いてみると、カギはかかってなく、8畳にプロパンガス。畳は埃だらけ。お茶でも作るかと思ったが、まだ朝食後で、腹が張っているのでやめた。
白布峠に立つと、駐車場なんかでき、全く昔の面影なく。昔の道であろう地道を登って行く。少し広い所があり、多分ここが、昔、俺が立って桧原の下界を目にした所ではないかと思う。
あの時、雪が背丈ほど積り、下に、雪で白く化粧した峰、山に驚いた。あの時の写真が今もあるが、今この地に立った。あの時、再びこうして来るとは、夢にも思いはしなかった。
あの時の事を、記憶のフィルムを逆回転させ、覚えている事を取り出そうとしても、もう殆どない。ただあれからもう13年も経ったのか。あの時17歳、リュックを背負って、テクテクと下って歩いて行った道はもうなく、不思議な時の流れの速さに寂寞としたものを感じる。
下り始めると上の枯木が終わり、また紅葉う。しかしこの紅葉も色があせ、散る一歩手前か。黄色に彩った葉を見ると、何故かヨーロッパを思い出し、シャンソン、枯葉が頭に浮かぶ。秋の爽やかな陽を受け道路横に寝ていたら急に暗くなる。
顔に被せていたタオルを取ると、雨雲が流れてくる。
感じとしては、降りそうであるが、あの1時間前の青空からすると嘘みたいな空の変わりようである。
天気予報を見てこなかったことを後悔する。
蛇みたいにクネクネと曲り曲りの道路。直線にすればたいして距離なのに。
空は一面、雨雲。嫌な予感。下の道路料金所まで来た時、パラパラと小雨。右側百姓の野菜。まの、この買取小屋が列を作る。
集落に入り、神社で休むかと思ったが、何故か無精して下に行ったのが間違い。集落離れまで来た時、ザァーと雨が降り出す。寒く冷たい雨である。軒下で雨宿りした家が民宿。雨は冷たく、一向にやみそうにない。軒下で立っている内、これだったら民宿に泊まるか。即、決めたわけでは無い、3400円、出したくない金である。
今日はユースまで行くつもりだったのに、あと12キロ。3時間ほどの離れなのに、残念である。
これ、買ったばかりのボールペン。非常に書きづらい。もう絶対、三菱は買わない。買ったばかりなのに頭にくる。
いやはや、すごい夕食で、これなら銭を払う価値がある。
風と共に去りぬ、中途、時間でパシッ・・・残念。
使用金額:3675円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 白布高湯~白布峠~
2
道はまた上がり始め、2つ目の大塩峠を越える
1979年
昭和54年10月22日(月)
なんだか久しぶりに、ゆっくり眠ることができた。
ユースでは、やる事、たくさんな事があったので・・・それに陽が部屋に入って来ないので薄暗く、人の気持ちまで薄暗くさせてしまう。3400円払う価値のある食事であったが、それでもこの俺には高い出費である。
強くいない一時的な雨であった。中途で止んだ時、この民宿を抜け出そうかなんて思ったりしたが・・・これも何であろうと・・・。
アァー急に歩く気力が消えた。五色沼磐梯コース有料道路を歩いて、磐梯町に出るつもりであったが、これでは距離的にも色々と中途半端になるので、喜多方にでることにする。
空は一応、青空が顔を出しているが、女心と秋の空・・・俺は信じちゃぁいネー。昨日の空模様でよく分かった。テレビの天気予報では全国的に晴れの模様なんて言っていたが。
朝食、腹がパンクする程に入れたいのは山々であるが、満腹になった腹では歩く事が出来ない。
行くべき道が、全く、歩く方向になる。湖畔を歩く道は冷たい。ポツリとある集落はずれの大きな鉄筋建て小中学校。しかし、その前には、へき地小学校との看板。もっとも、こんなに交通の発達した今、そんな事は関係ないが・・・。
滝の原では、かみさん連中が、なめこを溝で洗っている。
林道を喜多方へと向かう。この集落から、道は急に狭くなる。もちろん舗装はしていない。しかし、最良の紅葉を少し過ぎたおそい紅葉。非常に美しい。沢の流れ、車は通らず、峠へと向かって足を進める。狭い谷間の道に迫る紅葉。身近で、昨日の峠越えの紅葉とは、話にならぬ程、素晴らしい。多分、道が舗装してなく、車が通らないのも、ひとつの大きな影響を与えているのではないかと思った。
黄色に彩ったもみじの葉は知らなかった。
本当の峠越えをしているかんじである。
もちろん家もない山の中。グルリと周りは紅葉の山肌である。
峠を越え、下に来たら、小さなトタン小屋から、屋根のストーブ煙突より白い煙がのぼる。もう冬がちかいなぁーと思う。
道はまた上がり始め、2つ目の大塩峠を越える。峠にくると視界が開け、下に盆地の平野が見える。紅葉も山も、沢の流れも全て美しいが、曇り空なのが残念。てくてくと峠を下る。左側に獣道に近い道があったので、近道と思い雑林繁るなかを行ったところ、なんと行き止まりである。伐採用の道らしい。伐採跡を登り、けもの道に出る。結局、近道のつもりが、とんでもない遠道になった。
下の北塩原近くまで下りてくると、段々畑が少しづつ姿を現してくる。
ホテルの建物。この村にマッチしない建物である。温泉ホテルか。どんな温泉か、知らぬが・・・。
田んぼ道を勝手に近道と思い、歩くと、全然これまた関係ない。右角、この田んぼ道を通った時、畑に大根、白菜、大豆。枝豆になる大豆のさやをとり、豆を生で食べると、青い色した豆、おいしい。袋を取り出し、少々、失敬する。(電気あり)
そのまま畑道を行くと、神社が見えたので、行く。鍵はかかってなく、中は改築した新しい畳も。しかし、埃が・・・。寝るのに悪くない。とにかく、モチを焼いてハチミツを付け、食べる。
大豆の皮をむき、緑色の豆をいる。なかなか、おいしく、腹いっぱいになる。
外は風が強く、ビュービューと吹いている。
一瞬、もう歩くのがイヤになり、地図を広げ見ると、今は、喜多方の町に入ってイロイロするより、今日、ここで寝た方が・・・。
多分、一時頃であろうか・・・。寝袋を取り出し中に入る。
少し寝て、頭を冴えさせて手紙でも書くかと思ったら、目覚めた時はもう、外は真暗である。
痛めた脚の痛さは去った。やはり、疲れが溜まっているのかと思う。
手紙を書くつもりだったが、ボールペンが悪く、それに寒く、鼻水をたらしの・・・これでは、書く気になれない。
使用金額:0円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 白布峠~大塩峠~喜多方
田んぼの中、ワラを尻にして、暮れて行く陽を見る
1979年
昭和54年10月23日(火)
昼間寝過ぎた為か、真夜中になっても頭が冴え、眠る事はできず。それに寒い冷え込みで、風邪を引いたのか、水鼻ばかり出る。電気を消すと中は真っ暗になり、あの大石田の神社を思い出したが、あの不気味なほど、古く黒ずんだ神田とは違い、新しい為か意外に恐ろしくない。
朝は、寒く冷たくなるころから、出るのがおっくうになる。モチ4個焼いて、ハチミツを付けて食べる。水でもあれば温かい蜂蜜お湯でも作れるのだが、下まで水を汲みに行くのが面倒臭いし、昨夜そのまま寝袋の中に行ってしまう。最近無精になって来た。
下の谷間に温泉旅館が建ち並ぶ。長い階段を下に降りる。旅館の玄関を掃いているおばさん、朝の始まりである。
静かな朝。静かな温泉場。しかし建物群がこの地とはマッチしない。
空は秋空の如く、雲ひとつない青空で、外気は冷たく、吐く息は白い。大塩の集落を出ると、小さな田んぼが続き、その横に川の流れ。所々に黄色に彩った柿。しか渋柿ばかりで腹の足しにはならない。
お陽様が出て、露から白い湯気が立ち昇り始めると、いつの間にか朝霧になってしまった。寒く、手は冷え込んでしまって、ますます冬の到来を間近に感じる。垣よりイチジクの小枝が出て実を付けている。熟してはいるものの、おいしくない。
喜多方には9時に着く。国道121号に出た角に「セブンイレブン」がある。東京だけかと思ったら、こんな所にもある。朝食、パン、牛乳、マーガリンを買う、441円。土蔵を見に行く。大層な庭、屋敷。一体どこにあんな銭があるのやら。手焼きせんべいを見たので、話のタネに買ったものの、100円の値の分しか味しない。
もう一軒、土蔵屋敷があるとか。その方角に向かう途中、神社の縁台で腰をおろし、パンを食べる。寒い朝である。空に高く銀杏の木、小枝いっぱいに黄色の銀杏の実をつけている。落ちていないかなーと探してみたら、誰か拾った後らしく、ない。
郵便局に記念切手を買いに行ったら、25日発売との事。昨日、郵便局員に「明日記念切手が出ますよね」と聞いたら「ハイ」なんて、あの局員、返事したのに・・・。家宅、建ち並ぶ細い裏の路地をぐるぐると回りながら、喜多方駅に着いた時は10時を過ぎていた。
待合室には老爺姿がゴロゴロとしている。朝日を買う、100円。頭がボケているのか、読んでも頭に入ってこないし、尾てい骨が座る位置によってズキンとくる時がある。
11時30分、駅を出て、国道を平行に走っている県道を行く。まだ12時前なのに、試験なのか、遅刻している高校生がゾロゾロ。
ブラブラと塩川を目指す。稲刈り後の田んぼは、去りゆく季節を思わせる。
リュックの荷が片寄っているのか、右肩が痛く張っている。
塩川駅に着いたら、女子高校生がゾロゾロと駅から出てくる。山形よりマシである。可愛い子はいないが、少しアカ抜けしているのが救いである。
待合所に机があるので、表通りにボールペンを買いに行くと、ここにも「セブンイレブン」があり、中に入るとポールサイモン&ガーファンクルの静かな曲が流れ、スエーデンの田舎スーパーみたいな感じである。
ボールペン、牛乳、アイス、203円。駅に戻り、日記を書く。書き始めたのが2時ちょうど。今2時50分である。田舎駅の窓から見る風景は、稲刈り後の田んぼ、空気は澄み、雲一つない青空。まさに秋である。2時54分塩川にて。
塩川より国道離れ右側に入る。刈株が並ぶ田んぼ。山形では稲穂が乾かしてあったが、この地方には見えない。県道か、農道か知らぬが、車がほとんど通らぬので、なかなか歩きやすい。左手遠方に磐梯山が見える。
広い平野にポツリポツリと集落があり、その集落は小さいくせに、神社が3つもあったり、寺はあっても、住職がいないのか、戸は締め切り、埃かぶっている。
屋根の形も変わり、やたらと大きな家が建っている。こんな大きな家に、一体何人家族が住んでいるのか首をひねる。
静かで、人の姿を見ることがない。集落を出ると、田圃の繰り返しで、左手遠くに国道を走る車が小さく見える。道は合っているみたいであるが、地図とは全く関係ない地名ばかり出てくる。
パン120円。明日の分。店があるうちに買っておかないと、よくズッコケて、朝食なしで歩く場合が多いから・・・。牛乳は高いからやめた。
神社が多いから助かると思ったのは大間違い。農家より水をもらって、遠くに見える杉林に行くと神社の戸の作りが全く違う。これでは入れない。
稲刈り後の田んぼに、静かに夕陽が沈み暮れてゆく。
夏の陽とは変わって、静かな紅色で、秋の陽を思わせる。田んぼの中、ワラを尻にして、暮れて行く陽を見る。沈んだ後の西の空は、茜色に染まり、今日も一日が終わった。
ただボケーとしてるだけで、明るく染まった西の空は、段々と色あせ暗くなってゆく。
神社の中に入ることができないので、縁台の前、屋根が突き出た階段の上りに新聞紙を敷いて、寝袋を広げる。
寝袋が良いので助かるが、この先どうなることやら。寝袋の中に入ると疲れていたのか、コトリと寝てしまう。
6時30分頃か。
使用金額:894円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 山形/大塩峠~喜多方~塩川
この13年間、よくこの場を思い出していたが、暗い闇の中、中はスッカリ変って
1979年
昭和54年10月24日(木)
早く寝た為か、早く目覚め、寝袋の中で考え事を。顔を出す部分から冷たい空気が入ってきて、少し寒い。寒い寒いばかりで、まだ暗く、起きる気にもなれないし、寝袋の中でジーッとしていたら、夜が明け「アァー、イヤだな」と出る・・・。
スープ、パンをナベで焼いて朝食を済ます。寒いので座る訳には行かず、立って足を動かしながら食べる。外は露でバッチリと濡れ、陽が出たと思っていたら、いつの間にか霧である。
歩き始めると霧の中、雨が降って来る。七日町から線路を歩き、西会津。クソを垂れ、線路を滝の原へと目指す。いつの間にか霧も雨も晴れてしまう。
線路の中に雑草が生えている。よほど暇な線路なのか、田んぼの中、一直線に走る線路。しかし、北海道とは違う。
リンゴがなっている。見かけは悪いがおいしい。見ると農薬は、台風、雨で洗い流されたのか、付いていない。そのままガブリと喰らいつく。なかなかうまい。半分ほど食べ、よく見ると、小さく点々とまだ農薬が付いている。皮をむいて食べたが、半分食べた分どうなるのか。薬は30%程、精神的作用があるとか。副作用があると思えば、本当は関係ない薬でも、副作用が出るとか。内心「ウン、あの位の農薬は関係無いのだと思い」、歩く。
線路両脇にずらりと立ち並ぶ柿の木。実が沢山ぶら下がる。しかし全て渋柿である。刈った後のブドウ、1キロ程失敬したものの、もう季節ハズレでダメなのか、酸っぱいのなんの、胃もビックリ。しかしせっかく採ったのだからと、がめつく、捨てる事はせず、食べているものの、イヤ大変なブドウを失敬したものである。
11:45AM、上三寄駅に着いて、中の待合室で机がある。休みがてらに、日記を付けるが、駅の事務所からテレビNHK、「昼のプレゼント」の音が流れてくる。こんな暇な駅なのに、待合所は割に大きく、しかも駅員2人。1人でも多いのに、2人である。一体どんなつもりなのか。テレビを2人で見て給料貰って、恩給料でて、駅員、今テレビの民謡に合わせ唄い始めた。平和と言っていいのか、働きが悪いと言ってよいのか・・・。もう、12:45、丁度この駅に1時間居た事になる。さて行くとするか・・・。
上三寄駅にて。
上三寄駅を少し歩くと、道は国道と別れ、旧国道なのか、車の通らない道を行く。右側に深い谷間の川が流れ、大きなクレーンでテトラポットを河の底に沈めている。川の流れは緑。深い両崖。これが渓谷だといった感じである。芦の牧温泉で風呂にでも入るかと思っていたら、共同浴場は会員専用で、一般客は入れないと・・・、バカにしている・・・。
両側から迫る深い山間の参観の崖淵にへばり付くように建つ旅館は、流れる川を下に凄い景観であるが、風呂に入れない温泉、俺には関係ない。
芦ノ牧温泉のトンネルを出ると一軒の店あり。何か買おうかと思ったが、面倒でそのまま素通りしてしまう。しかし、これは間違いの元で、行けど歩けれど、集落も店もない山間。トンネルを出ると、ダム工事のプラントが、谷間に響き渡る。ダンプが小さなアリみたいに川底、山、と走る。プラントから想像すると大きな工事らしい。西松建設の看板。先ほどの店で何も買わなかった事を後悔する。
何時間ほど坂道を上がったのか、左手に桑原駅が小さく下に見える。杉林と畑が見える。畑に大根。大根でも食べるかと・・・。しかし洗う水がない。その畑を過ぎると、大きな家がズラリと並ぶ集落に出た。地図にはのっていない。15軒程しか店屋がない。道路脇に溝があり、野菜洗いの水場に磨石がある。暇つぶしに、ナイフと野戦ナイフを磨く。磨石を水からあげると、石にヒルが付いている。子供の頃、魚獲りに行った時、よく足をやられたが、あの頃以来だから17、8年ぶりにヒルを見るのではないか。
小さな集落には、何処に行ったのか見当たらない。一人足が悪く、身体障害者なのか、全く昔の百姓姿に丸籠を背負ってヒョコヒョコとビッコ引きながら歩いて来る。
昔、ここを通ったはずであるが、何も覚えていない。ただ腹がヘッてしかたがないだけである。道路は深い崖を下に走る。見事な渓谷がどこまでも続く。計算では、今日 、芦ノ牧温泉までだったのに、湯野上温泉まで来てしまう。
湯野上に入る手前に、大内集落民宿入口の看板。6キロ。駅は小さく、こじんまりとしている。普通なら無人駅になるはずなのに、待合室のベンチに座って、何の気なしの時刻表を見ていたら、なんとこんなローカル線に急行が入るのである。もうビックリ。赤字路線に急行・・・、どんな神経しているのか。駅に大内集落の写真があり、ハッキリと思い出す。会津から滝の原間にある事は、以前から知っていたが、集落の名前が分らない。手帳を見たが、書いていない。以前何かに書いた覚えはあったのだが・・・。地図を見ると、国道を来るより別の道あり、残念である。
大内まで6キロ、往復12キロ。夕暮れ、もう無理である。駅でビスケットをバリバリと食べる。さて、どこに寝る。駅前、観光看板地図には鳥居のマークはない。国道に出ると、旅館が並ぶ。共同浴場といった雰囲気ではないし、今頃風呂に入ると湯冷めして、肺炎を起こすのがオチである。
店で、パン、牛乳、クジラ缶を買う、700円。神社の場所を訊く。集落の離れ、ガソリンスタンドの前にあると云う。200メートル程歩くと、集落離れに、風の穴天然記念物の標識が立っている。
神社は見えない。看板を見ると、下郷役場支所裏に地蔵堂の示しあり。裏に回ると、地蔵堂がある。その横にコケむした階段が急に、上を山の中に、築きあげられている。
階段を上って行くと、森の中に破れた建物がある。建っているのではなく、あるである。傾いて、今にもつぶれそう。
登って来る時、役場では、消防服を着た団員が、酒盛りをやっていた。暗くなるまで待って、地蔵が開くかどうか見に行く。
横、正面は新しく、杉板で作られているが、間違いなく、あの時のあの場所である。
見事に閉まって開けようがない。一旦、諦めたが、再度挑戦。鍵を壊せば入れるが、そうはゆかぬし、狭いスキ間より・・・。何としても今夜はこの中に寝たいと言う願いが叶ったのか、パッとひらめき、用具で、2枚の戸を両方ハズし、中に入る。外した戸を中から鍵を外し、また元にもどす・・・。
中は新しい畳に、色々な物で飾り立ててある。掃除して、寝袋を暗い中、敷いて、昔の事を考えたが、全くあの時とは変わってしまった地蔵堂である。
あの時、この地蔵堂、横、正面何にもないガラリとしたもの。泊った翌日は、雨でそのまま一日中ゴロンとして過し、立ち上がると、前の役場の人が見る。それがイヤでゴロンと横になっていた。翌朝、役場の民生員と言う人が来て「病気でもしてるのですか」。
事情を話すと、家に連れて行かれ、子ども達と一緒に朝食を食べた。
あれから13年経って、色々な事があったのに、記憶は薄れ消え。しかし、この地は覚えていなかった。
しかしこの地蔵堂と役場は覚えてるし、忘れる事もない。初めは分らなかったが、役場とこの地蔵堂を見た時、「アァー、ここだったのか」。
この国道121号線を歩いている時、この場を探してみたいと思っていたが・・・、地名は分らないし・・・、無理と思っていたが・・・。この13年間、よくこの場を思い出していたが、暗い闇の中、中はスッカリ変って、昔のおもいはない・・・。 寝袋の中に入って何を思う。
使用金額:950円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 塩川~七日町~西会津~上三寄駅~芦ノ牧温泉~湯野上温泉
この会津線で一番大きな駅と云っても
1979年
昭和54年10月25日(木)
夜が明けた薄暗くお堂の中、朝の外気が冷たい。牛乳とパン、最近味わう余裕がなくなってきたみたい。静かな朝、お堂を出る坂を10メートル程下がると国道である。早朝の為か、まだ車は走っていない。
集落離れにガソリンスタンドがあり、ドアに新聞が挟んである。福島新聞と読売である。読売の方を失敬。深い谷間の渓谷も弥五島まで来ると広くなり、稲刈後の田んぼが見えて来る。
新しく建てられたばかりの弥五島無人駅に行く。建物は新しいのに、中はゴミが散り、ドアははずれ、便所は汚い・・・。
この集落の住人、性が知れる。赤字路線の自分達の駅ぐらい自分で守れないものかと思った。エテしてこんな連中に限って、赤字路線の廃止となると、反対、反対。自分の都合だけ。汚れたベンチに腰かけて、読売を読む。
小さなホームにディーゼルカー。別に観光客が来るわけでもなく、ノンビリとした北海道とはまた、一風変わった風景である。
線路を歩く。鉄橋を渡り、次はトンネル。ひとつ目はよかったが、ふたつ目に約300メートル。それにカーブしているので、光が入って来ず、真暗である。始めマッチで歩いていたが、これで列車が来たらアウトである。危険な事は止めたほうがよい。引き返し、約2.5メートル程の高さから、まず紐でリュックを下す。この高さの崖から飛び降りると、ズキーンと尾てい骨から頭に。中原駅、下郷町の中心と言っても小さな駅。待合室に柿箱、リンゴ箱を輸送に出す人たちでゴロゴロとしている。
柿は分かるが、はてリンゴとは。駅前、下郷町案内看板を見ると、川の反対側にリンゴ園の示しがしてやる。丁度、リンゴを食べたいなぁーと思っていた時でもあるし、下郷から田島21キロ、地図では・・・、これでは峠を越える時、中途半端な距離になるで、今日はチンタラと歩くつもりである。
国道から離れ、川岸の向うを歩くのは遠回りになるが・・・。まぁこれもリンゴの為。切手代、600円。
橋を渡り、反対側に橋の上から、川の流れる川下を見ると、渓谷の岩。両側から紅葉した樹木の小枝が枝垂れかかり、一辺の日本画で、その風景をひとりの腰の曲がった老婆百姓が見ていた。
集落の中を通り、道は田舎道。クネクネを曲り、国道より気分的に歩きやすい。どの辺にリンゴ畑があるのやらと、目をキョロキョロ。目指す物が前に紅色してブラ下がってるが、人がいる。これでは話にならない。民家の建ち並ぶ道路を歩いてもしかたがないので、線路を歩く。単線のレールの間に雑草が生えている。
線路ワキの民家裏に、リンゴの樹が3本、雑草の上に立っている。手入れをしていない樹らしいが、数個のリンゴがブラ下がっている。大きい奴を取ったが、半分は虫が入っている。しかし溶けるような蜜のようなとでも云うのか、甘い香りに舌触り。蜂が寄ってくる。4個失敬したが、残りは、色は紅に見た目はよいが、味は酸っぱい。粒は小さい、熟していないのである。それでもないよりまし。レールの上に腰を下し、新聞を広げ、リンゴを食べながら秋の味覚? 朝は冷え込み寒いが、陽が昇って来ると、のどかなポカポカした秋の陽射しである。
雑草の生えた線路、茅葺屋根の農家。列車は殆ど通らない。こんな線路で乗れる奴は・・・、誰だ。こんなリンゴでは話にならない。もっとよい品があるだろうと先に。しかし、雑木林、杉林だけで。会津落合駅、待合室だけの無人駅・・・。
小さな集落、こんな所、俺みたいな野郎は来ないであろう。駅前の店で、牛乳。牛乳はないので、1リッターHiC、250円。HiC、ビスケットを口にしながら新聞を読む。待合室の中は寒いので、ホームの縁に座る。
HiCはコップに入れる。いつもは口づけで飲むのに、この時に限り何故だかゆったりとコップで味わってみたい気持ちになる。
秋の陽は心地よい。ホームの縁に腰掛けても、この暇なローカル線、列車なんか来ない。
コップで飲み、味わうジュースが何故だかうまい。
待合室に戻り、荷物をまとめ歩く用意をしていたら、一見、水商売風の中年姉さんが
「どこか山に登ったの」
「イヤ、銭と暇が余っているので、歩いてるだけですよ」
46才、下郷でスナックをやっているとか。田舎にしては、スラリとした体に脚をしているが、腹、腰回りには贅肉がタップリとついている。
「私はネ、これでも東京の学校に行ったのよ」
「私、公明党員、千両役者は後から出て来るの」
これを、話の合間に連発する。
田舎の人にしては、頭が軟らかいのか、冗談が通じる・・・。
リンゴもないし、国道に出るかと国道に向かったら、国道は線路から遠く離れている・・・。あんなに遠く歩くぐらいだったら、線路を歩いた方がよいと、また線路をテクテク。クソでも垂れるか・・・と、栗の木林に登ると、蛇がニョロニョロと出て来る。イガを投げたら木に登った。こんな所でおちおちクソなんか垂れていられない。
杉林を抜け出ると田んぼ。夫婦が2人で何やら一緒に働いている。「こんにちは」と、声をかける。夫婦2人で、一緒に働いてる。こんなイイ事はない・・・。
線路横にブドウ畑。もう狩り済んだ後・・・。広いブドウ園の中だけ、白い紙袋にした物が沢山下がっている。もしやとカミソリを取り出し、鉄条網をすり抜け行くと、これはまた、見事なブドウ。
巨峰によく似たブドウの房。アァーなんと言っていいのやら。向う側でトラクター、農作業中。そんな事、俺は知らぬ。いかにも俺はここの持ち主だと云った感じで、房を切り取るが、そんなに沢山食べられるものではないし、持てるものでもない。残念であるが、足りる分だけで我慢する。
リンゴはなかったが、このブドウに出会った事に気分爽快。陽は暖かく、正にこれ、秋の味覚なりと、葡萄を口に投げ入れては、プッと皮、タネを吐き出す。これがまたイイ。それにブドウの粒、色、宝石はガーネットに似て、食べるより、指輪、ネックレスでも作りたい程の見事なブドウ。
そして前方には、田部原無人駅。その近くの民家裏にも、同じブドウを見る。これは覚えておかなければ・・・、と思う。しかし、どんなに美味しい美しい物でも、腹いっぱい、かがむとノドまでブドウが出てくるまで食べると、ウンザリする。
次は田島であるが、地図の21キロ、距離数が間違いである。
田島近くまで来ると、5人百姓姿のおばさん、その中で一番大きく、俺でもケンカしたらブッ飛ばされそうな50才のおばさんに、「お茶でも飲んで休んで行け」と、声をかけられる。
今から稲こぎまで機械が来るのを待っているとか。5人のおばさん連中が持ち寄った大福。生菓子、梨、日光の菓子、ピーナツ、そしてバナナ、ブドウ。相手は勧めるが、俺はイイエ結構です。
「遠慮しなくてもいい」と、相手は言うが、決してそうではない。特にブドウなんか差し出された時には、もうウンザリ。
夏になると、よく俺みたいな連中が通るとか。今年の夏、旅館に風呂に入らせてくれと来て、夕食を食い、無料で泊まっていった奴がいると・・・。
それにこの田島、日本十大祇園祭あり、7月19日から21日、香師270軒程来るが、今年の夏、フランス人が来て(私は日本を周っていますが、旅費がなくこの絵を売っています。)の紙を出して、売っていたが、そのおばさん、偶然見た所によると、そのフランス人、商売の時は全く日本語は知らぬフリ。しかし、夜、香師達とベラベラ日本語しゃべり、絵はガリ板。後でチョコチョコと絵具を塗るだけ。それが珍しさもあって、飛ぶように売れていたとか・・・。
こんな外人を知っている俺は、この話を聞いた時、嫌な気分になる。しかし、日本人もヨーロッパで同じ事をやっている・・・が。
機械が来たので別れ、駅に行き、待合所の机で日記を書く。この会津線で一番大きな駅と云っても、二日市より小さい待合所は、帰る学生がゴロゴロ。駅員が女子中学生をからかっている。女子中学生、キャーキャー言って笑っている。健康的だと思う。
2人の男、切符をは払い戻しに来たが、会津で印を入れなかった為、出来ないとか、ガヤガヤ言っている。東京から、理屈っぽい男である。
夕暮、駅を出る。線路2人駅員。列車の入替え中。2人ともあどけない顔、若い。「タバコをくれる」ブドウと物々交換。ブドウ一房にタバコ1本。約1ヶ月ぶりのタバコを吸うと、クラクラと頭に来る。
線路と道路が並行になり、国道に歩道があるので、歩道を歩く。段々と暗くなり、中荒井の集落に入った時は、夕食の支度か、プーンとおいしそうな香りが流れて来る。
この香りを鼻にすると、いっぺんに歩く気力をなくす。
中荒井無人駅。ボロボロに壁は崩れ落ち、元事務所は、埃と散った雑物で寝れそうにない。狭いベンチに寝るしかない。
トウフ、ラーメン、ししゃもの天ぷら、450円。大枚200円もしたししゃもも、全くおいしくない、損した。
最終19:24、ゾロゾロと女子高校生が降り、プラットホームに立っていたら、列車内の女子高校生達、俺を見て何やらささやきあっている。
真夜中、レールの間にクソを垂れる。外気は尻を冷やす。ブルブルと震える。見上げる夜空の星は美しい。
久し振りに星を見た。
使用金額:1300円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 湯野上温泉~弥五島~下郷町~会津落合~田部原~田島~中荒井
地図にのっていない三依に来る
1979年
昭和54年10月26日(金)
中荒井駅、戸がありはしない。ベンチは狭く丸いので寝返りをする事ができない。
ショボショボとした目。ラーメンを食べ、駅を出る。毎朝、寒く、手は冷たく痛い。昨日の店に、2刊新聞、朝日を失敬。朝早く、牛乳、新聞配達の人が道をクルクルとしている。大きなな農家の民家は、“表かぶと”と云うらしい・・・。
幾程歩いたか、左手にリンゴ園あり、少しまだリンゴがなっている。まだ朝早く、誰もいない3。個失敬する。その横にリンゴ直売の小屋。多分、朝から人が来て、商売するのであろうかが、これまさに、三文の得である。
朝の冷え込みで冷たくなったのか、冷たいブドウを食べながら歩く。元の腹に戻ると、また一段とブドウがうまい。食べ終わり、ブドウがなくなると、もっと採ってくればよかったと後悔する。通学する子どもは、恥ずかしそうに「こんにちは」と言う。「おはよう」と俺。道路脇に2匹の白い山羊。一匹の白山羊に、4個残っていたブドウをやろうとしたら逃げた。もう一匹は、実にうまそうに食べ、食べなかった山羊は、残念そうに他の山羊を見ている。
失敬してきたリンゴを半分に切ってやると、これもガツガツと食べ、味わうと云うより、腹に押し込むといった感じ。警戒したもう1匹は・・・。しょぼくれている。
エーン、ザマーみろ、お前は俺を疑い警戒したから、何もない・・・。しかし、まぁタダだし、、鼻の頭に出すと、今度はこれを期を逃しはしないと・・・、ムシャムシャと食べる。
真直ぐ行くと尾瀬である。尾瀬にも行ってみたいが・・・。もう寒いし時間もない。道を鉄道橋の下、左に入る。道は完全舗装である。両側から山が迫り、山肌は紅葉し、それがジュウタン、カシミール、カーペットを連想させる。谷間に流れる、沢の水は澄み切り、清らかさを与える。
正面は谷が奥深く続き、その谷間には紅葉とカラマツ林が広がる。ちょっとスイスの片田舎といった感じである。車が少ないのが助かる。ポツリポツリとドライブインが建つ。峠の茶屋手前に小さな集落があった。一体どんな暮らしをしているのか。こんな山深い所と思ったら、昔に比べると大変な違いではあるかも知れぬが・・・。道路工事中、その横に新しい家、その陰に山王峠の茶屋があった。この峠の茶屋は覚えている。あの時は、この傾いた茅葺茶屋だけであったが、今はその横に新しい住いを建て、そのコントラストはチグハグである。
これがヨーロッパであるなら、この古い茶屋の横にこんな酷い建物の許可は与えないであろうと思った。
この新しい建物の為に、せっかくの一枚の絵がダメになってしまっている。
峠の茶屋から100メートル程行った所に、沢から流れる流れがあり、その水でリンゴを洗い、ガブリとカブリつく。カリカリとリンゴは鮮しい音を立てるが、音をたてる程、味ははよくない。
それでも、晴れた青空に、峠を越してしまった紅葉の彩、あせかける小枝の枝垂れ。サラサラと流れる水の音を聴いていると、不思議とゆったりした気分になる。沢の溜め水に小さな魚が泳いでいる。この沢の水はそのまま飲めるであろう。新聞を広げボンヤリとする。もう昔の道は残っていなく、舗装されてしまった道。それにまた、新しい取り付け道路工事中であった。
道がクネクネと曲り、上って行く。紅葉した山肌は、八幡平ほど鮮やかな色彩はないが、それでも違った美しさがあり、カーペットが常に頭の中に浮かんで来る。
登って行く坂道を振り返り見ると、いま来た道の遠くまで、山と谷が長く間を降り、見える。
山王峠に着いて、福島、栃木県境の表示板。
峠を下り、テクテクと足は軽いが、日記が気になる。
水の流れが反対になり、相変らず人のいない沢の水は、澄み美しい。峠を下りて来ると、畑が見え出す。集落があるのか、谷間の猫の額ほどの畑に白菜と大根。秋の味覚、大根でも味わうかと・・・、道から上の畑に登り大根を取ろうとしたが、根は深く土中の中。見た目ほど、大根1本失敬するのも楽ではない。手で畑の黒い土を掘り、1本抜き取り、沢の水で洗うと真白い肌を現す。沢の水、マキはあってもたき火をするような場所はなく、そのまま、リュックの後ろに下げ、下まで歩いてくると、沢の小さな橋の横に丁度よい小石原の場所あり。
石を築いて、リュックをヒックリ返し、中身を全部出す。大根1本食べるもの楽ではない。皮をむき、切って火にかける。濡れたナイフ等は、(アクがナベの上に)置いた。火はなかなか燃えない。焚きが湿っているのである。
モクモクと白い煙を上げるだけで、機関車ではあるまいに、フーッと吹いたり、あおいだり、その横を時々、車が通る。
クラクラと湯がたち、ラーメンのスープを2個入れ煮込む。その間、新聞を広げ、隅々まで読み終え、暇つぶしにビスケットをパクパク。腹がへっていると、なんでも、腹の中に入ってしまうが、この旅が終わったら、絶対にビスケットを食べない・・・。
茶色になった大根、まず、ひと口。なかなか、うまい。不思議な味がして、パクパクと食べる。しかし、中途から味わうより、腹を満たすために食べるといった感じであり、その後は、捨てるのがもったいないという貧乏根性で食べる。もう、こうなると、おいしいというものではない。もう、ウンザリ。
大根1本食べるのに、こんな苦労するとは、夢にも思わなんだし、今度は、白菜に挑戦しようと思っていたが、これは考慮したほうがよいのではと・・・。
この沢の場所に、2時間ほどいたが、ノドが渇き、そのまま沢の水を飲む。うまい水である。
荷物をまとめ、歩き始め、集落に出る。狭い所に、集落、小さな学校あり。右手に接道建設の工場あり。こんな山の中に、莫大な費用をかけ、赤字路線をつくる連中の気が知れぬ。モチロン、裏金を取るためであろうが、同じやるなら、病院とかをつくればよいものを。
大根の入った腹を抱えて、樹林深い道を行く。家なく、これで車が通らないであるならば、大変けっこうな、静かさで、右手に流れる清流、渓谷、紅葉、人はいない。奥入瀬に似ている。
サテ、地図には「横川」。これは、先ほどの集落であろう。それから川治温泉まで何もない。昔、ここを通った時、峠から川治内、途中、神社に泊まった覚えあり。ひなびた集落の店屋で、飯合ご飯をたいてもらった覚えがある。しかし、それがその何処であるか知らない。もしかしたら、もう、ないかもしれぬ。樹木が続くだけ。
10件ほどの集落に出ても、店屋はない。大豆畑で、一応の食料として大豆を失敬する。乾いた皮をもみほぐし、コップ半分ぐらいの豆を取り出す。これだけあれば、けっこう、腹の足しになる。
渓谷の流れの川底は岩であり、所々に、流れ落ちる滝。そして、溜まり水は色、秘密、神秘的で、ヒスイ原石の色を思わせる。
地図にのっていない三依(みより)に来る。割と大きく、店屋も10件ほど。この三依まで来ると深い谷間の夕暮れは早く、学校帰りの小学生、俺を見て、
「あれはなんだ、乞食か」さすがに、この言葉を耳にした時、腹がたった、ウン。
この三依集落離れに、中学校バス停あり。寝所といえば、もうここしか、見当たらず。もう少し先に行って、なかったら、ここに引き返すことにして、1キロほど先に行ったが、杉林の中に祠あり。それを屋根で囲ってある。とても神社とはいえた代物へなない。しかし、もう他に場所がありはしない。狭い幅1メートル、高さ縦2.5メートル程。賽銭箱をズラし、新聞紙を敷いて、その上に寝袋を広げる。本当に気持ち程度の屋根があるだけ。これで雨が降ればいちころ。夜露を防げるだけましである。
今日は、畑の物ばかり失敬して、一銭も銭を使わず。
使用金額:0円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 中荒井~山王峠~横川~三依
パッと決心する。引き返して取りに行こうと・・・
1979年
昭和54年10月27日(土)
真夜中、左脚の痛み、しびれに目覚め、眠る事ができない。どの位置に寝返りしても足の痛みと痺れは続く。それに寒い。別に戸があるわけでもなく、全く外に寝ているのだ。ただ体が台の上にあるから、地下から熱を取られることがないのが、せめてもの救いである。
しかし寒さと痛さで目が冴え、寝袋の中が温まってくる。銀紙を覆わせたが、これは一時しか持たないい。それ以上は熱をシャットアウトする為、内側に水滴ができ、かえって悪い。そんな事をしている内に夜が明ける。
歩きたくないが、そうはゆかない。日記は付けていないし、川治まで16キロ程か。今日は川治温泉でも泊まってゆっくりするか・・・と思う。
新聞紙と杉の小枝を燃やす。杉の小枝がパチパチと燃える。静かな朝、冷たい手、いつも軍手を買おうと思いながら、コロリと忘れ、朝の冷たさにいつも思い出される。
珍しく車が止まって、「乗って行きますか」
「歩いていますから」
本州に入って5台は止まったか。北海道では、毎日のように止り、多い時、日に5台程止っていたが、本州に入ってピタリとそれが終わる。どこにこの人間の違いがあるのか・・・。
冷たく体はダルク、脚は痛いし、歩くのが苦痛である。右側に濁った水の五十里湖(いかりこ)。茶色の光はどうしてか。駅から流れる水は澄み、美しいのに・・・。
腹がヘッて店屋はなく、昨日の大豆を取り出し、小さな地蔵様の前でナベを取り出してガク然とする。
ナベのフタがない。ない。あの時、大根を煮た時、忘れたのである。もうガックリ。非常に気に入っていたナベのフタである。引き返すにも、もう20キロ近く来ているし、諦めるより他に方法がない。車だったらすぐ引き帰しただろうに。炒った大豆も、なんとなく味っけない。炒った大豆をポケットの中に入れ食べながら歩く。
しかし、フタの事が気になり、増々、歩く気力がなくなる。五十里湖台が見え、その下に売店があるが、別に食べる物はない。あっても俺の銭に合うものはひとつもない。
大きな橋を渡り、T字路。右は湯西川。左は川治6キロ。坂道になると脚はガクガクと震えて来る。疲れなのか、空腹のせいか、橋から500メートル程の所にドライブイン。その斜め向うに、沢から水を取り溜めているタンクあり。そのカーキー色に染められたタンクから、水がこぼれ落ちている。その水を汲み、橋の横でお湯を沸かし、最後の蜂蜜を入れる。熱いコップを両手で持つと、冷めていた手にジーンと来る。冷の為、指の動きが緩慢になっていた。暖かくなった指は、次第に動くようになり、温かい物を口にしてホッとしたのか、以前より気分的に楽になる。
五十里ダムを最頂点に道は下り始める。道が大きくカーブした左手、杉林。そこから真下に川治温泉街が見える。この場所は、変わってしまっているが覚えている。
ここから下を見下し、飯ごうの飯を喰った昔。今日、飯の代わりにクソを垂れる。
杉林の中を通り近道をする。国道に出る。温泉街はとてもじゃないが、俺が泊まれそうな雰囲気ではない。たいそうなホテル、旅館が建ち並ぶ。ひなびれた湯治湯場とは・・・。日記が2日分溜まっている。どうにかしないと・・・。米屋で神社の場所を訊く。山の中腹、スープ、牛乳、パン、毎日新聞、730円を持って、遊歩道を上って行くと、鳥居に階段。階段の右横に小屋が建ち、水槽、沢からの水が溢れている。
急な階段を上って行くと、モルタル造りの家。アルミサッシ窓、建物の中はゴザが敷いてあるだけ。新しい寄合所みたいな感じである。その後に、何やら狐らしき物を祀ってあるが、建物の中には何もない。一カ所だけ窓のカギが外れている。
水はあるし、寝るに最高の場所である。川治に着いたのが、午前 11:30である。
食料買って上に上がり、まず腹ごしらえをしない事には話にならない。フランスパン、スープ、牛乳を腹に満たした時、さすがに安堵する。新聞を読む。スープを作る時、思い出すナベのフタ。どうも、もやもやとする。
新聞を読んでいると「声」の欄に、秋の読書、秋の旅があり、「旅はゆっくりと余裕を持ってしたいものである」と。これを読んだ時、パッと決心する。引き返して取りに行こうと・・・。広げていた荷物をまとめ、パンは中に置いてリュックは背負う。まんがいち、途中になったら困るし・・・、盗まれたら・・・。あの場所まで、ヒッチで行き、またヒッチで帰って来ればよい。
まず街離れで、両手で車を止める。小型トラック。川俣へ行くトンネルまで約4キロ・・・。それから左側を歩きながら、後を見つつ車を見るが、見物人ばかりの乗用車。止りそうにない・・・。こんな事だったら、初めからあの時、気がついた時点で・・・と、思いながら歩く。車は知らん顔をして行く。埼玉ナンバーの男、イヤイヤと思った。
車が走る瞬間にそれを感じる。まだまだ腕は落ちていないが、日本のヒッチハイクはヨーロッパとは違うから、少しやりづらい。さすがにヨーロッパは合理的である。2キロ程歩いて、分岐点の橋まで来た時、橋の前広場にトラックが、後ろに並んでいる車両を追い越させる為に止まって、ウィンカーが俺と行く方向が同じ。乗せてくれるようゼスチャーをしたが、相手は無視したような顔をしてダメだと言う。
この先に集落は2、3しかないのである。車が出ないよう前に立ち、「忘れ物をしたから」と説明し頼むと、相手は折れ、乗せてくれる。
しかし、忘れ物と云っても、ナベのフタとは言えない。たったフタを取りに行くなんて言ったら、気違いと思われるのがオチである。
同じ道を車で引き戻る。車の中からそれを見ると、本当にこんなに長く歩いて来たのかなーと感心する。歩けば歩くものである。一日かかる道を、車で30分程で行ってしまう。不思議な錯覚を受ける。
昨日焚き火した場所で、車から降り、沢の小石原に出ると、フタが哀しそうに横たわっているように見えた。取り上げると、フタが喜んでいるように思え、やはり来てよかったと思った。
もう来てしまったのだから・・・、どう騒いでもしかたがない。プラプラと気楽に歩く。集落に入る手前の広くなったカーブ、トラックミキサー車が来る。両手で止める。
まだまだ腕は落ちていない。国体でもあれば・・・。トラックは無線付き。運転手は、今、美人を乗せたと言っている。ラジオから流れる相手は、「羨ましそうな声で、うまくやれよ・・・」。
何故、川治まで行ったのに、引き帰してまた川治に行くのか、説明するのが簡単なようで難しい・・・。それに、徒歩日本一周といっても、相手にはピーンと来ないであろう。
やっている当の本人がピンと来ないのに。また例の橋で別れる。
今度は小型トラック、露天風呂の話をしていたら、川治の露、6~10時まで。中年婆さんばかりだが、12時から、仕事上がりの芸者が風呂を浴びに来るとか。ウン、これは大変ですよ。これは・・・。
鬼怒川まで行くと、運ちゃん。イャー、これ以上乗ったら大変な事になる。
神社に上がり、日記25日分を書く。途中で暗くなる。建物の中に入ると、神社の雰囲気がなく、おまけに電気は点くし、もう言う事なし、最高である。
日記を付けていたが、明日もここに泊まり、日記、手紙、縫物をするつもり。今夜はゆっくり風呂に入って・・・と、日記は中止。洗面具を持って暗い山道を下りて岩風呂へ・・・。
露天風呂は、ゴツゴツと突き出た岩の川向うにあり、仮橋を渡って行くと、混浴でも、バアさんでも婆さん。よろよろとした湯のぼせ・・・。子供達は浮袋でバチャバチャ。
湯は澄み、大きな石に荒砂、なかなかよい。横に小さな風呂と洗い場あり、俺はそっちに移り、ひとりゆっくりとつかり、溜まっていた垢を流すと、サッパリする。
止る時、4人の男が来て、5分程湯に浸かったが、すぐ上がる。その中の1人が、ひとりのおばさん、40過ぎの前で、わざとフラチンしている。おばさんは土地の人、男は他者・・・。こんな連中が来るから、困るのである。どうして日本人は、群を組むと、こう馬鹿なのか。しかし、おばさんも、歳なのかそれとも内心は喜んでいるのか、平然としている。湯上がり、ロング缶ビール2本。明日分、スープ、牛乳、ラーメン。また暗い山道を登り、別荘に帰る。窓から出入りは不便であるが、何せタダ、贅沢は言えない。
ラーメン、ビール、これがうまい。実にうまい。こうして寝る所も確保し、安心して飲む湯上がりのビール・・・。新聞を丹念に読む。電気を消して、今度は12時に行くのだと、洗濯物、ろうそく、ライターなどを袋に入れ、寝袋に入る。ウツラウツラとして、時計がないのではっきりと分らぬ。外はまだ、こうこうと灯が・・・。ああー、面倒臭い。芸者なんかどうでもいいわと・・・、行くと、誰もいない。静かで大きな岩風呂にひとり、これはまた最高。
向いのホテル2組の馬鹿な野郎、双眼鏡で見ている。まぁー馬鹿というかなんというか・・・。その方をジーッと見ていたら、1組はカーテンを閉めた。男2人女1人が風呂に来て、女は別の小さいほうに入った。洗濯をして風呂を出ると、彼らに時間を訊くとなんと午前1時30分だと。神社に戻り、またビールを飲む。
使用金額:1640円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 三依~五十里湖~川治温泉
よく考えたら墓場で寝ることになる
1979年
昭和54年10月28日(日)
今日やっと、昨日分までの日記を書き終えたところ。そして下の国道には2時間ほど前から、行楽客の帰る車の数珠つなぎである。
もう書きすぎて頭がおかしくなるし、手はだるいし・・・。
朝、寝袋の中でぼんやりと目覚め・・・。
考え事。今日の一日はまず朝食。日記を書いて、手紙を書いて時間が余ったら縫い物をして、夕方買い物、食事後風呂。しかし今日は日曜日だから。人が来ているかもしれないなぁ。中にいるより外に出ていたほうが良いが・・・、なんて考え、寝袋を出て、穴を縫おうと針を持ったら、向こう側のドアに、ニューと、おっさんが現れる。まぁお参りにでも来たのであろう。しかしガチャガチャと鍵を開けている。そしてガラス越しに見るその顔は、怒りかソースか、引きつった顔。万事休す。
俺は開き直り、そのまま針を持って相手が入ってくるまで待つ。本当の話を話すだけ。今日は9時に大勢の人が来るから出て行ってくださいと、ひきつった声。「ハイ」と俺は素直な声。
アァーガッカリ、ナベを洗っていない。どうせ明日も使うからと、洗わなかったが、昨日あの時嫌な予感がした。俺の嫌な予感、不思議なほど当たるのに、イイ事はチットモ当たらない。
昨日この場所に来た時、これは神の導きであると、本当にそう思ったのに、夜が明ければ、一転して奈落の底へと・・・。状況は変わってしまう。あぁー、セ、ラ、ビー。
荷物をまとめ、食物を持って、テクテクと風呂場に向かう。昨日洗濯した時、洗剤を忘れたのである。ついでにナベを持って行く。洗剤、なくなっていた。
中年のおばさん、じっさん連休が朝風呂。それをホテルの窓から見ている馬鹿ども。見たかったら風呂に入りに来れば良いものを・・・。
ナベを洗って歩き始める。日記、3日分溜まっている。忘れないうちに何とか、付けておきたいが、場所がない。アァーついていないなーと思いながら歩いていたら、川治から2キロほどのところに、川治霊園墓場があり、そこに休憩場。ベンチ5個にテーブル1個、墓場の横と思ったが、今更贅沢は言っていられない。
まずスープを作る。朝食、パン、牛乳、スープ、なかなかピクニックである。荷物を全部取り出すと日干しする。洗濯物もヒモにつるす。
山の中、下に国道、車が騒がしくとる。日曜日の行楽客・・・。まず青空のポカポカとした陽の下で、のんびりと日記をつけていたが、書いても書いてもと、追いつかない。
その内、腕は疲れるし頭はおかしくなるし、疲れると、気分転換にジーパンを縫ったり、食べたり、休憩の暇なく、ぶっ通しである。
もうさすがにウンザリ。昨日の分までの日記をつけ終えたあら、もう陽は山の向こう側を沈んでしまった後で、くらい雲が出てきて、なんだか昼とは違い雨が降りそう。
今夜はここに泊まるつもりなのだが、嫌な予感がする。
もう薄暗くなり、あと10分もしたら暗くなり、字を書けなくなるであろう。
今日一日中ここに座って、書いてばかり。銭を使わなかったが、暇つぶしに畑の白菜を失敬してラーメンのスープに煮て食べたら、腹いっぱいになった。
この休憩所、6本の柱だけ、周りに何もないので、雨が降って風が吹いたら、万事休す。もう歩くことも何もできない。ただ墓の霊の皆様方に、雨が降らぬよう祈るのみであるが、よく考えたら墓場で寝ることになる。墓場は初めてである。これもよかろう・・・。
まだまだ行楽客の車は、ノロノロと数珠つなぎ。うれしいね・・・、車なんか、生意気に乗りくさりやがって。歩け、若いもんは。
使用金額:0円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 川治温泉
「山はイイわ、話し合えるから」
1979年
昭和54年10月29日(月)
昨夜、雨が降るのではないかとベンチを二段に重ね、その上にポンチョと銀紙を覆わせ、雨避けにする。しかし、期待に反して雨は降らず、喜んでよいのか、悲しんでよいのか・・・。
渓谷の底から、ザァーザァーと流れる清流の音が、夜の闇に響く。時々忘れた頃に車が、ガァーガァーと来る。二重にしたベンチ、狭いが、贅沢は言えないけれど、寝づらく深く眠る事ができない。遠くに立つ道路の外灯の灯が、この墓場の休憩所まで薄く光が届く。もしこれが真暗に、ザァーザァーと流れる音がなければ、色々な事を想像、こんなに落ち着いていられないはずである。
夜が明けると、空は雲で覆われているが、雨が降りそうな気配ではない。寝袋の中で、出よう、イヤもう少しの戦い。寒いだけでこんなに人間の心理は影響されるものか。
しかたなく寝袋から出ると、冷たい外の空気がヒヤリ。それでもいつもよりは暖かく感じられる。
昨夜、食物は全て胃の中に押し込んだので,朝は何もない。遠くから学校のチャイムが鳴り響く。たぶん7時だろう。国道から竜王遊歩道。一旦、国道から引き返し、発電所の方に下りて行く。よくは分らないが、道は渓谷に沿って通っているので、まぁー行けるのであろう。もしだめだったら引き返せばよいと森の中を行く。なんでも、立看板説明には、今から250万年前にできた断層だとか。
ブナ、カエデ、ケヤキ類の森の小路は、朝の散歩には最高である。あの時考え直してこの道を選んでよかったと思った。渓谷に沿った道、流れの音を聴きながら、紅葉した道を歩き、誰もいない静かな世界で、所々に作られた木造のベンチ棚が実によい。
どれ程歩いたか。渓谷の奇石が現れ、これが250万年前の断層らしいが、なかなか水墨画的で風流な景色であるが、何故か、水が土色に濁っている。
森の中にコンクリート造りの公衆便所が現れ、その横にボロのポンコツ茶屋が現れるが、閉まっている。
水があるので、こんな静かな森の朝の中で、お茶でも作って味わい、一服したいと思ったが、お茶を切らしている。誠に残念である。
モミジの葉はまだ緑である。緑と紅色、八幡平のような目の覚めるような色鮮やかではないが、気に入った遊歩道である。
もっとも、大勢、人が通るなら雰囲気も変わるであろうが。閉まっている茶屋の台の上に、少女マンガ2冊。久しぶりにページをめくると、おもしろい。内容はたわいもない事だが、頭を軽くするにはよいが、読み過ぎるとおかしくなるけど。
木造の小屋に、巨木から取った板のテーブルが古ボケ、素朴でこの森にマッチしているが、公衆便所は・・・。
マンガを2冊も読んでいると、体が冷えて来て寒く震える。最後は寒くてイライラしながらページをめくる。深い森の中の、樹の小枝の間より射して来る木漏れ日。何か凄く新鮮な気持ちになり、ただお茶がないのが悔しい。森の小路。秋の落葉を見ながら、道の向側で誰かゴソゴソと腰をおとしてやっている。
ババさんみたいである。クソでも垂れているのかと、ソーと近寄ると、一輪車に缶、コーラ、ジュース、酒を積んでいる。「こんにちは」と声をかける。先ほどの小屋のおばさんである。
「大変だけど、どうです」
「イヤ、わたしゃこれしか能がないから」と、明るい声である。
「夏と紅葉の時しか、お客さん来ないけれど、いい所でしょう。ここに居ると長生きしますよ」
別れる時、おばさんが言った、「山はイイわ、話し合えるから」が、素直に自分の心の中に飛び込み、印象に残る。ああー、あのおばさん、本当にそう思っているのだなぁと思う。
滝、紅ノ見橋に出ると団体客がウジャウジャとしている。橋の上から奇岩の渓谷を見たが、人が騒がしく、今までの静けさが嘘みたいにガラリと変わってしまい、嫌になる。
その滝から上に登って行くと、竜王渓谷の駐車場で、大きな広い駐車場の周囲には、おみやげ屋が軒を並べている。あれだけの人が滝と橋から渓谷を見るだけで、誰一人として、この素晴らしい小路を歩こうとするものが、一人もいないことが不思議である。
騒々しい連中に出会って、最後が苦しくなってしまった。国道に出ると、観光バスが登坂道を排気音、ガスを撒き、いなり立てながら走って行く。今までのあの森の静けさが嘘みたいに、一瞬にして別の騒音の世界に入ってしまう。
2キロ程歩いたか。藤原町、左手に塩谷町に行く県道の示しあり、まず食物。パン、古いが他にないのでしかたがない。牛乳、テンプラ、そしてお茶、300円。計890円。
まず鳥羽ノ湯を目指して山を上って行く。深い山道はクネクネと曲り曲って、上へ上へと続き、家なく山は秋の彩り。下に清流の渓谷。これまた、憎い程、歩きやすい道である。
たとえ登り道であっても、道幅狭く、殆ど車が通らず、行く道途中いたる所、沢の流れ。
岩を流れ落ち、水は澄み、夏でない事が残念である。
昔、よくこんな風景の場を旅する姿を見たが・・・。これまさに理想の道である。沢を流れる清流、岩場で休憩。パン、牛乳、休みやすい所なのか、空缶、子供弁当の空箱。これを見て腹が立つ。子供用弁当、空箱だから子供連れなのであろう・・・。
なぜ、一緒に持って帰る事をしないのか。この子供は、また親と同じ事をするであろう。
杉林が上へ上へと続く。非常にイイ所である。牛乳の空箱と一緒に、この子供用弁当空箱を燃やし、残り火ない事を確かめ、小便をかける。
自分の親父の事が頭に浮ぶ。俺の親父は何も教えなかった。
峠に着いて下りかと思ったら、深くはないが上ったり下ったりの続く道で、藤原町、塩谷町境
に来ると、道がガラリと悪くなるが、俺にはこれの方が情緒があってよい。
ポツリポツリと開拓集落の家が現れるが、家と家の間は遠く離れ、空家も目につく。
このポツリポツリとある開拓家を見ていると、大変だなと思う。こんな辺鄙な所、バスなんか通っていないし、冬はどうするのか。今は車があるからよいが、20年前なんて大変だったろう。道路横にある湧き水を汲み、石を組み、お茶を作ったが、思ったほど焚木がなく、集めるのが大変だし、飲んだ後の黒く焦げたナベを洗い落とすのが一苦労。お茶一杯にしては、全く割に合わない労働であるが・・・、最高の贅沢だと思う。
しかし、こんな風に思えるようになるまで、10年かかった。あれから、山また山の地、時間も所もさっぱりと分らない。ボロ道から急に新しい舗装道路になるが、それは一部だけであった。
丁度その道路の切れる手前に赤いポストがあり、27日付の地方紙が入っている。休みがてらに、土管の上に座って読んでいたら、車で出てきたおっさん、嫌味な声で「これ、おれんちの新聞だろう」「ハイ、読んだらまた元に戻しておきますから」。
道と時間を訊く、2:30 pm。新聞一面に、朴大統領射殺の活字にビックリする。大きく取り扱っているが、地方紙では内容が薄く、話にならない。
やはり朝日を読まないと。残念である。1日1日、間を置くだけで知らぬ所で色々な事が起きている。夕暮れまで何とか,寝場所ある所まで着かないと、と歩き始める。
下り坂のボロ坂、右側は深い渓谷に、山は秋の風。深く下に流れる清流のザーザー音が響き・・・、何とも言えない。道はクネクネと曲がって、カーブした前方の崖中腹に、青い屋根の小屋。なぜこんな変な所に・・・と思っていると、後でHITACHIのサービス車が止まり、
「どこまで行くんですか。宇都宮まで行きますが、乗って行かないですか」。
乗せてやるという態度でないのがよい。訳を話して断る。タバコ1本貰って吸い終わるまで話すが、道幅丁度車1台の広さ。しかし、車なんかめったに通らない。よくこの開拓集落に来るとか。道、寝場所を訊く。しかし寝る所なく、5キロ程先に分校があるだけとか・・・。
別れて500メートル程先のカーブ崖中腹にあるプレハブで小屋に、道路から細い山道を降りて行くと、思った通り、空小屋。土方小屋。中は土だらけに埃。しかし、深い渓谷に紅葉。彩った中に建つ、この小屋。前に大きな松の木。最高の景色。時間は3時、早いがここに泊まる事にして大掃除。モクモクと凄い埃、窓を全部開けると、外の渓谷、美しい景色がパッと入って来る。
細い山道を降り、沢に水をくみに行くと、渓谷の底に流れる水が透明に澄み、その水は美しく、大きな岩の間を流れ落ちて行く。まさに一編の詩である。
深く溜った滝壺の水、夏だったらなぁと・・・、こんな所を霊界と言うのではないかと思う。
そして山小屋を建て住んだら、仙人になってしまうであろう。
水を汲みに下へ降りた時、道のアチコチに黄色の測量杭が打ち込んである。これで何故こんな山の中に小屋があるのか分かった。ダムを造る気なのであろう。ダムを造るには最高の場所であるが、こんな美しい所、ダムの底に沈めるのか・・・。
プレハブ小屋の中は十畳程の広さ。ベニヤ板に中央2枚の畳がある。掃いても掃いても埃。水を撒き、畳を何度も雑巾がけ。やっとサッパリ、まずお茶を作り、一服する。
非常にこの場を気に入った。2、3日滞在したいが、食料、ガスがもうない。食物もパン2個、テンプラ2枚。こんな所でゆっくりと手紙を書いてみたいが、誠に残念無念である。
日記を書き始め、ページ2枚も書いたが、夕暮れの谷間、暗くなるのは実に早い。空ビンの上にロウソクを立て、書き続ける。時々お茶を作るが、残り少ないガスの炎の勢いは弱い。パン1個、テンプラ1枚を食べ、あとの残りは、明日の分。しかし、時・・・が経つと、あぁーどうでもイイやと食べてしまう。
空は雲に覆われている。明日、雨かもしれない。万一の為、枯木を集め中に入れる。中にオイル缶をストーブ代りにした缶があり。気分よいのか、非常に落ち着いて、幾らでも書ける。
ただ、自分に文章力、表現力なく、この美しさを書き表せないのが、ただただ残念であり、ガス、食料を持っていない事がクヤシイー。
日記は5ページ中まで書いた所で、ロウソクも終わり明日の朝持ち越し・・・?
ロウソクの灯は消え、窓より笠を被った半月の月の光が入って来る。
中はほのかに薄明るく、絶え間なく流れ続く水の音の響きは、不思議な程、心の安らぎを覚え、お茶の為か、なかなか目はシャッターを下ろさない。頭の中は、過し日の事が何度も何度も逆回転して出て来る。
窓より見る笠を覆った月を見ていると、明日、雨かもしれない・・・。
半ば、雨が降る事を期待する。
使用金額:890円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 川治温泉~竜王遊歩道~藤原町~鳥羽ノ湯~
のどかな田舎道を塩谷町へ
1979年
昭和54年10月30日(火)
夜が明ける。窓の外、空を見上げるが、灰色で曇っているのか、晴れているのか、よく分からない。
寝袋から出て、窓を開けると、明るい朝の陽ざしが目に飛び込む。なんだかガッカリしたような・・・複雑な気持ち・・・。常なら雨が降ることを恐れるのに・・・。今日は雨が降ることを期待していた。雨が降ると、イヤでも、空腹でもここに居なければならない。一日くらいの空腹は断ってあろうか。晴れていると空腹に負けて出て行くのは分かり切っている。
寝袋の中に、また入りなおし、上を見上げると、丁度窓枠が絵の額縁のようになり、一枚の絵のようになる。その額の中に、杉の小枝に1本のススキの穂、晴れた朝の秋空をバックに大きな松の巨木、その枝が張り出て、ジーッと見ていると空の中を白い雲がゆっくりと流れて行く。
空の色が変わったことにき気づく。いつもは澄んだ青さであるが、この空は澄んではいるが、薄い何色というのか知らない・・・白っぽい水色とでもいうのか・・・。
そのままジーッと静かにしていると、水の流れの音に、鳥のさえずり。お茶をつくる。ガスがチロチロとしかでないので、時間がかかる。
昨夜の残り分、日記を付ける。
300円のお茶、あまり、おいしくないなー。
朝の光が、紅葉した小枝を照らすと、色が鮮明に美しさを増す。
ここまで、今日の朝の分を書いた。目にした瞬間の物を書くと、たくさんあり、時間がたち、一日の終わりに書くのとは、やはり違う。
サテ、何時ごろだか知らぬが、歩き始めるか・・・。誠に残念。
小屋を出る。杉林が続く細い道を下へと下って行く。小屋から2~3キロ歩いたか、広い道路に出る。左に上って行くと、県民の森。右に折れ、山を下り終えた所に、鳥羽ノ温泉に小さな旅館がある。
よく見ないと、普通の民家みたいで見過ごしてしまうであろう。
ここまで来ると、段々畑、稲刈りあとの田んぼが下へ下へと続き、稲穂が乾かしてある。
農家は、まばらにポツリポツリと点在している。
初めて店に出会う。アンパン180円。牛乳1リッターだけ。店のお姉さん、
「あなただったら、飲めるでしょう」と、いると言っていないのに、もう、売ったつもりなのか、冷蔵庫から出している。そのお姉さんと少し立ち話をする。
「ファー、九州男子はおもしろいネ」
「何がおもしろいの」
「あなたのしぐさ」
「当たり前だヨ、おれは俳優だもん、ヨク、テレビに出ているでしょう」
「この間も長崎の人が、ダムの地質調査に来ていたけれど、あの人もおもしろかったワ。九州の人っておもしろいのネ」
小柄で、決して美人ではないが、気持ちの良い人である。
話していると、純ちゃんにヨク、似て、思い出す。
「ヘエー、こんな山奥にどうして来たの」
「私はここの娘で、ここの家で生まれたの」
「でも、言葉に訛りがないじゃない」
「ウーン、昔、松戸に居たことがあるの。江戸川のスグ近く」
「ヘエー、そこで何してたの、芸者でもしてたの」
「どうしてそこで、芸者が出てくるの」
「イャ、寅さんの相手でもしていたのかなと思って」
「ところで、おばさん、一体、幾つ」
「おばさんだから、もう関係ないでしょ」
「イーエ、そんな事ないですヨ。あれは冗談、内心そんなことを思っていても、いいませんよ」
「それ、どういう事」
「イャ、深く考えないで。ところで、幾つ」
なかなか教えてくれない。婿取りである。こんな山の中に置いておくには、もったいないくらいである。
「イイじゃない、もう、売れてしまったのだし、これが最後でしょう」
「30ヨ」
「ヘエー、30かぁー、俺より一つ上だ」
「5~6年前、こっちに帰って来たの」
「そうか、じゃ、会うのが5~6年遅かったね」
旦那さんが奥の方で見ている。長話するのも気が引け、出る。
「こんどまた、来てください。お嫁さんと一緒に」
「ジャァー」と、別れる。
(あなたが、未亡人になったら来ますよ)と言おうと思ったが、止めた。
のどかな田舎の風景を楽しみながら、アンパンを食べ、歩く。普通は座って食べることにしているが・・・。あっという間に5個のアンパン、腹の中に消えた。
所々に土葬用の箱が、墓場に幾つか並んで、その周囲になにやら、色々と置き並べてあり、陰気で何となくゾーッとする。こんな墓場で野宿したら、気が狂うであろうと思いながら、そっと通り過ぎたが、これに似た小さな墓場が点々と道行くところに在る。この辺の風習なのか・・・?
小さな学校、校庭に上がって見たが、四角の校舎、窓にカーテン。廃校になってしまったらしい。誠にかわいらしい校舎である。あのお姉さんも、この学校に通ったのかなーと思う。
なんにもない、殺風景で、平和で、。田んぼだけで、活気がなく、欲も持たず、ただ、淡々と一日一日を活かしていこうとするなら、誠に良い所であるが・・・。行動的なにかを求め活動するには、地獄。もし、俺があの人の婿さんと仮定した時、俺には・・・とてもとても。
しかし、こんな平和な所にいたら、あっと言う間に歳を取るだろうなと思った。
道路横の畑に、イモの葉を見つける。サッソク、今度はイモに挑戦。手でイモ掘り。3個、あまり大きくない。土だらけのあかイモ。よく考えたら、ガスがないのである。ガッカリ。どうする、このイモ。小川で、とにかくイモを洗い、袋に入れ、ブラブラと塩谷町に向かって歩く。
川に出る。落合橋を渡る。川の水がきれいだ。
川下に熊ノ木小学校がある。アァー暇だ。急ぐ事はないと、引き返し、小石の河原に出る。
松林の中に入り、枯れた小枝を集める。なんだか、花咲じいさんにでもなったような・・・ウン。
石を組み、ストーブをつくる。大きなイモは3つに切る。ナベを火にかけ、川の流れを見る。幅50メートル程かな・・・。石底の流れは、水澄み、絶え間なく続く流れる岸の向こう側に、大きなケヤキの木が2本。枝の葉は、もろ枯れ、風が吹き、葉は空に踊り、ヒラヒラと川の流れに落ちる。
フーン、枯葉か。枯れ葉の曲が街に流れる季節かー。あの曲、聴きたいなぁーなんて思う。
今日の枯枝、よく枯れ乾いているのか、燃えがよい。時々、橋の上を通る車、人が見て行く。
川の流れをじーっと見ていると、水遊びしたくなり、クツを脱いで、ズボンをヒザまでまくり、川の中に入ってジャブジャブ。長く水の中にいると、足が冷えてくる。冷たい水である。
時々、小枝を火にくべる。その時立ちのぼる白い煙香、焚火の香りだなぁー。この目にしみる煙、過ぎの香りを鼻にするとき、頭の中には冬が浮かんでくる。
ナベのフタを取ると、プーンとイモの臭い。
「イヤー久し振りだなぁー、この臭い。何年振りかなーと思う」
黄色のイモの汁。秋の味覚か。こんどは、何に挑戦?
フーフーと吹きながら熱いイモを食べる。期待したほどおいしくはないが、不思議な、また、一段と変わった味。
お茶をつくる。荷物は河原に散らかし・・・。熱いお茶の入ったコップを両手で包み、耳は、流れの音に傾け、口にするのは、この300円の安物お茶も、なかなか、捨てがたい。
腹もいっぱいになったし、サテ、歩くとするか・・・とはゆかない。
ガスと違い、黒々とスス焦げたナベを砂で洗い落すのが、これまた、難儀なことなのである。
川下の中州に、一面、ススキの穂が風に揺らぐ。
のどかな田舎道を塩谷町へ。テクテクと歩く道。車で行く途中に、この、のどかさを人に話しても分からないだろうなぁーと思う。のどかもなにも、味わうもなにも、車はあっと言う間に通り過ぎてしまう。
(もう、暗くて書けない)明日 明けにする。
この辺の蔵は、大谷石造りで塀も同じ。アァー栃木県は、大谷石の本場だと思い出す。
塩谷町に着くと、ガスを探すが、何処にもないし、入った金物屋のババさん、イヤな奴。農協、1005円。イモで腹はへっていなかったが、大きなスーパーを見ると、足が勝手に入ってしまう。
小さな町で、これでも町と言えるのかと、首をひねる。道は、宇都宮方面へと向かう。
一面、稲刈り後の田んぼが広がり、その中に点々と杉林がある。普通、こんな形は、神社なのに、この辺は農家である。防風の為に出会う・・・?
休みに行った杉林が神社ではなく、ただの農具小屋。稲刈りあとの、田んぼの中、ワラの上で、魚白身のフライ、コロッケ、牛乳をパクつく。秋晴れで、空高く、ポカポカ日和、いつの間にか寝てしまう。
道は、宇都宮に向かう県道から、大宮で左手に入って、町道を行く。日記があるし、その辺、目をキョロキョロさせながら歩いても、田んぼばかりに、村のつくりが違うので、寝る所を探すのが大変だ。
遠く田んぼの中に、こんもりと気が植え、鳥居が見える。しかし、建物はとても神社に見えないし・・・。田んぼの中を通って、その杜に向かう。まぁー、一向に神社とは思えない神社。戸がハズレている。時間は3時を過ぎたぐらいであろう。まだ早いが、この先、進んで寝る所なければ、泡をふくだけ。
中をセッセと掃いて、ゴミ退治であるが、この床、埃だらけでも、床板が古くてきれい。手入れがよいのであろうと・・・。
日記を書いていたが、2時近くたつと、中は暗くなる。外に出たが、これも同じ。ローソクはもうないし、諦める。
昨日、今日とロクに歩いていない。サボッテはいないか。ゆっくりし過ぎなのか・・・。
真夜中、遠くから、列車の通るが単語トンと音が響いてくる。直線にしても、ここから線路まで5キロはあるだろう。空気が冷たく澄んで、響きがよいのかな・・・。
使用金額:1185円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 鳥羽ノ湯~塩谷町
1
東京127キロ。急げば4日の距離だなーと思い
1979年
昭和54年10月31日(水)
明け方は寝袋が湿り、寒い。開けた戸から外気が流れて来る。早く目覚めても、寒くて起きるのが大変だ。寝袋の中でバナナを食べ、少しでも寝袋の中に居ようと大変な努力をするが、外に出て寒さに耐えようとする我慢はしない。
寝袋を巻くと、すぐ朝食もせず発つ。こんな所に座って悠長に食っていた日には、体が冷え、いっぺんで風邪をひいてしまう。
山ほど平地は露が降りていない。百姓のおばさん、もう仕事。田んぼの中を通って道に出る。正面に、陸に昇ったばかりの朝日が凄い光を放し、浮いている。まぶしい朝の光だ。
途中から道が分からなくなり、適当に方角を決め、歩く。農村地、大そうな屋敷が建ち並び、結構ある。ズラリの並び。庭の中には色々な植木、どこにこんな銭があるのか、本当に不思議。百姓、そんなに儲かるのかと、胸クソ悪い。昔の屋敷の中にある病院、りっぱな庭、もう庭を見ただけで、病気が治りそうな・・・。こんな田舎に・・・、世の中分らん。
地図がおかしいのか、俺がおかしいのか、サッパリ、時間もサッパリ。パラパラと通学生が見えるが、まだ早いみたいだし、もう陽は短くなっているのだ・・・。サッパリ見当がつかん。
国道4号線に出る。右側に道路標、東京127キロ。急げば4日の距離だなーと思い、俺は遠回りして東京に行くつもり。これから水戸に出て、房総を回り、500キロ以上あるのでは・・・。その割には国道293号に出ようと、近道を探し、アッチコッチにウロウロで、却って時間の浪費。遠くに小さく車が走っている。あれが293号だろう。もう頭に来て、田んぼの中を行く。ガスを探しに農協へ。北海道の農業では売っていたのに・・・。
国道293号から右にまた、変な道を選んだ。仁井田へ6キロ。小学校の前に農協あり。牛乳1リッター220円を買い、その農協裏にある神社で、休みがてらに日記をここまで書いた。
朝起きて、なにげなしに後を振り向くと、那須の山々がハッキリと鮮明に近くに見え、手を出せば届きそうであった。
ガスがないので、全くお茶も飲めないし、話にならん。まさか神社を燃やして、お茶を沸かす訳にも行かぬし。栃木県、あぁー、嫌な事ばかり・・・。警察でお茶でも出してくれぬか。田んぼの中を、クネクネと曲がって、何処にどう通じているのか、訳の分らん道をテクテクと。遠くから電車の警笛が聞こえる。
仁井田駅らしい。道路上を見て歩くのではなく、方角で勝手に決め歩く。ここで体育時間か、グランドでバレーボールをやっている。商業高校なのに女子が見えない。校舎の陰でバトミントンをしている。暇な活気のない学校である。
柵越え線路横断禁止の札を見ても、見ない事にして、柵を超え線路を渡って小さな駅に行く。荷物を置いて、通りの金物屋、ガス屋、スポーツ用品店にガスを探し歩いたが、何処にもない。駅に戻り、便所でクソを垂れる。便所の戸を開けると、中は汚く埃にクソが・・・。駅内の小さな待合室の1本のベンチも、よく見ると埃だらけ。駅員が何人もいるのに・・・ ここの駅長の人間が知れる。
本屋で地図を買う、600円。ついでにマンガ本を立ち読み。「両さん」を見ていたら、おかしく、笑うが・・・。大声で笑う訳にも行かず、気にすると、急におもしろくなくなる。
これから、また変な道を行くので、何度も詳しく道を訊く。郵便局員だから間違いないであろう。
まず上柏崎。鰻みたいに長ヒョロイ集落。左側は低い山になり、その縁側、渕にズーッと家が建ち並び、その前は平野。稲刈り後の田んぼが広がる。
農業用水路を横に進む。2キロ程行くと、直線細道と上にあがる道。あがると上柏崎らしい。直線の細い道は、地図にないし、こんな小さな道は大ざっぱである。
品物がない。変な店屋で道を訊く。まず八ツ木。この細い道で行けると言う。
これから、何処をどう通っているのかサッパリ。ただ、この方角だと思って歩き、農地整備の為に通行禁止のバーを超え、ただひたすら歩くのみ。
途中一度、人に道を訊いただけ。本当は途中から、県道に出るつもりであったが、「リンゴ狩り」の札を目にした時、リンゴに釣られ行ったものの、サッパリと分らず、その代わりに梨園。収穫後の実のブラ下がっていない梨園なんか、梨園なんて言えるか。ブツブツと文句を言いながら・・・。
ただ車が殆ど通らない。角の小さな店屋、HiC、130円。頭のハゲかかったおばさん。古新聞を貰い、田んぼの中で、パン、HiCを食べながら読む。右側の広い田んぼは、ブルドーザーで何やら機械を立てて、農地改整か。歩けど歩けど黒い土を掘り返してやっているが、稲田の後に何を作るのか知らぬが。一体どこからこの費用出るのか。
やっと八ツ木に着いたと思ったら、小さな四角形の郵便局。店も何もない。
板で方向が示してある。祖母井(うばがい)に向かう。西側の太陽が紅くなって来る。
小学生達が帰るランドセル姿。小学校1年生の女の子がパンを食べながら歩いてやって来る。スレ違う時、「おいしい?」と声をかけると、「ウン」。本当においしそうに言う。前に歩いている3人、女子小学生1年。後を振り返り、チラリチラリと俺を好奇の目で見る。こんな姿、こんな辺鄙な所自体珍しい事なのか・・・。昔ほどではないと思うが。彼女達、左に入って行く。立ち止まって俺を見ているので、俺が手を振ると、「ニッコ」と、凄く可愛い笑顔をする。
真紅な太陽がポッカリと西の空に浮いて、もう夕暮れ。美しい。冬を感じさせる陽の輝き。もうすぐ冬か。
しかし、ゆっくりと見ている訳には、そうは問屋がおろさぬ。寝る所がない。鳥居があり、雑草がボーボーと繁る中を見に行ったら、とてもとても神様でも住めない破れ小屋神社。
梨園が続く。ある梨園、穫後の樹に小さな梨がボツりポツリと、まだ残っている。7個ほど失敬したが、全然味がない。残っているはずである。しかし腹のたしには・・・。
もうすぐ暗くなる。こんな所で暗くなった日には、もうアウト。田んぼばかり。テントでもあるならともかく・・・。
前から中学生が自転車に乗ってくる。止めて神社を聞く。神社の場所を訊くとホッとする。
ヒョットすると鍵がかかっているかもしれないし、寝れそうな所でもないのに・・・、もう寝れるものと決め込むことにする。
梨を皮むいて食べながら歩き、言われた通り神社はあったが、商店街の真正面。あーこれは無理かなぁ・・・。サッと歩いて参道を行く。人に見られると、また変な奴が来る。戸に手をかけると、どの戸も開く。別に鍵なんか、かかっていないが、すごい埃と枯葉。ホウキなし。モップで掃除。祖母井か芳賀町の中心。役場所在地。チョッとした店家が並ぶ。まず大きな金物屋にガス、あったが売り切れとか。スポーツ店は無し、キャンピングガスがないスポーツ店なんか、やめろ。
スポーツ店に来ていた運送屋「宇都宮までだったら乗せていくよ」
全然関係ないし、同じ方向でも乗れない。明日の道を聞く。スーパー買い物503円。安い。色々な物。これでガスがあれば、色々なものが食べられるのになぁーと思い、見るだけ。クソ面白くない。神社に戻る。5時30分で真っ暗。3缶200円の「イワシ缶」。汁を吸ったら、温かいご飯に、これをかけて食べたらなぁ・・・と想像。現実は缶詰だけ。ノドが渇いて、とても心寂しくなる。
久ぶりに時計を取り出し、ネジを巻く。夜中の時間を計るために。ロウソクの灯で日記を書く。疲れに疲れた、今日は。
使用金額:1453円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 栃木県/塩谷町~仁井田~上柏崎~八ツ木~祖母井(うばがい)
人間、一番何が大事だと思いますか
1979年
昭和54年11月1日(木)
寒さでガタガタとしていたら、かすかに明るくなって来た頃、外でチャリンと銭が賽銭箱に落ちる音。時計を見ると、5時50分。こんなに早く、信仰深いというか、暇人というか。俺は寝袋の中で、明るくなるのを待つ、6時30分。明るくなって、だいたいの見当が付く。
寝袋にクルマって、パン、いわし缶を食べていたら、人がガラリと戸を開ける。
おっさん、ビックリしている。
「寒いですね」と挨拶すると、おっさん、
「大変ですね、この車に乗せて回る、ヒッチ・・・なんとかと言うやつですか」
「ハァーまぁーそんな所です」
おっさん、上がって大きな太鼓をドーン、ドンドンと打ち鳴らす。
食べている腹に、ドンドンと響いて、胃袋がドンでり返りしそうで、食べていられない。
太鼓が終わると、神殿に向かって拝み始めた。どうやら、神主らしい。温和な人である。
拝み終わると、また、ドーン、ドンドンと太鼓を打つ。こんな朝早くから・・・俺は・・・ハトが豆鉄砲くらったみたい。神主さん、拝み終わり、出て行く時、戸を閉めようとする。
「イヤ、私が閉めますから、イイですよ」
「ハイ、そうですか」
どちらが主人だか分かりはしない。
今まで出会った神主が頭の中に浮かび、今の人と比べ、どうして同じ神主でこう違うのかなぁー・・・。
寒いといっても、以前ほど冷たくない。手が冷たい。
まだ閉まっている商店街を通り、途中、朝日を失敬する。道は『たたら』を目指す。国道、県道みたいな一直線の道ではない。人に聞かないで進む。自転車に乗った女子高校生、久しぶり、登校時間・・・。
ある男子中学生に道を訊いたら、「知りません」と、ブスーとして逃げるように去る。がり勉タイプの男。ムカッと来る。
のどかな田舎道を、グルグルと方角も分からず進む。ビニールハウスのブドウ、巨峰。しかし、入れない、残念。
たいそうな屋敷が続く道で、やっと『タタラ駅』着いた。小さな小屋が建っただけの、無人駅で、そのすぐ裏は、畑。肥溜、人フンの臭いがプーンと漂い、これ、まさに、田舎駅。
陽が高くなると、ポカポカと暖かくなり、Tシャツ1枚になり朝日を読むが、なんだか、おもしろくなく読む。
リュックの中の梨を取り出し食べると、冷えておいしい。あっという間に3個、腹の中に消える。朝日を読んでいる内、ディーゼル車が来て、田舎の婆さん連中を乗せ、ガタゴンと消え去り、なんとも、暇な駅。一通り読み終わり、線路の上を歩き始める。
看板に「益子ショッピングセンター6.5キロ」 あぁーこの辺か、益子焼は、と思う。
荷物が重く、歩く気になれない。地図2冊、ノート2冊、なんとかしなければと思っているが、銚子まで・・・。銚子で送るつもりである。
七井に入ると、農家風の建物店、益子焼。殺風景。店屋あっても閉まったまま。こんな所では、商売にならないであろう。
この七井から笠間を目指す。余り細い道ばかり、クネクネと行くと、気ばかり使うし、方角は分からなくなるし、距離は進まないし・・・いい事はない。
畑に落花生がたくさん乾かしてある・・・。ほー、この辺は、落花生を作っているのか。畑の中に入り、乾かしてある落花生をパクパク。持って行く気には面倒でなれない。
野を越え、山を越え、進む距離はビビたるものである。くつ下が、汗でグジュグジュして歩き辛い。洗濯しなくてはならないが、石けんを買うと、その分また重くなるのが恐怖なのである。
ハイゲン100円、石けん60円。集落名は小さく、分からん。店のおっさん、突然、
「お客さんは、こうして歩いていて、人間、一番何が大事だと思いますか」
「ハァ・・・?」
私は、一番は健康の鍛錬、次は精神の鍛錬・・・。
お客がセブンスター10個買って行く。お客さん、お金を袋から、隠し隠しお金を出し、支払っている。チラとみる。俺に盗まれるとでも思っているのかな・・・。
田舎の儲けてそうにない埃かぶった店でのこと・・・。俺は首をひねる。
田んぼの中に腰をおろし、パン、イワシ缶で腹を満たすが、イワシ缶には参った。これはご飯と一緒でないと食えん。もし嫁さんをもらうことがあり、この嫁さんが一度でも俺に缶詰を食べさせようとでもしたら、即離婚だ・・・。
ダラダラとしか足は動かない。小川で靴下を洗濯。靴下を変えると足は軽くなるが、もう気分的にダメ。先の山峠まで来ると、夕日堂、朝日堂あり。時間3時間過ぎた頃か。寝るには・・・。お堂は道路のすぐ脇で、騒音でとても寝れそうなところでは無い。
その場から500メートルほど先が峠。右手上にお堂あり。
建て、新しい。床に白いものが散っている。よく見るとカビが一面である。
農家に水をもらいに行くと、犬がワンワンと吠えクサル。気分悪い時、こんなに吠えられると殺したくなる。
お堂に戻ると、カビ退治。セッセセッセと拭く。
少しボケーっと地図を見て、先のことを考え、日記を書き始めたら、もう暗くなり、ロウソクを付け、書く。こんな事ばかりしていたら、目が悪くなるのでは・・・と。
お堂の中には、座った像が一体。古く仏像とは違う。古道具屋に持っていけば、イイ値になりそう。目玉なく、丁重に彫ってあり、暗闇のロウソクの灯りに見る。この像は、不思議な迫力がある。
ガスがないのに胸クソ悪く、お茶でも飲むとほっとするのに・・・。
使用金額:160円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 栃木県/祖母井~七井~笠間
石岡を目指す。笠間焼の店がたくさん散在
1979年
昭和54年11月2日(金)
山を越えて来ると、寒さも幾らか和らいで、そんなに冷たくはないが、しかし息は白い。
食物なく、寝袋を巻くとスグ歩き始める。何か忘れたような気がする。しかしあのお堂の中には何もなかった。
農協のドアに新聞を挟んである。取って見ると、地方紙でチラリと見ただけで元に戻す。失敬する程のものでは無い。この農協の玄関、埃と泥水の乾いた後の、汚いガラス窓。ここの所長の気がしれぬと思った。
玄関横に水道蛇口があるので、洗顔、歯磨き終わって、サテ、顔を拭こうと思ったら、タオルがない。いつも頭に巻いている。寒くないので忘れたのか、今まで忘れたこと、一度もなかった。寝袋の中に入ったまま、一緒に巻いたらしい。濡れた顔のまま歩く。通学時間。これに出会うのが毎日の日課である。
石岡に入る。思ったより早く着く。腹減っているが、店がまだ閉まっている。
全面、顔はアザだらけ。若い女の子、店で1袋300円のみかん。通り横、入りくんだ駐車場に腰をおろし、みかんをパクつく。白布高湯で半分のみかんが出たが、本格的に食べるのは今年の秋になって初めてである。
通勤連中の車を見ながら、皮をむいては一口でパクパク。あっという間に20個ほど。腹の中に消え、腹は張ったが、何か腹が減っているのか、いっぱいなのかわからない気分・・・。
笠間駅に着く。朝日60円を買う。キヨスクの店員、歯をほじくりながら、手には鏡、もうブスもブス。ブスの上にこんな態度では先が知れている。
待合所のベンチに座って新聞を読むが、最近記事が面白くないのか、俺の頭がおかしいのか・・・。以前ほど面白さが感じられない。
一通りざっと読んだだけで、もう1時間も経った。フッと後横を見ると、セーラー服の子が本を読んでいる。
その姿勢と横顔が良い。何の本か知らぬが一生懸命読んでいる。しかし学校はどうしたのだろうか・・・。
これが外国なら、
Hy・・・ It’s fine today, isn’t it?
What are reading? (学校では×)英会はOK
What are you reading, that’s OK ・・・?
なんて気軽に声をかける所であるが・・・日本でこんな事をしたらアホかスケベーか、痴漢かに間違えられるのがオチであろうと・・・心の中でそんな事を思い、不便だなぁー、日本という所は・・・。
石岡を目指す。笠間焼の店がたくさん散在。こんな焼物名、耳にしたことがなかったが・・・値段だけが1人前に高い・・・。
パン100円。パンを手に持ち、休み場所を探しながら歩くが、なかなか見つからない。狭い道に車がスッと飛ばして行く。こんな狭いところ、そんなにスピード出さずとも。あんな連中に限って、人を巻き込むような大事故をやる。早く電柱にブツけ、いかれてしまけつかれ・・・、とブツブツ、公民館で休む。といっても。鍵が掛かっているので、外に立って、反対側で農家風の笠間焼・・・。
なぜだか全然歩く気せず。
ダラダラと・・・。ダラダラと歩くから精神的苦痛。苦痛だからダラダラと歩くの悪循環である。
笠間市でガスを買う事を、忘れに気が付く。市だから売っているだろうと思っていたのに・・・。忘れ物ばかり。
友部町で山車の祭り。トラックの荷台に載ってた山車。パっとせず活気のない祭りである。
田舎スーパーで買い物、818円。いつも食べてばかり。秋、食欲の秋なのか、俺はいつも腹を空かせているので、季節には変わり関係ないが、桧原湖民宿で一緒になった大磯の若者を思い出す。俺が飯を5~6杯食べていたら「ヨク食べますね」と蔑視の目玉で見ていたが、俺は、なんだ、このモヤシ、茶碗いっぱいで終わりなんて、それで男のつもりか・・・。動くなら腹が減る。動けば動くほどに腹が減る。その分、食べるだけの事よ・・・、ブククサひとり言。
さんまの2匹フライを買ったが、古くてホサれたサンマなのか、古いのか、モサモサとしている。
腹いっぱいになり、買ったみかん食べられない。「重いおもいす」
牛乳の残り、パンを袋に入れて、テクテクと歩く。週刊誌を拾い、桑畑の中で読む。もう週刊誌は絶対に読まないと誓った事なんか、コロリと忘れている。
岩間に入った頃、西の空に、雲が紅に染まり彩る。
寝る所を気にしながら歩く。町外れまで来ると、反対側より体の大きな人が話しかけ「どこまで行ってきたの」
俺は話す気なく「ズッと向かう「と言う。
その人、「ラーメンでも食べて行きな」
指で円を作り、金がないと手を振る。
その人、金はいいよと・・・。その言葉を聞いたら、ヘロとを気分良くなる。もっともイスに座ったら、食べたばかりで腹は減っていないが・・・。それでもおいしい。今まで何回食堂に入ったか、集計すると5回。それもラーメンだけ。味見・・・。
調理場の2人、計算して、本当に7ケ月もかかるのかと、疑惑の目で見る。
分からんだろうなー。一生の内に、まともに1度も歩いたことのない連中に。
一席、説明すると、なるほど。敬意を表してと、りんご2個くれる。この先石岡まで平野と。
主人はヤクザ、指に大きなダイヤの指輪、「どさん娘」。
ラーメン屋って、そんなに儲かるのかなー。袋に入れ、歩く。
週刊誌をまた、拾う。途中、建築中の家あり、まだ人がいるが、もう夕暮れで、もうすぐ帰るであろう。草の中で週刊誌を読み、暇をツブし、暗くなって行くと、まだいる。
今度は喫茶の灯で本を読み、タップリ暇をつぶし、行く。二階に寝る。まだ窓桟も何も入っていない家。下隣、スナックバー石松で車が行ったり来たり。カラオケのヘタな歌が流れてくる。
車の騒音、うるさく、寝袋の中でウタウタ。秋の虫の声が流れる。
使用金額:1178円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 茨城県/石岡~笠間~友部~岩間
今日、玉造駅までのつもりだが
1979年
昭和54年11月3日(土)
吐く息は白くとも、やはりそんなに寒くない。軍手は買わず、良かったと思う。
人が来ないうちに早く発つ。明るくなったが、まだ陽は昇っていない。歩き始め、左手より紅色の光が射す。フッと見ると、畑の向こう、樹の横に、丸い紅い太陽がポンと浮いている。
美しく、しばらく立って見る。九十九里浜の朝日が楽しみである。
最近の夕陽はつまらない。北海道はどうなのか、今は、と思い出す。
石岡市街に入ると、早い朝ズラリと並ぶ。よりどりみどりの新聞がポスト、玄関、シャッターに入っている。
前に新聞を入れている自転車乗りの女の人。歳は28ほど。その一生懸命配達してる姿を見ていたら、失敬する気になれず、昔、自分も配っていたので、分かるのである。
あぁー今日は買うかと諦める。道路を左に折れ、駅に向かう。ゴミ集積所に新しい手付かずの昨日の読売新聞が落ちている。その新聞を拾う。昨日、新聞は読んだが、キッシンジャー回顧録を読みたいと思ったからである。それから10軒ほど歩いた店のシャッターに、読売が入っている。2日付の古新聞と今日の新聞とをすり替える。
フラフラと歩いていたら、目の前が読売新聞販売店で数人が前に出ている。さっと新聞を袋の中に入れ、そのまま前を通り過ぎ駅に行く。丁度7時。まだガラーンとしている。新聞を読み、りんごを食べる。駅に人が混雑しはじめる。子供が多い。学校はと、、、、。アァー今日は文化の日か・・・。一通り新聞は読み終えると駅を出る。7時50分、ガスのことがあったがそんなに待てない・・・。
玉造方面、勝手に歩き、人に道を尋ねたら、全然町をぐるりと遠回りしただけ。頭にくる。
高浜駅に来る途中、用便。急いで高浜駅に着いたら、人がいっぱい、便所もいっぱい。くそ紙がなくなり新聞紙を用意して行ったのに。皆どこに行くのか、目かしこんでいる。
皆が電車に乗って消えると、ホッとする。便所に行くとドアを開る。中は・・・。全然クソをたれる気がなくなる。そんな気分になれない。我慢して、野グソすることにしたが、続く家屋ばかり。イライラとする。
クソたればし。腹減ってパンを食べたいが、クソをせず、このまま食べると、そのままクソが押し出されてきそうで落ち着いていられたものでは無い。
やっと杉林の中に入り、出すものを出す。昨日の分と2日分。一緒に出すとほっとする。
昨日、紙がなかったから、我慢をしていたものの、2日も耐えられないよ。全く。そんなことをした日には便秘になってしまう。
クソをたれると、ホッとして、パンを神社で食べる。日記でも書くつもりで、この神社にきたが全然そんな気分になりそうにもない神社。そのまま歩く。途中、柿の木。柿の木は福島に入ってから、柿の木だらけ。手に取る柿はいつも渋柿だらけ。どうせと思いボタ柿を取り、食べるつもり・・・。しかし、このぼた柿を半分にすると、ゴマがふっている。列の柿を取り、かじると、甘柿。とうとう、甘柿に巡り合う。今年は、柿は食えないと思っていたのに。いたるところ、柿はあっても、全て渋柿ばかりであった。
はじめの1個はまあまあ。しかし2個3個にになると・・・。秋の味覚を覚えると言うより腹の足しにするつもりで食べているので、ゲップが出る。
ゲップが出ると、なぜだか子供の、柿を盗みに行った頃を思い出し、運動会が連想される。
どうも柿は好きになれない。飽きた柿。何年ぶり。10年近く。
しかし、そんな贅沢は許されないのだ。5個ほどリュックの中に入れて歩く。どうも道がおかしいと思ったら、地図によると俺は別の道を教えられたらしい。
関東鉄道の小川駅。その線路、反対側に建築中の家。今日文化の日で大工も休みなのか、人がいない。日記を書く場所を求めていたのでちょうど良いと、縁側に新聞を広げ、秋のポタポタした陽差しを受け日記を付ける。日記、日記、あぁー日記
ここに来た時、高校生らしき女の子が自転車に乗って行った。
帰ってくると、買い物にでも行ったのか、大きな紙袋を自転車から取り家に入る時、彼女はチラリと俺を見る。
リュックを背負った変な奴が、こんな事をしていたら見るのも当たり前であろうが、若いというだけで美しい。しかし最近若くても、酷く老け込んでいる女の子もいるが・・・。たった若いというだけで美しい。この貴重なものでさえ、台無しにしているものが多いと・・・。そんなことを思う。彼女の家の中で、テレビでも見ているのか、若いものは外で遊ばないけん。
今、2時ごろかな・・・。
まだ今日、一銭も金を使っていないが、柿で腹がいっぱい。しかし、気分悪いよ、柿の味は・・・。
さて歩くとするか。今日、玉造駅までのつもりだが、10時間ほど前のことがずいぶん昔のことのように思え、本当の昔のことがつい最近のことのように思える。
小川から歩いてきたことを思い出そうとしても何も出てこない。夕暮れ時といっても4時の始め。太陽が西の空に傾き始め、寝るところを気にしながら歩いていた。野球グラウンドらしき物の脇に小屋があり、あそこはどうかなぁなんて思っていたこと。
この辺の2階建ての家が特殊で、2階は3階と思えるほど高く、城の天守閣を思わせる。
今まで日記にあれも書き忘れ、これも書き忘れ、1番大事なことばかりをつけ忘れている。
この玉造町を夕方ぶらぶらしていた時、久しぶりに温かいものを食べたいと思った。信念の戦い。そして信念は敗れた。食べようとサッポロラーメンの店前に立つ。香りが増々、空腹の腹にきく。しかし値段見たら胸がいっぱいになった。香りを嗅いだだけで止める。
玉造町に入って夕方、薄暗くなり、こんな街ではと寝所、心配になり歩いていた。金物屋にガスを探しに入ると売り切れ。町は普通のぱっとしない町。古い木造家が並ぶ。
商店街といっても大したことがないが・・・ぶらぶら。
離れに2つのお堂あり。中央に公民館。周囲に民家。
戸に鍵がかかってても片方のには開くのであり、お堂の外の外灯あり。その灯で新聞を読む。暗くなって中に入る。畳3枚、暗くてでわからないが、息を吸うと埃がむっとくる。ゾウキンがけ。ゾウキンは真っ黒になる。
寝袋の中に入って・・・。なんとなく考え・・・。喉が渇いたので、街に買い物。ついでにガスを探すが、ない。牛乳、天ぷら、378円。昼間買ったおかきが腹を膨らす。
街に出て時計を見ると6時であるのに真っ暗・・・。こんな早い時間にこんなに真暗になると哀しい感じがする。
お堂の中に入って寝袋の中に入る。表の車がブーブーとうるさい・・・。いつの間にか寝て、例のごとく、真夜中に目覚めが頭を回転させ、色々なことを考える。
この畳3枚のお堂に古い阿弥陀像あり。全然いい刻であり、陀の字が思い出せなく、ブツブツと独り言。フッと思い出したので、起き、電気をつけ日記を書くことにする。
もう真夜中で、寝静まった家は灯がない心配していられる。1時ごろではないであろうか。時々、お堂の屋根上に落ちる、どんぐりの実音が真夜中の中に響く。
寒くなり、海に近いせいか、東北とは1ヶ月はが違う寒さである。
マツムシだか、鈴虫だか知らぬが、虫の声が絶え間なく流れてくる。
時々真夜中の中を走り去っていく車の音。
電気をつけ、畳の古さ汚さにガクゼン。新聞紙を上に敷いているが・・・。
腹が張って困っている。足もしびれてた。雨が心配だ。
今、外に小便に行ったら、満月である。星は出ていない。曇っているのか。
使用金額:628円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 茨城県/岩間~高浜~小川~玉造
もう銚子まで一日半
1979年
昭和54年11月4日(日)
晴れの日々が長く続いたので、いつ降るか降るかと思っていたら、今朝は空一面曇っている。
降る事は分かっているが、こんなん所にイモ虫みたいに転がっていても仕方がない。
昨日の残り「おかき」をバリバリ、ゴリゴリと食べながら歩く。日曜日のせいか車が少なく、通学生の姿見えない。まだ朝早いのかと思っていたら、8時を過ぎている。
人が通らないと全く朝の感じが違う。
道路上に青いみかんが1個転がっている。この青いみかん、周りを見ると木の垣の中にみかんがなっている。
細い坂道を上る。その向こう側に農家の屋根が見えるが、そんな、こんな、なんて言っていられない。皆、青いが、半分黄色に彩っているだけである。1個を小枝からもぎ取り、まず味見。なかなか結構ではないか。リュックから袋を取り出すと、持てる分だけ20個ほど袋の中に入れ、サッサと知らぬ顔。道路脇にあるせいか、みかんは排気ガスで黒く汚れ、中身が流れないように注意して皮をむく。みかんが大きく食べごたえあり。
神社で休んだり、ガソリンスタンドでみかんをタワシで洗ったり。腹が減っても、みかんがあるので、みかんばかり食べると、さすがにウンザリしてくる。
日曜日休みの農協前、農協新聞がドアに挟んである。休みがてらにリュックを下ろし新聞を手にとると雨が降りだし降り始める。空を見上げると灰色でなかなか小降りで止みそうでない。倉庫のほうに移る。倉庫出入口の屋根下に段ボール紙を敷いて座って、クソ面白くない新聞。
ジャガイモの中に、りんご2、3個入れておけば目が出ないとか。米ぬかの話とか。雨が強く降る。
屋根を叩く雨の音が、フーン、雨かと思わせる。
雨脚のはねる水しぶきを見て、今夜この下に寝ることになるのかなー。ここでは寝られないなー。
どのくらい経った、雨は弱くなった。前を通る車が水しぶきを舞上げて行く・・・。小降りの中、歩き始めると、ものの300メートルも行かないうちに、ザアーッと降り出す。民家の車庫の中に飛び込み、中に古いマンガ本あり。マンガ本をイスして、少女マンガを見る。1つだけ面白いのがあり、笑った笑った。
2冊目で雨はやんだが、空は灰色一色である。
この集落、バス停に「小高」と示してある。
歩いたなと思った割には少ししか進んでいないのにガックリ。
みかんの食べ過ぎか。小便ばかり。色つきでない澄んだやつ。体の調子が良いのかなぁーと思ったが、最近荷物が重いせいか、両肩がこっているのに・・・。
玉造町に入る。スーパーで買い物614円。ガス350円。とうとう、ガスを手にしたが、もう銚子まで一日半。大して関係ないみたいであるが・・・。
朝日50円。玉造町通りを通ると、中学生連中が振り返り見る。おっさん連中も。珍しいなぁこんなに書くことがないなんて・・・。考え事ばかりして歩いているためかもしれぬが。
潮来、稲荷山公園。寝る所があまり良くないが、水、ガスがあるから、贅沢は言えない。公園の休憩小屋、ベンチ、テーブルで日記を書いているが、もううす暗い、5時頃か。公園の水銀灯がもうついている。
広い灰色の世界が見渡せるけれど、俺には関係ない。これで寝る所がしっかりしていたら、言うことなしなのだが・・・。
別に腹が減っているわけでもないが、ガスが手に入ると、久しぶり温かいものを口にしたいと、公園下のスーパーに買い物、418円。
展望台の中を杉の小枝で掃き、掃除。毎日毎日掃除ばかりしているなぁと思う。
小屋のテーブル、ナベ、2年半前の手垢で黒く短く汚くなった割り箸。下に潮来町の灯が広がる。
使用金額:1432円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 玉造~小高~潮来町
潮来を歩き始めたのが9時45分まであったから、約10キロ歩いたことになる
1979年
昭和54年11月5日(月)
重いベンチ2つを別の小屋から持ち運び、この展望台にゾウキンで力強く拭いたものの、暗くてよくわからない。ベンチは平ではなく、少し傾いている。
これを2つ合わせ寝たが、傾いているせいか、背負いが痛くなる。もっとも俺は猫背だから、少しはましになったかなぁ・・・、なんて思ったり。
暖かい真夜中。ザァーと雨の降る音。明朝、雨かな・・・。
夜が明ける。雨は降っていないが、一面灰色に雲が広がる。雨が降りそうである。これで慌てて歩いても仕方がないと寝袋の中でゆっくりとする。
ハァーハァーと息を吐いても白くならない。シャツだけでも寒くない。嘘みたいである。
昨日の新聞を読んで、喰って、雨をと・・・、思えば・・・降りそうで、全然降りそうにない。新聞は求人欄、広告も隅々まで読んだ。後することがない。日記をつけるが、まだ歩いていないので、これもまた、何も特に書くことがあるわけでもない。空は白い霧に覆われているが、何とも判断しがたい空模様である。
多分、大丈夫だろうと勝手に決め込み、歩き始める。
有料道路を歩く。広い農地の中央を、道路を縦に走る。有料道路入り口近くに神社があり、水もある。周囲に民家は無い。今日は慌てる必要が無い。銚子までの距離が中途半端のために・・・。しかしここでは話にならないので、パンと牛乳を賽銭箱の上に座って口にする。今朝も沸かして飲んだ時、おかしいなぁと思ったが、やはりこの208円の1リットル牛乳、薬臭い。。これでは売れないだろう。空は青空を見せる事はなく、一面、灰色の絵の具をぶちまけたみたいである。
ワニ川橋を渡る。風の為か、もともとなのか、水は濁って土色である。
有料道路が一般道路とぶつかる。12時20分である。
潮来を歩き始めたのが9時45分まであったから、約10キロ歩いたことになる。
一般道になると2車線の広い道路。道路横にはずらりと新しい店舗が並ぶ。鹿島港に関連したものばかりで新興地。味っけなく殺伐としている。蒸し暑さを覚える。Tシャツ1枚。背負うリュックとのの間は汗。
スーパーで買い物、393円。買いたいものはあっても、物になる。さて、買ったラーメンでも作るかといっても場所がない。新しい地なのでさっぱり。24時間営業のコインフードに寄ろうとしたら人がいた。
諦めてそのまま袋を手に下げ、テクテクと歩く。この格好が1番疲れるのである。
郵便局、年賀状の案内紙が貼ってある。今日売り出しか。買うと思っても50メートル渡るのが疲れて億劫になる。消防署の隣に水神社あり。鍵もかかっていない。
十畳ほどの板床。掃いてゴザを敷く。。多分2時ごろであろう。焦る必要ないし、空は危ないし、水は300メートルほどのところにあるし、ただ店屋なく、食料が少ないのが残念であるが、平和に手紙を書く。東京に着いた時、泊まる事と荷物を受けとってもらう事に関して・・・。
あとMに何やら・・・だらだらと・・・書いた。不思議と書いてみたい気分になったが・・・、書いていたら、百姓のおばさん、ゴザ持ってくる。。あなたは鎮守様ではないでしょうと言って去る。
お茶を作って、ラーメンを喰って、書いての繰り返しで。今は暗くなり、ロウソクの灯で書いているが、さすがに床に横ばいになっているので、目も肩も疲れた。
ガスが手に入ったので非常に助かる。
食料は今夜、明朝の分と丁度あるか。ガスもあるし暇なのでスーパーに買い物に行く。三菱自動車販売所のガラス窓越しに見る時計は7時である。もうスーパーも閉まっているかもしれないと思いつつ、足は店の外灯の光に並ぶ店通りに勝手に進む。店が閉まっていたがビールでも飲むか・・・。鹿島港の工業地帯の電灯のイルミネーションが、闇の中にキラキラと輝く。巨大な赤白に染めた煙突・・・。昔こんな巨大な工業地帯が作られるとは夢にも思わなんだ。
日本人、バイタリティーの偉大さにほとほと感心してしまう。その時、スーダンで会ったスーダン人に言われたことを思い出す。スーダンは30年で日本と同じ工業国になる。日本が出来たのだから、スーダンも出来ないことはないと・・。スーダンが500年かかってもできない相談だよ。説明しても彼は納得しなかったが、この地を自分の目で見れば、彼の考えも変わったろう。
スーパーまで30分かかった。10時まで営業中とのこと。見て回ると、買いたい物、食べたい物がたくさんある。豆腐、もやし、しいたけと、カゴの中に入れて行く内に、アレもコレもでカゴいっぱいになってしまう。アァー、明日は日曜日。一日中、手紙を書くことにしようと、ごっそりと食料を買い込む。
重い袋を下げ夜道をテクテク。酒屋前、ビール自動販売機。これだけの食料を食べきれるかどうかも分からないのに、ビールを目にすると、アァー、もうヨカ。今まで我慢してきたから・・・と、200ビール。神社に戻ると、早速ロウソクにまず灯をつけ、ナベに若鶏肉、こんにゃく、トウフ。沸いてくると、椎茸にもやし、春菊、ガツガツとナベをつつき、今度はうどん玉を入れて煮込む。これだけ食べたらさすがにもう満腹。ビールも飲んだし、所も悪くないし、大きな腹を抱え、寝袋の中に入るが、食べ過ぎて息苦しい。真夜中、小便に外に出ると、黒い雲の間より、真ん円の満月のお月さんが薄明るく、光を照らし出している。時々、真夜中雨が降る。明日、雨である事を乞う。
使用金額:2828円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 潮来町~ワニ川橋~
とにかく今日の青空は、素晴しく美しい
1979年
昭和54年11月6日(火)
これだけの食料があると動きようにも動きようがない。寝袋の中で外をジーッと見る。食べ過ぎなのか、それとも変なものでも一緒に口にしたのか、ムカムカと吐き気がする。空が曇っている。しかし、反対側の窓を見ると青空・・・。
寝袋の中で、なんともなしに考えていたらジャリを踏む音。ガラッと戸が開く。おっさんが入ってくる。「おはようございます」と、俺が挨拶しても、ジーッと不思議な物で見るような目で返事はしない。中庭にある小さな本殿を拝むと、その人、出て行く。浴衣姿なのでこの辺の住人であろう。警察にでも電話したなら、もう来る頃であろうと待っていたが、来ない。もっとも盗む物も、賽銭箱さえもない。変な神社である。手紙を麹町に書く。原稿用紙なので6枚。封筒は買い物袋を切って2つ作る。
200メートル離れた郵便局に行く。ついでに3万円貯金を下ろす。年賀状10枚買ったものの、誰に出したらよいものやら。
11時、空は恐ろしい程の青さで、広く高い秋の空で、この真っ青の色、北海道以来である。
風が強いが、秋の日和は憎いほど清々しい。
裏の公園にナベ、シャツなどを持って洗い物に、便所に行く。まずクソを垂れる。公衆便所にトイレットペーパーがある。トイレットペーパーがなくなってから、新聞を使っていたので助かる。明日、ユースで失敬するつもりだったのに。この広い公園横に池がある。運動場トラック、洗物をヒモに下げると、強風にパタパタとシャツがはためく。腹がもたれるので、トラックを2周走ると軽くなった。
歩くより走る方がさすが心臓にこたえる。こんなにハァーハァーするぐらいでなるなら、まだ、山登りのほうがよいと思った。
リュックは神社に、洗い物は公園に置きっぱなしで、街にガスを買いに行く。大きな金物屋が沢山あり、今度は一発ですぐに見つかる。それに300円である。秋の陽射しを浴びながら、のんびりと公園の芝草で新聞を読むのもよいなと、新聞探し。これが遠いのなんの。新聞紙1部を求めに、1時間。みかんを買って公園に戻ると、タップリ往復2時間、8キロ。昨夜の分を合計すると、もう銚子の近くまで行っているなぁーなんて思う。
ガランとした所に、やたらと店舗が多い。果物屋でみかん、150円。トマトひと山、200円。沢山迷ったが止めた。もう食べ過ぎで胃、もたない。公園は静かである。広い公園に人は誰もいない。洗い物の下で毎日新聞を読んでいたら、3時を過ぎた頃から急に風が冷たくなる。
洗濯物を袋に入れると神社に戻る。新聞を読むがおもしろい記事はない。面倒臭い日記を、しかたなく書く。考えてみたら、1日中ボケーと過ごしただけで、特別書く事もないが、とにかく今日の青空は、素晴しく美しい。今、小便に外に出ると、丁度、陸の向うに、紅の太陽が沈むところであった。なんとなく北海道的な風景である。
陽が沈んだ後、雲が黄色に染まり、一日の終わり・・・。何だか今日もアッと言う間に過ぎてしまった。九十九里浜の夕陽を楽しみにしているのだが・・・。この方角だと見る事ができるのであろうかと、今から心配している。床に腹ばいになって書いてばかり。左肩が痛く、机でないのが書きづらく、ますます面倒になり。残り少ないロウソクの灯で、毎日を読もうとするが、ロウソクが小さい為に、炎も小さい。大変目が疲れ、アホクサくなる。
一人、夜に外に出ると、今夜は月は出ていない。しかし、真夜中の小便には、ポッカリと暗い中に柔らかい光。
使用金額:700円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 ワニ川橋~
橋から小さな船が浜崎から銚子へ、渡し船、大きな河を渡って行く
1979年
昭和54年11月7日(水)
今朝も人が来るのではないかと、早く起きる。全く寒くない上に、なんだか調子抜けたような感がする。ラーメンに卵4個入れ食べてみたところで、腹のほうはサッパリ。クッキーとジュース、最後はお茶でトドメを刺す。満腹になると動くのがイヤになる。一日でも休むと、歩くのが、かったるくなる。荷物をまとめ、裏の公衆便所、洗顔。なんとなく気に入って・・・。しかし、長く居る所ではない。今朝も空が見事に青空を広げている。誠に秋の空。この空の色は、北海道と北アルプスだけかと思っていたのに。朝の通勤時間、車のラッシュ。しかし、通学生の姿に一度も会う事がない。
工業地帯が過ぎると、松林の中に点在する民家。砂地の為の植林か。森の中に民家が点在してるような感じである。
朝日新聞、配車が来たので、新聞を買う50円。しかし彼が配ったラーメン屋の前には、新聞の山である。もう長く休業中との事で・・・。これだったら、ここから失敬すればよかったのに。50円、損したような気になる。
旧道に入ったスグ手前に、コンクリート造りの小さな神社あり。その横には公民館。中で新聞を読む。昨日買った150円のみかんを食べながら・・・、新聞を読む。朝のひと時、やっとまともな集落。今まで新興住宅地だったので、なんとなしに気が落ち着かず、この日本のボロ家を見るとホッとする。
狭い旧道にバスを待つ通勤者が数人立って、俺を不思議そうに見ている。数ヶ月前まで焦っていた心がなくなり、急に気抜け。もう銚子も近いし、東京もたいした事ない・・・。そんな事を思っているのか、旧道ばかりを通って歩く。
人家はあっても人がいない。利根川に出ると、堤を200メートルも歩いたが、このまま堤を歩けるのではないかと思い、背丈以上あるススキの穂林の中に入って行くと、人家の裏に出る。
たいそうな家が林の中に建つ。裏は静かに利根川のススキ、大きな河である。川岸、続く限りススキの穂が遠くまで揺れる。こんな道を歩けたら最高によいだろう。しかし道がない。道路に出て、旧道を歩き続ける。
ミカン畑に出会う。ちょっと考えた。みかんも食べたばかり。採ると重いし・・・、しかし貧乏性、恐ろしい。このまま去る事が、何か大変な損をするような感じを与えるのである。20個失敬したものの、重いのなんの。もう、みかん攻めである。新聞を読んでは、みかんの繰り返し。店に入る必要がないので助かるが。
兄にハガキ、日記、保管について出す。神社から銚子24キロ。銚子からユースまで4キロ。この計算で歩くが、荷が重く肩が張って、以前こんな事はなかったのに・・・。ブツブツ考え事ばかりしながら歩く。親父のことを考えて・・・、頭に来たり、かわいそうだと思ったり、自分勝手な連中だと思ったり・・・。
Kちゃんの事も頭痛の種である・・・。同じ事ばかりが頭の中に残って、精神性上良くないのが、浜崎から大橋を渡る。下が利根川。大きな大きな浜崎港、漁船が並ぶ。長い橋であるが狭い。車が走っていたら、歩くのがギリギリ。
後から車が来ているのに、二列に並んで話しながら自転車でやって来る主婦。俺にブツかっても知らん顔・・・。馬鹿じゃなかろうか、あの連中。こんな危ない所を二列で、しかも人にブツかっても知らん顔。子供・・・も同じように養っているのか・・・。
橋から小さな船が浜崎から銚子へ、渡し船、大きな河を渡って行く。
橋を渡ると銚子。階段を下がると、醤油、缶詰の匂いがプーンと来る。工場地で歩いていると・・・、頭に白のズキンをした主婦らしき工場労働者? 自転車乗って来る。彼女が、「こんにちは」と声をかける。俺も「こんにちは」と、返す。「ごくろうさんですねー」と。
全然美人ではなかったが・・・、こんなふうに見知らぬ人に声を、かけられる人はいい事だと・・・。
相手が美人でなかったのが・・・、なんて思ったりした。彼女は工場の中に自転車と一緒に消えた。漁港にトラックがズラリと並び、長崎ナンバーなんか沢山ある。こんな所まで魚を取りに来るのかと驚く。消防署の前を通ると、スコップに、ペンキ塗りをしていた消防員。俺が前を通ると、全員パッと顔をあげ見る。
若い連中ばかり。あの笑いは何を意味する。ユースに電話。俺一人夕食の支度はできないので、外で済ませてくれとの事。それの方が、俺にとってもよい。
商店街はシャッターが下りて、殆ど休業、定休日らしい。人通りはなく、ガラーンと殺風景。水商売の女がやたらと目につく。
スーパーで買い物、1091円。家ばかりで、食べる場所探すのが大変。小学生、遠足の帰りか、リュックを背負っている。犬吠崎の道を訊いても答えられず。アァーと言うだけ。
お堂前でコロッケ、いわしフライ、チキン串、これは大きい。割りに安いと奮発して買ったのに、ころもの中は・・・、なんと小さな肉。あとは玉ネギと白ネギ。インチキ、頭に来る。油ものばかりで野菜がないのでむかつく。神社、この場所から犬吠まで4キロ。2キロほど計算遅い。海岸通りに出て民家を通り抜けると海が見える。しかし、もう薄暗くなっている。
青森以来の海なのに、ユースに急ぐ方が先に気が入って、そんな事を思っている暇はない。後になって気が付いた。
遠方に、灯台にホテル。もう暗くなって夜道途中、丘の上に神社、その他と寝るのに丁度良い場所であったが、もうユースに電話をした事であるし、風呂、洗濯が必要である。
ユースに着くと、1100円。中性のおばさん。風呂、ゴミが浮いているが、久し振りのお湯。ホッとする。その後が、洗濯。これが大変。ジーパン・・・。洗濯が終わって、脱水機を貸してくれと、言えるような雰囲気ではない。
一人なので助かる。週刊誌・・・、日記と思ったが、全然書く気になれない。
週刊誌もペラペラとページをめくるだけで、読む気にもなれない。頭がぼんやりとして来る。ここの連中、やたらとバタバタ廊下を走る騒がしい所である。
もう、うんざりと思っていた、みかんがうまい。みかんを取る時は、重いし、荷になるし・・・。しかし、なくなると、アァー、もっと採って来ればよかったと・・・。
もう寝袋に慣れてしまったのか、布団の上より、寝袋の中の方が寝やすい。この日記は、翌朝早く起き、書いたが、何故だか焦って、それに途中から家族の連中が。廊下をバタバタ。喜劇場でもあるまいに。
使用金額:2211円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 ワニ川橋~利根川~浜崎~銚子
昔、この九十九里浜を歩いた時は、美しく素晴らしかった
1979年
昭和54年11月8日(木)
いつの頃に目が覚めると、まだ半分寝ぼけている頭を振り、冴える事に変な努力をする。床に入ったまま日記を書き始める。いつの間にか鼻水を垂らし、ズルーズルーと吸ったりのクリ返し。野宿すると、寒くても鼻水を垂らする事ないのに、銭を出して泊まると、常にこうである。
日記を付ける事が面倒と云うより、銭を出して泊まった朝ぐらい、ゆっくりしたいものであるのに・・・。早く書き上げて、解放されようと焦って書くものだから、字はミミズの這ったような。それにユースの連中が起きると、朝から廊下を走り回り、この板がガタガタと響き、ますますイライラとさせる。そしてこんな時に限って、書く事がダラダラとあるのである。
母親が盛んに子供を叱っている声がする。どうやら学校に行く前にグズグズとしているらしい。しかし平和な事だと思った。これが、全く言う事なく子供が行動するなら、なんと張り合いのない生活になるか。
平凡誌をペラペラとめくっていたら、もう頭がおかしくなってしまう。13年前、この部屋で、一席ブッた事を覚えているが・・・。ゆっくりとしたかったのに、家族達の騒ぎで・・・、これだったら野宿をしたほうがよかった。
出発。洗濯物、リュックの後ろに下げる。玄関で挨拶したら、出て来る事なく、中から大声で返事が飛んでくるが、もう・・・、なんと言ってよいのか、来る事はないのであろう。
パン、牛乳、テンプラがある。しかし食べずに出てきた。まだ銚子鉄道が走っている。13年前、鉄道に雑草が繁っていたのに。畑に何やら植えている最中である。やたらと家が建ち、何か知らぬが、朝っぱらから気がイライラして胸クソ悪い。
有料道路を歩く。展望台がある。しかし、営業不振で閉鎖中みたいである。
屏風ケ浦でパンを食べる。腹がヘッているのに全く食欲がない。それに左アゴ下がスレて痛い。崖から見る。曇って冴えない海の色。水面に幾つかの船が浮いている。左側に遠く霞んで、屏風ケ浦の崖が高く続いている。
おいしくない食パンを牛乳で流し込む。昔、この崖の何処かで、クソを垂れた事だけ覚えている。有料道路が終わり、国道126号。今日は、飯岡あたりでゆっくりするつもりである。しかし、やたらと荷物が重く、もうウンザリ。小さな集落、簡易郵便局で日記2冊を送る。地図、10グラムオーバーで、250円高くなるので止めた。
郵便局のおじさん、大きい声でやたらと返事する、200円。冷たい水が欲しい。今日は体がおかしい。HiC、リッター250円。筒、10円。HiC、冷たくおいしい。アッという間に、ゴクゴクと消えてしまった。
小便の色が黄色く、いつもと違う色である。足もだるい。錆びてボロボロになった鉄製ベンチに座って、地図を広げ見る。昨日はあんな道を通らずとも、直線道でユースに来れたのである。それに、こんな車の多い狭い国道を、歩かずとも、もう一本海岸寄りに道があるが、もう遅い。ヘマばかりしている。
坂道を下り始めると、ポッツリとラーメン屋があり、九州ラーメン、博多の看板。腹はヘッていないが、九州ラーメン、久し振り。やはりラーメンは九州である。戸を開け、まず、「本当に九州のラーメンですか。私も九州ですから」「はい」と返事で、マンガの本を見ながら大盛りを注文。しかし、出て来たのは九州のラーメンと似ても似つかない不思議なラーメン。もう見ただけでガックリ。夫婦でやっているらしく、文句は言えない。
俺は気が小さいから、おかしなものだ。これが外国だったら、バンバン文句を言うのに・・・。370円。九州ラーメンの看板より、インチキラーメンの看板を出した方がよいのでは・・・。ジュースとラーメンで、チャポンチャポンと音がする腹を抱え、ラクラクと飯岡町に入る。
ノート、ボールペン140円。この町どこか浜で、今日はゆっくりとするつもりであったが、全くそんな事のできるような雰囲気ではない。海で数人、小さな波でサーフィンをやっているが、よくやるよ。あんな小さな波で・・・。
国民宿舎の前の休憩所でリュックを下ろし、TIMEを取り出し、読もうとするが、全然その気になれないし、増々頭がおかしくなる。何がこんなに重いのか、サッパリと分らない。バランスが悪いのか。
昔、飯岡町、初めから九十九里浜を歩き始めたと思ったが、今はもう浜はなく、コンクリートの堤で、延々と続き、例によってゴミが散雑し、歩くのが胸クソ悪くなる程、汚い。どうして日本人は、こんなに自然を汚くするのか。恥ずかしい事だ。
やたらと釣り人が多く、海に向かって竿を持ち、浜に立っている。朝は晴れていたのに・・・。
渇いたノド、ビールを買う、200円。食べる気が全くせず、とにかく冷たい物が飲みたい。特にあの沢から流れ落ちる澄んだ冷たい水。どうして水道の水は、おいしくないのか・・・。缶ビールのフタを開けたらバッと泡が吹き出る。気が抜け、おいしくない。浜はコンクリート、川もコンクリートだから、グルリと遠回りしなければならない。全く味気ない浜になったものである。
浜でテトラポット作っている現場、その草番でリュックを枕に寝る。こんなに気分が悪いのは、思っていた程、よくないからかもしれない。東京に居た時、よく九十九里浜に行ってみたいと思っていたが、わざと無理して行かなかった。昔、この九十九里浜を歩いた時は、美しく素晴らしかった。しかし今は、俺の期待に反して、ゴミだらけの浜。もう一度訪れてみたいと言う気持ちを我慢して、大事に大事に取って置いた、この思い出の地。ただ行くにはもったいないと・・・。
イヤダ、イヤダと言っても歩かなければしかたがないのである。コンクリートの堤が終わり、浜が黒く汚れている。波の音がボンヤリと耳に入って来る。砂浜を歩き、すぐ横に波が寄せているのに・・・。ただ歩くだけで楽しむ気になれない。
小さな川、靴を脱ぐのも面倒である。何だかんだしていたら、靴を濡らしてしまう。これだったら、初めから脱げばよいものを・・・。
灰色の雲の間より、紅色の焼ける陽の光。もう夕暮。寝る所、浜岸に建っていた民家も消えた頃。遠くにポツリと二階建てと見える変な家が見える。低い松の木。二階に近付くと、海水浴場脱衣場である。
二階に上がると窓ガラスが破れ、中に入ると、夏の監視場に使っているらしいが、今は物置になっている。
机の上に砂が・・・、しかし、時間も丁度よいし悪くない・・・。中を整理する。後の松林の中に、二階建コンクリートホテル?
水でも汲みに行くかと思ったら、外に人が来ているので出られない。別にかまう事ではないが、小さな事で時には問題が起る。用心した事に越した事はないが、明るい内に日記を書こうと思っていたのに、なかなか帰らない。
中を掃除して、ホテルらしき所に水を汲みに行く。従業員が出て来て、疑いの目で俺を見る。水を持っていくと、納得した様子。その女従業員、歳の項28から30か。ノンノンを持っている。
「ヘェーその歳にして、ノンノンなんか読んでいるの」
「イヤ、これ私が読むのじゃないのよ」と弁解している。
小屋に戻ると、もう暗い。ロウソク、玉造のお堂で失敬するの忘れた事が悔まれる。残念。
パン3枚、テンプラ2枚、お茶、机もきれいに拭いたし、灯でもあったら日記でも書きたいところ。
寝る所も決まったら、ホッとして段々落ち着いて来る。
店屋でもあるのではないかと、水筒を持って、県道に出る。ホテルかどうか知らぬが、あさひ荘と示してある。
薄暗くなった浜に、中年のおばさんが浴衣を着て、浜に立ち風を受けている。若い娘なら、やぁーと、声でもかけるのに、中年では・・・。
県道に出て、右側に500メートル程行った所に店屋あり、主婦達が買い物中。710円、白菜の漬物を迷った末、買う。お茶と一緒にいいだろうし、体がだるいのは、塩気がないからかも知れないと思い。
こうなると、ビールとなるが止めた。
ロウソク二本買う。ロウソクとクソ紙は、絶対に買わないと思っていたのに・・・。漬物は250円。高かったなぁー。
浜に戻る道、夜空を見上げると星が輝いている。曇っていたので、雨でも降るのではないかと心配していたのに。
うどん、120円。パン、牛乳、漬物を買った。パン、牛乳は明日用。
まず、お湯を沸かし、うどん玉を2個入れたら、カビが生えている。クソおもしろくない。カビの部分だけ取る。
ビックリする程おいしくない。白菜を少し切る。しかし、醤油がないので、これもビックリする程おいしくはない。
日記を書きながら、お茶と漬物。もう何杯飲んだか。満腹なのに、やたらとお茶が飲みたいのである。
今、一本目のロウソクが終わろうとしている所で、破れた窓から、冷たい風が入って来る。
寒くなって来たが、山ほどではない。それにしても何ページ書いたのか。こんな書いていては、ノートがすぐなくなってしまう。
久し振りに縦書き。そしてゆっくりと誤字脱字をなくすように、注意しようと誓ったのに。始めだけ。後はこんなに長く書き続くと、あほ臭くなる。
今日中、枯れ葉を故葉と書いて手紙を書いた事が気になり・・・、こんな所でボロが出るものだなぁー。しかし、これが俺の実の程度だもん・・・、どうする事ができる。だから、今日から注意して書こうと思ったのに・・・。
破れたガラス窓から波の音が、絶え間なくザァーと鳴り響き、その波は、夜光虫が浮いているのか。蛍光灯の塗りに神秘的な光を波と一緒に、押し寄せてはクリ返す。
使用金額:970円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 銚子~屏風ケ浦~飯岡~九十九里浜
いつの間にか屏風ヶ浦の崖も、水平線の中に消えてしまった
1979年
昭和54年11月9日(金)
昨夜、無理して日記を付ける必要はなかったが、しかし、その日のうちに書いておかないと、記憶も感情の、時間とともに薄れてしまうと思ったからである。
しかし、昨夜、日記を書き終え、砂浜にクソを垂れに出て、深く波を引いた砂浜に尻を出して腰を下げ、今日の事を過ぎしことを色々と浮かび思い出してくると、たくさんな事、書き忘れに気が付く。常の事である。
ホテルから流れてくる灯の為に、波に浮かぶ夜光虫は見られないのか。薄明るい光の中に、波が寄せては引いて・・・。
尻を出したまま、色々なことを考える。左手、遠方、闇の中にキラキラと飯岡町長の灯が、一線、横に並んで宝石みたいに輝いて見え、水平線には漁火、夜空の中には星、黒い雲の間より月が少し照らしている。
遠く光の当たらない波に、夜光虫の不思議な光が動く。尻をおとしたままにしていると、いつの間にか尻が冷え、寒くなった。この事を忘れない内に日記につけておこうと思ったが、アァー面倒くさいと寝袋の中に入ってしまう。
朝、目を開け、寝袋から顔を出すと、まだ暗いが、段々と薄明るくなって来る。破れ窓に塞いでいた板を取る。明るくなったが、まだ朝日は出てこない。寝袋の中に入ったまま、机の上。そのまま開けた窓より青空をボケーっとみる。きれいな青空に白い雲が流れ、今日は急ぐ事ないし、のんびりと久しぶりに、ゆっくりとした気持ちになる。
太陽はなかなか出てこない。いじけているのか、東の空は紅色に染まる。しかし、夕焼けほど迫力がないなぁーと朝焼けを見るが、今、思っていたら、雲の間に少し紅い顔を出したかと思ったら、少しづつ静かに昇ってゆく。
時々、波の音が耳に入ってくる。早朝から漁船が岸近くで何かして、一人のおっさん、浜をどこまでも遠く歩いて行く。俺はそんな風景を、寝袋の中でボケーっと見る。
寝袋から出ると、お茶を作る。この浜をゆっくりと時間をかけ歩くつもりであるだから、朝っぱらから、漬物をポリポリ。のんびりと今、日記を付けながらパンを食べている。しかし、随分、太陽が高くなった。
民家が消えると、浜のゴミも少なくなり、遠くまで続く浜と、荒れた白波が彼方で一緒になって見え、ポツリポツリと浜に立つ釣人も、一風景の中に溶け込む。
大きな浜貝を一個拾う。もっと落ちていないかと探しながら歩いてみたものの、小さな幼貝が大変な数ほど浜に打ち上げられているだけ。一個ではしかたないので、海に還す。ただ、浜を歩くだけだから単調である。
あのゴミだらけの浜も終わり、磯に歩きやすい。栗山川で渡れない。陸をグルリと回って・・・。幅50メートルほどのかわであるが・・・。約2キロほどの遠回りになる。
静かな活気のない村に、店屋あり。中に入ったものの、パンも飽きたし、腹は減っても何も食べる気になれない。HIC250円だけ。お金を払う時、おやじさん、
「随分、早く来ましたネ」「ハァー」
「あなたは、私が釣りをしていた前を、裸足で歩いて行ったでしょう」
ここから九十九里浜町まで、13キロ。浜に出る漁船が川に入っている。
大きな遊園地らしき物が見える。夏の季節が終わって、閑散としている。浜には海水浴客のトタン屋根の海の家が・・・。砂吹く風の中に建っている。海岸に広い松の木、家が姿を出さないのが、気分良い。浜に打ち上げられたボロボロに崩れ果てた墟舟の横に腰を下ろし、残りパン3枚、HIC。誰もいない秋の海。パンはおいしくないが・・・最高だ。
時々後ろを振り返ると、小さく屏風ヶ浦の崖がまだ見え、栗山川~大戸川間で、大きな浜貝6個拾う。もっと落ちていないかなぁーと浴目で探しながら歩いたが、幼貝がきれいな小石みたいに、たくさん転がっているだけ。それを見ると、もったいないと思っても、どうする事も出来ないほどの大きさである。
大戸川にぶつかる。また、陸に迂回する。橋の先に小さな給油所あり。貝を洗う。水を水筒に入れていたら、2~3才程の女の子が来て、ジーと見ている。俺がリュックを背負うと、
「オジチャン、アンナ、オッキナ、ニニチュウー」と事務所に入り、不思議なハチオンの日本語。
浜に出る。海の家。屋根は飛び、腐れ果てている。その家から20メートル先にもう2軒。1軒も、やはり破れ崩れている。もう1軒は、周りをトタンで打ちつけてある。
貝を煮ようするが、風が吹き、炎が吹き流されたしまう。周りに板でかこみ、風を防ぐ。貝を6個食べるのも楽ではない。浜に建つ廃墟みたいな小屋の周りに砂風が舞う。板切れのベンチにテーベに座って、TIMEを読むが、疲れている時に読むと、増々、頭が痛くなる。
板を取ると、つきあげて貝の臭いがプーンとする。臭いは良いけれど・・・白っぽい汁、砂だらけの大きな口を開けた貝。口に入れると、弾みがあるか・・・味っけなる物なく、ただ、茹でただけの事。貝肉と砂を喰う。ギジッギジッと音がなる。砂を食べているのか、貝を食べているのか分からん。
お茶でも作るかと思ったが、この風にガスが心配なので、残念だが中止して歩く。
いつの間にか屏風ヶ浦の崖も、水平線の中に消えてしまった。九十九里町に近づくと、浜にズラリと海の家が建ち並ぶ。全く、見ぐさいトタンの小屋である。
今は誰もいない浜。しかし、夏は大変な人なのであろう。しかし、海の水は思ったほどきれいとは言えない。泡が浮いているのは、汚れている証拠であろう。
静かに薄明るい紅の太陽が陸の向こうに沈んでいく。今まで、海の向こうに沈むのではないと思っていたのに・・・。しかし、北海道の夕陽とは比べものにはならない。静かな気持ちで見る気にはなれない。なんだ、あの太陽は、といった感じである。
しかし、おかしいなぁー、同じ太陽なのに場所が変わるだけで、どうしてこんなに、つまらなくなってしまうのか・・・。
再び、川に出る。川、両側をコンクリート堤で海の沖合まで出してあるので、渡にも渡れない。昔はこんなもの、なかったのに。
九十九里港か。港に船が入っているが、活気がない。夜になると、夜海に漁火が見るけれど、昼間は休んでいるのか・・・。
日没になると、寝る所の心配である。その前に腹がへってどうしようもない。店を探し出すのが、先決問題。ところが、なかなか、どうも全くない。とうとう、有料道路の入口まで来てしまう。しかたがないので、右に道を行く。店・・・。
2個拾った浜貝、塀の上において、後から持って行くつもり。
スーパーで買い物。リュックをベンチに置いて、取りに行ったら、隣に座っていた中年のおばさん、色々と話しかける。九州から歩いて来たと言っても、信じない。
「アァー、おばさん、信じなくてもいいよ。」
浜に向かう。浜貝、塀の上に置いたまま。持って行こうとしたら、後から来るおばさんに、変に見られそう。気が引ける。
サテサテ、浜に出る。どの海の家をブチ壊すかな・・・と、見たら・・・。大きな海の家、屋根だけ。周囲、何もない・・・。これは、ついている。遅くなって、行く。
海を見ながら、パン、バナナ、温かいコロッケを食べる。暗くなっていく。浜辺に、中学生か、高校生らしきアベックか、抱き合ってイチャついている。クソ、それ、それを不純と言ううのだ。まだ、お前には早い、、、。かといって、ブッ飛ばし、女を獲ってくる訳にもゆかぬし・・・。ただ、見せつけられるのを黙っているだけ、、、。クソおもしろくもない。俺に気付かないで、好きな事ばかりしている。
青年は、健康な遊びをしなくてはならない。こんな事しくさって、千葉県の教育委員会は一体、何をしとるのだ・・・。あぁー、おもしろくもない。寝よう、寝よう。眠って、イイ夢、みよう。
使用金額:1341円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 九十九里浜~栗山川~大戸川~
今日、一日中寝袋の中
1979年
昭和54年11月10日(土)
昨夜よほど疲れていたのか、寝袋の中に入ると、そのままコトリと寝てしまう。真夜中に目覚め、時間は分らない。真夜中の浜に素足で歩くとシットリと濡れた砂の感触が、女の肌みたいに気持ちがよい。波は遠くまで引いている。空には半月。星は少ない。別にロマンチックな雰囲気にもなれない。ビールが必要である。
寝袋の中に入っても、目が冴え、寝る事ができない。もう夜明けだろうと何度も寝袋から顔を出すが、まだ暗い。やっと明るくなって空を見ると、鉛色の雲が垂れ込めている。天気悪いのかなぁーと・・・、そのまま寝袋の中に、また頭を突っ込む・・・。しかしその時、車が来て中年男連中が、何やらガヤガヤと騒ぎながら朝食を食べ始め、その食べる音がペチャペチャと耳障りな音で、クソおもしろくもない。
俺に勧めるならともかくも、イヤな中年連中。朝食が済むとまた何処かに消え失せた。車のナンバーは長野である。信州の百姓か・・・。期待する方が馬鹿だ・・・。
頭が半分ボケて、まぁ、日記でも書きますか・・・。しかし、全く書く気になれない。
半分頭が寝ているのが分る。パン、おかき、バナナ、牛乳、口の中が傷ついているのでバクバクと喰う事ができない。
日記は止めて、TIMEを読む。英語、1ページも読まない内に、頭がクラクラとする。これだったら日記の方がイイや・・・。日記を書いていたら雨が降り出す。海は荒れに荒れている。パラパラと釣り人が来るが、帰って行く。雨漏りし出す。
ポンチョを移す。寝袋の中に入ったまま、TIMEを読んでは休みのクリ返しの中、風が吹き始め、砂が飛んで来る。口の中が砂でザラザラ。防ぐものがないので、風と砂に攻められる。お茶でも作りたいが、水がないし、この雨に風、どうする事もできない。
もう一日が終わろうとしている。今日、一日中寝袋の中で、今、もう薄暗くなって、トタン屋根の上を雨がザーザーと叩きつけ、海の波は荒れ、ゴォーと鳴り響く。腹がヘッたと云うよりノドが渇いた。ビールでも飲みたい。変な一日であった今日・・・。
使用金額:0円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 大戸川
もう一度、日本の外に出たいなぁー
1979年
昭和54年11月11日(日)
昨夜、暗くなり、ウタウタとしていた頭を寝袋から出て外を見ると、海の方から吹き込んで来る雨が、段々と床板を流れ、寝ている所に攻めて来る。
西側からも雨風が舞い込み、寝袋をジワジワと濡らし始める。いたる所、雨漏りして、その水滴が風に流され、増々広く濡らして行く。
暗い中を、離れて見る。黒く光っている所が雨漏りした所。アチコチと回って見ても、どうする事もできない。床と床の間に棒を並べ寝ようとしたが、棒にクギが出ているし、風が強く、ポンチョを敷く事もできない。
25メートル程の広さ、2メートル床板、屋根だけで周囲には何もない。これが6つ並んでいる。雨が降っても、風さえなければ何ともないのであるが・・・。風は、西と海から吹く。1番端に移り、座るようにする。横に寝る事はできない。強い風雨に、外へ出る事はできない。海は絶えず荒狂い、ゴォーゴォーと波の音が続く。今までで最悪。銀紙で寝袋の周りを巻いてみるものの、風の為パタパタとすぐめくれてしまう。雨と云うより台風である。台風20号よりヒドイ。
柱にリュックを立てかけ、それを背にして寝袋の中に入り座るが、、いつまでも座っていられるものではない。尻が痛くなる。しかし、焦る事も慌てる事もない。ただもう諦念。濡れるのも時間の問題である。寝袋が濡れる心配、でも、手の出しようがない。時々寝袋から顔を出す。寝袋が段々と湿って来る。寝袋の中に頭を突っ込んだまま、荒れ狂う海の音、トタン屋根を叩きつける雨。トタンをガタガタと吹きつける強風。これらの音を聞きながら・・・。あぁー、ついていない。
夜になると雨は弱くなるが、止むであろうと思っていたのに、全くその反対である。もしこれが何も知らない初めての頃、そして初めての経験だったらと想像して、きっとオロオロと泣いているだろうなーと思う。13年前、この九十九里浜を歩いた時も、雨に降られ濡れたが、色々と思い出し、こんな時に何故だか京都の事、高橋久美子の歌を思い出して、ニタニタしているのである。そしてクヤしいクヤしい・・・。
時々顔出し、見る。小屋の中、もう全部完全に濡れ、床板もポンチョも、リュックも寝袋の外も。ところが・・・不思議な事に、寝袋の外は濡れても、中まではなかなか水が入ってこないのである。イャー、さすが羽毛ノルウェー製。高いだけあると、ほとほと感心してしまう。いつも、この寝袋はイイと思っていたが・・・、水にも強い、所々ヒヤリと冷たいものを感じるが、これだけビッショリと外が濡れているのに・・・、寝袋の中はまだ大丈夫である。これは栄ちゃんに感謝の手紙を出さなければ・・・、眠る事ができない。しかし、これもどのくらいもつのか分らない。濡れてから考える事にする。本当に手の出しようがないのである。濡れたら濡れたで、何かまた考えるであろう。
みの虫みたいにくるまっていた寝袋から顔を出すと、夜が明けているが、雨が降り凄い荒波が押し寄せ、風が吹き荒れている。夜が明けると、よくなるだろうと思っていたが、全然話にならない。口の中が砂でザラザラ、息をするのも苦しくなる。左胸が痛い。
朝の何時頃か、ジャージを着た男が、雨の中を貝探している。そして俺のところに来て、
「あの車はあんたのか、乗せてくれないか」
俺の車だったら、こんな濡れた所にいるはずがないだろう。一見、ヤクザ風。浜で拾った大きな貝を持っている。荒れた海、貝が転がって来るのであろう。その男の話に依ると、向側に畳を敷いた小屋があり、ここよりもいいだろう。雨も入って来ないし・・・。
小雨の中を幾つか建ちに並ぶ海の家に、その小屋を探しに行ったら、そんな小屋、ありはしない。
裸足、風で吹き飛んだ小屋の屋根とか塀とか壁、ガラス・・・。クギ抜きがあれば、なんとかなりそうな所もあるが。 一軒小さな売店小屋。三畳程の広さ、戸に板で打ち止めてある。その板を手でヒッパがし中を見ると、濡れて雨漏りしているが、あそこよりマシである。
引き返し荷物をまとめる。ものはついでと、今度は別の反対側プレハブを見に行く。プレハブはカギがかかっている。しかし、中は物置。ブイ、ゴミカゴがビッシリと詰まっているが、1カ所だけ丁度寝られる分だけの広さの台がある。窓に手をかけていくと、開いた。中に入ると、表の窓一枚なくなって、天下御免の通り、これなら鍵をかけても同じである。
このプレハブは、夏季海水浴監視所らしい。台に大きなスピーカーが20個程、テレビが二台。電気を切っているのか、点かない。そして雨漏り。しかしあの場より断然よい。台は三畳程の広さのゴザ。こっちに移って来る。
今まで居た所、気が付かなかったが、床下浸水である。プレハブは表から入るが、人が見ていると困る。しかし外からまる見え。もし見つかったら、運がなかっただけの事である。
まず水を探しに。プレハブから200メートル程離れた所に、牛乳販売所あり。牛乳を買いに行くと、出てきたおばさん、ウサン臭そうな疑いの目で、俺を見る。裸足で歩いているからか・・・。牛乳がない。水だけ汲んで戻る。雨が降っているので、そんなに遠くまで歩けない。
戻るとまずラーメンを作る。次はお茶。洗濯屋に出したのか、ビニールに入った毛布あり。それを敷く。これでテレビが付けば最高。言う事なしなのであるが・・・。
いつもはまずいお茶が、おいしく感じる。ラーメン2個、後はおかきとお茶。もう食物はない。あと少し、おかきが残っているだけ。
TIMEを読んで暇をつぶす。暗くなる前にと日記を書く。何時頃か分らぬが、12時頃か、雨は止んだが、風がまだ少し・・・、曇っている。雨雲が低く垂れ込んでいる。しかし西の空の雲は、雨雲ではない。もう降るだけ降ったから大丈夫であろう。
全くとんでもない日々であった。こんな事を想像せなんだが、一生忘れる事ないであろう。今、小便に出たいが、出るに出られない。人に見つかって、ここを出された日にはもう大変だ・・・。しかしこの中で小便を垂れる訳にもゆかぬし・・・イヤハヤもう。
ここまで日記を付け終わると、かなづちと角で裏の戸、クギを取り、裏側から出入りしないと。
雨があがって外に小便、浜に出ると、海は相変らず大きな白い波のうねりたて荒れている。車で遊びに来る連中がポツリポツリと見える。浜を散歩する。浜に幾つも建ち並ぶ海の家、その中の1つ「千代本」。窓をアルミサッシで囲ってある。30近く窓があるが、多分・・・、と思い、ひとつひとつと見ていくと、やっぱり一カ所カギをかけ忘れた窓がある。この広い雨の入ってこない場所で・・・。もちろん中は濡れていない。まぁ、世の中こんなものさと思う。ビーチサンダル(中にあった物)を履いて、この小屋は我物といった感じで出入りする。
TIMEを読み、なにげなくふと窓の外を見ると、空はきれいに晴れ、青空を出している。寝袋を持って外に出る。小屋の外に2つのベンチがあり、そのベンチの間に紐を結び寝袋を吊るす。晴れたからか、浜の広場に車の連中がゾロゾロとやって来る。その客を目当てに、自転車の荷台、弁当らしき物を積み、車から車へと売り歩いているおばさん。殆ど寄る車の連中は買っている。しかし、何故だか俺を無視して、前を素通り・・・。やはり長年の勘で、買う奴と買わない奴の違いが分かるのか・・・。
夕方、町通りに買物に行く。別のスーパーに入ったら高い。しかし客が多いのは何故か・・・。892円。ガス300円、もやし30円。釣道具屋にガスがあり。しかし主人、ガスを売った事なく、値段を知らない。主人が反対に訊いてくる。
「店によって違うが、300、350円。」正直に言う。
しかし、調べた方がいいでしょうと・・・、主人。値段表を持って来て、見る。300円で売っては、大して儲からないなぁー。でも、300円でいいです。今度、また買って下さいとの事。
水を汲んで小屋に戻る。灯が漏れ人が来ると困るので、ロウソクが立てられない。外はもう暗く、手探りで道具を出し、トウフを切ってクタクタとやる。沸いた湯の中にウドンにもやし、卵、これをナベ2杯食べると、満腹。6時を過ぎた頃か、しかし、夜空の広がりの中には、バケツで星をブチまけたように輝く、数々の星座。暗闇の中に立つ、2人のアベック。波は打ち寄せてはクリ返す。響くザァーブン、ザァーブン。闇の空に、小さくキラキラと点滅させながら飛んで来る夜間飛行。今日は歩かなかったが、雨のお陰で、沢山書く事があった。
そんな事を思い、波の音に耳を傾ける。不思議な程の静けさの中に寄せる波は、うるさいと思わない。小屋の中に一升ビン酒がある。しかし、一本は飲めない。少し飲んでも、あとの残りは腐らす事になるので、開封できない。もうひとつ別の小屋には、ビールケースがあり、鍵はかかっているが、一枚ガラス板が取れている。ビールでも飲むか・・・、と行ったが、信号の点滅する灯がその窓を照らす。トラックが1台止まって、エンジンをかけたまま・・・。こんな事で捕まっては、クソおもしろくもないと・・・、諦める。
昼間、ゾウキンを探していたら、海水浴客の忘れ物鞄の中から、カビの生えた小銭入れを見つける。持つと重い。3485円。千円札は、湿ってカビで黒くなっている。儲けた儲けた。鋭く深く、酒に手を出しビールに手を出し、やっていたら、どこかでずっこけるはずである。
暗闇の浜に戻る。また、ピカピカと点滅させながら飛行機が飛んで来る。幻想的・・・。もう一度、日本の外に出たいなぁー。クソー。
使用金額:1222円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 大戸川
遠く前方に太東埼の崖。一ノ宮川・・・
1979年
昭和54年11月12日(月)
ラーメンの中に卵4個入れる。しかし卵がナベ底に焦げつく。サテ出るかと思ったら、おっさんが自転車でやって来ると、入口の前に止まりベンチに座った。なかなか動きそうにない。そうーと反対側の道からリュックを出し、出て行く。遠くで人が見ていたか、もう朝だ。関係ない。浜に出る。
焦げついたナベを砂でこすり落とすが、なかなか落ちない。浜を一路、一ノ宮へと目指す。
浜は信じられない程、ゴミの山が続く。豊かになると、心のほうは貧しくなるらしい。もしこれが、貧しいとか戦時中だったら、こんなにゴミを捨てはしないだろうし、再利用するだろう。こんな汚い山を歩いていると、胸クソ悪くなり、頭に来る。
波は相変わらず荒れて、大きくうねりを叩きつける。国民宿舎九十九里センター。多分ここだったと思ったが、昔、千恵子抄の碑が建っていたのは・・・。探してみたが、有料道路の下にでもなったのか見当たらない。こんなくだらないものを作るから浜が狭くなって・・・、汚くもなる。
浜のゴミも段々と少なくなり、白子の川まで来ると、元の浜に戻る。潰れかかった遊園地に、仔馬、ロバ、ラクダ。夏だけの商売らしいが、これで商売になるのかと思われる程の廃墟。閉鎖中食堂が浜にポツンと建つ、その屋上に鉄階段。しかし潮風で鉄が腐っている。登るとベッキッと折れる。秋の陽射しを浴び、屋上でTIMEを広げる。
読んでも日本語が頭に浮かんで来ない。随分単語を忘れてしまった。食堂の外にある水道で洗顔。気のせいか、塩っぱい。海岸の水はどうしてこんなにマズイのか。
白子川を渡り、浜に再び。後は一ノ宮川まで。これで終わり。
太陽が真上から前に傾くと、波が寄せ引く時、その砂浜の水に太陽の光が反射し、キラキラと輝き光る。遠くまで続く白い高波と、前に広がり光る銀世界。裸足になり、波ぎわを足は進む。昔もこんなして歩いたのに、何も覚えていない。
何もさえぎる物のない長い浜に、ポツリポツリと釣り人。大きな長グツを履いて、浜に寝転がっているじいさん。潮やけした健康的なしわ顔を、平和そうにしている。
「釣れますか」「イヤ、ダメだねぇ」「何が釣れますか」「カニ」
こんな広い誰もいない所で浜に寝転がり、カニでも相手にしていたら、平和になるのである。
太陽の光にひかる水を見て歩いていると、なんと言うかビールでも飲んで、ゴローンとしたい気分。一服。カニ釣りしている人にタバコをもらう。久し振りのタバコ。しかし別においしくは思われない。
遠く前方に太東埼の崖。一ノ宮川・・・、グルリと右回り。裸足のまま道路を歩く。昔この辺の何処かの店で雨で拾ったハマグリを焼いてもらったが・・・。何処であったか・・・。大きな入江になった河、静かである。
老人センターで水を入れ、管理人らしき人と少し話す。浜に出ると車が10台程。浜の砂が黒色に変わるし、またゴミの出現である。破れた脱衣所でお茶を作り、残りの食パンを食べる。
海ばかり見て、空を見なかった。お湯がシューと沸くとお茶っぱをサジ一杯入れ、しばらく待つ。お茶は黄色に彩ったお茶。コップを口にしてのんびりとTIMEを読む。
段々と単語を思い出して来る。思い出してくると、おもしろくなってくる。
カニ釣りしているおっさんに「何処から歩いて来たの」
来た方向を指差して、「ズーッと向こうから」「どこまで行くの」。また指を指して、「ズーッとあっちへ」。おっさん、ニタッとする。
浜は段々と狭くなって来るし、砂が柔らかくなり、また足が重くなってくる。
濡れた砂がキラキラと銀色にひかり、波が打ち消してはまた現れる。遠くあった崖が、段々と近づいて来る。もうすぐ浜の終り。ホッとするような残念なような・・・。
浜を歩き終えた所で、日記でも書こうかと思っていたが、そこにはビーチホテルが建ち、海にはサーフィンの連中か、イモ虫みたいに無数に波に浮いている。
そして港なんかできている。全然落ち着いて日記を書く所のだんではない。昔は何もなく、歩き終えた時、自分のリュックを浜に置いて、写真をパッチリと1枚撮ったが・・・。
崖に小さな山道らしき物が見える。道路を歩くよりと、登り始めると、道ではなく、測量の為に切り開いた所である。急な傾斜の山肌を引き帰すかと思いながら登っていたら、ハイキングコースの道に出る。しかし歩き者がいないのであろう。竹が繁って、かき分け進む。とてもハイキングの気分ではない。展望どころか、竹をかき分けるのがやっと。急に崖にホテルが現れる。下ると濡れた粘土がツルツル滑って、急な下りだから何度も転びそうになる。もう尾てい骨はコリゴリである。
下に降りると、また別の細い急な山肌の路。しかし、上に登り着くと、これは道ではなく、テレビのアンテナを付ける為の物と分るが、もう遅い。道なき竹をかき分け、グルリと遠回り。下は100メートル程の絶壁。全く馬鹿みたい。下に降りると、これまた、アホクサくなる。道路を歩けば、すぐそこであったのに、えらい崖をよじ登り、竹藪をかき分けの苦行。降りた所が殆ど元の所と変わらず。もうハイキングは止めた。道路を歩く。海岸は崖である。
国道から離れた道に、腐り果てた農家。その周りに別荘。ベランダの二階建別荘。あそこに寝るには丁度いいなー。しかし、時間は少し早いし・・・。電話線が見える。電話でもかけるか・・・。雨戸を外す。ガラス戸に鍵。しかしガラスが破れ割れている。その破れた所から手を入れカギを開ける。
中は湿気が来ないようにか、タンスが開いて、押入れも・・・何もない。電話は内線用である。腹がヘッているので、何かないかと回ってみたものの、あるはずがない。しかし炊事場の流し台の戸棚の中に半分残っているジョニーウォーカー赤。これを失敬する。夏になると、銭と暇のある連中がやってくるのか、別荘が建ち並ぶ。しかし、今は閑散といる。
別荘が終わると農家。かけた歯みたいにポツリポツリと廃家。太東埼灯台(たいとうさきとうだい)に登って行く。白い無人灯台。昔、灯台は小さな赤と白のはずであったが・・・。勘違いか。
そのまま先に進むと、サビで茶色に腐った古い灯台。下に女の子二人。その腐った灯台の上に男4人、中学生。そのまま先に進もうとしたら、灯台の上から声をかけられる。
「おじさんどこへ行くのよ」と、変な声で叫び止められる。
話に依ると、この先大きな穴が開いていて、行けないとの事。四人、灯台から降りて来ると、何やらガヤガヤと、ウイスキーをよこせだのなんだの、ませくれたガキども。多少、ムラッと頭に来たが・・・、ヒッパたく訳にもゆかぬし。中学二年生女子、ダメだよおじさん、手を出しちゃー。もうちゃんとできてんだから・・・。
あぁーなんと言って返事をしてよいのやら・・・。サッパリ。
坂道をまた同じ方向に行くには、シャクだしおもしろくないので、別荘地の中を通り、杉林の急斜面を降りて行くが、行き止まりで、飲んだウイスキーが回ってきたのか、ドッキンドッキンと心臓と重いウイスキー入りのリュックを背負って、また杉林を登って行く。馬鹿みたい・・・。下に降りて来ると、白に塗った売り別荘がポツリ。これでも開けられるのでは・・・と、しかし自転車が6台。あの中学生連中の奴らしい。あいつらに出っくわしたら面倒なので諦める。自転車のタイヤの空気でも抜いてやろうかと思ったが・・・。
灯台、山の下を通り、太東崎浜に出るともう薄暗く、小さなお堂があったが、鍵でどうしようもない。別荘のベランダ下にでも寝るかと・・・、思ったが・・・。海岸に建ち並ぶ別荘。窓を閉め切ってある。幾つかには電気もついている。もう暗くなって小さな旅館の隣に平屋の別荘。芝は刈ってある。庭にブランコ、この縁台にでも・・・寝るか。玄関の雨戸に手をかけると、ガラガラと開く。中の玄関の戸に手をかけると、これもガラガラと開く。鍵がかかっていない。ライターで照らすと、もちろん真暗で誰もいない。靴を脱いで食料探し。
今日、店に行っていないし、腹がヘッて困っているのである。
台所に冷蔵庫。開けると、冷蔵庫の灯が周りを明るく照らす。イカの塩辛、ノリ、ラーメン一個、おかき、少々。戸棚を開いてみても何もない。サビついた鶏缶一個・・・。これら缶詰、ラーメン、おかきを失敬する。こんなに簡単に入れる所、後で誰か来るのではないかと気になって、中に寝る気になれない。
浜の中にテトラポット。その中に小さな小屋が闇の中にポツリ、ぼんやりと見える。行って見ると、中は砂だらけに、機械油臭い。型枠で作った一枚の棚。砂を落し、ここに寝る事にする。水を、ある別荘に汲みに行く事にする。ヒョットしたら電話があるのではないかと思ったが・・・、手帳持って行かず。ロウソク、ライター、水筒を持ってまた別荘。真暗の中にロウソクの灯を点け部屋の中を行く。部屋の感じ雰囲気からして、人が来るのではないか・・・。鍵のかかっていない別荘、気分が悪い。
流し台、水道の蛇口を回すと、ポタリ。一滴の水も出て来ない。チェッと・・・。電話を探したら、ヤッパリあった。しかし、電話番号を覚えていない。トタン小屋に急いで戻ると、手帳を取り出し、もし、電話が長くなってその間にリュックが消えては困るので、リュックを万が一の場合を考え隠す。何もない所ではあるが、この暗闇、アベックの絶好の場所なのであろうか、車がやたらと来る。
三度目の正直で、人に見つかるのではないかと、ハラハラ。ヨク、闇の中を見回し中に入る。もしもの場合を考え、靴は手に持ち、風呂場の鍵を開け、ロウソクに灯を点け、手帳をペラペラとめくる。ダイヤルを回す。ジージーと受話器が鳴る。しかし、なかなか出て来ない。灯が濡れないようロウソクは消している。
10センチ先の自分の手が見えない真暗闇にツー、ツー。何故か心臓がドッキ、ドッキ。馬鹿野郎、早く出ろ。ガチャッと受話器を取る音が伝わる。しかし俺の声が外に漏れるのではないかと気が気ではない・・・。声がどもる。兄貴は不在、用件だけを話すと、電話を切る。もう一度ロウソクに灯を付け、ダイヤルを回す。ロウソクを吹き消し、今度は靴を手に持つ。ツー、ツー、WMは出てこない。後は心臓によくないので止め、出る。
外に出るとホッとする。すごい緊張。もっとも、この緊張感が何とも言えないのであるが・・・。小屋に戻り、棚に新聞紙を敷く。風が中に吹き込み、ロウソクの灯炎が揺れ、ロウが流れ、アレヨアレヨと言う間に短くなって行く。広ちゃんの事を気にする。相変わらず同じ事やっているらしい。全く馬鹿たれが。腹の底から怒りがこみ上げてくる。全く子供よりタチが悪く、ウイスキーを口にしながらブツブツ。何かイイ方法はないかと考えている内に、ウイスキーが回ってきたのか・・・、眠りに落ちる。
使用金額:0円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 大戸川~白子川~一ノ宮~太東埼灯台~太東崎浜
それでも久し振りに、きれいな夕陽を見た
1979年
昭和54年11月13日(火)
薄明るくなると、寝袋を巻き上げ小屋を出る。まだ海も空も灰色である。適当に田んぼの中の細い道を通り国道へ。朝の太陽が段々と登り始め、空に浮かぶ雲を明るく紅に染める。海が陸の向うに隠れてしまう。朝日だの太陽だのと言っているより、腹がヘッてかなわない。
水と場所を求め、国道をキョロキョロとして歩く。朝の時間は分らない。坂東観音菩薩のお堂に行ったが、境内に人家があり、とてもガスを取り出してガタガタとやる雰囲気ではない。また下に降りる。
下に岬町消防団所と隣に、いこいの家。両方とも無人。いこいの家の戸に手をかけると、物置になっている場所が開く。消防署の横に水道。物置の中に入って、鶏の缶を開ける。缶の周りはサビだらけ。お湯を沸かし、まずグタグタ。次、ラーメンを・・・。それより、まず日付を・・・見ると、なんと昭和50年・・・、であり4年前のラーメン。とてもいくら俺の胃が丈夫といっても、缶の中を見ると、中にもサビだか、カビだか分からぬ物が茶色に。少し食べたが、どうも安心して食べる気になれない。スープは悪くない味だし、しかし金属で体をやられてからでは遅いと、勿体ないが捨てる。結局、お茶で腹を張らす。
TIMEを読んでいたら、おもしろくズルズルとその物置の中に長居。
外に出ると、朝の通勤車のラッシュ。腹ペコなのに、こんな時に限り店屋がないのである。あるのは自動車関係の建物ばかり。どのくらい歩いたのか、自動車修理工場横にコインフードのベンチとテーブル。休むに丁度よいなぁーと思ってみたものの、この高いコインフードを食べる訳にはゆかん・・・。アホらしい。橋を渡り、100メートル程に朝の開店したばかりの店屋。パン、HiC、250円を持って、このコインフードのベンチに戻る。ここで昨夜の分、日記を書くつもりである。
まず腹ごしらえと食べていたら、長グツをはいた一見おばさんが、ホウキを持って掃きに来る。しかし、俺が食べていたので引き返して行く。食べ終ってノートを取り出し、日記を書いていたら、またその一見おばさん風が来て、先に掃かせてくれと・・・。この機械とやら儲かるのか・・・、いつも疑問に思っていたので
「おばさん、この機械は借りたの」
「いや買ったの」
皆で800万円。3年目で、丁度今、元を取り戻した所とか・・・。それでおばさん、ベンチに落とした腰をチットも持ち上げようとはせず話し込む。なかなか頭のいい人らしく、頭の回転が速い。話してもおもしろいが、とにかく日記を書かない事には話にならないのである。しかしここは俺の持ち場所ではないし、強い事は言えない。
歳は33才? おばさんて失礼ネ。しかし、一見38ぐらい。前歯が総て金。口を開けると金歯がキラキラと輝く。36万したとか。これの為、老けて見えるのであろう。
昔、旦さんから暴力を振るわれ、頭が腫れていたとか・・・。ずいぶん長く話し、やっと戻る。ホッとして日記を書き続け、2時間程したら、また、ニューと顔を出す。
「ワァー、もうダメ、アッチに行け」と、手を振る。時間は12時25分とか。
「ご飯あげようか」
俺の態度コロリと変わって、エー、私は贅沢は言いません。何でもいただかしていただきます。お茶漬け、ドンブリ、置くと、邪魔しない為か、スーと消える。食べ終えた後、日記、やったらと書く事がある。おばさんが来ない事を祈る。ハラハラ。これを書かない事には、動きが取れない。悪い人でないし、話をしていてもおもしろいが、日記の方が先決問題である。やっと日記を書き終え、どんぶりを洗って返しに行く。部屋から、そこに置いといてと声がするだけで、姿を現わさない。
「どうもありがとうございました。日記に凄い美人の奥さんに、ご馳走になった」と、日記に書いておくから・・・。
全く歩くテンポが狂って調子が出ない。昼過ぎてから頑張っても、そんなに歩けるものではない。地図を広げると、隣町、御宿(おんじゅく)まで行ければよいだろうと・・・。
捨ててある週刊誌二冊を持って、また別のコインフード所で休む。古い週刊誌で、全然おもしろくない。幾つかのトンネルを抜け、御宿町。
一見変わった土蔵の家がポツリポツリ。まず、浜を目指す。浜に海の家でもあるだろう・・・。家並の中を曲り曲り、よく何処に水があるかなどを見て歩く。山の中腹に神社。今行くとマズイと、とにかく食料を買って浜に出る、699円。
日没近い浜では、漁したワカメをかき集めている最中。とても寝所どころか何もない。丘にメキシコの塔。多分公園であろう。日没の太陽、夕陽が紅く染め、丘の彼方をオレンジ色にして空を彩る。澄んだ円い太陽。久し振りに見る澄んだ夕陽。あの丘に登り見れば、見晴しがよいのでは・・・と、魚屋の若者に訊いたら、道は知らぬと。たった目の前の丘なのに・・・。もう一人の者が教えてくれた道をゆく。
車道を登って行く。丘におっさんが居て、
「ここでキャンプでもするんですか」公園の管理人かと思い、
「いや違いますよ。夕日を見に来ただけです」
きれいな真紅の太陽がポンと浮いているような感じでゆっくりと沈んでゆく。空はオレンジ色に染って美しい。北海道程ではないが・・・。それでも久し振りに、きれいな夕陽を見た。
港になった海の向に半島。その半島の島陰に太陽が姿を消す。急に海から吹いて来る風は冷たさを増す。ジャケットを取り出し、着るとパンを食べる。少し寒い。
拾ったビッグコミック、途中から塔を照らし出すライトの灯で読む。終わってフッと西の空を見ると、帯状に細長く横に紫色の夕焼けの残灯。
丘の公園を降りる。上から見ると、道が見る事ができる。多分あれが歩道であろう。こんな遠回り道、車道だけとはありえないはずである。
思った通り山道を下って行くと、下の家並。丁度道を尋ねた所から、200メートルと離れていない所が登り口。この道を初めから行けば、あんな遠回りをしなくても済んだものを。目と鼻の先に住んでいるのか働いているのか知らぬがイヤハヤ呆れた。
もう真暗。昔の漁村の面影を残した路地を、ガラス窓越しに見る。時計は5時20分で真暗。星がチカチカ、信じられない。ランドセルを背負った子供とスレ違う。
子供、「アッ、原始人」
水を汲み神社に行く。山の中腹に建つ。その手前に公民館あり。何やら宴会の挨拶中である。大きな建物で鍵がかかり、外の縁台、マンガのページを取り外し、一枚一枚置き、その上にポンチョを広げる。外なので常に風が吹いて来る。
大きな古い賽銭箱の後に、ガスを置き、風よけにしてウドンを作る。寝袋の中に入って夜空を見ていたら、もう葉が散ってしまった大きなケヤキの樹の支枝が、闇夜の中に浮び、宴会が最高潮になったのか、中年男女の高い笑い声が響いて来る。小便で立ったら、半分外に出て、綱引きをしている。
使用金額:949円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 太東崎浜~御宿町
天津小湊に思ったより早く着いた
1979年
昭和54年11月14日(水)
今までジャケットを出す必要がないほど、温かかったのに、朝、冷え込む。賽銭箱の後ろで、ガスにお湯をかけるが、風が両側から吹き流れ、炎を流すのでなかなか、お湯が沸かない。
沸いたお湯の中にラーメンを入れ、また、ラーメンが飽きてウンザリしているのに、それでも出来上がり口にすると悪くないと思う。腹がヘッテいるとなんでもウマくなるのか・・・。まだ薄明るい境内から、遠く町、街向こうの山に朝日の光が明るく山を照らしている。青空の中に浮かぶ雲も紅に彩っている。
荷をまとめ、階段を降りはじめると、その階段下にある両シシ、そのひとつをアチコチ手でさすりながら何やら一生懸命祈っている。こんな信仰というか、祈りは初めて見た。
浜に出て歩く。さして大きくない浜の中に小さな川あり。その上流に、橋があったが、靴を脱いで渡る。橋の横になんやら、月の砂浜の像とやらが建っていた。朝の浜に、旅行者らしき若者連中が4~5人、浜をブラブラとしている。
裸足で砂浜を歩いたら、砂浜が冷え切って冷たく、足が痛く感じられる。波打ち際に行くと、海の水が温水みたいに温かく感じられる。前の荒波の為か、浜にたくさんの海藻が打ち上げられている。
晴れ青空のせいか、海の色も美しい。勝浦へ。
高校の横を通り、歩道前方よりゾロゾロとやって来る。朝の登校、男女高校生。男は変な土方のニッカズボンに似た物をはき、服は下に長く、髪、リーゼント。体はやたらと大きい。東北とは全く違う登校風景。すれ違う度、こいつら、マンガの見過ぎと違うかと頭をヒネる。全く、マンガと同じスタイルです。女も同じ、パっとせんなー、若さがない。あの山陰自動車登校風景が浮かび、ここはやはり、東京の影響が強いのかと思う。
勝浦駅に行く。市の駅としては小さく、二日市の半分もない。クソを垂れる。この駅、トイレットペーパー付きである。
朝日を買う、60円。駅の待合所で読むより、海辺で陽を浴びながらの方がよいであろうと・・・海辺に向かう。途中、みかん300円を買って行く。ホテルの前に小さな活気ない遊園地。この腰掛けブランコに乗って新聞を広げるが、風が吹き、ジャケットを着ても、冷たい風がないと丁度良い。秋日和なのに残念である。一人の小さな女の子がひとりで遊んでいる。最近にしては珍しいのでは、幼稚園に行かない子供は。服は粗末ではないが乱れ、この子の家庭の乱れを感じさせる。
歩き始め、何処であるか地図を広げる。車がないので分らないが、小さな漁港。道路横に民宿、弥兵助。夏だけの民宿なのか、カーテンがかかり閉鎖中。その前にベンチあり、風なく前に海。ベンチに腰掛け、ゆっくりと新聞を読む。なんだか最近焦る事もなく、ゆっくりゆっくりと歩いて、計算により遅れてばかりである。日記も気になるし、頭がかゆく、掻くとフケがボロボロと落ちる。水道で洗う。坊主頭なので洗い易い。ひと通り新聞を読み終わると、歩き始める。海と空は久し振りの晴れに美しい。
この辺、夏は都会から来る連中で大変なのであろうが、今は静かな波と空だけである。パン、牛乳、290円。行川アイランド駅のベンチで食べる。女の駅員、国鉄かアイランドかどちらかが銭を出しているのか。一人の女駅員、暇そうである。
天津小湊(あまつこみなと)に思ったより早く着いた。まず、ここで今日泊まって、ゆっくりと日記を付けるかと。まず、新聞を広げて隅々まで読み終わって、日記を書き始める。少し寒くなって来たのでシャツを着る。フッと下を見ると、ババア連中が集って、何やら井戸端会議みたいにやっている。明らかに俺の事を話しているのが分かる。不愉快。ある者、二階の窓をガラリと開け、夫婦で見る。
「アァー、何か書いている」
人をモルモットぐらいに思ってるのか。なかなかその場からババさん連中立ち去らない。昨日分のページがやっと終わる頃、きれいな夕陽が始まる。この高台の神社から見るのに丁度よいなぁーと思っていたら。一人のおっさん、度の強いメガネをして、
「何をしているんですか。実は私ここの責任者ですが」
「イヤ、日記を書いているだけですよ。」
「イヤね、明日七五三なので、掃除をしたいと、おばさん連中が来たら、リュックを持ってヒゲを生やした人が居るからって」
その時、のそーと、おばさん連中が来て、おっさんが言うには、
「大丈夫、悪い人ではない、旅行楽しんでいる人ですよ」
で、どういう意味。悪い人ではないと。
丁度夕陽もいい時。まぁー、遠回しに出て行ってくれ。鍵はかかっているし、縁台に居ただけなのに。
おばさん、何やら言うので、
「あぁー、私ですか。私は賽銭泥棒ですヨ」
アハ、ハハハと笑うおばさん連中。
教えてもらった山の仏舎利塔街を通り、寺を横切りビール、210円を2本買って、山を半ばまで駆け足で登る。しかし、時、既に遅し。太陽は沈んでしまったと後である。こんな時に限って、美しい夕陽なのである。夕陽の沈んだ後の西の空を見ながら、仏舎利塔の棚に座ってビールを飲む。ビールを飲みながら、歩いて来る時見て来た色々な所の寝場を考える。
暗くなる前に下りようと、一旦少し降りたが、この先に展望台がある。まぁ暇だし、行って見るかと行ってみると、なかなか、森の小路、いい展望の場で、下に海が広がり、夕陽の残り灯が・・・。家に点々と灯が点き、遠く白浜まで見える。早く来ればよかったのにと逆恨みである。この展望台で野宿を考えてみたが、遮る物なく、まともに海の風を受けるであろう。夏ならともかく今は無理。ここからの朝日なんかよいのでは、と思ったが、山を降りる。途中、新しいお堂らしき物を来る時見ていたので、まず、そこに行くと、玄関が閉まっている。窓は開いている。
開けるとガラスが落ちる。破れている。悪くない。バケツ、水筒を持って、山を降り、公衆便所にバケツと水筒を置いて街に向かう途中、誕生寺あり。その山の奥より、不思議な甲高い音がカンカンと続けて鳴り響いてくる。山間に並ぶお土産屋は閉まって、寺の境内とともに暗く静かであるが、森の中に灯が見え、どうやらそこから鳴り響いて来るらしい。暗い夜道を登って行くと、色つきのケサに手には木管に使うような丸いアメ玉の親分を持ち、木魚を平たくしたような物を、絶えずカンカンカンと叩きながら、尼さんと一緒にお経あげている。後ろに立ってその流れるような声を聞いていると、何を言ってるのかサッパリと分らぬが、その辺のヘタな歌手の歌を聴いているより、よっぽどおもしろい。
お堂に上る階段の両脇に、狐像2つ。お稲荷さんと仏教。お経とどんな関係があるのか、頭をヒネる。中には色々な果物の供物あり。しかし、あんな物を失敬しても、ノドに通らないだろうなぁーと思う。お経ではない。何やら日蓮の事をブツブツ言っているのを聞く。終わると街に買物、589円。公衆便所で水を入れ、山道を登って行く。お堂に着いて中をゾウキンがけする。ウドンに卵5個。ロウソクがあるのでこれはついている。日記が書ける。これもあのおっさんのお陰だと、コロリと考えが変わる。寝る所も悪くないしロウソクもあるし。
今、ロウソクを付け日記を書く事ができない。灯が漏れ人が来ると困る。深夜に書く事にして、久し振りに時計をリュックから取り出すと、大体の時間を合わせる。寝袋の中に入ったのが、7:00 pm。起きたのが11:50 pm。さて、日記を書くかと、ロウソク箱に手をかけたら、軽いのなんの。空っぽである。線香は沢山あるが、線香では話にならない。何処かにあるのではと、棚の中とかを探して見たが、ない。焼けカスのロウソクを集め、書けるだけ書く。2:00 amで、ロウソクはなくなってしまう。書き残したまま寝るが、頭が冴え、寝る事ができない。
真夜のシーンと静まり返った中、又、あの不思議なカンカンカンの音がかすかに響いて来る。
時計は、3:00 am。
使用金額:1249円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 御宿町~勝浦~行川アイランド駅~天津小湊
真暗の中、冷たく伝わる床板の感触
1979年
昭和54年11月15日(木)
夜明けと共に、寺からの鐘の音がゴーンゴーンと響いて来るが、音は冴えなくスピーカーから濁ったような、濁った音である。多分、タイムセットしたテープでも流しているのであろう。
ほんの少し明るくなっただけの明るさ、また、七五三だと人が来たら困るので、サッサと寝袋から出ると、ラーメンを作り、卵5個入れる。この山の中まで、早朝、人が来る事はないであろうが・・・。
寒く、空は灰色の雲が広がり、その雲った雲の切れ目にポツリポツリと青空が見える。今日は雨なのかなぁ・・・と気になる。新聞、天気予報は太平洋に低気圧である。寒いと言ってもあの東北程ではない。東北は吐く息が白くなったが・・・、それでも久し振りの冷え込みである。
小湊駅で休む。しかし、体が冷え、休むどころの話ではない。待合室に丁度良い机があり、昨夜の残り日記でも書くかと思ったら・・・、寒いし手がかじかんで・・・、そんな気分になれない。
ベンチの隅に小さな本棚があり、少女マンガが並んでいる。読んでいたが・・・、また、こんな事で時間を潰すと後が困る。非常に強い決心の果に、本を下に返す。館山ユースまで3日遅れている。もうすぐ東京のせいか、遅れても全然焦らない。手紙の件もあるし、狭い店舗の密集した国道、ダンプがスレ違うとギリギリの幅である。とても歩くどころの話ではない。排気ガスはかけられるは・・・。
2時間程歩いたが、鯛の浦まで後に見える。グルリと湾になっているので、直線にすると、目と鼻の先である。鴨川の入口まで来ると、砂浜に小さな松林。この松林の中でクソを垂れる。浜に堤があり、そこを歩く。浜はゴミだらけ。大きなホテルが三つ。俺がホテルの横を通ると、業界人達が指をさしてみる。そんなに珍しいのかな、アホ・・・。
浜に寄せられたゴミを焼き、老人達が雑談をしていた。ある老人は一人で焚火の炎をボケーと見て・・・。何を考えてるのか知らないが、ゴミ箱をあさっているくず拾い。髪とヒゲは伸び「鼻を垂らし」ズボンはズンダレ、シャツも同じ。乞食と紙一重の差である。
リヤカーに段ボール紙と空ビン。これ一体どれぐらいになるのか訊く。500円程とか。それじゃぁ、土方のほうがイイじゃない。目が明後日の方向に向いている。目を今日の方向に向け。「アアそうだ・・・、じゃあどうして土方をしないの・・・」と言ったら・・・、沈黙の返事。
道が細い海岸に沿って走る。この道、車が少ない事に気づく。地図では国道街の向う側。浜ばかりを歩き、国道から離れてしまった。クネクネと曲がった道。景色はよいが、寒いのでそんな事は関係ない。ジャケットのポケットに手を入れたまま歩く。曇ったままで太陽が顔を出さない・・・。寒くイヤになる。太海(ふとみ)駅に休みに行く。
駅に新聞が置いてある。毎日新聞を読む。小湊の小さな駅では特急が止まる。750年経って日蓮は特急を止めるのだから大したものである。しかしこの駅は・・・。
仁右衛門島のみ・・・。寒くてゆっくりと新聞を読んでいられない。フラワーセンター近くのバス乗場の店でパン4個、200円。古いパンである。歩きながら食べる。座って休む所はない。体を動かしていないと・・・、冷えて来る・・・。
海はあまりパッとしない。途中から雨がパラパラと降り始め、バス停小屋の中に入って雨宿りしている間に、リンゴ箱のゴミ入れを横にして、椅子ベンチを机に日記。昨日の残り分を書くが、体が冷えきって、手がなかなか思うように動かない。ゆっくりと書いていくので、イライラとする。その内、太陽の光が小屋の中に射し込んで来る。
終わって外に出ると、今までの曇空が嘘みたいに晴れ、青空に太陽、ポカポカと暖かくなる。急に腹の調子が悪くなり、小屋の上の山に駆け登りクソをすると下痢である。多分、昨日の森永牛乳、太海で飲んだ奴であろう。この俺が下痢だから、口にした時、少し変だなとは思ったが・・・。
江見海水浴場に出る。浜を歩く。悪くない浜であるが、この所も例に漏れず、ゴミだらけの浜である。地図を見る事なく、浜ばかり歩いているのでよく覚えていない。和田浦からも浜を歩く。サーフィンをやっている連中が、海にアリンコみたいに浮かんでいる。女の子が一人、浜の堤でそれらの連れが待っている。スレ違う時、ブスではないが崩れた性格?
橋を渡ると、前方600メートル先、館山と白浜の別れ道標。浜に堤があり、それが自転車専用道になって、長く浜に沿って続いている。右横には、低い小さな松の防風林が、緑のジュウタンみたいに続き、浜に白い波。海が荒れていないので、寄せる波は真白である。
非常にいい浜なのであるが、ここもプラスチックのゴミゴミ。そこに、一人の高校生ぐらいの女の子が浜で遊んでいた。長く長く続く海の浜に、小さくポツリポツリと釣りする人が立っているだけである。この自転車専用道の堤の上に寝そべり、今日の日記を書く。後をフリ返ると、今さっきの女の子が、遠くで小さくポツリと、まだ遊んでいる。
空は鱗雲と言うのか、木場みたいな雲が広がり西の空に向かってベニ色に少し染まっている。もうすぐ夕暮れである途中でフト息を止め、歩き始める。この自転車専用道の終わり、右に折れ道路に出ると松林の中に、いくつもの別荘があり、ぐるぐると回ってみるとポツリと古材を使った小屋あり。針金を外すとドアが開く。寝るのに悪くないが、なんだか寝るには早いようだし食料がないし、店も水も迷った末、歩くことにする。
西の空が茜色とでも言うのか、鱗雲を染めている。しかし、山陰で上の方が少し見えるだけ。高い所から見ると、きっと美しいであろうと思いつつ歩く。国民宿舎、浜に土方の小屋を見たがダメ。内心やはりあの小屋にすればよかったかなぁ・・・。いつもなら構わないのであるが、明日中に立山ユースに着くとするなら、もう少し距離を伸ばす必要あり。しかし、この道は一直線に松林を走っているだけで、とても寝場どころでの話ではない。今夜は夜中歩く事になるのかなぁと思っていたら、右側500メートル程の森の中に大きな神社らしき屋根が見える。
道路から電柱より電線が森の中へ。人が居るのか、半ば諦め、細い田んぼ道を歩いて行くと、広い境内に神社。静かで人が居ない。境内に寄宿所あり。窓を一つ一つ手にかけたがダメ。アルミサッシ張りで、手も足も鼻血も出ない。神社の裏側に民家が並ぶ。深い緑の垣が続く。店屋どころの話ではない。もう薄暗くなりナベを出し、リュックの中を見ると、忘れていたラーメン。本当に助かる。
ラーメン、スープ。スープを食べていたら、犬の散歩に来たのか、若者からタバコ1本貰う。
熱いスープをフーフー云って食べる。境内は暗くなった。煙草に火を付ける。田舎の神社にしてはリッパである。鍵はかかっていても、反対側、開いている。中にロウソクはないかと・・・、ライターの火を付け探してみたものの、何もありはしない。
戸を閉めると真暗になるので開けていたが・・・、人が来ると・・・。面倒な事になるので閉める。真暗の中、冷たく伝わる床板の感触。腹がヘッているせいか・・・、眠りやすい。
最近、右肩がこって寝づらい。遠くより、ドドーッと来る波の音。
使用金額:500円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 小湊~鴨川~太海駅~江見海水浴場~和田浦~
昨日で丁度、福岡を発って7ヶ月
1979年
昭和54年11月16日(金)
昨日で丁度、福岡を発って7ヶ月。腹がヘッているせいかよく眠れた。いつも食べてすぐ寝るから、真夜中に目覚めるが、昨夜、真夜中にでも起きて歩くかと思っていたが、その真夜中、目覚めると雨が降って来たらどうするなんて考え、あー面倒臭い・・・、寝袋の中に入ったまま。
人間、空腹の方がよく眠るらしい。朝が来て、カッタルく起きる。朝は何も食べる物がないので、寝袋を巻いて出るだけ。浜に出る。朝焼け、海の水がきれいだ。太陽はまだ出て来ない。海上がかすみ、そのかすみの切れ間に、紅と云うかカーキ色と云うか。太陽の頭がポンと出る。とても、昇るといった感じの出現ではない。
浜に寄せる白波が美しい。浜にもう釣人がポツリポツリと立っている。好き者とは・・・。長い浜、この浜にこんないい浜があったとは知らなんだ。浜の終りに小さな漁村の漁港。たった今、漁から帰った小さな船から魚を降ろしている。大きなアマガッパを着たおっさん連中が、手際よく動く。15、6人程か。その仕事を見ていると、あぁー、これは一枚の絵になるなぁー。いい写真が撮れる・・・。その作業中の隅で、白い太った猫がニャーニャーと鳴いている。
おっさんが魚を一匹投げると、その魚をまた早くパッとくわえ、高い所によじ登り、パクパクとうまそうに食べ始める。太るはずだ、この猫。
道に白い物。金かと思ったら、コインゲームのコイン。昨日は60円拾ったが・・・。腹ペコペコ。しかし、まだ朝が早く、店は開いていない。海沿いを歩くので店に当たらない。千倉町。家が建て込んでいる。路地裏の道を右に折れると、商店街に出たが、まだ店舗はシャッターを下ろしている。店先にリュックを下し、TIMEをリュックから取り出す。TIMEでも読んで暇ツブすか・・・。通りに通学生達。おばさんが来たので、新聞販売店を訊くと、販売店は知らぬが、この先に新聞を売っている箱があると言う。
200メートル程歩くと、右側に産経新聞の新聞ボックスがあり、自主的に取って、お金を入れる奴である。なんだサンケイか、止めた。でも、しかしまぁー、一度だけ読んでみるか。いやポケットからお金を取り出すと、その中に先ほど拾ったコインがある。迷う事なく、そのコインを入れる。丁度開いたばかりの、店屋。しかし、パンはないとの事。前の古い店家に行くと、この店、クッキーを作っているらしい。
こんな田舎に珍しいので二個買う。悪くない味である、480円。
昨日拾った茶色に変色した50円玉を出すと、主人しげしげと見て、「これ、お金ですか」。「ハイ、お金です。私も騙されました」。
コーヒー牛乳、100円。安いので買う。今まで一度も買った事がない。こんな栄養のないもの、ばからしい・・・。
しかし、他に何もないし安いし。港に出る。コンクリート堤の上に横になって、サッソク、パンをパクつく。固く、硬い。古い店屋だから、パンまで古いのか・・・。サンケイを読む。やはり朝日に劣る。これは、あのコインで充分である。米国とイラン。大変だぁー。全くイランの連中、とんでもない連中である。イランに居た時、馬鹿な連中と思ったが、こうまでアホとは、思いもしなかった。石油がないと何もない国なのだが、神は人類に平等に資源を分け与えたが、馬鹿な連中に・・・。なんと、とんでもないものを与えたのか・・・。これ、誠にキチガイに石油だ。
千倉港から道路を歩く。切れ目なく続く両側の民家にはウンザリとする。海岸沿いに道があるのではと・・・。しかし・・・。今日は昨日と違って、嘘のようにポカポカと暖かい。民家が切れ、やっと畑と海が見える。秋の空に青い海。道路に立札。「海岸道路」。左に折れると、海に出る岩場である。小さな無人灯台あり。プラプラと歩いていたら、別荘が三軒。その中一軒、縁台が広く庭に出ているので、そこにリュックを下し日記を付ける事にする。
まず顔を・・・。庭にある水道の蛇口を回すと、水が出ない。元栓を探しヒネると、ジャーと出て来る。俺にこんな手段を使っても無駄・・・。知っている人だから、イヒヒヒ・・・。一人笑い、タオルを洗うついでに靴下も。縁台を机にして、庭に正座して座り書くと、丁度よい高さになり、スイスイと書ける。
今日は珍しく今日の分は今日書く事ができると思っていたら・・・、ノートがもう終わりである。
誰もいない海辺。雑草が繁り、主人の帰った別荘。太平洋は太陽の光に輝き、青い空はどこまでも高い。お茶を作りノンビリ。ユースまで多分12から13キロ程であろう。
今の時間、多分1時頃。やはり、太陽の下で秋風を受け書くと、のんびりしてゆっくりと書く事ができる。
ロウソクで書くと疲れるし、誤字脱字だらけ、乱筆。焦るし、しかしそれも一風変った味がするけれど、リュックの中を全部出し、日干にする。
この主人が来て、これを見るとビックリ腰を抜かすかも。人の庭で勝手にお茶を作り、洗濯して日干。縁台を占領・・・。この名札は、AW、荒川区町屋となっている。売春婦からピンクバー、キャバレー、それとも銀座ホステスか、金融バァさんか・・・、とにかく大したもんだ。いつまでものんびりとしていられない。サテ歩くとするか。
岩にブチあたり、ハネ返る白い波。遠沖に大きなタンカー。車の騒音もなく潮騒だけ。どうして同じ騒ぎでも人工の騒ぎだと神経をイライラさせ、自然の騒ぎだと心を和ませるのか、不思議である。
(白い灯台の建つ岩場の海岸にて)
地肌の道、岩場の海、海は青く陸には茶色に枯れた植物達。そのままこの道を行くと、一人のおばさんが雑草の中から出て来ると、疑いの目でジーッと見ている。
「おばさん、この道このまま先に行けますか」
「行こうと思えば行けるだろうが、道はないよ」
「ハァー、つまり行き止まり」
ブツブツと言いながら、今まで来た道を、また引き帰すが、このまま引き帰すのもクソおもしろくないので、雑草をかき分け田畑を越え、結局は思い違えをして遠回りでした。白浜町の表示板。思った通り離れていない。時間通りに着くはずである。
ユースに二泊するつもりなので、スーパーで昼の分、食料買い行く。1495円。ノート代100円。白浜町を歩いていると、黒い肉を天日に干しているので、魚屋で訊いてみると、鯨の肉であるとか。こんな物、見た事も聞いた事もないので、値は100グラム250円、迷いに迷って1枚買う。160円である。
ユースに電話をかけるが、誰もでない。岩場でマキを集め、この鯨を焼く。160円の味で、話ほどの味でもないし、それ以下でもない。
500cc牛乳3個、その他の食料をリュックに入れると、ズッシリと肩に喰い込む。三度目の電話で、やっとユースがでる。歩く真正面に、紅の太陽が傾き雲の中に入って行く。海上には灰色のガスの帯が横になり、最後まできれいに水平線の中に消えて行く事はない。あれは工業地帯のスモッグの為か・・・。冬の夕陽・・・だなぁと・・・。
途中から右に自転車専用道を歩く。背より高いカヤの中、左手に海、夕暮の浜。誰もいない海水浴場、広い浜。寝るに悪くない。しかし、手紙を受け取る事になっているし、途中、自転車でやって来る若者にユースを訊くと、まだ3キロ。道路に出ると、もうすっかり暗くなってしまっている。時間通りに着くはずである。
ユースの灯を見るとホッとする。中に入ると女の子二人が座っている。割合い可愛い子。19才とか・・・。二人連れ。
忙しいから待ってください。「いや待てません」と、冗談を言ったら、相手は本気にしたらしい。
飯の前に風呂に入りたかったが・・・、飯。腹がヘッているの。急に食欲が減る・・・。
手が震える。寒さの為か。後から女の子三人、計女子5人で男、俺一人。ゆっくりと食べたいのに、話していたら
「あの、もう30分も経っているんですが・・・」
女の子達は皿洗いに立ち、俺は慌ただしく、まずい冷えたチキンフライと飯を腹の中に入れる。これが久し振りに銭を出し口に入れるご飯なのか・・・。
手紙、届いているか訊くと、来ていないと・・・。大変だぁ・・・。東京で冬物を受け取るつもりでいたのに何故・・・。
平和の奴引越しでもしたのか・・・。他に別な方法考えないと・・・。困った。
今、先月分の使用料を計算すると、30281円である、リッパ。
誠にリッパな数字である。我ながら感心する。夕食後テーブルで日記の続きを書く。五人の女ども、19から20才では話にならないのである・・・。
女どもは別々に入浴するので、9時過ぎてより、やっと俺の番が回って来る。市原か市川か知らぬが、まぁー、ペラペラとくだらぬ事を、もうあれは望みがない。
着替えて下に降りると、奥さんコーヒーを持って来る。冗談で千葉の女の子に、
「ホー、七五三をやった事があるの・・・」と言ったら、奥さん、
「そんな事を言うの、失礼よ」
全く幅のない人である。悪い人ではないが・・・、ユーモアがない。11時消。スカンジナビアの本を持って、部屋に上がる。
読み終わるまで・・・、何時頃寝たのか・・・。
二泊するつもりだったが、こんな所、考えちゃうなぁ・・・。
使用金額:ユース1850円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 和田浦~千倉町~白浜町
期待もしていないが、残りの0.00001%夢がある
1979年
昭和54年11月17日(土)
どんなによく寝てもいつもの時間に目が覚める。空は曇っている。
朝食、パン、沢山出ていても、冷たく堅い。トースターなし。コーヒー、カップいっぱいのコーヒー。ポットなし。冷めて行くコーヒー。全く人を馬鹿にした食物の出し方である。全く同じ物を出すにも、出し方と云う物がある。この人間性が知れる。この俺が腹をすかせていても、食べられないのである。
手紙を書くつもりで来たのに、迷いに迷った末、出る事にする。空が曇っている。ジーンを裁縫するのにハサミを借りたいたが、言うのも嫌になる。9時ユースを出る。何処かでジーンでも縫って、それから考えようと・・・。館山を目指していたが、フッと昨日、東京の女の子二人連れに訊いた相浜に行く事にした。糸を買う、90円。
相浜の集落を通り、港に出ようとしたら、店先に彼女達の絵具箱。中で何やら買っている。声をかけようとしたが、止めた・・・。そのまま港に行くと、漁師達が網から魚を取っているので見に行く。小さな港で感じイイ所である。上にあがると、彼女達が先の方で立って何やら話し合っている。絵を描く場所を相談中。少し立ち話をして、俺は洲の崎の方に行く。彼女達は、遠く相浜に立つホテルの所まで行くと言う。それでは途中まで同じ道なので、俺は浜を行くつもりだったが、川があるのでグルリと回る事になる。
彼女達と一緒に歩きながら話をしていたら、俺の話がおもしろいのか、ケラケラと笑い出した。今まで黙って、無口と言うか、無気力。全然元気がない。
「二人とも元気ながないね」
「ウン、学校に行っていた頃は、学校でハシャギ回っていたけれど・・・」
「ジャ、会社が嫌な訳だ」
「まぁー、そうね」
浜まで来ると、さて・・・俺は先に行くしかないが・・・、暇だし。
「絵を書く所を見ててもいいか」と言うと、
見なくてもいいから、話をしてて、おもしろいから・・・。
浜に出ると、長い浜で悪くないが、例によってゴミだらけ。曇った空に波が打ち寄せ、浜には誰もいない。右遠方に相浜集落か・・・?
こうやってキャンバスを持って外に描きに来るのは初めて。それは、油絵はそんなにやった事がないとか・・・。
今、二人とも色々な事で悩んでいるとか・・・。とにかく若い覇気(ambitious:アンビシャス)がなく、気だるい所作なのである。
革ジャンに赤毛のアン。革ジャン、肌が荒れている。赤毛のアンは、顔色が悪く、常に貧血気味とか・・・。
三脚にキャンバスを置き浜に・・・。しかしこんな事で絵を描いてもおもしろいのかな・・・。そこで、よし今からお茶を作ろう。今まで浜で焚火をして、お茶を飲んだことないだろう。
まぁーお茶一ぱい作るのに、1時間かかる。面倒臭くアホ臭いが、しかし絶対に一生この事を忘れる事がないから・・・。騙されたと思って、まぁ・・・。
俺が水を汲んでくるから、二人でマキを集めて・・・。ホテルまで水を汲みに行く。帰って来ると、赤毛のアンが居ない。ホテルまで便所に行ったとか・・・。まぁ・・・、浜の後は防風林の松林なのに・・・、分らん。別に上品でもない・・・。用便は便所、野でやる事が頭に浮かんで来ないらしい・・・。
石を組み、彼女が戻って来るまで待つ・・・。戻って来る。絵を描こうとする・・・。
内心は・・・、分らないが、、ただそんなふりをしているだけみたいに思えるが・・・。今まで待っていたのだから、少しだけ付き合えと・・・。
革ジャンにマキをくべさせ、石の上にナベを置く。途中でナベをヒックリ返し、火が消えてしまう。
そこで、アアーとした彼女らに、
「喜べ、これで又、ひとつ話の種ができた」
しかし、この意味を説明するが大変。お茶を作ったが、ラーメンの油が浮いている。
俺は構わぬが、彼女達は、かまうらしい。
いろんな話をしている内に、潮が満ちて来て、波がザブーンと絵の道具を濡らす。ストーブを移す。彼女達の動きを、見ている方がイライラとする。汗をかく事を知らぬらしい。悪くない子だが、全然「生きてる迫力がない」。こんな子を言うのであろう。よく新聞に載っている無気力の子とは・・・。
「一年程、会社に勤め、一年程好きな事、絵の勉強して、私に22から23頃で結婚したいの」と、赤毛のアンは言う。もし俺が、そんな女からプロポーズされたら、即断るね・・・。どうして・・・と、分らぬらしい。分からぬから、こんな事を言うのだろうか・・・。俺の方が分らなくなって来た。
革ジャン、頭では随分色々分っているみたいであるが・・・。頭と実際の差は深い・・・。それにラーメンを作る事になり、その手つき、、マッチの使い方・・・。十八年間、どんな過保護な生活をして来たのか・・・。
この二人を見ていると、本当に人と接した事もないし苦労した事もないし、苦労しようと思わないし・・・、分らん。俺の方が分らなくなって来た。もう絵の方はとっくに諦めている。それでも、焚火を知ったからよいだろう。今は分らんのだろうが、絶対忘れる事ないし、10年ぐらい経ったら、ぼんやりと分かるかもしれない。その時、考えておくれ・・・と、この浜に4時間程いたが、2時である。
いつまでも一緒に居ててもしかたがない。リュックを背負って、少し歩く。二人で焚火していたとこに振り返ると、赤毛のアンが笑っている。何か二人でおもしろい話をしていたらしい。あんな笑いを見た事がない。悪くない笑顔で、内気なのか・・・、なかなか人に内側を見せる事がない。
二人の所に戻って、俺の住所を渡す。もし、いつの日か、絵を描いてそれらとここに来てフッと思い出したら、その描いた絵を送ってくれ。10年、20年でもいいから・・・。もちろん、これは強制ではない。もう、フンと思えば・・・、ポイしたらいい・・・。
革ジャンが、「5年後でもいいの」
「アー、10年後でもいいよ」
「20年後のほうがもっといい」
もちろん、99.9999%彼女達がこれを実行すると思えないし、期待もしていないが、残りの0.00001%夢がある。彼女達がいつの日か、この意味が心から分ったらそれでよいでないか・・・。
俺も昔、同じだったのだから・・・。
そのまま浜を、洲の崎の方に向かって歩く。川に出る。後を振り向くと、彼女達がアリのように小さく見える。
ゴルフ場に出る。今日は今にも雨が降りそうだし、歩く気もないし。ゴルフ場のグランドホテル専用バス待合所あり。椅子が6個にテーブル。水あり、元売店にも使っていたらしい。最高によい。ここに決めた。テーブルで日記を書いていたが、寝不足か、頭が疲れて全然書く気がしない。途中で止める。少し目を閉じリラックス・・・。効果なし。
ジーンを縫う。ゴルフ送迎用のマイクロバスの往来が途絶えた頃になると、もう真暗になってしまう。今頃あの娘達、ユースでどうしているのか気になる。
使用金額:90円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 千葉県/白浜町~相浜~洲の崎
本当は東京に行ってもしかたがないのだが
1979年
昭和54年11月18日(日)
あてにしていた平和からの手紙が来ていたら・・・。こんなに泡を喰らう必要もないのに、朝っぱらからジーンの裁縫である。今、迷っている最中である。沖縄に行くか、金谷から三浦半島、城ケ島ユースで必要な手紙を一週間程で書き上げ、そのまま南に下る。冬は四国でなんとか寒さを逃げ切れるはずである。もう一つは、計画通り東京で冬を越す。その間働く。しかし、東京に着いた時、着る物がないのであるし、落ち着く所がないと大変だ・・・。一応の用心として、破れているジーンを朝っぱらから縫い始める。
本当は東京に行ってもしかたがないのだが・・・。内心、TAに会いたいと云う期待がある。しかし、それが全てではない。TAは俺とは会わない・・・か・・・。もう一度、見届けたいと云う・・・。もっとも、彼女が会うかどうか分らぬが・・・?
とにかく金谷で決める事にして、今日中に縫い終えないと。昨夜からの雨で、今日は誰も来ないだろうと思っていたら、まず、雨ガッパを着たキャリーとゴルファー。こんな天気が悪いのに。よっぽど風流な人か、馬鹿者かと思っていたら、それを皮切りとして、続々とやって来る。今日は日曜日。雨が降っているし、誰も来ないだろうと待合所の中一人で占領して洗濯物。シャツとパンツを乾しても、荷物を散らかしている所に、ゾロゾロと8人ばかり中に入って来る。
いかにも皆さん、銭と暇が余っているといった顔をしている。人間、どこにこんな差ができるのかなぁ・・・。話しかけられ、少し話が、全然、分っちゃいない。
やっと縫い終えた頃、こんど医者連中である・・・。雨は降ったり止んだりの繰り返しで、今日一日中こんな天気な事はハッキリとしているが、こんな、庶民と一風変った連中とは付き合っていられない。
今日、縫い終わった後は、手紙でも書いてもと思っていたが、歩く事にする。どこかイイ所に当たるであろうと、期待・・・。ヨーロッパ風、城のグランドホテルに、その前は広いゴルフ場。中年女もクラブを握っている。旦さんが稼いでるのか、誠に羨ましい身。金持ち。その遊ぶ余っている一部でも俺にくれねーかな・・・。
灰色の雲は低く空を覆い、寒々とした海、信じられないような殺伐とした・・・、イヤだなー、こんな天気。案内図に洲の崎神社あり。勝手にもうここに泊るものと決め込み目指す。いつも思っていたのだが・・・、何故分りもしない物を、ここだと決め込むのか・・・。今、分かったような気がする。
期待はしていないが、そうとでも思って先に進まないと、何事も行動できないのではないか。潜在的に自己暗示をかけるのであろう。その物に行き当たって、また、それから考えればよい。しかし多分にして、自分の予想は外れる事がない。
この辺、夏は大変な繁盛なのであろうが、今は閑散と。静かと言う言葉は通り越して、陰様である。もっとも、青く晴れれば、ガラリ変るのは分っているが。ホテルの時計であったか、待合所を出たのが、11:10 am。もう着いてもいい所だが・・・。
その内、パラパラと雨が降り始める。雨宿りする場所がない。集落に入って、右側に小さな鳥居が見えたが・・・。俺の勘では大きな神社のはずである。丁度その時、左側に大きな石の鳥居が見える。そして、長い階段の山の中腹に社が見える。俺が想像していた感じとよく似ている。下の境内に木造社務所? それにモルタル造り家屋。
「ワァー、人が居るのか・・・」ガックリ・・・。こっそりと上がるか・・・、見つからないように・・・。
ところが、無人。モルタル造りの方は、寄合所青年団なんて書いてある。
モルタル造り家。窓をひとつひとつと見て回ったが、どれもカギがかかっている。もちろんアルミサッシである。ただ便所の窓ガラスが割れている。入れるのはここだけである。丁度、俺の背の高さより少し上。割れたガラス窓よりカギを開け入ろうとするが、窓は高いし小さい。下は便壺。ドボンと落ちた日には目も当てられない・・・。
それにクモの巣だらけ。中に入って下調べ。食物なし、ガスあり、水あり、酒あり、ビールごろごろ。しかしこんな温かいビールなんか・・・。本当かな・・・、内心、夜になったら飲むくせに。
窓が一カ所だけ開いている。外から見ると曇りガラス。カギがかかっているように見えるが、ロックを上に上げてもホックにかかっていなく、ズレているのである。これでまた1つ勉強になった。見るだけではなく、手をかけるべし。それも、両方の戸を強く引くようにしなくては、この場合分らないのである。
中に新聞、毎日11月11日付、エー1週間前。誰か来たのか・・・、意味しなくては。壁の隅端に横になって毎日を読む。ここに着いたのが、12:30 頃か13:00 だった。中に時計あり。日記を書き、今16:27 pmで、もう薄暗く、目が痛く疲れて来た。さっき空を見たら晴れ間が出ていた。明日、晴れるだろう。
日記をここまで付けると、もう暗くなり、大きなヤカンに水をいっぱいに入れ、ガスにかける。
大きなヤカンなので沸きあがるまで時間がかかる。その間にスープを作り、ソーセージと一緒に食べるが、真暗い中での食事は味も素っ気もない。電気があるが、まさか点ける訳にも行かない。洗剤があるのできれいにナベを洗う。
いつも水だけで洗うので、お茶を作る時、油が浮く。湯が沸いたのでジーンを洗う事にしたが、暗くてサッパリと分りはしない。それにリュックをひっくり返しているので、荷物がどうなっているのか・・・。とにかくリュックの中に荷をブチ込むと、便所の中に持ち込み電気を点ける。戸を締めると灯は外に漏れる事がない。ただ臭いだけ。
翌朝ゴタゴタとしないように荷をまとめ上げる。食器洗い機か、丁度洗濯するのによいのでそれに入れ、臭い便所の中でゴシゴシと洗濯する。脱水機あると助かるのだがなぁーと思う。
さて、洗濯が終わると・・・、残っているチーズを出し、小さい方の部屋に移ると、ビールの栓を抜くが、しかし、一本目のビールの口が割れる。勿体ないが窓から捨てる。
とにかくビールがゴロゴロとしている。小さな電気を点けて、コップにつぎ飲むが全然おいしくない。冷えていないせいか、それとも人が来ないかと心配の為か。こんなクモの巣の張った所、人が来ないのは分っていても、もしと言う事がある。
こんなに不味いのは、この部屋の中で飲み、気を張るからであろうと、チーズを持って外に出ると、真暗の続き。
浜にでも出ようかと思ったら、暗くて見えず。鳥居の下、椅子の上に座って、チーズをかじりつつビールを飲む。なかなか美味しいチーズ。ただ食べると何とも思わないが、ビールと一緒に食べると、日本のチーズも捨てたものではないなぁーと・・・。
暗く星も出ていない。哀しいと云うか寂しいと云うか、心の中までイヤーな気分になって来る夜空。
もう冬がそこまで来ている事が感じられる
使用金額:0円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 千葉県/洲の崎
館山市街には入らず、海岸通り
1979年
昭和54年11月19日(月)
昨夜、小便の為、目覚めそのまま寝つかれず、時計の打つ音を数えると、11である。それからその打つ音が気になり、アッ、もう12時、12時30分、1時と、思うほど眠らなくては眠らなくてはと焦り、かえって、眠る事ができない。
長い事時計は使っていないので、こんな小さな事に心が狂ってしまう。それに悪酔いをしてしまったのか、頭がガンガンとする。薬なんか持っていない。5、6年前の乾いたコチコチ正露丸では話にならない。何故こんなに焦るのか分らない。いつも真夜中に目覚めても、こんな事はない。この中の窓ガラスは透明であり、外からハッキリと中を見る事ができる。
多分、寝過ごして、朝、人に見つかる事を心の奥深く潜在的に恐れているのであろう・・・と思い、大きな広間にまた移る。
計、1:30 amまで時計の打つ音を覚えている。夜が明ける。6時、体がダルく、頭も重い。動きたくないが、こんな所に居てもしかたがないので、窓から出る。
外は期待に反して、鉛色の雲が垂れ込め、ドンヨリとした曇空である。風は強く、初冬を思わせる。こんな天気では、ますます心の中まで陰気になって来る。顔がボッテリと腫れぼったい。むくんでるのである。
洲の崎灯台を左手に道路はカーブすると、内房になる。夏季のホテル、海の家、別荘が静かに来年を待っているのか・・・。しかし、人の居ない家、雨戸を閉め切った別荘、ゴーストタウン。こんな物があるから、かえって陰気になるのである。
灰色の曇り空の切れ間より、蒼い抜けるような空を垣間見た時、ホッとする。美しい蒼空であったが・・・、これまた期待虚しく、鉛のカーテンに覆われてしまった。
二部入っているサンケイ新聞を一部失敬する。館山まで点々と続く会社の寮、保養所、個人別荘。夏は都会から来た連中がビキニ姿でホッつき回っているのか。今は海辺も強い風と荒れた波で閑散といる。新聞を読む場所を探し求め歩くが、どこも風が強い。
やっと見つけた所が、小さな別荘の玄関口。この入り込んだ所で新聞を読むが、こんな天気では読むのも楽しくない。
一通り読み終え玄関口から出て来ると、丁度岩場で漁網を取り扱っていたおっさん、不審そうに俺をジーッと見ている。まあ無理もないなぁ・・・。
別に腹はヘッていない。イヤ、ヘッているはずなのだが、全く食欲がわかない。こんな気分の時、無理して食べておかないと、後々まで続くであろう。牛乳、130円。残りものビスケットを寺の玄関で食べる。回りに墓、おっさん二人が石碑を建てている。
無気力な感じで新聞をめくる。新聞配達学生の事が書いてある。9年間、愚痴言わず頑張ったとか・・・。イァーリッパだよ・・・。これを読んで新聞を失敬して来た事に、悪い事をしたなぁーと思う。もっとも、日が経つとコロリと忘れ・・・。
この無気力感、あの娘達の伝わったのかなぁー。別に歩くのが苦痛ではないが・・・。全然歩くペースに乗らない。気分に乗らない。
館山市街には入らず、海岸通り。本当は館山から山を越え、東京に向うはずであったが・・・。那古船形(なこふなかた)駅で休む。
11:30 am 地図を広げる。山へ通り富山に・・・。この道でも行くか。人に訊かず、勝手に方向を決め、歩く。正義教団の屋敷。そのミカン畑に入り、青いみかん一個をパクル。線路を渡って、サテ、この店でいいのか・・・。おっさんに道を訊くと、富浦は、こっちの道を行った方がいいですよと、丁寧に教えてくれる・・・。しかし、後で気がついたが、富山と富浦の間違い。教えられた道は行かず、勝手に田んぼの道を行く。
行き止まりになると線路を行く。その前、鉄橋を渡っていたら、特急列車が警笛を鳴らして、フッ飛んで来るので、俺も吹っ飛んで逃げる。
小さな富浦駅。外に観光案内所の建物。こんな僻地? 駅前から国道に出る。スーパーで買い物、866円。スーパーの中に山口百恵の「いいいい日旅立ち」?を、流している。
「この日本の何処かで・・・」どうなるのか知らぬが・・・、こんな歌の文句みたいに実際甘くないよ、本当に・・・。こんなに・・・? アァー、もうーイィー。
スーパーの斜め向側に神社あり、そこに行く。寄り合い所。鍵がかかっている。もし開くなら、今日はもうここでフテ寝。金切りノコがあると・・・。縁台でソーセージをパクつく。なんだか、こう心温まる物を食べたいなぁーと思い、きれいに掃いた。ホウキ目跡の境内を見る。風が吹く。13年前、もっと人情があったが・・・。人の心は薄れてしまったみたいである。
この神社から2キロも歩いたか。小さな湾の集落に鳥居あり。あがってみると、四枚のムシロに埃だらけに穴だらけ・・・。時間的には早いし・・・と、思ったら・・・、顔もムクんでるし。中を大掃除してポンチョを広げ、とにかく眠る。寝袋の中に入ると、コロリと寝てしまう。
何時起きたのか、それから日記を書き始める。途中から薄暗くなり、このお堂の中にあった一本だけのロウソクに灯を付け書く。もう今は暗闇となり、潮騒のとどろく音と、犬の遠吠え。道路より車のプァーンと走り去る音。またひとつ脳が増えてしまった。
久し振りに東京で息抜きをしたいと思っていたのに・・・。最近は肩もコルし、疲れが溜まっているだろう・・・。明日で決断を下さないければならないが・・・。
金谷に着いたら10円玉で決めるとするかな・・・。日が暮れてしまうとつくづく感じるなぁ・・・、早い夏の終り。この旅は、俺にとってどんな影響を及ぼすのか、将来?
使用金額:0円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 千葉県/洲の崎~那古船形駅~富浦
「大事は簡単に決めろ」と、言う
1979年
昭和54年11月20日(火)
冷たい風がたえず吹き込み、お堂の中に風が舞う。畳でもなければゴザでもない。四枚のムシロが不思議と時代劇的な感じを与える。寝袋の中から上を見ると、屋根裏の柱梁がしっかりしているのに感心する。
すべて1本木である。一見、外から、いや内側からも見た所に依るとボロ板。風は、アッチの穴、コッチの穴と吹き込んで来るが、柱だけは誠にしっかりとしている。
そんな事を考えながらと、同時に今日はどうするのか。まぁーとにかく起きてお茶を飲む事にしよう。格子戸越に見る空は灰で、もう冬の空である。
お茶を飲みながら、こんな空を見ていると、気持ちまで灰色になって来る。もう来年の春まで、あの抜けるような青空は見る事ができないのかなぁー・・・。薄ら寒いお堂の中に、ひとりポツリ。こんな生活も東京でしばらく休憩できるだろうと、楽しみにしていたのに・・・。全く予測のつかない事になってしまった。
ナベをきれいに洗ったので、ラーメンの油が浮いていない。久し振りまともなお茶である。
お堂を出ると、狭い国道にダンプが走りまくる排気ガス、埃でノドが痛くなる。トンネルの中で、バス、ダンプに挟み撃ち。二台がスレ違うと、ギリギリの幅しかない。
(岩なんとか)駅で休む。販売店で買った朝日が60円である。普通、50円のはずであるが・・・。薄ら寒い小さな駅の待合所に腰掛け、新聞を読む。今日は珍しくおもしろい記事ばかりである。
待合所に乗客が集まって来る。もう皆、冬支度である。俺は着る物なく。出た時以来、同じ姿・・・。夏物・・・。皆バス通学なのか、バス停に小学生が群れている。歩いてる通学生を見た事ない。寂しい風景である。この国は、人間優先よりも産業優先に考える国である。これが経済世界第二の道路、国道か・・・。笑いたくても笑えない程、お粗末である。
人間がまともに歩けない道路なんて、聞いた事がない。ギリギリにダンプは寄って来る。この千葉のダンプがタチが悪いのか、他の県では避けて通っていたのに・・・。
安房勝山(あわかつやま)駅で休み、浜に出て山を歩く。正面に鋸山が見える。浜は夏の残りか、静かに横になり、来年を待っているのか、殺風景である。
浜の終りかけ、上に登ると、竹で柵をした畑に出る。
年寄り爺さんが一人立っている。
「すみません、ここを通してください」
「これから先、道はないよ。通れないよ」
「エッ・・・そんなー」
今更引き返す訳にも行かないし、冊を超え畑は横切り道路に出る。幾つもの小さなトンネルを抜け、カーブを曲ると、フェリー乗り場が遠くに見える。
顔を洗いたいと思っていたが・・・、まず、待合所のベンチに座り新聞を取ると、読みもしないのに、広げて考える。
どうする。東京から久里浜か・・・。小便を垂れると、ポケットから10円玉を取り出し、平等院が出たら「久里浜だ」と、ピーンと上に親指で弾き飛ばし、落ちて来たその10円玉を、左手の甲で受け止める。そして、右手をパッとあげると・・・、喜んでいいのか悲しんでいいのか・・・、船の切符を買う。
ここに着いたのが、1:00 pm 船の出港 1:20 pm。切符を買った後、東京・・・、未練・・・、残念・・・、クヤしい・・・。しかし、決まった事だと乗船する。350円船代。船室の中が煙草の臭いがしみ付いて、入るとムッとする。
東京湾に大小の船舶が往来する。晴れた海は青く、濃い色をしている。対岸の工場が見えるが富士山は見えず。昨日、洲の崎から内房に入った時、曇った空に雲を覆った富士山がかすんでいたが、ハッキリと見えた。
暇な航路だろうと思っていたが、けっこう人が乗っている。俺はフテ腐れ、新聞を読む。
内心10円玉、裏が出る事を期待していたのに・・・。しかし、じゃ・・・、こんな事しなくても、自分で決めればよかったのではないかと、自問自答すると、これまた矛盾して・・・、東京と決めれば、久里浜に行くのが、正解だったのではと・・・、悩みそうな・・・。
もう船に乗ってしまったから遅いけれど。
「大事は簡単に決めろ」と、言う。
東京、TAの事がノドに引っかかったままである。三浦半島に2時着、下船。左手に向って、歩く地図は見ないが・・・、方向はこの方だ。
大きな東京電力の工場あり。途中から国道に入り、浜を横に城ケ島を目指す。
弓形になった湾、遠くに小さく見える台地、テクテクと歩きながら、なんでこんな所俺は歩いているのか・・・。全く想像、予期せぬ事である。この調子だと、冬の間も歩く事になるが・・・。体、健康の方が心配である。
食料の670円。別に人と話をする訳でもなし・・・。浜に出て・・・。
コンクリートの上に腰を下ろすと、海より吹いて来る冷たい風を受け、パンをモサモサと食べる。そして、早い夕暮の始まり。寝所の心配。もう、今日はクソミソだなぁーと思う。
天気はせいか、なんのせいか・・・、スッキリとした気分になれない。ヒョッとしたら、鎌倉でTAに会えるのではないかなんて、勝手な想像したり・・・。
海岸通りには、色々なレストランが建つ。誰があんな所で食べるのか知らぬが・・・、結構な世の中である。
道は二股に分かれ、俺は海岸通り金田の方へと行く。
波立っている海に老夫婦が船を陸に上げようとしている。老婆が腰まで海につかり、船を支えている。老爺、ヒン曲がった腰でヨタヨタと坂道を駆け走って行くがのろい。老婆が、波に遊ばれる。手伝おうと思っても、海の中で手の出しようがない・・・。老爺が、焼玉エンジンをクルクルと手で回し始める。ポンポンポンとエンジンが動き始め、ワイヤーに繋ぎ止められた船が上がり始める。昔はきっとのどかな浜であったのだろうに・・・。
台地の向う空に広がる夕焼け・・・。高い所から見たらきっと美しいであろうと思われるような夕焼けである。しかし、俺には寝る所の方が心配である。海岸から台地へとお堂を上ると大根畑が広がる。大根畑に寝る訳にも行かぬし、地理がはっきりとしない・・・。
そして、薄暗く・・・。剣崎の灯台あたりに何かあるのではと、歩き向かう。
灯台の緑色の灯が点滅。浦賀水道に浮かぶ船舶の灯がハッキリと見える時、もう空は暗くなってしまった。灯台手前の海辺、公衆電話をかけている三人小学生に、神社はこの辺にいないのかと訊くと、この辺にはない。ズーッと向う側、また逆戻りの方向を指差す。もう真っ暗で見えない。
こんな時が一番辛い。子供達に教えられた夜道をテクテクと登って行く。大通りに出る。店から出て来た子供達に、神社を訊くと案内してくれたが・・・、場所が民家の裏で悪い。毘沙門天を訊くと、神社はあるがズーッと遠いと言う。詳しく訊いて毘沙門天に行く事にする。夜道をテクテクと歩く。今日はついていないなぁー、ブツブツ。せめて月ぐらい出ていたら少しは違うのに。夜の入江をグルリと回り、教えられた台地に来る。
暗い中、後はもう勘である。大根畑の中を通り、なんとか闇の中に建物を見つける。ライターに照らして見ると、全然、戸は開きそうにない。前はゴミ捨場。臭いが流れ、200メートル下に小さな入江の波音。縁台に新聞を敷いて寝袋の中に入る。
枯れ散った小枝の間に、夜空の星が輝き、風が小枝を揺らすとその星も揺れ動く。嘘みたいな速さで、冬がやって来る。
使用金額:1020円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 千葉県/富浦~安房勝山駅~神奈川県/三浦半島~城ケ島~金田~剣崎灯台
この7ヶ月の間に色々な事があったらしい
1979年
昭和54年11月21日(水)
例の如く真夜中に目覚めると、夜空に輝いているはずの星はなく、曇っている。夜風に枯葉を鳴らす音は、心の中まで寒くなって来る。眠りに落ちたくても、一旦寝て目覚めたこの目ん玉を閉じる事ができない。夜空の中を鳴り続ける風のビュービューと、音は、ますます頭を冴えさせ色々と考え込む。
縁台が狭いので、寝返りが自由にできなく、肩が凝る。パタパタと新聞紙が風に吹かれ音を立てる。ウタウタとしている内に夜は明け、ポタポタと雨垂れの音。
雨は枯葉を叩き、屋根からは雨垂れ。雨風が縁台まで吹き込まない事を願うだけ。寝袋の中で・・・フテ腐れる。今日、城ケ島ユースに行くつもりである。急ぐ必要はないが、何もクソおもしろくない日である。
人の声が流れて来ると、その内ゴミを整地する。ブルトーザー、トラックの機械音がうなりをあげ、臭い散らす。周囲に民間はなく閑静な所なのに・・・。
寝袋の中に入ったまま日記を書く。寝袋の中の足が汗をかく。雨は止む。
日記を書き終えると、曇った空の下を歩く。大根畑。緑の大根の葉が広く続く。その中にポツリポツリと集落。街中近くにこんな田舎があったのかと思う。食料、パンとジュース、便箋、330円。タダ歩いてもしかたがないので、ハイキングコースとやらを歩いてみた。そんなものありはしない。勝手に雑草の中を歩いてみたものの、崖に行き当たり、また、引き戻る。
俺の勘も最近あてにならないなぁー。城ケ島に渡る橋の手前1キロ、角で顔を洗う。八景の崖、北原白秋の詩。大橋を渡り、城ケ島へ。橋の下を覗き見ると、漁港に、停泊中の漁船に荷物を置き積んでいる。漁に出向する前なのか。橋を渡り、下に降りる遠方より城ケ島を見た時、目にした展望台を目指す。岩場のコースを歩く。上にあがると展望台。水あり悪くないが、展望台の中は風が吹き乱れ、チョット野宿するのには無理である。
雨が降った日にはアウト。展望は悪くないが、灰色に曇った空に海はもう秋ではない。
頭の中は色々と考えが駆け巡り、どうするのがベストなのか考慮するが・・・。あまりパッとするような考えは浮かんで来ない。とりあえず今日の宿泊を決めない事には。
管理事務所前まで行くと、探していた公衆電話を見つける。もし、電話がからなかったり、遠くまでかけに行かなければならないので内心、心配をしていた。
直接ユースに行けないのは不便である。電話から流れてくる声は・・・。お世辞にもよいとは言えない・・・。泊まる事を考えてしまう。しかし、一週間程泊まり込み、必要な手紙を全部書き終え、心の重荷を軽くして、再び出発のつもりである。
10時から15時。滞在させてくれたら助かるのであるが・・・。そんな事を思いながら公園の中で暇をツブす。公園管理事務所横の小屋の中にベンチあり、それに座るとTIMEを読む。
英語を読む事に慣れて来たが・・・。これから荷物を最小限にしないと・・・、体がもたないのであろう。また島の端、高台に建つ展望台に行くと、お茶を作り、暇をツブす。風で炎が揺れるので、ノート2冊で囲み、お茶を一ぱい飲むのも大変である。
ボクシングの真似をしたり、展望台を歩いたり、冷たく吹き付ける海からの風を受け、何を考えているのか、自分で自分がサッパリと分らなくなって来る。海上には船の後に帆を付けた小舟が浮かぶ。展望台に上って来る連中は、全てアベックである。胸クソ悪い。
私たち幸福ですといった面して・・・。海に落ち込んだ斜面の崖の枯草が茶色に風をなびかせる。
高い所から見える真正面の陽は、ボンヤリと雲の中である。もしかしたら夕陽でもと期待しつつ待っていたが、黒い雲の中に太陽は姿を消してしまうと・・・、夕日の夕の字も見えない。反対側の空は薄青い空。水彩画的である。ユースに行く、2300円。日記でも書こうと思っていたら、コタツの上に読売である。読んでいる内に夕食。おっさんと2人。食事が違う。頭に来る。
オリエンテーリングの講習をやるとか・・・。話好きのおっさんらしい。話していると、7時で風呂。そして洗濯・・・。ホールで日記・・・。テレビで歌謡曲レコード大賞。俺の知らない曲ばかりである。
この7ヶ月の間に色々な事があったらしい。日記もあるし、地図屋のおっさんは話に来るし。学生三人、海藻卒論で泊まり込み・・・。10時から2時位まで海岸に行って、干潮のあがって来た海藻を観察するとか。30才過ぎの女が一人、ユースのなんなのか知らぬが・・・、編物ばかり・・・。不思議な性格をしている。
ニュース、メッカで人質事件。パキスタンで米国デモ・・・。かわいそうな米国。ソ連がこんな目に会わないのが不思議。幸福のとなりを見ると、10時・・・。テレビを見ながら書いていたら・・・、話も加わって、とても書けるものではない・・・。
学生一人残って勉強中。二人連れが帰って来るまで、待っているらしい。
俺もホールに残り、コタツの中で日記を書くが・・・。いつもはもう眠て、もうすぐで目を覚める頃である。テンポが狂ってしまった。頭もボーッとしている事が分る。体のアチコチに何やらかゆい物が点々とできる。
外は雨に濡れ、明日は雨とか・・・。困った事ばかり続く。神は俺を試してるのか・・・。しかし、俺は負けんぞ・・・と、思っても・・・。かったるいなぁー。何だかサッパリと分らない。
22時50分
使用金額:2630円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 神奈川県/三浦半島~城ケ島
2
頭を使うとこんなに疲れるものか
1979年
昭和54年11月22日(木)
1日のサイクルが狂ってしまったので、朝の調子が悪い。朝食後三人で10時までダベる。老人について、日本人について、その他色々。天気悪く今日も雨である。趣味で絵を描きに来た定年者のおっさんに、「もし、今帰るなら橋を渡るまで便乗させていただけないでしようか」と、頼んだらところ、まだ帰らないけれど、送って行ってもいいですよ、との返事。車に乗って、用紙、クツ、食料を買う。買い終わるまで待ってくれる。自分にも30歳の息子があり、パリに8年住んだが、脳腫瘍で亡くなったとの事で、車の中で色々と話す。
よく考えてみたら、この橋は有料である。62歳の定年者は、車を運転し絵を趣味に活かしている。俺の爺と同じ歳なのに、全く違う。若いし、頭が柔らかい。別に造り鍛えられた人生を通って来たとは思われないが・・・。みかんを貰う。また、100円の料金を払ってユース前まで送り届けてくれる。ユース前に着いても車の中で色々と話。何故だかお布施の話で終わる。
ユースに入ると、早速ユース協会に手紙を書き始める。前々から困っていた問題のひとつで、大きな心の負担である。しかし、チャランポランにできる事ではなく、いつかはけじめをつけなければならない事であり・・・。書き始めるが、なかなか自分が思っているように書き表す事ができない。もう書いても書いてもサッパリと要領を得ない。もう頭がおかしくなる。
頭を使うとこんなに疲れるものか。これは歩いている方が幾ら楽である事か。息抜きに水産大生と話。ウニを食べさせてもらう。初めて食べたウニである。途中から9時ニュース。幸せのとなりで10時になる。手紙は終わり近くで、明日に持ち越す。
使用金額:4836円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 神奈川県/三浦半島~城ケ島
記念切手発売日を思い出し、三崎町まで買いに行く
1979年
昭和54年11月23日(金)
天気予報が非常に気になり、テレビの予報ばかりを見ている。時々雨、曇りとか。今日も連泊である。昨日来た女6匹、歌を歌ってうるさかったが・・・。朝食の6匹、並んでいる。話しても、モサとしているだけで・・・。一人を除いて、全員顔にホクロを持っている。一人だけ目と目の間に大きなホクロ。朝なのに、髪は乱れ、食後テーブルにうつむいている。昨夜、寝らずして、レスリングごっこをしていたとか・・・。
若いといってもそれぞれの性格がにじみ出ている。腹の中、あぁー、この女はダメ。この女は少しましかな・・・。この太めは若い時はよいが、結婚して歳を取ると、生活感をまともに出す人であるが、鍛えていけば・・・。しかしこんな人に限って努力はしないなぁ・・・、なんて・・・。
昨夜の続き、手紙を書き、一通めを終えた時ホッとする。二通目、TAに最後の手紙を書く。埼玉の自転車、昨日雨に濡れやって来たが、彼も連泊。ストーブの周りに濡れ者を乾かしている。俺は手紙を終え、フッと横に座っている彼を見ると、切手を持っている。今年の年賀切手を5枚交換する。この交換で、昨日、記念切手発売日を思い出し、三崎町まで買いに行く。しかし、今日は祝日である事に気がつく。郵便配達人に会う。午前中だけ本局は開いているとの事。しかし、これが遠いのなんの。珍しく青空が澄み、美しい汗をかく。予報、当たらぬなぁー。
三崎町、封筒、ボールペン、90円。昼食500円。町中を通っていたら、汚い中華屋。丁度昼。フッと入ってしまう。汚いので美味しいだろうと思っていたが、出てきた注文のタン麺を見ると、口にする前にして、もう味が知れる。もう見た目にしてまずい。入った事を後悔する。
マンガ一冊を見て暇をツブす。街通りをそのまま下ると三崎港に出る。港には白いペンキを塗った漁船が連を並べている。壮観である。なかなかイイ街である。
港をグルリと回る。脚がガクガクとして来る。もう体にガタが来ている事が分る。左足首がおかしい。何とか、ひと冬もつのではないか・・・、なんて思いながら歩く。
食べるメンチ。これも美味ではない。やはり、まともな銭を出さないと、まともな味は味わえないらしい。
橋を渡り城ヶ島に戻る。橋の下に青い海が見える。こんないい所だったのかなー、10年前。こんな余裕はなかった。歳をとったのか。
晴れたので、今日は夕陽が見れるのではないかと期待したが、ユースに入り手紙を一通書くと、もうこの眠さはにはかなわない。ベットに入り込むと眠りの中に落ち込んでしまう。
よく寝た。ベットから出てくると、また曇っている。やはり予報は当たるらしい。
テーブルで日記をつけていたら、例の嫌な年増女が寄って来て、「今日は昨日と違うのよ」。
自転車と二人だけ別のテーブルに。エサが違う。ペアレント、なかなかよく動く。珍しい。
二人で食べていたら、金沢のアベックが前に来る。シュウマイを女の子から貰う。少しダベる。この男にしては、もったいないくらい頭の良い子であるが・・・。20才とか。
二組団体。湯に入り、後、手紙を書いていたら、ホールの団体騒がしく、頭が回らない。
卓球室に移り、卓球台を机にしてマコに手紙を書くと、書いてみたものの、この20才については一度書いた事がある。
日記をつけ終わると金沢アベック、俺の周りをウロウロしているので話していると、ミーティングをやると言う。部屋に戻ろうとしたら、ヘルパーが、「おじさん、ミーティングに参加してください」。
考えて、まぁー子供の遊びでもよいであろう。しかし、思った通り馬鹿なヘルパー。このユース、馬鹿なスタッフばかり。ペアレントがいいのに? 不愉快な連中ばかりである。
今日のホステラー、ブス、イモばかり。やはり寝るべきだった。
使用金額:2690円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 神奈川県/三浦半島~城ケ島・三崎港
40キロ以上歩いた事になる。さすがに足がガクガク
1979年
昭和54年11月24日(土)
6時半に音楽が流れてくる。昨夜のうちに、荷はまとめていたので洗顔の後、すぐユースを出る。ユース玄関前で、昨日のレクレーションリーダー団体連中が変な体操をしている。
新しい靴を履いて、古い穴のあいた靴は手に持ち、城ヶ島橋中央ごろまで来ると、海に落とす。橋の上から下を覗くと靴は浮いている。沈むのではと思っていたのに・・・。寒い曇り空の朝である。橋の上、前方50メートル先にジョギング中の女が歩いている。後ろ姿、長い髪、気になったので前に行って顔を見ようと思ったが走り出した。
まだ車も人も通らない町の朝は遅い。しばらくすると、通勤の車が徐々に増え始める頃になると、朝の始まり。
排気ガスでノドがおかしくなり、タンばかり吐く。8時過ぎた頃、後から埼玉の自転車が来る。鎌倉まで24キロだと簡単に言う。分かっちゃいないなー、この男・・・。視野が狭い男は悪ではないが・・・。店屋、無く、何も買えない。朝食なしで出てきたが・・・。あれは高い食事色時代である。
全然天気が悪く、寒くなってしまった。新聞がアチコチたくさんあるが、全然読む気になれない。9時過ぎ頃、道路横に建つクッキー食売店、非常に安い。1袋150円。売店人、女の人、決して美人でも可愛くもないが・・・、
「キャンプをしていたの、どこまでいくの」と丸い顔をして聞く。
「九州まで。暇があり余っているので・・・」
「本当に」
「本当に本当。この中でどれがどれか1番おいしいの・・・」
「男の人だったら、このチーズクラッカーがいいでしょう」
1,000円出すと、880円の釣り銭、120円にしておくからねぇ・・・との事。
本当に安い。牛乳がないので、クラッカーだけではそんなに食べられない・・・。
家が切れ目なく続き、休むところがない。2時間ほど歩いたところで、バス停で休む。公衆電話が横に建っているので、朝のうちにと、日本学生会館に電話すると、満員御礼である。ガックリとくる。鎌倉には寝るところはない。あとは湘南ユース、距離が遠すぎる。困ったことになってしまった。天気は悪いし、金の心配もあるし、郵便貯金は6万円。逗子に第一勧銀があるのではと急いで歩くが・・・。足が痛くなる。
葉山の海岸に、金持ち連中の家が建ち並ぶ。遠く海の向こうに江ノ島が見える。グルリ回った湾なので、遠回りである。リヤカーを引いた魚屋の爺さん。顔が寒さで赤くなり、クシャクシャ。リヤカーの後に赤ペンキで、「いつまでもあると思うな親と金」
城ケ島から区間区間に地図が立っているので便利である。逗子に12時に着く。
すごい速さで歩いている。今日土曜日なので・・・。
しかし逗子には第一勧銀にはないみたいである・・・。有料道路に出て寒々とした海みを横に、テクテクと歩く。同じユースだった高三、福島県の柔道でもやっているのか、後からやって来る。トンネルを出ると、鎌倉の浜が見える。
2時、今日、ユースでゆっくりと手紙を書いて、暇があったら映画でもと思ったらとんでもない。。そんなことより寝る所が心配である。浜を歩く。ゴミ掃除をした浜、浜の向こうに人々が散歩をし、アベックたちが戯れる。憎き連中め。海岸通りには洒落たレストラン。金が余っているのか、食事中である。
今年の2月、ここに来て、もう9ヶ月が過ぎたのか・・・。嘘みたい。鎌倉は素通り。江ノ島へと向かう。途中、店屋がなく、レストランばかり。朝からクラッカーだけ。ほとんど休む事なく歩いている。休むと体が冷えるし休むところもない。
江ノ島で3:30PM。もうすでに30キロ以上歩いている。無理すれば湘南ユースに着くことができる。仕方がない、この天気では。電話をかける。その前に店を探すが食堂ばかりである。江ノ島もへったくれもあったものではない。最悪である。こんなに歩いたのは秋田、以来。短時間にこれだけの距離を歩くのは、この日が初めてである。
江ノ島から海岸に公園が続き、道路から離れ公園の中を歩く。公園が終わると背の低い松の樹の防風林が湘南海岸を遠くまで埋め尽くし、その中に遊歩道あり。なかなか散歩には快適な道である。道路は休日の為、乗客の9人が帰途か、車のラッシュである。
寒々とした海と空。5:30PMまでにユースに入らなければならない。足は痛いを通り過ぎ、左脚モモ裏側はヒキつけケイレンする。冬の海を見るなんてものではない。歩くのが精一杯である。海でアリンコみたいなサーファー連中が遊んでいる。
たとえ曇っていても雨が降っても屋根の付いた寝る所と食料、水があるなら誠に素晴らしい海岸である。
湘南海岸通りには、ここでもやはりレストラン。そんなに儲かるのかレストランは・・・。遊歩道が歩きやすい。ジョギングしている者が前を走って行く。よく心臓が耐えられるなぁーと感心するばかり。みるみるうちに、その走る人影は小さくなって行く。散歩をしている老人に、時間を訊く。4:30PM頃だと云う。いつの間にか薄く暗くなり、あぁー今日もまた一日が過ぎて行く。今日は一日終わりが早く思われる。そんな事を考えながら歩いていたら、後ろからさっきの老人が走って来る。少し話ながら歩く。78才と云う。元気ハツラツ。老人と云う言葉は当てはまらない。ユースを教えてもらう。老人、私は走っていますので・・・と、暗くなった夕暮れの中をスタスタと走って行く。
ユースに5:10PM着く。40キロ以上歩いた事になる。さすがに足がガクガク。階段が登れない。脚がカクンカクンとテンポ合わず・・・。夕食こんな夕食・・・。今日、初めての食事なのに・・・、失望・・・。前に金ブレス、時計、ネックレス、キャッツアイ、ずらりと並んだダイヤの指輪。本物。子供に飯を食べさせ、自分は食べていない。変な親爺さんである。
一見、画家風であるが、風呂で一緒になったがメキシコ生まれの日本人。オパールの仕事をしてるとか。不思議に柔らかい頭を持った人である。女の話ばかりしている。
体の全身が痛く、ゆっくりと湿って足の裏にマメができる寸前の皮膚がふやけて破れそうである。アンメルツを体全体に塗る。同室に高校生5人、トランプをして遊び、騒がしいが、8時でうるさいとは言えない。もう日記を書く気も気力もない。途中で止める。こんな時に日記を書いていたら、ただの苦痛でしかありえない・・・。隣接が空いているのでシーツを持って移る。1人でウタウタとしていたら、三人入って来て静けさを破る。すっかり体の調子が狂ってしまった。こんなに疲れ、これで雨の中の野宿となったら絶対に体を壊しているであろう・・・、なんて思っている内に、眠り中に落ちて行く。この車街道、歩き難く予想した通りイヤな道である。
浜名湖まで大変だ・・・。
銭も1万円を切れたし、イヤな事ばかりが続いて起きて来る。
神よ 試すなら試せ 俺は絶対に負けない
とブツブツつぶやく、ベットの中。
使用金額:2420円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 神奈川県/三浦半島~城ケ島・三崎港~逗子~葉山~鎌倉~江ノ島~湘南海岸
今日、何もしない内に、2818円も使った
1979年
昭和54年11月25日(日)
朝の目覚めとともに、遠くより聞こえる道路を走る車の水しぶきの音、雨である。もうこの天気にはウンザリとする。朝食は、これまた、こんなもので400円も取るものだと感心する。
部屋に戻って、窓より小雨の降る湘南の海を見つつ、今日も連泊か。
放送で呼び出される。連泊を頼むと、もっと早く言ってくれなければ困る。最近のホステラーはこれだから・・・と、ユース会員になって14年だけど・・・。
部屋を移る。寒く水鼻を垂らしてばかり。手紙を三通書いて、昨日の読売を読んで昼寝。小便したら凄く色の悪い小便である。明らかに、疲れに、高い銭を使っている割にはロクな物を食べていない・・・。ユースはアホくさくなる。
腹がヘッて茅ヶ崎駅近くまで、明朝分のパン、牛乳を買いに行く。夜と云っても5時。中華屋の前を通り、フラリと入ってしまう。タンメン400円。ユース夕食、おでん。腹が立つ前に呆れて物が食えない・・・。日本人、メキシコ爺と同室。風邪をひいているので風呂を断ると、ウイスキーを一ぱい飲んで寝れば、そんなものすぐ治りますよと勧められ、入る。歩きもしないのに体のアチコチが張り、痛い・・・。下にテレビを見に行く。おっさん、西遊記は見たいとハシャいでいる。何をやって食っているのか明らかにしないが・・・。身に付けている貴金属だけで400万はするであろう。
話好きなのか女の話ばかり。合宿に来ている学生に話かけているが、相手は乗らない空返事。テレビを見ても別におもしろいとは思えない。寝るのも退屈だし、ペラペラと「旅」の雑誌をめくる。大和の街の案内を書き写す。10時、部屋に戻る。昼間、荷の整理をする。1キロは違うであろう。この日記が書き終わると送るつもりである。
今日、何もしない内に、2818円も使った。馬鹿馬鹿しくて頭に来る。この夕食には全く閉口する。ウイスキーが回って来たのか、ベッドの中で顔がほてる。
使用金額:2818円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 神奈川県/湘南海岸
ユースに泊まってからガックリと調子が狂ってしまった
1979年
昭和54年11月26日(月)
6時半の放送、アホ臭く朝食には頼んでいない。ベットの中でジーッとしている。歩くのも面倒臭く、かったるい。カーテンを開けると、湘南の海に道路は通勤者のラッシュ。空が曇っている。新聞の天気予報によると晴れのはずである。朝のうち雨に、日記を付けておこうと思っていたが、ベットの中でグズグズと過ごしてしまう。ユースを出たのが、丁度8時である。
遊歩道を2キロ程歩くと、道は終わってしまう。道路に出る。車のラッシュに歩道がないので誠に歩きづらい。
家が続き、途中から小田原バイパス。昨年通った事があり覚えている。歩道があるので歩きやすい。途中で歩行禁止。大磯駅に休みに行く。朝日60円。国道1号線から駅までの道、なんとはなく覚えている。10数年前、ウロウロとしていた時、この大磯の駅に降りた。待合室のベンチが普通の駅と違うソファーである。やはり乗客が違うのか、若い娘連れの母子。品のある姿で立っている。駅で一通り新聞を読み終わると、出る。1時間ほど居たが、有料道路は海辺を通って歩くのにはよいのだが、歩行禁止である。国道1号線を歩く。
家は建て続き、休む所なく、こんな道が一番歩き難く、想像した通りである。二ノ宮郵便局で貯金4万円をおろし、北海道に3100円、岩崎にホッケを送ってもらうよう郵送する。切手代350円、書留封筒103円、記念切手800円。局内に静かな曲が流れ、この中にボケーとしたいが、時間までに小田原に着かないと、第一勧銀が閉まってしまう。
みかん200円。休み所を探し歩いていたら、丁度坂道になった高台から上がり、その土堤に水槽があり、その渕に座って新聞を読みながらみかんを食べていたら、ピチャピチャと水の音がする。
振り向くと、イヤな顔をした中年ばばぁーが、ジーッと俺を見る。なんであんな目つきで俺を見るのかなー。
無視して新聞・・・。さぁ、行くかと立ち上がり垣の中を見るとみかん畑である。あのばばぁー、俺をみかん泥棒と勘違いしたのか・・・。
ここから小田原まで10キロ。今日は久し振りに青空が見える。暖かいのが助かる。右脚ヒザがガクガクで痛く、ちょうつがいが外れそうな感じ。遠くに小田原が見える。今日は小田原まで。街の中、寝る所、分からないが昨年、夜来た時チラリと見た記録によれば、城跡に公園があり、寝れそうであったのを覚えている。
交番で道を訊いて第一勧銀に行く。商店街通りに出ると、このガヤガヤした人通りの雰囲気がまた一段といい・・・。貯金20万円をおろす。これから南下かすると、第一勧銀はなく探すのが大変である。今のうちにおろしておく。
トンカツ、ミンチ、コロッケ420円。夕暮の駅、商店街には大勢の人通りである。城に行く道を訊いて行くと、駅の裏横にそっと行くと、退校中の高校生がゾロゾロと行きかう。
今日は24キロしか歩いていないのに非常に脚が疲れた・・・。小田原に着いたのが4時である。8時間だから平均時速3キロになるなぁーと計算する。城内跡に野球場あり。そのコンクリートベンチに座って、トンカツを食べる。油っこくて胸がムカついて来る。
遠くの山と山の間に紅く焼けるように染まった雲が見える。きっと高い所から見ると美しいだろうと思われる。
ベンチに新聞紙を広げ、昨日の日記を2ページ書いて終わり。今日の分は全く書く気になれないと言うより、肩が凝り痛く、腕が言う事をきかない・・・。
公園の中を寝場を求めて探し歩く。うっそうと繁る樹。その中を歩く私服姿の高校生アベック。多いなぁ・・・。案内板に神社があったので、遠く回り行って見ると、全然ダメ。灯はついて結婚式場である。
また城内に戻ると、今度は上にあがる。小さな動物園と広場。一応、雨が降っても大丈夫な程度の屋根あり。
街に、リュックを背負って出る。駅にリュックを置いて、映画でも観に行くかと思っていたが、コインロッカー300円で、9時半まで。馬鹿にしている。客の都合ではなく、自分の都合しか考えていない。それにこんな高い荷物代があるか・・・。イヤダイヤダ、銭、銭の日本・・・。
スーパー、買物589円。余分な物は一切買わない。これだから最近体の調子がおかしいのではないか・・・。
季節のせいか、以前ほど食欲がわかない。特にユースに泊まってからガックリと調子が狂ってしまった。
本屋で地図を買う、500円。中部地方の地図はなく、静岡県だけの地図である。高いけれど・・・しかたがない。この本屋、まともな地図がひとつもない。
水銀灯の照らす小田原城に向かう。公園内に灯がともり、ベンチの陰でうどん玉2個、ラーメンのスープで煮込む。丁度できあがった時、ニッカズボンをはいたおっさんが来て「この辺に2人のフーテンが来なかったか」と訊く。
「いや知りませんネ」
その時、暗闇の中からゾロゾロと仲間らしき連中が集まって来る。日雇いの土方仲間で、正月前は稼がないとモチはモチでも尻モチではなぁーと、シャレている。
皆がまた闇の中に散って行ったのに、一人だけ残ってベンチに座っている。仲間ではないらしい。何も言わないのにタバコを一本くれる。酒を飲み過ぎ、平塚から間違い、小田原に来たけれど、帰る電車賃がなく夜中まで待って無賃で行くとか。80円あればなぁーなんて言うから、100円あげる。
40才、中学校を出て以来、土方土方の明け暮れ。こんな人を見てると人間侘しくなって来る。
嫁なく独り者だから、酒、ギャンブルに手を出すのだなぁーと独り言。
「悪かったネ」と言葉を残し、暗中に消える。寂しい人生だなぁー。
劇にでも使うのか台場があり、その角に新聞を広げる。浮浪者が多いので気になる。
夜空に珍しく星が光る。公園のオオヅルの鳴き声が、静かな夜の中に響く。
使用金額:4880円
★「歩いて日本一周」旅日記 昭和54年10月 神奈川県/湘南海岸~大磯~小田原
真っ青な青空の中に真っ白に雪化粧した富士山が間近く、本当に鮮明に美しく姿を見せる
1979年
昭和54年11月27日(火)
今、箱根峠を越えた所である。峠の分岐点に立ちフッと空を見上げると、灰色に霞んでいた空が、本当に抜けるような真っ青な青空の世界を広げるが、峠の山陰になり富士山は見えない。右の山の頂に向って立っている公園ではないかと行ってみると、ゴルフカントリークラブで関係者以外の者はご遠慮下さいの立板が立っている。
芝草の肌を頂に登って行くと、思った通り、真っ青な青空の中に真っ白に雪化粧した富士山が間近く、本当に鮮明に美しく姿を見せる。文句なしに美しい。富士山を真正面にすると、左下に黄金色に輝く海が見える。今朝も真っ青に晴れ渡り、久し振りの日本晴れで、本来、熱海から山を越え、伊豆、沼津に行ってるつもりであったが、今朝の青空を見た時、きっとこの青空の富士山は美しいだろうと、箱根越えを決め湯本まで来ると、曇ってしまった。
今更引き返す訳にも行かず、ガックリしていた所である。
箱根の芦ノ湖から山の間に姿を出している富士山を初めて見た時、ホー、白い雪かと思ったが・・・、今、この目の前に見ている富士山は、誠に天下一である。
国道一号線をそのまま三島に降るつもりであったが、この青空を見た時、これはもったいないと横道に入る。正解。誰もいない。なだらかな芝の斜面に横になり、日記を取り出す。こんな美しいものは、目にした瞬間に書いておかないと・・・。そう思って書いているが、さすがに吹く風は冷たく、指があまり言う事をきかなくなって来る。
伊豆の山々の頂に、糸みたいな雲が浮かび、西に傾く陽は海を光らせ、風は樹の小枝を揺らす。ここに寝る所があるなら一泊したいが、もうすぐ夕暮れ。2時間程しかないのでは。周囲には何もない。
三島まで18キロ。この頂から見る夕陽、今日はきっと素晴らしいであろう事、疑いなしである。しかし、この寒さでなければ、このまま芝の上でもよいのだが、今の季節、明日にも雪が降るかもしれないのに、迷うなぁー。久し振りに満足する風景に接した・・・。
朝の光、寝袋の中ではモサッーとしている。何時頃なのか知らぬが、まだ暗く星が輝いているのに、動物園の鶏とオオツルの合唱に頭をやられ、とても寝られたものではない。明るくなると、おとなしくなりやがったが、もう遅い。寝袋の中から顔を出すと、外の広場に老人連中が集まり、モタモタとした体操をやっている。
寝袋を巻くと、パン、バナナ、牛乳を食べる。野宿した方が食欲が出るのはどう云う訳なのか首をヒネる。思ったより寒くも冷たくもない。
城跡を後にすると、さて、熱海はどっちの方角やら・・・と、俺の勘ではサッパリと分らない。牛乳屋のおっさんに訊く・・・。フッと空を見ると、雲ひとつない素晴らしい青空である。これなら箱根に行こうと決める。去年は霧で何も見えなかった。歩きであの状態に遭遇すると、一発で終わりである。注意するに越した事はないと、少し遠回りであるが熱海、伊豆と行くつもりであった。しかし、この青空に富士山。それに箱根には行ったことがない。常々行ってみたいと思っていたので、よいチャンスである。
この道は、途中2度程通った事がある。山道になるので、少しでも荷を軽くしようと、丁度よい所に石屋の茶室があったので、そのテーブルを使い日記を書き上げるが、テーブルが石なので、冷たく手は震える。字も震えるのである。純日本風の美しい建物。石を売る為に使用しているらしい。主人が来ても、ドウゾーと言って去る。事務員のおばさん、掃除に来る。
「歩いてこられたのですか」「はい」「どちらから」「九州」「自分を試すために歩いているのですか」「いや暇だから女の子を探すために歩いているのですヨ」
おばさん、まともに受けとり閉口して去る・・・。
米袋を拾う。丁度荷作りによい。ノート2冊と小さな物を包む。湯本の郵便局で小包にして出す、550円。切手は沢山持ってるのに、自分宛に貼るには勿体ない。20万円貯金する。これだけあれば九州まで持つであろう。
1日、東海道を歩く。坂道の両脇に湯湧なのかどうか分らぬが、山谷にビッシリと旅館ホテルが建ち並ぶ。今は季節外れのせいか閑散といる。その旅館街を過ぎると、奥湯本。車は上の新東海道を通らしく、殆ど通らないので非常に歩きやすい。史跡旧東海道の道標。県道から離れ林の中の石畳道を行く。季節が違うのか、紅色に染めたモミジに青葉のモミジがまだ残っている。しかし、殆ど針葉樹以外は、葉を落としている。沢の流れ横の樹林の中にトタン屋根食堂。休憩所と書いてあるが、このトタン屋根は周囲の雰囲気を全てブチ壊してしまっている。
清流の流れ、ゴロゴロとした大石に架る丸太の橋を渡る。上に畑宿発電所はあり、畑宿(はたじゅく)に着いて、それからは県道の七曲道。所々、新東海道と交差する。坂道に荷物を背負い、ハァーハァーと深い呼吸してる所に、トラックが排気ガスをフカせ坂道を登って来る。この排気ガスには本当に嫌気が差してしまう。
箱根から降ってくる旅行者ハイカーとスレ違うたび、「こんにちは」と互いに挨拶をする。都会の連中の方が挨拶を知っているのではないか・・・。
道路に猿が4匹程出てブラブラとしている。歩道橋の手すりに座っていた猿と目と目が合う。それはカァーと恐ろしような怒った顔をして俺を見る。俺は知らん顔して通り過ぎる。しかし、人間をなめやがって生意気な猿だ・・・。
資料館、甘酒屋、裏道の石畳が本格的に長く、元箱根2キロ、40分の標が立つ。
スレ違うばかりで、誰も登る奴はいない。登りより下りの方が楽だから・・・。下りの方が楽かも知れぬが、登りの方がおもしろいと、俺は思う。日曜日でもないのに、結構人々にスレ違う。TKは、よくこの辺を散歩すると言っていた・・・。ヒョッとしたらバッタリなんて、ありもしない事を想像したりして。
丸い石の坂道を登って行く。リュックの重みが殆ど変わる事がない。英和辞書をなんとかしなくてはならないが、クリスマスカードを書いて送ろうと思っている。しかし英語には参ってしまう。
雑樹林の中に続く旧東海道は、なかなか情緒がある。昔の人はこの道をどんな思いで通ったのか。大名行列はと、想像すると、信じられない程の狭い道幅である。こんな所、どんな格好して大名行列は通ったのか・・・。石畳の道を上りきった所に、腕章をつけた人が立つ。挨拶すると「パンフレットでもお持ちにならないですか」とくれる。
湯本から続いた坂道はやっと終わり、下り、少し進むと、樹の陰にチラリと芦ノ湖が見える。
権現坂(ごんげんざか)と昔言ったと立札の説明。元箱根に降りて来ると、旅館ホテルお土産屋が建ち並び、今までの雰囲気が360度ガラリと変わってしまう。
枯れ落ちてしてしまった雑木林の中に一本だけ、まっ黄に鮮やかな色をした山モミジの木。カエデ科らしいが、この道を歩いていると、晩秋と言うより、つくづく冬を思わせる。気にいった。少し雪が降った道を歩くのも、これまた風流であると思われるが、しかしこの下界の銭銭の世界。
バス発着場がアチコチにある。駐車場には団体バス。嘘みたい二子山?の頂上にロープウェーの建物が酷く建っている。日本人はどうしてあんな建て方しかできないのか。葉が散り落ちた樹々の小枝が山肌を茶色にして、一年の終わり知らす。
樫の木平であったか、休憩していた時、葉の散った桜の小枝をフッと見ると、もう小さな芽が出ていた。
こよなく箱根を愛した英国人貿易商の碑が建っている。この碑を見て、そんなにいい所かなぁーと、疑う。
芦ノ湖畔を少し歩く。公衆便所・・・、小便でも垂れるかとフッとなにげなしに右側を見ると、真っ白に雪を覆った富士山が、芦ノ湖向うの山と山の間に姿を出している。その真っ白な姿に、やはり日本の山だなぁーと思う。
アルプスみたいにダイナミックではないし、ヒマラヤみたいに雄大、神秘的ではないが、それでも不思議な、しなやかな美しさがあるなーと思った。
巨木の杉並木の中道を歩く。大きな木である。なかなか結構な道であるが、その横に道路。そして車の騒音が流れて来る。資料館、入館料を取るので止めたと思ったが、「この切符で関所も使えます」の説明書。まぁーこれならよいであろうと、大金100円を出す。小学生284人が、俺の後からドヤドヤと入って来る。うるさく、とても我慢できない。彼らを先に通し、過ぎるまで待つ。
100円もの大金を支払ったので、詳細に丁寧に見ていくが、別にこれといった者はなく、ただ昔、外人が写したと言う110年前の足軽武士の関所の写真が、非常に印象に残る。
刀を二本差し、右手に笠、関所の石段を登ろうとしている所である。どんな外人が写したのか知らぬが・・・。時代を感じさせるよい写真である。幕末の日本社会のヒックリ返えろうとする時である。よくこの外人、ここを通れたなぁ・・・。例の外人特有の押しで、この関所を通ったのか・・・と、一枚の写真から色々な事が想像されていく。
やはり外人が写した飛脚の写真。明治38年頃の箱根宿の写真を見た時、パッとネパールの宿場が頭の中に浮かんで来る。建物は違うが・・・、雰囲気は実によく似ている。
この古い写真を見ていると初めて分る。英国人貿易商が箱根を愛し、碑を建てた事が。写真から見る宿は、貧しく汚くボロであるが・・・、なんとも素晴らしい味わいがある。こんな所を旅したいし、この時代までを旅と云ったのであろう。いくら徒歩日本一周と云っても、旅と云う実感からは遠く、しきりとネパールのあの素朴な部落が、頭の中をダブツク・・・。手形、古文書の事はサッパリと読めない。本当にこれで読めるのかと、首をヒネるくらいである。
関所に行く。井戸の中に小銭がいっぱい。別に見るべき物なし。観光一色の街造りである。郵便局、封印があるはず・・・。しかしノートがない。丁度一軒だけ店屋。牛乳、パン、ノート、420円。ノートを持って郵便局。封印を押す・・・。
道を少し登った右側に、石畳が笹林の覆い茂る中を上へと続き、この辺は人も通らないのか、さすが笹竹林をかき分け、上へと登って行くと道路に出る。有料道路が幾つも交差して、その真中に座って牛乳を飲む。
時間があるなら、山の峰々を越え伊豆の方にも行ってみたいと思ったが、場所も時間、距離的にも条件が悪い。
箱根峠に幾つかのドライブインとガソリンスタンドだけの殺風景・・・。両脇の山の峰々を利用してゴルフ場である。こんな所までゴルフ場にしなくてもよいだろうにと・・・。左は熱海方面、直進三島。
フッと見上げた空は真っ青で、白い雲は次々と流されて行き、広い青空が段々と広がって行く。クソ・・・と思う。
今頃になって晴れやがって。なんとかしたい。すり鉢状になった峠である。なんとかしたい。左側ゴルフ場、人が居るし、右側、遠くの頂に何かが建っている。公園かなと右側の道を歩いて行くと、「別荘地」の立札・・・。先に進む。
ゴルフ場の芝草に立入禁止の立札。こんな物は無視。自分達だけいい思いをしようなんて。これだから金持ちのやる事には頭に来る。
しかし人は誰もいない。芦ノ湖カントリークラブらしい。誰もいない。芝草の山肌を登って行くと、思った通り素晴らしい富士山が姿を現す。芦ノ湖の富士は半分しか姿を見せないが、ここの高い所から見る富士は、憎い程、素晴らしい。日記を取り出し書く。素晴らしい所なので、何とか一泊したいと、ゴルフ場の中を探し歩いていると、廃車になったマイクロバス。休憩用に使っているらしいが、床は泥だらけ。それでも寝る事ができる。
時間は分らない。峠まで水を汲みに行く。お茶を作るが、風でなかなかお湯が沸かない。芝が湿っているので、小路にポンチョを敷いて日記を書いていたが、風が冷たくて、手がかじかんでしまう。途中で止める。
西の空に冬の夕焼け。雄大な夕焼けではないが、静かな冬らしい夕焼けである。しかし、とにかく風が強く寒いのなんの。銀紙を体に巻き、紅の一日の終り。スウェーデンを思い出す。こんな夕陽だった。
バスの中に移ると、TIMEをバラバラにし、一枚一枚床に敷き、その上にポンチョを敷く。
ポタージュスープを作る。熱いのがうまい。暗くなり半月が夜の空に出て、下界に街の灯がキラキラと輝いている。
誰もいない静かなこの山のゴルフ場には、風の舞うビューと鳴る音だけが、増々寒い季節を与える。
小便に出ると寒いのなんの・・・。寝袋の中に入っても寒い。床から冷え眠れない。冷たく熱は取れるばかり。全然暖かくならない。考えてみると標高1000メートル近いのでは・・・。
シャツの上にシャツを着て、シーツを寝袋の中に入れ、ジーパンは下に敷く。少し暖かくなったが眠れたものではない。この先の冬が思いやられ、ユースの毛皮をパクッてくればよかった。
2度目の小便、イヤイヤ後、外に出る。
星と月はどこに消えたのか・・・。空一面曇ってしまっている。イヤな予感。腹がグーグーと鳴る。今日はまともに食べていないから・・・。
使用金額:1070円
★「歩いて日本一周」旅日記 神奈川県/小田原~箱根峠~ 静岡県/湯本~三島~畑宿~元箱根
雨は止む事を忘れてしまったのかのように降り続ける
1979年
昭和54年11月28日(水)
寒い寒いと寝袋の中でシーツを巻いたりしている内に開けた夜は、天気悪く雨である。別に雨でも構わないが、何も食物がないのにはほとほと参ってしまう。昨夜からグウグウと空腹の腹は音を立てているのに、まさかこんな天気になるとは夢にも思いはしなかった。
朝日の富士山でも見てと思っていたが・・・、こんな目に合うとは。雨がポタポタと床に落ち破れたバス、天井の中でネズミが駆け回る。水は2杯分のお茶だけである。霧がかかった雨で、昨年の今頃ではなかったか・・・、ここを通ったのは・・・、凄い濃霧である。
雨はバスの鉄板屋根にもパタパタと叩く。寝袋の中で、とにかく日記をつけ始める。日記が終わり頃になると、人の声がする。気のせいであろうと思っていたら、今度はハッキリと耳にしたので、曇った窓ガラスの水滴を拭いて、外を見ると、この霧雨の中をカッパ着てゴルフである・・・。
しかもこんな寒いのに気狂いである。こんなゴルファーのキャディーなんかやっていられない。もしこのバスの中に入って来ると困るので、寝袋を撒き片付ける。日記を書き上げると、出ようと荷造りして外に出る。しかしこの雨。その先は霧に山・・・。これは遭難しに行くようなものである。また、バスの中に引き戻る。床は湿気り濡れてもう使用する事ができない。泥だらけの車のイスを利用するしかないが、水がない。雨降りの水溜りを探し、ゾーキンに水をタップリと染み込ませゴシゴシと洗い落とす。イスは幅狭いがこの雨の中を歩くよりマシである。
TIMEはバスの床に敷いてバラバラにしてしまった。こんな時、暇つぶすにはもってこいなのだが・・・。何もする事なく、そのバラバラになったTIMEのページを拾い上げ読む。2杯のお茶もなくなり今日は完全な日干の人間である。
今の内に日記をと書き始めたら、もう床が使えないので、書く台がなく、エンジンのボンネットの上は狭く、イスに移ると柔らかく書きづらい。アッチコッチとこの狭い中を歩き回る。ばかみたい。とにかく中が汚れ、何処にも座れない。水でもあるなら掃除するのだが・・・。結局、ハンドルを台にして書いているが、これまた難しい。
日記を書いている内に強い雨が降り、降ったり止んだりのクリ返し。この天気、やはり無理して出なくてよかったが、下界は晴れているかも知れない。明日も同じ天気だったら、俺、泣いちゃう。とにかくこの腹のヘッたのには参るよ、本当に。この雨の中、カッパを着た連中が芝の整理をしている。まぁー、気狂いだ・・・。
とにかく寒くてかなわない・・・。もう冬の高い所は止めた。コリゴリだ。1キロ離れた所にドライブインがある。しかし絶対にあんな食事はしない。あれは邪道である。たとえ2、3日雨でも絶対にドライブインに行かんと云っても行けない。ポンチョはきれいサッパリと破れ、使い物にはならない。
狭いバスの中、1日は終わろうとしている。幅50センチ程のイスに寝袋を広げる。両側、イスに真中は補助イス。ピッタリと俺の背丈である。幅がないんのが大変であるが、しかたがない。寝袋の中でジーッとしていると、いつの間にか外が暗くなり、バスの屋根を叩く雨音は、ますます激しさを強める。
ポタポタとバスのアチコチの中から音がする。雨漏りなのか。床ではないがないのが助かるが、両側に水滴が溜まり、寝袋を濡らす。水滴を吹きとっては寝袋の中のクリ返し。幅が狭く落ちないように気が張っているのか、それとも空腹の為か、頭は冴える一方。眠りに落ちる事はない。色々な食物の夢ばかり。打ち消しても打ち消しても次々と食物が出て来る。考え過ぎなのか、とうとう頭が痛くなって来るし、体は汗だらけ・・・。
昨夜はあんなに寒かったのに・・・、嘘みたいである。
雨は止む事を忘れてしまったのかのように降り続ける。
使用金額:0円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/元箱根
親切というか、丁寧というか・・・、優しいというか
1979年
昭和54年11月29日(木)
一晩中降り続いた雨は、明け方と同時に止む。が、しかし、外が霧雨で天気の予測はサッパリと分らない。寝袋の中でジーッと考える。昨晩あれだけ降り続いたのだから、きっと晴れるだろうと、ここを出る事にする。
寝袋が湿気ている。外はそんなに寒くない。臭い足の臭いが寝袋に移ってしまった。日干しをしたいが・・・。
寝袋から出て立つと、脚がガクガク、腰が定まらない。立つのに一苦労である。せめて熟睡する事ができたら、少しは違うのであろうが。芝が濡れている。このまま歩くと靴を濡らすので、裸足でゴルフ場を歩く。小便すると濁った茶色になる寸前、完全な疲労である。
これで九州までもつのかなあ・・・、心配である。下のドライブインまで下って来ると、前に水がある。ゾウキンで足を洗って靴をはく。霧雨は煙のように風に流されて行く。山は天気悪くても、下は晴れているのでは・・・。とにかく早く下に降りないと。下り坂なので助かる。これで登り坂なら、心臓がもたないのでは・・・。とにかく足がガクガクとする。辛い。普通、二日間位ならもつのに・・・。7ヶ月以上の旅で、体にガタが来ている事がハッキリとする。
どのくらい歩いたか、初めて家を見たが、二軒だけ、店はない。次は山中。結構、家は並んでいるが、店は一軒もない。もうダメ。脚がいう事をきかない。街は下に見えるが、沼津まで12キロ。海と広がった街・・・。初めてのドライブイン・・・。トラックが沢山止っている。一瞬どうする・・・。しかし邪道だのなんだのとは言ってられない。中に入る。テンプラ定食、空腹の腹に突然飯を入れると、胃をこわすので、ゆっくりと食べる。丼ぶりいっぱいの飯はペロリと消える。もういっぱい、丼2はい。まだ食えるが、これ以上食べると、胃をこわす。860円。
このドライブインに入ったのが10時。峠の道路標、沼津22キロ。このドライブインから沼津まで15キロ・・・。あのバスを8時に出た事になる。この下まで来ると、雲は次々と風に流され、次第に青空を見せて来る。右側に富士山が雲の間に姿を見せるが、もう富士山はコリゴリである。
テレビもマンガも全く頭の中に入って来ない。ボケーとする。11時頃ドライブインを出る。
この7ヶ月間で初めてドライブインに入った。しかし、この場合はしかたがないなぁ・・・。そんな事を思いながら、旧道を歩く。まだ雨に濡れた雑草・・・、足はガクガク、どうしようもない。この道に沢山のお堂が立っている。
何と云う集落が知らぬが、右側に入った細道がある。多分旧道であろうと、この道路を角に立つ老婆に訊くと、三島に出ると言う。家の中に牛がいる。急傾斜の坂を下り、何やら知らぬが、また玉石の旧道を降りて来ると、道路が二股に分かれている。1本は集落の中、もう1本は集落離れの横を走っている。何と言う集落か知らぬが・・・、入口の左手にこんもりとした土盛があり、その森の中に神社が立つ。休憩に登って行く。
今日は12~13キロしか歩いていないが、もうこれ以上歩けない。時間は12時頃であろう。地図を広げると、中途半端な距離である・・・。神社の戸は開いている。
神社正面の段に腰を下ろすと、何が一番よいのか考える・・・。とにかく、この脚のガクガクをなんとかしなくては。
とにかく寝ようと、神社の中を大掃除。ポンチョを敷いて、寝袋、横になる。横になると足がジーンと来る。丁度、正座してシビレをとく感じに似ている。道路を走る車の絶え間ない騒音には頭に来る・・・。
この騒音がなかったら、完全に眠っているはずである。遠くから聞こえて来るような感じだった騒音が、急に間近に響いて来る。道がすぐ真下に通っている・・・。
1時間程横になっていたのか、頭がスッキリとした。脚も以前よりよくなった。腰が痛い。日記を書く。
外は嘘みたいな青空である。きれいに晴れている・・・。これから歩くと中途半端な距離。沼津の先に寝る所を探すのは困難なように思われるが・・・。こんなうるさいところに居たら、増々精神衛生上よくないし、体にガタが来る。
無理しないように、ゆっくりと歩こうと思う。サテ、歩こう。
足の痛いのは治ったが・・・、いつものような調子は出ない。この神社のあった集落は「塚本」?
今度買った地図はロクでもない。距離数は載っていないし、小さな集落名も。
これから東海道一本で行くからよいものの、あちこち小さな所に行くなら、全く使い物にならない地図である。
空はきれいに晴れ、富士山がハッキリと姿を見せているが、真っ白である。東京から見ると、薄紅色に見えるが・・・。旧東海道と云っても、横は国道1号線。隣は畑、どう見ても田んぼのあぜ道にしか見えない。
畑が終わるとドライブイン。自動車関係ウィンドがズラリ切れ目なく続く。東海道の上を横切る。新幹線が走る道路横には、店屋はなく車屋ばかり。この辺まで来ると、足のガクガクはなくなったが、疲れて来る痛さである。丁度よい所に、お堂がポツリと建っている。悪くないが、水なし、店なしでは話にならない。
陽は高いが、そんな事は構わない・・・。しかたなく先に進む。脚ふくらはぎが張り、痛い。
今夜の寝場が心配になって来る。
これだから大きな市街地は困るのである。家は金魚のフンみたいに続き、寝場どころか、休憩する場所さえ見当たらない。今夜一体何処まで歩く事になるのやら・・・。体の調子がよいならともかく・・・、この脚では使い物にならない。
国道1号線、車はやたらと走りまくるし、薄明るい電気の店屋、今にも倒れそうである。
みかん2キロ200円。一旦通り過ぎたが、また引き返す。店の中、停電中なのかと思わせるほど薄明るい。
レジに2人の女「ここの人」「イエ違うよ」「私ここの人」。
髪を栗毛色に染めた女、「あぁー、パッとしないネ」
「・・・」
「あのみかん2キロと書いてあるけど、1キロはダメ」
「イイですね」
「アッ光る」
1キロ袋に入れて持っていくと、
「1キロですか」
「いや40グラム多い」
「サービス」
「ワァー、今度は輝いているヨ」
「あらそう、これから毎日来てください」
「来年来るよ、嫁もらいに」
「?」
この店から少し歩いた所に、バス停があり、その土埃だらけの椅子に座り、みかんを食べる。腐る寸前のみかんである。バス停に座っているのに俺を無視して、バスは去って行く。
やはりわかるのかな、乗る客、乗らない客・・・。
そのバス停前に大きなスーパーがあり。みかんを食べ終わった後、そのスーパーに入る。
重く荷物にならないよう限って買う、1081円。
寝場、水が定まっていないなら、現場でも作れるのに・・・、真正面の遠方に、真紅の夕陽が家々の陰に沈んで行こうとしている。
右手、山の中腹に五重塔。多分寝る所があるのでは・・・。河堤下を歩くと、子供がチラリと珍しそうに俺を見ているので、「オス」と声をかける。子供達は恥ずかしそうに笑っている。
河の堤に上る。地図に依ると黄瀬川。その橋の向うに夕焼け。青空の中に赤ではないオレンジ色でもない、茜色とでも云うのか。その色に染まった雲が浮いている。吹く冷たい風は、冬の季節思わせ、なんとなく寂しさを漂わす。
河の堤より山の中腹を見ると、神社らしきものが見える。
橋を渡った右手に建築中の家。何とかなりそうである。マラソンしている人に、五重の塔の道と神社を訊くと、あると云う。教えられた道を行き、また、中学生らしき者に確かめると、神社はないと言う。
確かに神社と思った建物は民家である。とにかく夕焼けが美しいので、山の頂に急ぎたい・・・。もう寝る所なんか・・・、今更心配しても始まらない。白いガードレールが見えるので、その方向へと進む。林の中にお堂らしき屋根。立正堂の板がかかっている。その裏を回り道路に出る。
夕焼けの空を見ながら五重の塔へと急ぐ。下に沼津の街。灯がともろ。
陽はもう沈んでしまった後であるが、紅色に染まった雲と青空のコントラストが美しい。きっと箱根峠からの展望をは美しいであろうと思われるが・・・、もうこりごりである。
五重の塔は大きくなく、その場は公園になっている無料休憩所。シャッターが降りている。寝る所はない。
松の樹の陰になった夕焼けの終りを見る。風が強く吹きつける。ウィンナーを食べる。グラタン、フライ4個。タラフライ3個、そしてウインナーで腹八分である。
暗くなって来たので下に降りる。お堂に行く。取り壊し立て直している所である。縁台でも寝るか・・・。リュックを下ろし、ドアに手をかけると開く。中にバナナとお菓子、お茶。しかし埃と、バラバラ人が来そうでそうでもない。水は途中で止る。水入れを持って水を汲みに行こうとした所、暗闇の中におばさんが上がって来る。
縁台、貸して欲しいと言ったところ、弱い返事でダメですと、断られる。
もう、こんな暗くなって何処にも行けたものではない。必死である。決して悪い者でもない。
私は旅行者で、銭がないので神社、お堂をお泊まり歩いてるだけ・・・。
まぁー、そんな事を説明すると・・・、じゃ、縁台だけと云うことになる・・・。
心配でしょうから、身分証として免許証を見て下さい・・・。
免許証を取り出し見せる。
「便箋に自分の住所書いて、もし何かの時は警察にでも知らせて下さい」
そうすると、それじゃ中を使ってください。火だけは注意して、お茶がここにあります。こたつもあるし、電気はつくし・・・、これは助かった。ポットのお湯を入れて来ましょう・・・、と言う。
こうなると気が引けて来る。
建て替え中だから、中はゴタゴタとしているのが、今夜はゆっくりとできる。電気がつくので日記を書いていたら、ここの主人がポットにお湯を入れ持って来て下さる。ビッコ、脚が悪いらしい。ここでは寒いでしょう、こっちの部屋に移って、寒かったらフトンも使ってください・・・。
お茶はここにあるし、お酒もあるし、と言う。こうなって来ると恐縮するばかりである。
「修行中なのですか」と言われ、
「ハァー、まぁーそんなものです」
日蓮宗のお堂であり人は住んでいない・・・。新しく建ったら移るのかどうか知らぬが・・・、お茶菓子でもどうぞつまんでくださいと、言って出て行く。親切というか、丁寧というか・・・、優しいというか。
日記をテーブルの上で書いていたら、主人がまた来て、
「どうぞあったかいご飯でも」と、どんぶりご飯。おかずがチョットないので・・・と、はごろものやきとり缶と、卵をポケットから取り出し置いて行く。もうこうなると、恐縮どころか気が引ける・・・。
腹八分だったが、二個の卵と缶詰をご飯の上にかけて食べる。焼きたての「あったかーい」うまい飯である。
ペロリと腹の中に消える。スーパーで買った食べ物、これなら買う必要がなかったなぁと思う。
一升瓶をテーブルの横に置いて、お茶を飲みつつ日記を書く。今日の始まりは大変だったが、終わりは恵まれていた。日蓮に感謝すればよいのか、それとも人の情に感謝すべきなのか・・・。
ゆっくり休憩できるものなら、やりたいが・・・、そんな図々しい事はできないし、これから酒を飲んで、ゆっくりと眠る事にしよう。
今夜は何の心配する事もなく飲めるので大助かりである・・・。
捨てる神あれば、拾う神ありとは、このことなのか・・・。
今、日記を書き終え小便に出たら、沢から流れて来る水の音。遠くに見えるは、沼津のネオンサインの灯。思ったより、大きな街である。夜の空には半月の光。
空は全く見えないものの、月にかさがかかっているので雨かも・・・
使用金額:2041円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/元箱根~沼津
今、田子の浦に着いたところである
1979年
昭和54年11月30日(金)
昨夜中は痛い脚に悩まされ、起きてアンメルツを塗る。1~2時間程したか、寝袋の中に入っているとアンメルツを塗ったモモが、カーッと熱くなり汗をかく。暑苦しく一向に眠る事ができない。おまけに蚊は飛んで行っては、ブーンと引き返し、俺、俺のくちびる、アゴ、首を刺して行く。憎き攻めと闇の中をかまえる。腹がヘッてウインナーをパクパクと食べ、牛乳、寝酒と酒を飲むが、酒は一向に効く様子がない・・・。
今までの寒さが嘘みたいに汗をかく。寝苦しい夜である。やっと眠くなって来たと思ったら夜明けである。イヤイヤ寝袋から出る。お茶を一ぱい飲むと、食器を洗い、お堂を出る。段を降りて行くと、向う側からタバコを吸いながら歩いて来る、人と云うべきか、坊主と云うべきかに出会う。
「今、お出かけですか」
「ハイ、どうもありがとうございました」と、スレ違う。
狭い路地裏を通り、昨日と同じ河堤に出ると、板に狩野と書いてある。黄瀬川ではなかった・・・。堤の上が歩道になっている。その堤の上を歩くと、通学生の姿がパラパラと見える。学校の時計で7:20 am である。
橋の上で向う側からやって来る女子中学生に道を訊く。可愛い子である。
はじめ不思議そうに俺を見た・・・。
駅に行く。朝日(60円)を、タバコ臭い20個程のイスが並んだ待合所で読む。若造が空缶、紙袋をポイーと捨てる。こんな場合なんと言ったらよいのかと考える。駅に来たのが、8時、出たのが9時である。沼津の朝を歩き、果物屋前を通ると、5個ひと山200円のゴールデンリンゴ、安い。1個を割って見ると、ダメ。柔らか過ぎて味がない。主人がどうですか。この1個だけ売ってくれないですか・・・と、40円払う。馬鹿みたい。青森から福島まで腐る程のリンゴがあったのに。今頃、銭を出して買うなんて・・・。
街離れ・・・、浜の松林、千本松が左手に見える。前に警察署。その前を入り浜に出る。
堤が造られその上に道がある。角の内側は緑の松が延々と西に続く。水を汲み堤の上を歩いた(500メートル)。浜は玉ジャリである。
波は静か。寄せる波、引き波は玉ジャリ特有の音を立ててはクリ返す。
空も晴れ渡り、春みたいな気温である。
堤の浜に降り、入口でリュックを降ろすと、キャベツを小さくナベいっぱいに切り、サバ缶を入れ混ぜる。残りのキャベツはラーメンのスープ。ゆっくりとする為、寝袋を日乾にする。
新聞をボーッと読む。
何もしない、歩く気、全くなし。今朝、まだ4キロ歩いたかどうかである。足脚の痛いのは治ったが、今度は腰痛である。今さっき、12時のチャイムが・・・。何処か風に乗って流れて来た。
誰もいない。長い浜で、車もいないし最高に歩きやすそうな道が前に待っている。
工場の煙突が小さく見える。田子の浦なのか・・・。
本当に理大の・・・日和で波の美しい・・・。
今日、富士山は見えない・・・。
今、田子の浦に着いたところである。海沿に続く堤の上ばかり、12~13キロはあるのではないか。別に人とも話すわけでもない。テクテクと歩いて、今この地に着いた。
夕陽が明るく海に・・・。土方用プレハブ2つ。開くかどうかまだ分らぬが、もうここに泊まる事にして明るいうちに日記を付ける。途中、大きな貨物船が浜に打ち上げられて、見物人が写真を撮り合っている。
それらの客目当てに香具師。リュックを下ろし、地図を見ていたら、おじさんに話かけられる。
空返事ばかり、全然話す気になれない。海の上を陽が輝く、オレンジ・・・。
今日は、まともに夕陽が見れそうである・・・。あと30分程かな・・・。
寒い風吹く中、海辺に立ち静かなる沈む夕陽。落日の美しさよりも、寒さの方が身にしみる。
食料、1015円。トウフをつつく。暗いプレハブの中。
使用金額:1115円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/沼津~田子の浦
あの女の子が夜明け前に走っているのに、最近の俺は
1979年
昭和54年12月1日(土)
時間は分らない。寒いのでリュックからシャツを取り出す。フッと窓の外を走った人影。まだ夜明け前の闇である。
女の子がマラソンしながら、防波堤の上を走って行った。まぁーこれで夜明けが近い事が分ったが、また寝袋の中に入りジーッとしているうちに、あの女の子が夜明け前に走っているのに、最近の俺は、夜が明け明るくなっても、ジーッと寝袋の中に入ったまま。これは少し考えた方がよいなぁ・・・。
少し薄明るくなる。起きて朝食の用意をする。スパゲティー2袋を作った。120円、考えてみたら高いので、もう買わない事にする。
パンを鍋底で焼いていたら、パンが焦げる。慌ててプラスティックの空袋でナベを掴むと、チリチリと音を立て、ナベに付着。これがなかなか取れない。途中諦め、荷をまとめる。
食事の用意をしていた時、海上は段々と紅オレンジ色の空が広がって行く。久し振りに見る朝焼けである。
神秘的な美しい明るさである。しかし空が明るくなって行くと、同時にこの不思議な色彩の朝焼けも色褪せ消える。
珍しく早起きしたのはよかったが、歩き始めたのはいつもの時間と同じ頃である。
朝食を済まし、洗いかたづけていたら1時間はかかる。そして満腹になるまで食べるので、食後は全く歩く気になれない・・・?
歩く気になれなくとも、歩く事を止める訳には行かない。面倒な話。「今井」県道。朝の通学、朝っぱらから、臭う工場の化学薬品の臭気。とてもこんな所に住めたものではない。この地に住む者の鼻は、麻痺してしまっているのではないかと疑う。こんな臭気、健康によいはずはない。細い路地、家を通り抜けると、今井駅に出る。工場地帯の中に通る幹線道。味も素っ気もない広い道路をトラックだけが走りまくる。
人通りはない。車だけが頻繁に走り、工場、倉庫だけ。裸になって頭を洗う。寒い。靴下を洗濯、サッパリとする。富士川の橋を渡る。こんなダンプの走りまくる道を歩いてもおもしろくないので、別の道を行く事にする。橋を渡ったすぐ右に折れ、蒲原に出る。ビニールハウスの中に、みかんの栽培・・・。
何のみかんか知らぬが2個失敬する。軽金属工場の横をクネクネと通り、旧国道に出る。車は走ってもダンプがいない・・・。新蒲原駅に休憩に行く。朝日60円。駅待合所、小学男女3人、男ベンチの上を土足で上がり、おっさんに叱られ、知らん顔・・・。親の顔が見たい。
1時間程駅で新聞を読み、昨夜買ったみかん、少しでも軽くしようと必死で食べる。このみかんを買ったのが失敗である。12時過ぎに駅を出る。
蒲原に封印があるのではと、土地の人に郵便局を訊くと、通りと逆に戻りである。そんな遠くまで引き返す気もなく、そのまま先へと進む。道が二又に分れ、左手を通り、由比。昔の宿場の通りらしいが、その影なし。七里塚の石碑だけ、この通りを歩いていると、昔、船で会ったあの美人を思い出す。彼女はこの街だと言った。あれから5年。もうすぐ6年。ハバロスクで別れ、その後どうなったのか、この通りでバッタリ何ても思ったが、そんなに世の中うまくいっていない。由比正雪の生家・・・。
由比駅で休む。暴走族の連中が言合い、話にもならない。若造と思う。そこに高校制服を着た女子高が来て、その連中のセリカに乗って去る。
3時、由比を出る。土曜日。高校生が改札からゾロゾロと出て来るが、見る気になれない。以前、可愛い子いないなぁーなんて見ていたのに・・・。精神的弾力がなくなって来たのか。由比の街を出ると広い道路。その横に東名高速道路。高速道路便所でクソを垂れヒゲを切る。
崖の下に道路。その崖にはみかんだらけ。毎日毎日みかんばかり食べているので、食べる気にもならない。失敬するのもかったるい。防波堤の上を歩く。また大きなテトラポットが積重ね、海辺を埋めている。こんな物、本当に必要なのかと首をヒネる。
今日、三保まで行くつもりであったが、行けそうにない。新聞の読み過ぎ。興津に入り「ヤマムン」のスーパーで買い物、1319円。充分に買ったのに、作り焼きたてパンを見ると、実に美味しそう。フアフアと買い物してしまう。4時なのにもう薄暗く天気悪い。スーパーを出て少し歩くと、雨が降り出す。場所を探してもなく、スーパーの裏で雨宿り。焼きたてのパンを食べながらどうするか考える。
このまま歩いても清水まで、急ぎ慌ててもしかたがないし、来る時見た神社の鳥居、そこに行ってみよう。寝れるかどうかまだ分らない。鳥居は見たが、神社は見ていない・・・。
満腹の腹をかかげ、500メートル程引き返す。線路を渡る。鳥居下で2人の女の子が遊ぶ。コンクリートの段が高く上まで続く。割合に高い。段の途中に、階段高く山の中に神社。そのままコンクリートを歩き続けると、寺らしきもの。人はいない。
その山肌斜面いっぱいにみかんだらけ。ひとつだけ戸が開いて、中を見ていたら、畑仕事帰りの老夫婦が、大きな竹カゴを背負って横を通る。訊くところに依ると、不動尊を祀ってあるとの事・・・。大きく、人がいないが、考えて神社に行く事にする。もしだめなら引き返して来ればよいと・・・。暗くなった急な階段を高く上に登ると、闇の中に社。よくこんな高い所に建てたと思う。一見、陰気である。久し振りの神社に気後れする。
しかし天気が悪いので贅沢は言えない。鍵も何もかかっていない。大きな賽銭箱だけ。ライターの灯で中を照らす。5時のチャイムが聞こえる。もう中は真っ暗。時計を合わせる。殆ど使わぬが、翌日から早起きと決める。
暗闇の中に慣れると、やはり木造神社が一番落ち着く。
使用金額:1379円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/田子の浦~今井~蒲原~由比~興津
大崩の海岸回りを選ぶ
1979年
昭和54年12月2日(日)
これから早起きする事にしたので、昨日5時のチャイムに時間、時計を合わせる。小便に立つ。真夜中、ライターの灯に照らす時計は4時。そのまま眠る事なく、寝袋の中でジーッと色々な事を思い浮かべる。
薄明るくなって来たので時計を見ると、6:15AM。時計を使用するのは、しゃくであるがしかたがない。海の上が朝の暁で紅色。樹の向側に、この神社の高台より見る。
外に出ると、グラタンフライと牛乳を、立ったまま食べる。新聞を燃やす。炎が不思議に思える。夏はもっと早く起きていたのに、早く感じられる冬の朝である。急な階段を降り、前の社を振り返り見ると不思議な感じ。50年後もこの社は、このまま在るであろう。
山を下まで降りて来ると、道路にはまだ誰もいない。道路は静かで歩きやすい。時間が過ぎても車が少ない。今日は日曜日である。玄関の前に新聞が沢山あるけれども、もう失敬する気にはなれない。工場、ガソリンスタンドなど休みで関係ないであろうと・・・。行く道、注意しながら見るが、1部もない。日曜日は配達しないのか。
海岸の臨海地区を歩き、三保に向う。清水の街には入らない。静岡なんか通っていると、交通量で頭をやられてしまう。少し遠回りでもよいので海岸を回って行く事にする。
倉庫ばかり建ち並ぶ。事務所?のポストに新聞。取ってみると、日本経済新聞。こんな硬い新聞は読めない。すぐ返す。次はスポーツ新聞。信号横の事務所。横に座って読み終わると、またポストに返して歩き始める。
二又に出る。左手は三保の松原。右手に行く。そこから海岸に出ると、浜である。歩道があり歩くのに丁度よい。
ビニールハウスがズラリと続く中はイチゴの栽培である。何時頃か分らなぬ。
浜に出てナベを砂で擦り、昨日焦げ付いたビニールを落とす。会社の運動会らしきものを遠くの浜でやっている。
空はきれいに晴れ上がり青空である。ナベの後は、日記を玉ジャリの上で付ける。
20メートル程横で、女の子3人が弁当持ちで、凧揚げしてキャーキャー言いながら遊んでいる。のどかな浜の一風景で、釣人、浜遊びと・・・。しかし、この浜も例に漏れず、凄いゴミの山である。特にビニールハウスのビニールが捨てられ、どうしようもない。
「海を美しくしましょう」も、立札は倒れ空しく何の意味もない。
こんなに汚くすると、いずれ水俣病の如く、自身に還って来る事が分らない馬鹿どもめが・・・。
こんな連中に限り病気になった後、文句たらたらと、こきやがる。
遊歩道を長く歩き終わり道路に出ると、右手の崖上に久野山の門が見える。道路横には軒並にイチゴ屋である。一軒、15~16才女の子が店前に立ち、車が通るたび頭を下げ、手招きで勧誘?しているその姿がぎこちなく、見ている方が辛い。
工事中の道路を過ぎる。その横は防波堤が崩壊している。右手遠方山にみかん畑が黄色、みかんが見える。ノドが渇いて・・・、しかしあんな所まで失敬しに行く気にはなれない。
道を行かずそのまま海岸沿に畑の中、勝手に歩く。
テトラポットを作っている工事現場の立入禁止の札を無視して、そのまま進むと遊歩道に出る。
富士山がくっきりと見える。青い海と空の向うに伊豆半島。ノドが乾いているが、海岸の遊歩道ばかり。店屋はない。しかし、車が通らないので非常に歩きやすい。歩道の店が崩壊している。台風20号のツメアトなのか。
公園に出る。小学生達の野球チームが集まっている。皆ユニホームを着ている。昔、あんなものはなかったなぁ・・・。俺は、グローブさえ買ってもらえず、人がやっているのをいつも見ているだけ。そんな子供の頃を思い出す。
芝の上にリュックをおろす。お茶でも作りたいが、風が強い。店屋があり、子供が2本のコーラを持って出て来る。うまそうである。この7カ月間に2回コーラを飲んだだけである。そんな事を浮かべて、1カ所は覚えているが、もう1カ所は思い出せない。
とにかく便所に水を汲みに行く。便所中に紙があるので、ついでにクソを垂れる。
水を持って工事中のプール横を通り、そのまま遊歩道を進むとコンクリートの堤防は終わり、土堤。ジャリ山そして大きな河である。橋はグルリと右回りして遠くにある。
慌てて地図を取り出すと、安信川となっている。ガックリ。
とにかくそのまま進むと、大きな池みたいな河の出口は小さく見える。アッ、あれなら靴を脱いで渡れると、まず、テトラポットの後でお茶2杯を作る。久し振りにうまいお茶である。しかし、もうガスは殆どない。お茶もなくなってしまった。パンとグラタンフライを食べ、お茶を飲みながら地図ばかり見る。晴れ、青空なのが大変助かる。
さて、河口に行ってみると、確かに幅10メートル程だが、流れが急で深く渡れそうにない。残念である。また逆戻り。川上の橋まで歩く事になる。この10メートルを渡れたら、2キロは違うであろう・・・。
橋を渡ると、左手にみかん畑。みかんがなっていても、そんなに目の色を変え失敬しに行く気になれない。歩道につき出ている小枝のみかん4個、黙っていただく。
道路をそのまま進むと大崩(おおくずれ)。焼津、二方向から焼津に行ける。大崩の海岸回りを選ぶ。集落が終わると絶壁の道となる。用心にスーパーで牛乳を買う、126円。食料なし。後は腹がヘッていない。スーパーの時計で、3:45PM。集落が終り道路は崖渕を通る。その崖山急斜面にみかんが沢山なっている。よくこんな所にと思う。
道は段々と上にあがって行く。海は下へ下へと低く、富士山も遠くになり、もうすぐ夕暮れ。遠く崖渕にトタンの小屋、その横下にみかん畑。もう寝る所が気になって来る時間なので、みかん集積小屋ではないかと・・・。
しかし、屋根にテレビのアンテナ。道路崖横を左に入ると、倒れた木がジャマをする。
すぐ真下は深い崖である。入口のシャッターが半分開いている。ドアのノブには手をかけずを、裏に回るとシャッターが、80センチ程開いて中が見える。
中を覗くと、メチャメチャに乱されている。おかしな話である。襲われたとしか思われないよな乱され方である。
シャッターに手をかけるとガラガラと開く。ドア窓を開く。中に入ってみると、もう全てがヒックリ返され、アルバム写真が散り、見ると、写真の女の人が住んでいたらしい。
名前は、Yと思われる。不思議な不気味な・・・。ガラスに口紅で、何やら書かれているが読みとれない。
興味と恐さで・・・。どんな人物なのか、散ってる写真を1枚1枚見る。やっと1枚、年齢の分かる写真。学芸会の写真で、13才と2ヶ月と写真裏に書かれてある。
そんな物を見てるうちに薄暗くなってしまう。このまま焼津に入っても、寝る所を探すのが大変である。気持ち悪いが、ここに泊まる事にする。
電気はなく、乱されて1ヶ月は経っているのではないか、埃をかぶっていないから。窓ガラスが壊れている。ここから入れたのか。とにかく、何故こんな辺鄙な所に住んでいたのか。メカケの為のような感じがしないでもないが、最近撮られたらしき、カラーの大きな写真には、子供と二人。後にはピアノ。指輪は大きな真珠である。どうも金持ちの夫人だったらしい。
福井県の出身。若い頃、アナウンサーを志望していたらしき形跡の走り書きがアルバムに貼ってある。
タンスの引出しも、全て書き出され、とにかく恐ろしいヤクザにでも「拉致」されたのではと思われるような・・・。ステレオが乱してある。コンセントに電気を入れるとつく。
FMにスイッチを入れ、この乱れた中、日記を書いている。電気をつけているので光が漏れ、もし泥棒と間違えられ、それとも、ここを乱した連中に殺されて、死体になったら困るので、ビビリながら日記を付けているので、手が震える。全くとんでもない所に入ったところである。
広さは、6畳程。玄関と押入れ、炊事場がない。これが最近なら、電気は消えているはずである。テレビがないのがおかしい。病院と関係があるらしい。とにかく写真に依ると、金持ちの生活をしていた事が分る。美人である。
封筒に医者夫人とみて間違いないようである。
壊れたシャッターの隙間から、冷たい風が吹き込む。今、ステレオが7時の時報を知らす。
FMはいい番組なく、スイッチを切る。真夜中のひとり、一体この部屋で何があったのか。もし、この事件に巻き込まれたら・・・と、頭の中、忙しい。
いつの間にか、寝てしまう。
使用金額:126円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/興津~安信川~大崩
テクテクと歩く自分の姿を外から見ると・・・、どうなんだろうと考えた時、急に侘しくなる
1979年
昭和54年12月3日(月)
真夜中、目覚める。小便。この寝袋から出るのが面倒と云うより、もし何か!と云う考えのほうが大きい・・・。想像力が旺盛と云うのか、こんな時が困るものである。
しかし、どっちにしても我慢できるものではないので、ガラス戸シャッターを開けると、外の方が断然明るく、左手に街の灯が見える。この戸の下すぐは、絶壁100メートル以上はあるであろう。波のドドーッと云う音が伝わってくる。ステレオのスイッチに手をかける。中国、朝鮮、FENと、色々。日本語は1局だけ。全然おもしろくない。2:21AM と、ラジオから流れ、この事を色々と推理してみる。色々な事が、悪い方へ悪い方へと想像されて行く。
3時で深夜放送が終る。FENはスポーツで、全く分らない。スイッチを切る。風がシャッターを叩く。下から海鳴りの音が響く。危機迫る緊迫感と同時に、片方、冷ややかにそれを見ている自分。もしこの時、悪党がバーンと入って来たと想像。アウト。手の出しようがない。
靴をはく暇なく、寝袋から出る暇さえない。ナイフを出しておこうかと考えたりしたが、これなら結局同じ事である。血痕の付いた枕の下に、なんと風変わりな一夜を明かすことになってしまったなぁー・・・。
普通の連中だったらどうするのか、そんなこと思ってる内に、また眠ってしまったらしい。
隙間から陽が差し込む。薄く明るい。スイッチを入れると、丁度6時、NHKニュースである。何も起きなかった事にホッとしたような、ガッカリしたような・・・。一夜すると、なんとなくここが気に入ってしまった。
もう1泊するにしても・・・、水がなく出る。記念に1枚の写真をアルバムからとっていくかと思ったが、幽霊でも出てきたら困るし・・・。しかし俺は、ある事に気が付いた・・・。中にパンティストッキング、コンドームがあちこち散らばっている。しかし・・・?、外はトタンの粗末な造り、中はヒノキ造り・・・。一体何があったのか知らぬが、興味のつきぬ事である。
朝の冷たい空気を受けながら歩く。山肌にみかん畑。みかんを少し失敬したが、全然甘みがない。下に小浜の集落が崖渕に建つ。トンネルを出ると焼津。まだ静かな朝である。下まで降りてくると、中学生達がゾロゾロと歩いている。港に行く。本当は、早朝の漁港を見るつもりであったが・・・。セリは終わった後。鰹船から冷凍鰹がコンベアーに乗って、次々と出て来る。選り分けている作業を見る。
まだ8時前で、どこも店は開いていない。新聞販売店で朝日50円。街の中を通り、御前崎へと出て目指す。街通りに小便する場所なく困る。漏れそうな一歩手前。神社あり、境内で小便を垂れホッと一息。新聞を読む。
動いていないと寒く、朝はゆっくり落ち着いて新聞を読めない。
ガスを買う、300円、パン、牛乳、230円。建売住宅の庭でマーガリンを付けて、朝食とはほど遠い食物である。
新聞を今日も買ったから、遅れそうである。地図を見ると、ユースまで頑張りに頑張って、3日の距離である。何か知らぬが、こんなかったるい事、早く終わらせたくなった・・・。
テクテクと歩く自分の姿を外から見ると・・・、どうなんだろうと考えた時、急に侘しくなる。
大井川を渡り、4キロ程の所にコインフードの売店。無人。休憩がてらに新聞を読む。隅々まで読んでもう読む所なし。一旦、ここを出たが引き戻って、テーブルの上で日記を付ける。
もう3日でユースに行く気はない。1日違ったからって・・・。
手紙には3日頃着くと書いたが、あの雨がなかったら丁度計算通り、今日着いている事になる。今日も晴れたいい天気である。一体いつまで続くのか心配だが、喫茶店にしてもおかしくないようなコインフードが、幾つも建つ国道150号線である。2級国道で、交通量が少ないであろうと思い、1号線を離れ、わざわざ遠回りしたのに、期待に反し交通量多く、うるさく気分、イライラとする。
ラジオ放送の流れるフード屋で休む。それから浜に出て歩く。浜が終わると、畑の中を通った自転車道を、退校の高校生が自転車で帰って行く。河を渡って500メートルも歩いたか・・・。交番前に立つ防寒服の警官が、手招きで呼び止める。
人を犬みたいに呼びくさって、ムカッと来たが、とぼけて・・・、
「ハァー、何ですか。お茶でもくれるんですか」
まぁお茶でも飲んで行けや・・・、と調子はいいが・・・。職務質問である。
夕暮れで寝るところを探すのに、一番大事な時である。そして運悪く、住所を訪ねてきた人があり、これがなかなか二人で記録を探しているが見つからない。その内、日が暮れ暗くなってしまう。もう諦めた。しかし、出されたお茶は文句なし、美味である。しかもこれは日本茶。イヤ、さすが本場の茶である。これなら何杯も飲める。
変に疑われ、日記を見られるとまずいと云う弱みがあるので、おとなしくしていれば、調子に乗って、
「路銭はどうするのかネ」
「ハー、金ですか、金は銀行から持って来ます・・・」
「たとえば、郵便貯金みたいに・・・」
「イヤ、ナイフ持って銀行にお金くださいと行くんです」
「どういう経路で回って来たのかネ」
「・・・?」
「こういうのを何と云うのか、説明するの難しいですよ。強いて言うなら、無銭旅行ですか」
「しかし、金は使うのだろう」
「ハー、少しは」
警官、胸のポケットからタバコを出したので、
「アッ、すみません。そのタバコ貰えませんか」
警官、何とか言いたそうであるが、なんと言ってよいのかわからぬ表情で、
「図々しいなぁ」
「ハァー、だから言ったでしょう、無銭旅行だと」
「今夜どうするのかネ」
「留置場でも泊めてくれないのですか」
「ここは簡易宿泊所ではないよ」「じゃぁ、何か悪い事しよかな」
「しかし、入ってもすぐには出られないぞ」
「ハア、それの方がイイですよ」。
なんだかんだ言って、「この辺うなぎの本場でしたね、ウナ丼なんか出ないんですか」
「そんなもの、警察が出すはずないだろう」
「ハア」
「もうイイ」
「アァーそうですか」
外に出ると、旅の恥じはかき捨てで、悪い事をしていくんじゃないぞと、馬鹿な若造警官。人をなんだと思ってるんだ。ばか。全く人格のない礼儀というものを知らぬ者である。警官の制服をかさに着て・・・。
まだあの山形の刑事の方が、よっぽど礼儀を知っている。
とりあえず街通りに出て食料を買う。874円。これからである。暗い中をグルグル回って寝る所を探したのは。
ありとあらゆる所を探す。これを書いていたら大変なので止める。浜の海の家を見て回ったり、廃車の中、建築中、犬小屋。最後、街の中、建築中の家を見つけたが、入ったとたんに、パッと電気がついて、大工、
「あなた何ですか」
訳を説明して神社を教えて貰う。やっと寝る所にありついた。
満月の照らす明かりがあったからよかったものの、これが暗かったら探し歩いている時、あの警官の面を何度もブッ飛ばしたいと思った事。
自分が悪い事していると気がつかないバカな警官である。
使用金額:1554円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/大崩~焼津~御前崎~大井川
イヤ、日記ではなく日記を付けたと云う事が、大きく自分の身に影響する事が分る
1979年
昭和54年12月4日(火)
昨夜は全く酷い目にあった・・・。しかし、考えてみるとあんな事がなかったら、今この場に寝ていない事になるなぁ・・・と、思う。常に真夜中に目覚める。この神社、鍵も何もかかっていないが、畳が敷いてあり電気がつく。一旦電気をつけ、考え事ばかりしてもつまらないので、日記でも書くかと思ったら・・・、しかし、灯は外に漏れる。真夜中では村はひとつも灯は点いていない。寝静まっているのであろう。しかし誰か小便に出て、この灯を見たらと想像すると・・・。
少しでも出来事が面倒になる可能性があるなら、やめた方がよいと、また電気を消し、寝袋の中でジーッとする。遠く離れている海なのに、波の音がはっきりと響き伝わる。
九州に帰ってからの事を色々と考えている内に、薄く眠る。
チャリンと賽銭の音にハッと目を開ける。まだ暗いのである。夜明けの薄明るくもなっていないのに、誰か祈りに来ている。その帰っていく足音を聞くと、起き、寝袋を巻く。
荷造りをしていたら、また別人が祈りに来て、中でジーッとしていたら、その男の人、中に入って来る。フッとその人、横を見て・・・、俺を見ると、ムッ・・・、
「ああーー、お早うございます」と、俺は言う。その人、中で一生懸命、祈っている。
サッサとその神社を出ると、国道150号線に出る。空は雲が多い、寒くはない。24時間コインフード店に入る。中にラジオがあり、無人。時計もあり、6時45分になっている。
イスに座ってパンを食べる。丁度、持ち主が掃除に来る。坊ちゃん風の男である。インベーダーが5台? もう元を取り戻したとか・・・。お茶葉があるなら、お茶を作れるのに一片もない。
ラジオの天気予報では曇り時々晴れ。夕方から雨。明日は晴れるとの事。いい事を聞いた。こんなヘタな所に寝ていたら、とんでもない事になる。
浜岡に抜ける近道があるのに、国道の遠回りをする。もう気合いが抜け、惰性に近い気持ちで歩いている。拾ったマンガを道横で見て、別におもしろくもなんとも・・・。肩が凝るし、完全に疲労の蓄積である。
御前崎に行く別道・・・、そのまま国道を緩やかな坂道を登って行く。家がポツリポツリと建ち、道はよくなる。右側の、道路になっていたみかんを、6個程失敬した。どうもまた、まずいのであろうと思ったら、今度は甘くおいしい。もっと採ってくればよかったと、後悔する。
松林の中を野クソ。大きなクソ。これが俺のクソ? こんなに中に入っていたのか。
沢山出てきてスッキリしたのはよいが、血が出ている。痔なのか・・・。まさか腸ガンではないであろう。(暗くなって来て、もう見えない。明日にする)
続きを書く事にする。
ユースに泊まっていた時のクソは、ほんの僅か。一握りしかなかったはずである。なんて自分のクソを見ながら考える。
道は下り坂になり、周囲は松林が一面に続く。桜ケ池、竜でも出るらしい・・・。
左手に、原子力発電所に博物館がある。そのまま横を通り過ぎ、4キロ?程歩いたか。浜岡砂丘入口の標示板。別に砂丘なんか関係ないが、この車にはイライラとする。浜を歩けるのではと、地図を取り出してみると、5~6キロ先に川がある。
河口か、橋まで500メートル。まぁーいいだろうと、砂丘に向かう。道路から左手に入ったら、すぐ、ねむの木学園図書館がある。ここなのか、宮城まり子の、ねむの木は・・・。
その横に、土木用プレハブ。外に水道。靴下を洗う。足が臭くて困る。靴を洗わないと、浜を歩く時、小さな川なんかを渡り、濡れてそのままにするから、ムレた足がムレ、増々悪臭を漂わす。歩いている時は、別になんとも構わないが、寝る時、寝袋に臭いが移ってしまう。一度眠っているうちに、顔に巻いているタオルが、足元に行き、翌朝、顔を洗ってタオルで拭こうとしたら、タオルが臭いのなんの・・・。しかたなく拭いてしまったが、水虫が顔にできるのでは。
道路から、5、600メートル程海辺に向って歩くと、大きな堤の如く砂山が見える。その砂丘の麓に、ねむの木売店があり。客なく閑散としている。
砂に足がヌカり、歩き難い。大きな砂山に立つと、上で数人。宮田プラモデル会社の連中が、砂丘でラジコンカーを走らせ、写真撮影をしている。
しかし、ラジコンカーは、砂に車輪を取られ、思うように走れない。
もうひとつの砂丘を超えると、太平洋が見える。灰色の曇り空ではない。玉露色した海の色である。釣人の竿が砂丘に立ち、長く、どこまでも渚は続く。
後を振り返ると、数人の釣人と、釣りサオは、雨の中に小さく見え、誰もいない砂を踏み、一歩一歩と歩く。車のいない所だと、いくらでも歩ける。
空は時々青空を雲の間に見せるだけ。波の音だけの世界である。別に誰と話をする訳でもないし、ブツブツと一人言。
右手の砂丘の上に建物が見える。その建物から1キロ程は先にも、青屋根の何かが見える。向う側の建物が、河口らしい・・・。
手前の建物に上っていくと、展望である。周囲に民家も何もなく、防砂林の低い松林だけ。
正面には海である。今年建てたばかりらしい柱だけ。窓もわくもない。面の奥に脱衣所あり、寝るに丁度良い。水道もある。時間は、11:30 am頃である。地図とニラメッ子する。
ユースに着くには、どっちにしても翌々日。このまま歩いても、中途半端な距離になるので、ここに落ち着く事にする。
ラーメンとパンを食べ、今日の食料をどうするか・・・。地図を見ると、一番近い「合戸集落」まで海辺から約2キロ、往復4キロである。夕暮れからは雨が降ると天気予報・・・。
リュックを松林の中に隠し、小枝で上を覆う。
砂丘の下に降りると、建てたばかりの公衆便所に駐車場あり。太東町の看板。そこから300メートル程先に工場あり。松林の中にポツリと。
国道に出てそのまま真直ぐに進む。国道の手前は、防砂林。向い側は、畑と温室栽培の建物が並び、苗が見える。
県道に出ると店屋。ガスはたっぷりとある。何を作るか考えながら、店の中をグルグルと回る。慎重に考える。明日残っても困るし、不足しても困る。湯トウフを作る事にする。少し高くつくけど、いいではないか。若鶏のモモ。ポン酢も買ってビールも買う。計、1703円。
重い袋を下げ、畑の道を展望台へと帰る。
畑の中には、イモ、大根、白菜、他。しかし、イモ、もう食べる気はしない。大根おろしに、ポン酢としゃれたいが、大根おろし器がない。結局、何も失敬する物がない。白菜は小さいし・・・。
展望台に戻ると、まず、白菜の漬物でビールを飲む。ビールがまずい・・・。体の調子が悪いのか。久し振りのビールなのに。
誰もいない静かな所である。気に入った。砂丘と海だけ。海を見ながら、苦いビールを飲む。しばらくすると、顔がポッポとして来る。
発泡スチロールの箱が落ちている。これを下に敷くと、熱を取れないので大変よい。下に敷けるよう、切り取って行く。
その後、肩を背にジーンのスソを縫う。室蘭で買ったジーンであるが、スソ縫いを出鱈目にしているから、もう一度洗濯すれば、完全にバラバラとホコロびてしまう寸前である。こんな所で縫い物か・・・。冬の空の下。
その後は、昨日書き残しの日記である。午前中で歩きを中止しても、やる事が次々とあり、休む暇はない。この日記を付ける必要がないなら、話にならない程、荷も軽くなるし、楽だし、距離も進む事はハッキリしている。
日記の為、1日、2時間は取られる。それも明るい内に書くから、その分歩けない。しかし、日記を書いている事で、色々な事に気が付いたし、後々、この日記が意味、イヤ、日記ではなく日記を付けたと云う事が、大きく自分の身に影響する事が分る。
今日の分の日記を書いていたら、夕暮。薄暗くなりノートの先が見えず・・・、途中で止める。
脱衣所は男女とあり、向って左手西側は、中に砂が少ない。東側の中には沢山、砂が積もっている。左手の砂の少ないのは、風が少ないと云う事であり、そちらに寝る事にする。昼間の明るい内に、砂をかき出しておこうと、砂をすくい出したら、プーンとリンの匂いが鼻をつく。砂の中からクソ紙と一緒にクソが出て来る。全く頭に来る。こんな所、寝られた物ではない。こんな所に、クソを垂れる奴の気が知れない。下に清潔な公衆便所があるのに。
しかたがなく、隣に移る事にするが、風が舞い込む。風だけなら問題はないのであるが・・・。風と一緒に砂も入って来る。これでは、眠っているうちに、胸の中が砂だらけになってしまう。
湯トウフの用意を済まし、ガスにかけ、板を探しに行く。金網のゴミ箱が2つあるので、この上に板を乗せれば、寝るはず。中の砂をかき出し、大変な重労働である。
とにかく、暗くなった夕暮れ。ポン酢で湯トウフと、しゃれたのはいいが、暗くて中の物が見えない。クタクタと湯立っているのを見ながら食べないと、本当に味けない。ただ食べるだけといった感じである。ほんとに三覚だなぁーと思う。
味は悪くないが、視覚のないナベ物とは、一向にさえず。鶏、モヤシ2袋、トウフ3丁、糸コンニャクである。後で、うどん玉2個入れるつもり。一応、腹が満たすと、板を探しに行く。2枚の板と数本の棒。なんとか寝れそうであるが、あまりパッとしない。もう一度探しに行く。下の公衆便所、暗い。
しかし、電柱がこの前まで来て、線が引いてある事は、電気があるはずである。中を見ると、スイッチ! やはり電気は点いた。これで日記は書ける!
工場横が工事中。現場の者が帰るまで待ち、中に入ると、型枠用の白い板を見つけ、持って来る。その時、一台の車が俺の前を通り、前に便所のあかり。そして、消えると、キャーと、女の嗚呼。アベックの戯れ。アホ。便所の中は清潔で、女の方がいいし、広い。男の方は、小便用便器があるから、ここにも充分寝る事ができる。水洗で清潔で、臭いがしないし、砂も入って来ない。電気は点くし、ただ、痴漢に間違えられたら困るが。
こんな辺鄙な所、昼しか人は来ないだろうと思っていたら、たった今、この便所の中で日記を書いていたら、車が来た。人は降りなかったが・・・。スグ引き返して行く。
ゴミカゴの上に一枚の板を乗せ、もう一枚を、両方洗剤入れの上に台をして乗る。
その上で、日記を書いているが、腰より高い位置なので書き難し。
やたらと書く事があり、丁度、この便所の中で2時、こうして書いている。本当に、ほとほと参ってしまう。
まだどちらに寝るか決めていないが、女の方の便所に、3つのゴミカゴを入れ、その上に板を敷いて寝ようかと思っている。多分、今、8時30分頃であろうと思う。
ただ、散かしてある荷物を持って移るのが、大変であるが・・・。
今、荷物を移して来た所である。雨がパラついている。
天気予報が当たるなら、多分あの中にも、砂と雨と一緒に吹き込んで来るはず。この便所の中だと大丈夫であるが、もし人が来て、警察に通報されたら、目も当てられないであろう。
あと1丁の残りトウフを食べ、寝るつもりであるが、まさか清潔とは云え・・・、寝るとは。
雨さえ降らなければ・・・。
使用金額:1703円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/大井川~浜岡~御前崎
朝は、7時30分から歩き始めた。殆ど休んでない
1979年
昭和54年12月5日(水)
長年使ったハシを折り、砂の中に捨てる。
寝汗でビッショリ。小便に便所から外に出ると、雲の間に満月の光と星が輝いている。雨なんか降っていない。
夜が明けるとともに、誰か車でやって来た。女が便所に来ないうちに、寝袋を巻き、ゴミ箱を元の場所に戻すと、また展望台に移る。昨夜の残りの汁の中に、ウドン玉2個を入れ、煮る。
腹の調子がおかしかったが、食べ始めるとコロリと治る。東の海に紅色の朝の日が、雲の間より漏れ光を放射する。
風が吹き波が響く。彼方まで渚が続き、一日の始まり。今日も歩くのかと。全然、朝一日の始まりとは違って、新鮮ではない。ウドンの後、牛乳を沸して飲む。雪印牛乳を飲むと、腹の調子が悪くなる。
中を片付けてたり、ナベを洗ったりしていたら、1時間位アッという間に過ぎてしまう。浜を歩いても川に出るので、そのまま国道に出る。板を返す。型枠板は重いので止めた。国道に出て橋を渡ると、左に折れ浜に出る。菊川の河口。何やらスポーツ施設あり。ここにも寝る所があったのか・・・。
砂浜は柔らかく、ヌカリ歩く事が大変で、普通の時より脚が疲れる。しかし、国道を歩く気はしない。
砂の盛り上がった場所を、硬い場所とジグザグしながら進む。幅5メートル位の川。靴を脱げばスグ済む事なのに、大きな木株を転がし、丸木に丸石を組み橋を造って渡る。いつも靴を脱いで渡るのに、最近、浜を歩く時、靴を脱ぐ事をしなくなった・・・。そこまで頭が回らないのである。
砂浜に防砂林あり。その道から浜に出て来ると、2人が砂堤に座って、スプライトを飲んでいる。そばを通り過ぎようとしたら、声をかけられる。とりとめのないことを話す。半分残ってるスプライトを口飲みしたけれど、よかったら飲むかい・・・。断ると、いいじゃないかと。
そのスプライトを飲み終わると、また、誰もいない砂浜をテクテクと歩いて行く。これで砂が堅いと最高によいのだが・・・。二艘の船で、網を引っぱっている。重いのか、モタモタとして、船は岸近くを進む。
雲が多いが、Tシャツ1枚で、丁度よい暖かさである。
弁財天川に出る。大きな川であるが、河口は幅10メートル程、流れは早い。波の引き間を見て裸足で行くと、途中真ん中まで来ると、急に深くなり、ジーンのモモまで水につかってしまう。諦めて、遠回りする事にする。
ビッショリと塗れたジーンを履いたままで・・・。遠回りして岸に来ると、また浜を歩く。
今度は砂浜ではなく、堤の上に道がついているので歩きやすい。霞んでいるので遠くがハッキリと見えないが・・・。悪くない天気である。
堤の上の道を真直ぐ歩いて来ると、今までの道が細く遠ざかる。タイヤの通行止め。そこでリュックをおろし、写真を見る。肩がこって、両腕を動かすのが痛い。この調子で九州まで、もつのかなあ・・・。
荷物を徹底的に減らさないと体がもたない。太田川、遠州すくで壮の横を通り、国道に向う。
近くに漁業市場。漁船が停泊。市場の建物には誰もいない。腹がヘッているので、焼きそばでも作るかと・・・。丁度1時である。
朝は、7時30分から歩き始めた。殆ど休んでない。やはり時間から見積もると、距離が足りない。市場には誰もいない。閑散として、港と云っても、川を利用した小さな漁港に船が停まっている。
お茶を作り、ベンチに座ってボケーとしていたら、いつの間にか、1:40PMである。浜から国道まで、1.5キロ程上がる。これからもう浜を歩く事ができない。遠回りになるから、国道に出ると、車が恨めしくなる。
腹がヘッているので、初め店屋でパンを買う、210円。この店で油を売っている肥った32才の主婦が色々と興味本位に訊いて来る。適当に茶化す。話をしても分る相手ではない。
その店から5キロ程進むと、スーパーがあった。残念である。初めての店で買ったパン、古くて堅いのである。今更、戻る訳にも行かんし、スーパーで牛乳、トウフ、ビスケットを買う。
雨が降り出す。あてにならぬ天気予報である。雨が降るとは夢にも思わなんだ。
スーパーの時計で3時。建築中の家で雨宿り。トウフにポン酢をかけて食べる。
今日「竜洋」まで行きたいが、この天気では困ったものである。今夜の寝る所が気にかかる。
雨が降ってるので、食べた後日記を付ける。
もう、日が暮れるまで1時間はないであろう・・・。今、雨は止んでいる。歩けるだけ歩こうと思っている
1時間程歩くと、日は暮れ、段々と暗くなって行く。サテ、雨は降るし、寝る所は・・・と、不安な気持ちであるこの心理状態は、精神上よくない事であるが、いつもの事。しかし、慣れる事はない。
左側300メートル程の所に神社が見えるが、電気が点いている。人がいるのか。クソーと・・・。ところが、前に灯だけ
で人はいない。もう暗くなる寸前。あと、何処を回るにも探しようがない。よかったと思ったのは、つかの間の幸福か。隙間がない程バッチリと鍵がかかり、どこをどう見ても手の出しようがない・・・。
別に物置らしき建物。雨戸の中にあるアルミサッシ。その雨戸を下に5センチ程の隙間あり。サッシに手をかけると、中は開く。しかし雨戸は取れない。棒をクギ付けにである。
しかし、この俺がそう簡単に諦めるはずがない。ナイフでこじ開ける。電気は点いても、人に知れると事が面倒なので、暗い中を掃除して、お茶を2杯・・・。寝袋の中に入る。
汗をかく、寝付かれない夜。ゴロゴロと寝返りばかり。
日記にハシの事を書く事を忘れ、思い出す。
雨が降り出す。屋根から落ちる雨垂れの音を聴いているうちに、眠ってしまう。
使用金額:545円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/御前崎~菊川~弁財天川~太田川
ユースに入ると、例のドイツで会った男はまだいる
1979年
昭和54年12月6日(木)
暗い中、鶏の夜明け鳴き、「コケコッコー」。遠くから流れて来る。その後は、キャンキャンと今にも死にそうな犬の遠吠え鳴きは、イライラとする。2時間程か。休みなく続くその嫌な声には、死ネ、殺したい程、嫌な鳴き方で、気がイライラとする。
暗い朝の中、サイレンの音が鳴り渡る。6時であろう。今日は浜松に遠回りして、新居に行かなくてはならない。早めに起き、お茶を作り、ビスケットを食べ、この建物を出る。
やっと明るくなった・・・。段々と青空になって来る。
今日、泊まる事が決まっている為か、心も気も足も軽く、調子は快調である。天竜川の橋を渡り、右手に折れる。左手に行けば、近道であるが、たったクリスマスカードを買う為に、えらい遠回りである。
通勤通学の連中と一緒に道を行く事になる。片は働き、片は旅の途上。この人達から見れば、自由に俺を思っているのかも知れない・・・。群の小学生達、アッ、カッコイイーと云う。大人は・・・、その反対の事を考えていたが・・・。
浜松市街近くまで来ると、若い女の人に駅に行く道を訊くと、テキパキと正確に教える。頭の回転が速い人らしい。
新幹線駅に8時着。新聞、朝日は売り切れ、毎日を買う。8時では、店まだ閉店中。駅内の広く高いガランの中で新聞を読み、10時、駅を出る。地図、600円。
デパートにカードを買いに行く。途中、テンプラ屋で300円。おばさん、
「何か、おもしろそうな事をやっていますネ」
「まぁー、暇ですから」
デパート4階に上がって行く。久し振りに文明の香り?を見る。
580円カード5枚。一路、新居に向う。交通量が多く、ウンザリとする。神社で休み、買ったコロッケ、テンプラを食らう。脂っこく胸に来る。
高塚村に入り、スーパーで食料。昼のサイレンで、俺も神社の境内でトウフにポン酢をかけて食べる。さすが冷えているのか、うまい。1時間程この神社で過ごすと、また歩き始める。
途中から国道1号線に入り、中古車展示場が並ぶ道を、車を、もし自分が買うとして、見て行く。
車でボケーッと、回るのもおもしろいのではと・・・、思いつつ。しかし、今まで通ってきた街で、中古車展示場のなかった街はない。大変な数の車である。
弁天島まで来ると、ホッとする。ユースまで、もう目と鼻の先であるが、湖から吹く強い風が、歩く事を邪魔する。
新居駅前に、公衆電話よりユースに電話をする。夕食なし。スーパーで食材を買って新居の神社に行くと、境内はきれいに清掃されている。
ラーメンを作る。もう泊まる事が決まっているので、ゆったりした気分で青空を見上げる事ができる。
枯葉舞い落ちた後のケヤキの小枝が青空の中に映える。冬の初めと云うより、春の初めと云った感じを覚える。
やはり、行先不安定だと、余裕なくゆっくりと物を見る目がなくなるのかなと思う。最近、本当に余裕がなくなった。
ユースは10年前からいつも来る所である。考えてみたら、チットもこの街は変わらないみたいである。ユースに入ると、例のドイツで会った男はまだいる。
「ヨォー、まだいたのか」
手紙を受け取る。バーバラと北海道で会った者からの写真が送って来ていた。
日記を書くつもりであったが、3人のホステラーと計4人。1人不思議な男。リュックの後に大きく書いた段ボール紙を貼ってのヒッチハイク男。やたらと質問をして来る。俺は長い間、人と話をしていなかったせいか、ベチャベチャと喋りまくり、寝たのは1時過ぎである。
日記は付けずじまい。電気がある。便利でかえって不便である。
使用金額:2843円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/太田川~天竜川~浜松~新居
質問男、変わった人相して、おもしろい
1979年
昭和54年12月7日(金)
昨夜、深夜の1時過ぎまで話し込み、目覚めは自動販売機でもあるまいに、正確に朝日が昇ると同時に、トローンと開く。半分開いたカーテンから、柿が熟したような色を放ちながら、空を染める朝日もこの頭の中は、もうろうとして、モタモタと起きる。
他の2人はまだ寝ている。俺は洗面所でシーツを洗濯する。朝食、コーヒー、紅茶、ガラスの器に入れられたマーガリン、マーマレードジャム。悪くない食事である。食事後、老いた21才の男と、一緒にユースを出る。俺は図書館に手紙を書きに行く。バーバラに出す手紙の下書きしていた為、全然先に進まない。寝不足で頭ボケ、フッと後を振り向いたら、質問男が座って、何やら厚い本と・・・。
昼、質問男と昼食に出る。新居町をグルグルと回り、うどん屋で450円のうどん定食。店のおばさん、髪を結あげ明治調。図書館に帰る道、郵便局でバーバラの手紙を出すが、クリスマス前に着くのではないか・・・。封印を押す。
質問男、やたらと手を挙げ質問して来る。
海外旅行に興味あるのか。人生に興味あるのか分らぬが、21才、休学中。図書館に入って来た学校帰りの女の子3人に囲まれ、
「どこの国から来たの」
英語の手紙を書いているので、外人とでも思ったのか。
サインを書いてと・・・。次々の質問に笑いこける。この調子だと、話しているのもおもしろいが、先がつかえている。頼んでもひとりにしてくれない。
外に出る。歩いていたら、10人程の群になり、「アッ、ちんちおんぱんちおん」と、大声で名前を呼びながら、ランドセルをゆすり駆けて来る。
逃げて、見つからないように図書館に入り込むと、どうやって見つけたのか、図書館まで見つけて来る。
館員の人が笑っている。「ちんちおんぱんちおん」とは、勝手につけた俺の名前である。無邪気な子たちである。
昨日の分の日記を付けていたが、頭がボーッとして、字は乱れる。書く事が沢山あるのに、頭がボケ、全然思い出せない。昨日の朝、学校の周りを小学生男女が走っている。授業前の運動らしいが、小学生のくせに、女子先生より体大きく、大きな乳房をブラブラとさせている。それも1人ではなく、大勢である。これにはさすがに俺もビックリである。
図書館に女子高生2人が、俺の前の机に座り勉強。英語やっているが、本を借り読むと、いくつか分らない単語。時間で、17時、閉館である。
質問男と一緒にスーパーに、夕食を買いに行く。夕食は今夜も同じである。744円を買って、2人で分ける。
ユースに帰る。2人で食べていると、北海道のヘルパーがつまみ食い。食後風呂に入る。まだアカが出る。昨夜、2度も洗ったのに。ひとり入っただけでお湯が汚れ、恥ずかしいのでお湯を抜いたが・・・。今夜は大丈夫。アカがこびりついているのかなー。
しかし、肩の凝りも、体も軽くなった事が分る。新聞を読んでいたが、頭に全く入って来ない。すぐベットに入ると、コロリと寝てしまう。8時前、もう歳がハッキリとする。10年前は、こんな事でガックリ来るような体ではなかったのに・・・、と思う。
質問男、変わった人相して、おもしろい。何を考えているのか分るような分らんような。
しかし、その辺の21才の連中より、まともである。
使用金額:2474円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/新居
俺の写真を撮らせてくれと、カメラを構えるが、パシャパシャと次々と撮る。こんな顔、どこがいいのか
1979年
昭和54年12月8日(土)
窓から朝の日差しが入って来る。今日も青空の天気。ここのところ、毎日のように青空を見せる。
朝食、パンがないと。質問男と2人だけの宿泊者である。まだクリスマスカードの書き残しが四通、それに日記である。今日は質問男、出て行くとの事。クリスマスは小諸ユースで、彼女に再会の予定だとか。写真に凝っているのか、俺の写真を撮らせてくれと、カメラを構えるが、パシャパシャと次々と撮る。こんな顔、どこがいいのか、20枚程撮ったか。
10時でユースを出る。質問男はまだ中に入るので、挨拶に行くと、外までカメラをまた持って追いかけて来る。歩く俺の後ろ姿をパシャパシャと。
細いいつも通る道を抜け、路裏を歩く。パンツ2枚、靴下2足買う、1285円。
図書館に行く。レーナの書簡はサッパリと要領を得る事できず、適当に書いて打ち切る。読み見辛い手紙である。今日は土曜日で学校が半日。例の騒がしい子供達が図書館内で騒ぎ、遊び、ある者は駆けっこである。
昨日の女の子が一人だけ。俺の前のテーブルに座ると、俺をニコッと見る。俺は指を口にあって、シーと、黙れのジェスチャーをする。メアリージェイのカードは何と書いてよいのか分らない。これで3度目。あれから4度目のクリスマスになる。もう結婚しているかもしれない。
ボールペンが切れたので買いに行く。しかし三菱である。止めた。クリスマスカードが1枚足りないので、この本屋で買ったら、浜松で売っている品物と全く同じ物ばかり。これなら、あんな遠回りしてわざわざ行く必要もなかった事である。しかし、この町は、ボールペンが売っていない。変な町である。ボールペンを探し求め、この古ボケた町の中をグルグルと、30分以上探し回ったけれども、売っていない。諦めて、下の本屋に戻り、三菱を買う。一度酷い目にあったので、三菱は絶対に買わないと、他のボールペンを求め、街の中をブラブラする俺は、バカなのかなぁー。
図書館に戻ると、一日遅れの日記を付け、カードも済ませる。ペッタンペッタンと、きれいな切手を貼る。6枚のカードで、1600円以上の銭?
この図書館の中には、読みたい本が沢山ある。しかし時間と銭がない。滞在費を払って読むくらいなら、本が2冊は買える。4時で閉館で外に出る。外の風は冷たくなっている。
理容に行く。坊主頭、1900円。
「おばさん、俺は金がないので1番安くして」
小さな狭い店の中は、古ボケ、2つのイスに正面は古い鏡である。
おばさん、この鏡、イイネ・・・。分りますか。ハイわかりますよ。これは明治からあるんですよ。昔から床屋。
ヒゲそりも洗髪もなく、刈るだけ。1000円。牛乳を買って、ユースに戻る。
今日は団体が、ゾロゾロ。先に一人、風呂に入る。例のドイツ男が、飯は7時からと言いに来る。忙しいのであろう。手伝ってもよいが・・・。押しつけがましくなったら困るし、もし来たら手伝えばよい・・・。
7時飯で、自衛隊が2人。職業はなんて訊くから、警官。適当に警官の真似をして。
スープがうまい。食器がイイ。米もイイ。誠意のある食事である。
下で漫画を読んでいたら、例の自衛隊が来て話しかける。俺は乗る気がない。警官は嘘。今、無職とコロコロと俺は冗談を言って職業を変える。相手、頭に来たのか。そんな事を言われたら、誰だって頭に来るよ。今は腹の中で抑えているけれど・・・。一瞬、シラケて険悪な雰囲気になる。
相手が悪いのか、俺が悪いのか知らぬが・・・。あんな時、サラリと相手を受け流し、ユーモアで雰囲気を変えられるような言葉を言えたらなぁーと思う。まだまだ未熟である。
団体の女、OLが来ているが、あんな連中と話をする気にもなれない。
ベットの中にすぐ入る。
使用金額:6401円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/新居
時々見ていた浜名湖バイパスの大橋が、もう見えなくなった
1979年
昭和54年12月9日(日)
他の部屋の連中を起しに来ても、この1号室は来ない。団体の連中が先なのか・・・。そんな事どうでもいいや・・・と、ベットの中でモサモサ。ドイツ男が起しに来る。
皆と一緒に食べる為、後にしたらしい。正面に向って奥さんが座る。貫禄は付いたが老けたなぁ・・・。
今年でこのユース60周年とか。ボーイスカウトの団体。パンがまだ欲しいらしいが、訊くとハッキリと返事はしない。持ってくると、アッと言う間に、次を持って来ると、これもまた消える。
四人で話す。北海道、毛ムクジャラ男、俺の話はおもしろくて、一ケ月話をしていても、飽きないなんて言っている。
皿を洗って、9時前にユースを出る。肩の凝りも治った。足も軽い。ユースを出る時、ドイツ男、また来てください、待っています。
新居町を横切り、国道に出る。車はそんなに多くない。海辺に出る。丁度、浜松バイパスの終点の所である。
海辺に沿って細い畑道があり、畑にはキャベツ、大根が植わる。その畑仕事をしてる人達を横に、伊良湖? のんびりとハイキングによい道である。
その畑道を1時間も歩いていたであろうか。道は終り県道を入る。しかし、砂浜は遠く彼方の西まで続く。浜を歩けるであろうか。そのすぐ浜の横上は高い崖が続く。途中、右に入れなかったら大変である。土地の人に訊くと行けると言う。
小船を背に休んでいたら、漁師が来て色々と話す。最近はサッパリと魚が獲れなくなったとか、昔は、岸まで魚が来たのに。空は澄み抜けるような真っ青な空。海は深い青。海の向うに幾つもの船が往来する。ゴミははなく、浜は狭いが静かでのどかな風景である。砂は柔かく歩きずらい。リュックなく空身であるなら散歩にはもってこいの砂浜。ゴミがないのが気持ちよい。しかし、テトラポットが遠くまで並び続く。
裸足になり浜を歩く。白い渚が遠くまで続き、最高にロマンチックであるが、最高に疲れる。足が張って来る。
柔らかい砂地は、道路の倍は疲れる。せっかく治っていた肩凝りの再発? こんなに浜を歩けるものとは知らなんだので、食物は買わず、残り物、牛乳とみかんだけ。これだけで2キロはある。重い。空にする。サーフィンをやっている連中。ガールスカウトの連中か、砂浜で戯れる。カモメが浜に舞い、車の騒音はない。波の音だけである。
浜は段々と狭くなり細くなる。その分だけ白い渚がハッキリとする。遠く彼方に、アベックがその中に在り、絵になる風景である。夏の日の恋。路はるかに。旅路? そんな言葉が頭の中に浮かんで来る。
しかし、段々とそのアベックに近づいて来ると、まだ高校生なのか、あどけない顔をして、いちゃついている。アッ、胸クソ悪くなる。
後を振り返り、時々見ていた浜名湖バイパスの大橋が、もう見えなくなった。どのくらい歩いたのか分らない。
陽気だった今日一日の陽は、太陽が傾斜し始めると、急に冷たい風が吹き始める。この崖渕には全く寝る所見当たらない。県道に出る事にする。
崖の上を登って行くと、大根、キャベツ畑に出る。「六連(むつれ)」か。この渥美半島の部分だけ、地図が欠けているので分らない。店で、豆、ラーメン。豆を食べながら歩く。店の時計で4時。もう寝る所を探さなくては。
交番前の地図に百々神社あり。そこにいたが子供達が遊び、そのまま通り過ぎ次に進む。5時近くか、右手に見つける。右に入り込んだ所にあり、水もある。畳で鍵がかかっていない。お茶を作る。日記、昨日の分を書いていない。気になるが、全然その気になれない。お茶を飲んでいたら、スカートを履いた女の人が拝りに来る。もう暗くなっているので、中にいる俺に気がつかない。暗いので、若いのか中年なのか、分らない。強姦する訳にも行かないし、そんな勇気もない。つまらん男だなぁー。
使用金額:300円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/新居~伊良湖
帰るところがあるのは一番平和だ
1979年
昭和54年12月10日(月)
2日分の日記を、寝袋に入ったまま朝の冷え込む中を付ける。時間はかかる。ラーメンを作りお茶を飲む。ガスは残り少ない。チョロチョロとしか出ない。
神社を出る。今日も青空の晴れで助かる。伊良湖岬まで127キロ。伊良湖で泊り、明けて次の日、鳥羽に行くつもりである。県道を行く。朝のスーパーに入る。パン、グレープフルーツに似たみかん、290円。牛乳なし。
昼間、白壁のした神社に休憩。縁台は鳩のクソだらけ。風が吹く。水があり、長いこと使用していないのか、しばらく水を流しても、鉄サビの味がする。神社には鍵はかかっていない。
中に入り、道具をリュックから取り出すと、お茶を作る。その間、大きな賽銭箱を背に地図を見て、今後の事を考える。
計算では、24~25日頃、和歌山。今から、もうお正月の泊まり先が心配である。正月の神社は不可能。店は閉るし困った事になった。
熱いコップを両手に抱えて外に出る。空を見上げると、青い空と雲は初春を思わせる。
ただ暦の日数だけが冬を示す。暖冬であるらしいが、俺には助かる。
お茶を飲みながら、段の上に腰をおろし、ゆったりと空の白い雲を見ていると、歩く事がバカバカしくなって来る。どこからか流れて来る12時のサイレンかチャイムの音。嘘みたいな話である。
ガラス造りの温室ハウスが続き、中には重油の暖房付である。花らしいが、こんな事をしてまで花を造る社会は、どこか狂っている。この狂っている事に、疑いを持たない事が、そもそもの狂いである。
しかし、こんな事をこの辺の農家の人々に言ったら殺されるであろう。
小さな郵便局でクリスマスカードを出す。しかし、料金不足で貼り足す。レーナの分は、0.5グラムの為、340円である。大きな切手ばかりで、貼る所がなくなり、切手を買う、170円。
局員のおばさん、ヘェー、日本一周なんて驚いているが、本当は、ピーンと来ないであろう。
正面に、高い山の頂にホテルが見える。あれが伊良湖岬らしい。
道路標識に伊良湖岬5キロのサイン。店で、三立のパイと徳用センベイ、295円。牛乳なし。県道から左手50メートル程、海岸に出ると、歩道専用が先に続く。
浜辺遠くに、船が浮かぶ。歩道は山の麓まで続いているらしいが、三立の古いパンを食べながら、もし俺がユースを建てたら、パイでも出すか・・・、なんて想像して歩く。
今日の事が確かでないので、落ち着かない。
適当な所で、また県道に出ると、丁度、伊良湖神社参道の石標。
少し時間は早いが、今夜ここに泊まり、明日、船で渡る事にして、伊良湖の集落を通ると、細い路地表で民家ばかり。神社は見当たらず。人に尋ねるような雰囲気の所ではない。
こんな所で人に訊くと、スグ寝るか何かと疑いを持たれ、もし、後でゴタゴタとしたくない。
自分で適当に探しながら歩いていたら、反対の国道に集落を通り越し出てしまう。
もうこの辺で寝る所を見つけないと・・・と、心配なのであるが、こんな時に限ってサッパリである。
国道は海の強い風が吹きまくり寒い。松の盆栽園の中に小さなプレハブハウスが建っている。塀を越え調べてみたら、ダメ。そのままズルズルと岬に向って歩く。ゴルフ場を横切り、調べながら歩くが、適当な所なく。県道から見えた山の麓下、横を通り伊良湖岬に。
しかし、海から吹く風は強く、看板のトタン板をバンバンを叩く。
寝る所を探し、恋路ヶ浜の方に回ったが、公衆便所があるだけである。
落日との反対の空を見ると、紅に雲が染まり、原子雲みたい。
諦めて船に乗る事にする。港の待合室は、時期はずれの為か、閑散としても、売店の売娘達がボケーと立っているだけ。
船600円、時計 16:45PM。出航最終、17:30PMm。
外は嵐を思わせるような砂を巻き上げる強風。待合室には俺一人だけである。ビールでも飲みたいが、贅沢だしなぁー。それより真っ暗になった鳥羽に着いて、どうする。それの方が心配である。ユースのハンドブックに、鳥羽にユースあり、今電話をすれば間に合う。しかしユースに泊まる気は無い。そんな無駄遣いは許されない。
待合室の壁上に観光地図。鳥羽を見ると鳥居の示しなく、さっぱり。しかし城跡の示しあり。多分そこに何かあるはずである。まずそれ目標にすることにする。
5時になると待合室の売店は閉まり、照明電気は消え、薄暗くなるとますます、うら寂しくなる。1人ポツリとソファーに座り、昔、此処に来たのはいつだったかと計算しようとするが面倒で緩慢になる。
放送で、暗い海に接岸している船に向かう。外がビュービューと風がなる。皆、車らしく、歩いて乗る客は、俺1人である。
船室に入る。テレビ漫画をぼんやりと見て、今夜寝る所と天気が心配である。船は15分遅れて出航する。海は荒れ、船は揺れる。時々荒波にぶつかる船のドーンという音が響、体に伝わってくる。
こんな時、船が沈没したらと想像すると、まず助からんなぁー。俺はどんな行動をとるだろう・・・そんなこと思う。船を揺れ、気分悪くなりソファーに横になる。一生懸命テレビを見て気を紛らわすようとするが、テレビの画面、ガーガーと映りが悪い。そのうち船は鳥羽の港に入港する。
暗い港の中に、船が接岸すると嫌になる。このまま船の中に居残りたいが・・・。こんな寝るあてもない暗い寒い港に降り、雰囲気、何回も経験しても、なれる事は無い。
船を降りると出口に向かって歩く。出口に旅館案内所あり。ガラス窓をトントンと叩き、おっさんが顔を出すと、城跡と神社を聞く。神社があると言う。しかし不親切ではっきりと城跡を教えてくれない。
寒いためか人通りもなく、照明なく寂しい街である。湾の山、あちこちにホテルがあっているが建っているが、窓の灯りはほとんどついていない。
千鳥足の親父さんに神社を聴くと丁寧に教えてくれる。
ガソリンスタンドから出てきたおっさん
「ユースじゃないの」
「いえ私は銭がないので・・・」
店から電気の明かりが流れ、人通りなくガラーンとした街通り。文化センターの近く、信号渡ってきた女の人に城跡と神社を聞く。丁寧に教えてくれ、フッと女の優しさを覚える。少し話してみたいと思ってもこの夜・・・。
その女の人「頑張ってください」と言って文化文化センターのほうに行く。
「江戸金」の横を入り暗い中を階段上っていく、神社は神社でも屋根だけ。下は玉砂利である。
これで雨に濡れたら・・・目も当てられない。その横に社務所。しかし鍵でどうしようもない。暗い中をぐるぐると歩きまわる。幼稚園。その上は石垣。上に上がっていくと、学校。城跡か学校。校舎のどこかに寝れないかと、暗い中を回ってみたものの無理、くそ・・・。ついていないなぁとぶつぶつ独り言。校舎の一角にまだ電燈がついている。
寝るところなく仕方ない。後は運を天に任せるしかない。城跡を下に降りていくと、元の港から出ている国道に出る。結局ぐるり遠回りしたことになる。
夜の国道をテクテクと歩く。こんな時が一番わびしい。そしてそれに追い打ちをかけるように、どこからかプーンといい食事の匂いが漂い流れてくる。一家団欒の夕食か。天国と地獄。
さて困ったことになったなぁと思いながら歩いていたら、犬と一緒に歩いてる中学生らしきものに会い、呼び止め、神社を聞くと城跡の神社を言う。
「いや、それではなく別は」
しかしこの少年、全くぼそぼそと要領を得ない喋りから、うまく引き出すのが大変。今度はユース・・・いや、ユースではない・・・。この先のほうに神社はないかと、
「あ、この1キロほど先にあります」
それそれと詳しく聞いて、暗い夜道を行く。横に近鉄の鉄道。2両編成の鈍行列車がゴトゴトと通り過ぎる。車内の灯は暖かい。そう思わせる。会社を終えて家に帰るのか。帰るところがあるのは一番平和だ。日本の今は平和すぎて、この大切なことをころりと忘れて気がつかない。
さて茂の中に入っていくと、神社が神社でも犬小屋ほどの大きさの祠で、逆立ちしても寝れるわけがない。がっくりくるのを通り越して唖然とする。これはきつい冗談である。もうこれは運にまかせ、後は建築中の家にあたるしかないなぁーと思ってて歩いていたら、右手にブロックの建築中。しかし屋根がない。これでは話にならん。その裏に事務所にでも使っているのか、二畳ほどのプレハブ・・・机ひとつ、ピンクの公衆電話。中で立ったまましばらく考える。寝るにはきつい。せいぜい椅子に腰掛ける程度。寝袋が使えないと朝の冷え込みに参ってしまう。どこか探して、なければここに戻ることにして出る。
夜は歩いて、もし俺が車に乗っていて誰か同じようにリュックを背負って歩いている姿見たらどうするだろうと考えながら歩く。
前方に建築中らしき建物が5~6棟。近づくとやはり窓ガラスは開く。ホッとする。窓からリュックを入れ、車が通り過ぎ、線路向こうの2階に見える灯のついた空も注意して、パッと飛び越え、中に入ると、なんと裏側の「ドア」は開いているどころか、まだついていない。中を見ると、どれも鍵はかかっていないし、玄関あけっぱなし。バカみたい・・・。
二階に上がる。下は強い風が吹き込みほこりが舞う。二階にベニヤ板を敷いて、その上に寝袋を引き、今日はこんなところまで来るつもりはなかったのに・・・。
しかしこの建物に出会うとは、本当についていた
使用金額:600円
★「歩いて日本一周」旅日記 静岡県/伊良湖~伊良湖岬~鳥羽
せんべいを食べながら歩き、磯部に、9:40着
1979年
昭和54年12月11日(火)
目覚め外はまだ暗い。しかし、しばらくすると電車の通過する音が「がたごと」と響いて来る。そして、少しずつ壁が明るさを増し、東の空を見ると、明るくなって黒い雲が浮かんでいる。人が来る前にと、寝袋を巻いて出る。
東の空は今開けようとしているが、外はほんのり薄明るいるだけ。
この建て売り住宅の裏横に小さな近鉄の駅があり電気がついて中入金が1人。時計は6時21分AM。 Nikeは1名は「赤崎」
6時21分なんて別に大して早いこと言ってもないのに、こんな冷たく寒く薄暗いと何か非常に早起きしたように思える。
風が冷たく、もうセーターを買わないと。やっとヤッケのズキンを初めて出し頭に被る。
ガソリンスタンドに新聞。もう新聞を失敬する気にもなれない。疲れても休む訳には行かない。そんな事をしたら、体が一変で冷えてしまう。
道路、近鉄沿線に走り、時々特急京都行き、賢島行きが通過し、小さな無人駅に通勤客が立ち、みかん畑がチラホラと見える。
右側の土を掘りとった上に、大きなみかん畑が見えるので、失敬しに行く。
小さなみかんで取っていると、犬の声。取り終えた後で、犬がやって来て、ワンワンと吠える。飛びかかって来ないのが助かる。走って逃げる。その近く農具入れ小屋があり、その前の草で拾った1枚の新聞を読み、みかんの皮をむくが、冷え切ってみかんの皮がなかなかむけない。前にセンブリか、薬草が干してある。
周囲に民家もなくもなし、田舎の一風景なのだが、まだ寒い。9時頃になると、暖かくなって来るのであろうが、しかし、今日も空は青空である。
せんべいを食べながら歩き、磯部に、9:40着。計算通りに歩いている。鳥羽まで18キロの示し。本来、今頃鳥羽に着いている頃である。
そのまま五ケ所に向う。本当は御座に行こうかと思っていたが、この寒さではそんなのんびりした事はできない。今朝の小便、色が悪かった。
五カ所に向う。途中に神社あり。その階段に座って残りのみかんを食べる。やっと、寒さが過ぎる。もう、ゆっくりとする余裕がなくなってしまった。
県道から国道250号に出る。幾つかの小さな入江を過ぎると、日本的、屋根の低い五カ所の街に着く。スポーツ屋に行ったが、ガスなく、おやじさん、「すみませんね。スポーツの看板を下げ、品物がないとは」と、丁寧な断り方をする。
狭くクネクネした港の通り、漁港と云うより、なんと云ってよいのか分らん。
2メートル程高さの防波堤が、この入り江の街を囲む。その防波堤の外側に、小さな連絡船が繋ぎ止められ、学生達がカバンを下げ乗り込む。ポカポカと暖かい日でもあるなら、ブラリと乗ってみるのであるが、今はそんな酔狂な事をする気持ちの余裕なく、その入江を見てると、冷たい風が俺を吹き付ける。
牛乳を捜しても、なく、朝日を買う、60円。まずいソーセージを食べながら歩く。バス一台が通れるギリギリの幅しかなく、両側に家宅。これ国道。この街離れに、小さなベイカリーがあり、230円。パンを買う。歩きながら食べる。最近ゆっくりと座って食べる事がなくなってしまった。座ると体が冷えてしまう。
漁業協スーパーで、今日のラーメンとテンプラを、用心に買う。地図によると遠くまで街はない。トンネルを抜けると下り坂。そこから300メートル程右手道路下に神社あり。神社には休める程の大きさではなく、その横に社務所あり、アルミサッシの戸が壊れていて開く。中は板床で、ガラリとしている。中を掃いてリュックを下し、新聞を読む。
今1時を過ぎた頃であろう。
漁協の時計は1時だった。疲れているし、距離は進んでるので、今夜ここに泊まる事にする。新聞を読み終え、日記を書こうとするが、疲れて書けず。まだ明るいのに寝袋の中に入って眠る。起きて1ページほど書いたら暗くなり、ロウソクの灯で書く。終え、水をトンネル横の材木屋に貰いに行く。
時計は、9:10PM。
日は姿を消し、暗闇の中に星だけが輝く。水入れを持ち歩く。その夜道の風は一段と冷たい。ブルブル。
使用金額:800円
★「歩いて日本一周」旅日記 三重県/磯部~五カ所~
久し振りにこんな日本的な川を見た
1979年
昭和54年12月12日(水)
外の道路に中学生達の、ガヤガヤとする声が幾つも通り過ぎて行く。寝袋の中に入ったまま、日記の書き残しを付け、その間にお湯を沸かそうとしたが、ガスの火は途中で消えてしまう。
今日も晴れ、空は美しい。穂原の小さな集落に入ると、嘘みたいに静かで小さな農協売店に入る。455円。牛乳なく、HiCは久し振りに買ったが、この辺はみかん畑だらけなのである。
小さな橋を渡ると、スグ右に折れると伊勢路の道標。道は狭く、その道に沿って澄んだきれいな川が流れ、久し振りにこんな日本的な川を見た。
小さな集落なのに、大きな鉄筋コンクリートの小学校が、この集落にチグハグな感じで建っている。建てたばかりで、真新しい。集落を出ると、ススキの穂と蒲の穂が揺れ、川の橋の上でビスケットを食べ、それらを見る。そこからどのくらい歩いたか、日本的な集落が前方に見え、道路が二股に離別。右側の車1台分の幅の道路が、国道260号。
左手に入って行く。県道らしき道路の方が立派である。バスもここで終点。その集落は、人の気配なく静か。屋根は瓦である。
車は殆ど通らず、ジグザグの狭い細い道を、上へ上へと登って行くと、下に小さく集落が見える。これなら近道があったのではと思う。
どのくらい歩いたか。山の道、峠を越え、道はゆるく下り坂になって行くが、カーブを曲がった所で、4トンのトラックがカーブを曲り切れず、後車輪を崖に落し傾いている。
運転手のおっさん、顔、腹に油を付け、とほほと悲しそうな顔をしている。
何とかしてあげたいが、どうする事もできない。
山の上の道から遠くに海が見える。グルグルと山肌の道は、歩きやすい。バスも通れない道である。道が谷間に入って来ると。稲穂跡の刈れた田が、点々と姿を現して来る。人家が近いのかと思えば、さにあらず、みかん畑が山肌の斜面に。
もう採った後らしいがそれでも残っている。袋に入れ食べながら歩いて来ると、石垣造りの民家。
山奥の小さな盆地に農協支所の小さな売店。もう1軒の小さな店。横溝正史の映画にでも出てきそうな所だなぁー。
車1台分の幅の国道両脇に石垣の塀。嘘みたい。バスもないのに、どんな生活なのか頭をヒネっても分るはずがない。
集落を過ぎ、カーブを曲ると墓場で、ズラリと墓石が立つ。一種異様な感じ。
そこから少し行った所に、ポツリとバス停の丸い表示板が立ち、「大江」、終点。
朝行き夕帰り。これ一往復だけ。これじゃ若い人も住まないだろうし、静かになるのも当たり前である。
ここから急に道路二車線。新しくなる。左手に深く入り込んだ入江。そして、ポツリと神社があり、ポンプの井戸。ポンプをこぐと、水が溢れる。
神社はこの辺、変った造りになる。少年サンデー11月号を見て、足を洗い、靴下の洗ったが、片手でポンプを動かしの、不便な動作。
そこから500メートル先にトンネルあり、抜けると、集落があり、バスが通っている。
バスは県道を通り、伊勢市に行っているらしい。遠く山の上を道は走っている。喫茶店のドアーに、毎日を失敬する。こんな所に骨董屋があるので、見ると、整理されていなく、空家になる一歩手前の雰囲気。好奇心で中に入る。
ドアーを開けると、身体障害者の車イス。思った通り寝たきりの店主で、テレビを見て布団を敷いたまま、乱れ放題である。こんな所で骨董とは不思議。訊くと、もう15年なるとか・・・。
海に出る左手に、阿曽浦の表示。右手は南島。ここまで来ると、まともになる。
防波堤の上で、豆を食べながら新聞を読む。入江の海が濃い青。夏ならよいのであろうが。
南島中学校あり。冷たい風が吹き始める。
3:5PM。歩き始める。地図に載っていない集落を幾つか過ぎ、漁港を抜け、次の集落あたりでと思ったが、これが近づき、食料だけ買う、534円。古くなっても半値になったバナナ。安いチクワ、牛乳。
これから次の集落が。また、下から上のジグザグ道で、遠いのなんの。カーブを曲り、これでもかこれでもかと山道が続き、道は新しいが、所々に古い昔の狭い道を見かける。
昔、俺はあの道を通って行ったのかと・・・。あの時の事はよく覚えていないが。この道を通り、どこかの民家に泊めてもらったそれがどこなのか、今は知るべくもない。とにかくあの時は、こんな所に人が住めるのかと、ビックリしたが、今はもうすっかり変わってしまった。
右肩が痛く、こんな痛さは初めてである。もう疲れが抜け切れないらしい。左手でリュックのバンドを持ち上げ、右肩にかからないように歩く。
トンネルを出ると下に河内の集落。民家が点在。どこに神社があるのか、ヨク見回すが見当たらない。この集落には神社はないのか。今探さないと大変なのに、下まで来ると、英語を教えますの看板。こんな小さな所で儲かるのか。
左手の山に森が繁り、普通のこんな所に神社があるのだなぁーと、見上げるが、その影跡はさっぱり。
橋を渡り、あぁー今日はついていないと。その上を見ながら歩いていたら、舟工場の横にチラリと樹の陰に鳥居が見える。やっぱりと。橋まで引き返すのは面倒で、土堤を下り、乾いた河原を横切り行くと、鳥居が建ち、石段が山の上にと続き登って行くと、これが長いのなんの。よくこんな大石をこんな所まで持ち上げたと思うほど上へ上へと続く。上に着くと、例の屋根だけで囲いはなく、夏なんか別に構わないのであるが、戸の中は物置、埃、贅沢は言えない。1合ビンの菊正宗が数本、フタはサビている。
もう夕暮れ、日記を付けようとするが手が動かない。止めた。
毎日を読む。1ページも読まない内に来なくなる。ゴザを敷いて新聞を上に埃が舞わないよう、寝酒に1本の酒フタを開ける。しかしサビの味。しかも少し飲んだだけで止める。
寝袋の中に入る。外は真暗。疲れ寝つかれない。明朝、日記を書く事を思うと、ゆううつになる。
色々な通って来た街を思い出し、日本は本当にイイ街が少ないと思う。
使用金額:989円
★「歩いて日本一周」旅日記 三重県/五カ所~大江~阿曽浦~河内
初めて関東以来、1台目の車が止った
1979年
昭和54年12月13日(木)
スピーカーから時報の知らせが流れ、この山の中まで響き渡る。6時らしいが外は真暗である。明け方は冷え込む。肩が凝る。ナベを枕にしているせいでもあるのではと、止めたら、寝付かれずリュックをその代わりにした。しかしこれはもっと酷かった。
明るくなるまで寝袋の中でジーッとする。寝袋の外に出ると寒いので、寝袋の中に入ったまま。モソモソと、昨日のチクワを食べる。こんな事をするのは好きではないが、日記は書かなくてはならないし、昨日の1合酒をみると黄色に濁っている。俺が開けたのは鈍っていないが、変な味がするはずである。
日記を書く。この三菱ボールペン、例によって、力を入れないと付かない。3ページ書くのに普通、1時間半。この調子だと、もっとかかっているだろうと、最後になって来るとイライラとして来る。日記終わると、片付け、山を降りる。寒くて陽の射す所に急ぎたい。下に来ると、陽が射し少しはポカポカとした感じである。
カーブを曲がる湾が。左手前方に神前浦。その手前にポツリとお堂。その腐って傾いた柱のお堂の階段に腰を下ろすと、トウフにラーメンのスープをかけ食べるが、豆腐の水が昨日のうちに流れてしまい、このトウフは小さく固くなっている。モサモサとして、ノドに引っかかる。
それを牛乳で流し込む。
案内板によると、鎌倉末期の大日如来。こんな僻地にと上にあがる。無人らしい。床がヒヤリと冷たく、足の裏側に伝わって来る。
古い絵馬と像に黒の仏像。俺の頭に浮ぶのは、骨董としての値段。お堂の入口に看板に書いてある文字は読めない。拝みに来たおばさんに訊く。奈津観光堂と書いてあるらしい。神前浦、ここが南町の中心になるらしいが、小さな漁港だけ。リアス式海岸みたいに、急に落ち込んだ山の急斜面。入江に気持ちだけ、空地に住んでいる。
集落と表した方が一番似合った言葉。閑散で活気なく、夏は海水浴客でも来るのか知らぬが、浜はない。この集落離れに、漁港市場らしき小さな建物あり、その前に神社。その鳥居下に、浄水。その水で歯を磨き顔を洗う。それから坂道を登って行くとカーブカーブの続きで、坂道ばかりにはウンザリとする。
道路横に展望台あり、そこからこの入江を見ると、海から深く入り込んだ入江で、まるで湖のようである。そのカーブと坂道の続く道を終え、次の集落と思っていたら、一軒の民宿と水産小屋が建つだけ。海面には、イカダが浮き、真珠かカキか知らぬが、テクテクと歩き、棚橋集落。店なし、閑散の民家。若いものがいないと云う事は、こんなに哀しい事か。
もし俺がこんな所に生まれたら、一生帰って来ないであろう。
集落離れに、みかんが少しなっていたが、リュックを下すの面倒で、そのまま過ごす。これが間違いの元。坂道を段々と登る。遠く高い山の中腹にガードレールが見え、まさかあんな遠く高い所まで・・・。林道であろう。狭い道をテクテと登って行く。海に近いのに、とても海辺とは思えない。山地、林と森。
腹はへるし、歩けど進めど、さっぱり。どうやら、あの高い山の上まで登らなければならないと分ると、ガッカリと来る。
ヤッケとシャツを脱いで一発奮起。この辺、高くまで来ると、小さな沢から流れてくる水。久し振りである。こんな沢の水を口にするのは、さすがにうまい。道は山肌を蛇みたいにクネクイネと登って行く。
道にシイの実が沢山落ちている。本当に沢山落ちているが、小さな実であるのが残念。
片手いっぱい程だけ拾う。それを食べながら、上へ上へと昇って行くが、段々と視界が下に広がり、遠くに海が見える。これは道路を歩いてると云うより登山である。
峠に幅2.8メートルの車1台のトンネルあり。後を振り返り、感無量なんて味わっている余裕なんかありはしない。この道を上って来る時、初めて関東以来、1台目の車が止った。和歌山に着くまで、1台も止らないのではと、思っていたが・・・。断ると、スーッと行く。
もう二度と、こんな日本一周なんかやらない。アホくさい。
腹がヘッて元気が出ない。狭いトンネルを出ると、勢崎町の表示板。これから下りなので助かるが、目に入るのは、山また山と谷と杉林。民家なんかどこにも見えはしない。
腹がヘッているので、一旦腰を下ろすと、上げるのが億劫になるので、そのまま歩き続ける。
山を降りて来ると、林の中に鶏小屋が並ぶ。ブロイラーらしい。
おばさんが一人、地に腰を下ろして、みかん一個を持っている。こんな所にと思うような所。そこからどのくらい歩いたか。T字路に行き当たり、左、錦。右、尾鷲である。右手に進む。道路が広くなり、民家が道路横に点在する。ホッとする。民家の窓にカーテン。やはり夏だけのことか、民家はあったが、店屋がない。塀の横に、もう葉を落し枯れた小枝につけた、幾つかの赤い渋柿。一番柔らかいのを一個とり、皮をむいて口にしたが、口の中が渋だらけで、ペッペッ。
前からあばさんが来る。丁寧に化粧したその顔は美人ではない。こんな田舎で、こんな化粧してと・・・。店の事を訊くが、相手、何を勘違いしているのか、俺から一刻も早く逃げようとする態度がありあり。わざと色々と訊く。
とにかく前に行くと、お店があり、パンが売っているらしい。
1キロ程歩いたか。小さな店屋と云うより・・・。とにかくパンなく、小さな店で大声で、
「ごめんください」と、怒鳴っても、誰も出て来ない。このまま黙って失敬して行っても分らない。呑気と言うか、なんと言ってよいのか知らぬが。何度大声を張り上げても出てこない。普通はこのまま出て行くのであるが、腹がヘッて、やっと出逢った店。
店とは言えない店であるが・・・、待っている間、何を買うか考えるが何もない。
埃かぶった缶詰が少し、果物類少し、洗剤にその他。
最後の大声で、やっと目をこすり、女の子が出て来て、
「ごめんなさい。すみません」と、にっこり笑って奥から出てくる。
さて出て来たのはよいが、何を買ってよいのか? 棒のビスケット、ニッケ玉、アメ。
寝ていたのかと訊いたら、「ハイ」と、素直な明るい返事をする。350円。
試験で1時で終り、高校3年。もう就職先は、四日市に決まってるとか。
ほうー、そうか・・・。それじゃ、もう人間がスレてしまうと言ったら。
どうして・・・と、真面目に聞いて来る。
色々と話していたら、この娘のおじさん、ヨタヨタとやって来る。頭の後に大きなコブあり。色々30分以上話していたのでは。
ビスケットを勧めると、肥るから食べないと、明るく頭はいい。美人でもないし可愛くもないが、若い素直な明るい子で、表情が豊か。
この素直さを守っていけば、伸びる娘であるが、転べば水商売。
俺の住所を渡す。もし四日市に行って、寂しくフッと気が向いたらと・・・。
大事にして欲しいと思った、あの若さ。
錦小屋バス停の所から、子供3人が飛び出して来る。俺が珍しいのか、5、4、3才程の子供、ジーッと見てるので、さっき買ったビスケット差し出し、
「いるかいあ」
「うん、ありがとう」と、小さな手を袋の中に入れ、つかむが、少ししか取れない。
「もっと取っていいよ」
2番目の子は、何も言わないのに、ゴッソリと取る。
小さな声で、ありがとう。素直な子らである。一番小さい子は、鼻を垂れて。
あの娘と話したいたせいか、急に楽しくなり、脚が軽くなり、頭の中が勝手に色々な事、脚色して想像する。
後ろからバイクが来て、ピッピッと警笛を・・・。さっきの娘が、ヘルメットを被り、バイクに乗って、手を振り先に行ってしまう。
あの店から30分も歩いたか、国道に出る。出るはずないのに43号。道を間違えている。
紀勢崎町。角に神社。娘に神社の事を訊いたが、この事を言っていたのか・・・。
信号を左手に回る。標識、尾鷲42キロ。ドライブインか? 絵看板あり見る。
さっきの女の子が、神社の方を見てバイクで走り去る。
教えられた交差点の神社は、寝るには早すぎたので先に進む。両側に植林の山。
その谷底を道路と鉄道は走り、殺風景な土地。
次の集落は大内山。しかし、もう夕暮れの時間なのに一向に寝場が見つからず、歩く。道路向うの山の上に、雲がポッカリと浮び、紅に染まっている。暗くなるのも、もう時間の問題。すぐである。
焦って来ると歩く足は早くなって来る。学校帰りの中学生2人が、自転車に乗ってやって来る。呼び止め、神社の場所を訊くと、この辺にはないと言う。2キロ程先の信号を折れ、踏切を渡って1.5キロ先に、ある事はある、との話・・・。
陽没の暗くなって行くのと競争である。暗くなる前に場所を見つけないと、こんな所、とんでもない事になると、歩く足は、今日の一日の終わりで疲れているはずだが、早く動く。
薄暗くなり、教えられた場所に来て、これからこの信号を曲がるのか?
子供が2人信号待ち、確かめると、この駅の裏にあると、1人の子が連れて行ってくれる。
梅ケ谷のホーム下をくぐり、反対側に出ると、空家になった大内山村空手道場の横に社務所、奥に神社あり。もう暗くなってしまった。何となく気が向かず、空家の道場に行く。埃、モウモウと立ち込める一室を、掃き拭いての大掃除。ロウソクを立て日記を付けるが、2時間もすると、ロウソクが短くなり小さくなってしまう。
腹もヘッているしと、食料を買いに行く、730円。ロウソクを買うのを忘れ引き返すと、お店のおばさん、これサービスですと、2本のロウソクを無料でくれる。
大内山に入って、ライターと軍手170円。店のおじさん、生きた言葉を使う。
大内山村の橋の所で、小学生達とスレ違った時、皆、「さようなら」、「こんばんは」と挨拶して行く。学校で教えているのか、感心である。
広い道場の1室だけ畳あり。長机、その上にロウソクを灯して、日記の続き。今度はノートが終わってしまう。
前が梅ケ谷駅だが、周りに点々と民家があるだけでひっそり・・・。ノートもないし、久し振りに買ったビールを飲み、寝袋の中に入る。列車が、時々ホームに停車する。
社務所に電気が点いている。やはり神社に寝なくてよかったと思う。隣の部屋は真暗で、畳はあげてある。床板2枚はずれ、地が見える。そこに小便をする。溜まっていた小便を出すと、ホッとする。ホームの電気はいつの間にか消えている。
使用金額:1150円
★「歩いて日本一周」旅日記 三重県/河内~神前浦~大内山~梅ケ谷
話をする訳でもなく、本当にさりげない親切である
1979年
昭和54年12月14日(金)
明るくなっても、まだ寝袋の中に入ったまま。外で自転車の音に列車。寝袋を巻いて外に出ると、自転車が道場の軒下に駐車してズラリ。昨日、軍手を買ったので、朝の冷たいのから手は解放された。標識に尾鷲33キロ。今日は尾鷲で行く気はない。尾鷲の街に入ると、寝る所を探すのに大変なので、その手前あたりで泊まるつもりである。
荷坂峠?か、すぐ近くが海とは信じられない程、山また山の連続する道は、上へ上へと続く。トンネルを出ると、長い下り坂道が山伝いに見え、下に海と紀伊長島町の家並みが見える。直線にすれば、そんな距離はないのにジグザグの道は見えるだけに、ウンザリとする。
1時間以上はかかったであろうか、下まで降りて来ると、街の中まで入って行く気にはなれない。ガスを買いたいが、街の中まで1キロ。往復2キロ。もしこれでガスが見つからなかったから頭に来るので、そのまま街離れを通る。国道42号線、歩いて行く。
トンネルを歩く歩行者専用の・・・。そこから100メートル右に行くと、国道に出る。
そこに小さな川があり、60才程のおじさんが立って川を見ている。俺は左側を歩いていた。
おじさん手招きで来いと云う。俺は行きたくはないが行くと、おじさん、小さな川を指差す。そこに海の魚が半分死にかかり、アップアップとしている。
この魚、腹に傷を受けている。おやじさん、獲ってやろうかと言うが、獲ってもらっても困るので断る。
おやじさんは食べないのかと訊くと、わしゃ、魚は見るのも嫌いじゃ!
「何処までいくんじゃ」
尾鷲の手前まで車で40分、あんたの足だったら、今日中に着くと、簡単に言う。
冗談で、そのオヤジさんの腹をポンと叩こうとしたら、さっと腕で払いのける。年寄りと思えない程、反射神経がガッチリとした腕である。
みかんがなっているが、クソを垂れたく、みかんどころの話ではない。こんな時、みかんを食べたら、そのまま押し出されそうである。残念。
トンネルの前で作業中のおっさん。向側のトンネル、歩道用だよと、車の陰から出て来ると、教えてくれる。これが特別ではなく本当にさりげなくて、ホーと思っていたら、みかん畑、かんかん車輪にみかんを積んできたヨボヨボのおじさんと、スレ違った時、そのおじさん、その籠の中から、サッとみかん3個取り上げると、俺にこれはおいしいよと、言ってくれる。
ただこれだけ。憎いネ・・・。話をする訳でもなく、本当にさりげない親切である。
地図を見る事なく歩いているので、どうなっているのか。それに小さな集落名は記載されていない。入江の集落でパン120円を買う。牛乳はなくてダメだと、おばさんが言う。
今朝食べた黒パン、古く硬くモサモサとしていたが、だから、あのおじさん、熱心にあのパンを勧めていたのかと、疑いたくなる程。牛乳で流し込んでは、食べてみたものの・・・。
日記の事が気になるし、調子が出てきたのか、セッセと休みなしに歩いている。
一度、拾ったエロマンガを、拾って見た時に休んだぐらいである。もしかすると休みなく歩くから、肩をこわしたのかも知れないと思うが、休むと体は冷えてしまうし、休める時間なんて昼間の数時間だけである。エロマンガを見たものの、こんな物を描いている奴の面が見たいし、こんな物を銭を出して買う奴の気が知れないと思う。
何か知らぬが、峠ばかりを越え、船津の集落。小さな店が数軒。線路が見え駅が見えるが、道路から少し入り込んでいる。しかし、たった200メートル先の駅に休むのに考えてしまう。往復400メートルの道が面倒なのである。もう精神的にも肉体的にもガタが来てしまっている。段々と余裕がなくなってゆく自分が分る。
田んぼ道を越え、小さな田舎駅に行くと、待合室の長イスに老婆と中年女。
老婆が、「今日は暖かいですネ」と挨拶する。別に暖かいと思わないが、それに相槌してみたものの、その老婆は、沢山着込んでいる。久し振りの小さな田舎駅である。
リュックを降ろすと、ガックリと来る。麻痺していたのか、肩の凝りがジーンと来て痛くなる腕を回し動かす。中年のおばさんと老婆は一緒なのか。
中年のおばさん、昨日、大内山村の交差点で歩いている俺を見たと・・・。色々と話かけられるが、全く話す気にはなれない。疲れているのに、こんな時は増々気がイライラとする。
駅の時計、1:50PM。駅に「旅の手帖」雑誌が置いてあり、今年3月の分の雑誌をなにげなしに見てページをめくる。
最後にグラビア。スウエーデン料理、六本木のストックホルムの紹介。場所を書き写す。前から気になっていた所である。
記事によると、正装なんて書いてあるが、俺にはそんな服、持っていない。今度東京に行った時に行ってみたいと思うが、誰と同伴して行くか想像すると、やはりあのTAになるなぁー。美人だし、センスあるし。しかし、中身が?
船津駅を、2:30PMに出る。中年のおばさん、「元気で気をつけて」。
海山町の中心地「相賀(あいが)」には40分程で着いた。道路横のスポーツ店でガスを訊くと、ないと言う。どこもかしこもスポーツ店の看板は出しても売っているのは、スポーツウェアばかりである。
おばさん、この辺の地理を訊いていないのに、丁寧に教えてくれる。この町に入って来る手前に神社があったので、この出口にはないであろう。おばさんは、尾鷲まで5キロと言うが、標識には8キロと出ている。この細く狭い古く昔ながらの街通りを行くと、古い家、典型的な日本の街造りで気に入った。港があるがそっちの方まで行く気力もない。
とにかく日記とボールペンを買わないと。自転車に乗った若奥さんに、文房具店を訊くと、丁寧に教えてくれる。三重は人が温和で親切である。この町には商店街とはないのか、狭い路地の中に、アチコチと店が点在してるだけである。ノート、ボールペン、160円。
販売店に新聞を買いに行く、50円。腹がヘッているが、まともな店なく、そのまま探しながら歩いていたら、川の渕に出る。その渕に布団が干してあり。本当はここに泊まるのが一番よいのであるが、サッパリと泊る所なし。1キロか2キロ引き返せば、先程の神社があるのであるが、そんなに歩くぐらいであるなら、先に進んだ方がよいとの頭しかない。
とにかく新聞読むが、途中で急に冷たくなる。夕暮れの始まりである。こんな事はしていられないと、とにかくまず食物。古い角の店屋。老夫婦が2人でやっているのか、店先には黒くなったバナナの房に、その他の野菜が並べてある。
店の中は別に食べられる物はない。チクワ10本、ゴボウ天3本、テンプラ2枚、470円。後で計算すると5円余分に取っている。
チクワを食べながら、尾鷲方面に向う。この時が4時である。尾鷲なんか行く時はない。こんな時間に尾鷲に入ると、寝る所を探すのに一苦労どころか、下手をすると、一晩中歩かなければならない。尾鷲に行く途中か手前に、何かあるのであろうと思い、歩く事にした。
橋を渡って行くと、前に強い黒い中学の制服を着た男の子が、ジーッと俺を見るが、その目ん玉は、真中になく、上を向いている。
橋を渡ったスグ右横にグランドがあり、女の子達がテニスの練習をしている。俺はパクパクと次から次と、ゴボウ天、テンプラを食べながら坂道を登って行く。チクワを食べると、歯がボロボロになるのではないかと思われるように、カサカサになってしまう。一体どんな物を使用しているのか。
道路は山を上へ上へとあがって行き、下の谷底に点在する集落と川が、段々と小さくなり、肝心の寝場は影も形もなく、山の中へと進むだけ。もうすぐ夕方。薄暗くなり大変な事になるというのに・・・。何もないのに、しかも長い長い上り坂である。紀州に入ってからこの繰り返しばかりである。
峠のトンネルまで来ると、幅が狭いのに交通量は多い。とても歩けたものではない。左横に古い狭いトンネルがあり、旧道らしい。入口に新しい車の跡があるので、通れるであろう。
電気は点いていない。真暗も真暗。本当に何も見えない。遠くに小さく出口の明りが見えるだけ。それを目標にして歩くだけ。道に大きな石でも転がっていたら、ズッ転げるだけである。
地下水がザァーザァーと音を立て、流れ落ちている。1キロ近くあったのでは、恐いのか大声を出して歌いながら、このトンネルの中を歩く。出口近くになって、後ろからライトを点けた車がやって来る。トンネルを出ると、狭い地皮の道。下って行くと、右手遠くに車の往来する国道が見える。入口の近くなのに出ると、ひとつの大きな谷を隔てて離れてしまっている。
旧道なので、途中、神社かお堂があるのではないかと期待しながら歩くが、ブタ小屋と祠だけ。とうとう下には尾鷲の街である。道路横に民家が段々と姿を現し、万事休す。
下まで降りて街の家宅地のど真中。小さな川の向うに灯の点いた神社の鳥居。こんな街のど真中は無理である。
とにかく、ガスを先に買う事にして商店街を探す。ここも狭い通りである。活気なし。女の人の脚が細い。そんな人が多い。ガスを買うと、スーパーで牛乳だけを買う、256円。
レジの女、全く言葉遣いを知らない。下から上まで見ると、脚は細いがブス。頭もブス。とにかく、さっきの神社に行ってみる事にして、細い路地裏も裏、幅1メートル程の家裏を、脚は勝手にスイスイと行く。一度も来た事もないのに、方角を定め脚は知っているように、確実に進み、頭の中では、これが不思議に思える。
ポンと出た所が、神社の真前である。横が寺であり、境内に灯の点いた社務所らしきものが建つ神社は、階段に電気が点き、とても寝られそうではない。リュックを降ろし、ガックリと来る。もう肩がガクガクで、一晩歩いたら、体を崩す事はハッキリと分る。
とにかく寝る所を探しに境内を歩くと、小さい稲荷を祭った小さな建物を見つける。
使用金額:1201円
★「歩いて日本一周」旅日記 三重県/梅ケ谷~紀伊長島町~船津~相賀~尾鷲
尾鷲48キロ。丁度時速4キロである
1979年
昭和54年12月15日(土)
建物は前後両側に格子戸あり、鍵はかかってていなくガラリと開く。中に台と賽銭箱。入口は裸電球。しばらく暗い所で待って様子を見てみる。50メートル先に神主でも住んでいる家の灯。しかし、寒いのに我慢できず中に入ると、床を触れる。きれいに掃除してあるみたいである。
その時、家から人が出て来て、ジャリを鳴らして歩いて来る音が伝わって来る。後の戸を開け、サッと外に出る。後ろ側は杉林で真暗で、懐中電灯でも照らさない限り見つからない。
ゆかたを着たおやじが家に戻るまで、ジーッと暗闇の中で待つが、なかなか家には戻らない。寒くなって開き直り、中に入って新聞紙を敷いて寝袋を敷く。格子戸なので、両側からまともに風が入って来るが、ここがあっただけましである。贅沢は言えない。ただ、外の入口の上に電球。これが、中の半分を照らす。もし、誰か拝みに来て見つかったら困るので、半分暗くなったころ寝る。すぐ寝てしまう。
この神社の雰囲気では、朝が早く建物を掃除して回っているみたいなので、早めに見つからない内に出ようと、時計を眠る前に適当に合せる。
一度目覚め、外を見ると家はまだ灯が点いている。二度は、深夜で暗く民家の灯が消えている。時計を見ると、12:40 am。それから10分もしたが、境内に引き詰めてあるジャリ、その上を歩く音がジャリジャリと伝わって来る。
神社の方で手を打っている音が聞こえる。今度はこっちの方にやって来る事が分る。
寝袋の中でジーッと息を殺す。2人である。賽銭を投げ入れる。化粧の香りが中に流れて来る。寝袋からソーッと見ると、中年の男の顔だけが見えた。女は居ただけ。去って行くとホッとする。寝てイビキをかいていたら、大変だったなぁーと思いホッとする。それから熟睡する事なく、時々、時計を見る。
最後の時計、6時前に出ようと思っていたので、寝袋から顔出すと、電気は消えて暗くなっている。起きて外を見ると、社務所の方は電気は点いて、丁度、ばあさんがゾウキンらしきものを持って、神社の方に行く。
急ぎ寝袋を巻くが、暗くてよく分らない。新聞を巻いてサッと出ると、靴下をはいて靴と、その早い事、いつも寝袋の中でモタモタしてる者とは、思えないような速さである。
明けて見つかるなら別に構わないが、こんな暗い内に何も知らず、あのおばさんが来て暗い中、俺を見つけると、絶対に驚き、悲鳴をあげる事は分りきっている。そんな事になったら大変だ。時計は、5:30AM。10分程で進んでいるはずであるが、外は星と三日月。まだ夜である。
さて、慌てて出て来たものの、旧道を通って来たので、何処に国道42号があるのか分らない。慌てていたので、外に出て荷物を整理していたら、こんな暗い夜道を老婆が来て「おはようございます」と言うと、サーと行ってしまう。
その時、二台の新聞配達のバイクが来て、前に止ると、新聞を家に入れている。
国道に出る道を訊くと、二人ともすっぽりと毛糸のズキンで顔を覆っていて、そのズキンを取り道を教えてくれたが、二人とも若い女の子である。
1台のバイクは、俺と同じ方角に次々と止め、家に新聞入れて行く。大変だなぁーと思う。自分、やった事があるので、そんな事ばかりを考え、星がキラキラと輝いている夜道を歩く。
寒いので、自動販売機でビール、210円。10円高い。道路が段々と上にあがって行くので、海が僅かに凄く薄く紅紫色になっている。朝日を見る事はできない。
道路は、これから家一軒とない深い谷と山の中をただ上って行くだけである。
熊野まで33キロ。今日はその手前あたりで休むつもりである。一昨日の日記の書き残しに、昨日、そして今日の分と溜まってしまった。熊野までとても歩いていられない。
植林された深い谷間。今までで最高の峠道である。朝早く暗かったので、距離感が分らないのが救いである。
フッと気が付くと、空はいつの間にか晴れ、青空である。ここの所、ズーッと晴れの日が続いているので、本当に助かるなぁーと思う。
古い旧道の跡が、所々に残って見えるが、橋のない所などはグルリと山を回り回っての遠回り。考えただけでゾッとする。
3時間程かかって、やっと峠の「矢ノ川トンネル」。約2キロの長さ。このトンネルを出た右側に、トンネルの換気室らしい建物。そこで初めて休む。
陽が差しているので何とかもつ。昨日の読み残し記事を読む。小さなトンネルを一個、そして次、最後の峠トンネル約1.6キロ。このトンネルは寒い。トンネルを出ると・・・。どうだったか、もう忘れた。
とにかく、道が下り坂になって来ると、谷間の山蔭は、一面霜で真白で、陽が当たる所は白い煙を立ちのぼらせている。晩秋の秋冷の気はどころの話ではない。こんな所で、野宿したらといっても、東北ではこんなであったけれど・・・。
谷間が段々と少しずつ広げて来ると、初めて民家が現れて来る。さすがにホッとする。山里の集落、地図によると大久保になっているが、閉っている小さな店が1軒。その先に進むと、農協支所の小さな売店。その向うプレハブの店に入る。小さなコロッケが1個40円。高いのなんの。ビール小缶ビール、180円。ビールを飲もうと思ったが、高いので止めた。290円の買い。
何もない谷間に石垣で囲った農家が散在する寂しい所である。ただ山の至る所に杉が植わっている。道横に流れる岩の静かな水は澄み、魚が沢山、群をなしているのが上から分る。深い所がヒスイの色そっくりである。
プレハブ店で、10:15AM。尾鷲48キロ。丁度時速4キロである。曲っているが平坦な道で助かると思っていたら、奈良方面国道309号と交差した所から、段々と道は登り坂である。地図は小坂峠。たいした事ないだろうと思っていたのが、これまた、矢ノ川程ではないが、もうウンザリ。大変なエネルギーである。1つの峠ならともかく、峠、坂攻めにダウン!
坂が下り、カーブを幾つか曲がると、眼下遠くに海と大泊が見える。さすが高い所だけに、展望がよい。シイの実を拾いと、途中沢の流れる所で、小屋が建っているので、お茶でもと思ったが、鍵がかかっている。
ボケーと新聞を読む。溜まった水で靴下を洗う。大泊の下まで降りて来たのはよいが、2時までイイ場所なく、熊野ロッジ横にあり今は使っていないみかん売りテントで、ラーメンを作り日記を付けるが、書きづらく途中で止める。
地図に西口鬼ケ島城に鳥居の示しあり。一度来た事のある岩場を通って行くと、1メートル程の祠で話にならないが、別に稲荷の堂があり、そこに決めたが、結局今日も余分に歩いた。
日記を付け、途中街に買い物。今日はガスあるし、と思ったが、このスーパー、高いのなんの。普通の店より高いスーパーとは耳にした事がない。
時間、7:15PMで、帰りがけ、細い路地を通り、店の時計を見ると、7:45PM。その店は、アイスクリームとインダンダー。エプロンかけた主人が、それは寂しそうにインダンダーの前に座ってしょぼくれていた。客が全然いないのである。
僅か一秒チラリとその顔見ただけであるのに、かわいそうになる。
堂に戻る暗い道。あれは、書いとかなければ・・・と、戻ると、うどん2個、ラーメン1個、卵4個を食べる。
街で、珍しいまんじゅうを見たので買ったら、100円の価値なし。
ここも戦災にあっていないのか、細く狭い路地ばかりである。食べて日記を書いて、やっと今終わって、10:15PMである。
使用金額:1360円
★「歩いて日本一周」旅日記 三重県/尾鷲~矢ノ川トンネル~大久保~大泊
那智まで約40キロ。2日で20キロずつ歩けばよいので気分的に楽である
1979年
昭和54年12月16日(日)
那智のユースに泊まるつもりなので、朝はゆっくりとする。夜明け前から車の騒音である。日曜日なので釣人達らしい。那智まで約40キロ。2日で20キロずつ歩けばよいので気分的に楽である。辞書、その他の重い物、送れるだけ送るつもりである。両肩の肉が盛り上がり、凝ると言う言葉は通り越してしまっている。
年賀状を書く。緊張して字が踊る。苦手な相手ほど字がマズイ。考えてみると、年賀状なんて出す必要はないであろうに。せっかく買ったものを捨てる訳にも行かず、1ケ月近く持ち歩いていた。家に出すのが一番面倒。何を書いてよいのか。文面が頭に浮かばず、そのままラーメンを作る。その中に卵6個とモヤシを入れる。
お堂の窓を開けると、外に七里ヶ浜と青い海が見える。荷をまとめ出る。42号線、日曜日の為か、交通量は少ない。玉ジャリの浜は急斜面になり、遠くまで続くが、浜を歩けるような状態ではない。
ガソリンスタンドで洗顔しようと、水道の蛇口をヒネると、水が出るのを確かめ歯を磨いて、2度目、蛇口をヒネると、水がポトポトとしか出てこない。元栓を閉めているらしい。口のまわりは泡がついたまま。洗濯機の中に入っていた水で洗い落とすが、口の中まではススげない。唾液と一緒に飲み込む、胸がムカついて来る。
スタンドに中日スポーツ新聞があり、その前のソファーに座って読む。何もパッとする記事はない。その少し先に自動車修理工場あり、そこの水は出るので、裸になり頭を洗う。そして、その少し先にトヨタ営業あり、ポストに、読売、中日、伊勢の新聞あり、そこの前に座り新聞を読み始める。今日は別に急ぐ必要もなく、それに新聞を失敬するのは・・・、考えてしまう。
1キロ程歩いただけである。トヨタの前でじっくりと新聞を読み、中の時計を見ると、12:10PMである。歩き始め、クソを垂れたいが場所がない。右手雑木林の中に神社あり、その中でしようとその雑木林の中をウロウロとしていたら、公衆便所あり、こんな所に便所と、また不思議。とにかく、寝るにも丁度よい所。便所は例のお釣りが返ってくるやつであり、中腰の構えであるが、ピシャリと黄色い腐ったやつを脚に貰い、クソと頭に来る。おちおち安心してクソもできない。
ズボンはくと、ピッチリと冷たい。自分にもかかっていたらしい。クソ、本当に胸クソ悪くなる。
外の浄水で手を洗い、牛乳を飲んでいたら、2人の男が、手に本を持ち、突然、「日本一周ですか」と、話しかけて来る。まぁー、そんなものだがと、歩きながら。
こちらの道を行かないですか。彼らはそちらの方に行くらしいが、自分に合せ、人に合せる事はしない。17才、高2とか。彼らの話しに依ると、さっきの神社は日本で一番とか。奥の崖に何かあったが見て来なかった。だから、あんな所に公衆便所があったのかと、合点がゆく。
彼らと別れる。俺は浜にある堤防の上を歩く。堤防が終わると、防風林の松林の中に細い道があり、そこを歩く。道路からの騒音が流れて来ないなら、松林に落ちた枯葉を踏みしめなか、なかロマンチックな所である。
エロ週刊誌を拾い、浜に出て読んでいたが、全然おもしろくなく、ポイする。ポカポカと暖かく、陽気は春みたいで信じられない。こんないい天気が続くと、後が恐ろしい・・・。玉ジャリの浜には、ゴミ落ちていないし珍しい。
海は静かに凪で、急ぐ事がないのでゆっくりとしている。
国道に出ると、昨夜と同じチェーンのスーパーがあり、買物をする、1018円。便所から水を汲むと浜に出る。人はいない。堤防の上でナベを出すと、キャベツ半分千切りに、カツオのフレークを混ぜる。悪くないが、鯖缶のほうより落ち、これだけで満腹。余分になった食料を下げ歩く。
空が明るく紅に染まり夕暮れ。しかし、こんな時に限って見つからないのである。
寝る所が・・・。
暗くなる前に先へ先へと脚は早くなって行く。何回か人に神社を訊く。全く要領を得ない教え方である。とうとう暗くなりサッパリと分らない。中学生らしき者達に道を訊いても不愛想で頭に来る。
隠していたリュックを取りに引き返し先に進む。大体の見当は分った。修理工場で道を訊くと、スグそこに鳥居が建っている。
本当は人に訊くべきではないが、こう暗くてはしかたがない。井田神社。線路の下を通り暗い所行くと、小さな神棚みたいな建物で、犬小屋に丁度よい。人は寝れないが、その横に寄合所に使うのか家あり、雨戸が外れている。
ライターで照らすと、畳が敷いてあり、丁度よい。浄水の水を使い、埃の畳を拭く。誰か忘れていったらしい2本のマイルドセブンに、100円のライター。ロウソクを立てると、中は炎で照らされる。1本のタバコを吸ったが全然おいしくない。
リュックを降ろすとガックリと気合抜けをする。寝袋を敷いて中に入ったら、寝付かれず起き、ロウソクに火をつけると日記を書く。今日は12から3キロ歩いたか。別に変わった事なく、書く事はないが、暗闇の中ジーッとしていたら、昔の中・・・。
長尾先生のこと思い出す。あの先生も、もう随分歳を取ったろう。
使用金額:1018円
★「歩いて日本一周」旅日記 三重県/大泊~七里ヶ浜~
三重県の人は親切だったと、日記に書いておきますよ、と言ったら、笑っている
1979年
昭和54年12月17日(月)
那智まで約20キロ。別に慌てる必要はない。閉めきった板戸も小さな隙間のアチコチから、朝の陽差しが家の中を入り込み、薄明るくする。一カ所だけ、変った色をした光が壁を照らす。その20cm程の光の輪を、寝袋の中に入ったままジーッと視つつ、あれは何と云う色と言うのだろうかと、色々と考えながら、オレンジでもないし、ウイスキーでもない、ブランデーを薄くしたような、そんな色々で、ブランデー・トパーズを思い出す。
パン2枚、バナナ2本、牛乳、浄水の水は元栓が閉めてあるのか、昨夜ポタポタと落ち続けていた水の音は、もう聞こえない。全然おいしくない朝食。何の目的もなく食べているなら、乞食より酷いのでは、紙一重の差である。
寄合所を出ると、朝の新鮮な空が広がり、田んぼが昔を思い出させる。向側に42号線。この道は旧国道らしい。途中で新道と交差する。紀伊井田駅があり、標識は神宮6キロである。鵜殿駅前を通り、道路は熊野川河口に出る対岸が、新宮であり県境。その橋の近くに、小さな郵便局あり、賀状でも出しておくかと、中を覗くと受付にカーテン。この局の風景印ポスターがあり、中に入って風景印を訊く。できると言う。時計は、8:45AMである。
局員に志古は行きましたか、と訊かれ、いいえ、まだですが、サテどうしますか。と、適当に答える。別に行く気はないけれど・・・。年賀切手、20枚400円。局員が3枚のしおりをカバーと一緒にくれる。親切は嬉しいけれど・・・。また荷物が増えたと、内心。ここは、三重県最後。印象はよかった。
三重県の人は親切だったと、日記に書いておきますよ、と言ったら、笑っている。
橋を渡り新宮。とにかく駅に行く。
駅前の公衆電話より、ユースに電話をすると、「しばらくお待ちください」。
そして、待たされて答えが、今日臨時休業しますので、ダメです!
ユースの臨時休業なんか、耳にしたのは初めてである。(ウワさによると、いつもこの手で断っているらしい)
駅の売店で朝日を買う、60円。駅の時計は、9時を少し回っている。
新聞を見ながら、早めに電話をしてよかったと思う。これが夕方だったら、大変だったなぁーと思う。これで予定は変り、潮岬に泊る事になりそうである。
別にユースに泊まらなくてもよいが、風呂に入りたいし、荷物の整理も徹底的にしないと、肩を壊すのは分り切っている。今日ものんびりと歩けるなぁーなんて思っていたが、全然見当違い。読む新聞は全然頭に入って来ない。駅の待合室も改札所も大きくはない。
新婚らしき若いカップルが、キョロキョロと駅の外を見回している。行先が分らないのか、こんな事では結婚生活の先も分らないのでは、頼りにならない男。
こんな男と結婚する女も女。似たもの同士か?
街を適当に歩いて、42号線に出ようとしたが、ある所まで来ると、この道路急カーブをして、また街の中へと向っている。
どうもおかしいので、前から自転車に乗って来るおやじさんに、那智へ行く道を訊くと、全然この道は違うと言う。逆戻りをしなくてはならない。
頭に来て、丁度100メートル程先の下に、線路があったので、線路を歩く。
北海道と違って、頻繁に通るので、列車に注意しなくてはならない。線路横に続く防波堤の上幅50センチ程か。その上を歩いて行くと、前方からも2人がやって来る。高くて降りられない高校生らしくカメラをセットしている。
列車の写真でも撮るのか・・・。狭い所でスレ違い、今度はトンネルである。
古い廃止されたトンネルを抜けると、二番目である長さ150メートル程かカーブになった・・・。単線なのでトンネルの中で、列車に行き会うと大変。
列車を避けられても、列車は止まるであろう。罰金なんてなったら、目もあてられない。信号を見ると、両方とも赤である。トンネルの中に入って、後ろ振り返ると、今度は黄色に変わっている。
確かではないが、電車が来るはずである。トンネルの中をリュックを押え、駆け足で枕木の上を飛んで行く。トンネルを出て少し経った時、前方より急行がやって来る。
線路右側の岩穴より水が流れ出て、下に溜まっている。飲むと、生暖かくこんな変な味をした地下水を飲んだのは、初めてである。
ガランとした「みわさき」の駅で休み新聞を読む。残りバナナ1本と柿を食べながら・・・、今日はどうするか。
駅で休むと習慣になった運賃料金表を見る。国鉄も高くなったものである。以前、日本の国鉄は、世界最高と思っていたが、今はサッパリである。
11:45AM、駅を出る。おばさんに郵便局を訊くと、ズーッと街の中に入って行くのだと言う。面倒なので止めた。42号線に出ると、左手に埋立ででもしたのか、公園あり、嫌な臭気が漂い流れて来る。どうやら前の煙突と関係あるらしい。道路横に小さな佐野郵便局があり、預金をおろして賀状を出す為に入る。
丁度、昼食時なのか、おばさんが口を動かし出て来る。ドアーを開け、瞬間指でピストルの真似をして、「金を出せ」。おばさんの顔が硬くなる。「冗談冗談」。
用紙に印を押し出すと、印を貸してくれと言う。さり気なく確認してるみたいである。
賀状にスタンプを押していたら、今度は身分証明書は・・・。素直に出すが、おばさん、ジーッと免許証を見て、あなたの顔は悪い事をするような顔でもないし・・・。
「こうして回っていて、何かおもしろい事、楽しい事あるでしょう」
「ハイ、おばさんみたいな人に会えますから」。少し冗談と言ったら、
あーおもしろい人! 貯金6万円をおろす。
煙突の近くまで来ると、富士の田子の浦と同じ臭気。製紙工場である。
宇久井駅で少し休み、1:30PMに出る。所々に台があり、その上にみかん袋、1袋100円の札が下がり、無人である。金は缶の中に! トンネルが狭く小さい所。その横に新しいトンネルの工事中。近くに小さなみかん畑があり、みかん失敬したけれど、皮も実も硬い。
那智駅前を通り過ぎ、次の街か? 横道にそれ、勝浦に行こうと思ったが、どうも遠回りのようなので、また42号線に出る。この少し歩いた所の通りに、店屋が少し並び、その中の一軒に茶碗屋があり、古い店の中、食器が転がってどこも同じだなぁ、茶碗屋はと・・・。
国道、信号から左側に入り、勝浦の街の中を行く。昨日と同じスーパー、オークワ? 勝浦裏にある。
今日中、半分残りのキャベツにガックリときている。食べないと後々困る。
ラーメン2個、牛乳2個500cc、サバ缶1個、425円。これ以上、何も担ぎたくないので、慎重にスーパーの中をグルグルと回って、買った物はこれだけで、ポン酢を買うかどうか、おおいに迷った末、諦める。ビンが重い。荷物を送るまで我慢する事にした。
プラスチックの袋を下げ、サテ、どこで食べるかと、場所を探しながら歩く。勝浦のトンネルを出ると、街は終わり、両側低い山である。カーブを幾つか曲がると、ホテルが見え、湯あり。とにかく左側に建っている公衆便所の水を汲み、両手に水とプラスチック袋・・・。困ったなぁーと、キョロキョロとしながら歩いていたら、前に窓ガラスがズラリ割り破れ、雑草が繁るホテルあり、空家になっているらしい。
丘の勾配を利用して建てたホテルで、坂を登り中に入ると、ガラスが飛び散り布団が段々と上にジュウタンのように敷かれ、3階まで布団は水を含んでビショビショで何の為、こんな事をしたのか。誰が荒れ乱したのか知らぬが、ありとあらゆる物は壊されている。
割合大きな建物で、休む所を探し歩くが、カラスが飛び、雨漏り、あと埃。汚れない上にあがり、一室にリュックをおろすと、ホテルの中を探検して回るが、1室たりとも、まともな部屋なく、すべて乱されている。テレビは壊され、フトンはいたる所に散り、ある物は腐っている。
勿体ない事をする。多分、倒産なのであろうが、このまま建物が腐り果てるのは実に惜しいと思う。
ひとつだけ、まともな漆塗りのはテーブルを、部屋の中に入れ、埃を拭いてその上に道具を取り出すと、まずキャベツとサバ缶を食べながら、縁側のイスに座って、新聞を読む。床にはガラス散り、戸のガラスは割れている。
初め泊るつもりはなかったが、この先、歩いても・・・と、泊まる事にして、ラーメンを作り、ゆっくりとしている内に、陽は山の向うに沈む。急に冷たくなって来る。
寝る準備だけしておこうと、ゾウキンを見たら、ない。昨晩、使って台の上に置いたまま忘れた事に気が付く。長い間使ったのにガックリと来る。土色に変色して、ボロボロになってしまったが、随分と役に立ち助かった。残念である
代りのタオルは何かと、ホテルの中を探し歩くと、1カ所、洗濯したシーツ、丹前、浴衣が沢山あり、シーツを下に敷いて寝るように持って来るが、タオル、ゾウキンになる物なし。段々と薄暗くなり、ロウソクを立て、お茶を飲みながら日記を書く。
ここの所、毎日ロウソクの灯で日記を書いているので、目が悪くならないかと心配である。ロウソクの灯が漏れ、人が来ると困るので、壊れた格子の上に、フスマを立て、覆わせる。さすがに夜は冷え、今、息が白く寒くなっていく。
ロウソクがあるので非常に助かるが、1本、半分は終わり残り半分。
新聞を読んでいたら、この70年代の10年と云う記事を読み、フッと気が付く。考えてみれば、俺が初めて海外に出たのは、70年であり、それから旅、また旅の続き。
そして、その70年代の終りも、この旅で終ろうとしている。
あのまま東京で過ごし、70年代を終るより、この旅で70年代を終る方が、俺には相応しいと思い、今、あの10円玉に感謝。
やはり、神様って、いるのかなぁーと思う。
多分、今、7:30頃であろう。
使用金額:875円
★「歩いて日本一周」旅日記 三重県/七里ヶ浜~紀伊井田駅~鵜殿駅~新宮~宇久井駅
~那智~
今日は潮岬に泊まるつもりである
1979年
昭和54年12月18日(火)
昨日、早く歩くのを中止したので、その分早起きするつもりだったが、夜が明けてもテーブルをベットにした上でグズグズとする。昨日タオルがなかったので、寝袋の中に巻き込んでいたのではと思っていたが、タオルもあの場所に忘れてしまったらしい。外を見ると、潟の水面上にもうもうと煙のように朝もやが立ち昇り、幻想的である。無料のニュー勝浦を出ると、小学生3人がランドセルを背負って学校に行くところである。
湯川の小さな集落を抜け出ると、海の上は朝もやと朝日の輝きは、一色。凄く幻想的な風景である。今日は潮岬に泊まるつもりである。本当は10キロ程の遠回りになるし、以前、2回行っている。しかし、風呂と荷物の整理で!
距離的に30キロ以前あるので、急がなければならず気分的に重い。湯川、7:15AM。休みなく歩いて、紀伊浦神駅で、9:05AM。
道路上で拾った女性自身を、駅の外、陽が差すポカポカした所でパンを食べながら読む。のどかな田舎駅前の店一軒が、歳末の大売出し。しかし、客はいなく、旗だけがひらめく。
タオル、同じものを買う、180円。パン130円。古いパンを牛乳で流し込む。浦上駅を、10:30AMに出る。田原まで来ると、道路は岬を回っているので、遠回りではないか。電線を見ると、山を超えているので、多分近道があるのではないかと、土地の人に訊くと、道はあっても遠回りなので、道路を行く方がよいと言う。
その言葉を半信半疑で、海岸沿いを行く。駅で休みたかったが・・・。荷物はグイグイ肩に食い込み、重い。しかし、途中で休む気に入はなれず、我慢大会の如く無理して行く。
古座町で前に赤い橋があり、左側に入って行くと古座であるが、途中まで行くと、川の向うに別の橋があり、駅は遠くグルリと遠回りしなければならないので、又、引き返し、道路42号線の橋を渡る。
橋の上で老人がスケッチをしている。こんな所をスケッチするほどよいのかと、あらためて見直すと、川に漁船がつなぎ止め並び、なるほどいい町である。
おばさんに古座駅を訊くと、やはり道路から離れ街の中に入って行く。
疲れているのに、そんな元気はどこにも残っていない。
海は小さな島と大島に遠く橋杭岩が並び見える。まだ15キロ残っている。だいたい時間程に着くが、畑からみかんを9個を失敬。防波堤を降り、玉ジャリの浜で足を洗いみかんを食べながら、ポケット地図を見て先の事を考える。
海の水を見ていたら、澄み、きれいな事に気づく。余裕がなくなった事に気がついているが、何かに追われているみたいに、毎日焦って歩くので、ますます悪循環である。
顔に爪を立てると、汚れが爪の中にたまる。二日間も洗っていない。丁度、飛行機のある喫茶店の先に水があり、歯を磨き顔を洗う。
水道横に洗濯機と洗剤があり、こぼれている。その洗剤を少し貰って来る。
串本町に入り、海岸渕に公園あり。寝る所が沢山あるが、風呂と荷造り。これには負ける。
ユースに電話をかけると、気合のない返事が返って来る。夕食は迷った末、頼む。600円も払う気はないが、日記、手紙、洗濯、その他諸々で忙しい。しかたがないのである。
岬の手前で朝食分と天プラ、パン、牛乳なし、HiC。料金475円と言う。ビックリである。天プラ1枚50円と言う。なんと、その天プラは、普通30円の天プラの半分しかないのである。だから、15~20円のつもりで買ったのに。1枚50円返す。
7年振りかな、岬は。芝は茶色に枯れている。ユース、1750円。リュックをおろすと、早速シャツの洗濯、靴を洗濯と次々と用事があり。
ヘルパーが夕陽を見に行くと言う。サンダル借り、岩場に行く。太陽は霞の中に消える。夕焼けはダイナミックではないが、色々な彩どりに染まった空は美しい。が、6人男、全然おもしろくない。1人でビールを飲み、寝た方がいよいと思う。
夕食、馬鹿にした食事である。とろろコンブの水物に、こんにゃく、大根、小さなサバ1切れ、天プラ1枚、そしてキャベツ。まあ、100円から150円位の物か。頭に来る。その後は風呂に入って、日記、テレビの音が耳にガンガンと響き、イライラとする。
今まで静かな所で書いていたので、その静けさは慣れてしまったらしい。頭の中に今夜やる事が次々と浮かび、焦る。
ホール5人、ミーティング中。全然のらずシラケっぱなし。
現在、8:45PM。これからまた洗濯である。この後、俺に何かおもしろい話はないかと・・・。しかし、相手が若すぎると言う。言葉の意味を全然知らず、理解せず。手を震わせ怒っている22才のヘルパー。1つの事を説明するのに、12時までの3時間の説明・・・。22才にもなって、分らん馬鹿を一生懸命に相手する俺は、もっと馬鹿ではないかと思った。
使用金額:2385円
★「歩いて日本一周」旅日記 三重県/那智~湯川~紀伊浦神駅~古座町~串本町~潮岬
ユースは疲れる。もう昔のユースは、なくなってしまったと思う。時代の流れである
1979年
昭和54年12月19日(水)
天気予報に依れば、今日は曇りのち夕方から雨の事である。朝の空は、予報の通り灰色に曇っている。俺はフトンの中でジーッと考えている。ユースは疲れる。もう昔のユースは、なくなってしまったと思う。時代の流れである。
それぞれの違い、今の者達が、10年後ユースを利用する時、また俺と同じような感じ方をするのかも知れない。日記、英語辞書2冊、その他小さな物まで。手帳の住所録は、1枚の紙に書き移し、最大限に荷物を減らす。洗った靴は乾いていないのでストーブの前に干し乾かす。朝食を頼んでいたが、高校生によると、玉子、ノリ、味噌汁だけ。これだけで、一体、原価いくらであるか。昨日の夕食でも、サバは誠に小さな切身。全く人を馬鹿にしたものである。こんな誠意のない事ばかりをするから、会員は減って行くのであろう。さすがのこの俺だって嫌気がさす。
小包を作り、ジュースとパンを食べる。新聞を読み、9:15AMである。
外はパラパラの小降り。以前あった大洋荘は形もなく消え、敷地だけである。
郵便代、520円。今まで買い集めた切手も一緒に送ってしまう。もうこれから、手紙、あと1通書くと、誰にも出さないつもりである。
この旅の中で過し書いた日記を、日追いつつ思い出しながら歩く。色々な事を覚えている事に驚く。もうあれから何ヶ月も過ぎてしまったのに、断片的、次々と頭の中に浮かんで来ると同時に、自分の悪筆も一緒・・・。この旅が終わったら、習字の勉強をしようと思う。
岬から42号線まで4キロ。国道に出ると、左手に曲がる道路は海岸沿いで、入江のカーブカーブで、いくら歩いても岬から離れず、後を振り向くと、いつまでも見える。一直線にすれば、大した事のない距離なのであるが。
廃品屋から雑誌3冊を拾って来る。天気が悪いので、今日、夕方まで歩く事ができないであろう。どこかよい場所を見つかり次第、落ち着くつもり。その時の暇つぶし用と思って拾ったが、重い。片手には長年使ってきた赤チン。正露丸は、6年前から持っていた。靴下、パンツは昨日洗った。どうせ海に流すのだから、洗ってもうしかたがないのだろうと・・・、無精しようとしたが、やっぱり世話になってたのだし、洗って最後を決めるのがパンツに対して礼儀であろうと思い直す。
ゴミ箱に捨てる訳にはゆかない。
どこかよい場所を探しながら歩くが、なかなかない。片手に袋、もう片手に3冊の雑誌、ばかみたい。今までの天気が嘘みたいに、今は空一面灰色で、どんよりとしている。歩きながら昨日のヘルパーの事を考える。理解力のない相手を、まともに一生懸命話し説明している自分の姿を想像すると、自分がアホみたいに見えてくるし、相手に対しても胸クソ悪くなる。ブッ飛ばす訳にはいかないし・・・。
しかし、いい勉強したと思う。色々とおもしろい事に気付く。
田並駅に休みに行く。ガラーンとした小さな駅。拾った雑誌を読む。こんな所を見ているよりも、海を見ていた方がよいのだが、実際この天気に、この寒さ。そんな余裕、持ち合せていない。
駅の事務室から、NHKニュースが流れて来る。一時間。駅を出る。閑散とした漁村は、活気なく静まり返っている。天気のせいか、それとも季節の為か知らぬが、心の中まで陰気になって来る。駅を出ると、小降りで道路が濡れている。
岩場が続く海岸線は、俺の目が腐っているのか、特に美しいとは思わない。そんな事よりも、寝る所のほうが、先決問題である。
小さな田舎店。古いパンしか売っていないが、選ぶ余地がない。220円。
丁度、道路に神社があり、その寄合所は開いているが、時間的に早いし、まだ雨が降り出すまでには間がありそうである。先に進む。
和深の手前で、食料、485円。そこのおばさんに神社を訊く。教えてくれる。
あなた若いのに、信仰深いのー。
「イヤ、おばさん、信仰において老いも若きもないですよ」と言う。
別に拝みに行くのではない。寝に行くだけである。
和深駅前から左に折れ、学校横を通り、約10分程歩いた所に神社あり。民家の周り、人に見つかるとマズイ。まだ明るい。これより先に進むのは、賭けみたいなもの。境内で雑誌を見て、社務所になるのか鍵はかかっていない戸を開けると、畳敷きである。
この辺の神社は、また形式が違う。間門式造りである。電気は、100ワット球玉が2個付くが、明りが漏れバレと困るので、ロウソクを立て日記を書いているが、今日は頭が冴えない。寝不足である。ユースに泊まる時間帯が変って体の調子も変ってしまう。つくづく若さの減退を感じる。
海辺の山間地、観光地でもなく普通の集落なのであるが、人間の営み、平凡みたいであるが、一方、違った角度から見ると、こんな所にも人が住んでいるのだなぁーと思う。
テーブルの上に2本のロウソクの炎。熱いお茶を飲む。うまい。安いお茶なのに、安いお茶がうまいと思えるのはなぜか。
いつもいつも考えている事。
和歌山に24日頃着くであろう。ユース、洗濯、裁縫。正月は室戸岬あたりであろう。寝る所が心配である。正月どこの神社も、年一番の晴れ舞台・・・。そして、店は、正月休み。困った事だ。
1月末頃、小豆島オリーブユースホステル。行きたくないが行かない訳にはいかないであろう。岡山のマコはどうなるか・・・?
九州に帰り、着くのは3月中旬から末。帰り着いてから大変だ。皆に何と言って説明してよいのか、気が重い。まぁー、馬鹿にされるのは覚悟しているが・・・。
誤解されるのは困る。しかし無理な相談か。
免許証、大型か自動二輪を取る。でないと、9月の切り替えで二度手間になる。4月末から5月、東京に仕事。色々本も買いたいし、やりたい事、見たい事、会いたい人と、山積み。12月末から1月初旬に九州に帰り、職業訓練所の手続き。
そして日本で初めてアパートを借りる事になるであろう。今まで銭を出して部屋を借りたのは、スウエーデンで2回だけ。
その他、中学を卒業して以来、15年間ただ部屋を、居候の身の生活。
3年間、バッチリ勉強。本格的にやるつもりである。つもりではない。絶対にやるし、やらねばならない事である。
「算数」、あの九州大の女の子に教えてもらえれば・・・、しかし、住所を訊かず残念。
そして、海外に住宅の勉強。ついでに世界一周しよう。1年のつもりだが、ヒットして、2~3年になるかも知れない。
ここまで、99%確実。その後想像される予定は、日本に帰って来ると、ユースの資金集め。
勉強始めて4~5年後、能古ノ島に建つ予定。今日この日から、8~9年後、計算通り行くと建つはずであるが、その時ユースの体質も大きく変ってしまっているであろう。
誰か、俺に銭を貸してくれる人いないかなー。
自分の信念を通す事は、本当にしんどいわ。しかし、おもしろい。
神社の中にすずり石と筆があったので、習字の練習する。おもしろかった。
使用金額:1125円
★「歩いて日本一周」旅日記 三重県/潮岬~田並駅~和深
そして、これが人生さ
1979年
昭和54年12月20日(木)
予報通りに明け方、雨が強く降り、雨戸の板に雨がバタバタと響く。その音を聞くと心配になり、眠る事ができない。響く音から想像するに、割合激しい雨である。こんな所で1日中、缶詰にされた日には、目も当てられない。もし、雨が降り続き出られない場合、どうするか、そんな事を雨降る音を聞きながら暗闇の中、あれこれと思い浮べる。
1日中、習字の練習でもして暇を潰すか。昨夜日記を書き終えた後、テーブルの上に紙と硯石、筆があったので、石をすり墨を作る。書いたところ、絶対に筆は思うように動かない。真剣、一字一字丁寧に書いても・・・。初めて習字のおもしろさが分る。
閉め切った雨戸の隙間から、薄い光が差し込み、朝が来た事が分る。戸を開け空を見上げると、雲が流れている。これは晴れると確信。社務所を出る。細い集落道を通り国道に出る。道路は上下の差が激しく、上ったり下ったり。そしてカーブカーブで実質的には大した事ないのに・・・。
こんな道はバカにされているみたいで頭に来る。
晴れた空、しかし、海は荒れ、海の波は岸壁にブチ当たり、白波を立てる。なかなかいい景色である。
和深を出て12キロ程の所で、昨日から探し求めていた流す場所を見つけ、遠く海の中に投げる。袋は波に浮いていた。
田辺に、新しく老婆がやっているユースができたとか。そんな所ならばスレていないであろう。明日は泊ってみたいと・・・。しかし泊るならば、日置川まで今日中に歩かなければならない。少し強行軍になる。
江住まで集落らしき集落はなく、岩場の海岸線が続くだけ。江住駅で休もうと、家が建て込む細い道を通っていると、本屋で新聞を売っている。朝日60円。何もない静かな所で、店が5~6軒もあろうか。それでも歳末大売り出しの、のぼり旗を出している。
駅の待合室。ここも例にもれず小さい。北海道の無人駅であろうに。そして急行が1本停まるらしい、この駅に。二日市と比べると、話にならない程小さいのに急行が1本停まる。二日市はなし。変な国鉄。
駅前の店で、牛乳とパン240円。毎日牛乳、全然おいしくない。陰になると寒いので、陽が射し明るく照らしているベンチに座る。
9:00AM10分前に来て、駅を出たのが、10:15AMである。ポカポカとした春日和? Tシャツ一枚になって歩く久し振り!
見老津(みろづ)駅。道路のすぐ横に建つ小さな童話にでも出てきそうな駅である。その駅の便所、手洗い水で歯を磨いていたら、駅長が出て来て、もし顔を洗うなら、その水は汚いのでこっちの水を使って下さいと、教えてくれる。見老津~すさみ町間、集落なく、ポツリポツリと民宿の看板を下げた民家。
防波堤の出口で腰をおろし休むと、頭がボーッとして眠たくなる。陽気のせいか、新聞紙を敷いて眠る。こんな昼寝をしたなんて、北海道以外ではないか。久し振りにのんびりと歩けるなぁーという気分になる。不思議な事に、何かに追われているような焦った歩き方とはゴロリと変り、ゆったりとした気持ちで歩ける。
何故だか知らぬが・・・歩きやすい。丁度スランプの峠を越え、ホッとしたような、そんな感じである。
カーブ・ヌ・カーガ。野球ではあるまいに、たまには直球の直線にでもなれないものか。カーブを曲がった所に、すさみの町が見え、まず駅に休みに行く。腹がへってしかたがない。店はサッパリとしない。小さな・・・。
とにかく駅にリュックをおろし、地図を見る。駅の時計で、2:30PM。計算通り次の町、日置川町まで行ける。
待合所に数人の客、そしてスーパー・オークワの袋を持っている。例の高いスーパーである。この町にもあるのか。これは助かった。一見した所、ごく普通の平凡、活気のない静かな町である。
今は静かでも、夏場は関西方面の客で混むのかも知れない。今は閑散としたお土産屋が幾つか並んでいる。
線路沿いに行くと、スーパー・オークワがあり、スーパー前では歳末大売り出し。樽に入った漬物が沢山色をそろえ並んでいる。チョットらっきょうを食べてみたいが、そんな贅沢は許されない。スーパーの中に入ると、広い売り場にガラリと外の家宅。町造りは変わりモダンになる。
外は木造建の日本的ボロ長屋の集り。スーパーの中はゴロリと180度の転換。
何故だか、このスーパーの雰囲気の中に入るとホッとするのである。荷物にならぬよう慎重によくよく考えて物を買う。買うものが限ってしまうと慎重になる。買う物は僅か5~6品なのに・・・。
荷物を送ったので、ポン酢を買う。こんどは持てるであろう。売り出し360ミリポン酢、238円。初めこれを買った。小ビン150ミリに比べると、安いのは明らかであるが、この重さと云う物を考えるなら、結局高いのである。
人にこんな事を話しても、分りはしないであろう。僅か小ビン1個の大きさが、歩くペースを崩してしまう事を、人は単純に考える。何かひとつの事を、一生懸命やって来た者なら分るのであるが・・・。
それにしても、あの潮岬ユースの馬鹿。「今日は、白波まで歩けるでしょう」。約70キロを1日と考えるあの頭。しかし、自分の言う事は認めてもらえないらしい。自分の馬鹿に気が付かない馬鹿が、一番始末に悪い。
レジの女の子見ると鼻が大きい厚化粧。993円で、「3円は要りますか」と聞くと、「ハイお願いします」。
ポケットから、3円出している間、この人、袋の中に品物入れてくれる。
セルフサービスで、このくらいの大きなスーパーになると、そこまでやらないのであるが、この人の気まぐれなのか・・・。
袋はグーンと重く、自分のリュックと同じくらいか・・・。
スーパーの横に川が流れ、海に注いでいる。その川の堤に沿って行く。42号線に橋。
コンクリートの堤。河口に出て、その堤の小さな踊り場が、丁度見晴しもよいので、リュックを出し、水を汲みに行って帰って来ると、60から65才か、年が定め見つかぬ程、何か・・・、生活にでも疲れたと云うのか、品物も入った買物カゴを横に置いて、チョッコンと、その小さな体を置いて座っている。
私の人生とは何だったのであろう。そんな事を考えているような表情である。
その横を過ぎ下に降り、リュックから道具を取り出すと、キャベツのサラダ、ポン酢にトウフ。イモの天プラ。牛乳、そして銭を出して買ったリンゴ。リンゴを買う時、多少アホ臭くなる。東北ではタダ。腐る程あったのに、ここでは銭を出して買った。
ナベいっぱいのサバ缶を混ぜたサラダを食べ、のんびりと周りの風景を楽しむ。別に観光地でもないのであろうが、河口の堤には老人達が5~6人、釣り糸を垂らしている。河口の反対側には、白い漁船がズラリと並び、停泊中。そこは市場になっている。どこにでも見られるような、小さな漁港町で、映画寅さんにでも出てきそうな風景である。
サラダ、4枚のイモ天プラに豆腐で、腹いっぱい。牛乳でトドメを刺す。満腹の腹を抱えて、テクテクと上り坂を歩いて行く。
カーブを曲り幾つ目か、空が紅に染まり、もうすぐ夕陽が沈む頃だなぁー。
しかし、カーブの山陰になって、陽は見えない。高い所まで無理であろうと、半ば諦めあがりきると、丁度まっ紅な、まるい夕陽の尻が、水面についた所であった。
その高くなった見晴しの所に伊古木海岸の立て看板が立ち、そこにリュックをおろすと、沈んで行く夕陽を見る。久し振りである。ハッキリとした夕陽が、最後まできれいに姿を見せ、沈んでいったのは・・・。いつもは、途中、霞の中に消えてしまう。
次の町まで集落の何もない。崖を道路が通り、幾つかのカーブを曲がった所、突然、眼下に日置川町が、河口に見え、夕暮れ暗くなる一歩手前。その高い所から、何処に神社があるのかジーッと探してみるが分らない。多分あれではないかと思われる。町の真中にこんもりとした樹の森。
あの場所はまずい・・・。とにかく下まで降り、橋を渡って町に入る。
自転車に乗った子供二人に神社を訊くと、やはり例の所である。もう暗くなって探しようがないので、とにかく行って見る事にする。境内は広いが、建物は小さく門みたいになった建物の奥に幾つかの社があり、その社は犬小屋に丁度よい。
そのガランとした門に寝る事にする。2面は壁あり他の2面は何もない。明け方きっと冷えるであろう・・・。
2つの長イスあり助かる。地面に眠ると、いっぺんで体を壊してしまう。格子戸の続く家並。家から、ガラス窓から漏れて来る灯で外は薄明るい。
ブラブラとして、酒屋で缶ビール200円を買うと、神社に戻り、1人ボケーとしてビールを飲む。
そう云えば、いつものように肩凝りと痛さ、嘘のように、ごく僅かになった。やはりあの送った荷物なのであるか。
この町に入る時、橋の上から見た町のシルエット。遠く海のほうは、まだかすかに夕陽の残り紫色の明かりが、街の家並の上に・・・。しかし、町はもう暗い。
この辺の地方、一体どんな正月を迎えるのか知らぬが・・・。もう、しめ縄を売っている。
今日昼寝をしたせいか、眠られず、ビールを飲んで、ドッキンドッキンする自分の心臓の音を聴く。
寝袋の中から外を見ると、暗い境内の中に、何の樹か知らぬが、巨木が枯木を落し、その大きく広がった枝を天に広げる陰。その向側には、店が並び明るい。
消防署の赤い電球玉。時々車が走り去って行く音。
格子戸の網目の中に、1個の星が輝いている。
きっと、今日夕暮れに見た一番星ではないかなぁー。そんなこと思う。
そして、これが人生さ。
使用金額:1293円
★「歩いて日本一周」旅日記 三重県/和深~ 和歌山県/江住~見老津~すさみ町~伊古木海岸~日置川町
バス停には「十九渕」。今日は20キロ歩いたかなぁー
1979年
昭和54年12月21日(金)
思い通り、明け方の冷え込みに、幅70センチ程の長イスでは寝返りもできないし、目が覚めたまま寝袋の中で直立不動の姿勢にしたり、猫背にしたり、運動会である。
あー疲れると・・・、これなら歩いた方がよいと思うには思うのであるが、思うばかりで、寝袋の中から出ようとはせず。
階段を上って来る足音が伝わり、俺の頭横で止まると、賽銭を投げ入れるチャリの音。10円か50円か知らぬが、まだ星がチカチカと輝いている夜の空、5~6時頃であろう。
やたらと「拍手」を打ち鳴らし、ブツブツと何やら祈っている声、2メートル横に寝ている俺に気が付いているのかどうか知らぬが、別に壊して入った訳でもない。ただの土間みたいな所にゴローンと寝ているだけ。ただ何も知らずに、袋の中の入った長いものを闇の中で見つけると、きっと、誰でもビックリと驚くに違いない。だからジーッとしている。
時々空を見ると、星の出ていた空が段々に明るくなり、また朝の到来。どうせ歩かなければならないものを、完全に明るくなるまで寝袋の中で頑張っている。お陰さんで、この頃の時刻が分るようになった。7時である。別に時計を見なくても分る。
リンゴ2個皮をむいて食べる。だいたいリンゴが、ガブリと喰えないと云うのがおかしい。しかし、皮をむかずして食べると、下痢をするのは分るほど分かり切っている。
あのアフリカでも下痢しなかった。この俺の腹が、日本では役立たず。リンゴの重いのには閉口する。
町の離れに国民宿舎。町営、どんなのか気になる。青森は酷かった。そこを過ぎると家もなくなり、また、岩、崖の海岸線。道路が続く途中、山側に入ったりトンネルを抜けたり。ポツリポツリとヘルメットを被った自転車女子中学生に会うが、ヘルメット頭の女の子は味も素っ気もない。
やはり髪を風になびかせ走って来る姿が一番よい。トンネルを出て少し下った所に、右側太い長い銅線。工事後、林の中に忘れて行ったらしい。これだけの線、けっこういい銭になる。何か損をしているような勿体ない気持ちになる。
対面から来る車がヨロヨロと俺の前で止まると、
「歩きですか。どこからですか。白浜のトンネルを出た所に、50円の公衆浴場がありますので、入って行って下さい」と、教えると、頑張って下さいの言葉を残し、車は去る。
こんな事、初めてである。対面の車が止まり、わざわざ声をかけて行ったのは・・・、まぁー、悪い気はしないが・・・。
長い山間の道、カーブを曲がって「椿」に出る。ホテルが幾つか海辺に建っている。長い道、車で走れば、ものの10~20分だろうが。
廃家になったボロボロの旅館の中に入ると、リュックをおろし、大きなホテル前に水を汲みに行く。
時期はずれなのか、ガラリとしている。大きな新しいモダンホテル。かたや、その横にツブれたボロボロの旅館。なぜツブれるのか知らぬが玄関先に広い所なく、駐車場がない。これでは時代についていけないのであろうと思う。鉄筋なので骨格はしっかりとしてる。ここをユースにしたらと思う。風景は悪くない。太平洋の青い海と小さな港・・・。交通の便も悪くない。地理的にはどうか知らぬが・・・。
窓ガラスの、ガラスと云うガラスは全て破れ割れている。畳は腐り乱れる。
中に散っていた新聞を敷いて、残り1個のラーメンに、残りキャベツを入れ、グタグタと。
昭和45年3月付けの古い経済新聞を読む。テレビ番組紹介欄には、ザ・ガードマンがのっている。それに、これまた古い女性セブン週刊誌。グラビヤに、左幸子のミニスカート。とても見られた姿ではない醜い体としかいえない。
どのくらいこの旅館の中にいたか、出ると、椿の集落。橋の上から川を見ると、沢山の魚の群れ。
カーブを、2、3曲ったか、小さな集落あり。ゴミの収集日なのか、ゴミ山。その中に、少女マンガがあったので、2冊とると、道路横の防波堤にリュックをおろし枕にしてマンガを見る。
別におもしろい奴はない。古い少女漫画がおもしろかったが。
MiMiにのっている、おすぎとピーコの写真を初めて見る。ラジオではよく声を聞くけれど、女装をしているのかと思っていたら、全然その反対。
今日ものんびりとして。海の辺で・・・、まだ沢山本はあったが、あんなに全部見ていたら、日が暮れてしまう。
リュックを背負って歩き始めたら、シワクチャになった顔の老婆が、2人立ってジーッと歩いている俺を見ているので、スレ違う時、「こんにちは」と声をかけると、「こんにちは」と・・・。
不思議な事でもあったような顔をして言う。寝転がってマンガ見ていた時、12時のチャイムが鳴った。最近はサイレンではなくチャイムらしい。崖にセメントの吹き付け工事中。土方のおっさん、丁度弁当を開いて、うまそうに食べている所である。
おっさん、「どこから歩いてきた」。
「九州」
「ホォー」
「どこを回って来た」
「北海道」
「ホォー」。止まらず歩いてるのに話すから、俺は歩きながら後ろ向いて返事をする。
どのくらい歩いたか、鉄道が見え、橋を曲がって白浜方面に行く分岐点を過ぎ、店屋に入る。トウフ、チクワ160円を買って、200から300メートル先に神社あり、そこの倉庫から寄合所の縁台の上にリュックをおろすと、まずトウフを食べて考える。
朝の青空に雲をブチまけたような不思議な渦巻きの雲を見た。今まであんな雲を見た事がない。そして晴れたが、今は空一面、雨雲が低く垂れ込め、今にも降って来そうである。
道路は平坦になり、先には雨宿りすべき所は何も見当たらず、この場所に決める。もう一度お店に戻り、378円の食料、田舎店、買う物がない。店の時計、1:45PMで、もう少し歩いたほうが・・・と思い、店の外に出る。パラパラと雨が降り始める。
中に入ってあげてある畳を1枚敷いて拭く。外に水がある。助かる。日記を書いていたら、字が乱れ頭の中に砂が入っているみたいに疲れている。字を書くと疲れているかどうか、俺の場合すぐ分る。無理して書いていたが、1ページ程書いて寝袋の中に入る。
2~3時間程寝たか、目が覚めると外はスグ暗くなり、ロウソクを立て日記を書く。昨日は暗くなって、日置川町に着いたので書いていない。2日分である。
ラーメンを食べ、疲れるとお茶を作りでガスはもう殆どない。ロウソクも3本を使い切り、あと半分残っているだけ。5時過ぎから外の雨は激しく降り出し、9時前まで降り続いていた。
丁度よいところによい建物があり助かった。これでもユースに泊まれないが、旅とはこんなものさ。これで欲張って少しでも歩こうと歩いていたら、きっとえらい目に遭っていただろう。
バス停には「十九渕(つずらふち)」。今日は20キロ歩いたかなぁー。朝早く発ち、マンガを見なかったら、田辺には着いたかも知れないが、もう焦ってもしかたがない。今日もゆっくりした気持ちで歩いた。距離はいつもと変らず、今まで無理して距離を歩いていたが、昨日から丁度流れに乗ったような感じで歩いている。
21:50PM。
使用金額:538円
★「歩いて日本一周」旅日記 和歌山県/日置川町~椿~十九渕
2
凄い星数である。今日は冬至
1979年
昭和54年12月22日(土)
段々と中が明るくなって行く。考えてみると、毎日毎日恐ろしい程の速さで、日々が過ぎて行く。朝が来ると、荷物をまとめてテクテクと歩く。福岡に帰るまでこのクリ返し。何を求めているのかサッパリと分らなくなったが、途中で投げ出す事は絶対にないし、死が前に待っていても、そのまま歩いて行く事は分っている。
それが何なのかよく分らないが・・・。意地に似たようなものでもあるし・・・。ただ時が過ぎた後、答えは出てくるのであろうと思っているが、今はただ歩くのみである。
外は雨に濡れているが、空は晴れている。お茶を一ぱい飲んで、この小屋を出る。1時間程歩いたが、「郵便橋」と言う変な橋を渡る。正面方向は白浜。左手、和歌山方面。駅で休んだが、地図には名前がのっていない。待合所には、大きなゴミカゴ、幾つもあり見苦しく、デーンと中を占領している。
「生花」が、ガラスケースの中に置いてあり、杉の小枝、黄菊、カーネーション。余りパッとしないが、俺よりうまいのは確かである。尤も俺は何も知らぬが・・・。
ここから田辺まで約6キロ。田辺の入口まで来ると、道路が二股に分かれ、俺は街の中に入って行く。ガスを買わなければならない。とにかく駅に行く。
駅の横に立つ絵の看板地図を見て、頭の中に入れる。これで方角は分った。何処でも歩ける。
駅で新聞60円。朝日を抜き取ったら、ペラペラで夕刊ではないかと思うぐらい、ペラペラの薄い新聞。今日は朝日を止め、毎日を抜き取ったら、これも同じ。読売も。結局、朝日を買ったが、何か大変損をしたような気がする。
ベンチに座って新聞を広げる。石油、OPEC、価格定まらず・・・。今、俺に銭があったら、バンバンと金とドルを買うのだが・・・。値上がり確実。ドルは安めで、円高差損。前のベンチに、ボサボサ頭に、顔は汚れで黒光り。服は汚くボロの乞食のおっさん、寝転がっていたが、ムックリと起きると、ポケットから茹卵を取り出すと、からを割りむいて食べている。その動作はなんとも人生に疲れたと云ったような、いかに名優でも、あれは演じられないであろう。
切々と迫る訴えがあり、チョットひっくり返る。俺も彼の仲間になるかも知れない・・・のかなあ・・・。しかし、俺はあそこまで汚くはなれない。
余りパッとした記事なし。10:30AM、田辺駅を出る。駅交番で、スポーツ店の場所を訊いて、街中歳末大売り出しのノボリ旗がズラリ。アチコチ商店街中、歳末の活気が漂い始めて、あーもうすぐ正月だなぁーと思う・・・。
この歳末大売り出しの雰囲気は、どこの町でも同じであるのか、一種、日本の風景特有の時である。
混雑する街通り、セーターが安い。しかし、荷物になるし、本格的に寒くなるギリギリまで待つつもり。その頃になると下がるのでは・・・と。
金物屋でガスを買う、320円。このガヤガヤとした雰囲気の中に入ると、自然に色々と買いたくなるような気がする。
スーパーでトウフ、コロッケ、牛乳、スープ、そして150円の海苔巻き。今までこんな物は買った事がない。こんな物は高いし、銭を出すのが馬鹿々々しい。しかし、今日は何故だかスンナリと買う。178円。
スーパーから150メートル行った所に川があり、その堤でリュックを下ろし、まずコロッケ5個、125円。安いので2パック買ったものの、モサモサでやっぱり125円分の価値しかない。
モンペ姿のおばさん、下り坂をリヤカーの後にブラ下げて、フッ飛んで行く。そのカッコウ、おかしくなる。座って食べていたが、風が吹くとやはり少し寒い。
寒いと落ち着いて食べていられない。
橋を渡り街離れを通り、国道42号線に出る。テクテクと歩き、はや駅で休み、新聞を読んでいたら、この小さな駅の駅長、窓から顔を出し、
「どちら行かれるんですか」
「イヤ、チョット休んでいるだけです」
「チョット休むのはいいですが、夜、ここは使えませんからネ」と、嫌な顔して言う。
まだ、丁度12時になったばかりである。誰が今頃こんな所に寝るか・・・。道路横にあるので、色々なヒッチハイカーが来るのかも知れない。そんな奴らと一緒にして欲しくないわ、本当に。
駅を出て少し歩くと、頭がボーッと寝不足である。浜にリュックをおろし、シャツを被り眠る。考えてみれば、最近、海の横を歩いているのに、波の音に耳を傾けなくなった。
1時間程眠るとまた歩き始める。夏みかんなんか、なっていたが、面倒なので止めた。梅が干してある。そういえば和歌山は、梅ぼしの産地である。
岩代駅で休む。紀伊本州だか知らぬが、どこの駅もサッパリ・・・。これは、ただ駅長を置いてるだけで、赤字になるのが当たり前である。毎日「くろしお」の特急列車を見るが、いつもガラガラである。
駅、3:20PM 出る。道路は、海辺の上を通り、眼下に青い海が広く、傾いた太陽の光が、キラキラと反射させて輝かす美しい風景である。
ロウソクは半分しかないので、夜、日記は書けない。今の内に場所を探し、明るい内に書いておかないと・・・。岩の渕に建つ、見晴しの素晴しい小屋を見つけたが、雨漏りした後。下はボロボロに腐っている。無理である。
道路は下り、「切目」に入る。夕焼け、美しいが、そんな夕焼けを見て・・・なんてのんびりとした事は、やっていられない。寝る処の方が先決問題。分らないが、地図の切目神社を目指すしかない。
店で食料480円。水を汲み、切目集落離れの神社へ。夕焼けの空、黒い雲の切目から紅の陽。まぶしいように光を出している。今日も一日が終わろうとしている。
歩いていると、荷物が重たく、ブツブツ一言をいいながら歩いているが、夕暮れになると、1日が1時間みたいに思える。
道路から少し中に入った所に神社あり、本殿は小さく寝れない。この辺特有の、例の田舎百姓家の門。納屋に似た門。その右手に長イスに腰掛け・・・。屋根があるだけまし。風がスースー。文句は言えない。
もう暗くなって外に見つけようがない。電気がついているので助かる。
まず、うどんを作ったが全くおいしくない。1匹200円の焼サバ。奮発して買ったものの、これも胸やけするだけ。やはり白い飯が必要であるらしい。
昨夜、中途半端な寝かたをしたので、疲れた。しかし、荷物を送ってから、例の肩の痛み、凝りが嘘みたいに殆どなくなった。しかし、もう少し減らさないと・・・。
しかし、もう物はない。ただ、あのつぎはぎのジーパンが重いのである・・・ブツブツ。
門の電球灯の下、新聞を敷いて寝袋の中に入って日記を書く。周りに何もないのでで、野犬が来てガブリとやられたらアウト。
100メートル横の道路は、車の往来。ブーブー間の前にはインゲン豆。十分な水がないので取れない・・・。水があるなら・・・。少し失敬するのだが・・・。
遠くから、ゴトンゴトンと列車の通過する音。
今日も疲れた。
凄い星数である。今日は冬至。
使用金額:1538円
★「歩いて日本一周」旅日記 和歌山県/十九渕~田辺~はや駅~岩代駅~切目
明日はクリスマスイブ。今頃スウエーデンは・・・
1979年
昭和54年12月23日(日)
夜が明けても門の電気の灯はボヤーとついている。空が曇っている。イヤな天気だ。寒くて寝袋の中でジーッと曇った灰色の空を見る。こんな空の色を見ていたら、心の中まで灰色になってしまうなぁー。
新居以来1日も休まず歩いている。この調子で行けば、計算通り和歌山には25日。半日遅れて着く事になる。そんな事をブツブツと寝袋の中で一人ほざいている。人が来て、ジーッと寝ている俺を見て行く・・・。しかたなく起きると、ポタージュスープを作り、冷えたコロッケと一緒に食べる。
寒いので温かいスープがうまい。これで寝袋の中に入って、暖かくポカポカと出来るならよいのであるが、そんな事ができない。食べ終わった時、丁度前歯のかけたおっさんが拝みに来て色々と話しかけて来る。
「昨夜、ここに寝たんか。寒かったやろ・・・。この近くの社務所をお守りしている爺さんに言えば、社務所を開け、泊めてもらえたのに」
「ハア・・・」
おっさん一人で、この神社の由来、ご利益、神罰の話をしている。この境内の小石を蹴った子供の母親が、その日に火傷で死んだとか、その他、内心、もう早く去ってくれないのかなあ・・・。寒いし、あと片付けもあるし・・・。
おっさんが去って荷物をまとめると、門を出る。丁度その時、自転車に乗って百姓のおばさん、片手を顔にあて、拝んでいる所。そのばさん、俺を拝む形となる。
日曜日なのに休みなのか、頭に白いズキンを被って野仕事。一面の空は、灰色の雲に覆われている。この雲なら、今日は雨間違いなしである。そして寒い。
いつも着る四枚のシャツで、あとなし。晴れていると春みたいであるが、曇るとやはり年末、冬である。「印南」ガソリンスタンド。今日は日曜日で休み。新聞は関係ないであろうと失敬する。サンケイ新聞を腕にはさみ、ヤッケのポケットに手を入れテクテクと歩く。坂道の所に、紀伊では珍しいコインフフード店。中に入って休み新聞を読む。パッとしない記事ばかり。新聞が悪いのか記者が悪いのか。
今日の朝日は日曜日版が付いているはずである。そのコインフード店の上に農協あり、新聞、失敬しようかと思ったが、車が来たので止めた。
海岸沿いに走る道路は、うねりにうねり曲りこくって、実質、新居、和歌山まで直線100キロしかないのに、228キロ、倍以上である。靴下を洗って顔を洗おうと思っていたら、靴下だけ洗って、顔を洗うのを忘れた。冷たいので意識的にわざと忘れたのかも知れない。
御坊の街が遠方に見え、例のオークワ、スーパーの建物がニユーと平屋の家群からヌキ出ている。
段々と近づいて見ると、ジャスコ・オークワ。なんだ、オークワはジャスコなのか・・・。
大きな建物で、この小さな市にしては、一番の店であろう。中に入ると赤い服のサンタクロースのおやじに、ジングルベルの曲。年末の大売り出し一色で、買物客で賑っている。皆、年末の為か、それともこの雰囲気に呑まれたのか、夫婦ぞろいの買物。男は荷物。俺もこの雰囲気に負けて、必要分以上買ってしまう、1268円。
このガヤガヤとした雰囲気は、まさに正月近しの感であるが、一歩、大きな重い袋を下げ外に出ると、あれー、一体なんでこんなに沢山買ったのだろうと、頭をヒネる。
42号線、車関係店舗ばかり。休む所なく、少しでも荷を減らさないと、この何時降り出して来るか分からない空模様。まず、トウフだけでも食べて片付けようと、ワキ道に入って川の堤下で食べていたら、パラパラと雨が降り出し始める。まだパラパラなのでよいが、その内、本格的に降って来るであろう。パラパラの雨の中、パン、バナナをパクつく。
明日はクリスマスイブ。今頃スウエーデンは・・・、と思う。このうら寒い汚く濁った川の流れは、さっきのガヤついた雰囲気とは全くうって変り、寂しい風景である。
座って食べていると、心の中までいじけて来るので、歩きながら牛乳を飲み、空箱を寺の壁の中に、投げ捨てる。普通は絶対にこんな事はしない。ちゃんとゴミ箱のある所まで持って行くか、燃やしたりするが、こんなクソ真面目に思える行為に、なんとなくアホ臭くなり、壁の中に捨てる。
こんなのを八つ当りと云うのか?
気のせいか、少し気が晴れたような!
雨はサァーと降り出して来る。市役所、体育館、別に雨宿りするところなく、小雨の中を歩く。
ヤッケが段々と濡れて来る。
御坊の駅までもつのではと、期待して歩いていたが、無残にも!
もうこのまま止む事なく、降り出し続くであろう。困った事になる。
信号待ちのマイクロバス、横を通りかかると、1人のおばさんが指を指して皆に知らせる。
皆は振り向いて俺を見る。ニタニタと笑っている。こんな笑いを、外人は無邪気とでも云うのか、俺は頭に来る。
一見すると、おもしろいのかも知れないが、殴り倒したいくらいである。これだから、中年のばば連中はイヤだ。視野が狭い。市役所の時計ではなかったか、12:58PM。ガソリンスタンド、一時的にはよいかも知れぬが、長雨は無理。その前に、大杉自動車解体前の空田んぼの中に、13~15台の車があり、ナンバーなく、ドアに手をかけると鍵がかかっている。その中の1台、ドアーが開いて中に入る。
リュックを横に置いて、サテ・・・、と考える。この雨ではもう無理だし、時間は余っているが・・・。
食べよう・・・。それから考えよう。
車の中で寝るには狭いし(サニー)、1台、クラウンのバンあり、あれが開くと助かるのだが。これもあの切目神社の恵みの助けなのかどうか知らぬが、移ってホッとする。
(サニー)は凄い悪臭で、頭がボーッとして、吐気がするところ・・・。持主の性格が知れる。クラウンの後のイスに座って新聞読んでいたが、終わるとする事もないので、イスを倒し台を作る。丁度、人間一人は寝れる丈の長さである。
これなら、あのバスのような事もあるまい。食料はバッチリあるし・・・、水はないけれど。
日記を書く。雨は段々と激しくなって止む事を知らない。
新聞の天気予報では、明日の天気は分らない。(22日18時の記入)
師走の木枯らし吹く風の中どころか、うら寒い雨の降る年末・・・。廃車の中であり、全く現実的で一編の詩のかけらもない。ただ、この車が見つかった事に感謝するだけである。
お茶でも作りたいが、この雨の中・・・。出て行く事ができない。考えてみれば、食料買ったと云っても、水がないと・・・、どうしょうもない。困った事になった・・・。キャベツの丸かじりでもするか・・・。
これで車のラジオでも聴くなら、文句なしであるが・・・、そこまで神の恵みなし。
絶え間なく止む事を知らぬように振り続き、ガラス窓は水滴で曇る夕暮。光るライトの灯。
雨の中、ガソリンスタンドに水を汲みに行ったら、日曜日のせいか、蛇口からは一滴の水も出て来ない。空からは、ザァーザァーと水玉が落ちているのに。
裸足の足はヒックリ返るのではと思われる程冷たく、雨の中、水を求め歩く。蛇口があっても頭がない。俺の持っている合鍵は合わない。民家の玄関、水道をやっと見つける。
廃車のある田んぼの中は、水で池みたいになっている。ドアーを開けると雨が吹き込む。
狭い中で湯気の立つ熱いお茶を作る。
明日は晴れるだろうか。
使用金額:1268円
★「歩いて日本一周」旅日記 和歌山県/切目~
休むと体が冷えるので、テクテクではなくモクモクと歩くしかない
1979年
昭和54年12月24日(月)
ガラス窓の水滴が落ちる。見ると幾つもの水滴が重なっている。その向うの空、黒い雨雲が東に流れていく・・・。降る事はないであろう!
1個25円のラーメンにキャベツを入れ食べてみたものの、やはり25円分の味しかしない。お茶を最後に飲むと、ムッと気合を入れ裸足で外に出る。外は池みたいに水が溜まっているので靴は、はけない。
「オォー、冷たい」
今までの春みたいに晴れていた青空の陽気とはうって変り、どんよりとした冬の空。灰色に垂れ込める雲の間より、時々見せる青空が美しい。このまま暖冬が続くならと思っていたが、やはり四季節が変る事なく冬を飛び越し、春になる事はないらしい。
ヤッケに軍手、鼻水を垂らしテクテクと歩く。今日、クリスマスイブ。今頃・・・、スウエーデンは、今日でスタファンも7歳。俺は寒い外。向うはセントラルヒーティングの効いた、暖かい部屋の中。そんな事が頭の中に浮かぶ。
由良駅前の店で新聞を買う、60円。駅待合所で新聞を広げる。開いた戸から冷たい風が待合所の中を舞う。数人の客はセーターオーバーを着て、「おぉー、寒い寒い」と言っている。
俺は出発した時以来のまま、鼻をグジュグジュと鳴らし新聞を読む・・・。
夕刊みたいな薄い朝刊。毎日毎日載るイラン人質事件。ホメイニ師の功績は、世界の新聞に、毎日ニュースを提供した事ぐらいか。そのうち崩壊するであろう、ホメイニ師の政府。
しかし、これ正にオイル強し。
寒いし憂うつな空を見ると、全く歩く気にもなれず、ズルズルと木枯らしの吹き込む田舎駅に座り続ける。駅を出たのが、11:25AMである。これから道路は登り坂道となり、うねり続く山肌の斜面には黄色い夏みかん。歩けど進めで夏みかんだらけ。別に失敬する気にもなれない。幾つかの普通みかんを失敬したものの、冷えたみかんは歯にシーンとしみるだけである。
カーブを曲がっても、その先にまたカーブ。峠は見えず、昨日買った89円の「カリント」を食べながら歩く・・・。食べ終わった時、ポツリとテント張りの自動販売機があり、水道があったので歯を磨くと、ガソリンの味がする。顔を洗う。水が冷たい。しかしサッパリとする。
休むと体が冷えるので、テクテクではなくモクモクと歩くしかない。幾つかのカーブを過ぎた所に、ポツリと広がる所があり、ドライブイン。そこから先に右側500メートル程下、プレハブ小屋、道路工事資材があるだけ。
しかし電話がある。埃のイス。そんなに使用していないらしい。ガラス越しに見る。中は総て鍵がかかっている。しかし洲ノ崎の教訓・・・。たとえそうであっても、一応と手をかけるべし。グルリと後に回りを見ると、ほれ、一カ所鍵が外れている。
中に入りリュックを入れ電話・・・、と思ったら、手帳は送ってしまった事に気付く。馬鹿馬鹿、なんとドジな俺であろう。クヤシイー。
兄貴にかかると、丁度平和から3日程前、ハガキが来たとか。連絡つかず困っているとの内容文面・・・。
今頃遅い。もうここまで下って来たのに今更また東京まで引き返せるか・・・。
次は家、おっかさんが出て、何やら訳の分らない事を言う。声の調子は、本当に調子がいい。役者が一枚上手であると、その声を聞きながら思う。
HE不在。フッと、Tにかけてみようとダイヤルを回す。何故だか、心臓がドッキンドッキンと早くなる。ツーツーと受話器が鳴り、ガチャリとつながった音。
「はい、こちらは麹町会館です」と。
パッとしない受付嬢の声。
「脇山ですが、美容室のTさんをお願いいたします」
「ハイ、ただ今おつなぎいたします」
ツーツーと鳴り、その間、アレーなんであの人にかかるのだろうと思っていると、ガチャリ。
「もしもし、こちらは美容室です」
「はっきりと自分の名前を名乗り、Tさんをお願いします」と言うと、
「あぁー、あの方は土日だけの出勤です。もしかしたら貴方は、よく旅行先から手紙を下さる方ではないですか」
「ハァー、そうですが・・・。どうして分るんですか・・・」
「ハァー、それはもう・・・みんな・・・」と、明るい声の返事が返って来る・・・。
受話器の相手は年配の人らしい・・・。ハッキリした澄みいい声をした言葉を知っている人である。
少し話し、受話器を切る・・・。最後にIにかけると、奥さん。旦那さん出張中。少し話し、魚の事を訊くと、届いていないと言う。とりとめのない事を話し、電話を切る。
何か息を弾ませているような感じになり、電話をかけなければよかったと思い、苦い味がする。
夕暮れなら、ここに寝ても構わないのであるが・・・。
外に出て歩き始める・・・。これがクリスマスイブのプレゼントか。そうと知っていたら、電話番号も書き写していたのにと・・・、後悔する。
歩きながらあの見知らぬ相手の女性を勝手に想像すると、一緒に食事している姿を思い浮かべ、色々と空想する。短い電話の中で、あれだけ印象与えるのである。会ってみたいものである。
しかし現実・・・、声のいい者は、得てして・・・、天は二物を与えずの感があり。
今度東京に行った時、あってみたいものであるが、中年バァさんかも知れないし・・・。子持ちかも知れないが・・・、夢と現実の間は遠い。
峠を下りて来ると、湯浅町。昔、醤油製造が沢山あったとか。まだ今はまだ今日は何も買っていないが、街は道路から外れ入り込んでいる。面倒なのでそのまま通素通りする。
藤並駅で休む。3時を少し回った所であり、もう30キロ歩いている。寒いせいか、休みなく歩くので早くなるのであろう。
朝のラーメン、昼間のかりんとうだけ、腹はヘッているはずなのに・・・、その感じは全くしない。寒さで胃袋も麻痺したのか・・・。駅を出ると、この辺一帯広い盆地。見渡す限りみかん、みかんである。みかんばかりで寝所なし。気はイライラとして来る。足は速くなる。
夕暮れの有田川を横に、テクテクと歩く。脚は、今日はついていない、ついていないのブッブッ独り言。あかね色の空もいつの間にか暗くなり、もうダメ。
学校の周り、その辺一帯みかん畑。その中にポツリと見える建築中の家と神社らしき屋根。行くと神社でなく農家。自転車でやって来るおばさんに、
「すみません、この辺に店・・・」
ババァ・・・、「ハイ、ハイ」と返事はするが停まらず、そのまま俺の前を通り素通り。まったく馬鹿にしたババァ・・・。強姦されるとでも思ったのか。誰があんな・・・。
店屋を見て、
「おばさん、あのチクワいくら」
「ハイ、150円」
「エッ」
おばさん慌て、「ごめんなさい、50円、あなたのおヒゲに見とれて」
なんだい、ヒゲがいいと値が上がるのかい・・・と、思ったが、そんな冗談は口から出て来ない。
疲れて、今夜の寝る所はよくない。そんな冗談を言う元気ありもしない・・・。トウフを買うと、他の買物客には袋だけなのに、俺だけちゃんと袋にプラスチック小舟を付けてくれる。
袋を抱え、建築中の家、床に板なく窓もなく、冷たい風が吹き込み、ロウソクも立てられない暗闇の中。風の当たらない場所を探し、ガスに水ナベをかける。
由良駅を出て、少し歩いた所で、歳末取り締まり実施中の警官に捕まり、
「身分証明するものは」
免許証出す。
「大変だね、こんな寒いのに」
「はい警察には捕まるし」
「どこまで行く」
「九州」
「どこから来た」
「九州」
他の若い警官が来て、「どこに行くんですか」
「ハイ、和歌山警察署です」
「何しにですか」
「お歳暮を貰いにです」
「はあ・・・?まぁ頑張って下さい」
敬礼して別れる。
これで三度、免許証も割と役に立つ。
使用金額:740円
★「歩いて日本一周」旅日記 和歌山県/切目~御坊~由良駅~藤並駅~
アッ、止めた、今日は止めた、歩くの止めたと決め込む
1979年
昭和54年12月25日(火)
手が冷たいし肩が痛い、強く書けない。
昨夜は寒さと、人が来たらとの気に・・・、よく眠れず、こんな所を人に見つかると、乞食か泥棒に間違えられ、棒でゴチンとやられても文句は言えない。そんな事ばかりが気になる。
夜が明けたが曇っている。ガク然とする。雨雲がモクモクと動いている。今日もついていないなぁ・・・と。
片付け、みかん畑の横を歩く。上は42号線。みかんはそれこそ腐る程あっても、もう飽きてしまったのか、見るのもイヤである。畑の道が切れ、42号線に上る。有田川が流れ、車が往来し始める。
今日の事を考えながら歩く。和歌山ユースに泊まるか・・・。もうユースはイヤであるし・・・。しかし、今日はクリスマス。一発うまい物でも食べたいし、ゆっくりもりしたいし、ガスも買わなければ・・・。
そんな事思いながら歩いていたら、左手によく見かけるブームの去った後、倒れたボーリング場。1カ所ガラス窓が開いているので中に入る。
中は例によって、ガラスが飛び散り乱されている。とにかく寝ていないので、寝ようと床に落ちていたカーテンを敷き、段ボール紙を並べ寝袋の中に入る。
どのくらい寝たのか、目覚めると、サテどうする?
(ここに入ってスグ、昨夜買ったパン一斤をナベで焼いて食べた)
天気は悪いし、風は強いし寒いし・・・。アッ、止めた、今日は止めた、歩くの止めたと決め込む。ただ、食料何もなく、牛乳が少々残っているだけ。
40レーンの広いボーリング場。1番レーンの奥、天井は破壊。崩れ落ち鉄筋がむき出しになっている。広い台は取り外され、受け止めに使用してある木材は沢山。大変な量で、これなら立派なユースがアッという間に建ってしまう。これは床板に使ってと想像する。
これなら安く買えるであろうが、恐らく持ち主は多大な借金を抱え消えたのであろう。もったいない、勿体ないと思う。なにかの施設にでもすればよいのに・・・。レストラン、事務所の部屋を見て回ると、乱れに乱されている。食堂は、伝票、あらゆる物が散かって、こんな散かし方をしなくても・・・、勿体ない。
倉庫にチョコレート缶が2個、その他オリーブが沢山。5から15個、食べられない缶が棚に並んでいる。
厨房に入ると、これも乱され、このストーブから食器、その他また新品同様で勿体ない事である。ノリが沢山あったが湿って食べられない。封筒、紙、1冊のマンガ、チョコレート缶1個を持って寝袋の所に戻る。
チョコレート缶を開け、牛乳を沸かし飲む。このままチョコレート食べられないし、持って行けない。プラスチックの中に入れようとしたが、入口が小さく無理。寝袋の中に入って、昨日の日記をつけ、今、今日の分を書いている所であるが、もう薄暗くなり夕暮れ。一時青空を見せ、白い雲が紅色に染まっていた空も消え、また黒い雨雲である。
この書いている日記のノート線は、もう殆ど見えない。今、日記を書いて手紙と思っていたが、日記を書いていただけで、一日がもう終わろうとしている。
5時頃であろう。腹がヘッているが周囲には店屋ないし、ガスも殆どない・・・。
この後食料(見えないで今ロウソクを立てたところ) 2キロ程歩いたと云うより、移動して少し寝て、中を見て回り日記を書いたら、もう一日の終わり。早いのなんの。なんの為の1日であったのか分りはしない。
風に揺れる鉄パイプの音がガーンガーンと響く。なにかもっと書く事があったのに、手は冷たいし、肩は凝るし、1日中書いていたら、書くのが面倒臭くなった。
5時過ぎると、暗くなり、遠い街まで食料を買いに行く。
スーパーなく、箕島商店街は閑散。店のおばさん、次々と客の品物で暗算で出す。こんなのを外人が見たらビックリするであろう。1010円に、ガス330円。往復1時間の道程であった。
水をナベに移し、1リッターの空牛乳箱を持って水汲み、買物がなく、またラーメンにはほとほと参ってしまう。そして寒く、ガスはなかなか炎の出、悪く、湯が沸くまで長時間・・・。
使用金額:1340円
★「歩いて日本一周」旅日記 和歌山県/藤並駅~箕島
廃墟な中に自分がマッチしてるいるのか
1979年
昭和54年12月26日(水)
今、10時~11時頃である。外は晴れ、青空のいい天気。少しずつ夜が明けてゆく頃から起き、チョコレートミルクを作り、久し振りの贅沢な朝を味わっていると、急に今日も歩くの止めたと云う気になる。
パンを焼きマーガリンを塗ると、その上にチョコレート。これがうまい。そして温かいミルク・・・。ガスの出が悪いので、寝袋の中に入れ、一晩中一緒に寝た。
暖まったせいか、初めだけ炎の出はよい。ボンベの周りにタオルを巻いて温めたが同じである。
寝袋に入って食べる。久し振りの食事らしい食事をすると、気合抜けしたのか、歩くのがイヤになり、あっ、止めた止めた、今日もここに居よう。食料も少し残っているし、それに昨夜、一晩中風が叩くガラス窓のガンガンと響く音で眠れなかった。HWに手紙を書いた。2時間後かかったか。今、お茶を作って日記を書いているが、寝袋の中に入ったままで、歩いていないので何も書く事がない。
この青空は見ていると、歩いてみようかと云う気になり、今迷っている所である。
しかし手紙がある。面倒な事は早く済まし、心の荷を少しでも軽くしたい。
Nさんに便箋10枚の手紙を書く。書き終え歩いてみようかと思っていたら、寒いしそのまま寝袋の中に入ると、アッ・・・、今日、日曜日・・・。
余裕を持っていくと、勝手に自分に都合よいようにする。
もう1缶残ってるチョコレートを取りに炊事場に戻る。今日も何もしない内に、段々と日は暮れ、一日の終わり。
近くの店に買物。チクワ、7本、トウフ1丁、ラーメン2、牛乳500cc3個、卵2個、パン、1110円。
寝床の周りには色々なものが散り、こんなに自分は背負っているのか・・・。リュックの中に入れると、そんなにでもないが、調理用スウェーデンナイフを、今使っていないことに気が付く。これも送れる。なんで今まで気が付かなかったのかと、不思議である。
廃墟な中に自分がマッチしてるいるのか。このまま正月を過ごしてもと、思ったりする。しかし、正月まで日があり過ぎる。
一体何処で正月を迎えるのか。正月はどうでもよいが、その間の閉店中の食料と、寝所が心配である。
使用金額:1100円
★「歩いて日本一周」旅日記 和歌山県/藤並駅~箕島
この冬のどんよりとした灰色の曇り空には、ほとほと参ってしまう
1979年
昭和54年12月27日(木)
夜明けの空は曇っている。そんな憂うつな空を見ていると、心の中まで陰気臭くなり、今日も止めた、今日も寝転がっていよう・・・。しかし・・・と、心がアッチに行ったりコッチに来たり・・・、寝袋の中で、イヤだな・・・、イヤだな、寒くても、せめて青空でも出ているのなら、気分的に随分と違うのに。
この冬のどんよりとした灰色の曇り空には、ほとほと参ってしまう。
外の42号線に通勤車のラッシュが始まり、それが終わる頃、イヤイヤ寝袋から出て、チョコレートミルクを作り、パンを焼く。重いチョコレート缶を持って行く事に迷ったが、置いて行くのは勿体ないと、スグ貧乏根性の性格がすぐ出て来る。
橋を渡り、箕島。高校野球で一躍有名になったが、何処にその高校があるのか分らない。木造建の路地裏通りを通って、箕島郵便局で手紙を出す。130円。風景印を押すのに使用する切手も送ってしまったので、このクダラン20円切手を買う。
42号線に出ると、ただひたすら和歌山を目指す。しかし、道路標識の距離数と、地図の距離数が10キロ違う。地図の間違い。10キロ儲けたと云う気になる。
2時間程歩いた所にコインフード店あり、中に入って休む。中は暖房が入ってポカポカと暖かい。テレビあり、着物の帯の締め方をやっているが、なかなか難しいものである。
若い者がインベーダーをやっているが、そこから出てくる大きな音響には、テレビの音量も打ち消される程である。テーブルの上にパン、黒くなったバナナ、チクワを広げ、ゆっくりと食べる。やはり、暖かい方が人間的にもゆったりとする。
いつまでもここに居る訳にも行かないし・・・。
峠を越え海が見えると、海上遠方に小さく島陰が見える。四国であろう。
空は、時々青空がチラチラと見せるが、雨も降る。しかし、本格的に降り出す雨ではない。
南海市に入り、駅で休みかと思ったが、遠回りになるので止めた。
この街に住んでいるのか、小柄な外人男が出て来て、映画で見た男にそっくりだ・・・。名前は知らぬが・・・。
市境で和歌山まで10キロ。古いトンネルを抜け、歩道専用道を歩く。車の排気ガスを浴びる事ないので、歩きやすい。
2800メートルの歩道が終わると、紀三井寺が右手の山に見える。その近くの電話で、ユースに電話をかけると、満員だとか。本当か嘘か知らぬが、最近飛び込み敬遠する傾向がある。ユースも落ちた。
サテ、困った事になった。
市街地図を見て考えるが、小松島に行くしかないであろうが、時間的にきつい。
今朝早く起きればよかったと後悔する。和歌山は広くウンザリとする。
市営水泳場で寝る所を探したが、無理。地図をよく見て時間を計算すると、何とか小松島にユースに行けそうである。切り取っている市内地図が非常に役に立つ。
広い海岸道路に出ると、警察のネズミ取り。おもしろいほどポンポンとかかる。
歩道に計器へつながる線が伸びている。ナイフで切ってやろうかと思った。
警察、隠れて虎視眈々。やる事が汚い。
港に着くと、船は丁度出港した後であった。時間表を見ると、次、17時25分、19時30分着。切符、1225円。たった2時間で、昔も高いと思った。
係員に「高いですね」。「いや安いですよ」と、言われ、この人に文句を言ってもしかたがないと思う。
朝日を買う、60円。めっきりと寒くなったベンチで新聞を読む。横に白いスーツを着たヤクザ風の若者。サングラスを取ると、まだあどけない子供。
ずいぶんとカッコウつけているが・・・。無心に見ているマンガ。なんだ男か!
電車で来た連中。突進して座席確保の為、気違いめ。
俺の横にカワイイ女の子2人。話しかけようかと思ったが、2人の話が弾んでいるのでそのチャンスなし。
ユースには和歌山から電話をしておいた。女の子2人の話をなんとなく聞いているが、意味がよく分らない。
19時30分、暗い港に船は着いて下船・・・。外に出ると、暗い夜。サテ、何処にユースがあるのやら。訊ね見つける。玄関を開けたと同時にこのユースが分る。
洗濯するのに連泊しようかと思ったが止めた。風呂なし、頭に来る。
銭湯、150円。久し振りラーメンでも食べるかと、街をウロウロ。結局見つからず、寒い部屋の中でトウフ、パンを、もそもそと食べる。これで暖房費を取っている。つくづくユースと言うものがイヤになる。
シャツとパンツだけ洗濯したが、水が冷たい。同室者、他に2人。ガラーンとした部屋に、豆炭式コタツ1台・・・。
「オイ、女がいないと寂しいなぁ・・・」
「ハイ」
「ブスでもいいから、いたほうがいい」
「ハイ」
「ユースには、絶対いい娘は来ないぞ」
「ハァー、そうですか」
「あたり前だ・・・」
「どうしてですか」
「いい男が来ないのに、いい娘が来るはずないじゃないか」
使用金額:3126円
★「歩いて日本一周」旅日記 和歌山県/箕島~南海市~和歌山~徳島県/小松島
誰とも話したくない。イヤ、話すのはよいが、質問攻めは困る
1979年
昭和54年12月28日(金)
早朝に起き日記を書くつもりであったが、朝方の冷え込み、久し振りのフトンから肩を出すと、鼻炎にでもなるのか鼻水ばかり。他の2人は朝食・・・、卵、のり、味噌汁だけ。酷い酷いとボヤいている。教育大の奴、船に遅れると、慌てて出て行く。その時、
「昨夜は、いい勉強になりました」
何を感じたのか知らんぬが・・・。
フトンを上げ、気のない昨夜の残り暖のコタツの中に入り日記。やたらと鼻水が出て部屋の中は冷たい。部屋を開けると、パッと青空が広がり渡る。晴れた空を見ると、ホッとする。外の方が暖かい。
寒くて冷蔵庫の中に入っているみたい。これなら野宿の方がよほどマシである。
昨日の事を思い出そうとするが、冷えてくる手と鼻水で面倒臭くなる。早くこんな所を出たいと、急いで書いて、ユースを出る。
まだ街の店、シャッターは上がっていない。歳末の為か、やたらと車多く排気ガスでノドがおかしくなる。そう言えばここの所、ズーッと交通量の多い国道ばかり歩いている。毎日胸が痛みタンが出る。時々、俺は肺ガンではないのかなんて思ったりする。
店に入る。変わった丸いフライを見つけ、味見すると、なかなかいけるので3枚買う。カレーの味がする。それとおもしろいパン。
「おばさん、このパン、なんじゃい」
「あぁー、そのパンはおいしいですネ」
「だろうね。誰も売る時、これはマズイですヨ、なんて、言わないけれど」
困った顔をして、「でもおいしいですヨ」、750円。
重い袋を下げ、国道を歩くが、延々と切れ目なく続く。家宅、休む場所なし。うどん屋裏の駐車場で食べる。
店の裏を見ると、おっさんがうどんを切っている。手打ちうどんらしい。うどんの本場で、味・・・とは・・・、これ後の事にしよう。
残ったバナナをリュックに入れると、グッと重くなり、那賀川を渡り、阿南市。ガスを買わなくては・・・。まだ十分にあるが、この正月休みの事を考えると、一応の用心をしておかないと・・・。金物屋で買う、300円。最近スポーツ屋で買うより、金物屋で買ってばかり。
中心街の離れを出る時、踏切を渡る。右側に阿南駅が見えたので、休みに行く途中、本屋で四国地図を買う、700円。駅で朝日60円。なんの情緒もない、殺風景な駅である。プラスチックの丸いイスに腰掛け、朝日を広げると、どうもおかしいな記事ばかりと思っていたら、昨日の新聞と記事が幾つもダブッて載っているのである。
日付を何度も見直したが、金曜日28日である。関が変わったら、新聞記事も変るのか・・・。おもしろくない新聞・・・。
段々と荷物が増え、ズッしり肩に来る。記事の中にクロードチアリの正月観が載っていて、日本人よりも日本人らしい正月の迎え方をしている。その中に日本酒の話。それを読んで、俺も日本酒一升瓶を買って、正月を迎えるかと考える。
拾ったマンガを神社前で見ていたら、自転車に乗って集まった3人子供達に話かけられたが、全然話す気なく、空返事ばかり。去るとホッとする。誰とも話したくない。イヤ、話すのはよいが、質問攻めは困る。日本人って、どうしてこんなに会話が下手なのか・・・。
歩けど歩けど切れ目なく続く家には・・・、夕暮れ寝所に困る。前方に紅白色に塗れた高い煙突。発電所らしい。そこから1キロ先になって、やっと家並が終わり、右側に神社の小さな段を見つけ、登って行くと、小さな1人分やっと寝れる広さ。カギがかかり留金の分を切る。また元に戻せるように、うまく切るのに苦労する。
人が来ないかと気になり、石段に座ると、ヒヤリと尻が冷たい。前は入江である。
新聞読んでいたら、すぐ暗くなってしまった。下に土方事務所があり、水を貰いに行く。神社の中は狭く、埃と枯葉、掃除のしようがない。新聞を敷いて・・・、お茶を作る。
お茶ガラを捨てる時、格子戸を開ける。サビついてなかなか開かない。ロウソクを灯す。ボンヤリとした中に、1枚の古い絵が額に入って天井近くにかかる。
橋の上に1人の少年、それを剣のある目で見る女性。何を描き表しているのか知らぬが・・・。2杯目のお茶を飲み終わると、寝袋の中に入るが、中は埃がもうもうとして息がつまり、タンばかり。
外はブーブーと車の騒音。とても寝られたものではないが、横になれるだけまだマシである。あと3日後の正月に、どうしたらよいのかサッパリと見当がつかない。
この正月、神社使えないし、店が閉まるだろうし、とんでもない正月。中学を出てから迎えた色々な正月を思い浮かべるが、どれひとつ、まともな正月はない。
しかし、まともな正月でないもの程、ハッキリと覚えている。
家でデレーン、テレビを見て過す正月より、よっぽどいいが。アフリカ、ワォーのクリスマス。教会の儀式を思い出す。不思議な教会の儀式で、宗教の偉大さをつくづく思う。
使用金額:3126円
★「歩いて日本一周」旅日記 和歌山県/徳島県/小松島~阿南市
リュックひとつあれば、何処にでも行ける
1979年
昭和54年12月29日(土)
寒さで目が覚める。昨夜、騒々しく通っていた車の音はピタリと止み、遠くからさかんに船の汽笛が深夜の冷たい空気の中を響き渡る。
脚が冷たく冷えてゆくばかり。どうする事もできない。毛布でも買う・・・、と思うが、これ以上荷物が増えたら肩の骨が変形してしまうのであろうし・・・。
何とか太平洋側を回るまで、我慢したいし。瀬戸内海に入ると、寒いだろうなぁ・・・、そんな事ばかり考える。冷え込むのだから、朝が近いのだろう。
夜が明けると少し暖かくなる。暖かくなると眠たくなる。これを無理して出る、寝袋!
水は余っているが、冷え過ぎ、ガスが使えないであろう。荷物をまとめると、格子戸を開け、外に出る。空は灰色である。最近、一日置きに、晴れたり曇ったりの毎日である。
30分程歩いたか、右側にコインフード店あり、中に入って休む。中に自動湯出機あり、そのお湯を使って、お茶を作り日記を付ける。
その後、歩くのが馬鹿馬鹿しく、靴下を洗い、昨日拾った本、「なでしこの椅子」を読む。少女小説で、松本が舞台になっている。
よく昔、行ったものだが、最後に信州に行ったのはいつだったか、そんな事を思う。
声を出して読む。発音の練習によい。中は食べ屑が散って汚い。普通、朝は掃除に来るはずなのだが・・・。
時間は分らぬ。この場を出て、500メートル先にポツリと大きなスーパーあり、朝の食物を買う、888円。
パラパラと雨が降り出す。また元のコインフード店に戻り、そこのお湯を使い、ラーメンにモヤシ、ひとパック200円の湯でイカ。小さなイカである。ポン酢をかけるとうまい。これだけ食べると満腹になる。
時々客が来る。機械にコインを入れ食べるその姿は、俺には絶対に分らない。あんな物に、銭を出してよく食べる気になるなぁ・・・、と思う。
ここの持ち主らしき子供が、時々来てはインベーダー遊び。しかし、汚く汚れたままで、掃除をしようとはしない。
本を読む。全然歩く気がしない。本が実におもしろい。2人の自転車に乗った高校生が来て、
「旅は歩きです。スゴイなぁー、頑張ってください」
時間は12時15分前である。その先に標識、日和佐、21キロ。
急げば、丁度夕暮れに着く。ユースに泊まるかと決め込み歩く・・・。阿波福井駅がうどん屋に変身している。なんにもない田舎集落で、昨日まで続いていた家並が、嘘みたいにガラリと風情が変わる。
山間の道を登り始めて、トンネル近くに、看板に22番所平等寺別院。七不思議の言葉に騙され、遠回りして谷底へと山道を下る。幅50センチほどの山道で、徳川時代の下原街道の標識。嘘か本当か。こんな山の中なのに、上で捨てるゴミが、沢の水に流れ至る所に引っかかっている。信じられない光景である。
丸木の橋を渡り、目的地に着くと、山の中。岩場にアチコチ石像に水が湧いて、なる程・・・。修行するにはもってこいであろうが、寝れそうにない。
お堂があり、腐り果て、ひと雨か風が吹けば、完全に潰れるであろう。いい場所なら泊まるつもりであったが、場所はよい。静かな閑静な場所に沢の水がいたる所に流れ落ちている。
周囲はきれいに掃除され、行き届いている。寝るのを諦め引き返す。水を飲んでいたら、錆びた古い銅製の線香立てを見つける。彫刻がしてあり、なかなかいい。気にいった。どうするか迷った末、そのままにして来る。誰か次の者がもって行くであろう。残念だが、俺には余分なものを持つ余裕はない。
せっかくこんな谷底まで下りて来たのだから・・・。沢の杉林でクソを垂れる。
しかし、いつの日か、四国8八十八ケ所回りをしたいと思うし、やるであろう・・・。歩いてやれば、なかなかおもしろそうである。
国道は、山の間を通り、時々ポツリポツリと農家が姿を現すだけ。
農家前のあぜ道にリュックを置いて本を読む。なんだかアホ臭く、全然歩く気がしない。本はおもしろい。信州にもう一度行ってみたいと思う。日本で一番好きな所はと聞かれたら、信州であろう。本の中に碌山美術館が出て来る。
昔の事を思い出す。18の春だったか・・・。あれは信太と一緒に行った・・・。誰もいない中で、2人勝手にポーズをとり写真を撮ったのが昨日の事のように思える。
しかし、ハッキリとは全部思い出す事ができない。
このできない事が、時の遠く流れた事をへの証か。
もう一度あの時に、帰ってみたいと思う。
15歳にして自立とは言えない。あれは・・・、何でもない16才。初めて自分の意思を持って歩き始めた。あの日から今日まで、いつもリュックひとつの生活。今の10代と比べる時、今の連中のガッツのなさには、情けないやら、かわいそうやら。実に勿体ないと思う。
この無限の可能性、おもしろさがあるのに。総て、安易な方へと進む。バカタレどもめが、とブツブツ独り言いいつつ歩く。
今日がいい場所があったら早めに寝ようか・・・。しかし、こんな時に限って場所なく、ユースはあまり好きでないし・・・。
山を下りて来ると、日和佐。夕暮れ、寝る所なくユースに電話。出た相手も全然電話の応対を知らず。声で若い者と分かるが、全く馬鹿でなかろうかと思う。
日本語もまともにしゃべれない日本人、どうなっているのか・・・。
電話の声ひとつで、そのユースが分る。フッと広末さんの電話を思い出す。あれでセンスと自立心があれば・・・。勿体ない。惜しい事だ。
ユースに着くと、想像した通り若い者達がガタガタしている。リュックを置くと、ブラリ外に出たが、何もない。本屋でペラペラとマンガの立ち読み。スーパーで牛乳、252円。セールの安売り、1980円・・・。まぁこんな値だろうし、と思う。また荷が・・・。もう、どうしてよいのか分らない。あと毛布があるけれど・・・。この正月は本当に山場となるであろう。3~4日分の食料、気が狂いそう。
ユースに帰ると、今度は洗濯である。早速セーターを着て、洗ったシャツ、ジーンその他を干して日記を付けているが、さすがに暖かい。シャツに比べて・・・。
今日、本を読んでいて、日記に書いている字に間違いが多い事に気がつく。
日本語も、まともに書けない奴。これでも俺は日本人・・・。
イヤ、日本人なんかクソくらえ。俺は地球人。
日本が沈んでも、潰れても、リュックひとつあれば、何処にでも行ける。
土壇場になれば俺の勝ちさ。しかし、そんな事を・・・。
このユースに土地の若者達が集り、なにやらガヤガヤと訳の分らぬ言葉を聞いて、ボケているが、全然、迫力なく、若さは総てを可能にする。
しかし、この・・・。勿体ないと思う。こんな事を思うなんて、歳を取った証拠なのか・・・。
使用金額:4470円
★「歩いて日本一周」旅日記 和歌山県/徳島県/阿南市~阿波福井駅~日和佐
四国の日本らしい、いい街である
1979年
昭和54年12月30日(日)
明け方、ぜんそくで息苦しく、呼吸が困難で苦しむ。このユース、改築したのか中は新しいが、乱れと掃除の出鱈目さ。便所なんか新しいのに、信じられない程、汚い。
吊るしてある洗濯物をリュックの後に下げ、ユースを出る。受付台に会員証。誰もいない。こんな風もサバサバしてよいが、一番大事な事を抜きにしていては、なんにもならない。
表の路地を、左に旧国道に出てブラブラ行くと、入江に船が停泊中で、山に城・・・。こんな所が城下だったのかと思うが・・・。四国の日本らしい、いい街である。
駅近くのスーパーでパン牛乳、350円。牛乳150円。馬鹿にした値である。
一度訊ね返すと、確かに150円と言う。普通の店でも140円しかないのに、スーパーで150円。新築スーパーだけど・・・。倒れるであろうと思った。
日和佐駅前で新聞を読みながらパンを食べる。雀の巣のような頭をした女の子がいて、人に写真を撮ってもらうように頼んでいる。会話を聞いてると、福島から1人で来たと。
最近、おもしろくない新聞だが、毎日何が起きているのか気になるし。一ページをとって、オートバイ世界一周の記事・・・。こんなの読んでると、俺もワァーと、行ってみたいが、足固めをしてないと、もう何の意味を持たないである事が分っている。3~4年の我慢だと思っている。
時間は見ない。駅を出る。刈り入れ後の狭い田んぼが続き、有料道路を行くと、料金所で歩行禁止ですと丁寧に断られ、また下の道路に引き返す。遠回りして損した。
山の中をクネクネと道は走り、民家なし。緑の山でとても冬とは思えない風景に、今日は晴れている。せっかく買ったセーター、役に立たず・・・。
晴れているがスカッと晴れた青空ではない。それでもポカポカして暖かい。
山の中にポツリとバッティングセンターあり。その前に墓場。
後は栗林で、枯れたイガが落ちている・・・。
4キロ程しか歩いていないのに、全く歩く気なく、リュックを背に本を読む。湿っているシャツは小枝に干して、ジーンは広げ、終るまで読む。
捨てるつもりで読んでいたのに勿体ない気になる。荷物になって困るので、読んだのに読み終わると・・・。
歩くのはよいが、山里ばかりで地名がハッキリとしない。ポツリポツリと農家が点在するだけの世界で、犯罪も何もないであろう。
店で豆腐を買う。65円。川の畔で食べたが、山間の中を流れる川の水は澄み、きれいである。もんぺ姿のおばさん、川で洗濯。いつ頃お嫁に来たのか知らぬが・・・。
今時、こんな所に嫁の来て、ないであろう・・・。
コインフードの小さな場所あったが、新聞を読んだだけで、お茶は面倒で止めた。それから、800メートル程行った所でトウフを買った。
牟岐(むぎ)まで、あと4キロなので我慢して歩く。道路は海岸近くのはずなに、全然海のかけらも見えず、山ばかり。街近くになっても、川の水が澄みきれいである。
なんの魚か知らぬが、沢山泳いでいる。牟岐に着いたのが、2 :40PM。
駅で休み新聞を読む。ベンチに座った高校生らしき女の子が文庫本を読んでいるので、「なでしこの椅子」をやろうかと思ったが、列車が来て、女の子が顔をあげると・・・、ブスで止めた。
駅近くのスーパーで買物。餅を買う。正月の食料として、試験のつもり・・・。
うまくいくなら、次の街で翌日買い込むつもりである。1211円の重い袋を下げ、街の外まで出た所に、新しく建てたばかりのプレハブハウスあり。前で食料を広げる。缶チョコ、重いので、無理してマーガリン空箱に移す。
こんな事なら初めからやっておけば、こんな重い思いをしなくて。今頃、空になって軽くなったっていたのに。
最後のどん尻に来ないと、俺は動かない。荷物が増え重くなって、また肩がおかしくなって来た。
キュウリを小さく切って、ポン酢で食べると、これがなかなかうまい。人参も買った。キャベツは高い。白菜も。大平首相と白菜の記事あり。畳を入れに来た職人さんに、いい正月を迎えてくださいと、言われたが、こんな調子では、いい正月どころか、食物の心配だけでも困っているのに・・・。
寝る所を探さなくては。無人駅、鯖瀬のホームベンチに定まる。戸もなく何もない。しかし他にはない。ベンチにフトンあり、柔らかくて日記が書けない。それに狭い。時刻表、一日6本往復なのに、そして無人。ところが、8時48、急行が止まる。なんちゅう駅。
風よけの為、ポリバケツのゴミ袋を取り出し、中にガスを入れ、ラーメン作り、一風変ったゴミゴミした味。
使用金額:1686円
★「歩いて日本一周」旅日記 和歌山県/徳島県/日和佐~牟岐~鯖瀬1
1979年最後の朝日・・・
1979年
昭和54年12月31日(月)
月の光がホームを照らす。寝袋の中から月は見えぬが、星が少し。何度目かに見た外は、もう月の明りは消え暗く、星だけが輝く。狭いベンチでは、右腕が落ちるので、屑取りの取っ手に腕を置く。とても寝ていられたものではない。
そうしている内に、闇のホームにパッと電気が点く。もうすぐ始発6時42分の列車が来るらしいが、外は暗い。一番列車が止まったが、中はガラガラ。誰もいない。
薄く薄く段々に夜は明ける。寝袋から見る空は曇っている。起きて寝袋を巻く。別に何も食べずホームの待合所を出ると、西の空は美しい。朝焼けの雲が浮び、こんな朝焼けは珍しい。
ホームの土堤に駆け足で登ると、丁度、小島と島の間の海より、真紅の太陽が昇って来た所である。朝日の中に霞が流れる。1979年最後の朝日・・・。ついているなぁ・・・。
歩き始め、半島を過ぎ海側に出ると、朝日は幾分高くなり、もう真紅ではない黄金色に近い色である。朝日の光が海面に反射して、黄金色の輝きを一直線に走らす。実は静かに凪。小さな舟がトントンとエンジン音を立て、その海を横切って行く。しばらく立って見る。
1979年の朝日を見た。しかし、その朝日は登って行くと、黒い雨雲の中にスーッと姿を消す。そして、急に天候が変る。
浅川を通り過ぎ、海辺に入る手前の山に木材所あり。自動販売機が4台ほど立ち並び、外には大きな切り株の台。リュックを降ろすと、板で風を防ぎ、まずモチ焼くが、なかなか焼けない。
その間、3本の人参を小切りにして、スープ用。それでも焼けない。ポカポカと陽差しか、屋根の下なら我慢もできようが、いつ降ってくるかも知れん空模様に・・・。イライラして火を強くすると、今度は焦げて、ナベ底に焦げ付いた墨を洗い落とすのも大変。
モチにポン酢は全く合わない。人参のスープを食べながら、大きな切り株の上に四国地図を広げ、今後の事を考える。切って残ったお餅は煮て、ラーメンのスープに入れる。モチは柔かくのび、これまた不思議な味がする。
明日は正月だと云うのに、なんという1979年の終りなのか。朝の出だしは、美しい朝日で始まったのに、どうもイヤな感じ。
海部町を過ぎると、まだ列車の走っていない線路を横に歩く。久し振りにみかんを食べた。みかん畑のみかん。腐り出している物も。途中からからパラつき出す雨。線路に上って歩く。幾つもトンネルを過ぎる。
トンネルの中も悪くないなぁー。宍喰町(ししくいちょう)まで来ると、強い降りではないが、もう止む事を知らぬ雨となる。「弁天?弁財旅館」が。バス待合室中に入ってどうするか考える。正月、国民宿舎でも泊まるか・・・。電話をすると満員だそうな。
待合所中のテレビは、NHK全国宝くじ抽選をやっている。正月三日間、見たいテレビがある。旅館にでも泊まるか・・・。タバコ屋でホープを買って、何処の旅館が一番よいか訊くと、この弁財?旅館が一番だと言う。しかし、断られる。
正月で商売気がないらしい。次の街へ向かう。
雨がザァーと降り出して来る。トンネルを出ると高知県。段々と濡れて来るが、別につらくもない。普段と変わらぬが、寝袋が濡れるのが心配である。
橋の上からマッチ箱のように並んだ家に、入江の小さな漁船がズラリと並び、きれいな風景である。森脇自動車と隣に建築中の家があり、雨宿り。パンを食べ、お茶を作り考える。この雨ではどうしようもない。ここに泊まるか・・・。
日記を書いていたら、大工が来る。誰か知らせて見に来たらしい。手にはハンマー。もう仕事はしないこと。中の様子を見れば一目で分る。
そして、「ここに泊る気ではないだろうな」。
「もしこのまま雨が降り続くなら、この場を貸して欲しいんですが」
しかし、何と言ういい方・・・。窓も戸もない屋根だけの家なのに・・・、だめだ。
この先にあるバス停に行け・・・。使わないハンマーを手に持って、それを言うと去る。ムカッと頭に来る。
断る。おおいに結構。無理は言わぬ・・・。しかし、何と言う態度といい方なのだ・・・。色々な人間がいるけれど、寂しい奴だと思う。ここには泊れないだろう。夜また見に来るはずである。
お前は寂しい人間。冷たい大工と、書き置きして行こうかと思ったが、止めた・・・。そんな事をしたら、俺も馬鹿になる。
今、雨は止ったが、また降るであろう。もうすぐ夕暮になるし、食料の事もあるし・・・。濡れた足が冷たく、震えて来る。
買ったタバコ、喫うと気持ち悪くなるし、持っていると喫うので、この家の床下に投げ捨てる。サテ、それでは行くか。とんでもない正月になりそう。小便でもひっかけて行きたいが、この家には関係ない事だし・・・。
もし、あの大工がケンカすると言うなら、喜んで相手になってやる。とにかく寒く、手が震える。
(昨日の続き)
雨は一時的に止む。どんよりと灰色に雲った夕暮の空。あの馬鹿たれ大工が言ったバス停を見ると、窓はなく、雨風が吹けば、いちころで終り。よくあんな事が言えるものだと、今だに怒りとブン殴りたい程。
甲浦(かんのうら)の看板地図を見る。別に寝れそうな所はない。デーンと、1万円位のホテルに行くかと思ったが、小さな旅館と、やたらに多い民宿ばかり。同じ泊るなら、銭の値段に構わず豪勢なホテルか旅館にしたいが、田舎町にそんな所はなく,次の集落を目指す事にする。
その前に3日分の食料を買いに行く。家が立ち並ぶ狭い路地の間を、迷路のように通り抜けると、商店街とやら云う所に出たが、店が5~6軒あるだけ。
酒屋で食品を選ぶが、まともな物がない。スープ1袋、徳用カリント1、徳用カレー1、モチ1、ラーメン4、かまぼこ2、パン1斤。牛乳2個500cc、そして酒1合。
一級酒を生まれて初めてお金を出して買う。(土佐鶴)
今まで日本酒に銭を出して飲んだ事は、一度もない。銭を出して飲みたいと思った事もないが、この旅で島根県飯浦で老人に勧められ口にした酒で、初めて酒の味が分った。今までは別においしいと一度も思わなかった。しかし、あの時から日本酒の味が分かり知ったが、それでも銭を出し飲みたいと思った事は一度もない。
ビール一辺倒である。しかし、正月は日本酒で・・・、と思い、初め2合ビンにしたが・・・、重いし・・・と、一合ワンカップにする。大きな袋を下げ、暗くなった夕暮の道路をテクテクと歩く。
サッパリ寝所、見当は付かない。別に夜通し歩いても構わないと思っているが、この荷物と元気では絶対に無理である。
家もない海岸沿いの道路を行く。車のヘッドライト。甲浦から次の集落、生見に入ると、また雨が降り出して来る。行き交う車を見ていると、フッとこんな事を思う。もし、俺が車を運転していて同じ様に雨の中リュックを背負って歩いている奴を見たら、問答無用、すぐ止まるだろうし、たとえ違う方向でも、頑張れと声をかけるだろう。
その事を思うと、急に目に涙がにじむ。別に車に乗りたいとは思わぬが、自分を他人に置き換えてみた場合・・・、人とは冷たいものだ。特に四国は・・・。
これが北海道だったら・・・、と思う。
道路両側に家が立ち並び、家庭の灯が暖かそうに漏れて、窓ガラスから流れる・・・。それを横目にして歩く。民宿の看板・・・、どうする、と一瞬迷ったが素通り。小さな集落は、300メートル程で切れる。また暗くなる。
その集落離れの左側に、海辺に行く道あり。プレハブの土方小屋あり、見たが鍵がかかってて、ダメ。その時、自転車に乗った者が、スーッと前を通り過ぎる。こんな所でなにしていたのか・・・。変な野郎。相手も同じ事を思っているに違いない。
彼が道路に出た時、車のライトに照らし出されたその姿は、こちらを見ている。
その小屋横に、廃車の軽トラック。中にリュックを入れると、座るだけの間しかない。リュックを置いたまま、雨の中を探しに行ったが、ない。みかん売り小屋なんかも・・・。
雨の中に民宿がチラチラとする。と同時に、馬鹿野郎、民宿何かと言う気持ち。今更、銭を出して楽な思いをしたいとは思わぬ・・・。小屋に戻る。
ガラスを割る訳には行かんし・・・。窓枠を持ち上げ、隙間を作り、その下から手を入れて鍵を開けたが・・・。この小屋が古いからできた事で、アルミサッシだったら無理である。
中の床板は壊れ、資材にガソリンの臭気が胸をつく。机を2つ並ぶようにして、雨の中を今度は水探し。これでも中に入れ、ここが見つかっただけ、よかったと思う。
お茶をいっぱい飲むと、ホッとする。ヤッケはビッショリ。靴も。そして、ポタポタと雨漏り・・・。窓を開け、空気の交換。ついでに脚も洗う。酒を半分飲む。本当は明日の初日を見ると同時に飲むつもりで買ったのだが。
54年度の最後、紅白歌合戦もなければ、ゆく年くる年も・・・。除夜の鐘も。
70年代の終わりだと云うのに、これなら2合ビンを買っていればよかったと、後悔する。
半分だけ飲み、残りは明日の初日の為にする。甘い酒がノドを通る。実に美味しい。寝袋の中に入る。顔が少しポッポッとする。
ポタポタと落ちていた雨垂れの音は、急に激しく降り出した雨の音に、かき消される。
使用金額:1900円
★「歩いて日本一周」旅日記 徳島県/鯖瀬~浅川~海部町~宍喰町~高知県/甲浦~生見
1980年
昭和55年1月1日(火)
深夜、時間は分らぬ。昨日合わせ、巻いた時計を見るのも、しち面倒な事である。外がほのかに明るいので、窓の外を見ると丁度、小屋の屋根軒先と高い防波堤の間に、雲の切れ目より姿を見せる満月の光・・・。
一度目が覚めると、なかなか眠られるものではない。特に台にしている、この2つのテーブルと机の高さが違い、段があるので、腰がゆがみ、へこんだ形。それこそ、本当に腰がヒン曲ってしまう。
最後に目覚め、時計を見ると見えない。外は暗いので、中はなおさら暗い。もう月はどこかに消えてしまったのか・・・。ライターの灯で見ると、丁度6時。もうすぐ夜が明けるであろう。寝ないように寝袋の中でジーッと待つ夜が、薄く段々と開けて来る。しかし、その空には雨雲が流れている・・・。
とんでもない年明けだなと思い、またゴローンと転がる。もう初日はどうでもイイので、晴れてくれ・・・と願う。
中腰にして起きると、ガラス窓に暗紅色が射している。外を見ると、空は曇っていても、遠くの海上には、雲の間に暗紅色がにじみ、段々と次第に明るさを増して行く。紫の色は、明るいオレンジ色に変わるが、昨日程ではないし、肝心の太陽は全然姿を見せない。
地図を見る。「松下ケ鼻」の向う、陰になっている。その岬の上が明るい。初日はなし。上のほうは曇っている。もうどうでもいいやと云った気持ちになる。
牛乳を沸かし、チョコレートミルクを作り、パンを半分ずつに切ると、慌てて食べる。正月だと云うのにいつもと変わらない。以前、京都で夜明けの正月を迎えた時、厳かな気持ちになり、よし一発頑張ろうかと心機一転したが・・・、これでは全くそんな気にもなれない。どころか、いささか調子抜けと・・・、馬鹿らしさ。
食べ終わると外に出る。初日の為に残しておいた半分の残り酒、ワンカップをポケットに入れ・・・、「松下ケ鼻」を横切り向う側の広がる海に出ると、この間より放射状に散る太陽の光。しかし、太陽は見えない。
太陽が姿を表した時に、一緒に飲む事にしてそのまま歩く。正月だと云うのに、フロントにしめ縄をつけた車が、やたらと走りまくり騒々しい。普段より多い。
「野根」で販売店に行き、朝日を買う。これが最後の一部で、今日は70円と言う。
「今日は70円ですか」と言って、100円玉を出すと、いいよ・・・、その余る10円玉だけで・・・、と、1円、5円、10円玉。全部で56円。厚い新聞紙を腕をはさみ歩くと、さきほど電話をかけている者に尋ねた男が、「野根」の離れにいて、車がズラリと止っている。事故である。ケガはないらしいが、車が汚している。
ここから先、海岸線は山が急傾斜に海に落ち込み、遠く室戸岬の灯台がチョコリと見える。そして、先には家一軒なく、道路が走る。
食料、リュックに入れきれないので、外にぶら下げフラフラ。やっと、雲の間より太陽が姿を出したので、残りの酒を飲んでみたものの、別に変わった味はしなんだ。
どの位歩いたか、海岸線の山の入り組んだ小さな所に「水尻」の集落。道路から少し入ると墓場があり、その前にお堂。その縁台で新聞を読んで、パン、牛乳を食べる。
テレビ番組を見る。NHK、1日、駅馬車。2日、真昼の決闘。3日、オーケー牧場の決闘。これを見たいのである。スーパー字幕・・・、声の吹き替えなら見たいとも思わぬ・・・。皆、見た事がある。しかし、・・・特に、オーケー牧場の決闘。
最後のシーン、ヘンリーフォンダのセリフ、これがいい・・・。
3日、安芸のユースに泊るつもりである。もし、テレビがないかと、泊められないとか、見れないとか、そうなったら、思っただけで・・・・。
お堂から、マッチ棒みたいなロウソク、5~6本黙って貰う。大きなロウソクがあったが、大き過ぎて重いだけ・・・。もっとも、この小さいのでは、10分と持たないであろうが・・・。
縁台前で、錆びた寛永通宝を拾う。子供達が遊んでいるが、ガラリとした集落には全く正月の雰囲気はない。本当に今日は正月なのかと思う。
右側は山なので、点々と民宿と集落があるだけ。ただ道路がクネクネではなくて一直線なので助かる。雲は散り、太陽が出ると、海は濃い色を見せる。海は少し荒れ白波を立てている。所々サーフィンをやっている。
民宿の前を通る度、テレビを見たい見たいと思う。見れないのが悔しい。
佐喜浜か、やっと二人、和服の女を見たが、全然正月の雰囲気からは遠い。港に停泊してる小舟には、日ノ丸旗、これが少し・・・。
この集落では話にならぬが、この辺で一番大きいみたい。休む所がないので、距離は進む。徳用菓子を食べながら歩く。椎名で4時・・・、急げば6時30分頃、東寺ユースに着くだろう。しかし、夕食は無理。正月でご馳走が出るかも知れない。そんな事を思ったり考えたり。しかし、食べられないものをいってもしかたがない。今朝、ビッショリと濡れていた靴と靴下は、歩いてるうちに乾いたが、足がヌルヌルとしている。
しかし、晴れてよかった。4時を過ぎ、空を見上げると、綿糸みたいに雲が流れている。その中をジェット雲が走る。夕焼けの明かり。
雲が少し山の上に見える。寝る所が心配になって来る。この海岸で、ところがサッパリとない。もしかしたら、ユースに電話するつもりで歩いていたら、丸山海岸の所に鎖で閉ざした喫茶店あり、見ると、無断立入者は不法侵入罪で告訴するの落書き。誰がこんな所、入る・・・。
その近くにポツリと小さな鳥居・・・。雑木林の中を上に登って行って、これが意外に遠い。こんな所と思いながら、半分期待した脚は、グングンと登って行く。山の中腹にポツリとコンクリートの小さな神社。窓なし、戸は開く。新しい眼下に太平洋・・・。あぁー、正月。両手を合わせ、今日は助かりますと拝む。
新聞を少し読んだだけで、すぐ暗くなり、水探しに養老院?老人ホームまで行く。帰り道は満月。細い山道を登って、約800メートル程か、上って来ると、まずお茶を作る。そして頭を休める。こんな時に日記がなかったら、どんなによいであろうと思う。そして、今日書く気もないのに、この神社に大きなローソク2本、サーァ、書けとばかりに立っている。
疲れているので、書き忘れがいっぱいある。牛乳、自動販売機で少し高いが買った、180円。ラーメンの中にモチを入れ。「雑煮ラーメン?」。全然悪くない味。しかし、食料が少し足りない。翌々日、ユースに泊まれなかったら、1日、日干しになりそうである。重いので少しズルしていたのが悪かった・・・。
まぁ、どこかの大根でも抜き取る事にする。サッキ、小便に外へ出ると、満月が高い所にあり、白い流れる雲を照らしていた。遠くからハッキリとドードッと波の音が聞える。あぁー、とんでもない年で終わり、とんでもない年で始った。とにかく疲れた。
10:14PM。
四国電力の落書き帳があったので、昨日の大工の事を書く。最後、四国に入ってロクな事がない。何故、こんな所に八十八ケ所があるのかな。四国人、八十八箇所を回って心を養えと。
使用金額:236円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/生見~松下ケ鼻~野根~水尻~佐喜浜~椎名
降り続く雨で、一歩も外に出る事はできない
1980年
昭和55年1月2日(水)
コンクリート造り八畳程の広さに、窓はなくアルミサッシの戸だけ。この高い所からなら、朝日は見えるだろうと、時計のネジを巻いて待っていたが、それも空しく、灰色のペンキを巻いたような、一面の空を目にすると、もう朝日なんかどうでもいいですから入れてください、と言う気持ちになる。
ラーメン、モチにお茶。全然パッとしない食事であるが、それでも温かい物が食べられるのが楽しい。風が入って来ないので、その心配をする必要もないし、時々、戸を開け空を見るが、雲の間に点々と青い空が見える。
晴れる事はないだろうが、雨降りには・・・と、ハッキリと予測はつかない。
昨日拾った鋲で、ジーンの生地を切る。
いつまでも待っている訳にもゆかぬ・・・。ゆっくり食べていたら、1時間。
海南で拾ったキジの尾羽。この神社の陶器の中に入れて来る。山道を下り、下まで降りて来ると、三津から右手に折れ、室戸市に。岬には行かない。行く必要もない。トンネルを出ると室戸市。市と言っても街自体はさして大きくない。正月休みのガソリンスタンドで洗顔。ドアーに新聞。チョット失敬とは・・・、止めた。昨日買った新聞をまだよく読んでいないので。
中心街をと言っても小さく、シャッターは閉ってガラリと殺風景。東京より酷いと思う。東京、明治神宮、和服で着飾った女の子達。あれだけでも正月だなぁーと云う気になれるが、この辺の地域? 門松がチラホラで殆ど見ず、その門松も焚き木で作った変なやつ。殆どが玄関先にペタリと紙切れを貼っているだけ。
一軒、店が開いている。この助かったと思ったが、買うべき物、見当たらず。モチと1リッターHiC530円を買う。これで明日まで大丈夫。しかし、曇っていた空から水玉が落ち始める。
バス停小屋に飛び込む。珍しくまともな小屋で、窓も戸もついた風雨の入って来ない。ベンチに座って新聞を声を出して読む。黙読すると、1時間で読んでしまうであろう。
ライシャワー大使の英語メッセージも声を出して読んだ。声、ノドが枯れる程に・・・。そして、もう3時間以上この中に閉じ込められたままの状態。雨は増々降るばかりで、一向に止む事を知らず、出発してまだ5キロ程しか歩いていないのでは、こんな事だったら、あの神社に居ればよかったと後悔する。
車はビューザァーと、音と水しぶきを散し走り去るが、俺はこの中、何もする事がないので、このウサギ小屋の中で、駆けっこしたり運動したり。それでも時間が・・・。今度は日記。しかし、ここまで書くと後は書く事もない。
雨は屋根のトタンをパタパタとたたく。ゴローンと横になれるなら文句は言わぬが、そこまでよくできていない。この小屋は・・・。
ただ・・・、これで又、安芸のユースには泊れない事になる。明日、仮に出たとしても、1日で歩ける距離ではないという事は、残念というより悔しい。テレビのある旅館、民宿でも泊るか・・・。そんな事より今日どうするかである。
今日は歩いていないのに、顔はむくみ、だるく、頭がボー、腎臓でも悪いのかなぁー。高知に着いたら、3~4日ボケーッとするつもり。
日記を書いてから、また、3、4時間が経ち、今は4時20分前。1時間程前、このバス停小屋の中に入ってきた高校生。女の子と少し話をしただけ。全然可愛くも美しくもなく・・・。それでも女だったら婆でも構わないが、男は一切無視。話す気にもなれないどころか、一人も入って来ない。
それよりも降り続く雨で、一歩も外に出る事はできない。この為、水を汲みに行く事さえできない。せめて水でもあれば、お茶でも作って、のんびりとバス停の「正月」と行きたい所であるが・・・。
水は空から絶え間なく落ちて来るのに、その肝心要の水が手に入らないとは・・・。
4:40PM頃、若者が傘をさしてバス停に寄って来る。安芸に同窓会に行く途中。甲浦からタクシーでやって来たと・・・。高いので途中で降りたが、時間がないと、また、タクシーに乗って行く。女の子が目当て。
暗くなると、正月の酒に酔ったおっさんが来て、最終バスを待つが、いくら待っても来ない。もう行ってしまったらしいが、八幡浜に船乗りの出稼ぎ。
1日だけ家にいて正月。もう、八幡浜に帰る所とか。
わたしゃー、あんたが気に入ったと、酒気の口を開け何度も言う。モチを貰う。
17:52のバスを18:30 まで待つと、また家に戻って行った。何故だかこの待合所にゴザが一枚、それを下に敷いて新聞紙。寝袋の中に入るが、表を通る車の騒音に寝つかれない。
雲の間にポッカリと浮び、出る満月を窓の外に見る。
使用金額:530円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/椎名~室戸市
加領郷まで来ると、空は急に曇り
1980年
昭和55年1月3日(木)
朝、雲の多い空。体はだるい。小便、黄色悪し。ラーメンのスープの使い過ぎか、地下に寝ると、よくこんな現象をおこす。とにかく、内蔵のどこかが悪いのは確かである。嫌な気分で例のラーメン、スープを使ったモチを食べる。
昨夜、おっさんに貰ったモチであるが、悪いけれどおいしいと思えない。まぁー、ラーメンのスープで食べておいしい訳はないだろうか。
こんがりと狐色に焼いたモチを想像するとおいしそうである。
小屋を出る。歩く体がだるい。そして、今この日記を付けている時点において、何も思い出せない。
ただ、新聞を買った60円。国道が急に幅狭くなった。どこかの小さな港に停泊している漁旗に女裸の染旗、色々のポーズあり。新聞に米国、アフガンのソ連に対し、厳重抗議。英国、五輪ボイコットをほのめかす。俺も同感。モスクワ五輪、皆でボイコットすればよいと思う。
チラホラと開いているガソリンスタンドが見える。窓ガラスに写った自分の顔見ると、むくんでいる。疲れているのか・・・、心配。
ゆっくりと歩く。羽根でラーメン、飲物、ゆであずき490円。まさか店が開いていると思いもしなかった。毛皮、2500円。セーターを1980円で買ったが、この毛皮を見ると、1980円のセーターが高いように思われる。
加領郷(かりょうごう)まで来ると、空は急に曇りあやしい気配になる。丁度、建築中の家。中に入って休む。腰をおろすと、頭がボーッとして横になると、すぐ少し眠ったらしい。1時過ぎた頃であるが、全然歩く気なし。しかし、もう少し歩いたら、丁度2日間で高知に着く距離なのだが・・・、そんな事より、体の方が心配。日記も書くのも厭である。また、変な大工が来るのではと心配。水がないのが困る。
水を民家に貰いに行くが、人々が家の表に出て見られると困る。海岸に降りてグルグルを逃げ回るような形になる。相手は全く気にしていないかも知れないが・・・。
ぜんざいを作ったものの、もう、モチにはコリゴリ、吐気さえして来る。夕暮れ暗くなって雨が降り出す。
使用金額:490円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/室戸市~羽根~加領郷
着いて10分程で雨が降り出したし、休めと言う神のお告げだと、勝手にそう解釈する
1980年
昭和55年1月4日(金)
何故だか考え事ばかりで頭がいっぱい。夜は寝つかれず浅い眠りですぐ目覚めてしまう。朝の薄暗いうちから起きて出て行く空が一面な雨雲。今にも降り出しそうな気配である。
体のだるいのは取れたけど腰が硬くなって曲がらない。一体どうなってるのかサッパリと分らない。
リュックが重く、また、肩が凝り始めるし少し痛い。十二面観音。お堂あり、ここに泊まればよかったと思うが、誰も先の事は分らない。結果論では誰でも言える。遮る物がない。
広い海も晴れた日とはうって変り沈んでいる。しかし、北の海のように陰気には見えない。やはり暖かいせいか。奈半利町で新聞を買いに街の中に入って行く。
街は国道からズレ、低い日本の屋敷。酒醸造屋。早朝のせいか、また正月のせいか、人通りは見かけない。酒屋で新聞、60円。昨日もそうだったが、販売店でも60円売りには頭に来る。
ガラリと殺風景な何の変哲もない通りを歩いて行くと、三が日明けの初開店日の店が、戸を開け始めるが、その動きは鋭い。ボサボサ髪のおばさん、人間としてはおもしろいが、これでも女かと疑いたくなる。
この町を抜け出た所で、後から目をショボショボした老婆に呼び止められる。
「何処から、おいでなさった」
「九州」
「高知まで行かさるか」
「イヤ、四国一周です」
「ホォー、歩いてか」
「ハアー、まあ」
「ホォー、あんたさん、若いのに偉いの」
「イヤー」
「イヤー、偉い」。これを連発する。しかし、この声の響からすると、本当にそう思ってるらしい。
「イヤー、おばさん、ある者は、馬鹿だと言いますよ」
「イヤ、そんな事はない。偉い、りっぱだ」
「ハー、そうですか、それじゃあ・・・、ひつれいします」
「・・・ござっせ」と、土地の言葉で言われる。どうやら、気を付けてと言う意味らしい。
これは、奈半利町ではなく、隣町の田野町、勘違い。
3日前から、袋に入れて流す場所を探しながら歩いていたが、その場所見つからず持ち歩いていた「ジーンの切れ」。
奈半利川(なはりがわ)の橋の上から落すと、流れに上って海の方に流れて行く。遠くまで流れて欲しいと思う。今朝、何も食べず出たので、場所を探しながら歩いていた安田町に入ったスグ道路右側に不動堂あり、そこに行く。改築中。
新聞を読みラーメン、モチ、お茶、そうしている内に、雨が降り始める。内心ホッとする。
これで歩く必要はなくなったし、歩かなければ、日記を書く必要もない。お堂の隣に民家あり、水道、食料は全て食べてしまった。今日の新聞、時間を潰すのに丁度よい程の記事。
しかし、声を出して読んでいないとすぐ読み終る。
昼過ぎ雨が止み、一時太陽が出る。太陽が出ると、今頃出て来やがってと思う。もう、全然歩く気なく、今日ここに泊るつもり。朝、小便、色悪し。今した小便、色がよくなって来た。
どうも、大晦日の雨に打たれたやつで疲労したらしい。その疲れが留まったみたい。今日のこの雨、天の恵みかも知れない。
この場所も、着いて10分程で雨が降り出したし、休めと言う神のお告げだと、勝手にそう解釈する。
階段の下に椿の小樹あり。紅色の余り鮮やかでない花を付けている。100メートル先に製材所あり。電気ノコの切る木材音が聞え、もう一般の日々と変らず、正月もどこへやら。
四国とは、なんとせっかちな所だと思う。
新聞は隅から隅まで読み、もう読む所なし。今、3時頃であろうか。
公衆便所にクソ垂れ、下痢。どうも胃か腸か。小さなタバコ店に行ったら、ロクな物売っていない。腹の調子がおかしいと言った。パンがいい。パンを食べたら治るとおばさん言う。
どうして髭を生やしているのと訊くので、そんな暇がない。
「奥さんが厭がるじゃろう」
「そんなものおらん。おばさん、俺の嫁さんにならんかい」
「私はー、だめじゃぁー、もう70過ぎとる」
もう、スッカリ晴れ、青空に太陽。今日10キロ程歩いただけ。あと、このお堂の床板で一日過す。
夕方1キロ程離れた町に買物、611円。お堂に戻って水炊きを作っていたら、懐中電灯を照らした親子が来て、ロウソクはダメなのなんなの・・・と、言って去る。
しばらくすると、また来る。灰皿と果物を持って・・・。
ここを建てている大工とか・・・。はぁー、ありがとうございます・・・。
別の人は、暗闇の中に入っは俺をどう思ったのか来るので、今晩はと言うと、
「はぁー、お遍路の方ですか」
「ハイ、そうです」
それじゃ気を付けて・・・。
白菜一個食べ切れず残ってしまう。勿体ないが・・・。
もう、ガスも殆どない。満腹で眠られず。
使用金額:791円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/加領郷~奈半利町~田野町~安田町
体が疲れると心も疲れ、心が疲れると体も疲れる
1980年
昭和55年1月5日(土)
朝の寝起きは悪い。根性とか精神力とかの問題ではなく、心身ともに使い過ぎ、酷使。それにもう若くはない。体力的に・・・。だからと言って、今日も此処で冬休みとはもうできない。厭々、寝袋の中から出て、荷物をまとめていると、バイクに乗って別の大工さんが来る。
大工さん、焚火をしながらチラリチラリと盗み目で俺を見る。リュックを背負って石段を下り、焚火の大工さんに昨日の事を言う。豆腐を食べてから発つつもりであったが、大工さんが来たので、そのまま荷物をまとめただけで、海岸に出て食べる。
寒いので座る事もできず立ったままで食べたが、モサモサして珍しく最後まで食べきれず残して捨てる。
空が晴れ、左側の太平洋は広く青い。波は少し荒れ白波が立つ。青空が広がる事にホッとする。
安芸市に入ると、未完成の鉄道線が見える。1970年の年号あり。それからずーっと放置しているのか。全くルールのない鉄道を造り、そのまま巨大な銭を投じ、このありさま。これが本当の投げ捨てである。仮に列車が走ったとしても、大幅な赤字を作り出すだけであろう。
こんな事で財政が赤字にならないほうが不思議で、なるのが当り前なのである。
こんな無駄な建造物を見ていると、頭に来るし、これを計画、進めた者を八つ裂きにしたい。スーパーで買い物、709円。蜂蜜を買った。今朝、小便を見たら色は非常によくなっていたが、脚がだるく、1時間も歩かない内にガックリと。
コインフードの中で休み、昨日貰った不思議な大きなみかんを食べた。中は汚く、食べ屑が散かって床に投げ捨ててある。こんな事をする連中の気が知れない。
何故、日本人の公衆道徳観はこんなに低いのか。こんな連中も八つ裂きである。
旧街通りに出て、ノート、三菱ボールペンを買う。三菱はもう買わないと思っていたが、BIGよりマシである。
ガスを探しに街を歩いたが見つからない。スポーツ屋にない。スポーツや屋なんかつぶせ。
街通りの終りに、バス駅あり。昔の汽車の駅らしい。中に物置と、親類関係ではないかと思われそうな売店あり、朝日60円。
売店のおばさん、ストーブ前で編み物しながらモチを焼いている。焼けるとふくらんだふくらんだと、大声で喜んでいる60~70位のおばさん。
待合所の中が殺伐として、物置ベンチに座っていた後の老人。パンを食べようとパン袋を破いたら、ポロリと下に落とす。それを拾い食べたが、老人の動作は鈍く、そんな姿を見ていると、あわれと同時に、こんな老人にはなりたくないと思った。
経済的余裕が持てないなら、せめて精神的余裕を持つように努力すべきだと思う。
明日、高知に着く為には、今日ある程度まで距離を延ばさないと・・・。その為か、ゆっくりと新聞なんか読んでいられない。
それでも、この物置待合所に1時間以上滞在か。12:30PM頃出る。
赤野まで来ると、浜に出て樹株の上で休み、新聞を広げる。晴れた青空の下で、漁船が沢山、海に浮び、何やらやっている。
広い浜でおばさん、エンジンを使って一人で網を巻き上げている。別に観光地でもない普通の白い砂浜。しかし、それらをゆっくりと楽しむ余裕もなくなってしまった。後はただ早くこの旅を終わらせるだけである。
瀬戸内海側に入ると、寒さも増々辛くなるだろう。金の値上り。今、銭と時間があったらと思う。しかし、日本人ってどうしてこんなに金に無関心なのか。平和な連中だ。
以前ここに鉄道が通っていたらしく、枕木、ホームの跡はあり、ますます俺には分らなくなった。多分、赤字路線で一度廃止したのだろう。
スーパーで「らくれん」500cc、103円。2個買う、安い。
前方よりタバコをくわえカメラケースをぶら下げた一風変ったおっさん、スレ違う時、フッとそのおっさんに、タバコをたかる。
こんな事、この旅でまだ一度もなかったのに。少し立ち話をしたら、そのおっさん、福岡は吉塚だと・・・。観光地でもないこんな所を何故ブラブラしているのか知らぬが・・・。
道路標識、高知まで24キロ。ここまで来ると、後は楽であるが、今度は寝る所である。この鉄道工事に使ったらしい飯場小屋跡あり、その中を見ると、ガラーンとして、まぁー、贅沢さえ言わなければ。
この小屋は、海辺の崖渕に建ち、見晴しが良い。4時頃、歩くの止めた。
新聞を読み終ると、丁度、夕陽が反対側遠く島陰に沈んでいくところ。静かにギラギラと光放ち、丸いオレンジ色、紅でも朱でもない。違ったハッキリとした陽であるが、早く沈め早く沈めと、心の中で叫ぶ。
ゆっくりと付き合っていられない。以前は、お茶を飲みながら付き合ったのに、久し振りのきれいな夕陽なのに。
遠方の小さな島陰に陽が沈むと、小屋に入りロウソクを立て日記を付ける。体が疲れると心も疲れ、心が疲れると体も疲れる。
そして、目も疲れ、見る事がないので、以前より書く事も減った。
使用金額:1175円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/安田町~安芸市~赤野
疲れた時、口にするお茶が一番おいしい
1980年
昭和55年1月6日(日)
真夜中の暗闇の中で、昔、松本で過した日々の事を思い出す。信州の冬景色、安曇野の雪、葉の落ちた小枝。川浦といろいろ懐かしい事が思い出される。あれからもう10年以上も経ってしまったのかと・・・。そしてこれから先、10年後を思うと、人間のやれる事はなんとビビたるものかと思う。いつの間にか夜は明け、水色の空に大きなワタ雲がファーと浮いて流れて行く風景を、寝袋の中でジーッと見ていると、歩く気がしなくなって来る。
ガスの火はあっても水がない。お茶も飲めない。そのままかったるい姿で、二階のドアを開け出て行く。地図に依ると、ここは「手結の浜(ていのはま)」。トンネルを出ると、夜須町。日曜日のせいか、閑散とした町。店でパン、牛乳、330円。コインフード店で休む。
ユースに電話をかける。宿泊が決まるとホッとしたのか、溝に落ちていた少女マンガと、失敬した高知新聞を読む。宿泊が決まると、そこまで歩かなければならないと云う脅迫。休み過ぎて外に出ると、空はいつの間にか曇り、時々パラパラと雨。雲った空を見ると、時間を計算。もっと早く真面目に歩けばよかったと後悔する。
途中から道路は2車線になった所で、マラソン競技をして走っている連中と並行して歩く事になる。そんな姿を見ていると、よく走るものだ。
コインフードで休み、新聞を読む。地方紙、全然おもしろくない。記者が悪いのか、会社悪いのか。パッとしない記事ばかり。高知、高知である。高知に着いたら、休む事ばかりが頭の中。
しかし、歩く足は重く、なかなか思うように動かないし、考え事ばかりして歩いているので、パッとしない。女の人の事ばかり。女とは何ぞや。日本には女性と名の付く人はいないのか。
この辺一帯コインフードがあるので、休むのに助かる。中に入ると、お茶を作る。疲れた時、口にするお茶が一番おいしい。
道路横によく見るチェーン店のラーメン豚太郎。どれ、四国のラーメン試食とするか。ラーメン屋に入る。出て来た塩ラーメン屋に入る。出て来た塩ラーメンを見て、アッ!
これはイカンと思う。大盛、300円。これは、300円の価値ないなぁーと、内心ブツブツ。名つられ入ったものの・・・。
マンガ2冊を見て暇をつぶす。1:40PM、外に出ると曇っていた空が、いつの間にか青空に変身。もうスグのはず。高知はなかなか着かない。意識すると全てこんな物が・・・。
橋を渡る。前に高知の町が広がる・・・。
捨ててあったマンガを拾い、正月休みの会社玄関前に腰を下ろすと、マンガ、女性自身。しかし、時間6時と限られているので、落ち着いていられない。
地図を見る。大通りを歩いてもしかたがないので、狭い家裏通りを歩く。街造りは囲状になっており、方向がハッキリとしている。N55とN32の間を歩いていたが、ユースに行く道を通り過ぎ遅く戻り、こんな時が、一番頭に来る。ユースに入ると、優しそうな人が出て来て、丁寧に応対する。
まともな日本語をしゃべらん連中のユースから来ると、ホッとする。ユース代、1900円。夕食のみ。同室者に肥った男、オートバイ事故を起したとか。
俺は疲れがドッと出て、ガックリ。体が衰弱どころの話ではない。頭の中、脳ミソが、湯で豆腐みたいに頭を振ると、チャポンチャポンと動く。立っていられない。ベッドにゴロンと横になる。頭がガンガンとする。
まだ吐気がしないだけマシだなと思う。
1時間程して、入浴準備の放送があると、一番に飛んで行く。熱い浴槽の中に入ると、体中がジンジンとして来る。まるで、体中の疲れが出て行くようである。
一度、あまり泡が出ない。二度、もう一度ゆっくり入浴し擦ると、二度、やっと泡が出て来る。
夕食、鰹のたたき。四日市のイモ娘2人。1人は短足。もう1人、バカ。面は悪くないが、中身はカラッポ。Mのネーム入り。しかし、やせた方、磨けばいい娘になるなぁ・・・、勿体ない。
ホールのテーブルで日記を書いていたが、テレビの音と疲れで、頭の中がグラグラと集中力がない。
思い出そうとすると、頭が痛く途中で止める。NHK大河ドラマを見る。久し振りのテレビ。チョンマゲの日本人がパリ。言葉の通じない日本人を見ていると互いの言う事が違う。
テレビの後、スライド。パットしないが、真直ぐに紹介しているのだから、その後、女の子に少し話。短足だネー、と言ったら、プーンとして上に行ってしまった。
2人日本、1人外人のグループが来た。ベットに上ってマンガを見る。頭がガンガンとしているのに見れる内にと、欲で見る。電気を消しても頭が疲れ過ぎて、なかなか寝付かれない。
3~4日休養、体調をととのえるつもり。それに遅い正月。
使用金額:2430円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/赤野~手結浜~夜須町
俺も出たい。日本を出たい。自由にリュックひとつで・・・
1980年
昭和55年1月7日(月)
朝食なし。9:40頃ユースを出る。高知駅に朝日を買い、待合所に。パンと牛乳を食べながら新聞を読む。自分が座っているベンチの後ろに長い髭をのばした外人。真新しい日本のキスリングザックを横に置いて、待合所のテレビを見ている。
このところ、イラン米大使館人質事件の問題は影薄くなり、続くは連続、日々のソ連アフガン進攻の問題。米国、EC、カナダの穀物輸出禁止令。国連安保理事委員会。しかし国連の力なんと微々たるものか。
NHKニュース解説では、ソ連、120にもなるプロジェクトを続けてきた背景、そして今までの歴史的に見ても、ソ連軍はアフガンから撤退しないであろう。ソ連のやる事は、どうしてこんなに陰気さがつきまとうのか。
駅から1キロ程のアーケード街。帯屋町の東宝映画館。007ムーンレイカーを見に行く。しかしもう上映中。9:20からの上映中。途中から見るのは好きでもないし、3回ほど見るつもり・・・。しかし、食べ物を・・・と、思ってもまだ店が開いていない。諦めて映画館の中に入る。映画の中、リオのカーニバルを見ていると、南米に行きたくなる。スペイン語の勉強もしなくてはと思う。
2度目の最後のほうになると、頭痛がして来る。3度見るつもりであったが、2度で出る。しかし、どうしてあんなに女性の姿は美しいのか。それに比べて日本人・・・。嫌だー。外見悪しに、中身ぺんぺん草。
パン370円を買って食べる所を探しに公園の中を歩いていたら、今朝、駅の待合所で見た外人がベンチに座っている。
声をかけると、「ハイ―」。イエスみたいな髭。パンを勧めたら断食中。43才カナダ人。銭なしでいつも回ってるとか。色々と話・・・。
「How about a coffe」「No Green Tea」。喫茶に入って日本茶なんか頼めるかいな。彼はココア。俺はまずいコーヒー。外は寒く座っていられない。Womanと一緒に回っているが、10日程離れては、また、会いの旅。日本の後、香港、無銭で行くからどこの港がいいか色々と話ししてると、クソーと言う嫉妬に似た気持ち。俺も出たい。日本を出たい。自由にリュックひとつで・・・。
旅は自分にとって毒と言う。そして、一番きつい仕事であるが、しかし、一番楽な仕事。以前、広告会社をやっていたが閉め、離婚。2人の子供があるらしい。
42才でこんな髭をはやし、街路でフルートを吹いていたら、日本人、年寄り達はさける。若い子は寄って来る。
日本人女性とはなかなか仲良くなれないと、彼は言う。ユースの時間があるので、4:05、喫茶を出る。彼はまた、公園に行くとか。昨夜、神社の境内に寝たが、寒くて寝ていられなかったと。公園の近くで別れる。
彼は両手で俺の体を抱いて「ありがっと」。残っていたパンを渡す。歩き始めユースに向う道、何か悪い事をしているような気になる。寒い所で野宿。分るから、あの気持ち。俺が銭を払ってもいいが・・・、と思いつつ、まぁ・・・そこまでやる必要もないだろうし、何故だか、俺の心は迷う。
彼には彼の方法でやっているのだし・・・。
ユースに戻り、ホールのマンガを持って部屋に入るとポッと暖かい。外は寒いだろう。マンガはページをめくるだけで頭の中には、あの外人チラチラと動く。
あぁー、銭の計算をして、一日働くだけの事。
ヤッケを取ると、駆け走って公園に行く。銭を払うから、ユースに泊れとは言えない。
丁寧な事、言葉、文章を考えるが、浮んでこない。長いこと英語を使っていないので錆びてしまった。
公園に着いて、中を探したが彼は居ない。寒いから、駅にでも居たのかと駅に行ったら、駅にもいない。少し悪い事をしたような・・・。俺は日本人だなぁー。外人はこんな事をしないし、こんな気持ちにもならないだろう。
もっとも、今の日本人、おかしいけれど・・・。
マラソンしてユースに帰る。
しばらく彼の事が、頭の中をクルクルする。いい所見つかれば・・・。
NHK、ウルトラアイで「歩く」事について、山川アナが、33.8キロ歩いたデータ、最後は疲労の限界。あれで荷物を背負ったらどうなる。
この番組を見て、俺はそうとう疲れていたのだと思う。
8時から、シルクロードを翔ぶ。NHK、皆の声でテレビの音、よく聞きとれない。この番組を見て、昔の人間の強さには、はたはた頭が下るし、やはり日本とはスケールが違う。こんないい番組やってるのに、皆くだらん話ばかり・・・。
女の子は一人もいない。男ばかり8人。テレビを終ると、マンガを持ってベットに入る。ゴルゴ13、頭が疲れてボャーと頭の中をかすむだけ。疲れると字を書くか、読むとすぐ分る。
しかし、すぐ疲れるのはどこか悪いのかな・・・。
カナダ人、ベジタリアンと言っていた。ケベック。カナダのアップル、そしてカルフォルニアのオレンジ。もう、3~4年後の旅発つユース、働く場所が、この頭にカチカチと刻まされて行く。
使用金額:4390円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/夜須町~高知駅
全く不思議な人生の道程である
1980年
昭和55年1月8日(火)
朝、起きて日記を書く。頭がスッキリと冴えているので書きやすいが、大部分的な事は思い出せない。岡本太郎、テレビに出ている。始めて見る。75才と思えない若さ。
10:00、ユースを出る。今日も映画鑑賞。駅に行く、朝日60円。今日の映画、上映時間は11時。暇があるので、駅待合所に入る。昨日の外人の後ろ姿。新聞でポンと叩き「ハイ」。
朝倉に行きたいと、看護婦らしい場所を探す。昨日、若い者に泊めてもらったらしいが、シンナー遊びをしていたらしい。その連中、千円貰ったと。
俺に、Do you small change. I can lead of it. 一瞬、ハッとしたが、半分ポケットから出し渡す。
このムッとした感情は日本的なものなのか。そんな事を内心考える。
昨日、あれから後、捜した事を言おうとしたが、止めた。タバコを買ってやる。リュックに俺の住所を書けとポストカードを出す。From Where. I don’t know. OK India.
120円の切符を買って改札を出る時、彼は俺に抱きつき、「ウィ セラビ」「ボン ボォャージュ」
一般的に考えてみれば、全く不思議な人生の道程である。頭の中で分っても、これを本当に理解する者はいない。そんな事を思いながら、映画館へ。
その前に、牛乳を・・・と、探したが、何処にも売っていない。街通りをウロウロ。結局、映画館近くの店で、HiC、3本と言ったら、「300円」。「ハァー、1本、100円ですか」と、問い直すと、「80円だったら、私が買いますわ」と、きつい返事。
映画館、エアーポート80。アランドロン、うまい英語。スチューワデスの女優がよい。やはり、きれいな歩き方をする。他は、アルカトラズからの脱出。クリント・イーストウッド。女は全く出て来ないが、これ実話との事。大変な知能犯である。
2回見るつもりであったが、エアポート80を2回見ただけで、頭がおかしくなる。
出る。パンを買う。食堂に入る。テレビ相撲、頭がフラフラ。相撲が終って、勘定980円。高いのに頭は増々グラグラ。駅待合所はガラリとして浮浪者が集っている。
ユースに帰る。今日夕食は頼んでいない。豊橋の男、博多に女を目指して行く。ユースで知り合ったとか。新聞を読んでも、活字が頭の中に入って来ない。最近凄く疲れやすい。今朝の小便、ドロッとした感じで色も悪い。休養と言っても、これでは何してるのか分らない。
使用金額:3735円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/高知駅~朝倉
ここで投げ捨てる勇気もない
1980年
昭和55年1月9日(水)
曇空。予報によると雨が降るらしい。牛乳を買って松竹に行く。寅さんか、メーン・イベントか迷ってバーブラ・ストライサンドのメーン・イベントを見る。
彼女は美人ではないが、違った美しさがあり、飽きる事がない。2本立てで、他はマッド・ドック。暴力、狂っているアメリカのある部分を表しているかも知れない。
もし、自分が同じ立場と・・・、考えてみるので、手のひらに汗びっしょり。多勢に無勢。なんともなりはしない。メーン・イベントを、もう一回見て映画館を出ると、外は雨である。
何となくフラリとパチンコ屋の中に入る。数年ぶりにパチンコ玉100円分を買ってやると、初めの内はおもしろいように、チャリンチャリンとパチンコ玉の山となって、これはもしかすると・・・、欲の皮が・・・。手のひらにまた汗をびっしょり。その内、玉はあれよあれよと言う間に消えてしまった。
やはり、あんな遊びは俺に向いていない。
雨の中を歩く。駅まで途中から走って行く。息苦しく呼吸ができなくなる。タンがノドに絡まり、呼吸困難。ゼンソクらしい。日本に帰って来ると、常にこれに悩まされる。
朝は、待合室の中は喫煙でモクモク。もっと胸に来る。息が止りそう。
ユース、今日は男1人で2人だけ。夕食はいつも同じ。全然進歩のない所。鰹のたたきか、肉。肉を頼んだら、鰹のたたきより酷い。ガッカリ・・・。
飯を食ってすぐベッドの中に入る。明日からまた歩き。肩の凝り、何か中に入っているみたいな凝り方。スグ疲れるし、ゼンソクは出るし、体はだるいし、もう歩くのが面倒で、かったるいが・・・、ここで投げ捨てる勇気もない。
明日からまた歩くのかと思ったら・・・、明日も雨が降らないなぁー。
(内訳:牛乳120円、映画1900円、新聞60円、ユース1300円)
使用金額:3380円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/朝倉
とにかく今日からゆっくりとマイペースで・・・
1980年
昭和55年1月10日(木)
何故だか、ベット、フトンの中より、寝袋の中に入って星空を見、夜明けの朝を迎える方が、一日の始りを感じる。窓ガラスを開けると、空はきれいに青く晴れている。朝のクソを垂れると、ポチンとしか出て来ない。この4日間、えらい銭を使った割には、クソの量が普段の4分の1もない。
8時11分、ユースを出る。高知市街。交通ラッシュ、排気ガスには、ほとほと参ってしまう。屑屋の隣に映画看板があり、見ていたら、屑屋の爺さんに話しかけられる。言葉の丁寧な人であった。歯が殆どない。
この走りまくる車の列には、ほとほと嫌気がさす所、爆弾を投げつける訳にも行かぬ。朝倉駅前で道路が二股に分かれ、右側に松山。近道してもしかたないし、全然そんな気にもならない。
小さな朝倉駅に行くと、入口に和服の女。一見水商売風。目と目が合うと、チラリと相手は笑う。俺のタイプではない。小さな駅なのに売店がある。
朝日、60円。全然頭に入って来ないが、イラン人質とアフガン問題が気になる。
カナダ人はこの駅で降りたはずであるが、この建て込んでいる家、目的の寮は捜せたのかなぁ・・・。彼女はホッカーなんて言っていたが。
駅を10:30に出る。国道が急に幅狭くなり、ダンプはギリギリまで俺に寄って来る。ダンプの走り去った後に、舞いあがる風と排気ガスには・・・。
コインスナックあり、お茶でも作るかと思ったら、水はなく。主人がいる隣が、釣エサ屋である。
新聞を読むが、もう疲れて脚がまいっている。腎臓でも悪いのか。この四日間で体がなまってしまったのか。とにかく今日からゆっくりとマイペースで・・・、と思ったが、はじめからにして、もう疲れで寝たい。
スーパーで牛乳、ジュース、バナナ、553円。そのスーパーから少し歩いた所に、小さな神社あり、そこで休む。田んぼの中に建ち、その前に小川。陽が射し、小川の中を見ると、メダカが泳いでいる。子供の頃、腐る程いたメダカが・・・、久し振りに見る。
牛乳に蜂蜜。疲れるとこれをやるが、全然効き目なし。日頃の積み重ねがないと、一旦にして出来るものではないだろう。
大きな川を渡ると、土佐市。買ったバナナが重い。こんな物買わなければよかったと思っても食べないと・・・。
しかし食欲なく、おまけに肩は凝り、両肩は痛くなる。あと荷物の整理できる物はポンチョだけ。しかし、これは非常に迷う。
雨よりも寝る時・・・、汚い場所では・・・。しかし、ここ1ヶ月以上使用していない。非常に難しい判断である。
土佐市役所から500メートル程か、コインスナックでお茶を作り、日記をここまで書いたが、この肩の凝りと痛さは、何か病気の表示ではないかと思う。
疲れているので、早めに休もうと、寝場を捜しながら歩く。山の中に続く階段を見つけ、登っていったが、埃だらけの掃除のしようがない。日が暮れるまで、あと1時間はあるだろう。少し迷ったが先に進むことにする。
40分も歩いてたか。「家俊」キョロキョロと目を動かし捜しながら歩くが、なかなかない。「家俊」を出た所に、左側田んぼの中に小盛の森がポツリとなる。
神社であろう。荷物を置いて見に行くと、扉が開いている。賭けてよかった。まだ少し明るいので、暗くなるまで待つ間、また逆戻りして、食料、270円。
暗くなって神社に行く。炊事具を出してゴタゴタしていたら、人の話声が聞こえて来る。
見ると3人、人が来る。フッとロウソクの灯を吹き消す。真暗の中から、ヌッと出て来たから、この女3人、腰を抜かすのは間違いない事である。
ジーッと息を殺す。一番若い娘は、スグ引き返すが、中年と老婆は格子の目から米を投げ入れ、何やらブツブツ言っている。1メートル先に俺がいるのに分らない。
中華麺の中にラーメンスープと、卵5個。モヤシで腹いっぱい。娘の若い声が頭の中に焼き付く。柔かい優しい声は、男にとってなんなのか。
そう言えば、まともに最近、若い女の子と話した事がない。
ただの若い娘の声だけで、心がグラリと来る。そうとう精神的に参っているらしい。普通、こんな時、イモ娘に優しくされると、フラリと結婚したり騙されたり。
しかし、俺の意思は強じんである。そんな事では、まいらん?
夜中、小便に格子扉を開け、外に出ると、夜の空に高く三日月が小さく光を射している。あと2ヶ月我慢すれば、楽になれる。板床の冷えた冷たさが、歩く足裏にヒヤリとする。寒くてシーツを寝袋の中に入れる。
使用金額:1183円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/朝倉~土佐市
夜通し歩く覚悟をする
1980年
昭和55年1月11日(金)
神社を出る。水は残っていたが、お茶を作る気にもなれない。昨日の事なのによく覚えていない。とにかく一気に須崎まで歩いた。
交差点まで来ると、二股。右側、国道56号、左側、須崎市街1.7キロ。遠回りで・・・と思ったが、腹もヘッているし無精はいけないと、線路沿いの道を行く。
新しい建物の須崎駅待合所の椅子には全て座布団が敷いてある。
駅前通りに、店先でテンプラを揚げている。イモ、アジ、テンプラ500円。揚げたての味、100円だがさすがにうまい。パン、280円。待合所は狭いけれど、売店あり。これでドアーがあって、暖房があるなら文句なしなのだが。
朝日、60円。新聞を読みながら、朝日。久し振りに腹いっぱいに食べた。パンも天ぷらも新鮮なのでみんな美味しい。しかし、いつまでも待合室に居座っても先には進まない。しぶしぶ駅を出る。
駅前観光絵看板を見て、適当な見当をつけ、民家の裏通りを行くと、海岸に出たが、高いコンクリートの防風堤で、海は見えない。
その並びに、何やら小さな魚を釜茹でにして、網戸に並べ、浜に干している。訊くと、「ちりめんじゃこ」とか。小さな透通った沢山の魚で、こんなに獲っていいのかと思うくらい。
そのまま進むと、小さな漁港に、河で道路が遠く彼方なので、線路を歩くと無人駅「新上」。鉄橋を渡り、線路を歩いて国道下まで来ると、民家の裏庭を通り抜け、竹藪をかき分け堤を上って国道に出る。
国道が上り坂。トンネルを出ると、左手に青い海が広がる。今日は晴れて、寒くはない。下まで降りて来ると、「安和(あわ)駅」。休みに行くと無人駅で、木造り、手あかで光るベンチ、4つ。小さなホームの向う側には、バーアンと青い美しい海で、誠に田舎駅らしい駅で、気に入った。駅の小さな汚い便所でクソを垂れる。
誰もいない駅の改札口を出ると、その右横に木造ベンチひとつ。その右横を明るく陽が射してポカポカした陽気。ホームの向う側に見える青い海を見ていると、フッと、アァー久し振りだ、こんなのんびりとした気持ちになったのは・・・。
風が吹くと、少し寒い。ガスを出し、湯を沸し、お茶っぱを入れようとした時、2人の中年女が来て、
「料理ですか」
「いやお茶です」
外に出てあったか~いお茶を飲みながら新聞を読む。今夜、ここに泊るかと思ったが、寝るには早過ぎるし、戸が閉らない。先に進む事にする。
駅、小さな待合室に落書きがあり、「この小さな安和の駅が好きだ。年3回程来る」と、書いてあった。
いい駅である。
久礼に着くと、国道から離れ、街の方に行く途中、週刊誌を拾う。駅近くのバス停小屋で休み、週刊誌を見ていたら、女の人が飛び込んで来て、「今、何時でしょうか」。
両腕を見せる。また、出て行く。感じのいい人である。年は30才位か?
サテと地図を見る。次の駅「影野」まで12キロ。途中、小さな集落が1カ所。もう夕暮れ。これはまずいと県道「上ノ加江」。距離的にも同じであろうと思った。狭い久礼町通り。買物客、昔の市場がある。
獲りたての魚が台に並んでいる。「上ノ加江」10キロの標識。
海岸線途中から山、歩きやすい道であるが、全然寝る所なく、そのまま休みなく歩いて、上ノ加江に着く。辺鄙な平和な壁地である。港になった、何の産業があるのか知らぬが、寝所なし。
集落離れ、近くに神社があったが、電気が点いてその前は店に人で、入れそうにない。
結局、今までで一番の最悪となり、細い道を行く事になるが、窪川町まで20キロ。10キロの遠回りに。これだったら、もう影野についている。
道は家一軒ない。山の中の山をグルグルと上って行く。段々と暗くなり、一番星がチカチカ。もう諦め、夜通し歩く覚悟をする。肩はなんともないが、ふくらはぎが痛い。今夜中歩けるのかなぁ・・・。
リュックを落し、道に座ってパンを食べる。しかし、体が冷えるので歩かなければならない。これが夏なら、何処にでも寝れるのだが、奥深い山には車一台と通らない。そして、こんな時に限り、月の光はないのある。
電気もない真暗で、95%は見えない。林で星の光さえ遮る。もう勘であると同時に、自分の目の良さに初めて気が付く。
長い長い上り坂。昼間なら風流な風景に違いないが、夜道ではどうしようもない。遠く下に小さく矢井賀の灯が見える。
しかし、全く慌てないし、達観ではなく諦観の境地でサバサバ。しかし精神的に力強くても、脚のほうがもたない。休むと体が冷えるので、悪循環である。そして、どれだけ歩いたか。
トンネル。もうガックリ。塀づたいにと思ったがダメ。これも、前方に本当に本当に強いものを目指して歩く。一回壁に当たる。そのまま。これも勘である。
道はやっと下り坂になった。これなら、どうすることもできない明るさである
使用金額:840円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/土佐市~須崎~安和駅~久礼~上ノ加江~窪川町
もう40キロ以上歩いている。一晩中、歩かなければならない・・・
1980年
昭和55年1月12日(土)
満天の空に輝く冬空の星は、宝石を散らしたように、闇の中に一面。時々、見上げながら歩き、「まだまだ、いざとなれば俺には余裕が残っている」。そんな事を思ったが、もう40キロ以上歩いている。一晩中、歩かなければならない・・・。なるべく疲れないように足をゆっくりと動かそうとするが、ハッと気がつけば、脚はいつの間にか早くなっている。ポツリポツリと灯が見える。
裸電気球の外灯が、ポツリと立っている。地図を見ると「飯ノ川」。家は10軒程か。家の窓から灯が漏れ・・・。チョット弱気になったのか、寺にでも宿泊を頼むかと思ったが、止めた。
ついていなかっただけさ・・・。シーンと静まりかえった夜道。この「飯ノ川」の離れた所にまで来ると、右側、土堤の上に小さな建物陰。もしや、神社ではと思い、上って見ると物置小屋である。
ライターの灯で中を照らすと、中は狭く材木が積まれ、その向側に少し間がある。まぁ・・・、贅沢は言えない。横になれるだけましである。
新聞紙を敷いて寝袋の中に入る。寒く、中に古着のオーバーがあったので、それを寝袋の上に覆わせると楽になったが、ゆっくりと眠れたものではない。
冷たい隙間風が吹き込み、寝袋の中は冷えて行く一方である。息する穴をタオルで塞ぐが、そんな事をしている内に、遠くから鶏の鳴き声。段々と明るくなり、人の声がする。
まだ早いのにと思ったら、寝袋を巻いて外に出ると、外の水溜りは氷が張って凍っている。盆地になった山里の中。稲刈跡の田んぼは霜で真っ白。寒いはずである。
遠くに黒石の集落が見える。朝の煙が白く立ち昇る。全く日本的風景でしみじみとした朝の始りである。しかし、一時的な散歩にはよくても、こうして歩くには寒くてかなわない。狭い道を国鉄のスクールバスが行く。便利な世の中じゃ事。
行く道にポツリポツリと寝るによい場所があったが、昨夜のあの暗さでは見えなかっただろうーと思う。
黒石を過ぎると、通勤車が冷えたエンジンの白い排気ガスを撒き散らし行くが、狭い道路なので、まともにこれらのガスをくらう。胸クソ悪く気分悪い。
自転車通学の男子が、時折俺を追い抜いて行くが、女子は一人も来ない。
こんな僻地にゴルフ場あり。さすがに一人もプレイしている者はいない。芝生は枯れ茶色である。その表面はうっすらと白い。下り坂を自転車の学生が、ブッ飛ばすていく。見ているだけで寒い。
国道が見える。幼稚園児を連れた百姓の奥さんに、窪川駅を訊くと、国道から右に折れ逆戻りのかたちとなる。止めた・・・。10キロ遠回りして、また、逆戻りなんかしていられない。奥さん、頭を下げて行く。
国道に出て右に折れる。腹がヘッて・・・。店を・・・、探しても何もなく、国道は山の中へと入って登り坂。もう上ったり下ったり、曲がったり。腹ペコの腹を抱え、「峰ノ上」。一軒の店がポツリと道路横にあり、中に入ると、古い堅いパン。たとえ腹がヘッていても、手が出そうにない。
ばばさん、コタツの中に入ったまま、内職の縫物。出て来ない。
ビスケット、150円。冷えた手で袋を破ろうとしても、なかなか手が思うように動かない。牛乳もない。ビスケットだけをモサモサと食べ、湧水を飲む。トンネルを2つ出ると、下に集落と国道が見えるが、道路はグルグルと山肌づたいに走って、10倍以上の遠回り。直線、スグ下なのに。途中から雑木林をかき分け、下に降りると墓場。そう言えばこの辺、やたらアチコチと墓場が多い。墓場の横に夏みかんの樹。実は小さいが、一個採る。墓場なので、人骨の肥料、栄養でも効いていそうな物・・・。実は硬く食べる所はない。それに墓場の横かと思うと、急に気分悪くなったが、それでも腹がヘッているので、みんな食べた。
峠を下まで来ると、山と山の間に走る線路に、荷稲の集落。小さな無人駅の小屋が見える。こんな時、コイン・スナックがあると、休憩には非常に助かるのだが、あるのはポツリポツリとドライブ・インだけ。嘘か本当か、温泉があり、風呂にでも入って休むかと思ったが、今頃入ると、湯疲れしてしまうであろう。
今日は適当な所で早めに休むつもり。疲れと日記。それに中村、宿毛。2日で慌てて行っても、中途半端な距離になってしまう。「伊予喜」。店が二軒、駅は無人。ホームに小屋があるだけ・・・。リュックを置いて店に行くと、ばば、テレビばかり見て知らん顔。うどん玉2個、80円。酒屋と云っても、ガランとして品物はない。缶ビール、ロングサイズはなし。ショート、160円。
「150円のはずだが、値上がりしたのですが」
「いや、冷やし賃」
その中年女の顔がいやらしく見える。こんな冬の冷たいのに・・・。何が冷やし賃だ。返そうと思ったが、こんな冷え込み、ビールでも飲んでポカポカとしないと・・・。
どうも高知県の人間、印象悪いなぁ・・・。
ガサツと云った感じ。柔かさがない。サッパリしていると云えばサッパリとしているみたいだが・・・。
ホームに行くと、土地の人々が数人。列車待ち、単線。ホームにディーゼル列車が止り、邪魔な連中は消え失せる。
ホームの端に、鉄道工事者が小屋が立っている。窓ガラスは破れ、中を履いて掃除。ポタージュスープの中にうどん玉を入れる。なかなかおつな味がする。あったかいナベをかかげ、うどんをススる。ホームでナベを洗い、お茶。熱いお茶を飲んでビールが回っているのか、それともうどんか、お茶か。体がポカポカとして、眠たくなるが、狭すぎて寝れないし、窓ガラスが割れ破れている。
昨日の日記、書き残し分だけ付ける。ホームに白鳩の雑誌あり、読んでいたが、疲れて頭に全く入って来ない。
伊予喜を発ち、深瀬か中角(ナカツノ)まで来ると、右手、川の向うに神社が見える。行くと鍵はかかっていないし、きれいに掃除された神社。腰をおろし、ボケーと地図を見る。
瀬戸内海の島々を回って、とか小豆島に行かなくてはならないが・・・。いや、上に上がって、日記を書き始めたが、床板の冷たさと頭の疲れで、体が思うように動かない。
20分間に、女の運転する軽自動車が、この前を通る。神社は道路から500メートル程離れ、川を渡った所にポツリと立っている。暖かくなって、食料を買いに行こうと思ったが、面倒でそのまま寝袋中に入ってしまう。
この日、12日の日記は、書かずと言うより書けない。寝袋の中で、ジーッとしていたら、眠る事はできない。食料を買いに行くのも面倒だし・・・。
小便に寝袋から出て空を見ると、星が出ていない。曇っている。これは、雨が降ると、明日の為、食料を買いに行く。940円。店の人に天気を訊く。朝方雨、のち曇り時々晴れ。
店の人に「何処に泊るの、お客さん」。俺、何も言わないのに知っている。
「いい所でしょう。2、 3日ゆっくりしていたら」
「ハイ、ハイ」と言って・・・。ラーメンを作った。食べたくないが、他にない・・・。「黒峠」甘いのに、ビール。ビール、変な味。ビールでゼンソク、息苦しい。
雨が降るとゆっくり日記が書ける。雨が降ることを願う。いつの間にか眠って、気が付くと、雨の降る音。強い雨。こんないい所に泊れて、ついているなぁーと思う。
それに寒くない。屋根から流れ落ちる激しいザァーザァーと言う音が聞え、もしあのまま、あのホームの小屋に寝ていたら、大変な目に合っている頃である。
雨垂れの音を聴きながら、今後、10年先の事を考える。
使用金額:1330円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/窪川町~飯ノ川 ~黒石~峰ノ上~伊予喜~宿毛市中角
一台の車が止る。四国で初めてである。丁寧に断る
1980年
昭和55年1月13日(日)
真夜中から明け方まで激しい雨が降り続き、これは儲けた。明けて朝、別に起きる必要もないので、そのまま寝袋の中でなまける。
外は屋根から落ちる雨垂れ。灰色の空は、見るからに寒々とする。
格子戸の網目から入って来る光、中は薄暗く戸を少し開け、光を入れて日記を書く。
一日中雨が降り続けても、食べるには困らない。日記を書いてはお茶を作り、はじめの内はゆっくりとしていたが、雨があがると急にイライラとして来る。
新聞の天気予報は当っている。日記のページ、終り頃になると、鳥居前に子供を負った自転車のおばさんが止り、拝みにでも来るらしい。開いた戸の隙間に見える俺を目にすると、諦めたのか首をヒネり去る。
日記を書き終えると、荷物をまとめ神社を出る。橋を渡り雨に濡れた田んぼ道を通って国道に出る。
出て国道少し歩いた所で、自転車野郎と話を少しする。横浜だとか。俺に似たものを見たと言う。冗談じゃない。この辺のイモ達と一緒にされたらかなわない。
神社から1.5キロ程の所に「佐賀駅」。雨は上がったが、また曇って時々パラパラと水玉が落ちて来る。
農協スーパー、牛乳、歯磨き、192円。時計は10時30分。ここから中村まで25キロ。無理すれば、中村のユースに間に合う。丁度、新聞販売店があったので朝日、60円。四国は販売店でも60円とる。棚箱の中に英字の、Mainichi Weekly。値段を訊いた。ただでくれると、途端にムスッとしてた俺の顔がニッコリとなる。
海岸線に出ると、遠くの空と海の間は、太陽の光で薄オレンジ色に染まっている。これなら晴れるとホッとする。サテ、新聞を買ったものの、読んでると中村には着かないであろう。
もう少し早めに行動すればヨカッたと、悔やんだが・・・、いつもの事。海岸にて新聞を読む。いつの間にか青空が出て、晴れたが、東から吹く風は冷たい。入野で出店の焼鳥の香に釣られ、串二本100円。買ったが、全然・・・。東京有楽町のガード下を思い出す。田ノ口に来ると、線路の山向うに神社が見える。この時、一台の車が止る。四国で初めてである。丁寧に断る。
線路横に川が流れ、渡れない。1時間程早いが日記を書きたい。橋のある所まで逆戻り。グルリと回って・・・、馬鹿みたい。田ノ口学校で水を汲みに行くが・・・、神社に鍵がかかっているかも知れない。やっと着いた。
しかし遠くから見た程立派ではなく、板は腐り果てアッチコッチから風は吹き込み、ガスもロウソクもつけられない。何の為ここに来たのか、分りはしない。後悔する。
使用金額:352円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/宿毛市中角~佐賀駅~入野~田ノ口
宿毛まで22キロ
1980年
昭和55年1月14日(月)
夜は強い風に樹木の小枝がビュービューと鳴り立て、台風かと思わせる。周りの壁、柱が腐って潰れるのではないかと思うが、天井の太いハリだけは、ガッシリとしている。隙間風には参ってしまう。
寒さで目が覚めると、そのまま目は冴え、眠る事はできないし、小便に寝袋から出る事さえ、えらい決心を要するし、頭の中は、最近女の裸がチラチラどころか、連続で出て来る。そして、何故だかSの裸。別に気がある訳でもなし、イイ女でもないのに・・・。今まで色々な美人、可愛い子、色々とあったのに、Sである。
29才、同じ年。彼女は今頃何をしているのか。相変わらず見合い中。29才にしては、女の魅力がない。己を知らず、高望みの感あり。ブツブツと想い独り言。一体どうなるのか気になるなぁー。そんな事を想像しているうちに夜が明け、別に夜が明けなくてもいいのにと思う。
起きたくない。寒いなぁ・・・。あと二ヶ月の辛抱である。自業自得。
風がないので、お湯沸かし蜂蜜湯を作る。たいしてないので沢山は使えず、本当に気持ちだけ・・・。後は乾パン。この乾パン、古いのか全然おいしくない。
残った水で歯を磨くが、冷たいのなんの。グルリ国道まで出ると、回り道となるので線路に上った瞬間、オォーウンと急行列車がカーブを曲がって出て来る。生意気に急行。昨日は特急も走っていたが、こんな赤字の田舎路線に特急、急行の必要があるのか。線路を歩いて神社から約700メートル西、大方の無人機。ホームの近くまで来ると、パトカーがサイレンを鳴らし止まる。
警官が、窓を開けて手で、来い来いをしている。
「線路を歩かず、歩道を歩いてください。最近は、自殺が多いですから」
「イヤ、わたしゃー、まだ命が惜しいです」
中村まで約6キロ、歩く気なし。頭の中はSMの事ばかり。夜はST、昼はSM。どうなっているのか知らぬが、時々ユースを建て、レーナと一緒に食事をしている姿を想像すれが、ユースでユースって、考えてみれば馬鹿みたい。
夢も大望もない連中、ユースの集り。そんな連中の仲間になりたくもないし・・・。
ケニアでも建てるかと思うも、思うばかりで銭はなし。一つ一つと積み重ねていけばなんとかなるであろうが、8~9年はかかる。
それにしても、土佐にはイイ女が一匹もいない。
中村に着く。駅に行く。朝日、60円、待合所で新聞を読む。読んでいたら、頭を下げうつむいている俺の前に、グラマーな脚。美しい脚ではないが、まさにグラマーと言う形容の言葉がピッタリの脚。目を段々と上に上げてゆくと、腰の座った大柄な女。目が胸に来て、顔に来るとガッカリ。精神的にも崩れた女の顔である。
戸のない待合所は寒い。駅の便所で顔を洗う。3日ぶりに洗った。最近は無精になっていかん。駅から市街には離れている。スーパーで買い物、905円。高いと思ったので、レジの後、暗算をしようとするが、頭がこんがらがって分らない。アッ、もういいや。
バナナ70円。果物屋のおばさんに、拾った曲がった10円玉を替えてもらう。街を通り、四万十川に向う。途中、小さなパン屋。見るからに美味しそうなフランスパン2個80円を買った。最近、このタイプのパン屋が流行っている。
土佐の小京都。中村なんて説明してあるが、何が小京都、よく言うよ。
宿毛(すくも)まで22キロ。無理すればユースに着けるが、全然歩く気なし。それに日記、寒い。何処かイイところがあったら、スグから休むつもりであるが、なかなか見当たらず。
その内に雪が降って来る。この冬初めて見る雪である。とうとう雪が降って来たかと、おかしくなる。雪の中を歩く自分を客観的に見ると、間が抜けているような・・・。(今、ろうそく灯で書いているが、灯が風に揺れ書き難い)
遠くは白い雪が舞う。ヤッケが濡れる。こんな時に限って休む場所がないのである。道路はポツリポツリと民家があるだけ。やっと見つけた神社。全く手入れが悪くて寝る所の話ではない。新聞読んでる内に空は晴れ、青空。次を目指す。
次の神社も同じ。土佐の住人、信仰心が薄いのか。
片手には買った食料。歩き始めると雪、みぞれが降る。そして悪い事に、ブチっと擦り切れ、リュックのバンドが切れる。右手でリュックバンドを持ち・・・、困った事になったぁ・・・。
自動車屋で針金を貰い結ぶ。何と言う集落か、集落らしい集落。道路標識に、宿毛12キロあり。右手、丘の上に神社を見つけて、水を汲み上ると、隣はお寺。
神社は汚く埃。掃除しようにもホウキなし。新聞を敷いて、まず、うどんスープを作る。陽は高い。いつの間にか晴れ、格子戸から青空。人を馬鹿にした天気。
寝袋に入って、1ページに日記を書くと、手は冷たく頭はボケる。
少しウタウタとしていたら、5時の時報サイレン・・・。ロウソクを立て、日記を書くが、風に揺れ書きづらい。お寺からは、日蓮宗のドンツク太鼓の音・・・。
しかし、土佐の神社は酷いヒドイひどい。埃の積った中で、ゴホンゴホンと咳をすれば、出るのはタンばかり。国道を歩くと胸をやられるらしい。
使用金額:1045円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/田ノ口~中村~
島が2つあり、一島一泊のつもりで2~3泊。その分食料を買う
1980年
昭和55年1月15日(火)
もう習慣になってしまった深夜の小便。いつもの事なのに最大限の決心を要する。しかし、慣れる事はない。そして、これも習慣となった小便をしながら見上げる、夜空の星。細い三日月が出て、欠けている部分が薄く明るく円い。暖かい空で、ワインでも飲みながら静かな音楽を聴きつつ、夜空を展望するなら。兎にも角にも、こんな寒い冬の外では情緒もヘッたくれもない。まだ少しは寒さをしのげる寝袋の中の方が気が利いている。
一旦小便に立つと、これも習慣になったのか寝付かれず、そのまま夜の明けるのをジーッと我慢の子で待つより術がない。
まだ星がキラキラと輝いているのに、サイレンがウーンとなる。こんな早くうるさい音を立てられた日には安眠妨害も甚だしい。6時の時報かと思ったが、なかなか夜が明けないところを見ると、5時の時報らしい。そしてしばらくすると、例のドンツク太鼓の音が鳴り響き、その太鼓の音を聞いていると、佐渡の日連堂を思い出す。あの坊さんも太鼓を叩きお経をあげていた。
この隣のお寺からも、かすかにお経の声が聞こえて来る。やっと鳴り終りホッとしたのもつかの間、今度は2つの太鼓で叩き騒音をまき散す。
本人は調子に乗って叩いているのかも知れないが、嫌な人はどうなるのか。なんとも騒がしい集落だ。やっと長い太鼓が終わったと思ったら、今度は例の誕生寺で聴いた変な木魚が、カンカンと甲高い音を立て叩き続ける。こうなると寝袋の中にジーッとしていられたものではない。しぶしぶと起き、お茶を作りパンを食べ出る。中村まで12キロ。成人の日の為か交通量も少なく、静かで歩きやすい。
鉄道のトンネルを掘っていたが、こんな所に必要あるのか?
コインスナックを気にしながら歩いているが、一軒もない僻地。中村まで休む事なく歩いた。中村に入った所で丁度看板地図あり、右に折れ、まずバス停留所に行く。鵜来島(うぐるしま)に行く時間、船賃を訊いたが事務員は知らない。港まで約4キロある。わざわざ港まで行って船賃が高かったら頭に来るしと、まず朝日60円。これもいつの間にか習慣になってしまった。今朝、小学生が自転車の後に牛乳箱を載せ配達していた。
待合所で新聞を読む。来る人々は田舎の人。それはよいけれど、若い女の子はちっともアカ抜けしていない。そして大柄。可愛げもなく、なんと言う所かいな、土佐は・・・。土佐のカカア天下・・・。この土地の習慣か?
バス停留所を出て、よいしょ・・・、リュックを背負って腕をバンドの中に入れた途端、今度は左側のバンドがポロリ。切れてはいないが、糸の部分がスリ減ってしまっている。
千枚通しがないと硬くて縫えたものではない。
そこから少し歩いた所で、また自動車修理屋。針を頼んだらなくて、ビニールの皮を被った導線。サイフで皮をサーツとむいて・・・、昔取ったなんとやら。
子供の頃、銅線を盗みに行ってやっていた事がこんな時、役に立つなんて。
スーパーで買物。島が2つあり、一島一泊のつもりで2~3泊。その分食料を買う、1329円。何故だかまたモチとゆでアズキを買ってしまった。パン、340円。両手に袋を持ってイザ港へ。長い道を馬鹿みたい・・・。少しでも荷物を減らそうと、パンを食べながら歩く。涙ぐましい変な努力を強いられる。
地図に依ると、中玉で通行止め。帰って来る時、またこの道を戻るのか。往復8キロ、大変だなぁ。同じ道を8キロも歩くとは。考えると損するような気する。港に着いて待合所。出航時間は朝6時頃と、2時、2航。ここから九州佐伯まで3時間。しかし全然行く気にならぬ・・・。行くと楽になるが、なにかインチキをしてるみたい。
揚物を食べ待合室で待つが、この辺の連中、出て行く時、絶対に戸をきちんと最後まで閉めない・・・。
1:30PM、乗船。小さなポンコツ船。港に他の船も停泊中。ごく普通の港。国民宿舎があるけれど・・・。
船室に入ると、テレビ。ポーランド・ユースオーケストラの演奏。札幌らしいが・・・、見ていると、いかにもアメリカ人らしい。当たり前だが・・・。ボロ船が出航すると、テレビの映りが悪くなり、声量がストップ。おもしろくもない。横になると、胃の中がグルグルと回り始め、段々と気分が悪くなり、時々、少し少しと待合所で食べた揚物の油と変な味が、胃の方からこみ上げて来る。
海は荒れ、波はこの小船のデッキを洗う。外に出れば少しは気分よくなるのかも知れぬが、外に出るとまともにザンブリと波を被る事、うけ合いである。
皆がスパスパと吸ったタバコの煙、空気が悪く、これも船酔いの原因のひとつである。タバコを止めてから、場所をわきまえずスパスパ喫う連中の憎き事よ!
そして悪い事に、船酔いをすると、昔、イスラエルからアテネに行く船で同室になったイタリア人神父が、船酔いで部屋の洗面ベーソに吐いたあの色が浮び上がって来る。
あの時あの爺、赤ワインを飲んでいたらしい。あの三日間汚物でベーソは詰り、チャポチャポと揺れていた。ボーイ、洗濯? 洗いには来ず、こちらまで。それを見ただけで気分悪くなった事を、船に乗ると必ずこれまた習慣になったのか、頭の中に浮び上がって来る。
それらの事を振り払おうとしても、消える事はない。一生これは俺について回るだろうと思い、腹の中で、クソ・・・、あの爺め。
船は増々揺れ、吐き気。これなら、こんな島なんか行こうと思わなければよかったと後悔する。
別な事を想像するように努力する。こんな時、女を想像するのが一番。しかしこれまた習慣になってしまったのは、出て来るのはSの裸ばかり。なんでこうなるのだろう・・・。今度、心理学の本でも読んで調べたいと思う。
まぁあの爺の汚物よりマシであるが、何とか少しは我慢できよう。潮の流れでもあるのか、船の鈍い事。船は母島に着く。この郵便局に風景印があるらしい。看板が出ているが時間がない。次の弘瀬で下船。船から、また何処に寝場があるのか見ていたが・・・、集落から離れた岩場に鳥居が見えた。
とにかく灯台に行く事にする。岬は東に向いているので、夕陽を見れるだろうと思い、石垣の細い道を土地の老人に途中まで連れて行ってもらう。道に出る。
そういえば、軽自動車が3台見える。こんな小島に必要なのか知らぬが・・・。灯台へと続く地肌の柔かい道は実に歩きやすく、これが本当の道と言うものである、こんな道ならいくらでも歩けると思う。
坂を登って行く。その両脇には、石垣を積んだ段々畑。この土地の昔の生活が想像できる。白い灯台に登り着くと、眼下に海が広がる。灯台の敷地に入り、廃墟になった職員住宅跡。別棟に一家族が住んでいるらしい。買い物には大変だが平和な所。
夕陽が始まるまで、風が冷たいので寝袋の中に入って新聞を読みながら待つ。
雲が少しオレンジ色に染まったが、厚い黒い雲の陰になり、夕陽も夕焼けもない。ただ雲と海の間に隙間あり。その隙間の帯状部分だけ、不思議な、丁度カメラに使用する赤外線フィルターの色に似ている。しかし、太陽は黒い雲の合間に少し朱色を見せただけ。ガッカリ。
せっかく今日久し振りに、ゆっくりと夕陽を見るつもりだったのに。東の空の天気は崩れると、雨と云うが・・・と、思いつつ、山を降り始めたら、北の方から雨が横に流れるように降りアウト。
なんとか下まで持ってくれと言う願いも空しく、雨は容赦なく降り冷たい。
これも習慣になったのか、雨に打たれてもフテ腐れるだけ。
雨は風に乗って横から降って来る。今夜どうしようと考えながら、急いで下の集落へ。民宿にでも泊るか? 本来、予定通り進む事ができたのなら、正月頃この島に居たはず。そもそも、いつも休む駅待合室のポスター、トラブルニュースを見たのがよくなかった。12月号か、1月号の国鉄トラベルニュースでこの島の事を知った。
わざわざ高い船賃を出して来たのに、雨とはなんぞや。民宿に今回泊る事には心の抵抗はない。これは保養。息ヌキである。しかし、3400円と言う値を頭の中に思い出すと、馬鹿馬鹿しくなる。野宿は無料である。石を積み重ね作った細い道を、要注意で行く。雨に濡れた石は滑りやすい。
しかし、ゆっくりと歩くと雨・・・。
とにかく、船から見た岩場の神社に行ってみる事にする。水を持ち、大きな岩を飛び飛び、薄暗くなり始めた岩場を行くと、途中、船釣りでもしていたのか、土地の子供2人、バケツを持って雨の中を飛びながらやって来る。一瞬しまった・・・。
少しでも人に見られると後々困る。しかしもう遅い。神社の下にコンクリート造りの公衆便所。そして水道がある。これはイイ。嬉しくなる。
後は神社だけ。岩の陰にコンクリート造りの神社。アルミサッシの戸。鍵はかかっていない。非常にきれいに掃除してある。ジュウタンが敷いてあり、茶棚ありで、お供物の果物に菓子が「どさっと」。
カレンダーのある神社。広さは六畳程。余りにも手入れの行き届いているので、気持ちが悪い。
カレンダー、15日に今日の日付。多分、成人の日で拝みに来たのであろう。バケツとライポンを持って下の公衆便所に行く。バケツを洗い水を汲む。水の心配がいらないし、雨漏り心配も。
おまけに、毛布まで。ロウソクもどっさり。チョットした貸別荘に入った気分。
船酔いの続きなのか、胃の調子が悪く、熱いお茶を飲むと胃にグッと来て気分よくなる。
日記を書くにも灯が漏れ、人がもし来たら困るので、スグ袋の中に入ったが、寝付かれず。
例のうどんスープを作り、日記を書く。
小さな茶ぶ台があり、起きて書くが、台が低いので書きづらいし、息は白く、寝袋を肩に巻いて書く。時々お茶を作り、時々小便に出ると、外はビュービューと強い風が吹き荒れ、樹の小枝を鳴らす。
空はいつの間にか晴れ、星が夜空一面に輝いて光る。夕暮れの雨が嘘みたい。いつもいけると思って神社に行くと、まず戸が開いている。霊感でもあるのかなあ・・・と、日記を書きながら思う。それとも、そう思い込む習慣になってしまったのか。
外から荒れる波の音が伝わる。
使用金額:2529円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/中村~宿毛市鵜来島(うぐるしま)
冷たい風は心を新鮮にする
1980年
昭和55年1月16日(水)
予定では、今朝の船で柏島大堂ユースに泊るつもりであったが、凄い強風と荒波。それになんとなく、この貸別荘が気に入った。食料があるし何も心配する必要はないので、今日も此処に泊る事にする。
ガラス越しに白波の立つ荒れた海を見ていると、朝のポンコツ船が荒波に揺れながらやって来る。
まず昨夜、途中で止めた日記一ページを書き、その後はモチを煮てぜんざいを作る。あまりパッとした味ではないが悪くもない。
風が入って来ないので大変に助かる。外は相変わらず強い風と波の岩に砕ける音。ガラス越しに見る空は、水色に空、雲流れる。暇だしとSAに手紙を書く。途中で12時のサイレン。ボーリング場で泊った時、拾って来た用紙に書く。8枚。4~5時間かかったようである。さすがに頭がおかしくなる。
しかし、日記を書いているせいか、以前に比べ断然に手紙を書けるようになって来た。まだ思うようにうまく書けぬが、しかし、非常に進歩している事がハッキリと分る。
今度、本格的に日本語の文法を勉強をしなくてはならないであろう。しかし、書く事はなかなか至難の業である。新聞コラムを注意して読むが、やはり見事なものである。普段なに気なしに読んでいる文章、新聞記事、よくあんなに書けるものである。
手紙が終わると、人参を小さく千切りにしラーメンと一緒に食べる。この後、灯台に夕陽を見に行くつもり。太陽の当る反対側山に薄く紅色に照らし染まる。急いで荷物をまとめる。5時のサイレン。しかし、荷物をまとめリュックを背負って、岩場の対面に出ると、赤い太陽がポッカリと見える。
何も岬の頂まで行く事はない。しかし、ゴツゴツとした岩場には、海からまともに強い風が吹く。うねる白波と濃い潮は不思議な海を思わせ、姫島、鵜来島、小さな島が浮かび、遠くには九州が薄く見える。夕焼けの明るさ、静か沈み行く。
岩陰になり風を防ぐ。冷たい風は心を新鮮にする。考えてみれば不思議な旅である。この結果は10年後答えが出るのかも知れない。沈む陽を30分ほど追い姿を消すと、また神社に戻り、Manichi Weeklyを読む。
暗くなり集落に買物。時計を見に行く。出航時間は8時。180円のビール。高いけれど・・・。どうなっているのか。今日歩かず寝転がり座ってばかりいるので腰痛。立たず。
ロウソクを2本立て日記を書く。明日はこのまま片島行き。
使用金額:540円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/宿毛市鵜来島
全く昔の街道である。昔の道らしい。きれいにどこまでも石を敷いてある
1980年
昭和55年1月17日(木)
目が覚め小便に外へ出ると、星空に波は静かに凪いている。残りの缶ビール1本を開ける。時計を見ると丁度5時である。眠ってしまっては困るので、寝袋の中でジーッとしていると、集落からスピーカーの音が流れて来る。今日は波が静かで・・・、なんとか・・・かんとか・・・、釣人達は船に集って下さい・・・。
まだ星が一面の空に散り輝いているのに、好きだとこうもなるものか。ビールのせいか、ウタウタとなるが、気を引締め眠らないようにすると、気が張ってイライラとする。薄明るくなったのは分ったが、そのまま考え事しながら、首を寝袋の中に突っ込んでブツブツと何を考えていたのか。
空はまだ明るくない、大丈夫だなんて思っていたが、時計を見ると8時25分前。慌てて荷をまとめ中を掃いて飛び出る。
急傾斜面の地に石を積み重ね、石垣と石段。それでも学校だけはコンクリート鉄筋で、立派である。
簡易郵便局前にあばさんが一人立っている。船を待っているのかと思ったら、局員らしい。おっさんが来て、局のドアーを開けると、他の土地の人達が中に入って何やら朝っぱらから話し始め、暇をつぶしている。こんな小さな所なのに、他にする事がないのか・・・。
手紙の封筒にノリだけ。手紙は母島で風景印で出す事にする。
船はなかなかやって来ない。それに昨夜の時計は進んでいたのか、この局に来た時は、まだ時間が余っていた。波止場は小さくコンクリートの堤が小さく囲んでいるだけ。中に人がパラパラと堤の船着場に集って来たので俺も行く。セーラー服を着た女の子が一人。初めて若い女の子を目にした。
婆、爺ばかりと思っていたが・・・。均一500円。とにかく何処に行っても、船賃500円。土地者400円?、老人250円。切符売りのおばさんが来て、堤に座り売っているが、まぁ、よこ尻が冷たくない事。
他に中学生女子2人。セーラー服でやって来て、3人でやぁーやぁー言っている。
例のボロ船が白波を立てて近づいて来る。船が接岸すると、板を渡る。降りる客は、アイスボックスを持った釣人客ばかりゾロゾロ。この集落、釣人で繁盛しているのか・・・。
1人の若い20才位の女が駆け走って来る。見ていると大きなおっぱいがグラングランと揺れ落ちるのではないかと思われる程。化粧して、一度この小島を出た事のある者であろう。化粧、ジーンとサンダルを見ると、一見少し崩れた感じ。船に乗ると、女の子は1人だけしか乗らない。
耳を立て話を盗み聞きすると、試験を受けに行くらしい。他の2人女の子と大きなオッパイは見送りに来たらしい。
船が岸を離れ段々と遠くなって行く。あの見送り人達は、大きく手を振っている。大きな旅立ち。大きな港でもないのにと思うが、この小さな港と集落を背にして、手を振る3人を海から見ると、なんだかあの人達が分るような気がした。
船は母島に寄る。郵便局で日記に封印を押すつもりで、手紙を貼り準備して待っていたが、船員に少し待ってもらうよう頼んでみたが、知らん顔。荷物の積み下ろし約5分間あるが、局員4人が郵便物を取りに出ている。局は少し上だと言う。諦めて手紙だけを渡し、風景印を押して出してくれるように頼む。どうも四国の人は不愛想である。それとも人の事をあまり関心持たないのか・・・。
船は柏島へと向うが、船室の中は老人達の喫うタバコの煙がモウモウで頭がクラクラ。船酔いではないが気分悪い。
外に出ると上のデッキに上がる。今度は船の煙突が・・・。どこも煙空はどんよりと曇ってあやしい天気である。ユースには行かない。夏ならともかく、朝から入れてはくれまい。船は10時15分、片島に着く。宿毛、佐伯フェリーが、このボロ船を追い越して行く・・・。
港に着くと、交番を探し道を訊く。地図に依ると海岸線は途中で通行止めである。交番の奥から出て来た者は、私服を着た若い女。道の事を訊いたが知らず、嫌らしい目で俺を見る。嫌なタイプの女である。
少し行った所に木材屋。そこから出てきた人に道を訊くと、今は途中、中玉の手前から山越えの道ができているとの事。安心する。あんな所まで行って引き返しになったら、俺、海の中に飛び込んじゃう。
細い道を行く。空は灰色・・・。あのまま今日も神社に一泊すればよかったなと思う。
バス1台分の道幅で、それでもバスが通っているらしい。小さな漁港。藻津、鯖の冷凍がゴロゴロとしている。それを見て、いかに安くうまく料理してホステラーに食べさせるか・・・。フッとあの潮岬の塩サバ、小切れ一個を思い出す。ヒドイもんだ。
雨がパラパラと降り始める。強くはないが曇った空を見ると、一時的な雨ではないらしい。用心に食料を買っておくことにする。
しかし、こんな田舎の店、何がある・・・。金を出すなら色々とあるが、限られた銭でイイ物を見つけようとする方がおかしいのか・・・。何もない。
店の主人、薄弱者ではないかと思われる程、ニコニコしてるが、そうではないらしい。そう云えば、頭のおかしそうな者をチョクチョクと見る。田舎はこんな者達が多いのかなぁー。
小降りの中を場所を探しながら歩くが、なかなかないし、藻津を過ぎると後は養豚場が点々とあるだけ。入江の静かな所で、夏はきっと美しい所であるのであろう。しかし豚の糞の臭気はいかん。
県境を超え、愛媛県。雨は相変わらずパラついている。
土方プレハブあり、戸は開く。ガラーンとして何もない。板床だけ。バケツ1個、さしみの醤油。
バケツをひっくり返し、上に座ると頭がクラクラとする。顔がむくんでいるのが分る。疲れか寝不足か知らぬが・・・。雨はプレハブのトタン屋根をパタパタと叩き、急に強くなる。
ジッとしてると寒いし、ポンチョを床に広げて袋の中に入る。久し振りにポンチョが役に立った。半分考え、頭は起きて半分眠いのが分る。鼻息をかいてる自分が分る。しばらくして、こんなふうに眠って目を開け窓を見ると、青空が少し見える。馬鹿にした天気である。歩きたくないし、迷ったが時間的には早いようだし歩く事にする。
土方のおっさんに時間を訊くと、2時5分前。道は愛媛県側に入るとよくなった。道の途中には、黄色の夏みかんだらけ。手入れをしていないものが多い。冷たいので失敬する気にもなれない。中玉の手前から、右手に山の中に細い2本の道。舗装してある。車1台分の道幅で、道としてはいいが、舗装が台なしにしている。
坂道を登り上を見上げると、山の中腹に黄色のカーブミラー。あんな所まで行くのか。勘で山道を歩き上って行くと、夏みかんの段々畑に出る。静かで下界に入江の海。草の上に腰をおろしに夏みかんを食べる。枯れ草の色、緑の夏みかん樹。のんびりとした・・・。冷たい風が吹くとヒヤリと四国の冬思わせる。
岩水に計算では5時着くはずである。標識に22キロと表示だった。車は二台通っただけで、静かな山を上へ上へと登って行く。遠方の山の頂に無線中継アンテナのデカイ鉄塔。よく見ると、その近くにカーブミラーが小さく見える・・・。と言う事は、道路はグネグネとした道。
峠を越えると今までなかった風が強烈に吹きまくる。今まで風は反対の山に遮られていたらしい。
強い風は体まで突き抜け、グングンと体が冷えていく。道路横の小さな脇道を見つける。近道らしい。石畳の道で枯れ葉と覆い被さる、つたの木。風はなし。石畳の横には小さな沢の水がチロチロと流れ落ち・・・。全く昔の街道である。昔の道らしい。きれいにどこまでも石を敷いてある。
沢の流れは段々と大きくなる。夏なら水でも飲むのであろうが・・・。こんな冷たい天気・・・。ハイキングにいいコース。稲根街道によく似ている。下の道路まで降りて来ると、稲刈り後の田が見え集落が近い事が分る。
下り道の谷間、両山肌の斜面には普通みかんと夏みかん。儲からないのか、手入れのしていない畑もある。こんなに沢山の夏みかん。しかし一旦、町の店先に出ると、目玉が飛び出るような値になるのであろう。カゴの中に入っていたみかん1個、黙って貰ったが美味しくない。
民家が姿を現す。岩水らしいが、空の様子からすると五時ではない。あの近道が、時間を短縮したのかそれは分らないが、カーブを曲がると入江の海が見え海は機械の臭い。
学校の校庭では、子供達がサッカーをして遊んでいる。
子供は考え事が、明日か明後日位でいいよ・・・。今朝、小学校で運動やっていたが、女の子なんか大変だ。昔の小学生とは問題にならぬし、脚が違う。食事の違いがこうも体を変えるのか・・・。
窓越しに見た時計は、3時40分である。岩水から城辺町(じょうへんちょう)に入る。外側を通っている国道を通らず街の方へ・・・。
バスターミナルの建物があり。新しい。4時である。中に売店があり、朝日60円を読む。もう夕暮れ近く、それも街の中なので、本当は新聞なんか読む暇なく寝場を探す一番大事な時なのに、のんびりと新聞を広げる。もうどうでもいいや、勝手にしろ。今日この町まで来るつもりは全くなかったのに・・・。
待合所の中は高校男女。しかし観察する気にもなれないし、1時間後、ターミナルを出る。
海中公園で夏が混雑するのか、街通りを行く・・・。
薄暗くなり始め、川を渡った所にスーパーあり。買物、777円。かまぼこ、天ぷら売り場には過酸化水素は使用してありませんの紙がズラリ。尾鷲の近くで食べたチクワで、歯がおかしくなったのはこの為か・・・。
次は御荘町(みしょうちょう)。この町離れで国道に出る。そこに八坂神社あり、寝るには最高にいいが、扉が開いて・・・、どうも感じとしては夜閉めに来るらしい。諦めて暗くなった道を行く。
八坂神社から1キロ程も歩いたか。道路横にナンバープレートのない車が3台。4ドアが開く。中に迷う事なくリュックを入れる。
この先もしや他にいい場所があるだろうとは思わないより、暗くて分らない。
中はリクライニングシートになって助かるが、脚を伸ばして寝る事ができても、この狭い中をアチコチ転がり、一番いい形を作ろうとするが・・・。リュックを背にしたり大変な悪戦苦闘で眠る事ができず、結局アクセル部分に新聞を敷いて、脚を伸ばすが、横から見ると傾斜しているので尻がシビれる。
これでも夜通し歩くよりマシである。
使用金額:1980円
★「歩いて日本一周」旅日記 高知県/宿毛市鵜来島~宿毛~藻津~愛媛県岩水~城辺町(じょうへんちょう)~御荘町(みしょうちょう)
なんだ、雪かぁ・・・。なに、雪!
1980年
昭和55年1月18日(金)
いつもは寒さに震えてシーツを寝袋の中に巻き込む。しかし、風が入らないせいか、シーツを使わずとも少し冷えただけであろ。うつらうつらとする頭、朝が来て車の窓ガラスは水滴で曇る。
今日は15~6キロ歩いて休むつもりである。ろくに眠らずまともに歩いた日には体を壊してしまうし、日記を付けなくては・・・と。
朝が来ても車の中でボンヤリとしていると、外に通学する子供達の声がする。
ガラスが曇っているので、中に居る俺に気がつかないのが助かる。もし見つかったら好奇心の強い子供達・・・、パンダにされてしまう。読み残しの新聞後の袋の中に入ったまま読む。8時を過ぎたのか、通学の子供達は通らなくなった。
外に出ると、何やら白いものが草の根本に見える。なんだ、雪かぁ・・・。なに、雪!
困ったなぁ・・・。それは陰気。人参の皮をむいて生かじりをする。しかし半分食べただけで落す。進む先に店屋はなく、リュックにはラーメン2個、人参1個である。
しかし場所がない。その内、とうとう白いものが空から舞い落ちて来る。やはり四国にも雪が降るのか・・・。
九州に入るまで暖冬が続けばよいと思っていたが・・・。堅い雪質でヤッケにベト付かないのが助かる。落ちる雪は風にあおられ、道路の上を白く流れる。
白い雪は風に乗って舞うように横に流れ落ちて来る。テクテクと歩く足はいつもと変わらないが、クソを垂れたいが場所なく、それにこの雪では休みようがない。道路横に土方のプレハブ小屋を見つけたが、大きなクギが打ち付けてあり、ダメ。クソだけは前の雪の中に・・・。
雪は止む事なく振り続け、雪が変りボタ雪でヤッケに付き、濡れ始める。えらい事になったなぁ・・・と思っても、どうする事もできない。
どの位歩いたか、道路左手、小さな森の入口に鳥居。神社でラーメンでも作り休むか・・・。
しかし、水・・・、水を汲むため200メートル程引き返さなければならないが・・・、それが面倒だし、もしせっかく水を持っていっても、休めるような所ではないかも知れぬ。そう思いながらも歩く足は、思いとは反対に勝手に進む。鳥居くぐり森の中に入ると、樹木に風と雪がさえぎられホッとするが・・・、先に進めど神社は見えない。
こんな遠くまで来て水を汲みに引き返すのも大変だ・・・。今のうちにリュックを置いて行くが・・・、反面、もしかすると水道があるのではと云う期待も「ある」と思う。
しっとりとした道らしい道で、久し振りにいい道に出会った。舗装道ばかり歩いていると気がおかしくなる。森の奥に建物が見える。境内にポツリと水道管が立っている。蛇口をヒネると水が出る。「神の恵みか」
小さな小屋が建ち、そっちの方がいいので戸を開けると、プーンと便所の臭い。そして腐った雑誌に新聞。新聞を一部もって、神社の床でリュックの中身を広げ、ラーメンに人参を入れ作る。四国の神社、囲いが棒で、風が吹き抜け通る。夏はいいかもしれぬが、とても冬向きではない。
境内に大きな楠の樹。正面の参道、境内に白い雪が舞う。美しいと思う。熱いラーメンがうまい。ナベを両手で包み冷えた手を温める。入口の縁に腰かけ、2個のラーメンを作っている間、新聞を読むが、1月15日付で、この新聞は新しい。乞食でも寝起きしているような感じもする小屋である。ここに泊まってはと思ったが・・・。
まず、凍死・・・。それに、あと2~3時間は歩かないと、明日、宇和島には着けない。宇和島のユースでゆっくりとするつもり・・・。
須ノ川海岸に公園があり、中に休憩所。しかし窓も戸もない。売店が閉っている。夏みかんあり、立札に樹の実を取るべからず。とにかく休めないのが困る。
津島町川に入っても何もない。入江の対岸に小さなお堂が見える。針木の漁集落。入江にはカキの養殖か・・・。イカダが浮いている。タバコ屋、老人が1人NHKの労働問題番組を見ている。ビックリする。ヨボヨボとした老人なのに、240円。
お堂は小さく、格子戸で風が吹き込むが・・・、これ以上も歩けない。標識に25キロ宇和島で丁度よい距離である。中は埃。正月だったろうに、掃除を長い事してないのが分る。どうも四国の人間は、信仰心がなくて困る。どこの神社も手入れが粗雑である。
ポンチョを敷いて寝袋の中に入る。多分2時30分頃だろう。少し眠って日記を書き始めるが、手が冷たく手袋をしたまま。時間はあっという間に過ぎ、5時の時報が集落のスピーカーから流れる。
やたらと日記が続き、2ページのつもりが、4ページ。これだけでも最低2時間。途中暗くなってロウソクを灯すが、風に炎は揺れ溶けたロウが流れ、みるみるうちに減っていく。
昨日の分だけを書いて、うどん玉を買いに行く。この集落に店は2軒だけ。タバコ屋のうどん腐っていて、他の店へ。これが遠い。冷たい。夜道をテクテクとうどん玉を求め。
鍋2杯のうどん4個を食べると、さすがに満腹。450円。真暗・・・。
寝袋の中に入っているのが一番。天国。
使用金額:690円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/御荘町(みしょうちょう)~須ノ川海岸~
歩く事に早く解放されるより、この日記に解放されたいと思いつつ歩く
1980年
昭和55年1月19日(土)
久し振りに早めに起き、歩き始めたが、食べるものがない為、宇和島まで25キロ、2~3時頃着く予定。風呂に入りたいし、ゆっくりとしたい。自転車通学する男子高校生。しかし女子は1匹も通らない。皆、津島の磯に向う。
8時、農協スーパーに入ったが誰もいない。それに買う物がない。次のスーパー牛乳なし。牛乳を口にしないと落ち着かない。パンは古い。腹はヘッているし、120円のカキのタネを口に放り込みながら・・・。今日は雪は降らない。しかし田んぼの溜水の表面は薄い氷。9:40AM 津島の磯、着く。農協スーパー、パン牛乳238円。一応とユースに電話。なかなか出て来ない。やっと受話器が上がったと思ったら、
「しばらく待ってください」
10円玉カチカチと落ち、まったのあげくの返事が、
「今日は誰もいないのでお休みにするつもり。宇和島に着いたら、もう一度電話してください」
宇和島はカレーライスしか出さないと言う。夕食は断ろう・・・。600円でカレーライスは、馬鹿にしているなんて思っていたが、夕食は断るどころか・・・、反対に断れた。予約がないと休業にするのか。相手にも都合があるのだろうと善意に解釈しようとするが、どうも納得がいかない。
ますますユースが嫌になる。
全く協会の連中の夢のなさには馬鹿らしくて話にもならない・・・。
浜名湖ユースぐらいではないか、ユースらしいユースは。何故、今の日本人はこんなに夢がなく現実に慣れ切っているのか・・・。もうどうでもよい。
宇和島16キロ。時間を計算する。その場所を探しながら歩くが、ない。松尾トンネルの上に畑あり、行くと立札に、
「ここに便すべからず」。一瞬これ俺に対するあてつけか・・・。森の中に行く。
寒いので休めない。その分早いようである。宇和島の街に入る。どこの市も同じ。中古車展示屋から街は始る。中古車の値を見ながら行くが高い。東京と比べると3割は高いのでは。
土曜日なのか。帰校中の小学校生がゾロゾロ。遠くの丘の上に城が見える。
2日程ゆっくり洗濯して・・・、なんて思っていたが、素通りする事になる。
学校が幾つも建ち並ぶ。その中に木造二階建、明倫小学校の校舎は学校らしい学校で、久し振りに見た。もうこんな学校も少なくなってしまった。
塀の向側に集まる高校生に駅を訊く。港に出ると大小さまざまな船が港に停泊して、なんとも云えない雰囲気。
港に、島々に行く船の待合所あり。中で少し休む。12:45PM。休まず歩いているので予定より1時間早い。今日、宇和島の郊外に出ないと・・・。駅に向う途中、大きなアーケード街。金物屋でガスを買う。ここは、350円。向いのパン屋でフランスパン、240円。フランスパンを持って出て来ると、正面の金物屋連中、俺を見て何やら話している・・・。どうも四国の人間、好きになれない。
深く付き合うとどうなのかしらぬが・・・。
保守的というか閉鎖的と云うか・・・。駅の待合室で、朝日60円を読みながら、パンにハチミツをつけ食べる。テレビ、ルパン三世をやっている。
いつまでもゆっくりとをしていられない。大須まで40キロ。あと10キロ歩いたら明日一日で着くが、日記、昨日と今日の分2日分で歩き、明日昼中は日記を書く事にしようと思うが、思ってもそんな具合に丁度よい場所はない。夏なら何処でもゴロリとなり書けるが、こんな冷たい日々・・・。
もう日記に追われる寸前。まだ日記を書く為に歩いてると云う感じにならないのが助け。
日記に随分と左右縛られているが、助かっているみたい。歩く事に早く解放されるより、この日記に解放されたいと思いつつ歩く。
駅を出たのが、2:40PM、高光(たかみつ)の無人駅。駅舎、廃駅。待合室では寒くて話にならない。回ってみると、窓はクギ付、戸にはカギ。このカギは開けられると思ったが、錆びついてどうしようもない。
石で打ちサビを落としやってみるが、ダメ。
錆びているので、力任せにやると壊す事はできるが・・・、邪道。
こんどは窓のクギに挑戦して勝つ。中に入る時、脚を上げると股がビリビリで破れる。もう古くなって、あと2ヶ月・・・。中は埃だらけ。雑誌がいっぱいある。宿直室4畳、埃が凄い。
掃くと、モウモウと埃が立ちこめる。
表の車の騒音さえ我慢するならいい所。食物がないのが残念である。
畳をゾウキンがけしても、まだ間に合わない。雑誌のページを1枚を部屋に敷き締め、埃防止策?
ゴホンと吐いたタンはまっ黒。電気が点く。マンガ雑誌の方が日記を書くよりおもしろい。後で後でと思っている内に、頭は疲れ、2行書いただけで止めた。明日にしよう。
明日、早く起きて昼までに書くのだ・・・。小便に立つのが面倒臭い。フッとこの窓開かないのかと部屋の窓に手をかけると、ガラガラと開く。何も無理してクギを抜く事もなかったのに。
使用金額:1017円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/須ノ川海岸~津島~宇和島~高光駅
日々が遠く振り返り読む時、この空欄の事が悔やまれるかも知らぬが・・・
1980年
昭和55年1月20日(日)
俺はこの日記に大きな決心を持って反逆するのだ。
日記を付けない事にする。
しかし・・・。駅の隣は交番とは知らなんだ。腹がへって、店に行ったもののラーメンとビスケット。
1日中、お茶をのみ、読み続ける週刊誌に頭をやられた。
日記を付け終えた後、昼から歩くつもりだったが止めた。
今、7:25PM。外は雨らしく、車の走る水しぶき音が・・・。
1日の反抗・。反逆しぬく。
日々が遠く振り返り読む時、この空欄の事が悔やまれるかも知らぬが・・・。
規則を守り通す事も大変だが、それを破るのも大変だ・・・。
あぁ・・・、風呂に入りたい。
大洲では旅館にでも泊り、のんびりとするか。
使用金額:695円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/高光駅
この吹雪の中を無理して歩く自分が、余りよく分らない
1980年
昭和55年1月21日(月)
時計は6時10分前。外の空を見ると暗く空模様は分らない。星が見えない所を見ると曇ってるのか。何も見えず。宇和島まで138キロ。早めに出発しないとと、早く起きたものの空の様子はサッパリと分らない。
寝袋の中に入ると、サテ・・・どうするかなぁ・・・と考えている内に時間は過ぎて行く。エイと起き、お茶を作りビスケットを食べ出る。起きたのが6時30分。出発7時。
空は雲多し。しかし青空も見える。晴れるだろうと思う。カーブを曲って正面に入江と吉田の町。高光から吉田までの距離が分らず8キロと思っていたが、1時間程で着いた。儲けたと思った。4キロは大きい。
朝の通学、しかし女子が少ない。カーブを曲がった時、正面の山に白い雲の山が目に飛び込んで来る。大須方面から来る車の屋根に雪が積っている。道路は上り始め段々と下に海が広がり、みかんの段々畑。山肌には雪で美しい景色である。
トンネルまで来ると雪。しかし晴れているので別に寒くはない。雪が溶けその水で靴が濡れる。法華津(ほけつ)まで来ると下界の雪化粧の入江が素晴らしい。峠のトンネルを下りて来ると雪は増し、道路横、人が歩く分半分溶けかかった雪が残り、歩き難い。車が溶けた雪の水シブキをかけて行く。
卯之町に着いてバス待合室に行くと石油ストーブ。椅子に座って共通一次試験、英語問題を読み、それをリュックに戻す為、椅子を立つと、石油ストーブにいたゴリラの顔をしたババ、サッとなんも言わず座る。なんと非礼と言うより無教養な人間か。怒るより呆れた。
しかたがないので外に出ると、空の天気はいつの間にか変り、雪が降り始める。急に寒くなる。スーパーで、366円。
スーパーを出た所でフッと考えたが、松山まで何とかもたして、イイ物を買いたいと思い無理して歩くが、買った魚のフライ冷えないうちにと、雪が吹く中歩きながら食べる。
最後の牛乳はもう冷たく、指が凍えて箱を持てない・・・。
食べながら歩いていた時、前から吹き付ける雪と風はさすがに痛く、ハァハァと言い、もう涙寸前。
牛乳も指と足が痛く、感覚がどんどんと麻痺して行く。今までで一番最悪。歩く所なく、半分溶けた雪の中を歩くので、クツはビッショリ。冷たいなんてものではない。引き返すか・・・と迷いながら足が前に進む。
俺の一番の欠点。引き返す事を知らない。根性と言う言葉は通り過ぎ、完全に限界。後悔する。
やはりあの時、クツを買うべきであったが、濡れても歩いて足を動かしていればと、たかを食ったのが大きな間違い。
凍傷を起すのが一番怖い。しかしもう引き返す余裕は全くない。バスに乗って行き返す以外、どこかの家にでも飛び込もうかと思う。とにかくなんとかしなくては。
ガスがあるので場所さえ・・・と、その時、道路左側少し入った所に上宇和駅。
倉庫からダンボール紙を貰い、駅に行く。
中に壊れたゴミ入れの洗面器。その中にダンボール紙を小さく切って火を付けて、冷え切った足をあぶる。指も殆ど動かない。炎の熱さは、まさに天に昇る気持ち。
その時、自転車でやって来た爺さん、窓から覗き、たき火を見ると目を白黒。戸を開け入って来る。
爺さん、「火は危ない」。はぁ大丈夫です。すぐ水をかけますから・・・。
なにやらブツブツ言っているが、とてもこの爺さんの言う事を訊いていると、俺の足は冷凍になってしまう。ケンカをしてもたき火は続けるつもりである。
今度は老婆が入って来る。おばさんは、この火を見て、「まぁ、うまい事をやっていますネ」。
ところが、このうるさいと思っていた爺さん、おばさんに切符を売る。無人駅と思っていたのに、委託でもしているのか。爺さんがブツブツ言う訳である。
外は白い雪がしんしんと降り、美しいが困った事になった・・・。早いがここに泊るか。靴屋をお爺さんに訊くと、この先2キロに農協があり、多分長靴は売っているであろうと言う。
なんとか今日、大洲(おおず)まで行ってゆっくりとしたい。焼けた洗面器の後で靴をジュージューと乾かす。半分ほど乾いた靴の中にダンボール紙を入れ外に出る。雪、ついてないなぁ・・・。とにかく2キロ、我慢。ダンプが走り去る度、後輪の水シブキがヤッケに泥水をかけ汚れていく。もう怒る元気もなくなった。
やっと農協「樫木」。若者がいて長靴は27センチが一足だけと言う。11文半。少し大きいがもう文句を言ったものではない。1475円。
農協のババァが出て来て訊くので、話しても分らぬであろう。
「女郎を買いに」
「フーン」
若者が、「日本一周しているんだって」と言うと、
ババァ・・・、「フーン物好きネ」。
冷たいのから解放され気分的にも凄く楽になる。雪は止む事を知らず。しかし、まっ白な雪に覆われた点々とした農家は、まさに日本的な風景で文句なしに美しい。田んぼの中に雪が一面に広がり、空に雪が舞う。
冷たいのに解放されると、周囲を見る余裕が出て来るが、続き降る雪の中にはこの先・・・、どうなるのか。道路標識の距離数と時間を計算する。多分「瀬戸」であろう。
標識は大洲11キロ。そして空家を見つける。凄い雪でみるみるうちに積って行く。
こんな無理して大洲まで行ってもと云う気持ちと、今ここで泊ったら、時間的距離的に中途半端になるし、明日も雪かもしれぬ・・・。昨日、午後から歩いていたら、今頃、大洲だったのに・・・と、少し悔む。昭和48年のカレンダーのかかった埃だらけの空家。迷った末、雪の中を歩く。
坂道となり上に上って行くにしたがい、積雪と雪は酷くなる。
長靴を買ってよかった。こんな道をあの破れた靴で歩いていたら、完全に冷凍しただろう。鳥坂トンネルに入るとホッとする。
このまま長いトンネルが続けばよいのにと思う。トンネルの出口が段々と近づき大きくなると、凄い吹雪にさすがゾーッとする。
四国、こんなに雪が降るとは夢にも思わなんだ・・・。出口に公衆電話あり中に入ると、まずユースに電話するが、出ない。郵便屋の配達おっさん、どっさりと雪をかぶりバイクでやって来る。
バイクにチェーンを付け始める。電話ボックスの中に立っていても寒く、外は吹雪。しかし、なぜだか無意識にリュックを背負って、その吹雪の中に出て行く。
顔を正面に向ける事ができない。
横、正面と吹き叩きつける雪で顔が痛い。
なんとか大須まで、あと2時間の辛抱である。こんな時、破れたポンチョ、使えず・・・。あぁー、新しいカッパを買うか・・・、防寒の用意をするのかと迷いながら歩くが、別に辛いとも思わない。多分、初めての者だったら音を上げるだろう。
俺もこんなにえらいとは思いもしなかったが、今までの10数年間が俺を変えたらしい。
フッと自転車が頭中をかすめる。雪の中に足を入れないだけましか。荷物も余分に持てるし、とにかくこの吹雪の中を無理して歩く自分が、余りよく分らない。時間を気にしているか、それとも困難なものへものへと進む自分の性なのか。
トンネルから100メートル程下って来ると、雪で車がズラリとジュズ繋ぎである。それを見ると、フッと笑いがこぼれる。あの連中も、えらい目に遭っていると思うと、急に気が軽くなる。
無理して登ろうとする車は、タイヤがスルスルと滑りノロノロ。そんな車が沢山下からやって来る。
トラックはそれを追い越し、もう見ている方がヒヤヒヤ。
ある者はチェーンを付けるのに奮闘している。俺はその横をスイスイ行く。初めて車に勝ったと云う気分。
ユースの事が気になる。吹雪が止む。雪が降っても一部空に青空を出す時があり、美しいなぁーと思う。下に下って来るに従い、積る雪は少なくなって来るし、降る雪も上ほど激しくない。峠から下まで1時間程歩いたか・・・。
電話をかけるが出てこない。急に不安になって来る。前の店に入る。パン250円。火鉢で、あたる。
お客のおっさん、雪が止むまで待っていると・・・。俺は雪の中を無理して歩くが・・・、大洲まで距離を訊いてもハッキリと知らず、もうスグそこですよ。
この土地の者の言うスグそこですよが、あてにならない。
歩いて20分と言うが、俺の予想だとまだ4キロはあると思ったが、確かに30分程で大洲に着いた。丁度だが、街の事は知らぬ。
市役所前の電話でユースにかけたが出ない。頭に来る。多分、今頃、客がいなく飛び込みは受け付けないだろう。嫌なユースになって来た。
どんと1万円位の旅館に泊るか・・・。橋から見ると、日本風の建物。川岸に行ってみると、蔵造りの銀行である。少し歩いてみたが旅館らしき旅館がない。大金を使うので、イイ宿に泊りたいが・・・。
しかしその内、馬鹿らしくなり、あー野宿しよう・・・。
駅に向う。スーパー574円。駅、朝日60円。新聞を読む。外は暗くなる。もう一度ユースに電話。出ない。出ないユース、潰せ。サテと考える。
駅前の観光図を見て日吉大社、弁財天、観音堂をあったてみる事にして、富士山に行くが、とにかく書いてると大変な長さになるので止めるが、真暗の森の中、道分らず途中で引き返したり、俺は助け、神は俺を試してるのかと思いながら山に行った。
小道を行って、日吉大社に行ったら、人がいて太鼓の連中・・・。民家裏・・・、さすがにもう弱気になる。しかし、銭で解決する気にはこれっぽっちもならないこの俺の精神構造が、不思議に思う。
元来ケチなのか・・・。河原に出て、弁財天の小さな小屋みたいな建物。どうする。神はどこまで俺に意地悪したら気が済むのか・・・と、思ってフッと気が付く。
今、通った土方プレハブ。行くと戸は開き、中は何もなく板床。ダンボール紙を敷く。ホッとする。
こんな時、神様なんているのかどうかしらぬが、感謝する気持ちになる・・・。
しかし、1時間前この前を通った時、全く気が付かなかった。
使用金額:2725円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/高光駅~吉田町~法華津(ほけつ)~卯之町~上宇和駅~大須~瀬戸~鳥坂トンネル~大洲(おおず)
2
冬の道歩くのは夏の4倍は疲れる
1980年
昭和55年1月22日(火)
いつものようにいつまでも寝袋の中に入っているわけには行かない。河岸にはまた、肱川(ひじかわ)舟遊びの船がたくさん浮かび並ぶ。川畔に城。いい町だが好きになれない。昨日必死の思い吹雪の中を歩いてきたのに・・・。
本当は2~3日ゆっくりしようかと思っていたが・・・。あー胸くそ悪い・・・。
とりあえず駅に行く。まず昨日の濡れた靴下を洗濯。しかし冷たいのなんの指が・・・。顔は排気ガスにブッかけられた泥水がミックスして見事な顔。タオルが真っ黒だが、洗濯できない。これを頭に巻いていないと寒い。道後温泉でゆっくりするつもり。もうこうなったら2~3日風呂につかっても入らなくても同じである。しかし顔はかゆいし、体はもぞもぞ。
朝日60円。ぱっとしないユース。オリンピックはどうなるのか。ソ連のスパイ。自衛官。ユース。どうしてソ連のやり方は・・・。陰気なのか。苦々しい連中。金は800ドルと突き抜ける・・・。一体どうなっているのか。この調子だと1,000ドル行くかも。駅で考える。国道56号は378号より8キロ短いが、山で雪が多いと言う・・・。8キロ、これ大きい。
56号を行くと2日で松山に着くが、378号線回りは2日半になってしまう。
56号線、寝所探すのに大変だろうが、海岸線は無人駅があるだろう・・・。昨日の日記を書いていないし、8キロ、いいじゃないか。遠回りして行くことにする。肱川の土手に出てそれに沿って行く。県道が狭いのにやたらとダンプ。うんざりとなる。寒い。防寒服を買うかどうか迷う。非常に判断の難しいところ。あと1ヵ月ほど我慢すればと思うし・・・。瀬戸内海の気候がわからぬ・・・。
八多喜駅のがらんとした待合室。ヒヤリと冷たいベンチに座って、生の人参をバリバリと食べるが、人参も冷たく歯にしみる。
冷たい空気の中で読む新聞は全く面白くない。しばらく読むのをやめようかと思ったりするが・・・。隅々まで読んでも面白いとは思わない。肱川はだんだんと大きくなってゆく。
白滝駅は駅員が数人いる。牛乳を買う135円。四国、ひまわり牛乳と愛媛牛乳。まずいのなんの。牛乳とは言えない変な味。谷間の風は強く、もう根性で歩くしかない。
松山には3日間で行くつもりである。
別に急ぎ必要はないが、寒くて休んでいられない。次の駅は無人駅「いよいすし」。中でお茶を作る。冷えたがガスの炎は弱いので、まだ少しお湯を作り、その中にガスを入れ温める。お茶、ひんぱんに作るので楽じゃないし、どうもお茶ぱが古くなったのか、味が悪い。
来る客、降りる客、まともに戸を閉める者一人もいない。そのため俺が占める。嫌な百姓連休。お茶を飲みここに泊まってもいいな・・・。そして日記。しかし距離足りない・・・。
サテ地図を見て、距離時間的に喜多灘が1番良いのだが、その時、防寒服に身を固めた老人が入ってくる。
この老人、この喜多灘の人。無人駅であると言う。ジイさん、3時なんぼの列車で行くと。時間は13時45分頃・・・。これで安心して歩ける。長浜に出る。何か買っていくかと思ったが重いのでやめた。
冬の空に海。たくさんの島々が、海が見える。九州とか思っていたら、地図を見ると瀬戸内海の島々。長浜から神戸に行くフェリーがあるらしい。海は荒れている。
国道は狭くビックりする。民家は山の中とか。海岸にヘバリつくように建っている。
もう寝るところが決まったので足は軽い。スイスイと進む。約8キロ。あっという間に駅に着く。途中収穫したカゴに入ったみかんを3~4個。失敬したが、久し振りのみかん。おいしいが冷たい。
駅は線路下にあり、事務所側の道が開いている。委託の切符売り場いるらしい。事務所、宿直室と思ったが、待合室で我慢することにする。駅近くの店に330円。この店の天井、変わっている。松板に何やら土をどうかしたものを塗って、その後油を塗るそうな・・・。
食べたくないでラーメンを食べる。仕方がない。この旅が終わったら絶対にインスタントラーメンは食べない。
お茶を作り日記を書き始めたが、寒くて手がよく動かないし、頭が疲れているし、ミミズみたいな人を見ると、ますます嫌になるし、日記をつけるのが大変な労働である。
さっきの爺さんが来る。列車で来るより歩いてきたほうが早い。
この駅、花なんか飾ってある。横が道路なので時々通ダンプの風で、ガタガタと窓を揺り、うるさい。
頭がクラクラとする。冬の道歩くのは夏の4倍は疲れる。チョッとも知らなかった。もう二度とやらん。
いま、駅の時計、8:50PM。こんなに遅い。交通、まだ序の口なのかもしれんが、俺には大変だ。少しでも体を休めないと体がもたない。
北風が鳴らすガタガタの窓ガラスは何故か悲しい。
使用金額:525円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/大洲(おおず)~肱川(ひじかわ)~八多喜駅~白滝駅~伊予出石(いよいすし)駅~長浜
この駅ではないか、映画の寅さん出てきたあのシーンは・・・
1980年
昭和55年1月23日(水)
初めて親切らしい親切。愛媛県に入って6時の暗い内から、ガヤガヤと階段を駆け上って行く音。土地の者は定期券を持っているらしいが・・・。7時、ガラリと戸を開けおばさんが入って来る。人が来ますから起きて下さいと、よく口の動く人である。お茶でも作ってゆっくりと出るかと思っていたが、とてもそんな事を許してくれるようなおばさんではない。
荷をまとめ上げた時、おばさん、「お茶持ってきてあげようか」。
「ハァ、お願いします」
コップ一杯のお茶、熱くはないがそれでも大変に助かる。昨日買ったドーナツの堅いのを、お茶で流し込む。おばさん、今度はどんぶりにモチ2個入った煮物をもって来てくれる。うまいモチである。
8年前から無人駅になっているとか・・・。古い木造建の小さな待合室。旅情がある。
学生達がゾロゾロと階段を上る。その集落には学校がないらしい。7時30分、駅を出る。道路は相変らず狭く、所々拡張工事しているが、狭い道にダンプが来ると、一台分ギリギリの幅である。
その割には交通量が多い。山肌の傾斜面にポツリポツリとキノコみたいに建つ民家。水田はもちろん畑らしい。畑も見えない。何をやって生活しているのか知らぬが・・・。
海には大小さまざまな色々な島々が見え、海の色が緑で今までの海の色とは全く違った不思議な色である。小さな船が作業してプカプカと波に浮いているが、寒いだろうに・・・。
下灘の町に入る。低い軒先の並ぶ商店。朝日60円。駅に行く道を訊くと、詳しく教えてくれた中年の厚化粧おばさん?
牛乳130円。昨日、牛乳販売店では135円。店のほうが安い。町外れの伊予下灘駅に行く。小さめ田舎駅にホームの前は海。しかし、工事中の道路が横たわり、その景観、台なし。
小さな待合室のガラス窓からホームを見ると、白い「伊予下灘」の看板が立ち、そのバックは緑色の海で、四国らしい駅である。
この駅ではないか、映画の寅さん出てきたあのシーンは・・・。
2つの木造りベンチに座って新聞を読む。牛乳を飲む。体が冷える。10時駅を出る。
海岸線の道は風景悪くない。これで車が走らなあいいなら文句なしであるが。
「上灘(かみなだ)」11:40AM着。
駅前の店で、さて・・・、腹がヘッたが・・・。しかし、パンばかり食べているとウンザリとする。体にいいものではない。しかし、他にうまて安くて量があって3拍子揃った物を見つける為に店の中をグルグルと回ったが何もない。210円、徳用袋菓子。
駅で新聞を読む。腹の調子がおかしいので駅の便所に行き、まず便器の中を確かめる。お釣りの戻って来るヤツである。止めた。
静かな騒音のない所である。降客が出て行った後の改札口から、フサフサとした毛の犬が出て来て、ジッーと俺を見る。お菓子をポンと投げると、うまそうに食べ、また、もう一個おくれと云うような目でジーッと見る。もうやらんと云う目で見返す。
今日、記念切手の発売日を勘違いして郵便局に行く。しかし28日。貯金6万円下ろす。
公衆便所でクソ垂れたら下痢・・・。どうもあの天プラよくなかったらしい。
明日まで松山に着けばよい。距離は無理なく行けるので焦る事もないが、休む場所がない。
高校生の競歩大会をやっているらしく、先生の乗った車と歩いている高校生連中。車が去ると、高校生達、崖道を登って、近道をしているので、俺もその後を行く。週刊誌、プレイボーイ2冊を拾った。
確かではないが「高野川(こうのかわ)駅」であろう。小さなホーム。周囲に家なく、なんでこんな所にこんな物があるのかと首をヒネるが。線路は切り換えになっている。その近くに鉄道工事作業員休憩所があり、窓は開いているが、格子棒が外にあり、この格子はアルミサッシ。ネジ4個を取れば入れるが、ドライバーがないと・・・。少しチョコチョコとやってみたがダメ、諦める。
駅らしくない駅から500メートル程行ったか。建設作業場の横にプレハブ小屋あり、中を覗くと空家。
中は畳3枚。埃は掃いて、今日はここに決めた。時間は2時頃であろう。
日記と思ったが、日記みたいな面倒なものより週刊誌のほうがおもしろいに決っている。
週刊誌の後、書こうかと思ってプレイボーイを読み終る頃は、頭はボーッとして、とても日記どころの話ではない。
何故、最近すぐ疲れるのか。少し頭を休め・・・と、寝袋の中に入る・・・。その時は暗くなりに日記どころの話ではない所の話ではない。
今日まともに食べていないので、腹がグウグウと鳴る。外にみかん畑があるが、あれは夜中小便に起こされるので困るし、そのまま寝袋の中でジッーと考え事してると、増々頭はおかしくなり耳鳴りがジーンとしてくる。明日の松山、風呂だけが楽しみ。
使用金額:350円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/長浜~下灘~伊予下灘駅~上灘(かみなだ)~高野川(こうのかわ)駅
心の重みを背負って歩いているような人である
1980年
昭和55年1月24日(木)
最近、まともに同日に日記を付けた事がない。いつも1日遅れ。それに半中途半。無理して書くので、文字、文章共乱雑である。今朝、寝袋の袋の中で昨日の日記を書き終え歩き始めると、書き忘れた件を色々と思い出す。
昨日、この高野川駅付近で、左側を前方より歩いて来る一見、行商姿に似た、白いアゴ髭のおじさんとすれ違う時、ジーッと見ている俺と、そのおじさんとの目と目が合い、相手は頭を下げ俺は手を挙げた。
別に話をする訳でもなく、相手は左側、俺は右側の一瞬のスレ違い。心の重みを背負って歩いているような人である。
今朝は腹ペコの腹を抱えい伊予に向う。みかん畑からみかんを採って来たが、手入れをしていないせいか、みかんの皮は乱れてしまっている。しかし味は変わらず甘い。見た目は悪いけれど、無農薬みかんよりは・・・。
疲れなのか小便の色が悪い。今日、ユースでバッチリ洗濯、風呂・・・、それだけが楽しみ・・・。
峠を下りて来ると、右手の遠方に車両の多い国道56線が見える。途中から右手に折れれば56号に入るが、左手少し遠回りなるけれど、伊予市街の方に進む。
伊予駅に10時。売店で朝日60円。最近いくら読んでもスンナリと頭に入って来ないし、頭がボーッとして来る。最近まともな物を食べていないので、頭脳の栄養が足りないのではと、半分本気になって考えたりする。とにかく毎日がまともでないのだから・・・。頭がおかしくなってまともなのかなぁ・・・。
昨日の新聞記事。NY金市場、1000ドルを超えたらしいが、今日の記事はロンドン金相場は、1オンス678ドルの暴落・・・。それに日本では、金相場投資の詐欺被害者・・・。
どんな手口で騙されているのか知らぬが、とにかく金儲けは楽ではないヨ、ハイ。
伊予郵便局に風景印を押しに行く。局にあった「切手」の雑誌を読んでいたら、全国の新しい風景印の紹介。美しいスタンプがいっぱい。所在住所を書き写していたが、あまりあり過ぎて書けるものではない。これから通る所だけ簡単に写す。それでも1時間近くかかったのでは・・・。
住所の一覧表があると助かるのだが。今度、スタンプ押しの旅行でもするかと考えたが、これは大変だ。初めからこのスタンプを集めていたら大変な旅の収穫になったのは間違いないが、大変だぁ・・・。
県道を通って、川内町へと向う。店に入って買ったのが、パン、牛乳425円。
過酸化水素の入っているかもしれない天プラ。嫌々と思っても他にいいものは見当らない。下痢するのは当前である。
「上野」から左に折れ、北伊予に向うが、自分勝手に道を極め行ったのはよかったが、途中で道は切れる。稲刈り後の田んぼ遠く向う側に車が走っている。
多分あれがまともな道であろうが、引き返すのもしゃくだし、麦畑、田んぼ、野菜畑を通り抜け、農水道を渡り歩く。
今日、春の日と思わせる程、ポカポカとした陽気で、久し振りに汗をかく。長靴とボロボロのジーンズを歩く姿、時々戸ガラスに映る自分の姿を見ると、土方のおっさんである。これなら、たとえ銭があっても、旅館は泊めてはくれないであろう。諦める。
右足の甲が痛い。甲の骨が高いのか、長靴がしめつけるのか、とにかく長靴は歩き難い。雪が降ると困るし・・・。遠くの山を見ると、雪化粧・・・。松山~西条は山で雪であろう。
とにかくカッコウ悪いし、歩き難し、強い雪が降らない事には無用の物。しかし、雪が降ると寒いし、早く春が来ないかなー。
遠くに松山市街が見える。チョコマカと狭い細い道を行く。川を渡る。この川は全く間違いで、地図を判断して歩く。歩けど歩けどと。おかしい。椿神社とやらに来たが、地図には載っていない。
交番で訊くと、この地図にはまだこの歩いてる地域は載っていない・・・と。
俺とした事が。ユースに電話すると、「改築中ですので、別の所を考えて下さい」。
嘘か本当か知らぬが・・・。
客のいない今頃、1人客は面倒、邪魔? これは絶対おかしい・・・、四国のユースは無茶苦茶である。
もうガックリと来る・・・。これだったら川内に向ったら、今頃・・・。
天気が分らない時、ユースに電話を朝すると、無理する事になる。それで、いつも3時過頃するようにしているが、これが裏目に出た。もう、この旅が終わったら、ユースに泊る事はないであろう。
胸クソ悪い地図を広げ・・・、どうするか。奥道後ユースは遠過ぎる。こんな時、自転車、車なんかスイスイ。これが歩きの泣き所・・・。だからとバスに乗る訳にもゆかぬし・・・。
国道11号線に出る事にする。
とりあえず建材店にガスを買いに入る。なんと430円。
「エッ、こんなにするの」
「ハイ、昨日から値上りしました」と、女子事務員。
「ジャー、昨日までいくら」
「400円」。どっちにしても高いではないか・・・。
しかし選択の余地なし。シブシブと430円払う。これで相手が美人なら、まだ少しは気が晴れたかも知れぬが・・・、あれもこれも値上か。それで、あれだけ多量のガスを昨日仕入れたのか。便乗値上げもいいところ。風呂も洗濯も裁縫もやる事が沢山あるのに困った事だ。
ユースもおしまいだな・・・。予約の者だけ受け付けるのかどうか知らぬが、本当に旅をしようとする者にとっては、時代の流れか、これじゃホステスの会員が減るのは当り前だ。
これから8年後を目指し、ユースを建てようとする自分自身にとっては、希望どころか失望しか与えてくれない。少数の真面目にやっている人達が、一番いい面の皮だ。可愛そうに・・・、ブツブツとそんな独り言をいながら、11号線に向って歩く。
フッと見た丘の上に神社・民家の集落を通り抜け、階段を登って行くと、小さな森の中に建つ社。しかし、戸も窓も何もない屋根! 鉄板でできた賽銭箱の上に腰掛け、まずお茶を作る。
熱いコップを両手で包み、さて・・・、今夜はここに泊るとして、冷え込む事は間違いない。それに風でも拭いたら・・・どうなる。
今、4時頃であろう。このまま歩け続けても先が知れている。新聞を読んでいたが、今日は真面目に日記を付けようと・・・、新聞を止める。
夕暮、丘の上から正面に薄い紅色に空を染めた夕映え。陽は見えぬが麗しいカーテンのようであるが、日記の方が忙しい。暗くなる前に書き上げねば・・・。しかし、随分と日が長くなった。
後1ヶ月したら、楽になるであろうが、その時はもう終りに近い。小高い山の上にライトに照らし出された松山城。暗くなった水筒、石鹸を持って買物。白菜、もやし、豆腐、牛乳。770円(ポン酢)
腹の調子がおかしい。野菜を食べないと。鍋の中に野菜、白菜、もやし、豆腐を入れ、ぐだぐだ。
あとは酢だけ。これが本当の煮物ダ!
フウフウ云って食べる。熱い物はおいしい。買物の帰り、民家の路地を通ると、各家庭の炊事場から、色々次々とブーンとおいしそうな香りが流れ、
「落語家を殺すには、刃物は要らぬ、あくび3つ」と云うが、旅している者には、この昨夜の香りで充分だなぁ・・・。
美人が料理の出きない女。不美人が料理の上手い女。もし、結婚するならどっちを取るか・・・、なんて考える。やっぱり料理だ。美人なんて隠せるが、料理は隠しようがない。
しかし本当に今の女ども、まともな奴が一人もいない。理屈は10人前にこくが、やる事は、10分の1人前。考えている内に頭に来る。
暗くなった松山の街に、色々なネオンサインが彩る。
冷たくなった夜、今日の空はと見上げる。半月。
使用金額:1685円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/高野川(こうのかわ)駅~伊予駅~川内町~
ヒヤリと心の中まで冷たくなる冬の河原
1980年
昭和55年1月25日(金)
予想した通り夜になると寒いのなんの。床板の底からグングンと冷え込んで来る。下にジーンを敷いたり銀紙を覆ったりしたけれど焼け石に水?
それこそ焼け石でも抱いて寝ない事には・・・。冷え込んで来てからは、一睡もする事ができず。普段はこのまま夜が続けばよいのに・・・。寝袋の中でジーッとしていられるから・・・。しかしこの夜は、早く夜が明けないかと待ち遠しい・・・。こんな時に限って、なかなか夜は明けないものである。
朝、寝袋の中に入って昨日の残り野菜を食べ牛乳を沸し、蜂蜜を溶かして飲む。神社に泊ると癖になった天井のハリを見る。大きな一本柱。
おっさんが拝みに来て手を打つが、銭を入れぬ。賽銭なしの拝みでは神様も知らぬ顔であろう。
とかくこの世は、金、金。地獄のさたも金しだい。神の世界も同じさ。
洗う食器類。水が冷たい。地図を見て今日の予定を考える。小松までの距離、無理で山間部の途中になる。遠方の山は、雪でまっ白。あんな所で、野宿した日には死んでしまう。
川口町あたりで泊るつもりである。
遠くの松山城を見ながら、細い道を通り国道11号線へ。途中男女マラソン中。道を訊くと、男と女の言う事が違う。女はでしゃばりなのか、知ったかぶりなのか。困ったものだ。
11号線に出ると、道幅が狭いのに、車の数珠つなぎで歩道なく、トラック、ダンプが来ると、危なくおちおち歩いていられないし、気疲れ。
朝食後1時間程しか経っていないのに、開店すぐの大きなスーパーを見ると、ついフラフラと入ってしまう。モチ、アズキなんか買って、815円。
レジで、「15円いる?」
ハイと、ポケットの小銭を取り出し、「あるかなー」。
女の人があるあると、片手に乗ってる小銭をかき分け、1円玉5個、10円玉2個。オヤ、15円じゃなかったかな・・・。後でレシートを見る。やはり、815円。
このスーパーの制服、モダンできまっているー。食べもしない食物の重い袋を下げ、あれあれ、なんで俺こんなに買ったの。女性が欲求不満になると、手当たり次第に買物をして気晴らしするなんて、読んだ事があるけれども、何となくわかるような気がする。
とてもじゃないが国道は歩いていられない。何と云う欠陥道路を作るのか。愛媛の人間のやる事は分らない。道路、後進国の代表作。これで一級国道とは涙が出る。
伊予鉄道に沿って別の道が通っている。その道に移ると、車は急に少なくなりホッとする。国道を行くより少し遠回りになるが、そんな事言えたものではない。
平井で新聞販売店を訊ね探していたが、通り過ぎてしまった。
丁度、水道蛇口を見つけたので、陽気のいい日なので裸になり、頭を洗い、汚れた靴下とタオルを洗った。バケツがあると、着替え洗濯したいのだがそれはできない。さすがに陽気とは云え、裸になると寒く、鳥肌が立つ。通り過ぎるババァ連中、チラチラ。
頭を洗ってリュックを背負い少し歩いたら、店から出て来たおじさん、「モチをあげよう。好きかい」と、つきたてのモチを5個くれると、去る。
新興住宅の多い地域。その間に古い門構えの農家と田んぼ。どこの都市郊外も同じ現象である。
大きな神社が見えたので休憩に行くと、境内に公民館。そして便所、水道、バケツと総て揃っている。
洗濯して乾かしている間、ぜんざいでも作るか・・・。とりあえず便所でクソ打たれるが、初めをよく確認した後でないと、お釣りが・・・。
大丈夫と分って初めて落ち着いてクソを垂れる。
クソ垂れるのも楽じゃない。
便所から出て来ると、ヨボヨボの老人達が境内で何やら線を引いたり立てたりしている。クリケットである。セーターを洗ったが絞れない。それにぜんざいを作ってと云う雰囲気ではない。ゾロゾロとジーさんバーさん連中が集って来る。
神社は床上げ式で、大きな柱を使っている。天井の中に色々な古い大きな絵馬がかかっている。赤穂浪士の絵馬もある。絵馬ばかり見ていても、セーターが乾くまで時間はタップリとある。
新聞販売店をジーさん連中に訊いて、田窪駅近くまでワザワザ行ったら、
「ウチではやっていません」。全くとんでもない老人連中。
神社前に民家あり。その前庭に洗濯機。ヨボヨボの老人がいたので訊くと分らん。セーターを持って脱水機を貸してもらうよう頼む。セーターなので、脱水すると、乾きは早い。
蜂蜜を牛乳に溶かしバナナを入れしばらく漬ける。その間、日記を付ける。老人が話しかけて来る。ハイライトを一本貰う。別においしいくはない。
2コース作り、焚火をしながら順番を待っている。
見ていると、よっぽど暇でやりまくっているのだろう。うまいものである。しかし、老爺に婆では、色気なく吐気しか感じない。
乾くまで待っていられないので、リュックの後に洗濯物を下げ、歩き始める。
陽気だと思っていた日は、1時を過ぎると、急に次第に冷ややかになって来る。セーターを洗った事を悔む。しかし、畑には緑の麦の葉が小さく土から出て、枯れていた茶色の田んぼも、小さな緑の葉のジュウタン。
こんな風にして、じょじょに春が来ているのだなぁーと思うが、遠くまっ白の石鎚山(いしづちさん)を見るとゾッとする。
11号線はあの山の下。谷間を通っている。サテ、うまい具合に寝所が見つかるとよいのだが・・・。
この辺の神社の作りは、戸も窓もないので夏には大変都合よいが、冬のこの寒い時には使い物にはならない。
伊予線の最終点、横河原のボロ小屋駅に着く。2:45PM。
売店はハト小屋よりおちる。朝日はなく毎日を買う。60円。全然おもしろくない記事である。
30分後、駅を出る。駅前に案内図がある。鳥居の示し。駅からスグ。しかし境内でここも老人連中がクロックー? クリケット?をやっているし。
神社は立派な建物で気後れしそうだが、境内を通って行く事ができない・・・。
あれだったら鍵はかかっているだろう。そこからスグ大きな橋がかかり、町境である。橋を渡りながら周囲をよく見るが何もない。
民家ばかり。これ以上進んでも話にならない。橋を渡って右の堤、松林を見に行く。しかしダメ。広い河原には松林。これ以上進む気は全くない。
橋の下に土方の休憩小屋らしきものが建っている。橋下は工事中。
見ると周囲をバラック板で囲ってあるだけ。天井、屋根はない。屋根は橋の底である。でも文句は言えない。上等だよ。発泡スチロールがある。これを下に敷くと、底冷えは防げる。
新聞を読む前に日記を書く。5時のサイレンが鳴ると急に冷たい風が吹き込んで来る。河原から見る西の空はピンク。小屋の中は薄暗く、石油ストーブが1台ある。これは助かる。油の臭いが鼻にプーンと来る。暗くなるまで待って、うどんでも買いに行くつもり。しかし暗くなると、面倒臭くなり、あぁ止めた。寝よう。
板の上に発泡スチロールを敷く。石油ストーブは消す。少し疲れで寝た後、目覚め、後は車の走る騒音に悩まされ眠れない。
チリ紙を丸めて耳に栓をしたが、聞こえるのではなく、橋から響くのである。トラックが通る時なんか、グォーンと体に伝わる。
そして、天井のない上からは、冷たい風が吹き込み、石油ストーブに火をつけても熱は上に上がり、底辺には来ない。天井でもあるなら、暖かくなるのであろうが、発泡スチロールは温かいが上は寒い。早く早く夜が明けろ。
なんとも憎たらしい事だ。小便に行きたいが寒い。無理して我慢したけれど限界。しぶしぶ外に出ると、ヒヤリと心の中まで冷たくなる冬の河原。
使用金額:875円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/高野川(こうのかわ)駅~伊予駅~川内町~平井~横河原
ここから高松まで120キロ
1980年
昭和55年1月26日(土)
6時前からゴーゴーと車のラッシュである。時間は分らぬが、サイレンが鳴ったので6時なのであろう。それ以前から橋は車の為に、ビンビンと響、この頭をイライラとさせる。
2~3日ここに寝泊りしたら、慣れるか気が狂うかのどちらかであろう。寝て疲れるなんて、落語の話のタネにもならん。ブツブツ独り言。
道路に上がると、例の車に狭い国道。そして気休めの歩道。学生の自転車とスレ違う事のできない幅。途中から少し幅広くなる。高校生の自転車ハンドルは変形。この辺の流行なのか。女子高校生が少ないし、本当に四国は可愛い子がいない。隠れているのかなー。
冷たい朝の空気に、トラックの排気ガス攻撃には、ほとほと参ってしまう。車のない事なら、この冷たい空気は新鮮で、胸にしみるかも知れぬが、排気ガスと一緒では・・・。
それに、冷たい朝なので燃焼悪く、増々モタモタ、もくもく。道は緩やかに登り坂となって行く。昨日の残りバナナ4本、冷たいのなんの・・・。まだ店が開いていない内に、川内町を過してしまったので何も買えず。
道路崖横に石がゴロゴロと置いてあり、看板には、石ドロ連絡者に10万円の謝礼・・・。あんな石、この連中も河原から盗んで来たのだろう。ドライブイン前に自動販売機。座る所がない。
カップヌードルの機械のお湯でスープを作る。この機械、今までお金を入れないとお湯は出ないと思っていたのに、関係ない。今日、初めて知った。これを知っていたらもっと楽だったのに。
戸も窓もない屋根だけなので、機械の後にガスを置いてスープを作る。
本当はウドンの為、買ったスープであるが、そんな馬鹿な事を言って、いつまでも持ち歩いている事はできぬ。
河之内トンネルを超えると、冷たーい寒ーい空気が山の谷間を流れている。溝には氷が張り、岩の水場は氷が覆い、枯れた草には大きなつらら・・・。こんな所を無理して昨日の夕暮れ歩いたら、どんな目にあったかゾーッとする。
「落手」のタバコ屋でパンと牛乳。百姓のおばさんが化粧品の話をしている。タバコ屋のおばさんが、
「あんたも化粧するの」
百姓のおばさん、
「あぁー時々、外国製のクリームを塗っている」
練炭の火鉢に手をのせている。その手を見ると、化粧とはほど遠い荒れた完全な百姓の手である。
その赤キレした手を見ると大変な生活だなぁー、この集落は・・・。
荒れた髪は、全く流行も美意識もへったくれもない。寂しい生活を感じさせる。
80年前、この集落ができたと言う。
おばさん83才。頭も腰もしっかりとしているのには驚いた。
火鉢にあたっていると、なかなか寒い外には出られない。おばさん、
「寒いでしょう、この辺は。四国の北海道だから」
来月から春だネ。
フッとタバコを喫いたくなり、迷ったが、いいじゃないか・・・と、ショートホープを買って一服すると、しまったやはり買わなければよかった・・・。
その時、酒の運送屋が来る。2月から酒代が上がるとか。その運転手に、1本喫っただけのタバコ箱をやると、不思議な顔をしている。1本、75円のタバコか!
谷間に清流の流れ、水は澄み、きれいである。しかし寒い。峠をやっと下りて来ると、湯谷口温泉。
一軒旅館。本物の温泉なのかどうかは知らぬが、泊るか、風呂だけ入るか・・・。
あぁー、もういい。こうなったら、3~4日風呂に入らなくても同じである。
遠く平野に工場らしきものが見えるが、まだこの辺一帯、田んぼ田んぼの中に、ワラ山があったので、そのワラを敷いて横になり、新聞を読んでいたが、頭がボーッとして来る。
風が当たらず、ポカポカして嘘みたいな陽で、ウタウタと寝てしまう。
小松町の中に入っては寝所探すのに大変。早めにとキョロキョロしながら歩くが、こんな時なかなかない。腹ペコ。
窓越しの時計、2:30。もう線路が見えて来た・・・。あかんな・・・。足が痛い、長靴あかんなぁ・・・。
しかし、2月が一番雪が多い。ブツブツ。右手路地横に神社の鳥居。
まあ、見てみるだけ・・・と、その神社に向っていたら、道路から50メートル程の所に畳の敷いたお堂あり。鍵もかかっていないし、埃はあるけれど、ここに決めた。今日は休まないと、疲れた。
共通一次試験。英語の問題をやったら、25問のうち、9問しかできなかった・・・。がっかり。
おかしいな・・・、こんなにスラスラと読め意味が分って、できないとは。止めたー。
日記を書き始める。今さっき、5時のサイレンが鳴ったけれど、まだ暗くならない。陽が長くなっているなぁ・・・。しかし隙間風が冷たいなぁー。
ここから高松まで120キロ。小豆島、あぁ、頭痛の種・・・。
やはり事は黙ってやるべきか。なんで人にあんな事を言ったのか。気持ちの負担が重くなっただけ。
6時過ぎてスーパーに買物、849円。スープうどんを作ったところで、ガスがなくなる。
使用金額:515円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/横河原~落手~湯谷口温泉~小松町
あぁー、日曜日か・・・、全然歩く気がしない
1980年
昭和55年1月27日(日)
夜中汗をかいた。暖かい不思議だ。ガラス戸から小便する。星が出ていない。牛乳を飲んだら腹が張り眠れない。ウタウタしてHさんの夢を見る。変な夢。病気になった俺のところに、見舞いにでも来たのかHさんがいる。そして目が彼女のスカートと腹に止る。ムラムラとして抱きつく。彼女がキャーと騒いでに出る。俺はハッとの己に返り、どうしようとおろおろとする。そして、階段から転び落ちたり。変な夢。
彼女も、勿体ない人だと思う。若い時磨いておけば、きっと伸びただろうに・・・。
いつの間にか雨が降って来る。眠ってしまう。朝は静かである。あぁー、日曜日か・・・、全然歩く気がしない。ガソリンスタンドから新聞を失敬する。今日、日曜日で関係ないだろうと勝手に自己解釈。バス待合所で読んでいたが、ゾロゾロと人が入って来る。
うるさいので小松駅に行く。ヒヤリとした待合所の中、日曜大工店でガスを買う、275円。
松山は430円。全くあの店には頭に来る。
石鎚(いしづちやま)駅に行く。無人駅でなんとなく気に入った。昨日の残りうどんスープ、牛乳をかたづける。
待合室に爺さんが来たが何やら話しかける。バアさんも答えても相手は何も分っていない。話と言うより質問・・・。この手が一番うんざりとする。
ナベを洗い顔を洗って新聞を読んでいるうちに、1時間半以上アッと過ぎ、11時過ぎに駅を出る。
今夜こんな所が見つかると誠に助かるのだがと思う。
今日、全く歩く気がしなく、気が重いし長靴は、あかん。昼間はそんなに寒くない。これなら靴を買ってもと思うが・・・。 2月、一番雪の降る時である。
Hさんの事が頭の中でチラチラとするし、前の事もこの二人、よく似ている。マコに会いたいと思うが・・・、どうするか。手紙でも書くか。そんな事を考えている・・・、歩いて。
西条を過ぎ、スーパーで買物、443円。なんでこんな物を買う必要あるのか知らぬが、食べてばかり。
中萩駅を目指すが遠い。
途中の神社に上り、新聞読みながらパン、バナナ。出来立ての柔らかいパンがフンワリとしてうまい。
歩く気なく日記を書いているが、日記を書く気もなく字が乱れる。陽は寒くもなく暖かくもなく・・・。小鳥のさえずり、春はもうスグそこである。本当かな・・・?
日記を終え神社を出る。この神社の屋根裏は独特で、いつも俺の頭の中で考えてるやつと全く同じ。初めて見たが、やはりできるものなんだなぁ・・・。しかし、よく造るよ! ウン。
全然歩く気はないけれど、休むには陽は高いし、新聞は読み済んでやる事がない。しかたなく歩く。右手に石鎚山。頂は雲で見えない。海面から急に上がっているので高い。
道路は相変わらず車の数珠。休みのガソリンスタンドには新聞だらけ。新聞を読む。歩くペースが落ちるどころか変わってしまう。道路横には店舗。車関係の建物がズラリ軒を並べ、休む所がないまま新居浜駅の交差点まで来てしまう。
今日は大体この辺だろうと思っていたが、実際その場所に来てみれば、交通量と店で騒音のどまん中である。
サテ、困った事になった。イヤイヤと、先に進むしか手はない訳である。
しかしスーパーがやたらとあり、今朝から手に下げている牛乳、人参、バナナ、パンが重く馬鹿らしくなる。買うと重いし、買っていないと寝る時、困るし。こんなにスーパーがあると知っていたら・・・。
困った困ったと思いながら歩いて家の切れ目。右手の森の中に神社を見つけ、公園を通り抜け階段を上り境内に立つ。神社の周りは格子。中に数枚の畳。これはよいと思ったが、カギ。チョット手を入れば、開ける事ができるのだが、この手では大き過ぎ、板を叩き外そうと竹棒でガンガンよやったが、硬く外れない。古い板をつつくとバリッと音を立てて割れる。壊すつもりはないので困る。
新しい板をガンガンとやり直し。その時フッと横を見た。犬を連れたおっさんが立って見ている。
知らん顔をして、さも俺は何もしていないよと言う顔。おっさんも去る。
神社横には大きな人工池がある。アベックも・・・。
人に見られると・・・、もうダメ。夜中に、もし人、おまわりが来たらと考えただけで、おちおちと寝ていられない。リュックを背負って歩き始める。もうすぐ中に入れたのに残念。
いつの間にか走る車はライトを点けている。今日はついていないなぁー。もう暗くなるとダメ。
後は駅か、そんな事を考えながらブツブツ2キロも歩いたか。マルダイハムの近くにポツリとスズキ車販売店。店閉じて倒産でもしたらしい。その中、畳が敷いてある。埃だらけ。中の洗面器を持って水を汲みに行く。ついでに洗濯、マルダイハムに行って。
使用金額:718円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/小松町~小松駅~石鎚駅(いしづちやまえき)~西条~
どんな素晴らしい理想も空腹には勝てないのだ
1980年
昭和55年1月28日(月)
さびしさや 花のあたりの あすならふ 芭蕉
サテ、久し振りに落ち着いてゆっくりと眠る事ができた。あのまま神社にいたのでは、こうも、ゆっくりとはできまい。薄明るくなってゆく窓ガラスを開けて外を見ると悲しげな空。
昨日の食料人参にスープ、パン、バナナ、牛乳を消せると日記の残りを書く。ついでにMに手紙を書く。2月7日。鷲羽山ユースに泊まるであろう。もし暇、銭、気があるならこの遊びに参加するように。その確率は低い、と書いたが、率の字がハッキリと思い出せない。手紙は3時間近く書いたのでは。いつも長い手紙ばかり書いている。
返事が来る手紙ではないし、特別な関係でもないので気軽に書ける。
手紙が終わった頃、外は雨が降り出す。空はいいが、食べ物がない。
雨の心配する必要のない、4畳半の畳部屋。これで食べ物があったら文句なし。しかし食べ物はないし店もない。昨日、夕暮れパン屋で見たパンの耳を買おうとしたが荷物になるのでやめた。あれがあったらと今後悔している。
隣の部屋に48、49年の雑誌。アンアン、nonnoなんてある。5~6年前の雑誌。暇をツブすには丁度良いが腹の足しにはならない。4冊の本の中に、料理紹介のカラー写真の料理を見ていると、ますます腹には毒である。
遠くまで買いに行っても良いと思っても雨。半分ついて半分ついていない。
天気のせいか、空の中は薄い。もう5時ごろではないか・・・。暗くなる前に日記を気をつける。
雑誌の写真を見てると、雑踏の人混みが懐かしい。
もう20日間も風呂に入っていない。この間のユース代を計算すると幾らになるのか知らぬが。野宿は気にせぬ。風呂に入りたい・・・。外は霧である。
どんな素晴らしい理想も空腹には勝てないのだ。ウン。
外に出る。田んぼの向こうに一軒の雑貨屋。人相の悪いおばさん・・・。バス停には「長野」
サバ缶にうどんの煮込み、もやし・・・。四国に来てうどんばかり。食べ過ぎて眠られず。
俺の嫁さん、どこをうろついているのか・・・。
使用金額:696円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/西条~長野~
とにかく日本的なものはたくさん続き、歩くことに全然疲れを感じない
1980年
昭和55年1月29日(火)
今日は暗い内からゴソゴソと荷物の整理をする。目覚めて外を見ると、ほのかに明るい暗闇の中の街燈の灯に、家の炊事場の灯がついている。朝食の用意か・・・。俺も暗い中を手探りで、昨夜洗わなかったナベを洗い、お茶を作る。
2杯目で最後であるが、こんなに古くなるとお茶の色だけで味のほうは・・・。胃薬にした方がよいのではと思われる。
お茶とビスケット。一昨日この近くで箱入りティッシュペーパーを拾ったが、この空室の中にもきれいな紙がある。丁度クソ紙があと2日程でなくなるところだったので助かる。
ゴッソリと持ったクソ紙? こんなにクソを垂れる事もないし、多すぎるが、なんであったら捨てればいいしと、リュックの中に押し込む。
最近珍しいのではないか、こんな1枚紙のクソ紙。いい紙で便箋にでもなりそう。
鉄門を越え道路を歩き始める。朝の通勤時間。朝の車のラッシュ。
関の原から旧道を歩く。関の原郵便局で手紙を出す。ついでに記念切手1,000円。局員、男2人、田舎風20年前の背広を着て何とも言えぬ野暮ったさがほのぼのとして、この集落のイメージにピッタリである。
ここで出すより土居町で投函したほうが早く着くとのこと。そうすることにする。旧道の狭い両側は純日本風の家が並び、チョッとした散歩道である。この集落で木造建二階の西洋風、古い、いい建物を見る。昔、役場はにでもしていたのか。昭和22円の碑。
車が来ないので助かる。通園の女の子とすれ違う時、女の子ジーッと俺を見ている。
「おはよう」と言うと、その子も「おはよう」と返す。
次の子が「オス」黙っていたが、その子もすれ違った後になって「オス」と小さな声で言う。
3番は、恐怖に近い顔をして黙殺される。
土居局で手紙を出す。駅で朝日60円。1時間読んで10時30分駅を出る。
今日は曇りである。寒くはない。空一面、灰色。
雨は分からぬが、青空は見れそうもない。
旧道を通って行くが、見事な純日本風の屋敷がずらりと続く。瓦が実に凝っている。いろんな動物の形に、屋根の頂も板瓦の絵。鬼瓦ではない。とにかく日本的なものはたくさん続き、歩くことに全然疲れを感じない。
調子が出てきたのか、余裕かと思ったが、この歩く道に関係あるらしい。神社がゴロゴロに建築形式が変わった
それに所々に通路石道標が建って、それがなんともいい。
前神寺巡八里、金比羅大門巡十里、三角寺巡三里、なんて石碑に指先を形に彫ったもの。憎いほど情緒がある。
さて「長田」あたりか。農協スーパーでアジフライ3枚、コロッケロ6個、揚げたてホカホカ。それに半分腐りかけた4本18円のバナナ。牛乳518円。レジに2人な中年女。1人が
「四国一周?」「ウン-」
「日本一周?」「まぁ・・・そんなところかな」
「まぁ・・・自転車」「いや・・・歩いて」
「寂しくない、一人で・・・」「いや・・・お姉さんみたいな、きれいな人に会えるからちっとも」
久し振りに冗談が口から出る。
中年さん「まあ・・・嬉しい、何かあげたいわ」とポケットの中を見る。
戸を開け出ると「気をつけて」・・・
どうも・・・ここまでくると・・・人が変わったような気がする。
屋根、家の形も。神社もはっきりと変わってしまった。
道横にボーンと建つお堂の戸を開け、食べながら新聞を読む。小さな古い四角堂の前で新聞を読みながらコロッケを食べる。写真になるであろうが残念・・・。天気は寒いが非常に調子良い。旧道は切れ目なく家が続くが、家らしい家で、見て気持ちが良い。それに車が少ないので、スイスイと歩は進み、中ノ庄までで来ると道路道標に右えんろ道三角寺五十丁とある。さて地図を見て192号線は・・・。人に尋ね・・・。下柏、中下、192号に抜けるつもり。三島市役所の前でもう一度地図を広げ2枚を合わせみると・・・とんでもない道、間違いをするところであった。
地図が半分切れているので、192と377を勘違い。
「川之江」と向かうが、国道には出ない。何やら大王紙工場を横にクネクネとアーケードの市街は人なく、福岡の川端町と同じ。
古物屋のガラスケースをのぞく。5,200円の日立ラジオ・・・。もうすぐこの旅も終わり・・・「音楽のない旅」
この10ヶ月の流行歌、何も知らぬ。「魅せられて」なんか、1度しか聴いたことがない。
まず駅に行く。3:30PM。横に長い待合室の中は、光が差す薄暗く、案内放送だけがガヤガヤとうるさい。
三島から川之江に行く道程で、前に女子中学生が歩いているが、俺を見てクスクス笑いながら歩く。その肩は笑い、俺まで笑う。川之江駅を出ると買ったスープを落としていることに気づく。国道を出たところから丘の上に神社。城跡である。
日記をつけ、さて鍵でもヒン曲げるかと・・・。ところが堅いのなんの。
しかし鍵がポロリと落ちる。かけてなくて引っ掛けてあるだけ。
使用金額:1578円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/石鎚駅~長野~関の原~土居町~長田~中ノ庄~川之江
1980年
昭和55年1月30日(水)
昨日、色々と書き忘れと云うよりワザと書かなかった事を思い出す。真夜中、雨で目が覚め、雨漏りのポタポタと云う音が耳に太鼓でも打っているのではと思われる程この静まり返った中を響かせる。
この音は非常に気になる。もしかすると寝袋の近くにも漏水が・・・とか、水が流れ染みて来るのではとか・・・、色々と気になり頭を動かす内に冴えてしまう。
とにかく蛍光を照らし見ると、ビッシリと濡れた板戸。流れて来る事はないが、気になるのでナビを置く。こんどは鍋の事が気になる。少し離れた場所なので気を付けていないと見損ないやすい。また忘れてたら大変だと言う繰返しで・・・、結局眠れずじまい。
サァーと微かに屋根瓦の上を叩く雨の音が耳に聴こえ、初めて意識的に聞く。トタン屋根の下のパタパタと言う音も悪くないが、この微かな音も何とも言えぬ味わいがある。
これで少し暖かく寝袋から出る事ができ、ビールでも飲みながら一人闇の中で静かに・・・、この音を聴く。飽きない・・・。ヘタなその辺のジャリ歌手の歌を聞いているより、よっぽどマシかも知れぬ。
夜が明けても曇っている為、中は薄暗い。外からは大型車がザーッと水しぶきを飛ばし走って行く音が続けざま聞える。
また、あの水しぶきを浴びるのかと思うとウンザリとする。寝袋から出ては外を見ての繰り返し・・・。
まあ日記でも書くかと、ノートを取り出し蛍光灯のヒモをカチカチ。しかし点かないこの蛍光灯。かたい戸をカタンとやった時、点いたり消えたりしたが・・・。
外は霧がかかったように一面灰色・・・。67キロ高松を3日で行く事にして、今日20キロ程歩いてみるか・・・。雨なら雨で?
寝袋は用心にビニール袋をかぶせる。
長須? 播磨屋橋の純信とお馬の悲恋の堂の看板を見つける。純信はお国追放後この地いたらしいが、法燈の者が恋すればお国に追放。現代・・・、時代の価値観でこうも違うのか。それにしても男37才、女17才。俺には分らん・・・。手紙の写しを読み、サテ?
この2人が現在のこの社会を見たら・・・・、なんて思うかなと、想像する。
箕浦の1軒しかない店でラーメン、豆腐、もやし、それに奮発して100グラム300円の惣菜を買う。しかし箕浦の無人駅でラーメンの後、この茶袋を開け葉を見てガッカリ。
香りはないし、味はあの静岡で買った300グラム200円のお茶と大して変わりなく、やはりあんな小店で買わなければよかったと悔やむ。
豆腐を、沸いたラーメン、スープの中にブチ込みグラグラ。その間、昨日の日記。残り分を書いていたら、客、おばさん一人が来てベンチに座る。俺が「こんにちは」と挨拶すると、喰いつくとでも思っているのか、おどおどした感じで、そのおばさん顔を下げる。
おばさん、黙ってベンチに座っているが・・・、おばさん側から俺を見ると、やはりおかしいのかも知れぬ・・・。内心そんな事・・・列車の時間が近付きホームに行く時、おばさん、みかんどうぞとベンチの上に3個置いて行く。
田舎駅のホームに橙色の裏でも列車が停まる。警笛を鳴らして去る。いい風景だ。次、今度は変なおばさんが来て、何を食べていると俺のナベを覗きに近寄る。こんなのが、怒りはしないけれど嫌い。無礼者め。
駅に置いてある「白鳩」2号を読むが、四国のアチコチでよく見かけるが。それにしてもおもしろくない事ばかり。
(今ロウソクをつけたが、隙間風が強く炎が揺れ困る)
まだ5~6キロしか歩いていないのに、10時30分である。ばばさんに、いい天気になったね・・・と、言われ外の空を見て晴れている事に気が付く。今日はあまり歩く必要がないとは言え、そうもデレデレとこのまま、このまずいお茶を飲み、このおもしろくない白鳩を読んで、時間の浪費をする訳には行かぬ。
豊浜には途中から旧道を行く。本当にこの辺の家の造りは重厚である。豊浜駅、11時40分、朝日60円。最近、新聞を読むのがかったるいが、ないとないで物足りない感じ。早めに目覚めたせいか、頭が重くさ冴えて読む活字が頭に入って来ない。それで細かい記事は飛び抜かし読んで、駅を出たのが1時間である。
豊浜の駅を出ると、空が一変して曇って疑わしげな雲行き。踏切を渡って国道377号線。その近くに警察署あり、表に出ていた若い警官に呼び止められる。またか・・・と、思ったが、
「お茶でもくれるんですか」
「まぁお茶でも」と、ぬるいまずい出がらしのお茶。今日買ったお茶なんか足元にも及ばの程、まずいお茶で、悪い人達じゃないので、まぁ・・・許すよ。
最近、質の悪い警察が多いから、
「免許でも何か身分を証明するもの持っていますか」と、うまい言い方をする。同じ尋問するにも普通いきなり言うけれど・・・。しばらく間を置いて言う。
「職務質問ですか」と言って免許証を出すと、別の警官がその免許証を持って別室に行った。
「あの・・・、タバコもらえないですか」
「ハイー」と、調子がいい。四国の人間は人情があるだろうと言うから、大晦日の大工の話をする。まだ、あの事が頭に来ているのか、話す声が少し震えて、大声になっている自分に気付く。
警察を出てどれ程歩いたかろうか、1キロか? パン、牛乳350円を買って、歩いていたら雨が降り出す。
テントを張って茶碗を売っている。その裏には、廃寺らしい寺の縁台に座って雨宿り、新聞。
そんなに寒くはない。暖かくなって来ているのか、それとも寒さに慣れたのか。最近毎日、らくれん牛乳を飲んでいるが、この牛乳おいしくないなぁ・・・。
サハロフ夫人、監視くぐって夫の声明。モスクワで発表。写真付き。こんな事したら夫人は罰せられないのかなあ・・・と、気になる。
言論の自由がないという事は実に恐ろしい。ソ連に行くまで、明後日の話どころか自分に関係ない事だと思っていたが・・・。今の若い連中、日本人一般的に日本の自由の尊さをどれだけ自覚しているのやら・・・。そんな事をブツブツと誰にブチまければいいのか分らない不満? 頭の中を駆け巡る。
感想何か書いていたら長くなるので止めた。とにかく、それのやり方には頭に来る。帝国主義め・・・。
雨が止み、歩き、農協の上で一応の用心に食料392円。まだ4時頃か、時間は分らぬ。また雨、民家の倉庫の自転車荷台に座って新聞を読み雨宿り。遠く海のほうは晴れているのに、頭上だけ雨雲である。
寝る所を探しながら歩く道脇に、やたら鍵のかかったお堂あり、それを公民館。信仰心の何なのか知らんぬが・・・、しかしいい場所がない。
困ったなぁーと思っていたら、墓石群の中にお堂の屋根が見えたか・・・、墓場は・・・、止めたと思ったが鳥居らしき物が見えたので行くと、墓横の四角堂。どうでもいいが鍵が壊されている。
中は悪くないが、人が来て俺が壊したと思われたら困るし・・・、ブツブツ言いながら結局中に入って日記を書く。途中から暗くなり、ロウソクを付けたが、ロウが流され早く短くなって行く。
高松公営ユース、所在を見たら市内では市でも郊外で、計算違いである。また困った事になった。高松で息抜きしたいと思っていたのに。風の強い夜である。明日は晴れるだろう。
これからまずいお茶でも作って寝ようと思ったら、風があるので止めた。そのかわり小便。
使用金額:1392円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/川之江~長須~箕浦~豊浜~
1
惰性では歩けない。じゃ意地か。それに近いなぁ・・・
1980年
昭和55年1月31日(木)
もう寒くて寒くて寝ていられたものではない。グングンと冷えシーツを寝袋の中に入れても同じ。時々一度破れた所を又引っかけビリビリと破くだけ。戸の中央に銭を投げ入れる為の小さな口あり。そこから凄い冷たい風が入り、新聞紙で塞いでみたものの、結局アチコチからの隙間からもスースーと同じように風が入って来る。
もうどうしようもない。床板の底から冷気が伝って背中がグングン冷え、完全なるお手上げ。処置なし。後は夜明けを待つばかり。こんな時に限って例の如く時間はノロノロとしている。
どのくらい長い間寝袋の中で我慢していたか。6時の時報らしきサイレンが鳴り、しばらくするとお堂の中が隙間の光で僅かに薄明るくなり荷物をまとめる。
立っている足が冷たく、探す靴下のもう一足が見当たらない。別なのに履き替える。その時、外に人が拝みに来る。ブツブツお経らしきものを唱えている。お堂の周りをグルグルと回っていたりして、なかなか去らぬ。立っている足が冷たい。靴下は外に吹かれていた。時は7時前であろう。
薄く曇っていた空からチラチラと時折白いものが落ちて来る。最近暖かかったのでこのまま段々と暖かくなるのかと思っていたが、急に一転して冬の空。やはりまだ冬なのである。
冷たい北の風が吹く。冬の朝道は厳しい。客観的に見れる程、楽ではない。惰性かなぁ・・・。いや絶対に違う。惰性では歩けない。じゃ意地か。それに近いなぁ・・・。我慢ではない。頑張るしかないなぁ・・・。ブツブツ、後1ヶ月と少しの辛抱か。そんな事を考えながら白い息を吐き、足をセッセと動かす。そして雪が降り出す。
雪が何と! なんて全く何も思わないが、寒いと言うより冷たく痛いといった感じである。水溜りには氷が張っている。今日も出発地かた琴平まで約14キロのはず。琴平まで5キロの標識。神社の森が見えたんでお茶でも作って体を暖めるか・・・。
境内に行くと、ここでも例のクリケットを老人達をやっている。焚き火をしていたので、あたる。お茶なし。腰のヒン曲がった老夫婦。夫は婦人に小言を言われ、やっているが、なかなかうまく当たらない。見ている方がおもしろい。この老人達、全くヘタ。ヘタだから見ている方がその動作がおもしろい。
焚火の暖かさは何とも言えぬが・・・。しかし、暖まって冷たい寒気の中を歩き始めるとグングン冷えていくのが分る。
なおさら冷寒を強く感じる。何とも言えぬ!
琴平町入口まで来る。郵便局まで行きたいが、二手に分れた道。家の前でゴソゴソとやっている小柄な爺さんに道を訊くと大きなゼスチャー入りで教えてくれた。
琴平参道前を通っただけで、上にはあがらず通りにはズラリお土産屋。松本電鉄のバスが来ていた。
バス発着所にリュックを置いて風景印を押しに局に行く。普通はがき裏におもしろい絵を印刷したハガキ。しかし5枚1組で130円。値段はどうでもよいが、5枚もいらない。
冷たい手で字は書けない。それでなくても悪筆なのに・・・。
バス待合所に戻り、朝日60円。代金を払おうとしたら前に立っている白髪の小柄なおばさんが、
「金は大事にせな、落としたら困るけん腹巻に入れとこ」と、数枚の千円札を腹の中に押し込んでいるので、
「おばさん、それじゃぁ浮気する時どうする」
「誰がこんなババアと浮気するか」
「俺がするよ」と言ったら、おばさん口をあんぐりと開けていた。
12時発着所を出る。スーパー1208円。500グラム475円、蜂蜜安いのでつい手が出てしまう。
俺とした事が方向間違える。神社を見つけ中に入って、牛乳1リッターを沸かし、2本を飲みきる。
バナナは冷たく、歯にジーンと来る。それ程冷たく中は冷蔵庫。床板冷たく足はグングンと冷え痛くなり、落ち着いて食べていられない。
浄水は厚い氷が張り、昼間なのに全然溶けていない。逆戻り。
パッキンがダメになったのか、ガス漏れで、いつも買うガスを買ったら450円と言う。さすがに文句を言っ言ったら別なものを持ってきて、300円。450円は舶来ウンヌン。数年前から使用している俺にそんな事言って・・・。
公営ユースには泊らない。市内でないと休養できない。今日は早めに切り上げるつもり。
2時頃か、標識板、高松23キロ。丁度神社が左手松林の中にあり、中を覗くと畳が敷いてある。これで決めた。床板は冷え過ぎ寝ていられない。しかし、鍵がかかっている。
裏側戸、隙間より中を覗くと「落し止め木」。
これはいけると、小枝を削り隙間より持ち上げようとするが全然上がらず。戸底をナイフで持ち上げ見ると・・・、なんと鉄棒。これでは重過ぎる。
ナイフを例の針金で少し上げて開ける。寝袋を敷きさっそく中に入る。新聞を読み少し頭がボーッとして少し寝てしまう。起きて隙間より差し込む少しの光で日記を付けていたが、途中で暗くなってしまう。
そのまま眠る事にする。闇の中で考えていたら、今朝、千円を拾った事、書くの忘れていた。ヒラリと一枚の千円。
使用金額:1208円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/豊浜~琴平町入口~
22日ブリの風呂
1980年
昭和55年2月1日(金)
目覚めて闇の中、何時ごろだろうと思っていたら、ドタドタと木の階段を踏み鳴らし、数人が昇って来る。チャリンチャリンと賽銭を投げる事、4つ。ガランガランと鈴を鳴らすと、今度は大声で歌を合唱しだす。
敬拝の歌なのか、最後は息が詰まるのではと思われるような尻上がりの高い声。
願かけに来たのか。腕の痛いのがどうのこうのと言っている。まだ真っ暗。それからしばらくすると、6時のサイレンが鳴る。薄明るくなると、人参、スープ、バナナ、パン、お茶を作るが、葉は粉、色も香りも極悪。嫌になる。
23キロ、楽勝と思ったら気がゆるみ、歩く気がしない。空は晴れ、しかし寒い。滝宮駅、琴平鉄道の踏切左手に見えたので休憩に行く。中に小さな売店。朝日、この売店は国鉄売店のように立派ではなく、中性女、おばはんが畳1枚分程の広さで切符売りも兼ねやっている。
ユースに電話。ムッとした男の声、ブッきら棒。それでも泊れるのでホッとする。これで泊れなかったらどうしようかと心配していた。
おばさん、土釜から焼きイモを取り出す。臭いがいい。値段を訊いたら100グラム60円。手に持っていたイモを秤に乗せると90円。こんな物に90円も払えるかい。
「アー、高い」と言ったら、「あんた、男だから50円でいい」と言う。つられて買う。しかし、水気が多くビチャビチャのイモはおいしくない。
半分程食べた時、「どうや、おいしいやろ」とおばはん。
「うん」と、大声で返事だけはしたけれど・・・。
泊る所が決まると、増々歩く気がしなく、ズルズルと新聞を読み過ごす。
誰一人、出入りする者、最後戸を閉めていかない。寒い風が入って来る。
老婆連中がイモを時々買いに来る。何時に駅を出たか忘れた。
温かい牛乳を飲みたいが、スーパーのある所に神社はなし、神社ある所にスーパーはなし。訳の分らぬまま袋を持ち歩く訳にも行かぬし、丁度、店と神社が一致した条件に出くわしたが、牛乳はグリコで高い。止めた。
ラーメン、アジフライ、165円。ラーメンの中に人参を入れ、余り食べたくもないラーメン。しかし、別に腹がヘッていた訳ではない。ではないが、やたらと食べたくなる。精神的不安定になってきたのでは・・・。心理的にどう影響するのか非常に興味あるか・・・、食べ過ぎて腹が痛くなる。適量を知っているのにパクパクと食べる。貧乏性。「三つ子の魂百まで」である。
ここから高松まで約12キロか。頑張って真直に歩くことにする。ブツブツ独り言を言いながら歩いて。
昨日、カナダ大使館がアメリカ人人質を6人、カナダ人に化けさせ出国した記事。これを特ダネにした記者は馬鹿じゃないか。頭に来る。こんな記事を載せれば、ますます事がこじれる事、素人、誰の目に見ても明かなのに・・・。
国道11号線まで来ると、丁度、南高松郵便局。風景印を押しに行く。
「自分で押してください」。失敗したら困るから・・・。
ここから高松まで6キロ。栗林(りつりん)まで来るとビル群林。こんなに大きな市だったかと驚く。ビル街を通りとりあえず駅に行く。待合所のドアを開けると、ムッと来る悪臭。嫌な臭い。新聞を読み少しボケーとする。4時駅を出る。
ユースまで10分。しかし、地図がよく分らない。方向も定めずこの俺とした事が。普通すんなりと何処でも行くのに、遠回りしてユースに着く。
おばさん、根掘り葉掘り、こんな寒いのに何故回っていると訊く。話したくないので、例の調子で話をズラそうとするが、しつこく喰いさがる。
こっちも意地でウンウンのらりくらりの返事。リュックを置くと、すぐ銭湯に行く。ユースの風呂時間まで待てないし、ゆっくりと自由にしたい。その前に、教えられた手打ち讃岐うどん屋に行く。260円の・・・?
お湯につかると、ジンジンと体がシビレ、感電してるみたい。ちょっと触っただけでボロボロとあかが出て来る。22日ブリの風呂。何度も何度もゴシゴシと洗うが、脚、モモに点々と黒点。肌が荒れてしまっている。一度ではきれいにならぬだろう。大変なお湯を使ってゆったりでき、これで150円。安い。1000円でいいと思った。毎日の千円は困るが。
新しいパンツ、シャツに着替えると新鮮。生き返ったようでホッとする。22日間汚れたパンツとシャツの悪臭。オォ・・・、これで心配の種がひとつ減った。
こんな汚れたパンツをはいて交通事故にあったら、傷をする事より、このパンツを見られる事に・・・、いつも心配していたが着替えようがない。
こんな小汚い姿見られたら、俺死んじゃう。ボロボロのジーンにシャツ、パンツを丸める。
スーパーで、牛乳、バナナ、オレンジジュース100%トマトジュース、838円
。体の調整しないと・・・。コロッケ155円、高い。靴を買う。これあれこれ探して、2900円・・・、2800円にまけてくれる。
ユースに戻ると、二人の中年バァさん。がっかり、若い子かと思っていたのに。
洗濯するが、なかなか汚れが落ちてくれない。お湯でもあるなら助かるのに。他に若い女の子3人来たが・・・?
ホールの暖房は消すから上に上がってくれと。寒かったら座敷に行け。
もういい、日記があるから・・・。
おやじ、恥ずかしいのかなあ・・・なんて言う、女5人の座敷コタツ。
おばさん2人風呂に行く。看護婦になる3人と話ししていたら、親父行ったり来たり。20分程話していたが、今度は、女の子1人になったら危ないから、君出て行きなさい。ムッと来る。誰がそんなバカな事をする。
俺は美人しか相手にしない。半分本気、半分冗談風におやじ風に、出て行きなさいなんて言ったが、フッと時代の差を感じる。
一言呼びかけると、直ちに、明快な返事と共に、笑顔を振り向ける女。
使用金額:5428円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/琴平町入口~香川県/滝宮駅~栗林(りつりん)~高松
寅さん3本立て
1980年
昭和55年2月2日(土)
朝6時、落合町の娘達が出て行く音がする。明るくなってベッドの中で残りの日記を付けるが書きづらい。牛乳、オレンジジュースのミックスを飲み、バナナ1本。
顔を洗ってユースを出たのが9時。高松の中心街に行く。
郵便局は簡単に見つかったが、文房具店が見つからず大きなアーケード街の中を、グルグルと捜して回ること1時間。たった印、一個を押すのにえらい労力である。郵便局、初めての2月2日のページなので、20円のところ50円に奮発して切手を買う。
「自分で押してください」と、まず試しに別紙にポンと押す。パーフェクト。
サテ、イザとなったら緊張して手が震える。ギリギリに押し、余り強くなく・・・、サァとスタンプを上げると失敗。ガックリ。
下敷のゴムを借り、今度は力強く、しかし押し過ぎ。もう汚らしく不愉快。しかし、自分自身でやった事、誰にも文句は言えず!
松竹、ダイエー前に行く。人の話通り、ズーとこのアーケード街の終りまで歩いて来たものの、再び訊ね直した人の答えでは、ズーッと逆戻り。
俺が悪いのか教えた者が悪いのか。
パン、1枚100円の高級、天ぷらを3枚、計690円の弁当を持って松竹。探し当てれば何の事はない。すごく遠回りばかりしていたのである。
どうも最近、方向音痴と言うか調子が悪い。こんな事で道を間違える俺ではないのにと、ブツブツ。
松竹映画館を前にした時は、ホッとする。寅さん3本立て。樫山文枝、吉永小百合、木の実ナナ。2本目で頭が痛くなり、3番目でガンガン、4本目は意地で見る。
外に出る。6時前。朝と違って人混み。店は冬物バーゲンセール。沢山欲しい物があり、チョットおしゃれをしたい。毎日同じ物ばかり着ている俺。
ショーウィンドウに映る己の姿はなんと貧しき事か。
気迫、貴ければ服の美醜ウンヌンと言うが、やはり美しいに越した事はない。スエーデンに置いている衣類、2年以上あのままである。もう痛んでしまったかな!
大きなアーケード街の中には色々な店舗が店を並べ、マクドナルドに人がウヨウヨ。あんな物に、200~300円出して買う連中の気が知れず。
流行なのか、味覚が変ったのか。それとも味、食事の情緒がインスタント的、心、精神構造なのか。
牛乳を買って231円。ユースに戻る。泊賃、2200円。明日分と一緒。
銭湯に行く。玄関に出る時、おやじが、
「昨夜のやつを読んだか」
「あー面白いですね」と、言ったら、満足したのかにっこりしてる。
自己満足的な顔に見えるこのおやじ、視野が狭いないと思った。
書いてある事は結構な事ばかり。その割には、お茶の一杯も出ぬ。暖房を止めるから、人はベッドにもぐり込む。人と人は接し得ない。その機会がない。
風呂は20分。洗髪はダメうんぬん。どうも規則とやらがお好きなようで、ある意味では典型的、昔の日本人。
自分の持つ枠以外の物に接すると、途端に拒絶反応をし、それに自分自身で気が付かず、あの古く固まってしまった頭では何物も受け入れる事ができない。俺の親父と同じか。イヤ、大半の者も・・・。
銭湯、150円。20分の小さな風呂でお湯が使えず、何ができるのか。
あのユース、悪くはないがよくもない。自分達の事は棚に上げて・・・。
昨日、クソを垂れてからズーッと肛門が痛い。1日中。風呂に入っている間はいいけれど・・・。重い鈍痛で飛び上がる程ではないが・・・。痔が気になる。
この旅行の道程で痔になったら大変である。痔になる寸前の兆しなのが心配である。
今日もアカが出るが、さすがに昨日程ではない。やっと肌が輝いてるように生き生きとしている。風呂から上がると体操。まだまだ体は柔軟性バッチリ。毎日歩く事が、運動のひとつとなっている為であろう。
ユースに戻り、四国新聞を読もうとするが、映画で頭をやられ活字が頭に入って来ない。見出しだけを見て重大な事はないか、それだけを見る。
6時間の映画でこんなに頭が疲れるのかなあ・・・。
脳ミソを鍛える方法はないものかと考える。ジュース、牛乳を飲むと、すぐベッドの中。8時前、コロリと寝てしまう。
使用金額:4621円
★「歩いて日本一周」旅日記 香川県/高松
ロッキーを見に行く
1980年
昭和55年2月3日(日)
日記を書いてユースを出る。9時20分。図書館に行く。閉館中。前の市役所も同じ。銀行も閉っている。初めてそこで今日は日曜日だと気が付く。てっきり土曜日だとばかり思っていた。
見る映画は「動乱」だけだが、全然気が進まない。アーケード街に行く。まだ店舗が閉店中。その中、楽器店前に並列。ジャリどもが、歌手のサイン会でもやるのか。一見、早朝から来て待っているようだ。ブラブラとして、サテ・・・、本屋の中に入って立ち読み。しかし、立ち読みは腰に疲れを作る。それに便所に行きたい。生理的現象を我慢して読んでも、気が散っていかん。
ユースの便所は狭く鍵がかからない。2日前、電気のつかない真っ暗な狭い中で、腰を落し頭を下げたところ、水槽にコチンと目から火が出る程頭をブツけた。それでもう落ち着いてクソもできない便所では、気が散っていかん。図書館でと思っていた。
本家を出ると、パチンコ屋を探し求めアチコチ。いつもは何処にでも転がっているパチンコ屋がない。靴が新しいためカカトの靴擦れ。もう三越デパートに・・・と目指す途中、やっとパチンコ屋。便所に飛び込む。
ところが、トイレットペーパーがない。我慢できないし、ポケットの中を探る。ユースの領収書が2枚・・・。「カミに見捨てられた者は、自らウンをつかめ」か。下痢でないことを祈る。
街はなんと不便。クソもおちおちゆっくりとできない。再度本屋に挑戦。
別口本屋、石野真子か知らぬが、ジャリの歌が大きな本屋に流れ、気が進まず。またもとの本屋に逆戻り。こっちは静かなポピュラー音楽。満員客。
腹ヘッて、豚太郎ラーメン680円。高いなぁあんなものに・・・。鶏モモ唐揚げ、500円。パン、380円を持って、ロッキーを見に行く。1、2の二本立て。二本立ては知らなかった。知っていたなら初めから来たのに・・・。
非常に聴きづらい喋り方をする。よく分らない英語。しかし、ロッキーの半分は、一昨日見たけれど両方ともラストシーンが憎いほどいい。
2本見ても頭痛はしない。最後まで見たいがユースの門限。
映画館を出ると、あの人混みはパッタリと消え、店もシャッターが下りガラーンとしたアーケード街は殺風景である。
使用金額:3091円
★「歩いて日本一周」旅日記 香川県/高松
こんな態度の細かいところ・・・
1980年
昭和55年2月4日(月)
ユースのおばさん、俺の部屋の中に入ってくると、「あんたはきれいや」。
何の話か分らぬが、聞いてみると自転車で来た2人、無銭朝食をしたらしい。なんで俺が盗人食いをする。
ユースを出ると駅へ。まず朝日60円。
小学生1年男が3歳の女の子を井戸の中につき落としの殺人。事件は世相を表すと言うが・・・。
最近恐ろしい事件ばかり。狂っていることに気づかぬことが1番恐怖。
靴はかかとが堅いいと言うこと以外文句なしであるが、皮が破れ靴下に血にじんでいる。
恐ろしいほど、いろいろなフェリーが停泊している。
小豆島、草壁行、出航する。5分前420円。なんだかこの港を行ったり来たり。昔を懐かしがるもう何も「アァーとため息ばかり」
船室のソファーに横になり朝日を読む。なんとなしに・・・気はうつろ。
70分後、フェリーは草壁。岸に中学生たちがゾロリと並び、俺が船から降りようとしているのに群になった。愚者連中が席を確保するためか、押しのけ突っ込んでくる。
ユース窓越しに見ると、昨年より垢抜けしてすっきりとしている。
玄関に入り「ごめんねください」。Tさんが出てきて、ニッコリとする。
下駄箱を開け、スリッパを出し、おいてくれる。こんな態度の細かいところ・・・。ウーンと思う。
コタツに入って経過を少し話す。昼飯、おばさん、東京とか。おばあさんが来て、俺の顔は覚えているが・・・?
ヘルパーが変わっている。Kくんに白樺に行ったらしい。
なぜだか赤飯。手紙は来ていないし、昼食後、来たのか。飯を食べた後、Mから来ていた。
文面から察すると賢いのか?その辺のところさっぱりとわからぬが・・・。幼い感じがしないでもない。心理学をやっているとか・・・書いてあるが・・・。そんなものを学ぶ前に、もっと大事なことがあるだろうにと思うが、いらぬ節介か。
神戸生まれの鹿児島人とコタツの中で、ユースうんぬんと話。話す口から出る言葉は、悲観的なことばかり。難しいことばかり。ユースだけではなく日本人はあまりにも夢がなさすぎる。
久し振りにステレオを聴く。あの古いブラザース・ファーがあった。しかし相変わらずロクなレコード盤がない。コタツの中でホターとしているうちに時間が過ぎていく。
女の子2人が来た。チラリ見た2人、可愛い。例のイモ、リュック連中とは違う。社会人か。セーターを洗濯。黒い汁が出てくる。ジーンの破れを縫うのに頭をひねる。破れすぎ。いかに縫っていいのか、わからない。
お湯で洗濯したので洗いやすい・・・。
ノートの線幅が広いので、いつものノートより書きやすいが、今日は何もしていないので書くことがなく、何となく物足りない感じである。
夕、4人テーブルにつく前に、2人の女の人、珍しく品のある落ち着きを見せる。短大卒。もう就職は定まっているとか。大阪は貿易会社。コンテナを欧州へ、らしい。京都の娘は左目の上にホクロ。瞳に珍しく特徴のある娘で、話す瞳が色々と表現していく。何か知らぬが。英文科にいたと言う。そして「俺は英語の教師。女生徒に手を出し、クビ」とホラを吹く。
信じているのか、話を聞きたがる。女の子についていろいろと話す。
風呂に入った後は、こたつに入り計6人で何の話をしたか。Tさんが去った後、何かを話さなければならない。1人でペラペラ続け、何を話しているのか。奈良の娘は、昨日友人の結婚式に出たため、眠いのか目がトローンとしている。トローンとし過ぎて、就職が見つからないのか。卒業なのに、いまだ就職先が定まらず。若いのに目のあたりにはたくさんの「しわ」。
郵便局員はじっと話を聞いて、ヘルパーはなんぞや。
京都女子大、。関西では名門校だと・・・。ただその辺のイモ娘たちと違うのはわかるが・・・。京都娘、俺が持ってるイメージとは違う。考えてみれば彼女、京都弁をチットモ話さない。
時々キラキラと輝く京都の娘の瞳を見ていると、心臓がドキンとする場合がある。
10時消灯。京都弁で「おやすみは?」
彼女の答えは、Good Night.
ハイ、さいざんすか。
『キレイな手つきでお茶を飲んでいた京都さん』
使用金額:420円
★「歩いて日本一周」旅日記 香川県/高松
あまり深くなるとズレが生じる。難しい
1980年
昭和55年2月5日(火)
ヘルパーは修善寺に昨夜、発つ。気をきかせて・・・。
7時前に起き炊事場に行くと、もうおばちゃんが、もうカタコト。4人分、別にすることがない。
7時30分テーブルにつく。珍しく食欲がない。全員なぜだか粗食。お通夜みたいな沈黙が時々・・・流れる。ムッとして食事するわけにもゆかず、またまた、変な話始まり、皆は聴衆。俺、話し手。話しすぎて彼女たち次のバスにする。
食器を洗う。郵便屋が手伝い、彼女たちも炊事場にやってくる。こんなのを、育ちの違いと言うのか。普通の女の子たちより気がつくのが、一味違う。
シーツを洗い、風呂場の洗い仕事をしていたら、京都さんが来て、ゴミ箱は・・・と。その時彼女に「後で住所をくれない」と言う。
自分が彼女を意識しているのがわかる。いやだな、すんなりと言葉が言えないのは。こんな時、英語は便利だと思った。いろいろな言い方があるから・・・。
洗い場をタワシでゴシゴシとやっていたら、京都さんがまた来て・・・。戸の入り口柱にもたれかかり「便所の汚物入れはどうしたらいいですか」
少し・・・、なんと書いて表現して良いのか、抱きしめたいような魅力のある顔で言う。ピーンときたが、
「どっちの汚物?」
「両方」
「ドアーの中の」
「そう」
「そのままで良いですよ」
「でも自分たちで使ったのだから」
その少し恥ずかしそうな、はにかんだような顔。しかしぼそぼそと言う訳では無い、はっきりと言う。
もったいないと思う。何がもったいなのか、わからないが、この人頑張れば、伸び・・・。優しいと言うのか心が柔らかいのか・・・。しかしどこか一辺、冷たい。冷めた目を心の中に秘めているような感じもする。
当たり前のことだが珍しい。最後までキチンと後始末していくの。「恥」と言うのを知っている。
風呂場が終わり、洗ったシーツ干し、玄関に入ると、奈良さんが立って、見事に化粧して化けている。
「見事に化けたネ」
ホールを掃除機で・・・と、スイッチを入れた時に、二階から京都さんから一片の紙をもらう。
彼女の住所。
「あの奈良さんは」もう1人の彼女も呼び、住所を聞く。この一片の上半分は空けてある。彼女のの半分の為か。紙いっぱいに自分の住所書いていないところの気遣いが憎い。
「気が向いたらまたここに帰ってきたらいいよ」
今日彼女たちは上のユースに泊まるとか。もう一泊ここにすれば良いのにと心の中で・・・!
その反面、いやもう来ないほうがいい。あまり深くなるとズレが生じる。難しい。
掃除が終わってコタツの中に入り、ステレオを聴きながら前の海を見ると、陽差しに反射して波がキラキラと、一面の海は輝き。
朝食の時、スペイン、ポルトガル国境の売春のおばさんの話をしていたら、それを聞いている京都さんの瞳は赤く涙が潤んでいる。
心の優しい人なのか感受性の豊かな人なのか・・・。そのキラキラ輝く海を見ながら、今朝の彼女のことを思い浮かべる。フッと寂しいなぁ・・・。誰もいないこのホールにステレオの音が響く。もし彼女と2人きりだったら・・・と思う。
どんよりしていた空は晴れ、よかった、いい天気になって・・・。
彼女たち今頃どこを回っているのかな・・・なんて思ったが、もう考えるのはやめた。キリがない。
(H、Sに手紙を書く)
女性彫刻家の話「大内?」の話。大変面白く、言葉一つ一つ感情が入って、その辺の下手な落語家なんて足元にも及ばない。
朝日、読売をボヤーとした気持ちで読み、このまま居候、・・・そは・・・まだ先が残っている。
昼食後、こたつに入って日記をつける。現在1:15PM。
雪がちらちらとしていたが、もう止んでしまった。
『住所を聞いた時、「わあー嬉しい」と奈良の人は言った。』
使用金額:0円
★「歩いて日本一周」旅日記 香川県/高松
「寂しさ」にシーツををかぶせ、心の部屋の片隅に追いやっているが、何かの拍子で
1980年
昭和55年2月6日(水)
昨日宿泊者は無し。朝ゆっくりと布団の中に・・・。どうも京都さんの事ばかりが気になり、昨日夕方は来て欲しいなんて少し期待をしたものの・・・別に惚れたわけでもないが・・・何か1つ足りない感じがする。
話をしただけではわからない。一日でいいから一緒に歩けたら・・・その答えは出てくるかも・・・とブツブツ。
起きると部屋を掃除して荷物をまとめる。ボロボロのジーンにシャツ。何とか洗濯の時だけの着替えとして使えそう。ホールに出ると時計は8:40AM。おばさんが、
「先に済ませたら・・・ 1人で食べて」
なぜだか腹の調子がおかしく、全然食欲がわかない。生活のテンポが狂ったためか、パン3枚と紅茶だけを無理して食べる。今日からまた再び歩き始めるので腹ごしらえを・・・ 1人ボケ・・・。
9時過ぎステリオのスイッチをひねる。新聞を読む。10時。昨日と同じ頃になると太陽の光が内海に反射し、白くキラキラと輝いている。よく目にする風景であるが、これから思うような光景を目にするたび、反射的にあの人の瞳を浮かべて、一生頭の中に刻み込まれるなぁ・・・海を見ながらそう思う。ガラス窓1枚の外は晴れ、ポカポカと春みたいな感じがする。
こんなゆっくりとした気分に毒されると歩くのが嫌になるし、1週間もこんなことをしていたら歩きはじめる時、凄い決心を必要とするであろう。
Tさんは心中事件で出て行ったとか。新聞を読み、半分待つような気でいたが、帰ってこない。
半分めんどくさいので、どうでもいいやと言う気もあったが・・・。
10:35、ユースを出る。おばさん空き地を利用して畑を作り、色々なものを作っている。達者だ。晴れて助かる。土庄(とのしょう)まで休みなく歩く。道程で頭の中は・・・もし手紙を書くとしたら、今、書くしかないのである。
名門校。京都女子大なんて言うことを聞いたせいか、それとも彼女たちから得る雰囲気か、やたら変な手紙。誤字脱字の手紙が書けないな・・・困ったな・・・でも素直に書くことになれば、いい勉強になるな・・・。そんなことを思って歩いていたら、奈良さんは国文科なんて言っていたが・・・。
土庄郵便局、風景印20円、余りいいスタンプでは無い。
腹の調子は良くないし、へってもいないのにスーパーの中に入る、638円。
スーパーの食べ物に体が慣らされたわけでもあるまいが・・・。
港、待合所に行くと船は10分前に就航したばかり。次は3:50PM。2時間半も時間があり、ベンチの上で美空ひばりの番組をなんとなく見る。全然面白くもない。暇を潰すのが大変。
新聞はもう読んでしまったし、しぶしぶと日記を書く。長いすを手前に引き寄せ、机代わり。しかし低すぎ書きづらい。頭はボーッとするし、どうも体の調子が変わった。
時間になり、ポンコツ舟に乗船。船賃500円。高校生らしき連中が、空いっぱいと言っても小さく狭いが、この船、島々を寄って行く。
船の窓から外の海に浮かぶ小島の群れを、うつろな目で流しみる。やっぱり寂しいのかなあ・・・。厳しい時、その厳しさを面して外に心を動かす余裕がないので気がつかないのか・・・。それとも本当は知っているくせに「寂しさ」にシーツををかぶせ、心の部屋の片隅に追いやっているが、何かの拍子でシーツが風にあおられ、チラチラと寂しさの顔をのぞかせる。
5時過ぎ船は宇野に入航。鷲羽山(わしゅうざん)方面に向かう。さてこの街のど真ん中。丘の上に赤い鳥居が見え、トンネルを抜け、松林の山を登り、ゼイゼイと息を切らす。丘の上に立ったものの、神社は見事にカギで防備されている。
叩き壊すわけにもゆかぬし、裏側にある部分をナイフを入れ、悪戦苦闘の末、入る。
寝袋を敷く時、寝袋を日干しする事、忘れに気づく。
なぜだか京都さんの事ばかりが心の中を駆け巡る。
使用金額:1158円
★「歩いて日本一周」旅日記 香川県/高松~土庄(とのしょう)~岡山県/宇野~鷲羽山(わしゅうざん)
交番で道を訊く。一路、鷲羽山へ
1980年
昭和55年2月7日(木)
昨日の天気予報では、この一週間、冬の天気が続くとか言っていたが、真っ暗の深夜になると、ジワリジワリと冷え込み、目は冴え眠られたものではない。夜が明けるまで何時間も続き、頭の中は色々と過去の事、未来の事を思い浮かべ、寝袋の中でイモ虫みたいに我慢・・・。
寒い外に小便に立つと、半月が高く、ポツンと夜空の中にある。心が寂しいから、月が寂しく見えるのか、それとも冬の月は淋しく、この心を写すのか。出てくる小便もトボトボと淋しい。
朝が来るとホッとするどころか、また歩くのかとウンザリ。憂うつになる。造船工場から流れてくるラジオ体操の曲が流れている。
寝袋の中に入ったまま正座して、冷たい昨日買った豆腐を食べる。次はこれはまた冷たく冷えたトマトジュース。もうだめ、体が冷えてゆっくりゆっくりと飲む。
トマトジュースはおいしいが、フッと、このトマトジュースの味が嫌で、どこがこんな物おいしいのか・・・と、なかなか口にすることができなかったが・・・。旅するようになってから好き嫌いなんていう事がなくなった。考えてみれば世界中、変な物ばかり食べてきたが、あのチュニジアの食べ物には参った。
靴を履くと足が痛い。この靴を買ったのは間違いだったのか。
宇野市街になるのか、若い女に道を聞くとなんだかんだ、訳のわからんことを言っている。結局は知らないのである。
交番で道を訊く。一路、鷲羽山へ。海岸線を行く。しかし頭の中は別のことを思い考え、歩いている。風景、なんか別の世界。地図には載っていない集落のスーパー390円。倒れかかった玄関前の石に座って、牛乳に蜂蜜を溶かし、バナナ、久し振りに座って食べた。
いつも寒いので歩きながら食べ、座る余裕を失ってしまっていた。
しかし、さすがに手がかじかみ、蜂蜜をかきまぜる手は思うように動かず。
田辺に入る。田舎の商店街を通り交番の前を通った時、警察間の目と俺の目が合った。また呼び止められるのではと思ったが、関係なし。しかしそれからしばらくするとあのpolice、バイクに乗ってくると、ピーと俺の前に止まり、思った通り、例の身分証明書。しかしこんなに免許証が役に立つとは思いもしなんだ。やっと鷲羽山まで来る。3時まで少し時間がありそうなので展望台に行く。展望台駐車場に新聞地方紙を失敬して上に行く。
展望台から見る瀬戸内海は、天気のせいか、ドンヨリとしてパっとしない。
そして風・・・風の当たらない芝生の上に横になり、山陽新聞を読む。靴を脱ぐ。靴下は血でベットリ。カカトの靴擦れ。それに指の上にマメ。血がにじんでいる。足裏にマメは分かるが、上と初めてである。靴が慣れるまで歩きづらい。カッコウはいいが。歩くためのものではない。
ユースに入る。3時過ぎ。雑誌を読んでいたら、おばさん、話しかける。しかし煩わしい。頭がガンガンとする。寝不足。疲れがハッキリとわかる。
秘境温泉の秋山郷。長野、新潟県境、この紀行文を読んでいると、あーあー温泉に入りたい・・・。
ペアレントが帰ってくると「脇山さん、預かり物があります」
「ハァ」
出されたのが、Sさんからのバレンタインのチョコレート。
ウーン、憎いことをするなと思ったが、困ったなぁ・・・という気持ち。どんな意味でこのチョコレート送ってきたのか知らぬが・・・ウン・・・と考える。
いい娘であるが、そんな特別な気持ちはない。ただ相手が、一興の上で送ってきたのかなら分かるが・・・。
夕食は7時から。ゆっくりと風呂に入る。風呂から上がると8個入ったハート型のチョコレートをベッドの横になり、ポリポリ。不思議な味。
7時、夕食。腹八分・・・どころか五分。
頭がクラクラとする。とても日記を書けたものではない。すぐベッドの中に入ったが、半分眠りの中。途中で人がドヤドヤと入ってくると、眠りを妨げられ・・・そのまま朝が来るまで眠ることができる。眠らなくては、眠らなくては、と焦ると、ますます冴える頭。
夢なのか想像なのか、京都さんと京都を歩いている、そんな事ばかり。素顔で、少し痩せ、少し明るい服装をしたら大変だ。男がワンサと集まってくるだろう。
社会人になったら、どれだけ変わるのか気になる事である。
使用金額:2530円
★「歩いて日本一周」旅日記 岡山県/宇野~田辺~鷲羽山~
とにかく今、精神的に落ち込んでいるのが分る
1980年
昭和55年2月8日(金)
全く眠る事ができず、ボヤケタ頭のまま朝を迎える。ベッドの中で日記を書いていたが書きづらい。ホールに行って書く事にする。女5人男5人の宿泊者。俺は一言もしゃべらず、ましてイモ娘達、話にならんね。地理、景色的には良い所である。昔来た事があるのに、ただ来たという事を知るだけ。あの時の事は何一つ記憶になく。
ホールのテーブルで日記を書いていたら、テレビの音が耳障り。ウィークエンダーをやっている。肥溜めの中に入って5時間、捕まった男の話にはほとほと、この男の頭脳の構造があきれてしまう。
料理人のおっさんにユースの男女2人で何やら、色話をしている。女の人はあー恥ずかしいと話ながら喜んでいる。
テレビも面白いが、日記を書かない事には・・・ 10時まで、蜂蜜湯を作る。気が散ってロクな事は書けない。
10時、ユースを出る。靴を履くと足が痛い。海岸線をトボトボと歩く。Mと会う事はなかったが・・・どうなったのかあの娘。磨けばいい娘になるのに。
足のかかとが痛いので思うようにスタスタと歩けない。事がうまくいかないとイライラとしてくる。
県道を広江と進む。道がゴチャゴチャとあり、見当がサッパリとつかない。
ビニールに入った7日付の生カキを拾った。ポケットに入れ、後でスープの中に入れるか・・・。
パン、牛乳、450円。行く道の左側は延々と続く工場地帯の鉄塊群。よくこんなものを作ると思う。広場にズラリと並ぶ三菱ミラージュ。しかし輸出用なのか、左ハンドルにダッチのマーク付。垣に色々な樹木が植えてあり、何の為か分からぬ殺風景地。
休みたいが寒いので歩くしかない。スープと焦る。ポケットに入れていたビニールの生カキ。水が漏れ、ヤッケのポケットをビショビショにする。
キョロキョロと場所を探しながら歩くが、なかなかなく、2番目の公園か、植えたばかりの寒椿の咲く樹植林の中に、公衆便所の中、洗面場を利用して風をよけ、スープにカキを入れ作る。便所の入口に立ち、パンをかじりスープを食べる。
なんともわびしい味である。空は青空に白い雲。時々ちらちらと白いものが落ちてくる。味もその素っ気もない食事である。
とにかくスランプに落ちたのは分る。イライラするばかりで、歩けない。寒いのでもっと早く足を動かそうとしても、足のカカトが痛く、ヨタヨタである。工場群、途中から左手に行く。道を訊く。工場の中、何がどうなっているのかサッパリと分からず。ヨロヨロと曲がりまくり、広い道路に出る。
鉄道踏み切りを渡り、壊れかけた丘の上に神社が見える。
今日はあそこ、これ以上歩いても、この先、有料道路でどうしようもない。
オートバイ廃車のおばさんに道を訊くと、あの神社は建築中。途中で止め、向こうへと三菱自工前の廃車解体。車の山積の中、寝場車を探してみたものの、みんな、油で汚れ、グシャグシャ。一台のトラック。ナンバーが付いている。カギも仕事用のトラックであろう、クレーン付。中に入って、地図を見ていたら油に汚れたおっさんが来て、
「この車は山田さんが乗ってきたのかな」と俺はしらばくれ、
「あぁ・・・そうでしょう」
おっさん、「工具、ないかなー」
「イヤ、ないみたいですよ」
おっさん、その辺をウロウロとすると車に乗って去る。仲間らしい。
三菱ふそうのトラック。フロント前の台で、日記を書いていたが、疲れか寝不足か、頭がボーッとして集中力がない。黙想して少し寝ると頭がスッキリとしたが・・・。
全然日記に書く事がない。どうなっているのか。全くクソおもしろくない。
書くのも面白くないが、一日痛い足を引きずって、ロクに書く事がない。馬鹿みたい。
さっき、5時らしきサイレンが鳴り、西の空は紅の雲。グングンと冷え込みはじめ、足は冷たい。
とにかく今、精神的に落ち込んでいるのが分る。山陽を出るのにあと10日間はかかる。九州に入ると楽になるのだろうが。
運転台後ろのスペースに寝袋を敷いて中に入ったが、狭く、幅も高さもギリギリ。それでも風が入ってこないので助かる。色々なことを想像してる内に日が暮れてしまった。
使用金額:450円
★「歩いて日本一周」旅日記 岡山県/鷲羽山~広江
何がこの足を動かすのが知れぬが・・・
1980年
昭和55年2月9日(土)
トラックに鍵が付いているので、人が来るのではと思っていたが、夜が明けると窓ガラスは真っ白。外側が凍っているのかと思っていたら、内側の水滴が凍っているのである。ビックリした。
という事は、この中は0度以下・・・。
しかし、いつもより暖かいと思ったのに・・・、どうなっているのか。とにかくこの寝袋には頭が下がる。
人が来ない内にトラックから出る。道路は通勤ラッシュの車。工場地帯なので方角がさっぱりとわからず、また人に訪ねようにも民間でなく工場。その他では・・・。信号のところにスクールバスでも待っているのか、学生服を着た物語っている。
道を聞くが「僕、わかりません」。何を聞いても「ボク、わかりません」。
さすがにこの男バカか、それとも俺をバカにしているのかと中学生か高校生かと名札を見ると、倉敷養護学校の札。あー悪かった。
今度はバイクのおっさんに聞く。
有料道路の端を渡り、痛い足を引きずり、晴れているのに冷たい強い風が吹きつけ、耳はジンジンと痛くなり、寒さで体を張るので疲れも早い。しかし休みようがない。悪循環。
朝、何も食べるものがない。有料道路の横に、店屋なんか、ありましない。あるのはレンコン畑が広がり、その他、工場の住民家宅か、新興住宅が見える。干し物は作業服。
みかん畑、収穫後の残りみかん。1個をとって皮をむいたところで、手が冷たく、モタモタとした手、ポロリと落とす。ムカーと来て畑の中に入ってチョコチョコと残ってるみかんをカキ集める。
手が冷たく思うように動かず、みかんの皮1個むくのにエライ思いをする。
口の中に入れるとこれまた、シーンと歯から頭に来るほど冷たい。おいしいから食べるというよりせっかく取ったものを捨てられるものかと盗人根性で無理に食べたもの、水を食べてるのと同じ。味もへったくれもありはしない。
国道2号線に出る。石灯屋の前にポツリと家があり、人気がない。中を覗くとガラリと中は床も何もない。建築中なのか。
それとも資金不足で放地にしたのか。中に入って休めないものかと一つ一つ窓を見て回ったが、カギ。しかし裏ドアが開いていた。
中に入る。お茶でも作り温まりたいが、水がない。冷たいみかんを食べ、中にあった週刊誌をペラペラと読む。風がないとそんなに寒くはないのであるが、・・・。この中に寝るか・・・と思ったり。しかし歩かないことには先に進まない。何がこの足を動かすのが知れぬが・・・。歩いていて、サッパリとわからなくなった。初めの頃はわかっていたような・・・、そうでないような・・・。ただ棄ててはいけないと言うことがわかるが・・・、余裕を持とうと思うが。思うほどにはウマクいかず、これでせめていつものように、スタスタと歩けるなら気分もいくらか軽くなるのに・・・。
金光教の町。金光は素通り。俺に金と光に縁はない。
工事中で車がズラリ、2号線、幅は狭い。排気山国。狂っている。しかしこれは人に言っても誰が耳を傾けると、諦め、ブツブツ独り言を言いつつ歩く。
鴨方駅に休憩に行く。駅前に店あり、373円、パン150円。駅の売店は閉店中。戸がないので寒々。隣に座っている赤く髪を染めた女、鼻をズルズルと鳴らしている。あぁ悲しきかな女よ。
牛乳に蜂蜜、ライ麦の黒パン。香料Caraway、この香り懐かしい。パン屋で働いていた時、いつもこの香りがしていた。あれからもう9年になるのか。スウェーデンの片田舎町。日本を出る前はまさか海外に行くとは夢にも思わなかったし、ましてやあんなメルヘン的な町で働くとも思いもしなんだ。。楽しかった日々は夢の中の出来事のように、次第に記憶が薄れ、今ではもうあの日々のことが嘘のように疑われる。過ぎてしまえば全て夢の中のことかもしれない。
地図を見ると、国道を歩かずとも笠岡に向かって、線路右側に狭い道路があり。その道を行く。この鴨方について細い路地に入った時、純日本風の古い床屋を見る。しかし客はいなく、今にも潰れそうである。こんな床屋を都会に移せば観光名所になるであろう。それから2件ほど同じようなものを見かける。
クネクネと田舎道を行く。車はほとんど通らず、気分的に楽である。床屋を過ぎ、休むことなくそのまま笠岡へ。笠岡駅に2:40PM。どうしても一泊野宿しなければならない。どうせなら笠岡ユースに電話する。返事によると・・・どうも・・・チョッと聞いてきますからとしばらく電話を待たされる。食事なしで4時から来てくれとのこと。
電話ボックスに毎日新聞あり。待合所で読み、暇つぶし。
新聞に、天平の甍の話。歳月の誘惑に打ち勝って貫き通す意志の、と続く文章。商売とは言え、よくこんなに書けるもんだ。
時間、古いアーケード街に行く。アッチコッチ売り出し中。この地を壊し新しい都市計画にするらしい。スーパー684円。ユースは細い路地裏の中。1,300円、暖房費200円。しかし和室1人。テレビ、こたつ好き。これは儲け。
銭湯に行く。ユース横、空き地で遊んでいる子供たちが「カニー」と両手の指でハサミを作り林に当てジェスチャー。俺の前にくる。
銭湯は古く、今までの銭湯では一番ボロで、円い浴槽。ロシア風のボロタイルに、流しは、ムキ出しのパイプ。老人、小便、排水口で・・・あぁー何とした姿か。湯は濁り・・・。
ユースに戻ってくると女男子供が待っていて、例の「カニ」をやっている。
ユースの玄関を開けると彼らは外から戸頭を叩き、一緒に遊ぼう。
ジェスチャーで、書く真似をすると勉強。
明日遊ぼう。
OKと言ったものの、明日は出て行く。
こたつに入り、日記。
相変わらず気が散り、書けない。テレビ、マルコの冒険を見る。
1時間、1時間が信じられないほどの速さで過ぎ、焦りを覚える。
一生懸命やって、どれだけの事ができるのか。限られた時間。せいいっぱい生きたいと思うが、思っている事と時間との間に距離がありすぎる。
久し振りにGメンを見る。
親のスネかじり。イヤダ、イヤダ俺の人生。今扉が開こうとしているが、開けると果てしない道が続いているのは分かっている。
遠い道を歩いて来たように、これから歩いて行くだろう。そして今日も一日が終わった。
使用金額:2657円
★「歩いて日本一周」旅日記 岡山県/鷲羽山~広江~鴨方駅~笠岡駅
誰とも話はしない
1980年
昭和55年2月10日(日)
目覚めいつものように考え事ばかり。睡眠時間は5時間はないのであろう。ノイローゼの一歩手前かなと思ったりする。
テレビのスイッチに手をかける。英語問題。こんなものを勉強して何になるのか知らぬが、大学受験のために時間の浪としか、俺には思えない。もっと大事なことに時間を使うことがあるだろうに。
布団の中で出るか出ないか迷う。空の中は寒い。吐く息は白い。スエーデンの部屋はシャツ1枚で生活することができた。文化の違いか。
7時、布団から出る。牛乳を沸す。バナナを食べ、食器を洗って8時、ユースを出る。ユースと言うより安宿である。
足が痛い。日曜日、ガソリンスタンドの新聞を失敬する。
慣れると足の痛さはなくなった。2時間ほどして、別のガソリンスタンドでリュックを背にして休む。靴を脱ぐと血がべっとり。、左足先の豆も潰れていたのか、血がにじんでいる。どうもある靴下が薄いらしい。
日曜日なのにマイカーの列。石油危機、どこ吹く風。福山、右に折れ街に入る。思っていたより大きな街である。映画を見たいなと思ったが、止めた。パン400円。バケットパン、全然おいしくない。できそこないかと思われる。
ニチイの前にはバレンタインデーのチョコレートの山。女の子。
国道2号線、車、騒音にはウンザリ。しかし歩くペースは悪くない。荷が重いだけ。「赤坂駅」1:30PM着。地図と時間を頭の中に入れ計算すると、尾道に行ける。
足が心配であるが無理すれば何とかいけそう。1:55PM、駅を出る。子供達がうるさく新聞が読めない。考え事をしながら歩いていたら、アッという間に松永駅。3:10PM。駅に行ったが休める所ではない。少し座っただけで、スグに駅を出る。ユースに電話をする。
宿泊が決まると、こんな時に限り、アチコチ、イイ神社が道路脇に。どうもユースボケしたらしい。体が鈍ってしまう。
右肩にバンドが食い込み始める。(カゼをひいて書けない。明日書くこととする)
尾道の造船所が見え、道路左手に建造中の船首が並ぶ。不況、どこ吹く風。一見した感じ。ただ吹く風は冷たい。
橋が見た。橋が見えた。やはり海でないと、詩にならないのか。この大橋は覚えている。
旅行者らしきブーツ姿の女3人。バス停に立っている。この汚い橋に、家屋の路地裏近くこれが家になる。冬の終わり。なんとなく春が近いことを思わせる。旅行者、そういえばもう春休みといってもおかしくはない。
スーパーで食料、949円。細い裏路地から小さな階段を上って千光寺へ。途中、寺、神社、空家、寝るところがいっぱい。海が見える高台まで来ると、眼下に尾道水道に街、寺の屋根が多い。丘の道は散歩するには良いが、わざわざ銭は出してまで散歩に来ようと思わない。これだったら信州の片田舎に行く。
車の通れない細い道に、家宅がびっしりと建っている。火事の時どうするのだろうと思う。
ユース1,300円。部屋は狭く、よくもまぁ・・・こんなにギリギリ人間無視で建ったものだ。10数年前来たことがあるが、何も覚えていない。風呂に入る。暖房費200円とっているのに、ホールにストーブ1個。それなのに30人程宿泊客から一人200円ずつの暖房費は、全く人を食った話である。
誰とも話はしない。イモ達と話す気にもなれないし、皆、白々しく寄って黙っているが、俺れは部屋ベッドにもぐり込み、日記をつけていたが、風邪でミズバナ垂らし、頭フラフラ。書けたものではない。
皆、鼻風邪。誰でもわかるはずである。風呂から急にこの寒い、200円暖房なしの部屋に入ると。
1ページ書いただけで寝ていたが、やっと眠りにつこうとしていた時、ガラガラゾロゾロと人が入ってくる。
顔がホテリ熱があるらしい。病気だけはしたくない。
最近、ユースばかり泊まってイカンなぁ・・・。銭はあまっているが、
こんなことしていたら根性が腐ってしまう。
使用金額:2649円
★「歩いて日本一周」旅日記 岡山県/笠岡駅~福山~赤坂駅~松永駅~尾道
三原港待合所、ユースに電話
1980年
昭和55年2月11日(月)
冷蔵庫みたいな寒い部屋で、昨日の残り日記を鼻水を垂らし書いていたが、このユースのやり方に頭に来る。文句言うべきか、言わざるべきか、それが問題である。
日記を終わると下に行く。会員証を受け取り、受付の者に、
「暖房費200円、高いではないか。暖房のない部屋で、200円とるのはおかしい。」
しかし相手は、そうですねそうですねの、繰り返し.
俺の声がワナワナと震え、感情的になり、それを抑え言っている。
しかし、相手はそうですね。馬鹿にしているわけではあるまい。ぶっ飛ばすわけにもいかんし・・・。
誰も文句を言うものがいないので、こんなことをするのであろうが・・・。
ホールに居た連中、黙っている。厭な日本人、皆「俺には関係ないや」。不愉快である。
千光寺公園から下に降り、駅で新聞を買う。待合所には人混み。そのまま国道2号線を行く。どこのスタンドも休み。わざわざ新聞を買う必要はなかった。
建国記念日。
糸崎駅で豆腐、トマトジュース、牛乳、天ぷらを腹の中に入れる。
中はヒヤリと冷たい。外の方が陽差しで暖かい。三原港待合所、ユースに電話。返事が良いので飯もいいだろうと頼む。ジャスコで牛乳、ポンジュースを買って船に乗る。船は瀬戸内海港。島々の間を行く船。別に景色を見るわけでもない。
船室は土地の者がガヤガヤと騒いでいる。下船、ユースに行く。
夕方、ドヤドヤと常連とやら言う連中。俺はこの連中が嫌い。常連だとか、すぐグループ集団を作って、その狭い世界の中だけでの事。
福岡の女の子がいたが、こんなセンスの悪い娘を見たのは初めて。
山奥の娘でもこんなに悪くあるまい。
皆、ガヤガヤと子供の集り。夕食は期待する方が悪かった。しかし、自由と云うより、悪いユースではない。ある意味では、ユースらしいユースかもしれぬ。俺の好みではないが・・・。
ボタン穴、割ハシ問題に苦戦。挙句に将棋?して、連敗。
日記を書く前に頭の方がダウン。最近、頭の疲れが早い。
この日記は12日朝、布団の中で書く。書くのが、イヤ。
(確かではない。思い出すのが面倒臭い)
使用金額:約2800円
何処に泊まる。あてもなく降りる時いつも味わうこの寂しさ
1980年
昭和55年2月12日(火)
どうしてこんなに早く目覚めよくパッチリとなるのか?
時計2時を打つ音を耳にして、それから数回、京都のことばかり。頭の中をグルグル。一体どうなっているのか、俺の頭。
今日、別に急ぐ必要もない。フトンの中で、昨夜の続き、ハシの問題をやるが頭が痛くなる。日記を書いていたが、全然書く気にもなれない。なぐり書きである。
船の時間12時。井ノ口行き。時間2時間余り。ハシの問題わからず、教えてもらう。
大阪の娘、1時間ほど後にユースを出た。常連のなんのかんの。
もっと豊かな心を養ったほうがいいと思うが・・・。
暇があるので将棋をする。12時10分前、途中で止め駆けてゆく。ユースのおばさん、窓から顔を出し挨拶する。白髪が多い。子供がいないのか・・・美人であろう。俺のタイプではないが・・・。
港、舟はまだ来ていない。耕三寺は行かず、ばかばかしい。280円。大三島、井ノ口。船室はガラリ。座席の角にハンドバックを見つける。忘れ物。開けるとサイフ、保健証、その他、誰も見ていない。しかしネコババする気はない。けれど届けるのもなんかもったいないような気がして、しばらくそのまま。結局は船員に届ける。
船は井ノ口について細い路地。田舎店でパン、420円を買う。店の老婆、歳をとりすぎたのか計算ができず80円の釣銭なのに、200円しか渡さない。コカコーラの車が止まり、乗るかと言う。
「事情があって歩いていますから」
相手は恐縮したように「どうもすみません」を繰り返す。
大山祇神社。以前から気になっていたが、500円の入料金。入ってガッカリ。宣伝助けである。もしこんなものと知っていたら、500円もの大金、誰が払う。
島伝いに行くかと思っていたが、止めた。
今治~松山~大島~徳山~国見と考えていたが、これも止めた。
波方~八幡浜か三崎~九州、どちらかにする事にした。歩く距離は大して変わらず、もう時間がない。島通りの暇つぶしに何かしている事はできない。
3月中旬ごろまでに福岡に着きたいと思っている。
港待合所、波方16:25と思っていたが、もう一度確認。しかし15:30が正解。出発、着の読み間違い。しかし気がついた時、船は出航して5分。1時間30分までっていたのに、馬鹿みたい。次は17:55。あぁー、頭がフラフラとする。ベンチで日記を書く。
船のアナウンスをすれば間違えることがなかったのに・・・。まぁ・・・これが人生さ。集中力がなく、字を書くのがめんどう。
そんなに寒くなく、春がもう直ぐそこではないか・・・そんな気がする。
バスが走り、全然島といった感じがしない。あぁーこれから2時間、どうやって暇をつぶすのか。それに暗くなって港についても困る。寝るところを探すのに。
船賃、520円。今度は間違いのないように確かめ、舟が入るとスグ、外に出る。しかし、しばらく外で待つ事になるが、外の寒い風は無遠慮に俺を締め上げる。
船室に入ると暖房の効いた中はポカポカと暖かい。船が動き始め、西の空が少し紅色になっている事に気が付く。もう随分と、夕陽とご無沙汰。フッとこの船は17:55PM。今、6:00を過ぎた頃か。あぁー日が長くなったなぁ・・・と思う。1ヵ月前のこの時間はもう真っ暗。今はやっと少し暗くなりかけたところ。夕暮れの海、窓際に座り上を見ているうちに、いつの間にか居眠り。口をポカーンと開けて眠っていたのか。口の中がカラカラに乾いている。
窓の外を見るともう暗くなっていた。瀬戸内海の島々に灯。船室に、酔ったおっさん達が売店のおばさんを冷やかしている。酒か、酒でも飲みたいが、酔ってプラプラ歩くわけにも行かぬし。船は波方の港に着く。小さくポツリと灯がついてるだけ。何処に泊まる。あてもなく降りる時いつも味わうこの寂しさ。暖かいところから急に冷たい風の中に出る時、気が沈む。
汽車、バス、船、なんでもいい。ヒッチして真暗闇の中にポンと降ろされた時、この味わう寂しさ。
もう10年以上になるのに、慣れる事はない。
こんな時、家庭の温かさが羨ましい。俺にはなかった。
なかったから作るだけさ!
使用金額:1220円
★「歩いて日本一周」旅日記 岡山県/三原港~井ノ口~愛媛県/波方
出来立てのきな粉が8個ほど、暖かそうに紙に包まれている
1980年
昭和55年2月13日(水)
港の前に神社の境内あり。暗い中を寝場を求め探す。体育館らしき建物。しかし窓という窓すべてに鍵。諦め、小さなお堂の扉を開ける。中は丁度1人分が横になれそうな床板。周り格子戸。家宅が立ち並ぶところに、段ボール紙を探しに行く。床から冷えてくるだろうし、中は埃ぽい。
小枝を切り、葉を箒代わりにし掃く。
ジャラジャラと小銭の音。賽銭箱がないので床に小銭が散っている。これが子供の頃だと、早速神様の恵みと拾い集めただろうに・・・。そんなことを思いながら隅に掃き寄せる。
床にボール紙を敷き、底冷えしないようにする。その上にポンチョ。寝袋の中に入るとポカポカと暖かい。いつもは寒いのに春が近いのかなあ・・・と思う。
フェリー乗り場に集まるトラックの騒音が暗闇の中をガタガタと響かせる。
時々、フェリーの接岸する音が聞こえる。フェリーの中に居眠りした為か、なかなか寝付かれず枕にしている食器入れの箱が堅く、頭が凝る。どうもユースボケをしたらしい。
半ボケした寝ぼけ頭の中に、人が歩いてくる足音がする。チャリンチャリンと小銭が、俺の寝袋の中にを落ちてくる。2人で何やらぶつぶつと拝むと、去る。もう朝かと、寝袋から顔出すとまだ暗い。今のは気のせいではないかと思ったが、どうも違うらしい。次々と人が拝みに来るが、中にいる俺に気がつかず、チャリンチャリンと寝袋の上に小銭が落ちてくる。花咲かじいさんでもあるまいに・・・。
寝袋を巻いて、中を片付けていたら、フッと・・・何やら・・・外を見ると、手を合わせ拝んでいるおっさん。中にいる俺に気づいたのか、目をキョトンとしている。賽銭泥棒と間違えられたら困るので、段ボール紙をわざと高く持ち上げ見せる。おっさん、キョトーンとして去る。俺もサッサとお堂を去る。7時ごろか。県道まで来ると通学生。自転車の女子高生、久し振り・・・。小学生の列、皆、キョロキョロと俺を見る。
パン、牛乳390円。そんなに寒いと思われないが、手袋を取り、パンを食べ牛乳を飲みながら歩いてると手が冷え動かなくなる。
海岸線に出る。海に島々が浮かぶ。晴れた空。しかし海から吹く潮風は冷たい。「かめおか」まで休まず歩いて、道路横に立つ新しい地蔵堂。アルミサッシ、中は畳、戸を開け、戸口に腰かけていたが、上がり、昨日の残り分、日記をつける。
戸を閉めるとガラス窓からポカポカと暖かい陽射しが入り、ウタウタと寝てしまう。これが夜なら最高にいい場所なのであるが・・・。
ついでに今日の分の日記も・・・と書いていたら、中年老婆の二人づれ。ここに昨夜泊まったのか、ムンヌン、ダメ、ムンヌン。
「イヤ、ただ日記を書いているだけですよ」と言う。
地蔵さん拝み、後2人で話をしているが、その声にイライラ。字が書けず、しかし俺の場所ではないので文句は言えない。
話しかけられても、ムンムン。日記忙しく書いて、隙を与えないよう・・・!
「願かけて回っているのかネ」
「イヤ、嫁さん探しですヨ。もしおばさんが50年若かったら、嫁さんにするがネ」
「何を言う。わしは80過ぎじゃ」
2人は出て行く。2人の話によると、もう12時らしい。
この日記をつけ終わる頃、外から人が歩いてくる音。ガラリと戸を開け、さっきの中年おばさん。手にモチを持って、
「これ焼きたてだから、食べて」と置いて行く。
出来立てのきな粉が8個ほど、暖かそうに紙に包まれている。
ハァーとパクパク、口の中に入れ、あっという間に消える。
なんと気の利いたおばさんか。急に考えが変わったわけではないが・・・。あの大声を耳にしていた時・・・内心、アーアと思っていたのに、モチをもらうとコロリ・・・おばさんの背に後光が差しているような・・・俺の心はなんと・・・循環の変が凄いのか。
まぁ・・・これが人の心よ。
それにしても今日まだ昼間しか歩いていないのに、書いてばかり。本当は書くことがたくさんあるのであるが、歩き終わる頃になると、グッタリと疲れ頭の中も同じ、思い出せないのである。一日一日の出来事が・・・。
サテ・・・歩くとするか。今日はどこに泊まるか知らぬが、現在12:30頃であろう。
いざ、北条市を目指す。晴れた空に青い海がのどかさを与える。モチの食い過ぎか、胃がもたれる。
昼中、少し寒いと思わせる位で、歩くのに丁度良い。右足先が痛い。足幅が広いため、靴に合わぬらしい。後2、3日もしたら慣れるだろう。
小さな魚屋の前に、生きた平目を水槽の中に入れて売っている。見ていたらウナギも。中年のおっさんがフライ物を売っている。別に腹が減ってはいなかったが、あまりにも美味しそうなのでつい、色々、420円分家買う。
変な具の揚げフライ。不思議な味。安いし安心して食べられる。脂っこく、農協スーパーで牛乳を買う、125円。なんだか今日は食べてばかりである。
新聞がないので休んでも仕方がない。ほとんど休みなく歩いて北条駅に16:00PM。朝日60円。待合所は横に長くベンチも長い。この辺特有のベンチ?
女子高生らがカバンを下げやってくる。垢ヌケした感じ。しかし誰彼も小柄である色気が全然ないが、別の若い青い魅力がある。誠に女とは不思議なものだと思うが、女でありながら女である事を知らな過ぎる日本の女ども・・・。男もな同じであるが・・・。
17:05PM、北条駅を出る。途中、旅乞食老人とすれ違う。ダブダブの長靴、ボロボロの服、杖に、片手は袋、頭にタオル、背は作業用の青いシート。頭は生気なく、白い山羊髭。目はボローンとしている。あぁー俺の未来の成れの果てか・・・?と思った。
知らぬ間に柳原駅を過ぎ、栗井駅は工事中なのか半分だけ。地図を見てガックリ。
とりあえずスーパーで食料289円。淡い炎色のはっきりとした夕陽が瀬戸の海に沈みゆく。珍しく夕陽だが、ゆっくり座って見る気になれない。そんな事より寝る事の方が大事である。
道はいつの間にか暗くなり、車はライトを走らせ、家路に急ぐ列。俺はその横をテクテクと歩く。あと約1ヶ月の辛抱だと思う。
途中、お堂を見つけたが、一分の隙なく諦め、堀江駅が無人駅である事を祈りつつ歩く。
駅に19:00PM。駅前広場に自転車が駐車してあり、女高生達がキャーキャー言いながら家路に帰る所であった。
現在20:00。
使用金額:1284円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/波方~北条市~柳原駅~栗井駅~堀江
九州の地図を見ていると、あと一息だなぁーと思う
1980年
昭和55年2月14日(木)
駅の鍵、ある事に気付き、金切りノコを戸の隙間に入れ、持ち上げると開いた。待合所で日記を付け、靴下の洗濯。水を持って空家になった事務所、宿直室に行くが、真っ暗。中は埃。掃く。毛皮があったので助かる。
夜中、目が覚め、小便にホームに立つ。時計は2:05AM。いつもの時間になると目が覚める。思いっきり寝てみたい。習慣とは実に恐ろしい。部屋の中は真っ暗。待合所の灯も消え、ホームの灯がカーテンを透かし、薄く明るい。
ぼんやりと京都さんのことを考える。昨日が就職。どんな気持ちで会社に行ったのか。誰しも味わう不安な気持ち。俺も色々の仕事を変わったが、あの初めの雰囲気だけは嫌で、慣れることがない。どうなるのかわからないが、彼女に我を忘れず、自分自身を見失わず、頑張って欲しいと思うが、思うばかりで、どうすることもできない。これは個人自身、歩いていかなければならないことであるから・・・。
彼女がもし人間として、スレてしまった時のことを想像すると、なんともやり切れない気持ちになる。
まだよくわからないが、珍しいのではないか、あんな心の柔らかさを持っている人は・・・。柔かいだけスレるのも早い。自分自身を見失わず、あの心を持ち続けたら伸びるだろう・・・。そんなことを考えてるうちに一番列車がきた。
確か一番列車は四時・・・。6:01AMの列車が止まる。まだ暗いが、俺も起きる。やたら朝の列車が多い。昨夜、時刻表を見て人が来ない時間を計算する。7時位がちょうどいい時間である。
ロウソクに火をつけ、ナベを出し、うどんのスープを作り、牛乳を沸かす。食器を洗い、片付けてちょうど1時間かかる。時々外に自転車の走る音がする。この駅が無人だったので助かる。もしそうでなかったら大変だったなぁ・・・。昨日38キロで歩いている。
歩きすぎたが、今日その分助かる・・・。7:00、駅を出る。これでまた1つ儲けた・・・。しかしもうこの手を使う事はあるまい。たぶん明日泊まることにしている伊予出石の無人駅ぐらいであろう。
裏道を通り、途中から国道196号線に出る。松山まで8キロ。しかしまさか松山にまた戻ってくるとは、それこそ夢にも思わなんだ。
朝の一光景。通勤ラッシュカーと通学生の姿・・・。いい女がいないなぁ。松山は。
松山城が見える。以前はこの向こう側を見ながら松山に入った。今日はその反対側を見ながらやって来る。
せっかくエライ思いをして通ったのに、また逆戻りの形。馬鹿みたいと思う。
しかし、あの時小豆島に行ったのだから彼女たちに会えたのだから・・・。
何が何処でどう見えない糸を操っているのか。運の動きはわからない。
広い通りになり松山市街・・・駅に行く。8:58AM、ピッタリ、計算した時間通り。9時に着くだろうと思っていたから・・・。
朝日60円。待合室で読む・・・。テレビで42歳の主婦が43歳の男と家出、ウンヌン。よくこんな番組を作るよ。新聞を一通り読み終わると、駅を出る。
国道56号線を通って伊予へ。松山から5キロ程の所で見覚えのある河と橋に出会う。あの時、この橋と河を勘違いをした。
正面に見える山並みに白い雲。空は灰色。その中にボンヤリとボケた明かりの太陽・・・。伊予松前。Aコープで買い物、532円。人参を買おうかと思った方が高い。キャベツもメタメタに高い。すべて高い。このバナナも高い。どれもこれも高い。重い袋を下げ、伊予駅へと3キロ・・・。
これだったら、伊予で買った方が重いものを持たず楽なのに、スーパーを見ると・・・。 一日の習慣なのか、ついフラフラと入ってしまうし、スーパーの中に静かな音楽など流れているとホッとし、出るのが・・・ムッ・・・。
伊予市の狭い商店街を歩く。古い木造家に格子戸。醸造屋の大きな柱。ボロボロにハゲ落ちた白壁。あと10年~20年したら、こんな姿も消えてしまうのかもしれないと思う。
伊予駅に着く。ここで以前休んだ。またここに来るとは・・・!
何か損をしているみたい。まず洗顔・・・、新聞を読むが、もう読むところがない。仕方なく日記を段ボール箱を机代わりにして書く。
駅にある鉄道日本地図を見ていると、まぁー歩くに、よく歩いたと思うが、なかなか四国から出られない。あと3日、九州の地図を見ていると、あと一息だなぁーと思う。
日本全体から比べると九州はそんなにでもないが・・・。よく歩いたと思うが・・・。
人はこんな事、同じ実感としてピーンとこないであろう・・・。
これは本当に歩いたのかなという疑いもある。
キッパリに、かけ引きなしに完全徒歩でやって来たのであるが・・・。
そんな事より、この後三日間か。何故か、凄ーく長く感じられる。
今日は以前泊まった所に泊まるつもり。あと10キロ2時間半・・・。現在2:35PM、伊予駅にて。
次・・・。日記を終え、立ち上ってリュックを背負うと、キオスクのおばさん、
「あなた、みかんいりませんか」
本当はたった今、100%のオレンジジュースを飲んだところ・・・、しかしせっかくの親切である。
「ハイ」と言って貰う。
北原白秋の詩ではないが、いつか来たこの道、を逆戻り。
地図との違いか、自分が思っていたほど遠くはなく目的地に着く。しかし倉庫に人がいる。時間は3時半ごろか。おっさんたちが帰るまで外でボケーッと立って待っている訳にはゆかぬのじゃ・・・。困った・・・。
両手に水とラーメン、バナナの入った袋を下げ、、、、。仮に休み場を求め、例の国鉄作業員休憩所に行く。待つのが面倒なので窓の柵を切り離す。アルミ冊をグイと曲げ中に入ると、なんと鍵が柱にかかっている。なにも無理をして金切りノコで通る車に気を使わずとも、正面からまともに入れたたのである。
これでわかった、なぜこの窓だけ鍵がかかっていないのか。あの時これを知っていたら、いや今日だけでもいい、知っていたら、食物ももっと買って・・・何かできたろうに、切った所は元に戻らない。押し曲げ、わからぬようにする。
新聞も、もう隅々まで読み・・・ラーメン食べ、お茶飲み、暗くなる前に日記を書いておこうと・・・。
今5時過ぎた頃ではないか。小豆島からもういつの間にか10日間も過ぎてしまった。早いなぁ。
両足の薬指上の豆がつぶれ、血。つぶれてもつぶれてもできる。
両足のかかとが少し痛いだけで、あと2~3日の我慢。
手、顔がむくんでいる・・・。急にそうなった、ラーメンを食べたあと・・・。
伊予出石(いよいずし)まで26キロ。明日が楽だ。今日は30キロ程か。
使用金額:592円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/堀江駅~松山~~伊予松前~伊予市
この世に生まれてきたことを本当に感謝するなぁ・・・。こんなに面白い人生
1980年
昭和55年2月15日(金)
今日で福岡も去って丁度10ヶ月。早いなぁ・・・。そんな実感はこれっぽっちもない。過ぎし日々をウンヌンと嘆いてもどうする事もできない。ただ前程の道を、一歩一歩と踏みしめ歩き進むだけだと思う。今まで一歩一歩と小さな歩幅の積み重ねの結果、ここまでやって来た。人生も同じであろう。
同じように人生の旅を一歩一歩と歩いていこうと思っている。車でブーンとただ走り去って行くようなそんな味わいのない人生は送りたくないし、インチキもしたくない。
ただ年をとってくると、体が思うように動かず自分の心が崩れるかも知れない・・・。たとえそのようになったとしても、せめて崩れ落ちる最後の瞬時まで、自分自身を見失わないような、そんな人間になりたい。
今まで若いから、この10数年間ベストを尽くすことができたが、あと半年で30歳代。壮年と言うらしい昔は・・・。この世代に入ると心は思っても体が動かなくなるであろう。
健康と若さは最大の財産だった。この2つと、頑張ると言う気力を持って、色々な道程を超えてくることができた。神の恵みは平等なのか。色々な世界の貧しい人々たちをこの目で見た。俺は恵まれている。あと彼らと比べると俺は恵まれすぎるほど恵まれている。だから頑張らなくてはならないし、頑張ろうと思う。
この世に生まれてきたことを本当に感謝するなぁ・・・。こんなに面白い人生。
しかし他のフヤケた若い連中を見ていると「ああ・・・わからぬ」
今朝、一歩も歩いていないのに日記を書いている。昨日の夕暮れ、Hに手紙を書いていたが、途中暗くなり止め、今朝その残りを書き終え、ついでに日記を書いた。別に上の文なんか、書く気、サラサラなかったのに。勝手にサラサラとペンが動いた。
今日は約26キロ。慌て急ぐ必要もないので、この作業員小屋にお茶を飲みながら、手紙、日記。
押し入れの中に毛皮、枕があったので助かる。窓の外は冬の澄んだ青空。もう春か。
作業員後小屋の中にて。
作業員小屋を出る。足の調子が少しおかしいだけで別にこれといった変わった事はなく、調子が良いように思われる。
上灘(かみなだえき)駅で休む。駅横の店で買った古い堅いパンを牛乳で流し込む。あの時まさか再びここに戻ってくるとは夢にも思わなかった。新聞がないので食べ終わるとすぐ駅を出る。
晴れてはいるが海からの潮風は冷たい。瀬戸の海は白波、ぽつりぽつりと小島が浮かぶ。足は快調に動く。周囲を見るより考え事、空想ばかりして歩いている。
下灘駅前の店で毎日60円。店に入ると出てきた女は30才程か。田舎にはもったいないようないい女。しかし嫌な顔付で俺を見る。人間を外見で判断するのもよい。それは人間の勝手だ。しかし、物を買いに来た人間は客だ。店を開いているからには、店を開いていると言う責任感を持て・・・。
この下灘駅、俺は好きだ。何とも言えないホームの向う側に広がる海の青。
小さな待合所。壁には「冬の京都」ポスターが数枚。着物を無頓着、西陣。その他・・・。
どこの駅にもこのポスターがある。
喜多灘には14:00PM。30分間、新聞を読んで休憩。
長浜15:15PM。スーパーで食料、1194円。スーパーを出る時、出口に一才半程の瞳の澄んだ男の子がジーッと俺を見ている。「オス」と言ったが見つめて・・・。
ポケットから手袋を取る時、ポロリと1円玉を落した。その一円玉を子供にやると、何とも言えない程、嬉しそうな顔をしてその一円玉をレジの前に立っている母親の所に持っていった。
まだ言葉はしゃべらないらしい、バブバブと言っているが、一円と言う値段ではなく、貰ったと言う事がよっぽど嬉しかったらしい。大人は演技をするが、あの子は駆け引きなし。心の表現。俺も何か良い事をしたようなニコリとした気分になる。
そこから目的地、伊予出石(いよいずし)駅。宿直室の方を見たら鍵が開いている。俺のため誰かが待ってくれている訳でもあるまいに。
待合所の窓ガラスをガタガタと風が叩き揺れ、外には白い雪がチラホラと、舞っている。
使用金額:1642円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/伊予市~上灘(かみなだ)駅~喜多灘~長浜~伊予出石(いよいずし)駅
四国ともおさらば。イヨイヨ九州
1980年
昭和55年2月16日(土)
出石を去って、八幡浜に夕方。それからフェリー。夜の暗い中、臼杵(うすき)に着いても仕方がないので、今日「千丈」の無人駅に泊まるつもり。
もちろんこの「せんじょう」駅が無人なのか有人なのか分らない。勝手に無人駅と決め込んでいるに過ぎない。
距離は約26キロ。慌てる必要のない一日。窓の細い隙間から朝の光が差し込む。
夜中はそれこそ真っ暗。5cm先の自分の手も見えない。12時ごろにでも目が覚めたのか、埃で息ができず苦しいし、そのまま寝付かれず朝を迎えてしまう。一晩中考え、勝手にストーリーを作って頭の中の戯れは例の京都さんのこと。そんなことを考えているとある恋心の中に潜む、もう一つの心と言うものに気づく。
恋の遊びを何故するかも、ボヤリ・・・。ドンファンのことも・・・。
表に自転車。時々列車の停まる音が聞こえる。どうせ今日も急ぐ事のない道程と思うと、なかなか寝袋か一気に五郎駅まで歩く。五郎駅で休む。野口五郎ファンから来る切符購買の記事がかかっている。
11時には大州駅・・・。すごく速いペースで歩いてきたことになる。
目的地まで大州より約10キロ。別に急ぐ事は無い。朝日60円。駅で新聞を読む。駅構内を出る少数の旅行者。春休みを利用してくるのか。楽チン楽チン組の旅行・・・。羨ましく思う。
割といいセンスをした女性が歩いて、駅前に立つ。旅行者らしい。
しかしどこか一見、崩れ、生意気な感じ。若い頃はきっと純情な娘だった、そんな感じ。歳をとると、誰も彼もイモになるらしい・・・。
12時、駅を出る。土曜日、学校帰りの小学生の列の中に紛れ込み、皆が珍しそうに俺をキョロキョロとみる。
子供たちにとって、このカッコウ・・・は、そんなに興味があるのか・・・。しかし体の大きな女子小学生・・・これじゃ妊娠もするだろう・・・。
以前入ったことのあるスーパーに入る、838円。一度渡った橋をまた、渡り戻って八幡駅へ。
ガスが切れている。金物屋に入る。ガス、400円と言う。袋には300円の値札がついているのに、値上がりですと言って、400円。バカバカしくて、買う気になれない。断る。嫌な商売。
大洲郵便局前を通った。一見、あぁー面倒くさいと思ったが、引き返す。風景印。また自分で押すことになった。今度はやけクソで押した。
平野駅で昼食。フランスパンにチーズを挟み、牛乳、1リッターを飲む。
平野駅内で無人駅停車表を見ていたら、次の千丈駅は無人ではない。これはエライことになった。
まぁーどこか神社でもあるだろうと期待。
2時、駅を出る。考え事をしながら歩いているせいか、速度は速い。
夜間トンネルを出ると谷間の両山肌頂、ありとあらゆる斜面を利用してのみかん畑。夏みかんらしき物を小枝から取ったが、道路横のため排気ガスで真っ黒に汚れている。
千丈駅で休む。4時、さて無人駅ではないし、寝る所はないし目をキョロキョロとさせながら歩いてるうちに、八幡浜市街に入ってしまった。
とにかくフェリー乗り場に行ってみる。
フェリー時間表を見ていると最終便、23:00。この船は翌朝4:30まで舟内で休めると書いてある。これで行くことにする。
スーパーに買い物、833円。レジの女、投げやりな仕事。生理で胸くそでも悪いのか。しかし人の動作がこんなにも人格を表すものなのか。
待合室に戻る道。雪が降り出す。夕暮れ暗くなったか、西の空は淡いオレンジ色にカーテンをおろす。
広い待合所はガラーンとして、時々ゾロゾロと降客が通るだけ。
暗くなると・・・雪はいつの間にか雨になっている。暖房もない待合所は寒く、書く手が震える。
今、テレビは冬期オリンピック。スケートフィギア。
四国ともおさらば。イヨイヨ九州。ホッとすると同時に何となく気が重い。
待合所の床に新聞を敷き、その上に正座。椅子が机代わり。
NHKテレビ、ルポルタージュ。京都十全会病院。何が本当なのか知らぬが、精神病の寝たきり老人を見ていると・・・。この人たちの若い頃を知りたい。遊びほうけてこうなったのか、不可抗力的にこうなったのか・・・。老いて、老人とはなんぞやなんて考えても終い。
船代、840円。23:00、出航。船室はきれいで広いのがいい。
使用金額:2701円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/伊予出石(いよいずし)駅~八幡浜~千丈~五郎駅~大州駅~八幡駅~平野駅~千丈駅~八幡浜
本当に久しぶり太陽の下。ゆっくりと落ち着いて食べた
1980年
昭和55年2月17日(日)
船は臼杵に着いた。1:30AM、皆、下船する。その中の1人、酔っ払いのおっさん。大声で息まいている。ケンカを売ったり、若者が止めに入ったが、おっさん、
「俺は、何だ、警察か」ウンヌン。
若者、さじ投げ。就航中はテレビの音で眠られず、入船後、寝過ごしたと気になり眠られず、気が張る。しかし中はホカーと暖房がきいて暖かい。出ていくのが・・・。
隣の部屋に5~6人のおっさん達。酒盛り。4:10。他の連中も出て行く。船員に出航まぎわ、4:50ごろまでこの船室に行ってはダメかと聞いたら「ダメ」の素気ない返事。
暖かい所から、冷たい潮風が吹く外に出ると、この寒さは肌にビシビシとしみる。
切符売り小屋で牛乳、ニンジンの生かじり。道路標識、津久見17キロ。海岸線に沿って30分ほど歩いたか、どうもおかしいことに気づく。しかし道を訪ねようにも星がチカチカと輝いている。こんな早朝、家は寝静まっている。地図を見ようにも真っ暗。月は出ていない。
港から2キロほど歩いてきた所、漁師の若者が丁度、海から上がってきた所。道を聞くとやはり遠回り道をだと言う。また逆戻り、往復4キロ。こんな寒い早朝から、ブツブツ文句たらたら。こんな時が一番、頭にくる。
道路標識め。
まず臼杵駅は誰もいない。市街からどう行っていいのかサッパリ。国鉄バス営業所に2人いたので道を尋ねる。若者が地図を書いてくれる。お茶をもらう。
まだ暗い中の街は、シーンと静まり返っているが、1時間以上歩いたのに結果的には全然進んでいないのである。こんな時、朝っぱらから意気消沈。
さて書いてもらった通りに行ったのだがどうもおかしい。全然方角が定まらず、細い路地の中をウロウロ。訪ねようにも人は通っていないし、やっと毎日新聞販売店の灯を見つけ道を聞く。しかし見せた地図と現在ここまで歩いてきた道の方角は全然別の方向。
「あんたは、もう一駅は歩いて来ているのよ」
この言葉にはもうガックリ。教えられた通り、道路の土堤をはい上り、やっと目的の217号に出る。
全くついていない。だからといって汽車に乗るわけにも行かぬ。
ろくに寝ていない。そして早朝の冷え込み。お星様の下をテクテク。絵どころか、クソ紙にもならない。ロクに歩かない前から足が疲れている。新臼津(きゅうしん)の長いトンネルを出ると、夜は明け、外は白くぼんやり。トンネルから出ると急に冷たい。トンネルの中では大声を張り上げ歌を歌っていたが、空気悪いせいか声がかすれてなくなる。
崩壊された石炭の山。アサノセメントの看板。とりあえず駅に行く。
7:35AM、時計の針。手は冷え切って指が動かない。便所。牛乳の飲み過ぎか、少し下痢気味である。
朝日60円。日曜日でどこかに遊びに行くのか、待合所の中は人で一杯になり、新聞どころの話ではない。新聞を丸め出る。
市街でまた道を間違え遠回りして、市街に出る。もう俺もおしまいだぁなぁ・・・。
道路は深い入江をグルリと右回りして、先に道が見えるだけにウンザリする。鉄道は直線トンネル。すごい近道であるが、列車時刻がわからない。単線なのでトンネルの中で行あったらメンチカツにされる。
仕方なく道路行く。
道は入り江を左に登って行く。眼下に晴れた青い海が広がり美しい。
「あぁー、これは春の海だ」と思った。
宇島を回り、登りきった所には夏みかん畑が続き、広場の周り、上にポンチョを広げ春の日差しを浴び、寝袋の中に入る。とにかく眠い事には体がもたないし、荷が増え肩が張り、凝り出した。風がないのでポカポカして気持ちが良い。どのくらい眠ったか太陽は真上である。
足が痛い。もう慣れるだろうーと思いながら歩いてきたが、少々楽になっただけの話。
「ひしろ」から浅海井(あざむい)峠の下に、浅海井の集落に輝いている海。道は左の山肌をぐるぐるとドクロを巻いている。あんな遠回りだけはできないと、峠の山道を近道と勝手に決め込み、下って行く。下り坂道は力、体重が足の前指にかかる。痛いのなんの・・・。高かった割にはとんと役立たず。夏みかん畑に出たので1個取って食べると甘酸っぱい味で、ムゥおいしい。
枯れ草の上に腰をおろし夏みかんの皮をむく。風が当たらないとポカポカして春が・・・。ただ朝夕は冷える。今朝霜が降りていた。
山に老いたススキの穂が風に揺れる。秋はきっと美しい姿で風に身を任せていたのであろうか、冬が終わり近くになると、穂はくたびれている。
下に降りてくる。店屋に入る。466円。駅に行こうと思っていたが、前の海に堤が突き出ている。明るい青い海。フッと駅は止め、その防波堤の影になり腰を降ろして豆腐、白身のフライを食べる。
本当に久しぶり太陽の下。ゆっくりと落ち着いて食べた。やはりこうでなくっちゃ・・・。
オカッパ頭の女主婦。テトラポットのカキ取りをやっているのか袋いっぱい。
サテ、今日はどうする。九州に入ったものの歩く道に神社はほとんど姿を見せない。信仰心が薄いのか・・・。困った。
狩生無人駅に3時過ぎ。とにかく日記を書く。
今日は朝から、京都さんに手紙どう書いたらいいのか、そんなことばかり考えて歩いていた。日南のユースに着いたら、ゆっくりと書こうと思っているが・・・。
1週間はかかるであろう。
あれからもう2週間。彼女今頃何を考えているのか。
俺からの手紙を気にして待っているのか。そんな事はサッパリと分からん。しかし彼女は待っているのでは・・・。そんな予感がする。俺の一人相撲。
狩生駅(かりうえき)にて。
海崎(かいざき)に入る手前にスーパーあり。威勢のいい若者が天ぷらを売っている。食べたくもないのに、つい、つられて買ってしまう。玄関口で「頑張」
海崎、割合大きな建物だが無人駅。カギを開け宿直室へ。しかし中は例にもれず凄いホコリで、掃くとホコリがもうもうと立ち込める。
ゾーキンがけをして、中にあったガスでお茶を作る。全くまずいお茶。中には小さな炊事台と水道。靴下とヤッケを洗濯してヒモに下げる。
時々、スピーカから「列車が参りますのでご注意ください」
夕暮れ。暗くなると誰も来ない。
外の薄明るい街頭の光が、部屋の中に薄く流れ、一人中に寝転がる。
今日も一日が終わりボンヤリと寝袋の中。静まり返った駅のホームに、時々、列車の通過、停車の音。
使用金額:752円
★「歩いて日本一周」旅日記 愛媛県/八幡浜~大分県/臼杵(うすき)~新臼津(きゅうしん)トンネル~浅海井(あざむい)~狩生(かりう)駅~海崎(かいざき)
宗太郎までの距離があり過ぎ。30キロ以上歩いた上に、更に歩く
1980年
昭和55年2月18日(月)
4時20分に目が覚め、静かに物思いにふける。
少し寒いといったほどで以前ほどではない。確実に春の足音が寝ている間に近づいてきている。
6時。寝袋から出ると、人参の皮をむき小さく切ってスープ。豆腐を温め、スープとと一緒に食べる。牛乳にハチミツ・・・ 。
6時はまだ暗い。しかし徐々に白々しく夜が明けて、ゆるやかな一日の始まり。
時刻表を見て人の来ない時間、6時50分から7時までに出なくては。準備を始めて、終わりの食器洗い、荷物のまとめ、ぴったり1時間かかる。
7時、海崎の駅を出る。吐く息は白いが、以前に比べると話にならぬ程、楽である。
佐伯(さいき)駅7時50分。待合所には暖房でポカポカ。朝日60円。しかし寝不足なのか頭がボケ、活字が頭の中に入ってこない。それでも1時間近く駅にいたか。駅のコーヒースタンドの女、大声で男に、あなたの彼女はどうしたのよ、ウンヌン。男は一見ヌケた感じ。待合所の中をウロウロとしている。女も女よく見ると、無教養な品のない顔をしている。
日記、地図を送るため郵便局。しかし住所の番地217-1が思いだせない。
なんと部物覚えの悪い無教養な頭なのか。
325円。風景印。自分でをしたが横になっている。なんと馬鹿な・・・。
ガスを求め歩くが、ない。
拾った雑誌、エロ漫画。上岡(かみおか)の無人駅でベンチに座ってこの漫画を見る。
なんと内容のない無教養な連中が書いているのか。頭の程度が知れる。こんなマンガを10代のうちに見ると性的に頭がおかしくなるのでは・・・そんなことを思う。やたらめったらエロ本の自動販売機。そんなにしてまで銭が欲しいのか。
国道10号線に出る。車少なく山に家もぽつりぽつり。曇って空はどんよりとしている。昨日とはコロリと180度の転換。
浪岡駅に行ったら便所だけあり。建物が取り壊し後だけ。これっては休みようがない。少し離れにある作業休憩所に行くが鍵。ごちゃごちゃとやっていたが開けそうにもない。
その横に窓ガラスに手をかけると、がらりと開いた。
中は四畳半。新聞を読んでいたが全然面白くない記事ばかりで薄くペラペラ。12時のサイレンが鳴り、日記をつける。
いつも寝るとしての仮想で歩いているが、本当に寝るところがない。こんな所に丁度、夕暮れに当たるならいいが、その他、ナカナカ。まだ夕方まで4時間は歩かなければならない。えらい重労働だ。手が冷たい。
直川を過ぎ重岡へ。
今日は重岡までのつもり。距離、時間的にもちょうど良い。小さな集落の店でパン、豆腐。休むところを探しながら歩くが、なかなか田んぼばかりで見つからない。小さなバス平小屋は誇りボウボウ。山の間に10号線は走っている。
豆腐の入った袋をぶらぶらさせながら歩いていたら、後ろからクラクションを鳴らしているトラックはそのまま前で止まる。どうも俺のために止まったらしい。大型冷凍トラック。運ちゃんが窓から顔を出し、
「何処まで行く」
「すみません。ちょっと訳があって歩いているものですから」と、丁寧に断ると、運雲ちゃんの方が恐縮して、
「イャ、すみません」を連発している。
宮崎ナンバーのトラック。止まるとほっとする。こんな人もいるんだなぁ・・・。そんな感じ。
道路横には延岡何キロの立て札が立っている。日南まで一日平均30キロ歩いて6~7日、かかるなぁ・・・。そんなことが頭の中を行ったり来たり。
やっとの思いで重岡駅に着いたが、予想期待に反して無人駅ではない。ガックリ。この小さな集落に寝る所は何処にもない。駅の時計は4:50PM。
木造ベンチ2つの小さな待合室の中には、マンガの本。うつろな気持ちで別冊マーガレットのページをペラペラとめくる。困った・・・。5時、駅を出る。
宗太郎まで約10キロに、途中何かあるだろう事と、宗太郎が無人駅であることを願い、歩く。
駅の玄関を開けると外は霧雨がサーと音も立てず降っている。
駅を出た近くにドライブイン、一軒。後は谷、沢、川の間を道路。山林の中、雨。一軒どころか小屋の一軒もない。だんだんと暗くなり、ヤッケもぬれ、困った・・・。
宗太郎までの距離があり過ぎ。
30キロ以上歩いた上に、更に歩く。脚、左モモ裏の筋肉が足を動かす度、ビシビシとヒキつる。
雨のせいか、痛い脚なのに動くのは早い。
宗太郎の駅。
青信号が雨の中、暗闇にポツリと照らし立っているのを目にした時、ホッとする。
使用金額:990円
★「歩いて日本一周」旅日記 大分県/海崎(かいざき)~佐伯(さいき)駅~上岡(かみおか)直川~重岡~宗太郎
何故、すぐ次を目指し勝手に足が動くのか
1980年
昭和55年2月19日(火)
昨夜、重岡から宗太郎間、痛い足を引きずり雨の中、余分に10キロも歩いている、40キロ以上。今まで40キロ以上も歩いたのは十回とないのでは。谷にポツリと在る宗太郎集落。思ったとおり無人駅。ホッとする。もし無人駅でなかったら・・・と心配をしていたが。
しかし一つだけ分らぬ事がある。
何故、すぐ次を目指し勝手に足が動くのか。重岡でも・・・。
駅長に頼めばこんなえらい思いをせずに済んだものを・・・足は勝手に動く。
鍵を開け、宿直室。暗くてホコリなのかよくわからない。手で触れ感じてみる。掃いて、後はもう構わない。体がガタガタで寝袋の中に入ると、さすがコトリと寝て、いつもは真夜中に目覚めるのに・・・。チラと目が開いたが、またそのまま眠り続ける。
中にゾウキンが干してあり、触ったら濡れていた。ということが人が来るのか。もうそんなことはどうでもいい。寝てしまえばコッチのものである。
スピーカーから「列車が近づきます。ご注意ください」が耳の中に入ってくる。段々に外が白くなってゆく。夜が明け、寝袋の中でジーッとしてるとパラパラと雨の音がする。
ガラス窓の外を見上げると、どんよりと曇って、時々小鳥のチッチと鳴く声が聞こえ、遠くからは車の水しぶきを巻き上げ走るザァーとした音。
昨日10キロ余分に歩いた。今日は朝っぱらから慌てる必要は無い。勝手にそう決め込む。
夜が明け、見る。この部屋の畳は真っ黒で汚いこと。でも文句は言えない。助かったのだから。豆腐、牛乳を朝食代わりとし、寝袋の中に入って昨日の残り分日記を書く。ついでに朝の分も。
どうも毎日京都さんのことが頭の中をチラホラして困るなぁ・・・。
しかしこれも時が流れ、遠くになり次第、記憶も薄れ、いつの間にかすっかりと忘れてしまうのであろう。悲しいことであるが・・・。サテ・・・。
今日の天気予報がいかに。サッパリとわからぬが、降りそうな気配。
昨夜初めて寒さを感じなかった。
これからどうするか・・・。歩くか、休むか、それが問題だ。
昨日の新聞には午後から晴れると書いてある。歩くことにする。
駅の周り10軒ほどの民家があるだけの小さな谷間の集落。何をやって生活しているのか知らぬが・・・。
歩き始めたが、右足親指元の甲骨と小指骨、慣れるだろうと我慢していたが、もう我慢の限界。頭にきてナイフで靴に穴を開ける。少し楽になる。
クネクネと谷を曲がり曲がって、下には水の澄んだ清流の流れが美しい。山また山。車で走るとこんな所あっという間に走りすぎてしまうのであろうが・・・。雨の為か、岩崖の間より水が吹き出している。コップを出して飲んでみたが、ぬるく、北海道の水ほど美味しくない。
市棚の集落に着いたが、駅は取り壊したのか、残りだけ。ホームに小さなベンチ小屋。これでは話にならぬ。店、450円。テレビ面白い昔話、北島三郎。10分ほど店の中で立ってみる。店の娘は若いのに顔面、見事にニキビの花。
道路下に交差した鉄道横に座ってパンにマーガリン、蜂蜜をぬってぼんやりと・・・。
空は晴れ、のどかな山間風景。山河の流れ。
にちりん博多が過ぎ、その後にちりん宮崎がやってくる。乗客ほとんどなし。
谷間は川が広くなって行くのと同じに広げてくる。民家も点々と多くなってくる。
北川駅は遠く左側に見える。休みに行くには遠すぎるのでそのまま歩く。途中、店開きしたばかりのさつまラーメン屋があり、例の油っぽいラーメンと思い久し振りに食堂に入る。
老夫婦でやっているらしいが、奥さんは厚化粧。大盛りラーメン350円。しかし期待に反してロクでもないラーメンである。朝日を読む。冷たい水がうまいだけであった。
長井を過ぎ、北延岡へ。今日は北延岡まで。
延岡市街に入ってツラツラ寝場所を探し歩くは苦痛である。北延岡、小さな待合所の中は汚いクソ垂れてあるし・・・。一瞬どうするか迷ったが、広く見渡せる場所は田んぼばかり。4時過ぎ。この待合所。延岡まで約6キロ行っても仕方がない。九州は誠に、旅しづらい所である。待合所のガラス窓の3分の1は破れ・・・困った。
みかんを買う、350円。今までみかん畑ばかりの所を通ってきたのに、銭を出す。
高校生が自転車に乗って帰宅。女子校生のスカートが風にヒラヒラ、これがいい。
待合所に男子校6人、タバコ吸いだす。1本もらう。ヒザを机代わりにして、日記を書いているが、非常に書きづらい。外はスグ道路。車の騒音。今夜の先が思いやられる。
一昨日初めて梅の花を見た。それに、重岡から宗太郎に行く途中、車が止まった事、書くのを忘れた。
現在5時ごろか。東側の山は薄くオレンジ色に染まっている。
使用金額:1115円
★「歩いて日本一周」旅日記 大分県/宗太郎~宮崎県/市棚(いちたな)~長井~北延岡
この旅が終わった時、生気のないあのドローンとした目に戻るのかと思うと・・・やるせない
1980年
昭和55年2月20日(水)
ベンチ二つに合わせ寝たが、ベンチの底が曲がって堅いし、丈が短い。まともに寝られたものではなく、おまけに蛍光が光々と照らし、外は車の騒音。時々通過する列車の鉄音がガタガタ。眠れる程、俺の神経は強くない。
寝袋の中で京都さんの手紙を書くかどうするか、気になってばかり。朝が来て残りのみかんを食べ、ボロ駅を出る。
延岡に入る手前で、マイルドセブンを拾ったが、1本喫うと、残りは捨てる。
延岡駅、新聞60円。暖かい待合所。便所で顔を洗う。陽焼けした顔と生き生きした目は自画自賛。でもこの旅が終わった時、生気のないあのドローンとした目に戻るのかと思うと・・・やるせない。
9時頃、駅を出る。市商店街はまだシャッターがおりている。商店街通り文房具店に入る。用紙、ボールペン、消しゴム288円。牛乳125円。パン出来立て、ふんわりと柔らかく美味しい、350円。
南延岡駅、無人かと思っていたのに急行が停まる駅。少し休んだだけで駅を出る。ガス350円。
沖田川を渡った所で左に折れ、海岸に出る。防波堤の向こうは砂浜に。青い春の海が春の陽差しにキラキラと輝く・・・。
食パン、マーガリン、蜂蜜、牛乳をパクつく。風が少し冷たい。
海辺を少し歩き国道に出る。芋かりんとう250円を買う。食べたばかりで腹いっぱいなのに・・・。
土々呂駅に行く。小さなイス十個の待合所。その横はアパート。靴下を洗濯。お茶を作り、軽い気持ちで手紙を書き始めたら、次々と用紙に書いてゆく。1~2枚書いて少しずつ書くつもりだったのに自分でも分らないほどスイスイと手は動く
。
高校生が入ってくる。時間を聞くと4時。もう今夜ここに泊まることに決める。汚いけれど仕方がない。
高校生達からタバコもらう。九州弁を喋る彼、ここは九州か。
今までそんな感じはしなかったが、お茶を飲んでは、書きの続く手紙。
ホームに立つ女の人に時間を聞いたら、6時50分・・・。
20枚の用紙を書き終え、また書き残しがある。しかし用紙がもうない。
書き終え、20枚は7:30頃か。こんな長い手紙を書いたの初めて。
まだあと最低10枚は書かなければならないであろう。大変な労働だった。
使用金額:1423円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/北延岡~南延岡駅~沖田川~土々呂駅
先客の老人。59才、白杖を持って日本中、放浪、15年。面白くて止めれんと言う
1980年
昭和55年2月21日(木)
まだ暗いのに外で自転車をガチャガチャと鳴らし駐車する音が聞こえ、もう夜明けが近いことがわかる。
待合所いっぱいに伝言版の板を置いて、ポンチョを敷き寝ている。人が来ると入れない。早めに起きる。
外に老婆が2人、俺が入るので遠慮しているのか、中に入って来ない。中に汚く汚れていたものを片付け、掃除をしてゴミ缶の中で焼く。
「おばさん寒いでしょう。中へどうぞ」
「すんまっせんネ」
九州弁。どっちが土地の者か、わかりはしない。(22日夜に日記を書いていたが疲れのせいか書けず、ここで止める)
通勤時間となり、カフィ女の子、女子校生2人が来る。しかし中に入らずホームに立っている。チェ、中に入ればいいのに・・・。
国道10号線を一気に日向市まで歩く。駅近くで回転マンジュウ1個35円、安いので3個買った。105円。
日向駅は線路の向こう側にある。鉄橋がかかり、一人、リュックを背負ったものが上がっていく。一見した感じは、ヒッチハイクで、諦め、列車にでも乗って行くらしい。朝日60円。10時ごろか、駅を出たのは。市街、本屋で辞書を買う。
「適切」の敵が敵なのかどっちなのか分からない。豆ポケット辞書、580円。文房具店、用紙、大きい封書225円。店の小さな女の子が大きな涙をホッペに付けて、母親に文句を言っている。若い母親は構わないで、女の子は増々、意地悪をしようとする。俺が指でピストルのカッコウしてバンバンと女の子をうって、女の子はキョトンとしている。
スーパーで牛乳、パン220円。毎日毎日スーパーに入ってくるとスーパーの相と言うものが分かり、面白い。
このスーパー、入った瞬間、アッ、この店はあかんと思った。もうエネジーが感じられない。レジの制服は葛クズ屋から拾ってきたのではないかと思われるような・・・。
頭の中は手紙のことでいっぱい。早く解放されたいし、それに日南あたりで他の手紙を書かなければならない。だから一番気になるものから済ませていくことにする。
パン、牛乳をぶら下げ歩いていたら、右側、おにぎりが売っている小さな店。自家製のおにぎり。見た目にして美味しそう。一個、味、おいしいので計5個、その他450円。お箸をくれる。いいおばさん。商売がヘタなのか、儲けていないみたい。九州弁がいい。40歳を過ぎた頃の人。
南日向駅は無人。今日はそこに泊まり、手紙を書き上げるつもり。しかし南日向駅に着くと建物は公民館に改造されていた。ガク然とする。
とにかく包紙を開いておにぎり。厚揚げをおはしで食べる。やはり、おはしで食べると味わいは違うと思った。人間て勝手なのか、おはしばかり使い、たまに手づかみで食べると、この手づかみがおいしいと思う。手づかみばかりで食べ、ある時おはしで食べると、おいしいと思う。
とにかく次の駅を目指し、テクテク。昼中の陽気が暖かくなったせいか、精神的に軽さを覚え、周りを見る余裕もで、歩く足も靴に穴を開けてから快調。
ニコニコした前歯だけの油汚れしたおやじが自転車を止め、
「まぁゆっくりしていきい」とタバコを進める。
クズ屋で面白いかと聞いたら、意地でやっていると答え。今更ここで尻を割るわけにはいかないとか。右翼だの共産主義だのそんな事を言う。
美々津(みみつ)の神社を聞いて行く。
美々津に着いて、橋の上から下の河口に神社が見える。川に小さな漁船が停泊。並んでいる船着場で、網を広げ漁師が手入れをしている。
神社は鍵。縁台で手紙を書いていたが、寒さで手が震え途中で止める。
美々津駅に行く。無人駅ではない。次の東都農(ひがしつの)駅を目指す。東都農駅標識入口を見て、ホッとする。久しぶり九州のチャンポンを食べる事にする。食堂に入って出てきたチャンポンはインスタントラーメンと野菜はチャンポンにしたようなチャンポン。300円。ガッカリする。
駅は道路から600メートルほど離れている。
リニアモーターカ展望台がある横に新しい待合所。中に先客の老人。59才、白杖を持って日本中、放浪、15年。面白くて止めれんと言う。
手紙を書くから邪魔しないでくれと言うのに、
「分かった、分かった」と言い、邪魔する。おもしろいおっちゃんで、話をしたいが、手紙のほうが忙しい。長い長い手紙を書いているので、おっちゃん、
「ラブレターか」と言う。
「イャ違う」
女の子にそんな長い手紙を書いているならラブレターやと言う。そして私もラブレターを出す人が欲しい欲しいと切実そうに言う。それを聞いて笑う。
人間の真実だと思う。老いてもラブレターを書く相手が欲しいのは・・・。
使用金額:1720円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/土々呂駅~日向市~南日向駅~美々津(みみつ)~東都農駅(ひがしつのえき)
2
次から次からと書くことが湧いてくる。こんなこと、生まれて初めての経験だ
1980年
昭和55年2月22日(金)
昨夜、手紙、駅の灯照、12時消滅。朝から書いていたが、とても書ききれるものではないし、日記を書いていないのでもう1泊する。寝不足のせいか頭がボンヤリ。
おっちゃん、6時半頃
「またどこで会いましょう。私もラブレターを書く相手が欲しい欲しい」と言って、去る。
今日ももう1泊と決めるとそのまま寝る。朝の通勤者がパラパラとやってくる。俺はそのまま寝袋の。起き、途中まで書いた手紙24枚の用紙を郵便局に持っていくが、封書に書く住所は手が震えうまく書けない。字が踊る。落ち着こうと思ってもダメ。相手の字がれい過ぎ、気になっているのがわかる。これもコンプレックスの一種か。
記念切手、1000円。店でラーメン、うどん、もやし250円。駅に戻る。
手紙を書く気持ちはあってもその気になれない。リニアカー展示を見に上へ。
新婚連中が高級タクシーなんかに乗ってやってくる。イャ、付きあって見ていると胸クソ悪い。うどんを食べ昼間から寝袋の中に入る。
少し頭の冴えたところで手紙・・・。しかし、またまた長文になりそう。いつの間にか夕暮れ。帰宅する連中が列車から降りる。
お茶を飲み飲み書くが、次から次からと書くことが湧いてくる。こんなこと、生まれて初めての経験だ。一体どうなっているのか。この筆無精の俺がレーナがこれを見たら、きっと怒るだろう。自分の時は紙切れ2~3枚チョロチョロとしか書かないクセにと。
待合所の中に公衆電話あり、その前にポンチョを敷き、フン反りかえっている。電話をかけに行けたおばさん、「すいません」と申し訳なさそうに言う。悪いのは俺なのに・・・。アッ、という態度。
8時頃か、若者2人待ちを借りに入ってくる。マッチをあげる。タバコを貰う。この辺の人たち、礼儀正しい。ちゃんと皆、挨拶をする。
タバコをふかし、手紙、もうあほくさくなり、やめた。明日ももう1泊することに決め、寝袋の中に頭を突っ込む。
列車が近づくと例のスピーカーから流れている女の声「列車が近づきますのでご注意ください。」が、この静けさの中に響く。その度、ゴーと地響きを立て貨物列車が通過・・・。
俺はこう言いたい。
「うるさいですヨ。ご注意ください。」
使用金額:1250円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/東都農駅(ひがしつのえき)
何か己の世界が戻ってきた、そんな感じを受けたので、今ここに書き留める
1980年
昭和55年2月23日(土)
今、朝の何時ごろか。お茶を作るためお湯を沸かし待っている。タバコを口に、フッと窓の外、上を見上げれば、憎たらしいほど美しい青空。何か己の世界が戻ってきた、そんな感じを受けたので、今ここに書き留める。静かで小鳥のさえずりが実にいい。時々通る列車のゴー音も慣れてしまえば親しい友達サ。
サテ、手紙である。
手紙を書いていたら、隣の展示場の管理人が来て「寒いでしょう・・・」からに始め、
「長くいられると困りますけん、すみません、すみません」と繰り返す。
待合所の中に公衆電話があり、前に陣取っている。邪魔にならないところに移ってくれ、と。反対側移動といっても2メートル動いただけ。管理人さん、丁寧に言う。
ハァ・・・、人に言う時、このように言うのか・・・と思った。
タバコをふかし、手紙と渡悪戦苦闘。もう悪筆の手紙を出してしまったからか、字は以前よりまともになり、思うように書ける。開き直りと、長い間、横書きばかりしていたので縦書きの感じを忘れていたきらいもある。
しかしあのきれいな時に対してのコンプレックスは消えた。
昼間、600メートル離れの店、900円。酒屋、ビール200円。久しぶりのビール。今夜飲むつもり。これ以外、待合所から1歩も出ることなく手紙。今日も新婚さんが多いのか、それは分からない。
公衆電話は故障。女子がかけているので教えた。そのふり返った顔、感じがSRに似ていた。もう結婚したのか、今年で30才だろう。
手紙は終わる事なく延々と続く。一枚書くのに平均40分は・・・。
夜の何時ごろか、10時ごろか、書き終わった時、ホッとする。
自分の言いたいことの半分しか書けなかったが、京都さんどう解釈するのか。あれならラブレターと紙一重の差。ラブレターを書いたつもりはないし・・・。我ながら感心する。
ヨク書くも書いた、27枚。合計51枚。ボールペンのインクは3分の1になっていた。
鶏キモとビールで・・・。ホッとひとつの事から解放。まだ他に沢山、手紙を書くところがあるが、あと奈良さん・・・。書くの何か。
今日の日記を書く気になれない。明朝にする。
スピーカーのピーピーがうるさい。
使用金額:1100円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/東都農駅(ひがしつのえき)
宮崎県は誠に印象がいい。家の近くの子供は挨拶するし・・・
1980年
昭和55年2月24日(日)
朝6時になると照明するが、まだ明りは点いてはいない。
寝袋の袋口の小さな間から見える窓の外はまだ暗い。頭を重く鈍い。今日からまた歩く事になるのに・・・。少しでも寝ておきたいと焦る。
手紙を書き上げホッとするべきなのに・・・。昨夜のビールのせいか、ボーンボーン・・・。
照明が点いて日記を書く。字を書くと快調なのかどうなのかすぐ分る。書くことが色々とあるはずなのに、一枚を嫌々書いた。書く事は踊り汚い字がますます汚い。ゆっくりと丁寧に書けばそんなに汚くない字なのに・・・。わかってはいるのだけれど。
手紙で字の嫌悪は言い訳に過ぎない。以前からこうなのだから・・・。
日記を済ますと寝袋を巻いて牛乳を沸かす。もう蜂蜜は無い。モサモサとしたパンはおいしいとは言えない。もう人が来る頃だと・・・。早めに片付けたのに、誰も来ない・・・日曜日か。
手紙にスタンプを押すと思ったら、11時開館でそれまで待っていられない。駅に落書きをする。スタンプを手紙に押せたら、いい記念になったと思ったが・・・。駅を出る。
曇っている。今日は雨でも降るのかなと思う。頭の中もドンヨリと曇っている。自転車とすれ違う。手をあげたが、応答なし。
それから1時間もしたか、目が片方があさって、もう片方が昨日、両眼が互いに外を向いている男が手をあげ、やってくる。北上するのに左側通行。歩き専門のようである。佐田から歩いて今日、8日。ヒザが痛いとか。故郷、会津若松まで帰るとか。ヤッケのポケットにラジオ・・・イヤホン。少し立ち話をしただけで分かれる。ラジオがなぜだか気になる。こんな時、良いにつけ悪いにつけ精神的に与える影響は大であろう。
ガソリンスタンド、どこも新聞入っていない。バス停で待っているおじさん、ジーと俺を見、段々と歩き近づき、そのおじさんの前まで来た時、
「どこまでいくと」
「一周」・・・
「タバコ持っていないですか・・・」
「ないけれど、あそこにタバコ屋がある」とポケットから金を出そうとしている。
「あぁーいいですよ、そんなつもりで言ったわけではない」
おじさん、
「本当によかと、おまんネ」
宮崎県は誠に印象がいい。家の近くの子供は挨拶するし・・・。
農大近くの店で牛乳、テンプラ280円。どの辺だったか・・・歩き始めて1時間ほどのところで右にみかんの木、夏みかんと思ったが違う。不思議なみかんを6個。おいしい、さっぱりして。しかし、駅で牛乳を1リットル飲んだ後の酸物は合わない。1時間もしないうちに腹の調子がおかしくなる。
牛乳を後リュックポケットに入れ・・・歩く。ガソリンスタンドの新聞を見つける。
しかし日本経済新聞。堅過ぎる。頭がボンヤリとしているのに・・・活字が全く頭の中に入ってこない。
道路横の果物屋、トマト150円、きゅうり200円。安いのなんの、3分の1の値段・・・。1袋ずつ買う。「農薬」、小柄なおばあさんが洗ってくれる。大柄の娘、出戻りの感じ。その若い28才頃か、横に立って洗ったきゅうりを入れている。安いのでもう1袋ずつ。
「こんなにどうする」と。
「食べる」と。「野菜を食べないとお肌が荒れる」
二人とも笑っている。
塩をもらう。娘が入れてくれる。恥しいらしい顔の肌は吹き出物で荒れている。化粧しているが・・・。まぁーコーヒーでも飲んでと、湯呑茶碗・・・。コーヒーと言うより砂糖水。
娘が横に立っている。俺はチラチラと胸元を見る。ムラムラと来る。
こんなお姉ちゃんにムラッと来るのだから・・・。飢えとる・・・。飢えると、どんな女でもいいとなる。これが一番恐ろしい。これで普通男がしくじるのである。反対、女も同じなのか・・・。
その果物屋から少し先に、また別の店先にみかんを売っている店。マヨネーズを買う150円。店の30才過ぎか「ありがとうございます」と首を横に振り、相手は見て笑顔。ヘェーと見ていたら・・・あぁー、新の丁度150円でしょう。「イャ、いやに気軽だから」
休み場所を探しながら歩く。土木作業事務所の外に水があり、その横で道具を取り出し、塩をポケットから取り出すと、フタがポケットの縁に引っかかり、バサァー。中身みんな外に散らしてしまう。ガックリ。事務所から音が出てきて・・・
「何してんですか」「いや食事するだけ」
また事務所に引き返す男からタバコを1本。どうも小豆島ユース以来、会う人毎、タバコをたかり歩いている。いかんなぁ・・・。ナベを取り出し用意しようとしたら、男がまた出てきて中で食べないですか。遠慮なく中に入る。
日曜日なのに・・・仕事をしている。窓にはカーテン。台の上でトマト、きゅうりを小切り。袋いっぱい、山ほど重いのなんの。買い過ぎと後悔するが、後の祭り。それに腹の調子で下痢だとわかる。ナベ一杯のサラダ、マヨネーズ。しかし、塩がないので味気ない。むしゃむしゃモリモリ、味気ない。男、俺と話をしたいらしいが、何を口に出して良いのか分からず、もぞもぞとしている。
明るい、いい男である。25才だとか。しっかりしている。牛乳を飲みながら、宮崎の地方紙。あぁー、次元の低い内容。事務所を出る。
空はいつの間にか晴れている。気がつかなかった。
頭がボンヤリとしているので昼寝場所を探しながら歩いていた。陽が射しているのはわかっていたが、晴れていることには気がつかなんだ。
腹の中がグルグルと鳴る。野グソと思っても場所がない。手には重いトマト、きゅうり。今にも袋の底が破れそう、後悔する。あぁーなんて俺は貧乏性なのであろう。
事務所から4キロほど歩いたところに小丸川(おまるがわ)。渡ったすぐ左手に赤神社に公民館。神社は戸が開いてOK。とにかく公民館裏の便所に入る。シャーと下痢。ちょっぴりみかんの臭い、もったいない。
公民館、ひとつ窓だけ外側にクギで止めてある。別のクギを見てそのクギで止めてあるクギを引っ込ます。これでバッチリ。
3時・・・。横の河原土手に出て、枯れ草の上に敷物。寝袋は日干し。リュックを枕にタオルで目隠しし、横になり頭を休める。・・・。
今度は奈良さんに出す手紙のことが気になり、なんてゆうか、しかし京都さんの手紙が終わって精神的に軽くなった。
いつまでもリュックを枕にしていられないので日記を書き始める。しかし、いや、字を丁寧に書こうとするが、なんせ凸凹の草原・・・。それに気を詰めるとかえって歪む。日記を書いていたら、若いアベックが横を通る。タバコをたかる、3本くれる。1本でいいのに。3分は困る。吸いすぎになる。
その時丁度、5時のサイレン。時計を出し、合わせる。公民館、朝早く人が来ないうちに出ないと。
小さな境内は清められている・・・。こんな神社は・・・危険。川下に鉄橋。川の流れはせき止められているように波なく静かである。周りは夕暮れの色に染まり淡いピンク?。まだ河原、暗くなるまで待つべし、危険が危ない。
京都さん、あの手紙どう受け取ったのか気になる。パーになるのは運だ。しかし誤解されるのは困る・・・。
トマト、きゅうりの山が恨めしい。まだ明るいが、いつまでも外の冷え込んでくるところに居られるないので、公民館の窓まで来ると丁度自転車に乗ったおばさんが来る。とにかく中に入った。外灯の灯が中に射し薄明るい。
ガが、バタバタとうるさい。
使用金額:1130円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/東都農駅(ひがしつのえき)~小丸川(おまるがわ
「朝」そんな感じがして、ずいぶん周りを見る余裕が戻ってきたと思う
1980年
昭和55年2月25日(月)
人が来ないうちにと早めに起き、きゅうり、トマトのサラダを作る。時計は5:30AM。外に灯る外灯の明かりがほのかに明るい。時々ゴーと騒音を残し走り去ってゆく夜行便のトラック。
サラダ、鍋いっぱい食べ終わり、もういっぱい食べると荷も減る。作るかと思った時、ゴーンと寺のつく鐘の音。時計は5時10分。10分遅れているのか。サラダは諦め、荷物をまとめる。
窓から外に出る。川下の海の方がかすかに薄明るくなってくる。車のフロントガラスに白く霜が降りてはいるものの、今までのように寒さは感じられない。
すっかり明るくなり、なにげなしに左手を見ると林の上にちょっぴりと紅の頭を出した朝日。歩くほどに見て行くと真紅の太陽が静かに昇って行く。そうか、これから朝日になるのか・・・と思う。
多分、一ッ瀬川であろうか。その広い河原の上の橋に来て、橋の上より川上の枯野、広い河原と川下の静かな風を見る。
「朝」そんな感じがして、ずいぶん周りを見る余裕が戻ってきたと思う。
本日休業の看板の出ている手打ちうどん屋の前でサラダを作り、全部食べてしまう。
宮崎日日新聞を見ながらシャッターの前に腰を落とし、1時間以上はいたのでは。あまりにもゆったりした気分になり、歩くのがかったるい。
相変わらず面白くない地方紙を砂利の上に広げ、ページが風にめくれないように小石を置いて・・・。靴下を替えないせいか、足がむれふやけて、全部の指が痛い。
スーパー、918円。安いきゅうりがあったので2袋買ったものの、きゅうり攻めである。
( )で休む。駅の便所前で、魚の行商をしているおばさんと客のやりとり。
「おばさん、この魚、薬臭いネ」
「イャ、この匂いは便所やけん」
大体、便所前で店開きはおもしろい。
一応の新聞は読んだものの、やはり朝日は読まないと落ち着かない。
スーパーで買った魚の天ぷらは衣が厚くない。そして腐ってはいないが、なんともいい知れぬ味。この俺が拾てたのである。まずどんなものでも何でも口に入れてしまうこの俺が!
駅を出る。次は、日向住吉駅で休む。木造建に木造ベンチ。これが一番ほっとさせてくれる。
あの、鉄筋にプラスチックのイスは実に合理的であるが、腰が落ち着かないのである。
駅の時計は13:00pm。丁度、玄関口にある水道でまず顔を洗い、ユースに電話。決まるとホッとする。
駅前には大きなソテツの樹。新聞を読みきる。隅々まで読み、後は何もない。
高校生が数人改札口に出て、列車が去った後、若い人が駅に、これこれの者はこなかったかと聞いている。先生で、高校生が駆け落ちしたらしい。
きゅうりを洗い、マネネーズをつけ丸かじり。古ぼけたベンチに陽ざしが一部あたり、陽色の輪を作っている。少しでも暖かいところにと、その輪の中に。
駅に置いてあるマンガを見ながら、きゅうり。もう全然歩く気がしない。
嫌とかそんなことではない。ボヤンとした感じ・・・。書き忘れ、ラーメンを食べた。しかし俺が期待していたあの九州のラーメンとは違う。ラーメン屋の中に古時計。結局この日向住吉の駅に2時間。3時に駅を出る。
宮崎市の掲示板から延々と続く中古車展示場。これでもかこれでもかと・・・。
もし自分が買うと仮定をし、品定めをしながら歩くといい暇つぶしになる。
自分の買いたい値段と車が合わないし、色がどれもパッとしない。欧州車は原色のパッと明るい色彩。しかし日本は地味。
俺は黄色か赤がいい。昔君はこんな色と思っていたのに、レーナに、あなたは黄色が似合うと言われて以来、黄色一辺倒である。
俺にどんな車が合うのか・・・。いつもどの街を通る時、見る中古車展示場。やはり黄色のフェアレディZ。しかし銭、買っても燃料費・・・、駐車料金。それにしても最近よく見る「無断駐車お断り。違反者1万円罰金」
どこもかしこも、もっとユーモアのある立札をかけないものか。
貧しき日本の車社会。駐車場も高いし、やたら銭もない連中が車を乗りくり回し。その後の中古車100万円台。俺には縁のない社会なのか!
俺は銭があっても、めったの事では買わん。次の宮崎神宮駅まで割合遠く、もう家の切れ目もなく、車事務所が続き、足の指が痛い。以前右足が痛く、左足が調子がよかったのに今度は逆。靴下の影響は大である。
両足小指が痛い。テレパーの事を考える。面と向かっての心の伝達。信じていいが、遠く離れていても相手に通じるのかなあ・・・と思う。通じるのではないかと思うと・・・京都さんに通じているのでは・・・。別に恋をしているわけでもないし、惚れても愛してももちろんない。別に定義づける必要なし。
宮崎神宮駅、16:20PM。通学生に混じって一組の一見して新婚とわかるカップルがいて、その彼女の前に座り嫁を観察する。
嫁さんは紫のコート。襟に造花の紅い花。座ってる姿は両足を大きく広げ、つま先を立てている。その姿がなんとも酷である。ジーッと見ていても、相手は変わる様子なく新婚初夜でまたの使いすぎ。またずれでも起こしたのか。肌は女の肌。しかし口の周りは荒れ、手をみるとやはり荒れ、こんな嫁さんを教養する自信、俺にはない。もし俺だったら一生一人でいる。男は・・・前歯全部金で口を開けると黄金バットである。三つ揃いのネズミ色。男は女に話しかけ、女は気のない返事。もうジーッと観察してるだけで飽きない。
その変のへたな本を読んでいるよりも面白い。
駅を出る。ガスを買う、300円。メインストリートでもとでもなるのか。国道の幅が広くなる。商店街がズラリと並ぶ。夕食は頼んでない。ユニードに入る、1150円。キューリが高い。一度安い物を買うと、高くて買う気になれない。ヨーグルト、198円。チョット高いが、いつもワンパターンからの脱出・・・。
安い用紙、普通の半値、100円。レジの太った女の子。暇なのか紙に落書き中。俺が近づくと恥ずかしそうにテレている。絶対に美人でも可愛くもきれいでも十人並みどころか30人並みであるが。この女の子のテレル恥じらいは実にいい。そこで手を広げ「こんな風に手を出して」と言う。女の子はいいわと言う。まあいいから出し・・・やっとおずおずと出した広げた手にチップと言って、1円玉をのせる。
県庁前を市役所前と勘違いをし、市役所前に行ってしまう。
大きな封筒3枚、親娘らしい文房具店の人は一見して真面目そう。別の店、1枚売りはしなかったのに・・・。
婦人会館に入る。
1150円。いい部屋である。布団がフンワリして実にいい。風呂は熱い。2人で桶で湯を汲み出し、水を入れぬるめる。
一部屋4人、一人は東大。話し方が、実に東大で、こんな馬鹿が東大に通り、俺みたいなアホを入れてくれない東大を何と云う。
しかし人間的にまともな東大生を見たことがない。
日記を書くのにも彼らの話声がうるさい。
テーブルの上にバーンと食器を出し食事する。
使用金額:3692円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/小丸川(おまるがわ)~一ツ瀬川~日向住吉駅~宮崎神宮駅
俺の話ってそんなにおもしろいか。どこに行っても話し始めると、人が集まってくる
1980年
昭和55年2月26日(火)
久し振りにフトンらしいフトンにゆっくりと眠ることができた。
早朝に出て行くと言っていた東大が、ゴソゴソとやっている。6時か。
しとしと雨の降る音がする。「雨かぁー」。
フトンの中で、もしこのまま降り続くならもう1泊。映画でも見に行くか、手紙を書くか。
フトンを上げ、テーブルにガスを出しお湯、蜂蜜。
他の2人、話を聞いている。俺の話ってそんなにおもしろいか。どこに行っても話し始めると、人が集まってくる。木村さんに言われたが、実に話がうまいらしい。
皆、熱心に聞くところに依ると、いいのであろうが、そんなことより人の心を引き寄せるような手紙を書けるようになりたい。
どうしてこんなに書くことに劣等感が強く、自信がないのか。つまり日本語を書けないし、字は汚いし、きれいな字を書こうとするが、疲れているとモジャモジャ字になってしまう。
彼が出て行った後、日記を書いていたが、掃除の人が来て、出て行く。リュックは下の事務所。日記を袋に入れ、ユースを出ると玄関に、昨日の太った外人。イタリア人とか。年頃40才過ぎ。例のイタリア人かと、話しかけたが、違う。雨で出ていけないらしい。図書館に行ったらと言ったけれど、絵はがきを書くと・・・。こんな雨の日、わかるなぁ・・・。
俺もそんな・・・まぁー・・・図書館に行って日記を書く。静かでいい。しかし頭がぼんやりとして書くのが・・・面倒。映画を見に行く。天平のいらか、1300円。途中から見るは面白くないので、待つ間、奈良さんの手紙を書くが、サッパリとわからん。1:30上映。
まぁー悪くはないが、歩き方、背負い、この軽さが一目でわかる。2回見るつもりであったが・・・。ユースの時間があるので途中で映画館を出る。
狭い路地の奥に北京飯店・・・なんとなくつられていくように入ると・・・無愛想なおじさん。しかしうまいラーメンであった。350円。ユース、1150円。
手紙を書くが指が痛く、字が劣る踊る・・・。食堂に下り、テーブルにて書くが、寝不足なのかいつもの習慣の為か・・・頭がフラフラ、字事を書くのが大変。ジュース5缶も飲む、520円。
最後まで書ききれず、翌朝に持ち越し。歯を洗うと洗面に行くと、いい子がいた・・・いいなぁ・・・。しかし3人いる。洗面所では・・・話はできない。
使用金額:3990円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/宮崎神宮駅
長年使い、世界中を一緒に回った石ケン箱なのに
1980年
昭和55年2月27日(水)
7時起床。便所に行く。ベニヤ板の隣は女用で、板の下には10センチ程の隙間あり、誰か入っている。何故だか気になりクソが出て来ない。ガタガタと出て行く音がする。ホッとして、いざ腹に力を入れようとした時、また誰か入って来る。隣に入り、ズボンだかをズリ落す音が聞こえ、自然に耳がそちらのほうに傾き自分のクソどころではない。
ジャァ―と凄い放水音には色気も素っ気もない。そしてザァーザァーと、トイレットペーパーを引き取る音。小便だけにやたら紙を使う女である。
さて女が出て去った、さてクソを垂れようとするが、もし誰か来たらと気が散り、なかなか出てこないし、屁をこくとハァーハァーと恥ずかしい。
女の子が小便をする時、水を流しながらやると聞いた事があり、その時、馬鹿な連中・・・、水不足を増長するだけの事だと思ったが・・・、イャー、今その気持ちが分る。
さて・・・女が出て去った後、もしやと頭を下げ隙間を覗くと少し見える。あぁー勿体ないことをしてしまった、残念。いつまでも便所の中に入っている訳にもいかぬし・・・、出て、手を洗っていると、また来た。頭を下げ別の方から覗いてみると、見えたのはスリッパの頭だけ。
全員、フトンを上げ去ったあと。1人残り、テーブルにて手紙の続きであるが・・・。手が震えて書けない・・・。そのうち書き始め、数枚書いたところで、掃除に来たおばあさんに追われ、食堂に行く。
別のおばさん、お茶でもとくれる。やっと書き上げたのが9:40AM・・・。
ミーティングのないユース、働いてる人たちが大人のせいか、ホッとする。
京都と奈良、両方に手紙。奈良さん12枚の用紙。こんなに書くとは。手紙とは実に恐ろしいものである。県庁内の郵便局で手紙40円不足。記念切手を貼っていたが40円足りず・・・貯金を5万円下ろす。
一路、日南へと目指すが、脚の調子が出ないと言うより、荷が重過ぎる。用紙にマヨネーズとかその他、色々、肩にグイグイと来る。朝飯を食べていないせいか、力が入らず・・・。
途中からバイパスに入り歩く。広い道路下に自転車か、農道用か、道があり、その道を歩く。
田んぼあとの中に一カ所、キャベツ畑からキャベツを1個失敬して、、、手に抱え、ビニールハウスの横を通り行く道はなんとやら。フッと見たビニールハウスの中には真っ赤な苺である。わぁーこれは、天の恵みかと、ビニールハウスの入り口に行けば、人がいる。
バイパスの終わりに食堂あり。その横の水道でキャベツを洗い、小切れに。マヨネーズで食べる。食堂の横に道具を広げ、チーズである。
2人に手紙を書くと、ホッとしたと同時に気ヌケを感じる。足の調子が悪い。さて・・・今日はどの辺に泊まることになるのやらと思って歩く。
これで3月中旬につけるのであろうか・・・。
淡桃色の梅のつぼみに、いくつかの咲いた花を見る。きれいな色。子供ノ園まで来るとお土産屋ばかり・・・。ユースがあるのに気付く。
8年前泊まったレーナと一緒に日南まで40キロ。一日では行けない。
日記もあるし、2日で行くことになるので無理はやめ、ユースに電話をするが、通じない。電話局に問い合わせ。ユースに電話。応答の女の声につられ夕食を頼む。
始めは断ったが、女の声、話によると、うちの食事はいいです、ぜひ食べてくださいと言うので、頼むと。アラ、誘惑に弱いのです、その答え。あなたの声がいいから頼むよ・・・。でもネ、いい声の人って面が悪いんだって・・・そう言って電話を切る。
青島までスーパーを見つけに行き、牛乳、りんごジュース、トマトジュース。トマトジュースは安いが、缶のサビが落ち、害になる。678円。
ユースに行く。女事務員に合う。あぁー俺の言った通り、彼女、顔を隠している・・・。
集会所でマンガ、日記を書く気になれない。
3時だと言うのに・・・やはり1人、何もない所でないと書けない。
食事は失望してしまった・・・高いよー。
風呂に入る。そして・・・リュックから石ケン箱を取り出そうとしてアッと気づく。石ケン箱がない。婦人会館に忘れてきたのである。もうガックリ。
長年使い、世界中を一緒に回った石ケン箱なのに、なんと馬鹿な俺だ・・・。取りに帰るかと考えたが・・・仕方がない・・・諦める。
ミーティングと・・・皆、ホールに行く。俺は一人、談話室でマンガ・・・。
10時近くになり、イモ連中が部屋に戻って来る。イモ野郎にイモ娘達。世も末か。ユースに来る連中、ロクなのがいない。
使用金額:2578円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/宮崎神宮駅~青島
俺は旅ばかりをして来た。一度ゆっくりと旅行をしてみたい・・・
1980年
昭和55年2月28日(木)
6時過ぎ、朝日を見に行くと、部屋の連中ガタガタ。俺はその前に起きていたけれど、ドアの開閉、無遠慮。他人に対する礼儀とやらを知らぬらしい馬鹿ども。そのクセ、一人前の事を言う。開けたまま出て行こうとしたので、
「閉めて行け」と、怒鳴る。女の連中も一緒に行ったらしい。
誰もいない廊下、建物内はシーンと静か。洗面後、牛乳を飲みユースを出る。チーズをかじりかじり歩く。青島駅に来ると通学生。国道220号線、堀切峠を超える。真正面にパッと日南の海。
海は青く広く、輝き、柔らかい色をまぶしい様に眼下の展望に繰り広げ、あぁー・・・春の海
。これは春の海だ。やっと春か。1ヶ月前が嘘のようだなぁ・・・と思い、気分的には凄くこの春空、春海に清々しい。
しかし荷の重さには閉口する。また肩をおかしくし始めている。
海岸線に続く道路は、車もそんなに多くなく、歩くに悪くない。今朝、ぜんそくの為か、息苦しく早朝に目覚め、寝不足か。頭がボンヤリとしている。
陽はポカポカと陽気に春の日差し。水色の空に白い雲。もう冬は去ったのか・・・。ふっと北海道を想うと今頃、流氷が・・・。
あまり陽気がいいので岩場の海外におり寝袋を体の上にかぶせ眠る。うつら眠りであったが頭はスッキリ。しかしどうも歩くのが精神的に苦痛になってくる。もうすぐこの旅も終わりと言う気持ちが焦らせるのか・・・。それとも足痛?。
車で走れば快適であろう道は、ドライブインが点々と続く。
伊比井駅(いびいえき)で休む。蒸しパン、HIC、450円。の時は11時30分。随分と歩いたつもりなのに道がクネクネと湾沿いに走っている為、直線にすれば大して距離もない道をテクテク。足裏、全面、痛い。岩場で数人の男たちが貝がららしきものを取り上ってくる。言葉が日本語ではない、ベトナム難民らしい。平和な旅だ。このままこの連中日本語も勉強せず過ごすつもりなのか・・・。欧州、米国に行きたいらしいが、その間日本でブラブラか。民族価値観の違いとは言えやはり俺には分からないと思った。
国を捨て去るという発想は日本人はできない。
入江入江に小さな集落に小さな砂浜があり静かである。
サボテン公園に着いて、売店に新聞を訊いたが売っていないと。チラチラ旅行者が見える。春の旅行か。俺は旅ばかりをして来た。一度ゆっくりと旅行をしてみたい・・・。
9月の誕生、上高地に行こうと思っている。空想で、京都さんと帝国ホテルに泊まってる事を夢見たり、多分、あの人が俺の嫁さんになる人ではないかと思ったり・・・。
今まで色々な女の人に会って来たが、好きでも・・・、この人と思った事はなかった。あぁーいいサ。どうなる事やら。
サボテン公園横の芝生に寝袋を広げ、また寝る。なんだか眠たくて眠たくてしかたがない。
サボテン公園、鵜戸神社10キロ。海はキラキラと輝ききれいであるが、寝るところと仮定をしながら歩いているが、ひとつもない・・・。全くどうなっているのか。小さな集落がポツリポツリで、あとなし・・・。
傾斜面の山。小屋さえなし。観光ドライブにはいい所だが・・・。歩き泊まるにはロクな所では無い。
3月中旬に帰り、免許に約3~4週間かかる。4月中旬から末と計算、地図を広げ距離を計算すると、無理である。3号線を通るなら、ともかくも・・・。
薩摩半島を回っていくつもりであったが・・・。これはと考える。免許証の切り替えが無いなら助かるのだが・・・。鵜戸神宮(うどじんぐう)の手前にトンネルがあり、その近くに夏みかん畑あり。4個失敬して、あぜ道で食べる。トンネルを出る鵜戸・・・。下に郵便局。風景印を押す。
店に入ったものの、買えるものほとんどなくラーメン2個120円だけ。
時計は4時丁度。さぁーもう寝る所を・・・と心配。先に見えるなんにもない、崖っぷちの道路・・・。
カーブを曲がると小さな小吹毛井(こぶけい)集落。その公民館が道路に建ち、カギもかかっていない。人に見られるように裏に回り、窓から入り3分の1は畳に転がり日記を書く。
中は酒飲み残りでコップ、灰皿が散っているが、悪くはない。腹ヘッター。
窓ガラスの数枚は割れている。小便したいがまだ明るく、人に見られると困るので我慢するよりしかたがない・・・。
日が長くなったー。夕方5時半ごろかなぁー。
少しずつ冷え込んでくるが以前ほどでは無い。
車の騒音、地響きが凄い。
使用金額:3063円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/青島駅~堀切峠~伊比井駅(いびいえき)~サボテン公園~鵜戸神宮(うどじんぐう)~小吹毛井(こぶけい)
この10カ月間の道程に比べると・・・この先は大した事は無い距離なのに・・・1キロ1キロが長く感じられる
1980年
昭和55年2月29日(金)
真夜中に目が覚める。窓ガラスを透かし月の光がほのかに中を照らす。ろくに食べていないので腹ぺこ・・・。お茶でも飲むかと思ったが、お茶を飲むと眠れなくなるし・・・。しかし、真夜中のお茶も風流か。どうせ明日は15キロ程しか歩く事はないと・・・ゴソゴソ寝袋から出ると、炊事場のガスを使いお茶沸す・・・。それにしてもまずいお茶である。いっぱいと半分で途中、腹の調子が狂ってしまう。
スープがあったのを思い出し、今度はスープに挑戦。月の光の中、炊事場でゴソゴソである。
寝袋の中に入りスープをすするが・・・このスープも飽きたなぁ・・・。
腹が少し満たされると眠気。しかし枕の堅さに、頭ゴツゴツ。時々走り去る車の音は深夜に響く。しかし今日はついていたと思う。ピッタリと時間的によい場所が見つかり・・・こんな時、神を信じる。最近、自然に神を信じるようになって来た。宗教的に言う神ではなく・・・。物事に対し柔らかく受け止められるし・・・。物をそんな状態で見れるようになった・・・。これからも変わっていくのかもしれないが、半眠の状態で朝を迎える。
もうすっかり朝が楽になった・・・。あの寒さもどこに去ってしまったのやら・・・。明るくなると・・・公民館を出る・・・。
昨日公民館に着いて、靴下を抜き足裏を見ると、マメがいくつもできている。まったくどうなっているのか、この靴・・・。
海岸線を今日も行く。空は今日も晴れている。この10カ月間の道程に比べると・・・この先は大した事は無い距離なのに・・・1キロ1キロが長く感じられる。
油津に入り、潮害防風林の横を通り終わりまで来た時、フッと8年前この防風林の所で・・・ヒッチハイク・・・。レーナのことを思い出す。カープキャンプ電柱歓迎の張り紙が街の至る所にペタペタ。駅に行く。
牛乳、パン、キュウリ385円。キューリを洗いの待合室で道具を出し、キューリ、小切りにスパースパーとやり始め・・・マヨネーズをブッかけ新聞を読みながらパクパクである。
駅に着いたのは9:30AM。思ったより早く着きユースに電話。
陽の入らない待合所に長くいると、少し体が冷えてくる。
11:00AM、駅を出る。アーケード街を通り石ケン箱を買うのにフラフラ。化粧品店に入って女の人にわざと聞いたり・・・。スーパーで538円。またまたマヨネーズを買い、登坂の道路、一路、ユースへ。
坂を登るにつれ、油津の港に小島。海面からポツリと顔出している岩礁。
道路から少し左に折れ、ユースに。しかし時間が早いので、岬の展望台に上り、テンプラを食べ、、。バケツの中にガスを入れお茶を作る。
丁度お茶ができたところで、公園掃除婦のおばさん連中が来て、気軽に話しかけてくる。何処だか、お茶が実にうまい。
眼下の海は青く美しい。太陽の光にキラキラと輝く白い海面。のどかな春の陽差しはポカポカで、昼寝をする。春の潮風は柔らかく心地がよい・・・。今まで冬の寝不足が今頃吹き出して出るのか・・・。やたらと眠くたくなる・・・。
3時頃なのか、おばさん連中、また8年前の嫁さんと一緒に来てください。俺がいいそうなセリフを先に言う。
3時頃か、急に冷たい風が吹き始め、下の芝生に移る。
手紙何となく書きたくないが・・・、用紙とボールペンを持つと、スラスラと書き始める。一体どうなっているのかこの手・・・。
冷たくなったので、ユースに行くと、丁度5時である。1900円。改装したのか、中がきれいになっている。飯・・・で飯のおかわり。山盛りも山盛り。おひつの山盛りである。あまりいい夕食ではない。
東北大、大阪と一緒・・・。女はイモばかり。風呂に入ると冷たいのなんの。グングンと冷えてゆく。一体どんな風呂の作りをしているのか・・・。寒くて入っていられたものではない。
風呂の後はHMへの手紙。用紙、11枚・・・。いったいどうなっているのか、最近長い手紙ばかり書いている。文面は今やるべきことをやっておかないと、学校卒業後あなたは伸びぬ・・・。。平和の手紙来ていない。一体どうなっているのか、奴。
使用金額:3063円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/小吹毛井(こぶけい)~油津
潜在的に望んでいたのは、ユース、ウンヌンではなく、この日本一周だったのに気付く
1980年
昭和55年3月1日(土)
いつもの時間に目覚める。シトシトと降る雨。微かな雨の音が聞える。そんな事はないであろう。
しかし、皆が起床。窓を開け外を見て「あっ、雨だ」。
雨かぁー、ガッカリ。またこれで一日遅れてしまった。
フトンの中でジーッと考え事である。8時、ホールに行く。ソファーに座り窓の外を見る。激しい風雨。海は昨日の晴海が嘘のように灰色である。しかし、部屋の中より見る雨の海は美しく情緒がある。連泊することに決める。
2人連れの女の子。声をかけると、何故だか声が震え緊張している。俺の精神構造はどうなっているのか・・・。
いい横顔をしていたので、ジーッと見ていたが、フリ向いた正面は・・・。関西弁を話している。どうも京都さんとイメージがダブルるらしい。
サテ、何をして暇をつぶすか・・・。まずM君に手紙を書く。6カ月間連絡がない場合は、俺は死んだと思って、預けた荷物をSWEDENに送るようにお願いしていたので、死んだと思われ送られては・・・困る。
しかし約3週間後、交通事故もなく病気もなく歩けただけよかった。目的はパァーになってしまったが、潜在的に望んでいたのは、ユース、ウンヌンではなく、この日本一周だったのに気付く。イャ、初めから分かっていたのかもしれない。
ユースのヘルパー3人一緒で、車で大堂津(おおどうつ)の郵便局に、風景印を押しに行く。一人は奈良、一人は赤穂。車は引き返し、油津(あぶらつ)のスーパーに買い物。俺は牛乳、キューリを買う
レジの女の子2人・・・片方はダメ・・・レジを打つ子は美人でもきれいでもないが・・・磨けばきっといい子になったであろうと思われるが、もう手遅れ。ニコニコしているので、
「なんでそんなにニコニコしているの。3人イイ男が目の前で恥ずかしいの?」と、声をかけると、苦笑して下にうつ向いている。
髭のヘルパー、
毎日ここに来ているので、変な事は言わないでくれ・・・。
ユースに戻ると、キューリとマヨネーズ、牛乳に新聞・・・昼から絵はがきを書き始めるが、TYの字が、住所がどうしても意識して、手が震え書けない。今までこんな事なかったのに・・・。自分が字が下手だと思い込んでいる、と言うより、彼女の育ちの良さにコンプレックスがあるのがはっきりとわかる。
外国では好き勝手に美人の尻を追っかけまわし、気もしなかったのに・・・。ここは日本。内容より外観。「中卒か」そんな心のタメ息。海外では本質、特にレーナは本質で俺と接してくれたんだった。もうあんな人に会う事は無いであろう。
京都さんが本質で接してくれたら、彼女はリッパだ。面をヒッパたたいても、俺の嫁さんにするであろう。
今まで色々な人を好きになりごちゃごちゃとあったが、嫁さんと考えた場合、どれもあてはまる事がなかったが・・・初めてである。
しかしこれから先、3年半、色々、勉強、その他をやらなければならない。フラれるのは別に構わないが・・・。彼女といつの日か逢い、彼女が外観で俺を判断した時、その心の・・・に失望。この人もか・・・と泣く。あぁー・・・しかし、どうしてこう自信を持って字が書けないのか・・・。気軽な者にはスラスラと書けるのに・・・絵はがきはどこに書いてよいのか。
手帳は送ったし、必要な者だけの住所・・・なぜだか、もう便りは出さないと書いたTEに書いたが、もう勤めていないかも・・・。写真を送ってくれるように以前書いたが、あの人間性。あの美人であの人間性。自分を磨くことがあれば・・・大変なことになるのに・・・まさに天は二物を与えずである。
レーナ、STAFFAN、BARBARA、EVAに書く。英語の単語は忘れてしまったので、知ってる単語のスペルの頭の中で探す。
赤穂のヘルパーが時々近寄ってくる。日記の話になり、一日2ページ書く。何故だか2月4日の分を読んでしまい、後でしまった・・・。京都さんに対して、失敬なことをしてしまったと思う。
夕食後、やっと絵はがきを書き上げ、次は日記である。今日書いてばかりで、一日が終わり、日記の途中でミーティング。久し振りに参加したものの・・・。胸の中で
「あぁーこれが日本人20代か」
子供を脱し、子供の遊びをするならともかく・・・と思っていたら、デパート、買物のゲームには思わず笑った。昔は俺も騒いだ口なのに・・・今はおとなしく座っているだけ。
奈良のヘルパーに「あんた」と言われる。俺より年下らしいが・・・。
世界を回って、その辺のイモなんか足元にも及ばない事をたくさん通って来たのに、ユースのホールでは「あんた」か。昔は「ワキさん」で通った名も、ここでは通じず。
しかし、どうしてこうイモ娘ばかり。
使用金額:2340円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/油津(あぶらつ)大堂津(おおどうつ)~油津
この駅の感じは北海道に似ている。ホーム一灯に静かな駅
1980年
昭和55年3月2日(日)
例によって早く目が覚め考え事。サテ今日からバッチリと歩くぞと思った。昨夜の事はどこにいったのやら。ベットの中でモソモソ。決心はコロリと変わり、あぁーあ、今日からまた歩くのか・・・。朝でも薄明るく、夜が去っていく、外を見つつ思ったが・・・あぁー面倒臭い。
7時、戦艦宇宙ヤマトの朗読放送がスピーカーから流れ止まぬ事を知らぬ、うらめしき雑音・・・。朝っぱらから頭の調子が狂ってしまう。
キューリ3本を食べ牛乳を飲む。朝食後のホールは、朝の出発前でゴタゴタとしている。50人は宿泊していたのでは・・・。挨拶しようと・・・赤穂を探しに流し台のところに行ったが見えない。そのまま玄関へ。
丁度、例の横顔のいい娘が靴を履いているところであった。
かがんでいた体を上げ顔を上げると・・・パッと化粧した大人っぽい顔。金色の小さな玉をイヤリングにしたカワイイ顔が目の中に飛び込んでくる。
昨夜のミーティングの時、スポーツウェアーに着替えていた時は幼い感じ。
服装が変わり化粧をすると、いい女に変身である。
「ヘェー化粧すると、そんなにきれいになるの。昨日はイモネーちゃんと思っていたが」
ニコニコとしている。しかしなぜ何故だか深く話すのを、俺の内心は警戒している。惚れたら困る。しかし彼女には・・・知性がない・・・平凡・・・下手するとズリ込まれてしまう・・・。
玄関を出て10メートルほど歩いていたら、後ろから赤穂が飛びだしてきて、挨拶もなしに行くなんてヒドイじゃないかぁーと言う。昨日から俺の顔を見てニコニコしているが、別れる時も同じ・・・。
彼女たち2人は男達の車に乗って去る。
確かにイモ野郎にイモ娘たちであるが・・・。それでいいじゃないか・・・。彼らは楽しんでいるのだし、初めての人たちも、初めは誰も同じなのだから。
俺が全く別の世界間の域に入ってしまったのだ・・・。俺が悪いのかもしれない。
冷めて物を人を見る。表面はニコニコしているが・・・。
ユースから国道に出る道・・・。途中で例の娘達の乗った車が、俺を抜き車室内から手を振って去った。
俺は国道から一路、南へと目指す。今日から頑張るぞと思っても以前ほど馬力が出てこない。
商店は日曜日で閉店中・・・。
銀行ドアから地方紙を失敬する。1リッター牛乳の入ったリュックは、ズッシリと重い。絵はがきも風景印のつもりで住所を小さく書いたが、今日は郵便局、休みなのである。
南郷駅で休み、宮崎日日新聞を読むが面白くないの何の・・・。
こんな新聞、価値がない。くそ紙にもなりましない。
道路は山間部の中といっても普通の低い山であるが・・・山側に入ると、とたんに家が少なくなる。榎原(よわら)の少し手前にポツリと2軒の店。
手前は貧弱。向こう側は大きい。しかし手前の店にはおばさんが店先に出ており、なんとなく向こうの店までいけない。何か悪いことをするような気持ちになり、ズルズルとこの貧弱な店の中に入ったが、何も買うものがなく、2月26日付の古いまんじゅうを買う200円・・・。
おばさんが日本1周ですかと聞く。軽い返事をして店を出る。誰とも話をしたくない。かわいい娘以外。
昨日の夕食の時、テーブル前に座っていた女の子2人。立川は曙町と相模原・・・。
22才もなるのに顔からして知性どころか人間性どころか、これでも女なのか・・・。銭をもらってもねたくもない。女が女でない事、知らぬ事は女として最大の心の貧しさであろうに・・・。あんなのが大学生か。
立川は短大卒で安田保険とか・・・そんなこと思い出す。
小さな榎原駅に休みに行くと人がいる。こんな所、無人にすればいいのに・・・。牛乳とまんじゅう。まともな店屋がない。
串間市まで、まとともな店はないらしい。
駅の小さな待合所のプラスチック椅子に座ってボケーっと・・・何を考えているのか・・・。
駅を出る。ヤッケは着ていない。汗をかく背汗でセーターが湿る。
焼田の中を緑色のウグイスの群れが飛びまわっている。
早く目覚めた為か春ボケなのか、昼になると頭がボンヤリ・・・。
どこか寝るところないかなぁーと探しながら歩くが、なかなかなく、大束まで来る。道路の土手淵のセメン上に、寝袋をかぶり眠る。
ポカポカとした春の日が心地よく、ウタウタと起きるのが嫌になるし、歩くのがアホらしい。。
今更ここで列車に乗る勇気もない。やっぱり俺はクソ真面目でアカン。
しぶしぶと歩き始め、下を向いて歩いていたら、つくしを見る。
あぁーつくし。
それから野生化したのか、野に黄色の菜の花の群れを目にする。
わぁー珍しい。今年初めての春。昨年、菜の花を見たのかなぁー。
今日は初物を2つも見た。菜の花を見たとき何か嬉しくなる。
日向北駅の無人駅で休む。スーパーがあっても入る気がしない。
リュックのバンドの調子が悪く、右肩が凝り始め、荷が重い。
木造の駅、母子3人。小さな女の子がせんべいを落とす。若い母親が注意している。こんな所にも人が住んでいる。色々な所に色々な人たちが住んでいる。
光ある方に歩けと言うが、どれだけ歩いたらよいのか・・・。鹿児島に着いたら気分的に楽になりそう。
標識、右手、串間市街1キロ。この道を入って行く。日曜日のせいか人気なし・・・。
串間駅前に出る。駅に売店なし。便所、クソが気になり、野クソの場所を気にしながら歩いていたが、見つからず駅まで来てしまった。下痢である。まんじゅうか牛乳であろう。今朝、便所に行ったのに、多分牛乳かもしれない。
日本はやたらと下痢をするものを作っているらしい。
駅の時計3:30PM。都井岬の起点のためか、駅前にタクシーがたむろしている。
スーパー348円。スーパー内のパン屋の女の子、かわいい口びる。紅の口紅・・・俺はそれはジーッと見ている。
駅を出たすぐ、何気なく右の路地角を見るとラーメン屋。フラフラと入る。
大盛りラーメン400円。俺の思っている九州ラーメンに近いが、完全では無い。しかし400円、払っても損したと思わない。ピラニアをかっている。
トマト100円。一山安い。しかし重い。1リットル100%ジュースにトマト。重い袋を下げ、福島今町を目指す。
今町の河口に小さな白い漁船が並び停泊。日本独特の風景である。
福島今町についたものの、無人ではない。少し休んだだけで次を目指す。
砂浜が長く見え、夕日の淡オレンジの太陽が森の向こうに、空は淡いオレンジ色に。砂浜にいくつかの小屋。あれにするかと思ったが、線路の反対に小さな神社。
しかし・・・と考える。
どうも最近ユースぼけして贅沢になった。とにかく駅は近い。駅に行く。無人駅。小さく、宿直室はないが、ベンチで結構。
もうそんなに寒くない。この駅に着いた時、西の空は夕映え・・・。
日記を書く。もう2時間はなるのでは・・・。
夜になると冷えても日記を書くのが面倒。書くのをたくさん削り、慌しい、イヤ、アカンアカンと思いながらスグ、ころ、である。
今日、満月である。しかしビールを飲みながら風流とは・・・、寒過ぎる。
この駅の感じは北海道に似ている。ホーム一灯に静かな駅。もっとも静かだから無人なのであろうが。
切符を拾う。
使用金額:948円
★「歩いて日本一周」旅日記 宮崎県/油津~南郷駅~榎原(よわら)~大束~日向北駅~串間駅~福島今町
1980年
昭和55年3月3日(月)
昨晩疲れで日記を書くのが面倒臭くなり、削り飛び抜かしで、一番肝心な事を書き忘れた。まんじゅうを買ってテクテクと歩いていた時、前方より穏やかな下り坂を歩いて来る50年配のおっさん・・・。ジーッと見ながら俺は歩いている。おっさんは反対側を歩いている。土地の人かと思ったが違う。
徒歩で旅している事が一目でわかる。スレ違う時、その前から・・・、おっさんは目をそらしている。俺は振り返り、そのおっさんの後姿を見る。手製のリュックでバンドは太く、ビニールを巻いてある。
目のくぼんだしょぼしょぼに白いゴマヒゲ・・・。話しかけようか・・・、一緒にまんじゅうを食べようかと迷っているうちに、おっさんの後姿は段々と遠ざかって行く。
その後姿を俺は立ったままジーッと見ていた。一見して随分長旅をしているみたいである。しかし明るさがない。重いのである。軽みがない。
日本人の昭和一桁・・・。俺の未来像かなと思ったりしたが・・・、あの年で歩き続けさせるものは一体何であるのか気になった。タダ一瞬のスレ違いなのに。
(沢山書く事があったが、ズル休み)
最終列車が去っても電気は消えず・・・、ベンチを二つ合わベッド?
ユースのベットに馴されたのか、木造ベンチベッドの寝心地は悪い。初出が去り、二番、6時何分?
女子の可愛い声、3人する。俺は寝袋の中でその声を聴く。俺を気にしているのか、小さな声で話している。
あれが女の強さなのであるが、女も男もそれには気づかないのである。苦しい時、辛い時あの女性特有の優しい柔らかい声で一言。
「頑張ってください」と、言われたらどんな男もコロリ。勇気百倍どころか千倍である。しかし、本当に苦しいとか寂しいとか、孤独を知らずそのまま女の本性をすり減らして行く。それらを守って行くところに、女の美しさがあるのに・・・。
ブツブツ。(その可愛い子・・・、声だけ。顔は分らぬ)を思い、寝袋の中。ディーゼル列車がゴトンゴトンと遠ざかり。
外はまだ暗い。薄明るくなり、シブシブ寝袋から出ると、トマトを昔懐かしいポンプで水を汲み洗う。
殆どこのポンプは姿を消した。トマトを小切りにしてナベの中、塩、マヨネーズをかけサラダでも作るかと・・・。しかし、ナベ3分の2に入っている赤いトマトの切り身を見てると、トマトスープ昔よく作った。またまたスープばかり・・・、だから味は一流。材料が足りないが、まだいいだろうと水を少々入れガスにかける。
その間靴下は洗う。足にマメができたのはボロの靴下のせいだ。靴下を洗ってボロ小屋待合所に戻ると、土地のおばさん連中。しわくちゃの面にガラガラ声。その中の一人が頭を下げる。南の人はやたらめったら頭を下げる。
しかしその容姿は、女とは程遠いどころか、もう男に近いのでは・・・。こんな可愛くも色気もない声で「頑張ってください」と言われても、どう頑張ればよいのか。その前に白けてしまう。
クタクタとたぎるトマトスープ。例の泡が立ち、一見見た目は美味しそう。岩塩、ガーリック、オニオン、マギーはないがその代わりに明星チャルメラのラーメン。スープに塩ラーメンのゴマ。サテ味は・・・、おぉ Oh my Gog・・・。これなら、黙ってトマトに塩をかけ食べていればよかった。一番にトマトがよくない。熟する前の青いうちに採るからであろう。
ボロ小屋駅を出て、一路海岸線を志布志へ。波の彼方に島影。大隅半島なのか。空は曇りである。
絵ハガキ、途中で出そうかと思ったが志布志に風景印があったらと思い、そのまま局に行くと、中年の賢そうな女の人が窓口。しかし、始めたばかりなのか、他の局員に聞いてばかり。切手代520円。
風景印を頼む。男の局員に・・・。
「きれいに押してください」
「はぁー。さすが女の人ばかりですネ」と言われ・・・、考えてみれば、13枚中10枚は女の人である。
「男はどうでもいいから、女の人にはきれいに押してください」。笑っている。
局から角を曲って100メートル後が志布志駅である。殺伐とした駅。ガラーンと・・・、小さな売店。朝日、パン。久し振りに兵六モチにボンタアメ280円。兵六モチ。中学の修学旅行の時買ったあれから、15年か・・・。15年振りに口にする兵六モチ、ボンタアメ。子供の頃よく食べたが、大きくなるとすっかり遠ざかって、数年ぶり・・・。
一人で新聞を読んでいたら、リュックを背負った旅行者が数人と土地の高校生が、ガラの悪い連中・・・。どうもこの駅は品がない。
この駅に9時30分、出たのが10時40分。おもしろみのない街である。
家をジャッキで持ち上げて移動させているので、費用を訊くと、1坪いくら。家に依ってまちまちとか。こんなボロ家・・・、どうしてかと思っていたが、道路拡張の為。
それにしても、風呂のマキにした方がいいのではと思う。キュウリ、ラーメン、牛乳305円を手に持ち菱田へ。
菱田のボロ駅。よく持ち耐えているよと思われる建物。駅長のおっさん一人。待合所はベンチなく長椅子。女子高校生3人。彼女達、俺を気にしているのかあさっての方向を向いている。
ボロホームにディーゼル列車が止り、彼女達はそれに乗る。その代わりに別の女子高生3人降りて来る。
駅の切符売り場窓口は、例の古い昔の上下タイプの小さな窓。女の子達が定期でも買うのか・・・、ゴソゴソ。やがて自転車に乗って消える。
いつ頃変わったのか国鉄トラベルニュースは「京の冬の旅」は消え、今は「山陽 春の花」で、山陽路の紹介である。
トマト、キュウリを切り、ナベの中で食塩をブッかけ食べる。女子らしきタイツの娘が来て頭を下げる。事務所で駅長と何やら話すと出て行く。その後姿は・・・、俺の目は何故かその娘の尻に行くのだ・・・。ムッチリとしたそのケツは色気なし。しかし若さがある。
事務所の方から昼のテレビNHK。昼のプレゼントが聞える。結構な仕事だ。ローカル線駅長。一日テレビを見て終わり。楽な仕事であるが、寂しい人生だ。楽な人生より苦しくてもいいから、充実した一日一日を送ってゆきたいと思う。
時々、駅長は窓からチラチラと盗み目で俺を見る。道具を広げラーメンを作り始めると、駅長、
列車が来ますから、「そこを片付けてください」。
ビシッと窓を閉める。俺は、「ハイ、わかりました」と大声の返事。
窓の向うにはテレビを見てる駅長の後姿・・・、国鉄赤字になるはず。
お茶を作りのんびり。サテ行くか・・・。
三文字駅に休みに行く。小便をタレ、ベンチに座って牛乳を飲み、ボケーッと考え事・・・。
列車が入り女子高校生がパラパラと降りる。何気なくく俺の目は、その娘の胸元の白い肌に行く。柔らかそうできれい。面はマズイが、制服の胸元を閉めている者もいる。どうもわざと開けているらしい。
これでまた一つ新しい事を発見したと嬉しくなるが、俺はおかしいのかなぁーと思ったり。
地図を見て、今日は串良町までのつもりである。
道路は平坦になる。腹がヘッているし、そろそろ寝る所・・・、チョット時間は早いが・・・。
坂を下って行く前に小学生2年程の女の子が2人、前を行く。
その子達がチラチラと後を振り向き俺を見ている。俺が近づき真後まで来ると、一人の子は半分顔を後に向け「こんにちは」と挨拶する。おれも言う。
別の子が言う。しかし、それから彼女達は急ぎ足でグイグイと去る。走りはしない。
食料をと思って、ポツリと建つ変な店に入った。
清潔ではない。少々の肉と雑貨もの。28から30才程の女の人が主人なのか。2人の客が出て行った後、イカ、鶏揚げ、カツ揚げに昆布串。これらの物は不要なのに、何故だかフラフラと買ってしまった。多分、この女の色気にやられたのでは・・・と、金を支払う時、胸の中でブツブツ。
2人の客がいた時、この女の人の開いてるシャツの胸元を見た。顔は・・・肌荒れ、化粧でごまかしているが、美人でもきれいでも十人並みでもない。しかし、どことなく大人の色気が漂いムラムラ。
最近、俺の頭は狂っている。
買わなくてもいい物まで買って、710円。
「どちらからですか」
「福岡・・・、今が一番おもしろくない時です。可愛い子にでも会うならいいですが」
三つ100円の小切れのカツ揚げ。あぁーこれは高い。胸元なんか見なければよかった。
神社も何もない。全く九州の人間は信仰心がないのか・・・。寝る所がない。
結局、鹿野市の入口まで来てしまう。これは大変なことになったなぁーと!
なんせ、中古車展示ばかり、新興地。もうアウトである。
しかし右手に新築のレストラン。まだ機械類の配置はしていない。道路側二階に上がると、鍵がかかっていない。助かる。右側バンドリュックの為、右肩が痛い。疲れた。しばらくボケーとする。
スッカリ陽は長くなり、日記を書き始めたが、少し書いただけで暗くなる。
道路横なので、車の騒音で眠れない。下に移るが同じ。イライラして二階の住居室に移る。まだ畳を入れていない。時々音がする。人が来たのかと気になるが、今更どうする事もできない。フテ寝する。
もうスッカリ静かでないと、眠る事ができない体になってしまった。日本の道路は最低サ。
運転者も同じ。車を買って、車に左右され、それに順応する馬鹿。
使用金額:1805円
1980年
昭和55年3月4日(火)
使用金額:円
1980年
昭和55年3月5日(水)
車の窓音に高気圧。安眠妨害。得た金それでも横になれるだけ感謝しなければ。何時ごろ、ポタポタと雨漏りの音。外からばしとしと雨。昨夜昨日あれだけ降ったのにまだ足りないのか。こうなるとさすがに困ってしまう。胸が痛い。心臓なのか埃なのかわからんが毎日である。
しかし徐々にその痛さが増してきているのはわかる。生のラーメン屋でタバコを買ってしまった。小豆島からまたタバコを吸うようになった。会話しない言う所に泊まるたびにかかったばかり。男が出るのは愛なのか。とかく日本に帰ってくると体が悪くなる。
昨日は5キロほどしか見ていないのに全く寝袋から出るとまずいことしたの選択…。そしてお茶。以前にあるなら「あー今日は給料、設けた」と寝るのにもう時間。
前を通る車は店の里頭だけ走って行く。今雨は降っていないが曇っている。難しい天気でまったく判断がつかない。とにかく日記を書くことにしたが、、、。これ以上書くことがない。この家の暦1,980センチ178年だから2年前に光になったらしいからすると飲みだけはちゃんと出るのである。
ちゃうのみあきえ店を出る。食べ物食べるものはない。空は灰色。霧雨晴れる気配が全くない。点々と明日が続き雨はしとしと。屋慶名じっとりと濡れ雨は両方ます。車の水しぶき「しまったやりとりべきではなかった」と思いながらも足は引き返す事なく前々と進む。俺の1番欠点は前進あるのみ聞き返すと言うことをしない…そんなことを思い歩く。
白水館いさな高道枚分ほどのほどその緑の家に座って雨宿り。リュックはありがとうす。防水ではない後に水を拭き取る。
このタバコお菓子スタート。真実を見る。民間の向こうに直倫の量。別に雨だからと焦ることもない達観しているわけでもないが自然に切れるようになってしまった。
歩道の屋根からこちょこちょと雨誰が和知地面に小さな花分ける。水しぶきははっぽんチリ対画面をタバコから白い煙ポケットしばらく座っていたがいつまでこんなことをしていても始まらないのである。白水厚生課に行ったら鍵が開かれ家からガタガタと窓をやるわけにも。
店できゅうり、天ぷら178円。まずい天ぷらである。もうパンを食べる気にもなれない。どれほど歩いたから。小さな峠みたいな感じでポンと出せると正面に小雨降る南部田。下に小さな港震えらしい。工事中の道路。震えまで降らないところに秋谷以前は旅館か雪だったらしい。しかしアルミサッシの窓は鍵自明。しかし隣の建物の裏土橋は開く。
がらんとさっぱり片付けてある。ただうっすらと誇り。畳のしてある1室に陣取る。やることがないので用紙に竹内恵子と名前を書く。長と言う事は難しい。水がないのでおいちゃんお茶も飲めない。いいところである雨から。
もう今日は諦めた、、寝不足で頭がぼんやりしているので寝袋敷いて雨女が覚め日記を書く。時間はさっぱりとわからないが雨ばかり雨は上がっている。曇ってはいるがもう降りそうでは。歩いてみようかと思っている。多分1時30分頃家15時過ぎであろう。
竹内恵子さんのことがじわじわと気になりいかんなあどうなるのだろうあの時こんな気持ちになるとは夢にも思わなんだ…。よし今から歩くことにする。泊まるにはここ最高であるが、、、。今荷物をまとめ外に出たら雨が降ってやんの。頭にくるよ。まったくまた逆戻り。もう今日はここだと決めた。
また寝袋をして直す。ただ食べ物がない。水だけでもあれは助かるのであるが最近雨ばかり。雪の後はためか。今日はもう5日である。
福岡まで休まず歩いて15日はかかる。
外の通りに工事中の信号器あり車が列を作る。うるさいが贅沢は言えない気晴らしに竹垣に出る窓の外が灰色でぱっとしない。腹がペコペコ。腹も立たない。幼い女の子たちの声が聞こえてくる。パッド外を見るが何も見えない。ジート外見ているとセーラー服を着た中学生達がワイワイと下を置いてくる。福岡では男だけが使う方が肩掛けカバンを使っているのでかっこ悪い感じがする。
夕暮れ。寝袋の中でただ我慢の子で待つ。暗くなり下まで食べ物を買いに行く。マーガリン1枠の半分してくれる。ガソリンスタンドで水を汲みまた夜道をてくてくと家に戻る。部屋の中は真っ暗。さしぶにろうそくを立てる。灯が森下に見つかるところ
使用金額:円
1980年
昭和55年3月6日(木)
ホステル内に「シバの女王」が流れている。
あぁー、ゆっくりとウイスキーでも口にしながら、美しい音楽を聞きたい。昨日の昼間眠ったせいか熟睡できず、真夜中に目が覚め、親父が死んだ時の事を想像した時、涙が出て来た。しかし、心の奥深い何処かに、死ぬまで許せない何かがある。俺にとって親父は反面教師だけだったのか。
そして、京都さんにすがって親父の墓の前でワイワイと泣いている。
事実泣くであろうが、俺にとって京都さんは一体何であるのか。
例の三国のおばさんの言った「いつかきっと神様が引き合わせてくれます」。それではないかと思う。
今まで色々な人と出逢って好きになり別れてきたが、付き合ってる時・・・、この人を嫁さんと考えた時、誰も彼も否であった。もっとも相手がどう思っているのか、これ五里霧中。
今日は朝早くからバッチリ歩くと思い、夜時計を合せていた。4時40分、まだ早いと寝袋の中でジーッと考え事。サイレンが鳴る。時計は6時30分。まだ暗い。
4時40分頃、雲の中をボンヤリと月が流れていたが・・・、暗いのでまだ早いと思っていた。残念。ボンヤリのしすぎである。
牛乳を沸し、朝食の用意をしてゴタゴタしている内に、もう夜が明け例の列車の騒音である。
下から上って来る男子中学生、頭を下げ挨拶。次は女子中学生と。女子中学生、可愛くはないが、女の子に挨拶されたのは初めてであるので、これは日記に書いておこう。
海渕の沿堤を歩く。国道は幅狭く車がうるさい。空が曇っているが、雨の降る空模様ではないが、海面一体ボンヤリとモヤ。
ユースに電話をしたいと国道に出る。郵便局、昨日の切手100円。職員のおっさん、「大変ですネー。歩きは・・・」。
どうも鹿児島、人が穏かで、人がよく、歩いて旅行、それと他国者に好奇な目で迎える。俺が想像していた九州人にピッタリである。
公衆電話を見つけるが、他者が長電話。やっと終り、イザと思ったら下痢の現象を起す。そこのアパート駐車場に便所。しかしカギがかかっている。出てきそうなのを我慢して電話。ユースはOK。
今朝、クソを垂れたのに一体何なのか思い当たらず考える。何とか駅までもたせなくては・・・。
国道横は民家で野グソどころではない。垂水駅は市なのに、ボロ小屋、駅員一人。便所は一個。チリ紙を持って飛び込む。バーッと飛びでる・・・。アッと気付く。原因は昨日のテンプラかラーメンである。もうラーメンもテンプラも食えない。タバコも原因してるかも。腹をしぼり全部だす。
駅のベンチに座っていると、ゴミ箱の中に4日付の読売。ゴミ箱の中から拾い上げ読んでいたが、駅長、ゴミ箱を待って行く。
クツ屋を探していたが、なかなかないが・・・、一見、つぶれそうなクツ屋に入る。
おばさんが出て来て、「おばさん、一番安い靴」。1880円の靴で落ち着く。
少し話していたら、最後、靴下敷き竹作をサービス。そして1500円にしてくれる。
はじめ、「なんで歩いているんですか」。
例によって、「いいおごじょを捜しに・・・」。
最後はサービスをしてくれたので、
「『ウン、今日、いいおごじょにおうた』と、日記に書いておきます」
スーパーで約900円(忘れた)。次の駅を目指す。海潟駅。海潟の入口まで来ると、海の堤防が見えたので堤防に出る。
堤防の上に食物。道を広げ食事らしい食事。鳥キモの関東煮、パンにマーガリン、蜂蜜。その他のものは食べ切れない。デザート付き。
バナナ、蜂蜜、牛乳、バッチリ。堤防下の海で若者がしょぼくれ、海を眺めている。旅館のおばさん、干していた海藻を裏干に来る。
温泉なので銭湯を訊くとあるらしい。遠足の男女小学生達が後を通り過ぎて行く。その中の一人女の子、頭を下げる。とかく道行く人々、挨拶攻めである。
食後、銭湯に行くと、民家の中庭の中にあり、ボロ小屋でいかにも温泉場の銭湯。
脱衣場に遠足の子供達・・・。女の先生、俺が服を脱いでいるのに前をウロウロ。あー彼女は一体何を欲す。
破れ小屋にガタピシの建物は風情あり。子供の出ていった後は、一人で浴槽につかりのんびりと、いや久々の湯である。100円。
パイプから流れ落ちる湯・・・。2つの浴槽。久し振りの風呂らしき風呂。バッチリ汚れを落す。湯疲れするのではないかと思ったが、温泉の湯が独特で例の味。湯あがりの牛乳がうまい。風呂から海岸に出るとさっきの遠足子供達。女の子が松の木の下で陣取り、ままごとを・・・。
その中の一人が手を振ったので、俺がゆっくりと笑いVサインをして体を振ると、皆もVサインをして喜んでいる。楽しくなる。風呂に入れる遠足。憎い事をするなと思う。さっきの先生が男の先生と肩を並べ堤防の階段に座っている。
サテ、一路ユースへ20キロ。霞んだ空の中に桜島が見える。途中、満開の桜を見る。風呂で足がふやけたのか、それとも新しい靴のせいか、足裏が痛い。マメであろう。溶岩の道を行く。溶岩展望台の10円休憩所に入る。女の人がこれ又、デブで尻デッチリ腹デップリ。人間性は・・・。話すもなにも口が開かない。
水がうまい。急ぎ足で歩く。古里温泉に行くと、バス待ちの旅行者女の子2人が反対側から大声で「ガンバッて」。
ニッコリとしたもののアレが美人だったら・・・。欲張りなのかなー。この辺一帯袋の被ったビワの樹だらけである。取り残しの夏みかん。2回目に挑戦ていたら、老人が畑に・・・。休むふりをしていたら、いつの間にかその2人の仕事を見つつ、この2人の若かりし思う。
やっと桜島のユースが見えホッとする。Aコープ、牛乳、ジュース456円。昔来た事があるのに分らず、みやげ屋で道を訊くと丁寧に教えてくれる。
ユース、満員・・・、シーツを見せると・・・。休む暇なく、洗濯・・・。バケツがないのでジーンが洗いづらい。その後、日記。
前のテーブルに男女4人、ペラペラ。その中の一人、ヨーロッパ60日だと。皆それではワァーワァー話が、あほらしい。旅、旅と気安く使うな、この馬鹿。死ぬ思いを何度も何度もして、10年後初めてボンヤリと分るものなのだ・・・、アホ。
それにうるさいが書く場所がない。我慢して書く。それに今日は疲れ、書く字が汚いが・・・、明日にすると、癖になる。無理して書く。
もう今日はガックリである。あぁー、静かな音楽に俺は飢えている。
現在8時14分。眠る、眠る。
使用金額:5266円
1980年
昭和55年3月7日(金)
サーと降る雨の音。まさか今日も雨・・・。そんなはずはないだろう。しかしベッドの中で耳にする音は確かに雨である。暗かった空は、次第に白々しくなり、皆がカタガタと起床し始める。俺はバルコニーのドアを開け外に出ると、雨の桜島を見る。雨の中、何も見えない。
ザーザーと降る雨の中に、ゴツゴツと突き出た溶岩。点々とする松の木。桜島の頂より湧き上がる雲は幻想的であるが、その風景を楽しむより、悲しむ方が大である。クソ、また雨かぁ・・・。
一日一日と遅れていくばかり。
しょんぼりとベッドの上に座るとバナナを輪切り。蜂蜜に牛乳。昨日の残りパン。
強い雨・・・、今日はどうする。神社の中にでも転がり込むかと・・・。
同室の者達が次々と出て行く。例によって俺は誰とも話さないが・・・、一人雑誌を持っている奴がいたので借りる。
その時、「今日は雨、どうなるのか」。
「昼から晴れるそうですヨ」
「何、本当か」
この雨ではそんなふうには見えない。下にはホステラーの車がずらり並んでいる。俺はテクシー。世の中変った。
雑誌を読んでいる内に10時。雨はあがったが怪しい空であるが、ホステルにいつまでも居られない。
下に降りて行く。もう誰も居ない。
洗濯物はリュックの後ろに吊り下げ、港に行く。二階に上がるとテレビ、ウィークエンダー。
結納金20万円を作ることができず、娘の殺人未遂。父親、その後首つり自殺・・・。Sさんの事を思い出す。
「父と一緒に見ています」
フェリーは頻繁に往来しているので慌てる必要ないと待合所のベンチに座って雑誌を読む。フェリーは鹿児島。あと半周で終り。しかし、イザと云う気持にはなれない。
中途半端な時間に歩き始めたせいか、それともどんよりとした天気のせいか、3月20日までには帰り着きたいと云う日限りの切迫のせいか・・・?
港から正面に向って勝手に歩くと、歩道横に露天が軒を並べる。その中の一つに天ぷら屋があり、見た目は美味しそうな大きな天ぷら。一個買う。140円。
道を訊く。じいさん、「わぁー、歩いてきんしゃーと。頑張るネェ」
「ウーン、若い時の苦労は買ってでもしろと、言うばって。何の役にもたたん」
サテ、教えられた道を行ったものの、全然遠回りである。迷わないように分りやすい道を教えてくれたのであろうが・・・、ありがた迷惑である。
私学校跡の石垣横を歩いていたら、スポーツウェアーを着た小学生の列が前を行く。後尾は女の子ばかり。皆、チラリチラリと振り返りを俺を見る。そしてその中の一番大きな娘は可愛いー。大きくなったらきっと美人になるであろうと思われるが・・・。
とかく人間、大きくなるに従い、ゴロリと変身して行く。段々と近づき彼女たちの真後ろを歩く。やはり小学生・・・、その歩く後姿の尻には全然色気はない。しかし、裸を想像する時、きっとビックリする程美しいであろう。そんな事を思いながら歩く。列は途中で左手に曲る。そこに数台のバスが待っていた。
西郷像の前を通り、国道3号線を目指す。歩く歩道のいたるところから・・・、例のラーメンの香り・・・。ラーメン屋と思ったがそのまま素通り。
街、民家が終わると3号線は狭くなる。汗をかく、荷は重い。片手には牛乳、ジュースの残り。道路横で休み、この2つを腹の中に流し込み、雑誌を読んでいると、急に胸が痛くなり脂汗をかく。ケツまくって雑木林の中と思っても道路にそんな気の利いた場所はない。腸ガンなのかなぁーと思ったり。最近胸が痛いし、ハートはうずくし、もう、オーバーホールしないと・・・。あと2週間なのだが、この2週間がやけに長く感じられる。ただ座って2週間ではない。歩かない事には一生終りがやって来ない。
因果な商売だ。
しばらく座って休んでると、痛みは消える。国道3号線とは思えないほど粗雑な道路。小山田から右に折れ、約2キロか。今度は左手に折れ、狭い県道を行く。
左手に折れたすぐ近くに、国鉄バス跡があったので、中に入って休む。外には4、5人のセーラー服を着た女子中学生達が、キャーキャーいって騒いでるが、小柄で小学生で立派に通る体である・
「イヤー助平ー」だのなんだのと言っているが・・・、ジーッと見る俺の目、彼女たちから何一ついいものが見出せないイモである。
人間やはり生れ持った素材と言うものがあるのか、と思う。イモ達を見ていてもチッとも軽い気持ちにはなれない。
リュックを背負って歩き始める。県道を少し歩いたところに郡山町の役場。Aコープスーパーで398円。イワシのコンブ巻。鹿児島で見る食物である。白身のフライをパックを破る時、ポロリと落す。一瞬、アァーヨカ・・・。でも、拾って汚れた所をチギリ食べる。そしてこれを人が見たらなんと思うと考える。汚い奴と思うかも知れない。しかし安い物であったら、人は「汚い」と、そのまま捨てていくだろうが、全く同じ物でも、これが高いお金を出したものであるなら・・・。人は何とする。
役場前が二又に分れ道。左手「伊集院」。この名前と同じ奴、アフリカ・・・!
右手が俺の行く道である。県道が急に狭くなり、山間部の田舎風景。山の底辺に伸びる狭い盆地状の田畑は、日本である。
国道からチョット入っただけで風土がコロリと変ってしまう。点々とする農家。しかし、寝る所は一向に見当らないし、本当に九州は旅行したくない所である。地図とニラメッコである。
やっと梨野。パラパラと農家があり、時間は少し早いがこれ以上歩けないし、地形的にも・・・、無理。ワンマンバスの回転場・・・。そこにボロボロに腐り果てたバスあり、その近くに土方の機材置小屋。機材置小屋、ゴタゴタとしているが、贅沢さえ言わなければ。
しかし夕方。もし機材を戻しに帰って来ては困る。タイヤの後は一個頻繁に使ってはいないらしい。
とにかく夕方になるまで、ボロバスの中で休む事にするが、バスの中は長年の雨漏りで、腐り果て座る所もない。ベニヤ板を敷いてヒザ小僧を抱いて、頭を休める。日記を書こうと思ったが疲れ過ぎている。
その時、村田バスが来て運転手、このボロバスのドアを開け入って来る。荷物置き場にしているらしい。「出ていけ」との仰せの言葉をちょうだいしてガックリ・・・。
機材置場に行こうと思ったが、足は勝手に道を歩き始め、上り坂の山道となる。本当に珍しく山のまた山奥、そんな道で、疲れていない早朝ならともかくも、疲れている夕方近く・・・、それも山道、峠途中。民家も何もない。寝る所どころの話ではない。心理的に参ってしまう。峠を途中まで降って来ると、田んぼが見え廃車がそばに・・・。行って見たものの農薬である。
しかたなく、今夜夜通しになる覚悟を決める。やっとポツリと民家が姿を現すが泊れる所が1カ所もない。峠を下って来た所に「下藤本」の一軒店の集落。
ビールを買う。ラッパ飲みしながら歩く・・・。本当に田舎な所である。チョットした藪を出た所に建築中の家が見える。外に大工がまだ数人。彼が帰り暗くなるまで待つ・・・。建築小屋のコンクリートに座りビール・・・。あとは、ジーッを考え事。
日記を書けないので、明日は日記に追われるなぁーと思う。
建築中でもカギをかけて行っているかも知れないが、そこが不思議と働く予感なのである。
予感通りであるが、中は木粉がモウモウ。隙間風にあおられ立ち込める。しかし、横になれるのである。ホッとする。ギリギリの時点で見つかる寝場。何故かこんな時、不思議に素直な気持ちで神を思う。
使用金額:548円
歩けど歩けど福岡は遠い
1980年
昭和55年3月8日(土)
胸の痛いので目が覚め、深く息を吸おうとすると、右の胸の中に何か詰っているみたいな痛さで、一体何であるのか不安である。タバコは昨夜で終わった。今日からまた止めるつもり・・・。
早めに出て行くつもり。サイレンが鳴る。6:30AMらしい。寝袋を巻いて外に出る。やっと夜が明け、ほのかに明るくなってゆく山の里。山間のせいか冷え、吐く息が白い。
露で野草は濡れ、小さな水玉。平和な所である。
しかし、こんな所にも人が住んでいるのかと思う。人間あらゆる所に住んでいる事に不思議さを覚える。古い変な石の刻んだ物を道路に見る。説明標を読んだが忘れた。この辺の特有の物らしいが、自然石をそのままに?を彫ったやつ。やっと人がパラパラ見える・・・。小学校も小さい。小学、中学生の通学がパラパラ。
市比野温泉、1.2キロの標識に二又の岐路。地図を見ていた2、3日前はこの温泉の風呂にでも入っていくかと思っていたが・・・。その岐路の角まで来ると、スンナリと左に折れ、川内(せんだい)方面に・・・・とんでもない朝っぱらから・・・、風呂どころの話ではない。
角に店屋、田舎店。その角から何処に通勤するのか若い女の人・・・。全然美人でもきれいでもない。しかし、こんな山奥で若い化粧した人を見ると、なんか不思議な感じがする。
こんな山の中、若女が居る事自体、不思議。3人の中学生が自転車に乗ってやって来るが、ダメ・・・。何もいい所が見出せない。一路、川内。
山と山の間はクネクネと曲り曲って何処へ行く。泊った所から川内まで約20キロとして、昼には着くであろう。
時々、道端に紅の椿の花が散り落ちているが、上を見る事はない。梅の花も白はしぼみ、汚らしい・・・。一本きれいな桃色の梅の花を見た。その樹の下に行き空の青空をバックに見たらと思ったが・・・、青空はなく、雲。初めて晴れていない事に気がつく。山間の道路。両側山であるが、遠く山と山の間が広がりを見せる・・。そこまで来ると民家・・・。そしてボロの神社。ほんとうに九州は神社の少ない所である。その神社の前板に座って休む。
日数ばかりが気になる。(9時am。今人に訊いた時間)。
先のことばかり。5年先までスケジュールが決っている。歳をとって行く事にクソおもしろくない。自分の精神、頭は18、19のあの時の気持ちのまま停滞している。しかし、確実に戸籍上そして体、肉体は衰える。とにかく福岡に着かない事には踏ん切りがつかない。
山間から出て来ると、パッと風景が変り、山がこんなに季節を変えるのかと思う。
道路横の土堤には「つくしんぼう」が沢山あり、食べられるのにもったいないなぁーと、思いながら歩く。こう言うのを貧乏性と云うのか。
川内の街が見えホッとする。しかし、思ったより早く着いた。駅が近くにあったので助かる。
駅の時計は、10:30AMである。朝日60円。このところ新聞を読んでいなかったので、スイスイ頭に入って来る。円安、248円だけど・・・。俺が帰るまで円安が続いてくれと願う。約700ドル残っているのに・・・。帰ったらクズ・両替するつもりである。
2年も箱の中に入れたまま・・・。百姓のおっさんがゴツゴツした手で、孫なのかフサフサしたベビー服に顔を埋め、生まれたばかりの赤ん坊を抱いている。何か凄くチグハグな印象を受ける。11:40AM、駅を出る。
駅正面を真直ぐに行けば、国道3号線に出る。約300メートルか。そこに向っていると、途中にラーメン専門店の赤のれん。スイーと戸を開けリュックを降ろす・・・。数人の客は、飯と一緒にラーメンを食べている。俺にはできない芸当である。そしてスープを残していく奴がいる。スープがラーメンの命なのにどうも俺には分らん連中が多過ぎる。
皆、ただ食べればいいと思ってるのか。ラーメンのスープを見ると、白っぽく、今までとは違う。
見た目にもうまそう。
味は悪くないが、唸る程ではない・・・。あの新宿の熊本ラーメンを凌ぐ奴に出逢いたい。
九州に入ってチョイチョイ、ラーメン屋に入るが・・・、400円。ここも沢庵が出る。
福岡は紅しょうが・・・。うまいラーメンが食べたい。
3号線に出る。広い街通り両側に店、店。しかし、こんな街づくりをするのは日本だけではないだろうか。昔の宿場の影響なのか知らぬが・・・。
(現在10時頃であろう。もうダメ、疲れと2日分の日記。頭の回転が鈍り、休み休み書いてはいるものの・・・。これだったらいつ終わるか知れない。一旦眠る事にする)
家が切れ目なく続く。途中、ゾロゾロと小学生達の帰校する列。そしてその中の1人、小学生2年生に話しかけられ質問攻め。そして女の子2人が寄って来る。
「お兄ちゃんヨオーー」の連発で、九州弁ではなくこれは東京弁。しばらく一緒に歩いていたが、どのような話し方をすればいいのか分らない。半分逃げるために買い物があるからと、スーパーに入る。370円。スーパーから出て来ると、男の子は外で待っていた。
女の子はズーッと先。今日は土曜日・・・。先を歩いていた小学生3人が加わり計4人。可愛小学校、2年、4年。2年の子供は豆腐屋のせがれ。その子は俺の手を握り、手をつなごうとする。
俺は女の子だったらつなぐが、内心・・・。しかし、この子の手をフリはらう訳にはゆかぬ。
色々な話をしながら歩く。
「4年のクラスで誰が一番可愛い。誰が好きか」と訊く・・・。その中の一人は、テレ、怒っている。前方150メートル程先を女の子が歩いているが、時々振り返りこっちを見ている。
「あの子が、この男の好きな子」と、豆腐屋の子が言うと、4年はテレ、怒り蹴っている。
その女の子が4年生で、一番可愛いとか。手招きをしてコイコイをすると、その子は駆け足で遠ざかって行く。どんな子なのか気になったのに。
昨日の疲れが残っているのか、手はむくみ体がだるい。次の草道駅で泊るつもり。砂利採石場。山を崩している。そこで休み新聞を読み、1リッターのジュースを飲む。左足筋肉が痛い・・・。
やっと草道に着いてホッとするどころか、ガク然とする。無人駅は無人駅でも、建物を取り壊した跡で何もない。ホームのベンチに座りどうするか考える。手羽先のフライ200円をパクつきながら考える。
子供達に次の駅の事を訊くが誰も知らない。一応無人駅らしいが・・・。
日記、昨日今日と2日分である。なんとかこれをかたづけない事には・・・。夜になるのであろう、書き終わるのは。だから灯が要るのであるが、諦めて次の駅まで歩く事にする。
こんな時、リュックは急に重さを増す。
トンネルを出て、スグ道路工事中。その警備員のおっさん、
「頑張りますネ」
「ハァ、しかたがないです」
珍しく九州で自動販売機の店があり休みに入ると、一枚の畳まで敷いて・・・、これまた結構な所である。リュックを降ろしてまずお茶を作る。疲れで頭がもうろうとしている。
日記を書き始めると、自動販売機からコーラを取り出す女の子。足を見ると、水商売的なサンダルを履いている。その子が降り向き、顔と顔が合う。俺は「こんにちは」と言うと、
「九州一周ですか」とニッコリ笑顔。その笑顔は水商売と程遠い。
日記を書いてると、俺の横にポンと缶コーラを置いて、「ガンバッテください」
「ワァー、ありがとう。日記に書いとく」
凄くいい娘である・・・。1分かそこらなのに・・・、もっと話していけばいいのにと内心思う。
彼女はこの氷山の者なのか・・・、俺はどうも惚れっぽいらしい。
ここに着いた時はまだ泊るかどうか決めていなかったが、騒音さえ我慢すれば悪くない所である。
自動販売機のお湯はあるし・・・。
5時、さっきの警備員が来て少し話す。大阪から帰って来て、自分の夢は自転車で九州一周する事らしい。年は57才頃か・・・。一人で自由がきくけれど、なかなかできないと言う。
「それは、できないのではなく、やらないのでしょう」と言う。
タバコを1本貰う。これが癖になり、入る者、次々からタバコをたかる。
俺の意思はこんなに弱かったのか・・・、ふと気が付く。日記を多く書くようになって来た事である。これはタバコと関係あるのか・・・。多分、あと12日間、この日数にイライラしてるのではないかと思う。歩けど歩けど福岡は遠い。
日記の書き過ぎなのか、疲れは疲れを呼び頭はもうろうとして来る。無理して書き上げようと思っていたが、もうあかんとサジを投げる。
寝袋の中に入る。自動販売機14台の合唱音に外の車・・・。次々と入って来る客。トラックのエンジン音。ズルズルと食べるラーメン、うどんの雑音・・・。もうイライラして来るし、腹がヘルし。かと云って、あんな物に自動販売機、金を払う気になれない・・・。
しかし、今まで一度も自販機から買った事がないので、試しに一度位いいであろうと、カップヌードルとうどん。
しかし、まずいのなんの。こんな物で300円。しかしこれが飛ぶように売れて行くのだから不思議である。
白髪のおっさんに話しかけられる。タバコ1本を他の人に貰おうとしていたら・・・、このおっさん、1箱くれる・・・。困るのである・・・。こんなに吸いたくない・・・。
禁煙したいのに、1箱も貰うと。
次々と話しかけられ、どうせ俺も寝られないので、嫁さんから逃げてきたと言う25才の男の話を聞く。
結婚して3年、もうイヤでイヤでしかたがないと・・・。
3年間の内に5回合い、その間手紙のやり取り。そして結婚。相手は今23才。話によると、女に目がくらんで早まったらしい・・・。じゃぁー、その女の人と結婚したのではなくて、結婚と結婚した訳だと言うと、素直に認め、だから後悔しとる・・・。
話を聞いていてその嫁を品定めしたくなった。彼が帰り、また寝袋中に入るが、次々と入って来る客は、出て行く時ドアーを閉めて行かない。
頭に来て、2つある入口の1つを鍵かけるが、出て行く時、そのカギを開けるが、そんな連中に限ってドアーを閉めない。スレた女高生とか・・・、真夜中、男女のヤンギャルとかいろいろな頭のおかしい連中がやって来る。とても眠れたものではない。1リッタースプライトを買う、180円。スプライトを飲みながら外の雨を見る。また雨かー、うんざり。
使用金額:1220円
★「歩いて日本一周」旅日記 鹿児島県/川内(せんだい)~草道駅
これで最後の日記になる。この旅が終わったら日記も終り。
1980年
昭和55年3月9日(日)
殆ど眠る事ができなかった。特に高校か大学生らしき5人の男女が入って来ると、女のギャーギャーと喋りまくる雑音にはほとほと参った。
言葉を聞いて何処の連中だろうと思ったが、標準語に近い言葉でアクセントが違うだけ・・・。何処の連中だか分らず・・・、彼らが車で去る時ナンバーを見ると、鹿児島ナンバーであったが・・・。
親の知らぬ間に乱痴気ドライブ旅行か・・・。
どう見ても学生であったが、あんなのが学生・・・。そしてそれら馬鹿に銭を出す馬鹿。これじゃ馬鹿しかできんわい。
しかし、女の声とは不思議である。姿を見ないで声だけを聞くと、その人間が見えて来る。見ない方がかえって物が見える。女から男を見た場合も同じであるのであろう。気をつけよう。
寝袋の中でブツブツとそんな事を考え、目隠にしているタオルをとると、外は薄明るくなっている。
騒音に悩み続けさせられ、胃の調子が悪い。頭フラフラ。疲れを休める為に休んだのに、ますます疲れてしまった。
無理して昨日の残り日記を書く事にする。
雨は上がっているものの、怪しい曇り空である。空であった2つのゴミ入れポリバケツが満員御礼。外に山・・・。ヘェー、儲かる商売なのだなぁ・・・。俺だったらこんな物に銭を出して食べようとする気にもなれない。だから商売になるのであろう。そんな発想が出て来ない。
持ち主のおばさん、軽トラでやって来ると、中を簡単に掃除するだけ。隅々いたる所、壁、ガラス窓、機械と汚れているのに、そんな事にはお構いなし。それぞれの機械から金を取り出し、品物を補給している。頭の髪はボサボサ。
日本の女は本当に不可解・・・。文化の差異。相違なんてものではない。だんだんボヤーと少し分る。そんな気もしないであるが・・・。
日記を済まし顔を洗ってここを出る。今にも降り出しそうだなぁーと思っていたら、海が見える。薩摩高城(さつまたき)の無人駅あたりで、サーッと降り始める。どんよりとした海、それでも寒くはないせいか、春の海、春の雨である。しかし本当に春の天気は、不可解・・・。女みたいにコロコロと変わりやがる。
国道沿いに並ぶ「西方」。そこのAコープに入る。いつものAコープとは違い、古い木造建。ドアーはガタピシである。品物もパッとしない。レジの女と男。パンとマーガリン、321円。女の人は若い。チョット可愛い。しかし肌荒れ・・・。
化粧で誤魔化しても、見る人が見れば分るのである・・・。セーターからポンと出た可愛2つのやわらかそうな乳房・・・。いいなぁ・・・。ジーッと見ているだけで飽きない。いつまでも見てもいられないが・・・。乳房にも見飽きるものと、そうでないものを確かにこの目で見た。こんな田舎に勿体ないと思ったが、年をとっていくと、彼女もただの人。モサモサ頭の人になってしまうのであろう。
殺風景な西方駅で食べる。殺風景も殺風景。何故かと思ったら、ポスターが貼っていない。普通駅にはポスターのコンテスト・・・。ここは数枚・・・。
座っている正面壁に運賃表があり、鹿児島700円、福岡2700円。以前この運賃表を見て、目的地の運賃が下がって行くのを楽しんでいたが・・・、2700円・・・、まだ遠い。
駅の日本鉄道地図は。ワァー、歩くに歩きたいなぁー。あともう少しなのだが、やはり遠い。
やはり、人には分らんな、これは・・・。当の本人があまりピーンと来ないのに・・・。
駅を出る。9:40AM。海は荒れている。横なぐりの雨。いつもの雨の中を濡れて歩いているが、別に厭とも思わない。鈍くなったのか、慣れたのか、開き直ったのか。崖っぷちにポツリと建つ小屋にボンタンを売っている。2個100円を買う。大きいが中身はその半分もない。昔一度食べた事があるだけである。甘くも辛くも苦くも酸っぱくもない。腹いっぱいになる。
国道横に鹿児島本線。しかし単線である。今までてっきり複線とばかり思っていた。通過する特急有明はガラガラで回送と同じ。あれで指定料を取るのかなぁ・・・。
この天気、今夜の事が気にかかる。本来予定は長島の橋を渡るはずだったのに、牛ノ浜駅で休む。リュックおろしタバコを喫うと頭がボンヤリとする。
フッと人生に疲れたと、そんな気もする。ブラブラしてる連中には、この疲れ分らないかも知れないが・・・。反対に、この楽しさおもしろさも分らんだろう。14年になる・・・。早い、実に早い。焦りを覚える。何とか何かをしなければ・・・・と、思うが、難しい事だ。
牛ノ浜駅を出ると、自転車がスレ違いに来る。荷を少ししか積んでいない、長距離ではない。
下半身がダルく疲れる。寝不足のせいらしい。
阿久根に入り、魚フライ、コロッケ、310円。
昨日なので爺さん、少しおまけしますヨー。奥さんが出てきて勘定をキッカリとると、爺さん、
「オイ・・・、少し負けてやれヨ」
「ハイ、それじゃ20円」と、10円玉2個。
「いいでヨ」
「イヤ、どうぞ」の繰り返し。俺が、
「それじゃぁ、半分ずつしましょう」と、10円取り10円返す。
阿久根駅。新聞を読む・・・。100円の苺があったので買う。初物・・・、パッとしない。
ノートを買う。これで最後の日記になる。この旅が終わったら日記も終り。
日曜日のせいか天気のせいか、パッとしない人通り。いつまでも駅にいてもしかたがない・・・。
2:10PM、駅を出る。日記、疲労、寝る所、天気と気になるが、なんとかなるでなるだろうと思うしかない。
3号線から389号線の細い国道・・・。多分、折口駅は無人であろうと見当をつける。駅は国道から少し離れている線路を行く。ホールの待合小屋に入る。風でガラス窓がガタガタと音を立て揺れるが、疲れのせいか座るとドッと疲れが出て寝てしまう。
4時頃寝て何時に起きたのか。暗くなり駅前の店、2度目に見た時はもう灯は消えていた。駅に行くと広い待合所がガラーン・・・。
しかし、なんとなくホームの待合小屋の方が好きだ。ただ、風のたたく窓のガタガタ音がうるさいが・・・・
ひと眠りして頭の冴えたところで日記を書く。時間は分らない。12時を過ぎている事だけは確かなようである。
この後、販売機からビールを買いに行くつもり。
使用金額:1291円
★「歩いて日本一周」旅日記 鹿児島県/草道駅~薩摩高城(さつまたき)~西方駅~牛ノ浜駅~阿久根~折口駅
杉林の横に小さく頭を巻いたワラビを見つける。春一番に見たワラビである
1980年
昭和55年3月10日(月)
深夜の貨物列車が通らないので大変助かる。ただガタガタと揺れる窓。しかし、昨夜の場所に比べると雲泥の差である。よほど疲れているのか眠ってばかり。夜の空には星の欠片も見えない。ぼんやりと照らす外灯の明りがレールを静かに映し出す。時々喫うタバコがまずい。時間がさっぱりと分らない。
何度目かに寝袋から顔を出した時、薄白く夜明けの霧が出ているみたい。その前に数回列車が停まったみたいであったが・・・。起きるのはイヤだし、そうもできないし・・・、おばさんが来たので寝袋から出る。
東の空が紅に染まっている。駅待合所に2人の女子高校生。×である。英語の辞書を一生懸命見ている・・・。何の役に立つのか知らぬが・・・、考えてみれば、役立たずの英語を教える学校に先生・・・。狂っている。
便所でクソを垂れていると外に女子の声がする。ズボンを上げる時が、破れたガラス窓から通学の高校生を見ると、まぁ、悪くないでしょう。四国よりマシである。洗顔具を持って顔を洗い始めると、ホームに立つ女高生達が、俺を見る。誰も彼も見る・・・。どうして見るのか、今度訊いてみたいものである。
駅から国道に出る道は、通学バイク、自転車のラッシュ。一人スカートが風にあおられていたが、知らん顔している。何故か俺の方が恥しくなり顔をそらす。他の連中、どのようにスカートを止めているのか風になびかない・・・。それにしてもハッとするような子が一人もいないが・・・、この久し振りに目にした女子校の自転車ラッシュは実に「朝」と云う感じを与えてくれた。
それにしても最近の女子校、バイクにも乗るらしい。女のヘルメットはカッコー悪い。
長島の橋まで7キロ。道がクネクネと曲り狭い。空は晴れホッとする。橋を渡ったスグに左側、店屋が一軒・・・。牛乳、大はなし。HiC 1リッターを買う。60過ぎのおばさん、
「まぁ、お茶でも飲んでいきなさい」と勧めるので、遠慮なくごちそうになる。
若い女の子が一人。娘かと思っていたら、2人とも雇われ。
橋を渡ったら熊本県と思っていたら、まだこの島は鹿児島県との事。
女は3年程名古屋の紡績工場にいたと・・・。首から下はいい体をしている。大柄で、しかし顔はこの人間の性格を見事に表している。
化粧をしているものの、そんな事では誤魔化す事もできない程ツブレている。スケ番で通るであろう。
配達の者が2人来た。その2人と話しているが、言葉の洗いのなんの・・・。こんな女を嫁にしたら、千年の不作・・・。大柄で歩く後ろ姿の足は、男顔負け。
しかしボインである。アホな男は、この体で釣られる奴がいるかも知れない。ツラはまずい。とりえはなにか・・・、自分を磨いていればそんなに悪くはなかったであろうに、もう手遅れ。
環境の力、自分自身の力、遺伝力。やはり、ダメな者はダメと、定まっているのであろうが・・・。
テレビ、久し振りに見るがおもしろい。浜田幸一郎代議士のトバク代金問題・・・。国会のヤジ、その他を見てると、あれが国会議員かと疑いたくなるし、それを選ぶ連中。それがまかり通る日本・・・。どう見てもヤクザである。これが先進国か。
他の国の人々が、あれを見たらビックリすること疑いなし。
記者会見のこの馬鹿を見ていると、小心の虚勢人に見える。あんなのが国会をウロウロしている変な国。自民党も先が見えたが、社会党は力なし。
40分程テレビを見て、9:30、店を出る。フェリーの最終は、15:30だと。
ここから港まで24キロギリギリの時間。これを逃すと、明日の9:30。これは大変。15:30を逃すと、一日を失う事になる。足のピッチは上るが、道は上下の連続。平坦な道なんかありはしない。
これでもかこれでもかと、これらの連続攻撃である。
しかし右手下界に見る海と島は美しい。坂道である事を除けば、交通量は少ないし悪くない。
しかし、のんびりと歩いていられない・・・。6 × 4 = 24でギリギリ休み、少しでの時間である。
小安堂で休もうと、アルミサッシの戸を開け座っていたら、中年女が来て中に入り閉める。
その後、2人明らかに俺を警戒しに来た事が分る。
イヤダイヤダ、いいじゃないの神様でしょう。神様は人を助け恵を与え、慈悲を善心にしてくれるのはずであるが・・・。土地の人達にとっては、他者には関係ないらしい。
村の鎮守様は村人の者だけらしい。日本的なのかこの島だけなのか・・・。
昨日の残りパン2枚、モサモサとしているが、腹がヘッているのでうまいと思う。
しかし、ゆっくりとはしていられない。時間に追われ歩くのは、距離は進んでも精神的に参ってしまう。
この小さな集落を杉道は再びクネクネと蛇みたいに曲り上り坂である。
杉林の横に小さく頭を巻いたワラビを見つける。春一番に見たワラビである。海は青い。いい風景である。民家はなく、のんびりとして陽はポカポカ。昼寝でもしたい気分であるが、足だけはクソ真面目に動かしている。
道端に、フェリー乗り場まで何キロの標識が、約1キロおきに立っている。東町鷹ノ巣に着くとホッと一安心。店の時計、12:20である。ところが、道路標識、諸浦港15キロ・・・。1キロ程歩くと、12キロになり、200メートルで11キロと、全くでたらめである。10キロとして2時間半の距離である。
閉店中の店前で座ってホッとする。歩く足のテンポが変った為か、下半身の筋肉が痛い。普通、日本人だったら・・・、このまま無理して精神力ウンヌンで歩き続けるのでは・・・。しかし俺は休むという事を体で覚え、無理して歩くより、規則正しく歩き、規則通り休んだほうが、ゆる面に勝っている・・・。そうと分っていても、時間が定まっていると精神的になんとなくイライラとする。
小さな盆地の中にあるこの鷹ノ巣は人通りはない。都会とは全く縁のない風景である。十字路に赤のれんのラーメン屋・・・。入るべきか入らざるべきか。
いつも入る事で失敗をしている。そこをグッと我慢して、後目で赤のれんを見、鼻で匂いクンクンで終り。
15:30 だから、ラーメン一杯食べる時間はあるけれど、余裕を持って行きたい。道は静かで細い半島の中央に山、その間を走っている。ポツンと下に見える漁村は観光とは縁がないらしい。
夏みかんがあったので4個採ったが・・・、手入れしていない樹のせいか、酸っぱいの何の。
でも捨てるには勿体ないし、4個食べながら歩く。
今日、パン2枚を食べただけの胃袋に、この酸味の夏みかんはきつかった。時々ゲップ。その味は変な夏みかんの味である。
だいたい計算で、あと1時間ほどの距離である。ホッとして道端に腰を下ろす。
地図を見る・・・。ジーッと見ていて、アッと思う。近道して一日うかしたと思っていたが、地図の見間違いである。
牛深—河浦—389号 二江は遠回り。だからこの諸浦港から西側を選んだのに・・・。
茂木フェリーは曲崎から二江の示しは距離数の表示。地図が半分なので中途半端で切れているのである。
もうガックリ。両側の距離数を計算する。80.5キロと、74.5。アホみたい。
フェリー乗場は、岸壁に赤色の乗船台と、3、4軒の建物。こんな殺風景な船着場、見た事も聞いた事もない。
切符売り場、14:55着で、ホッと30分休めると思ったの、出航は15:10である。
教えられた時間が間違っている。アァー、あのラーメン正解だったと思う。
こんな所で足止めを喰らったら大変だ。寝る所はないし・・・、乗船。
小さなフェリー。テレビ、山口百恵の結婚発表・・・、2年後が楽しみ・・・。離婚発表。
どこがいいのか、あんなイモ野郎。恋は盲目であるのか・・・、俺の方がヨッポドいい。世の日本の女どもは、男を見る目がない。なんと悲しき事か。世も末じゃ。
イエスの方舟、52才の千石。10人の女とドロン。いゃー羨望しちゃうなぁー。しかし、どのように騙すのか知らぬが、騙される女どもの心理が知りたい。不可解な女ども。
40分で船は中田港。降りた所がこれまた何もない所・・・。今日は短時間で、もう32キロ歩いている。山川アナウンサーが十数時間かかった距離。疲れで頭の中が張りつめる。しかたなく歩き始める。
とにかく腹がヘッてどうしようもない。新平町の手前の杉林の中に椎茸を見つけ、10個失敬してリュックに詰め紐をかけていたら、前に車がピーッと止る。見ると黒白のパトカー。
警官が「何しているんですか」。内心ドキドキ。しまった、袋に入れた椎茸はリュック後のポケット半分から出ているのである。
しかし、しいたけ持っているの見られていないはず。間一髪。色々話して、なかなか解放してくれない。
車、人は後で止まる。俺はパトカーの横に立ち、警官の話し相手。この旅について色々・・・、弱みがあるし・・・。
丁寧な人である。30分近く話したが、警官はタバコを差し出し最後、
「引き止めて悪かったですネ」と、パトカーは去る。
5時のサイレン。パンとラーメン、いわしフライ。十字路近くに珍しく神社あり。
全部の椎茸をラーメンに入れる。心臓によくない椎茸であったが、腹にはいいだろう。日記を書く途中で薄暗くなり中止。寝袋に入る。タバコをふかし西の空を見る。薄暗くなってゆく空。
鳥居と杉の木の上に、3つの星が三角形に星座し、小さくキラキラと輝いている。
使用金額:950円
★「歩いて日本一周」旅日記 鹿児島県/長島~東町鷹ノ巣~熊本県/中田港
とかく人間一人は寂しいものらしい
1980年
昭和55年3月11日(火)
戸も窓もない周り、風、スウースー。しかし、寒くはない。冬に較べると楽だ。それに静かなのが助かる。星が出ていた夜はいつの間にか消え、真っ暗な空。小便しながら見る夜空・・・。あぁー、明日また雨かぁ・・・。
一日おきの雨。一体どうなっているのか・・・。風が吹くと、この中まで濡れて困ったなぁー。
夜が開ける。曇空はドンヨリとしている。イヤな天気。とにかく日記の残りを書く事にするが、頭が寝ボケている。
まずお茶を作る。前のお茶に較べ悪くないのがいい。タバコか椎茸のせいか、胃の調子が悪い。この旅が終った時、いつものように緊張がほぐれ、どっと疲れが出、体はどうなるのか・・・。
通学の声が通り過ぎ、サテ、今9時過ぎた頃であろう。
雑草の境内に数本の桜の木。その細い小枝先にたくさんの芽がついている。
早朝、寝袋の中で直指庵に行く途中、見た数年前の桜吹雪を思い出した。・・・。それに人の拝観料の馬鹿げていること。世界で日本だけがいや京都、奈良・・・、こんなべらぼうな銭をというのは・・・まぁ知らん。
これからパンを食べ、歩き始めるつもりである。
道路標と地図との距離が違う。10キロ14キロ、標示板を信じたが、時間通りに本渡(ほんど)につくことができず・・・。全くこの島の道路標識は無茶苦茶である。
海岸沿いの狭い道、海はどんよりと濁ってきたない。しかし神社、古堂と寝るところにちょうど良い場所が転がっているが、朝では仕方がない。
眼鏡橋のある神社裏の籔の中に駆け込み、クソを垂れるが神社裏では・・・。
かしこまってクソを垂れるのも楽ではない。やはり野クソはおおらかな気持ちでないと。明治11年造のアーチ型石橋を渡る。現代に比べればたいしたことない小さな橋でも、当時としては大変だったのが・・・しかし、味わいのある橋である。
この橋を作った庄屋の前を通り、本渡へ。本渡には10数年前一度来たことがある。しかし、何ひとつと覚えてない。もっとも、きれいさっぱりと変身しているみたいだが。
まずバスセンターに行く。観光案内地図を見つつ、さてどの道が1番近いかを教えて考えていたが・・・バスの運ちゃんらしき人が来て道を教えてくれる。嘘か誠か?。
朝日を買って一路、下田線を・・・。前方より5人の女校生が自転車に乗ってやってくる。呼び止め県立高校に行く道を尋ねる。ホントは大体知っていたのだがワザと聞いたのである。しかしどれも見事と言わんばかりにイモ達。そしてまともに喋れないのである。場所を知っていても・・・どのように説明していいのかわからないと言うより言葉を知らない。時々顔を赤くしている。俺はわからんフリをしてそれから・・・あそう、、と何度も聞いているうちに、相手5人もいるのに誰1人とまともに答えられず・・・。エリに高校のバッチをつけていたので・・・どこの高校と聞く・・・農業高校・・・だと「へぇー、、農業高校頭が悪いんだね」と言うと他の1人が「ワァーかわいそう」。
俺に説明していた「コ」はシュン・・・俺も内心しまったぁ・・・ちょっと冗談がきつかった・・・本当のことだから・・・。
それにしても全員ニキビ面。垢ヌケどころか、本来この年頃になると肌が滑々べしてくるはずなのに・・・。いかにもお百姓さん。農業高校が似合っている。
スーパー451円。牛乳、バナナを買ったが同じほどのバナナが100円安で売っている。こんな時、実に面白くない・・・。本屋の前を通る。店先にマンガの本が並び出ているが、ちょっと立ち見・・・。しかしこれも実に面白くない・・・。
脇道に入ったので・・・角に立った男子高校生に道を聞く。こっちに行ってもあっちに行っても下田に行けると言う。どれがホントの道かと聞くと、こっちと右側の道を教える。そのままどれほど歩いたか・・・。ラーメン屋あり。一見ウマそうではないが、なぜか一旦引き返し、中に入ってしまう。
大盛ラーメンは実にまずく、(内心「これで350円か、クソー」)
中年のおばさん、小柄、1人でこの店やっているらしい・・・。もう一度、道をオーバーさんに聞くと今度は逆戻りの道を言う。
おばさん外に確かめに行くとやはり逆戻り・・・。
350円のラーメンは高かったが・・・早く道、間違いに気づき助かる・・・。クソ、あの野郎どもと・・・歩いてきた道を逆戻り。同じ角に来て酒屋に道を確かめる。
下田線県道は正面の山の中へと狭い道を走らせるが、とかく島の道は狭い。
山、谷の間を道は上がる一方、峡谷に点々と農家・・・。
田んぼの中で1人の3才かそれ程の子供が1人遊び、まわりに一軒の農家だけ。子供は青草の植えた田んぼを掘って泥んこ・・・。そばを通った時、その子供は体を休め、赤いほっぺをした顔を・・・じーっと俺のほうに向ける。いかにも百姓の子と言った感じ・・・。でも一人遊びは寂しかろう・・・。
たとえ車があり便利といえ、ヘキ地はヘキ地。延々と続く登り坂・・・。そこにポツリポツリと民家が点在し生活・・・。
都会の子供は一人遊び、何をするのやら・・・。ただ大きくなると例にもれず、不純異性行為ウンヌンか・・・。とかく人間一人は寂しいものらしい。
一旦通り過ぎた子供の前を引き返し、「バナナやろうか」。
子供は首を縦に振る。1本手渡すと、子供はぬるぬるした水っぽい泥だらけの手で受け取る。しかしツルリと下に落とす。俺は最後まで見ず、歩き始め、遠く後を振り返り見ると子供はしゃがんでいる・・・。あの汚い手でどうやって食べたのか・・・。
フッとどこであったか同じ年頃の駐在所の子供にお菓子をやった時、あの2人の子供はハッキリと「ありがとう」と言った。子供は親の影響が大と思った。
そして今日の子供はありがとうの言葉を知らない・・・。俺の子供の頃と同じである。大きくなったら、、どうなるのか気になる。
チューインガムから香水にでも使われているような香りの花を見つけ一花取ったが・・・。このひと花からは僅かな香り。一つの樹、全部で香りを散らしているらしい・・・。
登り行く道の途中、いたる所に地蔵堂が建ち祀ってある。車もほとんど通らず、静かな田舎道はアスファルトでなければ、リッパな時代劇である。
高くなりにつれ遠くに山々の峰。しかし我が行く道はもっと高い・・・時々・・・。車の降りてくるエンジン音でわかる。本当にこれは近道なのか・・・。どうも海岸線を言ったほうがよかったような気がするが、時すでに遅し。ただ空が晴れてくれたのが助かる。
まぁ・・・山登りに近い道であるが、交通量がわずかなのが良い。
これでワッセワッセと汗をかき、登り、横を例のダンプ・・・、排気ガスにやられたら・・・それこそ目も当てられぬ。
下に深い谷底。沢の流音が響いてくる。新聞を読む・・・。早大入試問題10部コピーで一億円。1人1000万円。このお金を払った親・・・そうまでして行くガキの面を拝ましてもらいたいよ。全く俺なんかどうなってんだ・・・。そんな奴が目の前にいたらきっと蹴飛ばしてるだろう。
紙切れ4枚に1000万円。狂っているよ。本当・・・、そんな馬鹿がまた見つからなければ早大卒で社会を渡り歩く・・・俺は・・・世界を渡り歩いて日本ではポシャーである。銭、銭、銭か。
やっと上まであがり、着く。遠くの谷、山肌に点々と民家がヘバリつくように小さく見えるが、まぁーよくこんなところに住めるものだと思う。
それに峰々は大きく、とてもこれが島だと思えない。日本的風景である。
みかん畑の樹には1個も実がついていない・・・。しかし1本途中でやっと夏みかんにありつくが・・・また夏みかんかぁ・・・。しかし贅沢は敵・・・。恵は素直に感謝し・・・と、逆戻り。3個、袋の中に入れるが、スグ食べる気にはなれずそのまま持ち歩く。
やっと下田と都呂々の分岐点に来る。ちょうど5時の時報サイレンが山々の中を通ってわずかに聞こえたので、時計を取り出し時間を合わせる。
しかし分かれ道は上下の2本。おっさんの話は下であったが、少し歩いた道を一旦、戻り、電柱の表を確かめる。
今日はやたらと逆戻りばかりである。
狭い道はますます狭くなり、上り峠を出ると、そこにポツリと一軒の農家・・・前にチョロチョロと音を立て小川が流れ農家から風呂でも沸かしているのかマキの煙がモクモクで・・・。この煙の匂いがなんとも昔懐かしく実にいい・・・。
道は下りとなり沢の流れを聞きながら、時々ホーホケキョなんてウグイスの声も・・・。
山の夕暮れは早いといっても、随分陽は長い。山の中で寝るところはなく、見つかる時見つかるであろうと悟っている。
明日、9時30分フェリーに間に合う距離まで歩かなければならない。
遠く谷底に集落が見える。登りの近道は難しいが降りは楽である。杉林の中、いたる所に水道槽がある。この辺は山から水をひいているらしい。
集落まで降りてくると、もう薄暗く、さて・・・学校にでも寝るか・・・でも・・・難しい。店が2軒、バス停に「木場」の表示。おっさんに時間を聞く6時40分・・・。
平和な田舎・・・。少し先に珍しく神社。本当に珍しい。それも時間的、明日の距離的にもピッタリ。昨日に比べたら別荘。周りガラス窓、鍵もかかっていないし、文句なしである。
山里の集落・・・。神社下の流れで足を洗い、ポンチョを敷いてすぐ寝袋の中に入る。7時である。なかなか眠れない。夢が次々に膨らみ、連想されてゆく・・・なんの夢かって・・・それは秘密・・・。
下の沢の流れは、ザーザーと絶え間なく聴こえるが、全くうるさいと思わない。
不思議に思う。自然の音・・・、静かな音。音のない音なのである。
使用金額:860円
★「歩いて日本一周」旅日記 熊本県/中田港~本渡(ほんど)~下田線~都呂々~木場
8年ぶりの長崎の街
1980年
昭和55年3月12日(水)
もう習慣となってしまった。熟睡する事ができなく、時々自動的に目覚めし、その度ライターに火を付け時計の針を見る。2:30AMを最後に、一睡もできない。9:30AMに乗り遅れたら大変な事になる。
ここから富岡まで約12キロと計算。それに日記を書く時間を入れ、5時に出ればよいであろう。
闇の中にザーザーと流れて来る音は、沢の流れなのか雨なのか分らない。
もう雨なんかになったら「俺、死んじゃう」。
外は暗い。ガラスの外を見ると星が輝いている。ホッとする。
考え事をしていると・・・、この沢の流れる音は全く耳に入って来ない。フッと考え事を中断した時に、ザーザーと耳の中に流れて来る。不思議だ。昔こんなものに耳を傾けるどころか、考えてみもしなかった・・・。不思議な心休まる音で、飽きる事がない。
時々時計を見ていたが、突然大きなサイレンの音に、「しまった。6:30AMか」と、寝袋から飛び出し時計を見ると丁度5時である。
狭い谷の山、星、それもまだ暗い早朝、空襲警報である。ロウソクを立て荷物をまとめる。忘れ物をしたら大変である。神社の外に出ると、細い三日月。星がキラキラ静かで空気はしっとりと濡れ、冷たくヒンヤリとしている。
バナナ3本を食べながら歩くが、夏みかんを食べる気になれないが、捨てる気にもなれない。欲が深いのか、神の恵みと思っているのか。久しぶりに手袋をはめる。三日月の光が後ろから射し、自分の影が前を行く。
左足ヒザ内側が痛く、朝っぱらからビッコである。持ち上げ膝を曲げようとするが、ズッて歩くようになる。酷使したのか・・・。とにかく左全身おかしな所ばかりである。
都呂々に着いてやっと夜が明ける。標示板、富岡7キロ。どうも時間的計算をすると海岸線を回ったほうが近かったみたいである。今更それこそ逆戻りまでいけない。早朝こんな早く歩いたのは久し振り。気分的にはそうかいである。
国道から左に折れ富岡へ。途中レタス畑。レタスがゴロゴロ。それはいいが、牛小屋の横を通った時、このレタスは牛のエサになっていた。そんなに安いのかなぁー。
朝露にぬれた草緑。朝の空は青さを増してくる。今日は晴れる。
ナイフを持ってレタス畑の中に入るが、玉はどれも小さい。3個・・・。道路に上がる時、車をよく見て、パトカーは無し・・・ (鹿児島のパトカーを日記に書くの忘れた)
夏みかん1個を皮をむいて食べたが、冷たいし酸っぱいから誰も取らず残っていたのかもしれない。黄色夏みかんと緑のレタスを袋に下げ行く。姿はスーパー買い物帰り。実は野菜泥の内に入るのかなあ・・・遊び、遊びです。
富岡の狭い路地、両側、民家。朝の通学、イモ娘に小学生ゾロゾロ。マヨネーズ、卵、パン、モチ、550円。路地通りに似た道の突き当たりを右に少し行くと正面に港が見える。船待合所に入る。誰もいない。ボロ時計は8時前10分である。中はバス停留所に似て・・・とてもフェリー待合所といったイメージはないが田舎の小さな船着場・・・俺は好きだ。昔この港に来ているのであるが、やはり何一つ覚えていない。
中の水道でレタスを洗う。マヨネーズをつけムシャムシャ。しかし青臭く例のパリパリとしたレタスの味とは程遠いのである。
苦味があり、期待したほどではなく、1個を食べるのがやっと。次はパンに挑戦。モサモサして美味しくない。牛乳なし。お茶でも作るかと思ったが人が来る。
待合所半分をカーテンで区切り、半分はお土産売り場。古くなり箱が茶色に変色したおもちゃ箱などが並んでいる。
新聞を買いたいが新聞を読むと日記をつける暇がなくなるので諦めた。
しかしお土産屋の売り子19歳が来て話す。
「下田のホテルに普段いるが、今日は特別代理できた」と・・・。
こんな田舎「いい男いなくて寂しいだろう・・・)
「ウン、だから探してきて」
「しかしホテルで働いていたら、いい男は来るでしょう」
「ウン、時々。でも若い人は話せんもん」
「若い人と話すの恥ずかしいの」
「ウン、そう」
「でも今、若い男の俺と話ししてるじゃない」
「イヤダー、若いの」もう「30を過ぎているでしょう」
滋賀県には4年間、定時制でいたとか・・・。
顔洗って靴下を洗濯。ヒゲを切ってと、時間はみるみるうちに過ぎて行く。
机がないのでカウンターの上で書いていたが、10行も書かない内に乗船時間。
人がゾロゾロとやってくる。こんな田舎にと思ったが、690円。
船室に横になり日記を書いていたが、脳ミソの疲れ、ピーンと張っているのがわかる。
ドカドカと入ってきたおっさん連中。スパスパ、タバコ。みるみるうちに部屋が汚れて行く。俺はこんなタバコの吸い方をしないと言うより、舟では酔うなので吸わない。もうこれでダメ・・・ガックリとくるが無理して書く。今書いておかないと、追いに追われてしまう。
しかしフェリーが出航するとガタガタ振れ書けない。
頭も痛いし眠ることをにすると、今度はテレビがつい、ガァー。黒柳徹子のバァさんが現れ「徹子の部屋」。しかし外に出る時になれない疲れ疲れ、もっとも疲れて正常。これで疲れないやつはスーパーマン。
船から外の景色を見るわけでもなくゴロゴロと横になる。顔にはタオル。入港時間近くになり、タオルを取ると、横にいた大柄というより、肥った若い女・・・タバコをスパスパ。痩せる為に吸っているのか・・・。それにしても顔に生気というか張りのない・・・心の垢が溜まりそれが顔に出た、イヤ、体中に漂っている、年頃20~20才か・・・。
その5メートル向こうに色気のある女が25才くらい位、いる。俺は横になったままその顔の表情観察する。化粧がうまいのか、きれいと言うより色気があり男と話している。正座して紅の唇が・・・なんとも艶である。ただ立った時、スタイルは悪い。服のセンスも。男の陰に赤ん坊がいた。ペチャパイ。里帰りでもしたのか。3個のボストンバック。船が岸壁に近づき、立ち上がると同時に例の女を見ると、今まで下から見ていた角度と違ってそんなにきれいでないし貧相が現れる。
はぁー、下から見るとこうも違うのか・・・もちろん悪くない。下々の者にしては、とにかく紅唇がウーンいいネ・・・。
この男にはもったいない・・・。もっとも相手の中身はわからんのが・・・。
下船・・・。
記念に切符を貰う。
頭がフラフラする。皆、長崎行きのバスに行く。俺は歩きながら・・・日記を書く場所を探す。茂木の港に小さな漁船がずらり。堤防上には魚箱が積み重ねられ、カモメにとんびが舞う。絵になる風景であるが、日記貴の方が気になり・・・おちおちしていられない。
長崎方面に向かって歩くが、道が広くなり両側山肌でとても日記が書けそうな所ありはしない・・・。小学校の運動場があり。ブルマーの女の子、脚が完全に違う。カッコーよくなっているが・・・まだまだ北欧の足元にも及ばないが・・・。
それにいつも思うのに今日は吐き気がする。今頃、船酔いでもあるまい。よほど疲れているのか神経が張っている。左手上に小屋を見つけたのであがると、地域小屋でポンチョを広げ横になる。そして日記攻め。今日は昼過ぎ、長崎市街を出るつもりでいたが予定は未定。うまく行かぬが・・・。鹿児島以来、だいたい計算通りにきている。もう指は痛いし頭は痛いし・・・。
この地蔵堂で今日の分も、書けるだけ書いた。今日は夜も歩くことになりそう。
今何時ごろか分からぬが3時過ぎであろう。ブルースカイブルー、きれいな青空・・・。
サテ長崎を目指し久しぶりにチャンポンを食べるか。何かうまいものを食ーい。
地蔵堂からどれほど歩いたか。急に民家密集地域。バスターミナル、それから道は下る一方で、丘というか、山という、その斜面いっぱいに民家びっしりである。
8年ぶりの長崎の街。ビルが遠くに見えるが、あれから8年も過ぎたと言う時間も何も湧いてこない。ただSさんどうしているのか、気になる。同じ年である。もう結婚して子供もいるのかもしれない。最後に手紙をもらったのは5年前になるのか、全て昨日の出来事である。
この今一瞬も20年後、いつの日か再びこの場に立ち見るならば、昨日の出来事なのであろう。これから先20年といえば長いようであるが、過ぎてしまえば全て一緒の夢の中。
そんなことを思いながら、坂の多い民間の密集地の中を歩き思案橋に出てくる。
繁華街なのか、商店街が始まり、通り裏の中華屋三八に入る。
チャンポン400円。おいしいが、唸るほどではない。
街の様子もすっかり変わり・・・何もわからない。大通りを歩いて駅に向かう。洒落た喫茶店におっさんが脚を組み靴裏を高々と出している。フッと銀領を思い出すが、どこなのかサッパリと思いだせない。18才の時である。あの時俺はどんな格好していたのか。昔を思い出させてくれるものはひとつもない。
退社する人々がぞろぞろと街を歩く。コートを着てブーツ姿がまた目立つ。
注意してみる。歩く女性1人として何かを感じさせるものがいない。駅前に大きな陸橋あり。(手が震えるので止めた)
その段を前に1人の若い女が歩いている。ポッチャリとした可愛い感じの横顔。その後をついて歩く。やわらかいショートカットのカールした髪にフンワリとだぼっい服を着ているのは少し肥っているのを隠すためか・・・。脚は残念なことに大根・・・。靴は黒で重みのある感じのハイヒールで、これではますます脚を大きく見せるだけだ・・・。しかし落ち着いた足取り。同じ大根脚でもチョッピリきれいで、味わいとでも言うのか、いいと思ったが彼女は・・・。バス停のほうに降りて行く。
俺は駅。朝日、The JAPAN TIMES、150円を買う。駅内には少しのイスあるだけ。それも満席。構内は退勤者と旅行者が入り乱れる・・・。
リュックを背負った者、一見して旅行者とわかる若い男女が大勢・・・。ある者は観光案内所に並ぶ。いいなぁーと思ったが、一体何しに、また見に来るのか。この何もない長崎に・・・。長崎と言う言葉にロマン、異国情緒的な響きがあるけれど、それは昔のことであろう。
今はただの通りすがり。いっぺんの旅行では何を見つけ出す事の出来るのやらと思う。
駅前の広い通りが国道佐世保へ・・・。その道を行く。公衆電話ボックス横にリュックを背負うったもの2人。その前を通ると
「どちらからですか」
「福岡」
「僕もです」
「アソー、タバコ持ってる」
あぁー、タバコはやめると思ったのに・・・。思うのではなく誓わなければいけないのか・・・。
「同類ですね」
「どのくらいの旅ですか」といろいろ聞く。手を広げるこのくらいとジェスチャー。
日本1周といってもピンとこないであろう。俺よりリュックにカッコウだけは一人前。しかしどれもサラ。迫力ないのに同類か・・・。
内心、お前さんと同類にされたら俺は首つるよ・・・。
サテ、浦上の先まで来ると24時間コインフード店、・・・。中に入りお茶を作りゆっくりと新聞を読んでいる内に、みるみる内に暗くなる。
ガスを買った。お金を払う時、小銭の中に拾った一円玉があったので、「ハイ、これチップ」と手の上にのせる。「わぁーヨカですか、そんな事」と九州弁になる。
今夜は夜通しになる覚悟・・・。ゆっくりコインフードで休み、新聞の後は日記。
時々若者、例のインベーダー。車横でキューキュードン、ドン。「あぁドジちゃった」の公害者。高校生らしき者からタバコを。また・・・あぁーいかん・・・。
日記は手が震え途中で止める。目がショボショボ。学ラン2人に時間を聞く。8:40PM。
出る時、後から「ガンバッテください」の声。
サテ・・・歩き始めたものの、建続く長崎市街通り。チンチン電車。立ちションをしてベルトをあげていたら、前から若い女。顔を横上向け・・・。意識しているのか。
平和軒、おいしいラーメンをやっと見つけたが、麺が悪い、350円。10時のラーメン屋・・・。
誰もいない。外の通りも同じ車だけが走り、寝るところ、ちろんなく、夜道をどれほど歩いたか、海辺に出て暗い道。諦観しているので別に気分は重くないが、それでも目はキロキロと動く。やっと鳥居を見つけたが、神社はカギ。見事に敗北、が、諦めない。建物周りをグルグル2.5メートルの窓を確かめ開いている。しかし体が重く動作が鈍い。リュックをヒモで縛りそれをバンドに、中に入ると、リュックを吊り上げの作業。30分位かかった、皆で・・・。
土足で上がったので正座して神罰をくれるな・・・と、頭を下げる。
内心これは都合のよ神頼みだなぁー。
もし神が実在するなら、この心内は見え見え。日並
使用金額:2590円
★「歩いて日本一周」旅日記 熊本県/木場~都呂々~富岡~長崎県/茂木~ 長崎~思案橋~浦上
そんなに寒くない。外でいい・・・。春だから・・・
1980年
昭和55年3月13日(木)
昨夜はすぐ出発できるように、枕にする食器箱もジーンも出さなかった。朝早く人が来て拝まれてはかなわない。まさか神様を演じるわけにも行かぬ。薄明るくなると昨夜と逆で出るのである。
一体ここはどこなのか。バス停の表示板を見ると「日並」である。そこから、いかほど歩いたか、24時間ゲームセンター。例のインベーダー。朝早い。誰もいない販売機のお湯でお茶を作り、インベーダーム機を机にして日記の残りを書く。機械の上にガス、ナベを置いてお湯で次お茶を飲みつつ、日記はいいのだが、朝は持ち主が掃除に来るはずである。
もしこれを見たら気分悪くするであろうと気になり、急ぎ日記を書き終わる。間近になっておばさんがやってくる。俺を見て黙っているが「すみません」と言うと、おばさん「いいですよ」と言って消える。
大村湾は湖みたいに波はなく静かである。曇っているせいか別に美しくもない。ドライブインの便所で顔を笑ってクソを垂れる。清潔な便所だったので口笛何か吹きながらクソたれである。
パラパラと集落が道脇に転がり、まともな店屋、ありはしない。パン270円を買って歩きながら食べ、3個目を袋から持ち出そうとしたが、その手を引っ込めた。嫌な予感がした・・・。前方に遠足姿の小学生の列を作りやってくる。
それも長い列で全校生らしい。俺は目が合わぬのように正面を向いて歩くが、女の子たちが気になりチラチラと見る。左手を歩いている列の連中は全員俺を見ながら対向に歩いて行くか、ある女の子たちはクスクスしている。しかし俺の1番恐れていたことがついに起きた。2~3人の男の子が手を振ったので俺も振る。本当は振りたくないが礼儀である。そうするとそれを見ていた一クラスの全員が、「わぁー」と大声を上げて手を振るのである。俺は知らぬ顔をしていく程、心臓は強くない。苦笑いとテレと、面白さの入り混じった不思議な気持ち・・・。
サテ・・・どんな笑い顔をしていたのかわからない。
最後のクラスも全員手を振る。半分演じなければならないのである。女の子を観察するどころの話ではない・・・。
すれ違いの長い列がやっと終わり、袋からパンを取り出す。
村松小学校門前で子供と男の先生が何やら・・・。
子供は遠足のリュックを背に行くのをゴタごねているらしいが、口を半分開け、目はあさっての方角。男の先生、「なぁーダメじゃないか」なんて言っているが・・・。
やはり男より女の先生の方がこんな場合いいのではと思いながら歩く。
あんな場合、女の本当の優しさには誰でもコロリといく・・・。ただうわべの優しさではなく本当の子供は、それを感化腕受けとめるのかもしれない・・・。女の強さは・・。あの女だけにしか持ち得ない柔らかい包みの優しさなのだが・・・。
日本の女は自分を磨き女をしろとはしない・・・。だから・・・魅力も本当の人間としての強さも美しさも見出せない・・・。もっとも日本の男も同じだが・・・。
本当の優しさを知っている女性はおらんのか。一体、俺の嫁さん、何処をウロついているのやら・・・。そんなことを考えながら歩いていたら、白梅。あまりきれいではない。その横に椿・・・。まぁ・・・椿もアッチコッチと・・・よく見ると大輪の花ビラは紅白のまだら模様である。初めて見る椿の花で、こんな椿があったことさえ知らなかった。
チクワとラーメン買って食べる場所を探しながら歩く。グランド横にモルタル建の神社。実に寝るのに最高であるが中は線香の匂い。俺はこれが嫌い。外に腰をおろし、ネズミ色のチクワをぱくついたら変な味・・・煮ないと・・・。
Killing TIMEにTIMEを読む。意味はわかるが、読めても日本語の意味を思い出せない単語・・・。それに忘れ、これもこれも皆辞書で引いた事をのある単語ばかりなのだが、日本語に替えることができない。使わないと・・・。
どんどん忘れてゆく・・・。もっとも日本に帰ってくると何の役にもたたんが。
白鳩生長の家の大きな赤い鳥居。こんなところにあったのか、奇遇と言うべきか・・・。あのおもしろくない本の本元はここにあり。広大な敷地に学校宿泊所まである。宗教法人、いい銭になるらしい・・・。人々は何を信じているのか知らぬが宗教ほど薬にもなるものはない代わりに毒にもなる。
この赤い鳥居から500メートルほど先右側に芝生があったので横になると・・・疲れているのか、コロリと寝てしまう。
国道206号の一本道なので地図を見ることがない・・・。前にバスから降りた女子高生6人、その後をついて歩くが・・・。彼女たちは俺を見て笑っている。しかし・・・逆立ちしてもその後ろ姿から何も見出せないので追い抜いていく・・・。女は若いだけで美しいのに・・・わからん・・・親が子供をいじくり過ぎ。自然性が損われるのか・・・。
大串でチャンポンののれんに釣られ入ったが・・・、店の雰囲気で「ああ、これはしくじった」と思う。案の定、380円のチャンポン、見ただけで腹が拒絶反応を示す。50円でも食べぬ・・・。損した・・・。もうチャンポンは止めた。後はラーメン・・・。これも福岡に着くまで止めた。
空が白っぽく雲が一面に広がりどんよりとしている。
ここまで歩いてくると、看板で見た神社、農協裏いにあり石垣を上っていくと、楠、繁る中に神社あり。その縁台にポンチュを広げ、お茶、TIME、ラーメン、日記・・・。
4時過ぎこの地に着いたが、今日は早めに切り上げた・・・。それでも30キロ歩いている。
ずーっと30キロ以上のペースで歩いているが、日数が15日と思っていたのに、23~24日ごろ到着になりそう。
もう薄暗く、時計は6:35PM。5時の時報サイレンで時計を合わす。
今までほとんど使わなかった時計を最近使い出すようになった。明日も早立ち。神社の中には入らない。カギを開け出たーもう疲れた。
そんなに寒くない。外でいい・・・。春だから・・・。
そう、もう春です。現在、6:38PM。
使用金額:1078円
★「歩いて日本一周」旅日記 長崎県/日並~大村湾~大串
一路、佐世保へと目指す
1980年
昭和55年3月14日(金)
真夜中に目を覚ますとしとしと降る雨の音である。「くそまた雨か」。ため息。
昨夜、日記を済ませ何気なく正面の戸に手をかけるとスーと横に開く。どうぞ入ってくださいと言わんばかり・・・。遠慮なく中に入らせてもらったが・・・真夜中に電気がついたままである。来た時、中を覗いたが灯がついていた。
そして何時ごろか知らぬが、この目覚めた時も暗い中の正面だけ薄明るい灯がボンヤリとついて、中央に安置してある古い像を照らす。
仏壇に似た感じで、色々と飾ってあり酒もある。別に飲む気にもならない・・・。
こんな酒は飲むと悪酔いをするのはわかりきっている。しかし、手ごろの古い像は・・・骨董屋に持っていけば・・・一体どれ位になるのかなぁー、そんなことを考え・・・また顔を寝袋の中。
窓ガラスの外が僅かずつ明るくなっていくが、空は曇って雨模様の空である。しかし夜あれだけ降ったので大丈夫ではと半ば期待して出る。
西海橋までは思ったより早く来た。パン140円。新しいのか、やわらかいので助かる。
橋の上から下を見ると潮が流れ、渦を巻いている。大村湾は曇った空の中に霞み、ぼやけている。橋を渡り、左手にある便所で用を足し、パンにマヨネーズをつけ食べるが、牛乳がないので調子が出ない。自動販売機があるけれど、この俺がこんなものの銭を使うはずがない。それに80円の缶コーラが100円。
下に流れる潮流を見ながらパンをぱくつくが、どこも濡れ、座れない。針尾小学校の近くまで来ると例の通学生たちの群れ。
その中に2人、3~4才位の幼稚園児・・・、俺を見てワイワイと喜ぶ、俺が作り笑いをすると前をウロウロしながらその汚い顔を俺に向けるが、男だか女だか判断はつかぬが、どっちにしても垢抜けどころか・・・いかにも百姓の子供である。ハナたらし、前歯は無い。
そのケタケタと笑う顔は無邪気とう言葉からほど遠く、これも人間の子か・・・。
イャ、これが本来の人間の姿なのかもしれない。
都会の子供にはこの地の匂いがない・・・。しかし・・・いろいろな国の子供を見たが、この子たちは彼らインドと同類か。
小学生の列の中に珍しく可愛い子が1人。4年生ほどか。しかし子供は大きくなっててみるまでわからぬものである。
針尾局で風景印を自分で押す。失敗されたら胸くそ悪いが自分自身だったら?
3本の高い無線塔が低い山の屋根遠方に突き出ている。案内書には大正期に建造。第二次世界大戦の暗号。新高山登れはここからの発信。
10時半ごろ、中華風の建物。ラーメンちゃんぽんの専門店、味覚亭。この専門店の名につられ、3フラーッとドアを開け中に入ってしまう。別に腹が減っていなかったのに・・・。もしかしたらとの期待・・・。まずラーメンのスープを見せてもらうが、大きな釜のフタを取ると湯がモウーと立ち上り、よく見えない。白いスープ・・・フタまで取らせ、ハイ、サイナラと出て行く勇気は無い。
大盛・・・もう見ただけで味がわかる。
窓の向こう側に曇った入江の海景色はいいところであるが、味が良くない。
長崎新聞を読み・・・これも読み味よくない・・・。マンガを見て腰を落ち着けるとなかなか歩く気にはなれない。しかし・・・ラーメン一ぱいで長時間ねばる勇気もない。次はちゃんぽんを頼む。
海の向こうではのんびりと何時間も座っていられ気を使う必要はないが、日本に帰ってくると・・・。いつの間にか日本の色に染まり、せかせかとしてしまう。780円。
歩き始めしばらくすると雨が降り出す。雨宿りする場所なく長い道を濡れ歩く。遠くに早岐(はいき)の街が見え、川が流れる。しかしそこまでの距離は遠すぎ・・・。頭から流れる雨水が顔にスジを引く・・・。ヤッケは防水が効かない。びっしょりと濡れ、あぁーあ、あのラーメンを食べている時間がこれかぁー・・・。
ちょうど食堂で休んだ時間の距離である。ラーメンを食べなかったら濡れることもなかったのだが・・・。気持ちは別に変わらず。まぁいいじゃないの・・・。そんな気持ち。
しかしダンプが横を走り去る時、後ろタイヤが巻き上げる水しぶきがバシャバシャ。これには頭にくる・・・。ダンプに火をつけたいくらいである。・・・なんで気がつかんのか・・・。
濡れて歩くだけは、しゃくなので、道路の白線の上を歩く。線の上を歩いているとバランスが崩れる。レールの上を歩くと同じである。足横幅があってあ歩けるのかと初めて気がつく。湿原地の向こうに、農納屋が見えその軒下に行く。別に雨宿りができると走るわけでもない。ごく普通に歩く・・・。
別に濡れてしまったから開き直っているわけではない。自然な気持ち・・・。春雨じゃぁ濡れて行こう、とはこんなこと言うのか・・・。
軒下でリュックを下ろし、ヤッケを脱ぐ。セーターも濡れているかセーターは水を弾くので助かる。
リュックの中にしみた水を拭き取ろうとゾウキン・・・しかしない・・・。どこでなくしたのか気がつかない。またである。
この農納屋は小さな石の小屋で、土壁。屋根から流れ落ちる雨水は・・・下に落ち、ポチャポチャと水玉を飛ばす・・・。ヤッケをクギににかけ、TIMEを読む。
日本発行の英字新聞はスイスイ読めるのに、TIMES NEWS WEEKになると,
なかなかそうはいかない。目が疲れてくるが・・・日本は簡単な単語でも・・・使っているのか・・・。声を出して読むが発音がおかしくなってくる。しゃべる時と読むときの発音が違う・・・。なんの何になるのか知らぬが、俺には日本語をまともに書けるようになりたい。
どのくらい経ったのか、雨は霧雨になり歩き始める。早岐の入口橋を渡るところに、一白2食付、2,500円の旅館あり。河岸に建つ。古いのか、かた傾き・・・。外側を合板建材で囲ってある・・・。傾いたそのままであったら泊まったかも知らない。
河には舟岸には机を立てた家。水際のいい風景である。
一路、佐世保へと目指す。雨は上がった。もう降る事は無い。佐世保まで8.5キロ。
中古車の展示品を品定め。100万の車を持ってどうする。俺には100万円を持って南米に女買いとと洒落込む・・・あぁー南米に行きたい。チリに、リオのカーニバル、あと3年半の辛抱である。
俺は行く。絶対に行く・・・。ぶつぶつと独り言を言ってるうちに佐世保の駅・・・。
朝日60円。今朝のパンにマヨネーズ。
ガラーンとした構内にイス・・・。待合所では無い。気が散っていかんし、少し寒い。
2時30分駅を出る。
今日は「皆瀬」までのつもり。別に急ぐ必要は無い・・・。佐世保の繁華街になるのかアーケード街の入り口に本屋があり漫画の立ち読み・・・。
大の男がマンガの本に占領して一生懸命見ている、その姿はアホかと思うが、俺も・・・その連中と一緒にリュックを下ろし見ている・・・。
見たいものだけを見て歩き始めるが・・・、あの連中「アホか」と思う。モダンは、車の入らないアーケード街に、ヒゲ面にススこけた体は・・・チグハグである。
アーケード街を出て国道204号。佐世保市街は切れ目なく延々と続く。ラーメン専門店の赤のれん・・・。またフラフラと入ってしまう。あぁーなんて自制心の弱い俺なのか。
九州に入って急に変わってしまった。出てきたラーメンは白スープでは無い・・・。
麺が違う・・・。もしかすると・・・まずスープを1口、アカンアカン、また銭を損した。
テレビは「太陽にほえろ」をやっている、350円。
明日手紙を書くつもりでボールペンを買う。以前の速記用・・・、しかし三菱に慣れてしまったのか指に持った感覚が全く違う・・・70円。
左石駅。ユースに明日のため電話をするとOK。今頃、春休みで無理だろうと思っていた・・・。もしだめなら伊万里に抜けるつもりであったが、幸か不幸かOK。
50キロ余分に歩く事になる。サテ・・・、OKになったのはいいが、寝る所はサッパリ。
無人駅は無人駅でもホームだけでは、マイホームにもならない・・・。次を目指す。
6時Aコープ、303円。
寝るところよりも日記に追われるが恐怖なのである。今日はもう書けないので明日になる。2日分に手紙となれば・・・もう・・・大変・・・。
しかし俺の日記はどうしてこんなに長いのか・・・。これでも削りきって、歩いてる時、あの時、あれもこれも書かなかったと思い出す。大事なことを忘れ、小事を書いて、中里駅に着いたが、ここも小さなホームだけである。あぁー、夜通し歩く事になるのかなぁと思っていたところ、線路の向こう側に例の背の低い石のい鳥居を見つける。この辺一帯は独特のズングリ型の鳥居である。
雑林繁る森の中に入ると神社。正面にカギをブラ下がっているが、もうゴチャゴチャとやる気は無い。軒下の縁台が長く広いので充分である。もう寒くもない。
新聞紙を縁台に敷いて適当に時間を合わせる・・・。今夜12時ごろ起き・・・翌朝8時ごろ着いて日記手紙を書くつもりなのである。
時計の針を6:40PMにする。暗さからするとまあこの時間・・・。
縁台の横は孟宗竹。細い葉の束が大きく風に横揺れ・・・。ただ、明日、雨でないことを祈る。
疲れているせいか、コトリと眠ってしまう。
使用金額:2203円
★「歩いて日本一周」旅日記 長崎県/日並~大村湾~大串~西海橋~早岐(はいき)~佐世保~皆瀬~左石駅~中里駅
土がやわらかく、実に歩いている、そんな感じ・・・。舗装道路では味わえない。足裏を通ってくる柔らかさがある
1980年
昭和55年3月15日(土)
(現在8:07PM。昨日の日記をやっと書き終えたところであるが疲れた)
昨夜10:30PM。時計を見る。それまで睡眠の中にドップリとつかっていたらしい。
民家の玄関にまだ灯がついている。もう少し寝よう。今歩き始めると早めに平戸口についてしまう。そう思った。次に寝袋から顔を出し時計を見たのは・・・ 10時過ぎていたか・・・。もう少しもう少しと一向に寝袋から出る気配なし・・・。
2人の俺がいい合っている。「まぁーそんなに慌てる事は無いヨ。気楽にいこうー」
方やもう一方は「いや、だめだ。決めた事は守らなければならない」
そんな二人言を俺は聞きながら何とか少しでも長く寝袋の中にようとする。冴えていた頭ががトロンとしてくる。その時突然けたたましいコケコッコーと甲高い鶏の声鳴き声が、静夜の暗闇の中を揺れる。すぐ真下から連続的にコケコッコーである。
鶏の鳴き声がこんなにうるさいとは夢にも思わなんだ。今まではその鶏の鳴き声は遠くから聞くと情緒があると思っていたがとんでもない・・・。起きろ起きろと言っているみたいにシツコク鳴く。それがおさまり、ホッとする。
ウタウタしていたら、二回目、頭の中がコケコッコーになってしまう・・・。それでも俺は意地で起きない・・・。ぎゃーと泣いていた鶏め。諦めたらしい。静かになる・・・。それにしてもこのうるさいの、憎たらしく焼き鳥にしてくれようかと思う。
34キロの距離だ。気楽にいこう。そう寝ようと思ったら、三度、もう我慢にも限界がある・・・。ガバっと寝袋ごとハネ起きる。これなら歩いた方がいい。暗い中、寝袋を巻く。
その時1番列車が中里駅を発車する。鋭いディーゼルのガッタン、ゴトン・・・。(5:20AM)
空は星が少し出ている。ホッとする。朝はリュックも軽い。暗いので距離感がわからない・・・。ただ歩くだけである。ブツブツ空想しながら歩く・・・。
京都さんと3年半後世界一周旅行である・・・。夢を見過ぎると・・・あとロクな目に合わないよ・・・。しかし・・・見るのを勝手・・・しかし・・・?
いつの間にか、夜が明け・・・多分、備前神田であろう。自動販売機があったのでお茶を作ろうと道具を出し、お湯のボタンを押したが、お湯が出てこない・・・。
その時・・・前に停まったバスから女子高校生がゾロゾロと降り、チロチロと俺を見る・・・。何か俺は悪いことをしてるみたいな感じ・・・諦めて歩く。パン、140円。
吉井町のバス待合所に入る。古い待合所の中にベンチ。昨日の朝日を読む。
朝なので通勤の娘たちが来るが、どれも見事なイモ娘達ばかりである。
もう朝っぱらから気分悪くなる。可愛い子でも見れば元気ハツラツになるのに。バスが止まった時、バスの中に座ってる女子高生2人。目を閉じ眠っている。かわいい寝顔。
歩いていたら前方より自転車に乗って、吹っ飛ばしてくる奴が近づいてくる。前に紙。中学卒業と書いてある・・・。今日は卒業式か・・・。だから女子高の連中、カバンを持っていなかったのかと納得する。卒業式か・・・。そして桜の花の頃、入学式。
製パン屋前を通った。出来立てのカンバンにつられ、3個買う・・・。買う時・・・念を押す。
「これは今日のですか」「はい」とおっさん、目をスエ言う・・・。ところが・・・、カブリつくと、なんと硬いではないか。古いも古い。2 ~3日経ったやつである。
騙しやがって、悪い奴だ。胸くそ悪いがそれにしてもこの胸の痛さは何であるのか。
江迎町(えむかえちょう)入口にスーパー。別に腹はヘッていないが、最近ロクな物を食べていない・・・。
蜂蜜、豆腐、揚、つゆ、牛乳、703円。スーパーの中に、ジョンバエズの歌が流れ、広いスーパーの中をグルグルと回る。
駅で休むかと思い、町の中まで入ってくると、バスセンターがありその中に入る。朝日60円。10:30AM。
平戸口まで10キロ。もう楽勝である。センターの中には土地の人々で、いかにも田舎街の服装でじいさん、ばあさんばかり。その連中、俺がリュックから道具を出し、豆腐につゆをかけ食べ始めると全員ジーと目だけは見ている。
しわくちゃのじいさん、ばあさんでは話にならぬ・・・。面白くもない。
俺が座ってるベンチの背にフロシキ包みがあり・・・どうも刀のみたいである。しばらくすると気の弱そうなヤクザの兄さん、手に包帯をして
「ここはウチが座っていたとこよ」と、俺は横に移る。
あれでヤクザがつとまるのかと思う。その兄さんが便所に行った間、別の婆さんが占領。フロシキを移し別のベンチ・・・今度は親子連れに邪魔され、また移動。そう広くもないバスセンターの中をウロウロとしている。やはり刀であった。
11:40AM、0バスセンターを出る。
昼寝して日記を書きたいと場を探しながら歩くが、なく、田んぼの中を歩いて近道をする。土がやわらかく、実に歩いている、そんな感じ・・・。舗装道路では味わえない。足裏を通ってくる柔らかさがある。
工作機のモーターをいじっくている、おっさんの横を通ると・・・向こうから「こんにちは」と言われる。
夏みかんを失敬して、酸っぱい人生の味をまた味わう。平戸が海峡の向こうに見え、フェリーが往来する。空は雲ひとつなく、青い海に船がひく白い線。
用紙を買う。本屋の娘、給料8万4千円税込。前歯は入れ歯で、若いのに・・・、130円。
牛乳470円。道路からユースまで20分。農道を抜けたところに丘があり芝草の広い斜面。その向こうには青い海。いい景色である。ユースは4時から・・・。1時間あるんので芝草の上にポンチョ寝袋を広げ、眠る・・・。
家族連れ、恋人同士なのかパラパラ。下にキャンプ用炊事場もあり。俺は気に入った・・・。一眠りして日記を書くが・・・芝草の上では書き辛い。
ユース代、1900円。テーブル上は、上で、這って書くのに慣れてしまったのか、これまた書きづらい。風呂次々変わるが、俺だけ中でゆっくり。夕食はさびしい・・・が、飯がたくさん食えるのでいい。米はいいのを使っている。
スープをつぐ時、初めの野郎、実だけををごっそりと取って、平気で食べている。俺がいくら図々しいといっても、あんな事はしない。後の人のことを考えろ・・・。
3分の2は男・・・。1人だけ割にいい娘がいたが、声を聞かないと中味はわからない。
日記をせっせと書き・・・次は洗濯と追われ・・・あと5日で最後なのに・・・。
いつ交通事故にあってもいいように・・・汚い格好で病院に担ぎ込まれない担ぎ込まれたら恥ずかしい。
使用金額:3663円
★「歩いて日本一周」旅日記 長崎県/中里駅~備前神田~吉井町~江迎町(えむかえちょう)
最後、目を赤くしてドアを開け出て行く・・・。青春のひとコマ。俺は終わりのひとコマ
1980年
昭和55年3月16日(日)
よく眠れた。薄明るくなり窓の外には朝の始まり。赤い空。神秘的でも素晴らしくもないが、静かで一日のはじまりにふさわしい。まだ同室の者は寝ている・・・。日記を書ける。明るさになるまで待ち、昨日の残りを書き始めるか。ベッドがマットレスに毛皮で柔らかく、書きづらい。
6:30頃から歌が流れる・・・。うるさい・・・。もっと静かな曲を流せないのか・・・。全くセンスがないよ・・・。1900円じゃ・・・こんなものなのか・・・ベットと窓がくっついていて、頭を上げると朝の紅の朝焼けが横に帯状に広がっているが、上の空は昨日とはうってかわり黒い雨雲がもくもくと垂れ込め、サテ・・・4:00までどこで暇をツブスかと思案中である。今日教会には行かないであろう。日朝学校のはずである。
8時を過ぎると「掃除しますので寝室にいる人は出てください」の放送・・・。えらい慌ただしいユースである。図書館の場所を電話で聞いてくれるが今日は休み。
とにかく曇っていた空の下を町に向かう。丘の上に教会の屋根と十字架が見えるので行ってみる。ドアの鍵はかかっていない。中はシーンと静まりひんやりと冷たい。カーペットが敷いてあり中に入って壁を背に京都さんの手紙を書く。
この教会の人なのか老婆が入ってくる。
「勉強中なのですか、ゆっくりしてください」
日本の寺とは違うなぁと思う。ユースの女3人が来て中央の十字架をパチンパチンと2枚の写真をとると出て行こうとする。その間3分である。出ようとする彼女たちを止め
「何故そんなに早く出て行くの」
「だってこの中寒いもの」
「寒いからいなければならないのに。5分でいいから黙って座り・・・それから出て行ったらいい」と彼女たちを中央に3人に座らせる。黙って座ってるが何を考えてるのか。
15分後、1人出、2人目が出、3人、小柄な女の子、ドアを開けて出ようとしている。フッと口から言葉が出て、その子と少し話。
20歳、就職が決まっているとか。札幌から・・・。そうか就職か。卒業式はまだ。社会に出ていくのか・・・。頑張って欲しいと思ったので、20歳とはなんぞやと話していたら、彼女は目から大きな涙をポロポロと流して泣いている。自分が情けないと言う。
最後、目を赤くしてドアを開け出て行く・・・。青春のひとコマ。俺は終わりのひとコマ。
外は晴れたのかガラス窓を通して明るい陽差しが入ってくる。少しポカポカ窓際に移り手紙を終わる。
教会を出ると、フェリー140円。下船することなく、何度往復。奈良さんの手紙、その後2時。また教会に行って手紙。ユースに帰って手紙。8時まで手紙。指に力が入らず字は踊る。ベッドに入る。
下から楽しそうなミーティングの笑い声が聞こえてくる・・・。ミーティングとは何か・・・。
隣ベットの男を少し話す。昨日も泊まっている。人相の悪い男。どうも華僑らしい。
眠りに落ちる頃、ドヤドヤと出人が入ってきて、安眠妨災害。
使用金額:2590円
★「歩いて日本一周」旅日記 長崎県/江迎町(えむかえちょう)
福岡まで約110キロ。四日間の距離である・・・
1980年
昭和55年3月17日(月)
例によって朝っぱらから館内がゴタゴタ。もっと、朝が来たと言う静かな気持ちで朝を迎える余裕を持ってないものか・・・。
皆時間に追われ朝食パクパク・・・。8時になるとほとんどのものは姿を消す・・・。バス列車時間に追われ・・・イモ娘たちの尻を追うイモ男たち・・・。おれも時間に追われユースを8時過ぎに出る。
騒がしいユース。ゆっくりするどころか疲れに行ったみたい・・・。でも・・・ゆっくり風呂に入れたし、ゆっくり陶器の食器で飯を食えた・・・。シーズンオフのこのユースはいいのではないか・・・、そんな気がした。
外に出ると曇った空からポツリポツリと水玉が落ちてくる。遠回りになるが、いったん町に出て郵便局に行き手紙を投函する。
朝っぱらから疲れ、気分的に全く歩く気がしない。スーパー350円・・・。
袋を下げて歩くが1時間ほどしたら雨が降り出す。
民家の軒下に雨宿り。ユースで忘れ物のタオルを失敬してきたが、それを敷いて食事をする。
横に猫がいて、ニャーンニャーンと泣きうるさい。ジーっと俺を見ている。雨に打たれながらニャーンニャーン。軒下に入ればいいものの変わった猫・・・。
腹が減っているのかとパンを投げると逃げて去った。
今日初めて朝からセーターを着ていない・・・。肌寒い、もう・・・どうなっているのか分からぬ天気で全然歩く気がしない。
リュックは重いし、脚は疲れ・・・ゴールが近いので増々は嫌なのか・・・。
空想ばかりして歩いている。あとマコと福岡ユースホステル協会、小豆島に手紙とハガキ。憂うつ。
松浦温泉の建物・・・名前だけ温泉・・・。
道路から100メートルほど左手に入った所にあり、その近くにこんもりとした森があり、お茶でも作って休むか・・・。
神社の中に入ったのはいいが、寝袋を敷いてそのまま寝てしまう・・・。
どれほど寝たのか・・・。脚の痛み疲れはとれたが、全く歩く気がしない・・・。
1時間前にこの神社に入った・・・。
一眠りした後、手紙を書いて・・・日記であるが・・・。
さっきサイレンが鳴った。多分5時であろう・・・。格子戸より見る外の空はいつの間にか晴れている・・・。
福岡まで約110キロ。四日間の距離である・・・。
別に慌てる必要はないが・・・。
京都さんに出した手紙・・・返事が来るのか・・・また・・・その内容は・・・それで全てが決まるのである・・・。
日本一周なんか、それに比べると・・・軽い、軽い。
俺はどうしてこう女の人に弱いのか・・・俺は女の人で人生を失敗する・・・。
ボールペンが変わり、慣れないせいか書きづらい・・・。
今朝ベッドの中で昨日の日記半分を描いた・・・1ページ。今日も1ページ・・・。
昨日書くことはたくさんあったが、朝っぱらから疲れているので、ズルをしたが今日は本当に書く事がない。そして書く気がない。
使用金額:350円
★「歩いて日本一周」旅日記 長崎県/江迎町(えむかえちょう)~松浦温泉
つくしを見るとあの時のことを思い出す
1980年
昭和55年3月18日(火)
昨日の昼間に寝たせいか、夜は冴えなかなか眠ることができず空想ばかり。明け方少々冷え込み寒いと思ったら1ヶ月前とは比べ物にならないほど起きやすいのになかなか寝袋から出ない。
外は朝の淡い紅色。今日は晴れるらしい・・・。イザあと4日間である。
荷をまとめ外に出る。小便、しかし・・・。色が全くまっ黄で悪い。ガクゼンとする・・・。眠られなく寝不足のせいであろうか・・・、それともどこか体の調子が悪いのか。時々顔がむくむのか心配。
銭がいくら山ほどあっても体、健康がなければ何もできない・・・。
書き損じた封筒、用紙、ハンドブック。蚊の原ユースホステルだけを切り取り、神社の空になった浄水石の中で燃やす・・・。
サテ今日から真面目にあるかないと4日後には福岡にはつかない・・・。
まだ吐く息が白い朝・・・。しかし寒さは全く感じられない・・・。雲の中で朝の太陽がぼやけている。
緑の草は露にしっとりと濡れ、霜ではない水玉が光は朝、野草。
松浦駅に行く。市なのに駅は小さく売店もない。駅員が数名。ゴロまいている。
封筒を貼るためにノリを借りる。無愛想な中年の駅。時計は7:30。
高校生がぞろぞろと入ってくる・・・。カバンを持っていない。卒業式なのか。
ポストにハガキ、手紙を投函する。ハガキはユース協会とT・・・。
サテ・・・、到着の写真を撮って欲しいがそこまで頼めない・・・。合わせる顔がないのに・・・。
駅前の歩道上で数人の漁業商おばさん達が座り、商売をしている。
その顔は写真、絵になるほど、人間性のある顔であるが、俺が思っている女のイメージからすると「わぁー残酷」。億の銭を積まれても寝る気がしないし、俺の大事なものも立たず用をなさないであろう・・・。どうしてもっと可愛く歳をとっていくことができないのか。
民家の垣の中に、小さな樹に咲く白モクレンの花を見る。久し振り。数年振りではないのか・・・。
もうめっきり濃い春景色となったのに、少々寒い。冬の再来ではないかと思わせるようなどんよりとした空と海。朝方の天気では今日は晴れるだろうと思ったのに・・・。フッと気づいた時は一面の空は雲、雨は降りそう出ないのが助かる。
「今」まで来ると鷹島フェリー乗り場あり。丁度フェリーが着いて人がドロドロと降りてくる。小さなフェリー観光とは縁もゆかりもないらしい。
プレハブの待合所のベンチに荷を置いて新聞を買いに行く。バス停留所の中が切符売りに少々の新聞、朝日はなく読売を買う。小さな停留所の中は土地の人たちで混雑。食堂にもなっているのか、うどんのにおいがプーンとしてくる。懐かしいと思ったら・・・これと似た停留所、二日市にもある。
こんな方法のバス停留所は西九州だけらしい・・・長崎・・・他の地方では・・・見なかった。
フェリー待合所のベンチで新聞を読む。志賀直哉の骨ツボ、遺骨と一緒に盗まれた・・・もう・・・こうなるとおちおち死んでもいられない。恐ろしい世の日本・・・銭・・・銭、すべて銭がものを言う。
どんよりとした空は一向に晴れる様子はなく、寒々とした風景を目にしながら伊万里へ。距離は余裕を持って計算してやるので慌てる事は無いが・・・。
気分的に歩く気乗りがしない。浦ノ崎の先に行く途中、道路横に新品のカメラ三脚がビニールの袋に入って落ちている。拾ったものの荷物になる。しかし勿体ないような気もする。5000円はするあろう。
あと3日の我慢、持って行くことにする。土砂採掘場あり。その前に夏みかん畑。黄色の夏みかんがズラリとなっている。4個取ってモミ殻の上に座って皮をむく。しかしどれもこれもしわくちゃの実、栄養失調である。
道の脇に白い花をつけた満開の梅の木があちこちに見え、京都さんの手紙に九州の梅花の散りを書いたが・・・バツが悪くなる。長崎、島原では散っていたのに、上に上がってくると満開である。
やはり季節が少しずつずれているのか・・・、浦ノ崎駅に休みに行く。踏み切りから線路横を歩いて小さな構内に行くと植木があり、その中に1メートルほどの小さな梅の樹。真紅のきれいな花である。大宰府にこんなきれいな梅は無いのでは・・・と思ったら・・・これが・・・「梅だ」
浦ノ崎の小さな待合所。こんな小さな駅なのに駅員が2人。ローカル線の線路の中には雑草が茂っているのに・・・無人駅にしてもおかしくない駅なのに・・・。人件費だけで大変である。
リュックを置いて人通りのない静かと言うよりゴーストタウンみたいな殺伐とした家並みは・・・、450円料金を払う時、おばさん、
「ヒッチハイクですか」
「まぁそんなもん」
「学生さん」
「まぁそんなもん」
「そうでもない・・・わからんねー」と、別の女の人、30を過ぎていると言う・・・。
「じゃぁ・・・おばあさんだ・・・」
「じゃぁ・・・あなたはおじさんだ・・・」
「死ね」
駅に戻り、豆腐、ピーナツに牛乳を飲み腹を脹らす。切符売り口に「京都冬の旅」のチラシが置いてある。
手に取ってみると京の地図、白川通りがある。こんな簡単な地図にも載っている白川通りとは一体どんな所なのぞや気になる。
駅を出て真面目に歩き始める。今日、寝るところが気になる。今日が最後の峠・・・。あと三日間は何とかなるのであろう。タバコをやめてから以前ほどの胸の痛みはあったがやたらと痰が出る。
一路、伊万里へ。途中小さなラーメン専門店・・・。ピーナツで満腹なのにラーメン道場と言う店名につられ、フラフラと入ってしまう。こんなところに小さな店・・・それにこの名前・・・。よほど味に自信があるのであろう。
大盛400円。400の価値はあるが、唸るほどでは無い・・・。ボケーッと座ってマンガを見てるうちに30分間過ぎ歩き始め・・・、東山代駅に3時少し前につく。
駅を民家に改造してあるが、待合所は無人駅みたいなもの。リュックをおろすとお茶を作っては日記を書き・・・。15:50の列車で降りた男がタバコを口にくわえ戸を開け待合所中に入ってくる。
うまそうなその白い煙につ釣られ、またタバコをたかる・・・アァー。なんて意志薄弱な俺なのだ・・・。たかがタバコ・・・。今4時30分ごろであろう。お茶を1リッターほど飲み腹がちゃぽんちゃぽんである。
サテ歩くするか・・・。
5時ごろ東山代駅を出た。30分ほど歩いただけで202号204号の国道が交差点。どの方向に進めば良いのか分からないが標識に従う。
202号線を歩き鉄道と道路が交差した右手の小さな森の中に鳥が見えたので坂道を登って行く。
森の中に割合に大きな建物・・・。入り口はアルミサッシ、また鍵でかかっているのかと思って手を戸にかけるとスルスルと開く。中は板床。建物は古いがアルミサッシだけ新しい。
少々時間は早いが、ここに決める。本当は上伊万里駅まで行くつもりであったが、2キロほどしか差はない。無理して行っても寝るところがなかったら目も当てられない。
中を掃いてポンチョを敷いて新聞を読む。ガの死骸がゴロゴロしている。読売・・・、地方紙よりマシであるが、やはり朝日ほどでは無い。
次はTIMEを読む。記事によってすらすら読めるものと・・・そうでないもの・・・。あと300ほどの単語を覚えると凄く楽になるのであるが・・・この300がなかなか頭に入らない。すべて辞書を引いた覚えのある単語ばかりなのに・・・。
今日の道、道路、土手の草の中にずらりと頭をだしている、つくしんぼう。延々と続く。もったいない気がする・・・。中学の時・・・名前は忘れた同級生のお母さんが2人でとってきたつくしを卵で煮て食べさせてくれたのを思い出す。彼は転校してくると、またすぐ宮崎の方に転校していった。父親が先生。しかしあのつくしが、うまかったのだけは覚えている。つくしを見るとあの時のことを思い出す。
京都さんに出した手紙が気になるが、気持ち、サラリとしたもの・・・。凄く気になるのではと自分で思っていたが、意外なほど冷静で、もうダメなものと半ば開き直っている・・・。
期待しすぎると失望も大きい。今までいろいろな空想、夢を見させてもらっただけで充分なのでは・・・、そんな気もする。
もちろん良い返事が来ることを期待はしているが、来ないなら来ないで・・・俺には世界がある。でも期待に反した結果、バックリとくる・・・それも確か・・・。後は神様の采配・・・もし・・・彼女が俺の待っていた人で神が引き合わせたのであれば・・・神は我に恵みを与えるはずである。三国おばさん・・・おばさんの言葉が当たることを俺は祈る・・・。しかし・・・ダメならダメで先の人生を歩くサ。
Wind and Weather do your worst.
風よ吹け、雨よ降れ
久しぶりにろうそくを立てて日記を書く。
このボールペンは本当に書きづらい。明日別なのを買う。これはポイする
使用金額:850円
★「歩いて日本一周」旅日記 長崎県/松浦駅~佐賀県/浦ノ崎~東山代駅~伊万里
千々賀をすぎると松浦川の土堤大きく見え、その堤の上を1人のセーラー服を着た女の子が歩いている
1980年
昭和55年3月19日(水)
悪くない神社であるが起き上がるには悪い神社である。白く更けてゆく。唐津まで32キロ。それから虹ノ原ユース5キロ。早めに歩き始めた方が良いと分かっているのに、寝袋の中でモタモタとしている。
今日を入れ、あと3日がとため息が出るが実感としてあまりピンとどころか、全然頭にも胸にも来ない・・・。ただタバコのせいか胸が時々痛むだけ・・・。しかしタバコをやめてから随分と痛みがなくなってきたがやはりタバコは恐い。
神社を出る。森から道路に出ると東の空は淡いピンク色に似た色をしている。まだ7時前であるらしい。
道路は伊万里市街の外を走っているので、市街の中には入らずそのまま素通りである。
朝の新鮮な空気はヒヤリとしておいしい。深呼吸して息を吐くとタバコの煙みたいに白い息が出る。朝露の水玉が緑の野原に朝の日差しを受けキラキラと輝く。遠くでは蒸発しているのか白いものが幻想的に漂い上に上がる・・・「朝の始め」それを実感するが何か冬の始まりに似た感じがしない訳でもない。
一軒、早朝から店を開けている。店の中に入ったら買うべきものは何もない。
何かないかと店の中をグルグル歩き回ったが、なし。牛乳は日付が古い・・・。グルグル中を回ったあげく何も買わず出ていけるほど俺の心臓は強くない。仕方なくサンキストジュース120円無果汁なので何の足しにもならない。小便だけか・・・。
この旅で初めて買ったが、うまい事はうまい。
シャッターの中に新聞が半分出ているので、銘柄を見ると、読売。失敬してやる事にする。地方紙であったら無視するところであったが・・・。新聞屋さん、今日だけ怒られてちょうだい。
新聞を小脇にはさみ読む場所を探し歩く。ドライブインの石垣に座って読んでいたが、石が冷えており、尻がヒヤリヒヤリとしてくる。また冷え性になってはかなわぬと歩き始める。
南波多Aコープ737円?。女の打つレジを見ていると最後に50を打つ。50円のものは買っていないのに・・・。袋をぶらぶら下げ、ガソリンスタンド横に小さな運動場あり。ゲートボールのゲートが立っている。老人憩の場か。学校で使う例の古くなった木造イスがあり、それを運動場の中央に3つ置いて食事となる・・・。
価格札を計算していくと50円分余分に払っている・・・。あの女は知ってレジを打ったのであるが、その50円をネコババする気か。あの女の顔見た瞬間、アッこれはイケン、とそんなものを感じたのが・・・不思議な感と言うべきか・・・。それともよほど女の周りにそんなものが漂っていたのか。
春の日差しをいっぱいに受け新聞を読むが、ユースの時間が気になり少し落ち着かない・・・。朝方ユースに電話をするとOKであった。
それにクソである。昨日していないので今にも出そうなクソをこらえ、読む新聞はやはりくそ面白くない。
周りは低い山。看板にはゆっくり走ろう、備前路。なにが備前路・・・ただのクサレ道路。やたら神社が目立ち、今頃になって寝るところがゴロゴロとしている。急に梅の花も見えなくなった。
満腹の後腹なのに、230円ラーメンの安値看板つられ、フラフラとラーメン屋の中に入ってしまう。しかし中の値段表は違う、高いのである。しかしもう水を飲んでしまった。無料水を飲み、それだけで、ハイサイナラ・・・と出ていけるほど俺の心臓は回復していない・・・。これはタバコのせいだ・・・。
満腹の腹で食べたせいか、そんなに・・・。しかし悪くない味である、380円の価値はあった。
ラーメン屋の中に流れる例の人生相談。東京で車を運転していた時、よく聞いていたが・・・これは全国に流れているのか・・・。
相談内容は、結婚する彼が家に挨拶に来てくれない・・・の話・・・。結婚ネ・・・、親か・・・俺には縁のないことらしいが、フッと京都さんのことを想像し空想してみると、俺も挨拶に行く勇気は無い・・・これならもう一回日本一周をした方が楽である。
超満腹になった腹にコップ3杯のタダ水を流し込む。腹の中はチャポンチャポンと波を打つのがわかる。ラーメン屋は出ると、なんて食い意地張っている俺、自己嫌悪・・・。生い立ちとはこんなところで現れるのである。どうも俺は貧乏国の体質に合っているらしい。
重い腹と重いリュック。カメラの三脚のせいである。カメラも持たないくせに。リッパな三脚は本当にお荷物。クソ紙の1枚でも軽く減らそうとするくせに、、こんなものに無理して汗を流す・・・あぁーなんと貧しき心か、修行が足りないのである・・・。
見みておれ、3年後、バッチリ、自己を鍵に世界を挑戦するから・・・。
春と関係があるのか私やたらとノドが渇く。千々賀(ちちか)のAコープジュース100% 、195円、安い。ボールペンを買った。店の女・・・口は機械的。丁寧な言葉を使っても釣り銭を渡すその手つきはバサバサと渡す。俺が神経過敏なのか・・・そうとも思わない・・・。
国々の文化、ひどいところもあったが・・・。人間、最低限度の事は守らなければいけないと思う。
神社の階段に座って読売を読む。早く隅々まで済まし、軽くしたい・・・。ジュースをゴクンゴクン、なぜそんなに喉が渇くのか・・・。
千々賀をすぎると松浦川の土堤大きく見え、その堤の上を1人のセーラー服を着た女の子が歩いている・・・。枯草と春の緑が入り混じった堤の草原。春風が吹いて遠くで畑仕事をしているお百姓さん達、フッと宍道湖で話したの女子高生が頭の中をよぎる・・・あれも大きな堤・・・。堤は、国道から300メートルほど離れている・・・。堤の上を歩くかと思っているうちに堤は右に遠ざかり、切れたり・・・もし歩いて行き止まりになったら大変だし・・・線路が横に姿を現す・・・。鬼塚から右手に折れ、斜めに道を行くつもり。近道である。
途中から大きな川の堤の上を歩く。川から強い春風が吹き付ける。親娘が川の堤でつくし採りをしている。ピィーピィーイーと例の甲高いなき声のヒバリ。今年初めて耳にした・・・。
一面に広がる緑のジュウタン。春の麦がもう50センチほどに伸びていた・・・。そういえば麦畑のヒバリ・・・子供の頃・・・石を持ってよく追いかけたが一羽も捕えたことがない・・・。そのくせ毎日を追いかけたことを思い出す。ひとつのものを見ると過去のことが連鎖的に思い出される。これは歳をとったと言う証なのであろうか・・・。
松浦川に架かる橋を渡り、まず地図をよく見て確かめる。土堤の上を歩いてみたいが方向違いである。ローカル線の踏み切りを渡り・・・、線路に沿って行くとボロボロになり、これも駅かと思わせる鏡駅・・・そのホームの廃れは・・・この辺に建つ豪邸の群れとはチグハグである。
ホームの柱に背をもたれかけ、明るい春の日を浴び、新聞・・・。あと読むところなく、ポイする。ランドセルを背負った子供・・・まだ学校があるのか、春休み・・・中学校の校庭横を通っていくと、野球の練習をしている連中が指をさし俺を見ている。女の子の1人もいないグランドを見たって・・・。
鏡山を回り込み国道に出ると、虹の松原の松林が横に長く広がりを見せる。陽の高さからして4時頃のはずである。思ったより早く着いた。
ユースの時計は3:30PM。受付は4:00から。ホールにあがりマンガを見る。全然可愛くない女のコ、ヘルパー。
「学校はどこ」「西南」
「だろうネ」「どうして」
「そんな顔している」「どうして分かるの」
「あそこは美人、可愛い子がおらん」
5時風呂に入る。後からきた男・・・よく体を洗わず入ろうとしたので・・・その体を押し・・・もう一度よく洗えと注意する・・・。最近と言うより年寄りもこんなのが多い。年齢に関係ないらしい・・・。
女も同じなのかなと思う。
夕食・・・モダンな陶器、盛り付けがうまいのか・・・よく見える夕食であるが、大した事は無いのである。目の錯覚を利用したに過ぎない・・・。
11年ぶりにこのユースに泊まるが、きれいに掃除してあり、ライトが良い。
シーズンオフに来るといいだろうと思う。
暗くなった外の松林・・・。ユースの灯に照らし出され・・・あぁー松の木かと思い、夕食中の手を止める・・・。そして久し振りの味そ汁に気づく。
ベットにマンガを持ち込み、その後日記を書き始めたが中止。目がしぼしぼとする。
同室の大阪高専、19才ぐらいか・・・生意気な口を聞きやがる。このイモと同じ年頃・・・俺は頑張って日本の外を出ていたのが・・・嘘のように思われる・・・過ぎてしまうと・・・全て幻か。
使用金額:2282円
★「歩いて日本一周」旅日記 佐賀県/伊万里~千々賀(ちちか)~松浦川~鬼塚~虹の松原
自己中心型自己顕示が強く、そのクセ孤独が好き・・・
1980年
昭和55年3月20日(木)
眠りに落ちる一歩手前、例のミーティングを終わった連中がドヤドヤと入って来る。時間は10時。消灯なので文句も言えないし・・・その元気もない・・・。すっかり早寝早目覚めの癖がついてしまったが、早起きのほうは・・・それでも皆に比べると起きるのも早い。
白い朝が来る。俺は日を取り出し、昨日の残り分をベッドの中で書き始めたが頭が冴えない。習慣で目は覚めても熟睡の結果目覚めるわけではないので、頭がぼんやりと重い。それにマットレスが柔らかく、ボールペンは新しいせいか書きづらく、事がスイスイと進まないと頭にくる。
自己中心型自己顕示が強く、そのクセ孤独が好き・・・。あまりいい性格ではないようだが生まれ持ったもの。注意し制しようとするが・・・その字が、その時の状態を大きく語っている。
朝っぱらから日記でもあるまいにと、マンガを読む。
自転車で来たじいさんがいたが・・・騒々しい人である。朝食は頼んでいない・・・。
静かな誰もいないせいか数人、話のできる位の数ならいいが、イモ娘達では・・・それこそ話にならない。
しかし日本の若者ってどうしてこんなに話題を持っていないのか・・・。あるとしたらくだらん雑貨屋の大安売りみたいなものに・・・味付きなしのラーメン・・・確かな己、情念、確信、信心、情熱を持ったことがないせいか・・・個性がない。
くだらんフォークが流れる・・・。マンガをボサボサと見ているうちに、皆、出て行く。
下に下りると2人の女のコが座っているだけ。後は皆もう出発したらしい・・・。
俺はテーブルの上で日記を書き始める。後ろに座っているイモネーちゃんはおとなしく座っているが・・・その1人、カッコウつけて食べていた昨日の夕食姿を思い出す・・・。上半身、カッコーつけても、見えないと思っているのかテーブルから下に見える両脚をおっぴろげていたか・・・オォー、なんとした姿か・・・あれなら何もカッコーつけずにそのままにした方が良いだろうにと思うが、こんなにあるこれと見る俺は、一体どうなのか・・・とかく馬鹿な奴ほど自分の事は棚の上に置いて人のことをとやかく言う。しかし人間、互い表顔でなんだかんだ言っても、腹の中では一体何を考えているのやら。ただ皆、口に出さないだけの話・・・。俺なんか、相手の人間性によって自然に口が悪くなる。別に意識しているわけではないが・・・どうも本能的に働く感みたいなものであるらしい。
日記を書いていたら9時過ぎて、カタンカタンと椅子をテーブルの上に置いて掃除を始める・・・。せかされてみたいでイラついてくる。
9:50AM、日記をすましてユースを出る。
ヘルパーの別の女の子が受付前フロアーを掃除。かったるい感じのつまみ食いにはよさそうな娘・・・。西南のユースホステル・・・クラブであろう・・・。福岡の協会でばったり会ったたとしても・・・その時俺は・・・このカッコウはしていない。
タオルをいつも頭に巻いているが、この頭を見て・・・そんなことをしたら目立つでしょう・・・とユースの男・・・これは5年前から、今に始まったことでは無い。
道路を歩いても面白くないので松林を抜け浜に出る。昔はゴミだらけの浜が印象に残っていたのだが、今度はそんなにない。長い浜をクスんだ緑の松林が遠くまで続く・・・。
遠くに唐津城が見える。海はぼんやりとしている・・・。あのスカッと晴れた青空ではない。天気予報によると雨になるらしいが・・・。
波の音は静かで親娘4人の家族が浜の上で弁当を広げている。わりに長い浜。小学校の1クラスにあたる子供たちが波ぎわで遊んでいる。その中の数人がブルーマ・・・と言うのか、あれは・・・昔はカボチャみたいな・・・ダボダボの黒サルマタの親分であったが、今は水着みたいにカッコーよくなっている。それを着た子がいて・・・チラリと見る・・・相手が見たのでなく俺が見たのである。
欧米までとは言わなくても、まぁ・・・なんと発育が良いのか・・・。しかし北海道の子達の方が健康的で、体も一回り大きい・・・。ある男女・・・グループがゴミ空き缶を浜から拾い集め焼いていた。浜はずれの集落、浜崎に来ると民家の玄関アチコチに日の丸の旗が立てられている・・・。いいなぁと思った。国旗は大事にししなくてはいけない・・・。
最近、国旗がなんだの、国歌がかんだのと学校でやっているらしいが・・・。そんな連中はアフリカのど真ん中に連れて置いてくれば良い・・・。目の先の事ばかり見、考え、計算ばかりしやがり、イザとなればヘッピリ腰のくせに・・・。口だけは達者・・・。大人が大人なら若者も若者・・・。不思議な国だよ、全く日本は・・・。
「鹿家」・・・ポストに新聞がたくさん入っている。長い間留守になっているらしい・・・。どうせ読まないのならと・・・失敬する・・・。この鹿家に入る手前、福岡、佐賀の県境の石碑が建ち、福岡まで10里28丁の刻み。42キロ。無理すれば今夜、福岡に着くが、慌てたところで話にならない・・・。のたりくらりと行くさ。
百里を行く者は90里を半ばとす・・・人間最後でズッコケる・・・慎重に慎重。夜中、交通事故にでも会ったらそれこそ目も当てられない。
鹿家駅に休みに、右手の上りにある駅に行ったが、駅員は数人いるのに切符は売っておらず窓口は封閉・・・。前の売店で買うべしの張り紙。とぼけた九州・・・福岡の国鉄管区である。時計は11:50AM。
今日遅く歩き始めたせいか、全然歩く気がしない。売店でスプライトを買う。若い女の子、アンノンみたいなカッコウ、アカ抜けしていても芯がない・・・。つまみ食いにはいいが。そんなことを言ったら反対にツマれてしまう・・・。
駅の陽のあたる場所で新聞を読むが、西日本新聞・・・。今までの地方紙の中では1番気のきいているようであるが、朝日にはやはりかなわない。
(浜崎で豆腐天ぷら410円を買って、漁船を停泊してる小さな堤の上で食べたが、天ぷらは全然美味しくなかった)
鹿家駅を何時ごろ出たか。かすんだ海とぼやけた海・・・。皮のむけた右足の薬指裏が痛い。マメの皮が破れ、またマメができているみたい。最後の最後までマメとさよなら、なしかぁ・・・。
道路幅は狭く歩道がない・・・。今日休みなのでいが・・・これが普段の日であったら大変だ・・・ダンプ2台すれ違う時・・・俺の逃げる場所がないのでダンプが止まる。ボケーとしたダンプだったらフッ飛ばされてしまう。
福吉駅でリュックを下ろし、前の店に豆腐を買いに行く55円。最後の醤油をぶっかけ。その豆腐は・・・これが福岡の豆腐か・・・おいしくない。機械文明が発達すると便利になるらしいが、食物はまずくなるらしい・・・あぁ・・・俺にはうまい食物とは縁がないらしい・・・。
唸るような食事をしたい・・・。
ピンクのカーディガンを着た高校生らしき女のコが白い子犬を抱いて定期を買いに来た・・・。その声と後姿からは、かわいい娘を想像するが、窓口に向かったままこちらに振り向かないのでジーと帰るまで待つ。やっと彼女が定期券受け取りふりむくと・・・、ワァーすごい美人・・・と書きたいが、5年後これを本当にしたら困るので、やはり正直に書いておこう・・・顔面いっぱいに咲かせたニキビの花。いくら春だからとは・・・言っても・・・あれは不健康の証。
さて福吉駅の駅前国道をスタスタとではなく、マメを気にしながら・・・ボタボタと足取りは重い。福岡が近づく数日前になると・・・胸騒ぎでもするのではと思ったが、全然・・・普段と変わらず・・・俺ってこんなに冷静なはずではないのに・・・。
ぼんやりとした海上の向こうに浮かぶ姫島。その他の山陰を見る・・・。
京都さんと・・・この道をなんとかかんとか空想しながら歩いて、いつもの事だから今更書いても始まらん・・・。
大入駅のラーメン専門店・・・。30過ぎの女とおばさん。親娘らしい。女は男好きのする・・・運ちゃん野郎達にはモテそうな色気・・・。俺には合わん。つまみ食いはしてみたいと思うが・・・それはできないので、280円のラーメンで我慢する。紅しょうが、福岡特有のサービス品・・・唸るほどでは無い。
それから・・・どれほど歩いたか。雨がぱらつき出し・・・右手丘の上に神社があったのでそこに上がり、日記を書いていたら婆さんが来て・・・
神社にワックスをかけるから・・・と別の小さな御堂に移る。正面に海なのであるが、今は雨と夕暮れの薄暗さで、海と空の境目が一緒になっている。
もう薄暗く字が書きづらいが、明日で最後になる。
持越しはやめ、無理して書く。
しとしとと振り続く雨。最後の最後まで神は俺と戯れたいらしいが・・・。
俺は・・・神社の居候・・・?
深江駅の近く。
使用金額:835円
★「歩いて日本一周」旅日記 佐賀県/虹の松原~浜崎~鹿家駅~福吉駅~大入駅~ 福岡県/深江駅
夢を追い夢で終る・・・。過ぎてしまえば、全て夢なのではないか。
1980年
昭和55年3月21日(金)
いつもと変わらず目が覚め暗闇の中もしとしとと降る雨の音を聞いていたら大きな時報のサイレンが鳴る。小便を垂れ外の家を見るとまだ窓には灯が点いていないが、外灯の光が暗い中にポツーンと光を放している。
やたらとトラックが走りまくる。夜の定期便なのか・・・。今日でいよいよ最後なのに雨模様。ひょっとしたら今日福岡に着けないかもしれない。この日記に書く、着くと到着。俺には家に帰り着くとは書けない・・・。そんな所がないからである。まぁ、行きたくないが兄貴の所に転がり込むか。
福岡に到着しても落ち着く場所がないせいか、あぁ・・・、帰ってもうなぁー・・・。そんな気がする。
夜が明けても寝袋の中・・・玄界灘に姫島がクッキリと浮ぶ。灰色に雲っているが、海上の空の様子を見ると晴れそう。
まずお茶を作り日記を書く。朝から到着するまで時間と書いてみようと思った・・・。
早朝、赤いスポーツウェアのおばあさん・・・遠くからこの丘の神社に向って手を打ち、頭を二度下げ走り出す。
俺は神様ではない。あとは、今日で終わりなのにその喜びも実感も何もない・・・。
まぁ、こんなものかも知れないが・・・、サテ、歩き始めるとするか。
お茶を飲み終え荷物をまとめ石段を降りる。別に変った事はなく、一歩一歩と近づく福岡。そんな感じもしない。
ただ、これから先の事を思うとウンザリ。福岡に着くのは終りではなく、始りなのである。
また、一からやり直し、仕事も探さなければならないし、勉強が沢山あるし、銭と時間と頭はなし・・・。
前原駅(まえばるえき)に着く。今日朝日、その他の新聞は休刊らしい・・・。クソを垂れに便所に行くと、下痢のクソがベットリ・・・。もう一つは先客。ああ、しかたない。クソおもしろくもない。
やはり野グソが一番。自然のおもむきがあって気分爽快である。
自分のやったあとぐらい後始末をして行け。クソったれ野郎。
ゴミ箱の中にあったスポーツ新聞を取り出し読が、読むと言うより見る。ヨクこんなものを書くよ。
駅の待合所に何もなく、座る事は落ち着きがなくなり、どうも新聞中毒にかかったみたいである。
しかたがないので、週刊新潮180円を買う。
10時前に駅に来たが・・・。何回か待っていた客の出入り。気がつくと、11時45分である。
売店の娘はマジな顔をして週刊誌を読んでいるが、顔を上げ口を開くと、やはり・・・それだけの娘・・・。進歩のない顔をしている。
ラーメン屋元祖。フラフラと入ってしまう。大盛350円。ラーメン専門店。3人の中年ババアに男1人。昼飯時のせいか、客ゾロゾロ、満員。
ラーメンは一見すると、おお・・・これは。まず、一口。ウーン、悪くない。実に悪くない味ではあるが、唸る一歩手前の味。俺の横で食べているおっさん、ズルズルくちゃくちゃペチャペチャと、その食べ方は凄まじく、そのいやらしい音にはほとほと参ってしまう。
顔を見ると人の良さそうなおっさんであるが、その食べ方にはほとほと閉口して、ストックホルムのあの日本人を思い出す。
このおっさんを海外のレストランに連れて行き、食べているこの姿を外人が見たら、きっと腰を抜かすであろう。そんな事を心内に想像し、自分のラーメンどころの話ではない・・・。唸ってしまった。
パン170円。最近急に食物がおいしいと思はれなくなったし・・・、福岡に着いても別にこれといって食べたいと思わない・・・。
胸が時々痛む。23日と思っていた記念切手は今日が発売。1000円。
空は朝から曇ったままでドンヨリとしている・・・。
このペースで歩くと5時頃着くが、出発地点に着いたと同時にこの日記も終るようにしたい為、どこかで日記を書こうと思っている。
福岡ユース協会に6時頃着くとだけ書いたが、誰も来ていないであろう。着いた時点の写真が欲しいと思うが・・・、兄貴に電話しても・・・、まぁピクニックに行って帰って来た。
しかし、本当にピクニックに2、3日行って帰って来る、そんな感じである。
道路が切れ目なく民家、ドライブイン、車屋が建ち並ぶ。周船寺でまたラーメン屋に入る。250円。
もう、これでラーメンは止めた・・・。飽きてしまった。何かサッパリとしたものを食べたいと思うが・・・、どれだけ歩き続けたら美味い飯を食べさせてくれる嫁さんに出会うのか・・・。
妥協すればその辺に女はゴロゴロしているが、1度きりの人生、大切に使いたい。
もし一生逢う事がないのなら、それでもいいが、一度だけでもいい。日本人の女の人の手による、心のこもった食事をしたいのである・・・。これもはかない夢で終るのであろうか・・・。
福岡市の看板・・・。17キロ。それから13キロまで歩き、生の松原、能古の島と志賀の島が見える。
海にはヨット・・・。海辺に出て砂浜を歩く。
途中小さなドブ川に行き当り、ポンと飛び越えると、右脚は、ズボッとぬかってしまう。ドロリと濡れる汚い水なのでおもしろくない。硬いと思った砂地は、水の為ブヨブヨ。最後の終わり近くになって・・・。
砂浜を歩き終えた所にコンクリートの防波堤あり。小学生の女の子が2人。
俺が近づくと、警戒してるのか避ける・・・。後から来ていたが、俺が立ち止まり汚れた靴を洗い始めると、逃げるように防波堤の上にあがり避けて行く。
親のしつけがいいと言うべきか、疑い深いと言うべきか、阿呆と言うべきか。
誰がお前達みたいなイモコロ・・・。見ると目が腐る。
防波堤の終りに病院跡あり。これも例にもれずメチャメチャにされている。
その中に入り・・・、机の埃と椅子を拭いて日記を書く・・・。最後だから沢山書くことがあるのではと思ったが、普段と変わらず強いし、字が汚いぐらい。
変らないと言う事は「本物だった」なんて思っている。
サテ、歩くとするか。多分、3:30PM頃であろう・・・。あと一歩きで終り。
3:30PM頃であろうと思っていた時間は、4:10PMである。
サァーと小降りの雨となり、また雨か。福岡市街に入り車の往来が頻繁にはなる。
6時頃と書いたが、多分来ていないであろう。その半面、もし誰か来ていたら困るし・・・。
小さな神社の玄関口で週刊誌を読んでいたら、いつの間にか雨が激しくなる。かと言って歩く事を止める訳にもゆかぬし・・・。
雨に濡れながら歩く途中、寝るに丁度よい神社が、こんな大きな都市のど真中にある。しかし、もう今日は関係ない。春の雨なのに冷たく、ヤッケはビショビショになり、最後の最後まで雨かぁ。
神はどこまで我を試す気なのか・・・と、フッと軽くそんな事が頭の中を横切る。
ビルが乱立。ヨーロッパみたいにスッキリとしていない。それに地下鉄工事の為、道路はガタガタ。まぁ、なんと日本にしてはノロノロ工事。
アフリカにいたとき耳にした話・・・。一年経って帰って来るとまだやっている。大壕公園。ビル、退社のOL、サラリーマン。傘をさして、俺は傘なし雨の中。
大きな都市である福岡は、その割に繁華街がないけれど、家路を急ぐOL、バス停に立って待つイモ姉ちゃん達・・・。内心、博多美人と言うが何が博多美人。イモばっかり。雨に濡れ歩きそんな事ばかり考えている。
天神に来る。地下街の下をくぐり上る。もうすぐ出発地点に到着・・・。心は冷静。
感激でもするのかと思ったが全く変らず。銀行の前にビルとは似ても似つかぬ屋台がズラリ夜の骨組をしている。
あぁー、これは博多にだけしかない風景だと思う。もう雨でビッショリだが別に気にしない。
到着後どこか静かな喫茶店でコーヒーでも飲むか・・・、そんな事を考え歩く。
200メートル程先に出発したときの距離の碑が見えた時、フッと小さく何かが込み上げて来た・・・。
あれから約1年が過ぎたのに、そんなに経ったのかとは全く信じられない・・・。
ただ時間の流れの速さをつくづく痛感。恐ろしくなる。
こんな速さで時間が過ぎて行くなら、ますます人の一生なんて瞬時の事だと思い、なんとなく悲しくなる。
道路を渡った所が石碑の立つ場所。しかし信号が赤になったので、立って待っていると・・・、傘をさして歩いて来るYさんを見つける。Yさんも俺を認め手を振る。
信号が青になり道路を渡り石碑にタッチする。Yさんに、
「いま何時」
「時計ない」
前を通ったおっさんを捕まえ、何時かと訊く。
「6時です」
「ハァー、正確にお願いします」と、後にくっついて少し一緒に歩き・・・、おっさんの腕時計を自分の目で確かめる。6:05PM。
「ヤァー」とYさんに・・・。感慨無量の愁いどころか、雨にやられたせいではないが・・・。
「早いネ・・・、1年・・・」信じられないと思う。互い同じ事を言う。
石のベンチが目に止る。あの上で最後の日記を書こうと思っていたが・・・、そのベンチに雨に濡れ、雨がピチピチと跳ねている。
Tさんも来るからと彼女が電話を協会に・・・。天神で待ち合わせとなり、歩いて行く。
感傷に浸るどころではない・・・。まぁ、飯でも食べに行くかと言うことになり・・・、半分内心静かな喫茶店で一人、外の降る雨を見ながらこの旅の過ぎし日々を・・・と、思ったりしたが、せっかく来てくれたのに、そんな事もできない。
地下街入口に来て小便を思い出す。小便しようと思っていたが、ビルに人通り。立しょんの場はなく、石碑の後に公衆便所があるの覚えていたが・・・、Yさんと話ししてる内にコロリと忘れ・・・、地下街に来て思い出す。
岩田屋近くのバス停で待っていると、2人が来て、もう1人は知らん顔。
本当に日本一周ですか、スゴイですネ・・・。その他ペラペラと早口。口を挟む暇なし。彼女もニュース関係の人らしいが男顔負けの体格。機関銃みたいに早口で喋りまくると、6時30分に待ち合わせがあるからと人ごみの中に消えてゆく。
地下街に行く。その中の和風店。中はガラーンと客なし。1100円の松定食を頼み・・・、何を話すやら・・・、時々沈黙が流れる。
俺、話し手、彼女達2人、聞き手・・・。どうして俺はいつも話し手になるのか。誰か静かにジーッと心しみるような話をしてくれる女の人いないのか・・・。俺はそんなんの聴き手になりたい。
店は2人、女の人は真理子の名札をつけているが、なかなかきれいである。
中身は分らぬがカールした髪の中に隠れたその顔を、俺は時々チラチラと見る。
天プラのつけ汁がなくなったので頼むと、濡れた手でつけ皿を受け取る。白い透通ったようなきれいな指をしている。指輪はない。
俺一人だったら、とっくに声をかけているかも・・・。しかし、俺の前に24、5歳のおネェーさんが2人・・・。神は最後まで俺と悪戯して遊びたいらしい・・・。8時15分、食堂をでる。
「私の経歴」送って来ないと。途中で消えたのか・・・、無責任・・・。
多分、浜名湖ユースホステルが失くしたのでは・・・。
Yさんとは、地下街から表に出た所で別れる。忘れ物したとか。嘘か本当か・・・。
食堂を出る時、俺が支払いをしようとした時、理事長からお金を受け取ってきましたからと・・・、まぁ、なんと言っていいのか・・。また一つ重荷が増えた。
電話で連絡は失礼のようだし、手紙は苦痛だし。25日、中国に行くらしい。
バスを待・・・。石碑に向う時、きれいな女の人を見たが・・・、男の腕につかまって相合い傘。
男は見なかったが、おもしろくない。
バスに乗る。満員。何処で降りるのか、バス停の名を忘れて目印になるユニードを探す。
降りると雨は小降り・・・。家に帰るではない。居候に兄貴の所に行くのである。
何の因果なのか・・・。これだから福岡に着くのが嫌だった一つなのかも知れない。
窓は暗い。留守かと。裏側に電気が点いていてホッとする。
靴はビショビショ。義姉とは思った事はない。おばさん出て来て、上に上がる。
手紙が来ていないか訊くと・・・、質問男、TE嬢、年賀状に写真の入った手紙。大きく伸ばしてある。
レーナからの長い手紙。人生を考える・バーバラかと思っていた封を切ると、クリスマスカードの中に挟まれた3枚の写真。
1枚は俺のモロッコ帽子。その写真を見て、まだピーンと来ない。封筒の裏を見て、アッと驚く。
オランダからである。
筆記体の字の判読が難しく、何度も読む・・・。
SなのかTなのか、Yなのかgなのか。しかし、4年前の写真を見ると、自分で自分に惚れる。
質問男から送ってきた写真の自分を見ると、違う。やはり25才の写真の方がいいと思う。
目がしょぼしょぼして来る。もう寝る時間はとっくの昔に過ぎているのに・・・、すべてタイムマシンである。
日記は明日にする。
寝袋の中に入り横になる。暗い中を考えはめぐる。後始末あるし、無理して食べた定食が胸にあがって来る。色々な事が胸の中を去来する。TE嬢の手紙が来ていると思ってなかったが・・・、へぇー、どうしてるのかなあ。東京に行った時が楽しみだなんて思ったりしたが・・・。
これから、職探し。その他の雑用・・・山積。レーナの書いて来た手紙のように、俺は夢ばかり見、追いかけている。何もないと思いつつ、人には偉そうな事を言い・・・、自分の心の中の空洞にはフタをし、今年で30になる。あのヨーロッパの石畳が懐かしい・・・。
自分のアホさ加減に、時々嫌気がさすが・・・、もう今さら引き返せない。
夢を追い夢で終る・・・。過ぎてしまえば、全て夢なのではないか。目がしょぼしょぼして寝付かれない・・・。TE嬢と京都さんが頭の中で比較される・・・。
その他、女の人達が出て来る。みんないい人ばっかりだけで、俺はフラれ役。
いつの間にか眠る。
使用金額:900円
★「歩いて日本一周」旅日記 福岡県/深江駅~前原駅(まえばるえき)~大壕公園~天神
1
人生に、もし、はない。
1980年
昭和55年3月31日(月)
336日間、一日平均1545円。
靴代、郵便、贈り物、その他がなければ、一日平均1000円で済ますことができたであろうが・・・。この中で使った銭の中で、あの国民宿舎だけは捨て金であった。
帰って日記を読み直すつもりであったが、乱筆の文字を見ると、これもう我の字なのかとウンザリする。10年後老いた時、この日記を読むかも知れぬが、荷物がまた増し・・・その時までこれらの日記が残っているか、保管するにも我が家は無し。
今のところ兄貴の家に預けているが・・・。
写真を最後まで撮ってくれば、貴重な記念になってのであろうが・・・今となってはもう時、既に遅しである。
人生に、もし、はない。
もう一度でいいから京都さんに会いたい・・・!
1980年3月31日18:00PM
————————————————————————
今日で3月も終わり、明日から4月、福岡に帰り10日目である。
この10日、礼状、その他の手紙、雑用に追われ、昨日でレーナの手紙で、書く事は終わったが、その間全然日記を書く気になるよりも、整理をしなければならないのに、京都、奈良、岡山に出した手紙の返事が気になるのである。
岡山は軽い・・・。京都は・・・。あの長い手紙なんか書かなければよかったと、後悔に近い気持ちである。どんな人間も初対面の後に、あんな手紙を受けとれば、便秘気味になるも・・・どんな返事を書こうとするより書きようが、何を・・・困ったことになった。
今日洗濯をしてリュックの中を整理。寝袋は羽毛のなので一旦水分を吸うとなかなか乾かないらしい。それに天気は今日から崩れ時々雨である。
あとリュックの全体ほころびを縫い、洗って終わり・・・あと、すること無し。
3月31日なので日記の整理をしてみようと言う気持ちを無理にせき立てる。
日本一周が終わって僅か10日間なのに、遠い昔のような気もする。
4日前、二日市に行った。昼前でおっかさん、ホホの肉が落ち、歯がガクガクでずいぶん老けてしまったが・・・内面的な事は相変わらずだが、なんの因果か、かわいそうな気もする。
Hちゃんは精神病院に入ったとか・・・。あのばかと言う気持ち、死ね・・・叩きつけたいと思う心・・・と同時に何とかしなければ・・・何とかしてあげなければ・・・と言う心・・・。
実に情けない・・・。どこで歯車が狂ったのか・・・。あの弱虫、虚勢・・・見えっ張り・・・貧しい内面性、悪い人間ではないのに手遅れになってしまったのか・・・どれだけ悪いのか分からのが腐りかけた大きな子供だけに始末が悪い・・・。人と争うより自分自身と争い、戦い、勝つことを怠った結果か。
親の責任は大であるが・・・。戻る事はもうできないであろう。
しかし親父は死ぬ前にHちゃんに謝っておかないと地獄行きだと思う。
親父が幼年期の責任を果たし、その末、Hちゃんがあんな人間になってしまったのならともかく・・・。
しかし30過ぎた歳で自制心を崩し、憎愛と言うのか、殺してやりたい気にさえなる。
悲しい人生ではないか。
白老ユースで会った小倉の娘から写真が送ってきていた。
二日市大丸白鳥センターに風呂に行ったら、壊している。20円の博多湯に行く。今だに20円。10年ぶりの博多湯。ブラリと湯の後は、武蔵寺(ぶぞうじ)に行くと公園は変わり、家族連れ。寺の周囲は宅地。寺の境内に鉄筋の納骨堂建設中。
昔の故郷は遠くに去りである。
京都からの手紙が気になり、おみくじを引き・・・その時昨年の1月TKさんはこんな気持ちでおみくじを引いたのかとふと思い出して・・・。一体Tと言う名は本当なのか・・・不思議な事ばかり・・・。あの時のことが悔やまれる。
おみくじは吉で待ち人来ず。しかし、音信があり・・・少し安心したが人間なんて・・・こんなに弱いものか。もっとも半分以上手紙が来る事はないと諦めているが・・・。あの手紙を書いたこと・・・クソ。
子供の頃よく行った石段上の稲荷に上がると・・・例の朱の建物は姿を消し、その後に雑草・・・。頂上の石段上に腰をおろし本郷読む。
スタインベックのチャーリーとの旅である。声を出して読んでいたら下から旅行者らしき若い女が上がってきたが、俺を警戒してから途中で引き返していく。声をかける気にもなれず、本の活字はぼやけ・・・。目の前を通過するだけ・・・本を閉じ、笹の道を通り天拝山(てんぱいざん)登山口に出る。
天拝山に登る。肺のせいか、息が切れる。歩く足のスペースが早いのか・・・。他の子ども連れを追い越し頂上に立つ。展望台の俗物・・・。展望する筑紫平野一面には、家宅の波である。
昔の今頃は色鮮やかな黄色い菜の花が一面のはず・・・。
スタインベックの本にも出てくる、故郷の姿は消え、見るものはよその者ばかり、全く同じである。
立地条件が良いのが仇となった。それとも世の流れか、頂上でしばらく本を読んでいたが、全く気が落ち着かない。手紙なのである。返事はいらぬが、どう思っているのか知りたいし、気になるのである。
気になることばかりで、本は重く、頭に入らない・・・。歩いている時にたくさんの本を読みたいと願っていたのに・・・。
山を下る。山道の桜鬼の上園崎の小枝の先には沢山の目が出ている。しかしこの桜の花を見たことがないなぁそんなことを思うが30なんと故郷を所詮俺も弱いやつさ。
山を下る。山道の桜樹の道。その樹の小枝の先には、たくさんの芽がでている・・・。しかし、この桜の花を見たことがないなぁー。そんな事を思うが・・・30年と故郷。所詮、オレも弱い奴。
山を下り、Mのところに預けていたものを取りに行く。2時間ほどおばさんと3人で話ししていたが、6時、帰ることにする。昼間だったせいか、いつも出る酒は出なかった。1年ぶりだと言うのに・・・!
といってもこの1年が昨日みたいな錯覚を感じるのである。
話をしていて分かっていないなぁ・・・誰もわかっていない・・・やはりレーナか・・・
兄貴の家に帰ったらレーナの手紙が涙を?
何かしらぬがゴタゴタとしているうちに日々が過ぎ、気が狂いそうである。
STに旅先から出したハガキ、移転先不明で送り帰ってくる。結婚したのか気になる。あの写真を今年が最後・・・もらいに行こうと思っていたのに・・・やはり1年たったのである。
Hさん、昨年10月ヨーロッパにユースのグループで行ったとか。垢ぬけして若くなっていた・・・。
徐々に内面的に影響しているのか・・・。もっとも俺みたいになってしまったら、ツブしのきかない石コロ・・・。
京都さんだったら・・・大変だ。どれだけ美しくなるのやら・・・しかし・・・分からぬ者にに無理にそれを知ってもらおうと、あんな手紙を書いたのに・・・。きっと不愉快に思ってるだろう。どうして俺は上から押さえつけるような手紙分・・・文しか書けないのか・・・こんなところで学の貧しさが出てくるのか・・・悔しい。
今5時ごろで長野の誘拐事件犯人逮捕。2人とも殺した。全く人の命を何と思っているのか。親は・・・どんな気持ちなのか。こんな連中が世に生きているのがおかしい・・・。日本の外には・・・食うや食わずの人間がたくさんいるのに・・・。
こんなのは、死刑だ。
昨日、今日・・・郵便局に手紙を出しに出ただけで他に一歩も家から出ていない。
夕暮れから雨がシトシトと降りだし、その雨を見て・・・どこかを1週間ほど気楽に歩いてみたい気持ちになる。
九州の地図を頭の中に浮かべ考えたが場所がない・・・。行きたい場所がない・・・。
ステレオ、ポールモーリアを聴きつつ日記を書いているが・・・。
1週間ほどポケーっと、ひなびた温泉地なんかを歩き泊まってみたいが、銭が頭の中をウロウロする。どうするか・・・。こんなイライラした気持ちで手紙を気にするより、どこか1週間ほどブラリとして来たほうが、精神的にも良いと思うが、こんな事になると急に尻が重くなるのである。